アラシヤマは例の夢を見て以来、シンタローと顔を会わせ辛くなった。
稽古の最中はそのような事を意識せずシンタローと立ち合えるのだが、それ以外の時に面と顔をあわせると、どうしても思い出してしまう。彼は、赤面したり挙動がぎこちなくなったりと自分の意志では制御出来ない状態に陥るのが嫌で、シンタローと向かい合うのを避けていた。
しかし、避けようと思う一方で、離れるのが耐え難いと思う心もある。
いつの間にかアラシヤマは、物陰からコッソリとシンタローの姿を見るようになっていた。
(なんで、わてがこんなにコソコソせなあかんのや・・・)
そう情けなく思わないでも無かったが、かといって、アラシヤマにはどうしようもなかった。
シンタローから少し距離を置くようになって、見えてきたこともあった。それは、存外アラシヤマと同様の者、つまり、シンタローに恋慕する者がいるという事である。憧れ程度の者が大半ではあったが。
(最初は、あの親馬鹿奉行の杞憂かと思うたけど、あながち的外れでもなかったんやな・・・)
アラシヤマは自らのことを棚に上げ、忌々しく思った。
そうは言っても、小野道場の弟子達の間では暗黙の了解のようなものが行き渡っており、シンタローに思いを告げようとするなどの行動に出ようとする者は皆無であった。
江戸時代、男色は一つの文化として存在しており、それほど異端視はされてはいなかったものの、やはり、それなりの覚悟が必要ではある。
アラシヤマの場合、様々な状況から考えるともう自分を誤魔化せる段階としては既に無理が生じてきていたが、彼はマジックから言い渡された「シンタローの身辺を見張る」という当初真面目に取り組むつもりはなかった任務を根拠に、現在の自分の行動を正当化していた。感情の面については、どうしようもなかったが。
(シンタローには、任務やから、気づかれたらあかんのどす!)
そう思うと、葛藤状態で苦しい中、少しだけ楽になるような思いがした。
季節は葉月となり、朝夕に冷気が感じられるようになった。空からは入道雲がいつの間にか姿を消し、代わりに白い羽のような鰯雲が現れた。
アラシヤマは、相変わらず道場でシンタローの姿を陰から窺っていたが、道場外のことまでは詮索しようとはしていなかった。しかし、シンタローがミヤギやトットリ、アラシヤマ達と奉行所まで帰るようになると、シンタローが自宅にはそのまま帰らず1人で時々何処かに行く事に気づいた。
(シンタローは、一体、何処に行きよるんや?まさか、女の所に通っとるんやろか・・・)
そう思い立つと、いてもたってもいられず、ある日アラシヤマはシンタローの後をつけてみる事にした。
ある日、シンタローは、渋谷から目黒の方面へと足を向けた。その頃の目黒の辺りは江戸の郊外であり、武家屋敷や寺院の他には、田畑や雑木林が広がっていたので、アラシヤマは尾行に苦労した。
(えらい田舎どすな・・・。こんなとこに、女が住んどるものやろか?)
そう思いつつ、様子をうかがうと、シンタローはボロボロの小さな一軒屋の前で足を止めた。一応小さな道場らしいが、どうやら閑古鳥が住み着いているようである。
門も何もあったものではなかったが、入り口らしきところでシンタローが、
「建部さん」
そう呼ぶと、奥から、
「おお、シンさんか!ようまいられた」
と、痩せて旗竿の様に背が高い、三十代ぐらいの、どう見ても貧乏浪人が姿を現した。彼は洗い晒しの衣服を見につけ、頭は総髪にしていたが、人が良さそうなものの、一見全く強そうには見えなかった。しかし、アラシヤマは、
(アレは、ただ者やおまへんな・・・)
と思った。
一向に風采の上がらない浪人は、建部宗助という。彼は某藩の下級藩士であったが、ある事情により脱藩し、江戸に出てきている。彼は神道無念流の剣客であり、同じ無念流の番町にある道場で賓客待遇となり、時折門弟に指南を行っていた。
シンタローとは、さる大名の御前試合で面識を得た。
建部は道場主の薦めもあり、試合に出場した。双方立ち合ったまま動かず、結局、その場では決着はつかなかった。シンタローに勝つ事ができなかったので建部にとって仕官の話は無しとなったが、お互いもう一度立ち合ってみたいと思ったので後日の試合を約束し、その場で別れた。その後、シンタローとの交誼が始まり、シンタローは稽古がてら時折目黒まで遊びに来るようになったようである。
アラシヤマは、道場の背後の林の中から様子を窺った。シンタローと建部は木剣を持って移動したので、どうやら2人は立ち合うようである。
過ごしやすい季節であるからか、道場は全ての板戸を外し吹き抜け状態であるので少々離れた場所からでも十分に見えた。
道場内に入ると、お互い、左脇構えを取った。
しばらく間合いをとり道場の空気は張り詰めていたが、不意に両者ともに前進し、間合いを縮めた。建部は刀を振りかぶると、正面から大きく斬り込んだが、シンタローは左足から大きく一歩下がって攻撃を避け、同時に木刀を下段に付けて、空振りした建部の木剣に合わせた。両者は木剣を合わせたまま、相中段の構えに戻った。シンタローは木刀を外すと、正面斬りを浴びせたが、建部は頭上で横一文字に木刀を構え、受け止める。そのまま力づくで押し戻し、シンタローの体勢が少し崩れたところで、上腰に構えた木刀を添え手突きにシンタローの脇腹ギリギリで止めた。
「これまで、だナ」
「これが五本目だよ、シンさん」
ずっと見ていたアラシヤマは、
(神道無念流の型か・・・)
と会得した。
その後、2人は打太刀と仕太刀を交代して、再び非打ちの五本目の型を使い始めたが、シンタローは、1回相手の技を見ただけで既に覚えていたらしい。見事な剣使いであった。
稽古が終わった後、2人は縁側に座っていたが、建部は何やらぼやいていた。
「うちの門人も、シンさんの十分の一でも剣才があればなぁ・・・。どうにも筋が良くない」
「そういや、吾平だっけ?今日は姿が見えねェけど、どうしたんだヨ?」
「あやつは、畑仕事の方がいいと言って、この前からとんと稽古に来ないが・・・」
「なんだ。だったら建部さん、門人ゼロじゃねーか!」
「うう、シンさんはハッキリ物を言うなぁ・・・」
図星をつかれたらしく、建部は頭を掻きながらションボリしてしまった。どうも三十を超えた大の大人が、未だ少年と言っても過言ではない年下のシンタローに言い負かされるのは、何やら滑稽なようでもある。だが、建部はどうやらそのあたりに、こだわりはないようであった。
シンタローは、少し悪かったと思ったのか、話題を転じた。
「御新造さんの具合は?」
シンタローがそうたずねると、建部は顔を曇らせ、
「相変わらず、中々よくはならんよ・・・」
と言った。
シンタローは彼の妻には会った事は無かったが、以前、一度建部と飲みに行ったとき、酔った建部が散々惚気ていたので閉口した覚えがある。
建部の妻は、現在病で臥せっていた。労咳、現在で言う肺結核であった。当時、治療法は滋養強壮を中心とした処方が中心で、気休め程度である。しかし、高い薬さえ飲ますことができれば良くなるといって暴利を貪る医者もたくさんいた。
木陰から見ていたアラシヤマには、シンタローと建部の会話は聞こえなかったが、シンタローが建部に気を許している様子を見てイライラした。
(あの浪人は、今まで何人も斬ってますな。全く羽振りが良さそうでもないのに、片田舎の破れ道場とはいえ借りる事ができるやなんて、たぶん、後ろ暗いところのあるはずや。そんなんも分からんで、シンタローは暢気なもんどすな!)
アラシヤマは、不快気に眉間に皺を寄せた。
彼はしばらく何事か考えていたが、
「シンタローは、甘うおます」
懐手をし、そう呟くとアラシヤマはその場を後にした。
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