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ライオンハート



 渓谷の奥まったところに、その要塞はあった。
 その谷を囲むようにして密林が広範囲に広がり、侵入者を防いでおり、国土をほぼ侵略されたその国の最後の砦となっていたのである。
 ガンマ団の攻勢が始まったのは、つい二ヶ月前のこと、上層部が事態に対応するよりお互いの勢力争いに熱心だったせいもあって、じりじりと制圧が進み、主要な軍事施設はここしか残っていない。
 つまり、ここを落とされたらこの国は終わるのだが、逆に言えば、この施設を落とされない限り、敗北の日はやってこない。
 そして少し前ガンマ団への大がかりな作戦が成功し、基地内は一種の躁状態になり、この流れに乗って一気に壊滅だの、いっそ追撃も、などと兵士達は気勢を上げていた。






「ちっ、だだっ広いもん作りやがって。」
 舌打ちしながら、胸の辺りを探ってたばこを取り出そうとした男は、ここが敵の本拠地のまっただ中であることを今更ながら思い出して諦めた。
 別に発見されたとしても、すべて片づける自信はあるが、目当てのものを見つける前に『遊んで』いたなどと、長兄に知られでもしたら後が怖い。
 さっさと終わらせてしまいたいものだ、と、ハーレムは手元の小型ディスプレーに映し出された基地内の入り組んだ通路の地図をチェックした。
 ガンマ団の力を持ってしても、入手できたのはこの程度のものだということから、セキュリティーの高さを推し量ることができる。
 とりあえず、もっと精度の高い地図を手に入れようと、ハーレムは適当に見当をつけて歩き出した。
 そして、時折巡回に回る兵士達の気配を察知するたび、違う通路へ逃れているうちに、いつの間にか人気のない一画へと紛れ込んでいた。
 ハーレムは、引き返すべきかどうか数秒間ほど迷ったが、すぐに奥へと進む。
 どちらにしてもどこに地図があるのか分からないのだから、探してみたっていいだろうとそれくらいの考えだったのだ。




 時間にして5分程度も歩いただろうか。
 元々気の短いハーレムは変わらない景色に飽き飽きしながらも、その通路を進んでいた。
 もともと、このタイプの建物の中はあまり好きではない。
 慣れていないからではなく、その逆だ。
 多少は違うが、無機質で合理的で白くて、自分が育ったあの場所と大差ない。
 成人してからは、殆ど帰っていない『my sweet home』と。
 ハーレムが角を曲がろうとした時、視界の端で何かが動いた。
 踏み出しかけた足を元に戻し、壁にはりつき、向こうの気配を探る。
 どうやら相手も自分の存在に気づいたらしい。同じようにこちらを伺っている。
(めんどくせえなぁ。)
 ため息を堪えながら、上着をめくってその下のホルダーから銃を取り出した。
 撃鉄を起こすと、打って出るタイミングを待つ。
 その時、かすかにだが、乾いた音が耳に入った。
 やや右方からだ。
 ハーレムは銃を構え、『左へ』と向き直った。
 同時に空を切る音が耳元でし、ハーレムは銃を握っていない方の手を挙げ、首をねらってきた足首を掴んだ。
 それが攻撃に変わるほんの一瞬前に、彼はライトに照らされた男の顔を見た。
 黒い目が信じられないというふうに、大きく見開いて、不安定な体勢から自分を見上げている。
 ハーレムは軽く息を吐くと、甥の足を離してやった。
 シンタローは立ち上がり、叔父の顔を睨みつけた。
「……親父の差し金かよ。」
「まぁ、俺に命令できるのは、総帥しかいねぇよなぁ。」
 シンタローは唇をぎゅっと噛みしめると、叔父の横をすり抜けて歩き出す。
 その頑なな背に向かって、ハーレムは言う。
「おまえを連れて帰るのが俺の任務なんだよ。ちゃちなプライドで、人の仕事の邪魔をすんな。」
 シンタローは返事をしなかったが、それでも足を止めた。
 悔しそうな横顔には、痛々しいほどの痣や擦過傷が見受けられる。たいして痕になりそうなものではなかったが、彼を溺愛している父親が見たらさぞかし嘆いただろう。
 いや、どちらかといえば、アイツの方が嫌がるかもな、とハーレムは自分の片割れのことを思い出す。
 サービスがこの甥の顔にかなり執着していることは、過去の経緯を知っている数少ない人間なら誰でも知っていることだ。
 逆に、自分がこの甥の顔を疎ましく思っていることも。
「オイ、ちゃんと自分で動けるだろうな。」
「動いてるだろうが。今。」
 予想した通りの言葉だったが、やはり声に力は無い。
 眼魔砲を撃つことはほぼ無理だろう。拷問を受けていることもまた、予測していたことだった。
 実のところ、捕虜になって一週間過ぎた今、シンタローが生存していたことの方が驚きだ。
 シンタローが捕虜になったことは、ガンマ団の中でもほんの数人の幹部しか知らない。 その幹部の誰もが、彼の生存を絶望視し、あまつさえそれを口にした人間もいたらしい。
 彼らにしてみれば、異端の色合いの嫡子より、父親に疎まれていてももっともその血を濃く受け継いでいる弟や、それが無理でも二人残っている弟のどちらかの方が、ガンマ団の次期総帥にふさわしいと思っていたのだろう。
 最悪、まったく荒事に向いていないお坊ちゃん育ちの総帥の弟の遺児のような傍系でも、黒髪の総帥よりはマシだと、考えていたらしいが、それはまあ、あの保護者がいる限り無理だろう。彼の教育がそれに巻き込ませないことこそが目的だったと、今ではハーレムも薄々分かっている。
 そんな思惑が普段から渦巻いていた中、いわば今回のシンタローの災難は――『失態』ではなく『災難』であることは、彼らでさえ認めなければいけない事実だった――彼を認めない幹部にとって、僥倖だったのかもしれない。
 もっとも、そんなことをうっかり口走った男は、総帥であるマジックの青い怒りによって、粛正されてしまったが。
 命がぎりぎりあっただけでもめっけもんだ、とハーレムはその男のことを思いだしながら、シンタローを見る。
 少し長くなった髪の間から覗く首筋には絞められた時にできる傷もあった。どれだけの拷問を受けたのか分からないが、それでも自分の出自を明らかにするようなへまはしなかったらしい。
 なぜ、そう判断するのかというと、この国から、総帥の息子を人質にしたという声明や取引の申し出が無かったからだ。
 もしくは、ばれたとしても、音に聞くマジックの冷徹ぶりでは、実の息子の安否さえ取引の条件にはならないと思ったかもしれないが、シンタローが今生きているということはそれも無いだろう。。
 確かに、捕まったのが、幹部や優秀な研究員、いや、実の弟である自分であったなら、兄はそういう処置をとっただろう。
 無能な者は必要ない、と組織のために切り捨てたに違いない。
 ただ、シンタローはマジックにとって、例外中の例外である存在だ。どうなったかは、ハーレムでさえ分からない。
 シンタローもそれを恐れて殊更に己の正体を隠したのだろうが、よくばれなかったものだ。
 ふと、ハーレムはある疑問を口にした。
「おい、おまえの他には捕まった奴いなかったのかよ? そいつらはどうした。」
 すると、シンタローの足がぴたりと止まった。
 振り向かずに一言「二人」と答えた。
「俺が殺した。」
「ふうん、そうか。」
 シンタローの告白にハーレムはあっさり頷くと、さっさとシンタローの前に立って歩き出した。
 何も聞かないハーレムに、シンタローは不思議そうな視線を送ってきたが無視した。
 ここから、脱出口までまだ遠い。そこから、密林を抜けるのにおよそ半日以上、無駄口を叩いている暇はない。









 脱出は思いの外、すんなりと成功した。
 もちろん、弱っているシンタロー一人ではかなり危うかっただろうが、ハーレムの勘とやらのおかげで敵と鉢合わせすることもなく、暗い夜の森に逃げ込めたのだ。
 二時間ほど歩くと、ハーレムはぴたりと止まった。
 木の根元にどっさりと腰を下ろして、シンタローにも下に座るように手で指示する。
「おい、何休んでんだよ。この年寄り!」
「ここまでくれば、大丈夫だろ。おまえの脱走がばれているなら、もっと上が騒がしくなってるだろうけど、そんな気配もない。もし、ばれてても、死にかけの一兵卒に構っている暇なんざ、向こう様にも無いだろうよ。」
 そして、腰につけていたバッグから、携帯用の消毒薬などを取り出す。
「それより、てめえの怪我の方が問題だ。ここで倒れられたら運ぶのが面倒なんだよ。いいから、とっとと座れ。」
 そう言われ、シンタローは渋々ハーレムの正面を座った。
 上着のボタンをはずすと、そこに残る痕から彼が二週間の間受けてきた拷問の凄惨さが伺い知れた。
 確かにシンタローは、大事に育てられてきた御曹司であるが、受けてきた訓練は生やさしいものではない。いや、サービスの修行を受けてきたことを考えれば、他の一般団員よりよほど過酷な体験をしてきたはずだ。
 だが、それは、あくまでも修行や訓練に過ぎない。
 手錠を受け、人間性のかけらも尊重されない捕虜になるなど、頭では分かっていても彼にとっては想像も出来ない世界だったに違いない。
「シンタロー、『怪我』はこれだけか?」
 ハーレムの何気ない風を装った質問に、シンタローの身体がびくっと揺れた。
 みるみるうちに顔色が白くなっていく。
 しかし、必死で動揺を押し隠し、シンタローは「ああ」と頷いた。
「これだけだ。」
 ハーレムは目を細めたが、それ以上は特に追求せず、かわりにカプセルをシンタローに渡した。
「化膿止めだ。飲んどけ。一時間したら出発するからな。」
「……一つだけ、確認していいか?」
「うっせーガキだな。なんだよ。」
「これ、高松配合じゃねぇよな?」
 いついかなるどんな状況相手でも、『ちょうどよい被験体ですね~』と新薬の実験のチャンスとして利用しかねない男の名に、ハーレムは沈黙した。
「安心しろ、さすがのアイツも、おまえだけには悪さしたこた無かったろ。いいから、飲め。」
 やっぱり高松かよ、と情けない顔になったシンタローだが選択の余地は無く、ごくんと飲み込んだ。
「それでよし、じゃ、俺の隣来い。毛布なんざ持ってねぇから。」
 当然のことながら、シンタローは盛大に嫌がったが、ハーレムだって好きこのんで野郎と密着したいわけではなく必要に迫られてのことだ。
 うるさい、とっとと寝ろ、と子供の時さながらにしかりつけると、シンタローはおとなしく隣に座った。
「どうせなら、サービス叔父さんがよかった。」
 まだ憎まれ口を叩いているが、サービスにこんな醜態を見せたくないだろうから、よかったじゃないかと思っている内に、シンタローは寝入ってしまった。
 おそらくここ数日ろくに眠れていなかったに違いない。
 気が合わない叔父でも身内の側ということで、やっと安心できたのだろう。
 ハーレムはシンタローの顔にかかっている髪をはらってやろうと、手を伸ばしたがやめた。
 柄でもないと思ったせいもあったし、また、目を瞑った甥の顔があまりにもあの男に似ていたので直視したくなかったためかもしれなかった。








 ちょうど一時間後、シンタローは独りでに目を覚ました。
 戦地では目覚まし時計など使えるわけもないから、こんなことには慣れている。
 強張った身体をそろそろ伸ばして慣らしていると、起きていたハーレムがさっさと立ち上がり、出発を促した。
「目ぇ、さめたな。行くぞ。」
「……うん。」
 妙に殊勝げないらえに、ハーレムはシンタローを振り返ったが、特に変わった様子は見受けられなかった。 
「あのさぁ、そういや、ちゃんと方向分かって歩いてるんだろうなぁ。」
 アンタと心中なんてごめんだぜ、と小面憎い台詞を正面切ってぶつけてくる甥を、ハーレムは、はん、鼻であしらった。
「俺もおまえなんかと、秘境のアダムとイブライフを過ごすつもりは無いから安心しろ。」
 そう言って、地図が映ったディスプレイをシンタローに向けて軽く振ってみせた。
 とりあえず地図の存在に安堵して、ハーレムの後についていきながら、シンタローは基地の方を振り返った。
「……追ってくる様子がないな。戦闘機が何機か飛び立った音は聞いたけど。」
「向こうも、それどころじゃねぇんだろ。」
 少し気になったものの、自分たちも『それどころじゃない』ので、シンタローは一旦、頭からそのことを振り払った。
 今すぐ追っ手がかからないとしても急がなければならないことには、なんら変わらないのだから。
 そのうえ、体中の傷がぴりぴりと痛んで、ともすれば足が止まりそうになる。
 飲んだ薬は化膿止めだったが、鎮痛剤はおそらく処方されていない。
 鎮痛剤を飲んでぼーっとなった頭で、敵基地脱出などできるはずもないだろうから仕方がないことだ。
 とにかく、進もう。
 一歩でも、半歩でも、弟が待つ家に近づけるように。
 ただ、ひたすらに足を交互に動かせば、いつかはたどり着けるから。
 シンタローは、一瞬かすんだ両目を腕でこすり、叔父の背中を追った。
 隠密行動のため、いつもの目立つ隊長服ではなく、他の特戦部隊の制服と同じ黒いレザーの上下だ。
 自分よりがっしりした肩、見慣れたそれとよく似た広い背中に、シンタローは怪我のせい以外の痛みを覚えた。
「なんで、わざわざ連れ戻させるんだ……捕まるような役立たず、用済みだろうに……。」
 苦々しげなそのつぶやきをハーレムが嗤う。
「パパにお迎え寄越されるのが嫌なら、迷子になんざならねぇこった。お坊ちゃま。」
 振り返らなくても、今シンタローの顔が屈辱に歪んでいるのが分かる。
 馬鹿馬鹿しい。子供のプライドに過ぎない。
 あの男から誰も与えられたことのない愛情と執着を一心に受けている事実を、シンタローは疎ましく思っているらしい。
 彼に敵わないことを知っているくせに、可愛いペットでいるだけの現実に逆らい続けるシンタローの愚かさに、ハーレムは時々苛々する。
 生まれつき強大な力を持ち、しかもそれをコントロールする術さえ身につけている兄。
 少年としか呼べない頃から既に絶対者の地位に就いて、世界相手に戦いを挑んだ。
 そんな兄を崇めこそすれ、本気で争うことなど自分は考えたこともなかった。
 生まれつきの器が違う。
 そんな相手は確かにいるのだ。
 なのに、シンタローだけは逆らう。
 過去の経緯から兄に隔意を持つサービスでさえも、あそこまであからさまにマジックに対して牙はむかない。
 あの青い両眼を真っ正面から睨みつけることができる者など、シンタローくらいだ。
 それはもう勇気と言うより傲慢さだと、ハーレムは思う。
 父親が自分に対して制裁をくわえたりできないという、愛される者の持つ驕り。
 マジックの指先一つで殺される脆弱な子供であるのに。
 一族の証ひとつ持たない彼だけが、一族最強の男に逆らう。
 馬鹿馬鹿しすぎて笑い話にもなりはしない。
「だいたい、おまえ、今回の作戦がやばいって分かってたって話じゃねぇか。次はアホな上司を止められない時はとっとと逃げろ。まーた、俺がかり出されるはめになる。言っとくが、兄貴は絶対サービスだけはよこさねぇぞ。」
 そもそも捕虜になった原因というのは、シンタローの上官である男が功を焦って立てた作戦の失敗なのだが、その場にいた隊員からの報告でシンタローが一度だけ反対したことが分かった。
 その上官はその戦闘の際、結果的に自らの命で責任をとることになったのだが、生き延びた場合彼を待つ運命と、どちらの方がより悲惨だったか誰にも分からない。
「……ガンマ団の規則は上官の命令は絶対だろーが。」
「はっ! しょっちゅう、『総帥』に逆らっているのはどちらの下士官だったっけ?」
 一言できりかえされてシンタローは黙り込んだ。
 ハーレムは空を見上げて、内心舌打ちをした、
 天蓋がどんどんと黒から藍色、そして群青へと変わっていく。夜が明ける前に脱出ポイントにつきたかったが仕方ない。
 一時間、は痛かったか、と計算の大雑把さを悔いる。
 けれど、シンタローの体力はほぼ限界に達していたことは見てとれたし、途中で倒れられるより、休憩をする方が得策ではあっただろう。
 地を這う蛇のような木の根に足をとられそうになり、ハーレムは注意を促そうとシンタローを振り返ってぎょっとした。
 地面にうずくまり、荒い息を吐いている彼の顔は真っ青で、今まで相当無理していたことが分かる。
「おい、シンタロー……。」
 呼びかけると、シンタローは「うるさい」とうなるようにして両手をつき、肩を起こした。
「今……立つ…立つから……。」
 腹の底から絞り出すようなその声に、ハーレムあろうことか気圧されて、動きを止めた。
「俺は帰らなきゃいけない……絶対…。」
 シンタローは崩れ落ちそうになる身体を必死で両手で支えている。
 その爪に土が入り込むほど力を入れて。
「止めるまもなかった……ほんの一瞬だ……拘束してたやつを振り払って重傷のもう一人を刺して、次に自分の動脈を……。」
 なんのことを言っているのか、一瞬分からなかったが、シンタローを見つけた時の会話をハーレムは思い出した。
 あの時、シンタローは言わなかったか。
 『二人だ』と。
 『自分が殺した』とも。
 はいつくばる甥を見下ろした。正しくは、その激しく上下している肩を。
「情報を守るためにか、マニュアル通りだな。」
 シンタローの顔が苦痛に歪む。
「……一般団員のあいつらが、なんの情報を持ってた? ……俺のことしかないじゃねぇか。」
 総帥の息子が奴らの手の内にいることを万が一でも口走らないように、自分と瀕死の仲間の口を封じた。
「俺一人なら、脱出できただろうって……拘束された直後にそんなことを言ってて…俺は全然その時分かってなくて……。」
 鮮血を喉から吹き出しながら、冷たい床に倒れる仲間を、押さえつけられていた自分は呆然と見ているしかできなかった。
「俺が総帥の息子で無ければ、少なくともあんなぎりぎりの選択をすることは無かったんだ。でなきゃ俺が……っ!」

 父親のような力があれば、こんなことは起きなかった。

 かすれて消えたその言葉は、ハーレムの耳にかろうじて届いた。
 少しだけ起きあがった身体は再び崩れて、顔を地面に突っ伏している。
 けれど、それでもまだ指を地に突き立て、立ち上がろうとするのをやめない。
「……絶対帰る。」
 自分に言い聞かせるように、シンタローはそう繰り返した。
 名前も知らない兵士だった。
 たまたま、今回同じ隊に配属されただけだ。特別に親しかったわけもなければ、自分に阿ろうと、近づいてきたこともない。
 彼が自分を守ろうとしたのは、自分が総帥の息子だったからだ。
 だから、自分はどんなことをしてでも、この場所から脱出しなければならない。
 それだけを思って、死ぬほどの苦痛も屈辱も耐え抜いた。
 ただ、生き抜くことだけが自分の義務だから。
 歩けないなら、這ったままで、足が動かないなら、この両手で。
 ふいに、ぐいっと腕を引っ張られ、視界が高くなった。
 肩に担ぎ上げられた状態で、首をひねっても叔父の顔は見えなかった。
 かわりに、叔父の苦々しげな声が不思議なほど近くに聞こえた。
「ちっ……おまえ、重くなりすぎだっての。前にだっこしてやった時は軽かったぞ。」
「小学生くらいの話だろ、それ。」
 するとハーレムも、まあ、そうだけどよ、としぶしぶ同意した。
「それにしても、でかくなりすぎだ。おまえ。」
「悪かったな。」
 その声のふてぶてしさに、ハーレムは少しだけ安堵のため息をつく。
 あと、一時間余りこうやって運ぶのは急いでいる今、きついことはきついが別に出来ない話ではない。
 やっと成人したばかりの身体は、自分に比べればまだ脆弱だ。あと、一、二年もすれば兄や自分たちと肩を並べるくらいにはなるだろうが。
 それにしても、大きくなったものだ。
 自分が知っている黒髪の子供は自分の膝より背丈が低くて、その前は両手に乗るくらいだった。
 まぁ、その時分は兄が他の人間になかなか抱かせたがらなかったため、実際に乗せたのは数回くらいだったが。
 それが今では、こんなにも重い。
 それは彼が背負ってきたものの、重さとも比例しているのだ。きっと。
 シンタローのために、同僚と自分の命を使った団員。
 今、肩の上で体力の消耗と怪我による熱で震えている子供は、紛れもなく兄の子供だ。
 望む望まないにかかわらず、どうしようもなく人を惹きつけ、その身を捧げさせてしまう。
 兄のその源は、絶対の強さだ。
 心も体も、疵一つ無い人離れした存在に、人は恐怖し、心酔する。
 では、シンタローの場合はなんなのだろう、と、ハーレムは思う。
 確かにシンタローは強い。あと数年もしない内にナンバーワンの地位を得ることになるだろう。
 けれど、それはマジックとは比べるべくもないほどのものに過ぎない。
 でも、彼は兄と同じくらい……いや、もしかすると、それ以上に人の心を掴んでしまう。「さっき、アンタ……止められねぇ時は逃げろって言ったな。」
「ああ?」
「さっきだよ、馬鹿な上司を止められなかったら、やられる前に逃げろって。」
 聞き返したハーレムにシンタローは繰り返した。
 そして、いっそう低い声で呟く。
「止められたんだ。本当は。」
「………。」
「もっと、強く言えば、俺がごり押しすればきっと止められた。けど、俺はやらなかった。親父の七光りと言われるのがいやで、できなかったんだ。」
 一瞬、しゃくり上げるような声になったが、すぐにそれは治まった。
「やばい、って分かってたのに、俺は俺のちっぽけなプライドを守りたくて止めなかった。」
「思い上がるな。」
 ハーレムはシンタローの言葉を途中で遮った。
「おまえは、まだガキだ。ガキのできることなんてたかが知れてる。おまえの守らなけりゃいけねぇもんはそれくらいなんだ。」
「そうだ、ガキだよ。だからって分からないでいいってことあるかよっ!」
 自分の命とプライドだけ守りきればいいと、そうどこかで思っていた。
 けれど、たとえ、自分がどう思っていようと周りはそうは見ない。
 彼らは自分を総帥の息子としてしか見られず、そして、そう扱うのだ。
 それを、自分は本当の意味では分かっていなかった。
 あの鮮血を浴びるまで。
「二度と……俺はこんなへまはしない……っ! 絶対に。」
 シンタローはハーレムがレザーを着込んでいることに感謝した。
 もし、これがシャツなら分かってしまっただろうから。


 


 自分が今、泣いていることを。















 担がれたまま、一時間と少しジャングルを抜け、急な斜面というか切り立った崖の麓までやってくると、そこにロープが張られていた。
「先、上れ。できるな?」
「ああ。」
 肩から下ろされシンタローはなんとかロープを掴み、崖を上りはじめた。
 いつもなら、たいしたことでもないその作業は今の彼にとっては、非常な苦行だった。
 手を何度も滑らしそうになりながら、必死で伝って上を目指す。
 空まで続いているんじゃないかと思うほど、長く感じられたクライミングが後少しというところで、強い力で引っ張り上げられた。
 敵かと身をすくませたシンタローだったが、自分を捕まえている腕が叔父と同じレザーに包まれていることに気づいた。
「G、王子サマ、ちゃんと生きてるぅ?」
 ちゃらちゃらした声がして、自分を助けた男の肩越しに、アイスブルーの瞳の男が顔をのぞかせる。
「おやおや、手ひどくやられましたねぇ。っていうか、もしかして、オジサマ?」
「ロッド。」
 低い声でたしなめられても、ロッドと呼ばれた男はけろっとしている。
「あははー、あのワガママなオッサンならやりかねねぇじゃん。手間かけさせてんじゃねぇとか。」
「誰が、ワガママなオッサンだって?」
 いつの間にか崖の上に指がかけられ、ハーレムが目だけ出していた。
「隊長っ! お早いお着きで……っ。」
「すっっっごく、嬉しそうだな。ロッド、給料減らずぞ。」
「えっ、これ以上? どうやって?」
 馬鹿なかけあいをしながら、ハーレムはひょいっと上に飛び上がり、部下に水を飲まされていたシンタローの顔を持ち上げ、怪我の具合をチェックした後、にっと笑った。
「ちゃんと、脱出できたな。」
「……うん。」
 素直に頷いた甥の頭を一度かきまぜた後、ハーレムは顎をしゃくって部下にシンタローを運ぶように指示した。
「さて、と。」
 ハーレムは振り返って、眼下に広がる密林を見下ろす。
 あんなに長い道のりだったが、上から見下ろせば、例の基地は案外近い。
 肩を支えられて歩き出していたシンタローが振り向くと、叔父の片手が上がった。
 長い金髪が下から拭く強い風に吹かれて、ばらばらと空に舞う。
 青い光がその手から溢れ出すのを見たとき、シンタローは叫んだ。
「やめろっ!」
 駆け寄ったシンタローが、ハーレムの手を押さえようとした時にはもう、力は放たれた後だった。
 一瞬のうちに半壊した建物に、シンタローは非難の声をあげた。
「ハーレムっ! あの中は無理矢理徴兵で連れてこられたヤツや、雑務でやとわれただけの一般人だっているんだぞ!」
 しかし、ハーレムはシンタローの叫びなどまったく無視して、部下達に命令を下した。
「ロッド、G、後はおまえらで片づけとけ。対空システムはぶっこわれただろうから、上から行け。」
「はーい、了解しましたーっ。」 
「ハーレムっ!」
 ほとんど悲鳴のような声をあげる甥の二の腕を掴み、ハーレムはもう一台残っていたヘリへと引きずっていく。
「マーカー、すぐに出せ。早いとこ、兄貴にこのはねっかえりを引き渡してやらねぇとうるさいからな。」
「ハーレム待てよっ! 俺の話を…っ。」
 なおもしつこく食い下がるシンタローを「こいつもうるさい」と呟いてから、シンタローの肩を掴んで自分の方へ向けた。
「シンタロー。俺が総帥から受けた任務を教えてやる。」
 有無を言わせない叔父の口調にシンタローは思わず黙った。
「一つは、おまえを連れ戻すこと。そしてもう一つは、特戦部隊隊長として受けた命令だ。」
 特戦部隊の出動、それが意味することはシンタローもよく知っていた。
「兄貴が出した命令は、『制圧』から『殲滅』に切り替えられた。草一本に至るまで、この国を滅ぼせだとさ。」
「な……ん…で。」
 喘ぐようにして聞き返しながら、シンタローは父が垣間見せる――本人は自分に対しては隠しているようだが、それでも知っていた――冷たい青い瞳の輝きを思い出していた。
「シンタロー、あの兄貴がおまえを奪った奴らを許すとでも思ったか? おまえを取り戻すためなら、団員だろうと使い捨ての男だぜ。おまえ以外は、兄貴にとっては視界を時折横切る影にしか過ぎないんだ。」
 シンタローの顔色が悪いのは、怪我のせいだけではないだろう。
 それでも、ハーレムは続けた。
「おまえとは、まったくやり方も考え方も違う。おまえは絶対許せないと思うことだって、兄貴は平気でやる。」
 ハーレムが手の力を抜くと、シンタローの腕がだらんと落ちる。
 マジックが何よりも寵愛しているその黒い瞳に、激しい葛藤が映っていたが、ハーレムは容赦しなかった。
「それは、総帥として必要な資質だ。切り捨てる判断も、自分に刃向かう者に対して容赦なく振る舞うことも―――おまえもいつかそうなるんだ。」
 最後の言葉にシンタローは正気に戻って、激しく首を振った。
「俺は総帥になんかならないっ!」
「兄貴はそう決めてるぞ。ということは周りも。」
 すると、シンタローは叫んだ。
「俺は決めてないっ!」
 シンタローは自分の髪をひっつかみ、叔父につきつける。
「金髪も秘石眼も持ってない。ハーレム叔父さんだって無理だって思ってるだろ――俺だって知ってる。」
 ハーレムは目の前の黒髪を見、同じ色の瞳を見る。
 それはいつもなら、想い出の中の忌々しいあの男を思い出させる色。
 けれど、今、傷から溢れ出す血のように、絶望だけが流れ出すその瞳はあの空っぽの虚ろを抱えたあの双眸では無い。
 強さ弱さすべてが混沌とした色合いは、彼とはまったく違った。
 ハーレムは、甥の目をまっすぐ見た―――あの男に似ていると気づいてから、初めのことだったかもしれない。真正面からこんなに長い間見つめたのは。




「なら、おまえが選んでみせろ。おまえが決めた答えを俺が見届けてやるよ。」












 本部に無線で連絡をいれたマーカーは、上司に尋ねる。
「隊長、よろしいんですか?」
「何が。」
 マーカーは前方を見据えたままそれに答える。
「先ほどシンタローさまにおっしゃられた内容は、まるでシンタローさまのマジックさまからの離反をそそのかしているようでしたよ。」
 ハーレムは、ちらっとシンタローを見たが、彼は疲れと薬のせいでぐっすり眠っていた。
「別に、そそのかしちゃいないさ。ただ、こいつが思うままに動いたら、面白いことになりそうだから見物しようと思っただけだ。」
「そうですか。」
 マーカーが口元をかすかにゆがめたのを、ガラスにうつった影で見たハーレムは何か言おうとしたが、なんとか言葉を飲み込み、かわりに煙草に火をつけた。
 煙を一、二度吸うと、少しだけ疲れが癒された気がする。
 肩にもたれかかった甥の頭が重い。頭どころか全身を担いで走り回ったのに、今の方がずっと重く感じた。


「―――見ててやるよ。おまえが決めるのを……敵としてか味方としてかは、その時になんねぇとわからんけどな。」


 その囁きは、着陸の準備に忙しい部下に聞こえるほどは大きくはなかった。
 

 ささやきかけられた当の本人―――眠れるライオンハートにも。









2005/02/24



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