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愛をしるひと














 心の表面を薄いうすい氷で覆って、何者にもそれを支配されることもなく、白く凍てついた覇王の道を、ひたすら歩み続ける。
 緋色の服に袖を通したその時に、自分は選んだ。
 世界を欲しいと願うなら、他のものは捨てなければならない。
 特に心を。
 あの父でさえ、それのためにすべてを失ったのだ。
 自分たちに対する愛情が、咄嗟の判断を鈍らせて、致命傷を負うことになってしまった。
 「ご子息と重なってしまわれたんでしょう」と震える声で父の部下が告げた時、撃てばよかったのに、と、自分は思った。
 他の兄弟は知らないが、自分なら、父の夢のためなら喜んで死んだ。だから、迷うことなど何もなかったのに。
 この道を歩いていく人間にとって、必要以上の『情』は足枷にしか過ぎない。
 愛することも愛されることも、総帥である時はそれは封印しなければならない。
 












 整列する使用人達に見送られ、玄関のドアへ向かっていた彼は、「ぱぱ」という幼い声に相好を崩して振り返った。
「シンちゃん、おはよう。」
 水色のパジャマ姿の息子が、眠い目をこすりながら、ほてほてと階段を降りてくるのを、待ってやって抱き上げる。
 子供の細い髪がもつれてくしゃくしゃになっているのを、手で直してやりながら、「ごめんね、起こしちゃったかい?」と尋ねる。
 朝、真っ先に子供部屋に行って、キスをしたときに、熟睡していたことは確認していた。
「ううん、起きてよかった。パパと会えたもん。」
 起き抜けの舌っ足らずの愛らしい口調に、とろけそうになりながらも、父親の胸は少し痛んだ。
 ここのところ、マジックの仕事が忙しくて、一つ屋根の下にいるにもかかわらず、二人は顔を合わせることすらままならない日々が続いていたのだ。
 もっとも、父親の方は、帰宅すると、どんなに疲れていても子供部屋に直行して、息子の寝顔で疲れた心を癒していたりしていたのだが。
「ごめんね、シンちゃん、パパが忙しくて、ご飯も一緒に食べられないし、お風呂も一緒に入ってないね。」
 自分はその飢えを、撮りだめしていたビデオで満たしていることは、おくびにも出さず、彼は寂しい想いをさせている息子に謝った。
「いいよ。僕、もう大きいから平気。ひとりでできるよ。」
 ああ、なんて健気な子なんだろう、と、じーんと胸を熱くするマジックだったが、時間が無いことを思い出して、もう一度抱きしめてから、シンタローを床に下ろした。
「それじゃあ、パパ行って来るから、いい子にしているんだよ。」
「うん。パパ、いってらっしゃい」
 それでも、やはり寂しいのかしゅんとうなだれるシンタローの頭をひとつ撫でて、父親は優しく言った。

「大丈夫、すぐ終わらせるからね。」

 周りで聞いていたその言葉の意味をよく知る者達は、内心ぞっとすくみあがったが、賢明にもそれを押し隠した。
 しかし、年端もいかない息子は、「ほんと?」と単純に嬉しそうな顔になる。
「やくそくするよ。なんなら指切りしようか。」
「するするー。」
 ゆーびきーりげんまーん、と元気よい歌声が、早朝のしん、と静まりかえった玄関に響く。
 子供は知らない。
 父親が、仕事を終わらせるということは、すなわち、多くの血と嘆きが、どこかで生まれる日が近いということなのだということを。
 指切りが終わると、待ちかねたように玄関の扉が開かれる。
「じゃあ、いってくるよ、シンちゃん。」
 吹き込んでくる風に、思わずコートの前を合わせた父親は、付け加えた。
「今日は寒いから、外に出るときは、ちゃんとコートを着て、マフラーと帽子をつけるんだよ。」
「うん、わかった。」
「いい子だ。」
 父親は息子に頷いてみせると、迎えに来ていた車に乗り込んだ。












 
 『さんすうドリル』を放り出して、シンタローは椅子の上に持ち上げた両足の膝に顎を乗せた。
「シンちゃん、おぎょうぎわるいよー。」
 一緒に勉強をしていた従兄弟が咎めると、彼の手元のそれまで取り上げた。
「やーっ、かえしてよお。」
「へーんだ。くやしかったら取り返してみろ。」
「ひどいよ、日記につけてやる!」
 二人とも、椅子の上に立ってドリルの取り合いをしているうちに、それが遠くへと飛んでいってしまった。
 放物線を描いて落ちた先は、見慣れた靴のすぐそばで、二人がぎょっとして動きを止める。
「………お二人とも、何をなさってるんですか。」
 グンマの教育係である、高松が両腕を組んだ姿勢で口元をわずかにひきつらせていた。
「たかまつー、シンちゃんがひどいんだよお!」
「グンマがいいこぶるから悪いんだ。」
「だって、シンちゃんがおぎょーぎ悪かったんだもん。」
「うっさい! バカっ!」
「シンちゃんの方がもっとバカ!」
「じゃあ、それのもっとバカ!」
「あー、はいはいおおよそのことは、分かりました。シンタローさまが、お勉強に飽きたのですね。」
 そして、おおかたグンマがそれを注意して、最終的にこの展開になったのだろう。グンマは一人にしても、おとなしく勉強をしているが、従兄弟と一緒になるといつもこうなってしまうのだ。
 確かに、同じ年頃の子供を一つの部屋に閉じこめておいては、遊ぶなというほうが無理だが。
「それでも、来年は小学生でしょう。ちゃんと予習していないと、恥をかくのはあなたですよ。」
「恥なんてかかないもーん。」
 実際、これもまた落ちていたシンタローのドリルを取り上げると、かなり難易度の高い問題でもきちんと解けている。
 確かに頭は悪くない方だろうとは思う。しかし、勉強という『習慣』をつけるのが、そもそもの目的なので、理解度の高さがどうこういう問題ではない。
「とにかく、子供のおしごとはお勉強です! とっとと席について、鉛筆を持ってください。」
 一括されて、シンタローはしぶしぶ椅子に座った。
 しかし、なかなかやる気にならないようで、まだぐずぐずとしている。
「早くおっきくなりたいなー。」
 シンタローの愚痴に高松は意地悪い笑顔を向けた。
「おや、大人になったら、本当にお仕事しないといけませんよ。言うことをきかないクソガキにお勉強させたり、上司の愚痴につきあったり。」
「違うもん。僕は大きくなったらパパのお手伝いするんだもん。そうしたら、ずっといっしょにいられるから。」
「じゃあ、ぼくも高松のお手伝いするー。」
 はりあってそう宣言するグンマのかわいらしさに、高松は溢れ出す鼻血を押さえた。
 それにしても、と、ハンカチを探しながら考える。
 確かに、マジックが彼を後継者に指名するだろうということは、ガンマ団内部では間違いないだろうと言われている。
 けれど、この子供に耐えられるのだろうか。
 人々の怨嗟と嘆きを、その肩に背負うことに。
 ――父親に守られているだけの、この異端の子供が。
 トップというものは、すべからず孤独と戦わねばならない宿命を背負っている。
 恐怖と畏敬を他者に植え付けるためには、決して弱みをみせてはいけない。
 それこそ、家族の死とあっても、涙を流すことも許されない。
 その点、マジックは非常に『優秀』な指導者であるといえるだろう、と高松は皮肉っぽく思った。
 彼は弟の訃報を聞いた時、眉一つ動かさなかったと言う。
 サービスは「あいつらは、穏和で戦闘に向いていないルーザー兄さんが邪魔だったんだ」と、泣いて兄たちを非難したが、それもまた違うだろうと、高松はそう思っていた。
 サービスという友人は、彼にとって受け入れがたい現実からは、目をそらす傾向にある。
 あの人の、無邪気な残酷さも、脆い精神も、何も知らなかった。知ろうとさえしなかった。
 けれど、マジックはすべて知っていた。
 自分以外に、あの人のそのすべてを受け入れたのは、きっと彼だけだっただろう。
 だからこそ、自分は許せなかったのだ―――。 
 
「でもー、シンちゃん、おじさま、とっても強いし、なんでも出来るから、お手伝いなんていらないんじゃない?」
 子供達の声に、暗い淵に思考が落ちかけていた高松は、我に返った。
 グンマの無邪気な指摘に、シンタローは、黒い瞳を大きく見開いている。
「おとなのひとたちが、『そーすい』はかんぺきだって言ってたもん。『そーすい』っておじさまのことだよね、たかまつ。」
「そうですねー。でも、完璧かどうかは私は存じませんがね。」
「違うの?」
「側近を顔で選ぶような安直なとこありますし。」
「だって、自分一人で平気なんだから、飾り程度でいいんじゃないの?」
「それにしても……。」
 そうやって現総帥の能力について、勝手な批評を二人が繰り広げている間、シンタローは黙りこんで、何かを考え込んでいた。











 なんとか、勉強を終わらせ、やっと許しが出た二人は遊び場に向かって、手をつないで歩いていた。
 喧嘩をしていたことなどすっかり忘れ、機嫌よく歌など歌いながら歩いていたグンマだったが、黙り込んでいるシンタローの様子に気づいて、手を強く引っ張った。
「ねぇねぇ、シンちゃん、どうしたの?」
「なんでもないよ。こっち、行こう。」
「ええっ! ダメだよ、決まった道じゃないと、高松が怒る。」
 近くの細い道に入っていこうとするシンタローを、グンマは止めたが、言い出してひっこむような相手ではなかった。
「こっちの方が近道なんだもん。高松が怖いならグンマ一人で、あっち行けよ。ブランコも滑り台も、ぼくが先に遊ぶから。」
 そう言って、ふりほどかれそうになった手を、慌てて掴んでグンマは涙目で頷いた。
「わかったよ~。でも、高松にはナイショだよ。」
「あったりまえじゃん。」
 おまえこそ言うなよ、とシンタローは釘を差し、ガンマ団の中枢に位置する施設が多くひしめくエリアへと入っていった。
 何度かこっそり通ったことがあるので、人気の無い道は分かる。
 人が来れば物陰に隠れてやり過ごすのも、スリルがあってわくわくする。
 最初は渋っていたグンマも、探検ごっこもどきを楽しみ始め、あと、少しという場所まで来ると残念そうな顔つきにさえなった。
「あの階段を上って、降りたらすぐだよね。」
「うん。誰もいないし、行こう。」
 周りを注意深く見回してから、ふたりはたっと、階段に向かって走った。
 とことこと登ると、冷たい突風が顔に吹きつけてきて、二人は首をすくめた。
「さむーい。」
「高ーい。」
 こそっと手すりから下を覗くと、行き交う人々の姿がちらほら見えた。
 それを観察していた二人は、見覚えのある赤い服に「あ」と声を出しかけて、しーっ、しーっとお互いに唇を尖らせた。
「パパだ。」
「おじさまだ。早く降りないと、見つかっちゃうよぉ。」
 グンマはシンタローの手を引っ張ったが、まったく動こうとしなかったので、グンマは諦め、見つからないようにその場にしゃがみこんだ。
 見つかったら叱られると思いながらも、外で見る父親がめずらしく、シンタローは必死で目をこらす。
 数人の大人をひきつれて、歩いている姿が子供の目から見てもかっこよくて、それが自分だけのパパなんだと思うと、誇らしくてちょっと嬉しい。
 彼らの進行方向がたまたまこちらの建物だったらしく、どんどんその距離は近くなり、シンタローは背伸びした。













 今日は一段と風が強い。
 マジックは、コートが風にあおられて飛んでいこうとするのを片手で押さえた。
 背後にいた部下が、預かろうとするのを手で制止し、肩に羽織り直す。
「それで、A地区の戦況は?」
「はっ、……一進一退といったところです。今、我が軍と対峙しているのはあの国の精鋭部隊の中の、特に選りすぐられた戦士のチームだという報告が情報部からも入っています。
また、あの地区の気候も影響し、作戦の遂行に支障をきたしているものと思われます。」
「そうか。」
 マジックは、頷いた。
「なら、あのミサイルを使え。」
 その言葉に、部下が青ざめる。
 確かに最近開発されたばかりの、それを使えば、一気に戦局はこちらに傾くだろう。
 A地区の制圧さえしてしまえば、あの国は落ちたも同然だ。
 しかし。
「あの兵器は、現段階で効果が広すぎます。その影響を及ぼす地域は半径50kmは優に超えて―――。」
「だから?」
 青い冷ややかな瞳に射抜かれ、彼は自分が分を越えた発言をしてしまったことに気づき、蒼白になった。
「……も、もうしわけありませんっ!」
「構わん、言ってみたまえ。」
「はっ…その、しかし……。」
 彼は口ごもったが、このまま黙っていた方が、余計総帥の怒りを煽ることは分かっていた。
「……自軍に与える被害も甚大なものがあると……。」
「甚大を通り越して、全滅だろう。」
 マジックはあっさりと訂正した。
「期間内に終わらせられない無能さに対して、査問会を開く手間も省けてちょうどよい。」
 部下達の目に恐怖が浮かぶのを、マジックは何の感慨も覚えず見下ろした。
 彼らがどう思っているかなど、手に取るように分かる。
 自分が持つ禍々しい力、では無く、この内に潜む闇に彼らは怯えているのだ。
 冷酷で、非道の限りを尽くす魔王。
 今更のことだ。
 そして、彼らは自分の中のそれを恐れながらも、ありえないものに焦がれる人間の性からそれに惹きつけられている。
 実の弟たちもそうだ。
 彼らは自分に反発しながらも、自分から離れられない。
 ひとつのものを求めて、それに対して揺るぎない心を持つことの必要性を、自分は知っているが、彼らは知らない。
 だからこそ、目的のための選択を容易に行える自分を恐怖し、そして、崇拝するのだ。
「すぐに、手続きを済ませろ、報告は後で構わない。」
 今日は、あと会議が数件有り、その間をぬって他国との話し合いもしなくてはならない。
 すでに終わったことの報告など聞いている暇はない。
「はっ! かしこまりました。」
 部下が一礼をして、速やかに立ち去った後、ふと、視線を感じて顔を上げた。



「シンタロー……。」



 前方上部にある通路の手すりの隙間から、見下ろしている大きな黒い瞳を見つけて、マジックは呆然とした。
 目が合った瞬間、子供の小さな肩が遠目でも分かるほどびくりとはねた。
 そして、手すりから手を離すと、くるりと背中を向けて走っていった。
「あっ、シンちゃん! 待ってよお…お、おじさま、ごめんなさいっ!」
 一緒に隠れていたらしい甥が慌ててその後を追う。
 ぴょこんと頭を下げたものの、いつもと変わりないのは彼が見ていなかったからだ。

 自分の本当の顔を。

 知らず、自分の顔を指でたどる。
 かすかに、歪んだ口元、ひそめられた眉。
 冷酷な、鬼のような、そんな笑みを自分は浮かべていた。
 すべての者を圧倒し、ひれ伏させる恐るべき男の顔を、幼い息子に見られてしまったことに、自分でも意外なほどに動揺していた。
 誰でも知っていることなのに。
 いつか、彼も知らなければいけないことなのに。
「総帥?」
 凍ったように立ちすくむ自分の様子を不審に思ったのか、部下が声をかけてきた。
「なんでもない。」
 なんでもないことだ。
「次の予定は、第4棟の会議室だったな。急げ、時間がおしている。」
 そう言って、歩調を早めた。
 休む暇はない。
 彼を待っている未来を前にしては、なにをもそれを止める存在にはなりえないのだから。






 



 仕事を終わらせ、家に向かう車の中でマジックは彼に電話をかけた。
 数回のコールの後、やっと出てきた男の声は不機嫌そうでした。
「どうなさったんです。こんな遅くに。」
「どうした、とはこっちの質問だ。何故、シンタローが中央エリアの中に入ってきていたんだ。」
 総帥の詰問にも、彼はまったく動じる様子が無かった。
「はぁ、そうだったんですか。確かにあそこを突っ切った方が、遊び場に近いですからねぇ。」
「危ないから、入らないようにと二人には言ってあるはずだろう。」
 のほほん、とした彼の口調にマジックは苛つきを隠せず、ついきつい声を出してしまったが、高松は鼻で笑い飛ばした。
「危険? お言葉ですが、ここは貴方の『お城』でしょう。そんなところでご子息にどんな危険がふってくるとおっしゃるんです?」
「高松。」
「それとも、『お仕事中のパパ』を見られたくなかったんですか?」
 電話で幸いだったな、とマジックはひっそりと思った。
 こんなことで動揺している自分を誰にも知られたくはなかったからだ。
 一番触れられたくない話題に、高松という男はへらへらと笑いながら触れてくる。
「まだ、早い。」
「早い……ねぇ。承知しました。ご子息がご自分で判断できるようになられるまでは、お父上の職場には入らないように、気をつけておくことにしますよ。」
 そこで、彼は一旦言葉を切る。
 芝居がかった間などとって、高松は言った。
「お父さまの仕事を『理解』した後、シンタロー様がどうするかは私が関知すべきことじゃありませんから知りませんが。」
 マジックは返事をせずに、電話の電源を切った。
 窓にうつる自分の顔をちらっと見たが、多少不愉快そうな表情にはなってこそすれ、とりたてて動揺している様子はなかった。
 残念だったな、とマジックは、高松を密かに憐れんだ。
 彼は別に馬鹿な男ではない。
 よく自分を観察しており、ぎりぎり許される範囲を見極めて、彼にとって痛手になるだろうと、ああしたことを口にする。
 それが、彼なりの復讐なのだろう。
 高松が何より、愛し、崇拝した『彼』を死に送り出した自分に対しては。
 冷静で、何事にも流されたりしない心が、このことに関してはどうにも抑えきれないらしい。
 けれど、怒りに任せて自分の身を滅ぼすこともできないのだ。
 遺された『彼』の子供と、『彼』の仕事を放棄することは高松にはできない。
 やっかいなものだ、愛情というものは。









「おかえりなさいませ。」
「食事はすませてきた。……シンタローは?」
「しばらく前にお休みになられました。」
「そうか。下がっていい。」
 深々と一礼して使用人が立ち去ると、マジックは廊下に作りつけてある時計に目をやった。
 その針は、子供の就寝時間がとっくに過ぎていることを指し示している。
 もちろん、そんなことは百も承知だった。
 わざと仕事を増やして、帰宅する時間を遅らせたのだから。
 子供のことだから、一晩間を置けばあんな些細なことは忘れるだろう。
 そんな姑息な己の思考をマジックは自嘲した。
 観られたから、知られたからどうだっていうのか。
 あの距離で自分たちの会話を聞きとれたとも思えないし、そもそも頑是無い子供に話の意味など分かるはずがない。
 それでも一旦は子供部屋へ向かいかけた足を止め、マジックはまっすぐ自室へ向かった。
 冷えきった部屋に入ると、灯りもつけないでベッドルームへ入った。
 少し休んでから、シャワーを浴びようと、ベッドに腰掛けた時、小さなふくらみに気づいた。
 よくよく見ると、ベッドカバーがはずされて床に落ちている。
 驚いて羽布団をめくると、そこには小さく丸まって眠っている息子の姿があった。

「シンタロー……。」

 何故ここにいるのか不思議だったが、起こしてはいけないと、そおっと布団を戻したところで、子供の目がぱっちり開いた。
「う~~……。」
 目をこすって、闇に目をこらしていた様子のシンタローだったが、すぐに父親だと気づき、ぱすっと抱きついてきた。
「パパ、おかえりなさい。」
 子供の体温は温かく、冷たい外から帰ってきた身には心地よいものだった。
「ただいま、シンちゃん、どうしたの? ……なにかパパにお話したいことでもあったのかな?」 
 マジックの心中を知ってか知らずか、シンタローはじいっと父親の顔を見上げている。
 しばらくして、ほっとしたように笑う。
「……いつものパパだぁ…。」
 マジックの肩がかすかに強張る。
 しかし、表情はあくまで穏やかな様子を崩さずに、彼は息子に尋ねた。
「いつもの、って? パパはいつでもシンちゃんのパパだよ。」
 すると、シンタローはもじもじとして、顔を俯かせた。
 禁止されたことをして怒られると思ったのだろう。けれど、どうやら覚悟をきめたのか、えーとね、と口を開いた。
「今日ね、パパがお仕事しているところを見たの。……パパ、とっても怖いお顔してた。」
 話すことに一生懸命になっているせいか、自分の髪を撫でていた父親の手が止まったことに、シンタローは気づいていない。
 ずっと、午後から考えていたことを、どうやって父親に伝えようかと必死だったのだ。


「あのね、それで、僕思ったの。きっと、今日、とっても寒かったから、パパ、怖いお顔してたんだって。だからね、おふとんあたたかくしてようと思ってねちゃったの。」


 たどたどしい説明は、父親にぎゅっと抱きしめられたことにより中断してしまった。
「パパ?」
「シンちゃんは、本当にいい子だね。」
 その言葉にシンタローは、戸惑ったようだった。
「ぼく、いい子じゃないよ。言いつけやぶったし、グンマを泣かせたし、高松の本にらくがきしたし………青い目じゃないし。」
 小さな声で付け足された言葉に、父親は腕の中の息子の顔をのぞき込んだ。
「金色の髪じゃないから、『かんぺき』じゃないから、大きくなってもパパを助けてあげられないの。ごめんね。黒くてごめんなさい。」
 しゅんとしている息子に、マジックは他の誰にも与えないような微笑みを向けた。
「パパは黒い髪の方が好きだよ。たとえ、神様が百人の金髪で青い目の子供のかわりにシンちゃんを欲しいっていっても、パパは交換なんか絶対しない。」
 そう言って、顔を近づけて瞼の上にキスを落とす。
「さあ、だから、そんなことは忘れてしまいなさい。シンちゃんはずっとパパの側にいて、パパを助けてくれるんだよ。……忘れるんだ。」
 おまえが見た『私』など、覚えていてはいけない。
 シンタローが知っているのは、優しく子供を見守る父親の瞳だけでいい。
 世界で一番彼を愛している男の瞳だけでいい。
 



 『青の瞳』など、覚えていないくてよい。




 やさしく頭を撫でながら、そう低い声で囁き続けると、子供はうとうととしだした。
 腕の中の子供がどんどん重くなる。
 それにうっとりとするような幸福感を覚えつつ、完全に眠りに落ちる寸前の子供に、一つだけ質問した。

「シンちゃんは、パパが怖い?」
 
 シンタローはたくましい腕に頭を預けながら「こわくないー」とあっさりと答えた。
「だって、パパ怖い顔してただろう。シンちゃん、さっきそう言ったじゃない。」
 しつこくそんなことを言う父親に、息子は重ねて答える。
「こわくない。昼間のパパの顔は……怖かったけど、『パパ』は……怖くないの。……だって、…パパだも…ん。」
 とぎれがちになる言葉の代わりに、シンタローは父親の服をきゅうっと握りしめる。
 離れないことを誓うかのように。











 深い眠りに落ちた子供を、マジックは腕の中に抱え直した。
 こうやって、腕に伝わってくる熱や、小さな呼吸、そのひとつひとつに、愛おしさを感じる。
 けれど、そんな気持ちも自分を変えることはできない。
 目指したものを諦めて、家族を愛し、穏やかな……無為の日々を甘受する人間など自分はなれない。
 この先、シンタローが成長して、今度こそ本当に、彼が父親と呼ぶ人間が、何者であるかを知るだろう。
 嫌悪するかもしれない。
 ……恐怖するかもしれない。
 それを、何より自分は恐れているのに……それでも、変えることはできないのだ。
 
 そして、この子を手放すこともできないだろう。
 
 いや、手放す必要がどこにある?
 この子は、私のもので……私だけのもので、だから、彼の意思など関係ない。
 くっ、と、彼は嗤った。
 本当に……どこの誰が『愛は貴いもの』など言ったのだろう。
 これほど、醜くエゴに満ちた感情が他にあるというのか。
 囚われ、縛り付け、そんな欲望を、すべて正当化してしまう言葉。

 知らなかった。
 こんな感情は生きてきた中で、知ることはなかった。
 これが、『愛情』だと言うのなら、自分は誰も愛したことがないということになる。






 ―――そして、おそらく、これから先も他の人間に対して、こんなふうには想うことはないだろう。
 愛しているふりはできる。優しくすることもできる。
 けれど、こんな感情は他の誰にも持てない。


 



 ああ、そうだ。
 愛することを、己に禁じてきたわけではなかった。
 


 ただ、誰も愛せなかっただけなのだ――――――――。








 ベッドに横たわらせ、柔らかい髪を撫でてやる。
 寒かったから、顔をしかめていたという、シンタローの解釈はそう間違っているわけではない。
 ずっとずっと、凍えてきた自分の中のそれを温めてくれたのは紛れもなく、この子の存在だ。
 麻痺していた心に、恐れと痛みを与えたのも。
 けれど、自分は変わることはできないから。
 だから、この子を自分の世界へ引き入れるしかない。
 愛しているから。
 この世のなによりも―――この子だけを唯一愛しているから。
 なんて醜い。
 グロテスクなエゴイズムな理由。



「大丈夫だよ、パパと一緒なら……二人なら、きっと、冷たくないからね。」


 そう、寄り添って氷の城の中で生きていこう。
 この子が苦しさに耐えきれず泣いたり、外に行きたいと叫んだら、抱きしめて慰めてあげよう。
 










 ――――――――それが、『愛』というものだろう?














end


2005/07/30


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