チュンチュンチュン………
外から漏れ聞こえる鳥の声。
朝の目覚めに最適なその声を聞きながら、シンタローさんはもぞもぞと布団の中で身動きしました。
まだ起きたくはないのですが、もうそろそろ鳥好きな団員が朝っぱらから盛大に豆まきをしだして、もっとうるさくなるだろうことはわかっていたので、仕方なくのろのろと上半身だけ起こすと大きな欠伸を一つしました。
今日はシンタローさんの12回目の誕生日です。
せっかくの特別な日を寝過ごして無駄に使いたくはありませんし、やはり起きるべきなのでしょう。それに今日は、シンタローさんには重大な使命がありました。シンタローさんにとって、生死を決めるにも等しいほどのものです。
ガバッと布団をはねのけて、勢いよくふかふかのセミダブルのベッドから飛び降りると、シンタローさんは決意も新たに拳を握り、カーテンを勢いよく開けました。
外はとてもいい天気で、一気に光の洪水がシンタローさんを襲いました。
自分の誕生日に雨が降って気分のいい人間などいませんし、シンタローさんもそれに違わず、晴れ晴れとした天気にワクワクした楽しい気分がこみ上げてきました。幸先は良さそうです。
トコトコと部屋の隅まで歩いていくと、ウォーキングクローゼットから着替えを取りだして、ちゃっちゃと着替えます。大きなクローゼットの中には色んな服が収納されているのですが、中には女の子の服など誰が着るのかもわからないようなものが仕舞われていて、自分の部屋のクローゼットなのに、シンタローさんにとってなかなかに未知な領域なのでした。
というか、ちょっと恐ろしくて調べられないというのが本音かもしれません。
洗面所に行き顔を冷たい水で洗い、ガシガシと歯を磨くと、すっかりシンタローさんの目は覚めました。そんなに目覚めの悪い方ではないシンタローさんなので、冷たい水で顔を洗えば、どんなに眠くてもたいていの場合目が覚めます。
そうして、だんだん伸びてうっとおしくなってきた髪を簡単に梳いて、シンタローさんは鏡を見ました。
中途半端に伸びた髪というのはなんとも情けなく、うっとおしさも相俟って切りたい衝動に毎朝駆られるのですが、大好きな美しい叔父さんのように長い髪にしてみたいという野望を持ったシンタローさんは、じっとその衝動を抑えるのでした。めざせサラサラロングヘア、を目標に掲げているシンタローさんです。
ゆったりとした足取りで洗面所を出ると、昨日のうちに作っておいたサンドウィッチを冷蔵庫から取り出すと、一口囓って思案に暮れました。
色々と昨日から考えていたのですが、どうもいい場所が思い浮かびません。
けれども、歩いているうちに思いつくだろうと見当を付け、シンタローさんは忙しく残りのサンドウィッチを口に詰め込んで呑み込むと、小さなリュックにお菓子とペットボトルを詰め込み、準備は万端!とばかりにそれを背負います。
そうして、まだまだ朝も早い時間から、シンタローさんの一日は始まったのでした。
まだ日が昇って何時間も経ってはいないので、ひんやりとした無機質な廊下はとても静かです。おまけに人っ子一人いないため、余計にそう感じてしまうのでした。
そこを、ソロリソロリとまるでドロボウのように抜き足差し足でシンタローさんは進んでいきます。
本当は匍匐前進でもしたい勢いですが、流石にそれをやるのはためらわれました。廊下で匍匐前進しているところを誰かに見られたらちょっと恥ずかしい、と幼心に思うシンタローさんなのでした。
それに、こんな隠れるところもない広い廊下で匍匐前進などしても、無意味というものです。
(どこ行こう………)
歩きながら、先程から頭の中をグルグルしているものはそれだけです。部屋から出たはいいのですが、まだ行き先は決めていません。
そもそも、何故シンタローさんがこんな朝早くからバタバタと大慌てで出掛けようとしているのでしょうか。
それは、毎年恒例になりかけている、誕生日のシンタローさんの境遇にあるのでした。
総帥の息子とあって、シンタローさんの誕生日には盛大なパーティーが行われます。その日だけは仕事は一切受けず、飲めや食えやの大騒ぎになるのです。
広いホールにどっさりと幹部や団員達が集まるのは、別にいいのです。盛大なパーティーも、楽しいので毎年とても楽しみでした。
問題は、家族やら親族達、なのです。
父親を筆頭に、いとこやら叔父やら……。とにかくひっつきたがるのです。
いえ、ひっつきたがる程度の可愛いものならば、シンタローさんもここまで追い詰められてはいないでしょう。
彼らは何故か”シンタローさんと二人っきりで誕生日を過ごす”ことにとっても執着するのです。オマケにそれがハンパな執着心じゃありません。勢いに押されてひっくり返りそうなほどなのです。
毎年毎年追いかけ回されて、すっかり疲れ切ってしまっているシンタローさんです。この歳から追いかけられる苦労を積んでしまっているのでした。
(おじさんだけならいいんだけどなァ……)
シンタローさんは美しい美貌を持った叔父が大好きでした。ハッキリ言ってかなり懐いています。どこかの嫉妬した某総帥など、危うく丑の刻参りに行きそうになった程です。
叔父さんとなら楽しいバースデーを過ごせそうなのですが、如何せん叔父さんと一緒にいると嫌でも見つかりたくない相手に見つかってしまいます。麗しき叔父さんはいるだけで目立つのです。
見つかりたくない相手は勿論、父親であるマジック氏でした。
(アイツにだけは見つかりたくねぇ……)
反抗期真っ直中のシンタローさんは、すっかりマジック氏を毛嫌いです。勿論それだけが理由ではなく、彼の過激な愛情表現にもあるのですが。
マジック氏の行き過ぎな親子愛には少々うんざりしているシンタローさんです。
そんなこんなで、今年こそ穏やかな誕生日を過ごそうと、朝も早よから出掛けることを決意したのでした。
悶々と考えていたシンタローさんは、ふと、ある男の存在を思い出しました。
彼は、妙にシンタローに構いたがる親族の中では、比較的必要以上に干渉したがらない男です。いえ、悪戯やからかわれるのはよくされるのですが、それでもまだマシな方です。
それに、彼はエラそうにふんぞり返る割には、シンタローさんをちゃんと一人の大人扱いしてくれるのです。
あちこちとお得意の飛行船で世界を飛び回っている彼に初めて会ったのは、数年前の秋のことでした。彼のナワバリにシンタローさんが踏み込んでしまったのがキッカケです。
それ以来、ガンマ団本部に彼が戻っているときには遊びに行くようになり、どことなく喧嘩友達のような、けれども友人とも呼べるかよくわからない、なんとも奇妙な関係を続けているのでした。
丁度いい、とシンタローさんは自分の名案にポンと心の中で手を打ちました。
(あそこへ行こう!)
―――あの切り株の森へ。
しかし、決意したところで、思うようにはいかないのが世の常というものです。
思い立ったが吉日と、極力足音を立てないように駆けだしたシンタローさんだったのですが、数メートルも行かないうちに、こんな朝っぱらからタイミング悪く歩いてくる人影がありました。
まずい、と思っても隠れる場所など、このだだっ広いだけの無情で無機質な廊下にはカケラもなく、いきなりピンチなシンタローさんです。
(このやろう! 来るんじゃねぇッ!!)
などと、呪いをかけようとするかのように心の中で怒鳴ってみてもどうにもなりません。
そんなこんなをしているうちに、ほんの少し薄暗い廊下の先にいる人物の姿が遠目に判断できた瞬間、
「!!!!!」
シンタローさんは可能な限り素早く回れ右をしました。
………が、
「あーッ! シンちゃんvv 探したんだよぉ~~!!」
黄色い声……もとい楽しげな声がシンタローさんの頭を小突くように追いかけてきました。
シンタローさんは嫌そーに顔を歪めましたが、見つかったものは仕方がありません。男らしく覚悟を決めて潔く人影に向き直りました。
「朝っぱらから大声出すなよナ、グンマ……」
声の主、いとこのグンマくんに向かってげんなりとシンタローさんは言ったのですが、グンマくんはまったく気にする気配はありません。
人のするコトなすコトにはしつこいくらいねちっこいクセに、自分のことにはゴーイングマイウェイまっしぐらな人物なのです。
その上、常にそのいとこに金魚の糞のようにつきまとっている男。
「シンタロー、グンマ様に指図するなんて赦しませんよ!」
「………なんでオマエまでいんだョ、マッドドクター」
「マッドは余計です。注射しますよ」
容赦なく言い返してくるドクター高松をジロリと睨み付けて、シンタローさんは口を噤みました。
注射は嫌いです。しかもドクター高松の注射なんて何が入ってるかわかったもんじゃありません。防衛本能に長けているシンタローさんなのでした。
「で、なんの用だよ」
何となくわかっていながらも、一抹の望みをかけて訊かずにはいられないシンタローさんです。
ちょっと奇抜なプレゼント贈呈、くらいなら貰ってやるからこの場を去らしてくれ……などと一生懸命になって心の中でお祈りしてみましたが、それをアッサリ砕くように、
「グンマ様が拉致監禁パーティを開きたいと仰っているのでね」
「やめんかッ!!」
「お見事。コンマ1秒でしたねぇ……」
「わぁ~! シンちゃんすごーい!!」
「…………………」
なんだかこの二人にマジメに付き合ってる自分がアホみたいに思えてきたシンタローさんでした。
ここは一気に強行突破しかありません。
そう思ったシンタローさんは、リュックに詰め込んでいたものの中から丸い物体を取り出すと、素早い動きでそれを二人の足下に勢いよく投げつけました。
シュッ!
パンパンパンパンッ!!
「っ!!」
「うわぁあッ!」
突如鳴った耳をつんざく音に二人が驚いて体を竦ませたその一瞬の間に、シンタローさんは一気にその横をすり抜けて全速力で走りました。
煙玉とクラッカーボールを同時に投げつけたため、シンタローさんが走り去ったあとにはモクモクと煙が漂っています。
(あぶねーあぶねー……。こんな早くから動き出してやがったのか。早いとこ行った方が良さそうだなァ……)
銀の廊下を風のように走り抜けながら、煙にむせる声を背後に聞き、そんなことを思うシンタローさんなのでした。
グンマ達を文字通り煙に巻いた後、シンタローさんは相変わらず無機質な廊下をただただ歩いていました。
幼い身体にはこのガンマ団基地は広すぎましたが、慣れたシンタローさんにとっては自分の庭のようなものです。歩くのには時間が掛かっても、新人の団員などよりはよっぽど早く目的地まで突くことが出来るのです。
今日の場合の目的地は、勿論玄関ホールでした。
しかし、問題は門兵です。シンタローさんは、エントランスから門の辺りを眺めて考え込みました。
門兵はマジック氏と繋がっていると見て、まず間違いはありません。シンタローさんが出ていけば、マジック氏に筒抜けになってしまうでしょう。シンタローさんにとって、それはゴメンです。
キョロキョロとシンタローさんはあたりを見回しました。こっそり脱出するのに、何か使えるものはないかと思ったからです。
そして、向こう側の廊下から誰かがやってくるのが見えました。シンタローさんは、相手が幾ばくかもこちらに来ないうちに、誰だか気付きました。
シンタローさんの叔父、ハーレムです。
逆立った金色の豪奢な髪は、なかなか間違えようがありません。シンタローさんは自分の運の良さに喜びました。
ちょうど彼のナワバリに行こうとしていたところですし、おまけに彼は、何故か大きな袋を肩から提げていたのです。あの大きさならシンタローさんでも楽々入れそうです。
脱出の予感を秘めて、シンタローさんはハーレムの元へと走り寄りました。ハーレムはすでにシンタローさんに気が付いていたようで、エントランスを出ようとしたいた足を止めました。
「ハーレム!」
シンタローさんは声を潜めて呼びました。そして、ガシッとハーレムが着ていたコートの裾を強く握ります。
「いまからどこ行くつもりだったんだ!?」
「それよりも、お前はどこ行くつもりなんだよ」
唐突な上、必死に質問したシンタローさんをハーレムはさらりと流します。しかし、シンタローさんは幼い故か、そのことに気が付かず、素直に「アンタのナワバリに行くつもりだった」と答えました。
「だから、その袋に入れってくんねェ?」
コートの裾を握ったまま、シンタローさんはハーレムを振り仰ぎます。
背の高いハーレムの顔を見るためには、必然的に上目遣いになることは仕方がありません。そして、シンタローさんの上目遣いに勝てるものはいないのでした。
「しょーがねェな……」
まんざらでもない顔でハーレムはそう言うと、シンタローさんの首根っこを掴むと、ポイ、と大きな黒い袋の中に投げ込みました。
まんざらでもない顔のわりには、結構乱暴です。
「いだッ!」
放り込まれた瞬間、袋の中に入っていた硬い箱に身体をぶつけて、シンタローさんは声を上げました。
「静かにしろ」
「いってー…、なんだョ、これ」
「企業秘密」
「はあ?」
呆れたように返すシンタローさんが、コンコンとその謎の箱を拳で叩きます。
厚みのある、長方形の黒い箱です。シンタローさんには、何が入っているか皆目見当が付きませんでした。
「ほら、出るぞ」
ハーレムがそう言うと、シンタローさんは門兵にばれないように、口にチャックをしました。
「はー、つっかれたァ……」
無事に門を通りすぎ、ハーレムのナワバリ(自称)である森に着いた後、伸びをして草の上で寝転がりながら、シンタローさんはしみじみとそんなことを言いました。
朝からずっとこそこそと動き回っていたのです。小さな身体にはやはり負担になったのでしょう。
地面と仲良くしているシンタローさんの隣では、ハーレムが荷物を降ろして切り株に座っています。葉の生い茂った木々の隙間から適度な量の光が漏れてきて、シンタローさんはその心地よさに目を細めました。
なんとも気持ちの良い日です。
シンタローさんは今日この日にこの場所を選んだ自分を褒めてやりたくなりました。
今日一日、ここでのんびりこうしているのもいいかもしれないと思いながら、シンタローさんはハーレムの方を見やりました。
頭上から零れてくる光を反射する金糸が目に眩しく、シンタローさんは目を眇めます。逆光でハーレムの顔が少し見えにくかったので、目を凝らしてみました。
「何顰めっ面してんだ」
切り株の方から伸ばされてきた手で、シンタローさんは頭をグリグリと乱暴に撫でられました。
別にしかめっ面をしているわけではありませんでしたが、特にそれを言及するわけでもなく、シンタローさんは先程から気になっていたことを訊くことにしました。
「あの袋の中の箱って何?」
子供というのは好奇心旺盛なものです。知らぬコトがあれば知りたがり、解らぬものがあれば解りたがります。
そういった子供の性でシンタローさんは訊いたのですが、ハーレムはニヤリと笑っただけでした。
そんなハーレムの態度が気にくわなく、シンタローさんはジロリと睨みます。
「言えよッ!」
「お子様は感情の起伏が激しいなァ」
怒ったようなシンタローさんの口調もものともせず、ハーレムはクツクツと低く喉で笑いました。
子供扱いされたシンタローさんは、ムッとしたような顔をしました。実際子供なのですが、子供扱いされると反抗したくなるのが子供というものです。
「言えってば!」
ムキになったように怒り出したシンタローさんに、ハーレムはサラリと言い放ちました。
「お前の誕生日プレゼント」
「…………………………え?」
思わず間抜けな声を出してしまったシンタローさんです。
「だーかーら、誕生日プレゼントだっていってんだろ」
耳遠いんじゃねェのかァ? などといつもの軽口を言われて、シンタローさんは我に返りました。
「俺の?」
「お前の」
確認するように訊いたシンタローさんの言葉に帰ってきた返事に、シンタローさんはハーレムの傍らに置かれている黒い袋ににじり寄りました。寝転がっていたため、匍匐前進です。
ハーレムはそれを見て、「芋虫みてェ」と呟きましたが、シンタローさんは聞こえない振りをしました。怒ってプレゼントを貰えなくなったらマズいと思ったのです。
「開けてもイイ?」
「好きにしろ、お前のだ」
シンタローさんは袋から出した黒いケースの蓋をバチンと開けました。
「あ……」
シンタローさんが小さく声を上げます。
中に入っていたのは、ナイフ一式でした。
前にシンタローさんがナイフを使えるようになりたいと言っていたのを覚えていたのでしょうか。
秘石眼のないシンタローさんは、それ故に力を欲していました。そして、それの第一歩として、ナイフを自在に使えるようになりたいと思っていたのです。
ちらりとハーレムに言ったことはあるような気がしたシンタローさんでしたが、よもやそれを覚えていて、その上くれるとは思ってもいませんでした。
手を伸ばして刃に触れると、ひんやりとした感触が指に伝わってきました。
「使い方は暇なときに教えてやる」
ぶっきらぼうにハーレムが言いました。
「ホントに!?」
「嘘ついてどーすんだ」
呆れたように言うハーレムの膝の上に、シンタローは勢いよく飛び乗りました。
驚いたハーレムの首に腕を回して金糸を掴み、シンタローさんは勢いよくハーレムの頬に唇をくっつけました。
「!?」
「お礼! ありがとな、ハーレム!」
驚きで言葉が出ないハーレムを気にすることもせず、シンタローさんは嬉しそうにそう言うと、さっさとハーレムの膝を降りてケースの前に座り込んでしまいました。
一瞬の後、我に返ったハーレムは、
「誕生日プレゼントにお礼はいらねェんだョ……」
などと、少々赤くなった顔でぼやいていましたが、シンタローさんの耳に届くはずもありませんでした。
end...
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