少々個人的な買い物がしたくて、仕事の合間を見て時間を作り、シンタローとキンタローが揃ってデパートを訪れた時のことであった。用事があったのはシンタローで、キンタローはそれにくっついてきた形になる。
シンタローが目的のものを探している間、キンタローはその近くをウロウロしていたのだが、ようやく買い物が済んだと思ったときに金髪の従兄弟の姿が見えなくなっていた。
キンタローの容姿はとにかく目立つ。
シンタローもそうだが、ここまでの長身はなかなかいるものではないし、金髪碧眼は世界に多くいるというのに青の一族が持つ輝きは独特なものがあるのだ。キンタローの端整な顔立ちと彼が持つ雰囲気はその場にいる者の目を奪うのには十分で、黄色い声が混じった特有のざわめきを追っていけば直ぐに見つかるだろう。
だから、キンタローとはぐれた今でもシンタローに焦りはなく、フロアに並べられているものを見ながら、長身で金髪の男の姿を探して少し一人で歩いた。
それから、差ほど時間はかからずに探していた従兄弟の姿を見つけることは出来たのだが、この時のシンタローの顔には喜びと安堵の表情は見られず、見てはいけないものを見てしまった時のような引きつりを見せた。
先程までシンタローにくっついて歩いていたキンタローは、フロアに置かれているもの一つ一つがその眼に珍しく映ったようで、興味津々の呈で眼に映る様々なものを眺めながら歩いていたのだろう。
周りに意識を奪われ過ぎてシンタローからはぐれてしまったようなのだが───最終的に何故そこに辿り着いたのかキンタローが今現在いる場所は、この時期に特設されるのであろう、チョコレートや手作りお菓子用の材料、ラッピンググッズなどが置かれた、いわゆるバレンタインコーナーであった。
可愛らしいピンク色のコーナーはバレンタインの贈り物を選ぶ女の子達で華やいでいるのだが、その中にとても違和感を感じる大きな男が一人混ざっている。
整った外見がその違和感をより一層際立たせていた。
『アイツ…何してんだよッ?!』
その台詞は口から勢い良く飛び出したりはしなかったが、シンタローは心の中で盛大に叫び声を上げる。
キンタロー本人は気付いていないようだが、今現在このバレンタインコーナーにいる女の子達の視線釘付け、大注目を浴びていると断言出来る程目立っているのだ。
ただし、目立つと言っても悪目立ちをしていると言うことなのだが───シンタロー自慢の従兄弟なのに、痛い視線集中の現状には目を逸らしたくなる。
おそらく、お菓子売場でもない場所に何故こんなにも多くのチョコレート類が置いてあるのだろうかと、ここに特設されたコーナーを目にしたキンタローは興味を覚えて、更に食品売場でもないのにお菓子作りの材料も置いてあるのは何なのだろうかと考えながら足を踏み入れていったように思えた。
シンタローの視力では、バレンタインコーナーから少し離れた位置にいるにも関わらず、疑問符が浮かんでいるキンタローの表情までよく見えるのだ。バレンタイン自体は知識として知っているはずなのに、これがそれだということにはまだ思い当たっていないようである。
シンタロー個人の用事はとっくに済んでいるので、キンタローにさっさと声をかけて帰りたいのだが、恐いもの知らずのガンマ団総帥もその地帯に足を踏み入れるのは本気で躊躇われた。
しかし、どうしようかと逡巡していると、キンタローはどんどん奥の方へ足を進めていってしまう。
そこでふと思いついて、シンタローはキンタローの携帯電話にかけてみたのだが、お約束のようにこういうときに限って相手は気付かない。
『バカッそれ以上奧に行くなよッキンタローッ』
シンタローはそんな叫び声を心の中であげた。
だが、その一分後に居たたまれないという気持ちを存分に味わう羽目になる。
どれだけ電話をならそうとも気付いてもらえず、結局シンタローはバレンタインコーナーにて女の子に紛れながらキンタローと肩を並べることになってしまった。
キンタローに集まっていた視線をシンタローが半分ほど頂くことになる。シンタローにとっては非常に有り難くない話であった。別の形出ならば大歓迎なのだが。
「……………」
「シンタロー…ここは何なんだ?」
キンタローは、無言のまま近寄り肩を叩くことで存在を知らせてきたシンタローには構わず、今現在の興味からくる質問を投げかける。対するシンタローは額に手を当てて深い溜息をついた。
「あー…バレンタイン…は分かンだろ?」
早くこの場から立ち去りたいと心底思いながらキンタローの質問に答えた。
シンタローの一言でキンタローは納得いったように「あぁ、これが…」と呟き頷く。
これで直ぐにこの場から離れてくれるのかとシンタローは期待したのだが、そんな気配は一向に見られず、この場での興味はまだ削がれないようで、キンタローは目の前に置いてあったラッピンググッズを手にとって眺めてみたり、色んな種類のチョコレートをその青い眼に映していた。
シンタローはキンタローに帰りを促すタイミングを失ってしまい、何だか楽しそうな雰囲気を醸し出している従兄弟の後ろについて、少し投げやりな気持ちで一緒にフロアを歩いた。
人一倍周囲の視線が気になるのはシンタローの性格で、大して気にならないのが青の一族の性格である。
キンタローは周囲の状況など全く意に介さず、自分の興味が赴く方向へ忠実に移動していく。
この場にそぐわない二人組になっていることを重々承知のシンタローは、羞恥心から若干俯いているのだが、長身が故にその方がこの場にいる女の子達に己の表情がよく見えるということには気付いていないようであった。
一刻も早くこの場から立ち去りたいと思っていたシンタローだが、そこで今回がキンタローにとって初めてのバレンタインであることに気付く。
士官学生時代、男に囲まれた青春を送ったシンタローも、バレンタインに明るい思い出はなかったと言っても過言ではない。もちろん、身近にない行事だからこそ抱く憧れや夢のようなものはあった。その当時は縁がないなりにも、どこかの女の子へ抱く期待がそれなりにあったような気もするが、それらは全て仲間内での談笑に終わっていた。実際のところ、二月十四日はバレンタインというよりも、大好きな叔父の誕生日といった意識の方が強いのだ。勿論、今現在でも───。
『俺も普通の学校行ってたら、やっぱワクワクソワソワしてたのかな』
そんなことを思いながらキンタローの後ろ姿を見つめていたシンタローは、甘いものがあまり得意ではないキンタローでも、やはりバレンタインというものには興味が湧くものなのかと少し考えた。
甘いものが大好きなもう一人の従兄弟のグンマなら、この時期無条件にワクワクするのは判るのだが、この男の場合はどうなのだろうか。
キンタローならば「お菓子メーカーの戦略だろう」と一刀両断しそうな気もするのだが、何を想像しているのか今現在は楽しそうにフロアを見て回っている。
『コイツは…やっぱ普通の学校に行ってたら、たくさんもらってきたんだろうな…』
キンタローならば律儀な性格故に、義理も含めてもらったお菓子は全て自分で食べなくてはと思うだろうし、そう考えはしても甘いものが苦手だから全然食べ進めることが出来ずに困り果てている姿がありありと浮かんで、シンタローはふっと笑みを洩らした。
『興味あンならあげても良いけど…どーかな?やっぱ処理に困るかな?』
目の前をウロウロしているキンタローが何を考えているのか判らなかったが、興味があるのならチョコレートをあげてみようかとシンタローは思う。勿論、食べるのに困らないように、小さなものを少しだけ。
「シンタロー」
「ん?」
不意に名前を呼ばれて、シンタローは意識を現実に戻す。
すると、今まで周囲のものに向けられていたキンタローの青い眼が、シンタローをじっと見つめていた。
「バレンタインは女の人が好きな人に贈り物をする、で合っているか?」
「あぁ…まぁそーだな」
キンタローの質問に、シンタローは先程よりも暢気な様子で答えた。キンタローにとって初めてのバレンタインと考えていたら、周りの状況よりもこの従兄弟の方が気になりだしたのだ。さすがにここで女の子に混ざって材料を買う気にはなれないが、後で何か探してみるかという思考にまでは直ぐに至った。
シンタローが少し楽しげな想像をしていると、先程向けられた青い眼がまだ己を見つめたままなことに気付く。
キンタローの青い眼にシンタローが視線を合わせると、従兄弟はふわりと微笑を浮かべた。
目の前で見ていたシンタローは、突然のことにドキリとする。
余り表情が変わらないキンタローが浮かべる微笑はシンタローに絶大な効果を発揮するのだ。
周囲のざわめきも大きくなったような気がするのは、多分気のせいではない。
シンタロー以外の者が見ても、その微笑には目を奪われるのだろう。
「どーした?キンタロー」
その微笑につられてシンタローの声色も優しく響いたのだが、この金髪の従兄弟は何を思ったのかいきなりシンタローの手を掴んで握り締めた。
「……キ…キン…ッ」
突然何をするんだと慌てたシンタローが抗議をあげるよりも早く、キンタローが口を開いた。
「ということは、シンタロー…俺はお前から貰えるということになるのか?」
この従兄弟の中では先程の会話がまだ続いていたようで、普段はクールな印象を与える青い双眸が期待に輝く。
嬉しそうに弾んだキンタローの声は差ほど大きなものではなかったのだが、不本意ながら周囲の意識を我がものにしていた二人組であるだけに、その台詞はこの辺り一帯にいた者全ての耳に響いた。
今まで賑わっていたバレンタインコーナーがあり得ないほどの静けさに包まれる。
シンタローもキンタローもこれまでの人生で、女の子から、否ありとあらゆる人達からこんなにも視線をもらったことはないんじゃなかろうかというほどの大注目を浴びた。
痛いほどに、無数の視線が突き刺さる。
次の瞬間、種々のざわめきが起こったのだが、そんな中ガンマ団ナンバーワンとしてその名を馳せた男は、公衆の面前でとんでもないことを暴露してくれた従兄弟の腕を勢い良く掴むと光速の如くこの場から走り去った。
ということは、の内訳を詳しく説明してみやがれと腹の底から叫びそうになったシンタローだが、実際問題それどころではなかったのである。
『あぁ…もう二度とあのデパートには行けねぇーな…』
キンタローが運転をする帰りの車の中で、助手席に押し込まれたシンタローはこの男に何か言ってやりたかったのだが、効果的な言葉が全く見つからなかった。車窓から流れる景色を投げやりな気持ちで眺めている。
一方のキンタローは、ハンドルを握る手がとても軽い。この従兄弟にしては珍しく少しスピードが出ているのだが、これは先程気付いた“事実”に浮かれているからであろう。
多大な期待が籠もった視線を、車が信号で止まる度に嫌と言うほど感じているシンタローは、気付かないふりをして一切横を向かないでいた。頼むからそんな目で俺を見ないでくれと、怒っているはずなのにどんどん気を削がれていく。
『ホントに…何でコイツはこーなんだよ…』
バレンタインに贈り物をすること自体は、シンタローも構わない。手作りが良いと言うのならば、料理好きの性格だから喜んで作る。先程まではそんなことも考えていた。
だが、しかし───。
『クッソー…“ということは”って何だよッ!!』
恐らく二度と会わないであろう女性の皆さんには、あの場で忘れられない記憶をプレゼントしてしまったような気がする。出来れば直ぐさま記憶を消去して頂きたいのだが…。
本部に戻りシンタローが車から降りると、キンタローは尻尾を振った犬のように近寄ってきた。
「シンタロー」
「…ンだよ」
努めて素っ気なく返事をしてみたのだがキンタローは気にした様子もなく、一冊の本をシンタローに渡した。
「………何だコレ?」
「先程のデパートで店員にもらったんだ」
可愛らしい女の子三人が表紙を飾っている本にはワインレッドの色をした文字で“特別号/バレンタイン特集”と書かれていた。全体的に淡いピンク色で構成されているこの本は、誰がどう見ても完全に女性誌である。
シンタローは渡された本の意味を直ぐに理解出来ず、疑問に満ちた視線をキンタローに向けた。
「参考にどうぞと言われたんだ」
強い力で雑誌を握り締めながら今の台詞で打ちひしがれたシンタローは、見事にその場で崩れ落ちていった。
END...?
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