アラシヤマは、その夜一睡も出来ず、灯りも点けない暗い部屋の中で正座をし、ずっと考え込んでいた。
(わて、あの時何であんなこと言うてしもうたんやろか・・・。あれやったら、わざわざ好きと言っとるようなもんやないか。―――もしかすると、わては、シンタローの事が好きなんやろか?)
「ありえへん」
気がつくと思わず否定の言葉を口にしており、アラシヤマは自分が声を発したことに少し驚いた。
(そうどすな。わてがシンタローの事を好きやなんて、ありえへん事なんどす。たぶん動揺した理由は、今まで気付かへんかったけど心臓の病とちゃいますやろか?)
そう無理矢理納得しかけた時であったが、その時、急にシンタローの笑顔を思い出し、アラシヤマは再び心臓の鼓動が早くなった。
(や、やっぱり、ほんのちょっとだけ可愛いかったどすなぁ・・・。って、何を危険な思考に走ってますんや!わては断じて男色やありまへんえー!!誰がなんと言おうと、心臓の病なんどすッツ!!!)
結局、思考が堂々巡りをし、いつの間にか窓から朝日が差し込む時刻となった頃、アラシヤマは憔悴していた。頭がボンヤリとし誰とも会いたくないと思ったが、そのような訳にもいかないので、
(不味うおます・・・)
と、自分で作った簡素な菜汁と麦飯を食べた後、出掛ける支度をした。
昼九つの時間に、アラシヤマがシンタローに会いたいような会いたくないような複雑な気持ちで奉行所の裏門前に着くと、既にシンタローが外に出て待っていた。
「・・・お、おはようさんどす」
と、おずおずとアラシヤマが声を掛けると、
「・・・言っとくけど、俺も、オマエなんて大嫌いだからナ」
開口一番にシンタローにそう言われ、アラシヤマは、固まった。
なんとなく、心が急激に冷えていくような気がした反面、(―――これでよかったんどす)と、何処か安心する気持ちもあった。
アラシヤマは一呼吸置くと、表情を全く顔に表さず、
「それは気が合いますな。わても、あんさんが嫌いどす。あんさん、甘えたの坊ちゃんどすからな」
そう言った。
シンタローは、背けていた顔をアラシヤマの方に向け、彼を睨みつけた。
アラシヤマはシンタローの荷物を手に取ると、
「ほな、行きまひょか」
視線から逃れるように、歩き始めた。
季節が霜月となり、冬至を幾日かを過ぎた頃、江戸には初雪が降った。
その日、朝と昼間は晴れ、少し積もった雪は消えていたが、シンタローとアラシヤマが学問所を出る夕方頃ともなると一転して空が暗くなり、雪が静々と降り始めた。
アラシヤマはシンタローに傘を差しかけ、雪道を歩いていた。既に暗闇であったが、提灯を持っておらずとも、地面の雪の白さのおかげで辺りはなんとなく明るく感じられた。
2人が歩いていると突然建物の角から、バラバラ、と数人の黒い影が飛び出してきた。彼らの手には抜き身の刀が握られており、白刃が雪明りを映し鈍く光っていた。
傘の内側で、アラシヤマは低く、
「あんさん、心当たりは?」
と、シンタローに訊いた。
「あるわけねーダロ!!テメェこそ、どーなんだヨ!?」
「京では大有りどすけど、江戸では今のところ、まだありまへんな」
アラシヤマが、間合いを計っているような曲者達に向かって傘を放り投げると、曲者たちは
「逃すな!」
と声をあげ、2人に向かって殺到してきた。
シンタローとアラシヤマは傘を捨てた時点で既に大刀を抜きはらっていたらしく、シンタローは、打ち込みを刀で摺りあげ、横に飛びぬけざま、刀を持つ相手の腕を切り落とした。一方、アラシヤマは、太刀筋をかわすと、曲者の首筋の急所を撥ね切った。撥ね切られた首筋からは血が吹き零れ、曲者は地面に倒れ伏し、息絶えた。
闇の中、縺れるように人影があちこちと移動したが、気合声と同時に、
「ぎゃあっ」
と、そこかしこから悲鳴が上がった。
雪が絶え間なく降る中、最終的にその場に佇む人影は2人となった。曲者達は、逃げるか息絶えるかのどちらかに分かれたようである。地面には、死骸と腕や足などが転がっていた。
シンタローがほとんど返り血を浴びず平静な様子であったのとは対照的に、アラシヤマは、帰り血で黒く染まっていた。そして、死体を見て薄く哂っており、常とは違った様子であった。
シンタローは、アラシヤマを見て眉間に皺を寄せ、
「おい、帰るゾ」
と言った。
しかし、応えが無かったので、シンタローは道の脇に転がっていた傘を拾いに行った。
シンタローが戻ってくると、アラシヤマは既に常の状態に戻っていたようであったが、押し殺した声で、
「どうして、あんさん、いつもと変わりまへんのや?」
と一言訊いた。
「何言ってんだ?俺は、いつでも俺だ」
シンタローがそう言い切ると、アラシヤマは、下唇を噛締めた。
(なんでシンタローは、人を斬ったのに狂気に堕ちんのや。それは、わてより優れているということか?わては、シンタローの足元にも及ばへんのか!?)
「トロトロしてっと、先に行くぞ」
そう言って、傘を差し歩き出したシンタローの背を見ながら、
(シンタローが、憎うおます)
アラシヤマはそう思うと同時に、気持ちが昂揚し、何故か嬉しささえ感じていた。
闇の中、雪が深々と降っており、庭の植え込みの木々は薄く白い冠を被ったような風情であった。
マジックは縁側に立ち、庭先に蹲っている黒い影と会話していた。
「そうか、アラシヤマは、相対するものは全て始末したか・・・」
「はい、逃れようとする者も追い、斬り捨てました」
「シンタローは?」
「御子息は、長短一味かと。剣を持ちなれない素人の町人も一味の中には混じっていたので、そのように御判断した模様です」
「―――あの子らしいね」
マジックは、声の調子からは全く判断できなかったが、胸中では複雑な様子であった。
「マジック様、アラシヤマは諸刃の剣です。始末した方がよくありませぬか?―――あの者は血に酔うておりました」
「―――これから先どう変わるかは、何事も本人次第だヨ。まぁ、変わらなくても使い道はあるし」
マジックがそう言うと、影の用件は終わったらしくいつの間にか姿は消えており、庭は一面の雪景色となった。
マジックは未だ居室には戻らず、雪の落ちてくる夜空を見上げながら、
「それにしても、シンちゃんは罪作りだねェ・・・。本人のせいではないにしろ、群がる虫が多くて困るよ」
そう呟いた。
数日後、季節は師走となった。年の瀬も近づいてきたせいか、行き交う人々の足も自然と気ぜわしくなっていた。
ある夜、アラシヤマはマジックに呼び出され奉行所にやって来た。
マジックは、三の間でアラシヤマと対面するなり、
「アラシヤマ、先日の襲撃の件をどう見る?」
と訊いた。
「お奉行はんは、とっくの昔に分かってはるんやろ?今日、学問所で馬鹿に会うたら、悔しそうに若様とわてを睨んでましたわ。まぁ、若様は気にしてへんみたいどしたけど」
「わざわざ、親を通じてシンちゃんとの交際の申し込みをされてもねぇ。もちろん断っておいたけどね」
「―――振られた男の嫉妬は、見苦しいどす」
マジックは、そう馬鹿にしたように言い切ったアラシヤマを見て、しばらく間を置き、
「ところで、お前は大丈夫かね?」
と問うた。
一瞬、アラシヤマの体からは殺気が立ち昇ったが、彼はそれに気がついたらしく、すぐに殺気を治め、
「わては、男色の気はありまへん」
そう、歯を食いしばるように言った。
「なら、いい」
そう言ったマジックの声は平静であったが、かえってその分凄みがあった。
季節はすっかり冬だというのに、対して座していたアラシヤマの背には、冷や汗が伝った。
その場の空気は張り詰めていたが、不意にマジックは立ち上がり、
「もうすぐ学問所は閉講だ。明日からシンタローの送り迎えはもうしなくていい。この一年間、御苦労だった。年明けから、約束通りお前は同心見習いだよ。」
そう言って彼は部屋を後にした。
アラシヤマはしばらくその場から動かず、膝に置かれた握り締めた自分の拳を眺めていた。
ふと、彼は
「わては、嬉しいはずどす。これ以上、シンタローの顔を見んですむやなんて、清々した言うてもええでっしゃろ?」
と自分に言い聞かせるように小声で呟いたが、どうしたことか、そのような気持ちには中々なれなかった。
奉行所を辞し外に出ると、彼は普段帰り道には通らないはずの方向に足を向けた。
裏門の前を通り過ぎ、数歩行くとアラシヤマは足を止めたが、
「歳の市でも、行きまひょか」
再び、歩き出した。
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