「卯の花が、見事ですな」
マジックは部屋の中から、庭に空木の花が白一色に咲き乱れている様を観て、思わずそう呟いた。その時、障子が開き、
「ありがとうございます。本来なら私が伺うべきところ、わざわざお越し頂いてあいすみませなんだ」
そう言いながら、いかにも好々爺といった小柄な老人が茶と菓子を持って入ってきた。しかし、立ち振る舞いが自然であるにも関わらず、全く隙がないところをみると、どうも只の老人ではなさそうである。
「とんでもない、こちらに小野先生にお頼みしたい用件がございますので、私が伺うのが筋というものです。それにしても、お久しゅうございます」
老人は、ニコニコしながらマジックの前に茶と菓子を置くと、対面に座り、
「マジック様は御職務が大変御多忙と御子息から伝え聞いておりましたが、お元気そうで何よりです。それで、単刀直入にお聞きいたしますが、御用件とは?」
「重々御無理を承知でお頼み申し上げますが、この度、私の配下の同心3名ほどをしばらく先生の道場に通わせてやってはいただけませぬか?捕物術やその他の武芸は一通り修めております」
「このような破れ道場でよろしければ、一向にかまいませぬよ」
老人の顔は、相変わらず温和であった。
何処か遠くの方で、杜鵑が鋭く一声鳴いた。
渋谷方面へと道を歩きながら、ミヤギは、
「何でオラ達が、今更違う流派の剣術を習うんだべか?お奉行様の考える事は、いつも突拍子も無いべ・・・」
とぼやいていた。
「僕も、ミヤギ君の意見に同感だわや。それにしても、一歩街の外に出ると渋谷は畑しかないっちゃね・・・」
隣を歩いていたトットリは、溜息を吐いた。
「・・・あんさんら、お気楽でんな。最近、町人よりも地方から江戸に来た食い詰め浪人の犯罪が増えてますやろ?その中には手強い奴等もたくさんいますし、それに備えてのことや思いますえ?少しは頭を使いなはれ。その頭は単なるお飾りどすか?」
「相変わらず、一々ムカツク奴っちゃね!」
「まぁ、トットリ。アラシヤマが根暗なのも性格悪いのもいつものことだっぺ?」
「そげだぁな!ミヤギ君ッvvv」
「あんさんら、楽しそうどすな・・・」
2人の少し後ろを歩いていたアラシヤマは、陰気にそう言った。
「そういや、今から行く道場に、お奉行の息子が通っとるってきいたんやけど、どげな奴だらぁか?」
「やっぱし、あの親父に似てんじゃねーべか?」
「それは、かなり嫌だわナ・・・」
その会話を聞くともなしに聞きながら、アラシヤマは先日の事を思い出し、胸中複雑であった。
ある夜、マジックに奉行所に呼び出されたアラシヤマは、
「マジック様、また暗殺どすか?まぁ、人を斬るのは嫌いやおまへんけど」
と、話を切り出した。
いつもよりも、真剣な面持ちのマジックは、
「いや、それよりも、もっと重大な任務だ・・・」
と言い、その後の言葉をなかなか続けなかったので、アラシヤマは緊張した。
「実は、シンタローの事だが」
アラシヤマは、久々にシンタローの名を聞き、内心非常に動揺したが面には表さなかった。彼はこの3年間シンタローと会ってはいなかったが、ずっとシンタローのことが頭から離れず、アラシヤマにはそれがどういう感情から来るものなのか自分でもよく分からなかったが、(シンタローと、一度でいいから勝負してみたい)と思う気持ちが存在することは自覚していた。
「シンタローは現在、一刀流の道場に通っている。以前よりも格段に強くなったヨ。ただ一つ心配なのは・・・」
「何どすか?」
「シンちゃんが“男にモテモテ大人気☆”だって、あの狸ジジイがッツ・・・!かわいいシンちゃんが、どこの馬の骨とも分からない野郎にたぶらかされやしないかと、もう心配で心配でッ・・・」
マジックは、思わず持っていた扇子をバキッと折った。
「いや、失敬。少々取り乱してしまったヨ」
「・・・そんなに心配やったら、御子息にそこの道場を止めるように言うたらどうどすか?」
「あの子は、絶対に自分の意志は曲げないよ。それに、そんなこと言ったら、私が嫌われちゃうじゃないかッツ!?ただでさえ、最近シンちゃんにうっとおしがられているのに・・・」
「(最近?)で、御子息とその身辺を見張れと?―――この件は降りさせていただきますわ」
アラシヤマが、そう言うと、
「―――アラシヤマ。シンタローは、3年前とは比較にもならないくらい強いよ?同じ道場に通っていたら、練習試合で立ち合うことができるが?」
「―――それは、御子息に怪我をさせてもええということどすか?」
アラシヤマがそう問うと、マジックはニヤリと笑い、
「ああ、別にかまわないヨ?もしお前に可能であれば、の話だけどね」
「・・・お引き受けさせていただきます」
アラシヤマはそう言った。
アラシヤマは歩きながら、(あの親馬鹿奉行、一体、どっちがついでなのか怪しいもんどす。まぁ、いくらなんでも一応シンタローの事が先ということはおまへんやろ・・・。それにしても、シンタローは3年前とはどう変わってますやろか?)
アラシヤマが何やら考えつつ、ブツブツ言いながら歩いているのを見ていたトットリとミヤギは、
「やっぱりコイツ、根暗だっちゃわいや・・・?」
「だべ」
顔を見合わせて、頷きあった。
武家屋敷のある道沿いを少し行くと、田畑が広がっていた。道場は畦道からすぐのところにあり、それほど大きくない門には“武術指南・小野忠長”と書かれた看板がかかっていた。
「なんだっぺ?一刀流の道場じゃねェべか?」
先程から激しく木刀が打ち合わされる音や気合声が聞こえていたが、そう言いつつミヤギが門を潜り敷地内に入ると、稽古場の内が見えた。
どうやら、門人同士が木太刀で立ち会っている様子である。一方の木刀が叩き落され勝負がついたかに見えたが、木刀を奪われた方は丸腰のまま相手に組み付いて行った。
「刀の型までは一刀流やけど、その後は状況に応じて何でもありみたいっちゃ」
「確かに実戦的だべ」
3人が道場の入り口に着くと、不意にヌッと巨大な影が現れた。
「ぬしたちゃあ、奉行所のお役人様じゃろ?話は聞いとったけぇ、入るとええわ。ワシはコージじゃ」
そう言うと、ノシノシと戻っていく後姿を見てトットリは、
「でっかい奴だわナ。それにしても、どっかで見た事あるような気がするっちゃ・・・」
と小声で呟いた。
道場では稽古が続いていたので、コージに案内された3人は道場の端に座し、稽古を見学した。
戸が開け放たれた道場では、十数名の若者が猛烈に打ち合っていた。その中でも、長い黒髪を一つに束ねた若者は、動きが俊敏で圧倒的に強かった。
「ふぇ~、すげーな!アイツ」
ミヤギは、感心したように目を丸くした。
「なぁ、アラシヤマ、お前もそう思うべ?」
ミヤギは隣に居たアラシヤマの方を振り向いたが、アラシヤマはその若者の方を凝視したまま動かず、問いかけが聞こえている様子はなかった。
(何だべさ?まぁ、アラシヤマが変なのはいつもの事だし、どうでもいいっぺ)
コージは、ミヤギの方を見て、
「ありゃあ、シンタローじゃ。一刀流とは流派が違うんじゃが、2年ほど前からここで修業しちょるんじゃ」
「ふーん。あれが、奉行の息子だらぁか。親父には似てないっちゃね」
「んだ。でもこっちはこっちですごいべ」
3人が話していると、見所にいた老人から
「これまでッツ!」
との声が掛かった。
そして、小野老人から3人がこれから捕物術の修業の一環として道場に通うという旨が門人たちに通達された。
早速、血気に逸った門人の1人が、
「先生、こやつらと立ち合ってもよろしゅうございますか?」
老人はしばし考え、3人の方を見て、
「お前さんたちの意向は、どうじゃな?」
と聞いた。するとそれまでずっと黙っていたアラシヤマが前に進み出て、
「よろしおます」
と言った。
アラシヤマは、十手と同じくらいの長さの木の棒を袋から出し、手に持った。
道場の中央で門人とそれぞれの得物を構えあい対峙したが、勝負は一瞬で決まった。
「たあっ!」
と、間合いを詰め、胸を狙って突きを見舞おうとする相手に対して、状態を左下に沈めてかわし、体勢を整えた上で棒で相手の利き手を打ち、思わず片手を離したところ柄を握った相手の手を捻り上げながら体を寄せ、棒で両足首を打ち払って転倒させた。そして、相手の木刀を取り上げ、切っ先を眼前に突きつけると、どうしたことか相手は動けなくなった。
「まいりました」
と相手が言ったが、アラシヤマは構わず木刀を振り上げた。
すると、何かが飛んできて木刀に中り、アラシヤマの持っていた木刀は真っ二つに切断された。よく見ると、それもまた木刀であった。
「気にいらねーナ!“まいった”って言ってるじゃねェか」
そう言って、進み出てきたのはシンタローであった。
アラシヤマはニヤリと哂い、
「ほな、あんさんが、お相手してくれはりますの?」
と言いつつ、シンタローが投げた木刀を拾い上げ、八相の構えをとった。
「上等だッツ!」
シンタローも、木刀を本覚に構えた。
五月も半ばを過ぎており、江戸の夜は日中の蒸すような暑さが依然として尾を引いていた。
夜八つの時刻、家々の棟の下では、多くの者が寝苦しさに中々寝付けなかったようである。それは、八丁堀の同心長屋で眠りに就いているアラシヤマとても例外ではなかった。
彼は、現在、夢現の状態であった。
夢の中、何故か、彼はシンタローと戦っていた。
(あぁ、これは、昼間の立ち合いどすな)
アラシヤマがそう思いつつ、もう1人の自分を眺めていた。
激しいの剣戟や木刀同士の競り合いは、現実かと思える程そのまま忠実に再現されており、アラシヤマは、
(へェー。傍らから見とったら、こんな感じなんやナ)
と暢気にも感心していた。そうしている間にも、場面はアラシヤマがシンタローに小手を打たれて木太刀を取り落とす場面にきたが、
(そうそう。この時わて、えろうムカつきましたなぁ。・・・認めとうはおまへんが、シンタローの方が剣術では上いうことどすし)
そう思っていると、もう1人のアラシヤマはシンタローを組み伏せ、
「降参どすか?」
と訊いており、シンタローはアラシヤマを睨みつけ、
「んなワケ、ねーダロッツ!」
そう応じていた。すると、シンタローを組み伏せているアラシヤマは、嗤うとシンタローの髪を掴んで引き寄せ、噛み付くように口付けた。
(えっ!?わて、何しとるんや!!相手はシンタローでっせー!!)
そう思うアラシヤマにはおかまいなしに、もう1人のアラシヤマはシンタローの服をどんどん脱がせていった。いつの間にか、木刀や脱いだ服が周囲から消えうせ、場所も一体其処が何処なのか定かではない中、シンタローはアラシヤマの腰にほとんど日に焼けていない白い足を絡め、背中に爪を立てていた。爪を立てられた傷口からは、細い血の筋が流れていた。
アラシヤマからは座っているもう一人の自分は後ろ姿しか見えなかったが、シンタローの表情は見えた。眉間に皺を寄せ唇を噛んでいたシンタローは、不意に目を開け、自分を見ているアラシヤマの視線を捉えた。そして、薄く妖艶に哂うと、自分を抱いているアラシヤマの頭を引き寄せ、強引に口付けた。
(こっ、こんなん、シンタローやおまへん!)
アラシヤマは思わず、その場から逃げ出そうとしたが、足に根が生えたように体が全く動かない。それでも必死で足掻くと、不意に目が覚め、いつもの長屋の天井が薄ボンヤリと見えた。そして、体中にはベットリと汗を掻いていた。
(も、もしかして・・・)
嫌な予感がしたので、おそるおそる見てみると、やはり、案の定であった。
「何で、シンタローで・・・」
溜息を吐き下帯を外すと、未だ己の分身は元気で収まりがつきそうになかったので、二~三度扱いて始末をつけると洗濯物を抱えてこっそり外へ出、井戸の方へと向かった。
洗濯をし、自分も水を被るとアラシヤマは再び長屋へと戻ったが、眠れなかった。
アラシヤマがまんじりともせず、布団に横たわっていると、いつの間にか窓の外が薄っすらと明るくなり、朝が来た。
マジックは部屋の中から、庭に空木の花が白一色に咲き乱れている様を観て、思わずそう呟いた。その時、障子が開き、
「ありがとうございます。本来なら私が伺うべきところ、わざわざお越し頂いてあいすみませなんだ」
そう言いながら、いかにも好々爺といった小柄な老人が茶と菓子を持って入ってきた。しかし、立ち振る舞いが自然であるにも関わらず、全く隙がないところをみると、どうも只の老人ではなさそうである。
「とんでもない、こちらに小野先生にお頼みしたい用件がございますので、私が伺うのが筋というものです。それにしても、お久しゅうございます」
老人は、ニコニコしながらマジックの前に茶と菓子を置くと、対面に座り、
「マジック様は御職務が大変御多忙と御子息から伝え聞いておりましたが、お元気そうで何よりです。それで、単刀直入にお聞きいたしますが、御用件とは?」
「重々御無理を承知でお頼み申し上げますが、この度、私の配下の同心3名ほどをしばらく先生の道場に通わせてやってはいただけませぬか?捕物術やその他の武芸は一通り修めております」
「このような破れ道場でよろしければ、一向にかまいませぬよ」
老人の顔は、相変わらず温和であった。
何処か遠くの方で、杜鵑が鋭く一声鳴いた。
渋谷方面へと道を歩きながら、ミヤギは、
「何でオラ達が、今更違う流派の剣術を習うんだべか?お奉行様の考える事は、いつも突拍子も無いべ・・・」
とぼやいていた。
「僕も、ミヤギ君の意見に同感だわや。それにしても、一歩街の外に出ると渋谷は畑しかないっちゃね・・・」
隣を歩いていたトットリは、溜息を吐いた。
「・・・あんさんら、お気楽でんな。最近、町人よりも地方から江戸に来た食い詰め浪人の犯罪が増えてますやろ?その中には手強い奴等もたくさんいますし、それに備えてのことや思いますえ?少しは頭を使いなはれ。その頭は単なるお飾りどすか?」
「相変わらず、一々ムカツク奴っちゃね!」
「まぁ、トットリ。アラシヤマが根暗なのも性格悪いのもいつものことだっぺ?」
「そげだぁな!ミヤギ君ッvvv」
「あんさんら、楽しそうどすな・・・」
2人の少し後ろを歩いていたアラシヤマは、陰気にそう言った。
「そういや、今から行く道場に、お奉行の息子が通っとるってきいたんやけど、どげな奴だらぁか?」
「やっぱし、あの親父に似てんじゃねーべか?」
「それは、かなり嫌だわナ・・・」
その会話を聞くともなしに聞きながら、アラシヤマは先日の事を思い出し、胸中複雑であった。
ある夜、マジックに奉行所に呼び出されたアラシヤマは、
「マジック様、また暗殺どすか?まぁ、人を斬るのは嫌いやおまへんけど」
と、話を切り出した。
いつもよりも、真剣な面持ちのマジックは、
「いや、それよりも、もっと重大な任務だ・・・」
と言い、その後の言葉をなかなか続けなかったので、アラシヤマは緊張した。
「実は、シンタローの事だが」
アラシヤマは、久々にシンタローの名を聞き、内心非常に動揺したが面には表さなかった。彼はこの3年間シンタローと会ってはいなかったが、ずっとシンタローのことが頭から離れず、アラシヤマにはそれがどういう感情から来るものなのか自分でもよく分からなかったが、(シンタローと、一度でいいから勝負してみたい)と思う気持ちが存在することは自覚していた。
「シンタローは現在、一刀流の道場に通っている。以前よりも格段に強くなったヨ。ただ一つ心配なのは・・・」
「何どすか?」
「シンちゃんが“男にモテモテ大人気☆”だって、あの狸ジジイがッツ・・・!かわいいシンちゃんが、どこの馬の骨とも分からない野郎にたぶらかされやしないかと、もう心配で心配でッ・・・」
マジックは、思わず持っていた扇子をバキッと折った。
「いや、失敬。少々取り乱してしまったヨ」
「・・・そんなに心配やったら、御子息にそこの道場を止めるように言うたらどうどすか?」
「あの子は、絶対に自分の意志は曲げないよ。それに、そんなこと言ったら、私が嫌われちゃうじゃないかッツ!?ただでさえ、最近シンちゃんにうっとおしがられているのに・・・」
「(最近?)で、御子息とその身辺を見張れと?―――この件は降りさせていただきますわ」
アラシヤマが、そう言うと、
「―――アラシヤマ。シンタローは、3年前とは比較にもならないくらい強いよ?同じ道場に通っていたら、練習試合で立ち合うことができるが?」
「―――それは、御子息に怪我をさせてもええということどすか?」
アラシヤマがそう問うと、マジックはニヤリと笑い、
「ああ、別にかまわないヨ?もしお前に可能であれば、の話だけどね」
「・・・お引き受けさせていただきます」
アラシヤマはそう言った。
アラシヤマは歩きながら、(あの親馬鹿奉行、一体、どっちがついでなのか怪しいもんどす。まぁ、いくらなんでも一応シンタローの事が先ということはおまへんやろ・・・。それにしても、シンタローは3年前とはどう変わってますやろか?)
アラシヤマが何やら考えつつ、ブツブツ言いながら歩いているのを見ていたトットリとミヤギは、
「やっぱりコイツ、根暗だっちゃわいや・・・?」
「だべ」
顔を見合わせて、頷きあった。
武家屋敷のある道沿いを少し行くと、田畑が広がっていた。道場は畦道からすぐのところにあり、それほど大きくない門には“武術指南・小野忠長”と書かれた看板がかかっていた。
「なんだっぺ?一刀流の道場じゃねェべか?」
先程から激しく木刀が打ち合わされる音や気合声が聞こえていたが、そう言いつつミヤギが門を潜り敷地内に入ると、稽古場の内が見えた。
どうやら、門人同士が木太刀で立ち会っている様子である。一方の木刀が叩き落され勝負がついたかに見えたが、木刀を奪われた方は丸腰のまま相手に組み付いて行った。
「刀の型までは一刀流やけど、その後は状況に応じて何でもありみたいっちゃ」
「確かに実戦的だべ」
3人が道場の入り口に着くと、不意にヌッと巨大な影が現れた。
「ぬしたちゃあ、奉行所のお役人様じゃろ?話は聞いとったけぇ、入るとええわ。ワシはコージじゃ」
そう言うと、ノシノシと戻っていく後姿を見てトットリは、
「でっかい奴だわナ。それにしても、どっかで見た事あるような気がするっちゃ・・・」
と小声で呟いた。
道場では稽古が続いていたので、コージに案内された3人は道場の端に座し、稽古を見学した。
戸が開け放たれた道場では、十数名の若者が猛烈に打ち合っていた。その中でも、長い黒髪を一つに束ねた若者は、動きが俊敏で圧倒的に強かった。
「ふぇ~、すげーな!アイツ」
ミヤギは、感心したように目を丸くした。
「なぁ、アラシヤマ、お前もそう思うべ?」
ミヤギは隣に居たアラシヤマの方を振り向いたが、アラシヤマはその若者の方を凝視したまま動かず、問いかけが聞こえている様子はなかった。
(何だべさ?まぁ、アラシヤマが変なのはいつもの事だし、どうでもいいっぺ)
コージは、ミヤギの方を見て、
「ありゃあ、シンタローじゃ。一刀流とは流派が違うんじゃが、2年ほど前からここで修業しちょるんじゃ」
「ふーん。あれが、奉行の息子だらぁか。親父には似てないっちゃね」
「んだ。でもこっちはこっちですごいべ」
3人が話していると、見所にいた老人から
「これまでッツ!」
との声が掛かった。
そして、小野老人から3人がこれから捕物術の修業の一環として道場に通うという旨が門人たちに通達された。
早速、血気に逸った門人の1人が、
「先生、こやつらと立ち合ってもよろしゅうございますか?」
老人はしばし考え、3人の方を見て、
「お前さんたちの意向は、どうじゃな?」
と聞いた。するとそれまでずっと黙っていたアラシヤマが前に進み出て、
「よろしおます」
と言った。
アラシヤマは、十手と同じくらいの長さの木の棒を袋から出し、手に持った。
道場の中央で門人とそれぞれの得物を構えあい対峙したが、勝負は一瞬で決まった。
「たあっ!」
と、間合いを詰め、胸を狙って突きを見舞おうとする相手に対して、状態を左下に沈めてかわし、体勢を整えた上で棒で相手の利き手を打ち、思わず片手を離したところ柄を握った相手の手を捻り上げながら体を寄せ、棒で両足首を打ち払って転倒させた。そして、相手の木刀を取り上げ、切っ先を眼前に突きつけると、どうしたことか相手は動けなくなった。
「まいりました」
と相手が言ったが、アラシヤマは構わず木刀を振り上げた。
すると、何かが飛んできて木刀に中り、アラシヤマの持っていた木刀は真っ二つに切断された。よく見ると、それもまた木刀であった。
「気にいらねーナ!“まいった”って言ってるじゃねェか」
そう言って、進み出てきたのはシンタローであった。
アラシヤマはニヤリと哂い、
「ほな、あんさんが、お相手してくれはりますの?」
と言いつつ、シンタローが投げた木刀を拾い上げ、八相の構えをとった。
「上等だッツ!」
シンタローも、木刀を本覚に構えた。
五月も半ばを過ぎており、江戸の夜は日中の蒸すような暑さが依然として尾を引いていた。
夜八つの時刻、家々の棟の下では、多くの者が寝苦しさに中々寝付けなかったようである。それは、八丁堀の同心長屋で眠りに就いているアラシヤマとても例外ではなかった。
彼は、現在、夢現の状態であった。
夢の中、何故か、彼はシンタローと戦っていた。
(あぁ、これは、昼間の立ち合いどすな)
アラシヤマがそう思いつつ、もう1人の自分を眺めていた。
激しいの剣戟や木刀同士の競り合いは、現実かと思える程そのまま忠実に再現されており、アラシヤマは、
(へェー。傍らから見とったら、こんな感じなんやナ)
と暢気にも感心していた。そうしている間にも、場面はアラシヤマがシンタローに小手を打たれて木太刀を取り落とす場面にきたが、
(そうそう。この時わて、えろうムカつきましたなぁ。・・・認めとうはおまへんが、シンタローの方が剣術では上いうことどすし)
そう思っていると、もう1人のアラシヤマはシンタローを組み伏せ、
「降参どすか?」
と訊いており、シンタローはアラシヤマを睨みつけ、
「んなワケ、ねーダロッツ!」
そう応じていた。すると、シンタローを組み伏せているアラシヤマは、嗤うとシンタローの髪を掴んで引き寄せ、噛み付くように口付けた。
(えっ!?わて、何しとるんや!!相手はシンタローでっせー!!)
そう思うアラシヤマにはおかまいなしに、もう1人のアラシヤマはシンタローの服をどんどん脱がせていった。いつの間にか、木刀や脱いだ服が周囲から消えうせ、場所も一体其処が何処なのか定かではない中、シンタローはアラシヤマの腰にほとんど日に焼けていない白い足を絡め、背中に爪を立てていた。爪を立てられた傷口からは、細い血の筋が流れていた。
アラシヤマからは座っているもう一人の自分は後ろ姿しか見えなかったが、シンタローの表情は見えた。眉間に皺を寄せ唇を噛んでいたシンタローは、不意に目を開け、自分を見ているアラシヤマの視線を捉えた。そして、薄く妖艶に哂うと、自分を抱いているアラシヤマの頭を引き寄せ、強引に口付けた。
(こっ、こんなん、シンタローやおまへん!)
アラシヤマは思わず、その場から逃げ出そうとしたが、足に根が生えたように体が全く動かない。それでも必死で足掻くと、不意に目が覚め、いつもの長屋の天井が薄ボンヤリと見えた。そして、体中にはベットリと汗を掻いていた。
(も、もしかして・・・)
嫌な予感がしたので、おそるおそる見てみると、やはり、案の定であった。
「何で、シンタローで・・・」
溜息を吐き下帯を外すと、未だ己の分身は元気で収まりがつきそうになかったので、二~三度扱いて始末をつけると洗濯物を抱えてこっそり外へ出、井戸の方へと向かった。
洗濯をし、自分も水を被るとアラシヤマは再び長屋へと戻ったが、眠れなかった。
アラシヤマがまんじりともせず、布団に横たわっていると、いつの間にか窓の外が薄っすらと明るくなり、朝が来た。
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