トットリは、神田の古着屋街で任務に必要と思われる衣服を少々購入した後、両国に向かった。両国は、屋台や見世物小屋が立ち並んでおり、たくさんの人が行き交い、たいそう活気に溢れた様子であった。
持っていた卜占の荷物を道の隅で広げ、台の上に筮竹や暦などを置いた。
客足はほとんど無かったが、それでも、始めのうちは1人、2人と女性が立ち寄ったりもした。彼女らにコージの妹のことを聞いてみたが、一向に手掛かりは得られなかった。
ある時間帯を境に客足はパタリと途絶え、非常に暇になったので、トットリは本日はもう店仕舞いをしようかと思った。
「それにしても、暇だっちゃ・・・」
トットリが台の上に、頬杖をついていると、
「トットリじゃねェか。久しぶりだナ!こんなところで何してるんだ?」
と、トットリに声をかける者があった。
アラシヤマとシンタローは、茶店で落ち合った後、神田明神にまず参拝した。桃山風建築の壮麗な社殿が構えられており、お参りをする人々で辺りは混雑していた。
「やっぱり、一番お参りしとかなあかんのは、縁結びの神様でっしゃろ。ということで、大国さんどす~」
「俺は、厄除けに一番お参りしときたいがナ・・・」
「えっ?シンタローはん、なんや厄介ごとに巻き込まれてますの!?わてに一言も相談してくれへんとは、みずくさいどすえ?わてが力になりますよってー!!シンタローはんのためなら焼き豆腐の覚悟どす!!」
「・・・(ってゆーか、一番厄介なのはオマエだし)」
2人は一応全部の社殿にお参りし、その後、両国の方に向かった。
両国では、大道芸が盛んであり、豆蔵と呼ばれる曲芸師が撥を手玉に取ったり曲独楽を見せたりしていた。他にも、粟餅の千切り投げなどというものもあった。
「シンタローはん、駱駝とかいう変な動物が見られるみたいどすえ?」
「うーん、それよりも、楊弓にしねぇか?どっちの点数が高いか競争しよーぜ」
「(嬉しそうどすなぁ・・・)ほな、楊弓にしまひょか!!負けた方は勝った方に晩飯を奢るということで」
「よし!ぜってー、勝つ!!」
いつもより、アラシヤマの前で子どもっぽい様子を見せるシンタローに、アラシヤマは、
(かっ、可愛いおす~!今日のデートは大成功どす!!)
と、心の中で感激していた。
楊弓の後、シンタローとアラシヤマは、見世物の屋台などを冷やかして歩いたが、そろそろ夕飯を食べようかという頃合になったので、人波を抜け、神田の方面に足を向けた。
「さっきの豆蔵の、包丁と桶と卵の手玉芸のあの卵は本物かな?あんなに重さの違うものを同時に投げたり受け取ったりすんのは難しいんじゃねェか?」
「本物でっしゃろ。たぶん、最初は危険やないものを使って何遍も練習するんやと思いますえ?」
「フーン。道場の門人どもにも見習わせてェな!ったく、あいつ等すぐにサボりたがるし。おい、アラシヤマ。あれってトットリじゃねぇのか?」
アラシヤマには、トットリであると分かったが、(せっかくのデートが台無しになったら困りますしナ!)と思ったので、知らないフリをしようとした。
「さぁ。たぶん、よく似た別人やおまへんか?ほっといたらええんちゃいますの?」
「でも、トットリみたいだけど・・・。よし、確かめるゾ!!」
アラシヤマの制止を振り切り、シンタローはトットリの方に歩いていったので、仕方なくアラシヤマもその後を追った。
トットリは、シンタローに声を掛けられ、いささか驚いた。そして、さらにアラシヤマも一緒にいるのを見て目を丸くした。
「シンタローやないか。久しぶりだっちゃ。それにしても、何でアラシヤマと一緒に居るっちゃね?お前ら、そんなに仲が良かっただらぁか?」
「そんなことよりも、お前、今何やってんだ?同心じゃなかったのか?」
「シンタローはん、そんなこと、どうでもええですやろ?もう行きまへんか?」
と、アラシヤマはシンタローの着物の袖を引っ張ると、小声で言った。
その様子を見ていたトットリは、
「フーン」
と言うと、笑顔になり、
「ぼかぁ、今、易者をやっとるんだわ!中々中るって評判だっちゃわいな。シンタローに限り、今回特別に無料で診てやるっちゃ!」
そう、親切そうに言った。
「タダか・・・。なら、診てもらおうかな。でも、俺は占いは信じねぇゾ!」
「まぁ、聞き流しといてくれたらええわな。ということで、手。」
トットリは、自分の手を前に差し出し、シンタローに手を貸すように促した。すると、アラシヤマが、
「ちょっと、待っておくんなはれッツ!あんさん、その机の上の筮竹はなんですのん!?それで占うんやったら、何も手を握る必要はないですやろ!!」
と、異議を唱えた。
「うるさい男っちゃね。僕は、手相も見るんだわ。筮竹の方は時間が掛かるしややこしいから、料金も高いっちゃ!!」
「わてが払いますから、シンタローはん、筮竹の方にしときなはれ!!」
アラシヤマが決め付けるように言うと、
「何で、お前に一々ツベコベ言われねぇとなんねーんだヨ!タダで占ってくれるって、言ってんだからそれでいいじゃねぇか。ホラ」
そう言って、シンタローはトットリに手を差し出した。
「シンタローはーん・・・」
アラシヤマは、情けなさそうにそう言った。その様子を見て、トットリは一瞬、意地の悪い笑みを浮かべたが、それはアラシヤマしか見ておらず、トットリはすぐに真顔に戻った。
「どうやら、手相ということに落ち着いたみたいっちゃね。そげだぁ、診てみるわ」
そう言って、トットリは真剣にシンタローの手相を眺めた。
「占いを信じてないんやったら、あまり詳しい事は言わん方がええとおもうけど、とりあえず、シンタローは非常に珍しい手相だっちゃ。物事は、困難があっても悪い方向には進まんっちゃ。―――ただ1つ、困った事に、男難の相が出とるっちゃ」
「・・・普通、女難とか、水難じゃねェのか?」
「いーや、男難だっちゃ。思い当たることはないだらぁか?」
「そういや、最近、」
「シンタローはん!あんさん、結局信じてますやん!!そう易々と、他人の口車に乗ったらあきまへんえ?」
シンタローが何か考えようとすると、アラシヤマが横から声を掛けた。シンタローはムッとした様子で、
「別に、信じてねェし!」
と言った。
なんとなく、その場の雰囲気が刺々しくなりかけた時、背後から、
「おんしら、何しとるんじゃあ?」
という声と、
「ヤッホー!シンちゃん♪なんだか珍しいメンバーだね♡」
という声が聞こえた。
「そういう、あんさんらの方こそ、珍しい取り合わせどすな。グンマはんとコージはんの接点がわてには全くわかりまへんえ?」
と、アラシヤマが言うと、
「僕ら、偶然会ったんだけど、さっき一緒にカラクリを観てきたんだよ♪ものすごく細かい動きができていてすごかったけど、あれは、たぶん糸で操ってるんだよねぇ。アイデアはいいんだけど、耐久性の面から言うと、ちょっとなァ・・・」
と、グンマはさっき見たカラクリの構造について考え込んでいた。
「人形が生きちょるみたいで結構面白かったけぇ、おんしら、まだ観てなかったら、ぜひ観とくべきじゃぁ!のぉ、先生?」
コージは懐手をしつつ豪快にそう言った。
シンタローは、グンマに向かって、
「おい、グンマ。お前、そろそろ帰んなくてもいいのかヨ?あまり遅くなると、高松が捜索願を出すんじゃねェのか?」
と言った。
「やだなァ、シンちゃん。いくら高松でも、そこまで過保護じゃないよォ」
―――その場にいた他のメンバーたちは、全員、(そんなことはない)と思った。
コージが溜息をつき、
「ワシが先生を近くまで送っていくわ。トットリ、おんしも一緒に来んか?昼間のお礼になんか奢るけぇの」
「暇やから、行ってもええっちゃよ」
「シンタローとアラシヤマも来るか?」
「俺は今回パス。実家のやつらに見つかると色々とうるせーし」
「アラシヤマは?」
「わては、シンタローはんが行かへんのやったら、もちろん行きまへんわ」
トットリが卜占道具を片付けるの待ち、挨拶を交わすとそれぞれ思う方向へと歩き出した。
アラシヤマは、シンタローと並んで歩きながら、
「シンタローはん、やっと2人きりになれましたナ!」
そう言うと、
「何言ってんだ?それよりも、晩飯はお前の奢りだからな!」
とシンタローはにべもなく答えた。
「あ、あれは、あんさんズルイどすえ~!!弓を引くとき、腕まくりしてましたやろ!!色仕掛けは反則どす!!動揺して撃てまへんでしたえ?」
「色仕掛け?動揺??さっきから、分けわかんねぇ言い掛かりばかりつけてんじゃねェッツ!とにかく、負けは負けだからナ!!潔く認めろヨ」
「奢るのはべつにええんどすが、やっぱり、心配でたまりまへんな・・・。どこまで信用してええもんか分かりまへんけど、忍者はんも、シンタローはんには男難の相が出てるいうてましたし。これは道場破りの3人の闇討ち決定ですやろか・・・」
「何、1人でブツブツ言ってんだヨ?とっとと行くぞ」
「シンタローはーん、何か食べたいものがおますか?」
「うーん、桜飯は?ふろふき大根とかもいいな」
「ほな、ちょっと足を伸ばして叶屋まで行きます?」
「そうだな」
2人はしばらく無言で暗い夜道を歩いていたが、不意に、アラシヤマが、
「あーっ!すっかり、忘れとりました!!」
と叫んだので、シンタローは驚いた。
「驚かせんじゃねェッツ!!」と言って、シンタローはアラシヤマを軽く殴ったが、
アラシヤマは、痛いとも言わず、
「シンタローはん、手を貸しておくんなはれ」
とのみ、言った。
シンタローは、(分けわかんねぇ)と思ったが、何となく(まぁ、別にいいか)と思ったので片手を差し出した。
アラシヤマは、シンタローの手をギュッと握ると、
「今日は、色々ありましたけど、大体は、ええデート日和でしたな!」
と、笑顔で言った。
シンタローは、眉をしかめつつ、
「デートじゃねェけど。でも、まァ、一応は楽しかったな。ところで、そろそろ手、離せヨ!」
「嫌どすえ~。真面目な話、もうちょっと、こうしといてくれまへんか?わて、昔から一回も友達と手を繋いだ事ないんどすわ」
茶化したようにそう言うアラシヤマの顔の方を見、シンタローは一瞬何か言おうとしたが、少し迷った末、結局口をつぐんだ。
「・・・店に着くまでだからナ!!」
シンタローが、いかにも渋々といった様子でそう言うと、
「嬉しおす」
アラシヤマは、少し笑って、シンタローの手を大切そうに両手で包んだ。
2人はしばらくそうしていたが、不意に、シンタローは手を振り払うと、
「・・・やっぱ、気が変わったかも」
先に歩き出した。
アラシヤマは、
「そない、殺生な~!シンタローはーん!!」
と言いつつ、慌てて後を追った。
2人が路地を曲がり、その姿が完全に見えなくなると、灯のついていない常夜灯の影から黒猫が道に飛び出し、辺りを窺った。
やがて、猫の姿も見えなくなり、路地には生き物の気配が全く感じられなくなった。
その後、今まで姿を隠していた月が雲から出て、静かに人気のない路地を照らしていた。
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トットリは、家に帰ると易者の格好に着替え、コージとの待ち合わせ場所である丹波笹屋に向かっていた。丹波笹屋は、江戸には珍しい鹿肉や猪肉などの獣肉を専門に扱う鍋物料理店であった。
トットリが丹波笹屋の暖簾を潜ると、既にコージが座敷に座って紅葉肉の刺身で酒を飲んでいた。
「おお、先に来ちょったぞ!遅かったのォ」
コージがトットリに向かって手を挙げ、場所を知らせると、トットリは易者の道具を入り口の方に置き、
「朝から、ちょっと野暮用があったんだわや」
と言いながら、コージの向かい側の席に座った。
「ここは、確か山鯨鍋が有名っちゃね。コージもそれでええだらぁか?」
「ワシはなんでも食うけんのォ。好き嫌いが無いのが自慢なんじゃ!」
「そんな感じがするわな」
トットリは、山鯨鍋を注文し、改めてコージの方に向き直った。
「それで、聞いときたいんやけど、妹さんを探す算段はどうなってるんだっちゃ?」
コージは、一言、
「手掛かりは無い」
と言った。それを聞いたトットリは、呆れた顔をし、
「そんなんで、よく探そうという気になるっちゃね」
とコージに言うと、
「全く無いという訳ではないんじゃが、国元の奴に聞いたところによると、どうも江戸に出てきとるみたいなんじゃ。小さい頃に生き別れたきりじゃけぇ顔もよう分からんけど、たぶん、ワシに似て美人じゃろ!!あと、確かワシと同じ形の痣があるはずじゃあ」
そう言って、コージはトットリに「これじゃ」と痣を見せた。
トットリは、しばらく考え、
「うーん、美人かどうかはともかく、まず、コージに似とる娘さんやナ。言葉もたぶん同じだっちゃわいな。それにしても、痣というのは、顔とか手とか普段目に見える所にあったらええけど、もし、着物の下とかだったらどうするっちゃ?妓楼に行ってもええけど、通う金も暇もないわ」
と言った。
コージは渋面になり、
「妓楼には、できればいてほしくないのォ。でも、今おんしに言われて気づいたんじゃが、そういう可能性も捨てきれんの。おんしには、街中での情報収集の際に、それとなくワシの妹のような娘を見かけたり、何か手掛かりを聞いたりしたら、それをワシに教えて欲しいんじゃ」
「それやったら、協力できるっちゃ。まぁ、あまり期待せんといてくれっちゃ」
トットリがそう答えると、コージは、明るい顔になり、
「スマンのォ!おんしが協力してくれると大助かりじゃア。ワシにとって妹は、たった一人の肉親じゃけん、見つけたら、今までの分まで色々と面倒をみてやりたいのォ」
「見つかるとええわな」
その時、丁度、料理が板場の方から運ばれてきた。店員は大鍋を下げてきたが、鍋の中では、葱や白滝や、ボタン肉などが、美味しそうな具合に煮えていた。
「・・・肉ばっかり食べんと、葱も食べるがや」
「やっぱり、ボタン鍋は肉が美味いのォ」
「少しは、遠慮しろっちゃ!!」
トットリとコージは、小競り合いをしながら鍋を食べ終え、トットリが勘定を払い、店の外に出た。
「ご馳走様じゃあ」
「これから、コージは、どうするだぁか?」
トットリがそう聞くと、
「ワシは、妹を探しに行くけぇ。妓楼の方にでも行ってみようかの。おんしは?」
「僕は、両国とか人の多い場所に行ってみるっちゃ。丁度、易者の格好しとるし、情報が集めやすいと思うわ」
「くれぐれも頼んだけぇ。じゃあの」
「ああ、またナ」
2人は、お互い軽く手を挙げると、それぞれ別の方向に向かって歩き出した。
コージは、なんとなく、吉原の方角に向かって歩き出した。吉原には、力士時代何度か行った事があったので、馴染の芸妓に聞いてみようと思ったのである。町中の人通りの多い、通りを歩いていると、不意にコージの目は、今にも財布を掏り盗られようとしている十徳姿の若者を捉えた。
自分にも後ろ暗い部分があるので、知らない人間だと係わり合いになりたくないと思ったが、生憎、相手はあながち知らない相手ではなかったので、仕方なく、コージは逃げようとしている掏りの老人を追いかけるとその手首を掴んだ。
老人は、巨漢のコージの登場に、青くなった。コージが小声で、
「今、あの兄ちゃんの財布を掏ったじゃろ?あれは一応ワシの知り合いなんじゃ。それを返すと、見逃してやるけぇの」
と、老人に言うと、老人は震える手で財布を差し出した。
コージが老人を放すと、老人は一目散に逃げていった。
(ワシ、柄にも無く何やっとんじゃろ)
と、思いながらも、コージは十徳姿の若者に声を掛けた。
「先生、これに見覚えはないかの?」
「あっ!それって、もしかして、僕の財布?どうして、コージ君が持ってるの??」
「さっき、掏りに掏られちょったんで、ワシが返してもらってきたんじゃが」
「わァ、ありがとー♪何でか、僕って、よく財布とか掏られちゃうんだよね」
グンマはコージから財布を受け取ると、大事そうに懐に仕舞った。
(そりゃー、先生は、金持ちそうで、おまけに何も考えず暢気に歩いているように見えるからの。ワシが掏りじゃったら勿論、いいカモじゃ思うし)
と、コージは思ったが、口には出さなかった。
「コージ君、何処かへ行くところだったの?もしよかったら、お礼に何か奢らせてよ♪」
コージは、少し考え、(まぁ、いいじゃろ)と判断した。
「それじゃあ、お言葉に甘えようかのぉ。ところで、何処の店に入るんじゃ?」
「じゃあ、あそこの汁粉屋に行かない?あそこの汁粉は美味しいんだよ~♡」
そう、グンマは言うと、コージを引っ張って、「しるこ餅 代十二文 そうに せんさい」と書かれた看板の置かれている店に向かった。
2人はグンマお勧めの汁粉を頼んだ。待っている間、コージは、特にグンマと共通の話題が思い浮かばなかったので、少々居心地が悪かった。そこで、グンマが何処にいく最中であったのかを聞いてみることにした。
「ところで、先生は何処へ行く途中だったんじゃあ?」
「え、僕?僕は、吉原から帰るとこだったんだヨ」
コージは非常に驚いた。
「えっ!?先生が吉原通い??―――それは、意外じゃのォ」
「うーんとね、妓楼の主人に頼まれて時計の修理に行ったの。櫓時計と枕時計なんだけど、どっちも調整が必要なんだよネ!本当は高松が頼まれたんだけど、歯車とかカラクリが知りたかったから、僕が高松に頼んで行かせて貰ってるの♪」
屈託なく話すグンマに、コージは頭を掻き、
「それならワシも、腑に落ちるわ」
と苦笑しながら言った。
汁粉が運ばれてきたので、2人は黙って汁粉を啜っていたが、ふと、グンマが椀を置き、
「コージ君。僕ねぇ、自分で動く大きいカラクリを作りたいんだ」
と言った。
「自分で動くカラクリ?」
「うん。そしたら、危険な場所での作業とかそのカラクリに任すことができるでしょ?」
「何だか、夢のような話じゃのォ。先生、聞いてもええもんか判らんけど、実現できそうなんか?」
「うーん、理論は考えてるんだけど、実際に作るのはなかなか難しいよ」
「そうなんか・・・」
それきり、沈黙になってしまったが、しばらくしてコージが、
「そうじゃ、先生!今、両国の見世物で、自分で弓を手にとって引いて的に当てるカラクリ人形が評判になっとるんじゃけど、参考にならんかの?」
「えッツ、そんなのがあるんだ?見てみたいなぁ」
「じゃあ、今から見に行かんか?未来の大先生にちょっとでも貢献できたらワシも嬉しいけぇの!」
「ありがとう!それじゃ、さっそく見に行こうよ♪」
2人は、汁粉を食べ終わると、両国の方に向かった。
継裃を着たアラシヤマが、報告のためマジックの役宅を訪ねると、用人のチョコレートロマンスが、
「お奉行が来られるまで、もう少々時間がかかるかと思いますので、竹の間でお待ちください」
と、アラシヤマに言った。
アラシヤマがチョコレートロマンスの後からついていき、チョコレートロマンスが障子を開けると、そこにはやはり礼装の継裃を着たトットリが座っていた。トットリはアラシヤマを見ると、少々嫌そうな顔をした。
「それでは、失礼致します」
そう言って一礼し、チョコレートロマンスが去っていったので、アラシヤマは仕方なく、トットリの横に置かれていた座布団の上に座ったが、
「何で、アラシヤマが居るんだらぁか?」
「何で、って言われましても。わてはお奉行に呼ばれて来たんどす。そういう忍者はんこそ、何でここに居るんどすか?」
「僕も、マジック様に呼ばれて来たっちゃ。それにしても、今日は縁起が悪そうだっちゃ・・・」
「・・・あんさん、さりげなく座布団の位置を離してはりませんか?」
「ぼかぁ、細かい事を一々いう奴は、好かんっちゃ!」
「それは奇遇どすな!わても、笑顔で嫌味を言うお人は、好きやおまへんナ」
その場には一瞬、険悪な雰囲気が漂ったが、ほどなくして障子が開き、奉行のマジックが入ってきた。
「やあ。待たせたね」
そう言いながら、マジックは上座に座ると、2人に向かって、
「今回の特別任務、2人とも御苦労であった。おかげで何とか事は滞りなく収まった。明日からまた通常通りの任務に戻ってもらうが、これからもこのようなことは度々あると思うので、よろしく頼む」
と声を掛けた。
2人は頭を下げて聞いていたが、トットリが、顔を上げ、
「お奉行様、また、アラシヤマと組まんとだめなんだぁか?できれば、それは遠慮したいっちゃ!どうせ同心と組むならミヤギ君とは息も合ってて、やりやすいんやけど」
そう言ったが、マジックは、
「ミヤギは、隠密廻り同心じゃないから駄目だよ。隠密廻り同心は君たち2人だから、お互い協力し合うように」
あっさりと答え、ティラミスが持ってきた三宝に載せた小さい包みをそれぞれ2人の前に置いた。
2人がそれを受け取ると、マジックは、
「じゃあ、今日はもう帰っていいよ。詳細はまた追って連絡するからね」
と言うと立ち上がり、部屋を出て行った。
残されたアラシヤマとトットリであったが、アラシヤマはふと、口を開き、
「あんさん、自分がプロやいう自覚、ありまへんのか?いくらわてと組むのが嫌でも、それは任務上でのことで、我慢せなあかんことやろ。あの場でお奉行に言うべきことや無いと思いますえ」
そう淡々と言った。
トットリは、図星を突かれたようで一瞬言葉に詰まったが、
「・・・そんなこたぁ、僕もわかってるわな。でも、お互いに信頼できん人間同士が任務に当たると、いつどこで失敗するかわからんっちゃ。今回は、アラシヤマと組む比重が少なかったけど、いつもそうとは限らんし」
トットリがアラシヤマの方を見ずにそう言うと、アラシヤマは、
「それは、ただの我侭どす。結局、あんさん次第や思いますえ?」
刀掛けに掛けられていた刀を持って立ち上がり、
「ほな、お先に失礼しますわ。まァ、当分はあんさんと会うことも無いと思いますし、大丈夫ですやろ」
と言って退出した。
部屋に一人残されたトットリは、
「・・・ぼかぁ、やっぱり、アラシヤマは好かんだっちゃ」
眉間に皺を寄せ、腕を組んで呟いた。
役宅の門を出たアラシヤマは、家路へと道を急ぐすがら、先程のことを思い返してみたが、
(あの忍者はんは、どうもわてのことが嫌いらしいどすけど、別にわては嫌われる事をしたような覚えはありまへんえ?ま、相性が合わんいうたらそれまでどすな!そんなことよりも、急がんとシンタローはんとの待ち合わせの時刻に遅れてしまいますわ。遅れたらシンタローはんは待っててはくれまへんやろし・・・)
結局、シンタローとの待ち合わせの事に気を取られ、すぐにトットリとのちょっとした諍いについては忘れてしまった。
アラシヤマは家に着くと、着流し姿に着替え、家を出た。
(明神さんへお参りに行くのはええんどすけど、その後、何処へ行きまひょか・・・。やっぱり両国あたりですやろか?シンタローはんにも訊いてみまへんとナ)
あれこれ思いつつ歩いていると、いつの間にか道場近くまで来た。
「まさか、シンタローはんはまだ来てまへんやろな・・・」
そう思いつつ、角を曲がると、茶店の外に置かれた長椅子にシンタローが座っていた。シンタローはアラシヤマを見つけると、
「遅い」
と、一言言った。
アラシヤマは、冷や汗を掻きつつも、
「えろうすんまへん。朝から少々野暮用がありまして。それにしても、シンタローはんの方が先に来てくれとるとは、わて、夢にも思いまへんどしたわ。あっ、もしや、シンタローはん、わてとのデートをそんなに楽しみにしてくれてはったんどすか!?う、嬉しおす~vvv」
「んなわけねェだろ!ただ、今日は朝から道場破りの馬鹿が3人も来やがって、揃いも揃って全員俺を指名しやがるから、ボコボコにしてやった。そいつら、念友がどうとか言ってたけど、一体何なんだ?売られた喧嘩は基本的には買うけど、昼からもそんな奴等ばかりが来たらウゼェから、後はリキッドに任せて逃げてきた」
ふてくされたように言うシンタローを見ながら、アラシヤマは、少々引き攣った笑顔で「そうなんどすかー」と相槌を打っていたが、心の中では、
(シ、シンタローはん!そいつら、全員、あんさんに下心がある連中どすえ!!よりにもよって念友になってくれやなんて、わてかてシンタローはんにそんなこと言った事おまへんのに!!!・・・そいつら全員、後で始末しておいた方がええですやろか?うーん、でも一応、私闘は禁止されとりますしな。やっぱり闇討ち?まぁ、しばらく様子を見て、シンタローはんに付き纏うようやったら考えなあきまへんな。―――それにしても、シンタローはんはやっぱり全然分かってへんみたいどすなぁ・・・。これは、前途多難そうやな)
などと、考えていた。アラシヤマが色々と考えていると、
「でっ、今日は何処に行くんだ?」
と、シンタローが座ったままアラシヤマを見上げていた。その様子は心なしか少し嬉しそうであった。
(かっ、可愛いおすー!!)
アラシヤマが感動していると、シンタローは不審気な顔つきでアラシヤマを見た。アラシヤマは、慌てて我に返り、
「今日は、両国とか神田の方に行きまへんか?色々と面白いものがあると思いますえ」
と言うと、シンタローは、
「おう」
と言って、長椅子から立ち上がった。
暮六つの頃、アラシヤマは、最近すっかり板についた貧乏浪人の着流し姿で、指定された場所まで歩いていく途中であった。
「根岸まで行かなあかんのどすか?それは別にええんやけど、用心棒やったらこれから一日中立ってなあきまへんのやろ?面倒でおます~」
そう、ブツブツと言いながらも、指定された家の灯りが見えてくると、同時に三味線の音も聞こえてきた。
(しかも、囲い者のお妾さんのはずが、その正体は武芸者の男やて?いくら任務のこととは言え、張り合いがおまへんなぁ・・・。シンタローはん以外の男を守るやなんて寒気がしますな!それにしても、狼連役の連中は、面白うないですやろうなぁ・・・。相手が美女やったらいざ知らず、美女でも何でもない男を美女と偽って噂を流さなあかんやなんて無理がありますやろ。あっ、そういや、他人事やのうてわてもそうせなあかんのどしたな。仕事とはいえ、えらい、気がすすみまへんが)
アラシヤマはそう思いながらも、三味線の稽古が終わり、狼連役の連中が外に出てくるのを待った。
「今回のこの役は、本当に役得ですなぁ・・・」
「拙者、ファンクラブがあれば入りたい・・・」
「稽古に通うのが楽しみですな!三味線の稽古は厳しいけど、あの色気には・・・」
などと、連中は話しながら去っていったが、物陰から様子を伺っていたアラシヤマは、彼らの様子に非常に驚いた。
(な、何ですのん!?この連中・・・。てっきり、ガッカリしてるものやと思ってましたのに)
不気味に思いつつも、繋ぎをつけるために、教えられた通りに裏口の戸を3回叩くと、足音が聞こえ、木戸がゆっくりと開いた。
アラシヤマは、戸を開けたシンタローを見て、非常に驚き、言葉が出てこなかった。
シンタローの方も、用心棒役がアラシヤマとは聞いていなかったらしく驚いた様子であったが、アラシヤマよりも立ち直りが早く、彼の腕を引き、木戸の内に引き入れた。
「な、な、何でッツ、シンタローはんがここに居るんどすかぁ!?しかも、何で女物の服をッツ??これって、わての夢!?」
アラシヤマは、混乱しつつも、小声でそう聞くと、それは、シンタローには触れられたくないことであったらしく、
「夢じゃねぇし、何で何でってうるせェッツ!!俺だってスッゲー、嫌なんだけど、親父がいつ奴等が来るか分からねぇから着てろっつーんだよッツ!!」
と、まず、アラシヤマを殴ってから、これまた小声で答えた。
「い、痛うおま・・・」
と、アラシヤマは、殴られて正気に返ったようであったので、とりあえず、シンタローはアラシヤマを家の中に入るように促し、稽古場として使用している部屋に案内した。
三味線や撥が先程の稽古に使ったまま置いてあったので、シンタローが稽古時に座っていた所に再び座ると、アラシヤマはその対面に座った。
アラシヤマはシンタローをボーっと見ながら、
「シンタローはん、そういう着物、似合いますなぁ・・・。女とは違いますが色っぽうおます。って、あんさん、何て格好してはりますのー!!」
「へ?何が??」
「そういう着物で胡坐かいたら、足が見えますやろ!!あっ、鼻血がでそうどす。まさか、あんさん、さっきの連中の前でも・・・」
「男の足が見えたからって、何だっていうんだよ!?一々文句つけてんじゃねーよ!!」
「―――もうちょっと、危機感を持っておくんなはれ。何かがあってからやと遅いんどすえ?」
溜息を吐きながらアラシヤマはそう言ったが、
「何かって、何だヨ!!さっきから、わけ分かんねぇことばかり言ってんじゃねぇッツ!!」
シンタローは手近にあった三味線の撥をアラシヤマに向かって投げつけた。
撥の柄がアラシヤマの額にゴスッと当たり、
「な、何しはりますのんッツ!!ア痛タタ・・・」
アラシヤマは、柄が当たった箇所を手で押さえながら、
「絶対、跡が赤うなってますって、コレ・・・」
と情けなさそうに言った。
「そんなのは、どうでもいいから、とにかくこの状況を説明しろヨ!!親父からは、夜、此処に用心棒として訪ねてくる奴から聞けって言われたゾ?」
「えっ?あんさん、きいてへんの??とりあえず、明日からわてらがある町内に噂を流しますさかい、その噂が町内に広まるまで大体5日ぐらいどすな。賊は、この家の図面を持っていることと、捕まってないことに天狗になって奉行所を馬鹿にしてますさかい、おそらくすぐに行動を起こして10日目前後には来ますやろ。わては、この近辺の家から朝ここに通ってきて、夜に狼連が帰るまで門の前に立ってます。その後は、後をつけられんようにしてここに戻ってきますわ」
「俺は?」
「ここは塀が高うおますさかい大体は普通にしといてくれはったらええんどすが、ただし、絶対に敷地外へ出たらあきまへん。何か要るものがあったらわてか狼連の連中に言うてください。賊が2人おりますが、婦女暴行をしとるんは首謀者の男だけどす。賊の動きは大体こっちで見張ってるんで、繋ぎが来たら家全体に例の香を焚きます。わてらはドクターが作った解毒剤を飲んどかなあきまへんな。ほんまに効き目があるんか分かったもんやおまへんが。まァ、賊には香の効果で女物を羽織ったあんさんが女性に見えとるはずやから、油断させて、できれば捕まえておくんなはれ。お奉行の話やと、捕まえるのが無理そうやったら始末してもうてもええそうどすが」
「ぜってー、捕まえて、今までやってきたことを後悔させてやるッツ」
「シンタローはん、武器は?」
「小柄と木刀」
「刀は要りまへんの?」
「刀を使うと、殺しちまうかもしんねェダロ?あくまで、捕まえることが目的みたいだし」
「まァ、シンタローはんやったら大丈夫や思いますが」
「あったりめーだ!」
シンタローがそう言うと、アラシヤマは頷き、
「ほな、わては今日は帰りますが、明日からここの雇われ用心棒やさかい、よろしく頼みますえ?」
と刀を持って立ち上がり、部屋を辞した。
シンタローも立ち上がってアラシヤマを玄関先まで見送り、
「しっかり働けヨ」
と言った。
アラシヤマは、非常に不機嫌であった。何故なら、自分はシンタローに会えないまま、ほぼ1日中門の前に立っているのに比べ、狼連の連中は非常に楽しそうだからである。
狼連が実感を込めて語ったおかげか、噂は順調に町内に広がり、現在、「根岸の妾宅には金持ちのご隠居に囲われている美人で鉄火肌の三味線の師匠が居る」という評判でもちきりであった。その美女が稽古以外では中々姿を見せないということも人々の興味を引いてはいたが、その町内は根岸からは遠かったので、わざわざ見に来てやろうという物好きは居なかった。
(こんなに近くに居るのに、こんなんやったら、会ってへんのと一緒ですやろ)
そう思ったが、ただし、シンタローの手作りの料理を食べられるという小さな幸せもあった。
(シンタローはんは、料理が上手どすなぁ・・・。今日のお昼は何を作ってくれはるんやろか)
と、少々夢の世界に行きかけたアラシヤマであったが、ふと、道の前で妾宅を窺う不審な老爺に目を止めた。一見、普通の通行人のようであったが、アラシヤマの目からすると、常人にしては隙がなさすぎた。
宵五つの頃、狼連が全て帰るのと同時に、アラシヤマも帰る振りをし、連絡役と繋ぎをつけると再び妾宅に戻ってきた。
奥の部屋で寝ているシンタローに近づき、
「シンタローはん、起きておくんなはれ」
と声を掛けた。
シンタローは、すぐに目を覚まし、
「来たのか?」
と言った。
「いえ、まだどすが、たぶん明日の夜来ます。今日は、家の周りを不審な老爺が窺ってました。たぶん、賊の一味どす。年寄りの方は用心深そうどすけど、若い方は思慮が浅そうですな。おまけに、年取った方の忠告はどうも聞いて無いみたいどすえ?だから、明日か明後日には来ますやろ」
2人は明日の段取りをもう一度確認し直した。
次の日の夜、狼連の連中が帰ると、2人は解毒薬を飲み、家中に香を焚いた。お香は少し花の香りがしたが、それはほんの僅かであったので家中に炊いても違和感は無かった。
シンタローは、稽古に使われる部屋に布団を敷き、アラシヤマは奥の部屋に控えた。
夜九つの頃、勝手口の方から微かに物音がし、2人の黒い人影が入ってきた。
若い方の人影は、寝たふりをしているシンタローの顔を持っていたカンテラの光で照らすと、
「噂は当てにならないと思っていたが、予想以上の上玉だな・・・」
と呟いた。
「若、また悪い癖をお出しになるおつもりですかい?さっさと殺っておしまいなせぇ。女を生かしておくと、何処からアシが着くかわかりませんぜ?」
と年老いた方の影は嗜めるように言った。
「煩いっ!お前は早く金目の物を探してこい!!」
と、若い方の影が苛立ったように言うと、年老いた方の影は諦めたように溜息を吐き、奥の部屋へと向かった。
奥の部屋に向かった老盗が襖を閉め部屋に入ると、気配を消して襖の近くで待ち伏せていたアラシヤマが、手刀で老盗の首筋を強打し、一瞬動けなくなった老盗にすかさず当身を喰らわせた。気を失ってその場に崩れ落ちた老盗に猿轡をかませ、袖口から出した捕縛縄で逃げられないように縛り上げた。この間の一連の動作は音を立てずに行われたので、襖の向こう側に気取られた様子はなかった。
「あんさんには後々、色々と喋ってもらわなあきまへんからな・・・」
そう小声で言うと、アラシヤマは襖を開け、稽古場へと入った。
老盗が部屋から出て行った後、若い方の影はシンタローの着物の袂を肌蹴ようと手をかけたが、その手をシンタローは掴み、起き上がり際に盗賊を投げ飛ばした。
「なっ、何だ!?」
投げ飛ばされた盗賊は非常に驚き慌てたが、体勢を立て直し、匕首を引き抜くと
「やあっ!」
と気合声を発し、シンタローの方に向かってきた。
シンタローは、布団の下に置いてあった樫の木でできた木刀を取り出すと、下段に構え素早く正眼に構えなおすと向かってきた賊の腕を木刀で打った。
鈍い、骨の折れるような音がし、
「ぎゃあっつ」
賊は呻き、持っていた匕首を思わず取り落とした。
「口ほどにもねぇ」
と、シンタローが蹲って手を押さえている賊を見下ろすと、
「お見事」
背後からアラシヤマの声がした。
「さすがはシンタローはんどすな!後はわてにまかせておくんなはれ」
アラシヤマはそう言うと、捕縛縄を賊にかけ、賊を縛り上げた。
アラシヤマは賊を縛ると、一旦暗闇の中に消え、2人の捕り方を連れて戻ってきた。捕り方は、シンタローに向かって、
「失礼」
と会釈をして、部屋に上がりこみ、奥の部屋から気絶している老盗を2人掛かりで引き立てると、再び一礼をして出て行った。
「何だよ、あいつ等?」
と、シンタローが言うと、
「お奉行はんの部下どすえ~。まぁ、こっから先はあまり気持ちのええ話やおまへんな。わて、あれを見た時には悪い事はするもんやないと背筋が寒うなりましたわ」
と、飄々とした調子で言い、ヘラっと笑った。
「さて、シンタローはんとこのままずっと話していとうおますけど、わてにも仕事がありますさかいな。あっ、そうや!明後日、明神さんへ一緒にお参りにいきまへんか?この前はそんなにゆっくり会えへんかったし」
「・・・行ってもいいゼ」
シンタローがそう答えると、アラシヤマは、非常に吃驚した様子で、
「えッツ!?ほんまどすかぁ?わての聞き間違いやのうて!?」
と、非常に嬉しそうであった。
「やっぱ、今のナシ」
その様子を見ていてなんとなくムカついたシンタローがそう言ったが、アラシヤマは、
「嬉しおす~!!シンタローはんとデートどす~♪ほな、待ち合わせは、昼八つにまた道場近くの茶屋で!」
―――全く聞いていない様子であった。
「デートじゃねェからなッツ!!」
シンタローは、そう念を押したが、アラシヤマは適当にハイハイと返事をしながら、盗賊を縛っている捕縛縄の端を持つと、
「今からシンタローはんと別れてこんなムサイ男と道行きやなんて、非常に嫌でおますが、仕事やから仕方おまへんな。ほな、シンタローはん、明後日お会いするのを楽しみにしとりますさかい!!」
そう言って、草履を履くと、賊を引っ立て木戸から出て行った。
それを見送っていたシンタローは、(もしかして、あんな約束しない方がよかったか?)と少々後悔しながら溜息を吐いた。
賊は、アラシヤマ1人のことであるし、隙あらばいつでも逃げ出そうと考えていたが、そのアラシヤマには隙が見当たらなかった。
後ろ手に縛られたまま、アラシヤマに縄の端を持たれて、川沿いまで出たとき、不意に、縄を放された。
非常に驚いた賊は、
「!?」
と、状況が把握できずに呆然とした後、我に返って逃げようとしたが、アラシヤマが太刀の鯉口を切ったかと思うと、その一瞬後、賊は頚動脈を撥ね切られて前のめりに倒れ伏した。
「せっかくシンタローはんが助けた命やけど、もともとこういう筋書きになっとったんどす。悪う思わんと成仏してや。まァ、どっちにしろ地獄行きやろうけど・・・」
アラシヤマは、刀に付着した血を拭い、刀を鞘に収めながら無表情に呟いた。
何所からともなく黒衣の人物が現れ、大八車に息絶えた賊を乗せ、薦を被せると再び闇の中に消えていった。
「いくらわてでも、流石に明日すぐにはシンタローはんに会えまへんな・・・。わても、死んだら地獄行き確実どすわ」
そう言うと、アラシヤマは橋を渡り、仮住まいの我が家へと向かって歩き出した。
そろそろ時は暁七つの時刻となり、夜蕎麦売りの屋台の風鈴の音も路地裏に消えていった。
空が白み始めるのを待たずに、石町の鐘が寝静まる江戸の町に響き渡り、新たな一日の始まりを告げた。
三河屋の2階座敷で、高松とシンタローは、向かい合って座り、天麩羅蕎麦を食べていた。
もう既に昼八つの時刻であり、2階席は1階席よりも値段が高かったので、2人の周りには客は居なかった。
蕎麦を食べ終わったシンタローは箸を置くと、
「でッツ!話って何だよ?」
と、高松を睨み付けながら言った。
高松も箸を置くと、
「シンタロー様は、近頃、江戸に出没している凶盗の噂はご存知ですか?」
と、改まった様子で訊いた。
「知らねぇナ。親父の仕事には首を突っ込まねぇことにしてるんだ」
と、にべも無い様子で言った。高松は、身を乗り出し、
「マァ、知らなくても無理はありませんね。世間には広まっていないはずのことですし。これは絶対に内密にしてほしいのですが、今、江戸の街には、弱い立場の者を狙った、非常に卑劣な悪党が横行しているんですよ。・・・妾宅を狙った婦女暴行強盗殺人です。死んだ妾達は妾宅という事もある手前内々に葬られますし、生き残った彼女たちは、表沙汰になることを非常に恐れて、でも、非常に悩んだ末、マジック様が設けた“人には知られたくないけど解決して欲しい悩みを訴える目安箱”に匿名で手紙を投じたんです。マジック様は、前々から隠密廻りを使ってその調査をなさっていましたが、相手は利口な奴等でなかなか尻尾を出しません。でも、調査の結果、粗方、様相が分かったので、今回、一気に誘き出して決着を着けることを決断されたんです。それには、ぜひ、シンタロー様のご協力が必要なんです」
そう、真剣な顔で言った。
シンタローは、話を聞いた後、しばらく黙っていたが、
「分かった。そんな卑劣な奴等は許しておけねェ。それで、俺は何をすればいいんだ?」
と言うと、高松は、ホッとした様子で、
「ご協力してくださるんですね!?男に二言はありませんよね??」
「くどいッツ!とっとと言えよ!!」
「では、まずは、シンタロー様の武芸の術を見込んでのお願いなのですが、シンタロー様には“囮”になっていただこうかと思います」
「フーン。囮・・・って、オイッツ!!狙われているのは妾ダロ!?俺に女装しろってことかヨ!?ぜってー、ヤダッツ!!それに、どうやったって俺は女に見えねぇと思うし」
「・・・もともと、捕り物に女性を使う事は禁止されていますし、例外としても今回の任務の囮役を女性にすると危険なんですよ。相手はなんにしろ不気味な奴等ですし、万が一にも女性を危険にさらすわけにはいけません。女性に見えるかどうかということは、心配ご無用ッツ!!そのために、この長崎で入手した曼陀羅花の香を焚くのですから。これがあれば、相手の思い込みがあるきっかけによって引き出され、幻覚が見えるんです。この場合、きっかけは女物の服装ということになりますので、女物の着物を着ていただくことは仕方がないのですが、シンタロー様の武芸の腕を見込んでのことなのですよ。人助けだと思ってお願いします!!」
そう、高松は頼み込んだ。シンタローは、どうしようかと迷っているようであったが、不意に、
「別に、俺じゃなくてもいいんじゃねぇの?腕の立つ奴は、与力とか同心の中にもたくさん居るだろ?」
そう言った。
高松は、
(気付かれましたか・・・。まぁ、シンタロー様を女装させるという趣向はマジック様の趣味というか遊びですし。中々、シンタロー様も鋭いですね。でも、まだまだですねぇ)
と心の中で思いつつも、何食わぬ顔で、
「これは、極めて私的な件なので、秘密を知るものが少なければ少ないほど良いんですよ。信頼できる相手というのも限られていますしね。中でも、一番腕が立つのはシンタロー様とのお奉行のご判断です。あっ、言い忘れていましたが、一応、三味線の女師匠という設定なので、三味線が弾けないと駄目なんですよ。シンタロー様は弾けるでしょう?」
と、シンタローに言うと、シンタローは反論の糸口を失ったようで言葉に詰り、
「しょーがねーな。女装でも何でもやってやるよ!!」
と、半ばヤケ気味に了承した。
高松は、(やれやれ、ここまで話を持ってくるのにかなり疲れましたね。後から奉行に経費&精神的疲労の慰謝料を請求しなくては・・・)と、考えながら、湯飲みを手に取り、蕎麦茶を一口飲んだ。
「おーい、コージおるんかァ?」
売ト者姿のトットリが返事を待たずに建てつけの悪い引き戸を引き開けると、コージは手に丼を持ち、深川飯を食っていた。
「居るんやったら、返事ぐらいするっちゃ」
と、トットリが言うと、
「なんじゃあ。わしは今飯を食うとるけぇ、物を口に入れたまま話すと行儀が悪いじゃろ?ところで、何の用じゃ」
と、丼と箸を手放さないままそう答えた。
トットリは勝手に上がりこみ、囲炉裏の前に座ると、
「仕事の話だっちゃ」
と短く言った。
コージは改まった顔になり、
「お奉行か?」
と訊くと、トットリは無言で顎を引いた。
「わしゃぁ、どうもあのお奉行は苦手じゃあ。できれば、関わりとうないのォ」
「そういうわけにもいかんがや。相撲を辞めてからは図面を盗賊に売り渡しとったお前が、こうしてカタギの大工に戻れたのもマジック様のおかげと言えばそれまでっちゃね」
「それは重々に分かっとるんじゃけど、わしは生き別れの妹を探しちょるけんのォ。もし、妹が見つかったら、危ないことには巻き込みたくないんじゃ!!」
「まァ、気持ちは分からんでもないっちゃ。ところで、根岸の方で盗賊に図面が渡っている妾宅とかの心当たりはないだらぁか?入れ替わりの激しい、今は空き家になっとる壁の高い家があればええんやけど」
コージは丼を置き、片手でガシガシと頭を掻いた。
「あ゛ーッツ!!いつになったら、おんしらと縁が切れるんじゃろうか!?・・・大坂屋の寮から少し離れたところに建っている、加賀屋が妾宅用に立てた別荘が条件に合うとるけぇの!多分、今は小隈屋が管理しとるが空き家のはずじゃあッツ」
トットリは懐から紙包みを取り出すと、コージに渡し、
「いつも、すまんっちゃ。―――僕も、この任務が終わったら、妹さんを探すのを手伝うわ」
「・・・縁切りたいとか言うてしもうて、すまんかったのォ。まぁ、おんしが悪いわけじゃないのは分かっちょるはずなんじゃが」
「今度、飯でも奢るっちゃね。でも、コージに飯奢っとったら、金がいくらあっても足りんわナ」
「おんしは、一応お役人様じゃろ?酒もつけんかい!!」
コージが笑いながらそう言うと、
「同心は、貧乏やから、勘弁してくれっちゃ!」
トットリは、下駄を掃き、土間に置いていた筮竹や台などを一纏めにした荷物を担ぐと、再び開きにくい戸を片手と足で開け出て行った。