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m6
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「父さん……!」
 その声が、自分の闇を切り裂く。
 意識が時間を越えて、過去と現在を越えて、その場所に辿り付く。
 淡い覚醒。意識が戻る。世界が揺れていた。
 身体が揺す振られているのだと気付くのに、時間が必要だった。



 窓から漏れる薄明かり。
 しんとした寝室で、懸命に自分を呼ぶ声。
 幻から醒めた後の、戸惑い。
 再び、冷たいシーツの感覚。
「……」
 自分は、ベッドに倒れ込むように、仰向きになっていて、そのまま横から抱き起こされて、揺さ振られている。
 傍らに自分のものではない赤い軍服の裾が目に入って、その腕の背後に見える、脇のサイドボードに、マジックは視線を遣る。
 置時計、小さなクリスマスリース。
 午前三時を過ぎた頃だ。最初に眠りについた時刻と同じ。
 時刻は同じ。おそらく、日付も同じ。
『未来に連れてってやるから……』
 先程のシンタローの声が、意識の奥で木霊している。
 未来……。
 そうか……。
 ここは……。



 マジックは、未来の世界で、軽く目を擦った。
 そっと瞬きをする。静かな同じ夜。
 そして、自分が、黒い瞳に凝視されていることを意識する。
 赤い服を着た人に。
 軽く息をついて、その相手に顔を向けると、彼は、とんでもなく引き攣った、今にも卒倒しそうな顔をしていたので。
 どうしたのかと。マジックは、その人に向かって、口を開こうとした。
 その瞬間。
「……ッ……父さ……」
 凄い勢いで、抱き付かれた。
 シンタロー。
 半ば身体を起こしていたマジックは、また、そのままベッドに倒れこんだ。
 背中のマットの感触が、柔らかい。
 飛び込んできた身体が、暖かい。
 マジックは、微かに笑う。
 何だかこの雰囲気は、あの時に似ていると思いながら。
 あの、コタローの攻撃から、シンタローが自分を庇ってくれた時に。



「アンタ、大丈夫なのかよっ!! ぜ、ぜ、全然、動かねーし! 息もしてないみたいだし! お、俺、帰ってきたら、びっくりして! びっくりして……」
「……」
「死んでるみたいで! 手も冷たいし! 目ぇ、開けないし! 何なんだよっ! クッソ、何なんだよ……生きてんの? 心臓動いてんの? なぁ!」
「……」
「な、何、笑ってやがんだ! いい加減にしろ!」
 息つく間もない程に、堰を切ったように喋り出すシンタローの、身体の重みを感じる。
 必死な顔が、上から自分を覗きこんでくる。
 本当に生きているのか、確かめるように、指で触れてくる。
 目を開けたはいいが、自分が黙っているから、彼は不安なのだろうか。
 不安……。
 私がいないと、お前は、不安?



 南の島での一件の後に、マジックは、総帥職をシンタローに譲った。
 青の未来を託したのだ。
 それ以来、この子は東奔西走、休む間もなく世界中を駆けずり回っている。
 青の未来を変えるためと……自分のやったことの後始末を、するために。
 今日のクリスマスだって、本部に戻れるかどうか、わからないと言っていたね。
 でも、コタローの誕生日のイヴに、どうしても間に合いたいんだと。
 だから今晩。
 ……帰ってきてくれたんだ。
 きっと、コタローの寝顔を見た後に、私の所にも来てくれたんだね。
 そして、意識のない私を見て、驚いたんだろう。
 でも私は、幻の中で、いくつものお前に会ってきていたというのに。
 たくさんのお前に会ったよ。
 私、頑張ったなあ。
 最後に、こうして、未来のお前と会えた。
 長かったよ。
 だから、マジックはその黒い瞳に呟いた。
「シンちゃん。パパのこと、好き……?」
 覗き込んで来るシンタローの眉が、吊り上った。
「あああ? 何でこんな時に、そんなこと聞くんだよっ! 俺は真面目に……」
 マジックは腕を伸ばすと、自分に覆い被さる形になっているシンタローを抱き寄せた。
 顔を近くに寄せて、視線を合わせる。至近距離。
 長い黒髪に、マジックは手を差し入れた。
 相手は動揺したままなのか、大人しい。
 優しくその髪と背中を撫でながら、自分は問いかける。
「シンちゃん、今、パパが死んだかもって思った時、どう感じた?」
「知るかよ! 茶化すな! くっ……アンタ、本当に大丈夫なのか……よ……」
「……何故、泣いてるの……?」
「知るかよ……」
 彼の目の端に溜まる透明な涙に、自分はそっと、唇を寄せる。
 舌で舐め取る。甘い味がした。
 目元から睫毛へ、睫毛から眉へ、眉から頬へ。
 シンタローの顔の造作は、全てを知り過ぎる程に知っていた。
 例え、どんな闇の中でだって、自分は舌先の感触だけで、何処を舐めているのかがわかるのだと思う。
「……っ……」
 彼は、微かに身を捩ったが、涙で濡れた頬から、僅かに吐息の漏れる唇へと、構わず、自分は迫る。
 そして聞く。
「シンちゃん、私のこと……好き……?」
 カーテンの隙間から漏れる、月と雪の微かな灯りに、先程まで、どうしようもないぐらいに青ざめていたのに、シンタローの頬は、薄く上気している。
「……」
 それでも答えず、閉じられたままの唇。
 かわりに、ぽろりと、大粒の涙が零れ落ちてきたので、マジックは、その言葉を紡がない唇に、口付けた。
 そして強く抱き締める。
 いつも、言ってはくれないけれど。
 言葉じゃないんだよね、お前は。
 言葉で聞いても、決して口を開いてはくれないのに。
 こうやってキスしたら、素直に口を開いてくれるのは、どうして?
 言葉は冷たいのに。
 口の中は、唇は、舌は、唾液は、すごく、熱くて甘いんだよ。



 マジックは、上唇を軽く何度も吸い、下唇を同じように優しく弄る。
 お互いの熱い息が漏れて、角度を変えると、今度は相手が激しく吸いついて来た。
「んぅ……っ……」
 まるでマジックが本当に生きているのかを確かめるように、シンタローの濡れた舌は、必死に口内に滑り込んで来ようとしているのだ。
 自分が回した右手で、その背中の稜線を擦ってやると、簡単に相手の腰が震えた。
「……あ」
 同じく、しがみついてくるシンタローの腕。
 蠢く柔らかい舌が、絡み合わされる度に、けだるい痺れが身体を襲う。
 深くなっていく口付け。酩酊に似た眩暈。指先まで溶けそうになる恍惚。
 でも、戻れなくなる前に。
「……」
 マジックは、その限界地点で止める。暖かい身体を、離す。
 繋がっていた唇が、薄い残滓の糸を引いた。
 熱を含んで潤んだ、お前の瞳が、驚いたような色をしている。ここでやめるなんて確かに私らしくない。
 私だって、続けたいけれど。でもね。だって、私は、これを言わなければ。
 マジックは身を起こすと、なだめた相手をベッドの端に座らせる。
 そして、言う。
「良かった、シンちゃん」
 お前が一番、頑張ってくれたよね。長い夜だった。
「また、会えたよ」
「……?」
 未だ口付けの余韻を残した、不思議そうな顔が愛しい。
「シンちゃん、私のこと、好きになって。そうしたら、私は自分のこと、少しは好きになってもいい」
 そう、自分に言われた相手は、黙っていた。
 黒い睫毛を伏せて、無言の後。
「……アンタが……信じなかっただけで……俺は……俺は、最初から……」
 そんな言葉が、愛しい唇から零れ落ちた。
「シンちゃん、あのね」
 また、抱き寄せる。
「ありがとう……」
 お前は。好きという言葉よりも、かたちをくれる。
 だから私は、信じたっていい。
 今夜は、お前の私への心が、過去、現在、未来の私を助けてくれたんだろう?
 だからお前に、私は信仰を捧げる。
 その祝福を、感謝したい。
 祈るよ。
 愛していると、お前に祈るよ。



 この長い夜の最初に聞こえた、あの嘆きの歌は、もう聞こえなかった。
 聞こえるのは喜びの歌。
 人は、クリスマスに、自らの罪の贖いを誓い、救われた喜びを歌う。
 その歌、賛美歌、クリスマス・キャロル。
 自分にも、初めてこの歌が本当に聞こえたと、マジックは、思った。
 部屋のデスクの上には、クリスマスリースがある。
 変わらず仕えてくれる部下の顔を思い出して、朝になったら、『ありがとう』と言ってやろうと、マジックは考える。
 誰かに、大切に想われているという感覚は、私の全てを、変えるだろう。
 それだけで。もう、世界なんていらないのだと感じる。
 他の何も、いらない。



 マジックは。
 しゅんとして、やけに大人しく自分の腕の中に収まっている、その子に、心の中で語りかける。
 あのね、シンちゃん。
 ずっとね。早く朝が来ないだろうかと、昔、私は思っていたよ。
 クリスマスの夜にね。
 いや、朝は来なくてもいいから、早くこの夜が終わって欲しいと願っていた。
 でも今は。この夜は、終わって欲しくはない。
 でも、そう言ったら、お前は怒るだろうね。
 私だって……朝が来るのには賛成するよ。
 一日遅れだけれど。お前と一緒に祝うことのできる、特別な日だからね。
「シンタロー。朝になったら……一緒に、コタローの寝顔、見に行こうね」
 そう言うとマジックは、子供にするように、シンタローの頭を撫でた。
 朝が来たって。また、すぐに夜が来るのだと、今の私には、わかっているから。
「あ、あ、あったり前だろ! 絶対行くぞ! って、よーやくアンタも……俺は、もうさっき、行ったけどな! ギリギリで間に合わなくって……誕生日に……24日に……」
「シンちゃん」
 やっと元気が出てきたらしい彼に、マジックは悪戯っぽく笑って言った。
「私より、コタローの所に先に行ったこと、さっき、実は後悔してたでしょ? 私が死んでるって思って。私の方に先に来ておけば、もっと早くにこうなってるのを見つけられたって、」
「あーもう! うっさいんだよ! あ! アンタ、もしかして死んだマネとかじゃないだろうな! 後でヒドいからな!」
「そんなマネする訳ないだろう……いいよ。私よりあの子を優先しても。その後で、必ずこうして私の所に来てくれるんだから」
「……」
 シンタローは、再び黙り込んだ。
 そして、少し経って、押し殺した声で呟いた。
「わかってんだろ……アンタは、コタローに、酷いことをした」
「うん……」
 相槌の後、マジックは言う。
「私は、忘れてなんかいないよ」
 また、間があって。
「つーかさ。明日、サービスおじさんと! ハーレムのおっさんが……金使い込みやがった癖にさー、どーいう神経してるんだか……明日来るって」
「ああ、知ってる」
 そう、明るい声を出したシンタローだったが。
 マジックの目の端に映った彼の手は、わずかに震えていた。
 ただ思う。
 ごめんね。私は、お前にも酷いことをしたよ。
 シンタロー。



「ねえ、シンちゃん」
「あんだよ」
 ぶっきら棒に答えたシンタローは、身体を離し、脇の方を向いてしまっている。
 ベッド端に座ったままだ。窓はカーテンに締め切られていて、何も見えないというのに。
 自分の前では不機嫌な振りをするのを、やっと思い出したらしいなと、マジックは思う。
 いつものことだ。
「もっかい聞くよ。シンちゃんさぁ……パパのこと、好き?」
「だ、だから! んな質問するなって! うざいから!」
「さっき『俺は、最初から……』って言ったでしょ。その先を言ってよ、シンタロー」
「何が言ってよだ! その突然、自信満々になる所がムカつく! 根拠のない自信がムカつく!」
「根拠って。昔、お前はねえ、パパのこと『大好き!』ってねえ、」
「とんでもなく昔のコト持ち出すんじゃねえよ! ガキの言った言葉なんて覚えてんなよ!」
「それにねえ、パパが危ない時にねえ、パパの前に、さっとカッコ良く現れてねえ、パパのこと、ぎゅっとしてねえ、庇ってくれてねえ、」
「わーわーわーわー!!! アホだろバカだろアンポンタンだろアンタはぁぁ!!! もーさっさと寝てしまえ! 具合悪いんじゃねーのか……って、わっ!」
 マジックは、ベッド端に腰掛けたまま、微妙に目を逸らしてばかりのシンタローの顎に、手で触れた。
 自分の方を向かせてしまう。
 焦っているシンタロー。さっきは、あんなに甘い雰囲気だったのに、とマジックは思う。
 どうして今は、これくらいで恥ずかしがるんだろう。
 切り替えのよくわからない子だな。
「な、なんだよっ!」
 やれやれ、警戒心バリバリだ。
「お前は一途な子だから……一度好きになったら、ずっと好きでしょ。最初から最後まで好きでしょ。だから、過去だろうと今だろうと、好きなものはずっと好きでしょ。だから、一度『大好き』って言ったら、今だって同じ気持ちなんだよね」
「なっ……」
「一度拾ったら、絶対に捨てたりなんか、しないタイプだよね」
「……」
「だって、シンちゃん、ケチんぼだし」
「ああ? 節約の達人と言え。それか、やりくり上手と!」
 何とか話を逸らそうとしているシンタローは。
「そ、そーいえば!」
 ここぞとばかりに、あっと言う間に、どんどんと、聞いてもいないことを喋り出してしまう。照れ隠しなのだろうか。
 料理の時に、アンタはあれを捨てるのは勿体無い、これを買うのは贅沢だ、とか。
 こんなリサイクル術を編み出したから、アンタもやれだとか。
 この間の休みに、本邸の倉庫を漁ってみた、地下室を探索してみた、使えそうなものがたくさんあったとか、何とかかんとか。
 まったく、そういうの、大好きなんだから。
 そんな話は続いて、最後に行き着くのは、やっぱり大好きなコタローのこと。
 コタローが目覚めた時のために、色々用意しといてやんなきゃ!
 普通に学校行かせてやりたいしさぁ、洋服だって、一杯いるだろうしさぁ。
 コタロー用に、昔のイイモノを作り直したり、綺麗にしといてやるんだ! なんて。
 マジックは、それを聞きながら、一人肩を竦めた。
 こういう話を逸らされるのは、いつものことで、慣れていたけれど。
 でも、今夜は、どうしても言って欲しかったのに。今じゃなくたっていいのに。
 だから、そのお喋りに、割り込もうとしたのだが。
「……んでさ、ちょうどいい昔の鞄とかも見つけてさ、子供用の肩から掛けるヤツでさ……」
「鞄?」
 聞き返すと、シンタローが嬉しそうに頷いた。
「それ、二つあった? 白くて……」
「うん。それそれ。二つとも持ってきた。モノがいいからよ、綺麗にすれば使えるよな。ちょっとしたアンティークっぽくって。逆にカッコいーよ! 最近あんなの、滅多に売ってないし、売ってても高いしさ……」
「……」
 マジックは、コタローがどちらでもいいから、それを使ってくれたら嬉しいなあと、考えた。
 それでね。
 私も捨てないでね、シンちゃん。



 シンタローの話は続いている。
 コタローに関することだと、止まらなくなるのだ。その姿を見るのは、好きだったのだが。
 ……私に早く寝ろとか言った癖に。どうも釈然としない。
 焦れたマジックは、『わかったよ、シンちゃん』と言った。
「は?」
 黒い目が、丸くなっている。
「お前、大きくなってからは、言葉で言ってくれなくなったけれど」
 余りにも無警戒な顔をしていたので。
 そのよく動く唇に、マジックは今度は、触れるだけの口付けをした。
「態度で、私に『好き』って示してくれるよね。そういうお前が、私は好きさ」
「なっ……!」
 さっと、またシンタローは、顔を赤くしている。条件反射だろうか。
 そして、『アンタ、具合悪いんだろーが! 早く寝ろ!』等と言って、立ち上がろうとするから。
 自分は、その赤い袖を引く。
「……もう!」
 相手を再び、目の前に座らせる。
 赤い軍服。受け継がれてきた総帥としての証。
 それを、今は、この子が。



「昔、お前のサンタクロースは、赤い服を着た私だったよね」
 怒っている振りをしているシンタローに、マジックは言う。
「……?」
「覚えてるでしょ……? お前は、ずっと私を待ってた」
「……」
 シンタローは、一瞬、遠くを見るように瞬きをした。
 マジックは、言葉を続ける。
「遠い昔、私には、偉大なサンタクロースが一人いて」
 すると、シンタローは、探るような瞳を自分に向けてきた。
 ああ、とマジックは思う。
 いつも、お前、このことは。気を遣ってか、私に聞いてはこないね。
 それだけ……私が、無意識の内に……死んだあの人のことを、タブーにしていたのかもしれない。
 忘れようとして来たのを、お前は感じ取っていたのかもしれないね。
「そして今、私のサンタクロースは、赤い服を着たお前だよ」
 あの人、私、お前と。
 クリスマスのサンタクロースは、受け継がれていくのさ。
 ずっと……。
 想いも、受け継がれていくんだよ。過去、現在、未来へとね。
「ねえ、シンちゃん」
 自分は、呼びかける。
「お願い。父さんって、私のこと、もう一回、呼んで」
「……やだよ。もう呼ばない」
「クリスマスでしょ……呼んで欲しいんだ。そして、また抱き締めて」
 自分の雰囲気に、シンタローは戸惑っている。
 これもそうだね。いつもそうだね。
 私が、ふざける時は、お前は私に怒っていればいいのだけれど。
 私が真面目になると、お前は、どうしたらいいのか、わからなくなるんだよね。
 そういう所が、可愛いよ。
 好きだよ。愛してる。
 でも、真面目な私だって、本当の私なんだから。
 それも含めて、受け止めて。
「サンタクロースからのプレゼント、それでいいから。私のこと、ぎゅっとして。抱き締めて」



「父さん……」
 幾分の躊躇の後、そう呟いたシンタローは、すうっとマジックを抱き締めてくる。
 その暖かい腕に、マジックは目を瞑る。
 父さん……。
 同じ言葉を、今度はお前が呟く。
 懐かしかった。
 繰り返しが。
 懐かしかった。



 こうしていると、全てが溶かされて、当り前の自分に戻っていくのだった。
 全部が何でもないことに思えていくのだった。
 自分の弱さを、弱さとして受け止めることができる。
 そんな場所なんだよ。
 お前の、優しい腕の中は……。
 父さん……。
 過去の私と同じ言葉を、現在のお前が呟く。
 そして私は、同じく、目を瞑る。愛を感じながら。
 失って、また手に入れる。
 この言葉だって。
 受け継がれてきたんだね。



 長い道を歩いて来たよ。
 暖かい腕の中で、こう、私が呟く。
「私の未来は、お前にあるんだ」
 おかしいな。私は今、お前を手に入れているんだよね。
 物事の価値そのものよりも、手に入れることだけに憑かれていた自分。
 伸ばした指先が届かない所にしか、存在しなかったあの熱情。
 ずっと自分は、手に入らないという喪失感こそを愛しているのだと、思っていた。
 手に入れてしまえば、きっと自分の執着は消える。
 興味がなくなり、また再び乾燥した色のない世界が始まる。
 単調な私一人の世界。
 それが、嫌だった。
 自分が愛することをやめてしまうことだけが、怖かった。
 ずっと、そう思い込んで来たんだよ。
 でもお前だけは。
 手に入れたって、私の心からは消えないね。
 昔と同じように、いつだって、愛しているだけだよ。
 支配、じゃないんだよね。支配じゃないんだよ。奪う、とかでもないんだよね。
 もっと。
 近くに。
 ただ、側にいて。



「クリスマス、思い出した」
 私は、過去、現在、未来に生きるだろう。
 時間は、まだある。償いをする時間が、この子の側で。
 窓の外では、雪が降っているのだろうか。
 でも、この場所は暖かかった。
 全てが晴れやかで。全てが静かで。
 だが、耳をすませば、何処からか鐘の音が聞こえてくるような気がしていた。
 そして、喜びの歌、神を称える賛歌。
 その与えられる無償の愛を感謝する歌。
 クリスマス・キャロルが。



「ずっとお前を愛している。私の、最後の人」
 私を抱き締めたままのお前も、目を瞑っている。
 どんなことがあっても。雪が降り、雨が降った後にも。
 最後には、お前が残る。
 愛していると、祈らせて。
 信じさせて。
 許して。
 お前が、私の最後に残った全て。



 私は。
 誰かを愛したい。
 ずっと。
 ずっと、誰かを愛することに、憧れていた。
「……父さん……」
 そして、途方もなく長い間。



 誰かに愛されたい。
 ずっと。
 ずっと、誰かに愛されることに、憧れていたよ。








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