蒼の境界線
開けた天はどこまでも深い青。
そこにただ一人佇む青の王子として育てられた赤い王。
緋の衣をまとい、蒼穹の中に立つ彼の顔はたなびく黒髪に邪魔されて見えない。
けれど、自分は知っている。
愛しい、ただ一つの存在が泣いていることを。
最上階の外壁は殆ど剥がれ、ちぎれたヒューズがバチバチ火花を飛ばしている。
修理費はどれくらいかかるんだろう、いや、そもそも再建が可能なのか?
どこかそんな暢気なことを考えていることを、息子が知ったらそれこそもっと怒り狂うことは間違いない。
「シン~ちゃ~ん、そろそろやめないと、床まで抜けちゃうよ?」
「うっせぇ! このクソ親父。そのまま奈落の底に落ちろ!」
怒鳴られたものの、眼魔砲が繰り出される気配はもう無かった。
マジックは瓦礫の下からなんとか立ち上がると、服についた埃を払う。
シンタローはこちらをまったく見ようとしない。
彼の眼差しは無惨に空けられた壁の向こうの空へ、またその向こうにある場所へと向けられているのだろう。
自由とかの人を求めるその目は初めてではない。
ふとしたとき、それは一人だけの時とは限らなくて、たとえば、会議の時や、家族でくつろいでいるとき、頷きながらも心はどこか遠くへとばしているときがある。
誰にも気づかれていないと思っていたろう?
マジックはそれを見るたび、何度も胸にこみ上げてきた醜い想いを無理にねじ伏せる。
「……アンタは言ったよな? 今度こそちゃんとしたコタローの父親になるって。」
押し殺した声に、マジックは、ごめんね、としか言わなかった。
そしてそれはシンタローの怒りを倍加させる。
「ごめんねって……ごめんって! 俺にそんなこと言ってもらったってしかたないじゃねぇか!」
コタローにだろ!
と彼は絶叫した。
「閉じこめて……なかった存在にして……ひとりぼっちにして……コタローが何をしたって言うんだ! ガンマ団総帥の子供に生まれたってだけで、秘石眼を持ってしまっただけで!」
その背が小刻みに震え、彼は絞り出すような声で呟いた。
「……『俺が』。」
とっさにマジックはシンタローをきつく抱きしめた。
その言葉だけは言わせてはいけない。
何もしてやれなかった父親としても、彼を愛しすぎた男としてもその言葉だけは言わせてはいけなかった。
『俺が存在しなければ』
シンタローを初めて腕に抱いた時、我が子というものはこんなに愛しいものなのか、と心底驚いた。
妻や弟達のことも愛してはいたが、それとは全然違う。
その存在がここにあるというだけで、気が遠くなるほどの幸福を感じた。
何をしても可愛かったし、どんなことでもかなえてやりたかった。
彼の関心も愛情も独り占めしなくては気がすまなかったし、事実そうしようとした。
一族の呪縛から抜け出た双の黒玉が映すのは自分の姿だけでいい。
彼が呼ぶのは自分の名だけ。
その権利はあるはずだと固く信じていた。
この執着が異常だなんて考えたことがなかった。
親子という絆は、そういうものなのだと思っていたのだ。
コタローが生まれるまでは。
コタローをマジックは彼なりに愛していた。
自分と同じ秘石眼と巨大すぎる力を持った我が子。
ルーザーのように苦しみ抜いて死を選ぶようなことになるより、最初からすべてのことから遠ざけてやることのほうが、まだ良いと思ったのだ。
それをシンタローに説明することは難しかったし、弟のことを、そしてコタローのことを彼には告げたくなかった。
苦しめるだけの事実をシンタローに知らせてどうなるというのだ。
シンタローは自分を憎み、心を閉ざした。
それでも、彼のために真実をマジックは封印した。
その時もそれが正しいことだと信じきっていたのだ。
だが、メッキはやがて剥がれる。
ある日、遠征に行く自分をシンタローがめずらしく見送りにきたことがある。
人払いされた部屋で二人きりになっても、彼はなかなか自分と目を合わせようとしなかった。
それでも、息子が自分をわざわざ見送りに来ることは本当に久しぶりで、まるで昔の優しい時間に戻れたようでマジックは嬉しかった。
「今度の遠征は比較的長い。しばらくはシンちゃんの顔を見ることができなくて寂しいな。」
髪に触れると、一瞬身をすくませたがそれだけで後は大人しく撫でさせている。
「なら、俺も連れてけば?」
そんなことはできるはずがない。
自分が出なくてはならないほどの戦局に、どうしてこの子を連れていけるだろう。
自分の真の姿をこの大事な子供に見せることなどできやしない。
けれど、シンタローはそれを違う意味にとっていたようだった。
父親に比べて非力な自分を侮っているからこそ、父親は自分を遠征にはつれていかないと、そんな風に思っていたらしい。
それをマジックも気づいていたが、一応否定はしてみたものの、彼が納得できるはずがないことを承知していた。
―――――それでも、本当のことを知らせることなど問題外のことだった。
「そうだね、我慢できなくなったら一旦帰ってくるよ。」
マジックはシンタローの嫌みを笑って受け流し、手を髪から頬に移動させた。
額から目の端あたりを触れ、少しでも彼の感触を覚えておくため顔の輪郭をたどる。
唇の端に触れた時、それがわずかに震え、何かを言いかけた。
そこからもれた質問は小さく、途中でとぎれてしまったがマジックにとってはすべてを根底から覆すような一言だったのである。
「もし、俺がコタローのようだったら……。」
何が危険なのか、シンタローには具体的には聞かせていない。
秘石眼のことも彼はまだよく分かっていないはずだ。
だから、その問いはあやふやなところで終わったのだが、マジックにはそれだけで充分すぎるほどのものだった。
シンタローがもし秘石眼を持つ子供だったら?
いや、両目とも秘石眼だったとしても、自分のように完璧にコントロール、もしくは甥のように完全に眠らせてしまえば、そう危険なものではない。
けれど、コタローのように善悪の区別もつかず、意図しない力までも暴走させてしまうようだったら?
シンタローがもしそうだったら、自分はコタローと同じように諦めることができたか?
答えは―――――――――――。
『否』だった。
けれど、その答えは彼の口から出ることはない。
かわりに与えたのは、嘘ではない、けれど真実でもない答え。
「わかるだろう。私はガンマ団総帥だ。おまえたちの父親であるまえに。」
シンタローは怒りの表情で自分を見た。けれどその表情が、どこかほっとしているように見えたのは気のせいだったのだろうか。
「アンタなんか父親と認めてねぇよ!」
そう叫んで、今度こそ自分の手を振り払った彼はマジックに背を向けた。
それが最後の彼の自分への言葉になるとも知らず、マジックは今知ったばかりの真実にぞっと身をすくませた。
『我が子』が特別だったのではない。
『シンタロー』がそうだったのだ。
秘石眼の力をシンタローに説明しなかったのは、自分のことも――化け物のような自分の真の姿を知られるのが怖かったから。
彼が自分から離れると考えただけで、何も恐れる者が無いと言われる己が全身が凍り付きそうな恐怖に襲われる。
この世で一番愛しい子供。
誰よりも幸せにしてやりたい命。
だから、彼は自分の側で幸せにならなければならない。
マジックの望むような幸せだけで満足しなければならない。
自分にはそれが許されると思っていた。
誰よりも強い男であり、彼の父親である自分にはその権利があると信じていた。
そんな傲慢な自分にシンタローの楽園が下した罰はあまりに過酷なものだった。
あのとき奇跡的に失わずに済んだ存在は今も自分の腕の中にいる。
もし、あの少年と供に旅立てば、負わずにすんだ傷と苦痛に喘ぎながら。
「シンちゃん、全部パパが悪かった。ごめんね。」
抱きしめたまま、そう言い聞かせる。
シンタローが気に病むことは無いのだと分からせるために、何度でも。
「そうだよ、アンタが――っ。」
自分の胸のあたりにシャツを通してじわっと生暖かいものが広がる。
声を殺して泣くシンタローの頭をより強く自分に押し当てる。
自分の両手の中に包み込めそうなほど小さかった赤ん坊は見る影もないほど大きく育った。
しかし、幸いなことに自分より幾分か背が低く、幅も己ほどではない。
だから、泣き顔を見せたくない彼のために隠してやることができる。
この4年間、彼は必死で働き続けてきた。
何度も、もう休みなさい、と言ってやりたかったけど、彼は決してその言葉を受け入れようとはしなかっただろう。
弟の寝顔を見るたび、彼が少なくない罪悪感に苛まされていることを知っている。
己の存在さえなければ、コタローが閉じこめられることはなかったのではないかという疑いを彼は捨てきれない。
キンタローをずっと閉じこめてきたことも。
自分とグンマの位置が変えられたことも。
すべてが自分の存在に起因しているというその思いが彼を動かしている部分があるということも、ずっと彼を見ていた自分は知っている。
「ごめんね。」
本当の罪人は自分。
彼を愛しすぎたマジック自身だ。
シンタローは何も悪くない。
シンタローはただ愛されてしまっただけ。
「パパのせいだね、ごめんね。」
私を責めてくれ。
いくらののしっても構わない。
押さえてきた感情のままに荒れればいい。
そのためにこの身はここにあるのだから。
おまえの怒りをぶつけられても、笑っていられるしぶとい身体は。
おまえが泣ける唯一の場所になってしまったこの腕は。
――――だから、これ以上自分を責めないでくれ。
「アンタなんかだいっきらいだ!」
叫んだ後、彼はこらえきれない思いを吐き出すように顔をマジックの胸に押しつけた。
震える肩を抱きしめ、マジックは瓦礫と化した司令塔の向こうに広がる碧空と海原を見た。
彼がさっき見ていた景色だ。
いや、彼の目の中にはもっと美しい世界がうつっていたのかもしれない。
コワイ。
マジックは息子の身体をなおいっそう強く抱きしめた。
最上階に位置するこの部屋を吹き抜ける風は強く、すべてを剥ぎ取っていきそうなほどだ。
虚飾も、強さも、弱さもすべてこの風にさらわれて―――あとに残るのは空っぽの―――――――――――。
どれくらいそうしていただろう。
ほんの刹那のようにも、永遠のようにも思えた。
「―――父さん。」
疲れた声で呼びかけるシンタローの声。
「はなしてくれ、父さん。」
聞こえない。
風の音が強すぎて。
そう言いたかった。
シンタローのその声がもう少し弱ければそうできたのに。
――――――聞きたくない。
聞きたくないんだ。
「俺は行かなきゃ。」
彼が口にする前に分かっていたその言葉は、やはりマジックの胸を痛くする。
マジックが負わせたコタローの心の傷を目の当たりにし、もっとシンタローは苦しむだろう。
そして――――――いまだにシンタローが求め続けているあの少年がそこにいることをマジックは確信していた。
シンタローもおそらくそれを知っている。
今度こそ連れて行かれてしまうかもしれない。
今度こそ彼を選んでしまうのかもしれない。
見送らなくてはいけないと頭では分かっているのにマジックは彼を離せなかった。
昔と同じだと、シンタローに軽蔑されてもいいから、行かせたくない。
知らず、腕に力が込められ、シンタローは苦しそうに息をついた。
「頼むから放してくれ―――――俺はアンタの腕だけはほどけないんだ。」
マジックは目を閉じ、それからもう一度開いた。
どこまでも続く青の世界。
それは果ての見えない己の執着にも似て―――寂しく、すがすがしかった。
「――ごめんね。」
もう一度だけ謝って、ゆっくりと指から、手のひら、腕と力を抜いていく。
身体が離れた時、ひどく寒く、そして自分の身が頼りなく感じられたのは自分だけではないだろう。
シンタローが数歩下がって顔を上げる。
その目は少しだけ縁が赤かったが、腫れてはおらず澄み切った色のままだった。
『ありがとう』
唇をかすかに動かしただけのその言葉にマジックは頷く。
シンタローが表情を引き締め、一歩踏み出すと身体をわずかにそらせて道を空けてやる。 横を通り過ぎた時、長くのばした彼の髪がひるがえって自分の頬に触れた。
彼の踵がたてる重い音が聞こえなくなるまでマジックは外界を見続けた。
いっておいで、シンタロー。
おまえを縛り付ける鎖はもうない。
おまえが何を選びたいのか、そして何を選ぶのか私は知っているから。
どうなっても何がおこっても私はおまえを待つだろう。
だから、せめて許して欲しい。
旅立つおまえの後ろ姿を見送ってやれないことを。
いっておいで愛しい子。
end
2004/03/10
改稿2006/0911
開けた天はどこまでも深い青。
そこにただ一人佇む青の王子として育てられた赤い王。
緋の衣をまとい、蒼穹の中に立つ彼の顔はたなびく黒髪に邪魔されて見えない。
けれど、自分は知っている。
愛しい、ただ一つの存在が泣いていることを。
最上階の外壁は殆ど剥がれ、ちぎれたヒューズがバチバチ火花を飛ばしている。
修理費はどれくらいかかるんだろう、いや、そもそも再建が可能なのか?
どこかそんな暢気なことを考えていることを、息子が知ったらそれこそもっと怒り狂うことは間違いない。
「シン~ちゃ~ん、そろそろやめないと、床まで抜けちゃうよ?」
「うっせぇ! このクソ親父。そのまま奈落の底に落ちろ!」
怒鳴られたものの、眼魔砲が繰り出される気配はもう無かった。
マジックは瓦礫の下からなんとか立ち上がると、服についた埃を払う。
シンタローはこちらをまったく見ようとしない。
彼の眼差しは無惨に空けられた壁の向こうの空へ、またその向こうにある場所へと向けられているのだろう。
自由とかの人を求めるその目は初めてではない。
ふとしたとき、それは一人だけの時とは限らなくて、たとえば、会議の時や、家族でくつろいでいるとき、頷きながらも心はどこか遠くへとばしているときがある。
誰にも気づかれていないと思っていたろう?
マジックはそれを見るたび、何度も胸にこみ上げてきた醜い想いを無理にねじ伏せる。
「……アンタは言ったよな? 今度こそちゃんとしたコタローの父親になるって。」
押し殺した声に、マジックは、ごめんね、としか言わなかった。
そしてそれはシンタローの怒りを倍加させる。
「ごめんねって……ごめんって! 俺にそんなこと言ってもらったってしかたないじゃねぇか!」
コタローにだろ!
と彼は絶叫した。
「閉じこめて……なかった存在にして……ひとりぼっちにして……コタローが何をしたって言うんだ! ガンマ団総帥の子供に生まれたってだけで、秘石眼を持ってしまっただけで!」
その背が小刻みに震え、彼は絞り出すような声で呟いた。
「……『俺が』。」
とっさにマジックはシンタローをきつく抱きしめた。
その言葉だけは言わせてはいけない。
何もしてやれなかった父親としても、彼を愛しすぎた男としてもその言葉だけは言わせてはいけなかった。
『俺が存在しなければ』
シンタローを初めて腕に抱いた時、我が子というものはこんなに愛しいものなのか、と心底驚いた。
妻や弟達のことも愛してはいたが、それとは全然違う。
その存在がここにあるというだけで、気が遠くなるほどの幸福を感じた。
何をしても可愛かったし、どんなことでもかなえてやりたかった。
彼の関心も愛情も独り占めしなくては気がすまなかったし、事実そうしようとした。
一族の呪縛から抜け出た双の黒玉が映すのは自分の姿だけでいい。
彼が呼ぶのは自分の名だけ。
その権利はあるはずだと固く信じていた。
この執着が異常だなんて考えたことがなかった。
親子という絆は、そういうものなのだと思っていたのだ。
コタローが生まれるまでは。
コタローをマジックは彼なりに愛していた。
自分と同じ秘石眼と巨大すぎる力を持った我が子。
ルーザーのように苦しみ抜いて死を選ぶようなことになるより、最初からすべてのことから遠ざけてやることのほうが、まだ良いと思ったのだ。
それをシンタローに説明することは難しかったし、弟のことを、そしてコタローのことを彼には告げたくなかった。
苦しめるだけの事実をシンタローに知らせてどうなるというのだ。
シンタローは自分を憎み、心を閉ざした。
それでも、彼のために真実をマジックは封印した。
その時もそれが正しいことだと信じきっていたのだ。
だが、メッキはやがて剥がれる。
ある日、遠征に行く自分をシンタローがめずらしく見送りにきたことがある。
人払いされた部屋で二人きりになっても、彼はなかなか自分と目を合わせようとしなかった。
それでも、息子が自分をわざわざ見送りに来ることは本当に久しぶりで、まるで昔の優しい時間に戻れたようでマジックは嬉しかった。
「今度の遠征は比較的長い。しばらくはシンちゃんの顔を見ることができなくて寂しいな。」
髪に触れると、一瞬身をすくませたがそれだけで後は大人しく撫でさせている。
「なら、俺も連れてけば?」
そんなことはできるはずがない。
自分が出なくてはならないほどの戦局に、どうしてこの子を連れていけるだろう。
自分の真の姿をこの大事な子供に見せることなどできやしない。
けれど、シンタローはそれを違う意味にとっていたようだった。
父親に比べて非力な自分を侮っているからこそ、父親は自分を遠征にはつれていかないと、そんな風に思っていたらしい。
それをマジックも気づいていたが、一応否定はしてみたものの、彼が納得できるはずがないことを承知していた。
―――――それでも、本当のことを知らせることなど問題外のことだった。
「そうだね、我慢できなくなったら一旦帰ってくるよ。」
マジックはシンタローの嫌みを笑って受け流し、手を髪から頬に移動させた。
額から目の端あたりを触れ、少しでも彼の感触を覚えておくため顔の輪郭をたどる。
唇の端に触れた時、それがわずかに震え、何かを言いかけた。
そこからもれた質問は小さく、途中でとぎれてしまったがマジックにとってはすべてを根底から覆すような一言だったのである。
「もし、俺がコタローのようだったら……。」
何が危険なのか、シンタローには具体的には聞かせていない。
秘石眼のことも彼はまだよく分かっていないはずだ。
だから、その問いはあやふやなところで終わったのだが、マジックにはそれだけで充分すぎるほどのものだった。
シンタローがもし秘石眼を持つ子供だったら?
いや、両目とも秘石眼だったとしても、自分のように完璧にコントロール、もしくは甥のように完全に眠らせてしまえば、そう危険なものではない。
けれど、コタローのように善悪の区別もつかず、意図しない力までも暴走させてしまうようだったら?
シンタローがもしそうだったら、自分はコタローと同じように諦めることができたか?
答えは―――――――――――。
『否』だった。
けれど、その答えは彼の口から出ることはない。
かわりに与えたのは、嘘ではない、けれど真実でもない答え。
「わかるだろう。私はガンマ団総帥だ。おまえたちの父親であるまえに。」
シンタローは怒りの表情で自分を見た。けれどその表情が、どこかほっとしているように見えたのは気のせいだったのだろうか。
「アンタなんか父親と認めてねぇよ!」
そう叫んで、今度こそ自分の手を振り払った彼はマジックに背を向けた。
それが最後の彼の自分への言葉になるとも知らず、マジックは今知ったばかりの真実にぞっと身をすくませた。
『我が子』が特別だったのではない。
『シンタロー』がそうだったのだ。
秘石眼の力をシンタローに説明しなかったのは、自分のことも――化け物のような自分の真の姿を知られるのが怖かったから。
彼が自分から離れると考えただけで、何も恐れる者が無いと言われる己が全身が凍り付きそうな恐怖に襲われる。
この世で一番愛しい子供。
誰よりも幸せにしてやりたい命。
だから、彼は自分の側で幸せにならなければならない。
マジックの望むような幸せだけで満足しなければならない。
自分にはそれが許されると思っていた。
誰よりも強い男であり、彼の父親である自分にはその権利があると信じていた。
そんな傲慢な自分にシンタローの楽園が下した罰はあまりに過酷なものだった。
あのとき奇跡的に失わずに済んだ存在は今も自分の腕の中にいる。
もし、あの少年と供に旅立てば、負わずにすんだ傷と苦痛に喘ぎながら。
「シンちゃん、全部パパが悪かった。ごめんね。」
抱きしめたまま、そう言い聞かせる。
シンタローが気に病むことは無いのだと分からせるために、何度でも。
「そうだよ、アンタが――っ。」
自分の胸のあたりにシャツを通してじわっと生暖かいものが広がる。
声を殺して泣くシンタローの頭をより強く自分に押し当てる。
自分の両手の中に包み込めそうなほど小さかった赤ん坊は見る影もないほど大きく育った。
しかし、幸いなことに自分より幾分か背が低く、幅も己ほどではない。
だから、泣き顔を見せたくない彼のために隠してやることができる。
この4年間、彼は必死で働き続けてきた。
何度も、もう休みなさい、と言ってやりたかったけど、彼は決してその言葉を受け入れようとはしなかっただろう。
弟の寝顔を見るたび、彼が少なくない罪悪感に苛まされていることを知っている。
己の存在さえなければ、コタローが閉じこめられることはなかったのではないかという疑いを彼は捨てきれない。
キンタローをずっと閉じこめてきたことも。
自分とグンマの位置が変えられたことも。
すべてが自分の存在に起因しているというその思いが彼を動かしている部分があるということも、ずっと彼を見ていた自分は知っている。
「ごめんね。」
本当の罪人は自分。
彼を愛しすぎたマジック自身だ。
シンタローは何も悪くない。
シンタローはただ愛されてしまっただけ。
「パパのせいだね、ごめんね。」
私を責めてくれ。
いくらののしっても構わない。
押さえてきた感情のままに荒れればいい。
そのためにこの身はここにあるのだから。
おまえの怒りをぶつけられても、笑っていられるしぶとい身体は。
おまえが泣ける唯一の場所になってしまったこの腕は。
――――だから、これ以上自分を責めないでくれ。
「アンタなんかだいっきらいだ!」
叫んだ後、彼はこらえきれない思いを吐き出すように顔をマジックの胸に押しつけた。
震える肩を抱きしめ、マジックは瓦礫と化した司令塔の向こうに広がる碧空と海原を見た。
彼がさっき見ていた景色だ。
いや、彼の目の中にはもっと美しい世界がうつっていたのかもしれない。
コワイ。
マジックは息子の身体をなおいっそう強く抱きしめた。
最上階に位置するこの部屋を吹き抜ける風は強く、すべてを剥ぎ取っていきそうなほどだ。
虚飾も、強さも、弱さもすべてこの風にさらわれて―――あとに残るのは空っぽの―――――――――――。
どれくらいそうしていただろう。
ほんの刹那のようにも、永遠のようにも思えた。
「―――父さん。」
疲れた声で呼びかけるシンタローの声。
「はなしてくれ、父さん。」
聞こえない。
風の音が強すぎて。
そう言いたかった。
シンタローのその声がもう少し弱ければそうできたのに。
――――――聞きたくない。
聞きたくないんだ。
「俺は行かなきゃ。」
彼が口にする前に分かっていたその言葉は、やはりマジックの胸を痛くする。
マジックが負わせたコタローの心の傷を目の当たりにし、もっとシンタローは苦しむだろう。
そして――――――いまだにシンタローが求め続けているあの少年がそこにいることをマジックは確信していた。
シンタローもおそらくそれを知っている。
今度こそ連れて行かれてしまうかもしれない。
今度こそ彼を選んでしまうのかもしれない。
見送らなくてはいけないと頭では分かっているのにマジックは彼を離せなかった。
昔と同じだと、シンタローに軽蔑されてもいいから、行かせたくない。
知らず、腕に力が込められ、シンタローは苦しそうに息をついた。
「頼むから放してくれ―――――俺はアンタの腕だけはほどけないんだ。」
マジックは目を閉じ、それからもう一度開いた。
どこまでも続く青の世界。
それは果ての見えない己の執着にも似て―――寂しく、すがすがしかった。
「――ごめんね。」
もう一度だけ謝って、ゆっくりと指から、手のひら、腕と力を抜いていく。
身体が離れた時、ひどく寒く、そして自分の身が頼りなく感じられたのは自分だけではないだろう。
シンタローが数歩下がって顔を上げる。
その目は少しだけ縁が赤かったが、腫れてはおらず澄み切った色のままだった。
『ありがとう』
唇をかすかに動かしただけのその言葉にマジックは頷く。
シンタローが表情を引き締め、一歩踏み出すと身体をわずかにそらせて道を空けてやる。 横を通り過ぎた時、長くのばした彼の髪がひるがえって自分の頬に触れた。
彼の踵がたてる重い音が聞こえなくなるまでマジックは外界を見続けた。
いっておいで、シンタロー。
おまえを縛り付ける鎖はもうない。
おまえが何を選びたいのか、そして何を選ぶのか私は知っているから。
どうなっても何がおこっても私はおまえを待つだろう。
だから、せめて許して欲しい。
旅立つおまえの後ろ姿を見送ってやれないことを。
いっておいで愛しい子。
end
2004/03/10
改稿2006/0911
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