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 黒い、漆塗りの文机の上に置かれた数枚の手紙を見つめ、町奉行のマジックは思案していた。
 手紙はいずれも、女文字で書かれ、書かれた際に非常に動揺していたためか、文字が震えていた。
 深刻そうな彼の表情とは対照的に、部屋の障子が開け放たれ、そこから見える庭の景色はいかにも秋といった風情であり、楓の木の葉が秋の日差しを受けますますその紅い色を際立たせていた。
 「うーん。やっぱり、これをこのまま放って置くと拙いよねぇ。ここは、燻り出して一気に叩くしかないんだけど・・・」
 マジックがそう呟いて手紙を文箱に直すと、廊下を歩いてくるかすかな足音がし、用人のティラミスが、
 「お奉行、医師の高松先生がお見えになりましたが」
 と、障子の向こうから声を掛けた。
 「通せ」
 マジックがそう答えてしばらく経つと、十徳姿の高松が現れ、
 「お久しぶりです。2日前に江戸に戻ってまいりました」
 と、マジックに挨拶した。
 「ドクターが居ない間、腕のいい検死医が見つからなくて困ったよ。ところで、長崎での遊学はどうだったんだい?」
 「本当に、興味深いことがたくさんありましたよ。医術も本草学も、やはり長崎は進んでいますね。でも、進んでいる反面、阿片等の麻薬が横行していて、向こうの役人は苦労しているみたいでしたよ。あんなものが江戸にも蔓延りだしたら、江戸も一気に駄目になりますね」
 「麻薬か・・・。それは、由々しき事態だな。今は、江戸には出回っていないみたいだけどね」
 「マァ、毒と薬は表裏一体といいますから、一部の毒薬には医術の役に立つものもあるんですが。そうそう、麻薬といえば、マジック様、長崎で変なものを入手しましたよ」
 そう言って、高松は懐から手のひらに乗る程の大きさの小さい包みのようなものを取り出した。そして、その包み紙を取り去ると、中からは朝顔のような植物の形を模った香合が現れた。
 マジックが、興味深そうに、
 「ドクター、何だね?これは」
 と畳の上に置かれた香合をのぞき込むと、
 「曼陀羅花という植物から作られた喘息用の薬なのですが、これは幻覚作用を持ちます。これを取り扱っていた中国人の薬商の話によると、コモロ茸とかいう毒茸の胞子も入っているようで、その胞子が幻覚を引き起こすのに大きく関与しているみたいですね。本来なら内服用ですが、燃やして出た香を吸い込んだ人は、自分が思い込んでいる通りのものが、あたかも現実のように見えたり感じられたりするらしいです。身体に害は無く、効果も1刻程で切れますけどね」
 「って、誰かに使ったの?ドクター??」
 マジックがそう尋ねると、高松は誤魔化すようにハッハッハッと笑い、
 「医学の進歩には犠牲がつきものです!!って、誰も死んでませんし、予め試薬試験をして安全そうだから同宿の医生に使ってみたのですが。それにしても、この効き目はすごいですねぇ・・・。同じ宿の食い意地の張った奴なんか、菓子の本を見ていたのですが、前々から食べたいと思っていた菓子が本物のように目の前に出てきたって言っていましたよ。でも、金持ちになりたいとか言っていた奴は千両箱を見たことが無かったので傍に置いてあった1文銭が大量に見えたらしいですけど。どうも、幻覚は現実にあるものに多少変化を加えて出てくるらしいですね。暇だったので、ついでに解毒薬も作ってみましたよ。流石は天才科学者!!」
 と、高松が自画自賛しているのをマジックはハハハと笑いつつもその実聞き流していたが、
 「ふーん、って、ちょっと待てよ?ソレ、使えるかもしれんな」
 と言って、マジックはしばらく考え込むと、高松を手招きし、「かくかくしかじか」と、先程まで悩んでいた内容と、幻覚薬の使い道を高松に説明した。
 それを聞き終わった高松は、
 「そういうお話ならぜひコレを使って下さい!面白そうですしね」
 と、マジックの頼みを承知した。マジックは、
 「これで、肩の荷が下りた気分だよ。私はもともと辛気臭いのは苦手だしね。あっ、そーだ!!ついでだから、遊んじゃおうっと♪」
 そう言って、マジックは自分の思い付きを高松に楽しそうに話したが、高松はそれについては少々懐疑的であった。
 「そう、うまく事が運ぶものですかねぇ・・・。シンタロー様は、そういうのは嫌がりそうですし」
 「なぁに、大丈夫だよ♪シンちゃんは正義感が強いし、まぁ、一応こっちには切り札があるし。」
 「切り札って、あの件ですか?そう、軽々しく出しちゃっていいものなんでしょうか?」
 「もともと、私は以前からそういうつもりだったしね。シンタローが思い込んでいるのとは違うよ。それ、シンタローには全然、言ってないけど」
 高松は、しばらく腕を組んで考えていたが、突然ニヤリと笑い、
 「お奉行様も、お人が悪いですねぇ・・・」
 と、軽い調子で言った。
 それを見ていたマジックも、ニヤリと笑い、
 「なんの、高松。そちには敵わぬわ」
 と芝居がかった調子で応じた。
 部屋からは、
「アーッハッハッハッ!」
 と、高笑いが聞こえたが、もし、その光景を見ていたものが万が一にもいたとすれば、いかにも悪役の密談といった風情であった。


 ガラッと長屋の戸が開き、任務から帰ってきたアラシヤマは土間で草履を脱ぐと、深編み笠を板の間に放り投げた。
 「やれやれ、たくさんの人に会うと疲れますなぁ・・・。中でもあの親馬鹿奉行は格別どす。早う隠居して、シンタローはんに代替わりしたらええのに」
 そうブツブツ言いながら、彼は、帰り道に振り売りから買って来た惣菜を流しの方に置き、畳にゴロリと寝転んだ。
 (それにしても、囲い者の家の用心棒をやれやて?奉行も、ついにあの件の始末をつける気になったんやろか?ま、何にしろ、任務に片がつくのはええことどすな!アレ以来、シンタローはんには会うてまへんし・・・)
 アラシヤマは勢いをつけて起き上がると、内職道具を部屋の隅から引っ張り出し、桃や柳の枝を削って器用に房楊枝を作りながら、
 「あぁー、シンタローはんに会いとうおます~~」
 と、溜め息を吐いた。

 アラシヤマが長屋に帰る数刻前の昼九つの時間帯に、少々不機嫌な十徳姿の高松が、シンタローが師範代を務める道場の方に向かって畦道を歩いていた。
 (ったく、私を使いっぱしりにして、しかも面倒臭い役を押し付けるだなんて。いくら秘密を知るものが少ない方がいいとは言え、信じられませんよ!さらに、自分がシンタローに会いに行きたいのにその役を譲ってやっただなんて、恩着せがましいにも程があります!!)
 敷地内に入り稽古場の方に向かうと、気合の声や木刀同士が打ち合わされる音が聞こえ、今日も激しい稽古がなされていることが分かったが、如何にも医者といった風体の高松が道場をのぞき込んでいるのを見ると、まだ稽古を始めて日が浅い若い門人達は皆一様に目を丸くし、しばし稽古の手が止まった。
 「コラッ!お前ェら、やる気がねェなら帰れッツ!!」
 と、木刀を肩に担いだシンタローが奥の方から道場の上がり口の方に来ると、そこにいた高松を見て、やっぱり目を丸くした。
 シンタローは慌てて、草履を突っかけると、高松の服の袖を引っ張って建物の外に出た。そのまま井戸の前を突っ切り、道場から離れた裏庭に辿り着くと、やっと高松の袖を離した。
 「なんで、変態医者がここに居んだよ!!」
 高松は、袖を引っ張って連れて来られたことと、“変態医者”と言われたことで更に不機嫌度が増していた。彼は引っ張られて少し形が崩れた着物を直しつつ、
 「ったく、ガサツですねぇ。そして、変態医者って何ですか!?信じられませんよ。少しはグンマ様を見習ってほしいものですね」
 と言うと、シンタローは腹を立てたようで、
 「用がねェんなら、帰れヨ!」
 と言って、道場の方に戻ろうとした。
 「用があるから来たんですよ。お父上の使いです。何処か、誰にも聞かれずに話ができるところはありませんか?内密の話なんですが」
 高松がそう言うと、シンタローはしばらく眉間に皺を寄せていたが、思い直したようであり、
 「じゃぁ、三河屋は?蕎麦でも食おうぜ。ここは、やっぱ年長者の奢りだよナ」
 と言った。
 高松は溜め息を吐きながら、
 「仕方ないですねぇ・・・。じゃぁ、其処で話をするということで」 
 「おう!言っとくけど、ドクターの奢りだからな!!」
 「門の前で待ってますから、さっさと来て下さいね!」
 念を押したシンタローが、道場内に外出する旨を伝えに行く背に向かって声を掛け、高松は、
 (マァ、久々に江戸の蕎麦を食うというのもいいですね。関西はうどんは美味しいですけど、蕎麦はからっきしですし・・・。それにしても、話を聞いたシンタローは一体どんな反応をするのやら。店の中で暴れないといいんですが)
 と、これから食べる蕎麦のことと、話さなくてはならない内容のことを考えながら、門柱にもたれてシンタローが出てくるのを待った。















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 夕七つの頃、深編み笠を被り,着ながしに太刀を帯した浪人がゆっくりと道を歩いていた。
 浪人は、ふと、生垣の前で立ち止まり、道場内の稽古の様子をしばし眺めた。道場では少年や大人の男達が汗を流して熱心に稽古に励んでいた。この道場で教えている内容は剣術のみではなく、あらゆる武術を総合した実戦的な流派であり、稽古が厳しい事で有名であった。
 「そこッツ!もうすぐ終わりだからって、気を抜いてんじゃねェッツ!!稽古つけてやるから来いッツ」
 と、よく通る声で叱責が飛び、長い髪を1つに束ねた、紺の袴姿のシンタローが現れた。
 シンタローは縁側で座って休んでいた男の着物の襟首を引っつかんで、道場内に引きずって行きかけたが、ふと、外に目を遣り、
 「先に行っとけ」
 と、男の着物から手を放すと、男は急いで道場の方に戻った。
 シンタローは、懐から小柄を取り出すと、浪人目掛けて投げつけた。
 小柄はかなりの勢いで浪人の方に向かって飛んだが、浪人は小柄が刺さる寸前で身をかわした。
 地面に突き立った小柄を拾い上げながら、浪人は、
 「―――シンタローはん、いきなり、こんな物騒なもんを通行人に投げつけるやなんて、危のうおまへんか?」
 と言い、編み笠を脱いだ。
 「うっせーな。分かっててやったに決まってんだろーが。ところで、いつ帰ってきたんだ?アラシヤマ」
 どことなく、すねたように言うシンタローに、アラシヤマは苦笑しながら、
 「なんや、最初から、お見通しやったんどすか。シンタローはんもお人が悪いでんな。京から帰ってきたのは数日前どす。久々の江戸は活気がありますなぁ。ところで、シンタローはん、この後お暇どすか?もし暇やったら、わてと晩飯でも食べに行きまへんか?」
 シンタローは少し考え、
 「いいゼ」
 と答えた。
 「ほな、そこの茶屋でお待ちしてますさかいに」
 そう言ってアラシヤマは深編み笠を再び被ると、道場の前の道を通り過ぎた。



 空が夕映えの色に染まる頃、シンタローがアラシヤマがいるであろうと思われる茶屋に行くと、彼は、店の外の長椅子で茶を飲み、団子を食べていた。
 シンタローが、
 「こういう時は、普通、酒とか飲むもんじゃねェのか?」
 と、団子とお茶を間に挟んでアラシヤマの隣に座りながら言うと、
 「いや、さっきシンタローはんが稽古しはってる姿を見とりますと、昔を思い出しまして、つい。わて、昔は稽古帰りに時々ここに寄ってたんどすえ。味が変わってへんのがうれしゅうおますな」
 と、アラシヤマは団子の串を手に持ち、照れたように言った。
 アラシヤマが暢気な口調で、
 「シンタローはんも団子いりますかぁ?」
 とシンタローの方に団子の皿を差し出したが、シンタローは腕を組んだまま、
 「いらねぇ。で、京都はどうだったんだよ?」
 と、聞くと、
 「・・・マァ、色々ありましたが、可も無く不可も無くといったかんじでっしゃろか。あっ、色事関係の方は何もありまへんえ?わては昔からシンタローはん一筋やさかいナ!」
 と、アラシヤマはニヤニヤしながらそう言った。それを見ていてムカついたシンタローは、アラシヤマの足を思いっきり踏んづけた。
 「痛たた!痛うおます~。ほんまにシンタローはんは、照れ屋さんどすなぁ・・・」
 「照れ屋とか、そういう問題じゃねぇッツ!!真面目に話をする気がねェんならもう帰るゾ!?」
 「シンタローはん一筋なのはほんまのことどすのに・・・。今回は、たぶん江戸にずっと居ると思います。既にもう任務に入ってますしな」
 「フーン」
 シンタローは、自分の湯飲みを手に取り、一口、茶を飲んだ。アラシヤマがシンタローの方を見ずに前を向いたまま、
 「何の任務か聞きまへんの?」
 と、尋ねると、
 「当たり前だ。どうせ、無暗に他人に話していいような内容じゃねぇんダロ?」
 シンタローはキッパリとそう答えた。
 「まぁ、そうなんどすが。―――シンタローはんは、ご実家の方には帰られへんのどすか?あの親馬鹿奉行に会ったらシンタローはんが中々家に帰って来んって嘆いてましたえ?」
 「あの馬鹿親父・・・。家に帰ると、後を継げってうるせーからな。俺は、親が勝手に決めた相手と結婚なんかしたかねーし!」
 アラシヤマは、湯飲みを持ったまま俯き、
 「・・・誰や、意中の人でもいはるんどすか?」
 と、小さい声で聞いた。
 シンタローは、一瞬泣きそうな表情をしたが、すぐに元の様子に戻り、
 「そんなヤツなんか、いねぇヨ!!」
 と、怒ったように言った。
 アラシヤマは、ホッとした様子で、下を向いたまま、
 「そうなんどすか・・・」
 と答えた。彼はずっと下を向いたままだったので、シンタローの顔は見えなかった。









 2人は結局その後、酒も飲める、茶飯で名の知られた居酒屋に拠点を移した。
 アラシヤマは、そう酒が飲める方でもなかったので、配分を調節しながら飲んでいたが、シンタローは少々飲みすぎたようであり、夜四つの時刻には卓上に突っ伏して眠ってしまった。店には既に客は2人しか居なかった。
 店の親爺が、
 「お客さん、すみませんが、そろそろ店仕舞の時刻ですぜ」
 と、少々迷惑そうに言ったので、アラシヤマは代金を払い、
 「シンタローはん、起きられますか?」
 と、シンタローを揺さぶったが、シンタローは1日の激しい稽古で疲れていたせいか、起きなかった。
 「仕方ありまへんな・・・」
 と、アラシヤマはシンタローを背負うと、
 「ほな、ご馳走さんでした」
 と、親爺に軽く会釈し、店の暖簾を潜って外に出た。
 空を見上げると、月が雲に隠れて全く見えず、暗い闇の中、今にも雨が降ってきそうであった。
 「ところで、どこに送り届けたらええんですやろ?わて、今シンタローはんが住んでる所は知りまへんえ?実家の方に届けると、なんや、ややこしそうどすし・・・」
 アラシヤマが、シンタローを背負ったまま歩きながら思案していると、突然、大粒の雨が降り出した。
 「あ゛―――ッ、もう、わてが今任務で間借りしてるとこでもええですやろ。一番近そうどすしナ!!それにしても、秋の雨は冷とうおます~」
 アラシヤマは、できるだけシンタローが雨に濡れないように前に抱えなおし、全速力で家まで走った。
 アラシヤマが長屋の自分の部屋の戸を、ガラッと引き開けると、当然のことながら中は真暗であった。彼は、手馴れた手つきで行灯に灯を点けた。 
 行灯の周囲のみが薄ぼんやりと明るくなり、それ以外は暗いままであったが、アラシヤマからはシンタローの顔は、はっきりと見えた。
 「シンタローはん、起きてくれまへんか?そのまま寝ますと風邪ひきますえ?」
 アラシヤマは、シンタローに声を掛けたが、シンタローが起きる気配は依然としてみられ無かった。
 「起きへんと、襲いますえ?」
 少し強い調子でそう言っても、何ら返事は返って来なかった。
 アラシヤマは、溜息を吐き、箪笥から手拭いを数枚取ってくると、シンタローを抱え起こし濡れた髪を拭いた。
 「服も脱がせなあきまへんな。・・・久々に想い人に会って、心の準備ができていないうちに、いきなり自制心が試されるやなんて今日は厄日でっしゃろか?」
 アラシヤマは、ブツブツ言いながら、シンタローの身体を拭き終えると、箪笥から取り出した自分の着物をシンタローに着せた。寝ている人間に着物を着せるというのは中々の重労働であったので、帯までは結ばずに夜具の方にシンタローを運んだ。
 アラシヤマは自分も着替えると、布団の傍に座り、胡坐を掻いた。
 (布団は1組しかありまへんし、かと言って、一緒に寝ようものなら朝起きたときに何言われるか分かったもんやおまへんな。しょうがない、起きとりますか・・・)
 そう決めたアラシヤマは、内職の房楊枝を作ろうと木の枝と小刀を手に持ったが、集中できず、すぐに両方とも箱の中に戻した。
 結局、アラシヤマは片肘で頬杖をつき、しばし、シンタローの寝顔を眺めていた。
 (久々に、シンタローはんに会いましたけど、やっぱり可愛いおすなぁ・・・。意識の無いときに、何やするのはわての趣味やおまへんけど、せ、接吻ぐらいなら、ええですやろか!?)
 彼は勝手にそう判断すると、
 「シンタローはん、わてを許しておくんなはれ」
 と言って、眠っているシンタローに接吻した。
 (あぁー、色々しとうおます!!でも、わてが欲しいのは、まずは、気持ちの方やさかいな)
 と、内心色々思いつつも、アラシヤマは何とか自制心を取り戻すと、再び座りなおし、
 「今日は、あんさんに今好きな人がおらへんと聞いて、ホッとしました。マァ、もちろん、好きな人というのがわてやないのが残念どすが。・・・ほんまやったら、あんさんは、わてにとってお天道様みたいに手の届かん雲の上の存在なんどす。でも、わては、これからはもう絶対諦めまへんえ?覚悟しといておくんなはれ」
 アラシヤマはそう言って、もう一度シンタローの寝顔を見ると、行灯の灯を消した。



 アラシヤマは、目黒にある建部の道場を見張っていた。建部は依然として家の中から出てこない。
 いきなり踏み込んで奉行所に連行しても良かったが、確たる証拠が無い上、アラシヤマには建部が拷問を受けても医者殺しを白状するような気がどうにもしなかったので、どうすればよいものか考えあぐねていた。
 そうこうしているうちに、建部宅を訪ねてきた者がある。
 「建部さん」
 戸口に立ったのはシンタローであった。
 (何で、よりにもよって今、シンタローが・・・)
 アラシヤマは、舌打ちしたい気分であった。これで、さらに踏み込みにくい状況となった。


 シンタローは、返事が無かったので、少々不審に思いつつも勝手に戸を開けて中に入った。土間に立ったが、板戸が全て閉め切られているせいか部屋は薄暗く、戸口から差し込む日の光が唯一明るかった。誰もいないかと思われたが、部屋の中に人の気配がする。
 強い酒の臭いがし、シンタローは、顔を顰めた。
 「建部さん?勝手に上がるゼ!?」
 そう言ってシンタローは部屋に上がり、板戸を開け放った。
 部屋には一気に昼の日が入り、蹲っている建部の姿が在った。彼の周りには酒瓶が幾つも転がっている。髪の毛は茫々で、以前よりもさらに痩せており、目だけが何かに取り憑かれたように、ギラギラとしていた。
 シンタローは、
 「一体、どーしたんだヨ!?」
 と問うたが、返答は無かった。
 シンタローが、建部の傍に膝を着き、
 「建部さん!?」
 と、建部の顔をのぞきこむと、いきなり肩口を掴まれ、畳に押し倒された。
 突然の事にシンタローは目を見開いたが、何か仔細があるのではと思ったらしく動かず、
 「何だか分かんねぇけど、大丈夫だ」
 そう言ってシンタローが片手を伸ばし、建部の背を撫でると、建部は、
 「きぬ、おきぬ・・・」
 と言って泣き出した。
 しばらくそのままでいたが、不意に、建部の様子が一変し、
 「シンさん、おぬしの所為だ・・・」
 と言って、シンタローの着物を引き千切るように脱がせようとした。当然、シンタローは、
 「何すんだヨ!?」
 と、建部を押しのけようとしたが、痩せさらばえた体の何処にそんな力があるのか不思議であるが、ビクともしない。シンタローは暴れたが、服を全部脱がされてしまった。
 これから何をされるのか分からなかったが、シンタローは怖くなった。胸元を濡れた感触が這い回るのが気持ち悪かった。
 「嫌だッツ!ヤメロッツ!!」
 無我夢中でそう叫ぶと、何か、熱いものが頬にかかった。
 おそるおそる、目を開けると、そこには、血のついた刀を握ったアラシヤマが無表情に立っていた。


アラシヤマは、シンタローが板戸を開けるのを見て、シンタローが帰るまで待とうと思った。家からは死角となり、かつ内部の様子の窺える場所に移動したが、シンタローと建部の会話を聞いていて腹が立った。
 (甘うおます。もうシンタローのことなんや、どうでもええわ。勝手にしなはれ)
 そう思ったが、シンタローの抗う声が聞こえ、中で何が行われているのか想像がつくと、思わず刀の鯉口を切り、任務の事など完全に忘れて、走った。
 そして、目の前の光景を見ると、刀を振りかぶり、斬った。
 

 シンタローは、呆然とアラシヤマを見上げていた。彼にはどうしてアラシヤマがこの場にいるのかが、全く理解できなかった。
 アラシヤマは刀の血を振って鞘に納め、建部の身体を足で蹴って退かした。そして、屈んでシンタローを起こし、自分の着ていた羽織を彼の剥き出しの肩口に掛けた。
 ―――アラシヤマは、正面からシンタローを抱きしめた。
 シンタローは身じろぎしたが、アラシヤマは、
 「完全に、わての負けどす。わては、シンタローはん。あんたはんが好きや」
 そう言って、もう一度シンタローを抱きしめると、何処からか短い針を取り出し、シンタローの首筋に刺した。
 シンタローの目蓋が落ち、眠りに入る間際、アラシヤマは、シンタローの頬に着いた血を指で拭い、
 「これは、全部夢どす。何事も無かったんどす」
 囁くように言った。







  

 アラシヤマは、シンタローに服を着せると、意識の無いシンタローを担ぎ上げたが、ふと、血を流して倒れている建部の元に寄り、
 「何か、言い残したいことはおまへんか?」
と聞いた。
 建部は、まだ息があったが、一言、
 「きぬ・・・」
 と言って息絶えた。何処か、安らかな死に顔であった。
 アラシヤマは、その場を後にした。

 
 駕籠を呼んで意識の無いシンタローを乗せ、奉行所まで戻ると、マジックが立っていた。
 アラシヤマが抱き上げていたシンタローをマジックに渡すと、マジックは無言でシンタローを受け取り、
 「竹の間で、待て」
 とのみ言うと、屋敷の奥へと姿を消した。
 アラシヤマが竹の間に控えていると、しばらくして、マジックがやってきた。
 入ってくるなりマジックは、アラシヤマを殴り飛ばし、
 「お前がついていながら、なんて様だ」
 そう言った。普段のマジックとは全く違い、底冷えのするような、恐ろしい様子であった。
 アラシヤマには返す言葉も無く、黙っていた。
 マジックは、上座に座ると、
 「まぁ、私がお前でも、そうしたかもしれないけどね」
 そう言って、脇息に肘を置き、溜め息を吐いた。
 「わては、お役御免どすか?」
 アラシヤマが静かにそう聞くと、マジックは少し考え、
 「・・・しばらく、京へ行け」
 と言った。
 アラシヤマは、その返答が意外であったのか、目を見張った。
 退出際、アラシヤマが
 「―――お奉行はんらしゅうおまへんえ?」
 そう言うと、
 「私もそろそろ歳かな?ヤキがまわったもんだ」
 そう、軽い調子で応じた。


 夜半、八丁堀の長屋に戻り、アラシヤマは少ない荷物を纏めた。
 ふと、壁に架かっていた暦がぼんやりとした灯りの中、目に留まり、
 (もう、神無月どすか・・・。京に行く途中、山が見事に紅葉してそうどすな)
 と思った。
 「シンタローはんにも、いっぺん京の街を見せてやりとうおます」
 そう呟くと、何かの感傷を振り切るように頭を振り、アラシヤマは灯りを消した。



 季節は長月となり、秋もいよいよ深まってきた。巣鴨や雑司ヶ谷ほど大掛かりなものでないにしても、あちらこちらの町内では植木屋が大輪の菊で鶴や帆掛け舟などの細工を作り、店先に誇らしげに展示している。
 (金が要る・・・。とにかく今よりも多分に要る)
 何やら思いつめた様子で黄昏時の路を歩む男がいた。代稽古帰りの建部宗助である。懐中には代稽古の謝礼金があったが、それのみでは立ち行かない事情が建部にはあった。
 建部は大横町に足を向け、細い路地に入った。家の引き戸を開いて中に入ると、中は灯もつけないままで薄暗かった。
 「おきぬ」
 と、建部が声を掛けると、床に敷き述べてある布団から、ゆらり、と白い人影が身体を起こした。
 「建部様・・・」
 か細い声で痩せ衰えた女性が返事をした。
 「そのまま、そのまま寝ておれば良い!」
 急いで建部は部屋に上がると、そっと女性の肩を抱き、再び布団に横たわらせた。
 枕元に座った建部を、きぬは高熱があるのかぼんやりとした目で見上げ、
 「お越し頂いて、ありがとうございます」
 と言った。
 「具合はどうだ?」
 きぬは骨と皮ばかりの白い手を伸ばし、慌てて建部はその手を掴んだ。彼女はかぶりを振り、
 「建部様、もうよろしいのですよ」
 「何を言う!?薬、薬さえあれば・・・!“亦私蘭修謨斯”という薬さえ手に入れば全て良くなると、医師から聞いたぞ!?」
 きぬは、少し微笑み、
 「ありがとうございます。でも、もうよいのですよ。貴方様は、最近気になるお方ができたのでしょう?そのお方と幸せになってくださいまし」
 「嫌じゃ!俺にはお前だけだ!!そんなこと、言わないでくれ・・・」
 建部は、枕元で男泣きに泣き始めた。
 きぬは、少し身を起こし、もう片方の手を伸ばすと建部の背中を母親が子どもをあやす様に撫でた。そして、
 「建部様、きぬは幸せでござります」
 そう言った。


 現在、アラシヤマは内々に一月前に医師が殺害された件を調査していた。マジックから直々に指示があり、どうやら密貿易が関係しているらしい。おかげで、小野道場に通う事もできず、シンタローとは会えない日々が続いていた。
 色々と調べていくうちに、その医師は呆れた悪徳医師であることが分かった。密貿易で得た高価な薬は金に糸目をつけない患者に売りつけ、多くの患者には舶来物の薬と偽って高額で偽の薬を売りつけていたのである。
 アラシヤマは、医師の自宅から押収した帳簿を見ながら、
 (―――ぼろ儲けどすな。これやったら、いくら悪徳言うても、あのドクターの方がまだマシでっしゃろ。あのドクターは、金は二の次どすからな。・・・いや、やっぱり、どっちもどっちどす。この前わてに牽牛子を一服盛ったのは絶対に忘れまへんえ~!!呪ってやりまひょか)
 どうやら、アラシヤマは高松に実験台にされて酷い目に遭ったらしい。ブツブツ言いながら帳簿を捲っていると、ふと、気になる名前が目に留まった。
 (―――建部?ひょっとすると、これはあの貧乏浪人でっしゃろか?でも、ピンピンしとったさかい、高価な労咳の薬なんか買うわけないわな)
 気のせいかと思って、その考えを捨てようとしたが、中々頭から離れない。
 不意に、湯灌場で高松の検死に立ち合った際に死体の体につけられていた刀傷が、アラシヤマの脳裏に浮かんだ。
 「右顔面が、斬られとったナ・・・」
 右顔面斬りは、神道無念流の技の1つである。
 「悩んでいても、しょーもおまへんな!行きまひょか!!」
 アラシヤマは、帳簿を閉じると立ち上がり、壁に掛けられていた編み笠を取って、奉行所を出た。

 
 帳簿に書かれていた住所を頼りに、アラシヤマは番町の方角に向かった。番町は「番町にいて番町しらず」と言われるほど複雑な道筋が広がっていたので、アラシヤマは「番町絵図」を携帯していった。
 「ここやろか・・・」
 アラシヤマが木戸を潜り店の前に立つと、井戸の傍で町女房風の女が、昼餉の支度なのか鯵を捌きながら、
 「旦那、そこは空き家だよ」
 と投げるように言った。
 「此処に、建部という人が住んではるはずなんどすが、知りまへんか?」
 「たけべ?たけべだかなんだか知らないけど、そこにはおきぬさんって女が1人で住んでたよ。この頃姿を見なかったけどあれは、肺病病みだね。先日、自害したけどさ」
 「自害どすか?」
 女房は元来噂好きであったらしく、捲し立てた。
 「そうだよ、短刀で喉を一突き。わたしゃ、百両積まれたってあんな死に方いやだよ。おお、桑原桑原!・・・そういや、侍風の男が結構通ってたけど、私らとは全く付き合いがなかったねぇ。おきぬさんは、お武家の出じゃないかって私らは噂してたんだよ!」
 アラシヤマは、小包丁を振り回しながら熱弁する女房の勢いに、少々引き気味になりつつ、
 「ありがとうさんどす。少のうてすみまへんが、とっといておくれやす」
 そう言って、一朱を渡した。女房が思わぬ収入に喜んでいるのを背に、
 (やっぱり、関係がありそうやな)
 そう思いつつ、一旦、奉行所に引き返した。







  

 アラシヤマは例の夢を見て以来、シンタローと顔を会わせ辛くなった。
 稽古の最中はそのような事を意識せずシンタローと立ち合えるのだが、それ以外の時に面と顔をあわせると、どうしても思い出してしまう。彼は、赤面したり挙動がぎこちなくなったりと自分の意志では制御出来ない状態に陥るのが嫌で、シンタローと向かい合うのを避けていた。
 しかし、避けようと思う一方で、離れるのが耐え難いと思う心もある。
 いつの間にかアラシヤマは、物陰からコッソリとシンタローの姿を見るようになっていた。
 (なんで、わてがこんなにコソコソせなあかんのや・・・)
 そう情けなく思わないでも無かったが、かといって、アラシヤマにはどうしようもなかった。
 シンタローから少し距離を置くようになって、見えてきたこともあった。それは、存外アラシヤマと同様の者、つまり、シンタローに恋慕する者がいるという事である。憧れ程度の者が大半ではあったが。
 (最初は、あの親馬鹿奉行の杞憂かと思うたけど、あながち的外れでもなかったんやな・・・)
 アラシヤマは自らのことを棚に上げ、忌々しく思った。
 そうは言っても、小野道場の弟子達の間では暗黙の了解のようなものが行き渡っており、シンタローに思いを告げようとするなどの行動に出ようとする者は皆無であった。
 江戸時代、男色は一つの文化として存在しており、それほど異端視はされてはいなかったものの、やはり、それなりの覚悟が必要ではある。
 アラシヤマの場合、様々な状況から考えるともう自分を誤魔化せる段階としては既に無理が生じてきていたが、彼はマジックから言い渡された「シンタローの身辺を見張る」という当初真面目に取り組むつもりはなかった任務を根拠に、現在の自分の行動を正当化していた。感情の面については、どうしようもなかったが。
 (シンタローには、任務やから、気づかれたらあかんのどす!)
 そう思うと、葛藤状態で苦しい中、少しだけ楽になるような思いがした。


 季節は葉月となり、朝夕に冷気が感じられるようになった。空からは入道雲がいつの間にか姿を消し、代わりに白い羽のような鰯雲が現れた。
 アラシヤマは、相変わらず道場でシンタローの姿を陰から窺っていたが、道場外のことまでは詮索しようとはしていなかった。しかし、シンタローがミヤギやトットリ、アラシヤマ達と奉行所まで帰るようになると、シンタローが自宅にはそのまま帰らず1人で時々何処かに行く事に気づいた。
 (シンタローは、一体、何処に行きよるんや?まさか、女の所に通っとるんやろか・・・)
 そう思い立つと、いてもたってもいられず、ある日アラシヤマはシンタローの後をつけてみる事にした。
 ある日、シンタローは、渋谷から目黒の方面へと足を向けた。その頃の目黒の辺りは江戸の郊外であり、武家屋敷や寺院の他には、田畑や雑木林が広がっていたので、アラシヤマは尾行に苦労した。
 (えらい田舎どすな・・・。こんなとこに、女が住んどるものやろか?)
 そう思いつつ、様子をうかがうと、シンタローはボロボロの小さな一軒屋の前で足を止めた。一応小さな道場らしいが、どうやら閑古鳥が住み着いているようである。
 門も何もあったものではなかったが、入り口らしきところでシンタローが、
 「建部さん」
 そう呼ぶと、奥から、
 「おお、シンさんか!ようまいられた」
 と、痩せて旗竿の様に背が高い、三十代ぐらいの、どう見ても貧乏浪人が姿を現した。彼は洗い晒しの衣服を見につけ、頭は総髪にしていたが、人が良さそうなものの、一見全く強そうには見えなかった。しかし、アラシヤマは、
 (アレは、ただ者やおまへんな・・・)
 と思った。


 一向に風采の上がらない浪人は、建部宗助という。彼は某藩の下級藩士であったが、ある事情により脱藩し、江戸に出てきている。彼は神道無念流の剣客であり、同じ無念流の番町にある道場で賓客待遇となり、時折門弟に指南を行っていた。
 シンタローとは、さる大名の御前試合で面識を得た。
 建部は道場主の薦めもあり、試合に出場した。双方立ち合ったまま動かず、結局、その場では決着はつかなかった。シンタローに勝つ事ができなかったので建部にとって仕官の話は無しとなったが、お互いもう一度立ち合ってみたいと思ったので後日の試合を約束し、その場で別れた。その後、シンタローとの交誼が始まり、シンタローは稽古がてら時折目黒まで遊びに来るようになったようである。


 アラシヤマは、道場の背後の林の中から様子を窺った。シンタローと建部は木剣を持って移動したので、どうやら2人は立ち合うようである。
 過ごしやすい季節であるからか、道場は全ての板戸を外し吹き抜け状態であるので少々離れた場所からでも十分に見えた。
 道場内に入ると、お互い、左脇構えを取った。
 しばらく間合いをとり道場の空気は張り詰めていたが、不意に両者ともに前進し、間合いを縮めた。建部は刀を振りかぶると、正面から大きく斬り込んだが、シンタローは左足から大きく一歩下がって攻撃を避け、同時に木刀を下段に付けて、空振りした建部の木剣に合わせた。両者は木剣を合わせたまま、相中段の構えに戻った。シンタローは木刀を外すと、正面斬りを浴びせたが、建部は頭上で横一文字に木刀を構え、受け止める。そのまま力づくで押し戻し、シンタローの体勢が少し崩れたところで、上腰に構えた木刀を添え手突きにシンタローの脇腹ギリギリで止めた。
 「これまで、だナ」
 「これが五本目だよ、シンさん」
 ずっと見ていたアラシヤマは、
 (神道無念流の型か・・・)
 と会得した。
 その後、2人は打太刀と仕太刀を交代して、再び非打ちの五本目の型を使い始めたが、シンタローは、1回相手の技を見ただけで既に覚えていたらしい。見事な剣使いであった。
 稽古が終わった後、2人は縁側に座っていたが、建部は何やらぼやいていた。
 「うちの門人も、シンさんの十分の一でも剣才があればなぁ・・・。どうにも筋が良くない」
 「そういや、吾平だっけ?今日は姿が見えねェけど、どうしたんだヨ?」
 「あやつは、畑仕事の方がいいと言って、この前からとんと稽古に来ないが・・・」
 「なんだ。だったら建部さん、門人ゼロじゃねーか!」
 「うう、シンさんはハッキリ物を言うなぁ・・・」
 図星をつかれたらしく、建部は頭を掻きながらションボリしてしまった。どうも三十を超えた大の大人が、未だ少年と言っても過言ではない年下のシンタローに言い負かされるのは、何やら滑稽なようでもある。だが、建部はどうやらそのあたりに、こだわりはないようであった。
 シンタローは、少し悪かったと思ったのか、話題を転じた。
 「御新造さんの具合は?」
 シンタローがそうたずねると、建部は顔を曇らせ、
 「相変わらず、中々よくはならんよ・・・」
 と言った。
 シンタローは彼の妻には会った事は無かったが、以前、一度建部と飲みに行ったとき、酔った建部が散々惚気ていたので閉口した覚えがある。
 建部の妻は、現在病で臥せっていた。労咳、現在で言う肺結核であった。当時、治療法は滋養強壮を中心とした処方が中心で、気休め程度である。しかし、高い薬さえ飲ますことができれば良くなるといって暴利を貪る医者もたくさんいた。


 木陰から見ていたアラシヤマには、シンタローと建部の会話は聞こえなかったが、シンタローが建部に気を許している様子を見てイライラした。
 (あの浪人は、今まで何人も斬ってますな。全く羽振りが良さそうでもないのに、片田舎の破れ道場とはいえ借りる事ができるやなんて、たぶん、後ろ暗いところのあるはずや。そんなんも分からんで、シンタローは暢気なもんどすな!)
 アラシヤマは、不快気に眉間に皺を寄せた。
 彼はしばらく何事か考えていたが、
 「シンタローは、甘うおます」
 懐手をし、そう呟くとアラシヤマはその場を後にした。



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