夕七つの頃、深編み笠を被り,着ながしに太刀を帯した浪人がゆっくりと道を歩いていた。
浪人は、ふと、生垣の前で立ち止まり、道場内の稽古の様子をしばし眺めた。道場では少年や大人の男達が汗を流して熱心に稽古に励んでいた。この道場で教えている内容は剣術のみではなく、あらゆる武術を総合した実戦的な流派であり、稽古が厳しい事で有名であった。
「そこッツ!もうすぐ終わりだからって、気を抜いてんじゃねェッツ!!稽古つけてやるから来いッツ」
と、よく通る声で叱責が飛び、長い髪を1つに束ねた、紺の袴姿のシンタローが現れた。
シンタローは縁側で座って休んでいた男の着物の襟首を引っつかんで、道場内に引きずって行きかけたが、ふと、外に目を遣り、
「先に行っとけ」
と、男の着物から手を放すと、男は急いで道場の方に戻った。
シンタローは、懐から小柄を取り出すと、浪人目掛けて投げつけた。
小柄はかなりの勢いで浪人の方に向かって飛んだが、浪人は小柄が刺さる寸前で身をかわした。
地面に突き立った小柄を拾い上げながら、浪人は、
「―――シンタローはん、いきなり、こんな物騒なもんを通行人に投げつけるやなんて、危のうおまへんか?」
と言い、編み笠を脱いだ。
「うっせーな。分かっててやったに決まってんだろーが。ところで、いつ帰ってきたんだ?アラシヤマ」
どことなく、すねたように言うシンタローに、アラシヤマは苦笑しながら、
「なんや、最初から、お見通しやったんどすか。シンタローはんもお人が悪いでんな。京から帰ってきたのは数日前どす。久々の江戸は活気がありますなぁ。ところで、シンタローはん、この後お暇どすか?もし暇やったら、わてと晩飯でも食べに行きまへんか?」
シンタローは少し考え、
「いいゼ」
と答えた。
「ほな、そこの茶屋でお待ちしてますさかいに」
そう言ってアラシヤマは深編み笠を再び被ると、道場の前の道を通り過ぎた。
空が夕映えの色に染まる頃、シンタローがアラシヤマがいるであろうと思われる茶屋に行くと、彼は、店の外の長椅子で茶を飲み、団子を食べていた。
シンタローが、
「こういう時は、普通、酒とか飲むもんじゃねェのか?」
と、団子とお茶を間に挟んでアラシヤマの隣に座りながら言うと、
「いや、さっきシンタローはんが稽古しはってる姿を見とりますと、昔を思い出しまして、つい。わて、昔は稽古帰りに時々ここに寄ってたんどすえ。味が変わってへんのがうれしゅうおますな」
と、アラシヤマは団子の串を手に持ち、照れたように言った。
アラシヤマが暢気な口調で、
「シンタローはんも団子いりますかぁ?」
とシンタローの方に団子の皿を差し出したが、シンタローは腕を組んだまま、
「いらねぇ。で、京都はどうだったんだよ?」
と、聞くと、
「・・・マァ、色々ありましたが、可も無く不可も無くといったかんじでっしゃろか。あっ、色事関係の方は何もありまへんえ?わては昔からシンタローはん一筋やさかいナ!」
と、アラシヤマはニヤニヤしながらそう言った。それを見ていてムカついたシンタローは、アラシヤマの足を思いっきり踏んづけた。
「痛たた!痛うおます~。ほんまにシンタローはんは、照れ屋さんどすなぁ・・・」
「照れ屋とか、そういう問題じゃねぇッツ!!真面目に話をする気がねェんならもう帰るゾ!?」
「シンタローはん一筋なのはほんまのことどすのに・・・。今回は、たぶん江戸にずっと居ると思います。既にもう任務に入ってますしな」
「フーン」
シンタローは、自分の湯飲みを手に取り、一口、茶を飲んだ。アラシヤマがシンタローの方を見ずに前を向いたまま、
「何の任務か聞きまへんの?」
と、尋ねると、
「当たり前だ。どうせ、無暗に他人に話していいような内容じゃねぇんダロ?」
シンタローはキッパリとそう答えた。
「まぁ、そうなんどすが。―――シンタローはんは、ご実家の方には帰られへんのどすか?あの親馬鹿奉行に会ったらシンタローはんが中々家に帰って来んって嘆いてましたえ?」
「あの馬鹿親父・・・。家に帰ると、後を継げってうるせーからな。俺は、親が勝手に決めた相手と結婚なんかしたかねーし!」
アラシヤマは、湯飲みを持ったまま俯き、
「・・・誰や、意中の人でもいはるんどすか?」
と、小さい声で聞いた。
シンタローは、一瞬泣きそうな表情をしたが、すぐに元の様子に戻り、
「そんなヤツなんか、いねぇヨ!!」
と、怒ったように言った。
アラシヤマは、ホッとした様子で、下を向いたまま、
「そうなんどすか・・・」
と答えた。彼はずっと下を向いたままだったので、シンタローの顔は見えなかった。
2人は結局その後、酒も飲める、茶飯で名の知られた居酒屋に拠点を移した。
アラシヤマは、そう酒が飲める方でもなかったので、配分を調節しながら飲んでいたが、シンタローは少々飲みすぎたようであり、夜四つの時刻には卓上に突っ伏して眠ってしまった。店には既に客は2人しか居なかった。
店の親爺が、
「お客さん、すみませんが、そろそろ店仕舞の時刻ですぜ」
と、少々迷惑そうに言ったので、アラシヤマは代金を払い、
「シンタローはん、起きられますか?」
と、シンタローを揺さぶったが、シンタローは1日の激しい稽古で疲れていたせいか、起きなかった。
「仕方ありまへんな・・・」
と、アラシヤマはシンタローを背負うと、
「ほな、ご馳走さんでした」
と、親爺に軽く会釈し、店の暖簾を潜って外に出た。
空を見上げると、月が雲に隠れて全く見えず、暗い闇の中、今にも雨が降ってきそうであった。
「ところで、どこに送り届けたらええんですやろ?わて、今シンタローはんが住んでる所は知りまへんえ?実家の方に届けると、なんや、ややこしそうどすし・・・」
アラシヤマが、シンタローを背負ったまま歩きながら思案していると、突然、大粒の雨が降り出した。
「あ゛―――ッ、もう、わてが今任務で間借りしてるとこでもええですやろ。一番近そうどすしナ!!それにしても、秋の雨は冷とうおます~」
アラシヤマは、できるだけシンタローが雨に濡れないように前に抱えなおし、全速力で家まで走った。
アラシヤマが長屋の自分の部屋の戸を、ガラッと引き開けると、当然のことながら中は真暗であった。彼は、手馴れた手つきで行灯に灯を点けた。
行灯の周囲のみが薄ぼんやりと明るくなり、それ以外は暗いままであったが、アラシヤマからはシンタローの顔は、はっきりと見えた。
「シンタローはん、起きてくれまへんか?そのまま寝ますと風邪ひきますえ?」
アラシヤマは、シンタローに声を掛けたが、シンタローが起きる気配は依然としてみられ無かった。
「起きへんと、襲いますえ?」
少し強い調子でそう言っても、何ら返事は返って来なかった。
アラシヤマは、溜息を吐き、箪笥から手拭いを数枚取ってくると、シンタローを抱え起こし濡れた髪を拭いた。
「服も脱がせなあきまへんな。・・・久々に想い人に会って、心の準備ができていないうちに、いきなり自制心が試されるやなんて今日は厄日でっしゃろか?」
アラシヤマは、ブツブツ言いながら、シンタローの身体を拭き終えると、箪笥から取り出した自分の着物をシンタローに着せた。寝ている人間に着物を着せるというのは中々の重労働であったので、帯までは結ばずに夜具の方にシンタローを運んだ。
アラシヤマは自分も着替えると、布団の傍に座り、胡坐を掻いた。
(布団は1組しかありまへんし、かと言って、一緒に寝ようものなら朝起きたときに何言われるか分かったもんやおまへんな。しょうがない、起きとりますか・・・)
そう決めたアラシヤマは、内職の房楊枝を作ろうと木の枝と小刀を手に持ったが、集中できず、すぐに両方とも箱の中に戻した。
結局、アラシヤマは片肘で頬杖をつき、しばし、シンタローの寝顔を眺めていた。
(久々に、シンタローはんに会いましたけど、やっぱり可愛いおすなぁ・・・。意識の無いときに、何やするのはわての趣味やおまへんけど、せ、接吻ぐらいなら、ええですやろか!?)
彼は勝手にそう判断すると、
「シンタローはん、わてを許しておくんなはれ」
と言って、眠っているシンタローに接吻した。
(あぁー、色々しとうおます!!でも、わてが欲しいのは、まずは、気持ちの方やさかいな)
と、内心色々思いつつも、アラシヤマは何とか自制心を取り戻すと、再び座りなおし、
「今日は、あんさんに今好きな人がおらへんと聞いて、ホッとしました。マァ、もちろん、好きな人というのがわてやないのが残念どすが。・・・ほんまやったら、あんさんは、わてにとってお天道様みたいに手の届かん雲の上の存在なんどす。でも、わては、これからはもう絶対諦めまへんえ?覚悟しといておくんなはれ」
アラシヤマはそう言って、もう一度シンタローの寝顔を見ると、行灯の灯を消した。
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