2人は、3間を隔てて暫くの間動かず対峙していたが、急にアラシヤマは走って間合いを狭めると、木刀を横たえて跳躍し、振りかぶり、打ち込んだ。
シンタローは木刀を下段に移していたが、木刀を摺りあげ、アラシヤマの木刀と打ち合わせた。
アラシヤマは、ぱっと飛び退って、下段に構えた。
シンタローは、次の瞬間、中段の構えを取り体を低めて踏み込んだ。
同時にアラシヤマも大上段に構え、シンタローの攻撃を迎え撃ったが、次の瞬間アラシヤマは小手を打たれ木太刀は手から叩き落されていた。しかし、木刀を叩き落されたアラシヤマは身を沈め、シンタローに足払いをかけ、彼が倒れるとその木刀を奪い、喉元につきつけた。
「降参どすか?」
アラシヤマはそう問うたが、シンタローは自分を組み伏せているアラシヤマを睨むと、
「降参?・・・んなわけッ、ねーだろーがッツ!!」
と、一瞬の隙を突き、アラシヤマの胸倉を掴むと、起き上がりざまに反動をつけ投げ飛ばした。
アラシヤマは床を転がって受身をとり、立ち上がった。
再び2人は対峙し、今度は格闘術で戦いはじめたが、なかなか決着がつかなかった。
そのうちお互いに息が切れかけた頃、
「それまでッツ!!今日のところは、引き分けじゃ」
と有無を言わさない小野老人の鋭い声がかかった。
あまりにも激しい立ち合いであったので、見ていた者たちもいつの間にか脂汗を掻いていた。
「あいつら、化け物かよ・・・」
と、思わず門人の1人が呟いたが、胸中で同感する者も多かったようである。
向き合って礼をする際、シンタローは小声で
「―――命拾いしたナ」
と言ったので、
「―――あんさんこそ」
とアラシヤマは応じた。
稽古が終わり、シンタローは稽古場を後にしようとしたが、アラシヤマの前を、
「オマエ、さっきのわざとダロ?」
と言って通り過ぎた。
アラシヤマは、シンタローの後を追い、
「まぁ、俺はどっちでもええんどすが。・・・シンタローの助けが入らんかったら、たぶん殺してましたナ」
彼がそう言うと、少し立ち止まっていたシンタローは眉間に皺を寄せ、さっさと歩きだした。
アラシヤマが流れ上何となくついて行くと、シンタローは外に出、井戸の前で立ち止まった。
そして、髪紐を外し稽古着を脱ぎ始めた。
「あああ、あんさんッツ!一体どーいうつもりなんどすかッツ!?」
動揺したアラシヤマが思わずそう叫ぶと、
「えっ?どーいうつもりって、汗掻いたから井戸を借りて水を浴びるだけなんだけど・・・。あんだヨ?文句あっか!?」
シンタローはキョトンとした後、どうやら喧嘩を吹っかけられたと思ったらしくムッとし、アラシヤマを睨みつけたようとしたが、当のアラシヤマの姿は忽然とその場から消えていた。
「・・・一体何なんだ?」
シンタローには訳が分からなかったが、すぐにアラシヤマの事は忘れ、とりあえず服を全て脱ぎ、水を浴びた。
一方、アラシヤマは人気のない建物の陰に隠れていた。
(鼻血が出るやなんて、予想外どすッツ・・・!!)
結局、中々鼻血が止まらなかったので、アラシヤマは結構な時間そこに居た。
勿論、シンタローは水を浴びると換えの服を着て、コージが同心連中の歓迎会を街中の居酒屋で行うというので集合場所へと足を向けた。
その少し前の時刻、トットリとミヤギは近所の茶屋でお茶を飲んでいた。
「なぁ、トットリぃ。そういやアラシヤマの姿が見えねーべが?」
ミヤギが団子を食いながらそうトットリに話しかけると、トットリは、
「先に帰ったんと違うんか?あんな奴ほっといたらええっちゃ!」
茶を飲みながらそう言った。
「おお、そう言われてみれば、そうだっぺ!」
ミヤギは納得し、残りの団子を頬張った。
五月も半ばを過ぎており、江戸の夜は日中の蒸すような暑さが依然として尾を引いていた。
夜八つの時刻、家々の棟の下では、多くの者が寝苦しさに中々寝付けなかったようである。それは、八丁堀の同心長屋で眠りに就いているアラシヤマとても例外ではなかった。
彼は、現在、夢現の状態であった。
夢の中、何故か、彼はシンタローと戦っていた。
(あぁ、これは、昼間の立ち合いどすな)
アラシヤマがそう思いつつ、もう1人の自分を眺めていた。
激しいの剣戟や木刀同士の競り合いは、現実かと思える程そのまま忠実に再現されており、アラシヤマは、
(へェー。傍らから見とったら、こんな感じなんやナ)
と暢気にも感心していた。そうしている間にも、場面はアラシヤマがシンタローに小手を打たれて木太刀を取り落とす場面にきたが、
(そうそう。この時わて、えろうムカつきましたなぁ。・・・認めとうはおまへんが、シンタローの方が剣術では上いうことどすし)
そう思っていると、もう1人のアラシヤマはシンタローを組み伏せ、
「降参どすか?」
と訊いており、シンタローはアラシヤマを睨みつけ、
「んなワケ、ねーダロッツ!」
そう応じていた。すると、シンタローを組み伏せているアラシヤマは、嗤うとシンタローの髪を掴んで引き寄せ、噛み付くように口付けた。
(えっ!?わて、何しとるんや!!相手はシンタローでっせー!!)
そう思うアラシヤマにはおかまいなしに、もう1人のアラシヤマはシンタローの服をどんどん脱がせていった。いつの間にか、木刀や脱いだ服が周囲から消えうせ、場所も一体其処が何処なのか定かではない中、シンタローはアラシヤマの腰にほとんど日に焼けていない白い足を絡め、背中に爪を立てていた。爪を立てられた傷口からは、細い血の筋が流れていた。
アラシヤマからは座っているもう一人の自分は後ろ姿しか見えなかったが、シンタローの表情は見えた。眉間に皺を寄せ唇を噛んでいたシンタローは、不意に目を開け、自分を見ているアラシヤマの視線を捉えた。そして、薄く妖艶に哂うと、自分を抱いているアラシヤマの頭を引き寄せ、強引に口付けた。
(こっ、こんなん、シンタローやおまへん!)
アラシヤマは思わず、その場から逃げ出そうとしたが、足に根が生えたように体が全く動かない。それでも必死で足掻くと、不意に目が覚め、いつもの長屋の天井が薄ボンヤリと見えた。そして、体中にはベットリと汗を掻いていた。
(も、もしかして・・・)
嫌な予感がしたので、おそるおそる見てみると、やはり、案の定であった。
「何で、シンタローで・・・」
溜息を吐き下帯を外すと、未だ己の分身は元気で収まりがつきそうになかったので、二~三度扱いて始末をつけると洗濯物を抱えてこっそり外へ出、井戸の方へと向かった。
洗濯をし、自分も水を被るとアラシヤマは再び長屋へと戻ったが、眠れなかった。
アラシヤマがまんじりともせず、布団に横たわっていると、いつの間にか窓の外が薄っすらと明るくなり、朝が来た。
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「卯の花が、見事ですな」
マジックは部屋の中から、庭に空木の花が白一色に咲き乱れている様を観て、思わずそう呟いた。その時、障子が開き、
「ありがとうございます。本来なら私が伺うべきところ、わざわざお越し頂いてあいすみませなんだ」
そう言いながら、いかにも好々爺といった小柄な老人が茶と菓子を持って入ってきた。しかし、立ち振る舞いが自然であるにも関わらず、全く隙がないところをみると、どうも只の老人ではなさそうである。
「とんでもない、こちらに小野先生にお頼みしたい用件がございますので、私が伺うのが筋というものです。それにしても、お久しゅうございます」
老人は、ニコニコしながらマジックの前に茶と菓子を置くと、対面に座り、
「マジック様は御職務が大変御多忙と御子息から伝え聞いておりましたが、お元気そうで何よりです。それで、単刀直入にお聞きいたしますが、御用件とは?」
「重々御無理を承知でお頼み申し上げますが、この度、私の配下の同心3名ほどをしばらく先生の道場に通わせてやってはいただけませぬか?捕物術やその他の武芸は一通り修めております」
「このような破れ道場でよろしければ、一向にかまいませぬよ」
老人の顔は、相変わらず温和であった。
何処か遠くの方で、杜鵑が鋭く一声鳴いた。
渋谷方面へと道を歩きながら、ミヤギは、
「何でオラ達が、今更違う流派の剣術を習うんだべか?お奉行様の考える事は、いつも突拍子も無いべ・・・」
とぼやいていた。
「僕も、ミヤギ君の意見に同感だわや。それにしても、一歩街の外に出ると渋谷は畑しかないっちゃね・・・」
隣を歩いていたトットリは、溜息を吐いた。
「・・・あんさんら、お気楽でんな。最近、町人よりも地方から江戸に来た食い詰め浪人の犯罪が増えてますやろ?その中には手強い奴等もたくさんいますし、それに備えてのことや思いますえ?少しは頭を使いなはれ。その頭は単なるお飾りどすか?」
「相変わらず、一々ムカツク奴っちゃね!」
「まぁ、トットリ。アラシヤマが根暗なのも性格悪いのもいつものことだっぺ?」
「そげだぁな!ミヤギ君ッvvv」
「あんさんら、楽しそうどすな・・・」
2人の少し後ろを歩いていたアラシヤマは、陰気にそう言った。
「そういや、今から行く道場に、お奉行の息子が通っとるってきいたんやけど、どげな奴だらぁか?」
「やっぱし、あの親父に似てんじゃねーべか?」
「それは、かなり嫌だわナ・・・」
その会話を聞くともなしに聞きながら、アラシヤマは先日の事を思い出し、胸中複雑であった。
ある夜、マジックに奉行所に呼び出されたアラシヤマは、
「マジック様、また暗殺どすか?まぁ、人を斬るのは嫌いやおまへんけど」
と、話を切り出した。
いつもよりも、真剣な面持ちのマジックは、
「いや、それよりも、もっと重大な任務だ・・・」
と言い、その後の言葉をなかなか続けなかったので、アラシヤマは緊張した。
「実は、シンタローの事だが」
アラシヤマは、久々にシンタローの名を聞き、内心非常に動揺したが面には表さなかった。彼はこの3年間シンタローと会ってはいなかったが、ずっとシンタローのことが頭から離れず、アラシヤマにはそれがどういう感情から来るものなのか自分でもよく分からなかったが、(シンタローと、一度でいいから勝負してみたい)と思う気持ちが存在することは自覚していた。
「シンタローは現在、一刀流の道場に通っている。以前よりも格段に強くなったヨ。ただ一つ心配なのは・・・」
「何どすか?」
「シンちゃんが“男にモテモテ大人気☆”だって、あの狸ジジイがッツ・・・!かわいいシンちゃんが、どこの馬の骨とも分からない野郎にたぶらかされやしないかと、もう心配で心配でッ・・・」
マジックは、思わず持っていた扇子をバキッと折った。
「いや、失敬。少々取り乱してしまったヨ」
「・・・そんなに心配やったら、御子息にそこの道場を止めるように言うたらどうどすか?」
「あの子は、絶対に自分の意志は曲げないよ。それに、そんなこと言ったら、私が嫌われちゃうじゃないかッツ!?ただでさえ、最近シンちゃんにうっとおしがられているのに・・・」
「(最近?)で、御子息とその身辺を見張れと?―――この件は降りさせていただきますわ」
アラシヤマが、そう言うと、
「―――アラシヤマ。シンタローは、3年前とは比較にもならないくらい強いよ?同じ道場に通っていたら、練習試合で立ち合うことができるが?」
「―――それは、御子息に怪我をさせてもええということどすか?」
アラシヤマがそう問うと、マジックはニヤリと笑い、
「ああ、別にかまわないヨ?もしお前に可能であれば、の話だけどね」
「・・・お引き受けさせていただきます」
アラシヤマはそう言った。
アラシヤマは歩きながら、(あの親馬鹿奉行、一体、どっちがついでなのか怪しいもんどす。まぁ、いくらなんでも一応シンタローの事が先ということはおまへんやろ・・・。それにしても、シンタローは3年前とはどう変わってますやろか?)
アラシヤマが何やら考えつつ、ブツブツ言いながら歩いているのを見ていたトットリとミヤギは、
「やっぱりコイツ、根暗だっちゃわいや・・・?」
「だべ」
顔を見合わせて、頷きあった。
武家屋敷のある道沿いを少し行くと、田畑が広がっていた。道場は畦道からすぐのところにあり、それほど大きくない門には“武術指南・小野忠長”と書かれた看板がかかっていた。
「なんだっぺ?一刀流の道場じゃねェべか?」
先程から激しく木刀が打ち合わされる音や気合声が聞こえていたが、そう言いつつミヤギが門を潜り敷地内に入ると、稽古場の内が見えた。
どうやら、門人同士が木太刀で立ち会っている様子である。一方の木刀が叩き落され勝負がついたかに見えたが、木刀を奪われた方は丸腰のまま相手に組み付いて行った。
「刀の型までは一刀流やけど、その後は状況に応じて何でもありみたいっちゃ」
「確かに実戦的だべ」
3人が道場の入り口に着くと、不意にヌッと巨大な影が現れた。
「ぬしたちゃあ、奉行所のお役人様じゃろ?話は聞いとったけぇ、入るとええわ。ワシはコージじゃ」
そう言うと、ノシノシと戻っていく後姿を見てトットリは、
「でっかい奴だわナ。それにしても、どっかで見た事あるような気がするっちゃ・・・」
と小声で呟いた。
道場では稽古が続いていたので、コージに案内された3人は道場の端に座し、稽古を見学した。
戸が開け放たれた道場では、十数名の若者が猛烈に打ち合っていた。その中でも、長い黒髪を一つに束ねた若者は、動きが俊敏で圧倒的に強かった。
「ふぇ~、すげーな!アイツ」
ミヤギは、感心したように目を丸くした。
「なぁ、アラシヤマ、お前もそう思うべ?」
ミヤギは隣に居たアラシヤマの方を振り向いたが、アラシヤマはその若者の方を凝視したまま動かず、問いかけが聞こえている様子はなかった。
(何だべさ?まぁ、アラシヤマが変なのはいつもの事だし、どうでもいいっぺ)
コージは、ミヤギの方を見て、
「ありゃあ、シンタローじゃ。一刀流とは流派が違うんじゃが、2年ほど前からここで修業しちょるんじゃ」
「ふーん。あれが、奉行の息子だらぁか。親父には似てないっちゃね」
「んだ。でもこっちはこっちですごいべ」
3人が話していると、見所にいた老人から
「これまでッツ!」
との声が掛かった。
そして、小野老人から3人がこれから捕物術の修業の一環として道場に通うという旨が門人たちに通達された。
早速、血気に逸った門人の1人が、
「先生、こやつらと立ち合ってもよろしゅうございますか?」
老人はしばし考え、3人の方を見て、
「お前さんたちの意向は、どうじゃな?」
と聞いた。するとそれまでずっと黙っていたアラシヤマが前に進み出て、
「よろしおます」
と言った。
アラシヤマは、十手と同じくらいの長さの木の棒を袋から出し、手に持った。
道場の中央で門人とそれぞれの得物を構えあい対峙したが、勝負は一瞬で決まった。
「たあっ!」
と、間合いを詰め、胸を狙って突きを見舞おうとする相手に対して、状態を左下に沈めてかわし、体勢を整えた上で棒で相手の利き手を打ち、思わず片手を離したところ柄を握った相手の手を捻り上げながら体を寄せ、棒で両足首を打ち払って転倒させた。そして、相手の木刀を取り上げ、切っ先を眼前に突きつけると、どうしたことか相手は動けなくなった。
「まいりました」
と相手が言ったが、アラシヤマは構わず木刀を振り上げた。
すると、何かが飛んできて木刀に中り、アラシヤマの持っていた木刀は真っ二つに切断された。よく見ると、それもまた木刀であった。
「気にいらねーナ!“まいった”って言ってるじゃねェか」
そう言って、進み出てきたのはシンタローであった。
アラシヤマはニヤリと哂い、
「ほな、あんさんが、お相手してくれはりますの?」
と言いつつ、シンタローが投げた木刀を拾い上げ、八相の構えをとった。
「上等だッツ!」
シンタローも、木刀を本覚に構えた。
五月も半ばを過ぎており、江戸の夜は日中の蒸すような暑さが依然として尾を引いていた。
夜八つの時刻、家々の棟の下では、多くの者が寝苦しさに中々寝付けなかったようである。それは、八丁堀の同心長屋で眠りに就いているアラシヤマとても例外ではなかった。
彼は、現在、夢現の状態であった。
夢の中、何故か、彼はシンタローと戦っていた。
(あぁ、これは、昼間の立ち合いどすな)
アラシヤマがそう思いつつ、もう1人の自分を眺めていた。
激しいの剣戟や木刀同士の競り合いは、現実かと思える程そのまま忠実に再現されており、アラシヤマは、
(へェー。傍らから見とったら、こんな感じなんやナ)
と暢気にも感心していた。そうしている間にも、場面はアラシヤマがシンタローに小手を打たれて木太刀を取り落とす場面にきたが、
(そうそう。この時わて、えろうムカつきましたなぁ。・・・認めとうはおまへんが、シンタローの方が剣術では上いうことどすし)
そう思っていると、もう1人のアラシヤマはシンタローを組み伏せ、
「降参どすか?」
と訊いており、シンタローはアラシヤマを睨みつけ、
「んなワケ、ねーダロッツ!」
そう応じていた。すると、シンタローを組み伏せているアラシヤマは、嗤うとシンタローの髪を掴んで引き寄せ、噛み付くように口付けた。
(えっ!?わて、何しとるんや!!相手はシンタローでっせー!!)
そう思うアラシヤマにはおかまいなしに、もう1人のアラシヤマはシンタローの服をどんどん脱がせていった。いつの間にか、木刀や脱いだ服が周囲から消えうせ、場所も一体其処が何処なのか定かではない中、シンタローはアラシヤマの腰にほとんど日に焼けていない白い足を絡め、背中に爪を立てていた。爪を立てられた傷口からは、細い血の筋が流れていた。
アラシヤマからは座っているもう一人の自分は後ろ姿しか見えなかったが、シンタローの表情は見えた。眉間に皺を寄せ唇を噛んでいたシンタローは、不意に目を開け、自分を見ているアラシヤマの視線を捉えた。そして、薄く妖艶に哂うと、自分を抱いているアラシヤマの頭を引き寄せ、強引に口付けた。
(こっ、こんなん、シンタローやおまへん!)
アラシヤマは思わず、その場から逃げ出そうとしたが、足に根が生えたように体が全く動かない。それでも必死で足掻くと、不意に目が覚め、いつもの長屋の天井が薄ボンヤリと見えた。そして、体中にはベットリと汗を掻いていた。
(も、もしかして・・・)
嫌な予感がしたので、おそるおそる見てみると、やはり、案の定であった。
「何で、シンタローで・・・」
溜息を吐き下帯を外すと、未だ己の分身は元気で収まりがつきそうになかったので、二~三度扱いて始末をつけると洗濯物を抱えてこっそり外へ出、井戸の方へと向かった。
洗濯をし、自分も水を被るとアラシヤマは再び長屋へと戻ったが、眠れなかった。
アラシヤマがまんじりともせず、布団に横たわっていると、いつの間にか窓の外が薄っすらと明るくなり、朝が来た。
マジックは部屋の中から、庭に空木の花が白一色に咲き乱れている様を観て、思わずそう呟いた。その時、障子が開き、
「ありがとうございます。本来なら私が伺うべきところ、わざわざお越し頂いてあいすみませなんだ」
そう言いながら、いかにも好々爺といった小柄な老人が茶と菓子を持って入ってきた。しかし、立ち振る舞いが自然であるにも関わらず、全く隙がないところをみると、どうも只の老人ではなさそうである。
「とんでもない、こちらに小野先生にお頼みしたい用件がございますので、私が伺うのが筋というものです。それにしても、お久しゅうございます」
老人は、ニコニコしながらマジックの前に茶と菓子を置くと、対面に座り、
「マジック様は御職務が大変御多忙と御子息から伝え聞いておりましたが、お元気そうで何よりです。それで、単刀直入にお聞きいたしますが、御用件とは?」
「重々御無理を承知でお頼み申し上げますが、この度、私の配下の同心3名ほどをしばらく先生の道場に通わせてやってはいただけませぬか?捕物術やその他の武芸は一通り修めております」
「このような破れ道場でよろしければ、一向にかまいませぬよ」
老人の顔は、相変わらず温和であった。
何処か遠くの方で、杜鵑が鋭く一声鳴いた。
渋谷方面へと道を歩きながら、ミヤギは、
「何でオラ達が、今更違う流派の剣術を習うんだべか?お奉行様の考える事は、いつも突拍子も無いべ・・・」
とぼやいていた。
「僕も、ミヤギ君の意見に同感だわや。それにしても、一歩街の外に出ると渋谷は畑しかないっちゃね・・・」
隣を歩いていたトットリは、溜息を吐いた。
「・・・あんさんら、お気楽でんな。最近、町人よりも地方から江戸に来た食い詰め浪人の犯罪が増えてますやろ?その中には手強い奴等もたくさんいますし、それに備えてのことや思いますえ?少しは頭を使いなはれ。その頭は単なるお飾りどすか?」
「相変わらず、一々ムカツク奴っちゃね!」
「まぁ、トットリ。アラシヤマが根暗なのも性格悪いのもいつものことだっぺ?」
「そげだぁな!ミヤギ君ッvvv」
「あんさんら、楽しそうどすな・・・」
2人の少し後ろを歩いていたアラシヤマは、陰気にそう言った。
「そういや、今から行く道場に、お奉行の息子が通っとるってきいたんやけど、どげな奴だらぁか?」
「やっぱし、あの親父に似てんじゃねーべか?」
「それは、かなり嫌だわナ・・・」
その会話を聞くともなしに聞きながら、アラシヤマは先日の事を思い出し、胸中複雑であった。
ある夜、マジックに奉行所に呼び出されたアラシヤマは、
「マジック様、また暗殺どすか?まぁ、人を斬るのは嫌いやおまへんけど」
と、話を切り出した。
いつもよりも、真剣な面持ちのマジックは、
「いや、それよりも、もっと重大な任務だ・・・」
と言い、その後の言葉をなかなか続けなかったので、アラシヤマは緊張した。
「実は、シンタローの事だが」
アラシヤマは、久々にシンタローの名を聞き、内心非常に動揺したが面には表さなかった。彼はこの3年間シンタローと会ってはいなかったが、ずっとシンタローのことが頭から離れず、アラシヤマにはそれがどういう感情から来るものなのか自分でもよく分からなかったが、(シンタローと、一度でいいから勝負してみたい)と思う気持ちが存在することは自覚していた。
「シンタローは現在、一刀流の道場に通っている。以前よりも格段に強くなったヨ。ただ一つ心配なのは・・・」
「何どすか?」
「シンちゃんが“男にモテモテ大人気☆”だって、あの狸ジジイがッツ・・・!かわいいシンちゃんが、どこの馬の骨とも分からない野郎にたぶらかされやしないかと、もう心配で心配でッ・・・」
マジックは、思わず持っていた扇子をバキッと折った。
「いや、失敬。少々取り乱してしまったヨ」
「・・・そんなに心配やったら、御子息にそこの道場を止めるように言うたらどうどすか?」
「あの子は、絶対に自分の意志は曲げないよ。それに、そんなこと言ったら、私が嫌われちゃうじゃないかッツ!?ただでさえ、最近シンちゃんにうっとおしがられているのに・・・」
「(最近?)で、御子息とその身辺を見張れと?―――この件は降りさせていただきますわ」
アラシヤマが、そう言うと、
「―――アラシヤマ。シンタローは、3年前とは比較にもならないくらい強いよ?同じ道場に通っていたら、練習試合で立ち合うことができるが?」
「―――それは、御子息に怪我をさせてもええということどすか?」
アラシヤマがそう問うと、マジックはニヤリと笑い、
「ああ、別にかまわないヨ?もしお前に可能であれば、の話だけどね」
「・・・お引き受けさせていただきます」
アラシヤマはそう言った。
アラシヤマは歩きながら、(あの親馬鹿奉行、一体、どっちがついでなのか怪しいもんどす。まぁ、いくらなんでも一応シンタローの事が先ということはおまへんやろ・・・。それにしても、シンタローは3年前とはどう変わってますやろか?)
アラシヤマが何やら考えつつ、ブツブツ言いながら歩いているのを見ていたトットリとミヤギは、
「やっぱりコイツ、根暗だっちゃわいや・・・?」
「だべ」
顔を見合わせて、頷きあった。
武家屋敷のある道沿いを少し行くと、田畑が広がっていた。道場は畦道からすぐのところにあり、それほど大きくない門には“武術指南・小野忠長”と書かれた看板がかかっていた。
「なんだっぺ?一刀流の道場じゃねェべか?」
先程から激しく木刀が打ち合わされる音や気合声が聞こえていたが、そう言いつつミヤギが門を潜り敷地内に入ると、稽古場の内が見えた。
どうやら、門人同士が木太刀で立ち会っている様子である。一方の木刀が叩き落され勝負がついたかに見えたが、木刀を奪われた方は丸腰のまま相手に組み付いて行った。
「刀の型までは一刀流やけど、その後は状況に応じて何でもありみたいっちゃ」
「確かに実戦的だべ」
3人が道場の入り口に着くと、不意にヌッと巨大な影が現れた。
「ぬしたちゃあ、奉行所のお役人様じゃろ?話は聞いとったけぇ、入るとええわ。ワシはコージじゃ」
そう言うと、ノシノシと戻っていく後姿を見てトットリは、
「でっかい奴だわナ。それにしても、どっかで見た事あるような気がするっちゃ・・・」
と小声で呟いた。
道場では稽古が続いていたので、コージに案内された3人は道場の端に座し、稽古を見学した。
戸が開け放たれた道場では、十数名の若者が猛烈に打ち合っていた。その中でも、長い黒髪を一つに束ねた若者は、動きが俊敏で圧倒的に強かった。
「ふぇ~、すげーな!アイツ」
ミヤギは、感心したように目を丸くした。
「なぁ、アラシヤマ、お前もそう思うべ?」
ミヤギは隣に居たアラシヤマの方を振り向いたが、アラシヤマはその若者の方を凝視したまま動かず、問いかけが聞こえている様子はなかった。
(何だべさ?まぁ、アラシヤマが変なのはいつもの事だし、どうでもいいっぺ)
コージは、ミヤギの方を見て、
「ありゃあ、シンタローじゃ。一刀流とは流派が違うんじゃが、2年ほど前からここで修業しちょるんじゃ」
「ふーん。あれが、奉行の息子だらぁか。親父には似てないっちゃね」
「んだ。でもこっちはこっちですごいべ」
3人が話していると、見所にいた老人から
「これまでッツ!」
との声が掛かった。
そして、小野老人から3人がこれから捕物術の修業の一環として道場に通うという旨が門人たちに通達された。
早速、血気に逸った門人の1人が、
「先生、こやつらと立ち合ってもよろしゅうございますか?」
老人はしばし考え、3人の方を見て、
「お前さんたちの意向は、どうじゃな?」
と聞いた。するとそれまでずっと黙っていたアラシヤマが前に進み出て、
「よろしおます」
と言った。
アラシヤマは、十手と同じくらいの長さの木の棒を袋から出し、手に持った。
道場の中央で門人とそれぞれの得物を構えあい対峙したが、勝負は一瞬で決まった。
「たあっ!」
と、間合いを詰め、胸を狙って突きを見舞おうとする相手に対して、状態を左下に沈めてかわし、体勢を整えた上で棒で相手の利き手を打ち、思わず片手を離したところ柄を握った相手の手を捻り上げながら体を寄せ、棒で両足首を打ち払って転倒させた。そして、相手の木刀を取り上げ、切っ先を眼前に突きつけると、どうしたことか相手は動けなくなった。
「まいりました」
と相手が言ったが、アラシヤマは構わず木刀を振り上げた。
すると、何かが飛んできて木刀に中り、アラシヤマの持っていた木刀は真っ二つに切断された。よく見ると、それもまた木刀であった。
「気にいらねーナ!“まいった”って言ってるじゃねェか」
そう言って、進み出てきたのはシンタローであった。
アラシヤマはニヤリと哂い、
「ほな、あんさんが、お相手してくれはりますの?」
と言いつつ、シンタローが投げた木刀を拾い上げ、八相の構えをとった。
「上等だッツ!」
シンタローも、木刀を本覚に構えた。
五月も半ばを過ぎており、江戸の夜は日中の蒸すような暑さが依然として尾を引いていた。
夜八つの時刻、家々の棟の下では、多くの者が寝苦しさに中々寝付けなかったようである。それは、八丁堀の同心長屋で眠りに就いているアラシヤマとても例外ではなかった。
彼は、現在、夢現の状態であった。
夢の中、何故か、彼はシンタローと戦っていた。
(あぁ、これは、昼間の立ち合いどすな)
アラシヤマがそう思いつつ、もう1人の自分を眺めていた。
激しいの剣戟や木刀同士の競り合いは、現実かと思える程そのまま忠実に再現されており、アラシヤマは、
(へェー。傍らから見とったら、こんな感じなんやナ)
と暢気にも感心していた。そうしている間にも、場面はアラシヤマがシンタローに小手を打たれて木太刀を取り落とす場面にきたが、
(そうそう。この時わて、えろうムカつきましたなぁ。・・・認めとうはおまへんが、シンタローの方が剣術では上いうことどすし)
そう思っていると、もう1人のアラシヤマはシンタローを組み伏せ、
「降参どすか?」
と訊いており、シンタローはアラシヤマを睨みつけ、
「んなワケ、ねーダロッツ!」
そう応じていた。すると、シンタローを組み伏せているアラシヤマは、嗤うとシンタローの髪を掴んで引き寄せ、噛み付くように口付けた。
(えっ!?わて、何しとるんや!!相手はシンタローでっせー!!)
そう思うアラシヤマにはおかまいなしに、もう1人のアラシヤマはシンタローの服をどんどん脱がせていった。いつの間にか、木刀や脱いだ服が周囲から消えうせ、場所も一体其処が何処なのか定かではない中、シンタローはアラシヤマの腰にほとんど日に焼けていない白い足を絡め、背中に爪を立てていた。爪を立てられた傷口からは、細い血の筋が流れていた。
アラシヤマからは座っているもう一人の自分は後ろ姿しか見えなかったが、シンタローの表情は見えた。眉間に皺を寄せ唇を噛んでいたシンタローは、不意に目を開け、自分を見ているアラシヤマの視線を捉えた。そして、薄く妖艶に哂うと、自分を抱いているアラシヤマの頭を引き寄せ、強引に口付けた。
(こっ、こんなん、シンタローやおまへん!)
アラシヤマは思わず、その場から逃げ出そうとしたが、足に根が生えたように体が全く動かない。それでも必死で足掻くと、不意に目が覚め、いつもの長屋の天井が薄ボンヤリと見えた。そして、体中にはベットリと汗を掻いていた。
(も、もしかして・・・)
嫌な予感がしたので、おそるおそる見てみると、やはり、案の定であった。
「何で、シンタローで・・・」
溜息を吐き下帯を外すと、未だ己の分身は元気で収まりがつきそうになかったので、二~三度扱いて始末をつけると洗濯物を抱えてこっそり外へ出、井戸の方へと向かった。
洗濯をし、自分も水を被るとアラシヤマは再び長屋へと戻ったが、眠れなかった。
アラシヤマがまんじりともせず、布団に横たわっていると、いつの間にか窓の外が薄っすらと明るくなり、朝が来た。
アラシヤマは、その夜一睡も出来ず、灯りも点けない暗い部屋の中で正座をし、ずっと考え込んでいた。
(わて、あの時何であんなこと言うてしもうたんやろか・・・。あれやったら、わざわざ好きと言っとるようなもんやないか。―――もしかすると、わては、シンタローの事が好きなんやろか?)
「ありえへん」
気がつくと思わず否定の言葉を口にしており、アラシヤマは自分が声を発したことに少し驚いた。
(そうどすな。わてがシンタローの事を好きやなんて、ありえへん事なんどす。たぶん動揺した理由は、今まで気付かへんかったけど心臓の病とちゃいますやろか?)
そう無理矢理納得しかけた時であったが、その時、急にシンタローの笑顔を思い出し、アラシヤマは再び心臓の鼓動が早くなった。
(や、やっぱり、ほんのちょっとだけ可愛いかったどすなぁ・・・。って、何を危険な思考に走ってますんや!わては断じて男色やありまへんえー!!誰がなんと言おうと、心臓の病なんどすッツ!!!)
結局、思考が堂々巡りをし、いつの間にか窓から朝日が差し込む時刻となった頃、アラシヤマは憔悴していた。頭がボンヤリとし誰とも会いたくないと思ったが、そのような訳にもいかないので、
(不味うおます・・・)
と、自分で作った簡素な菜汁と麦飯を食べた後、出掛ける支度をした。
昼九つの時間に、アラシヤマがシンタローに会いたいような会いたくないような複雑な気持ちで奉行所の裏門前に着くと、既にシンタローが外に出て待っていた。
「・・・お、おはようさんどす」
と、おずおずとアラシヤマが声を掛けると、
「・・・言っとくけど、俺も、オマエなんて大嫌いだからナ」
開口一番にシンタローにそう言われ、アラシヤマは、固まった。
なんとなく、心が急激に冷えていくような気がした反面、(―――これでよかったんどす)と、何処か安心する気持ちもあった。
アラシヤマは一呼吸置くと、表情を全く顔に表さず、
「それは気が合いますな。わても、あんさんが嫌いどす。あんさん、甘えたの坊ちゃんどすからな」
そう言った。
シンタローは、背けていた顔をアラシヤマの方に向け、彼を睨みつけた。
アラシヤマはシンタローの荷物を手に取ると、
「ほな、行きまひょか」
視線から逃れるように、歩き始めた。
季節が霜月となり、冬至を幾日かを過ぎた頃、江戸には初雪が降った。
その日、朝と昼間は晴れ、少し積もった雪は消えていたが、シンタローとアラシヤマが学問所を出る夕方頃ともなると一転して空が暗くなり、雪が静々と降り始めた。
アラシヤマはシンタローに傘を差しかけ、雪道を歩いていた。既に暗闇であったが、提灯を持っておらずとも、地面の雪の白さのおかげで辺りはなんとなく明るく感じられた。
2人が歩いていると突然建物の角から、バラバラ、と数人の黒い影が飛び出してきた。彼らの手には抜き身の刀が握られており、白刃が雪明りを映し鈍く光っていた。
傘の内側で、アラシヤマは低く、
「あんさん、心当たりは?」
と、シンタローに訊いた。
「あるわけねーダロ!!テメェこそ、どーなんだヨ!?」
「京では大有りどすけど、江戸では今のところ、まだありまへんな」
アラシヤマが、間合いを計っているような曲者達に向かって傘を放り投げると、曲者たちは
「逃すな!」
と声をあげ、2人に向かって殺到してきた。
シンタローとアラシヤマは傘を捨てた時点で既に大刀を抜きはらっていたらしく、シンタローは、打ち込みを刀で摺りあげ、横に飛びぬけざま、刀を持つ相手の腕を切り落とした。一方、アラシヤマは、太刀筋をかわすと、曲者の首筋の急所を撥ね切った。撥ね切られた首筋からは血が吹き零れ、曲者は地面に倒れ伏し、息絶えた。
闇の中、縺れるように人影があちこちと移動したが、気合声と同時に、
「ぎゃあっ」
と、そこかしこから悲鳴が上がった。
雪が絶え間なく降る中、最終的にその場に佇む人影は2人となった。曲者達は、逃げるか息絶えるかのどちらかに分かれたようである。地面には、死骸と腕や足などが転がっていた。
シンタローがほとんど返り血を浴びず平静な様子であったのとは対照的に、アラシヤマは、帰り血で黒く染まっていた。そして、死体を見て薄く哂っており、常とは違った様子であった。
シンタローは、アラシヤマを見て眉間に皺を寄せ、
「おい、帰るゾ」
と言った。
しかし、応えが無かったので、シンタローは道の脇に転がっていた傘を拾いに行った。
シンタローが戻ってくると、アラシヤマは既に常の状態に戻っていたようであったが、押し殺した声で、
「どうして、あんさん、いつもと変わりまへんのや?」
と一言訊いた。
「何言ってんだ?俺は、いつでも俺だ」
シンタローがそう言い切ると、アラシヤマは、下唇を噛締めた。
(なんでシンタローは、人を斬ったのに狂気に堕ちんのや。それは、わてより優れているということか?わては、シンタローの足元にも及ばへんのか!?)
「トロトロしてっと、先に行くぞ」
そう言って、傘を差し歩き出したシンタローの背を見ながら、
(シンタローが、憎うおます)
アラシヤマはそう思うと同時に、気持ちが昂揚し、何故か嬉しささえ感じていた。
闇の中、雪が深々と降っており、庭の植え込みの木々は薄く白い冠を被ったような風情であった。
マジックは縁側に立ち、庭先に蹲っている黒い影と会話していた。
「そうか、アラシヤマは、相対するものは全て始末したか・・・」
「はい、逃れようとする者も追い、斬り捨てました」
「シンタローは?」
「御子息は、長短一味かと。剣を持ちなれない素人の町人も一味の中には混じっていたので、そのように御判断した模様です」
「―――あの子らしいね」
マジックは、声の調子からは全く判断できなかったが、胸中では複雑な様子であった。
「マジック様、アラシヤマは諸刃の剣です。始末した方がよくありませぬか?―――あの者は血に酔うておりました」
「―――これから先どう変わるかは、何事も本人次第だヨ。まぁ、変わらなくても使い道はあるし」
マジックがそう言うと、影の用件は終わったらしくいつの間にか姿は消えており、庭は一面の雪景色となった。
マジックは未だ居室には戻らず、雪の落ちてくる夜空を見上げながら、
「それにしても、シンちゃんは罪作りだねェ・・・。本人のせいではないにしろ、群がる虫が多くて困るよ」
そう呟いた。
数日後、季節は師走となった。年の瀬も近づいてきたせいか、行き交う人々の足も自然と気ぜわしくなっていた。
ある夜、アラシヤマはマジックに呼び出され奉行所にやって来た。
マジックは、三の間でアラシヤマと対面するなり、
「アラシヤマ、先日の襲撃の件をどう見る?」
と訊いた。
「お奉行はんは、とっくの昔に分かってはるんやろ?今日、学問所で馬鹿に会うたら、悔しそうに若様とわてを睨んでましたわ。まぁ、若様は気にしてへんみたいどしたけど」
「わざわざ、親を通じてシンちゃんとの交際の申し込みをされてもねぇ。もちろん断っておいたけどね」
「―――振られた男の嫉妬は、見苦しいどす」
マジックは、そう馬鹿にしたように言い切ったアラシヤマを見て、しばらく間を置き、
「ところで、お前は大丈夫かね?」
と問うた。
一瞬、アラシヤマの体からは殺気が立ち昇ったが、彼はそれに気がついたらしく、すぐに殺気を治め、
「わては、男色の気はありまへん」
そう、歯を食いしばるように言った。
「なら、いい」
そう言ったマジックの声は平静であったが、かえってその分凄みがあった。
季節はすっかり冬だというのに、対して座していたアラシヤマの背には、冷や汗が伝った。
その場の空気は張り詰めていたが、不意にマジックは立ち上がり、
「もうすぐ学問所は閉講だ。明日からシンタローの送り迎えはもうしなくていい。この一年間、御苦労だった。年明けから、約束通りお前は同心見習いだよ。」
そう言って彼は部屋を後にした。
アラシヤマはしばらくその場から動かず、膝に置かれた握り締めた自分の拳を眺めていた。
ふと、彼は
「わては、嬉しいはずどす。これ以上、シンタローの顔を見んですむやなんて、清々した言うてもええでっしゃろ?」
と自分に言い聞かせるように小声で呟いたが、どうしたことか、そのような気持ちには中々なれなかった。
奉行所を辞し外に出ると、彼は普段帰り道には通らないはずの方向に足を向けた。
裏門の前を通り過ぎ、数歩行くとアラシヤマは足を止めたが、
「歳の市でも、行きまひょか」
再び、歩き出した。
翌日、シンタローは、(あんな嫌味で陰気そーなヤツと一緒に通うのはゴメンだナ)と思い、昼九つの時刻になると、表門からは出ずに土蔵の傍の裏門からコッソリと外に出た。
道に出てみるとやはりアラシヤマは表門の方で待っているらしく、姿が見えなかったので、シンタローは1人神田の方面へと足を運んだ。
昌平坂を登ると、青緑色で彩色された朱塗りの仰高門が見えてきた。江戸の市街とは違って、中華風の趣である。階段を登った上に、中国風で重厚な造りの杏壇門と大成殿が居を構え、その隣には学舎が建っていた。シンタローが学舎に入ると、中では大勢の上級武家の子弟が机を並べ、儒者が『論語』や『孟子』などを教授していた。いくつかに教室が分かれており、案内された教室の後ろ側の席が空いていたので、シンタローはそこに座った。
休息時間ともなると、シンタローの周りには取り囲むように人が集まった。そして、そこで争うように自己紹介などが行われた。昼の講義終了時には夕七つの時刻になった。受講生達は、やっと終わったとばかりに一転してガヤガヤと騒がしい雰囲気となった。シンタローは、数名から「一緒に孔子の思想について語ろう」などと誘われたが、彼自身は儒学にたいして興味も関心もなかったので、断ろうと思いつつ、彼らに取り囲まれた状態で部屋の外に出ると、廊下にはアラシヤマが壁に凭れて座って居た。
アラシヤマはズカズカと近づいて来ると、「邪魔どす」と取り巻き達を押しのけ、シンタローの手首を掴んで集団から引っ張り出し、
「若様、帰りますえ」
と言った。
取り巻き達は、どうするのか、とシンタローの方を見たが、アラシヤマに引っ張られて歩きながらシンタローが、
「あっ、悪ィ。帰りはコイツと一緒に帰らなきゃなんねーんだ」
と言うと、彼らは一様にガッカリしたようで、なんとなく鳶に油揚げを攫われたような顔つきをした。
学舎を出ると、シンタローは、
「離せヨ!」
アラシヤマの手を振り払った。アラシヤマは、無言でシンタローの手を離した。
2人は夕暮れ時で忙しそうな人々が行き交う市中を黙々と歩いて奉行所の方へと戻ったが、裏門を通り過ぎ、表門へと出る直前の路地の曲がり角の手前で、ふと、アラシヤマが、
「―――何で先に行きましたんや?」
淡々とシンタローに訊いた。
「・・・別に。ただ、テメェが気に食わなかっただけだ」
シンタローがそっぽを向いてそう応じると、アラシヤマは、
「わてにとっては、あんさんの送り迎えも仕事のうちなんどす。感情のみで行動するとは、お子様どすな」
馬鹿にしたように言った。
「何だとッツ、コラ!?」
シンタローが思わずアラシヤマの胸倉を掴むと、
「ほな、明日も迎えに来ますさかい。もし、あんさんが居らんかったら、逃げたんや思いますえ?」
そう言って、シンタローの手を着物の襟から外すと帰っていった。
シンタローはしばらくアラシヤマの後姿を睨みつけていたが、裏門の方へと引き返すと、鍵を開け、バンッツと思いっきり扉を閉めた。
次の日、アラシヤマが裏門の方で待っていると、シンタローが門から出てきた。シンタローは、アラシヤマを見ると、嫌そうな顔をした。
「おはようさんどす。その荷物持ちますわ。若様」
そう言って、シンタローの荷物を勝手に持つと、黙々と歩き出した。
学舎に着いたが、アラシヤマが部屋に入らなかったので、シンタローは、
「何で入んねーんだヨ?」
と、アラシヤマに言うと、
「わては、身分が違いますからナ。わてが若様についていったら、昨日の連中が嫌な顔をしますわ。あんさんの立場も悪うなりますえ?」
と言って、廊下に座した。
シンタローは何か否定の言葉を言おうとしたが、結局言わず、眉間に皺を寄せると部屋に入っていった。
アラシヤマが廊下で待っていると、授業の終わりにゾロゾロと生徒たちが出てきた。
昨日のシンタローの取り巻きたちも出てくると、アラシヤマの目の前で、これ見よがしに
「シンタロー、こんな奴なんかほっといて、今日は俺らと一緒に帰ろうぜ!」
その中の1人が言った。
アラシヤマが立ち上がると、
「何で、お前がついて来るんだよ?」
と、彼らの敵意を含んだ視線が集まった。
「そら、仕事どすからな」
「お前、仕事だったら、金さえ貰えりゃいいんだろ?それをやるから、どっかへ失せろ」
と言って、床に財布が投げ出された。
それを見た、アラシヤマの周りには、殺気が取り巻いた。若者達は、殺気に当てられたのか怯えた様子であった。
その時、シンタローはいきなりアラシヤマの頭を持っていた本で思いっきり殴った。
「オラ、とっとと行くぞッツ!」
そう言って、シンタローはアラシヤマの腕を掴むと引っ張り、そして、
「これから、行き帰りは、コイツと一緒だから」
と、取り巻きの方を見てキッパリとそう言った。
杏壇門を出たところで、アラシヤマは、シンタローの手をそっと外した。前を歩いていたシンタローは、アラシヤマの方を振り向くと、
「オマエ、素人にあんな殺気をぶつけてんじゃねーヨ。・・・ったく」
「余計なお世話、と、言いたいところどすが、さっきはあんさんに助けられましたな。ありがとうございます」
と、アラシヤマは押し殺した声で礼を言った。
シンタローは目を丸くしたが、何も言わなかった。
夏が過ぎ、季節は長月となった。残暑がまだまだ続いてはいたが、時折、朝夕と肌寒く感じる日もあり、季節は秋に移ろうとしていた。
シンタローとアラシヤマは、相変わらず仲が良いとは言えなかったが、行き帰りに時折会話をする程度にはお互いの存在に慣れたようであった。
その日は神田明神の秋祭りの日であり、境内や階段の両脇には屋台が立ち並び、その界隈は活気に溢れていた。学問所の生徒たちもどことなく浮き足立った様子である。シンタローとても、例外ではなかった。
昌平坂学問所からの帰り道、神田神社の前を通りすがりに、シンタローは、
「ちょっと待て」
と、アラシヤマの着物の袖を掴み、
「祭りやってるし、寄ってかねーか?」
と珍しく嬉しそうに言った。
「あんさん、道草せんように言われとりますやろ?」
アラシヤマがそう言うと、
「オマエって、融通がきかねェな。もういい、俺1人で行くッツ!」
シンタローは1人でさっさと歩き出したので、アラシヤマは仕方なく後を追った。
「勝手に1人で行動せんといておくれやす・・・」
追いついたアラシヤマはシンタローにそう言ったが、シンタローはその言葉を無視した。アラシヤマが、
「一応賑わってますけど、祇園祭に比べたら、なんや規模が小そうおますな」
そう感想をもらすと、シンタローはムッとし、
「今年は本祭りじゃなくて、蔭祭りだから神輿がでねーんだヨ!本当は、江戸の“天下祭”なんだからなッツ!」
どうにも面白くない様子である。
再び、アラシヤマを置いて先に歩いて行ってしまったが、アラシヤマがシンタローを見つけると、彼は鹿の子餅の屋台の前で立ち止まっていた。彼は、アラシヤマを見ると餅を指差し、
「買え!」
と言った。
「なっ、なんでわてが!?あんさん、旗本の御子息様ですやろ??わてより金持ってはるんちゃいますのッツ!?」
「・・・親父が、欲しいものは自分が何でも買ってやるからって、金を持たせてくんねーんだよッツ!!オマエ、給金貰ってんダロ!?奢れ。」
(あの親馬鹿なら言いそうなことどすな。それにしても、貧乏人にたかるとは一体どういう教育してますんや・・・)
アラシヤマはそう思ったが、店の親父が「どうするのか」といった顔で2人を見ていたので、なんとなくその場の流れ上、
「仕方ありまへんな・・・」
と、餅を2つ買い求め、1つをシンタローに渡すと、
「悪ィな」
シンタローは、アラシヤマの前で初めて笑顔を見せた。
(なななななな、なんどすのんッツ!)
アラシヤマは、心拍が早くなり、思わず齧りかけていた餅をボトッと地面に落とした。
「うわっ、もったいねー!!―――何、間抜けな面してんだ?大丈夫か、オマエ??」
シンタローは、何故か呆けているアラシヤマを不審気に見遣ったが、声をかけても反応がなかったので、アラシヤマの顔をのぞきこむと、
「だっ、大丈夫どす!だから、あんさん、あまり近づかんといておくれやすっ!!」
と言って後ろに後退ったので、
(何だ?コイツ。・・・感じ悪ィな!ったく、ほんのちょっとでもこんなヤツの心配なんかして損したゼ)
シンタローはそう思いながら、鹿の子餅を頬張った。一通り、境内の屋台などを見てまわり、2人は男坂の階段を下りた。
辺りは既に暗くなりかけており、街の道沿いの燈篭には灯が灯されていた。アラシヤマは少し離れてシンタローの後ろからついてきていたが、「何かの間違いどす」などとブツブツ呟きながら、ずっと何やらうわの空で考え込んでいる様子であった。
奉行所の裏門前まで来ると、アラシヤマは、
「わっ、わては、あんさんなんか全然好きやおまへんからな!」
そう言って、逃げるように帰って行った。
いきなりそう宣言されたシンタローは、怒るよりも唖然とし、
「一体、何なんだよ・・・」
と、呟いた。
「ここが、江戸町奉行所どすか・・・」
ある日の春の午後、アラシヤマは少し離れたところから、黒渋塗りかつ下見板張りの、いかにも質実剛健といった風情の表門を眺め、目を細めた。
彼は、被っていた旅用の編み笠を取ると、門の方に進み、門番と一言二言、言葉を交わし、邸内へと入った。
用人に案内され畳の間で控えていると、ほどなくして、奉行のマジックが部屋に入ってきたのでアラシヤマは頭を下げた。
マジックは上座に座り、
「楽にしてていいよ。長旅ご苦労だったね」
と声を掛けたので、アラシヤマは起き直り、マジックの方を見た。
「お前は、アラシヤマだね。確か、シンタローと同じ13歳だったかな?」
「はい」
「ところで、マーカーは一体どうしたんだい?一緒に京から来ると聞いていたが」
マジックは、少し面白そうな様子でアラシヤマに問いかけたが、アラシヤマは生真面目な調子で、
「わてはもう大人どすし、いつまでも師匠の手を煩わせるわけにはいきまへん。それに、師匠は最近退屈してましたし、旅先で揉め事を起こされるのは迷惑どしたさかい、同行を断って一人で来ました」
と応じた。
マジックは、アッハッハと大笑いし、
「マーカーは、一見冷静そうに見えて、売られた喧嘩は絶対買うからねぇ。しかも血を見ずして解決する事は皆無だし。久々に何か漢籍でも講義してもらおうと思ってたのに、いや、残念、残念」
と言った。
対するアラシヤマは全く笑わず、マジックの方を冷静に見ていた。
「―――さて、本題に入ろうか。時期早尚との声もあったが、お前は文武とも優秀とのことで、合議の結果、お前の死んだ父親の同心株を再興させることが決定した。形としては新規御召抱えということになるがね。本日から同心見習いとして心持を新たとし、しっかりと経験を積んでいくように」
と威厳のある声で告げた。
「有難うございます」
再び、アラシヤマは平伏した。
「あっ、そうそう!」
いきなり、マジックが軽い調子に戻ったので、内心マジックに(流石、江戸町奉行や。威厳があるわナ・・・)と少し感心していたアラシヤマは、拍子抜けがした。
「そういや、聞くのを忘れていたけど、何で同心になろうと思ったんだい?成績は優秀だと聞いているし、マーカーに師事しているのなら、儒者という道も開けていたはずだ」
「・・・師匠を否定するわけやおまへんが、わてには、武士の子やいう自負心がありますさかい」
アラシヤマは、マジックの方を見据え、そう言った。
マジックは、フム、と何事か得心した様子であり、
「明日から、早速働いてもらおう。昼四つの刻に、奥向の方に来なさい」
そう言うと、部屋から出て行った。
アラシヤマは、帰り際、再び表門を振り返り、
「いよいよ、明日は初仕事どすな」
と呟くと、新しい住処である八丁堀の同心長屋へと帰っていった。
アラシヤマが門番に聞いたとおり、奥向の方へ向かって邸内を歩いていると、不意に上の方から、
「オイ、そこのオマエ、今からコイツを投げるからちゃんと受け取れ!落とすなよッツ」
と、子どもの声が聞こえた。
アラシヤマが上方を仰ぐと、木の葉が茂っており、おそらく相手は木に登っているようであったが姿が見えなかった。
どうやら、子猫が枝の先におり、子どもは猫を助けてやろうとしているようであったが、怯えた猫がますます細い枝先に行こうとするので、中々捕まらないらしい。
「痛ッツ!このやろっ、ひっかくなッツ!!―――うわッツ」
子どもは遂に猫を捕まえたが、バランスを崩したようであり、アラシヤマが木を見上げていると、猫を抱えた少年が上から降ってきた。
「邪魔だッツ!どけッツ」
と少年が叫んだが、
(あの高さから落ちてきて、普通、着地は出来まへんわナ。どないしよう・・・。受け止められますやろか?)
アラシヤマは一瞬逡巡したが、覚悟を決めると帯刀していた刀を外し、落ちてきた少年を抱きとめ、彼を抱え込んだまま衝撃を緩和するために地面を数回転がった。
(痛たた。やっぱり、無理がありましたわ・・・)
アラシヤマが、石畳で打ってズキズキする頭でぼんやりとそう考えていると、彼を下敷きにしていた少年が身を起こし、抱えていた猫を道にそっと置いた。猫は、しばらく呆然としていたが、毛を逆立て身を数回震わせると、一目散に植え込みの辺りへと逃げていった。
「・・・重いから、早うどいておくれやす」
少年がまだ上に乗っかっていたので、アラシヤマがそう言いながら地面に両手をついて身体を起こすと、彼は身軽にアラシヤマの上から退いた。立ち上がったアラシヤマが、外していた刀を拾いにいくと、
「おい、テメー、何であの時退かなかったんだヨ!?邪魔だって、言ったじゃねーか!あれくらいの高さからなら自分で降りられるしッツ!」
と、少年がアラシヤマに向かって後ろから言ったので、彼は腹が立ち、帯刀しながら、
「あんさん、人の親切に対して、ようもそんなことが言えますな!?無礼どす。ちょっと頭が足りてへんのやおまへんか?」
「てっめぇ・・・」
少年はアラシヤマを睨みつけていたが、アラシヤマはそれを無視し、歩いていこうとすると、向こうから、
「シンちゃ―――んッツ!!」
と、マジックがものすごい勢いで走ってきた。
(なっ、何どすのんッツ!?)
アラシヤマが思わずギョッとして脇に退くと、マジックはシンタローを抱き上げ、頬擦りしながら、
「シンちゃんッツ!さっき、枝が折れるような音がしたけど、怪我はなかった??」
シンタローは、なんとか逃れようとジタバタと暴れていたが、マジックはシンタローの手の甲に引っかき傷をみつけ、
「あッツ!こんなところに傷がッツ!!パパが舐めて・・・」
「やめろッツ!こんの変態親父ッツ!」
シンタローは、マジックの鳩尾に膝蹴りを喰らわすと、手が緩んだ隙にマジックの腕の中からなんとか脱出した。
「シンちゃーん・・・」
すっかり萱の外に置かれた状態で、一連の流れを冷ややかに見ていたアラシヤマが、呆れたように一言、
「・・・過保護どすなァ」
と言った。
シンタローは赤面したが、マジックには
「だって。シンちゃん、もんのすっごーく!かわいいんだもん」
と、悪びれた様子が全く見られ無かった。
シンタローは、怒った様で、その場を去ろうとしたが、
「シンタロー、お前もここに居なさい」
マジックが、先程とは打って変わって真面目な調子で言うと、渋々その場に留まった。マジックはアラシヤマの方を向き、
「アラシヤマ、お前には今日から毎日、昌平坂の学問所へ通うシンタローの供をしてもらう。そして、お前も一緒に勉強するように。それが任務だ」
「えっ!?ちょっと待っておくんなはれっつ!捕り物の見習いやないんどすかッツ??何でわてがこんな甘えたの供をせなあかんのや?」
思わず語気荒くアラシヤマが詰め寄ると、マジックは動じた様子も無く、
「通常、同心見習いは14歳からなんだよね。ってことで、1年間お前もシンタローと一緒に学問所に通って広い知識を学びなさい」
と言った。
その時、黙っていたシンタローが、
「俺は、嫌だ。何でこんなヤツとッツ!!」
「シンタロー。お前が、供をゾロゾロ連れて外を歩くのが嫌だと言ったから、無理をしてアラシヤマ1人ということにしたんだよ?いくらお前が嫌だと言っても、旗本の子息が1人だけで出歩く事は出来ない相談だ」
マジックは、完全に異論を許さない雰囲気であった。
「2人とも、いいね?明日からアラシヤマは、毎日昼九つの時刻に迎えに来るように」
そうきっぱりと断言した。
どうにも納得が行かない様子の少年達は黙ったままであったが、マジックは、
「私は、お前たち2人がお互いに良い影響を受け合い、高めあうことを望んでいるんだよ」
と諭すように言った。それは、彼の本心からの言葉のようであった。