最強のアナタ
ガンマ団本部の体術専用道場の中央で、男がひとり立っている。
真っ赤の道着姿の彼の両目は閉じられ、静かに瞑想しているように見える。
しかし、その口元はかすかにだが両端が上がっており、無心ではないことを証明していた。
「はじめっ!!」
ふいのかけ声が道場に響き渡った瞬間、静けさは破られた。
「御免!」
鋭い気合いと共に顔面に繰り出された拳を彼は軽く受け流すと、右から襲ってきた男の背後に回る。
「ひとり。」
そう言いながら、その背中を肘でつくと彼は息がつまったような声を立て、その場に昏倒した。
一息つく間もなく、同時に二人が双方から同時にかかってくる。しかし、彼は左右双方、まったく隙を見せず、逆に両方を弾き飛ばす。
「三人、と……おい、おまえら、全員同時にかかってこいよ。まだるっこしくいけねぇ。」
両手を腰に当てた無防備な状態で、総帥は周りを取り囲む部下達をぐるっと見回す。
いくら上官とはいえ、あまりに失礼な言いぐさだったが、誰もそれを口にはしなかった。
立場的なものもあるが、何より、確かに彼の言うことが正しいと言う気がしたからだ。
それでも、命令である以上、彼の要望に背いて白旗を揚げるわけにはいかず、言われた通り、全員四方八方から彼に攻撃したのだった。
結果は、まったく予想通りで、それぞれ、「肩が弱い」「踏み込みが甘い」「足が短い」等々、ろくでもない『指導』をされ、心身共に大ダメージを負ったのである。
時間にして、およそ五分。
二十人ほどの男達が、それぞれ頭や足などを押さえ、うめき声をあげて寝っ転がっていた。
対してシンタローは一人涼しい顔だ。
「おい、おまえ、自分の間合いをちゃんと判断して動け。それからおまえは、タイミングが遅すぎる。」
それぞれの欠点の指摘や、改良点などを床の上の部下達に教える余裕すらある。
「わー、シンちゃん、すっごーい。十分かかってないよお~。」
「当然だろ。おい、キンタロー、おまえもこいつらの相手してやるか?」
「しない。スーツが皺になる。それに、そろそろ他の生徒の訓練の時間だろう。おまえも、さっさと上がってこい。」
キンタローのすげない返事に、シンタローはちぇっとふくれた。
総帥の座についてから、こういう訓練の時間をほとんど取れないうえ、幹部達には参加をやんわりと止められている。
十代の頃から日々のかなりの時間を鍛錬に費やしてきたシンタローは、最初の内はともかく、しばらく経つとなんとなく落ち着かなくなった。
それで、なんだかんだと理由をつけて『指導』という名の、飛び入り参加を強行したのだった。
ほぼ同等の力を持つキンタローが相手をすればよかったのかもしれないが、キンタローはあまりにも『近すぎ』て、手の内が分かりすぎる。
新鮮さを求めてのことだったが、いかんせん実力が違いすぎて不完全燃焼気味のシンタローに、グンマがなだめるように声をかける。
「しょーがないじゃん、今、本部にいる人間で、素手でシンちゃんより確実に勝てる人って一人しかいないでしょ。」
「……確実に勝てる?」
聞き捨てならない言葉にシンタローはぴくっと眉を上げた。
「オイ、『確実』ってなんだよ。叔父さんが留守だってのに、俺より強い奴がいるわけねぇだろーがっ!」
シンタローの剣幕に、グンマは慌ててもう一人の従兄弟の背中に隠れる。
「うわああん! キンちゃ~んっ。」
「シンタロー、グンマを脅すな。」
「うっせー! オイ、グンマ。俺より『確実』に強いっていうのは誰のこと言ってんだヨ。まさかと思うが、テメーのポンコツロボットじゃねぇだろうなぁ。」
「ポンコツじゃないもんっ! ガンボットは強いんだからっ、ねぇっ! キンちゃん。」
「………。」
あまりにも正直なキンタローの返事だった。
シンタローは、無言でボキボキと指を鳴らしている。七割は脅しだが、後の三割が本気であることをようく知っているグンマは観念して、吐いた。
「おとーさまだよっ!」
「……なんだと。」
思いもかけない人物の名にシンタローが目を見開く正面で、キンタローがあっさりと頷いた。
「ああ、確かにそうだな。」
どこまでも、正直なキンタローの発言が、次のシンタローの行動を誘発したと言っても過言では無いだろう。
「ええー、用事ってそんなことだったのかい? あんなに情熱的に『すぐ来い』っていうからパパ期待したのに……。」
内線電話で呼びつけられたマジックは、愛息に勝負を挑まれて、がっかりした声を上げた。
対してシンタローは父親の軽口に、さらなる怒りをかき立てられたらしく、手にした道着を父親の顔に向かってたたきつけた。
「てめーが期待した内容とやらは聞かないでいてやる。さっさとそれに着替えて、俺とここで勝負しろ。」
いっそ見事なまでに顔の正面で受け止めてしまった父親を見て、シンタローはグンマを横目で睨みつけた。
こんなののどこが、俺に十割勝率なんだ。
そりゃ、トータルで言えば親父の方が強いっていうのは認めるが、『確実』は無いだろうが、『確実』は。
「シンタロー……。」
「なんだよ。」
「これって、シンちゃんのなのかなっ?」
見るとしっかりと握りしめ、目をきらきらと輝かせている。
シンタローはがっくりと肩を落とした。
だから、なんでこれが十割……。
「私が着られる道着なんて、特注でもしない限り無いからね。ああ、シンちゃんの汗と匂いが染みついた道着……ありがとうっ! シンちゃん、こんな素敵なプレゼント……。」
「伯父さん、それは確かにシンタローの道着だが、未使用だから使用できそうな汗の匂いなどはまったくついていないぞ。」
「いけないよ、キンちゃん、こーゆうときは黙ってぬか喜びに浸らせてあげなきゃ。年寄りは先が短いんだし。」
正直者のキンタローを、バカ正直者のグンマが諫める。
二人の不穏当な発言内容より、道着がシンタローのもので無いことの方に、マジックは気落ちしたようだった。
「えー、じゃあ、いらない。パパ、道着似合わないしね。」
「いいからっ! さっさとそれ着て勝負しろ!」
「そんな……こんっっなにカワイイシンちゃんを虐めるなんて、パパにできるわけないじゃない…そりゃ寝技限定ならそうしてあげることにやぶさかじゃあないけれどね。もちろん、最後はちゃんと気持ちよくしてあげるし……。」
マジックの提案は言い終わる前にシンタローの拳によって、無に帰した。
見事にふっとんだ主人を見て、お供の一人が真っ赤になって肩で息をしている総帥に進言する。
「シンタロー様、勝負もついたことですし、そろそろお仕事に戻られた方が……。」
「これの、どこが勝負だっ!」
「はぁまぁ…いつもの痴話げんかですねぇ……。」
「だぁれが痴話喧嘩だっ!」
己の失言にチョコレートロマンスは慌てて口をつぐんだ。
髪を逆立てんばかりの勢いで怒鳴った総帥も怖いが、最近いろいろな単語の正確な意味を把握しだした副官の冷たい眼差しも怖い。
「とにかく、なんと言われようと、パパはシンちゃんと勝負なんかしないよ。なんだってシンちゃんの我が儘はきいてきてあげたけど、これだけはダーメ。」
人を食ったようなその返事に、シンタローはつかつかと歩み寄ると父親の手から、自分を模した例の人形を奪い取った。
「なんてことするんだいっ! シンタロー、返しなさい!」
「勝負してくんなきゃ、これは没収。」
「うっ……。」
さあ、どうする、と言わんばかりのシンタローの意地の悪い表情に、グンマは背伸びして隣の従兄弟に耳打ちした。
「あれって、いい大人がすることじゃないよねぇ……。」
従兄弟もさすがに呆れた顔で頷く。
「ああ、さすがに伯父貴もあの挑発にはひっかからんだろうな。」
キンタローの言葉通り、マジックは断腸の思いで顔を背けた。
「新しいのをまた作るからいいよ。」
発言の内容とうらはらに手がぶるぶると震えている。きっと最高傑作だったのだろう。
それでも可愛いシンちゃんと勝負するのは嫌らしいマジックに、息子は『これだけは使いたくなかった最終手段』を発動した。
「もし、やってくんないんなら、一生親父と口きかねぇ。」
いくつだ、あなたは。
とその場にいた四名は、そう思った。
ちなみにその場にいたのは、秘書両名、副官、博士、総帥、前総帥の六名である。
発言者のシンタローを除いて、つまり五名のうち、そう思わなかった人物が一名いたのである。
「わかりました。やります。やらせていただきます。」
しくしくと泣きながら、あっさりと白旗をあげる父親にシンタローは改めて、十割勝率発言の主に怒りが沸いたのだった。
「じゃ、やるぜ。開始線まで下がれよ。」
「わかった。チョコレートロマンス、このシンちゃん人形を預かっておきなさい。汚したりしたら承知しないからね。」
「はっ、かしこまりました。」
秘書の一人が、恭しく人形を預かり、それぞれが所定の位置に着いた時、待ったがかかった。
「お二方とも、眼魔砲はなしですよ。修理が大変ですから。」
「ベトコン戦法はすべて禁止だ、シンタロー。修理費用の予算がおりんぞ。」
「色仕掛けも駄目だよー、シンちゃん。鼻血で掃除が大変だからー。」
最後の発言者をぎろっと睨みつけるシンタローに、目の前のオヤジはうふふと笑いかけた。
「パパは色仕掛けしてくれても、全然構わないよ。むしろしてして。」
「誰がするかーーーっ! いいから、とっとと構えろ。」
くっそー、こんなヤツより評価が低いって……。
シンタローが牙をむかんばかりの状態で自分を見つめているのを、鼻の下のばさんばかりに見下ろしている父親に怒りは倍増する。
絶対たたきのめしてやる。
よく考えれば眼魔砲が使えないのも好都合というものだ。純粋に格闘だけで勝敗がつけられるから。
「では、私が、開始の合図をさせていただきます。お二方ともよろしいですね?」
頷く二人に、チョコレートロマンスは、人形を抱えていない方の手をまっすぐあげ、「始め」の合図と主に振り下ろした。
「行くぜ!」
ぐっと拳を固めるシンタローに父親は答えた。
「カマーン、ハニー! さ、パパの腕の中へ。」
両手いっぱいに腕を広げるマジックに、シンタローの血管は切れる寸前だった。
「こんのおおおお! アホオヤジぃぃ!」
がっ、と拳を突き出したシンタローは、あっさりそれをかわされて、たたらを踏んだ。
「はっ! やぁっ! はっ!」
気合いとともに繰り出されるパンチをすべてぎりぎりのところでかわしているマジックに、キンタローはため息を吐いた。
「やっぱりな。ただでさえ年期を積んでいる相手で、さらに恐ろしいことに体力も筋力もほとんど衰えていないんだから、シンタローに敵うはずもない。」
「まったく、バケモノ並だね。」
「お二方とも、それはあんまりなおっしゃり方では……。」
しかも、どっちかというと誉められているはずのマジックの評価が。
「そう言う、チョコレートロマンス達はどうなの? やっぱり、おとーさまが勝つと思ってるよね? おとーさま、一応最強だし。」
グンマに水を向けられ、チョコレートロマンスは「そりゃ、まあ…」と相棒の方を振り向いて肩をすくめると、ティラミスはくすっと笑った。
「この勝負にはお勝ちになると思いますよ。な?」
「ああ、まぁなぁ…。」
二人の意味ありげな苦笑の意味をグンマが考え込んでいる間に、勝負の行方は最終局面を迎えていた。
「せいっ!」
正拳突きと見せかけて、脇を狙った蹴りは、あっさりと止められる。
シンタローは徐々に焦りを感じ出していた。
シンタローが繰り出した技はすべて軽く、そう『軽く』かわされ、本人は息ひとつ乱していない。
チッ! ひらひらと逃げ回って。
シンタローはあがってきた呼吸を必死で鎮めた。
落ち着け、数打っても当たらないのなら、一発で決めればいいんだ。
シンタローは、必死で考えをまとめる。
さっきから打ち込んで、分かったことは、左手の前への動きが他と比べてやや遅いということだ。
だから、フェイントをかけて左に飛び込むと見せて、その後ろに回る。
シンタローは息をひとつ吐くと、反対側へと踏み込んだ。
予想通り、フェイクを見破った父親の身体が、左へと動く。
よしっ、とシンタローは予定通り、後ろへ回り込もうと大股で足を踏み出したのだった。
「はい、捕まえた。」
何がどうなったのか、後で考えてみてもよくわからない。
気づいた時には、ひょいと両脇を抱えられて持ち上げられるようにして、頬にキスをされていた。
そして、あろうことか、にっこり笑って父親はこう言ってのけたのだった。
「パパの勝ち。」
目をまん丸くして、父親の笑顔を見返したシンタローだったが、やがてぼそりと「放せ」と言い、解放された後、無言のままぽてぽてと歩いて部屋を出ていってしまったのだった。
そして、総帥室に籠城して二日目。
ドアの外では締め出しをくらった副官が、この日何度目かの投降を呼びかけていた。
「シンタロー、あけろ。何を拗ねてるんだ。」
しかし、中からは何のいらえも返ってこない。
「伯父貴に負けたことなんて、気にしなくていいだろう。あの場にいた連中は誰一人としておまえが勝つとは思ってなかったんだから、かっこわるくなんかない。」
今度もしーん、としている。
しかし、ドアの隙間から漏れてきた空気には怒りの気が含まれていた。
何が悪かったんだ、と真剣に考え込むキンタローだった。
「いつまでも、子供みたいなことをしていないで、俺だけでも入れろ。」
「あ、キンちゃんたら、どさくさに紛れてシンちゃんを独り占めしよーとしてる。」
ちょっとだけぎくりとして振り返ると、そこにはもう一人の従兄弟と、珍しい人物の姿があった。
四兄弟の麗しき末弟サービスである。
「叔父様が帰ってきてたから、連れてきたのー。えらい?」
グンマの問いに、キンタローは大きくため息をついて、「せっかくだが」と言った。
「シンタローは、拗ねて部屋に閉じこもったままだ。食事も睡眠もここでとっている。この俺が……いいか、この俺が何回、説得しようと意固地になって耳を貸そうとしない。会いにきてくれたのに、申し訳ないが、向こうでお茶でも飲んでいてくれ。」
しかし、グンマはキンタローの説明をまったく無視して大声で呼びかけた。
「シンちゃーん! サービス叔父様が帰ってきたよーお。」
コンマ三秒でドアが開かれ、久しぶりにシンタローが姿を見せた。
「おじさんっ! おかえりっ! 俺、ものすごーく会いたかったんだ。」
まるで幼子のように飛びついてきた青年を受け止めると、サービスは苦笑した。
「拗ねて、意固地になってると聞いたけど、大丈夫そうだな。」
「……へーえ、そんなことを叔父さんに言ったヤツがいるんだ。まぁ、誰が言ったかだいたい分かるけどね。」
視線を向けられたキンタローは、ぴきっと固まった。
従兄弟を金縛りにした後、シンタローは大好きな叔父に満面の笑顔を見せる。
「今、お茶入れるから入って。ちょうど休憩したかったんだ。」
「なら、おじゃましようかな。」
「叔父さんは邪魔なんかじゃないよ。……叔父さんはね。」
最後に極寒の視線でキンタローにとどめを刺して、シンタローは叔父を総帥室へと誘い、音を立ててドアを閉ざしたのだった。
その音で我に返ったキンタローが、ドアを再び叩き始めるより、ほんの少し早くグンマが彼の腕を捕まえた。
「キンちゃんも、そろそろ諦めなよ。シンちゃんの機嫌が直るまで何をしても無駄だってば。とりあえず、サービス叔父様に会えたから今日中には浮上するんじゃない?」
「シンタロー…。」
しゅーんとしたキンタローと、それをずるずる廊下を引きずって歩くグンマの姿はガンマ団の何人かに目撃され、しばらく本部内で物議を醸したのであった。
大好きな叔父を、室内に招き入れたシンタローはいそいそとお茶の用意を始めたが、叔父に止められた。
「お茶はいいよ。シンタロー。私はおまえに会いに来たんであって、お茶を飲みに来たわけじゃないから。」
綺麗な笑顔で、おいで、と呼ばれては一も二もなくそれに従うしかない。
叔父の正面のソファーに腰掛けようとすると、横を示された。
「誰も見ていないからこっちに座りなさい。近い方が落ち着いて話ができるからね。」
「う、うんっ。」
言われるがままに隣に座ると、髪を撫でられた。
「おまえが元気そうでよかった……と言いたいところだが、さっきのキンタローはどうしたんだい? 喧嘩でもしたのか。」
髪を滑る繊細な指の動きにうっとりとしていたシンタローだったが、叔父の心配そうな声に我にかえった。
自分たち従兄弟の運命に関して、人知れず自責の念を持っている叔父に負担をかけてしまったと、シンタローは反省する。
「してないよ。ただ、ちょっと今顔をあわせづらいんだ。グンマからちょっと聞いただろ?」
「ああ、兄さんに負けたって話かい?」
「――――うん……ああもう、どーしてこーなんだろーなぁ。」
シンタローは苦笑した。
「叔父さんや……まーいやだけどハーレムに負けても、ま、しゃーねぇかって思えるんだけどさ。わかっててもなんかむかつくっていうか……。」
子供の頃はもっと単純だった。
父親は世界で一番強いのが当たり前で、今だってそれはそうなのだが。
「全然歯が立たなくて、あいつへらへら笑っててさー。ちびの時の俺をあやしていたのと変わんねぇんだよ。」
すると、サービスは甥の肩を引き寄せてきゅうっと抱きしめた。
「お、おじさんっ!?」
シンタローの焦った声にも頓着せず、さらにサービスは甥の頭をぐしゃぐしゃと混ぜたうえ、真っ赤になった頬にキスまでやってのけたのだった。
憧れの美貌の叔父様にそんなことをされて、あわあわしているシンタローにサービスは笑いかけた。
「怒らないのか?」
「え? え?」
「私も今、おまえが小さい時と同じようにしたぞ。怒らないのか?」
「だって、べつにいまのは勝負とかそんなんじゃ…。」
「じゃあ、兄さんが同じことをしたら?」
「ぶっ殺す。」
真顔で答えた甥に、サービスは相変わらずのなぞめいた微笑みを向けた。
しばらく、無言で見つめ合った結果、降参したのは甥の方だった。
「うー、そうだよ、そうですよ! 俺がいちばんむかついてるのは…。」
がっくり肩を落として、無念そうな声で歯の間から絞り出すようにして告げる。
「親父に負けたことを、ほっとしている自分ですよっ! 子供扱いされててもいいんだっってどっかで思ってる俺に腹立ててるんだよ。」
「シンタロー。」
サービスはシンタローを自分の膝の上に座らせるて、子供をあやすような仕草でぽんぽんと肩を叩いてやった。
今度はおとなしくされるがままになっているシンタローは、叔父の肩に額をつけてぶつぶつと言った。
「なさけねーの…。」
「何が? 情けなくなんかないよ。」
「おじさんだって、俺に早く親父に追いつけって言ってたじゃん。俺だってそうしてたのに、負けた時悔しいのと同時にほっとしちゃったんだよ。」
「『目標を達成した後』が怖いのか?」
シンタローにとっては父マジックは常に越えられない壁だった。
少年時代の時はそれで絶望したことだって何度もあった。
今はあのころと比べものにならないほど強くなり、父親の後を継ぎそれなりにやってきた。
あの背中を追い越すという目標が、常に自分を支えていたからだ。
それを今達成してしまったら、次は何を目標にすればいいかきっとわからなくなってしまう。
けれど、ほっとしたのは目標を失わずに済んだからっていうわけじゃなくて。
「……親父が負けなかったから嬉しかったんだ。」
今、きっと甥は真っ赤になっているだろう、とサービスは思ったが、わざわざのぞき込むような無粋なまねはしなかった。
このあたりが長兄とは違い、甥に懐かれる大きな理由だろう。
かわりに背中を撫でながら、優しい声で彼の秘密を打ち明けた。
「私もね、父さんが今でも世界で一番強いと思っているよ。」
「…『おじいさん』のこと?」
写真でしか見たことのないもう一人の叔父とよく似た髪のひと。
記録を見る限りでは確かに歴代の総帥の中でも、屈指の実力の持ち主だったが、シンタローはよく知らない。
けれど、叔父の『父さん』と呼ぶ声に溢れている崇拝と愛情に、どんな人だったか分かるような気がした。
「おかしいだろう? もう、私は父さんの年齢を抜かしてしまったのに、父さんはマジックのような秘石眼の双眸を持っていたわけでもないのに、それでも、私の中では父さんは最強なんだ。たぶん、ハーレムも………兄さんもね。」
「おかしくなんかないよ……。」
シンタローはそう言って、ますます強くサービスにしがみついた。
「全然おかしくなんかない。」
そう言い切る甥に、叔父は今までで一番優しげな微笑みを浮かべて、「ありがとう」と、もう一度甥の、今度は額にキスを落としたのだった。
「シンちゃん、今頃、機嫌が直ってるかなぁ…。」
「そのためにわざわざサービス様をお呼びしたんでしょう。大丈夫ですよ。」
深い憂愁を込めた横顔を見せ、ため息をつく主人にティラミスはサーブした紅茶を出した。
チョコレートロマンスはその横にサブレを置きながら、呆れたように言う。
「こうなることは予想がついたんですから、なんだかんだと理由をおつけになってお断りすればよろしかったじゃないですか。」
「だって、シンちゃんに無視されるのも嫌だし、引き下がるような子じゃないからねぇ。」
もっともな理由だったが、チョコレートロマンスはなおも意見する。
「なら、あのような容赦ない勝ち方をされるからです。せめて、惜しいところで負けたとシンタロー様に思わせるような戦い方をすればよろしかったのに。」
「だって、悔しがるシンちゃんって可愛いんだもん。キスした時も目をまるくしてどうしたらいいのかわかんない顔してね、五歳の時、わんちゃんのぬいぐるみを買ってあげた時と同じ顔だったよ……ティラミス。」
「はっ、隠し撮りしておきました。こちらです。」
いささか悪趣味なハート形アルバムを取り出して、マジックに差し出した。
それは対決中の二人のショットがきちんとファイリングされている。
秘書としてとても有能なティラミスだったが、この主人に仕えるうちにカメラの腕まで磨いたらしい。
誰も気づかない間に超小型カメラで撮影したわりには、その数は優に50枚はあった。
「そうそう、これこれ~っ。かわいいなぁ~食べちゃいたいなぁ~。」
アイドル歌手のブロマイドを手にした女子高生のノリできゃっきゃっと、親子の交流記録をめくっている主人を前にして、二人はお互いの視線をかわしてため息をついた。
確かに、彼らの主人は最強だ。
おそらく地上の誰も敵わない。
けれど、たったひとり、黒髪の息子にはめろめろなのだ。
『おとーさま、一応最強だし。』
さてさて、グンマ様、優秀な秘書としてはそのご質問にお答えしかねます。
二人はこの場にいない青年に向かって、心の中でそう答えたのだった。
2005/3/12
back
ガンマ団本部の体術専用道場の中央で、男がひとり立っている。
真っ赤の道着姿の彼の両目は閉じられ、静かに瞑想しているように見える。
しかし、その口元はかすかにだが両端が上がっており、無心ではないことを証明していた。
「はじめっ!!」
ふいのかけ声が道場に響き渡った瞬間、静けさは破られた。
「御免!」
鋭い気合いと共に顔面に繰り出された拳を彼は軽く受け流すと、右から襲ってきた男の背後に回る。
「ひとり。」
そう言いながら、その背中を肘でつくと彼は息がつまったような声を立て、その場に昏倒した。
一息つく間もなく、同時に二人が双方から同時にかかってくる。しかし、彼は左右双方、まったく隙を見せず、逆に両方を弾き飛ばす。
「三人、と……おい、おまえら、全員同時にかかってこいよ。まだるっこしくいけねぇ。」
両手を腰に当てた無防備な状態で、総帥は周りを取り囲む部下達をぐるっと見回す。
いくら上官とはいえ、あまりに失礼な言いぐさだったが、誰もそれを口にはしなかった。
立場的なものもあるが、何より、確かに彼の言うことが正しいと言う気がしたからだ。
それでも、命令である以上、彼の要望に背いて白旗を揚げるわけにはいかず、言われた通り、全員四方八方から彼に攻撃したのだった。
結果は、まったく予想通りで、それぞれ、「肩が弱い」「踏み込みが甘い」「足が短い」等々、ろくでもない『指導』をされ、心身共に大ダメージを負ったのである。
時間にして、およそ五分。
二十人ほどの男達が、それぞれ頭や足などを押さえ、うめき声をあげて寝っ転がっていた。
対してシンタローは一人涼しい顔だ。
「おい、おまえ、自分の間合いをちゃんと判断して動け。それからおまえは、タイミングが遅すぎる。」
それぞれの欠点の指摘や、改良点などを床の上の部下達に教える余裕すらある。
「わー、シンちゃん、すっごーい。十分かかってないよお~。」
「当然だろ。おい、キンタロー、おまえもこいつらの相手してやるか?」
「しない。スーツが皺になる。それに、そろそろ他の生徒の訓練の時間だろう。おまえも、さっさと上がってこい。」
キンタローのすげない返事に、シンタローはちぇっとふくれた。
総帥の座についてから、こういう訓練の時間をほとんど取れないうえ、幹部達には参加をやんわりと止められている。
十代の頃から日々のかなりの時間を鍛錬に費やしてきたシンタローは、最初の内はともかく、しばらく経つとなんとなく落ち着かなくなった。
それで、なんだかんだと理由をつけて『指導』という名の、飛び入り参加を強行したのだった。
ほぼ同等の力を持つキンタローが相手をすればよかったのかもしれないが、キンタローはあまりにも『近すぎ』て、手の内が分かりすぎる。
新鮮さを求めてのことだったが、いかんせん実力が違いすぎて不完全燃焼気味のシンタローに、グンマがなだめるように声をかける。
「しょーがないじゃん、今、本部にいる人間で、素手でシンちゃんより確実に勝てる人って一人しかいないでしょ。」
「……確実に勝てる?」
聞き捨てならない言葉にシンタローはぴくっと眉を上げた。
「オイ、『確実』ってなんだよ。叔父さんが留守だってのに、俺より強い奴がいるわけねぇだろーがっ!」
シンタローの剣幕に、グンマは慌ててもう一人の従兄弟の背中に隠れる。
「うわああん! キンちゃ~んっ。」
「シンタロー、グンマを脅すな。」
「うっせー! オイ、グンマ。俺より『確実』に強いっていうのは誰のこと言ってんだヨ。まさかと思うが、テメーのポンコツロボットじゃねぇだろうなぁ。」
「ポンコツじゃないもんっ! ガンボットは強いんだからっ、ねぇっ! キンちゃん。」
「………。」
あまりにも正直なキンタローの返事だった。
シンタローは、無言でボキボキと指を鳴らしている。七割は脅しだが、後の三割が本気であることをようく知っているグンマは観念して、吐いた。
「おとーさまだよっ!」
「……なんだと。」
思いもかけない人物の名にシンタローが目を見開く正面で、キンタローがあっさりと頷いた。
「ああ、確かにそうだな。」
どこまでも、正直なキンタローの発言が、次のシンタローの行動を誘発したと言っても過言では無いだろう。
「ええー、用事ってそんなことだったのかい? あんなに情熱的に『すぐ来い』っていうからパパ期待したのに……。」
内線電話で呼びつけられたマジックは、愛息に勝負を挑まれて、がっかりした声を上げた。
対してシンタローは父親の軽口に、さらなる怒りをかき立てられたらしく、手にした道着を父親の顔に向かってたたきつけた。
「てめーが期待した内容とやらは聞かないでいてやる。さっさとそれに着替えて、俺とここで勝負しろ。」
いっそ見事なまでに顔の正面で受け止めてしまった父親を見て、シンタローはグンマを横目で睨みつけた。
こんなののどこが、俺に十割勝率なんだ。
そりゃ、トータルで言えば親父の方が強いっていうのは認めるが、『確実』は無いだろうが、『確実』は。
「シンタロー……。」
「なんだよ。」
「これって、シンちゃんのなのかなっ?」
見るとしっかりと握りしめ、目をきらきらと輝かせている。
シンタローはがっくりと肩を落とした。
だから、なんでこれが十割……。
「私が着られる道着なんて、特注でもしない限り無いからね。ああ、シンちゃんの汗と匂いが染みついた道着……ありがとうっ! シンちゃん、こんな素敵なプレゼント……。」
「伯父さん、それは確かにシンタローの道着だが、未使用だから使用できそうな汗の匂いなどはまったくついていないぞ。」
「いけないよ、キンちゃん、こーゆうときは黙ってぬか喜びに浸らせてあげなきゃ。年寄りは先が短いんだし。」
正直者のキンタローを、バカ正直者のグンマが諫める。
二人の不穏当な発言内容より、道着がシンタローのもので無いことの方に、マジックは気落ちしたようだった。
「えー、じゃあ、いらない。パパ、道着似合わないしね。」
「いいからっ! さっさとそれ着て勝負しろ!」
「そんな……こんっっなにカワイイシンちゃんを虐めるなんて、パパにできるわけないじゃない…そりゃ寝技限定ならそうしてあげることにやぶさかじゃあないけれどね。もちろん、最後はちゃんと気持ちよくしてあげるし……。」
マジックの提案は言い終わる前にシンタローの拳によって、無に帰した。
見事にふっとんだ主人を見て、お供の一人が真っ赤になって肩で息をしている総帥に進言する。
「シンタロー様、勝負もついたことですし、そろそろお仕事に戻られた方が……。」
「これの、どこが勝負だっ!」
「はぁまぁ…いつもの痴話げんかですねぇ……。」
「だぁれが痴話喧嘩だっ!」
己の失言にチョコレートロマンスは慌てて口をつぐんだ。
髪を逆立てんばかりの勢いで怒鳴った総帥も怖いが、最近いろいろな単語の正確な意味を把握しだした副官の冷たい眼差しも怖い。
「とにかく、なんと言われようと、パパはシンちゃんと勝負なんかしないよ。なんだってシンちゃんの我が儘はきいてきてあげたけど、これだけはダーメ。」
人を食ったようなその返事に、シンタローはつかつかと歩み寄ると父親の手から、自分を模した例の人形を奪い取った。
「なんてことするんだいっ! シンタロー、返しなさい!」
「勝負してくんなきゃ、これは没収。」
「うっ……。」
さあ、どうする、と言わんばかりのシンタローの意地の悪い表情に、グンマは背伸びして隣の従兄弟に耳打ちした。
「あれって、いい大人がすることじゃないよねぇ……。」
従兄弟もさすがに呆れた顔で頷く。
「ああ、さすがに伯父貴もあの挑発にはひっかからんだろうな。」
キンタローの言葉通り、マジックは断腸の思いで顔を背けた。
「新しいのをまた作るからいいよ。」
発言の内容とうらはらに手がぶるぶると震えている。きっと最高傑作だったのだろう。
それでも可愛いシンちゃんと勝負するのは嫌らしいマジックに、息子は『これだけは使いたくなかった最終手段』を発動した。
「もし、やってくんないんなら、一生親父と口きかねぇ。」
いくつだ、あなたは。
とその場にいた四名は、そう思った。
ちなみにその場にいたのは、秘書両名、副官、博士、総帥、前総帥の六名である。
発言者のシンタローを除いて、つまり五名のうち、そう思わなかった人物が一名いたのである。
「わかりました。やります。やらせていただきます。」
しくしくと泣きながら、あっさりと白旗をあげる父親にシンタローは改めて、十割勝率発言の主に怒りが沸いたのだった。
「じゃ、やるぜ。開始線まで下がれよ。」
「わかった。チョコレートロマンス、このシンちゃん人形を預かっておきなさい。汚したりしたら承知しないからね。」
「はっ、かしこまりました。」
秘書の一人が、恭しく人形を預かり、それぞれが所定の位置に着いた時、待ったがかかった。
「お二方とも、眼魔砲はなしですよ。修理が大変ですから。」
「ベトコン戦法はすべて禁止だ、シンタロー。修理費用の予算がおりんぞ。」
「色仕掛けも駄目だよー、シンちゃん。鼻血で掃除が大変だからー。」
最後の発言者をぎろっと睨みつけるシンタローに、目の前のオヤジはうふふと笑いかけた。
「パパは色仕掛けしてくれても、全然構わないよ。むしろしてして。」
「誰がするかーーーっ! いいから、とっとと構えろ。」
くっそー、こんなヤツより評価が低いって……。
シンタローが牙をむかんばかりの状態で自分を見つめているのを、鼻の下のばさんばかりに見下ろしている父親に怒りは倍増する。
絶対たたきのめしてやる。
よく考えれば眼魔砲が使えないのも好都合というものだ。純粋に格闘だけで勝敗がつけられるから。
「では、私が、開始の合図をさせていただきます。お二方ともよろしいですね?」
頷く二人に、チョコレートロマンスは、人形を抱えていない方の手をまっすぐあげ、「始め」の合図と主に振り下ろした。
「行くぜ!」
ぐっと拳を固めるシンタローに父親は答えた。
「カマーン、ハニー! さ、パパの腕の中へ。」
両手いっぱいに腕を広げるマジックに、シンタローの血管は切れる寸前だった。
「こんのおおおお! アホオヤジぃぃ!」
がっ、と拳を突き出したシンタローは、あっさりそれをかわされて、たたらを踏んだ。
「はっ! やぁっ! はっ!」
気合いとともに繰り出されるパンチをすべてぎりぎりのところでかわしているマジックに、キンタローはため息を吐いた。
「やっぱりな。ただでさえ年期を積んでいる相手で、さらに恐ろしいことに体力も筋力もほとんど衰えていないんだから、シンタローに敵うはずもない。」
「まったく、バケモノ並だね。」
「お二方とも、それはあんまりなおっしゃり方では……。」
しかも、どっちかというと誉められているはずのマジックの評価が。
「そう言う、チョコレートロマンス達はどうなの? やっぱり、おとーさまが勝つと思ってるよね? おとーさま、一応最強だし。」
グンマに水を向けられ、チョコレートロマンスは「そりゃ、まあ…」と相棒の方を振り向いて肩をすくめると、ティラミスはくすっと笑った。
「この勝負にはお勝ちになると思いますよ。な?」
「ああ、まぁなぁ…。」
二人の意味ありげな苦笑の意味をグンマが考え込んでいる間に、勝負の行方は最終局面を迎えていた。
「せいっ!」
正拳突きと見せかけて、脇を狙った蹴りは、あっさりと止められる。
シンタローは徐々に焦りを感じ出していた。
シンタローが繰り出した技はすべて軽く、そう『軽く』かわされ、本人は息ひとつ乱していない。
チッ! ひらひらと逃げ回って。
シンタローはあがってきた呼吸を必死で鎮めた。
落ち着け、数打っても当たらないのなら、一発で決めればいいんだ。
シンタローは、必死で考えをまとめる。
さっきから打ち込んで、分かったことは、左手の前への動きが他と比べてやや遅いということだ。
だから、フェイントをかけて左に飛び込むと見せて、その後ろに回る。
シンタローは息をひとつ吐くと、反対側へと踏み込んだ。
予想通り、フェイクを見破った父親の身体が、左へと動く。
よしっ、とシンタローは予定通り、後ろへ回り込もうと大股で足を踏み出したのだった。
「はい、捕まえた。」
何がどうなったのか、後で考えてみてもよくわからない。
気づいた時には、ひょいと両脇を抱えられて持ち上げられるようにして、頬にキスをされていた。
そして、あろうことか、にっこり笑って父親はこう言ってのけたのだった。
「パパの勝ち。」
目をまん丸くして、父親の笑顔を見返したシンタローだったが、やがてぼそりと「放せ」と言い、解放された後、無言のままぽてぽてと歩いて部屋を出ていってしまったのだった。
そして、総帥室に籠城して二日目。
ドアの外では締め出しをくらった副官が、この日何度目かの投降を呼びかけていた。
「シンタロー、あけろ。何を拗ねてるんだ。」
しかし、中からは何のいらえも返ってこない。
「伯父貴に負けたことなんて、気にしなくていいだろう。あの場にいた連中は誰一人としておまえが勝つとは思ってなかったんだから、かっこわるくなんかない。」
今度もしーん、としている。
しかし、ドアの隙間から漏れてきた空気には怒りの気が含まれていた。
何が悪かったんだ、と真剣に考え込むキンタローだった。
「いつまでも、子供みたいなことをしていないで、俺だけでも入れろ。」
「あ、キンちゃんたら、どさくさに紛れてシンちゃんを独り占めしよーとしてる。」
ちょっとだけぎくりとして振り返ると、そこにはもう一人の従兄弟と、珍しい人物の姿があった。
四兄弟の麗しき末弟サービスである。
「叔父様が帰ってきてたから、連れてきたのー。えらい?」
グンマの問いに、キンタローは大きくため息をついて、「せっかくだが」と言った。
「シンタローは、拗ねて部屋に閉じこもったままだ。食事も睡眠もここでとっている。この俺が……いいか、この俺が何回、説得しようと意固地になって耳を貸そうとしない。会いにきてくれたのに、申し訳ないが、向こうでお茶でも飲んでいてくれ。」
しかし、グンマはキンタローの説明をまったく無視して大声で呼びかけた。
「シンちゃーん! サービス叔父様が帰ってきたよーお。」
コンマ三秒でドアが開かれ、久しぶりにシンタローが姿を見せた。
「おじさんっ! おかえりっ! 俺、ものすごーく会いたかったんだ。」
まるで幼子のように飛びついてきた青年を受け止めると、サービスは苦笑した。
「拗ねて、意固地になってると聞いたけど、大丈夫そうだな。」
「……へーえ、そんなことを叔父さんに言ったヤツがいるんだ。まぁ、誰が言ったかだいたい分かるけどね。」
視線を向けられたキンタローは、ぴきっと固まった。
従兄弟を金縛りにした後、シンタローは大好きな叔父に満面の笑顔を見せる。
「今、お茶入れるから入って。ちょうど休憩したかったんだ。」
「なら、おじゃましようかな。」
「叔父さんは邪魔なんかじゃないよ。……叔父さんはね。」
最後に極寒の視線でキンタローにとどめを刺して、シンタローは叔父を総帥室へと誘い、音を立ててドアを閉ざしたのだった。
その音で我に返ったキンタローが、ドアを再び叩き始めるより、ほんの少し早くグンマが彼の腕を捕まえた。
「キンちゃんも、そろそろ諦めなよ。シンちゃんの機嫌が直るまで何をしても無駄だってば。とりあえず、サービス叔父様に会えたから今日中には浮上するんじゃない?」
「シンタロー…。」
しゅーんとしたキンタローと、それをずるずる廊下を引きずって歩くグンマの姿はガンマ団の何人かに目撃され、しばらく本部内で物議を醸したのであった。
大好きな叔父を、室内に招き入れたシンタローはいそいそとお茶の用意を始めたが、叔父に止められた。
「お茶はいいよ。シンタロー。私はおまえに会いに来たんであって、お茶を飲みに来たわけじゃないから。」
綺麗な笑顔で、おいで、と呼ばれては一も二もなくそれに従うしかない。
叔父の正面のソファーに腰掛けようとすると、横を示された。
「誰も見ていないからこっちに座りなさい。近い方が落ち着いて話ができるからね。」
「う、うんっ。」
言われるがままに隣に座ると、髪を撫でられた。
「おまえが元気そうでよかった……と言いたいところだが、さっきのキンタローはどうしたんだい? 喧嘩でもしたのか。」
髪を滑る繊細な指の動きにうっとりとしていたシンタローだったが、叔父の心配そうな声に我にかえった。
自分たち従兄弟の運命に関して、人知れず自責の念を持っている叔父に負担をかけてしまったと、シンタローは反省する。
「してないよ。ただ、ちょっと今顔をあわせづらいんだ。グンマからちょっと聞いただろ?」
「ああ、兄さんに負けたって話かい?」
「――――うん……ああもう、どーしてこーなんだろーなぁ。」
シンタローは苦笑した。
「叔父さんや……まーいやだけどハーレムに負けても、ま、しゃーねぇかって思えるんだけどさ。わかっててもなんかむかつくっていうか……。」
子供の頃はもっと単純だった。
父親は世界で一番強いのが当たり前で、今だってそれはそうなのだが。
「全然歯が立たなくて、あいつへらへら笑っててさー。ちびの時の俺をあやしていたのと変わんねぇんだよ。」
すると、サービスは甥の肩を引き寄せてきゅうっと抱きしめた。
「お、おじさんっ!?」
シンタローの焦った声にも頓着せず、さらにサービスは甥の頭をぐしゃぐしゃと混ぜたうえ、真っ赤になった頬にキスまでやってのけたのだった。
憧れの美貌の叔父様にそんなことをされて、あわあわしているシンタローにサービスは笑いかけた。
「怒らないのか?」
「え? え?」
「私も今、おまえが小さい時と同じようにしたぞ。怒らないのか?」
「だって、べつにいまのは勝負とかそんなんじゃ…。」
「じゃあ、兄さんが同じことをしたら?」
「ぶっ殺す。」
真顔で答えた甥に、サービスは相変わらずのなぞめいた微笑みを向けた。
しばらく、無言で見つめ合った結果、降参したのは甥の方だった。
「うー、そうだよ、そうですよ! 俺がいちばんむかついてるのは…。」
がっくり肩を落として、無念そうな声で歯の間から絞り出すようにして告げる。
「親父に負けたことを、ほっとしている自分ですよっ! 子供扱いされててもいいんだっってどっかで思ってる俺に腹立ててるんだよ。」
「シンタロー。」
サービスはシンタローを自分の膝の上に座らせるて、子供をあやすような仕草でぽんぽんと肩を叩いてやった。
今度はおとなしくされるがままになっているシンタローは、叔父の肩に額をつけてぶつぶつと言った。
「なさけねーの…。」
「何が? 情けなくなんかないよ。」
「おじさんだって、俺に早く親父に追いつけって言ってたじゃん。俺だってそうしてたのに、負けた時悔しいのと同時にほっとしちゃったんだよ。」
「『目標を達成した後』が怖いのか?」
シンタローにとっては父マジックは常に越えられない壁だった。
少年時代の時はそれで絶望したことだって何度もあった。
今はあのころと比べものにならないほど強くなり、父親の後を継ぎそれなりにやってきた。
あの背中を追い越すという目標が、常に自分を支えていたからだ。
それを今達成してしまったら、次は何を目標にすればいいかきっとわからなくなってしまう。
けれど、ほっとしたのは目標を失わずに済んだからっていうわけじゃなくて。
「……親父が負けなかったから嬉しかったんだ。」
今、きっと甥は真っ赤になっているだろう、とサービスは思ったが、わざわざのぞき込むような無粋なまねはしなかった。
このあたりが長兄とは違い、甥に懐かれる大きな理由だろう。
かわりに背中を撫でながら、優しい声で彼の秘密を打ち明けた。
「私もね、父さんが今でも世界で一番強いと思っているよ。」
「…『おじいさん』のこと?」
写真でしか見たことのないもう一人の叔父とよく似た髪のひと。
記録を見る限りでは確かに歴代の総帥の中でも、屈指の実力の持ち主だったが、シンタローはよく知らない。
けれど、叔父の『父さん』と呼ぶ声に溢れている崇拝と愛情に、どんな人だったか分かるような気がした。
「おかしいだろう? もう、私は父さんの年齢を抜かしてしまったのに、父さんはマジックのような秘石眼の双眸を持っていたわけでもないのに、それでも、私の中では父さんは最強なんだ。たぶん、ハーレムも………兄さんもね。」
「おかしくなんかないよ……。」
シンタローはそう言って、ますます強くサービスにしがみついた。
「全然おかしくなんかない。」
そう言い切る甥に、叔父は今までで一番優しげな微笑みを浮かべて、「ありがとう」と、もう一度甥の、今度は額にキスを落としたのだった。
「シンちゃん、今頃、機嫌が直ってるかなぁ…。」
「そのためにわざわざサービス様をお呼びしたんでしょう。大丈夫ですよ。」
深い憂愁を込めた横顔を見せ、ため息をつく主人にティラミスはサーブした紅茶を出した。
チョコレートロマンスはその横にサブレを置きながら、呆れたように言う。
「こうなることは予想がついたんですから、なんだかんだと理由をおつけになってお断りすればよろしかったじゃないですか。」
「だって、シンちゃんに無視されるのも嫌だし、引き下がるような子じゃないからねぇ。」
もっともな理由だったが、チョコレートロマンスはなおも意見する。
「なら、あのような容赦ない勝ち方をされるからです。せめて、惜しいところで負けたとシンタロー様に思わせるような戦い方をすればよろしかったのに。」
「だって、悔しがるシンちゃんって可愛いんだもん。キスした時も目をまるくしてどうしたらいいのかわかんない顔してね、五歳の時、わんちゃんのぬいぐるみを買ってあげた時と同じ顔だったよ……ティラミス。」
「はっ、隠し撮りしておきました。こちらです。」
いささか悪趣味なハート形アルバムを取り出して、マジックに差し出した。
それは対決中の二人のショットがきちんとファイリングされている。
秘書としてとても有能なティラミスだったが、この主人に仕えるうちにカメラの腕まで磨いたらしい。
誰も気づかない間に超小型カメラで撮影したわりには、その数は優に50枚はあった。
「そうそう、これこれ~っ。かわいいなぁ~食べちゃいたいなぁ~。」
アイドル歌手のブロマイドを手にした女子高生のノリできゃっきゃっと、親子の交流記録をめくっている主人を前にして、二人はお互いの視線をかわしてため息をついた。
確かに、彼らの主人は最強だ。
おそらく地上の誰も敵わない。
けれど、たったひとり、黒髪の息子にはめろめろなのだ。
『おとーさま、一応最強だし。』
さてさて、グンマ様、優秀な秘書としてはそのご質問にお答えしかねます。
二人はこの場にいない青年に向かって、心の中でそう答えたのだった。
2005/3/12
back
PR