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m4
三人が出て行った後。私は身を起こし、一人ベッドに座って、その他人の部屋で、しばらく部屋の隅を見ていた。
 やっぱり、何もない部屋だと、感じた。
 そして、来た時と同じように、窓から外に出る。
 雪が静かに降り積もり、夜を銀色に輝かせていた。歩くと、さくさくという音がした。
 新雪で、私の足跡の他は、何もない。その美しさと快感と、微かな後悔。
 この足跡も、すぐに埋められていくのだろう。
 手の平を差し出すと、白い粉はあとからあとから私に触れてくる。
 そして溶けていく。
 私の手には、透明な雫ばかりが、残っていく。滴り落ちる。
 結局、雪も、雨と同じ。
 だが、雨の方が冷たいと感じるのは、どうしてだろう。
 夜は深みを増していたが、朝までは遥か遠かった。
 白い雪の中。立ち尽くしたまま、漠然と。
 早く、朝が来ないだろうかと、私は思う。
 いや、朝は来なくてもいいから、早くこの夜が終わって欲しいと願っていた。



 それから私は、軍付設の研究所へと足を向ける。
 その部屋は、常と同じように灯りが煌々とついていて、私はそれを目にし、心ならずも微かに安堵する。
 いつもと同じ顔で、私を出迎えたルーザーは、今夜は泊り込みなのだと言った。
 このところ、ずっとそうなのだという。
 白衣の弟。彼は一つの物事に熱中したら、それしか見えなくなる人間だった。
 外は雪が降ってきたよ、と言ったら、初めて知ったという顔をしていた。
 まあ、彼にしてみれば、雪は寒くて邪魔なだけの、冬の厄介事なのだ。
 気にせず作業を続けるようにと告げてから私は、しばらく、顕微鏡を覗き込んでいる彼の、側に座っていた。
 何をするでもなく、ただ座っている。
 そしてルーザーは、そんな私を気にするでもなく、仕事に没頭している。
 消毒薬の漂う白い部屋に、試験管や液体の乾いた音だけが響く。
 白熱灯の光に、薄い色の金髪が輝いている。横顔。
 私もルーザーも、何も喋らなかった。
 これも、いつもと同じ沈黙だった。
 この研究所だけは、一年を通して、何も変わらない。
 外界と異なり、クリスマスの雰囲気を匂わせるものなど、一つも無かった。
 そしてルーザーも変わらない。
 このすぐ下の弟にとっては、一日とは一年の均等な1/365でしかなく、ただの無味無臭な時間の単位だった。
 私が密かに恐れる、単調な世界が、このルーザーの世界そのもので。
 私は、彼のそんな性格が、時にはもどかしくもあり、時には気楽でもあった。
 今日は、後者の気分だった。



 夜は、なかなか終わろうとはしない。
 暗色の窓の外を眺めてから。私は、ついに、口を開いた。
『ルーザー。私は……間違っているか』
 彼は、手を止める。その白皙の顔が、静かにこちらを振り向く。
 私の目をじっと見つめる。
 この弟にしかできない、名状しがたい表情で、微笑む。
『どうしたんです。兄さん。あなたらしくない』
 そして、またその手が動き出す。作業を続ける。言う。
『あなたがおやりになることは、いつも正しいですよ』
 僕は、常に、そう信じています。
 きっぱりと言い切られて、私は。
 急に眠くなった、少しここで休んで行っていいかと、彼に尋ねてしまう。
『……? ええ……その長椅子でよろしければ。僕はいつも、そこで仮眠をとっているんですよ。肩掛けを被ってね。でも兄さん、お疲れのようですから、家に戻られた方が……戦地から御帰還になったばかりじゃあ、ありませんか』
『いや、いい。少し眠くなっただけだから。お前は気にせず、作業を続けてくれ。ちょっとの間だけだから』
『そうですか?』
『ああ。邪魔してすまないね。おやすみ』
『おやすみなさい、兄さん』
 そうして私は、堅い長椅子で、目を瞑る。
 微かな物音を聞いている。自分ではない人間が生み出す、空気の揺れる音を聞いている。
 弟の香りがする肩掛けが、柔らかかった。



 ……また、雨が降っているのだろうか?
 雪が再び雨に変わったのだろうか?
 降り積もっては溶け、溶けてから降り積もる。
 無益な繰り返し。
 最後には、何も残らない……。
 混濁する意識は、いつしか雨音と混じり合う。
 優しいようにも、囁くようにも、胸に滴り落ちていくのだった。
 そう。
 この年のクリスマスは、雨だった――



----------



 マジックは目を見開いた。
 世界が二重に揺れ、やがて一重になった。
 自分の指先に力が戻り始める。額を指で押さえ、息をつく。磨り減りそうな心を、何とか支える。
 混乱しそうになる自我同一性。
 そうだ、これが、今の私だ。
 整理しようと、彼は唇を噛む。
 目の前で眠りに落ちかけているのは、過去の自分であって。
 今の私は、こうして亡霊に手を引かれ、この部屋の隅に突っ立っている存在であるはずなのだ。
 過去の影を、眺めているだけの存在。



「……」
 過去の自分と同一化した意識を、やっとのことで引き戻したマジックは、傍らの亡霊を見遣った。
 自分は、過去の自分の行動を追って、始終この存在に引き回されていたのだ。
 相も変わらず、端然と佇んでいる亡霊。
 目の前の、遥か昔の兄弟の姿を、じっと見つめている亡霊。
 研究室の窓を叩く雨音が、少し強くなった。
 長椅子の男が、僅かに身動きしている。
 顕微鏡を覗く男は、一瞬手を止め、それからまた作業を続ける。同じ時間ばかりが、続く。
 そんな光景。失われた光景。
「……お前は」
 それを横目で見ながら、マジックは口を開く。
 自分の側の存在に、語りかけようとする。
 すると、亡霊はそんな自分の先を制するように、静かに呟いた。
「あなたがおやりになることは、いつも正しいですよ」
「お前は……今でも、そう思っているのか……?」



 亡霊は沈黙していた。
 眩い輝き、幽玄の幻、緩やかな透明感を纏い、この世のものではない静かな威圧を醸し出している
 そしてマジックの眼前で、再び亡霊は、その手の内の枝を振る。
 瞬間。反転した世界は、凄惨な戦場へと姿を変える。
 血まみれの岩場。壮絶な力の暴発の跡。大地に、気絶して横たわる弟、サービス。
 そして、黒い目を見開いた形で、座り込む一つの死体。
 ――ジャンの死体。
 その前で言い争う、過去のマジックとルーザー。
 二人の声は、よく聞き取ることができない。
『……今すぐ……こ……から立ち去れ』
『どうして……ですか? サー……のに』
『……赤……は……憎む……一族……で争うこと……は避けろ……』
「いつだって」
 呟く声。
「あなたは正しいんです」



 その台詞と共に、マジックの視界を、黄金色の閃光が貫く。
 亡霊の纏う、輝く上衣が四散して、光の粉になって撒き散らされる。
 白い花びらが舞い散るかのように、闇を照らす。
 その懐かしい面影が、目の前に姿を現す。
 ルーザー。彼岸の彼方の、白い花。
 最後に別れた時の、青年時代のあの日のままで。
「あなたは正しい。いつだって……僕が、この赤の男を殺めた時さえも、あなたが、それをサービスに隠そうとした時さえも……そして」
 繊細なガラス細工のような表情。あの時のままの微笑みを浮かべ、言葉を続ける彼。
「この……僕の最後の時だって。僕はずっと、そう思い続けていた」
 また、光がきらめいて、場面が移り変わる。



 白い荒野だった。
 雪が止め処なく、しんしんと降り続いていた。全てを、埋め尽くしているのだった。
 この現在の亡霊が現れた時に。あの、窓を開け放った時に、最初に見た光景だった。
 自分の手が、無人と変えた大地。
 大量虐殺の跡を覆い隠す、美しい銀の雪。一面の雪。
 そして、彷徨う青い光たち。
 この目の前に立つ亡霊は、その光の群れから、現れた。
 ……自分はずっと。
 この存在は、あの戦場で自分が殺した者なのだろうと……。
 あの戦場。白い雪に包まれた戦場……。
「僕が命を落としたのも、こんな白く美しい戦場でのことでした」
 懐かしい人が、懐かしい声で、懐かしい唇を開いて言う。



 ルーザーが、静かに指で示した先。
 そこには、冷たく凍りかけている一つの死体が、眠るように雪の中にいた。
 その閉じられた瞼の縁や、整った鼻梁や、金色の睫の先が。
 埋もれていく。
 もはや熱を失い、雪を水に変えることのできない身体。
 かつて人間であり、自分の弟として生きた身体。幼い頃から共にあった人。
 天上から降り注ぐ、白いかけらたちは、その、同じくらいに白い肌を消し去っていく。
 まるで、火葬の火の粉が舞い上がり、天まで焦がすように。
 雪の粉は舞い上がり、美しい人の死を悼んでいるかのように見えた。
 彼は、一人きりで死んだ。
 こうして死んでいったのだ。
 誰も、その死の瞬間に、手を握ってやることはなかった。
 諦念だ。
 ここにあるのは諦念だ、とマジックは、その光景を無言で見つめている。
 あきらめの中の、それは孤独な死の姿だった。



「あなたは正しい。そして自ら死を選んだ僕は、間違っています。僕を引き止めたあなたが正しい。そして、最後は僕の死を許可したあなたは、」
 マジックは、傍らの横顔を見遣る。
 その顔は無表情で、彫像のようで、生気がなくて。そして依然として、美しかった。
「正しい」
 そう、ルーザーは初めて自分を正面から見据えてきた。
 雪の世界。
 埋もれた死体はもはや、輪郭すらおぼろげに、そこには最初から何もなかったかのように、白に塗り固められ、消えていた。
 まるで、彼がこの世に存在していたという事実さえも、消し去るように。
 最後には、何も残らない……。
「……」
 沈黙で答えるしかない自分。無人の荒野に、佇む二人。
 全ての命を無に帰すために、雪は、降ることをやめようとはしなかった。



「先程、あなたは『お前は今でも、そう思っているのか』と僕に尋ねましたね」
「……ああ」
 マジックは、自分がこの亡き弟と、自然に言葉を交わしていることに驚く。
 もうすでに自分は、この幻の世界に、夢の世界に、取り込まれているのかもしれなかった。
 亡霊の世界。そこに馴染んでいくということは、自分もまた命を失ったのではないだろうか。
 人は死ぬ時、その人生の走馬灯を見るという。
 もはや自分は、現実世界に戻ることは叶わないのではないだろうか、という疑問が胸を掠めたが。
 それもまた、いいのかもしれないと。この時、マジックは思った。
 それもまた諦念だった。
 雪は降り続いていた。
「僕は……」
 ルーザーの声は続く。弟の声は淡々として、それでいながら重く。
 この雪のように、しんしんと大地に落ちていくのだ。
「僕は、今でもあなたは正しいのだと思っています。ただ……」
「ただ?」
 マジックは、弟に比べて、自分の声は澄んではいない、と感じた。
 弟が、彼の死を最終的に許可した自分を、恨んではいないことには確信があった。彼はそのような人間ではない。
 ルーザーの死を、後悔し続けているのは、マジック自身の方だった。
 そしてサービスに罪を負わせ、その一生を台無しにした。
 明るい正直さが魅力だったハーレムに、真実に対して口を噤むかどうかの選択をさせた。
 二つの命が消えて、二つの命が生まれた。
 様々な現在世界のわだかまりが、全て、ルーザーの死へと結びついていくのだ。
 現在世界の亡霊とでも言うべき存在が、まさにルーザーだった。
 ……いや、そう表現するよりも。
 マジックは、その後悔に囚われる自分が、嫌だった。



「今の僕は、こう思っています。あなたは正しいけれど、ただ……惑う人でもあった……僕は生前……この言い方はおかしいですか? 生前、僕は若すぎて、未熟すぎて、自分自身の役目を果たすことで精一杯で。そんなあなたに気付くことができなかった」
 透き通る表情。
 朝に生まれ、夕に生涯を閉じる、蜻蛉の羽。
「惑う……」
「兄さん。あなたは、つまらないことで後悔しないで下さい。惑わないで下さい。囚われないで下さい。僕は、そんなために死んだのではない。僕はあなたにそれを告げるために、今日ここに来た」
 また、光がきらめく。
 場所が移った。



 見慣れた部屋だった。落ち着いた色の家具、優しい香り。
 ――日本。
 棚にきちんと並べられた人形やぬいぐるみ。
 子供部屋。静かな寝息と、窓から雪灯りの差し込む薄闇。
 小さなベッドだった。
 小さな毛布がかけられていて。ゆっくりと、寝息に合わせて上下するのだった。
 小さなふくらみ。
「……」
 言葉が、出なかった。
 マジックは、自分が、呆然としていることに気付いた。
 見つめていることしかできなくて。
 この光景を永遠に眺めていることができるのなら、元の世界に戻らなくてもいいとまで思った。
 それ程までに、その存在が自分の全てだった。
 傍らに立つルーザーが、その美しい顔をしかめたのが感じ取れた。



 ベッドの脇には、可愛らしい細工のぶら下がった、クリスマスツリーがあった。
 そしてゆるやかに弧を描くヘッドボードの端に。
 ちょこんと吊るされている、靴下。毛布から覗いている黒い髪。
 クリスマス・イヴの夜。
 ……微かに気配がする。
 靴音。
 かちゃりと、ノブが回って。そっと、子供部屋の扉が開く。
 マジックは、振り返らなかった。
 そうせずとも、それが誰かはわかっていた。
 過去の自分が、現れたのだ。



 20代も終りの頃だろうか。
 若々しい顔は、たった今迄あったはずの戦地の名残で、未だ険しい。
 その赤い軍服の肩先に、雪の欠片がついていた。急いで戻って来たのだろう、微かに息が乱れている。
 この頃は……長期遠征が重なった時期でもあった。
 過去の自分は、白い息を一つ吐くと、それでも静かにベッド脇に立った。
 子供を見下ろした。
 その、見つめる瞳。子供に触れずに、ただ見つめるだけの瞳。
 つい先刻まで、その同じ目で人を殺してきたのだろうに。
 マジックは、その過去の自分の目を、眺めることができなかった。
 思わず、顔を逸らす。
 すると、同じように顔を背けたルーザーと、視線が合った。
「どうです、兄さん。ひどいものです」
 亡霊が呟く。
「あなたは、こんなちっぽけな場所で、立ち止まっていい人間ではないのに」
 マジックは、ただ黙っていた。



 しばらくそのままの時間が過ぎて。
 過去の自分は、子供を見つめたまま、立ち尽くしていたが、ふと我に返ったように、踵を返そうとした。
 これから、クリスマスのプレゼントでも持って来ようというのだろう。
 すると毛布の下から、小さな手が伸びてきて、彼の手を、ぎゅっと握った。
『……っ!』
 ぱちん、と軽く音がして。過去の自分は、咄嗟にその手を振り解いてしまう。
 その動作は荒々しく、子供の手は叩き落とされたようにも見えた。
『……?』
 毛布が捲れた。幼い顔が、現れる。
 その黒い瞳が、不思議そうな顔で、その手を拒否した人間を見ている。
『ご、ごめんね、シンちゃん……起きちゃったんだね』
 過去の自分は、自らの反射的な行動に、驚いているようだった。明らかに動揺していた。
『痛かった? パパ、びっくりしちゃって……』
 子供に向かって、必死に説明しようとしている。
『ごめん、パパの手、汚いから』
 彼は、人を殺したままの手で、子供に触れることが嫌だった。
 いつもは肌が剥ける程に洗ってくるのだが、この日はそんな時間はなかったのだ。
 そのままの手だった。



『……どうして、パパ』
 幼い声が響く。
『パパの手、きたなくなんか、ないよ』
 そう黒い瞳が言って、再び、過去の自分の手を取る。小さな手で、しっかりと握った。
 ぱあっと光が零れるように笑う。
『シンタローが、ねてるあいだに……サンタさん、きたんだぁ……』
 そして、そう嬉しそうに子供は言っているから。
 過去の自分は、手を握られたことに加えて、サンタクロースの正体まで知られてしまったのかと。
 どうすればいいのかわからず、ただ戸惑っている。
『パパ、くつしたから、でちゃったの?』
『……? なぁに、シンちゃん、靴下って。パパが出るって、どういう意味?』
 無邪気な声が、愛しかった。
『だってシンタローはね。サンタさんに、プレゼントは、パパがいいって。こころのなかで、おねがい、してたんだよ』
『……』
『サンタさん、おねがい、きいてくれたんだぁ!』



 大人と子供の会話は続いている。子供部屋での、過去の出来事。
 小さなクリスマス。
 それを見つめているマジックに、ルーザーの声が聞こえる。
「兄さん。あなたは惑わされすぎる……」
 瞬間、世界は揺らめいた。
 具体的な光景は消え、裁断され、紡ぎ合わされ、七色に輝き始める。
 異空間の中に、マジックはいた。
 いつの間にか周囲には、まるで回転木馬から眺める景色のように、自分とシンタローが過ごした日々が、流れていく。
 笑ったり、泣いたり、怒ったり、拗ねたり。
 くるくる変わる黒髪の子供の表情が、うねりとなって時間に漂う。
 シンタロー。
 彼は、陶酔するように、名前を呼んだ。
 24年の間、私が心に描き続けた人。
 私が生涯の間で、最も長く側にいた人。
 シンタロー。
 マジックは、その時の奔流の中で、それに見とれるしかないのだ。



 だって、シンタロー。
 お前は、最初から、私に笑いかけてくれたじゃないか。
 その顔は、昔は、お前が生まれる前は、決して心から笑いかけてはくれなかったのに。
 ……違う。
 そんなの、関係ないよ。
 顔なんか、どうでもいいんだ。
 違うんだよ。
 お前が好きなんだよ。
 笑ったり、泣いたり、怒ったり、拗ねたり。一緒に過ごした何でもない日々。
 たくさん喧嘩もしたよ。
 意地悪もしたし、優しくしたり、されなかったりしたよ。
 お前のこと一つで、私は幸せになったり、不幸になったりする。
 その繰り返しさ。
 でも、最後はお前、いつも笑ってくれたから。
 最後はいつも、私は幸せになる。
 何も残らないなんてこと、絶対になかった。
 どんなに繰り返したって、いつも最後には幸せが残る。
 何でもないつまらないことが、お前といると、幸せに変わるんだ。



「シンタロー……」
 マジックの目の前で、歳月は過ぎて行く。
 幼い顔は次第に大人び、少年から青年の顔になり、それでも愛しい同じ顔だった。
 シンちゃん、大きくならないで、なんて。
 そんなこと、さっき、私は言ってしまったけれど。
 嘘だよ。
 どんな姿だって、お前はお前。私の可愛いシンタローだよ。
 大好きさ。私はお前を愛してる。
 でも……お前は……。
 流れる日々は巡り、あの時へと近付く。
 刻々と。あの時の、クリスマスへ。
 血の……。
 シンタロー。
 お前が、私のことを、大好きなんて、言うから。
 私は、その幻が消えてしまわないように、作り事や嘘で、全てを塗り固めようとした。
 青の血のこと、化け物じみた特殊能力のこと、私がやっていること……全て、隠しておきたかったんだ。
 願望の空中楼閣さ。
 愛の幻。それが崩れただけなんだよ。
 ただ、来るべき時が来ただけなんだ。自業自得だよ。
 いつその日が来るんだろうと、ずっと思っていた。
 いつ、この子は、私の手が汚れていることに、気付くのだろうと……。
 もう、手を握ってくれなくなるのだろうと……。



「その日が、来たんですよね」
 冷たく響く声に、マジックは忘我の淵から引き戻される。
 傍らに立つルーザーは彼を見つめ、鬱蒼として微笑んだ。
 その金髪は、眩い光に輝いていた。
「あなたは、惑いから醒めることになる。兄さんは、あんな出来損ないの子供に囚われてはいけません」
「何を……」
「結局、こんな生活や関係は、幻想だったということが、すぐに判明したんですよね。覇王を目指すあなたの、足枷にすぎない」
「……お前は……」
「おわかりでしょう。これが僕の見せる、最後のクリスマスです。完璧な子供を、あなたは手に入れたじゃないですか……!」



 鮮血のクリスマス。
 今、マジックは、血の海の中に立っている。
 この日は12月24日、聖夜だった。
 白い部屋は赤く染まっていた。壁、窓、床。
 そこかしこに、こびり付いているのは、人の肉片だった。
 絶大な力が放出された跡。禍々しい青い力。
 その鮮血の中で、赤ん坊が産声をあげていた。
「完璧な子供を、あなたは手に入れたじゃないですか……!」
 ルーザーが、また耳元で囁く。
「あの出来損ないとは違って、金髪碧眼、両眼秘石眼。僕が追い求めた、最良の青の血族。何が御不満なんですか? 何が悪いというんです?」
 シンタローとの幻想を破り、この子は生まれることによって、自分に現実を突き付けてきたのだった。
 青の呪縛から、逃避しようとしていた自分に。
 青そのものを体現する子、コタロー。
 だが、この子は。
「この子は……コタローは……」
 マジックは、しなだれかかってくる弟を、弱った瞳で見つめた。
 言う。
「だが……この子の精神は、お前そのものだった……」



 世界が、真っ赤に染まった。
 マジックの目の前から、ルーザーの姿が消える。
 凄惨な白い部屋も消える。赤ん坊の姿も消える。
 全ての風景が捨象された無の世界。
 ただ、赤ん坊の泣き声だけが響き渡っている。
 その中で一人、マジックは思う。
 コタロー。
 あの子に出会った時、私はこう感じた。
 私は、いつか、この子に殺される。
 そして、シンタローも、この子に殺される。
 このルーザーと精神を同一にする子供にとって、それはとても簡単なことであるはずだった。
 善悪の区別がつかない上に、暴発する最大級の力を持つ、危険な子。
 仕方のないことだったんだよ。だから、私はコタローを閉じ込めて。
 ……いや。これも逃避か……?
 私は、ただ、あの子の側にはいたくはないから。
 コタローは、ルーザーと似ていて、そして自分とも似ていて……。
 まるで、暴発していく自分自身を見ているようで……
 だから私は……ルーザーの死の時と同じように……。
 正面から受け止めることをせずに……。
 ……。
 止め処ない思考は、いつしか鐘の音となり、空間を揺さぶり出すのだった。
 鐘が……鳴る……。
 赤ん坊の悲痛な泣き声と混じり合い、あの鐘が鳴る……。



「……僕の時間は……終わりかけています……」
 何処からか亡き弟の声がする。
「さようなら、兄さん。僕の時間は終わった……これからは……目を覚まして……その優秀な子供と正しい道を……」
「待て、ルーザー!」
 マジックは叫んだ。
 自分を残して、勝手に自己完結して、去ろうとしていく弟が、許せなかった。
 繋いできた手の空虚感が、寂しかった。
 いつだって、お前はそうだ。いつだって、責任は私に。
 面倒臭いことが大嫌いで、何でも私に押し付ける。
 でも、私は、ずっと……。
 幼い頃は、一緒に、弟たちの面倒をみたいと思い続けてきて……。
 長じてからだって。
 一緒に、お前と一緒に、やりたいことが、たくさんあった!



 優秀だとか。正しいとか。完璧だとか、出来損ないだとか。
 この機械のような思考をする弟が、こだわってきたもの。
 私は、お前を失うまで。それはそういうものなのだろうと、思ってきた。
 一族を支えるためには、歪んだ力であろうと、間違った力であろうと、利用して、強くあるべきだと考えてきた。
 そのためには、誰が死のうと、悲しもうと、傷付こうと。
 仕方のないことだと、諦めていた。
 しかし、ある時、気付いたんだ。
 優秀だとか。正しいとか。完璧だとか、出来損ないだとか。
 それは、幸せと、関係があるのか……?
 私が今迄、選んできた道。その一つ一つ。
 精神に失調をきたし、使い物にならなくなったお前を切り捨てたこと。
 お前を、あの冷たい雪の戦場で、たった一人、寂しく死なせたこと。
 それでも、お前は、私が正しいと言う。
 そのまま進めと言う。
 一言でいい。
 お前の口から、私は間違っていたと言って。
 ルーザー。
「さようなら、兄さん……亡霊としてですが……お会いできて、嬉しかった」
 私を恨んでいると、言って。
「ルーザー……!」


 そう叫んだ時、また大きく鐘の音が響き渡る。
 世界が何重にも滲んで、その輪郭が波のように揺らめいていく。
 黄金色の淡いもや。目の眩む光。
 一瞬だけの強烈な浮遊感。折り返した後の、果てのない沈落感。
 どこまでも、どこまでも。
 ……落ちていく……。
 そして、マジックは再び、静かな寝室に身を横たえている自分に、気が付いた。
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