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hs
オモイノママ





シンタローが私室でくつろいでいると来客を知らせるインターホン。
昔は家族であれば出入り自由だったが今では本人の指紋と網膜による承認がなければ入れないようになっている。
セキュリティ強化の最たる理由がシンタローのためのマジック対策というのが情けない話だが。

「誰だ?」
『俺様だ。酒わけろ』
「・・・・肝臓やられておっちね獅子舞」




「それでも開けてくれるたぁやさしい甥っ子だな」

ハーレムはうきうきしながら酒の棚を眺めている。
開けなきゃ眼魔砲の一発でも放つだろが!そう叫びたいのをぐっとこらえる。

「そのスコッチは飲むなよ?」
「なら飲む」
「殺すぞおっさん」
「何だよいいじゃねぇか」
「ソレはダメだ。今度それで飲むってあいつらと約束してんだからよ」
「伊達衆?」
「ああ」
「なら見逃してやろう」

そういってやはり年代物のモルト・ウィスキーを手に取る。
かわんねぇって!それもできれば見逃せ!と思ったがここは黙って譲ることにする。
今日は特別だ。本人は気にも留めていないだろうが。

「ん?」
「なんだ?」
「それなんだ?」
「それって・・ああ」

テーブルの上に置かれた花瓶に生けられた梅の花。
だが同じ枝から紅梅と白梅が咲いている。

「そういう品種なんだよ。「オモイノママ」っていう名前の梅」
「オモイノママ?すごい誘い文句だな」

シンタローはがっくりとうなだれテーブルに突っ伏す。
わかっていた。分かっていたのに何を期待していた俺!

「・・・アンタに情緒を期待しても無駄だったんだよな」

昔母が珍しい花なのだと言っていたのを思い出し高松に聞いてみたのだ。
遅咲きだから、と言われ来週には再び遠征に行く予定なので諦めていた。
だが昨日わざわざ枝を切って温室で芽吹かせて高松が持ってきてくれた。

「がんばっている貴方にご褒美ですよ」

相変わらずの子ども扱いだと思ったがそれでもうれしかった。
きれいな花だと心地よい気分で眺めていたのに!台無しだ!
ハーレムはうなだれるシンタローを気にせず梅を見てつぶやく。

「――想いのまま咲き乱れってとこか?」
「は!?」

まさかハーレムの口からそんな言葉を聞こうとは思わなかった。

「それとも「想い入り乱れるまま」?」
「ゆ、由来までは知らねぇけど・・紅と白が両方咲くからじゃネェの?」
「ふぅん」

ハーレムはしばし梅を見つめていたがふいに手を伸ばしその枝をあっさりと手折った。
そうしてそのまま抗議の声をあげようとしたシンタローの耳にそっとその枝を飾る。

「白も似合うが・・」

硬直したままのシンタローの顎を指ですくい上げる。
ハーレムはシンタローが思わず見とれるほどの極上の笑みを浮かべる。

「お前にゃ紅だな」
「っ!」
「よく似合う」

指の背でゆっくりと頬を撫でられシンタローは我に返る。
顔を真っ赤にしながらあわててハーレムの手から逃れる。

「アッ!アンタ頭おかしくなったのか!?」
「あ?お前が情緒とか言うから雰囲気出してやったのに」
「それは情緒じゃないだろ!」
「うっせぇなぁ珍しく褒めてやったのに」
「褒めてって・・」
「正しくは正直に言ってやった、だけどな」

ますます顔が赤くなるのを自覚しながらシンタローは立ち上がる。
だがハーレムに腕を引かれ背中から抱きこまれる。

「離せ!これ以上付き合っていられない!人がせっかく・・」
「せっかく、誕生日なんだ。祝えよ」
「――オメデトウ」
「部屋に入れておいて貰った酒をプレゼント。それであとははいさようなら?そりゃないだろ?」
「・・・うっせぇ」
「いいだろ?」
「いやだ」
「イヤでもする」
「アンタはなんでそうなんだ!」
「思いのまま生きてるもん」
「もんとかいうな!!つかアンタは本能のままだろ!!」
「はいはい」

よいしょ、とハーレムはあっさりとシンタローを抱き上げ寝室へ向かう。
それも俵担ぎではなくお姫様抱っこで。

「おろせー!」
「暴れるなって。梅が落ちるぜ」
「ハーレム!」

暴れられても意に介さずそのままベッドにシンタローを放り投げる。
起き上がるシンタローを押さえつけ身を寄せると耳元で低い声でささやく。

「シンタロー」

名前を呼ばれることが弱いことを知っているからこそのタイミング。
再び固まったシンタローと額をあわせ唇の上でささやく

「俺の、想いのままに咲き乱れろよ」
「―――――っ!」

ハーレムは勝利を確信しシンタローは顔を赤くしながら負けを認めた。

「ったくそうやって女口説いてんだろ」
「女にこんな手間かけるかよ。お前限定」
「分かったからもうその類の発言やめろ!」
「じゃあはいどうぞ」

シンタローは仕方ねぇな、と赤い顔のままハーレムに自分からキスをした。

「誕生日おめでとう」
「サンキュ」




FIN


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hs




 チュンチュンチュン………
 外から漏れ聞こえる鳥の声。
 朝の目覚めに最適なその声を聞きながら、シンタローさんはもぞもぞと布団の中で身動きしました。
 まだ起きたくはないのですが、もうそろそろ鳥好きな団員が朝っぱらから盛大に豆まきをしだして、もっとうるさくなるだろうことはわかっていたので、仕方なくのろのろと上半身だけ起こすと大きな欠伸を一つしました。

 今日はシンタローさんの12回目の誕生日です。
 せっかくの特別な日を寝過ごして無駄に使いたくはありませんし、やはり起きるべきなのでしょう。それに今日は、シンタローさんには重大な使命がありました。シンタローさんにとって、生死を決めるにも等しいほどのものです。
 ガバッと布団をはねのけて、勢いよくふかふかのセミダブルのベッドから飛び降りると、シンタローさんは決意も新たに拳を握り、カーテンを勢いよく開けました。
 外はとてもいい天気で、一気に光の洪水がシンタローさんを襲いました。
 自分の誕生日に雨が降って気分のいい人間などいませんし、シンタローさんもそれに違わず、晴れ晴れとした天気にワクワクした楽しい気分がこみ上げてきました。幸先は良さそうです。
 トコトコと部屋の隅まで歩いていくと、ウォーキングクローゼットから着替えを取りだして、ちゃっちゃと着替えます。大きなクローゼットの中には色んな服が収納されているのですが、中には女の子の服など誰が着るのかもわからないようなものが仕舞われていて、自分の部屋のクローゼットなのに、シンタローさんにとってなかなかに未知な領域なのでした。
 というか、ちょっと恐ろしくて調べられないというのが本音かもしれません。
 洗面所に行き顔を冷たい水で洗い、ガシガシと歯を磨くと、すっかりシンタローさんの目は覚めました。そんなに目覚めの悪い方ではないシンタローさんなので、冷たい水で顔を洗えば、どんなに眠くてもたいていの場合目が覚めます。
 そうして、だんだん伸びてうっとおしくなってきた髪を簡単に梳いて、シンタローさんは鏡を見ました。
 中途半端に伸びた髪というのはなんとも情けなく、うっとおしさも相俟って切りたい衝動に毎朝駆られるのですが、大好きな美しい叔父さんのように長い髪にしてみたいという野望を持ったシンタローさんは、じっとその衝動を抑えるのでした。めざせサラサラロングヘア、を目標に掲げているシンタローさんです。
 ゆったりとした足取りで洗面所を出ると、昨日のうちに作っておいたサンドウィッチを冷蔵庫から取り出すと、一口囓って思案に暮れました。
 色々と昨日から考えていたのですが、どうもいい場所が思い浮かびません。
 けれども、歩いているうちに思いつくだろうと見当を付け、シンタローさんは忙しく残りのサンドウィッチを口に詰め込んで呑み込むと、小さなリュックにお菓子とペットボトルを詰め込み、準備は万端!とばかりにそれを背負います。
 そうして、まだまだ朝も早い時間から、シンタローさんの一日は始まったのでした。


 まだ日が昇って何時間も経ってはいないので、ひんやりとした無機質な廊下はとても静かです。おまけに人っ子一人いないため、余計にそう感じてしまうのでした。
 そこを、ソロリソロリとまるでドロボウのように抜き足差し足でシンタローさんは進んでいきます。
 本当は匍匐前進でもしたい勢いですが、流石にそれをやるのはためらわれました。廊下で匍匐前進しているところを誰かに見られたらちょっと恥ずかしい、と幼心に思うシンタローさんなのでした。
 それに、こんな隠れるところもない広い廊下で匍匐前進などしても、無意味というものです。
(どこ行こう………)
 歩きながら、先程から頭の中をグルグルしているものはそれだけです。部屋から出たはいいのですが、まだ行き先は決めていません。

 そもそも、何故シンタローさんがこんな朝早くからバタバタと大慌てで出掛けようとしているのでしょうか。
 それは、毎年恒例になりかけている、誕生日のシンタローさんの境遇にあるのでした。
 総帥の息子とあって、シンタローさんの誕生日には盛大なパーティーが行われます。その日だけは仕事は一切受けず、飲めや食えやの大騒ぎになるのです。
 広いホールにどっさりと幹部や団員達が集まるのは、別にいいのです。盛大なパーティーも、楽しいので毎年とても楽しみでした。

 問題は、家族やら親族達、なのです。

 父親を筆頭に、いとこやら叔父やら……。とにかくひっつきたがるのです。
 いえ、ひっつきたがる程度の可愛いものならば、シンタローさんもここまで追い詰められてはいないでしょう。
 彼らは何故か”シンタローさんと二人っきりで誕生日を過ごす”ことにとっても執着するのです。オマケにそれがハンパな執着心じゃありません。勢いに押されてひっくり返りそうなほどなのです。
 毎年毎年追いかけ回されて、すっかり疲れ切ってしまっているシンタローさんです。この歳から追いかけられる苦労を積んでしまっているのでした。
(おじさんだけならいいんだけどなァ……)
 シンタローさんは美しい美貌を持った叔父が大好きでした。ハッキリ言ってかなり懐いています。どこかの嫉妬した某総帥など、危うく丑の刻参りに行きそうになった程です。
 叔父さんとなら楽しいバースデーを過ごせそうなのですが、如何せん叔父さんと一緒にいると嫌でも見つかりたくない相手に見つかってしまいます。麗しき叔父さんはいるだけで目立つのです。
 見つかりたくない相手は勿論、父親であるマジック氏でした。
(アイツにだけは見つかりたくねぇ……)
 反抗期真っ直中のシンタローさんは、すっかりマジック氏を毛嫌いです。勿論それだけが理由ではなく、彼の過激な愛情表現にもあるのですが。
 マジック氏の行き過ぎな親子愛には少々うんざりしているシンタローさんです。
 そんなこんなで、今年こそ穏やかな誕生日を過ごそうと、朝も早よから出掛けることを決意したのでした。

 悶々と考えていたシンタローさんは、ふと、ある男の存在を思い出しました。
 彼は、妙にシンタローに構いたがる親族の中では、比較的必要以上に干渉したがらない男です。いえ、悪戯やからかわれるのはよくされるのですが、それでもまだマシな方です。
 それに、彼はエラそうにふんぞり返る割には、シンタローさんをちゃんと一人の大人扱いしてくれるのです。
 あちこちとお得意の飛行船で世界を飛び回っている彼に初めて会ったのは、数年前の秋のことでした。彼のナワバリにシンタローさんが踏み込んでしまったのがキッカケです。
 それ以来、ガンマ団本部に彼が戻っているときには遊びに行くようになり、どことなく喧嘩友達のような、けれども友人とも呼べるかよくわからない、なんとも奇妙な関係を続けているのでした。
 丁度いい、とシンタローさんは自分の名案にポンと心の中で手を打ちました。
(あそこへ行こう!)
 ―――あの切り株の森へ。

 しかし、決意したところで、思うようにはいかないのが世の常というものです。
 思い立ったが吉日と、極力足音を立てないように駆けだしたシンタローさんだったのですが、数メートルも行かないうちに、こんな朝っぱらからタイミング悪く歩いてくる人影がありました。
 まずい、と思っても隠れる場所など、このだだっ広いだけの無情で無機質な廊下にはカケラもなく、いきなりピンチなシンタローさんです。
(このやろう! 来るんじゃねぇッ!!)
 などと、呪いをかけようとするかのように心の中で怒鳴ってみてもどうにもなりません。
 そんなこんなをしているうちに、ほんの少し薄暗い廊下の先にいる人物の姿が遠目に判断できた瞬間、
「!!!!!」
 シンタローさんは可能な限り素早く回れ右をしました。
 ………が、
「あーッ! シンちゃんvv 探したんだよぉ~~!!」
 黄色い声……もとい楽しげな声がシンタローさんの頭を小突くように追いかけてきました。
 シンタローさんは嫌そーに顔を歪めましたが、見つかったものは仕方がありません。男らしく覚悟を決めて潔く人影に向き直りました。
「朝っぱらから大声出すなよナ、グンマ……」
 声の主、いとこのグンマくんに向かってげんなりとシンタローさんは言ったのですが、グンマくんはまったく気にする気配はありません。
 人のするコトなすコトにはしつこいくらいねちっこいクセに、自分のことにはゴーイングマイウェイまっしぐらな人物なのです。
 その上、常にそのいとこに金魚の糞のようにつきまとっている男。
「シンタロー、グンマ様に指図するなんて赦しませんよ!」
「………なんでオマエまでいんだョ、マッドドクター」
「マッドは余計です。注射しますよ」
 容赦なく言い返してくるドクター高松をジロリと睨み付けて、シンタローさんは口を噤みました。
 注射は嫌いです。しかもドクター高松の注射なんて何が入ってるかわかったもんじゃありません。防衛本能に長けているシンタローさんなのでした。
「で、なんの用だよ」
 何となくわかっていながらも、一抹の望みをかけて訊かずにはいられないシンタローさんです。
 ちょっと奇抜なプレゼント贈呈、くらいなら貰ってやるからこの場を去らしてくれ……などと一生懸命になって心の中でお祈りしてみましたが、それをアッサリ砕くように、
「グンマ様が拉致監禁パーティを開きたいと仰っているのでね」
「やめんかッ!!」
「お見事。コンマ1秒でしたねぇ……」
「わぁ~! シンちゃんすごーい!!」
「…………………」
 なんだかこの二人にマジメに付き合ってる自分がアホみたいに思えてきたシンタローさんでした。
 ここは一気に強行突破しかありません。
 そう思ったシンタローさんは、リュックに詰め込んでいたものの中から丸い物体を取り出すと、素早い動きでそれを二人の足下に勢いよく投げつけました。

 シュッ!
 パンパンパンパンッ!!

「っ!!」
「うわぁあッ!」
 突如鳴った耳をつんざく音に二人が驚いて体を竦ませたその一瞬の間に、シンタローさんは一気にその横をすり抜けて全速力で走りました。
 煙玉とクラッカーボールを同時に投げつけたため、シンタローさんが走り去ったあとにはモクモクと煙が漂っています。
(あぶねーあぶねー……。こんな早くから動き出してやがったのか。早いとこ行った方が良さそうだなァ……)
 銀の廊下を風のように走り抜けながら、煙にむせる声を背後に聞き、そんなことを思うシンタローさんなのでした。






 グンマ達を文字通り煙に巻いた後、シンタローさんは相変わらず無機質な廊下をただただ歩いていました。
 幼い身体にはこのガンマ団基地は広すぎましたが、慣れたシンタローさんにとっては自分の庭のようなものです。歩くのには時間が掛かっても、新人の団員などよりはよっぽど早く目的地まで突くことが出来るのです。
 今日の場合の目的地は、勿論玄関ホールでした。
 しかし、問題は門兵です。シンタローさんは、エントランスから門の辺りを眺めて考え込みました。
 門兵はマジック氏と繋がっていると見て、まず間違いはありません。シンタローさんが出ていけば、マジック氏に筒抜けになってしまうでしょう。シンタローさんにとって、それはゴメンです。
 キョロキョロとシンタローさんはあたりを見回しました。こっそり脱出するのに、何か使えるものはないかと思ったからです。
 そして、向こう側の廊下から誰かがやってくるのが見えました。シンタローさんは、相手が幾ばくかもこちらに来ないうちに、誰だか気付きました。
 シンタローさんの叔父、ハーレムです。
 逆立った金色の豪奢な髪は、なかなか間違えようがありません。シンタローさんは自分の運の良さに喜びました。
 ちょうど彼のナワバリに行こうとしていたところですし、おまけに彼は、何故か大きな袋を肩から提げていたのです。あの大きさならシンタローさんでも楽々入れそうです。
 脱出の予感を秘めて、シンタローさんはハーレムの元へと走り寄りました。ハーレムはすでにシンタローさんに気が付いていたようで、エントランスを出ようとしたいた足を止めました。

「ハーレム!」
 シンタローさんは声を潜めて呼びました。そして、ガシッとハーレムが着ていたコートの裾を強く握ります。
「いまからどこ行くつもりだったんだ!?」
「それよりも、お前はどこ行くつもりなんだよ」
 唐突な上、必死に質問したシンタローさんをハーレムはさらりと流します。しかし、シンタローさんは幼い故か、そのことに気が付かず、素直に「アンタのナワバリに行くつもりだった」と答えました。
「だから、その袋に入れってくんねェ?」
 コートの裾を握ったまま、シンタローさんはハーレムを振り仰ぎます。
 背の高いハーレムの顔を見るためには、必然的に上目遣いになることは仕方がありません。そして、シンタローさんの上目遣いに勝てるものはいないのでした。
「しょーがねェな……」
 まんざらでもない顔でハーレムはそう言うと、シンタローさんの首根っこを掴むと、ポイ、と大きな黒い袋の中に投げ込みました。
 まんざらでもない顔のわりには、結構乱暴です。
「いだッ!」
 放り込まれた瞬間、袋の中に入っていた硬い箱に身体をぶつけて、シンタローさんは声を上げました。
「静かにしろ」
「いってー…、なんだョ、これ」
「企業秘密」
「はあ?」
 呆れたように返すシンタローさんが、コンコンとその謎の箱を拳で叩きます。
 厚みのある、長方形の黒い箱です。シンタローさんには、何が入っているか皆目見当が付きませんでした。
「ほら、出るぞ」
 ハーレムがそう言うと、シンタローさんは門兵にばれないように、口にチャックをしました。


「はー、つっかれたァ……」
 無事に門を通りすぎ、ハーレムのナワバリ(自称)である森に着いた後、伸びをして草の上で寝転がりながら、シンタローさんはしみじみとそんなことを言いました。
 朝からずっとこそこそと動き回っていたのです。小さな身体にはやはり負担になったのでしょう。
 地面と仲良くしているシンタローさんの隣では、ハーレムが荷物を降ろして切り株に座っています。葉の生い茂った木々の隙間から適度な量の光が漏れてきて、シンタローさんはその心地よさに目を細めました。
 なんとも気持ちの良い日です。
 シンタローさんは今日この日にこの場所を選んだ自分を褒めてやりたくなりました。
 今日一日、ここでのんびりこうしているのもいいかもしれないと思いながら、シンタローさんはハーレムの方を見やりました。
 頭上から零れてくる光を反射する金糸が目に眩しく、シンタローさんは目を眇めます。逆光でハーレムの顔が少し見えにくかったので、目を凝らしてみました。
「何顰めっ面してんだ」
 切り株の方から伸ばされてきた手で、シンタローさんは頭をグリグリと乱暴に撫でられました。
 別にしかめっ面をしているわけではありませんでしたが、特にそれを言及するわけでもなく、シンタローさんは先程から気になっていたことを訊くことにしました。
「あの袋の中の箱って何?」
 子供というのは好奇心旺盛なものです。知らぬコトがあれば知りたがり、解らぬものがあれば解りたがります。
 そういった子供の性でシンタローさんは訊いたのですが、ハーレムはニヤリと笑っただけでした。
 そんなハーレムの態度が気にくわなく、シンタローさんはジロリと睨みます。
「言えよッ!」
「お子様は感情の起伏が激しいなァ」
 怒ったようなシンタローさんの口調もものともせず、ハーレムはクツクツと低く喉で笑いました。
 子供扱いされたシンタローさんは、ムッとしたような顔をしました。実際子供なのですが、子供扱いされると反抗したくなるのが子供というものです。
「言えってば!」
 ムキになったように怒り出したシンタローさんに、ハーレムはサラリと言い放ちました。

「お前の誕生日プレゼント」

「…………………………え?」
 思わず間抜けな声を出してしまったシンタローさんです。
「だーかーら、誕生日プレゼントだっていってんだろ」
 耳遠いんじゃねェのかァ? などといつもの軽口を言われて、シンタローさんは我に返りました。
「俺の?」
「お前の」
 確認するように訊いたシンタローさんの言葉に帰ってきた返事に、シンタローさんはハーレムの傍らに置かれている黒い袋ににじり寄りました。寝転がっていたため、匍匐前進です。
 ハーレムはそれを見て、「芋虫みてェ」と呟きましたが、シンタローさんは聞こえない振りをしました。怒ってプレゼントを貰えなくなったらマズいと思ったのです。
「開けてもイイ?」
「好きにしろ、お前のだ」
 シンタローさんは袋から出した黒いケースの蓋をバチンと開けました。
「あ……」
 シンタローさんが小さく声を上げます。
 中に入っていたのは、ナイフ一式でした。
 前にシンタローさんがナイフを使えるようになりたいと言っていたのを覚えていたのでしょうか。
 秘石眼のないシンタローさんは、それ故に力を欲していました。そして、それの第一歩として、ナイフを自在に使えるようになりたいと思っていたのです。
 ちらりとハーレムに言ったことはあるような気がしたシンタローさんでしたが、よもやそれを覚えていて、その上くれるとは思ってもいませんでした。
 手を伸ばして刃に触れると、ひんやりとした感触が指に伝わってきました。
「使い方は暇なときに教えてやる」
 ぶっきらぼうにハーレムが言いました。
「ホントに!?」
「嘘ついてどーすんだ」
 呆れたように言うハーレムの膝の上に、シンタローは勢いよく飛び乗りました。
 驚いたハーレムの首に腕を回して金糸を掴み、シンタローさんは勢いよくハーレムの頬に唇をくっつけました。
「!?」
「お礼! ありがとな、ハーレム!」
 驚きで言葉が出ないハーレムを気にすることもせず、シンタローさんは嬉しそうにそう言うと、さっさとハーレムの膝を降りてケースの前に座り込んでしまいました。
 一瞬の後、我に返ったハーレムは、
「誕生日プレゼントにお礼はいらねェんだョ……」
 などと、少々赤くなった顔でぼやいていましたが、シンタローさんの耳に届くはずもありませんでした。


 end...



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09:臆病イカロス












「おい」
「・・・・・」
「・・・・鼓膜でも破れたか、クソ餓鬼」
「んなワケねーだろ。獅子舞」


小さい湖の傍らで、木の根に寄りかかるようにしていた黒い頭がこちらも見ずに声を返す。
ざわざわと風が木々を嬲り、さほど距離のない野営地の声を掻き消していた。
熱帯に近い気候のためもあり、夜だというのに空気が粘つくように重い。


「どうだったよ、初の激戦区は」
「・・・・・寄るんじゃねぇよ、酒クセェ」


近寄り、傍らに腰を下ろす。人工の明かりのない中でも甥っ子のひどく汚れた横顔が見えた。
眉間に皺を寄せながらも動こうとはせず、草臥れた戦闘服の裾を強く握り締めながら苦しげに表情を歪めるばかりだ。


「酒の楽しみも知らねぇガキが云うじゃねーか」
「さっさと肝臓やられちまえ」
「へ、そんなヤワに出来ちゃいねぇっつーの」
「・・・・・・」
「で、どうなんだ」


金属製の水筒を取り出し、喉を潤す。
度数の高いアルコールはすぐに熱を発していく。
戦場の熱も入り組んで、どちらに酩酊しているのかを曖昧にするかのように。











「初めて人を殺した感想はどうだ?」











びくり、と隣で肩が大きく動いた。
強張りの解けない身体とカタカタと小刻みに震えている指先。
過ぎた興奮と恐怖が綯い混ぜとなったのか、悲愴なほど青褪めている。

既に訓練で血を流すことも、流させることも学んでいた筈。
けれど、相手の息の根を止めるという生々しさの前にはそんなもの無意味だ。
殺し殺される―――――死は、五感そのものを貫く。

たとえ遠距離から狙撃しても、慄かざるを得ない。
まして浴びるほどの至近距離から相手の喉を掻き切れば、より一層に。


血を洗い流しにいくと野営地から離れて随分と経っていた。
案の定、様子を見に来れば未だ手すらも血塗れのままの放心状態だ。

現実逃避など当の昔に捨て去った自分からすれば、やはり子供なのだと強く実感する。
弟は確かに強くなる術を授けたのかもしれない。
しかし、身体が如何に強靭になろうとも実戦の重みは大きく圧し掛かる。
戦線に出ない限り、このクソ忌々しいほどの重圧をどうして教えられようか。






「団にいる限り、兄貴の下にいるってことはそういうことだ」



「甘っちょろい授業だとはいえ、お前が教えられてきたのは人を殺す術だ」



「何夢見てやがった、お前がなりたかったのは人殺しなんだぜ?」






弟の不手際を拭う思いで、ぐい、と顎を掴んでこちらを向かせる。
血糊の散った顔に浮かぶ空ろな視線が疎ましい。殴り飛ばしてくれと声高に主張する表情だ。
叱咤激昂し、上官に従って私情を捨てろと突きつけて貰いたがっていた。
そうしてしまった方がこれからの作戦でこいつを有用に動かせるのは確実だ。

けれど、出もしない答えなんてテメェで出せばいいと思ってしまう。

どう足掻こうとも朝は来て、作戦は決行されるのだと解りきっている。
だからその僅かな時間にどんな結論を下すのか、興味が湧いたのも確かだ。
興味以上に”これから”も必然的に戦場へ向かうことになる甥の決断が見たかった。


これが甥への甘さなのか、それとも俺自身の逃げなのかなんて知らない。







「もうガキじゃねーんだ、自分の立ち位置くらい見極めろ」






一瞬だけ力を込めて、苦痛に歪められた表情に満足して手を離す。
だらりとさらに虚脱したシンタローは食って掛かることすらせず、こちらを伺いもしない。
情けねぇザマ曝しやがって。



人を殺すことが重い?辛い?
んなコトいってたらテメェが死んじまうのがオチだ。
躊躇して腕を失った男を知っている。敵兵に自分の妻の面影を重ねて動けず、死んだ男もいた。
殺さなきゃ殺される状況下で、確実に生きて帰る術などどこにもなかった。
戦闘能力だけでどうにかなるものではなく、運も私情もすべて飲み込んだ戦場という化け物の腹の中で
いつだってどうにか生き残るのがやっとだった。





幾ら割り切ろうと嘔吐しそうになる上、傷み切った心を押し殺さずにはいられない地獄だ。
俺がそうまでして此処にいるのは家業だから、だなんてつまんねぇ理由じゃねぇ。
マジック兄貴が世界の頂点に立つんなら、その足場を固めてやろうと思ったに過ぎない。
あの男の飛びぬけた強さならば届きようのない高みにも辿り着ける筈だと、期待にも似た高揚が沸いた。
年を重ねるごとに益々人外じみた力をまざまざを見せ付けられ、その都度湧き上がる愉悦にも似たそれは留まることを知らない。


じゃなきゃ、耐え切れるわけがねぇって話でもある。
暴れるのは好きだが嬲り殺すのは趣味じゃねぇし。
今更甘っちょろいとは思わなくもないが、そこは変わりようがない。






最後の一滴が舌に滴り落ちた。物足りなさを誤魔化すように耽っていた回想を振り払い、目線だけで隣を見やる。
こんなに間近な距離でも青味がかった闇に溶ける黒が陰鬱さを際立たせる。
こびり付いた血色も紛れて見えないほどの、暗色。

団員にはさまざまな国籍や人種がいる。今更、色素がどうのこうのという馬鹿はいない。
戦場に立てばどれもこれも、のべつくまなしに使われるだけの代物だ。


ただし、そこに一族が絡めば話は別のものとなる。
特異な能力と色素が常に一体であったが故に。

青の色合いを持ち合わせなかった甥っ子は、いつだって一族の中で異質だった。
面と向かってそれを口にした奴は粛清されてしまったが、それでも耳に入っていく言葉はある。



誰も認めないから、自分さえも相応しくないと感じるから万人に認められようと
強さに拘りを見せていることはよく知っている。でなきゃ、あの性格極悪のサービスの扱きに耐え切れる訳がない。
強くなることだけを求めて、強くなるまでは何の問題もなかっただろうに。

けれど奴は、強さを示す場がどこであり、何のための強さであるのかという結果に今更気づいて動揺をする。
団で強くなる、ということは誰よりも屍の山を築き上げることでしかないのに、だ。




相手は敵なのだから、と殺したことを誉めてやることは出来る。
簡単に通じる言葉だからこそ相手に受け入れられるのだ。
罪悪感を薄めて動揺をこそげ落とすだめに、「自分は間違っていない」のだと思い込ませて。
任務遂行に支障がない一番容易い方法だ。部隊の指揮を務める以上それが最善だと分かっている。


けれども、汚してしまった手に変わりはない。
殺したのはお前で、そう仕向けたのがその父親であることに変わりはないんだ。








大体、生きていくために人を殺さなくちゃなんないなんて現実、放棄したって俺は責めやしねぇさ。
そのときには進む道そのものを放棄するも同然だが、そんなの自分の問題だ。
人を殺すのが絶対こいつじゃなきゃいけない、だなんてことねぇし。

団に必要なのは使いやすい手駒で、誰が殺そうが誰が殺されようがどうでもいいんだ。
結局、結果がきれいに収まりさえすれば文句はない筈で。
実際のところ、こいつが団を抜けたってその代わりなんぞ掃いて捨てるほどいる。
一人の兵士の戦力が抜けたからといって、組織が瓦解するようなものではない。



それなのに兄貴は、敢えてこいつに血に染まる前線を選択させた。



それもこれも、全部こいつが総帥という重責を負うための布石だ。
総帥だけではない。青という象徴を負うために、生臭い血溜まりに身を沈めさせた。
一旦手を浸せば拭い去れないだけの柵(しがらみ)でもって悉く逃げ道を奪う。
青の色合いを、秘石眼を持たないが故に背負わずに済んだ業の代りとばかりに。

そうやって、自分の手元から逃げ出さないよう道を狭めていく手腕が恐ろしくも思えるくらいだ。
(自分を超える者になるだろうと期待しながら、あくまで掌で転がそうとする矛盾など目に入らずにいたが)






人を殺す、というその動作は余りに容易だ。
相手が無抵抗であればそれこそ呆気なさに唖然とせざるを得ないくらいに。
大それたことだと思っていたことが今自らの手で行なわれてしまった恐怖。
そして戦慄くように震えるのだ、罪悪感に悲鳴を上げながら。

自分が飯を食うために、誰かを撫でるためにあった手が。
誰かを慈しんで育んでいた手が、肉や神経の中に沈む感触を知る。
(爪に食い込んだ肉片にぞくりと悪寒を走らせてしまうほどだった)
相手を肉塊にする殺戮の生々しさは中々拭い去れない。


拭い去れないから、もう後戻りはできないことに気づく。
踏み入れてしまった瞬間から後は深みに嵌るばかりだ。

慣れてしまえば廃人にすらなっていない自分が今此処にいるのだから
なんともしぶといものだ、と内心でせせら笑う。

















「・・・・る」
「あ?」


木々のざわめきにすら負けるような声量で、呟きが漏れた。
空ろに近い眼光がやや力を取り戻し始め、伸びた前髪の切れ間から睨まれる。


「・・・・俺はやれる。やれなきゃ、なんねーんだよ・・・・じゃなきゃ、何の為に」
「くだらねぇ意地張ったって続かねぇぞ」
「意地じゃねぇ!俺が、俺が自分で選んだんだ・・・・っ!!もうやっちまったことなんだよっ!!」
「なら震えてんじゃねぇよ、立て。集合は明朝五時だ」
「・・・・・・っ!」


その時刻に敵対する誰かを殺しにいくということだ。
それ以外の意味は存在しないから、こいつは唇を噛み締めて耐えるように苦悶する。
まだ一度きりの殺人に気圧されて戦意喪失などさせてたまるか。
少なくとも今この戦火では。


幾ばくか吐き捨てる思いで、苦々しく内心で呟く。


決断を預けたのは、自分の決意を裏切れないシンタローの性格を見切っていたからだ。
本当は、どの道を取ろうと今このときに戦意の失せた部下を連れていくことは出来ないのが現実。
たとえ何をどう思おうが、受けた以上は、この任務を遂行して成功させる義務がある。
そして義務を大義名分にして皆殺し、焦土を作り上げていかなければならない。

クソみたいな理由で殺そうと、高尚な理由があろうとやることに変わりはねぇのに
誰もがそれに縋ってひたすら無神経になろうと必死になる。
必死になることでしか自分を誤魔化せないのだと知っていて気づかない振りをする。
誰も彼も死にたくなどないのだ。




「それまでに立ち直っておけ。じゃなきゃ死ぬぞ」
「・・・・・死なねぇよ」
「終わるまで、生き残ることだけ考えとけ。お前に死なれると兄貴が煩ぇし」




素人同然の新兵に、自立して動けるだけの判断は期待出来はしない。
余計なことなど考えさせずに、こちらの思惑通り動かすことでこそリスクが少ないのだ。
幸い、勝ち急ぐほど馬鹿ではない。ならば見合った位置に放り込んでおくだけだ。
一度の決断に縛られて、迷えなくなったシンタローに僅かな哀れみを感じながらも敢えてそれは黙殺した。







今こうして苦悩してしまおうと、強さを得ようと積み重ねたものが無駄だとは云わねぇ。
そこから得たものは確実にお前をつくっていたし、それ以外の手段はないのだと信じきっていた必死さに声のかけようもなかった。


それでも、こうなる前に。こうしてお前が人を殺す前に。
強くなる以外にもお前が疎外感に苛まれずに済む道は確かにあった筈だ。
それに気づかせないようにとマジックの手の内で育った責任の、何分の一かは俺にもなくはない。

俺はどう足掻いてもマジック兄貴を裏切れない。
だからたとえ、お前に逃げ道を指し示すことは出来ても
その手を引き摺ってそこに投げ入れてしまうことは出来ないんだ。




最早、選ばざるを得なかった道は躊躇すれば死ぬだけの、それだけのシンプルさで出来ている。

だから、せめてそこで生き延びるだけの術を。
これまでの積み重ねが有意義なものとなるだけの、そうした世界に放り込んでやることしか出来ない。
それすらも兄貴の思惑の内であろうとも。







けれど、お前はまだ分かっていない。

生きて帰ることを願う心で、この惨状に耐え切ることは出来たとしても
家に帰り着き最愛の弟に触れる際に、躊躇を憶えずに抱き上げることが出来るのか、と。








それをも見込んで送りこんできたのなら
あまりにも趣味が悪いことだ、と真っ黒な空を仰いだ。

















end
hsd
ライオンハート



 渓谷の奥まったところに、その要塞はあった。
 その谷を囲むようにして密林が広範囲に広がり、侵入者を防いでおり、国土をほぼ侵略されたその国の最後の砦となっていたのである。
 ガンマ団の攻勢が始まったのは、つい二ヶ月前のこと、上層部が事態に対応するよりお互いの勢力争いに熱心だったせいもあって、じりじりと制圧が進み、主要な軍事施設はここしか残っていない。
 つまり、ここを落とされたらこの国は終わるのだが、逆に言えば、この施設を落とされない限り、敗北の日はやってこない。
 そして少し前ガンマ団への大がかりな作戦が成功し、基地内は一種の躁状態になり、この流れに乗って一気に壊滅だの、いっそ追撃も、などと兵士達は気勢を上げていた。






「ちっ、だだっ広いもん作りやがって。」
 舌打ちしながら、胸の辺りを探ってたばこを取り出そうとした男は、ここが敵の本拠地のまっただ中であることを今更ながら思い出して諦めた。
 別に発見されたとしても、すべて片づける自信はあるが、目当てのものを見つける前に『遊んで』いたなどと、長兄に知られでもしたら後が怖い。
 さっさと終わらせてしまいたいものだ、と、ハーレムは手元の小型ディスプレーに映し出された基地内の入り組んだ通路の地図をチェックした。
 ガンマ団の力を持ってしても、入手できたのはこの程度のものだということから、セキュリティーの高さを推し量ることができる。
 とりあえず、もっと精度の高い地図を手に入れようと、ハーレムは適当に見当をつけて歩き出した。
 そして、時折巡回に回る兵士達の気配を察知するたび、違う通路へ逃れているうちに、いつの間にか人気のない一画へと紛れ込んでいた。
 ハーレムは、引き返すべきかどうか数秒間ほど迷ったが、すぐに奥へと進む。
 どちらにしてもどこに地図があるのか分からないのだから、探してみたっていいだろうとそれくらいの考えだったのだ。




 時間にして5分程度も歩いただろうか。
 元々気の短いハーレムは変わらない景色に飽き飽きしながらも、その通路を進んでいた。
 もともと、このタイプの建物の中はあまり好きではない。
 慣れていないからではなく、その逆だ。
 多少は違うが、無機質で合理的で白くて、自分が育ったあの場所と大差ない。
 成人してからは、殆ど帰っていない『my sweet home』と。
 ハーレムが角を曲がろうとした時、視界の端で何かが動いた。
 踏み出しかけた足を元に戻し、壁にはりつき、向こうの気配を探る。
 どうやら相手も自分の存在に気づいたらしい。同じようにこちらを伺っている。
(めんどくせえなぁ。)
 ため息を堪えながら、上着をめくってその下のホルダーから銃を取り出した。
 撃鉄を起こすと、打って出るタイミングを待つ。
 その時、かすかにだが、乾いた音が耳に入った。
 やや右方からだ。
 ハーレムは銃を構え、『左へ』と向き直った。
 同時に空を切る音が耳元でし、ハーレムは銃を握っていない方の手を挙げ、首をねらってきた足首を掴んだ。
 それが攻撃に変わるほんの一瞬前に、彼はライトに照らされた男の顔を見た。
 黒い目が信じられないというふうに、大きく見開いて、不安定な体勢から自分を見上げている。
 ハーレムは軽く息を吐くと、甥の足を離してやった。
 シンタローは立ち上がり、叔父の顔を睨みつけた。
「……親父の差し金かよ。」
「まぁ、俺に命令できるのは、総帥しかいねぇよなぁ。」
 シンタローは唇をぎゅっと噛みしめると、叔父の横をすり抜けて歩き出す。
 その頑なな背に向かって、ハーレムは言う。
「おまえを連れて帰るのが俺の任務なんだよ。ちゃちなプライドで、人の仕事の邪魔をすんな。」
 シンタローは返事をしなかったが、それでも足を止めた。
 悔しそうな横顔には、痛々しいほどの痣や擦過傷が見受けられる。たいして痕になりそうなものではなかったが、彼を溺愛している父親が見たらさぞかし嘆いただろう。
 いや、どちらかといえば、アイツの方が嫌がるかもな、とハーレムは自分の片割れのことを思い出す。
 サービスがこの甥の顔にかなり執着していることは、過去の経緯を知っている数少ない人間なら誰でも知っていることだ。
 逆に、自分がこの甥の顔を疎ましく思っていることも。
「オイ、ちゃんと自分で動けるだろうな。」
「動いてるだろうが。今。」
 予想した通りの言葉だったが、やはり声に力は無い。
 眼魔砲を撃つことはほぼ無理だろう。拷問を受けていることもまた、予測していたことだった。
 実のところ、捕虜になって一週間過ぎた今、シンタローが生存していたことの方が驚きだ。
 シンタローが捕虜になったことは、ガンマ団の中でもほんの数人の幹部しか知らない。 その幹部の誰もが、彼の生存を絶望視し、あまつさえそれを口にした人間もいたらしい。
 彼らにしてみれば、異端の色合いの嫡子より、父親に疎まれていてももっともその血を濃く受け継いでいる弟や、それが無理でも二人残っている弟のどちらかの方が、ガンマ団の次期総帥にふさわしいと思っていたのだろう。
 最悪、まったく荒事に向いていないお坊ちゃん育ちの総帥の弟の遺児のような傍系でも、黒髪の総帥よりはマシだと、考えていたらしいが、それはまあ、あの保護者がいる限り無理だろう。彼の教育がそれに巻き込ませないことこそが目的だったと、今ではハーレムも薄々分かっている。
 そんな思惑が普段から渦巻いていた中、いわば今回のシンタローの災難は――『失態』ではなく『災難』であることは、彼らでさえ認めなければいけない事実だった――彼を認めない幹部にとって、僥倖だったのかもしれない。
 もっとも、そんなことをうっかり口走った男は、総帥であるマジックの青い怒りによって、粛正されてしまったが。
 命がぎりぎりあっただけでもめっけもんだ、とハーレムはその男のことを思いだしながら、シンタローを見る。
 少し長くなった髪の間から覗く首筋には絞められた時にできる傷もあった。どれだけの拷問を受けたのか分からないが、それでも自分の出自を明らかにするようなへまはしなかったらしい。
 なぜ、そう判断するのかというと、この国から、総帥の息子を人質にしたという声明や取引の申し出が無かったからだ。
 もしくは、ばれたとしても、音に聞くマジックの冷徹ぶりでは、実の息子の安否さえ取引の条件にはならないと思ったかもしれないが、シンタローが今生きているということはそれも無いだろう。。
 確かに、捕まったのが、幹部や優秀な研究員、いや、実の弟である自分であったなら、兄はそういう処置をとっただろう。
 無能な者は必要ない、と組織のために切り捨てたに違いない。
 ただ、シンタローはマジックにとって、例外中の例外である存在だ。どうなったかは、ハーレムでさえ分からない。
 シンタローもそれを恐れて殊更に己の正体を隠したのだろうが、よくばれなかったものだ。
 ふと、ハーレムはある疑問を口にした。
「おい、おまえの他には捕まった奴いなかったのかよ? そいつらはどうした。」
 すると、シンタローの足がぴたりと止まった。
 振り向かずに一言「二人」と答えた。
「俺が殺した。」
「ふうん、そうか。」
 シンタローの告白にハーレムはあっさり頷くと、さっさとシンタローの前に立って歩き出した。
 何も聞かないハーレムに、シンタローは不思議そうな視線を送ってきたが無視した。
 ここから、脱出口までまだ遠い。そこから、密林を抜けるのにおよそ半日以上、無駄口を叩いている暇はない。









 脱出は思いの外、すんなりと成功した。
 もちろん、弱っているシンタロー一人ではかなり危うかっただろうが、ハーレムの勘とやらのおかげで敵と鉢合わせすることもなく、暗い夜の森に逃げ込めたのだ。
 二時間ほど歩くと、ハーレムはぴたりと止まった。
 木の根元にどっさりと腰を下ろして、シンタローにも下に座るように手で指示する。
「おい、何休んでんだよ。この年寄り!」
「ここまでくれば、大丈夫だろ。おまえの脱走がばれているなら、もっと上が騒がしくなってるだろうけど、そんな気配もない。もし、ばれてても、死にかけの一兵卒に構っている暇なんざ、向こう様にも無いだろうよ。」
 そして、腰につけていたバッグから、携帯用の消毒薬などを取り出す。
「それより、てめえの怪我の方が問題だ。ここで倒れられたら運ぶのが面倒なんだよ。いいから、とっとと座れ。」
 そう言われ、シンタローは渋々ハーレムの正面を座った。
 上着のボタンをはずすと、そこに残る痕から彼が二週間の間受けてきた拷問の凄惨さが伺い知れた。
 確かにシンタローは、大事に育てられてきた御曹司であるが、受けてきた訓練は生やさしいものではない。いや、サービスの修行を受けてきたことを考えれば、他の一般団員よりよほど過酷な体験をしてきたはずだ。
 だが、それは、あくまでも修行や訓練に過ぎない。
 手錠を受け、人間性のかけらも尊重されない捕虜になるなど、頭では分かっていても彼にとっては想像も出来ない世界だったに違いない。
「シンタロー、『怪我』はこれだけか?」
 ハーレムの何気ない風を装った質問に、シンタローの身体がびくっと揺れた。
 みるみるうちに顔色が白くなっていく。
 しかし、必死で動揺を押し隠し、シンタローは「ああ」と頷いた。
「これだけだ。」
 ハーレムは目を細めたが、それ以上は特に追求せず、かわりにカプセルをシンタローに渡した。
「化膿止めだ。飲んどけ。一時間したら出発するからな。」
「……一つだけ、確認していいか?」
「うっせーガキだな。なんだよ。」
「これ、高松配合じゃねぇよな?」
 いついかなるどんな状況相手でも、『ちょうどよい被験体ですね~』と新薬の実験のチャンスとして利用しかねない男の名に、ハーレムは沈黙した。
「安心しろ、さすがのアイツも、おまえだけには悪さしたこた無かったろ。いいから、飲め。」
 やっぱり高松かよ、と情けない顔になったシンタローだが選択の余地は無く、ごくんと飲み込んだ。
「それでよし、じゃ、俺の隣来い。毛布なんざ持ってねぇから。」
 当然のことながら、シンタローは盛大に嫌がったが、ハーレムだって好きこのんで野郎と密着したいわけではなく必要に迫られてのことだ。
 うるさい、とっとと寝ろ、と子供の時さながらにしかりつけると、シンタローはおとなしく隣に座った。
「どうせなら、サービス叔父さんがよかった。」
 まだ憎まれ口を叩いているが、サービスにこんな醜態を見せたくないだろうから、よかったじゃないかと思っている内に、シンタローは寝入ってしまった。
 おそらくここ数日ろくに眠れていなかったに違いない。
 気が合わない叔父でも身内の側ということで、やっと安心できたのだろう。
 ハーレムはシンタローの顔にかかっている髪をはらってやろうと、手を伸ばしたがやめた。
 柄でもないと思ったせいもあったし、また、目を瞑った甥の顔があまりにもあの男に似ていたので直視したくなかったためかもしれなかった。








 ちょうど一時間後、シンタローは独りでに目を覚ました。
 戦地では目覚まし時計など使えるわけもないから、こんなことには慣れている。
 強張った身体をそろそろ伸ばして慣らしていると、起きていたハーレムがさっさと立ち上がり、出発を促した。
「目ぇ、さめたな。行くぞ。」
「……うん。」
 妙に殊勝げないらえに、ハーレムはシンタローを振り返ったが、特に変わった様子は見受けられなかった。 
「あのさぁ、そういや、ちゃんと方向分かって歩いてるんだろうなぁ。」
 アンタと心中なんてごめんだぜ、と小面憎い台詞を正面切ってぶつけてくる甥を、ハーレムは、はん、鼻であしらった。
「俺もおまえなんかと、秘境のアダムとイブライフを過ごすつもりは無いから安心しろ。」
 そう言って、地図が映ったディスプレイをシンタローに向けて軽く振ってみせた。
 とりあえず地図の存在に安堵して、ハーレムの後についていきながら、シンタローは基地の方を振り返った。
「……追ってくる様子がないな。戦闘機が何機か飛び立った音は聞いたけど。」
「向こうも、それどころじゃねぇんだろ。」
 少し気になったものの、自分たちも『それどころじゃない』ので、シンタローは一旦、頭からそのことを振り払った。
 今すぐ追っ手がかからないとしても急がなければならないことには、なんら変わらないのだから。
 そのうえ、体中の傷がぴりぴりと痛んで、ともすれば足が止まりそうになる。
 飲んだ薬は化膿止めだったが、鎮痛剤はおそらく処方されていない。
 鎮痛剤を飲んでぼーっとなった頭で、敵基地脱出などできるはずもないだろうから仕方がないことだ。
 とにかく、進もう。
 一歩でも、半歩でも、弟が待つ家に近づけるように。
 ただ、ひたすらに足を交互に動かせば、いつかはたどり着けるから。
 シンタローは、一瞬かすんだ両目を腕でこすり、叔父の背中を追った。
 隠密行動のため、いつもの目立つ隊長服ではなく、他の特戦部隊の制服と同じ黒いレザーの上下だ。
 自分よりがっしりした肩、見慣れたそれとよく似た広い背中に、シンタローは怪我のせい以外の痛みを覚えた。
「なんで、わざわざ連れ戻させるんだ……捕まるような役立たず、用済みだろうに……。」
 苦々しげなそのつぶやきをハーレムが嗤う。
「パパにお迎え寄越されるのが嫌なら、迷子になんざならねぇこった。お坊ちゃま。」
 振り返らなくても、今シンタローの顔が屈辱に歪んでいるのが分かる。
 馬鹿馬鹿しい。子供のプライドに過ぎない。
 あの男から誰も与えられたことのない愛情と執着を一心に受けている事実を、シンタローは疎ましく思っているらしい。
 彼に敵わないことを知っているくせに、可愛いペットでいるだけの現実に逆らい続けるシンタローの愚かさに、ハーレムは時々苛々する。
 生まれつき強大な力を持ち、しかもそれをコントロールする術さえ身につけている兄。
 少年としか呼べない頃から既に絶対者の地位に就いて、世界相手に戦いを挑んだ。
 そんな兄を崇めこそすれ、本気で争うことなど自分は考えたこともなかった。
 生まれつきの器が違う。
 そんな相手は確かにいるのだ。
 なのに、シンタローだけは逆らう。
 過去の経緯から兄に隔意を持つサービスでさえも、あそこまであからさまにマジックに対して牙はむかない。
 あの青い両眼を真っ正面から睨みつけることができる者など、シンタローくらいだ。
 それはもう勇気と言うより傲慢さだと、ハーレムは思う。
 父親が自分に対して制裁をくわえたりできないという、愛される者の持つ驕り。
 マジックの指先一つで殺される脆弱な子供であるのに。
 一族の証ひとつ持たない彼だけが、一族最強の男に逆らう。
 馬鹿馬鹿しすぎて笑い話にもなりはしない。
「だいたい、おまえ、今回の作戦がやばいって分かってたって話じゃねぇか。次はアホな上司を止められない時はとっとと逃げろ。まーた、俺がかり出されるはめになる。言っとくが、兄貴は絶対サービスだけはよこさねぇぞ。」
 そもそも捕虜になった原因というのは、シンタローの上官である男が功を焦って立てた作戦の失敗なのだが、その場にいた隊員からの報告でシンタローが一度だけ反対したことが分かった。
 その上官はその戦闘の際、結果的に自らの命で責任をとることになったのだが、生き延びた場合彼を待つ運命と、どちらの方がより悲惨だったか誰にも分からない。
「……ガンマ団の規則は上官の命令は絶対だろーが。」
「はっ! しょっちゅう、『総帥』に逆らっているのはどちらの下士官だったっけ?」
 一言できりかえされてシンタローは黙り込んだ。
 ハーレムは空を見上げて、内心舌打ちをした、
 天蓋がどんどんと黒から藍色、そして群青へと変わっていく。夜が明ける前に脱出ポイントにつきたかったが仕方ない。
 一時間、は痛かったか、と計算の大雑把さを悔いる。
 けれど、シンタローの体力はほぼ限界に達していたことは見てとれたし、途中で倒れられるより、休憩をする方が得策ではあっただろう。
 地を這う蛇のような木の根に足をとられそうになり、ハーレムは注意を促そうとシンタローを振り返ってぎょっとした。
 地面にうずくまり、荒い息を吐いている彼の顔は真っ青で、今まで相当無理していたことが分かる。
「おい、シンタロー……。」
 呼びかけると、シンタローは「うるさい」とうなるようにして両手をつき、肩を起こした。
「今……立つ…立つから……。」
 腹の底から絞り出すようなその声に、ハーレムあろうことか気圧されて、動きを止めた。
「俺は帰らなきゃいけない……絶対…。」
 シンタローは崩れ落ちそうになる身体を必死で両手で支えている。
 その爪に土が入り込むほど力を入れて。
「止めるまもなかった……ほんの一瞬だ……拘束してたやつを振り払って重傷のもう一人を刺して、次に自分の動脈を……。」
 なんのことを言っているのか、一瞬分からなかったが、シンタローを見つけた時の会話をハーレムは思い出した。
 あの時、シンタローは言わなかったか。
 『二人だ』と。
 『自分が殺した』とも。
 はいつくばる甥を見下ろした。正しくは、その激しく上下している肩を。
「情報を守るためにか、マニュアル通りだな。」
 シンタローの顔が苦痛に歪む。
「……一般団員のあいつらが、なんの情報を持ってた? ……俺のことしかないじゃねぇか。」
 総帥の息子が奴らの手の内にいることを万が一でも口走らないように、自分と瀕死の仲間の口を封じた。
「俺一人なら、脱出できただろうって……拘束された直後にそんなことを言ってて…俺は全然その時分かってなくて……。」
 鮮血を喉から吹き出しながら、冷たい床に倒れる仲間を、押さえつけられていた自分は呆然と見ているしかできなかった。
「俺が総帥の息子で無ければ、少なくともあんなぎりぎりの選択をすることは無かったんだ。でなきゃ俺が……っ!」

 父親のような力があれば、こんなことは起きなかった。

 かすれて消えたその言葉は、ハーレムの耳にかろうじて届いた。
 少しだけ起きあがった身体は再び崩れて、顔を地面に突っ伏している。
 けれど、それでもまだ指を地に突き立て、立ち上がろうとするのをやめない。
「……絶対帰る。」
 自分に言い聞かせるように、シンタローはそう繰り返した。
 名前も知らない兵士だった。
 たまたま、今回同じ隊に配属されただけだ。特別に親しかったわけもなければ、自分に阿ろうと、近づいてきたこともない。
 彼が自分を守ろうとしたのは、自分が総帥の息子だったからだ。
 だから、自分はどんなことをしてでも、この場所から脱出しなければならない。
 それだけを思って、死ぬほどの苦痛も屈辱も耐え抜いた。
 ただ、生き抜くことだけが自分の義務だから。
 歩けないなら、這ったままで、足が動かないなら、この両手で。
 ふいに、ぐいっと腕を引っ張られ、視界が高くなった。
 肩に担ぎ上げられた状態で、首をひねっても叔父の顔は見えなかった。
 かわりに、叔父の苦々しげな声が不思議なほど近くに聞こえた。
「ちっ……おまえ、重くなりすぎだっての。前にだっこしてやった時は軽かったぞ。」
「小学生くらいの話だろ、それ。」
 するとハーレムも、まあ、そうだけどよ、としぶしぶ同意した。
「それにしても、でかくなりすぎだ。おまえ。」
「悪かったな。」
 その声のふてぶてしさに、ハーレムは少しだけ安堵のため息をつく。
 あと、一時間余りこうやって運ぶのは急いでいる今、きついことはきついが別に出来ない話ではない。
 やっと成人したばかりの身体は、自分に比べればまだ脆弱だ。あと、一、二年もすれば兄や自分たちと肩を並べるくらいにはなるだろうが。
 それにしても、大きくなったものだ。
 自分が知っている黒髪の子供は自分の膝より背丈が低くて、その前は両手に乗るくらいだった。
 まぁ、その時分は兄が他の人間になかなか抱かせたがらなかったため、実際に乗せたのは数回くらいだったが。
 それが今では、こんなにも重い。
 それは彼が背負ってきたものの、重さとも比例しているのだ。きっと。
 シンタローのために、同僚と自分の命を使った団員。
 今、肩の上で体力の消耗と怪我による熱で震えている子供は、紛れもなく兄の子供だ。
 望む望まないにかかわらず、どうしようもなく人を惹きつけ、その身を捧げさせてしまう。
 兄のその源は、絶対の強さだ。
 心も体も、疵一つ無い人離れした存在に、人は恐怖し、心酔する。
 では、シンタローの場合はなんなのだろう、と、ハーレムは思う。
 確かにシンタローは強い。あと数年もしない内にナンバーワンの地位を得ることになるだろう。
 けれど、それはマジックとは比べるべくもないほどのものに過ぎない。
 でも、彼は兄と同じくらい……いや、もしかすると、それ以上に人の心を掴んでしまう。「さっき、アンタ……止められねぇ時は逃げろって言ったな。」
「ああ?」
「さっきだよ、馬鹿な上司を止められなかったら、やられる前に逃げろって。」
 聞き返したハーレムにシンタローは繰り返した。
 そして、いっそう低い声で呟く。
「止められたんだ。本当は。」
「………。」
「もっと、強く言えば、俺がごり押しすればきっと止められた。けど、俺はやらなかった。親父の七光りと言われるのがいやで、できなかったんだ。」
 一瞬、しゃくり上げるような声になったが、すぐにそれは治まった。
「やばい、って分かってたのに、俺は俺のちっぽけなプライドを守りたくて止めなかった。」
「思い上がるな。」
 ハーレムはシンタローの言葉を途中で遮った。
「おまえは、まだガキだ。ガキのできることなんてたかが知れてる。おまえの守らなけりゃいけねぇもんはそれくらいなんだ。」
「そうだ、ガキだよ。だからって分からないでいいってことあるかよっ!」
 自分の命とプライドだけ守りきればいいと、そうどこかで思っていた。
 けれど、たとえ、自分がどう思っていようと周りはそうは見ない。
 彼らは自分を総帥の息子としてしか見られず、そして、そう扱うのだ。
 それを、自分は本当の意味では分かっていなかった。
 あの鮮血を浴びるまで。
「二度と……俺はこんなへまはしない……っ! 絶対に。」
 シンタローはハーレムがレザーを着込んでいることに感謝した。
 もし、これがシャツなら分かってしまっただろうから。


 


 自分が今、泣いていることを。















 担がれたまま、一時間と少しジャングルを抜け、急な斜面というか切り立った崖の麓までやってくると、そこにロープが張られていた。
「先、上れ。できるな?」
「ああ。」
 肩から下ろされシンタローはなんとかロープを掴み、崖を上りはじめた。
 いつもなら、たいしたことでもないその作業は今の彼にとっては、非常な苦行だった。
 手を何度も滑らしそうになりながら、必死で伝って上を目指す。
 空まで続いているんじゃないかと思うほど、長く感じられたクライミングが後少しというところで、強い力で引っ張り上げられた。
 敵かと身をすくませたシンタローだったが、自分を捕まえている腕が叔父と同じレザーに包まれていることに気づいた。
「G、王子サマ、ちゃんと生きてるぅ?」
 ちゃらちゃらした声がして、自分を助けた男の肩越しに、アイスブルーの瞳の男が顔をのぞかせる。
「おやおや、手ひどくやられましたねぇ。っていうか、もしかして、オジサマ?」
「ロッド。」
 低い声でたしなめられても、ロッドと呼ばれた男はけろっとしている。
「あははー、あのワガママなオッサンならやりかねねぇじゃん。手間かけさせてんじゃねぇとか。」
「誰が、ワガママなオッサンだって?」
 いつの間にか崖の上に指がかけられ、ハーレムが目だけ出していた。
「隊長っ! お早いお着きで……っ。」
「すっっっごく、嬉しそうだな。ロッド、給料減らずぞ。」
「えっ、これ以上? どうやって?」
 馬鹿なかけあいをしながら、ハーレムはひょいっと上に飛び上がり、部下に水を飲まされていたシンタローの顔を持ち上げ、怪我の具合をチェックした後、にっと笑った。
「ちゃんと、脱出できたな。」
「……うん。」
 素直に頷いた甥の頭を一度かきまぜた後、ハーレムは顎をしゃくって部下にシンタローを運ぶように指示した。
「さて、と。」
 ハーレムは振り返って、眼下に広がる密林を見下ろす。
 あんなに長い道のりだったが、上から見下ろせば、例の基地は案外近い。
 肩を支えられて歩き出していたシンタローが振り向くと、叔父の片手が上がった。
 長い金髪が下から拭く強い風に吹かれて、ばらばらと空に舞う。
 青い光がその手から溢れ出すのを見たとき、シンタローは叫んだ。
「やめろっ!」
 駆け寄ったシンタローが、ハーレムの手を押さえようとした時にはもう、力は放たれた後だった。
 一瞬のうちに半壊した建物に、シンタローは非難の声をあげた。
「ハーレムっ! あの中は無理矢理徴兵で連れてこられたヤツや、雑務でやとわれただけの一般人だっているんだぞ!」
 しかし、ハーレムはシンタローの叫びなどまったく無視して、部下達に命令を下した。
「ロッド、G、後はおまえらで片づけとけ。対空システムはぶっこわれただろうから、上から行け。」
「はーい、了解しましたーっ。」 
「ハーレムっ!」
 ほとんど悲鳴のような声をあげる甥の二の腕を掴み、ハーレムはもう一台残っていたヘリへと引きずっていく。
「マーカー、すぐに出せ。早いとこ、兄貴にこのはねっかえりを引き渡してやらねぇとうるさいからな。」
「ハーレム待てよっ! 俺の話を…っ。」
 なおもしつこく食い下がるシンタローを「こいつもうるさい」と呟いてから、シンタローの肩を掴んで自分の方へ向けた。
「シンタロー。俺が総帥から受けた任務を教えてやる。」
 有無を言わせない叔父の口調にシンタローは思わず黙った。
「一つは、おまえを連れ戻すこと。そしてもう一つは、特戦部隊隊長として受けた命令だ。」
 特戦部隊の出動、それが意味することはシンタローもよく知っていた。
「兄貴が出した命令は、『制圧』から『殲滅』に切り替えられた。草一本に至るまで、この国を滅ぼせだとさ。」
「な……ん…で。」
 喘ぐようにして聞き返しながら、シンタローは父が垣間見せる――本人は自分に対しては隠しているようだが、それでも知っていた――冷たい青い瞳の輝きを思い出していた。
「シンタロー、あの兄貴がおまえを奪った奴らを許すとでも思ったか? おまえを取り戻すためなら、団員だろうと使い捨ての男だぜ。おまえ以外は、兄貴にとっては視界を時折横切る影にしか過ぎないんだ。」
 シンタローの顔色が悪いのは、怪我のせいだけではないだろう。
 それでも、ハーレムは続けた。
「おまえとは、まったくやり方も考え方も違う。おまえは絶対許せないと思うことだって、兄貴は平気でやる。」
 ハーレムが手の力を抜くと、シンタローの腕がだらんと落ちる。
 マジックが何よりも寵愛しているその黒い瞳に、激しい葛藤が映っていたが、ハーレムは容赦しなかった。
「それは、総帥として必要な資質だ。切り捨てる判断も、自分に刃向かう者に対して容赦なく振る舞うことも―――おまえもいつかそうなるんだ。」
 最後の言葉にシンタローは正気に戻って、激しく首を振った。
「俺は総帥になんかならないっ!」
「兄貴はそう決めてるぞ。ということは周りも。」
 すると、シンタローは叫んだ。
「俺は決めてないっ!」
 シンタローは自分の髪をひっつかみ、叔父につきつける。
「金髪も秘石眼も持ってない。ハーレム叔父さんだって無理だって思ってるだろ――俺だって知ってる。」
 ハーレムは目の前の黒髪を見、同じ色の瞳を見る。
 それはいつもなら、想い出の中の忌々しいあの男を思い出させる色。
 けれど、今、傷から溢れ出す血のように、絶望だけが流れ出すその瞳はあの空っぽの虚ろを抱えたあの双眸では無い。
 強さ弱さすべてが混沌とした色合いは、彼とはまったく違った。
 ハーレムは、甥の目をまっすぐ見た―――あの男に似ていると気づいてから、初めのことだったかもしれない。真正面からこんなに長い間見つめたのは。




「なら、おまえが選んでみせろ。おまえが決めた答えを俺が見届けてやるよ。」












 本部に無線で連絡をいれたマーカーは、上司に尋ねる。
「隊長、よろしいんですか?」
「何が。」
 マーカーは前方を見据えたままそれに答える。
「先ほどシンタローさまにおっしゃられた内容は、まるでシンタローさまのマジックさまからの離反をそそのかしているようでしたよ。」
 ハーレムは、ちらっとシンタローを見たが、彼は疲れと薬のせいでぐっすり眠っていた。
「別に、そそのかしちゃいないさ。ただ、こいつが思うままに動いたら、面白いことになりそうだから見物しようと思っただけだ。」
「そうですか。」
 マーカーが口元をかすかにゆがめたのを、ガラスにうつった影で見たハーレムは何か言おうとしたが、なんとか言葉を飲み込み、かわりに煙草に火をつけた。
 煙を一、二度吸うと、少しだけ疲れが癒された気がする。
 肩にもたれかかった甥の頭が重い。頭どころか全身を担いで走り回ったのに、今の方がずっと重く感じた。


「―――見ててやるよ。おまえが決めるのを……敵としてか味方としてかは、その時になんねぇとわからんけどな。」


 その囁きは、着陸の準備に忙しい部下に聞こえるほどは大きくはなかった。
 

 ささやきかけられた当の本人―――眠れるライオンハートにも。









2005/02/24



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hl
頂戴!


ひどく億劫そうに、ゆっくりとシンタローは体を起こす。
だらしがねぇな、と喉の奥で笑うと無言で睨まれた。

「まだいいだろ」
「俺は明日も早いんでね」

最近日に浴びることも少なくなったためか肌の色は帰ってきた頃より白い。
その裸身が闇の中に浮かび上がり、それに夜色の髪がまとわり付くさまはどうにもこちらの欲情を煽る。
一族と違った象牙の肌と夜色の髪の組み合わせは何故か昔から気に入っていた。

「まだ、いいだろ?」
「言ったろ?あんたと違って暇じゃないんだ」

こちらを一瞥して、それより煙草、焼け焦げなんてつくんなよ。と的外れなことを言ってくる。
そして帰るために投げ出されていたシャツを手に取り手を通す。
それを着終わる前に目の前にある、先ほどまでつかんでいた腰を舐め上げた。

「!?」

にや、と笑って見せるとこちらの意図を察したか慌てて立ち上がろうとする。
それを煙草を持っていないほうの手で無理やり腰に手を回しそのまま再びベッドに逆戻りさせる。

「てっめ・・このナマハゲ!!」
「うるせぇ」

のしかかりベッドに押さえつけると噛み付くように唇を重ねる。
息が上がった唇の上で囁いた。

「いいからお前を寄越せよ。シンタロー」



FIN

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(07.07.02.)
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