三河屋の2階座敷で、高松とシンタローは、向かい合って座り、天麩羅蕎麦を食べていた。
もう既に昼八つの時刻であり、2階席は1階席よりも値段が高かったので、2人の周りには客は居なかった。
蕎麦を食べ終わったシンタローは箸を置くと、
「でッツ!話って何だよ?」
と、高松を睨み付けながら言った。
高松も箸を置くと、
「シンタロー様は、近頃、江戸に出没している凶盗の噂はご存知ですか?」
と、改まった様子で訊いた。
「知らねぇナ。親父の仕事には首を突っ込まねぇことにしてるんだ」
と、にべも無い様子で言った。高松は、身を乗り出し、
「マァ、知らなくても無理はありませんね。世間には広まっていないはずのことですし。これは絶対に内密にしてほしいのですが、今、江戸の街には、弱い立場の者を狙った、非常に卑劣な悪党が横行しているんですよ。・・・妾宅を狙った婦女暴行強盗殺人です。死んだ妾達は妾宅という事もある手前内々に葬られますし、生き残った彼女たちは、表沙汰になることを非常に恐れて、でも、非常に悩んだ末、マジック様が設けた“人には知られたくないけど解決して欲しい悩みを訴える目安箱”に匿名で手紙を投じたんです。マジック様は、前々から隠密廻りを使ってその調査をなさっていましたが、相手は利口な奴等でなかなか尻尾を出しません。でも、調査の結果、粗方、様相が分かったので、今回、一気に誘き出して決着を着けることを決断されたんです。それには、ぜひ、シンタロー様のご協力が必要なんです」
そう、真剣な顔で言った。
シンタローは、話を聞いた後、しばらく黙っていたが、
「分かった。そんな卑劣な奴等は許しておけねェ。それで、俺は何をすればいいんだ?」
と言うと、高松は、ホッとした様子で、
「ご協力してくださるんですね!?男に二言はありませんよね??」
「くどいッツ!とっとと言えよ!!」
「では、まずは、シンタロー様の武芸の術を見込んでのお願いなのですが、シンタロー様には“囮”になっていただこうかと思います」
「フーン。囮・・・って、オイッツ!!狙われているのは妾ダロ!?俺に女装しろってことかヨ!?ぜってー、ヤダッツ!!それに、どうやったって俺は女に見えねぇと思うし」
「・・・もともと、捕り物に女性を使う事は禁止されていますし、例外としても今回の任務の囮役を女性にすると危険なんですよ。相手はなんにしろ不気味な奴等ですし、万が一にも女性を危険にさらすわけにはいけません。女性に見えるかどうかということは、心配ご無用ッツ!!そのために、この長崎で入手した曼陀羅花の香を焚くのですから。これがあれば、相手の思い込みがあるきっかけによって引き出され、幻覚が見えるんです。この場合、きっかけは女物の服装ということになりますので、女物の着物を着ていただくことは仕方がないのですが、シンタロー様の武芸の腕を見込んでのことなのですよ。人助けだと思ってお願いします!!」
そう、高松は頼み込んだ。シンタローは、どうしようかと迷っているようであったが、不意に、
「別に、俺じゃなくてもいいんじゃねぇの?腕の立つ奴は、与力とか同心の中にもたくさん居るだろ?」
そう言った。
高松は、
(気付かれましたか・・・。まぁ、シンタロー様を女装させるという趣向はマジック様の趣味というか遊びですし。中々、シンタロー様も鋭いですね。でも、まだまだですねぇ)
と心の中で思いつつも、何食わぬ顔で、
「これは、極めて私的な件なので、秘密を知るものが少なければ少ないほど良いんですよ。信頼できる相手というのも限られていますしね。中でも、一番腕が立つのはシンタロー様とのお奉行のご判断です。あっ、言い忘れていましたが、一応、三味線の女師匠という設定なので、三味線が弾けないと駄目なんですよ。シンタロー様は弾けるでしょう?」
と、シンタローに言うと、シンタローは反論の糸口を失ったようで言葉に詰り、
「しょーがねーな。女装でも何でもやってやるよ!!」
と、半ばヤケ気味に了承した。
高松は、(やれやれ、ここまで話を持ってくるのにかなり疲れましたね。後から奉行に経費&精神的疲労の慰謝料を請求しなくては・・・)と、考えながら、湯飲みを手に取り、蕎麦茶を一口飲んだ。
「おーい、コージおるんかァ?」
売ト者姿のトットリが返事を待たずに建てつけの悪い引き戸を引き開けると、コージは手に丼を持ち、深川飯を食っていた。
「居るんやったら、返事ぐらいするっちゃ」
と、トットリが言うと、
「なんじゃあ。わしは今飯を食うとるけぇ、物を口に入れたまま話すと行儀が悪いじゃろ?ところで、何の用じゃ」
と、丼と箸を手放さないままそう答えた。
トットリは勝手に上がりこみ、囲炉裏の前に座ると、
「仕事の話だっちゃ」
と短く言った。
コージは改まった顔になり、
「お奉行か?」
と訊くと、トットリは無言で顎を引いた。
「わしゃぁ、どうもあのお奉行は苦手じゃあ。できれば、関わりとうないのォ」
「そういうわけにもいかんがや。相撲を辞めてからは図面を盗賊に売り渡しとったお前が、こうしてカタギの大工に戻れたのもマジック様のおかげと言えばそれまでっちゃね」
「それは重々に分かっとるんじゃけど、わしは生き別れの妹を探しちょるけんのォ。もし、妹が見つかったら、危ないことには巻き込みたくないんじゃ!!」
「まァ、気持ちは分からんでもないっちゃ。ところで、根岸の方で盗賊に図面が渡っている妾宅とかの心当たりはないだらぁか?入れ替わりの激しい、今は空き家になっとる壁の高い家があればええんやけど」
コージは丼を置き、片手でガシガシと頭を掻いた。
「あ゛ーッツ!!いつになったら、おんしらと縁が切れるんじゃろうか!?・・・大坂屋の寮から少し離れたところに建っている、加賀屋が妾宅用に立てた別荘が条件に合うとるけぇの!多分、今は小隈屋が管理しとるが空き家のはずじゃあッツ」
トットリは懐から紙包みを取り出すと、コージに渡し、
「いつも、すまんっちゃ。―――僕も、この任務が終わったら、妹さんを探すのを手伝うわ」
「・・・縁切りたいとか言うてしもうて、すまんかったのォ。まぁ、おんしが悪いわけじゃないのは分かっちょるはずなんじゃが」
「今度、飯でも奢るっちゃね。でも、コージに飯奢っとったら、金がいくらあっても足りんわナ」
「おんしは、一応お役人様じゃろ?酒もつけんかい!!」
コージが笑いながらそう言うと、
「同心は、貧乏やから、勘弁してくれっちゃ!」
トットリは、下駄を掃き、土間に置いていた筮竹や台などを一纏めにした荷物を担ぐと、再び開きにくい戸を片手と足で開け出て行った。
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