緩やかな呪縛
それは彼を縛る鎖。
優しさを装ったそれは彼を緩やかに拘束する。
「シンちゃ~ん!」
甲高い声と共に隣にいたはずの従兄弟が走り出す。
「げ」
あからさまな拒絶の声を無視して、白衣をはためかせながら勢いのままにグンマは抱きつく。
嫌がりながらも昔のように引き剥がそうとしないため、この頃は会う度にこうして突進をすることが多くなった。
「お前も止めろよな…」
マイペースにゆっくりと歩いてきたキンタローにそう毒づくシンタローだが、相変わらずの無表情で流される。
上機嫌のグンマを張り付かせたまま、大げさにため息をつくと、そのまま歩き始める。
「へへへ」
「ったく、俺は疲れてんだぞ。疲れを倍増させるようなことするなよな」
「お疲れ様~。でも今回も圧勝だったんでしょ?」
「ん~、まあな」
それが当たり前だというように答えるシンタロー。
戦況については、たとえどんなことでもグンマは逐一チェックしていた。
特にシンタローが出陣するものは総て。
そして、結果が出たらシンタローの元へと駆けつける。
今回のように、現地に直接赴いている場合ならばこうして彼の通りそうな通路で待ち伏せをする。
出陣すれば勝利を挙げる。
それはもはや真実であり、そのジンクスを破らぬためにもシンタローは死守してきた。
しかしその伝説ははっきりいって、最初の頃に総帥自ら前線に赴く機会が多く、一回でも負ければそれでガンマ団が潰れるという危機を乗り越えてきたからだ。
キンタローはそのことに対して、ガンマ団がなんとか軌道に乗り落ち着いた頃に聞いたことがある。
シンタローが受けているはずのプレッシャーは、並々ならぬ重さであると踏んでいたのだが、しかし返ってきた答えはあっけらかんとしたもの。
『あ~?とりあえず勝つことだけ考えてたからなぁ。あんま考えてなかったな』
そういった感情だけは隠すのがうまい彼が強がりで言っているのではないかと最初は疑っていたが、それが本当であると知ったときには愕然とした。
確かに総帥となったことにより、その肩の荷は格段に重くなり、段々とその重さを増していく。
しかし、それでも前に進む力は衰えることはない。
どんな岐路に差し掛かろうとしても、どの道を進むかと迷ったことはあっても進めないと膝を折る姿を見たことなどないような気がする。
シンタローが完璧でないことをキンタローは良く知っている。
何度もそんな姿を見てきた。
無論、楽な道を選んでいるわけではない、全く成長していないわけでもない。
なのに今の彼はガンマ団の中で総帥という、絶対神のように扱われることもしばしばであった。
それは生来の俺様な所と相乗してその認識を拍車を掛ける。
なぜか、違和感を感じた。
綺麗過ぎて何かを見落としている気がする。
「おや、今日は皆一緒なんだね」
「あ、おとー様」
隠居して以来、表に顔を出すことがなくなったマジック。
息子二人を出迎えるその姿は威風堂々としているものの、独裁者としての仮面を捨て、今はよき父として笑っていた。
ようやく築けた家族の形だというのに、奇妙に映るのはきっとキンタローの気のせいだと思っていた。
「ねえ、シンちゃん」
マジック、シンタロー、グンマそしてキンタローというなんとも奇妙な関係で食卓を囲み、食後のお茶をしているときだった。
「あぁ?何だよ?」
不機嫌そうな返事だが、ほんの少し前ならば無視をされていたこと思えば格段の進歩だろう。
マジックもそのことをよく知っているから、ニコニコと笑いながら本題を切り出す。
「ちょっと小耳に挟んだんだけど、今大変らしいね。なんでも、K国でクーデター起こったんだって?」
K国はつい先日、ガンマ団が内戦を収めるために軍隊を派遣し、その成果は上長だったはずだ。
それなのに、今回起きたクーデターのお陰でK国の大統領から要請がまた来ているのだ。報酬はもちろんなしで、だ。
「何ならパパが――」
「うっせぇ、くそ親父。なにかしようとしたらただじゃおかねぇ」
「あ~あ、パパってばシンちゃんを怒らしてる~」
即座に切られて、人形を握り締めながら泣いている姿に、父に掛けるにしては薄情な言葉を掛けるグンマ。
対するシンタローは僅かに眉を寄せただけで、お茶をすする。
「――ごっそさん。俺はもう一仕事してくるから」
何事もないかのように、しかしどこか急ぎ足で部屋から出て行くその姿を見送っても、マジックは動こうとはしない。
ただ残された食器を片付けるだけ。
「追いかけないのか?」
どこか手持ち無沙汰で、持っていたコップをもてあそんでいたがそれも取り上げられたため、鼻歌を歌いながらキッチンへと向かうその後姿に疑問をぶつける。
昔ならば、親ばか全開でいろいろやっていたはずなのに、あの島から戻ってきてからとてもおとなしい。
特に総帥としての仕事を手伝おうとするそぶりを見せることはあれど、大抵の場合は静観している。
「いいんだよ、これで」
その返答は問いかけた相手ではなく、いまだにお茶をすすっていたグンマからなされる。
ばっさり切った髪をまた伸ばし始め、ピンク色のリボンで結んでいる。
それが昔よりも幼く見せるが、その分彼の本質を見誤ってしまうものも大勢いる。その頭の中にある聡明な頭脳は、稀代のものであるのにも拘らず、だ。
キンタローはグンマと共に研究を重ねるごとに、シンタローのときとは違った視線で見ることが出来た。
決してシンタローの前では見せない、その頭の回転のよさに驚き、なぜその姿を隠しているのかが不思議だった。
そして、時折見せる何か、そう得体の知れないものをグンマに感じることがある。
今もそうだ。たった一瞬であるが、気配がした。
恐ろしいものではないが、いつもの風貌からは考えられない。
「じゃ、僕もそろそろ行こうかな」
手に持ったカップをキッチンまで運ぶといつもの笑顔のまま、食事前に脱いだ白衣を着る。
「キンちゃんはどうするの?」
最近はシンタローのそばにいることが多くなったキンタローに問いかける。
シンタローの意向により、総帥の物々しい警備をやめてから、格段に狙われる回数が増えた彼を守るため、そして遠征先にて数少ない理解者となるためキンタローは影のように付き添うようになった。
最近では総帥のぴりぴりした雰囲気を和らげるとのことで、キンタローに付いてきて欲しいという声も上がるようになったくらいだ。
「そうだな。向こうに行く」
きっと今頃、部下に当たるつもりがないのにぴりぴりとした空気を振りまいているシンタローを止めなくてはならない。
「じゃ、がんばってね」
対した感慨もなく、グンマは笑う。きっとシンタローの前であれば、散々ごねるのだろう。
しかし、その理由がいまだにキンタローにはわからずにいた。
どこか愛嬌のある戦艦が、大地から離れたとき、シンタローは自分の部屋にいた。
一枚の写真を眺めながら黙っているその姿はいろんな意味で恐ろしい。
「いい加減、子供のように拗ねるのはやめたらどうだ」
それは一本の通信によってだった。
後処理もほぼ終わり、引き上げようとしたときにそれは入ってきた。
まるでタイミングを計ったかのようなその通信はグンマから。場所は、彼らの弟の部屋からだった。
『見て見て~、おとー様の力作だよ』
その腕に抱えられていたのは大きな熊のぬいぐるみ。
『コタローちゃんへの贈り物だって。今日からあの部屋に入れるんだよ』
大きなスクリーンに映される総帥と同い年の青年と、ぬいぐるみは奇妙なことにマッチしているが、先ほどまで戦場にい兵士たちを脱力させるには十分だった。
しかも、その通信はそこで終わった。
否、その後にも続きそうだったのだが、あいにく電波状態が悪かったのか2分ほど声と映像が途切れた。
それ以降、あちらからの連絡はない。
(まったく…)
グンマの意図はわからないが、シンタローを怒らせるには十分すぎた。
その後、大雑把な指示を出してすぐに帰還しようとする従兄弟を尻目に、補足説明を加え何とか後処理を済ませた。
いつものこととはいえ、キンタローは深くため息をつく。
あの親子は何かある度にシンタローを怒らせ、しかもそれを楽しんでいる節がある。
そのことは如実であり、対象者であるシンタロー本人にも再三忠告したのだが、効果は薄い。
今のところぎりぎりのラインで抑えているものの、いつ仕事に差し控えるかと考えると気が重い。
今回の人形にしても、昔シンタローが買ってやったアライグマの縫ぐるみに対する嫌がらせのようにしか見えないのは気のせいなのだろうか。
本当に些細なことではあるが蚊が目の前を通り過ぎるかのように、気が散ってしまうことには変わりない。
とりあえず、目の前でふてくされている自分の上官を何とか宥めなくてはと大きく息を吸った。
その数時間後、本部に到着した戦艦が格納庫に収納される前に、表面上は、冷静になったシンタローがキンタローを従えてマジックのいる部屋へと向かう。
「シンちゃん、真っ先にパパの元に来てくれるなんて…」
「ガンマ砲!」
抱きつこうとこちらに向かってきたのが運のつき。
ぷすぷすと煙を上げながら、倒れているマジックに止めを刺そうと蹴りを入れるその姿に止めるタイミングを計っていると、不意に袖口をひっぱられた。
「ここはおとー様に任せて僕たちはコタローちゃんのところに行こうよ」
小声でにっこりと、有無を言わさぬ彼の言葉にキンタローは目を見張る。
しかし、驚いているキンタローに気づいた用でもなく、そのまま腕を引っ張って阿修羅のごとく父親に制裁を下しているシンタローをおいて二人は抜け出した。
「…何を考えているんだ」
心底、呆れてただそれだけを口にするが、答えはない。
エレベータには二人だけ。
一族のものが使うためのこのエレベータには当然監視カメラや盗聴器の類はない。
誰に聞かれることもないので、キンタローは長い間疑問に思っていたことを口にする。
「そんなにシンタローと喧嘩をしたいのか?」
先ほど、繰り広げられていたのは最早喧嘩のレベルを超していたが、それはこの際おいておく。
「…キンちゃんの目にはそう見えるんだね」
ようやく返ってきた返事は、しかしきちんと答えられていない。
「――グンマ」
「やだなぁ。そんな怖声ださないでよ」
ぜんぜん怖がっているように見えないその態度は、知らない人ならばある程度はごまかせるかもしれない。
「それで、どういうことなんだ」
「そうだね――失いたくないから、かな」
軽い振動を感じ、ついでドアが開く。
いつも思うが、グンマはこういったタイミングが恐ろしくうまい。
今も颯爽とエレベータから降り、問いかけようとしたキンタローを先制するかのように、そして自然に指導権を握っていく。
「ほら、キンちゃんもコタローちゃんに早く会いたいでしょう?」
その笑顔は、もういつものものだった。
あれは何年前だったか、思い出せない。
けれども、あのときの言葉の意味を理解した気がする。
彼をたきつける言葉は、他に目を向けさせないための布石。
露骨過ぎるそれに、しかし誰も気がつかない。
「どうかしたの?」
隣でにこりと笑っている従兄弟が心底憎い。
「いや、なんでもない」
失った痛みを知らないから、彼を留める術がわからなかった。
いつかいなくなるという、その意味をきちんと理解してなかったのが原因だろう。
繋ぎ止めることは出来ないから、少しでも長くいられるようにと願わずにいられない。
そして、そんな思いが緩やかに絡みつく。
決して不快に感じず、しかしどこか重さを感じるそれは彼に今を、現実を見つめさせるには十分なもの。
改めて、この一族の執着深さに驚き、そしてその血が流れていることを実感する。
目の前に広がるのは青い海。
あの島へ帰っていった彼は、こちらに戻ってくるのだろうか?
無事であることはわかっている。しかし、心まではわからない。
緩やかな鎖は、もし彼が帰ってきたときには幾重にも増えていることだろう。
いつか帰ってしまうかもしれないことを恐れて、しかしそんなことを全く表に出すこともなくにこやかに、彼を監視するかのように目を離さない。
それでも好きだから、その鎖を強めることはしない。
その思いは、とても綺麗で、残酷だった。
<後書き>
え~、ここまで書いておいてなんですが、実はキリリクの没原稿。
理由はあちらのリクエスト内容を見ていただければわかるかと。
パプワのパの字も出ていない…
没理由はそんな感じで。
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至宝の玉
今日もまた、ガンマ団本部に爆発の花が咲いた。
こつこつと前を歩くグンマを後ろから誰かが追いかけてくる。
決して走ったりはしない。ただ少し歩調を速めるだけ。
その姿を想像してグンマは深く息を吸う。
1、2、3
「グンマ」
呼び止められると同時に、肩を掴まれて反転させられる。
低く響く声は、かつては彼の体だったとは思えない。
しかしそんな感想が欲しくってこの忙しい中、彼はグンマを尋ねに来たわけではないのだろう。
その顔は真剣そのもので、大抵のものはその雰囲気に飲まれてしまうだろう。
「どうかしたの?」
それでもにっこりと笑うグンマ。きっと、彼がこの笑顔の仮面を取り去ることなどそうそうない。
だが、キンタローはそのことに対して感銘を受けている暇はない。
「……お前はやれば出来るとシンタローは信じているぞ」
「…そう」
唐突に切り出されたその一言に一瞬反応したものの直に戻る。
いったいどうしたらここまで、感情をコントロールすることが出来るのか。キンタローには分からない。
ただ分かることは彼は、彼のためにそれを意図的に行っているということだけ。
「それだけなら僕、もう行くね。シンちゃんに怒られちゃったから新しいの作らなきゃ」
「出来ているんだろう。お前の頭の中には」
肩に置かれた手には元々大して力は込められていない。軽く押して外すとグンマは踵を返そうとした。
しかしその言葉と、瞳に呼び止められる。
まっすぐな瞳だけは似ている気がした。
「もし、そうなら何で僕はわざわざシンちゃんに怒られるようなものを作らなきゃいけないのさ?」
それでも、引力のあるあの眼は彼だけの特権。一族の誰もが持ち得なかった不思議な力。
だから、グンマは笑った。キンタローのそれはまだそこまでグンマを捕らえたりはしない。
じぃと睨むでなく力を込めてみるその眼は確かに強いが、彼の眼はただ見られるだけで留まらなければならない気がする、そんな、眼。
「それを聞きたいんだ」
「変なの」
くすり、と笑うがその眼は外されない。
同じ色の、異なる瞳が目の前にある。こうして、一族の人間と向き合ったことが今まで合っただろうか?
立ち去ろうとしたため、開いていた距離を自らが近づくことによって縮める。
「――どこも似ていないと思ったのに何で似ているんだろうね」
特に、その眼。
「綺麗な眼」
そっと、眼は無理だけれども顔に優しく触れる。
「お前の目も同じだろう」
彼にない、青色を宿した眼。
一族の証明の色はキンタローはもちろん、グンマも持っている。それなのに綺麗だというその言葉に眉根を顰める。彼が聞いたら激怒しそうな言葉だ。
「…違うよ。僕と君達とじゃ」
触れたときと同じ位、ゆっくりと手が引かれる。
この笑顔は知っている。こんなときの笑顔は。
「同じものだ。俺も、シンタローも、そしてお前も」
完璧すぎる笑顔だからこそ気がついてしまう。
彼には見せられない、作り物の笑顔。
「早く、戻りなよ。シンちゃんが待っているよ」
気が付かれたことを一瞬で感知したグンマは俯いて、キンタローを急かす。
事実、この後の予定は詰まっている。
だからこそ、このもやもやをはっきりさせなくてはならかかった。
「……これが、僕の仕事だからね」
聞き取れるかどうかのギリギリのラインで囁かれた言葉。
その言葉を反芻した一瞬の隙を見てグンマが走った。
「行ってらっしゃいってシンちゃんに伝えてね」
十分な距離まで離れたグンマが大きな声でそう叫んだときには、もはやいつもの笑顔に戻っていた。
パソコンの中で大きなウエイトを占めていた演算を止める。
「流石にこれ以上やったら、ホントに怒られちゃうしね」
そして、報告書から添削された所――ご丁寧に赤ペンで直されている――を見ながら彼の望むよう形に手直しをしてゆく。
実際、この作業は難しいものではない。ここに来るまでに何度もシミュレートして最も綺麗な形にまで仕上げたものがグンマの頭の中に出来ている。
完成してから、その動きを見るまでもない。
「流石に結果がないとまた怒られちゃうだろうけど」
ちらり、と卓上カレンダーを見る。期限は一週間後。それまでに総てのデータを揃えなくてはならない。
確実に徹夜コースであるが、それでもグンマは先ほどのやり取りを思い出して笑った。
「もー、シンちゃんってば本気で怒るんだもん。びっくりしちゃった」
慌てて力を解放して中和したため、爆発によって部屋が煤けたように黒くなったが、さしたる被害はでなかった。
それもシンタローにとって不機嫌にさせたひとつの要因だ。
書きなぐるかのように近くに用意してあった赤いペンで添削をすると、所々煤けてしまったグンマに投げて遣した。
乱暴に部屋から出て行く姿を見てうまく怒らすことが出来たことに喜んでいた自分。
まさに命がけだが、どこかでガス抜きをしてやりたいから、手を抜けない。
「こんなの作るよりよぽっど大変だよ」
くすくすと笑いながら、ピンとモニタを指ではじく。
しかめっ面をしながら歩く姿。
威厳を携えながら、周りを見回して傍には優秀な従兄弟が補佐をする。
より完璧を目指して走る姿はグンマも好きだが、いつか壊れてしまいそうだ。
だから、失敗作をわざと提出する。
呆れて素の自分で怒鳴り散らせるように。
この役だけは、誰に譲るつもりはない。
「とりあえず、煤を落としてこよ~うっと」
その一言を残して、ガンマ団随一の天才はラボを後にした。
遊び機能満載だったそれを、見事なまでに望まれた形に仕上げて。
笑い顔が見たいっていったら怒られるかな?
<後書き>
50/50の“まかせなさい”の没原稿。
というよりも、別の話になってしまったため普通に上げてしまいました。
…う~ん、私の書く従兄弟ズは三人揃うことが少ないようです。なぜだろう。
グンマさんに別格愛を注いでいるのでしょうか、私は。
今回はそれほど、どす黒いイメージを持たずにかけたので自分的にはOKです。
真夏の残像
目を開けると、自分が抱いているものがまだ目を覚ましていないことに安堵した。
起こさないようにとそろりと起き上がり、朝ご飯の支度を始める。
規則正しいまな板の音に気がついたのか、う~ん、という唸り声が聞こえた。
「まだ、メシはできてねーから寝てな」
そう声をかけるが、早起き型の子供と犬がおとなしく寝ているわけがない。作り終えたときには、踊っていた。
「こらこら、家の中で踊らない」
ちゃぶ台のほうへ鍋をもって行くととめ~し、め~しといつの間にやら用意していた箸で茶碗をたたき始める。
「あ~、はいはい。すぐによそうよ」
いつからだろう
“当たり前”になってしまったのは
「シンタローさーん」
「寄るな、ナマモノ!」
猛ダッシュで飛び掛ってきたイトウを軽く蹴り飛ばす。
食材用の木の実を探してかれこれ1時間いらだっているところにいきなり現れたナマモノに容赦はしない。
いや、ストレス解消にはもってこいだが…
「つれないあなたが、す・て・き…」
「今日は、タンノと一緒じゃねーのか?」
仲のよい2匹が一緒にいないことに不審に思い、イトウに離れたところから尋ねる。と、すると
「きゃ~、シンタローさ~ん。私がいないと寂しいのね~~」
語尾にハートマークがついたようなあまったるい声が後ろから聞こえてきた。
「うるさい!ナマモノはいっぺんに出てこんかい!」
「そんなこといって照れちゃって、もう!」
「なに言ってるのタンノちゃん、シンタローさんは私が先に見つけたんだから」
なおも続く言い争いに痺れを切らしたシンタローは何も言わず手を翳す。
「――ガンマ砲!!」
久しぶり、だった
ありのままの自分をさらけ出したのは
―心の底から笑えたのは
「シンタロー、勝負だべ!」
「シンタローさん、あそぼーよ」
「しんたろーさーん」
「…すい、総帥」
気配、そしてかけられた声によって目を覚ます。
それと同時に自分のいる場所を思い出す。
あの、懐かしい南国ではなく―
「ああ、すまねえ。何のようだ?」
「先程渡した資料の中に訂正がありまして…」
開放感で溢れていたあの土地ではなく、四角く息苦しさを感じる部屋。
消して狭いわけではないのに圧迫感を感じる。
エアコンの効いた快適なここより、灼熱の太陽を恋しいと思う自分がいる。
決して後悔しているわけではない
むしろ、自分の選んだ道を歩いていけることを誇りに思う
――だけど
思い出してしまう
全てのしらがみを捨て、思いのままに生きていられたあの頃
ただ――懐かしいだけ
<後書き>
シンタローさんには笑っていてほしいけど、仕事はほっぽり出せないだろうな~と思ってしまいます。
一生パプワ島で暮らせよ~、とか言いたくなるんですけどね。それはそれで嫌(笑)
PAPUWAの始まる前、やっとこさ軌道に乗ったか動き始めたかのちょっと気が緩んだ瞬間あたりからこうやって時々思い出しては泣いてるんじゃないかと。で、ひとしきり泣いたらまた頑張ると。
そんな感じで(わけわかんないですよね…)
ほんわかパプワ×シン…(ぐふっ)
隣人との境界が薄れてしまうような間接照明の光が、煙草の煙でますますぼやけて、店内を琥珀色に映し出していた。
小さなステージの上ではコントラバスとギターによって陽気な音楽が演奏されていて、演奏の合間に拍手が鳴っている。
カウンターの一番隅の席に、長身の男が二人、少々窮屈そうに座っていた。八割方埋まった店内の、主に女性客が彼らにちらちらと視線を投げかけるが、二人はそんな第三者の視線を跳ね除けるような親密な空気を醸し出していた。
リズミカルな演奏と客の話声の入り混じった雑多な喧騒を背中で聞きながら、彼はグラスを手に取った。
「学会どうだったんだ?」
ちょっと口をつけてから、隣に座る従兄弟に問いかける。
「まぁまぁだ。色々質問されたおかげで問題点もはっきりしたしな。今後の方針が立てやすくなった」
話しかけられた従兄弟が同じようにグラスを手にとって答えた。グラスの持ち方や手の角度などの動きが鏡に映したようにそっくりで、彼らの関係の親さを物語っている。
「そりゃ良かった。なぁ、研究って楽しいか?」
「楽しい」
こっくりと肯いた従兄弟に、彼は知らず笑みを浮かべた。
この従兄弟の、自分の道を発見しそれに邁進する様子は目を見張るものがあった。子供のような純粋さで貪欲に知識を求め、それを既存の研究法では思いつかないような応用の仕方で研究を行ってきた従兄弟は、つい最近有名な科学雑誌に論文が掲載され、優秀な若手の研究者として一躍注目を集めた。感情をあまり表に出さない従兄弟であったが、専門の学問や研究の話をするときはどこか楽しさが滲み出て、それは聞いているこちらも嬉しくなってしまう類のものだった。
「どの辺が?」
カラカラとグラスの中で氷がなる。背後の演奏がゆったりとした旋律に変わり、コントラバスの低音が酔った身体に心地好く響き、彼は機嫌良さそうに従兄弟に尋ねた。
「知らないことを知るのは楽しい」
間髪いれずに答えられ、彼は従兄弟の過去を思い、慌ててそれを心の隅に押し込めた。どことなく負い目を感じてしまうのは仕方無いとは言え、今のこの楽しい時間を台無しにしてしまうわけにはいかなかった。
「それに、科学は綺麗だ」
彼が心の揺れをアルコールで宥めていると、従兄弟が頬を緩ませながら言葉を続けた。同時にグラスが空になり、カウンターの中の店主にお代わりを注文する。
「キレイ?どこがだよ」
科学に対して綺麗と言う表現をした従兄弟を、彼は不思議なものでも見るかのようにまじまじと眺めた。
「グンマが言っていたんだ。俺もそう思う。物理はすべての事象を数字で表し、化学の構造式は全く隙が無い。生物は効率よく環境に適応した機能を持っている。科学は現象の全てをすっきりと綺麗に説明をつける。まだ解明されてない事象が、これから自分が説明出来るかも知れないと考えると楽しくて仕方ない。それに完璧に説明されたものは遺伝情報だろうが車のエンジンだろうが美しい構成をしている」
新しく出されたグラスに早速手をつけながら、従兄弟は彼の疑問を解消すべくすらすらと述べた。
「…だからグンマもガンボットの設計図にうっとりしてんのか」
傍から見れば変人にしか見えねぇよ、と言う彼のぼやきに、従兄弟は口元だけで少し笑った。確かに、彼をとりまく科学者は得てして少々変わった人物が多く、変人と思われても仕方ないと言えば仕方ない。
「知り合いの物理学者は『数式は宇宙の全てを表すことが出来る』と自慢していたし、生物学者は『生物は宇宙の全てを体内に持っている』と言っていた。科学者なんて皆そんなものだ」
彼は脳裏に知り合いの学者を思い浮かべ、それから呆れたように首を竦めた。
「良くわかんねぇけど、科学者ってのは結構なロマンチストだな」
背後の演奏は再びテンポの速い曲へと変わり、アコーディオンが加わって華やかなセッションを繰り広げている。
「そうかもしれない」
苦笑混じりで従兄弟は答え、それきりぷっつり会話が途絶えた。彼らは二人でいる時の沈黙が苦にならない。演奏に聞き入りながら、無言でグラスの中身を減らしていく。
「いい曲だな」
後ろを振り向きながら彼が感想を漏らすと、カウンターを指で叩きながらリズムをとっていた従兄弟がさらりと口を開いた。
「『undecided』だな」
彼がきょとんと目を見開いて「曲名?」と尋ねると、「ああ」とすぐに返事が返ってくる。そのテンポが小気味いい。
「変な曲名だな。未決定だなんて」
「決まってないから、これから決めるのが楽しいとも言える。演奏も、実験も」
真顔で嘯く従兄弟を見ながら、こいつも大したロマンチストだ、と彼は堪えきれずにくすりと笑った。
(2006.4.29)
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弟を愛さない父を憎んで、父に愛される自らを疎んで、弟を救うために行動したはずだった。
久しぶりの日本は何も変わっていなかった。
あれ程までに帰りたいと叫んでいたのが嘘のように、何ら感慨もなく彼は日本に帰ってきた。
帰りたいのは日本ではなく、あの暑い日差しが照りつける島ではないのかと言う疑問は次から次へと押し寄せて、無表情にヘリを見上げていた子供の顔と弟の顔が重なって、彼はきつく手を握った。
何気ない島の日常があまりに居心地が良くて、ずっとあのままでいられたはずはないのに、あの子供と犬と暮らす日々が続くことを心の底では望んでいたような気がする。
弟のことは片時も忘れたことはなかったが、日本に帰って弟と暮らしたいと言う想いも、島で子供と犬と暮らしたいと言う想いも、2つの相反する願望はいつのまにか彼の心に根を下ろし、成長し続けていた。
片方を選べば片方を失うのは明白だったはずなのに、失ったそばから後悔が残り、子供が初めて言った、ごちそうさま、の言葉が耳について離れない。
再会した父親は何ら変わり無く彼への執着を見せつけ、信頼していた叔父に騙された衝撃も、いくらか頭で予想していたのか、さしたるものでは無かった。いそいそと夕飯の支度を始める父親に憎しみの目を向けようとしても、自分の好物を覚えている男は良くも悪くも二十四年間父と子として生きてきた父親にしか見えず、父親だからこそ憎いのに、憎むのは何か間違っているような気がして、彼は黙ってその場を去った。
弟が閉じ込められている部屋に辿り着いたのは僥倖だった。
再会した弟は少し見ない間に成長しており、性格までも変わっていた。屈託のない笑顔を浮かべながら、パパを殺すの、と言った弟が哀れだった。幽閉された弟の気持ちは彼には分からない。けれど憎むことさえ悩む自分に比べ、子供特有の無邪気とはまた異なる薄ら寒いような純粋さで、父親を殺すと宣言した弟が、ただひたすらに可哀想だった。
彼がどうにか弟を諭そうとしていると、父親が後ろに立っていた。父と口論していると、弟がいる方向から明らかに父親を狙って青い光が迸る。
混乱する頭で尚も父と弟を仲裁しようと試みたがそれも叶わず、桁外れの力の応酬は口を挟む隙さえ与えられなかった。
「パパなんか大嫌いさ」と言った弟も「嫌いで構わん、部屋に戻れ」と冷たく言い放った父親も、どちらも同じ家族であるにも関わらず、どうしてそこまで憎み合わなければならないのだろう。
彼は何も変わっていない実状を見せつけられ、途方もない無力感に襲われた。
善とか悪とかそう言う感情自体がない、と恐れるような響きを持った叔父の説明も信じられず、どうして弟が、と混乱を極めた彼の頭はまともに働いてくれそうに無い。
嬉しそうに「バイバーイ、パパ」と右手を上げた弟の先にいる父親を見て、とっさに体が動いたわけは、彼自身も分からない。
父殺しの罪を弟に背負わせたくない、これで弟が父親を殺してしまったら完全に修復不可能になってしまう、と考えたのかもしれない。
そして何よりも父親が死ぬ、と思った瞬間走馬灯のようにこれまでの思い出が脳裏をよぎり、父親と弟に対する感情が渾然一体となった結果、彼は父親の前に身体を投げ出していた。
『ごめんパプワ。オレ約束果たせねぇ』
最後の瞬間思い浮かんだのは、父でも弟でもなく、いつも文句を言いながら食事を平らげていた子供の顔で、「いつか」の約束が果たせない悲しみと後悔の思いで一杯だった。
(2006.7.13)
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