俺の言うことを聞け!
眩しいひかりが鼻を掠めた。
「――もう、朝か」
重い体を起こし、ベッドの上でシンタローは髪をかき上げた。
寝汗が背に貼り付いて気持ちが悪い。
総帥服を脱いで、プライベートの時間ともなれば長い髪は一つに括るのが常だった。眠る時さえも。
けれど昨日のように一人寝でない日は別だ。
昨夜、髪を梳かれながら解かれたゴムをシンタローはサイドテーブルに発見した。
「ふん」
黒いゴムは同色のシンタローの髪と違い、サイドテーブルの白の上では酷く目立つ。
おまけにそれをあの男の指が抜き取ったかと思うと重い下肢が疼いた。
「ちっ」
舌打ちしながらシンタローは横を見る。
シーツの皺を指でなぞるとそこは冷たい。支度をしに自室へと戻ったのか、と理解してシンタローはこの部屋から朝帰りをした従兄弟の名前を呟いた。
「ったく、キンタローのヤツ……」
どこが明日に差し支えないようにすればいいんだな、だ!差し支えありありじゃねえか。
途中から人のいうこと聞かずにいいようにしやがって。そりゃ、先に誘ったのは俺だから自業自得なんだけれども。
腰が痛ぇ、とぼやきながらシンタローはベッドを下りた。
*
先週半ばに行われた士官学校の入学式とは打って変わって、ガンマ団の入団式は厳粛なものだ。
士官学校では、きらきらとした目に期待と不安を浮かべていた彼らが数年立つとこうも表情が変わるのかと感慨深く思える。
一糸乱れることなく整列した彼らの目は子どもだった学生の頃とは違う。
敬礼の姿勢を取ったまま微動だにせず、彼らは一様に真剣な眼差しでシンタローを見つめていた。
式典ということもあり、そう硬くなるなとも言えずシンタローは祝辞を述べるべく前へ進んだ。
父親である前総帥が引退後、初めてこの場に立ったときは柄にもなく緊張したものだったが、今はそうでもない。
(ま、ちっとは慣れてきたしな)
式典だけでなく総帥業全般に。まだまだ父親であるマジックに並び立てたとは言えないけれども。
(……だいたい団員になったのもそんな昔じゃねえしな)
ずらりと並ぶ新団員たちを見回しながらシンタローはふうっと息を吐いた。
彼らのように入団式に臨んだ頃は自分がこんなにも若く総帥に就くとは思ってもいなかった。
人生って分からねえよな、とマイクに手をやりながら思う。
(後悔なんてしてねえけど)
やるっきゃねえし!とシンタローはきりっと前を見た。今この瞬間も総帥としてやるべきことをしなければならない。
大勢の瞳に見つめられながら、シンタローは口を開いた。
**
「だー!疲れたぜ」
式典なんて肩が凝る、とシンタローは首を回した。それから、はーっと大きく息を吐いてソファにどかっと座る。
祝辞を読んだ後も士官学校を首席で卒業した新団員の宣誓があったり、各部隊の訓示があったりと気の休まる時間はなかった。
自分が入団したとき依頼何度も聞いているような話とはいえ、総帥の立場もあってうたた寝するわけにも行かず気を張っていた。
式が終わり、舞台の袖から退出する折に、裏で寝こけていたコージを発見して蹴りつけたのは言うまでもない。
おまえ、護衛だろ!寝てんじゃねえよと文句は言ったものの大らかなコージは殺気がしたら起きると笑って返すだけだった。
「……昼メシん時も休めねえんだよな」
シンタローはソファに体を投げ出したまま、常に己の傍に控えている補佐官へと視線をやった。
「ああ。いつもどおり士官学校の教官と会食だ」
今更聞くまでもないだろう、と補佐官である従兄弟のキンタローは手元の書類から目を話さずに言う。
「なんだよ?おまえ、それ。休憩のときはちゃんと休めよな」
「急ぎのものだ。後でおまえの判もいる」
「……おい、聞けよ」
シンタローがじっと睨みつけてみてもキンタローは視線を合わせようとしなかった。
そればかりか、読み終えた書類の束を目も合わさぬままほいとばかりに手渡してくる。
癪に障ってシンタローは受け取らないでいたが、書類を掴んだ片手が何時までもそのままだったため、仕方なく受け取った。
「ああ――これか」
渡された書類はセキュリティシステムの見直しについての企画案だった。
ガンマ団本部の情報は堅牢に守られているとはおよそ言いがたい。
今は総帥であるシンタローも実力ナンバーワンだったとはいえ易々とコタローの幽閉されている場所を探り当てることが出来たし、何より有耶無耶に誤魔化されたとはいえ特戦部隊が傍受していたらしい疑惑もある。味方だからいいが、総帥と跡取りの不在が敵国にでも知られていたかと思うとぞっとする。
ぺらぺらと紙の束をめくるとシンタローは人知れずため息を吐いた。
ガンマ団お抱えの科学者と技術者が提言する新システムについての記述は疲れた頭を差し引いても理系でないシンタローの目を滑っていく。
(ンなもん渡されたって分からねえよ)
最後まで一応目を通すと――本当に目を通しただけだ――シンタローは紙の束をテーブルへと放った。
「こういうのはお前に一任してあるはずだろ」
「……」
投げられた書類にちらりと視線を送っただけでキンタローはまた手の中の書類へと没頭していた。
「ずーっと前から言ってるだろ。こういうのはお前やグンマが専門なんだしよ」
ハンコだけ押せといわれたほうが良い。そうシンタローが文句を言うとキンタローは
「――ハーレム叔父貴の詐欺に引っかかるぞ」
と言った。おまえが空の手形にサインをしたいなら止めはしないが、と淡々と返すキンタローにシンタローは何も言い返せない。
たしかにいつの間にか書類の束に紛れ込まされたら分からないだろう。
一族から借金どころか横領までしでかしている放蕩者の叔父の姿を思い浮かべてシンタローはため息を吐いた。
だいたいすべての書類に目を通すのは指摘されるまでもなく総帥として当たり前のことだ。自分と同じく科学畑でない父のマジックもこなしてきていた。
当然といえば当然なのだが……。
(やっぱ、性に合わねえもんは合わねえんだよ)
テーブルに放り出した書類に目をやりながらシンタローは口をぎゅっと引き結んだ。企画案のタイトルに含まれている単語も難しい。
横文字じゃなくて日本語にしろよな、と内心毒づきながらシンタローがぶすっと黙っているとキンタローは次の紙の束を寄越した。
渡されたそれをしぶしぶ受け取りながらシンタローは
「これでオシマイだろうな?」
と念を押す。
「これ読んだら教官が来るまで休むからな」
「ああ。好きにしろ」
言いながらキンタローはジャケットから手帳を取り出していた。何かを書き付けているキンタローを見ながらシンタローは「おまえもだぞ」と口にした。
「いいか!俺が読み終わったらお前も休憩だからな!」
休むのも大事なんだよ、といいながらシンタローは書類を捲る。
キンタローから返事はなく、ペンを動かす音だけが耳に届いてきてシンタローは3枚目の紙に差し掛かったときに何気なく呟いた。
「さっきから人の話を聞いてるんだか聞いてねえんだか……」
「聞いている」
「……ああ?」
返ってきた言葉に顔を上げるとシンタローは胡乱げに従兄弟を見た。
見ればキンタローも手を止めてじっとシンタローを見つめている。
「お前の言う事はいつも聞いている」
きっぱりと言い切られてシンタローはたじろいだ。
ウソだ、聞いてなかっただろ!と文句を付くこともできずにうっと詰まっているとキンタローは微かに口角を上げ笑った。
「昨日など言うことを聞きすぎたと思っているが」
俺もお前と同じく寝不足だ、とにやりと笑う従兄弟にシンタローはカーッと頭に血を上らせた。
「嘘つけよ!途中から好き放題してくれたのはお前じゃねえか!大体、俺のほうが負担が大きいんだよ!
俺はもう無理だって言っただろ!それをおまえがあんなことするから!」
「あんなこと?」
「―-ッ、ともかく!お前が俺の言うこと聞かねえからだ!」
ふざけんなっ!とシンタローは従兄弟に掴みかかった。テーブル越しの無理な体勢で重い腰に負担がかかる。
眉を顰めながらシンタローは従兄弟に向かって
「今度するときはちゃんと俺の言うこと聞けよ!!」
と叫ぶ。
「いいか!分かったな!」
指を突きつけたシンタローにキンタローは「ああ。分かった」としらっと口にした。
「ちっとも分かってねえだろ!その顔は!」
もうちっと反省しろ!とシンタローは突きつけていた指を開き、従兄弟の頭を叩いた。
ぱしんと小気味のよい音が鳴る。避けることもしなかったキンタローは打たれた瞬間、目を細めていたが痛がることはせずにさり気なく従兄弟の手を取った。
「――"今度"するときもお前の言うことを聞けばいいんだろう」
重々分かっていると微笑みながらキンタローはシンタローの指に軽くくちづけを落とした。
掠める微妙な感触にシンタローはうわっと仰け反る。
「し、仕事中だ――」
「休憩中だろう」
慌てるシンタローの言葉を遮るとキンタローはにやりと笑った。あまりにも堂々としたその反応にシンタローの方が詰まってしまう。
「そうじゃなくて!あーだから!」
ともかくお前は俺の話を聞け!とシンタローは怒鳴った。
問題を摩り替えるんじゃねえ!と真っ赤な顔で怒鳴るシンタローと意にも返さないキンタローの言い争いは控え室のドアをノックされるまで平行線を辿るのだった。
End
初出:2007/04/13
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