私は余り人に関心を持たないのですが、唯一大好きな人間と大嫌いな人間が居ます。
大好きな人間。
言わずもがなグンマ様。
大嫌いな人間。
シンタロー君。
彼を見て居ると胸の奥が刃物でえぐられるような酷い不快な痛みが過ぎります。
その位大ッ嫌いなのです。
「ドクター、絆創膏ー。」
ガラリと保健室のドアを開けて入って来たのは将来ガンマ団の総帥に一番近い男、シンタロー。
黒目黒髪の青の一族の異端児。
ああ、本来ならば美しい金色の瞳、青い目を持つグンマ様がそのポジションに付くはずだったのに。
そう。私はこの異端児と美しいグンマ様をすり替えました。
サービスに悪行をそそのかされた時、私は何の躊躇もしませんでしたよ。
だってそうでしょう?
私が崇拝して止まないルーザー様にちっとも似ていない彼がルーザー様の息子を名乗るなんて…私には我慢できません。
「はいはい。シンタロー君。そこの棚にありますから勝手に持って行って下さい。」
「ああ…。」
シンタローを見ずに机に向かい高松は何やら書いている。
シンタローは昔からカンの良い子だ。
その為薄々ながらも高松に自分は嫌われていると知っていた。
昔、こんな事があった。
グンマと二人で遊んでいて、シンタローは外で遊びたかったのにグンマは家の中で遊びたいといって口論になった。
じゃあ一人で遊びに行くとシンタローが言った時、行かないでとグンマが泣き出したのだ。
下からダダダと言う騒音と共に高松が上がって来て、勢いよくドアを開ける。
泣いているグンマを見て、高松はシンタローに怒りに燃える視線を投げかけたのだった。
そして理由も聞かずシンタローの襟首を掴む。
体重の軽い子供は大人の腕力でゆうに宙に浮く。
苦しくて足をバタバタさせるシンタローに高松はドスの聞いた声で言った。
「グンマ様を泣かすな。この、青の一族の異端児が!」
今にも殴り掛かりそうだった所をグンマが必死に止め、殴られる事はなかったのだが…。
シンタローは心にショックをおって。
その事は自分と高松とグンマだけの秘密のようになり、父にさえ話す事が出来なかった事を覚えている。
自分だけが覚えているだけであり、高松もグンマも覚えている確証なんてどこにもないのだけれど。
「ナンでアンタ、そんなに俺の事嫌いなの。」
絆創膏を取りながら後ろ向きで高松に問い掛ける。
「嫌い?例えそうだったとしても私は肯定できませんねぇ。この仕事を辞める訳にはいきませんので。」
目を細め涼やかに笑う。
振り返り様見た高松は、笑っていたのではあるが、笑っていないようでもあった。
別に嫌われても構わない。
高松は言わば父の部下であるし、自分には何ら関係ない。
自分が生きていくにおいて居ても居なくても何にも支障のない人間。
ただ、唯一関係があるとすれば従兄弟のグンマの育ての親、というグンマを通じての関係。
でも、気になる存在。
士官学校に行くまで、シンタローの知り合いは父マジック、叔父サービスとハーレム、従兄弟グンマ。
そして医者の高松。
幼い頃から知っている人間の少ないシンタローは、良くも悪くも高松を気になっていた。
「アンタのそれさ、肯定してるように聞こえるんだケド。」
「それはシンタロー君の憶測でしかないですからね。そう思うならご自由に。」
足を組んで真っ直ぐ目を合わす。
黒い瞳がかちあった。
「じゃあそう思うヨ。でさ、アンタ何が気に入らない訳?俺アンタになンかしたか?」
真っ直ぐに見つめてやれどもグンマの事以外はポーカーフェイスの高松。
その心情は読み取る事ができない。
「いいえ?何も。言ったでしょう、それはシンタロー君の憶測でしかないと。私は貴方が嫌いとは言っていませんので返答できかねますね。」
「あ、そ。じゃあアンタにとって俺は好きとか嫌いとかそうゆう感情一切ナシの興味のない存在って事ね!」
特に怒った風でもなく、溜息混じりに言った言葉。
だったのに。
高松のポーカーフェイスが歪んだ。
シンタローの眉がピクリと動く。
やっぱ嫌いなんじゃねーかヨ。
心の中で悪態をついた。
「…どう思うもご自由に。」
やっとの事で搾り出した声。
高松を見るが長い髪に隠されて口元しか見えない。
薄くもなく厚くもないその唇が言葉を紡ぎ出す。
シンタローは少しだけ心が痛んだ。
人間人に嫌われれば誰だって心が痛む。
脳天から鳩尾にかけての嫌な痺れ。
しかも理由も解らないときている。
「まぁ、別にいいけどな。」
さして何でもないように言ってはいるが、本心としては苦しいものがある。
まだほんの若造には痛みがあるものだ。
理由を聞きたい気持ちがあったが、高松がこの調子じゃきっと何も答えてはくれないだろう。
そう思い、シンタローはグッと腹に力を入れて保健室から出て行こうとする。
その時、ガシッと腕を持たれた。
シンタローがびっくりして振り返ると、高松が憎しみを込めた瞳でシンタローを見つめていた。
蘇る幼い頃のショック。
フラッシュバックされたように、あの時の思い出が全て脳裏に写った。
精神的にあの頃の幼い自分になってしまったようで、シンタローは酷く自分が無防備のように思える。
この腕を振りほどかねばと思うのだが、恐怖心から力が出ない。
ブンブンと振り回すが、高松の指に吸盤がくっついているかのようで剥がれないのだ。
シンタローは泣きそうになった。
鼻の奥がツンと痛い。
「私が貴方を嫌いなのではなく、貴方が私を嫌いなのではないんですか?」
腕を掴まれたまま高松に言われて。
シンタローは何も言い返さなかった。
自分は…。
恐怖心と戦いながら思う。
自分は高松が嫌いではない。
幼い頃より知っている数少ない人間の一人だし、大人だ。
ただ、怖い、とは思っている。
嫌いと恐怖はまた違う。
「俺は…ドクターの事嫌いじゃねーヨ…」
目線は合わせず思った事を口にして。
「アンタはどうしてそうなんだ。」
「貴方も…
嫌われていても良いと言っておきながら、どうしてそんなに好意を持っているか持っていないか気にするんですか?」
そう突き付けられて考える。
理由なんかない。
ただ知りたかっただけ。
彼が何が好きで何が嫌いか。
自分はどの位地にいるのか。
そして…嫌われているというのは自分の思い込みだと信じたい気持ち。
解ってはいる…いや、よくは解っていないのだろう。
輪郭ははっきり解るのに霞がかかったように朧げに見える部分もあって。
「ただ…知りたいだけ。」それだけ高松に伝える。
高松は一瞬驚いたような顔をしたが、またいつもの顔に戻った。
皮肉にも見えるニヒルな笑みを口元で作って腕を組み、足を組む。
キィ、と業務用の椅子が声を漏らした。
「まるで恋をしているようですね。」
そう言われた瞬間シンタローの中で何かが弾けた。
まさか。俺が?
恐怖の対象でしかない高松。
小さい頃は彼の一挙一動にビクリと体を震わせていたものだ。
しかし、パズルのピースがピタリと当て嵌まった、そんな感覚を覚える。
揺らぐ瞳で高松を見ると、不機嫌そうにシンタローを見つめていた。
「止めて下さいシンタロー君。冗談ですよ。第一…」そこで高松は言葉を一旦切る。
そして、次に発せられた言葉はシンタローの耳を疑う言葉だった。
「金髪碧眼が私の理想なんです。私と同じ色は全く興味がないんですよ。」
忌ま忌ましげに見つめる瞳、鼻の頭に寄る皺。
ヒクリとシンタローの喉が鳴った。
「なんですか。もしかして期待でもしてらしたんですか?」
何も言えないシンタロー。
当たり前じゃないですか。ルーザー様に似ていない姿形。
そして、性格。
私が好きになるはずないでしょう。
ルーザー様に1番近い筈のアナタはルーザー様の美しさから1番遠い。
苛々します。
アナタのその姿を見るだけで体が怒りで震えるのをいつも我慢しているんですよ。
「ッ!」
シンタローが小さな悲鳴を上げたのは、高松がシンタローの腕を無理矢理ひっばったから。
抱き抱えてベッドに押し倒すと、シャアッと真っ白い清潔なカーテンを勢い良く閉める。
ギシリと悲鳴をあげ、沈むベッドとシンタロー。
黒い短髪が白いシーツにまるで波に浮かんでいるように映えた。
「こうなる事を望んでいらしたんでしょう?」
顎に手をかけ瞳を覗き込むが、やはり真っ黒で。
キツイ瞳が睨みを利かせ、その顔が感情を表に出さないルーザーとは真逆で又苛々する。
「どけ!」
「何でですか?」
「何でじゃねーよ!ふざけんナ!」
「好きな男に抱かれるなら本望でしょう。」
そのまま高松の顔が近づいてくる。
ゾワリ、鳥肌が立った。
それからどうなったか正直覚えていない。
目茶苦茶叫んで暴れて動きまくって、どうにか保健室から逃げ出した。
廊下を思い切り走って、授業なんてすっぽかして、寮の自室へ篭った。
簡素なベッドに机とクローゼット。
ベッドには乗る気になれなくて、地べたに体育座りで膝に額を付けた途端涙が溢れてきた。
怖かったという気持ちもある。
しかし、それ以上に本当に嫌われていたんだという核心に触れてしまって、それがショックだった。
鳴咽を殺しながら、でも涙は止まらなくて、口に広がるしょっぱさと恐怖と愕然とした思いが螺旋のようにぐるぐると回ってシンタローの孤独を包み込む。
腕は先程高松が握った部分が熱くなっていて、滲む瞳で見ると、赤くなっていて、しかも震えている。
「――ッきしょォ…!!」
小さな部屋で一言叫び、シンタローは又膝に顔を埋めたのだった。
一方の高松は冷静な顔でシンタローを押し倒したベッドに座っていた。
しかし、心中は穏やかではなく、虚ろな目でドアの方を向いている。
何故あんな事をしてしまったのか。
自問自答してみても答えなんて出てくる筈もない。
だって。
嫌いだから。憎いから。
自分の崇拝して止まないルーザーの息子が彼にちっとも似ていない事が酷く腹立たしい。
青の一族に黒髪は産まれない。
なのになんだ。
何故ルーザー様に限って。何故ルーザー様だったんだ。
何故産まれてきたんだ。
何故………。
沢山の疑問符と込み上げてくる何か。
喉の奥が苦い。
高松の脳裏に過ぎるのは先程のシンタロー。
力いっぱい拒否をして、泣きそうな顔をして、恐怖で上手く動かない体と口を懸命に動かし拒絶した。
ツキリ。
心臓が痛んだので胸を無意識に触ってみるが、トクトクと心音が手の平から伝わってくるだけ。
口元を上げ、自笑気味に笑おうとした。
「痛ッ―…」
口元に指先を置いてみると、少しぬめっとした感触。
ぬめりの正体を見遣ると、それは血。
ああ、あの時。
無我夢中で逃げようとするシンタローの攻撃が一発入っていたようだ。
それを他人事のように見て、又中を仰ぐ。
嫌いな彼がどうなろうが知った事ではない。
むしろ傷付ける事が出来てよかったじゃないか。
しかし、思いとは裏腹に心臓は先程から針に刺されたようにツキツキと痛む。
苦しい。
そして思い出す。あの時のシンタローの顔を。
あの顔を見て自分は何を思ったか。
不覚にも……劣情をきたしていたではないか。
そして勝手に傷ついた。
傷付いているのは紛れも無くシンタローの方のが強いのに。
手の平を見つめる。
先程迄シンタローの腕を強く握り押し倒した手の平を。
しかし、この感情にはまだ名前が付けられない。
そしてシンタローを憎んでいた気持ちがそう簡単に変わる訳でもない。
例えその理由が自分の押し付けだとしても。
次の日シンタローは学校を休んだ。
理由は体調が優れないからだそうだ。
「高松。シンタローの看病頼んだぞ。」
マジックからの通信が入り内心焦ったがシンタローがマジックにあの事を言った形跡がなかったので墓穴を掘らないよう細心の注意を払う。
正直昨日の今日でシンタローに会いたくないのは高松も同じ。
しかし、上司からの命令なら仕方がない。
医療道具一式を持って堂々と毅然とした態度で態度はシンタローの部屋に向かう。
トントン。
ノックはすれど返事はない。
ガンマ団士官学校は人の出入りがかなり厳しい為、出掛けている可能性はないだろう。
そうなると残る可能性はただ一つ。
居留守…ですか。
ふう、と溜息を吐く。
気持ちは解る。
自分だって会いたくないのだからシンタローにしてみれば余計だろう。
「シンタローくん、開けて下さいませんかね。マジック様に貴方の面倒を見ろと言付けを賜ってるんですよ。」
「………。」
「私に会いたくないのは解りますが、私も仕事でしてね。」
「………。」
「ま、いいでしょう。」
高松はおもむろにポケットをごそごそと調べ始めた。
指先に当たる金属の感触。
目当てのものらしく、それを握り閉め、取り出す。
キラリと鈍色に光るそれはシンタローの部屋の鍵。
高松は士官学校の教師でもある。
その為、ある一定の条件が揃えば生徒の部屋の鍵を借りる事だってできるのだ。
今回の条件は十二分だった。
何せガンマ団総帥マジックから直々にシンタローを診るようにと言われたのだから。
もしかしたらシンタローが起きられない程具合が悪いかもしれないので鍵を貸して欲しいといえば、すんなりと鍵が手に入るのだ。
その鍵をガチャガチャと鍵穴につっこむ。
カチャン、と音がして鍵が開いた。
中を覗いて見るがシンタローの姿は見つからない。
ベッドには先程迄寝ていたのであろう痕跡。
ギシリと音を立てて部屋に入る。
トイレ、バスルーム、ベッドの下。
何処にもシンタローは居なかった。
そう。シンタローはクローゼットの中に入っていたのだ。
ガクガクと震える足。
ほんの少しだけ開いている隙間から高松の様子を伺う。
トイレ、バスルーム、ベッドの下に隠れる場所を選ばなかったのは、もし開かれても戦える場所、そして、開かれても見つかり難い場所だったから。
しかし、以上の場所に居ないとなると、もう人が入れそうな場所はクローゼットの中しかない。
シンタローは嫌な汗をかきながら、強く拳を握る。
ガタン。
扉が開かれ、明るい光が差し込んだ。
眩しさに目が眩んだと同時に腕を引き寄せられクローゼットから出された。
ツンと香る保健室独特の薬品の匂い。
握られた場所。
倒されたベッド。
一瞬にしてフラッシュバックする昨日の出来事。
しかし、涙は見せない。見せたくない。
「シンタローくん。仮病はダメですよ。」
見下ろされる。
「離せ。」
これ以上付き纏わないで。
アンタが俺の想いを気付かせて、酷い事、したんダロ。
これ以上俺を気付けたいか。
悪趣味な奴。
「昨日の話しの続きをさせて下さい。」
震えているのに気丈に振る舞うシンタローを見て、高松は心が痛かった。
ルーザーには似ていない彼をここまで執着していた。
「私はアナタの事が嫌いでした。憎い程ね。だってアナタは青の一族なのに全く異質なんですよ。1番青の血が濃いマジック総帥の血を引いているのに、です。」
一瞬ルーザーの名前を出しそうになり、慌ててマジックに変えた。
幸いパニック気味のシンタローには慌てた感は見破られなかったが。
「だから私はアナタの従兄弟のグンマ様を可愛がった。あの、ルーザー様のお子様でもありますしね。」
「嫌いなら嫌いでもういいから、部屋から出てげ!」
「でも、アナタは優しかった。」
「………。」
悲しそうに笑う高松に、シンタローは顔を歪ませた。
「大人が子供に対する態度ではない事は知ってましたよ。私は貴方に冷たく当たってきた。なのに貴方は私を好きだと」
「思ってねぇよ。」
高松の言葉を遮り悪態をつく。
「ふざけた事ぬかすな。離せ!」
「私はこの感情に戸惑っています。この感情がなんなのかおおよそ察しはついていますが、はっきりとした結論は出ていません。でも、これだけは言わせて下さい。」
高松は一旦言葉を区切り、深く息を吸った。
長く黒い髪がサラリと揺れ流れる。
「昨日はすみませんでした。」
それだけ真顔でシンタローに言う。
真剣な高松の顔など久しぶりに見たので、シンタローは固まった。
なんと答えて良いか解らないというのが本音だ。
「アナタも私もハイそうですか、と、いきなり態度を変えるのは難しいと思いますし、何年もの思いの整理は時間がかかると思います。私もアナタに好かれる人間になるように努力しますよ。」
そう言って、シンタローの頬に少しだけ指先を触れた。
直ぐに離れて行く指先をシンタローはじっと見つめたが、高松は少しだけ笑って医療道具を持ち、シンタローの部屋から出ていく。
その後ろ姿をじっと見つめていたが、高松は振り返る事なくシンタローの部屋を出た。
お互い一人になってから、先程相手に触られていた場所に指を這わせる。
昨日とは違う思いと、何かが変わる予感。
無意識のうちに上がる口角。
新しい風は直ぐそこまで来ていて、その風に乗れるか否かは自分次第ということだろう。
故人に思い入れし過ぎて大切なものを見失いそうになった大人と、そんな大人に過ちを気付かせた子供と。
ようやく歯車が噛み合って勢いよく回り出す。
だが、この気持ちの名前はまだ知らない。
大好きな人間。
言わずもがなグンマ様。
大嫌いな人間。
シンタロー君。
彼を見て居ると胸の奥が刃物でえぐられるような酷い不快な痛みが過ぎります。
その位大ッ嫌いなのです。
「ドクター、絆創膏ー。」
ガラリと保健室のドアを開けて入って来たのは将来ガンマ団の総帥に一番近い男、シンタロー。
黒目黒髪の青の一族の異端児。
ああ、本来ならば美しい金色の瞳、青い目を持つグンマ様がそのポジションに付くはずだったのに。
そう。私はこの異端児と美しいグンマ様をすり替えました。
サービスに悪行をそそのかされた時、私は何の躊躇もしませんでしたよ。
だってそうでしょう?
私が崇拝して止まないルーザー様にちっとも似ていない彼がルーザー様の息子を名乗るなんて…私には我慢できません。
「はいはい。シンタロー君。そこの棚にありますから勝手に持って行って下さい。」
「ああ…。」
シンタローを見ずに机に向かい高松は何やら書いている。
シンタローは昔からカンの良い子だ。
その為薄々ながらも高松に自分は嫌われていると知っていた。
昔、こんな事があった。
グンマと二人で遊んでいて、シンタローは外で遊びたかったのにグンマは家の中で遊びたいといって口論になった。
じゃあ一人で遊びに行くとシンタローが言った時、行かないでとグンマが泣き出したのだ。
下からダダダと言う騒音と共に高松が上がって来て、勢いよくドアを開ける。
泣いているグンマを見て、高松はシンタローに怒りに燃える視線を投げかけたのだった。
そして理由も聞かずシンタローの襟首を掴む。
体重の軽い子供は大人の腕力でゆうに宙に浮く。
苦しくて足をバタバタさせるシンタローに高松はドスの聞いた声で言った。
「グンマ様を泣かすな。この、青の一族の異端児が!」
今にも殴り掛かりそうだった所をグンマが必死に止め、殴られる事はなかったのだが…。
シンタローは心にショックをおって。
その事は自分と高松とグンマだけの秘密のようになり、父にさえ話す事が出来なかった事を覚えている。
自分だけが覚えているだけであり、高松もグンマも覚えている確証なんてどこにもないのだけれど。
「ナンでアンタ、そんなに俺の事嫌いなの。」
絆創膏を取りながら後ろ向きで高松に問い掛ける。
「嫌い?例えそうだったとしても私は肯定できませんねぇ。この仕事を辞める訳にはいきませんので。」
目を細め涼やかに笑う。
振り返り様見た高松は、笑っていたのではあるが、笑っていないようでもあった。
別に嫌われても構わない。
高松は言わば父の部下であるし、自分には何ら関係ない。
自分が生きていくにおいて居ても居なくても何にも支障のない人間。
ただ、唯一関係があるとすれば従兄弟のグンマの育ての親、というグンマを通じての関係。
でも、気になる存在。
士官学校に行くまで、シンタローの知り合いは父マジック、叔父サービスとハーレム、従兄弟グンマ。
そして医者の高松。
幼い頃から知っている人間の少ないシンタローは、良くも悪くも高松を気になっていた。
「アンタのそれさ、肯定してるように聞こえるんだケド。」
「それはシンタロー君の憶測でしかないですからね。そう思うならご自由に。」
足を組んで真っ直ぐ目を合わす。
黒い瞳がかちあった。
「じゃあそう思うヨ。でさ、アンタ何が気に入らない訳?俺アンタになンかしたか?」
真っ直ぐに見つめてやれどもグンマの事以外はポーカーフェイスの高松。
その心情は読み取る事ができない。
「いいえ?何も。言ったでしょう、それはシンタロー君の憶測でしかないと。私は貴方が嫌いとは言っていませんので返答できかねますね。」
「あ、そ。じゃあアンタにとって俺は好きとか嫌いとかそうゆう感情一切ナシの興味のない存在って事ね!」
特に怒った風でもなく、溜息混じりに言った言葉。
だったのに。
高松のポーカーフェイスが歪んだ。
シンタローの眉がピクリと動く。
やっぱ嫌いなんじゃねーかヨ。
心の中で悪態をついた。
「…どう思うもご自由に。」
やっとの事で搾り出した声。
高松を見るが長い髪に隠されて口元しか見えない。
薄くもなく厚くもないその唇が言葉を紡ぎ出す。
シンタローは少しだけ心が痛んだ。
人間人に嫌われれば誰だって心が痛む。
脳天から鳩尾にかけての嫌な痺れ。
しかも理由も解らないときている。
「まぁ、別にいいけどな。」
さして何でもないように言ってはいるが、本心としては苦しいものがある。
まだほんの若造には痛みがあるものだ。
理由を聞きたい気持ちがあったが、高松がこの調子じゃきっと何も答えてはくれないだろう。
そう思い、シンタローはグッと腹に力を入れて保健室から出て行こうとする。
その時、ガシッと腕を持たれた。
シンタローがびっくりして振り返ると、高松が憎しみを込めた瞳でシンタローを見つめていた。
蘇る幼い頃のショック。
フラッシュバックされたように、あの時の思い出が全て脳裏に写った。
精神的にあの頃の幼い自分になってしまったようで、シンタローは酷く自分が無防備のように思える。
この腕を振りほどかねばと思うのだが、恐怖心から力が出ない。
ブンブンと振り回すが、高松の指に吸盤がくっついているかのようで剥がれないのだ。
シンタローは泣きそうになった。
鼻の奥がツンと痛い。
「私が貴方を嫌いなのではなく、貴方が私を嫌いなのではないんですか?」
腕を掴まれたまま高松に言われて。
シンタローは何も言い返さなかった。
自分は…。
恐怖心と戦いながら思う。
自分は高松が嫌いではない。
幼い頃より知っている数少ない人間の一人だし、大人だ。
ただ、怖い、とは思っている。
嫌いと恐怖はまた違う。
「俺は…ドクターの事嫌いじゃねーヨ…」
目線は合わせず思った事を口にして。
「アンタはどうしてそうなんだ。」
「貴方も…
嫌われていても良いと言っておきながら、どうしてそんなに好意を持っているか持っていないか気にするんですか?」
そう突き付けられて考える。
理由なんかない。
ただ知りたかっただけ。
彼が何が好きで何が嫌いか。
自分はどの位地にいるのか。
そして…嫌われているというのは自分の思い込みだと信じたい気持ち。
解ってはいる…いや、よくは解っていないのだろう。
輪郭ははっきり解るのに霞がかかったように朧げに見える部分もあって。
「ただ…知りたいだけ。」それだけ高松に伝える。
高松は一瞬驚いたような顔をしたが、またいつもの顔に戻った。
皮肉にも見えるニヒルな笑みを口元で作って腕を組み、足を組む。
キィ、と業務用の椅子が声を漏らした。
「まるで恋をしているようですね。」
そう言われた瞬間シンタローの中で何かが弾けた。
まさか。俺が?
恐怖の対象でしかない高松。
小さい頃は彼の一挙一動にビクリと体を震わせていたものだ。
しかし、パズルのピースがピタリと当て嵌まった、そんな感覚を覚える。
揺らぐ瞳で高松を見ると、不機嫌そうにシンタローを見つめていた。
「止めて下さいシンタロー君。冗談ですよ。第一…」そこで高松は言葉を一旦切る。
そして、次に発せられた言葉はシンタローの耳を疑う言葉だった。
「金髪碧眼が私の理想なんです。私と同じ色は全く興味がないんですよ。」
忌ま忌ましげに見つめる瞳、鼻の頭に寄る皺。
ヒクリとシンタローの喉が鳴った。
「なんですか。もしかして期待でもしてらしたんですか?」
何も言えないシンタロー。
当たり前じゃないですか。ルーザー様に似ていない姿形。
そして、性格。
私が好きになるはずないでしょう。
ルーザー様に1番近い筈のアナタはルーザー様の美しさから1番遠い。
苛々します。
アナタのその姿を見るだけで体が怒りで震えるのをいつも我慢しているんですよ。
「ッ!」
シンタローが小さな悲鳴を上げたのは、高松がシンタローの腕を無理矢理ひっばったから。
抱き抱えてベッドに押し倒すと、シャアッと真っ白い清潔なカーテンを勢い良く閉める。
ギシリと悲鳴をあげ、沈むベッドとシンタロー。
黒い短髪が白いシーツにまるで波に浮かんでいるように映えた。
「こうなる事を望んでいらしたんでしょう?」
顎に手をかけ瞳を覗き込むが、やはり真っ黒で。
キツイ瞳が睨みを利かせ、その顔が感情を表に出さないルーザーとは真逆で又苛々する。
「どけ!」
「何でですか?」
「何でじゃねーよ!ふざけんナ!」
「好きな男に抱かれるなら本望でしょう。」
そのまま高松の顔が近づいてくる。
ゾワリ、鳥肌が立った。
それからどうなったか正直覚えていない。
目茶苦茶叫んで暴れて動きまくって、どうにか保健室から逃げ出した。
廊下を思い切り走って、授業なんてすっぽかして、寮の自室へ篭った。
簡素なベッドに机とクローゼット。
ベッドには乗る気になれなくて、地べたに体育座りで膝に額を付けた途端涙が溢れてきた。
怖かったという気持ちもある。
しかし、それ以上に本当に嫌われていたんだという核心に触れてしまって、それがショックだった。
鳴咽を殺しながら、でも涙は止まらなくて、口に広がるしょっぱさと恐怖と愕然とした思いが螺旋のようにぐるぐると回ってシンタローの孤独を包み込む。
腕は先程高松が握った部分が熱くなっていて、滲む瞳で見ると、赤くなっていて、しかも震えている。
「――ッきしょォ…!!」
小さな部屋で一言叫び、シンタローは又膝に顔を埋めたのだった。
一方の高松は冷静な顔でシンタローを押し倒したベッドに座っていた。
しかし、心中は穏やかではなく、虚ろな目でドアの方を向いている。
何故あんな事をしてしまったのか。
自問自答してみても答えなんて出てくる筈もない。
だって。
嫌いだから。憎いから。
自分の崇拝して止まないルーザーの息子が彼にちっとも似ていない事が酷く腹立たしい。
青の一族に黒髪は産まれない。
なのになんだ。
何故ルーザー様に限って。何故ルーザー様だったんだ。
何故産まれてきたんだ。
何故………。
沢山の疑問符と込み上げてくる何か。
喉の奥が苦い。
高松の脳裏に過ぎるのは先程のシンタロー。
力いっぱい拒否をして、泣きそうな顔をして、恐怖で上手く動かない体と口を懸命に動かし拒絶した。
ツキリ。
心臓が痛んだので胸を無意識に触ってみるが、トクトクと心音が手の平から伝わってくるだけ。
口元を上げ、自笑気味に笑おうとした。
「痛ッ―…」
口元に指先を置いてみると、少しぬめっとした感触。
ぬめりの正体を見遣ると、それは血。
ああ、あの時。
無我夢中で逃げようとするシンタローの攻撃が一発入っていたようだ。
それを他人事のように見て、又中を仰ぐ。
嫌いな彼がどうなろうが知った事ではない。
むしろ傷付ける事が出来てよかったじゃないか。
しかし、思いとは裏腹に心臓は先程から針に刺されたようにツキツキと痛む。
苦しい。
そして思い出す。あの時のシンタローの顔を。
あの顔を見て自分は何を思ったか。
不覚にも……劣情をきたしていたではないか。
そして勝手に傷ついた。
傷付いているのは紛れも無くシンタローの方のが強いのに。
手の平を見つめる。
先程迄シンタローの腕を強く握り押し倒した手の平を。
しかし、この感情にはまだ名前が付けられない。
そしてシンタローを憎んでいた気持ちがそう簡単に変わる訳でもない。
例えその理由が自分の押し付けだとしても。
次の日シンタローは学校を休んだ。
理由は体調が優れないからだそうだ。
「高松。シンタローの看病頼んだぞ。」
マジックからの通信が入り内心焦ったがシンタローがマジックにあの事を言った形跡がなかったので墓穴を掘らないよう細心の注意を払う。
正直昨日の今日でシンタローに会いたくないのは高松も同じ。
しかし、上司からの命令なら仕方がない。
医療道具一式を持って堂々と毅然とした態度で態度はシンタローの部屋に向かう。
トントン。
ノックはすれど返事はない。
ガンマ団士官学校は人の出入りがかなり厳しい為、出掛けている可能性はないだろう。
そうなると残る可能性はただ一つ。
居留守…ですか。
ふう、と溜息を吐く。
気持ちは解る。
自分だって会いたくないのだからシンタローにしてみれば余計だろう。
「シンタローくん、開けて下さいませんかね。マジック様に貴方の面倒を見ろと言付けを賜ってるんですよ。」
「………。」
「私に会いたくないのは解りますが、私も仕事でしてね。」
「………。」
「ま、いいでしょう。」
高松はおもむろにポケットをごそごそと調べ始めた。
指先に当たる金属の感触。
目当てのものらしく、それを握り閉め、取り出す。
キラリと鈍色に光るそれはシンタローの部屋の鍵。
高松は士官学校の教師でもある。
その為、ある一定の条件が揃えば生徒の部屋の鍵を借りる事だってできるのだ。
今回の条件は十二分だった。
何せガンマ団総帥マジックから直々にシンタローを診るようにと言われたのだから。
もしかしたらシンタローが起きられない程具合が悪いかもしれないので鍵を貸して欲しいといえば、すんなりと鍵が手に入るのだ。
その鍵をガチャガチャと鍵穴につっこむ。
カチャン、と音がして鍵が開いた。
中を覗いて見るがシンタローの姿は見つからない。
ベッドには先程迄寝ていたのであろう痕跡。
ギシリと音を立てて部屋に入る。
トイレ、バスルーム、ベッドの下。
何処にもシンタローは居なかった。
そう。シンタローはクローゼットの中に入っていたのだ。
ガクガクと震える足。
ほんの少しだけ開いている隙間から高松の様子を伺う。
トイレ、バスルーム、ベッドの下に隠れる場所を選ばなかったのは、もし開かれても戦える場所、そして、開かれても見つかり難い場所だったから。
しかし、以上の場所に居ないとなると、もう人が入れそうな場所はクローゼットの中しかない。
シンタローは嫌な汗をかきながら、強く拳を握る。
ガタン。
扉が開かれ、明るい光が差し込んだ。
眩しさに目が眩んだと同時に腕を引き寄せられクローゼットから出された。
ツンと香る保健室独特の薬品の匂い。
握られた場所。
倒されたベッド。
一瞬にしてフラッシュバックする昨日の出来事。
しかし、涙は見せない。見せたくない。
「シンタローくん。仮病はダメですよ。」
見下ろされる。
「離せ。」
これ以上付き纏わないで。
アンタが俺の想いを気付かせて、酷い事、したんダロ。
これ以上俺を気付けたいか。
悪趣味な奴。
「昨日の話しの続きをさせて下さい。」
震えているのに気丈に振る舞うシンタローを見て、高松は心が痛かった。
ルーザーには似ていない彼をここまで執着していた。
「私はアナタの事が嫌いでした。憎い程ね。だってアナタは青の一族なのに全く異質なんですよ。1番青の血が濃いマジック総帥の血を引いているのに、です。」
一瞬ルーザーの名前を出しそうになり、慌ててマジックに変えた。
幸いパニック気味のシンタローには慌てた感は見破られなかったが。
「だから私はアナタの従兄弟のグンマ様を可愛がった。あの、ルーザー様のお子様でもありますしね。」
「嫌いなら嫌いでもういいから、部屋から出てげ!」
「でも、アナタは優しかった。」
「………。」
悲しそうに笑う高松に、シンタローは顔を歪ませた。
「大人が子供に対する態度ではない事は知ってましたよ。私は貴方に冷たく当たってきた。なのに貴方は私を好きだと」
「思ってねぇよ。」
高松の言葉を遮り悪態をつく。
「ふざけた事ぬかすな。離せ!」
「私はこの感情に戸惑っています。この感情がなんなのかおおよそ察しはついていますが、はっきりとした結論は出ていません。でも、これだけは言わせて下さい。」
高松は一旦言葉を区切り、深く息を吸った。
長く黒い髪がサラリと揺れ流れる。
「昨日はすみませんでした。」
それだけ真顔でシンタローに言う。
真剣な高松の顔など久しぶりに見たので、シンタローは固まった。
なんと答えて良いか解らないというのが本音だ。
「アナタも私もハイそうですか、と、いきなり態度を変えるのは難しいと思いますし、何年もの思いの整理は時間がかかると思います。私もアナタに好かれる人間になるように努力しますよ。」
そう言って、シンタローの頬に少しだけ指先を触れた。
直ぐに離れて行く指先をシンタローはじっと見つめたが、高松は少しだけ笑って医療道具を持ち、シンタローの部屋から出ていく。
その後ろ姿をじっと見つめていたが、高松は振り返る事なくシンタローの部屋を出た。
お互い一人になってから、先程相手に触られていた場所に指を這わせる。
昨日とは違う思いと、何かが変わる予感。
無意識のうちに上がる口角。
新しい風は直ぐそこまで来ていて、その風に乗れるか否かは自分次第ということだろう。
故人に思い入れし過ぎて大切なものを見失いそうになった大人と、そんな大人に過ちを気付かせた子供と。
ようやく歯車が噛み合って勢いよく回り出す。
だが、この気持ちの名前はまだ知らない。
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