夢を見た。
自分以外は誰もいない、何もない空間。空間と呼べるのかも定かでない。
ただ、自分自身が、そこに在ることだけは確かだ。
こんな非日常の状態に、夢の中でも、夢だと認識している。
そう自身が捉えている所為か、不思議と落ち着いている。
「シンタロー。」
何処からともなく声がした。己の他に存在を主張するそれに、慌てて回りに目を凝らす。
すると、いつの間にか背後に、自分と良く似た面差しの男が立っていた。
歳も、そう変わらないと思われる、その男の声は、一度だけ聞いたことがある。
そして、そのたった一度きりの奇跡の出会いは、忘れたくとも忘れられない。
「――父さん――。」
穏やかに微笑む父は、あの最期のときと同じ――。
「おまえは、おまえとして生きるんだ。」
「・・・俺として・・・?」
謎掛けのような言葉に、真意を量りかねていると、
「シンタロー。」
また同じく呼びかけられる別の声。けれども、今度は息を飲み込んだ。
振り向く先に、夢でも鮮やかに浮かび上がる赤と黒。この鮮烈な存在は、自己の知るうちで、たったひとりしかいない。
「――っ! 何故――、何故、おまえがその名で呼ぶ!?」
咆哮――まさしく、そうだった。『その者』から『その名』で呼ばれた途端、怒りが込み上げ口を突いた。
いや――怒り――なのだろうか。
それよりも、もっと強い何かが、身体中を渦巻く。それが出口を探して彷徨っているのに、俺はその術を知らない。
「今まで悪かったな。元々、これはおまえのものだったのに、俺が使ってしまっていた。」
やめろ。そんなことは聞きたくない。
「だけど、おまえに返す。――24年間、済まなかった。ありがとう。」
深々と頭を下げる『おまえ』。
やめてくれ。俺はそれを望んでいたわけじゃない。
『その名』が失われることが、どういう意味を持つことなのか、わかっているのか?
24年間掛けて築いたおまえの存在そのものの消滅を、おまえ自身が望んでいるわけではないだろう!?
――いくら心内で叫ぼうとも、それは音にならなければ無意味だ。
声帯が凍り付いているのか、喉から外に出すことが出来ない。
それでも、この叫びは相手に届いたのだろうか。困ったような、儚げな微笑を浮かべた後、『その者』と父は背を向け歩き出す。
待って――待ってくれ! 俺を独りにしないでくれ!!
大体、無責任じゃないか! 俺をこの世界に放り出し、おまえは去っていくだと!?
そんな勝手は許さない!!
捕らえるように精一杯腕を伸ばし、彷徨う全ての感情を吐き出し叫んだ。
「シンタロー!!」
――そこで、夢は醒めた。
NAME
「シンタロー君! おはよう。」
右手を高く上げ、正面からベージュ色のリノリウムを軽やかに蹴って駆けてくる。
全面ガラス窓のこの廊下は、陽光が燦燦と降り注ぐ。
一族特有の金糸が歩を運ぶ度に、朝日を浴びてキラキラと光を弾いた。
「・・・グンマか。」
「『グンマか』は、ないでしょ! シンタロー君。
朝会ったら、まずは『おはよう』だよ!」
頭半分程低い金髪が眼下で、ぷくっと頬を膨らませ窘める。
この世に出でてから、俺は亡き父を崇拝していたドクターに預けられた。
両親をとっくに喪い、兄弟もいない、家族というものがない俺を、是非にと申し出る彼に反対する親族はいなかった。
24年間外界と遮断されていたといっても、全く何も知らないわけではない。
干渉をされない、できない位置にいても、『あの者』を通して状況は見知っていた。
生きる上で必要な最低知識、言語や生活慣習、親族関係、更には一族が支配する組織の基本的な部分はある。
けれども、それらは本当に『知識』だけで、実体験のない俺は、やはり何処か違っているらしい。
保護者であるドクターは、所謂『教育』を担い、こういう社会上の潤滑油というべき『教養』は、同じく彼に育てられた従兄弟のグンマが買って出た。
保護者が同者ということで接触する機会が多いこともあろうが、それよりも、どうもこの従兄弟は世話を焼きたいらしい。
一族で最年少は前総帥の次男だが、あの子は今は眠っている。
そうなると、次は俺を含む3人の従兄弟たち。
尤も、俺は最近加わったばかりだから、残りふたりのうち、このグンマの立場が弱かった。
ここで示す『立場』は、対外的な、つまり総帥の息子であるか否かという次元ではない。あくまで、当事者間での力関係だ。
要は性格的なもので、彼は甘える側だったということだ。・・・『あの男』は世話好きだからな。
実弟がいることは、いるのだが、そんな彼にとっては、俺は、弟が出来たようなものなのだろう。
生活上の細部に亘って、ひとつひとつ、それは楽しそうに構い、教授している。
「はい、『おはよう』」
人差し指を立て、言い聞かせるように再度同じ言葉を発する。まるで幼子扱いだ。
しかしながら、彼の持つ柔和な雰囲気が、憤慨を相殺させる。
それに、彼は決して誤ってはいない。
「・・・おはよう。」
素直に従うと、従兄弟はいつもの少女めいた笑顔になった。
上機嫌に俺の腕を引っ張り、
「今日もいい天気だね。ほんと、お天気で良かったよ。今日はシンちゃんが帰ってくるんだから。」
――ああ、なるほど。彼の機嫌の良さは、『あいつ』が帰ってくるからか。
グンマは俺と、もうひとりの従兄弟を、『シンタロー君』『シンちゃん』と呼び分けている。
あの島で区別する為に、一時『キンタロー』と命名されたが、俺は納得いかなかった。
自分こそが総帥の息子、シンタローであるのに、何故別名を与えられるのか。
そう主張すれば、誰も、当のシンタローも反論しなかった。
結局は、俺は総帥マジックの子供ではなかったけれども、『シンタロー』だけは譲れなかった。――俺は、『青の一族』であることを譲れなかった。
従兄弟のように周囲は、各々俺たちふたりの呼び名を工夫しているようだが、同名の自分たち互いに於いては、どう呼びあっていいのか悩み所だ。
『おい』とか『おまえ』とか。
『ニセ者』などと、敵意剥きだしの頃もあったが、今となってはあの感情も遠い。
そうなると自然と足は遠のき、元々好意があったわけでもなかった為、彼の動向に疎くなっていた。
ここ暫くは遠征で留守であることくらいは聞き及んでいたが、本日帰還だったとは。
「午後に帰ってくる予定だって。だから今日は、午前中に頑張るよ! そして、お迎えに行くんだからね!」
「・・・は?」
「『は?』じゃないよ! シンタロー君も行くんだよ!」
ビシッと有無を言わせない口調でグンマは目を見据える。
どうも、こういうときの彼は苦手だ。同じ碧眼でも、そのまっすぐな瞳は自己が持ち得ないもの。
「俺は・・・別に・・・。」
思わず逸らした俺に続けて、
「ダメ! シンタロー君、シンちゃんを避けているでしょう。
シンちゃんも総帥になってから凄く忙しいみたいだからさ、会えるときは会っておかないと。」
図星を指された。
「・・・シンちゃんも、避けているみたいだしさ・・・。」
先刻までの強い口調がナリを潜めて、ぼそりと呟かれる。
視線を外していた俺はそのままで聞いていたが、チクリと何かが刺さった気がした。
あいつが俺を避けている、そんなのは当然だろう。実際、こちらもそうなのだから。
俺たちの相反する存在に、互いが親しみを抱くわけがない。
それなのに、この痛みは何なのか。
俺は自身のことながら理解不能だった。
グンマの宣言通りに、午前中は詰め込み授業が行われた。
「高松、今日は午前中で終わらせてね。午後はシンちゃんのお迎えに行くの。」
教師でもあるドクターにそう指示すると、
「僕も今日は、ここでやろっと。」
と、得体の知れない設計図を持参して、返事を待たずに、さっさと備え付けのキーボードを叩きだした。
その姿に、
「仕方ありませんねえ。」
ドクターは苦笑混じりに従った。
彼はグンマに甘い。逆らった姿など、ついぞ見たことがない。
確かにグンマの『お願い』は、無理難題はない。だが、甘やかしすぎではないかと思う。
一度それを指摘すると、彼は何のことはない、と穏やかに微笑んだ。
「あの方は、私の宝です。本当なら恨まれても蔑まれても当然の私を、赦して下さいました。
そして、『24年間、ありがとう』とまで言って下さったのです。この私に。」
「・・・罪悪感から甘やかしているのか?」
「そんなことはありませんよ。悪いことは悪いと、きちんとお教えして育てました。
その証拠に、あの方は我侭を言われますか?」
「・・・いや。」
「グンマ様は、相手の負担にならないよう、見極めてお願いをされます。聡明な方ですよ。
・・・シンタロー様も、甘えて下さってよろしいのですよ? あなたも私の大事な宝です。
――尤も、私にそんなことを言える資格などありませんけどね・・・。」
「俺は・・・おまえに感謝している。『あいつ』ではなく、俺の為に泣いてくれた人だ。」
「・・・ありがとうございます。」
泣きそうな笑い顔だった。
監視付きの本日の授業は、午前を20分程残すところで終了した。
「今日は、かなり駆け足で進めましたので、お疲れになったでしょう。後はゆっくりと、お休み下さい。」
労いの言葉を掛けて高松が退室する。
「お疲れー、シンタロー君。お茶、淹れるね。」
腰に掛かる髪を揺らして食器を扱うグンマ。
「・・・邪魔じゃないか? その髪。」
後ろ姿を見、何とはなしに口を突いた。
「うーん、そうだねえ。
ずっと伸ばしてて慣れているから、あんまり感じないけど、シンちゃんみたいに結んだほうがいいかなー。」
振り向きもせず作業を続けながらの答えが返る。
今でこそ解き流し、赤い服を纏うあの男は、それまで滝のような長い漆黒の髪を括っていた。
強烈な南国の光の中に浮かび上がるモノトーンが脳裏に蘇る。
「それか、いっそのこと切っちゃうとかね。
シンタロー君も、邪魔だと思う?」
ふたり分のカップとティーコジーを被せたポットを乗せたトレイを持つグンマは、両手が塞がっている為に、目で俺の髪を指し示した。
自身も彼と変わらない長さである。
ひと房掴むと、また『あの男』と『あの島』での戦いがフラッシュバックした。
――囚われているのか?
影を断ち切るように大きくかぶりを振り、
「そうだな・・・。」
窓の外へと目線を向けた。
ここは研究棟の一部で、向い側に一般棟が臨める。そこには忙しなく行き来する多くの団員。
それらを散漫と眺めていると、
「お茶、入ったよ。」
柔らかい声に引き戻された。
目の前の紅い液体から白い湯気と芳香が昇っている。
「今日はオレンジ・ペコーにしてみました。どうぞ。」
にっこりと屈託のない微笑に押され、一口含む。
「・・・美味い。」
俺の簡素な反応に笑みを深めたグンマは、
「良かった。」
と、自身も口に運んだ。
晴れ渡った空と平穏な空気。
およそ武力集団に似つかわしくないが、天候は誰にも公平に与えられるし、戦下でなければ、こんなひとときを味わっても罰は当らないだろう。
俺は、ここに戻ってきてから、ずっと思い悩んでいたことを、同じ立場であろう従兄弟に問うてみたくなった。
恐らく、今朝の夢が切欠になったと思う。
「・・・グンマ。」
「何?」
「・・・俺とおまえは、生まれてすぐに取り替えられた。」
「うん。」
「本当は、おまえはマジック伯父貴の息子、『シンタロー』だ。
そう考えたことはないか?」
核心に触れる。
本来ならば、彼が『シンタロー』で、自分は『グンマ』のはずだ。 24年前の事件さえなければ、そう育っていたはず。
ところが、大きな青の双眸を更に見開いて一瞬動きを止めた後、従兄弟は声を立てて笑い飛ばした。
「ぼっ、僕が『シンタロー』? 考えてもみなかったなあ。」
「なっ・・・!」
「僕の名前は、『グンマ』以外に思いつきもしないもん。」
けらけらと陽気に笑うグンマに、思考回路が全く異なることを、改めて知った。
聞くだけ無駄だったか――と。
「『グンマ』という名前はねえ、お母様――本当は君のお母様だね。叔母様が付けてくれたんだよ。
確かに叔母様は、僕を自分の子供だと疑わずに名付けてくれたんだと思うよ。
だけど、間違いなく『僕の』名前だ。『僕に与えられた』名前だ。」
先刻までの、ふわふわと浮いた雰囲気は消えていた。笑顔こそ絶やさないが、語る瞳は強い光を帯びている。
「きっと、この名前には叔母様の想いが込められているだろうし、僕はこの名前で24年間生きてきた。
名付けてくれた人の想い、僕をこの名で呼んだ人たちの想い、そして僕自身の想い。
『グンマ』は僕の歴史でもあるんだよ。だから、他のものに変えられない。
名前は、その人と共に在るものだと、僕は思う。」
それから、また愉快げに笑い出した。
「それに、ころころ名前変えちゃったら、皆、混乱するよねえ。
昔の人って大変だっただろうな。」
いつもの従兄弟に戻っていたが、俺の頭の中に、あの強い瞳と言葉がしっかりと焼きついた。
『名前は、その人と共に在るもの』
俺は――『シンタロー』は、本当に俺と共に在るのだろうか。
俺は24年間、『あの男』の中にいた。だから、『シンタロー』という名を授けられたと言っても、過言ではない。
だが、その名を呼んでいた者たちにとって、『シンタロー』とは――。
ふう、と肺の中の空気を入れ替える気持ちで大きく息を吐き出し、再び窓外に目をやる。
と、先程は至って平和だった一室が、俄かに騒然と湧いている様子が覗えた。
「――っ!!」
何も考えなかった。ただ、思考より先に身体が動いた。
「シンタロー君? どうしたの?」
いきなり立ち上がった俺に、グンマが訝しい声音を投げる。
それに答えず、既に歩は扉へと向かっていた。
「ちょっ、どうしたのさ!?」
背後から甲高い声がついてくるが、構っている余裕はない。ひたすら目的地へ駆ける。
嫌な胸騒ぎがして堪らない。予感めいた焦燥感が俺を追い立てる。
俺は、何かを失おうとしているのかもしれない。
それは、手放したら二度と掴めない。そう本能が警鐘している。
棟を繋ぐ長い廊下の奥に、目的の人物を捉えた。
「ティラミス! チョコレートロマンス!」
「シンタロー様!? グンマ博士も・・・。何でしょうか?」
総帥付秘書官らしい落ち着いた応答。しかし、俺は出会い頭瞬間の動揺を見逃していなかった。
「何があった。」
「・・・何のことですか?」
眼前の表情は変わらない。まるで能面だ。
「とぼけるな! あいつに何かあったんだろう!? でなきゃ、総帥室があんなに慌しくなるか!!」
「えっ!? シンちゃんが、何か!?」
俺の詰問に、後方でおろおろと成り行きを見守っていたグンマも、驚愕の音を立てた。
「そっ、そんなに大声を出さないで下さい!! 団員に知られます!」
慌てて俺たちを制するチョコレートロマンス。その態度が、俺への充分な答えになっている。
「何か、あったんだな?」
「あ。」
己の落ち度に顔を顰める同僚を、隣のティラミスが軽く小突き、観念したような溜息を吐いた。
「・・・ここで騒ぐわけにはいきません。おふたりも御同行願います。」
場を仕切る彼に従い、俺たちはその場を後にした。
早足で移動しながら、秘書官の説明を聞く。
「総帥は既にお戻りになられています。今はメディカルセンターにいらっしゃいます。」
「メディカルって・・・シンちゃん、怪我したの!?」
「ええ。」
胸に衝撃が走った。知らずに彼らを睨んでいたらしい。――八つ当たりだとわかっていても。
「・・・そんなに怖い顔をなさらないで下さい。命に別状はありませんよ。」
苦笑し指摘するチョコレートロマンス。言葉に出されると恥ずかしさが込み上げる。
照れ隠しで、ぶっきら棒に言い放った。
「・・・元々、こういう顔だ。」
「はい。そういうことにしておきます。」
まだ笑い堪えている彼を無視して、ティラミスが話を続けた。
「チョコレートロマンスが言った通りに、大怪我ではありません。ですが、総帥が怪我をされたとあっては、団内が乱れます。
ですから、予定よりも早い、極秘の帰還となったわけです。
そのままセンターにお連れして、今頃はドクター高松の手当てを受けていらっしゃると思いますよ。戦場では応急処置にしかなりませんから。」
「そっか。高松が診てくれているなら安心だね。良かったね、シンタロー君。」
『良かったね』と振られても、素直に答えることができようか。
仄かに熱い顔を背けたままに返事もしなかった。彼らの位置からは、この顔は見えないだろう。
俺は、このときほど自身の長身に価値を見出したことはなかった。
メディカルセンターに着いてから、どの処置室に総帥はいるのかと局員に尋ね――る必要はなかった。
「バカヤロー!! 放せっ、クソ親父っっ!!」
「――あそこだな。」
漏れる、というには音量が超大な一室を目指す。
果たしてそこは、前総帥の伯父とドクター高松、そして現総帥の『あの男』という顔ぶれだった。
「シンちゃん、大丈夫なの? 怪我しているのに、そんなに暴れて。」
そいつは、接近する父親に蹴りを与えていた。
「大した傷ではないといっても、結構な深さはありますよ。
まだ塞ぎきっていないのですから、開いたら知りませんよ。」
手当ては済んだのだろう、白い包帯で腹部全体を覆われた姿が痛々しい。
医師とは思えない薄情な物言いの高松に、
「それは、このアーパー親父に言ってくれ!」
「シンちゃん、ひどいっ! パパはシンちゃんのことが心配で堪らないのにっ!」
「そう言いながら、怪我人に抱きつくんじゃねえっ!!」
げしっと再び蹴りが飛び出す。足は無傷のようなので、そこを武器にしているのだろう。
見た目程に衰弱はしていない。――密かに安堵する自分を自覚した。
医療施設にはおよそ似つかわしくない乱痴気騒ぎに、俺の背後で傍観している秘書官ふたりが、ぼそりと一言零す。
「・・・マジック様には知らせなかったよな。」
「俺はドクターだけに知らせたはずだ。しかも、他言無用と念押したんだが。」
招かざる客がいる。彼が如何様にして嗅ぎつけたのか。
それを問えば、返ってくる言葉はこの俺でも容易に予想できる。何しろ、溺愛する息子だ。
『シンちゃんのことなら、なーんでもわかるよv』
秘書官は口を閉ざした。
「お父様、シンちゃんは怪我しているんだから遠慮してよ。」
もうひとりの息子に、ぴしゃりと釘を刺された父親が、涙目を別の息子に向ける。
彼は、うんうん、と頷き良識的な発言に同意を表す。
「シンちゃ~~ん。」
滂沱の涙を双眸から垂らしながら、未練がましくも大人しくなった。
やっと何とか静かになった部屋で、ふと黒い瞳とかち合った。
「あ――。」
「でも、どうして怪我したの?」
俺に向かってなのか開きかけた口を、横から入った高い声に閉ざさるをえない。
彼は視線をも俺から外し、従兄弟に説明した。
「あー、それがさ・・・遠征先のテロリストが結構しぶとくてよ。
このまま長引けば、市民への被害が拡大しそうだったんで、一気に決めてやろうと思って、眼魔砲をあいつらの本拠地にぶっ放したんだよ。」
そのときを思い出しているのか、自身の右手を見つめた。
「・・・だけど――。」
その手を頭部に移動してガリガリと掻く。
「最小限にパワーを抑えるのが、まだ上手く出来なくって・・・少し目標誤った。」
「――それで、民間人の少年が巻き込まれそうになって、総帥が庇われたそうですね。
その際に負傷されたと報告を受けています。」
淡々と引き継ぐティラミスに、
「う・・・面目ねえ・・・。」
結局、原因は自分自身だということだ。
失態を素直に認めると、一層照れ隠しに掻く。
破壊だけが目的だった団は、新総帥の下、劇的な改革を為した。
そして、今までは破壊の為だけだった一族のこの強大な能力も、最終手段に、最小限にと意識されている。
まだ彼は、己の持つ破壊力を完璧にコントロール出来ていないということか。
恥じ入る姿をまじまじと眺めていると、視線を感じたのか、再度黒い双眸が向けられた。
「・・・何だよ。カッコ悪ぃとか思ってんだろ。」
子供じみた拗ね方をする。こいつはプライドが高いから、失敗すると不機嫌になることは知っている。
下手に応答しないほうが得策だと思い黙っていたが、続けられた言葉は、俺を充分に激怒させた。
「俺が無事で残念だったな。
『シンタロー』は当分やれそうにねえ――。」
次の瞬間、俺はそいつの横っ面に拳を叩き込んでいた。
「シンちゃんっ!!」
「シンタロー君!?」
「シンタロー様!?」
「総帥!!」
様々な叫びが交錯する中、俺の目は診察台に倒れた男しか映していない。
「てっ、めえっ! 何しやがるっ!!」
「怪我人だから手加減しておいた。」
「何、ふざけたことを言ってやがるっ!!」
上半身を起こしながら凄むこいつは、何もわかっていない。
『シンタロー』をやる、だと?
それは即ち、おまえ自身の消滅を意味するというのに。
襲い掛かる腕を取り、顎を掴み上げた。間近に覗く黒曜石に己が映っている。
「・・・いいか。『シンタロー』は、おまえだ。おまえが、『シンタロー』だ。
俺にやるなど、二度と言うな。」
驚きで顕著に拡大する瞳孔を一瞥して、捕らえていた手を放せば、そのままどさりと大柄な躯体が力なく崩れた。
誰も彼もが呆けた顔で、唖然とした空気が漂う。
「高松。」
「あっ、はい。」
呼ばれ、はっとこちらを向く彼に、俺はひとつの提案を出した。
「・・・以前、俺に『キンタロー』と名付けたな。――俺は今日から、『キンタロー』だ。いいな。」
「・・・はい。シン――いえ、キンタロー様。」
それだけで、心得た、と名付け親は静かに受け取る。
この名は、俺に与えられた、俺だけの名前だ――。
「それから、伯父貴。」
「何だい?」
返ってきた声音は極めて平常なもの。
場の急展開にも、すぐさま冷静になる伯父は、さすがに一団を率いてきた人物だと改めて確信した。
「俺はこいつの――シンタローの補佐をする。総帥が戦地でこんなヘマをやるようじゃ、団も落ち着けないだろう。」
「なっ!!」
「ああ、それはいいねえ。」
「ちょっと待て!! そんなの、総帥の俺を外して勝手に決めんなよ!!」
喚き異議を申し立てる彼に、父親の鋭い一言が下った。
「彼も――キンタローも、そろそろ団の要職に就いてもらう時期だろう。
おまえが総帥に就任してからの新体制も、まだまだ安定しているとは言い難い。
今は少しでも、地盤を強固にする必要があるんじゃないのかい?」
「・・・・・・。」
客観的に分析された現状は図星らしく、新総帥は決まり悪げに、ふいと目線を逸らした。
「キンタローは優秀な人材だ。彼の能力は現地でも大いに発揮できる。
今回のようなことがまたあったとしても、彼がいれば、シンちゃんを助けてくれるとパパは思うよ。
・・・それは、おまえも良くわかっているだろう? 実際に戦った、おまえなら。」
「・・・ああ。」
一拍後、逸らしたままで呟きの肯定があった。
「――決まりだな。
明日から俺は総帥室に入る。そのように準備しておいてくれ。」
壁際に突っ立ている秘書官たちに、そう命ずる。
「はっ、はい! わかりました!」
弾かれたように反応する彼らを横目に、俺はセンターを後にした。
自室への帰路、俺は歓喜を抑えるので精一杯だった。
やっとわかった。父の言葉も、あのときの感情も。
俺は、とっくに認めていた。『シンタロー』が誰であるのかを。
それを、本人に否定されたことが哀しかった。
俺たちは別々の人格ではあるけれども、24年間一緒に生きてきた。
それを、棄てないで欲しかったのだ。
「父さん・・・俺は、『キンタロー』として生きていくよ。」
亡き父は、これを望んでいたのだろう。
過去に囚われず、『シンタロー』に囚われず、『一族』に囚われず、『自分』として生きろ、と。
「今まではひとつだったが、これからは共に生きていこう――。」
今頃、混乱していることであろう、半身に告げる。
「――シンタロー。」
――『キンタロー』の第一歩が始まった。
「あーあ。先、越されちゃった。」
肩に掛かるか掛からないかの金髪を指で弄びながら、グンマは窓外に向かってぼやいた。
「越された、とは?」
背後から優しいテノールが投げられる。この声は、物心が着いた時分から、ずっと傍にある。
「髪、だよ。」
「髪?」
すっかり短くなった己の頭髪を摘んで、グンマは頬を膨らませた。
「そう。前にね、僕、キンちゃんに、髪切ろうかなって言ったの。そしたらさ――。」
その手が窓外を指す。
「キンちゃんが先に切っているんだもん。」
指の先は総帥室。
部屋に差し込む陽光の中で、対照的な長い黒髪と金の短髪が動いている。
「ああ。そういうことですか。」
くっくっと愉快げな音に、ますますぷくりと頬が膨らんだ。
「ずるいと思わない? 僕のイメージチェンジ大作戦が失敗しちゃったよ!」
「・・・そんなことを考えていたのですが。」
明確に呆れを含んだ物言いが、彼の機嫌を降下させる。
「悪い!? 高松だって、短くしたじゃない!」
「いえ、私はイメージチェンジではなくて、治療中に長髪は邪魔なだけだったのですよ。」
非難の矛先が変わって、慌てる高松。
「それに――私は、キンタロー様は今の髪型、グンマ様は、やはり長いほうがお似合いだと思います。」
「そっかなあ・・・そしたら、また伸ばして、今度はシンちゃんみたいに結ぼうかな。」
幾分機嫌が直ったグンマは、再び窓越しに従兄弟たちを見やる。
「――確かにキンちゃんは似合うよね。
写真で見るお父様――じゃないや、ルーザー叔父様そっくりだもん。」
父親を訂正する彼に、育ての親の顔が曇った。それを彼は見逃さなかった。
「・・・そんな顔しないでよ、高松。
僕たちが間違った道を歩んできたのは事実だけどさ、僕は不幸だとは思わないよ。
本当の父親、マジックお父様とは、今までは暮らせなかったけど、今は息子として一緒に暮らしているし、可愛がってくれている。
それに、それまでは高松が充分に育ててくれたし、今だってそうでしょ?
あの島で高松は言ったよね。僕への愛情は本物だって。
あれは嘘だったの?」
「・・・っ! そんなことありません!
誓ってグンマ様を敬愛しています。今でも!!」
心底から搾り出すような吐露に、グンマは花の笑みを浮かべる。
「僕は不幸じゃない。僕は、僕が生きてきた24年間が不幸だなんて思いたくない。
そう思ったら、それこそ、あの秘石の言う通りになっちゃうよ。僕たち、青の一族が秘石のおもちゃだなんて、悔しいじゃない。」
きっぱりと言い切る蒼の双眸は輝いている。
「それよりも、実の親だとか、そうでないかより、愛情を掛けて貰えずに育ったことこそが、僕は不幸だと思うよ。
・・・コタローちゃんが可哀想だよね。実の父親からの愛情を感じずに眠り続けているんだもんね・・・。」
「グンマ様・・・。」
「・・・キンちゃんも、そうだよ。24年間、誰にも知られなかったんだもの。
だから、コタローちゃんもキンちゃんも、今から皆で愛情を掛けていけばいい。
やり直しに遅いことはないんだよ。」
ね、と首を傾げ微笑む彼に、喜びと後悔が入り混じり、上手く言葉が返せない。
小さな嗚咽と共に、たった一言、
「・・・ありがとうございます・・・。」
と高松は答えた。
項垂れる自分より長身の肩を軽く叩いてから、
「・・・でも、愛情の掛け過ぎも考えものだと思う・・・。」
「え?」
彼の視線を追えば、総帥室にはいつの間にか、もうひとり増えていた。
「・・・マジック様ですか・・・。」
「お父様も懲りないよねー。あ、蹴られた。」
話題の部屋では、前総帥が現総帥に足蹴にされている。それを傍観している補佐官という風景。
「キンちゃん、あれは怒っているね。」
くすくすと楽しげな指摘に、彼の人を注目してみた。が、平常と変わらないと思える。
「・・・そうですか?」
「うん。」
訝しい声音にも、グンマは自信満々である。
「キンちゃんはねえ、ずっとシンちゃんを見ていたんだよ。
隣、キンちゃんの授業に使っていたでしょ。」
隣とは、ここ、グンマ博士のラボの隣室。
最近までキンタローの授業に使用し、現在は彼のラボとなっている。
「本人が自覚しているのかどうか、わからないけど、暇があれば『外』を眺めていたよ。」
指差す『外』――総帥室。
「シンちゃんが好きなんだねえ。
ほら、シンちゃんが遠征先で怪我したときも、キンちゃん大慌てだったし。」
その発言に、過日の騒動を思い起こす。
メディカルセンターでの一悶着後、早々に去ったキンタローに、
「何だ、あいつは!!」
シンタローは大層憤慨した。
その彼を宥めたのがグンマだった。
「シンちゃん、シンタロー君――じゃなくて、キンタロー君はね、シンちゃんのことを、すっごく心配していたんだよ。」
総帥室の異変に気づいて、血相を変え飛び出してから今に至るまでの一連を説明すると、
「そうか・・・。」
と呟き大人しくなった。
「キンちゃんって、感情表現が下手だよね。
ま、それはシンちゃんも同じかな。」
「? どういう意味です?」
言い方に、何処となく特別な響きを感じ取り、問い返すドクターへ悪戯っぽい笑みを見せる。
「えへへ、内緒。」
相手を気にしていたのは、キンちゃんだけじゃないんだよね。
シンちゃんも、キンちゃんの様子を報告するように秘書官に頼んでいたの、ティラミスとチョコから聞いているんだよ。
ふたりに情報流していたのは、僕だもん。
「元々同じだっただけあって、良く似てるねえ。」
ガラスを挟んで見る部屋は、相変わらず新旧総帥の攻防と、苦虫を潰した顔の補佐官。
とうとう秘書官に引き摺られて、前総帥は退場した。
「いつまでも、こうして覗きをやっているわけにはいきませんから、一服しましょう。」
窓から立ち去る人影に同意する。
「そうだね。高松、ダージリンがいいな。」
「はい。わかりました。」
お茶を待つ間、グンマは窓際に腰掛け、以前、従兄弟が行っていたように『外』を眺める。
ふたりの従兄弟たちは、まるで一対の人形の如く、息が合っている。
「こんな穏やかな日が、明日も、これからも、ずーっと続けばいいな。」
見上げた空は、青く高く、どこまでも澄んでいた。
PHPプログラマ求人情報 語学留学 タオル フローリング コーティング キャッシング
自分以外は誰もいない、何もない空間。空間と呼べるのかも定かでない。
ただ、自分自身が、そこに在ることだけは確かだ。
こんな非日常の状態に、夢の中でも、夢だと認識している。
そう自身が捉えている所為か、不思議と落ち着いている。
「シンタロー。」
何処からともなく声がした。己の他に存在を主張するそれに、慌てて回りに目を凝らす。
すると、いつの間にか背後に、自分と良く似た面差しの男が立っていた。
歳も、そう変わらないと思われる、その男の声は、一度だけ聞いたことがある。
そして、そのたった一度きりの奇跡の出会いは、忘れたくとも忘れられない。
「――父さん――。」
穏やかに微笑む父は、あの最期のときと同じ――。
「おまえは、おまえとして生きるんだ。」
「・・・俺として・・・?」
謎掛けのような言葉に、真意を量りかねていると、
「シンタロー。」
また同じく呼びかけられる別の声。けれども、今度は息を飲み込んだ。
振り向く先に、夢でも鮮やかに浮かび上がる赤と黒。この鮮烈な存在は、自己の知るうちで、たったひとりしかいない。
「――っ! 何故――、何故、おまえがその名で呼ぶ!?」
咆哮――まさしく、そうだった。『その者』から『その名』で呼ばれた途端、怒りが込み上げ口を突いた。
いや――怒り――なのだろうか。
それよりも、もっと強い何かが、身体中を渦巻く。それが出口を探して彷徨っているのに、俺はその術を知らない。
「今まで悪かったな。元々、これはおまえのものだったのに、俺が使ってしまっていた。」
やめろ。そんなことは聞きたくない。
「だけど、おまえに返す。――24年間、済まなかった。ありがとう。」
深々と頭を下げる『おまえ』。
やめてくれ。俺はそれを望んでいたわけじゃない。
『その名』が失われることが、どういう意味を持つことなのか、わかっているのか?
24年間掛けて築いたおまえの存在そのものの消滅を、おまえ自身が望んでいるわけではないだろう!?
――いくら心内で叫ぼうとも、それは音にならなければ無意味だ。
声帯が凍り付いているのか、喉から外に出すことが出来ない。
それでも、この叫びは相手に届いたのだろうか。困ったような、儚げな微笑を浮かべた後、『その者』と父は背を向け歩き出す。
待って――待ってくれ! 俺を独りにしないでくれ!!
大体、無責任じゃないか! 俺をこの世界に放り出し、おまえは去っていくだと!?
そんな勝手は許さない!!
捕らえるように精一杯腕を伸ばし、彷徨う全ての感情を吐き出し叫んだ。
「シンタロー!!」
――そこで、夢は醒めた。
NAME
「シンタロー君! おはよう。」
右手を高く上げ、正面からベージュ色のリノリウムを軽やかに蹴って駆けてくる。
全面ガラス窓のこの廊下は、陽光が燦燦と降り注ぐ。
一族特有の金糸が歩を運ぶ度に、朝日を浴びてキラキラと光を弾いた。
「・・・グンマか。」
「『グンマか』は、ないでしょ! シンタロー君。
朝会ったら、まずは『おはよう』だよ!」
頭半分程低い金髪が眼下で、ぷくっと頬を膨らませ窘める。
この世に出でてから、俺は亡き父を崇拝していたドクターに預けられた。
両親をとっくに喪い、兄弟もいない、家族というものがない俺を、是非にと申し出る彼に反対する親族はいなかった。
24年間外界と遮断されていたといっても、全く何も知らないわけではない。
干渉をされない、できない位置にいても、『あの者』を通して状況は見知っていた。
生きる上で必要な最低知識、言語や生活慣習、親族関係、更には一族が支配する組織の基本的な部分はある。
けれども、それらは本当に『知識』だけで、実体験のない俺は、やはり何処か違っているらしい。
保護者であるドクターは、所謂『教育』を担い、こういう社会上の潤滑油というべき『教養』は、同じく彼に育てられた従兄弟のグンマが買って出た。
保護者が同者ということで接触する機会が多いこともあろうが、それよりも、どうもこの従兄弟は世話を焼きたいらしい。
一族で最年少は前総帥の次男だが、あの子は今は眠っている。
そうなると、次は俺を含む3人の従兄弟たち。
尤も、俺は最近加わったばかりだから、残りふたりのうち、このグンマの立場が弱かった。
ここで示す『立場』は、対外的な、つまり総帥の息子であるか否かという次元ではない。あくまで、当事者間での力関係だ。
要は性格的なもので、彼は甘える側だったということだ。・・・『あの男』は世話好きだからな。
実弟がいることは、いるのだが、そんな彼にとっては、俺は、弟が出来たようなものなのだろう。
生活上の細部に亘って、ひとつひとつ、それは楽しそうに構い、教授している。
「はい、『おはよう』」
人差し指を立て、言い聞かせるように再度同じ言葉を発する。まるで幼子扱いだ。
しかしながら、彼の持つ柔和な雰囲気が、憤慨を相殺させる。
それに、彼は決して誤ってはいない。
「・・・おはよう。」
素直に従うと、従兄弟はいつもの少女めいた笑顔になった。
上機嫌に俺の腕を引っ張り、
「今日もいい天気だね。ほんと、お天気で良かったよ。今日はシンちゃんが帰ってくるんだから。」
――ああ、なるほど。彼の機嫌の良さは、『あいつ』が帰ってくるからか。
グンマは俺と、もうひとりの従兄弟を、『シンタロー君』『シンちゃん』と呼び分けている。
あの島で区別する為に、一時『キンタロー』と命名されたが、俺は納得いかなかった。
自分こそが総帥の息子、シンタローであるのに、何故別名を与えられるのか。
そう主張すれば、誰も、当のシンタローも反論しなかった。
結局は、俺は総帥マジックの子供ではなかったけれども、『シンタロー』だけは譲れなかった。――俺は、『青の一族』であることを譲れなかった。
従兄弟のように周囲は、各々俺たちふたりの呼び名を工夫しているようだが、同名の自分たち互いに於いては、どう呼びあっていいのか悩み所だ。
『おい』とか『おまえ』とか。
『ニセ者』などと、敵意剥きだしの頃もあったが、今となってはあの感情も遠い。
そうなると自然と足は遠のき、元々好意があったわけでもなかった為、彼の動向に疎くなっていた。
ここ暫くは遠征で留守であることくらいは聞き及んでいたが、本日帰還だったとは。
「午後に帰ってくる予定だって。だから今日は、午前中に頑張るよ! そして、お迎えに行くんだからね!」
「・・・は?」
「『は?』じゃないよ! シンタロー君も行くんだよ!」
ビシッと有無を言わせない口調でグンマは目を見据える。
どうも、こういうときの彼は苦手だ。同じ碧眼でも、そのまっすぐな瞳は自己が持ち得ないもの。
「俺は・・・別に・・・。」
思わず逸らした俺に続けて、
「ダメ! シンタロー君、シンちゃんを避けているでしょう。
シンちゃんも総帥になってから凄く忙しいみたいだからさ、会えるときは会っておかないと。」
図星を指された。
「・・・シンちゃんも、避けているみたいだしさ・・・。」
先刻までの強い口調がナリを潜めて、ぼそりと呟かれる。
視線を外していた俺はそのままで聞いていたが、チクリと何かが刺さった気がした。
あいつが俺を避けている、そんなのは当然だろう。実際、こちらもそうなのだから。
俺たちの相反する存在に、互いが親しみを抱くわけがない。
それなのに、この痛みは何なのか。
俺は自身のことながら理解不能だった。
グンマの宣言通りに、午前中は詰め込み授業が行われた。
「高松、今日は午前中で終わらせてね。午後はシンちゃんのお迎えに行くの。」
教師でもあるドクターにそう指示すると、
「僕も今日は、ここでやろっと。」
と、得体の知れない設計図を持参して、返事を待たずに、さっさと備え付けのキーボードを叩きだした。
その姿に、
「仕方ありませんねえ。」
ドクターは苦笑混じりに従った。
彼はグンマに甘い。逆らった姿など、ついぞ見たことがない。
確かにグンマの『お願い』は、無理難題はない。だが、甘やかしすぎではないかと思う。
一度それを指摘すると、彼は何のことはない、と穏やかに微笑んだ。
「あの方は、私の宝です。本当なら恨まれても蔑まれても当然の私を、赦して下さいました。
そして、『24年間、ありがとう』とまで言って下さったのです。この私に。」
「・・・罪悪感から甘やかしているのか?」
「そんなことはありませんよ。悪いことは悪いと、きちんとお教えして育てました。
その証拠に、あの方は我侭を言われますか?」
「・・・いや。」
「グンマ様は、相手の負担にならないよう、見極めてお願いをされます。聡明な方ですよ。
・・・シンタロー様も、甘えて下さってよろしいのですよ? あなたも私の大事な宝です。
――尤も、私にそんなことを言える資格などありませんけどね・・・。」
「俺は・・・おまえに感謝している。『あいつ』ではなく、俺の為に泣いてくれた人だ。」
「・・・ありがとうございます。」
泣きそうな笑い顔だった。
監視付きの本日の授業は、午前を20分程残すところで終了した。
「今日は、かなり駆け足で進めましたので、お疲れになったでしょう。後はゆっくりと、お休み下さい。」
労いの言葉を掛けて高松が退室する。
「お疲れー、シンタロー君。お茶、淹れるね。」
腰に掛かる髪を揺らして食器を扱うグンマ。
「・・・邪魔じゃないか? その髪。」
後ろ姿を見、何とはなしに口を突いた。
「うーん、そうだねえ。
ずっと伸ばしてて慣れているから、あんまり感じないけど、シンちゃんみたいに結んだほうがいいかなー。」
振り向きもせず作業を続けながらの答えが返る。
今でこそ解き流し、赤い服を纏うあの男は、それまで滝のような長い漆黒の髪を括っていた。
強烈な南国の光の中に浮かび上がるモノトーンが脳裏に蘇る。
「それか、いっそのこと切っちゃうとかね。
シンタロー君も、邪魔だと思う?」
ふたり分のカップとティーコジーを被せたポットを乗せたトレイを持つグンマは、両手が塞がっている為に、目で俺の髪を指し示した。
自身も彼と変わらない長さである。
ひと房掴むと、また『あの男』と『あの島』での戦いがフラッシュバックした。
――囚われているのか?
影を断ち切るように大きくかぶりを振り、
「そうだな・・・。」
窓の外へと目線を向けた。
ここは研究棟の一部で、向い側に一般棟が臨める。そこには忙しなく行き来する多くの団員。
それらを散漫と眺めていると、
「お茶、入ったよ。」
柔らかい声に引き戻された。
目の前の紅い液体から白い湯気と芳香が昇っている。
「今日はオレンジ・ペコーにしてみました。どうぞ。」
にっこりと屈託のない微笑に押され、一口含む。
「・・・美味い。」
俺の簡素な反応に笑みを深めたグンマは、
「良かった。」
と、自身も口に運んだ。
晴れ渡った空と平穏な空気。
およそ武力集団に似つかわしくないが、天候は誰にも公平に与えられるし、戦下でなければ、こんなひとときを味わっても罰は当らないだろう。
俺は、ここに戻ってきてから、ずっと思い悩んでいたことを、同じ立場であろう従兄弟に問うてみたくなった。
恐らく、今朝の夢が切欠になったと思う。
「・・・グンマ。」
「何?」
「・・・俺とおまえは、生まれてすぐに取り替えられた。」
「うん。」
「本当は、おまえはマジック伯父貴の息子、『シンタロー』だ。
そう考えたことはないか?」
核心に触れる。
本来ならば、彼が『シンタロー』で、自分は『グンマ』のはずだ。 24年前の事件さえなければ、そう育っていたはず。
ところが、大きな青の双眸を更に見開いて一瞬動きを止めた後、従兄弟は声を立てて笑い飛ばした。
「ぼっ、僕が『シンタロー』? 考えてもみなかったなあ。」
「なっ・・・!」
「僕の名前は、『グンマ』以外に思いつきもしないもん。」
けらけらと陽気に笑うグンマに、思考回路が全く異なることを、改めて知った。
聞くだけ無駄だったか――と。
「『グンマ』という名前はねえ、お母様――本当は君のお母様だね。叔母様が付けてくれたんだよ。
確かに叔母様は、僕を自分の子供だと疑わずに名付けてくれたんだと思うよ。
だけど、間違いなく『僕の』名前だ。『僕に与えられた』名前だ。」
先刻までの、ふわふわと浮いた雰囲気は消えていた。笑顔こそ絶やさないが、語る瞳は強い光を帯びている。
「きっと、この名前には叔母様の想いが込められているだろうし、僕はこの名前で24年間生きてきた。
名付けてくれた人の想い、僕をこの名で呼んだ人たちの想い、そして僕自身の想い。
『グンマ』は僕の歴史でもあるんだよ。だから、他のものに変えられない。
名前は、その人と共に在るものだと、僕は思う。」
それから、また愉快げに笑い出した。
「それに、ころころ名前変えちゃったら、皆、混乱するよねえ。
昔の人って大変だっただろうな。」
いつもの従兄弟に戻っていたが、俺の頭の中に、あの強い瞳と言葉がしっかりと焼きついた。
『名前は、その人と共に在るもの』
俺は――『シンタロー』は、本当に俺と共に在るのだろうか。
俺は24年間、『あの男』の中にいた。だから、『シンタロー』という名を授けられたと言っても、過言ではない。
だが、その名を呼んでいた者たちにとって、『シンタロー』とは――。
ふう、と肺の中の空気を入れ替える気持ちで大きく息を吐き出し、再び窓外に目をやる。
と、先程は至って平和だった一室が、俄かに騒然と湧いている様子が覗えた。
「――っ!!」
何も考えなかった。ただ、思考より先に身体が動いた。
「シンタロー君? どうしたの?」
いきなり立ち上がった俺に、グンマが訝しい声音を投げる。
それに答えず、既に歩は扉へと向かっていた。
「ちょっ、どうしたのさ!?」
背後から甲高い声がついてくるが、構っている余裕はない。ひたすら目的地へ駆ける。
嫌な胸騒ぎがして堪らない。予感めいた焦燥感が俺を追い立てる。
俺は、何かを失おうとしているのかもしれない。
それは、手放したら二度と掴めない。そう本能が警鐘している。
棟を繋ぐ長い廊下の奥に、目的の人物を捉えた。
「ティラミス! チョコレートロマンス!」
「シンタロー様!? グンマ博士も・・・。何でしょうか?」
総帥付秘書官らしい落ち着いた応答。しかし、俺は出会い頭瞬間の動揺を見逃していなかった。
「何があった。」
「・・・何のことですか?」
眼前の表情は変わらない。まるで能面だ。
「とぼけるな! あいつに何かあったんだろう!? でなきゃ、総帥室があんなに慌しくなるか!!」
「えっ!? シンちゃんが、何か!?」
俺の詰問に、後方でおろおろと成り行きを見守っていたグンマも、驚愕の音を立てた。
「そっ、そんなに大声を出さないで下さい!! 団員に知られます!」
慌てて俺たちを制するチョコレートロマンス。その態度が、俺への充分な答えになっている。
「何か、あったんだな?」
「あ。」
己の落ち度に顔を顰める同僚を、隣のティラミスが軽く小突き、観念したような溜息を吐いた。
「・・・ここで騒ぐわけにはいきません。おふたりも御同行願います。」
場を仕切る彼に従い、俺たちはその場を後にした。
早足で移動しながら、秘書官の説明を聞く。
「総帥は既にお戻りになられています。今はメディカルセンターにいらっしゃいます。」
「メディカルって・・・シンちゃん、怪我したの!?」
「ええ。」
胸に衝撃が走った。知らずに彼らを睨んでいたらしい。――八つ当たりだとわかっていても。
「・・・そんなに怖い顔をなさらないで下さい。命に別状はありませんよ。」
苦笑し指摘するチョコレートロマンス。言葉に出されると恥ずかしさが込み上げる。
照れ隠しで、ぶっきら棒に言い放った。
「・・・元々、こういう顔だ。」
「はい。そういうことにしておきます。」
まだ笑い堪えている彼を無視して、ティラミスが話を続けた。
「チョコレートロマンスが言った通りに、大怪我ではありません。ですが、総帥が怪我をされたとあっては、団内が乱れます。
ですから、予定よりも早い、極秘の帰還となったわけです。
そのままセンターにお連れして、今頃はドクター高松の手当てを受けていらっしゃると思いますよ。戦場では応急処置にしかなりませんから。」
「そっか。高松が診てくれているなら安心だね。良かったね、シンタロー君。」
『良かったね』と振られても、素直に答えることができようか。
仄かに熱い顔を背けたままに返事もしなかった。彼らの位置からは、この顔は見えないだろう。
俺は、このときほど自身の長身に価値を見出したことはなかった。
メディカルセンターに着いてから、どの処置室に総帥はいるのかと局員に尋ね――る必要はなかった。
「バカヤロー!! 放せっ、クソ親父っっ!!」
「――あそこだな。」
漏れる、というには音量が超大な一室を目指す。
果たしてそこは、前総帥の伯父とドクター高松、そして現総帥の『あの男』という顔ぶれだった。
「シンちゃん、大丈夫なの? 怪我しているのに、そんなに暴れて。」
そいつは、接近する父親に蹴りを与えていた。
「大した傷ではないといっても、結構な深さはありますよ。
まだ塞ぎきっていないのですから、開いたら知りませんよ。」
手当ては済んだのだろう、白い包帯で腹部全体を覆われた姿が痛々しい。
医師とは思えない薄情な物言いの高松に、
「それは、このアーパー親父に言ってくれ!」
「シンちゃん、ひどいっ! パパはシンちゃんのことが心配で堪らないのにっ!」
「そう言いながら、怪我人に抱きつくんじゃねえっ!!」
げしっと再び蹴りが飛び出す。足は無傷のようなので、そこを武器にしているのだろう。
見た目程に衰弱はしていない。――密かに安堵する自分を自覚した。
医療施設にはおよそ似つかわしくない乱痴気騒ぎに、俺の背後で傍観している秘書官ふたりが、ぼそりと一言零す。
「・・・マジック様には知らせなかったよな。」
「俺はドクターだけに知らせたはずだ。しかも、他言無用と念押したんだが。」
招かざる客がいる。彼が如何様にして嗅ぎつけたのか。
それを問えば、返ってくる言葉はこの俺でも容易に予想できる。何しろ、溺愛する息子だ。
『シンちゃんのことなら、なーんでもわかるよv』
秘書官は口を閉ざした。
「お父様、シンちゃんは怪我しているんだから遠慮してよ。」
もうひとりの息子に、ぴしゃりと釘を刺された父親が、涙目を別の息子に向ける。
彼は、うんうん、と頷き良識的な発言に同意を表す。
「シンちゃ~~ん。」
滂沱の涙を双眸から垂らしながら、未練がましくも大人しくなった。
やっと何とか静かになった部屋で、ふと黒い瞳とかち合った。
「あ――。」
「でも、どうして怪我したの?」
俺に向かってなのか開きかけた口を、横から入った高い声に閉ざさるをえない。
彼は視線をも俺から外し、従兄弟に説明した。
「あー、それがさ・・・遠征先のテロリストが結構しぶとくてよ。
このまま長引けば、市民への被害が拡大しそうだったんで、一気に決めてやろうと思って、眼魔砲をあいつらの本拠地にぶっ放したんだよ。」
そのときを思い出しているのか、自身の右手を見つめた。
「・・・だけど――。」
その手を頭部に移動してガリガリと掻く。
「最小限にパワーを抑えるのが、まだ上手く出来なくって・・・少し目標誤った。」
「――それで、民間人の少年が巻き込まれそうになって、総帥が庇われたそうですね。
その際に負傷されたと報告を受けています。」
淡々と引き継ぐティラミスに、
「う・・・面目ねえ・・・。」
結局、原因は自分自身だということだ。
失態を素直に認めると、一層照れ隠しに掻く。
破壊だけが目的だった団は、新総帥の下、劇的な改革を為した。
そして、今までは破壊の為だけだった一族のこの強大な能力も、最終手段に、最小限にと意識されている。
まだ彼は、己の持つ破壊力を完璧にコントロール出来ていないということか。
恥じ入る姿をまじまじと眺めていると、視線を感じたのか、再度黒い双眸が向けられた。
「・・・何だよ。カッコ悪ぃとか思ってんだろ。」
子供じみた拗ね方をする。こいつはプライドが高いから、失敗すると不機嫌になることは知っている。
下手に応答しないほうが得策だと思い黙っていたが、続けられた言葉は、俺を充分に激怒させた。
「俺が無事で残念だったな。
『シンタロー』は当分やれそうにねえ――。」
次の瞬間、俺はそいつの横っ面に拳を叩き込んでいた。
「シンちゃんっ!!」
「シンタロー君!?」
「シンタロー様!?」
「総帥!!」
様々な叫びが交錯する中、俺の目は診察台に倒れた男しか映していない。
「てっ、めえっ! 何しやがるっ!!」
「怪我人だから手加減しておいた。」
「何、ふざけたことを言ってやがるっ!!」
上半身を起こしながら凄むこいつは、何もわかっていない。
『シンタロー』をやる、だと?
それは即ち、おまえ自身の消滅を意味するというのに。
襲い掛かる腕を取り、顎を掴み上げた。間近に覗く黒曜石に己が映っている。
「・・・いいか。『シンタロー』は、おまえだ。おまえが、『シンタロー』だ。
俺にやるなど、二度と言うな。」
驚きで顕著に拡大する瞳孔を一瞥して、捕らえていた手を放せば、そのままどさりと大柄な躯体が力なく崩れた。
誰も彼もが呆けた顔で、唖然とした空気が漂う。
「高松。」
「あっ、はい。」
呼ばれ、はっとこちらを向く彼に、俺はひとつの提案を出した。
「・・・以前、俺に『キンタロー』と名付けたな。――俺は今日から、『キンタロー』だ。いいな。」
「・・・はい。シン――いえ、キンタロー様。」
それだけで、心得た、と名付け親は静かに受け取る。
この名は、俺に与えられた、俺だけの名前だ――。
「それから、伯父貴。」
「何だい?」
返ってきた声音は極めて平常なもの。
場の急展開にも、すぐさま冷静になる伯父は、さすがに一団を率いてきた人物だと改めて確信した。
「俺はこいつの――シンタローの補佐をする。総帥が戦地でこんなヘマをやるようじゃ、団も落ち着けないだろう。」
「なっ!!」
「ああ、それはいいねえ。」
「ちょっと待て!! そんなの、総帥の俺を外して勝手に決めんなよ!!」
喚き異議を申し立てる彼に、父親の鋭い一言が下った。
「彼も――キンタローも、そろそろ団の要職に就いてもらう時期だろう。
おまえが総帥に就任してからの新体制も、まだまだ安定しているとは言い難い。
今は少しでも、地盤を強固にする必要があるんじゃないのかい?」
「・・・・・・。」
客観的に分析された現状は図星らしく、新総帥は決まり悪げに、ふいと目線を逸らした。
「キンタローは優秀な人材だ。彼の能力は現地でも大いに発揮できる。
今回のようなことがまたあったとしても、彼がいれば、シンちゃんを助けてくれるとパパは思うよ。
・・・それは、おまえも良くわかっているだろう? 実際に戦った、おまえなら。」
「・・・ああ。」
一拍後、逸らしたままで呟きの肯定があった。
「――決まりだな。
明日から俺は総帥室に入る。そのように準備しておいてくれ。」
壁際に突っ立ている秘書官たちに、そう命ずる。
「はっ、はい! わかりました!」
弾かれたように反応する彼らを横目に、俺はセンターを後にした。
自室への帰路、俺は歓喜を抑えるので精一杯だった。
やっとわかった。父の言葉も、あのときの感情も。
俺は、とっくに認めていた。『シンタロー』が誰であるのかを。
それを、本人に否定されたことが哀しかった。
俺たちは別々の人格ではあるけれども、24年間一緒に生きてきた。
それを、棄てないで欲しかったのだ。
「父さん・・・俺は、『キンタロー』として生きていくよ。」
亡き父は、これを望んでいたのだろう。
過去に囚われず、『シンタロー』に囚われず、『一族』に囚われず、『自分』として生きろ、と。
「今まではひとつだったが、これからは共に生きていこう――。」
今頃、混乱していることであろう、半身に告げる。
「――シンタロー。」
――『キンタロー』の第一歩が始まった。
「あーあ。先、越されちゃった。」
肩に掛かるか掛からないかの金髪を指で弄びながら、グンマは窓外に向かってぼやいた。
「越された、とは?」
背後から優しいテノールが投げられる。この声は、物心が着いた時分から、ずっと傍にある。
「髪、だよ。」
「髪?」
すっかり短くなった己の頭髪を摘んで、グンマは頬を膨らませた。
「そう。前にね、僕、キンちゃんに、髪切ろうかなって言ったの。そしたらさ――。」
その手が窓外を指す。
「キンちゃんが先に切っているんだもん。」
指の先は総帥室。
部屋に差し込む陽光の中で、対照的な長い黒髪と金の短髪が動いている。
「ああ。そういうことですか。」
くっくっと愉快げな音に、ますますぷくりと頬が膨らんだ。
「ずるいと思わない? 僕のイメージチェンジ大作戦が失敗しちゃったよ!」
「・・・そんなことを考えていたのですが。」
明確に呆れを含んだ物言いが、彼の機嫌を降下させる。
「悪い!? 高松だって、短くしたじゃない!」
「いえ、私はイメージチェンジではなくて、治療中に長髪は邪魔なだけだったのですよ。」
非難の矛先が変わって、慌てる高松。
「それに――私は、キンタロー様は今の髪型、グンマ様は、やはり長いほうがお似合いだと思います。」
「そっかなあ・・・そしたら、また伸ばして、今度はシンちゃんみたいに結ぼうかな。」
幾分機嫌が直ったグンマは、再び窓越しに従兄弟たちを見やる。
「――確かにキンちゃんは似合うよね。
写真で見るお父様――じゃないや、ルーザー叔父様そっくりだもん。」
父親を訂正する彼に、育ての親の顔が曇った。それを彼は見逃さなかった。
「・・・そんな顔しないでよ、高松。
僕たちが間違った道を歩んできたのは事実だけどさ、僕は不幸だとは思わないよ。
本当の父親、マジックお父様とは、今までは暮らせなかったけど、今は息子として一緒に暮らしているし、可愛がってくれている。
それに、それまでは高松が充分に育ててくれたし、今だってそうでしょ?
あの島で高松は言ったよね。僕への愛情は本物だって。
あれは嘘だったの?」
「・・・っ! そんなことありません!
誓ってグンマ様を敬愛しています。今でも!!」
心底から搾り出すような吐露に、グンマは花の笑みを浮かべる。
「僕は不幸じゃない。僕は、僕が生きてきた24年間が不幸だなんて思いたくない。
そう思ったら、それこそ、あの秘石の言う通りになっちゃうよ。僕たち、青の一族が秘石のおもちゃだなんて、悔しいじゃない。」
きっぱりと言い切る蒼の双眸は輝いている。
「それよりも、実の親だとか、そうでないかより、愛情を掛けて貰えずに育ったことこそが、僕は不幸だと思うよ。
・・・コタローちゃんが可哀想だよね。実の父親からの愛情を感じずに眠り続けているんだもんね・・・。」
「グンマ様・・・。」
「・・・キンちゃんも、そうだよ。24年間、誰にも知られなかったんだもの。
だから、コタローちゃんもキンちゃんも、今から皆で愛情を掛けていけばいい。
やり直しに遅いことはないんだよ。」
ね、と首を傾げ微笑む彼に、喜びと後悔が入り混じり、上手く言葉が返せない。
小さな嗚咽と共に、たった一言、
「・・・ありがとうございます・・・。」
と高松は答えた。
項垂れる自分より長身の肩を軽く叩いてから、
「・・・でも、愛情の掛け過ぎも考えものだと思う・・・。」
「え?」
彼の視線を追えば、総帥室にはいつの間にか、もうひとり増えていた。
「・・・マジック様ですか・・・。」
「お父様も懲りないよねー。あ、蹴られた。」
話題の部屋では、前総帥が現総帥に足蹴にされている。それを傍観している補佐官という風景。
「キンちゃん、あれは怒っているね。」
くすくすと楽しげな指摘に、彼の人を注目してみた。が、平常と変わらないと思える。
「・・・そうですか?」
「うん。」
訝しい声音にも、グンマは自信満々である。
「キンちゃんはねえ、ずっとシンちゃんを見ていたんだよ。
隣、キンちゃんの授業に使っていたでしょ。」
隣とは、ここ、グンマ博士のラボの隣室。
最近までキンタローの授業に使用し、現在は彼のラボとなっている。
「本人が自覚しているのかどうか、わからないけど、暇があれば『外』を眺めていたよ。」
指差す『外』――総帥室。
「シンちゃんが好きなんだねえ。
ほら、シンちゃんが遠征先で怪我したときも、キンちゃん大慌てだったし。」
その発言に、過日の騒動を思い起こす。
メディカルセンターでの一悶着後、早々に去ったキンタローに、
「何だ、あいつは!!」
シンタローは大層憤慨した。
その彼を宥めたのがグンマだった。
「シンちゃん、シンタロー君――じゃなくて、キンタロー君はね、シンちゃんのことを、すっごく心配していたんだよ。」
総帥室の異変に気づいて、血相を変え飛び出してから今に至るまでの一連を説明すると、
「そうか・・・。」
と呟き大人しくなった。
「キンちゃんって、感情表現が下手だよね。
ま、それはシンちゃんも同じかな。」
「? どういう意味です?」
言い方に、何処となく特別な響きを感じ取り、問い返すドクターへ悪戯っぽい笑みを見せる。
「えへへ、内緒。」
相手を気にしていたのは、キンちゃんだけじゃないんだよね。
シンちゃんも、キンちゃんの様子を報告するように秘書官に頼んでいたの、ティラミスとチョコから聞いているんだよ。
ふたりに情報流していたのは、僕だもん。
「元々同じだっただけあって、良く似てるねえ。」
ガラスを挟んで見る部屋は、相変わらず新旧総帥の攻防と、苦虫を潰した顔の補佐官。
とうとう秘書官に引き摺られて、前総帥は退場した。
「いつまでも、こうして覗きをやっているわけにはいきませんから、一服しましょう。」
窓から立ち去る人影に同意する。
「そうだね。高松、ダージリンがいいな。」
「はい。わかりました。」
お茶を待つ間、グンマは窓際に腰掛け、以前、従兄弟が行っていたように『外』を眺める。
ふたりの従兄弟たちは、まるで一対の人形の如く、息が合っている。
「こんな穏やかな日が、明日も、これからも、ずーっと続けばいいな。」
見上げた空は、青く高く、どこまでも澄んでいた。
PHPプログラマ求人情報 語学留学 タオル フローリング コーティング キャッシング
PR