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ket
愛玩動物













 『彼』はいつもドアを開けたすぐのところで、自分を待っていた。
 きらきらした黒い瞳は、どんなに『彼』が自分に会いたかったかを、言葉よりも雄弁に語り、さらにちぎれんばかりに振る尻尾がそれを裏付けた。
 それは、『彼』がその生涯を終えるまで、続けられたのだった。














 会議室から総帥室へと続く廊下を歩きながら、シンタローはこっそりとこった肩をさすった。
 総帥に就任してから、あちこち世界を飛び回る日々を過ごしているからか、たまにこうやって本部に帰って会議や書類にサインをする日々が続くと、身体がなまっていくような気分になる。
 しかも、今回は遠征が長引いてしまったため、本部での仕事がたまりすぎて、ろくろく散歩にも行けない状態になってしまっていたのだ。
 それも、自分が決めたことなのだから、仕方がないとは彼も想っていたが、こうやって部屋から部屋へ移動するわずかな時間だけが、息抜きの時間というのはさすがにもの悲しいと思うシンタローだった。
 窓の外を見れば、雲一つ無く晴れ渡った空が彼方まで続いている。
 こんな日は、机の前から離れて外を駆け回りたくなる。
 そういえば、昔飼っていた犬も、こんな日は上機嫌で遊びに行こう、と朝早くから自分のベッドの周りをぐるぐる回っていたものだった。
 しばしノスタルジーに浸る総帥を、補佐官の無遠慮な言葉が現実に引き戻す。
「シンタロー、何を立ち止まっている。会議が早く終わったからといっても、休憩時間はとれないぞ。遠征の間にたまったデスクワークがあるんだからな。」
 シンタローは斜め後ろに立つ、従兄弟を振り返る。
 空と同じ色のその目は、怠惰は許さん、とばかりに自分をじっと睨んでいた。
 本当に、何がどうしてこんな堅物になっちまったんだか、とシンタローはため息をついて頷いた。
「あー、はいはい、分かってるから、そうカリカリすんな……。」
 言葉の途中で、本当に自分の足下からかりかりという音が聞こえてきて、シンタローは下を向き顔をほころばせた。
 茶色い子犬が、シンタローのブーツにじゃれついて、その小さな爪が音を立てているのだ。
「うっわー、ちっせー。どうしたんだ、迷子か?」
 ひょいっと、抱き上げると、その小さい子犬は細いしっぽをぴこぴこふって、「わん」と、元気よく答えた。
 どうやら、和犬の子犬らしく焼きたてのトーストとよく似た色の、小さな耳をいっちょまえにぴん、と立っている。
「かっわいいなあ、なに、おまえ、どこから来たの?」
「犬は返事ができない。シンタロー。」
 そのあまりの愛らしさにでれでれと相好を崩しまくっているシンタローに、冷静な副官の指摘が水をかけた。
「んなこと、わかってるっつーの! だいたい、こんなかわいい子犬見て、おまえはそんなことしか言えんのか。」
「かわいいのはおまえだろ。」
 しれっとした顔でつっこむ副官に、周囲にいた団員達は「キンタローさまナイス!」と心の中で盛大に拍手した。
「なにアホなこと言ってんだ! あっ、ごめんごめん、おどかしちまったなー。」
 ごめんな、と子犬に顔を寄せると、小さな桃色の舌がぺろぺろとその唇を舐める。
 途端、周囲の団員達がぎりっと歯ぎしりをした。
『ちくしょーっ! ここにビデオがあれば!』
『それより、今、あの犬とチェンジしたい!』 
と、団員達のどろどろの欲望がうずまくその空間に、息せき切って駆けつけてきた人物がいる。
 元総帥の側近の一人で、現総帥の信頼も厚いと言われている忍者トットリだった。
 きょろきょろとしながら走っていた彼は、シンタローの腕にいる子犬を見てほっとした顔をした。
「あーっ! いたいた。ごめんだっちゃわいや、シンタロー。」
「おお、これ、おまえの犬か? トットリ。」
「いや、ちょっとこの前の任務先で拾ったんだっちゃ。もう、もらい手は見つけてるけど、ミヤギくんにも見せてあげたくって、待ってるんだわいや。」
 ミヤギが所属している隊が戻るのは、明日だ。
「そっかー、すぐにどこかに行っちゃうのか。」
 シンタローは名残惜しげに、手の中の子犬を見る。
「なぁ、コイツ、もうちょっと預かってちゃダメか? ミヤギが帰るまで一晩でいいから。」
 意外なシンタローの申し出に、忍者は目をぱちくりさせた。
「そりゃ、かまわんけんど、僕も報告とかで忙しいので、面倒みてもらえたら助かるっちゃ。」
「やった、サンキュ。」
 シンタローの顔がぱっと輝いて、全開の笑顔になると、周囲の団員達は耐えきれず、壁によりかかったり、床にしゃがみ込んだりした。
『たまんないっす! 総帥!』
 シンタローに代替わりしてから、ガンマ団の養成学校では「鼻血を出した時の速やかな応急処置方法」が最初の必須授業になり、そして現在団員の中で、一番実用性が高い授業として大変評価が高い。
『総帥の後ろに立っていて今のスペシャルエクセレントプリティーキュアキュアな笑顔を見ていないキンタロー様はともかく、なんで正面に立って攻撃をまともにくらったトットリさんは平然としているんだ!?』
『さすが、元総帥の側近はひと味もふたあじも違うぜ!』
 一部の団員の尊敬を知らずに集めているとも知らず、顔について非情に偏った趣味の持ち主のトットリは、手にしていた首輪などをシンタローに渡しながら、餌や、しつけについて説明しようとしたが、邪魔をする人間がいた。
 例によって例のごとく、有能な補佐官である。
「そんなことは許さないぞ。シンタロー。どれだけ仕事がたまっていると思うんだ。もう一度言う、おまえしかできない仕事が膨大な量たまっているんだ。犬と遊んでいる暇など無い!」
「ちょっと世話するだけじゃねぇか、たった一日のことだし、トットリもこんなんじゃ、ろくに面倒みてやられねぇだろ。」
 シンタローはごねたがキンタローはそれを無視して、おまえが悪いと言わんばかりにトットリに攻撃を移した。
「だいたい、もらい手が決まっているんだったら、さっさと連れていけばよかっただろう。ミヤギに見せたいという話だが、おまえが彼の飼い犬みたいなものだから充分だろう。」
「わっ! 馬鹿! 禁句を……。」
 シンタローが慌てて止めに入った時には、既に遅く、トットリの周りの空気がびしりと凍り付く。
「誰がいぬだっちゃ……。」
 童顔をひきつらせキンタローをぎっと睨みつけるものの、いまいち迫力にかける。
 当然ながら、キンタローは顔色一つ変えなかった。
「おまえ。」
 容赦ない一言に、トットリの大きな目に涙がぶわっと盛り上がる。
 やべ、とシンタローがフォローしようと口を開く前に、滝のような涙をあふれさせた。
「うっわああああああああああああああああああああああん!!」
 二十歳もとっくに超えた男には思えないほどの、泣きっぷりを披露して、トットリは元来た方向へと、全速力で走り去ったのだった。
「お、おい! トットリ。」
 しかし、童顔でもさすが忍者。
 総帥の制止の声も聞かず、彼の姿は見る見る間に遠くなって消えてしまった。
 さすがにかわいそうになったシンタローが、キンタローをじろっと見る。
「キンタロー! 謝ってこい!」
「何故だ。俺は間違ったことを言っていない。」
「いいから! とにかく、トットリにフォローいれてこい! さもねぇと、おやつもご飯も二度と作ってやらん。」
「結構だ。」
 なかなかに強情なキンタローに、シンタローは破れかぶれで言ってみた。
「そうするまで、俺の部屋に立ち入り禁止。」
 すると、キンタローはぴくんと肩を上げた。
「………わかった。行って来る。トットリの自室はどこだ?」
 あまりの素直さにびっくりしているシンタローをよそに、キンタローは部下にトットリの部屋番号を聞いて、すたすたと歩いて行こうとした。
 しかし、数歩歩いたところで、ぴたっと止まってシンタローのところに戻ってくる。
「犬。」
 手を差し出され、我に返ったシンタローが渋々と子犬を渡すと、キンタローは無言のまま踵を返し、今度こそ寮のあるセクションへと向かったのだった。

















「遅い。」
 シンタローは書類にサインをしながら、いらいらと卓上の時計の数字を見た。
 キンタローを送り出してから、もう既に一時間近く経過している。
 トットリの部屋から、この総帥室まで、どれだけとろとろ歩いても三十分はかからないだろう。
 まさか喧嘩になったとしても、キンタローとトットリじゃ勝負にもならないし、と部下には少々酷なことを思いつつ、シンタローは受話器を取って、トットリの部屋のナンバーを押したが、呼び出し音が鳴り響くだけで、誰も出る様子がない。
「あー、もう。」
 シンタローは渋々腰を上げて、トットリの部屋へ向かう。
 仮に何かあったとして、場を納められるのは上司である自分しかいないのだから、仕方がない。
 急いだおかげで、十五分ほどで部屋へついて、呼び出しボタンを押したが、まったく反応が無い。
 よそで話しているだけならいいが、万が一ということもある。
 シンタローは中に入ってみることにした。
「おい、俺だ。」
 部屋はオートロック式なので、シンタローは部屋のロックの解除を頼もうと、秘書室に電話をしたが、出たのは何故かもう一人の従兄弟だった。
「あれー、シンちゃん。なんで、そんなとこにいるの?」
「おまえこそ、なんで秘書室にいるんだよ。」
 今の時間なら研究室に詰めてるだろ、とシンタローがいうと、グンマはあっけらかんとして答えた。
「だって、ここだったら、美味しいお菓子があるんだもーん。」
 確かに、秘書室なら菓子は欠かさないだろう。
 総帥の休憩用のお茶請けを用意していることが常だったからだ。
「……それ、俺のじゃないか?」
「いいじゃん、シンちゃんのことだから、食べてる暇がないって手をつけてないんでしょ? それより、何の用? これって寮からの電話じゃん。」
 言われて、肝心の用件を思い出したシンタローは、トットリの部屋のドアロックを解除するように頼んだ。
 しかし、グンマは、あー、ソレだめとにべもない。
「一応、プライバシーなんかの問題もあるから、中央室からのロックのコントロールは、一斉って決まってるんだ。個別に開くときには、解除プログラムを個別に書き込んだカードキーが必要なの。」
 迷ったものの、総帥権限ですべてのドアを開かせるのはさすがに気が進まず、シンタローはグンマにそれを持ってくるよう命令した。
「えー、やだ。他の人に持っていってもらっちゃだめ?」
 案の定、従兄弟はたいそう面倒くさそうな声をあげた。
「いいから、おまえがもってこい。中にキンタローがいるみたいなんだが、返事が無いんだ。」
「キンちゃんだったら、眼魔砲ぶっ放して出てくるよ。」
「いちいち、施設を壊されてたまるかーっ!」
 シンタローが怒鳴りつけると、さすがのグンマもわかったよ、としぶしぶ承知した。













「遅い。」
 せっかくカードキーを持ってきたあげたにも関わらず、いきなり文句を言われてグンマはむっとした。
「ひどいよ、シンちゃん。遅いはないでしょう。」
「秘書室からここまでせいぜい十分だろうが、何をちんたら歩いてきてやがんだ。」
 いいから、さっさと開けろ、と、命令されてグンマは言い返そうかと迷ったが、シンタローの苛つき様に、我慢してカードをリーダーに差し込んだ。
 ピーッという、解除の合図の電子音が鳴り終わらないうちに、シンタローは中に入り込む。
「キンタロー!」
 シンタローのせっぱ詰まった声に、肩越しにのぞき込んだグンマも驚きの声を上げる。
「キンちゃん!? どうしたの!?」
 部屋に入ってすぐのところで、二人の従兄弟が床に突っ伏していたのだった。
 その周りを茶色の子犬が、所在なげにうろうろとしている。
 きゅんきゅん鳴いている犬をシンタローは抱き上げて、背後のグンマに渡してから、キンタローを抱き起こして、呼びかけた。
「キンタロー、おい、目さませ。」
 手の甲でぺちぺちと軽く叩いて声をかけると、彼はうっすらと目を開けた。
 しかし、その目はぼうっとしていて、焦点が定まっていない。
「キンタロー?」
 心配になったシンタローが、もう一度名前を呼ぶと、その目がやっとシンタローの方へ向いた。
 とりたてて怪我をしている様子でもないが、どこかおかしい。
「おい、キンタロー、何があった?」
 キンタローはやはり無言のまま、シンタローの顔を見るのみだ。
 とうとう、シンタローは声を荒げた。
 もともと、気が長い方ではないのだ。
「いいから! なんとか言えよ!」
 すると、キンタローは『なんとか』を口にした。





「わん。」


と。
















「トットリー!! 今すぐ出てこい! 総帥命令だっつってんだろコラ!!」
 突然スピーカーから流れたシンタロー総帥の怒鳴り声に、団員達は思わず顔を見合わせた。
「何があったんだ?」
「さあ。」
「緊急の任務でもあるんじゃないのか?」
「いや、報告書に不備があったとか……。」
 どちらにしても、自分たちには関係あるまい。
 一般団員には知らされないようなレベルの話に決まっている。
 全館放送を使って、総帥自らが一人を名指しして呼びつけるなど、めったにあるものじゃない。
 これはよほどのことがあったと考えるべきだろう。
 ――そう、実際に『よほど』クラスのことだったのである。
 むしろ『とんでもない』と言った方がよいかもしれない。
 なにしろ、ガンマ団総帥の従兄弟にして、補佐官、さらにガンマ団一のブレーンとしての呼び声高い彼が、あろうごこか『犬』になってしまったのだから。
「たく、あの馬鹿! とんでもねぇことしやがって!!」
 さんざん、マイクに向かって怒鳴り散らしたシンタローは、トットリの投降をあきらめ、スピーカーの電源を落とした。
「たぶん催眠術かなんかだろうけど、かけた本人しか解けないだろうし……。」
 ねぇ、とグンマが話しかけても、キンタローはまばたき一つしない。
 ひたすらじっと気をつけの姿勢のままだ。
 そうしていると、普段と変わらないようにも見えるが、話しかけても殆ど無反応で、口をきいたのも、先ほどの『一鳴き』だけ。
「しょーがねぇ、誰かに言ってトットリを探させるから、それまでそいつの面倒見てろ。」 そう言って、さっさと部屋を出ていこうとするシンタローにグンマが抗議の声をあげる。
「ええぇ!? ずるいよーっ!」
「うっせぇ! 俺は仕事があるんだよ!」
「ボクだって研究あるもんっ!」
「テメーの研究なんて、どーせ、あひるのはりぼてとか象のバイクとかそんなもんだろーがよっ!」
「ひっどーいっ!」
 ぎゃあぎゃあと、ひとしきり口論した後、結局グンマが折れた。 
 確かに基地にいる間の総帥の忙しさはよく分かっているし、そのうえ有能な補佐官がこんな状態なのである。
 かといって、他の人間にこのキンタローを見せるわけにもいかない。
「わかったよ。ちゃんと、キンちゃんの世話はするから、シンちゃんは早くトットリを見つけて、キンちゃんをちゃんと治すように言ってよ。」
「ああ、任せとけ。見つけ次第ここに引きずってくる。」
 シンタローは頷き、今度こそその部屋を出ようとしたのだが。
「あっ、キンちゃん!」
 キンタローがいきなり歩き出し、シンタローの後ろにくっついて部屋を出ようとしたのだ。
「キンタロー、ちょっ、ついてくんなっ。」
 しかし、キンタローは構わずぴったりと後ろについてくる。
 グンマも一応キンタローの腕を引っ張ってみたが、まったく引き戻せない。
「あー、これは無理だよ、シンちゃん。たぶん、キンちゃん的に『飼主=シンちゃん』って図式ができてんだよ。」
「なんでっ!?」
「上司=飼主なんじゃない。」
「そんな怖いこと言うなーっ! どうにかしろっ!」
 




 ……どうもこうもなかった。
 シンタローはにわかペットを傍らに従えて、午後からのデスクワークを再開することになったのだった。














 愛しの心友からの呼び出しに、嬉々として駆けつけたのはガンマ団ナンバー2だった。
「シンタローはんが、わざわざこのわてを指名やなんて、どないな風の吹き回しどっしゃろ。照れ屋さんどすのに。」
 なにしろ、顔を出せば眼魔砲もしくはシカトをくらってきたアラシヤマにとっては、シンタローが自分に会いたいと思ってくれる、とそれだけでもう第七天国にでも登ったような大騒ぎだ。
 総帥室に入ってきてからこっち、一人で興奮して騒いでいる彼にインク壺をぶつけたいのを必死で堪えているシンタローだった。
 なにしろ、腐っても……腐敗しきってもガンマ団ナンバー2である。
 シンタローが今抱えている問題を解決できそうなのは、他の連中が遠征などでいない今、彼しかいなかった。
「……はっ! もしかして、デートのお誘いとか!? ああっ、どないしまひょ! 焦って普段着のままきてもうたわ!」
 今から、部屋戻ってよそゆきに着替えて……と、来た道を戻ろうとしたアラシヤマをシンタローはいやいやながら引き留めた。
「……その服で充分だ。俺が必要なのは中身なんだから。」
 仕事さえしてくれれば、聖衣を着ようが、着ぐるみを着ようが自分の知ったことではない。
 しかし、アラシヤマはなにを勘違いしたのか、顔をぽっと赤らめてすすすっと寄ってきて、机越しに素早くシンタローの手を取った。
「いややわー、シンタローはんったら、大胆。」
 ひきつりながらも、協力させるまで多少のオサワリは我慢しているシンタローの耳に、グル…と、重低音のうなり声が聞こえた。
 アラシヤマも気づいて、シンタローの傍らに立つ補佐官を、うろんなものを見るような目で見上げる。
 いつもアラシヤマを見るたび、剣呑な目つきになる補佐官だったが、本日はいつもにも増してあからさまに敵意を剥き出しにしている。
 ……なんですのん、いったい。
 アラシヤマがそちらに気を取られている隙に、シンタローはなんとか自分の手を彼の手から抜いた。
「うんうん、頼りにしているから、トットリをここに引っ張ってきてくれ。」
 そう言った瞬間、アラシヤマが「なんやってーっ!」と叫んだ。
「あんなちびっこ忍者に会いたいやなんてっ! しかも、こともあろうにわてに他の男を捜させるやなんてひどいどす!」
 シンタローを押し倒さんばかりの勢いで、詰め寄ってくるアラシヤマの形相は凄まじく、さすがのシンタローもその迫力に押されてしまった。
 硬直しているシンタローにぴったりと寄り添いながら、戦士にしては華奢な指先にシンタローの長い髪をくるくる巻き付かせて、なおもえんえんとかき口説いた。
「うんもう、ほんとにいけずなお人やわぁ。そんなとこがまた、わてをあんさんから離れさせてくれへんのんやけど……。」
 …………我慢だ。我慢だ俺! こいつを今眼魔砲で吹き飛ばしたら、トットリを探してこられるヤツがいなくなる。キンタローを元に戻すためだ。ガンバレ、耐えるんだ……ファイト、俺。
 シンタローは、ファイトファイトと小声で念仏のように繰り返しながら、キンタローを見て、さらにまた凍り付いた。
 青い目に、怒りを滲ませ、ウウ……と、歯をむき出してうなり声をあげている。
 
 ヤバイ!

 シンタローは、アラシヤマをとっさに蹴倒し、今、まさに飛びかからんとしていたキンタローにしがみついた。

「……どないしなはったん、そん人。」
 
 蹴られた痛みさえ忘れたかのように、アラシヤマがぽかんとしてキンタローを見上げる。
 目が合うとさらに怒りがヒートアップしたのか、キンタローはがうっと吠えた。
 それを必死で押さえつけながら、シンタローはアラシヤマに命令した。
「仕事が終わったのに、おまえがぐずぐずしているから、キンタローは怒ってるんだ! 早く行けよ。俺はこいつにおまえを噛ませたくないんだよ!」
「シンタローはん……そんなにわてのことを……おおきにっ! わて、がんばって忍者はん探しますわ! 待ってておくれやす!」
 感動したアラシヤマは、頬を染めてらんらんとスキップしながら、総帥室を出ていった。
 不満そうに喉の奥でうなり声をあげている従兄弟の背中を撫でて、シンタローはなだめた。
「いいから、我慢しろ、キンタロー。あんなヤツを噛むと変な病気がうつるぞ。そうなったら、俺は非情に困る。」
「がう……。」
 よしよしとなだめらて、なんとか落ち着いたキンタローだったが、その目には「いつかアイツを噛んでやる」という決意が漲っていたことは言うまでもない。



















 その後は、特にキンタローは騒ぎを起こさず、番犬よろしくシンタローの横で静かにしていた。
 何人かが報告やら、書類提出やらに総帥室を訪れたが、誰一人補佐官の異常に気づく者がいなかったのだから、普段とそう変わりはないのだろう。
 が、シンタローはかなり居心地の悪い想いをしていた。
 普段と違ってあれやこれや口うるさくないことは結構だが、無言のままじーっと自分の手元を見るのはやめてほしい。
 しかも、一瞬ペンを置いたり、書類を伏せたりなんかすると、背後から妙に明るい空気が流れてくる。
 無視をして、仕事を再開すると、しゅーんとしている気配が伝わってくる。
 ……そういえば昔飼っていた犬がそうだった、とシンタローは思い出した。
 宿題をや遊び、他のことに夢中になっている時は、こういう怨めしげな視線で自分の行動を逐一見張っていたものだった。
 鬱陶しくなってわざと背中を向けると、この世の終わりのような表情をするものだから、幼かった自分はよく根負けして、つい一緒に遊んでしまったりしたものだが、今は大人。
 負けるもんか。
 シンタローは身体中の神経を、目の前の書類の山へ集中させた。
 この間、調停した国のその後の報告だ。
 一度関わった件が、自分の手を離れたその後でよろしくない方向へ進もうとすることが無いとは言い切れない。
 最後まで見届けることは、関わった者の義務だ。
 シンタローは、それを取り上げ、目を通し始めた。











 その日は遅くまで残ったのだが、シンタロー一人ではあの書類をすべてすませることはやはり大変で、残りは持ち帰りとなってしまった。
 帰る早々、自室に引きこもって仕事を再開するシンタローに、夕食をグンマが運んできた。
 いつもなら、ここぞとばかりに息子の世話をやきたがる父親が、あいにく不在だったからだ。
 一緒に入ってきた子犬が嬉しそうに部屋の中を駆け回り、シンタローの靴にじゃれついたが、グンマが持参したボールを向こうに投げると、それを追いかけていってしまった。
「はい、シンちゃんごはんだよ。片手で食べられるものがいいと思って、サンドウィッチを作ってもらってきたよ。」
「ふーん、めずらしく気が利くな。」
「ひどーい、もうっ! あ、これキンちゃんの。」
 シンタローは早速手を伸ばして、卵サンドをとった。
 自分のじゃない、とグンマがちゃんとシェフに告げたのか、幸いジャムやらクリームなんかは混入されていなかった。
 ほっとして、かぶりつくと特製マヨネーズソースがたいへん美味しい。
 芥子がもうちょっとあってもいいかな、などと、シンタローが心の中で批評していると、グンマの困ったような声が聞こえて、シンタローは書類から顔を上げた。
 見ると、いっこうに食事に口をつけようとしないキンタローに、グンマが皿をつきつけて食べるようにと促しているところだった。
「キンちゃーん、お腹空いてるでしょう? 食べないと眠れないよー?」
 しかし、椅子に背筋を伸ばして腰掛けた姿勢から、キンタローはいっこうに動こうとしない。
 シンタローは最後のハムサンドを食べ終えると、そちらの方へ身体ごと向きを変えた。
「サンドウィッチが嫌なんじゃないのか?」
 グンマは、そんなことないよ、とふくれた。
「キンちゃん、サンドウィッチ嫌いじゃないし……それに、ヤじゃない? 紳士なキンちゃんにスープを犬食いなんかされたら、高松じゃなくても泣くよ! シンちゃんだって、泣くでしょ!?」
 確かに想像するのも嫌な光景だ。
 シンタローはじぶんが泣くかどうかはさておき、それが視覚的暴力であることは認めた。
「食べないならほっとくしかないだろ。そこらへんに置いとけば? 腹が減ったら勝手に食べるさ。」
 そうかなぁ…とグンマは頑なまでに身動きしないキンタローを心配そうに見て、首を振った。
「だめだよ、キンちゃんはかなり融通きかないもん。それに置きっぱなしにしてちゃ乾いちゃう。」
 確かに、と、シンタローも納得したが、本人が食べようとしないものを無理強いすることはできない。
「腹はへってるはずなんだけどなぁ……本当に喰わねぇの? おまえ。」
 キンタローは微動だにしない。
 シンタローは適当なサンドウィッチを取ると、キンタローの目の前につきつけた。
「ほらほら、うまいぞー。」
「シンちゃんったら、そんな子供みたいな……。」
 たしなめようとしたグンマだったが、キンタローがそれにぱくっと食いついたのを見て、言葉を切った。
 シンタローはといえば、グンマよりもっとぎょっとした顔で自分の手から食事を摂る従兄弟を見ている。
 全部食べ終わると、もっと、と言う顔でシンタローの手を鼻先でつつかれ、二人はやっと正気に戻った。
「……食べたな。」
「……食べたね。」
 そういや、シンちゃんが昔飼っていた犬って、絶対シンちゃんがあげた餌しか食べなかったな、とグンマは思いだし、手にしていた皿をシンタローの方へ押し出した。
 急におはちが回ってきたシンタローは、焦って首を振った。
「ちょっ……冗談じゃない! なんで、俺が野郎に食べさせてやらなけりゃならねぇんだ!」
「しようがないでしょー、キンちゃん、シンちゃんの手からしか食べそうにないよ。だいたい、キンちゃんがこうなっちゃったのは、シンちゃんがキンちゃんをトットリのところへ行かせたからでしょうが。責任とりなよ、総帥だろ!」
 何か違うと思ったが、確かに元はといえばその通りの原因なので、シンタローは渋々もう一つ取って、キンタローの口元へと運んだ。
 キンタローは躊躇せず、それに歯を立てると食べ始めた。
 ここに父親がいなくてよかった、と二人が同じ事を考えていると、最後まで食べ終わったキンタローが、シンタローの指先についたマヨネーズをぺろっと舐めた。
 その微妙な感触に、シンタローは背中がぞくっとして顔が赤くなった。
 グンマが隣でぼそりと呟く。

「……ねぇ、本当にキンちゃん演技してるんじゃないよね……?」





 俺に聞くな、とシンタローは赤くなった顔を、グンマから見えない方向へと向けたのだった。















 約一名にとって羞恥プレイにも等しかった食事の時間が終わり、グンマは皿とカップを持って立ち上がった。
 おやすみー、と出ていこうとするグンマに、シンタローは膝の上に乗せていた子犬をどうするのか聞いた。
「その子、シンちゃんに懐いてるし、シンちゃんがみてあげてよ。元々シンちゃんは、そっちの子犬の世話したかったんでしょう。昼間だけならともかく、夜まで面倒見られないよ。ペットシーツも置いておくからお願い。」
「しょーがねぇなぁ。」
 口では文句を言いつつも、内心嬉しくてたまらなかったので、シンタローは二つ返事で承知した。
 グンマが出ていった後、始めは仕事をしていたものの、子犬が遊んでほしそうに尻尾をふっているので、ついつい相手をしてしまった。
 ゴムボールをほうってやると、弾むそれと同じように飛び跳ねる。
 その様がまるでもう一つのボールのようで、シンタローの頬がついゆるむ。
 このまま手元にひきとりたい、と思ったが、すぐに無理だと諦める。
 なにしろ、一年の半分近くを遠征やなにやらで自宅を留守にしているのだ。
 他の人間に世話をしてもらっていては、飼っているとはいえないだろう。
 病気の時も側にいてやれない。
 ふと、遠い記憶が蘇り胸がちくっとする。
 シンタローは、それをまた心の奥底にしまい直し、子犬が持ってきたボールを再び投げてやった。
 その後は結局、仕事にならず、子犬も疲れてきたのが分かったのでシンタローは寝ることにした。
 子犬は人に渡す前にと、トットリが洗ってあったらしくその必要は無さそうだったが、キンタローはそういうわけにはいかず、自分が入るついでに洗ってやった。
 頭からお湯をかぶせると、ぶるぶると身震いをして怨めしそうな目で髪の間からこっちを見ていたが、特に大きな抵抗はしなかったので、無事に洗い終えた。
 パジャマを着せた彼を、彼自身の部屋へ連れていってベッドに放り込む。
 置いていかれそうになって、今度ははっきりと目に抗議の色を浮かべるキンタローに、シンタローは「ダメだ」ときつく言い聞かせる。
 きゅーん、と鳴いたりはしなかったが、尻尾と耳がしょんぼり下がっているイリュージョンが何故か見えてしまい、シンタローは焦ったが無視をした。
 いつ、元に戻るかわからないのに、これ以上妙な癖をつけたらグンマに何を言われるかわかりはしない。
「ほら、さっさと寝ろ。また、明日な。」
 なんとなく思いついて頭を撫でてやると、思ったより柔らかい髪だった。
 結構気持ちいいかも、と、シンタローは少し和んだ。
 いつもなら、こんなことをすれば「子供扱いするな」と、それこそ牙を剥かれるから、今がチャンスといえばチャンスだろう。
 今は気持ちよさそうにじっとしているが、戻ったらまたああなんだろうなー、とシンタローはため息をついた。
「おやすみ。」
 掛け布団をひっぱりあげてやって、シンタローはキンタローの部屋を後にした。















 ―――その夜、昔の夢を見た。





 今より、ずっと幼くて何もできない自分は一人部屋の隅で、胸を押さえて俯いていた。
 前に置かれていたのは、古ぼけた赤い首輪。
 苦しい。
 苦しくてたまらない。
 もっと、他にやれることはなかっただろうか。
 あの忠実な物言わぬ動物にしてやれることは無かったのだろうか。
 何度思い返しても、後悔ばかりが浮かんでくる。
 彼はいつでも自分の後をついてきて、振り返れば嬉しそうに自分を見上げていた。
 全身で自分を大事だと、大好きだと、惜しみなくそう告げてくれる彼の存在に救われたことも多かった。
 総帥の息子であることも、黒い髪であることなんか、彼にとってはまったく関係ないことで、ただのシンタローをそのまま受け入れてくれた。
 唯一遺されたすり切れた首輪と、それにこびりついた毛、そして記憶だけが彼がここにいた証で、シンタローはそれを握りしめた。
 彼がいなくなって、犬小屋や食器が片づけられた時、咄嗟にこれだけはしまい込んだのだ。
 時々、誰もいない時、それを取り出してはそっと撫でる。
 悲しんでいるところを、他の誰にも見られたくなかったからだ。
 父や叔父や、従兄弟の誰にも邪魔されたくなかった。

 おまえは精一杯、あの犬のためにやってやったんだ。
 あの子はきっと幸せだったよ。

 そんな言葉は聞きたくなかった。
 ただ、自分は一人で彼のために泣きたかったのだ――――――。




 ぺろ、と熱いしめった感触に、シンタローは目を覚ました。
 暗闇にぼうっと金色の頭が浮かび上がる。

「キンタロー……。」

 いつの間にか部屋を抜け出して、自分の後を追ってきたらしい。
 心細かったのか、それとも。
 

 シンタローは自分が寝ながら泣いていたことに気が付いて苦笑した。
 もうずっとずっと前のことなのに、先ほどの夢はやけに生々しかった。
 あの島以来、初めて抱いた犬の体温や手触りにに触発されてしまったからだろうか。
 瞬きすると、また涙があふれてきて頬を伝い始める。
 すると、キンタローが顔を近づけてきて、涙を舐め取った。
 くすぐったいが、懐かしい感じがしてシンタローは手を伸ばして、その柔らかい金髪をまた撫でた。
 あの犬も、シンタローが一人でこっそり泣いていると、どこからかすっとんできて、わけもわからないだろうに、シンタローの顔を一生懸命舐めてきた。
 慰めている、なんて犬の思考の中にはなかっただろう。
 どちらかというと、怪我をしているところを舐めて治す治療のような気持ちだったのではないだろうか。


「もう、大丈夫だから。」


 そう言うと、キンタローはのそのそとベッドから降りようとした。
 ここにいては怒られると思ったらしい。
 シンタローは、そんな彼の腕を掴んでひきとめると、布団をめくって半分場所を空けてやる。
「今日だけだぞ。」
 そう言って腕を強くひっぱると、キンタローは嬉々として横に潜り込んできた。
 シンタローの横にぴたっとはりついて、丸くなる。
 紳士らしからぬ寝姿だな、と思っていると、もう片側の腕に子犬がのっかってきた。
 満足そうにぷーっ、と鼻で息をつくと、そのままシンタローの腕を枕にして寝てしまった。
 片方に大型犬、もう片方に子犬。
 そう呟きながらも、シンタローの顔はしばらくぶりに穏やかな表情を浮かべていたのだった。


















 翌日になってもトットリは見つからなかった。
 外に逃げ出すことはまず不可能だから、敷地内に潜んでいるのは確かなのだが、さすが忍者。なんだかんだいっても、身を隠すことは得意らしい。
「入学した時のレベルでとどまっといてくれたら、よろしかったんやけどなぁ。」
 報告に来たアラシヤマがため息をついたが、巨大昆虫着ぐるみで実戦に行かれては困る。
 シンタローはおおげさにため息をついて、ぽつりと「つかえねぇ」と呟いた。
「し、シンタローはんひどいどす! わては昨日寝ないで忍者はん探したんどすえ!」
「あー、はいはい。ご苦労さん。じゃ、このまま引き続きトットリの探索な。」
 しゃーないなー、とアラシヤマは顔をしかめた。
「それにしても、いったい、何しはりましたん? わてが探しだせへんくらい、必死に隠れなあかんなんて。」
 真面目な顔になって聞かれても、この男に今の状況を教える気などさらさらない。
 シンタローは無視したが、アラシヤマはいつもと違い、簡単には引っ込みそうになかった。
 手を身体の前で組み、目をわずかに細めて自分を睨みつけているキンタローの方を向いた。
「キンタロー『補佐』、あんさんやったら説明してくれはるんやろか?」
 ちっ、何か気づいてやがる。
 シンタローは舌打ちしたいのを堪えた。
 だから、こいつは嫌なんだ。
 本物の犬より鼻が利きすぎる。
 シンタローは、素知らぬふりをしてキンタローを見た。
 「誰が来てもじっとしていろ」と、朝からしつこく言って聞かせたおかげか、アラシヤマの呼びかけを無視し、まっすぐ前をむいている。
 顔は不機嫌そのものだが、これはいつものことだ。
 とにかく、何があってもこの男に今のキンタローのことを知られるのはまずい。
 何が気に入らないのか知らないが、他の四人は対決したことなどすっかり水に流したのだが、アラシヤマだけは妙にキンタローに絡む。
 シンタローが見かねて止めても、「なんやわてが、このひとにいけずしてるみたいな言い方しはりますなぁ」と、さも心外と言った顔をするのだ。
 さらには「せやなぁ、補佐ゆうても、子供みたいに純粋なおひとやから、いろいろデリケートにできてはんのんやろなぁ。もっとやさしゅうゆうてあげますわ」と、どう聞いてもキンタローを、怒らせるような言葉ばかり選ぶのだ。
 こんな男に、キンタローの精神が『わんこ』になったと知られたら、今はともかく後々なにをするか分からない。
「いいから、さっさと行け! 休みとりあげるぞ!」
「へぇ、働いとった方が、シンタローはんの顔が見られるから、うれしいどすわ。」
「気色悪ぃことぬかすなっ! 俺はこれ以上一秒だっておまえの顔なんか見たくねぇっ。」
「シンタローはん、赤うなってるとこほんまかわいらしいどすなぁ……えらい、焦りはって。」
 何を言ってもしれっとして返されて、シンタローは焦りを感じ始めた。
 くそー、やっぱりこんなヤツに頼んだのが間違いだった。
 誰か助けてくれ。



 その声が天に届いたのかどうかは知らないが、卓上の電話に総帥室への来訪を知らせるランプが点灯した。
「シンタロー、オラだ。入るべ。」
 入ってきたミヤギは、同僚の顔を見てややげんなりした表情になった。
「まーた、オメ、シンタローにちょっかい出しとるんだべか。オラは今から『総帥』に仕事の報告さあるから、またにしてくれ。」
「人聞きの悪いことゆわんといてや、わては今シンタローはんと大事な話を……そうや、シンタローはん、ミヤギはんやったら、トットリはんのおりそうな場所を知っとるんやないんどすか?」
 アラシヤマにそう言われて、シンタローはミヤギに尋ねた。
「今、トットリを探してるんだが、あいつがいそうな場所とか知らねぇか?」
 しかし、期待に反してミヤギの答えはあっさりしたものだった。
「んなの知らねぇべ。」
 そりゃ、そうだよなぁ、とシンタローがため息をつくと、ミヤギは不思議そうに首を傾げた。
「どうしたべ、んな、がっかりして。」
 シンタローの代わりにアラシヤマがその理由を答えた。
「シンタローはんが、昨日からトットリはんを探してはるんどすわ。全然見つからへんから、ミヤギはんやったらトットリはんのことに詳しそうやと期待したんどすが………ふっ、友達友達ゆうても、いそうな場所も知らへんなんて、しょせんそこまでの友情とゆうことどすなぁ。」
 くくく、と暗い微笑を浮かべる同僚の顔から目をそらし、ミヤギはシンタローへ向き直る。
「トットリに用があるんだべか?」
「やっぱり、心当たりがあるのか!?」
 しかし、ミヤギはあっさりと首を横に振る。
「いんや、知らないべ。」
 なんだ、とシンタローががっかりするより早く、ミヤギは言った。
「今、呼べばいいべ。」
 こともなげに、そう言われてアラシヤマとシンタローはぽかんとした。
「は?」
「なんやて?」
 ミヤギは、すうっと息を吸い込み、空に向かって叫んだ。


「トットリーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」


 シン、と静まりかえった部屋で、固まった状態の二人と驚いたのか目を見開いた状態のキンタローの耳に、遠くのほうからぱたぱたという足音が聞こえてきた。

 ……まさかいくらなんでも、と、シンタローが冷や汗を拭おうとする間もなく、部屋の戸が開き、転がるようにして探し求めた人物が飛び込んできた。
「ミヤギくうううん! おかえりなさいだわいや!」
「ただいまだべ。」
「怪我はない? 久しぶりに会えて嬉しいっちゃ!」
「いや、用があるのはオラでなくて、そこの。」
 瞳をきらきらさせて、自分にまとわりつく親友の後ろをミヤギが指さす。
 つられて振り返ったトットリはそこに、シンタローの引きつった顔を見つけ、蒼白になった。
「し、シシシシシシシシシンタロー!?」
「おお、会いたかったぜぇ、トットリ~。」
「な、なんでここにいるんだっちゃわいやーっ!」
 いや、ここ総帥室、とシンタローは思ったが、つっこむことはやめにした。
 ミヤギの呼び声をキャッチしてしまうその耳といい、一番避けていたはずのポイントであるここに飛び込んでしまうその単純さといい、キンタローの先日の評価は正しい。





「さあ、落とし前つけてもらおうかぁ~?」












 
 アラシヤマを問答無用で放り出し、ついでにミヤギにも一旦引き取ってもらったシンタローがトットリをしめあげたところによると、予想通り、犬を連れてきたキンタローを騙して薬を飲ませて暗示をかけたらしい。
 しかし、術が効いたかどうか確かめるより先にキンタローが目の前で倒れたため、怖くなって逃げ出してしまったのだ。
 最後まで聞き終えたシンタローが、トットリに対して、どのような『お仕置き』をしたのかは定かではない。
 ……とりあえず、数日間は病室から出られなかった。
 












「あの子犬を譲ってもらえるよう頼まなくてよかったのか、シンタロー。」
 たまってしまった仕事をはさんで、キンタローが聞く。
 彼は犬になってしまった二日間のことを覚えていない。
 空白の時間はトットリがあの日お茶に混ぜて飲ませた薬のせいで、熱を出して朦朧としていたようだ、とグンマと二人して口裏を合わせて納得させた。
 子犬は無事にもらわれていって、今は新しい飼い主にも懐いて可愛がられているらしい。
 よかったと思う反面、ボールのようにはねていた姿を思い出すと、ちょっと切ない。
「もらっても、遠征ばっかりの俺じゃ、ろくに遊んでもやれないからな。だいたい、おまえもそう思って反対したんだろ。」
 すると、キンタローは首を振った。
「違う。おまえ、昔飼っていた犬が死……いなくなった時、一人で泣いてたから。」
 シンタローはぎょっとして、ペンを止めて顔をあげた。
 従兄弟は書類から目をあげないまま、淡々と言う。
「おまえがあの子犬を手放せなくなって飼ったとして、いつかまたあんな風におまえが泣くのは嫌だと思った。おまえを悲しませるかもしれないと思ったら、遠ざけておきたかったんだ。」
「キンタロー。」
「でも、違うな。」
 キンタローは書類をめくり、その青い目を従兄弟に向けた。
「おまえは、あの犬を飼って幸せだった。嬉しそうだった。だから、その分だけ辛くても、それは不幸じゃない。」
 キンタローは何かを思いだしたのか、めずらしく微笑んだ。
「犬はいいな。ふわふわして温かくて、何も特別なことができない犬でも、その愛情で飼い主を幸せにしてくれる。だから、もし、おまえがこれから犬を飼いたいのなら、俺は協力する。」
 シンタローは、目の前の綺麗に櫛が入った金色の髪を眺めた。
 それの柔らかさや心地よさを知っている。
「……今はいいや。コタローの目が覚めたら考えるけど。」
「そうか。少し残念だ。」
 シンタローは知らずキンタローの方へ伸ばしかけていた手の行く先を変えて、机の端へと向けた。
 そこには、少し前、秘書がおいていった焼き菓子がつまれている。
 そのうちの一つを手にとって、従兄弟の口元へと運んだ。
「ま、少しは食えよ。」
 キンタローは怪訝な顔つきになったが、確かに仕事に没頭していて朝から何も食べていない。
 けれど、これは―――。





「……後で食べる。」
「いいから――誰も見てねぇから、おとなしく俺に食べさせてもらえ。」
 そう言われ、キンタローは不承不承といった様子で、口を開けたのだった。













  


2005/09/17




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