俺がまだ赤ん坊だった頃、この家の前に捨てられていた。
この家は、貴族のなかでも上級にあたり、所有している近郊にある葡萄畑から毎年採れる上質のワインは、王室の人々に愛され続けている。
だからなのであらうか、ここの家の住人全てが普通の人とは違った生活習慣をしていようが、誰も何も言わないのは。
「…アーメン」
俺は毎朝、主へのお祈りは欠かせない。
俺がこうして、今日まで生きてこれたのも主のお導きがあったからこそだ。
「毎朝、お祈り熱心だね」
背後から、優しい声が聞こえた。
「父さん。おはようございます」
後ろを振り返り、挨拶をすると、青い眼を細め笑う。
金髪に太陽の光が反射して、主のお姿に見間違えてしまう。
「ああ、お早よう」
この人は、ガンマ家当主マジック。
俺を拾い育ててくれた、父であり恩人でもある人。
「シンタロー、私は今から寝るよ」
「はい。お父さん、お休みなさ…」
習慣でもあるお休みの口付けを交わす。
「ん…ふぁ…、お休みなさい」
「…ん、お休み」
この家の主人でもあるマジックや召使達は皆、朝になると眠りにつき、日が沈むとともに目を覚ます。
貴族の暮らしは夜に開かれる、舞踏会や晩餐会が主流だからだとマジックは俺に言う。
小さい頃はその生活をしていたが、主へのお祈りを望む俺は、マジックに無理をいって普通の人が送る生活、太陽の目覚めとともに起き、太陽が沈むとともに眠りにつく生活をしている。
俺が毎朝お祈りを欠かせないのは、2年程ここの家から離れ、神父として学び、今では近くの小さな教会でミサを開いているからでもある。
俺が神父の道を進むことを、マジックは賛成しなかった。
どうしても行きたいという俺に、マジックは一つの条件を出してきた。
俺はその条件を、のんだ。
『24歳になったら、お前の全てを私のモノにするよ』
もうすぐ、24歳の誕生日になる。
全てをマジックのものにするということは、俺は俺でなくなるのか?
そんな不安と、別の感情が心の奥底に沸き上がる。
「ミサに行かないとな…」
全ての人が眠りにつき、静かになってしまった城内を一人歩き出す。
24歳の誕生日まで、後3日。
教会に行くため、あぜ道を歩きながら、道沿いに生えている雑草と分類される草花に、自然と目が行く。
普段の俺なら、習慣となったその行動のなかで、花々の美しさに心奪われていたのだが、今日は別のことが支配をしてしまい、花の美しさを感じることができなかった。
あと3日で俺のすべてが、父さんのものになるということが、頭のなかで渦を巻く。
体ならとっくの昔に、すべて奪われた。
心は体よりも前に、奪われていた。
自分に何が残っているのだろうと、自問自答を繰り返す。
神への祈りを辞めろといわれれえば、そんなもの何時だって辞めることができる。
ただ、あの人への気持ちが欲情となって暴走する己への、戒めなのだ。
今のような季節だった6年前、場内の人々が眠りに就いている真上に太陽が上った時、俺は眠っているあの人を襲った。
日が沈めば、次に日が顔を出すまで抱いてもらえると分かっているのに、体はあの人を求め、渇き、気が付けば飢えた獣のようにあの人の上にまたがっていた。
鏡に映る、乱れた己の姿が浅ましく、俺は神父になることを決意した。
神など、この世にはいない。
だが、己のなかの欲望を抑えるための道がそれしかなかったのだ。
「神父さま」
「今日も、お話して」
無邪気な子供が、俺の足にまとわり付く。
「…ああ、そうだね。…それじゃ、今日は何の話をしようか」
神の話など夢物語そのもの
現実は、苦悩ばかり
卑猥なものなどない、神の話
処女で神の子を宿した聖母
本当は誰の子だったのだろうか
真実を打ち明けられなかった聖母は、『聖母』と言えるのだろうか
『言葉は神の存在を語り、心は神の存在を否定している』
昔、その言葉を俺に言った奴がいる。
同じ寮だった彼は、学校内で常にNo.2の成績だった。
いつも一人で友達もおらず、暗く、そして心の強い男だった。
噂では悪魔信仰があるなど、事実と異なる噂を立てられていた。
そんな彼が俺に言った言葉が、的を得ていたなど、同寮達も予想がつかなかっただろう。
「…さ、今日のお話はここまでだ」
「はい。神父さま」
「ごきげんよう。神父さま」
「さようなら。神父さま」
「さようなら」
子供たちを見送る。
空を見上げれば、太陽は天高く輝いている。
この太陽が恨めしい。
早く、沈んでしまえ。
早く、闇になれ。
早く、あの人を起こしてくれ。
早く、父さん、俺を抱いてよ。
そのたくましい、腕で壊れるくらいに、俺を抱いて。
「お天道様を恨めしそうに、見てはりますな」
「ア、アラシヤマ?」
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