いつ果てるか知れないデスクワークに、いい加減嫌気が差し、小休止を入れた。
椅子を半回転させると、眼前に広がる、吸い込まれそうな青と、その合間を縫う白が酷使した目に沁みる。
それらをぼんやりと眺めているうちに、いつの間にか現実世界から意識が離れていたらしい。
『シンちゃん、――しよう!』
『うわーいっ! 僕が勝ったー!』
「ありえねえっ!! 俺は認めねーぞっ!」
焦って叫んだ先に、訝しく眉を顰める碧眼があった。
兄と弟 ―シンタロー編―
「・・・何を認めないんだ?」
「・・・あー・・・俺、寝てた?」
薄靄が掛かっている脳でも、目の前の従兄弟兼補佐官の手にある毛布と、背もたれから勢いつけて起こした上半身の体勢から、先程まで眠っていたと推測する。
「ああ、寝ていた。――で、何を認めないんだ?」
補佐官は律儀に質問に応じてから、また同じ問いを投げた。それに総帥は、苦虫を噛む貌を作る。
答の内容が自尊心に強く根付いている為、出来ることならスルーを願う。
しかし、それが通じる相手ではないことは充分承知している。
(こういう生真面目なところ、子供だよな。空気を読めよ。)
幼子が何でも知りたがる、『どうして?』攻撃が、この28歳男にあるのだ。まあ、中身4歳児だから仕方のないことなのかもしれない。
正真正銘子供にも、実質子供にも、とにかく年下に甘い自覚はある。そんな己を呪いながら、シンタローは徐に利き腕側の肘を机についた。
「・・・これ、覚えてねえか?」
軽く手首を振る。この動作で示唆する事柄を自発的に気づいて欲しい。
言葉で回答するのは簡単だが、それが『認める』ことになりそうで、自然と口は重くなる。
じっとその腕を見つめ、眉根を寄せる従兄弟は記憶の引網漁中だろう。
暫くした後、ゆっくりとした返答があった。
「――いや、残念ながら。」
「そうか・・・。」
ふたりは24年間を共有している。なので、基本的にそれまでの記憶も同一なのだ。
ただ、このように特殊な生い立ちでなくとも、人間は記憶を全て引き出せるわけではない。
同じものを所有していても、それが個々別に忘却の彼方となっていることは、別段おかしくはない。逆にシンタローが忘れ去ってしまっているそれを、キンタローは覚えている場合もある。
ここが、肉体はひとつでも人格はふたつ備わっていたのだと実感する。
このことで落胆はしないが、それにより説明をしなくてはならない状態に気が滅入る。
盛大な溜息で踏ん切りをつけ、シンタローは貝の口を開けた。
「いくつだったかな・・・かなりガキの頃だと思うが、グンマと――。」
と、ここまで切り出したが、またしても閉ざす。
への字に曲げる総帥に構うことなく、
「グンマと?」
先を促す補佐官。やはり空気が読めない。
「~~~、あーもう、あのバカ!! バカなのは頭ン中だけにしろっ!」
忌々しげにガシガシと頭を掻き毟り、ここに不在の博士を扱き下ろす。半分冗談の親愛表現ではあるが、結構な言われようだ。
ちなみに半分は本気である。それは件の人の日常行動を慮れば、至極当然の感想だろう。
「何で、あんなバカ力なんだか――。」
「悪かったね。そんなにバカバカ言わなくてもいいじゃない。」
入り口から男にしては高い、ハスキーな女声に近い、第三者の受け答えが割って入る。
驚いて目を向ける先には、(団内に於いては)小柄な白衣の人物が膨れ面で扉にもたれていた。
「グンマ!? オマエ、いつの間に!?」
「これ。」
驚愕の問いには答えず、グンマは持参した紙の小箱を持ち上げ見せる。
「ケーキ貰ったから皆で食べようと思って来たのにさ。」
ぷくりと頬を膨らませる表情は、普段の幼さに拍車を掛けた。
「――にしても、一言声を掛けるくらい――。」
「掛けました! でもふたりとも何か話してて気づかないし、シンちゃんは僕をバカって言うし。」
じとっとねめつける視線に、シンタローは気まずそうに咳払いひとつ。
「バカをバカと言って、何が悪い。」
全く悪びれることなく却って開き直る。まさしく俺様体質である。それに、『バカ』とランク付けされた者は、ますます怒りを露わにし河豚の頬になった。
ずかずかと大股で部屋の主へと突進する。
だん、と手荷物を机に押し付け置く様に、傍らに佇む補佐官は、中身が崩れたのではないかと案じた。
「なっ、何だよ・・・。」
さすがに言い過ぎた感のある総帥は、反抗の態度を見せはしても、それは虚勢に過ぎない。憤慨する相手に対する負い目から、口とは裏腹に身体が引いている。
大きな双眸を吊り上げ、ありありと怒りの形相を表したグンマは、だかしかし、シンタローの顔を睨みつけたかと思うと、いきなり両手でその頬を挟みこみ、力任せに引き寄せた。
「いてっ!!」
「顔色が悪い。」
「は?」
てっきり罵声が飛んでくるものだと想定していたシンタローは、そしてキンタローも、見事に予想が外れ、間抜けな声と表情しか反応できなかった。
そんなふたりに構うことなくグンマは続ける。
「ちゃんと寝てるの? 昨夜は部屋に戻った?」
「――ンな、ヤワじゃねえよ。」
実は急ぎの処理があって、昨夜は執務室泊りだった。漸く明け方に、この部屋の応接ソファで数時間の仮眠を摂ったくらいだ。
詰問への返事が肯定していることに、この総帥は気づいていない。善意にはとことん無防備になることを自覚していないようだ。
間近にある碧眼が険しくなる。
「寝てないんだ。」
「完徹ってワケじゃねえ。少しは寝たぜ!」
「それは認めていることと同じだぞ。シンタロー。」
子供じみた言い訳にすかさず突っ込みが入る。鋭いんだか鈍いんだか、妙なところで天然な補佐官に舌打ちする。
詰問者は、その天然従兄弟が未だ携えている毛布を一瞥した。
「――察するに、昼寝したんだね? きちんと睡眠を摂らないから、身体がもてなくなっているんだよ!」
ぎゃんぎゃんと、母親の小言のような叱咤に、思わずシンタローも喧嘩腰になってしまった。
「るせえなっ! ほんのちょっとだよ! そんなに騒ぐほどじゃねえぞっ!」
「いや、結構――。」
またしても空気の読めない横槍の介入を、シンタローはギロリと目線で制する。
「どっちでもいいよ。疲れているのは間違いないんだから、もう今日は寝なよ。」
やや呆れ気味に申し渡されたそれが、プライド高いシンタローの勘に障った。
「うるせえっ!! 俺はそんなに暇じゃねえんだ! 寝ねえと言ったら寝ねえっ!!」
最早駄々っ子の域になった意固地さに、グンマは、ぺち、と掴んでいた頬を軽く叩いて手を離した。
そして、律動的な歩調で机を迂回し、子供な総帥に歩み寄る。
「グンマ・・・?」
静かに、明らかに怒っている。再び説教が始まるかと、不貞腐れた貌で迎え撃つシンタローは、この後、過去に味わった屈辱以上のものが待ち構えているなどと、露程も思っていなかった。
「何だよ。何言っても寝ねえからな!」
先制攻撃の威嚇。しかしながら相手は口頭での応戦ではなく、実力行使に出た。
「へ?」
一瞬、シンタローは、何が何だか状況が掴めなかった。
顔に金糸が掛かったと認識した直後、全身に浮遊感が襲った。
グンマは椅子に腰掛けているシンタローの背と膝裏に素早く腕を滑り込ませ、
「よっ、と。」
そのまま抱き上げたのである。
これには傍観するキンタローも言葉が出ない。グンマがシンタローを、所謂お姫様抱きしているのである。
ふたりは体格の違いが歴然としている。
192㎝のシンタローに、174㎝のグンマ。しかもシンタローは体術に長けているので、相応の体躯を持つ。
反して研究員のグンマは、貧弱とは言わないが、シンタローとは明確に身体の作りが違う。
そんな彼が軽々と、自分より体格の有利な者を担いでいるのだ。
これが反対ならば、何の驚きもないが――。
「――っ、ちょ、降ろせよ、グンマっ!!」
自身のおかれた状態に、手足をじたばたと暴れさせるシンタロー。焦りに顔中真っ赤に染めている。
それを、涼しい顔でグンマは却下した。
「だーめ。シンちゃん、言うこと聞かないもん。」
「聞くっ! 聞きます! だから、降ろせっ!!」
「そう言って、聞かないからね。シンちゃんは。
なので、今日はこのまま部屋に連れて行きます。」
その宣言は、俺様総帥を青褪めさせるに充分な威力を持つ。
「冗談じゃないぞっ!! 降ろしやがれっ、バカグンマ!」
傍からでも必死さが窺える暴れっぷりなのだが、それを、ものともしない博士。
「バカで結構ですぅ。シンちゃんよりはマシだよ。」
しれっと192㎝・83㎏を抱え、グンマは出口へと向かった。
途中、
「後の仕事、キンちゃんにお願いしていい?」
「あ、ああ・・・。」
「そ。よかった。よろしくね。」
いつもと変らない、少女めいた笑顔。
違うと言えば――腕の中に総帥がいることだ――。
「よろしくじゃないっ! おい、キンタロー!! オマエも見てないで止めろっ!」
唖然と見送る補佐官に助けを求める怒声が投げられるが、彼には届いていなかった。目の前で繰り広げられる光景に、度肝を抜かれてしまっている。
「はーなーせー!! この、バカ力―!!」
諦め悪い抵抗が尾を引いて去っていく。
「・・・! ああ!」
数分後、ひとり残された補佐官が、ぽんと手を打った。
自室に辿りついた頃には、もう抵抗する気力は残っていなかった。
総帥室から一族のプライベートゾーンは直通している。が、それでも全く誰にも出会わないということは稀である。
先ず秘書官の前を通らずにはいられない。
「・・・グンマ博士、これは・・・?」
「うん。シンちゃん、お疲れ気味だから部屋に連れて行くよ。」
「・・・そうですか・・・お大事に・・・。」
「そっ、総帥にグンマ博士――!」
「あー、お疲れ様―。」
あのときの秘書官たちや団員の、奇異な眼差しは本当に居た堪れなかった。穴があったら、いや掘ってでも入りたい衝動に駆られた。
飄々と歩むグンマと対照的に、シンタローは声も出せず、羞恥に火照った顔を俯かせるしかなかった。
それでも、父親に出会わなかっただけでも良しとしよう。
次男(ということで)に異常な愛情を注ぐ彼である。こんな姿を見られたら、どんな騒動になるか、想像もつかない。
ぐったりと気疲れしたシンタローを、
「だから言ったでしょ。人間、寝ないといけないんだよ?」
と見当違いの窘めに悪態をつくことさえ、もうどうでもよかった。
とすん、と丁寧に寝台に降ろされ、最後のお小言がある。
「はい、ちゃんと着替えて。今日はもう何もしないように。」
「へーい・・・。」
こうなりゃ自棄で、シンタローは素直に従った。
眠るまで見張ると主張する博士に、仕方なくベッドに潜り込む。枕元に鎮座する元従兄弟・現兄の腕が目に入った。
彼は、自身が持つ穏やかな気質をそのまま表出した、柔和な顔立ちをしている。女顔の部類に入るだろう。
しかし、白衣に隠された腕は、女性のように細いわけではなく立派に筋肉のついた男のそれだ。
けれども、自分自身と比べれば、やはり細い。
「・・・なのに、何であんな力があるんだろうな・・・。」
ぽつりと零してシンタローが、そっと触れた手を見やり、グンマは微笑した。
「さあ? 僕も、わかんないけどね。でも、こういうときは使えるでしょ?」
「バカヤロー。あんなのは二度と御免だ。ガキのとき以来の屈辱だったぞ。」
つい先刻の悪夢が蘇る。あれは人生最初の汚点だ。
照れ隠しの拗ねた口調と、引き合いに出された懐かしい思い出に笑みが深くなる。
「ああ、あれね。今度また、やってみる? もちろん、僕が勝つつもりだけどね――と?」
触れられていた掌が力なく落ちたかと思うと、寝台からは小さな寝息が立っていた。
微かに苦笑し、はみ出ている手を起こさないよう、蒲団に納める。
「・・・無理しすぎなんだよ。シンちゃんは何でも自分で溜め込んじゃうんだから。
少しは頼ってよね。それぐらいの価値はあると思うよ。」
ぽん、と弟が驚異した腕を叩いた。
「おやすみ、シンちゃん。良い夢を。」
流れる黒髪を掻き分け、露わにした額に口付ける。
心なしか、弟は微笑んでいるようだった。
キンタロー編 とは名ばかりの、前半キンシン、後半グン+キン
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椅子を半回転させると、眼前に広がる、吸い込まれそうな青と、その合間を縫う白が酷使した目に沁みる。
それらをぼんやりと眺めているうちに、いつの間にか現実世界から意識が離れていたらしい。
『シンちゃん、――しよう!』
『うわーいっ! 僕が勝ったー!』
「ありえねえっ!! 俺は認めねーぞっ!」
焦って叫んだ先に、訝しく眉を顰める碧眼があった。
兄と弟 ―シンタロー編―
「・・・何を認めないんだ?」
「・・・あー・・・俺、寝てた?」
薄靄が掛かっている脳でも、目の前の従兄弟兼補佐官の手にある毛布と、背もたれから勢いつけて起こした上半身の体勢から、先程まで眠っていたと推測する。
「ああ、寝ていた。――で、何を認めないんだ?」
補佐官は律儀に質問に応じてから、また同じ問いを投げた。それに総帥は、苦虫を噛む貌を作る。
答の内容が自尊心に強く根付いている為、出来ることならスルーを願う。
しかし、それが通じる相手ではないことは充分承知している。
(こういう生真面目なところ、子供だよな。空気を読めよ。)
幼子が何でも知りたがる、『どうして?』攻撃が、この28歳男にあるのだ。まあ、中身4歳児だから仕方のないことなのかもしれない。
正真正銘子供にも、実質子供にも、とにかく年下に甘い自覚はある。そんな己を呪いながら、シンタローは徐に利き腕側の肘を机についた。
「・・・これ、覚えてねえか?」
軽く手首を振る。この動作で示唆する事柄を自発的に気づいて欲しい。
言葉で回答するのは簡単だが、それが『認める』ことになりそうで、自然と口は重くなる。
じっとその腕を見つめ、眉根を寄せる従兄弟は記憶の引網漁中だろう。
暫くした後、ゆっくりとした返答があった。
「――いや、残念ながら。」
「そうか・・・。」
ふたりは24年間を共有している。なので、基本的にそれまでの記憶も同一なのだ。
ただ、このように特殊な生い立ちでなくとも、人間は記憶を全て引き出せるわけではない。
同じものを所有していても、それが個々別に忘却の彼方となっていることは、別段おかしくはない。逆にシンタローが忘れ去ってしまっているそれを、キンタローは覚えている場合もある。
ここが、肉体はひとつでも人格はふたつ備わっていたのだと実感する。
このことで落胆はしないが、それにより説明をしなくてはならない状態に気が滅入る。
盛大な溜息で踏ん切りをつけ、シンタローは貝の口を開けた。
「いくつだったかな・・・かなりガキの頃だと思うが、グンマと――。」
と、ここまで切り出したが、またしても閉ざす。
への字に曲げる総帥に構うことなく、
「グンマと?」
先を促す補佐官。やはり空気が読めない。
「~~~、あーもう、あのバカ!! バカなのは頭ン中だけにしろっ!」
忌々しげにガシガシと頭を掻き毟り、ここに不在の博士を扱き下ろす。半分冗談の親愛表現ではあるが、結構な言われようだ。
ちなみに半分は本気である。それは件の人の日常行動を慮れば、至極当然の感想だろう。
「何で、あんなバカ力なんだか――。」
「悪かったね。そんなにバカバカ言わなくてもいいじゃない。」
入り口から男にしては高い、ハスキーな女声に近い、第三者の受け答えが割って入る。
驚いて目を向ける先には、(団内に於いては)小柄な白衣の人物が膨れ面で扉にもたれていた。
「グンマ!? オマエ、いつの間に!?」
「これ。」
驚愕の問いには答えず、グンマは持参した紙の小箱を持ち上げ見せる。
「ケーキ貰ったから皆で食べようと思って来たのにさ。」
ぷくりと頬を膨らませる表情は、普段の幼さに拍車を掛けた。
「――にしても、一言声を掛けるくらい――。」
「掛けました! でもふたりとも何か話してて気づかないし、シンちゃんは僕をバカって言うし。」
じとっとねめつける視線に、シンタローは気まずそうに咳払いひとつ。
「バカをバカと言って、何が悪い。」
全く悪びれることなく却って開き直る。まさしく俺様体質である。それに、『バカ』とランク付けされた者は、ますます怒りを露わにし河豚の頬になった。
ずかずかと大股で部屋の主へと突進する。
だん、と手荷物を机に押し付け置く様に、傍らに佇む補佐官は、中身が崩れたのではないかと案じた。
「なっ、何だよ・・・。」
さすがに言い過ぎた感のある総帥は、反抗の態度を見せはしても、それは虚勢に過ぎない。憤慨する相手に対する負い目から、口とは裏腹に身体が引いている。
大きな双眸を吊り上げ、ありありと怒りの形相を表したグンマは、だかしかし、シンタローの顔を睨みつけたかと思うと、いきなり両手でその頬を挟みこみ、力任せに引き寄せた。
「いてっ!!」
「顔色が悪い。」
「は?」
てっきり罵声が飛んでくるものだと想定していたシンタローは、そしてキンタローも、見事に予想が外れ、間抜けな声と表情しか反応できなかった。
そんなふたりに構うことなくグンマは続ける。
「ちゃんと寝てるの? 昨夜は部屋に戻った?」
「――ンな、ヤワじゃねえよ。」
実は急ぎの処理があって、昨夜は執務室泊りだった。漸く明け方に、この部屋の応接ソファで数時間の仮眠を摂ったくらいだ。
詰問への返事が肯定していることに、この総帥は気づいていない。善意にはとことん無防備になることを自覚していないようだ。
間近にある碧眼が険しくなる。
「寝てないんだ。」
「完徹ってワケじゃねえ。少しは寝たぜ!」
「それは認めていることと同じだぞ。シンタロー。」
子供じみた言い訳にすかさず突っ込みが入る。鋭いんだか鈍いんだか、妙なところで天然な補佐官に舌打ちする。
詰問者は、その天然従兄弟が未だ携えている毛布を一瞥した。
「――察するに、昼寝したんだね? きちんと睡眠を摂らないから、身体がもてなくなっているんだよ!」
ぎゃんぎゃんと、母親の小言のような叱咤に、思わずシンタローも喧嘩腰になってしまった。
「るせえなっ! ほんのちょっとだよ! そんなに騒ぐほどじゃねえぞっ!」
「いや、結構――。」
またしても空気の読めない横槍の介入を、シンタローはギロリと目線で制する。
「どっちでもいいよ。疲れているのは間違いないんだから、もう今日は寝なよ。」
やや呆れ気味に申し渡されたそれが、プライド高いシンタローの勘に障った。
「うるせえっ!! 俺はそんなに暇じゃねえんだ! 寝ねえと言ったら寝ねえっ!!」
最早駄々っ子の域になった意固地さに、グンマは、ぺち、と掴んでいた頬を軽く叩いて手を離した。
そして、律動的な歩調で机を迂回し、子供な総帥に歩み寄る。
「グンマ・・・?」
静かに、明らかに怒っている。再び説教が始まるかと、不貞腐れた貌で迎え撃つシンタローは、この後、過去に味わった屈辱以上のものが待ち構えているなどと、露程も思っていなかった。
「何だよ。何言っても寝ねえからな!」
先制攻撃の威嚇。しかしながら相手は口頭での応戦ではなく、実力行使に出た。
「へ?」
一瞬、シンタローは、何が何だか状況が掴めなかった。
顔に金糸が掛かったと認識した直後、全身に浮遊感が襲った。
グンマは椅子に腰掛けているシンタローの背と膝裏に素早く腕を滑り込ませ、
「よっ、と。」
そのまま抱き上げたのである。
これには傍観するキンタローも言葉が出ない。グンマがシンタローを、所謂お姫様抱きしているのである。
ふたりは体格の違いが歴然としている。
192㎝のシンタローに、174㎝のグンマ。しかもシンタローは体術に長けているので、相応の体躯を持つ。
反して研究員のグンマは、貧弱とは言わないが、シンタローとは明確に身体の作りが違う。
そんな彼が軽々と、自分より体格の有利な者を担いでいるのだ。
これが反対ならば、何の驚きもないが――。
「――っ、ちょ、降ろせよ、グンマっ!!」
自身のおかれた状態に、手足をじたばたと暴れさせるシンタロー。焦りに顔中真っ赤に染めている。
それを、涼しい顔でグンマは却下した。
「だーめ。シンちゃん、言うこと聞かないもん。」
「聞くっ! 聞きます! だから、降ろせっ!!」
「そう言って、聞かないからね。シンちゃんは。
なので、今日はこのまま部屋に連れて行きます。」
その宣言は、俺様総帥を青褪めさせるに充分な威力を持つ。
「冗談じゃないぞっ!! 降ろしやがれっ、バカグンマ!」
傍からでも必死さが窺える暴れっぷりなのだが、それを、ものともしない博士。
「バカで結構ですぅ。シンちゃんよりはマシだよ。」
しれっと192㎝・83㎏を抱え、グンマは出口へと向かった。
途中、
「後の仕事、キンちゃんにお願いしていい?」
「あ、ああ・・・。」
「そ。よかった。よろしくね。」
いつもと変らない、少女めいた笑顔。
違うと言えば――腕の中に総帥がいることだ――。
「よろしくじゃないっ! おい、キンタロー!! オマエも見てないで止めろっ!」
唖然と見送る補佐官に助けを求める怒声が投げられるが、彼には届いていなかった。目の前で繰り広げられる光景に、度肝を抜かれてしまっている。
「はーなーせー!! この、バカ力―!!」
諦め悪い抵抗が尾を引いて去っていく。
「・・・! ああ!」
数分後、ひとり残された補佐官が、ぽんと手を打った。
自室に辿りついた頃には、もう抵抗する気力は残っていなかった。
総帥室から一族のプライベートゾーンは直通している。が、それでも全く誰にも出会わないということは稀である。
先ず秘書官の前を通らずにはいられない。
「・・・グンマ博士、これは・・・?」
「うん。シンちゃん、お疲れ気味だから部屋に連れて行くよ。」
「・・・そうですか・・・お大事に・・・。」
「そっ、総帥にグンマ博士――!」
「あー、お疲れ様―。」
あのときの秘書官たちや団員の、奇異な眼差しは本当に居た堪れなかった。穴があったら、いや掘ってでも入りたい衝動に駆られた。
飄々と歩むグンマと対照的に、シンタローは声も出せず、羞恥に火照った顔を俯かせるしかなかった。
それでも、父親に出会わなかっただけでも良しとしよう。
次男(ということで)に異常な愛情を注ぐ彼である。こんな姿を見られたら、どんな騒動になるか、想像もつかない。
ぐったりと気疲れしたシンタローを、
「だから言ったでしょ。人間、寝ないといけないんだよ?」
と見当違いの窘めに悪態をつくことさえ、もうどうでもよかった。
とすん、と丁寧に寝台に降ろされ、最後のお小言がある。
「はい、ちゃんと着替えて。今日はもう何もしないように。」
「へーい・・・。」
こうなりゃ自棄で、シンタローは素直に従った。
眠るまで見張ると主張する博士に、仕方なくベッドに潜り込む。枕元に鎮座する元従兄弟・現兄の腕が目に入った。
彼は、自身が持つ穏やかな気質をそのまま表出した、柔和な顔立ちをしている。女顔の部類に入るだろう。
しかし、白衣に隠された腕は、女性のように細いわけではなく立派に筋肉のついた男のそれだ。
けれども、自分自身と比べれば、やはり細い。
「・・・なのに、何であんな力があるんだろうな・・・。」
ぽつりと零してシンタローが、そっと触れた手を見やり、グンマは微笑した。
「さあ? 僕も、わかんないけどね。でも、こういうときは使えるでしょ?」
「バカヤロー。あんなのは二度と御免だ。ガキのとき以来の屈辱だったぞ。」
つい先刻の悪夢が蘇る。あれは人生最初の汚点だ。
照れ隠しの拗ねた口調と、引き合いに出された懐かしい思い出に笑みが深くなる。
「ああ、あれね。今度また、やってみる? もちろん、僕が勝つつもりだけどね――と?」
触れられていた掌が力なく落ちたかと思うと、寝台からは小さな寝息が立っていた。
微かに苦笑し、はみ出ている手を起こさないよう、蒲団に納める。
「・・・無理しすぎなんだよ。シンちゃんは何でも自分で溜め込んじゃうんだから。
少しは頼ってよね。それぐらいの価値はあると思うよ。」
ぽん、と弟が驚異した腕を叩いた。
「おやすみ、シンちゃん。良い夢を。」
流れる黒髪を掻き分け、露わにした額に口付ける。
心なしか、弟は微笑んでいるようだった。
キンタロー編 とは名ばかりの、前半キンシン、後半グン+キン
くのいちDebut 電話占い 霊感 霊視 短期バイト 北海道 レンタカー 転職支援
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