いつ果てるか知れないデスクワークに、いい加減嫌気が差し、小休止を入れた。
椅子を半回転させると、眼前に広がる、吸い込まれそうな青と、その合間を縫う白が酷使した目に沁みる。
それらをぼんやりと眺めているうちに、いつの間にか現実世界から意識が離れていたらしい。
『シンちゃん、――しよう!』
『うわーいっ! 僕が勝ったー!』
「ありえねえっ!! 俺は認めねーぞっ!」
焦って叫んだ先に、訝しく眉を顰める碧眼があった。
兄と弟 ―シンタロー編―
「・・・何を認めないんだ?」
「・・・あー・・・俺、寝てた?」
薄靄が掛かっている脳でも、目の前の従兄弟兼補佐官の手にある毛布と、背もたれから勢いつけて起こした上半身の体勢から、先程まで眠っていたと推測する。
「ああ、寝ていた。――で、何を認めないんだ?」
補佐官は律儀に質問に応じてから、また同じ問いを投げた。それに総帥は、苦虫を噛む貌を作る。
答の内容が自尊心に強く根付いている為、出来ることならスルーを願う。
しかし、それが通じる相手ではないことは充分承知している。
(こういう生真面目なところ、子供だよな。空気を読めよ。)
幼子が何でも知りたがる、『どうして?』攻撃が、この28歳男にあるのだ。まあ、中身4歳児だから仕方のないことなのかもしれない。
正真正銘子供にも、実質子供にも、とにかく年下に甘い自覚はある。そんな己を呪いながら、シンタローは徐に利き腕側の肘を机についた。
「・・・これ、覚えてねえか?」
軽く手首を振る。この動作で示唆する事柄を自発的に気づいて欲しい。
言葉で回答するのは簡単だが、それが『認める』ことになりそうで、自然と口は重くなる。
じっとその腕を見つめ、眉根を寄せる従兄弟は記憶の引網漁中だろう。
暫くした後、ゆっくりとした返答があった。
「――いや、残念ながら。」
「そうか・・・。」
ふたりは24年間を共有している。なので、基本的にそれまでの記憶も同一なのだ。
ただ、このように特殊な生い立ちでなくとも、人間は記憶を全て引き出せるわけではない。
同じものを所有していても、それが個々別に忘却の彼方となっていることは、別段おかしくはない。逆にシンタローが忘れ去ってしまっているそれを、キンタローは覚えている場合もある。
ここが、肉体はひとつでも人格はふたつ備わっていたのだと実感する。
このことで落胆はしないが、それにより説明をしなくてはならない状態に気が滅入る。
盛大な溜息で踏ん切りをつけ、シンタローは貝の口を開けた。
「いくつだったかな・・・かなりガキの頃だと思うが、グンマと――。」
と、ここまで切り出したが、またしても閉ざす。
への字に曲げる総帥に構うことなく、
「グンマと?」
先を促す補佐官。やはり空気が読めない。
「~~~、あーもう、あのバカ!! バカなのは頭ン中だけにしろっ!」
忌々しげにガシガシと頭を掻き毟り、ここに不在の博士を扱き下ろす。半分冗談の親愛表現ではあるが、結構な言われようだ。
ちなみに半分は本気である。それは件の人の日常行動を慮れば、至極当然の感想だろう。
「何で、あんなバカ力なんだか――。」
「悪かったね。そんなにバカバカ言わなくてもいいじゃない。」
入り口から男にしては高い、ハスキーな女声に近い、第三者の受け答えが割って入る。
驚いて目を向ける先には、(団内に於いては)小柄な白衣の人物が膨れ面で扉にもたれていた。
「グンマ!? オマエ、いつの間に!?」
「これ。」
驚愕の問いには答えず、グンマは持参した紙の小箱を持ち上げ見せる。
「ケーキ貰ったから皆で食べようと思って来たのにさ。」
ぷくりと頬を膨らませる表情は、普段の幼さに拍車を掛けた。
「――にしても、一言声を掛けるくらい――。」
「掛けました! でもふたりとも何か話してて気づかないし、シンちゃんは僕をバカって言うし。」
じとっとねめつける視線に、シンタローは気まずそうに咳払いひとつ。
「バカをバカと言って、何が悪い。」
全く悪びれることなく却って開き直る。まさしく俺様体質である。それに、『バカ』とランク付けされた者は、ますます怒りを露わにし河豚の頬になった。
ずかずかと大股で部屋の主へと突進する。
だん、と手荷物を机に押し付け置く様に、傍らに佇む補佐官は、中身が崩れたのではないかと案じた。
「なっ、何だよ・・・。」
さすがに言い過ぎた感のある総帥は、反抗の態度を見せはしても、それは虚勢に過ぎない。憤慨する相手に対する負い目から、口とは裏腹に身体が引いている。
大きな双眸を吊り上げ、ありありと怒りの形相を表したグンマは、だかしかし、シンタローの顔を睨みつけたかと思うと、いきなり両手でその頬を挟みこみ、力任せに引き寄せた。
「いてっ!!」
「顔色が悪い。」
「は?」
てっきり罵声が飛んでくるものだと想定していたシンタローは、そしてキンタローも、見事に予想が外れ、間抜けな声と表情しか反応できなかった。
そんなふたりに構うことなくグンマは続ける。
「ちゃんと寝てるの? 昨夜は部屋に戻った?」
「――ンな、ヤワじゃねえよ。」
実は急ぎの処理があって、昨夜は執務室泊りだった。漸く明け方に、この部屋の応接ソファで数時間の仮眠を摂ったくらいだ。
詰問への返事が肯定していることに、この総帥は気づいていない。善意にはとことん無防備になることを自覚していないようだ。
間近にある碧眼が険しくなる。
「寝てないんだ。」
「完徹ってワケじゃねえ。少しは寝たぜ!」
「それは認めていることと同じだぞ。シンタロー。」
子供じみた言い訳にすかさず突っ込みが入る。鋭いんだか鈍いんだか、妙なところで天然な補佐官に舌打ちする。
詰問者は、その天然従兄弟が未だ携えている毛布を一瞥した。
「――察するに、昼寝したんだね? きちんと睡眠を摂らないから、身体がもてなくなっているんだよ!」
ぎゃんぎゃんと、母親の小言のような叱咤に、思わずシンタローも喧嘩腰になってしまった。
「るせえなっ! ほんのちょっとだよ! そんなに騒ぐほどじゃねえぞっ!」
「いや、結構――。」
またしても空気の読めない横槍の介入を、シンタローはギロリと目線で制する。
「どっちでもいいよ。疲れているのは間違いないんだから、もう今日は寝なよ。」
やや呆れ気味に申し渡されたそれが、プライド高いシンタローの勘に障った。
「うるせえっ!! 俺はそんなに暇じゃねえんだ! 寝ねえと言ったら寝ねえっ!!」
最早駄々っ子の域になった意固地さに、グンマは、ぺち、と掴んでいた頬を軽く叩いて手を離した。
そして、律動的な歩調で机を迂回し、子供な総帥に歩み寄る。
「グンマ・・・?」
静かに、明らかに怒っている。再び説教が始まるかと、不貞腐れた貌で迎え撃つシンタローは、この後、過去に味わった屈辱以上のものが待ち構えているなどと、露程も思っていなかった。
「何だよ。何言っても寝ねえからな!」
先制攻撃の威嚇。しかしながら相手は口頭での応戦ではなく、実力行使に出た。
「へ?」
一瞬、シンタローは、何が何だか状況が掴めなかった。
顔に金糸が掛かったと認識した直後、全身に浮遊感が襲った。
グンマは椅子に腰掛けているシンタローの背と膝裏に素早く腕を滑り込ませ、
「よっ、と。」
そのまま抱き上げたのである。
これには傍観するキンタローも言葉が出ない。グンマがシンタローを、所謂お姫様抱きしているのである。
ふたりは体格の違いが歴然としている。
192㎝のシンタローに、174㎝のグンマ。しかもシンタローは体術に長けているので、相応の体躯を持つ。
反して研究員のグンマは、貧弱とは言わないが、シンタローとは明確に身体の作りが違う。
そんな彼が軽々と、自分より体格の有利な者を担いでいるのだ。
これが反対ならば、何の驚きもないが――。
「――っ、ちょ、降ろせよ、グンマっ!!」
自身のおかれた状態に、手足をじたばたと暴れさせるシンタロー。焦りに顔中真っ赤に染めている。
それを、涼しい顔でグンマは却下した。
「だーめ。シンちゃん、言うこと聞かないもん。」
「聞くっ! 聞きます! だから、降ろせっ!!」
「そう言って、聞かないからね。シンちゃんは。
なので、今日はこのまま部屋に連れて行きます。」
その宣言は、俺様総帥を青褪めさせるに充分な威力を持つ。
「冗談じゃないぞっ!! 降ろしやがれっ、バカグンマ!」
傍からでも必死さが窺える暴れっぷりなのだが、それを、ものともしない博士。
「バカで結構ですぅ。シンちゃんよりはマシだよ。」
しれっと192㎝・83㎏を抱え、グンマは出口へと向かった。
途中、
「後の仕事、キンちゃんにお願いしていい?」
「あ、ああ・・・。」
「そ。よかった。よろしくね。」
いつもと変らない、少女めいた笑顔。
違うと言えば――腕の中に総帥がいることだ――。
「よろしくじゃないっ! おい、キンタロー!! オマエも見てないで止めろっ!」
唖然と見送る補佐官に助けを求める怒声が投げられるが、彼には届いていなかった。目の前で繰り広げられる光景に、度肝を抜かれてしまっている。
「はーなーせー!! この、バカ力―!!」
諦め悪い抵抗が尾を引いて去っていく。
「・・・! ああ!」
数分後、ひとり残された補佐官が、ぽんと手を打った。
自室に辿りついた頃には、もう抵抗する気力は残っていなかった。
総帥室から一族のプライベートゾーンは直通している。が、それでも全く誰にも出会わないということは稀である。
先ず秘書官の前を通らずにはいられない。
「・・・グンマ博士、これは・・・?」
「うん。シンちゃん、お疲れ気味だから部屋に連れて行くよ。」
「・・・そうですか・・・お大事に・・・。」
「そっ、総帥にグンマ博士――!」
「あー、お疲れ様―。」
あのときの秘書官たちや団員の、奇異な眼差しは本当に居た堪れなかった。穴があったら、いや掘ってでも入りたい衝動に駆られた。
飄々と歩むグンマと対照的に、シンタローは声も出せず、羞恥に火照った顔を俯かせるしかなかった。
それでも、父親に出会わなかっただけでも良しとしよう。
次男(ということで)に異常な愛情を注ぐ彼である。こんな姿を見られたら、どんな騒動になるか、想像もつかない。
ぐったりと気疲れしたシンタローを、
「だから言ったでしょ。人間、寝ないといけないんだよ?」
と見当違いの窘めに悪態をつくことさえ、もうどうでもよかった。
とすん、と丁寧に寝台に降ろされ、最後のお小言がある。
「はい、ちゃんと着替えて。今日はもう何もしないように。」
「へーい・・・。」
こうなりゃ自棄で、シンタローは素直に従った。
眠るまで見張ると主張する博士に、仕方なくベッドに潜り込む。枕元に鎮座する元従兄弟・現兄の腕が目に入った。
彼は、自身が持つ穏やかな気質をそのまま表出した、柔和な顔立ちをしている。女顔の部類に入るだろう。
しかし、白衣に隠された腕は、女性のように細いわけではなく立派に筋肉のついた男のそれだ。
けれども、自分自身と比べれば、やはり細い。
「・・・なのに、何であんな力があるんだろうな・・・。」
ぽつりと零してシンタローが、そっと触れた手を見やり、グンマは微笑した。
「さあ? 僕も、わかんないけどね。でも、こういうときは使えるでしょ?」
「バカヤロー。あんなのは二度と御免だ。ガキのとき以来の屈辱だったぞ。」
つい先刻の悪夢が蘇る。あれは人生最初の汚点だ。
照れ隠しの拗ねた口調と、引き合いに出された懐かしい思い出に笑みが深くなる。
「ああ、あれね。今度また、やってみる? もちろん、僕が勝つつもりだけどね――と?」
触れられていた掌が力なく落ちたかと思うと、寝台からは小さな寝息が立っていた。
微かに苦笑し、はみ出ている手を起こさないよう、蒲団に納める。
「・・・無理しすぎなんだよ。シンちゃんは何でも自分で溜め込んじゃうんだから。
少しは頼ってよね。それぐらいの価値はあると思うよ。」
ぽん、と弟が驚異した腕を叩いた。
「おやすみ、シンちゃん。良い夢を。」
流れる黒髪を掻き分け、露わにした額に口付ける。
心なしか、弟は微笑んでいるようだった。
キンタロー編 とは名ばかりの、前半キンシン、後半グン+キン
くのいちDebut 電話占い 霊感 霊視 短期バイト 北海道 レンタカー 転職支援
椅子を半回転させると、眼前に広がる、吸い込まれそうな青と、その合間を縫う白が酷使した目に沁みる。
それらをぼんやりと眺めているうちに、いつの間にか現実世界から意識が離れていたらしい。
『シンちゃん、――しよう!』
『うわーいっ! 僕が勝ったー!』
「ありえねえっ!! 俺は認めねーぞっ!」
焦って叫んだ先に、訝しく眉を顰める碧眼があった。
兄と弟 ―シンタロー編―
「・・・何を認めないんだ?」
「・・・あー・・・俺、寝てた?」
薄靄が掛かっている脳でも、目の前の従兄弟兼補佐官の手にある毛布と、背もたれから勢いつけて起こした上半身の体勢から、先程まで眠っていたと推測する。
「ああ、寝ていた。――で、何を認めないんだ?」
補佐官は律儀に質問に応じてから、また同じ問いを投げた。それに総帥は、苦虫を噛む貌を作る。
答の内容が自尊心に強く根付いている為、出来ることならスルーを願う。
しかし、それが通じる相手ではないことは充分承知している。
(こういう生真面目なところ、子供だよな。空気を読めよ。)
幼子が何でも知りたがる、『どうして?』攻撃が、この28歳男にあるのだ。まあ、中身4歳児だから仕方のないことなのかもしれない。
正真正銘子供にも、実質子供にも、とにかく年下に甘い自覚はある。そんな己を呪いながら、シンタローは徐に利き腕側の肘を机についた。
「・・・これ、覚えてねえか?」
軽く手首を振る。この動作で示唆する事柄を自発的に気づいて欲しい。
言葉で回答するのは簡単だが、それが『認める』ことになりそうで、自然と口は重くなる。
じっとその腕を見つめ、眉根を寄せる従兄弟は記憶の引網漁中だろう。
暫くした後、ゆっくりとした返答があった。
「――いや、残念ながら。」
「そうか・・・。」
ふたりは24年間を共有している。なので、基本的にそれまでの記憶も同一なのだ。
ただ、このように特殊な生い立ちでなくとも、人間は記憶を全て引き出せるわけではない。
同じものを所有していても、それが個々別に忘却の彼方となっていることは、別段おかしくはない。逆にシンタローが忘れ去ってしまっているそれを、キンタローは覚えている場合もある。
ここが、肉体はひとつでも人格はふたつ備わっていたのだと実感する。
このことで落胆はしないが、それにより説明をしなくてはならない状態に気が滅入る。
盛大な溜息で踏ん切りをつけ、シンタローは貝の口を開けた。
「いくつだったかな・・・かなりガキの頃だと思うが、グンマと――。」
と、ここまで切り出したが、またしても閉ざす。
への字に曲げる総帥に構うことなく、
「グンマと?」
先を促す補佐官。やはり空気が読めない。
「~~~、あーもう、あのバカ!! バカなのは頭ン中だけにしろっ!」
忌々しげにガシガシと頭を掻き毟り、ここに不在の博士を扱き下ろす。半分冗談の親愛表現ではあるが、結構な言われようだ。
ちなみに半分は本気である。それは件の人の日常行動を慮れば、至極当然の感想だろう。
「何で、あんなバカ力なんだか――。」
「悪かったね。そんなにバカバカ言わなくてもいいじゃない。」
入り口から男にしては高い、ハスキーな女声に近い、第三者の受け答えが割って入る。
驚いて目を向ける先には、(団内に於いては)小柄な白衣の人物が膨れ面で扉にもたれていた。
「グンマ!? オマエ、いつの間に!?」
「これ。」
驚愕の問いには答えず、グンマは持参した紙の小箱を持ち上げ見せる。
「ケーキ貰ったから皆で食べようと思って来たのにさ。」
ぷくりと頬を膨らませる表情は、普段の幼さに拍車を掛けた。
「――にしても、一言声を掛けるくらい――。」
「掛けました! でもふたりとも何か話してて気づかないし、シンちゃんは僕をバカって言うし。」
じとっとねめつける視線に、シンタローは気まずそうに咳払いひとつ。
「バカをバカと言って、何が悪い。」
全く悪びれることなく却って開き直る。まさしく俺様体質である。それに、『バカ』とランク付けされた者は、ますます怒りを露わにし河豚の頬になった。
ずかずかと大股で部屋の主へと突進する。
だん、と手荷物を机に押し付け置く様に、傍らに佇む補佐官は、中身が崩れたのではないかと案じた。
「なっ、何だよ・・・。」
さすがに言い過ぎた感のある総帥は、反抗の態度を見せはしても、それは虚勢に過ぎない。憤慨する相手に対する負い目から、口とは裏腹に身体が引いている。
大きな双眸を吊り上げ、ありありと怒りの形相を表したグンマは、だかしかし、シンタローの顔を睨みつけたかと思うと、いきなり両手でその頬を挟みこみ、力任せに引き寄せた。
「いてっ!!」
「顔色が悪い。」
「は?」
てっきり罵声が飛んでくるものだと想定していたシンタローは、そしてキンタローも、見事に予想が外れ、間抜けな声と表情しか反応できなかった。
そんなふたりに構うことなくグンマは続ける。
「ちゃんと寝てるの? 昨夜は部屋に戻った?」
「――ンな、ヤワじゃねえよ。」
実は急ぎの処理があって、昨夜は執務室泊りだった。漸く明け方に、この部屋の応接ソファで数時間の仮眠を摂ったくらいだ。
詰問への返事が肯定していることに、この総帥は気づいていない。善意にはとことん無防備になることを自覚していないようだ。
間近にある碧眼が険しくなる。
「寝てないんだ。」
「完徹ってワケじゃねえ。少しは寝たぜ!」
「それは認めていることと同じだぞ。シンタロー。」
子供じみた言い訳にすかさず突っ込みが入る。鋭いんだか鈍いんだか、妙なところで天然な補佐官に舌打ちする。
詰問者は、その天然従兄弟が未だ携えている毛布を一瞥した。
「――察するに、昼寝したんだね? きちんと睡眠を摂らないから、身体がもてなくなっているんだよ!」
ぎゃんぎゃんと、母親の小言のような叱咤に、思わずシンタローも喧嘩腰になってしまった。
「るせえなっ! ほんのちょっとだよ! そんなに騒ぐほどじゃねえぞっ!」
「いや、結構――。」
またしても空気の読めない横槍の介入を、シンタローはギロリと目線で制する。
「どっちでもいいよ。疲れているのは間違いないんだから、もう今日は寝なよ。」
やや呆れ気味に申し渡されたそれが、プライド高いシンタローの勘に障った。
「うるせえっ!! 俺はそんなに暇じゃねえんだ! 寝ねえと言ったら寝ねえっ!!」
最早駄々っ子の域になった意固地さに、グンマは、ぺち、と掴んでいた頬を軽く叩いて手を離した。
そして、律動的な歩調で机を迂回し、子供な総帥に歩み寄る。
「グンマ・・・?」
静かに、明らかに怒っている。再び説教が始まるかと、不貞腐れた貌で迎え撃つシンタローは、この後、過去に味わった屈辱以上のものが待ち構えているなどと、露程も思っていなかった。
「何だよ。何言っても寝ねえからな!」
先制攻撃の威嚇。しかしながら相手は口頭での応戦ではなく、実力行使に出た。
「へ?」
一瞬、シンタローは、何が何だか状況が掴めなかった。
顔に金糸が掛かったと認識した直後、全身に浮遊感が襲った。
グンマは椅子に腰掛けているシンタローの背と膝裏に素早く腕を滑り込ませ、
「よっ、と。」
そのまま抱き上げたのである。
これには傍観するキンタローも言葉が出ない。グンマがシンタローを、所謂お姫様抱きしているのである。
ふたりは体格の違いが歴然としている。
192㎝のシンタローに、174㎝のグンマ。しかもシンタローは体術に長けているので、相応の体躯を持つ。
反して研究員のグンマは、貧弱とは言わないが、シンタローとは明確に身体の作りが違う。
そんな彼が軽々と、自分より体格の有利な者を担いでいるのだ。
これが反対ならば、何の驚きもないが――。
「――っ、ちょ、降ろせよ、グンマっ!!」
自身のおかれた状態に、手足をじたばたと暴れさせるシンタロー。焦りに顔中真っ赤に染めている。
それを、涼しい顔でグンマは却下した。
「だーめ。シンちゃん、言うこと聞かないもん。」
「聞くっ! 聞きます! だから、降ろせっ!!」
「そう言って、聞かないからね。シンちゃんは。
なので、今日はこのまま部屋に連れて行きます。」
その宣言は、俺様総帥を青褪めさせるに充分な威力を持つ。
「冗談じゃないぞっ!! 降ろしやがれっ、バカグンマ!」
傍からでも必死さが窺える暴れっぷりなのだが、それを、ものともしない博士。
「バカで結構ですぅ。シンちゃんよりはマシだよ。」
しれっと192㎝・83㎏を抱え、グンマは出口へと向かった。
途中、
「後の仕事、キンちゃんにお願いしていい?」
「あ、ああ・・・。」
「そ。よかった。よろしくね。」
いつもと変らない、少女めいた笑顔。
違うと言えば――腕の中に総帥がいることだ――。
「よろしくじゃないっ! おい、キンタロー!! オマエも見てないで止めろっ!」
唖然と見送る補佐官に助けを求める怒声が投げられるが、彼には届いていなかった。目の前で繰り広げられる光景に、度肝を抜かれてしまっている。
「はーなーせー!! この、バカ力―!!」
諦め悪い抵抗が尾を引いて去っていく。
「・・・! ああ!」
数分後、ひとり残された補佐官が、ぽんと手を打った。
自室に辿りついた頃には、もう抵抗する気力は残っていなかった。
総帥室から一族のプライベートゾーンは直通している。が、それでも全く誰にも出会わないということは稀である。
先ず秘書官の前を通らずにはいられない。
「・・・グンマ博士、これは・・・?」
「うん。シンちゃん、お疲れ気味だから部屋に連れて行くよ。」
「・・・そうですか・・・お大事に・・・。」
「そっ、総帥にグンマ博士――!」
「あー、お疲れ様―。」
あのときの秘書官たちや団員の、奇異な眼差しは本当に居た堪れなかった。穴があったら、いや掘ってでも入りたい衝動に駆られた。
飄々と歩むグンマと対照的に、シンタローは声も出せず、羞恥に火照った顔を俯かせるしかなかった。
それでも、父親に出会わなかっただけでも良しとしよう。
次男(ということで)に異常な愛情を注ぐ彼である。こんな姿を見られたら、どんな騒動になるか、想像もつかない。
ぐったりと気疲れしたシンタローを、
「だから言ったでしょ。人間、寝ないといけないんだよ?」
と見当違いの窘めに悪態をつくことさえ、もうどうでもよかった。
とすん、と丁寧に寝台に降ろされ、最後のお小言がある。
「はい、ちゃんと着替えて。今日はもう何もしないように。」
「へーい・・・。」
こうなりゃ自棄で、シンタローは素直に従った。
眠るまで見張ると主張する博士に、仕方なくベッドに潜り込む。枕元に鎮座する元従兄弟・現兄の腕が目に入った。
彼は、自身が持つ穏やかな気質をそのまま表出した、柔和な顔立ちをしている。女顔の部類に入るだろう。
しかし、白衣に隠された腕は、女性のように細いわけではなく立派に筋肉のついた男のそれだ。
けれども、自分自身と比べれば、やはり細い。
「・・・なのに、何であんな力があるんだろうな・・・。」
ぽつりと零してシンタローが、そっと触れた手を見やり、グンマは微笑した。
「さあ? 僕も、わかんないけどね。でも、こういうときは使えるでしょ?」
「バカヤロー。あんなのは二度と御免だ。ガキのとき以来の屈辱だったぞ。」
つい先刻の悪夢が蘇る。あれは人生最初の汚点だ。
照れ隠しの拗ねた口調と、引き合いに出された懐かしい思い出に笑みが深くなる。
「ああ、あれね。今度また、やってみる? もちろん、僕が勝つつもりだけどね――と?」
触れられていた掌が力なく落ちたかと思うと、寝台からは小さな寝息が立っていた。
微かに苦笑し、はみ出ている手を起こさないよう、蒲団に納める。
「・・・無理しすぎなんだよ。シンちゃんは何でも自分で溜め込んじゃうんだから。
少しは頼ってよね。それぐらいの価値はあると思うよ。」
ぽん、と弟が驚異した腕を叩いた。
「おやすみ、シンちゃん。良い夢を。」
流れる黒髪を掻き分け、露わにした額に口付ける。
心なしか、弟は微笑んでいるようだった。
キンタロー編 とは名ばかりの、前半キンシン、後半グン+キン
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【似たもの同士】
シンタローが秘石を持って団から逃げ出したその日の夜、
マジックは眠れずにただじっと自室で窓の外を眺めていた。
夢だと思いたい。
秘石を失った事より、シンタローが 目の前から消えてしまった事の方が
マジックに大きなダメージを与えていた。
きっとあの子は、自分の弟を取り戻したいがためにこんな事をしたに違いない。
もし、両の目に自分と同じように秘石眼を持つ息子の力を恐れて幽閉したのだと
そう言えばシンタローは納得してくれるだろうか。
いいや、そんな事は言い訳に過ぎない。
真相はもっと残酷で幼稚で稚拙なものだ。
シンタローの中で自分より大切なものができるのが、ただ怖かった。
それを傍で見ていたくなかった。
自分がどれ程愚かで酷い事をしているのか、解かっていても
この、狂った感情を消すことが出来なかった。
結果一番大切なものを失ってしまった無様な現状を
マジックは笑わずにはいられなかった。
いつから自分はシンタローを独占したいと思い始めたのだろうか。
あの子が、サービスを慕うようになってからだろうか。
サービス・・・と弟の顔を思い浮かべると同時にずっと昔恋焦がれていたある男の顔が
脳裏に蘇った。
思い出したくない、と首を打ち振るう。
けれど無情にもまだ、彼の影が自分の中に色濃く残っていた。
あぁ、
自分は、あの男とシンタローを重ね合わせているのだろうか。
あの時叶わなかった想いをシンタローを振り向かせる事で成就させようとしているのだろうか。
そんな事はない!
窓を強く割ると、打った方の拳から血が流れた。
後ろのドアが開く。
振り返ればいつも自分の傍について離れない秘書が立っていた。
「誰も部屋に入るなと言ったはずだが」
厳しい口調で諌めるとティラミスはふっ、と笑った。
扉に鍵をかけずにいたのは一体何のためなのかと尋ねられて
マジックは何も言えなくなってしまった。
橙の美しい瞳の中に自分の姿が映りこむ。
頬を撫でる手が心地よい。
愚かな人だと、彼は言った。
自分自身が深く傷つかなければ失ったものの大切さに気付けない人だと。
彼はそう言った。
そうだな、とマジックは苦笑する。
自分はあの頃から何ら成長していない。
いつまで経っても手に入らないものを欲しい、欲しいと駄々を捏ねる子供と同じだ。
自分で自分を殺したくなるのはこれで何度目だろうか。
報われない想いだと知っていてそれでもこんなにも息子を、シンタローを愛している。
いっそ死んでこの地獄の苦しみから抜け出したい。
そんなマジックの思いをティラミスは彼の表情から読み取っていた。
最愛の者から愛されない事がどれ程辛く、惨めか。
マジックと同じ地獄を、ティラミスは痛い程身に染みてよく解かっている。
自分もまた、マジックがシンタローを想うようにマジックを愛していたから。
だからこそ、放っておけなかった。
ティラミスは彼を自分の全身で癒してやりたかった。
例え
マジックが見ているものが自分では無いと知っていても。
シンタローが秘石を持って団から逃げ出したその日の夜、
マジックは眠れずにただじっと自室で窓の外を眺めていた。
夢だと思いたい。
秘石を失った事より、シンタローが 目の前から消えてしまった事の方が
マジックに大きなダメージを与えていた。
きっとあの子は、自分の弟を取り戻したいがためにこんな事をしたに違いない。
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そう言えばシンタローは納得してくれるだろうか。
いいや、そんな事は言い訳に過ぎない。
真相はもっと残酷で幼稚で稚拙なものだ。
シンタローの中で自分より大切なものができるのが、ただ怖かった。
それを傍で見ていたくなかった。
自分がどれ程愚かで酷い事をしているのか、解かっていても
この、狂った感情を消すことが出来なかった。
結果一番大切なものを失ってしまった無様な現状を
マジックは笑わずにはいられなかった。
いつから自分はシンタローを独占したいと思い始めたのだろうか。
あの子が、サービスを慕うようになってからだろうか。
サービス・・・と弟の顔を思い浮かべると同時にずっと昔恋焦がれていたある男の顔が
脳裏に蘇った。
思い出したくない、と首を打ち振るう。
けれど無情にもまだ、彼の影が自分の中に色濃く残っていた。
あぁ、
自分は、あの男とシンタローを重ね合わせているのだろうか。
あの時叶わなかった想いをシンタローを振り向かせる事で成就させようとしているのだろうか。
そんな事はない!
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後ろのドアが開く。
振り返ればいつも自分の傍について離れない秘書が立っていた。
「誰も部屋に入るなと言ったはずだが」
厳しい口調で諌めるとティラミスはふっ、と笑った。
扉に鍵をかけずにいたのは一体何のためなのかと尋ねられて
マジックは何も言えなくなってしまった。
橙の美しい瞳の中に自分の姿が映りこむ。
頬を撫でる手が心地よい。
愚かな人だと、彼は言った。
自分自身が深く傷つかなければ失ったものの大切さに気付けない人だと。
彼はそう言った。
そうだな、とマジックは苦笑する。
自分はあの頃から何ら成長していない。
いつまで経っても手に入らないものを欲しい、欲しいと駄々を捏ねる子供と同じだ。
自分で自分を殺したくなるのはこれで何度目だろうか。
報われない想いだと知っていてそれでもこんなにも息子を、シンタローを愛している。
いっそ死んでこの地獄の苦しみから抜け出したい。
そんなマジックの思いをティラミスは彼の表情から読み取っていた。
最愛の者から愛されない事がどれ程辛く、惨めか。
マジックと同じ地獄を、ティラミスは痛い程身に染みてよく解かっている。
自分もまた、マジックがシンタローを想うようにマジックを愛していたから。
だからこそ、放っておけなかった。
ティラミスは彼を自分の全身で癒してやりたかった。
例え
マジックが見ているものが自分では無いと知っていても。
【すれ違い】
自分が与えられてきた愛情は、当然、
自分の弟にも同じように与えられるものだと思っていた。
周りから見れば父の愛し方は常軌を逸していた部分もあっただろう。
けれど昔は、それに嬉しいとさえ感じていた事もあった。
年が経つにつれ、父の仕事が何であったかを知り、
その他人が流した血で今まで自分は養われていたのかと
そう思うと憤りの念を禁じえなかったが、それでも何処かで父を、
マジックを尊敬していた。
父の背中を追い、父の名に恥じぬよう何事にも努力してきた。
殺し屋と言う家業も、いつしか受け入れていた。
どんなに素っ気無い態度をとってみせても、オレは
今も昔も変わらずにずっとマジックに憧れていたのだ。
それなのに
彼は弟を拒絶した。
愛されるべき対象から突き放された弟の気持ちを思うと
胸が張り裂ける思いだった。
どうして、一族の異端である自分はあんなにも優しく愛してくれたのに
弟の事は愛してくれないのだと、
どんな理由を突きつけられても納得する事ができずに父に抗議した。
マジックの口から出る言葉はどれも理解できないものばかりで
オレの言葉も、父には理解する事ができなかった。
どうしたらオレの言っている事がアンタの耳に届くのだろう。
オレは、アンタを、失望したくないのに・・・。
否、
きっと一生オレはアンタに失望する事ができない。
例えアンタがどんなに最低な事をしているとしても
オレはやっぱり
アンタの子供だから
だから諦めきる事ができないでいるんだ。今も。
とっくに見限って良い筈なのに、それでもまだ、
マジックに期待している自分がいる。
オレの事を大切だと、愛してると言ってくれるなら、
頼むから
弟に会わせてくれ。
オレはこれ以上、弟が悲しい思いをするのも
アンタが人の道に外れていくのも
もう見たくないんだ!!!
――――――――はぁ、と息を零す。
団を抜ける際に持ち出した秘石の入ったリュックを抱えて空を見上げた。
あの男は追いかけて来るだろうか。
そうでなければ困る。
これはあの男を 『父親』に戻すための
最後のチャンスなのだから。
自分が与えられてきた愛情は、当然、
自分の弟にも同じように与えられるものだと思っていた。
周りから見れば父の愛し方は常軌を逸していた部分もあっただろう。
けれど昔は、それに嬉しいとさえ感じていた事もあった。
年が経つにつれ、父の仕事が何であったかを知り、
その他人が流した血で今まで自分は養われていたのかと
そう思うと憤りの念を禁じえなかったが、それでも何処かで父を、
マジックを尊敬していた。
父の背中を追い、父の名に恥じぬよう何事にも努力してきた。
殺し屋と言う家業も、いつしか受け入れていた。
どんなに素っ気無い態度をとってみせても、オレは
今も昔も変わらずにずっとマジックに憧れていたのだ。
それなのに
彼は弟を拒絶した。
愛されるべき対象から突き放された弟の気持ちを思うと
胸が張り裂ける思いだった。
どうして、一族の異端である自分はあんなにも優しく愛してくれたのに
弟の事は愛してくれないのだと、
どんな理由を突きつけられても納得する事ができずに父に抗議した。
マジックの口から出る言葉はどれも理解できないものばかりで
オレの言葉も、父には理解する事ができなかった。
どうしたらオレの言っている事がアンタの耳に届くのだろう。
オレは、アンタを、失望したくないのに・・・。
否、
きっと一生オレはアンタに失望する事ができない。
例えアンタがどんなに最低な事をしているとしても
オレはやっぱり
アンタの子供だから
だから諦めきる事ができないでいるんだ。今も。
とっくに見限って良い筈なのに、それでもまだ、
マジックに期待している自分がいる。
オレの事を大切だと、愛してると言ってくれるなら、
頼むから
弟に会わせてくれ。
オレはこれ以上、弟が悲しい思いをするのも
アンタが人の道に外れていくのも
もう見たくないんだ!!!
――――――――はぁ、と息を零す。
団を抜ける際に持ち出した秘石の入ったリュックを抱えて空を見上げた。
あの男は追いかけて来るだろうか。
そうでなければ困る。
これはあの男を 『父親』に戻すための
最後のチャンスなのだから。
私は余り人に関心を持たないのですが、唯一大好きな人間と大嫌いな人間が居ます。
大好きな人間。
言わずもがなグンマ様。
大嫌いな人間。
シンタロー君。
彼を見て居ると胸の奥が刃物でえぐられるような酷い不快な痛みが過ぎります。
その位大ッ嫌いなのです。
「ドクター、絆創膏ー。」
ガラリと保健室のドアを開けて入って来たのは将来ガンマ団の総帥に一番近い男、シンタロー。
黒目黒髪の青の一族の異端児。
ああ、本来ならば美しい金色の瞳、青い目を持つグンマ様がそのポジションに付くはずだったのに。
そう。私はこの異端児と美しいグンマ様をすり替えました。
サービスに悪行をそそのかされた時、私は何の躊躇もしませんでしたよ。
だってそうでしょう?
私が崇拝して止まないルーザー様にちっとも似ていない彼がルーザー様の息子を名乗るなんて…私には我慢できません。
「はいはい。シンタロー君。そこの棚にありますから勝手に持って行って下さい。」
「ああ…。」
シンタローを見ずに机に向かい高松は何やら書いている。
シンタローは昔からカンの良い子だ。
その為薄々ながらも高松に自分は嫌われていると知っていた。
昔、こんな事があった。
グンマと二人で遊んでいて、シンタローは外で遊びたかったのにグンマは家の中で遊びたいといって口論になった。
じゃあ一人で遊びに行くとシンタローが言った時、行かないでとグンマが泣き出したのだ。
下からダダダと言う騒音と共に高松が上がって来て、勢いよくドアを開ける。
泣いているグンマを見て、高松はシンタローに怒りに燃える視線を投げかけたのだった。
そして理由も聞かずシンタローの襟首を掴む。
体重の軽い子供は大人の腕力でゆうに宙に浮く。
苦しくて足をバタバタさせるシンタローに高松はドスの聞いた声で言った。
「グンマ様を泣かすな。この、青の一族の異端児が!」
今にも殴り掛かりそうだった所をグンマが必死に止め、殴られる事はなかったのだが…。
シンタローは心にショックをおって。
その事は自分と高松とグンマだけの秘密のようになり、父にさえ話す事が出来なかった事を覚えている。
自分だけが覚えているだけであり、高松もグンマも覚えている確証なんてどこにもないのだけれど。
「ナンでアンタ、そんなに俺の事嫌いなの。」
絆創膏を取りながら後ろ向きで高松に問い掛ける。
「嫌い?例えそうだったとしても私は肯定できませんねぇ。この仕事を辞める訳にはいきませんので。」
目を細め涼やかに笑う。
振り返り様見た高松は、笑っていたのではあるが、笑っていないようでもあった。
別に嫌われても構わない。
高松は言わば父の部下であるし、自分には何ら関係ない。
自分が生きていくにおいて居ても居なくても何にも支障のない人間。
ただ、唯一関係があるとすれば従兄弟のグンマの育ての親、というグンマを通じての関係。
でも、気になる存在。
士官学校に行くまで、シンタローの知り合いは父マジック、叔父サービスとハーレム、従兄弟グンマ。
そして医者の高松。
幼い頃から知っている人間の少ないシンタローは、良くも悪くも高松を気になっていた。
「アンタのそれさ、肯定してるように聞こえるんだケド。」
「それはシンタロー君の憶測でしかないですからね。そう思うならご自由に。」
足を組んで真っ直ぐ目を合わす。
黒い瞳がかちあった。
「じゃあそう思うヨ。でさ、アンタ何が気に入らない訳?俺アンタになンかしたか?」
真っ直ぐに見つめてやれどもグンマの事以外はポーカーフェイスの高松。
その心情は読み取る事ができない。
「いいえ?何も。言ったでしょう、それはシンタロー君の憶測でしかないと。私は貴方が嫌いとは言っていませんので返答できかねますね。」
「あ、そ。じゃあアンタにとって俺は好きとか嫌いとかそうゆう感情一切ナシの興味のない存在って事ね!」
特に怒った風でもなく、溜息混じりに言った言葉。
だったのに。
高松のポーカーフェイスが歪んだ。
シンタローの眉がピクリと動く。
やっぱ嫌いなんじゃねーかヨ。
心の中で悪態をついた。
「…どう思うもご自由に。」
やっとの事で搾り出した声。
高松を見るが長い髪に隠されて口元しか見えない。
薄くもなく厚くもないその唇が言葉を紡ぎ出す。
シンタローは少しだけ心が痛んだ。
人間人に嫌われれば誰だって心が痛む。
脳天から鳩尾にかけての嫌な痺れ。
しかも理由も解らないときている。
「まぁ、別にいいけどな。」
さして何でもないように言ってはいるが、本心としては苦しいものがある。
まだほんの若造には痛みがあるものだ。
理由を聞きたい気持ちがあったが、高松がこの調子じゃきっと何も答えてはくれないだろう。
そう思い、シンタローはグッと腹に力を入れて保健室から出て行こうとする。
その時、ガシッと腕を持たれた。
シンタローがびっくりして振り返ると、高松が憎しみを込めた瞳でシンタローを見つめていた。
蘇る幼い頃のショック。
フラッシュバックされたように、あの時の思い出が全て脳裏に写った。
精神的にあの頃の幼い自分になってしまったようで、シンタローは酷く自分が無防備のように思える。
この腕を振りほどかねばと思うのだが、恐怖心から力が出ない。
ブンブンと振り回すが、高松の指に吸盤がくっついているかのようで剥がれないのだ。
シンタローは泣きそうになった。
鼻の奥がツンと痛い。
「私が貴方を嫌いなのではなく、貴方が私を嫌いなのではないんですか?」
腕を掴まれたまま高松に言われて。
シンタローは何も言い返さなかった。
自分は…。
恐怖心と戦いながら思う。
自分は高松が嫌いではない。
幼い頃より知っている数少ない人間の一人だし、大人だ。
ただ、怖い、とは思っている。
嫌いと恐怖はまた違う。
「俺は…ドクターの事嫌いじゃねーヨ…」
目線は合わせず思った事を口にして。
「アンタはどうしてそうなんだ。」
「貴方も…
嫌われていても良いと言っておきながら、どうしてそんなに好意を持っているか持っていないか気にするんですか?」
そう突き付けられて考える。
理由なんかない。
ただ知りたかっただけ。
彼が何が好きで何が嫌いか。
自分はどの位地にいるのか。
そして…嫌われているというのは自分の思い込みだと信じたい気持ち。
解ってはいる…いや、よくは解っていないのだろう。
輪郭ははっきり解るのに霞がかかったように朧げに見える部分もあって。
「ただ…知りたいだけ。」それだけ高松に伝える。
高松は一瞬驚いたような顔をしたが、またいつもの顔に戻った。
皮肉にも見えるニヒルな笑みを口元で作って腕を組み、足を組む。
キィ、と業務用の椅子が声を漏らした。
「まるで恋をしているようですね。」
そう言われた瞬間シンタローの中で何かが弾けた。
まさか。俺が?
恐怖の対象でしかない高松。
小さい頃は彼の一挙一動にビクリと体を震わせていたものだ。
しかし、パズルのピースがピタリと当て嵌まった、そんな感覚を覚える。
揺らぐ瞳で高松を見ると、不機嫌そうにシンタローを見つめていた。
「止めて下さいシンタロー君。冗談ですよ。第一…」そこで高松は言葉を一旦切る。
そして、次に発せられた言葉はシンタローの耳を疑う言葉だった。
「金髪碧眼が私の理想なんです。私と同じ色は全く興味がないんですよ。」
忌ま忌ましげに見つめる瞳、鼻の頭に寄る皺。
ヒクリとシンタローの喉が鳴った。
「なんですか。もしかして期待でもしてらしたんですか?」
何も言えないシンタロー。
当たり前じゃないですか。ルーザー様に似ていない姿形。
そして、性格。
私が好きになるはずないでしょう。
ルーザー様に1番近い筈のアナタはルーザー様の美しさから1番遠い。
苛々します。
アナタのその姿を見るだけで体が怒りで震えるのをいつも我慢しているんですよ。
「ッ!」
シンタローが小さな悲鳴を上げたのは、高松がシンタローの腕を無理矢理ひっばったから。
抱き抱えてベッドに押し倒すと、シャアッと真っ白い清潔なカーテンを勢い良く閉める。
ギシリと悲鳴をあげ、沈むベッドとシンタロー。
黒い短髪が白いシーツにまるで波に浮かんでいるように映えた。
「こうなる事を望んでいらしたんでしょう?」
顎に手をかけ瞳を覗き込むが、やはり真っ黒で。
キツイ瞳が睨みを利かせ、その顔が感情を表に出さないルーザーとは真逆で又苛々する。
「どけ!」
「何でですか?」
「何でじゃねーよ!ふざけんナ!」
「好きな男に抱かれるなら本望でしょう。」
そのまま高松の顔が近づいてくる。
ゾワリ、鳥肌が立った。
それからどうなったか正直覚えていない。
目茶苦茶叫んで暴れて動きまくって、どうにか保健室から逃げ出した。
廊下を思い切り走って、授業なんてすっぽかして、寮の自室へ篭った。
簡素なベッドに机とクローゼット。
ベッドには乗る気になれなくて、地べたに体育座りで膝に額を付けた途端涙が溢れてきた。
怖かったという気持ちもある。
しかし、それ以上に本当に嫌われていたんだという核心に触れてしまって、それがショックだった。
鳴咽を殺しながら、でも涙は止まらなくて、口に広がるしょっぱさと恐怖と愕然とした思いが螺旋のようにぐるぐると回ってシンタローの孤独を包み込む。
腕は先程高松が握った部分が熱くなっていて、滲む瞳で見ると、赤くなっていて、しかも震えている。
「――ッきしょォ…!!」
小さな部屋で一言叫び、シンタローは又膝に顔を埋めたのだった。
一方の高松は冷静な顔でシンタローを押し倒したベッドに座っていた。
しかし、心中は穏やかではなく、虚ろな目でドアの方を向いている。
何故あんな事をしてしまったのか。
自問自答してみても答えなんて出てくる筈もない。
だって。
嫌いだから。憎いから。
自分の崇拝して止まないルーザーの息子が彼にちっとも似ていない事が酷く腹立たしい。
青の一族に黒髪は産まれない。
なのになんだ。
何故ルーザー様に限って。何故ルーザー様だったんだ。
何故産まれてきたんだ。
何故………。
沢山の疑問符と込み上げてくる何か。
喉の奥が苦い。
高松の脳裏に過ぎるのは先程のシンタロー。
力いっぱい拒否をして、泣きそうな顔をして、恐怖で上手く動かない体と口を懸命に動かし拒絶した。
ツキリ。
心臓が痛んだので胸を無意識に触ってみるが、トクトクと心音が手の平から伝わってくるだけ。
口元を上げ、自笑気味に笑おうとした。
「痛ッ―…」
口元に指先を置いてみると、少しぬめっとした感触。
ぬめりの正体を見遣ると、それは血。
ああ、あの時。
無我夢中で逃げようとするシンタローの攻撃が一発入っていたようだ。
それを他人事のように見て、又中を仰ぐ。
嫌いな彼がどうなろうが知った事ではない。
むしろ傷付ける事が出来てよかったじゃないか。
しかし、思いとは裏腹に心臓は先程から針に刺されたようにツキツキと痛む。
苦しい。
そして思い出す。あの時のシンタローの顔を。
あの顔を見て自分は何を思ったか。
不覚にも……劣情をきたしていたではないか。
そして勝手に傷ついた。
傷付いているのは紛れも無くシンタローの方のが強いのに。
手の平を見つめる。
先程迄シンタローの腕を強く握り押し倒した手の平を。
しかし、この感情にはまだ名前が付けられない。
そしてシンタローを憎んでいた気持ちがそう簡単に変わる訳でもない。
例えその理由が自分の押し付けだとしても。
次の日シンタローは学校を休んだ。
理由は体調が優れないからだそうだ。
「高松。シンタローの看病頼んだぞ。」
マジックからの通信が入り内心焦ったがシンタローがマジックにあの事を言った形跡がなかったので墓穴を掘らないよう細心の注意を払う。
正直昨日の今日でシンタローに会いたくないのは高松も同じ。
しかし、上司からの命令なら仕方がない。
医療道具一式を持って堂々と毅然とした態度で態度はシンタローの部屋に向かう。
トントン。
ノックはすれど返事はない。
ガンマ団士官学校は人の出入りがかなり厳しい為、出掛けている可能性はないだろう。
そうなると残る可能性はただ一つ。
居留守…ですか。
ふう、と溜息を吐く。
気持ちは解る。
自分だって会いたくないのだからシンタローにしてみれば余計だろう。
「シンタローくん、開けて下さいませんかね。マジック様に貴方の面倒を見ろと言付けを賜ってるんですよ。」
「………。」
「私に会いたくないのは解りますが、私も仕事でしてね。」
「………。」
「ま、いいでしょう。」
高松はおもむろにポケットをごそごそと調べ始めた。
指先に当たる金属の感触。
目当てのものらしく、それを握り閉め、取り出す。
キラリと鈍色に光るそれはシンタローの部屋の鍵。
高松は士官学校の教師でもある。
その為、ある一定の条件が揃えば生徒の部屋の鍵を借りる事だってできるのだ。
今回の条件は十二分だった。
何せガンマ団総帥マジックから直々にシンタローを診るようにと言われたのだから。
もしかしたらシンタローが起きられない程具合が悪いかもしれないので鍵を貸して欲しいといえば、すんなりと鍵が手に入るのだ。
その鍵をガチャガチャと鍵穴につっこむ。
カチャン、と音がして鍵が開いた。
中を覗いて見るがシンタローの姿は見つからない。
ベッドには先程迄寝ていたのであろう痕跡。
ギシリと音を立てて部屋に入る。
トイレ、バスルーム、ベッドの下。
何処にもシンタローは居なかった。
そう。シンタローはクローゼットの中に入っていたのだ。
ガクガクと震える足。
ほんの少しだけ開いている隙間から高松の様子を伺う。
トイレ、バスルーム、ベッドの下に隠れる場所を選ばなかったのは、もし開かれても戦える場所、そして、開かれても見つかり難い場所だったから。
しかし、以上の場所に居ないとなると、もう人が入れそうな場所はクローゼットの中しかない。
シンタローは嫌な汗をかきながら、強く拳を握る。
ガタン。
扉が開かれ、明るい光が差し込んだ。
眩しさに目が眩んだと同時に腕を引き寄せられクローゼットから出された。
ツンと香る保健室独特の薬品の匂い。
握られた場所。
倒されたベッド。
一瞬にしてフラッシュバックする昨日の出来事。
しかし、涙は見せない。見せたくない。
「シンタローくん。仮病はダメですよ。」
見下ろされる。
「離せ。」
これ以上付き纏わないで。
アンタが俺の想いを気付かせて、酷い事、したんダロ。
これ以上俺を気付けたいか。
悪趣味な奴。
「昨日の話しの続きをさせて下さい。」
震えているのに気丈に振る舞うシンタローを見て、高松は心が痛かった。
ルーザーには似ていない彼をここまで執着していた。
「私はアナタの事が嫌いでした。憎い程ね。だってアナタは青の一族なのに全く異質なんですよ。1番青の血が濃いマジック総帥の血を引いているのに、です。」
一瞬ルーザーの名前を出しそうになり、慌ててマジックに変えた。
幸いパニック気味のシンタローには慌てた感は見破られなかったが。
「だから私はアナタの従兄弟のグンマ様を可愛がった。あの、ルーザー様のお子様でもありますしね。」
「嫌いなら嫌いでもういいから、部屋から出てげ!」
「でも、アナタは優しかった。」
「………。」
悲しそうに笑う高松に、シンタローは顔を歪ませた。
「大人が子供に対する態度ではない事は知ってましたよ。私は貴方に冷たく当たってきた。なのに貴方は私を好きだと」
「思ってねぇよ。」
高松の言葉を遮り悪態をつく。
「ふざけた事ぬかすな。離せ!」
「私はこの感情に戸惑っています。この感情がなんなのかおおよそ察しはついていますが、はっきりとした結論は出ていません。でも、これだけは言わせて下さい。」
高松は一旦言葉を区切り、深く息を吸った。
長く黒い髪がサラリと揺れ流れる。
「昨日はすみませんでした。」
それだけ真顔でシンタローに言う。
真剣な高松の顔など久しぶりに見たので、シンタローは固まった。
なんと答えて良いか解らないというのが本音だ。
「アナタも私もハイそうですか、と、いきなり態度を変えるのは難しいと思いますし、何年もの思いの整理は時間がかかると思います。私もアナタに好かれる人間になるように努力しますよ。」
そう言って、シンタローの頬に少しだけ指先を触れた。
直ぐに離れて行く指先をシンタローはじっと見つめたが、高松は少しだけ笑って医療道具を持ち、シンタローの部屋から出ていく。
その後ろ姿をじっと見つめていたが、高松は振り返る事なくシンタローの部屋を出た。
お互い一人になってから、先程相手に触られていた場所に指を這わせる。
昨日とは違う思いと、何かが変わる予感。
無意識のうちに上がる口角。
新しい風は直ぐそこまで来ていて、その風に乗れるか否かは自分次第ということだろう。
故人に思い入れし過ぎて大切なものを見失いそうになった大人と、そんな大人に過ちを気付かせた子供と。
ようやく歯車が噛み合って勢いよく回り出す。
だが、この気持ちの名前はまだ知らない。
大好きな人間。
言わずもがなグンマ様。
大嫌いな人間。
シンタロー君。
彼を見て居ると胸の奥が刃物でえぐられるような酷い不快な痛みが過ぎります。
その位大ッ嫌いなのです。
「ドクター、絆創膏ー。」
ガラリと保健室のドアを開けて入って来たのは将来ガンマ団の総帥に一番近い男、シンタロー。
黒目黒髪の青の一族の異端児。
ああ、本来ならば美しい金色の瞳、青い目を持つグンマ様がそのポジションに付くはずだったのに。
そう。私はこの異端児と美しいグンマ様をすり替えました。
サービスに悪行をそそのかされた時、私は何の躊躇もしませんでしたよ。
だってそうでしょう?
私が崇拝して止まないルーザー様にちっとも似ていない彼がルーザー様の息子を名乗るなんて…私には我慢できません。
「はいはい。シンタロー君。そこの棚にありますから勝手に持って行って下さい。」
「ああ…。」
シンタローを見ずに机に向かい高松は何やら書いている。
シンタローは昔からカンの良い子だ。
その為薄々ながらも高松に自分は嫌われていると知っていた。
昔、こんな事があった。
グンマと二人で遊んでいて、シンタローは外で遊びたかったのにグンマは家の中で遊びたいといって口論になった。
じゃあ一人で遊びに行くとシンタローが言った時、行かないでとグンマが泣き出したのだ。
下からダダダと言う騒音と共に高松が上がって来て、勢いよくドアを開ける。
泣いているグンマを見て、高松はシンタローに怒りに燃える視線を投げかけたのだった。
そして理由も聞かずシンタローの襟首を掴む。
体重の軽い子供は大人の腕力でゆうに宙に浮く。
苦しくて足をバタバタさせるシンタローに高松はドスの聞いた声で言った。
「グンマ様を泣かすな。この、青の一族の異端児が!」
今にも殴り掛かりそうだった所をグンマが必死に止め、殴られる事はなかったのだが…。
シンタローは心にショックをおって。
その事は自分と高松とグンマだけの秘密のようになり、父にさえ話す事が出来なかった事を覚えている。
自分だけが覚えているだけであり、高松もグンマも覚えている確証なんてどこにもないのだけれど。
「ナンでアンタ、そんなに俺の事嫌いなの。」
絆創膏を取りながら後ろ向きで高松に問い掛ける。
「嫌い?例えそうだったとしても私は肯定できませんねぇ。この仕事を辞める訳にはいきませんので。」
目を細め涼やかに笑う。
振り返り様見た高松は、笑っていたのではあるが、笑っていないようでもあった。
別に嫌われても構わない。
高松は言わば父の部下であるし、自分には何ら関係ない。
自分が生きていくにおいて居ても居なくても何にも支障のない人間。
ただ、唯一関係があるとすれば従兄弟のグンマの育ての親、というグンマを通じての関係。
でも、気になる存在。
士官学校に行くまで、シンタローの知り合いは父マジック、叔父サービスとハーレム、従兄弟グンマ。
そして医者の高松。
幼い頃から知っている人間の少ないシンタローは、良くも悪くも高松を気になっていた。
「アンタのそれさ、肯定してるように聞こえるんだケド。」
「それはシンタロー君の憶測でしかないですからね。そう思うならご自由に。」
足を組んで真っ直ぐ目を合わす。
黒い瞳がかちあった。
「じゃあそう思うヨ。でさ、アンタ何が気に入らない訳?俺アンタになンかしたか?」
真っ直ぐに見つめてやれどもグンマの事以外はポーカーフェイスの高松。
その心情は読み取る事ができない。
「いいえ?何も。言ったでしょう、それはシンタロー君の憶測でしかないと。私は貴方が嫌いとは言っていませんので返答できかねますね。」
「あ、そ。じゃあアンタにとって俺は好きとか嫌いとかそうゆう感情一切ナシの興味のない存在って事ね!」
特に怒った風でもなく、溜息混じりに言った言葉。
だったのに。
高松のポーカーフェイスが歪んだ。
シンタローの眉がピクリと動く。
やっぱ嫌いなんじゃねーかヨ。
心の中で悪態をついた。
「…どう思うもご自由に。」
やっとの事で搾り出した声。
高松を見るが長い髪に隠されて口元しか見えない。
薄くもなく厚くもないその唇が言葉を紡ぎ出す。
シンタローは少しだけ心が痛んだ。
人間人に嫌われれば誰だって心が痛む。
脳天から鳩尾にかけての嫌な痺れ。
しかも理由も解らないときている。
「まぁ、別にいいけどな。」
さして何でもないように言ってはいるが、本心としては苦しいものがある。
まだほんの若造には痛みがあるものだ。
理由を聞きたい気持ちがあったが、高松がこの調子じゃきっと何も答えてはくれないだろう。
そう思い、シンタローはグッと腹に力を入れて保健室から出て行こうとする。
その時、ガシッと腕を持たれた。
シンタローがびっくりして振り返ると、高松が憎しみを込めた瞳でシンタローを見つめていた。
蘇る幼い頃のショック。
フラッシュバックされたように、あの時の思い出が全て脳裏に写った。
精神的にあの頃の幼い自分になってしまったようで、シンタローは酷く自分が無防備のように思える。
この腕を振りほどかねばと思うのだが、恐怖心から力が出ない。
ブンブンと振り回すが、高松の指に吸盤がくっついているかのようで剥がれないのだ。
シンタローは泣きそうになった。
鼻の奥がツンと痛い。
「私が貴方を嫌いなのではなく、貴方が私を嫌いなのではないんですか?」
腕を掴まれたまま高松に言われて。
シンタローは何も言い返さなかった。
自分は…。
恐怖心と戦いながら思う。
自分は高松が嫌いではない。
幼い頃より知っている数少ない人間の一人だし、大人だ。
ただ、怖い、とは思っている。
嫌いと恐怖はまた違う。
「俺は…ドクターの事嫌いじゃねーヨ…」
目線は合わせず思った事を口にして。
「アンタはどうしてそうなんだ。」
「貴方も…
嫌われていても良いと言っておきながら、どうしてそんなに好意を持っているか持っていないか気にするんですか?」
そう突き付けられて考える。
理由なんかない。
ただ知りたかっただけ。
彼が何が好きで何が嫌いか。
自分はどの位地にいるのか。
そして…嫌われているというのは自分の思い込みだと信じたい気持ち。
解ってはいる…いや、よくは解っていないのだろう。
輪郭ははっきり解るのに霞がかかったように朧げに見える部分もあって。
「ただ…知りたいだけ。」それだけ高松に伝える。
高松は一瞬驚いたような顔をしたが、またいつもの顔に戻った。
皮肉にも見えるニヒルな笑みを口元で作って腕を組み、足を組む。
キィ、と業務用の椅子が声を漏らした。
「まるで恋をしているようですね。」
そう言われた瞬間シンタローの中で何かが弾けた。
まさか。俺が?
恐怖の対象でしかない高松。
小さい頃は彼の一挙一動にビクリと体を震わせていたものだ。
しかし、パズルのピースがピタリと当て嵌まった、そんな感覚を覚える。
揺らぐ瞳で高松を見ると、不機嫌そうにシンタローを見つめていた。
「止めて下さいシンタロー君。冗談ですよ。第一…」そこで高松は言葉を一旦切る。
そして、次に発せられた言葉はシンタローの耳を疑う言葉だった。
「金髪碧眼が私の理想なんです。私と同じ色は全く興味がないんですよ。」
忌ま忌ましげに見つめる瞳、鼻の頭に寄る皺。
ヒクリとシンタローの喉が鳴った。
「なんですか。もしかして期待でもしてらしたんですか?」
何も言えないシンタロー。
当たり前じゃないですか。ルーザー様に似ていない姿形。
そして、性格。
私が好きになるはずないでしょう。
ルーザー様に1番近い筈のアナタはルーザー様の美しさから1番遠い。
苛々します。
アナタのその姿を見るだけで体が怒りで震えるのをいつも我慢しているんですよ。
「ッ!」
シンタローが小さな悲鳴を上げたのは、高松がシンタローの腕を無理矢理ひっばったから。
抱き抱えてベッドに押し倒すと、シャアッと真っ白い清潔なカーテンを勢い良く閉める。
ギシリと悲鳴をあげ、沈むベッドとシンタロー。
黒い短髪が白いシーツにまるで波に浮かんでいるように映えた。
「こうなる事を望んでいらしたんでしょう?」
顎に手をかけ瞳を覗き込むが、やはり真っ黒で。
キツイ瞳が睨みを利かせ、その顔が感情を表に出さないルーザーとは真逆で又苛々する。
「どけ!」
「何でですか?」
「何でじゃねーよ!ふざけんナ!」
「好きな男に抱かれるなら本望でしょう。」
そのまま高松の顔が近づいてくる。
ゾワリ、鳥肌が立った。
それからどうなったか正直覚えていない。
目茶苦茶叫んで暴れて動きまくって、どうにか保健室から逃げ出した。
廊下を思い切り走って、授業なんてすっぽかして、寮の自室へ篭った。
簡素なベッドに机とクローゼット。
ベッドには乗る気になれなくて、地べたに体育座りで膝に額を付けた途端涙が溢れてきた。
怖かったという気持ちもある。
しかし、それ以上に本当に嫌われていたんだという核心に触れてしまって、それがショックだった。
鳴咽を殺しながら、でも涙は止まらなくて、口に広がるしょっぱさと恐怖と愕然とした思いが螺旋のようにぐるぐると回ってシンタローの孤独を包み込む。
腕は先程高松が握った部分が熱くなっていて、滲む瞳で見ると、赤くなっていて、しかも震えている。
「――ッきしょォ…!!」
小さな部屋で一言叫び、シンタローは又膝に顔を埋めたのだった。
一方の高松は冷静な顔でシンタローを押し倒したベッドに座っていた。
しかし、心中は穏やかではなく、虚ろな目でドアの方を向いている。
何故あんな事をしてしまったのか。
自問自答してみても答えなんて出てくる筈もない。
だって。
嫌いだから。憎いから。
自分の崇拝して止まないルーザーの息子が彼にちっとも似ていない事が酷く腹立たしい。
青の一族に黒髪は産まれない。
なのになんだ。
何故ルーザー様に限って。何故ルーザー様だったんだ。
何故産まれてきたんだ。
何故………。
沢山の疑問符と込み上げてくる何か。
喉の奥が苦い。
高松の脳裏に過ぎるのは先程のシンタロー。
力いっぱい拒否をして、泣きそうな顔をして、恐怖で上手く動かない体と口を懸命に動かし拒絶した。
ツキリ。
心臓が痛んだので胸を無意識に触ってみるが、トクトクと心音が手の平から伝わってくるだけ。
口元を上げ、自笑気味に笑おうとした。
「痛ッ―…」
口元に指先を置いてみると、少しぬめっとした感触。
ぬめりの正体を見遣ると、それは血。
ああ、あの時。
無我夢中で逃げようとするシンタローの攻撃が一発入っていたようだ。
それを他人事のように見て、又中を仰ぐ。
嫌いな彼がどうなろうが知った事ではない。
むしろ傷付ける事が出来てよかったじゃないか。
しかし、思いとは裏腹に心臓は先程から針に刺されたようにツキツキと痛む。
苦しい。
そして思い出す。あの時のシンタローの顔を。
あの顔を見て自分は何を思ったか。
不覚にも……劣情をきたしていたではないか。
そして勝手に傷ついた。
傷付いているのは紛れも無くシンタローの方のが強いのに。
手の平を見つめる。
先程迄シンタローの腕を強く握り押し倒した手の平を。
しかし、この感情にはまだ名前が付けられない。
そしてシンタローを憎んでいた気持ちがそう簡単に変わる訳でもない。
例えその理由が自分の押し付けだとしても。
次の日シンタローは学校を休んだ。
理由は体調が優れないからだそうだ。
「高松。シンタローの看病頼んだぞ。」
マジックからの通信が入り内心焦ったがシンタローがマジックにあの事を言った形跡がなかったので墓穴を掘らないよう細心の注意を払う。
正直昨日の今日でシンタローに会いたくないのは高松も同じ。
しかし、上司からの命令なら仕方がない。
医療道具一式を持って堂々と毅然とした態度で態度はシンタローの部屋に向かう。
トントン。
ノックはすれど返事はない。
ガンマ団士官学校は人の出入りがかなり厳しい為、出掛けている可能性はないだろう。
そうなると残る可能性はただ一つ。
居留守…ですか。
ふう、と溜息を吐く。
気持ちは解る。
自分だって会いたくないのだからシンタローにしてみれば余計だろう。
「シンタローくん、開けて下さいませんかね。マジック様に貴方の面倒を見ろと言付けを賜ってるんですよ。」
「………。」
「私に会いたくないのは解りますが、私も仕事でしてね。」
「………。」
「ま、いいでしょう。」
高松はおもむろにポケットをごそごそと調べ始めた。
指先に当たる金属の感触。
目当てのものらしく、それを握り閉め、取り出す。
キラリと鈍色に光るそれはシンタローの部屋の鍵。
高松は士官学校の教師でもある。
その為、ある一定の条件が揃えば生徒の部屋の鍵を借りる事だってできるのだ。
今回の条件は十二分だった。
何せガンマ団総帥マジックから直々にシンタローを診るようにと言われたのだから。
もしかしたらシンタローが起きられない程具合が悪いかもしれないので鍵を貸して欲しいといえば、すんなりと鍵が手に入るのだ。
その鍵をガチャガチャと鍵穴につっこむ。
カチャン、と音がして鍵が開いた。
中を覗いて見るがシンタローの姿は見つからない。
ベッドには先程迄寝ていたのであろう痕跡。
ギシリと音を立てて部屋に入る。
トイレ、バスルーム、ベッドの下。
何処にもシンタローは居なかった。
そう。シンタローはクローゼットの中に入っていたのだ。
ガクガクと震える足。
ほんの少しだけ開いている隙間から高松の様子を伺う。
トイレ、バスルーム、ベッドの下に隠れる場所を選ばなかったのは、もし開かれても戦える場所、そして、開かれても見つかり難い場所だったから。
しかし、以上の場所に居ないとなると、もう人が入れそうな場所はクローゼットの中しかない。
シンタローは嫌な汗をかきながら、強く拳を握る。
ガタン。
扉が開かれ、明るい光が差し込んだ。
眩しさに目が眩んだと同時に腕を引き寄せられクローゼットから出された。
ツンと香る保健室独特の薬品の匂い。
握られた場所。
倒されたベッド。
一瞬にしてフラッシュバックする昨日の出来事。
しかし、涙は見せない。見せたくない。
「シンタローくん。仮病はダメですよ。」
見下ろされる。
「離せ。」
これ以上付き纏わないで。
アンタが俺の想いを気付かせて、酷い事、したんダロ。
これ以上俺を気付けたいか。
悪趣味な奴。
「昨日の話しの続きをさせて下さい。」
震えているのに気丈に振る舞うシンタローを見て、高松は心が痛かった。
ルーザーには似ていない彼をここまで執着していた。
「私はアナタの事が嫌いでした。憎い程ね。だってアナタは青の一族なのに全く異質なんですよ。1番青の血が濃いマジック総帥の血を引いているのに、です。」
一瞬ルーザーの名前を出しそうになり、慌ててマジックに変えた。
幸いパニック気味のシンタローには慌てた感は見破られなかったが。
「だから私はアナタの従兄弟のグンマ様を可愛がった。あの、ルーザー様のお子様でもありますしね。」
「嫌いなら嫌いでもういいから、部屋から出てげ!」
「でも、アナタは優しかった。」
「………。」
悲しそうに笑う高松に、シンタローは顔を歪ませた。
「大人が子供に対する態度ではない事は知ってましたよ。私は貴方に冷たく当たってきた。なのに貴方は私を好きだと」
「思ってねぇよ。」
高松の言葉を遮り悪態をつく。
「ふざけた事ぬかすな。離せ!」
「私はこの感情に戸惑っています。この感情がなんなのかおおよそ察しはついていますが、はっきりとした結論は出ていません。でも、これだけは言わせて下さい。」
高松は一旦言葉を区切り、深く息を吸った。
長く黒い髪がサラリと揺れ流れる。
「昨日はすみませんでした。」
それだけ真顔でシンタローに言う。
真剣な高松の顔など久しぶりに見たので、シンタローは固まった。
なんと答えて良いか解らないというのが本音だ。
「アナタも私もハイそうですか、と、いきなり態度を変えるのは難しいと思いますし、何年もの思いの整理は時間がかかると思います。私もアナタに好かれる人間になるように努力しますよ。」
そう言って、シンタローの頬に少しだけ指先を触れた。
直ぐに離れて行く指先をシンタローはじっと見つめたが、高松は少しだけ笑って医療道具を持ち、シンタローの部屋から出ていく。
その後ろ姿をじっと見つめていたが、高松は振り返る事なくシンタローの部屋を出た。
お互い一人になってから、先程相手に触られていた場所に指を這わせる。
昨日とは違う思いと、何かが変わる予感。
無意識のうちに上がる口角。
新しい風は直ぐそこまで来ていて、その風に乗れるか否かは自分次第ということだろう。
故人に思い入れし過ぎて大切なものを見失いそうになった大人と、そんな大人に過ちを気付かせた子供と。
ようやく歯車が噛み合って勢いよく回り出す。
だが、この気持ちの名前はまだ知らない。
その甘やかに響く声に蕩け落ちる。
そのすべらかな指先に熱を奪われる。
触れて交わし合う度に体内に篭る筈の熱は全て奪われて、ただただ凍える冷たさだけが残る。
これは全て悪いことだから。
俺が悪いものだから。
だから、あの人の繊細な指は美しい身体は熱くなることがないのだ。
そして俺だけがどんどん熱を昂ぶらせて開放を求める。
なんて…。
なんて………。
こんなことを続けていい筈がない。
こんなことをしていていい筈がない。
あの人がこんなことをするのは俺が悪いから。
あの人が冷たいままなのは俺が熱くすることができないから。
きっと昔、あの人と熱を共にした人が居たというのに。
いくら外見が似ていても、違うものなのだと思い知らされる。
同じであればよかったのに。
同じであれば、あの人に熱を与えることができたのに。
実際には俺の熱はあの人に奪われるだけで。
あの人はずっと冷たく凍えたままなのだ。
あなたを温めたいのに。
あなたは望んでいないだろうけれど。
それでもあなたを温めたいんだ。
あなたの望みを叶えようとして、どんどん俺が冷たくなっていくのを感じる。
俺の望みを呑み込む度に、俺の熱があなたに伝わらないことを感じる。
もうやめよう。
そう言えたらどんなにいいか。
あなたの指や声に侵された自分に言えるはずもなく。
もうその指や声を失うことなど考えたくなくなるほどに、溺れて染められていく。
侵され、あなたと触れる肌の距離はこんなにも近い筈なのに、初めて会って見上げた時よりも遠く感じられて。
肌を重ねる度に苦しさは増していくけれども、離れられない。
苦痛は嫌悪ではないから。
こんな苦痛を誰にも悟られてはいけない、と抱え込む。
胃がぎりりと音を立てて軋む。
この音はあの人にも悟られないように。
そうして更に冷たさが増していく。
温もりを求めて触れ合う行為がどうしてここまで冷たい?
いつか温められたらいいのに。