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ks
夢を見た。

自分以外は誰もいない、何もない空間。空間と呼べるのかも定かでない。

ただ、自分自身が、そこに在ることだけは確かだ。

こんな非日常の状態に、夢の中でも、夢だと認識している。

そう自身が捉えている所為か、不思議と落ち着いている。

「シンタロー。」

何処からともなく声がした。己の他に存在を主張するそれに、慌てて回りに目を凝らす。

すると、いつの間にか背後に、自分と良く似た面差しの男が立っていた。

歳も、そう変わらないと思われる、その男の声は、一度だけ聞いたことがある。

そして、そのたった一度きりの奇跡の出会いは、忘れたくとも忘れられない。

「――父さん――。」

穏やかに微笑む父は、あの最期のときと同じ――。

「おまえは、おまえとして生きるんだ。」

「・・・俺として・・・?」

謎掛けのような言葉に、真意を量りかねていると、

「シンタロー。」

また同じく呼びかけられる別の声。けれども、今度は息を飲み込んだ。

振り向く先に、夢でも鮮やかに浮かび上がる赤と黒。この鮮烈な存在は、自己の知るうちで、たったひとりしかいない。

「――っ! 何故――、何故、おまえがその名で呼ぶ!?」

咆哮――まさしく、そうだった。『その者』から『その名』で呼ばれた途端、怒りが込み上げ口を突いた。

いや――怒り――なのだろうか。

それよりも、もっと強い何かが、身体中を渦巻く。それが出口を探して彷徨っているのに、俺はその術を知らない。

「今まで悪かったな。元々、これはおまえのものだったのに、俺が使ってしまっていた。」

やめろ。そんなことは聞きたくない。

「だけど、おまえに返す。――24年間、済まなかった。ありがとう。」

深々と頭を下げる『おまえ』。



やめてくれ。俺はそれを望んでいたわけじゃない。

『その名』が失われることが、どういう意味を持つことなのか、わかっているのか?

24年間掛けて築いたおまえの存在そのものの消滅を、おまえ自身が望んでいるわけではないだろう!?



――いくら心内で叫ぼうとも、それは音にならなければ無意味だ。

声帯が凍り付いているのか、喉から外に出すことが出来ない。

それでも、この叫びは相手に届いたのだろうか。困ったような、儚げな微笑を浮かべた後、『その者』と父は背を向け歩き出す。




待って――待ってくれ! 俺を独りにしないでくれ!!

大体、無責任じゃないか! 俺をこの世界に放り出し、おまえは去っていくだと!?

そんな勝手は許さない!!



捕らえるように精一杯腕を伸ばし、彷徨う全ての感情を吐き出し叫んだ。

「シンタロー!!」

――そこで、夢は醒めた。







NAME








「シンタロー君! おはよう。」

右手を高く上げ、正面からベージュ色のリノリウムを軽やかに蹴って駆けてくる。

全面ガラス窓のこの廊下は、陽光が燦燦と降り注ぐ。

一族特有の金糸が歩を運ぶ度に、朝日を浴びてキラキラと光を弾いた。

「・・・グンマか。」

「『グンマか』は、ないでしょ! シンタロー君。

朝会ったら、まずは『おはよう』だよ!」

頭半分程低い金髪が眼下で、ぷくっと頬を膨らませ窘める。



この世に出でてから、俺は亡き父を崇拝していたドクターに預けられた。

両親をとっくに喪い、兄弟もいない、家族というものがない俺を、是非にと申し出る彼に反対する親族はいなかった。

24年間外界と遮断されていたといっても、全く何も知らないわけではない。

干渉をされない、できない位置にいても、『あの者』を通して状況は見知っていた。

生きる上で必要な最低知識、言語や生活慣習、親族関係、更には一族が支配する組織の基本的な部分はある。

けれども、それらは本当に『知識』だけで、実体験のない俺は、やはり何処か違っているらしい。

保護者であるドクターは、所謂『教育』を担い、こういう社会上の潤滑油というべき『教養』は、同じく彼に育てられた従兄弟のグンマが買って出た。

保護者が同者ということで接触する機会が多いこともあろうが、それよりも、どうもこの従兄弟は世話を焼きたいらしい。



一族で最年少は前総帥の次男だが、あの子は今は眠っている。

そうなると、次は俺を含む3人の従兄弟たち。

尤も、俺は最近加わったばかりだから、残りふたりのうち、このグンマの立場が弱かった。

ここで示す『立場』は、対外的な、つまり総帥の息子であるか否かという次元ではない。あくまで、当事者間での力関係だ。

要は性格的なもので、彼は甘える側だったということだ。・・・『あの男』は世話好きだからな。

実弟がいることは、いるのだが、そんな彼にとっては、俺は、弟が出来たようなものなのだろう。

生活上の細部に亘って、ひとつひとつ、それは楽しそうに構い、教授している。



「はい、『おはよう』」

人差し指を立て、言い聞かせるように再度同じ言葉を発する。まるで幼子扱いだ。

しかしながら、彼の持つ柔和な雰囲気が、憤慨を相殺させる。

それに、彼は決して誤ってはいない。

「・・・おはよう。」

素直に従うと、従兄弟はいつもの少女めいた笑顔になった。

上機嫌に俺の腕を引っ張り、

「今日もいい天気だね。ほんと、お天気で良かったよ。今日はシンちゃんが帰ってくるんだから。」

――ああ、なるほど。彼の機嫌の良さは、『あいつ』が帰ってくるからか。



グンマは俺と、もうひとりの従兄弟を、『シンタロー君』『シンちゃん』と呼び分けている。

あの島で区別する為に、一時『キンタロー』と命名されたが、俺は納得いかなかった。

自分こそが総帥の息子、シンタローであるのに、何故別名を与えられるのか。

そう主張すれば、誰も、当のシンタローも反論しなかった。

結局は、俺は総帥マジックの子供ではなかったけれども、『シンタロー』だけは譲れなかった。――俺は、『青の一族』であることを譲れなかった。



従兄弟のように周囲は、各々俺たちふたりの呼び名を工夫しているようだが、同名の自分たち互いに於いては、どう呼びあっていいのか悩み所だ。

『おい』とか『おまえ』とか。

『ニセ者』などと、敵意剥きだしの頃もあったが、今となってはあの感情も遠い。

そうなると自然と足は遠のき、元々好意があったわけでもなかった為、彼の動向に疎くなっていた。

ここ暫くは遠征で留守であることくらいは聞き及んでいたが、本日帰還だったとは。



「午後に帰ってくる予定だって。だから今日は、午前中に頑張るよ! そして、お迎えに行くんだからね!」

「・・・は?」

「『は?』じゃないよ! シンタロー君も行くんだよ!」

ビシッと有無を言わせない口調でグンマは目を見据える。

どうも、こういうときの彼は苦手だ。同じ碧眼でも、そのまっすぐな瞳は自己が持ち得ないもの。

「俺は・・・別に・・・。」

思わず逸らした俺に続けて、

「ダメ! シンタロー君、シンちゃんを避けているでしょう。

シンちゃんも総帥になってから凄く忙しいみたいだからさ、会えるときは会っておかないと。」

図星を指された。

「・・・シンちゃんも、避けているみたいだしさ・・・。」

先刻までの強い口調がナリを潜めて、ぼそりと呟かれる。

視線を外していた俺はそのままで聞いていたが、チクリと何かが刺さった気がした。



あいつが俺を避けている、そんなのは当然だろう。実際、こちらもそうなのだから。

俺たちの相反する存在に、互いが親しみを抱くわけがない。



それなのに、この痛みは何なのか。

俺は自身のことながら理解不能だった。












グンマの宣言通りに、午前中は詰め込み授業が行われた。

「高松、今日は午前中で終わらせてね。午後はシンちゃんのお迎えに行くの。」

教師でもあるドクターにそう指示すると、

「僕も今日は、ここでやろっと。」

と、得体の知れない設計図を持参して、返事を待たずに、さっさと備え付けのキーボードを叩きだした。

その姿に、

「仕方ありませんねえ。」

ドクターは苦笑混じりに従った。



彼はグンマに甘い。逆らった姿など、ついぞ見たことがない。

確かにグンマの『お願い』は、無理難題はない。だが、甘やかしすぎではないかと思う。

一度それを指摘すると、彼は何のことはない、と穏やかに微笑んだ。

「あの方は、私の宝です。本当なら恨まれても蔑まれても当然の私を、赦して下さいました。

そして、『24年間、ありがとう』とまで言って下さったのです。この私に。」

「・・・罪悪感から甘やかしているのか?」

「そんなことはありませんよ。悪いことは悪いと、きちんとお教えして育てました。

その証拠に、あの方は我侭を言われますか?」

「・・・いや。」

「グンマ様は、相手の負担にならないよう、見極めてお願いをされます。聡明な方ですよ。

・・・シンタロー様も、甘えて下さってよろしいのですよ? あなたも私の大事な宝です。

――尤も、私にそんなことを言える資格などありませんけどね・・・。」

「俺は・・・おまえに感謝している。『あいつ』ではなく、俺の為に泣いてくれた人だ。」

「・・・ありがとうございます。」

泣きそうな笑い顔だった。



監視付きの本日の授業は、午前を20分程残すところで終了した。

「今日は、かなり駆け足で進めましたので、お疲れになったでしょう。後はゆっくりと、お休み下さい。」

労いの言葉を掛けて高松が退室する。

「お疲れー、シンタロー君。お茶、淹れるね。」

腰に掛かる髪を揺らして食器を扱うグンマ。

「・・・邪魔じゃないか? その髪。」

後ろ姿を見、何とはなしに口を突いた。

「うーん、そうだねえ。

ずっと伸ばしてて慣れているから、あんまり感じないけど、シンちゃんみたいに結んだほうがいいかなー。」

振り向きもせず作業を続けながらの答えが返る。



今でこそ解き流し、赤い服を纏うあの男は、それまで滝のような長い漆黒の髪を括っていた。

強烈な南国の光の中に浮かび上がるモノトーンが脳裏に蘇る。



「それか、いっそのこと切っちゃうとかね。

シンタロー君も、邪魔だと思う?」

ふたり分のカップとティーコジーを被せたポットを乗せたトレイを持つグンマは、両手が塞がっている為に、目で俺の髪を指し示した。

自身も彼と変わらない長さである。

ひと房掴むと、また『あの男』と『あの島』での戦いがフラッシュバックした。

――囚われているのか?

影を断ち切るように大きくかぶりを振り、

「そうだな・・・。」

窓の外へと目線を向けた。



ここは研究棟の一部で、向い側に一般棟が臨める。そこには忙しなく行き来する多くの団員。

それらを散漫と眺めていると、

「お茶、入ったよ。」

柔らかい声に引き戻された。

目の前の紅い液体から白い湯気と芳香が昇っている。

「今日はオレンジ・ペコーにしてみました。どうぞ。」

にっこりと屈託のない微笑に押され、一口含む。

「・・・美味い。」

俺の簡素な反応に笑みを深めたグンマは、

「良かった。」

と、自身も口に運んだ。



晴れ渡った空と平穏な空気。

およそ武力集団に似つかわしくないが、天候は誰にも公平に与えられるし、戦下でなければ、こんなひとときを味わっても罰は当らないだろう。

俺は、ここに戻ってきてから、ずっと思い悩んでいたことを、同じ立場であろう従兄弟に問うてみたくなった。

恐らく、今朝の夢が切欠になったと思う。

「・・・グンマ。」

「何?」

「・・・俺とおまえは、生まれてすぐに取り替えられた。」

「うん。」

「本当は、おまえはマジック伯父貴の息子、『シンタロー』だ。

そう考えたことはないか?」

核心に触れる。

本来ならば、彼が『シンタロー』で、自分は『グンマ』のはずだ。 24年前の事件さえなければ、そう育っていたはず。

ところが、大きな青の双眸を更に見開いて一瞬動きを止めた後、従兄弟は声を立てて笑い飛ばした。

「ぼっ、僕が『シンタロー』? 考えてもみなかったなあ。」

「なっ・・・!」

「僕の名前は、『グンマ』以外に思いつきもしないもん。」

けらけらと陽気に笑うグンマに、思考回路が全く異なることを、改めて知った。

聞くだけ無駄だったか――と。

「『グンマ』という名前はねえ、お母様――本当は君のお母様だね。叔母様が付けてくれたんだよ。

確かに叔母様は、僕を自分の子供だと疑わずに名付けてくれたんだと思うよ。

だけど、間違いなく『僕の』名前だ。『僕に与えられた』名前だ。」

先刻までの、ふわふわと浮いた雰囲気は消えていた。笑顔こそ絶やさないが、語る瞳は強い光を帯びている。

「きっと、この名前には叔母様の想いが込められているだろうし、僕はこの名前で24年間生きてきた。

名付けてくれた人の想い、僕をこの名で呼んだ人たちの想い、そして僕自身の想い。

『グンマ』は僕の歴史でもあるんだよ。だから、他のものに変えられない。

名前は、その人と共に在るものだと、僕は思う。」

それから、また愉快げに笑い出した。

「それに、ころころ名前変えちゃったら、皆、混乱するよねえ。

昔の人って大変だっただろうな。」

いつもの従兄弟に戻っていたが、俺の頭の中に、あの強い瞳と言葉がしっかりと焼きついた。

『名前は、その人と共に在るもの』

俺は――『シンタロー』は、本当に俺と共に在るのだろうか。

俺は24年間、『あの男』の中にいた。だから、『シンタロー』という名を授けられたと言っても、過言ではない。

だが、その名を呼んでいた者たちにとって、『シンタロー』とは――。



ふう、と肺の中の空気を入れ替える気持ちで大きく息を吐き出し、再び窓外に目をやる。

と、先程は至って平和だった一室が、俄かに騒然と湧いている様子が覗えた。

「――っ!!」

何も考えなかった。ただ、思考より先に身体が動いた。

「シンタロー君? どうしたの?」

いきなり立ち上がった俺に、グンマが訝しい声音を投げる。

それに答えず、既に歩は扉へと向かっていた。

「ちょっ、どうしたのさ!?」

背後から甲高い声がついてくるが、構っている余裕はない。ひたすら目的地へ駆ける。

嫌な胸騒ぎがして堪らない。予感めいた焦燥感が俺を追い立てる。



俺は、何かを失おうとしているのかもしれない。

それは、手放したら二度と掴めない。そう本能が警鐘している。



棟を繋ぐ長い廊下の奥に、目的の人物を捉えた。

「ティラミス! チョコレートロマンス!」

「シンタロー様!? グンマ博士も・・・。何でしょうか?」

総帥付秘書官らしい落ち着いた応答。しかし、俺は出会い頭瞬間の動揺を見逃していなかった。

「何があった。」

「・・・何のことですか?」

眼前の表情は変わらない。まるで能面だ。

「とぼけるな! あいつに何かあったんだろう!? でなきゃ、総帥室があんなに慌しくなるか!!」

「えっ!? シンちゃんが、何か!?」

俺の詰問に、後方でおろおろと成り行きを見守っていたグンマも、驚愕の音を立てた。

「そっ、そんなに大声を出さないで下さい!! 団員に知られます!」

慌てて俺たちを制するチョコレートロマンス。その態度が、俺への充分な答えになっている。

「何か、あったんだな?」

「あ。」

己の落ち度に顔を顰める同僚を、隣のティラミスが軽く小突き、観念したような溜息を吐いた。

「・・・ここで騒ぐわけにはいきません。おふたりも御同行願います。」

場を仕切る彼に従い、俺たちはその場を後にした。



早足で移動しながら、秘書官の説明を聞く。

「総帥は既にお戻りになられています。今はメディカルセンターにいらっしゃいます。」

「メディカルって・・・シンちゃん、怪我したの!?」

「ええ。」

胸に衝撃が走った。知らずに彼らを睨んでいたらしい。――八つ当たりだとわかっていても。

「・・・そんなに怖い顔をなさらないで下さい。命に別状はありませんよ。」

苦笑し指摘するチョコレートロマンス。言葉に出されると恥ずかしさが込み上げる。

照れ隠しで、ぶっきら棒に言い放った。

「・・・元々、こういう顔だ。」

「はい。そういうことにしておきます。」

まだ笑い堪えている彼を無視して、ティラミスが話を続けた。

「チョコレートロマンスが言った通りに、大怪我ではありません。ですが、総帥が怪我をされたとあっては、団内が乱れます。

ですから、予定よりも早い、極秘の帰還となったわけです。

そのままセンターにお連れして、今頃はドクター高松の手当てを受けていらっしゃると思いますよ。戦場では応急処置にしかなりませんから。」

「そっか。高松が診てくれているなら安心だね。良かったね、シンタロー君。」

『良かったね』と振られても、素直に答えることができようか。

仄かに熱い顔を背けたままに返事もしなかった。彼らの位置からは、この顔は見えないだろう。

俺は、このときほど自身の長身に価値を見出したことはなかった。











メディカルセンターに着いてから、どの処置室に総帥はいるのかと局員に尋ね――る必要はなかった。

「バカヤロー!! 放せっ、クソ親父っっ!!」

「――あそこだな。」

漏れる、というには音量が超大な一室を目指す。

果たしてそこは、前総帥の伯父とドクター高松、そして現総帥の『あの男』という顔ぶれだった。

「シンちゃん、大丈夫なの? 怪我しているのに、そんなに暴れて。」

そいつは、接近する父親に蹴りを与えていた。

「大した傷ではないといっても、結構な深さはありますよ。

まだ塞ぎきっていないのですから、開いたら知りませんよ。」

手当ては済んだのだろう、白い包帯で腹部全体を覆われた姿が痛々しい。

医師とは思えない薄情な物言いの高松に、

「それは、このアーパー親父に言ってくれ!」

「シンちゃん、ひどいっ! パパはシンちゃんのことが心配で堪らないのにっ!」

「そう言いながら、怪我人に抱きつくんじゃねえっ!!」

げしっと再び蹴りが飛び出す。足は無傷のようなので、そこを武器にしているのだろう。

見た目程に衰弱はしていない。――密かに安堵する自分を自覚した。

医療施設にはおよそ似つかわしくない乱痴気騒ぎに、俺の背後で傍観している秘書官ふたりが、ぼそりと一言零す。

「・・・マジック様には知らせなかったよな。」

「俺はドクターだけに知らせたはずだ。しかも、他言無用と念押したんだが。」

招かざる客がいる。彼が如何様にして嗅ぎつけたのか。

それを問えば、返ってくる言葉はこの俺でも容易に予想できる。何しろ、溺愛する息子だ。

『シンちゃんのことなら、なーんでもわかるよv』

秘書官は口を閉ざした。



「お父様、シンちゃんは怪我しているんだから遠慮してよ。」

もうひとりの息子に、ぴしゃりと釘を刺された父親が、涙目を別の息子に向ける。

彼は、うんうん、と頷き良識的な発言に同意を表す。

「シンちゃ~~ん。」

滂沱の涙を双眸から垂らしながら、未練がましくも大人しくなった。

やっと何とか静かになった部屋で、ふと黒い瞳とかち合った。

「あ――。」

「でも、どうして怪我したの?」

俺に向かってなのか開きかけた口を、横から入った高い声に閉ざさるをえない。

彼は視線をも俺から外し、従兄弟に説明した。

「あー、それがさ・・・遠征先のテロリストが結構しぶとくてよ。

このまま長引けば、市民への被害が拡大しそうだったんで、一気に決めてやろうと思って、眼魔砲をあいつらの本拠地にぶっ放したんだよ。」

そのときを思い出しているのか、自身の右手を見つめた。

「・・・だけど――。」

その手を頭部に移動してガリガリと掻く。

「最小限にパワーを抑えるのが、まだ上手く出来なくって・・・少し目標誤った。」

「――それで、民間人の少年が巻き込まれそうになって、総帥が庇われたそうですね。

その際に負傷されたと報告を受けています。」

淡々と引き継ぐティラミスに、

「う・・・面目ねえ・・・。」

結局、原因は自分自身だということだ。

失態を素直に認めると、一層照れ隠しに掻く。



破壊だけが目的だった団は、新総帥の下、劇的な改革を為した。

そして、今までは破壊の為だけだった一族のこの強大な能力も、最終手段に、最小限にと意識されている。

まだ彼は、己の持つ破壊力を完璧にコントロール出来ていないということか。



恥じ入る姿をまじまじと眺めていると、視線を感じたのか、再度黒い双眸が向けられた。

「・・・何だよ。カッコ悪ぃとか思ってんだろ。」

子供じみた拗ね方をする。こいつはプライドが高いから、失敗すると不機嫌になることは知っている。

下手に応答しないほうが得策だと思い黙っていたが、続けられた言葉は、俺を充分に激怒させた。

「俺が無事で残念だったな。

『シンタロー』は当分やれそうにねえ――。」

次の瞬間、俺はそいつの横っ面に拳を叩き込んでいた。

「シンちゃんっ!!」

「シンタロー君!?」

「シンタロー様!?」

「総帥!!」

様々な叫びが交錯する中、俺の目は診察台に倒れた男しか映していない。

「てっ、めえっ! 何しやがるっ!!」

「怪我人だから手加減しておいた。」

「何、ふざけたことを言ってやがるっ!!」

上半身を起こしながら凄むこいつは、何もわかっていない。



『シンタロー』をやる、だと?

それは即ち、おまえ自身の消滅を意味するというのに。



襲い掛かる腕を取り、顎を掴み上げた。間近に覗く黒曜石に己が映っている。

「・・・いいか。『シンタロー』は、おまえだ。おまえが、『シンタロー』だ。

俺にやるなど、二度と言うな。」

驚きで顕著に拡大する瞳孔を一瞥して、捕らえていた手を放せば、そのままどさりと大柄な躯体が力なく崩れた。

誰も彼もが呆けた顔で、唖然とした空気が漂う。

「高松。」

「あっ、はい。」

呼ばれ、はっとこちらを向く彼に、俺はひとつの提案を出した。

「・・・以前、俺に『キンタロー』と名付けたな。――俺は今日から、『キンタロー』だ。いいな。」

「・・・はい。シン――いえ、キンタロー様。」

それだけで、心得た、と名付け親は静かに受け取る。



この名は、俺に与えられた、俺だけの名前だ――。



「それから、伯父貴。」

「何だい?」

返ってきた声音は極めて平常なもの。

場の急展開にも、すぐさま冷静になる伯父は、さすがに一団を率いてきた人物だと改めて確信した。

「俺はこいつの――シンタローの補佐をする。総帥が戦地でこんなヘマをやるようじゃ、団も落ち着けないだろう。」

「なっ!!」

「ああ、それはいいねえ。」

「ちょっと待て!! そんなの、総帥の俺を外して勝手に決めんなよ!!」

喚き異議を申し立てる彼に、父親の鋭い一言が下った。

「彼も――キンタローも、そろそろ団の要職に就いてもらう時期だろう。

おまえが総帥に就任してからの新体制も、まだまだ安定しているとは言い難い。

今は少しでも、地盤を強固にする必要があるんじゃないのかい?」

「・・・・・・。」

客観的に分析された現状は図星らしく、新総帥は決まり悪げに、ふいと目線を逸らした。

「キンタローは優秀な人材だ。彼の能力は現地でも大いに発揮できる。

今回のようなことがまたあったとしても、彼がいれば、シンちゃんを助けてくれるとパパは思うよ。

・・・それは、おまえも良くわかっているだろう? 実際に戦った、おまえなら。」

「・・・ああ。」

一拍後、逸らしたままで呟きの肯定があった。

「――決まりだな。

明日から俺は総帥室に入る。そのように準備しておいてくれ。」

壁際に突っ立ている秘書官たちに、そう命ずる。

「はっ、はい! わかりました!」

弾かれたように反応する彼らを横目に、俺はセンターを後にした。











自室への帰路、俺は歓喜を抑えるので精一杯だった。

やっとわかった。父の言葉も、あのときの感情も。

俺は、とっくに認めていた。『シンタロー』が誰であるのかを。

それを、本人に否定されたことが哀しかった。

俺たちは別々の人格ではあるけれども、24年間一緒に生きてきた。

それを、棄てないで欲しかったのだ。

「父さん・・・俺は、『キンタロー』として生きていくよ。」

亡き父は、これを望んでいたのだろう。

過去に囚われず、『シンタロー』に囚われず、『一族』に囚われず、『自分』として生きろ、と。

「今まではひとつだったが、これからは共に生きていこう――。」

今頃、混乱していることであろう、半身に告げる。

「――シンタロー。」




――『キンタロー』の第一歩が始まった。









「あーあ。先、越されちゃった。」

肩に掛かるか掛からないかの金髪を指で弄びながら、グンマは窓外に向かってぼやいた。

「越された、とは?」

背後から優しいテノールが投げられる。この声は、物心が着いた時分から、ずっと傍にある。

「髪、だよ。」

「髪?」

すっかり短くなった己の頭髪を摘んで、グンマは頬を膨らませた。

「そう。前にね、僕、キンちゃんに、髪切ろうかなって言ったの。そしたらさ――。」

その手が窓外を指す。

「キンちゃんが先に切っているんだもん。」

指の先は総帥室。

部屋に差し込む陽光の中で、対照的な長い黒髪と金の短髪が動いている。

「ああ。そういうことですか。」

くっくっと愉快げな音に、ますますぷくりと頬が膨らんだ。

「ずるいと思わない? 僕のイメージチェンジ大作戦が失敗しちゃったよ!」

「・・・そんなことを考えていたのですが。」

明確に呆れを含んだ物言いが、彼の機嫌を降下させる。

「悪い!? 高松だって、短くしたじゃない!」

「いえ、私はイメージチェンジではなくて、治療中に長髪は邪魔なだけだったのですよ。」

非難の矛先が変わって、慌てる高松。

「それに――私は、キンタロー様は今の髪型、グンマ様は、やはり長いほうがお似合いだと思います。」

「そっかなあ・・・そしたら、また伸ばして、今度はシンちゃんみたいに結ぼうかな。」

幾分機嫌が直ったグンマは、再び窓越しに従兄弟たちを見やる。

「――確かにキンちゃんは似合うよね。

写真で見るお父様――じゃないや、ルーザー叔父様そっくりだもん。」

父親を訂正する彼に、育ての親の顔が曇った。それを彼は見逃さなかった。

「・・・そんな顔しないでよ、高松。

僕たちが間違った道を歩んできたのは事実だけどさ、僕は不幸だとは思わないよ。

本当の父親、マジックお父様とは、今までは暮らせなかったけど、今は息子として一緒に暮らしているし、可愛がってくれている。

それに、それまでは高松が充分に育ててくれたし、今だってそうでしょ?

あの島で高松は言ったよね。僕への愛情は本物だって。

あれは嘘だったの?」

「・・・っ! そんなことありません!

誓ってグンマ様を敬愛しています。今でも!!」

心底から搾り出すような吐露に、グンマは花の笑みを浮かべる。

「僕は不幸じゃない。僕は、僕が生きてきた24年間が不幸だなんて思いたくない。

そう思ったら、それこそ、あの秘石の言う通りになっちゃうよ。僕たち、青の一族が秘石のおもちゃだなんて、悔しいじゃない。」

きっぱりと言い切る蒼の双眸は輝いている。

「それよりも、実の親だとか、そうでないかより、愛情を掛けて貰えずに育ったことこそが、僕は不幸だと思うよ。

・・・コタローちゃんが可哀想だよね。実の父親からの愛情を感じずに眠り続けているんだもんね・・・。」

「グンマ様・・・。」

「・・・キンちゃんも、そうだよ。24年間、誰にも知られなかったんだもの。

だから、コタローちゃんもキンちゃんも、今から皆で愛情を掛けていけばいい。

やり直しに遅いことはないんだよ。」

ね、と首を傾げ微笑む彼に、喜びと後悔が入り混じり、上手く言葉が返せない。

小さな嗚咽と共に、たった一言、

「・・・ありがとうございます・・・。」

と高松は答えた。



項垂れる自分より長身の肩を軽く叩いてから、

「・・・でも、愛情の掛け過ぎも考えものだと思う・・・。」

「え?」

彼の視線を追えば、総帥室にはいつの間にか、もうひとり増えていた。

「・・・マジック様ですか・・・。」

「お父様も懲りないよねー。あ、蹴られた。」

話題の部屋では、前総帥が現総帥に足蹴にされている。それを傍観している補佐官という風景。

「キンちゃん、あれは怒っているね。」

くすくすと楽しげな指摘に、彼の人を注目してみた。が、平常と変わらないと思える。

「・・・そうですか?」

「うん。」

訝しい声音にも、グンマは自信満々である。

「キンちゃんはねえ、ずっとシンちゃんを見ていたんだよ。

隣、キンちゃんの授業に使っていたでしょ。」

隣とは、ここ、グンマ博士のラボの隣室。

最近までキンタローの授業に使用し、現在は彼のラボとなっている。

「本人が自覚しているのかどうか、わからないけど、暇があれば『外』を眺めていたよ。」

指差す『外』――総帥室。

「シンちゃんが好きなんだねえ。

ほら、シンちゃんが遠征先で怪我したときも、キンちゃん大慌てだったし。」

その発言に、過日の騒動を思い起こす。



メディカルセンターでの一悶着後、早々に去ったキンタローに、

「何だ、あいつは!!」

シンタローは大層憤慨した。

その彼を宥めたのがグンマだった。

「シンちゃん、シンタロー君――じゃなくて、キンタロー君はね、シンちゃんのことを、すっごく心配していたんだよ。」

総帥室の異変に気づいて、血相を変え飛び出してから今に至るまでの一連を説明すると、

「そうか・・・。」

と呟き大人しくなった。



「キンちゃんって、感情表現が下手だよね。

ま、それはシンちゃんも同じかな。」

「? どういう意味です?」

言い方に、何処となく特別な響きを感じ取り、問い返すドクターへ悪戯っぽい笑みを見せる。

「えへへ、内緒。」




相手を気にしていたのは、キンちゃんだけじゃないんだよね。

シンちゃんも、キンちゃんの様子を報告するように秘書官に頼んでいたの、ティラミスとチョコから聞いているんだよ。

ふたりに情報流していたのは、僕だもん。




「元々同じだっただけあって、良く似てるねえ。」

ガラスを挟んで見る部屋は、相変わらず新旧総帥の攻防と、苦虫を潰した顔の補佐官。

とうとう秘書官に引き摺られて、前総帥は退場した。

「いつまでも、こうして覗きをやっているわけにはいきませんから、一服しましょう。」

窓から立ち去る人影に同意する。

「そうだね。高松、ダージリンがいいな。」

「はい。わかりました。」



お茶を待つ間、グンマは窓際に腰掛け、以前、従兄弟が行っていたように『外』を眺める。

ふたりの従兄弟たちは、まるで一対の人形の如く、息が合っている。

「こんな穏やかな日が、明日も、これからも、ずーっと続けばいいな。」

見上げた空は、青く高く、どこまでも澄んでいた。

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