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ayt
いつか終わるその日まで











 あの島から帰って一ヶ月、二人が再会したのはガンマ団本部の第三棟からその隣の第五棟に抜ける道の上でのことだった。
 細く人通りの少ないその道のうえではどうしたって避けては通れず、また別に避ける必要も無かった。
 たとえ、ほんの少し前に殺し合った仲だったとしても。



「傷、残ってまいましたなぁ。」
 久しぶりに会った師匠の頬に刻まれた模様のようなそれを見て、その加害者であるところの弟子は申し訳なさそうに言った。
「特選は隠密行動ではないからな。多少、目印が残ったところで問題は無い。」
 素っ気ない師匠の答えにアラシヤマは苦笑する。
 男が顔に執着するのもどうかと思うが、ここまで徹底的に興味がないのはどうだろう。
 鏡を見なければ自分の顔の造作など忘れてしまうのではないだろうか。それはおおげさにしても、傷が無かった頃のことなどとうに頭からすっぽり抜けていることは、ほぼ間違いなさそうだ。
 それにしても、自分はあの時傷どころか彼を確実に殺すつもりだったのだ。
 ―――あのひとの邪魔をさせないために。
 なのに、目の前の師匠は仲間を庇いながらだったにも構わず、頬の傷ひとつで自分の命がけの技を防いだのだ。
 ほんまにかなわんわ、と薄れゆく意識の中でそう思ったことを覚えている。
 何があっても、何と引き替えにしても、あの人を守ろうと誓ったのに果たせなかったことが悔しくてたまらなかったことも。
 自分はいつだって中途半端だ。
 どれだけ技を磨いてもあのひとには勝てず、そして、あのひとを守りきることさえできなかった。
 いや、そもそも守るという言葉をあのひとに使うこと自体がおこがましい。
 それまで培ってきた人生も命も自我も奪われそうになっても、あのひとはそれをすべて取り戻し、そして他の人間達さえ救った。
 自分を必要とすることなどこれから先も、きっとない。
 そもそも彼は誰も『必要』とはしないのだから。
「本部にはいつまでおられますのん?」
「今日の夜には発つ。」
 特戦部隊が帰還したのは確か今日の昼前だ。一日もじっとしていられないとは、つくづく好戦的な部隊らしい。
「先ほど隊長の代わりに、総帥に報告しにいった。」
「ええ~、わてなんか、ほとんど顔も見られへんのに、師匠はお話までできたやなんて……。」
「『お話』じゃない、報告だ。」
 恨みがましい弟子の視線をあっさりと鉄面皮ではねつけて、マーカーは先ほどの会見の様子を思い出した。
 マーカーの報告が進むにつれ、その眉根がだんだん寄せられ、自分が口を閉じた時には完全に険しい顔つきになっていた。
「俺は死者を出すなと言ったはずだ。」
「もうしわけありませんでした。」
 マーカーが頭を下げると、逆に総帥はますます不愉快そうになった。
「えらく素直だが、おまえら改めるつもりはないんだろ?」
「改めるもなにも、私たちはハーレム隊長の命令に従うのみです。隊長が殺すなとおっしゃればそうするようにしますし、さもなければ。」
「つまり、ハーレムに納得させればいいんだな?」
 遮るようにそう言われ、マーカーは頷いた。
「ええ、そういうことですね。」
 総帥は唇を噛みしめた後、マーカーに下がるように命じた。
 マーカーが部屋を出ようとすると、後ろから呼び止められる。
「おい、おっさんはどうした?」
「バーで休んでいらっしゃると思いますが……お呼びだとお伝えしましょうか?」
 彼はしばらく黙ったがやがてため息をついた。
「いや、いい。俺の呼び出しくらいで、のこのこやって来てくれるような甘い性格じゃねぇ。」
 さすが、身内、よくわかっている。
 一応報告も本来なら隊長が行うものだが、前総帥の時でもマーカーが代行することが多かった。たとえ召喚状をもらったところで、気が向かなければそれで鼻をかんでおしまいだ。
「ならば、そういう性格にさせればよろしいのでは? 貴方があの方に勝る存在だと納得させることができれば、隊長を従わせることができますよ。」
 ふと、思いついたことを言ってみると、彼は目を見開いた。
 しかし、すぐにそれは怒りの表情に変わる。
「おまえはそんなこと無理だと思っているんだろ?」
「お答えしかねます。」
 珍しく自分が笑っていることにマーカーは気づいた。
 確かに、一族の証を持たないこの目の前の青年が、あの男……自分たちが認めた彼に勝てるとは思えない。
 だが、何故だろう。もし、そうなったらということには興味がある。
 自分の好まざる状況ではあるが、彼にそれができるのか、できるとしたらどうやってやり遂げるのかということを考えるのがおもしろいのだ。
 本当ならこんなふうにやりとりするのも面倒くさがる自分なのに、どうしてだか彼の反応が見たくなってしまった。
 自分が従い、敬う絶対の存在は彼であり、この青年になることは決してあり得ない。
 だが、新しく総帥になったこの男には妙に人をわくわくさせる何かがあるのだ。
(らしくなさすぎる。)
 マーカーが今度こそ退出しようとしたとき、総帥は一言だけ言った。

「その細い目をできるだけ開いて、よく見ておくんだな。」

 何をとは聞かなかった。
 ただ、黙って一礼だけしてその場を後にしたのだった。






「シンタローはん、赤い服がよう似合ってはって綺麗でしたやろ?」
 アラシヤマにうっとりとした様子でそう尋ねられ、マーカーは少し迷ってから頷いた。
 今までブロンドの人間しか袖を通したことのない制服が、何年もそうあったかのように彼に馴染んでいた。
 金と赤の取り合わせは豪奢で輝かしいばかりだったが、黒と赤の鮮やかな対比は絢爛さはひけをとるものの、ある種の艶やかさが確かにあった。
「ええなぁ、師匠。」
「アラシヤマ。」
 だらだら続きそうな弟子の言葉を遮り、マーカーは空を見上げて何気なく言った。
「あの人が欲しいか。」
 あたかも、今日はいい天気だなとでも言うように、あたりまえのことを確認するためだけの質問にアラシヤマはやはり軽く頷いた。
「欲しいどすなぁ。」
 アラシヤマは近くに植わっている木の枝に手を伸ばしながら、何気ない様子で答えた。
 欲しい。
 命をなげうってでもあの人が欲しい。
 強い眼差し。
 傲慢な性格。
 圧倒的な実力。
 彼が流す涙やたまに見せる弱ささえ、自分にとっては憧憬すべきもの。
 全部欲しい。
「おまえのそれは月に恋するようなものだ。」
 素っ気ない声にどこか案じるような響きがあるのは、自分の様子がそれほどに狂っているように師匠には見えるからだろうか。
 言われなくてもよくわかっている。
 あのひとは決して自分には振り向かない。
 あの澄んだ瞳にこの姿が映ることはない。
 あのひとはあの輝かしさですべてをあまねく照らす存在だ。多くの者に慕われ、自分の想いなど彼にとってその中のひとかけらにしか過ぎないのだろう。
「おまえが命がけであの人を守っても、あの人が手にはいることは決してない。」
 かつて命がけの攻撃をアラシヤマに仕掛けられたことをマーカーは思い出す。
 誰かのために、などそんな三流小説の迷い言を口にするような男を育てたつもりはなかった。
 地べたをはいずり回っても生き延びるようなみっともない生き方を教えたこともない。
 あの時、己の首に剣を突き立てなかったのは、その命をぎりぎりまで彼のためにだけ使うつもりだったからだろう。
「みっともない。」
 師匠の吐き捨てるような叱責に、アラシヤマはそうどすなぁと同意した。
「あのときまで、わては自分の命が大事やなんて思たことありまへん。誇りの方がよっぽど重いもんどしたわ。」
 でも、喉に冷たい刃をが当たった時、ふとあのひとの姿が浮かんだ。
 泣きながら、自分は自分だと、強くなりたいと叫ぶ彼の声が聞こえた。
 あの子供のように彼を救うことは自分には絶対できない。
 自分の存在はあのひとにとってあまりにも無価値だ。
 それでも……それでも、あのひとをこのままの状態で置いていくことなどできなかった。
 生き延びることの恥も、怪我の痛みも、それに比べたら何ほどのことでもなかったのだ。
「あのひとのために使う命やと思たら価値がでてきましたんや。」
「しかし、それはどっちにしてもただの自己満足だ。」
 非情にもそう切って捨てて、マーカーは弟子の横顔を鋭く見た。
「あのひとが一番愛しているのは弟君だ。そして、あのひとを一番愛しているのはマジック様だ。結局のところ、どうあがいてもおまえは二番手にしかなれない。」
 アラシヤマの顔色が少しだけ変わった。
 あのひとの愛情がどこに向かってもそれは自分が感知し得ることではない。
 けれど、どれだけ彼を想っても、彼の父親になることができたあの男には勝てないことは、悔しいのだろう。
「それでも、あのひとが欲しいか?」
 マーカーは一歩アラシヤマに向けて踏み出した。アラシヤマの肩が一瞬揺れたが彼は身をひくことはなかった。
 低い声が、蛇のように地を這い彼の身体を上って耳に入り込む。
「なら、あのお二方のうちどちらかを殺してみろ。それこそ命がけでいけば、眠られているコタローさまなら殺せるかもしれないぞ。」
 蛇が脳にぐるりと巻き付き、その鱗がついた躯で柔らかいそれを刺激した。
「死んでも、生き延びても、あのひとは決しておまえを許しはしない。寝ても覚めてもおまえのことばかり想うだろう。誰かを憎みきることができない甘ちゃんなあのひとの唯一特別な人間になれる。」
 枝をつかんでいるアラシヤマの腕が小さく震えている。
 想像上のあのひとの憎しみはそれこそ身を灼かれるほどに熱いのだろう。
 それこそ、この弟子が一番欲しいものそのものなのだから。
 あの命をかけた炎で一緒に燃え尽きたかったのは、たったひとり。
 アラシヤマは目を伏せた。長いまつげが紗のように降り、そこに映し出された彼の内面を隠す。
 ―――――――長く思えたが、迷いはほんの数秒だった。
 彼の手が離れ、自由になった枝がぴんとしなって大きく弧を描いた。
「やめときますわ。」
 アラシヤマはため息をついて苦笑した。
「言いましたやろ。お師匠はん。わてはあのひとのためやったらなんだって捨てられます。自己満足で結構。」
 別に二番手も構わない。
 つまり、それほどにあのひとを愛してくれるなら、自分があのひとを想うよりあのひとを想ってくれる人間の存在なんて奇跡に近い。そう思うほどに、人がもてる限りのすべてをあのひとに傾けている自信がある。
 あのひとが愛している存在をあのひとから取り上げるなんて、そんな悲哀をあのひとに味合わせることなんて決してできない。


 
「中途半端でええんどす。」



 あのひとを守ってか恰好よく死ぬこともできず、あのひとの敵になることもできない半端な自分のままでいい。
 そのスタンスのままで、あのひとについていくことができるなら。
 あのひとの作る未来をこの目で見ることができるなら。
 あのひとが幸福になるところを見ることができるなら。
 それがかなうなら、せいぜいこの場所であがき続けていよう。
 アラシヤマはきっぱりと言った。
「わては、それでええ。」
 半分は自分に言い聞かせているかのような言葉だったが、アラシヤマがそう言い切るとマーカーはやはり何を考えているかわからない顔で受け止めた。
「わかった。それならそのまま愚かでいろ。」
 冷たく言い放ち、彼は弟子に背を向けた。
 アラシヤマは黙ってその姿を見送る。
 数歩離れたところで彼が小さく呟いた言葉が、アラシヤマの耳に届いた。






「月は消えることは決してないからな。」





 決して手が届かない存在。
 それでも、それは空から消えることはない。
 人が見上げさえすればそれはいつでもそこにある。
 













end




040605


2007/3/18


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avn
願わくば君のもとにて

桃源郷は桃の花の咲き乱れるところだが、桜の群生でも充分にその趣がある。

むせ返るような桜の花の中、アラシヤマは非現実的な感覚を覚えていた。

「…お伽話の中にいるみたいやわ…」

美しい夢のような光景に、思わずホゥッとため息がでる。

ハラハラと舞い落ちる花びらをぼんやりと眺めていたら、鋭い蹴りがアラシヤマの後頭部を直撃した。

「ッッたぁ~!!何しますのん、シンタローはん」

頭を押さえながら振り返ると、アラシヤマが愛してやまない暴君が睨みおろしていた。

「時間がねぇんだよ!さっさと下見して帰んぞ!」

シンタローは満開の桜の群れ目もくれず、ずんずんと先を行く。

シンタローが見ているのは桜ではなく、キンタローが開発した座標軸レーダーだ。

それを寂しく思いながら、アラシヤマはシンタローの後に続いた。


* * * * *


アラシヤマとシンタローが訪れているのは、日本にほど近い無人島だった。

長いこととある富豪が所有していたが、代替わりを機に手放したのを団が買い取ったらしい。

島は長期間に渡って対立状態にあるD国とガンマ団日本支部のちょうど中間に位置している。

ここに基地を作れば、物資供給の重要な拠点になる。
D国との戦争はこの春に入って激化していた。

基地建設を急ぐシンタローが、自ら偵察に行くと言ってきかないので、たまたま本部に待機していたアラシヤマが無理矢理ついてきたのだった。


しかし、こないに綺麗なとこやったなんて。

小さな島ではあったが、地形の高低差の関係か、浜風にさらされてない箇所がある。

そこには、辺りが霞むほどの桜の木が植えられていた。

シンタローに蹴りあげられても、顔はどうしても上を向いてしまう。

思わず木の根につまずき、転びそうになった。

「ボサッとしてんじゃねーよ」

シンタローが少し先から刺々しい声を出す。

アラシヤマは小走りにシンタローに近付いた。

「しっかし、ほんまに綺麗なとこどすなぁ。しかもシンタローはんと二人きり。夢のようですわ」

普段なら殴られてもおかしくないアラシヤマの台詞。

しかし、シンタローは座標軸レーダーから目を放さなずに無視を決め込むだけだった。

…やっぱ、あのことを気にしてはるんやろな…。

シンタローの横顔をちらりと見る。

険しい、けれどどこか悲しげにも見える複雑な表情。

ピリピリとした空気が肌を通して伝わって来ていた。


3日前、ガンマ団が新体制に入って初めての死者が出た。

アラシヤマは何か言おうとして顔を上げたが、何も言えることはないのだと思い直した。

「…桜っていやあよ」

シンタローがふいに口を開いた。

「坊さんの歌だっけ、桜の木の下で死にたいって歌があったよな…」

シンタローは足元に散らばる花びらを見つめている。

「…短歌どすな、西行法師の」

有名な歌だ。

願わくば
花の下にて春死なむ
その如月の望月のころ


「…死に場所ぐらい、てめぇで決めさせてやりたかった」

シンタローの顔は見えない。
見せないようにしている。

けれど、その表情はきっと少しだけ歪んでいるのだろう。

泣きだす前の、寸前の顔。

今の台詞が、シンタローが言えるギリギリの弱音なのだ。


ああ、何かもう。
たまらんなぁ…。

数多くの兵士の命を道具にする、戦争屋のトップに君臨してもなお。

名も無き兵士の命に心を砕く彼。


そんな彼の弱さこそを愛おしいと思うのはおかしいのだろうか?


シンタローは花を踏み締めて先を急ぐ。

アラシヤマは何も言わず、その後に続いた。


願わくば。
どうか花の下よりも貴方の下で。


そうすれば、きっと一生。

貴方に忘れられることはないだろうから。



ハラハラと舞い落ちる花びらを踏み込んで、アラシヤマはシンタローの足跡をなぞった。



END

2007/03/13up
2007/06/15改正




































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ahj
どっちの料理ショー

今の、この光景を目の前にしては、ひょうやアラレどころか、ミミズやカエルが降ってきてもおかしくない。

ティラミスは総帥室の窓に張り付き、なんども目を擦った。

「…なんだ…?この非現実的な光景は…」

窓から見えるのは中世ヨーロッパ風の中庭。

薔薇のアーチに縁取られたベンチで仲良くお弁当をつついているのは、カリスマ的な人気を誇る我らが新総帥と、そのストーカーとしての方が有名なナンバー2幹部だった。

夢を見ているのか、それともついにアラシヤマの妄想世界に取り込まれてしまったのか。


シンタローがガンマ団総帥を襲名して約一年。

ティラミスは秘書として、シンタローの側近くに仕えてきた。

しかし、この一年で見たアラシヤマの姿といえば、眼魔砲で焦がされているか、正拳でKOされているか、回し蹴りされて吹っ飛んでいるか…。

いずれにせよ、シンタローとまともに会話をしている姿すら見たことがなかったのだ。

それが一緒にお弁当!?

お弁当はアラシヤマのお手製らしく、これでもかというくらいに豪華な折りに詰められている。

アラシヤマはこの上ないほど嬉しそうに、お茶をいれたりおかずを取り分けたりと、かいがいしく世話を焼いていた。

「おい、ティラミス。いつまで外見てるんだ。さぼるなよ」

チョコレートロマンスが、大量の書類をどんとデスクに置いた。

「ああ、チョコ。でも、あれ…」

ティラミスが窓の外を指さすと、チョコはなんだ?と首を伸ばした。

「なんだ、あれか」

「あれかって、お前!驚かないのかよ!?」

チョコは長めの髪をかきあげながら、だるそうに答えた。

「お前、昨日休暇だったからなぁ。アレ、テレビの影響なんだよ」

「…ハァ?」

「なんか健康系テレビ番組で『京料理で身体年齢が若返る!』とかやってたんだよ。その影響」

「え?それでアラシヤマ氏が弁当差し入れしてんの?」

「元々はシンタロー様の命令なんだけどな。まあ、本人も喜んでるし、いいんじゃねーの」

トントンと束ねた書類な端を机で整えながら、チョコは少しだけ溜息をついた。

「シンタロー様…。この一年、休みなんかほとんどなくて、睡眠時間も食生活もめちゃくちゃになってたから…。あんな番組の影響受けるほど追い込まれてたなんて、ちょっと痛々しいよな」

「…てゆーか、その番組、プロデューサーがヤラセで捕まったヤツじゃねーの?」

「それがますます痛々しいんじゃん…」

チョコは額を押さえている。

そのしぐさに、なんとなくチョコが言いたいことが伝わったような気がして、ティラミスは「ああ」とだけ答えた。

確かに、今のシンタローの生活では体に異常をきたしてもおかしくない。
本人も「キチンとしなければ」という自覚はあるのだろう。だが、迫り寄せる仕事の波がそれを許してくれない。

けれど、あんなヤラセ番組に踊らされ、かつ蛇蝎のごとく嫌っているアラシヤマに救いをもとめるほど追い込まれていたなんて…!

チョコの言う、『痛々しい』の表現が一番ハマるな。

そう思いながら、ティラミスは窓辺を離れた。




「シンちゃ~ん、今日のランチはアボガドと生ハムのクロワッサンサンドとエビとスクランブルエッグのベーグルサンドだよ~」

バタンと派手な音を立てて総帥室の扉が開く。

現れたのは、ティラミスとチョコが散々苦労させられた元上司、マジック総帥その人だった。

「マジック様ッ…!」

ティラミスとチョコは、咄嗟に窓に張り付いた。

マジックのシンタローへの愛情は明らかに異常の域に達している。

シンタローが誰かとベンチでお弁当を食べているなんて、恐ろしくて見せられるはずもなかった。

「ん?シンタローはいないのかい?」

「し、新総帥は急用で…」

ティラミスは窓に張り付いた不自然な恰好のまま答えた。

「急用?どこに?何時頃戻ってくるのかな?」

ニコニコと問い掛けてくるマジックのプレッシャー。

ティラミスは咄嗟に嘘が思い付けず、ぐっと言葉を詰まらせた。

「新総帥は先程、幹部の方とお食事に行かれました」

冷や汗をかいているティラミスに代わり、チョコがさらりと答えた。

グッジョブ!たしかにそれは嘘ではない。

「なーんだ、お天気がいいから中庭でランチでもと思っていたのに…。残念だね」

マジックは大きなバスケットを抱えて、フゥと溜息をついた。

『中庭』の言葉にティラミスの心が跳ねる。
オロオロとチョコに視線を送ると、目だけで『黙っていろ』と怒られた。

「そうだ。君達、お昼まだだったら一緒にどうだい?私のクロワッサンサンドは中々のものだよ」

きらりと光るような笑顔を向けられて、ティラミスとチョコはぶんぶんと顔を横に振った。

「い、いえ!結構です」

「私も、お昼はもういただきましたので」

「そうか、残念だな」

マジックは少しだけ寂しそうな顔をした。

「グンマ博士とご一緒されてはいかがですか?先ほどお菓子を買いに行くとおっしゃってましたから、まだ昼食をとられてないと思いますよ」

チョコが上手にマジックを誘導する。

「またあの子はお菓子ばっかり食べて…。じゃあ、グンちゃんのとこに行ってみようかな」

マジックの言葉に、ティラミスの緊張が一瞬ほどけた。

その隙に、マジックが一瞬にして間合いを詰める。

強い力で押しのけられ、ティラミスは床に膝をついた。

「マ、マジック様…ッ!」

マジックの視線は、窓の外の一点に集中している。

要領のいいチョコは、さっさと部屋の対角線まで非難していた。


あのやろう!自分だけ!!


ティラミスも慌ててマジックから離れようとしたが、立ち上がる途中で襟首を捕まえられてしまった。

「ぐっ…!」

シャツの胸元が首を圧迫して苦しい。

必死にもがくも、そこはやはりガンマ団元総帥。
片手でやすやすとティラミスを引き止める。

「ははは、何をそんなに怖がっているんだい?私が大人気なく嫉妬するとでも?それこそ心外だよ」

マジックは笑顔を作ってはいるが、目は笑っていなかった。

「いやあ、シンちゃんに仲良くランチできるお友達がいて本当に良かったよ。ちょっと甘やかして育ててしまったからちょっとだけワガママだしね」

マジックは尚も笑顔にならない笑顔で笑っている。

しかし、ティラミスが考えていたほどの暴走はなく、ショックと嫉妬を必死に押し隠そうと努力しているように見えた。

それはともかく…。
もう、息が……。

ティラミスの襟首はマジックに引っ張られたまま。
だんだんと顔が赤く膨張し始めてきた。

それに気がついたマジックは「ごめんごめん」と慌てて手を離した。

「まあ、君たちが気を使ってくれたことは嬉しく感じるよ。確かに私はここ3年ほどシンちゃんに『お外でお弁当』を断られているからね…」

マジックはふっと寂しそうに笑った。

シンタローがアラシヤマと外で昼食をとっているのは、ピクニック気分だからではなく、『アラシヤマと密閉空間で食事を取りたくない』という理由からだ。

チョコは事実を知っていたが、今は言うタイミングではないだろうと黙っていた。

「しかし、見てご覧よ。楽しそうにしているじゃないか。最近、息も継げないほど忙しそうだったから…。お友達と過ごす時間を少しでも持っていてくれて、私は安心したよ」

マジックは窓越しにシンタローを見つめている。

寂しそうではあったが、そのまなざしは優しく、父親としての大きな愛情を感じさせた。

「…そうですね…」

ティラミスも首をさすりながら立ち上がり、窓の外の二人を見やった。

ニコニコと目じりが下がりまくりのアラシヤマに対し、シンタローは不機嫌この上ない顔をして弁当をつついているが、まあ楽しそうに見えなくもない。

ふと、アラシヤマがシンタローの顔を覗き込んだ。

そして、人差し指で軽くシンタローの頬に触れた。

どうやら米粒か何かがついていたらしい。

アラシヤマはそれを指先ですくい取ると、嬉しそうにパクンと口に入れた。


あ~…あんなことして、また総帥に殴られちゃうんじゃないの?

ちょっと調子に乗りすぎだろう。

ティラミスが苦笑いしていたら、突然目の前の窓ガラスが真っ白になった。

「なっ…!?」

横を見ると、マジックの秘石眼がじりじりと窓ガラスに穴を開けている。

二つの穴を中心に、窓ガラス全体には無数のヒビが走っていた。


「マ、マジック様ッ…!?」

「え?なんだい?」

マジックはクルっとティラミスに顔を向けたが、秘石眼のレーザービームは止まらない。

すんでのところで避けたものの、ティラミスは耳の端を少し焼かれてしまった。

「ははは、嫌だなぁ。こんなことで嫉妬なんてしやしないよ。私は大人だからね」

そう言いながらも、握り締められたマジックの拳に、血が吹き出そうなほど血管が浮き出ているのをティラミスは見逃せなかった。

「あ、そうだ。ちょっと用事を思い出してね。アラシヤマに後で私の部屋に来るように伝えてくれないかい?」

どんな用事なのか考えたくもないが、現在のトップ権力者はシンタローだ。
元総帥とはいえ、基本的にはシンタロー以外の人間は幹部に命令できない決まりになっている。

どう答えたものか…とティラミスが思案していると、チョコがあっさりと「はい、わかりました」と答えてしまった。

「じゃあ、よろしく頼むよ」

引きつった笑みのまま、マジックは総帥室を出て行った。

バタンと扉が閉められたあとで、ティラミスはチョコと顔を見合わせた。


「…いいのかよ?幹部に命令できんのは総帥だけのはずだろ?」

ティラミスは秘石眼で焼かれた耳を押さえながら、部屋の隅に避難したままのチョコに問うた。

「この場合、他にどう言えっていうんだよ」

確かに。
チョコの言いたいことも良くわかる。
ティラミスも下手なことを言って係わり合いになるのは御免だった。

「まあ、アラシヤマ氏にはしばらく任務は入ってないはずだし、なんとかなるだろ。今日だってホントは代休のはずだからな」

それであっさりOKしたのか。
休暇扱いなら、マジックに呼び出されたとしても、それは『プライベート』の範囲内だ。

しかし……ということは、アラシヤマは今日、シンタローに弁当を届けるためだけに来ていたのか。



何がどうなってもいいけど…出来るだけ係わり合いたくないなぁ…。

ティラミスは書類の積まれたデスクに戻り、ヒビ割れで真っ白になった窓をぼんやりと見上げた。



* * * * *



幸せすぎるランチタイムを終え、アラシヤマは夢見心地でフラフラと本部の廊下を歩いていた。

シンタローはんたら、あないに照れんでもええのんに…。
ホンマ、可愛いお人やわ…。

フラフラしているのは、ほっぺについたご飯粒をパクンとやったときに、みぞおちに正拳を突き入れられたからなのだが、いまはエンドルフィンが大量放出されていて痛みなど感じるどころではない。

今日の筍ご飯は我ながらええ出来やったもんなぁ。
明日はどないしょ?湯葉は季節的にもう少し先の方がええやろし…。

『京料理だけでお弁当』というのは、しこみに時間がかかるだけに中々難しい課題だった。
けれど、シンタローが求めているのなら苦にはならない。

アラシヤマはニヤニヤしながら、明日のメニューに思いをめぐらせた。

任務明けだった昨日、珍しくもシンタローに呼び出されて言われたのは、『京料理を教えてくれ』というものだった。

幼いころから家事を一切しない中国人の師匠と暮らしていたため、もちろん料理は出来る。

京料理も一通りは作れるが、シンタローが突然なぜ京料理にこだわりだしたのか不思議だった。

「ええどすけど…どうしはったん?急に…」

「イヤ…、なんつぅの、なんとなくだよ…」

シンタローはごもごもと口ごもり、少しだけ頬を赤らめた。

その気恥ずかしそうな姿から、アラシヤマはひとつの可能性に気がついた。

も、もしかして……!!



わてとの新婚生活のために、わての郷の料理を覚えようとしてるんじゃ……!?


アラシヤマの頭の中に、リンゴーンと鐘の音が鳴り響く。

長いこと待ち続けたかいがあった…!

あまりの喜びに、アラシヤマは神の祝福に照らされているような錯覚に陥った。

「で、どうなんだヨ?そもそも、京料理作れんのかヨテメー」

えらそうに踏ん反りかえる姿も、自分のベターハーフであると思うと何もかもが愛しい。

うっとりとしかけながらも、これ以上悦に入っていてはどつかれる。

アラシヤマは気合を入れて顔を引き締めた。

「も、もちろんどすえ!どんなんがお好みでっしゃろ?」

「あ~…、あんま時間とれねぇから、出来るだけ手軽なもんがいいな。10分くらいで出来るやつねぇの?」

シンタローが多忙なのはしかたないことなのだが、京料理は下準備に時間がかかるものが多い。

寸刻みのシンタローのスケジュールで、充分な時間が確保できるとは思えなかった。

「シンタローはん、こうしたらどうでっしゃろ?わて、シンタローはんに京料理でおべんと差し入れますさかい、まずはそれで味を覚えてもろて、食べながらレシピを講釈するゆうのは?」

これなら、時間を有効利用できる上に、アラシヤマ自身にもシンタローに会える口実ができる。

一石二鳥どころか、一石三鳥のアイデアだった。

「…そんなに、めんどくせぇものなのかよ…」

シンタローの眉間にわずかに皺が寄った。

「下準備で一晩水にさらしとく、とかあっためて冷やしてまた水に戻して…みたいのが多いんや。せやさかい、なかなか一気にお教えするんは難しいんやないかと思うんですわ」

シンタローは大分嫌そうな顔をしていたが、最後にはフゥと大きなため息をついた。

「……しかたねぇなぁ…。テメェ、ちゃんと食えるもん作れんだろうな?」

アラシヤマはコクンコクンと大きく頷いた。

「シンタローはんに食べてもらえるんやったら、大量の愛情という名のスパイスを振りかけて作りますえ!」

「…スパイスはいらねぇ。ちゃんとフツーに食えるもん作ってこいヨ!?変なもん入れたらその場でシベリア永久追放にすっからナ!」

ビシィッとシンタローの人差し指がアラシヤマの眉間を指す。

本来なら無礼にあたるであろう行為も、アラシヤマは笑顔で受け止めた。



シンタローは苦虫を噛み潰したような表情のまま、くるりと踵と返す。

「早速、明日からおべんとお持ちしますさかい、楽しみしたっておくれやすぅ~!」

ハートマークが飛んでいきそうなアラシヤマの呼びかけを無視して、シンタローはスタスタとその場を去っていった。



* * * * *



本日のお弁当はまずまずシンタローの気に合ったようで、シンタローは熱心にレシピを聞いてくれた。

まったくもう…。
素直にわてのためやと言うてくれたら、わてかて準備している言葉があるんに…。


『アラシヤマ…、俺、お前の故郷の味を覚えたくて…』

『シンタローはん、わてはそのキモチだけで充分や。クニの味を作れんでも、わての一番は未来永劫変わらんのやで…?』

『アラシヤマ…』

『シンタローはん…』

『…もう、シンタローって、呼んでくれよ…』
(シンタロー、顔を赤らめて俯く)

『シンタロー…!!』
(アラシヤマ、シンタローを抱きしめ、もつれ込むようにベッドへ……)



「…ヤマ…さん!……アラシヤマさんッ…!!」

ガギッと背中に蹴りを入れられて、アラシヤマは現実の世界に戻った。

「…あ、チョコレートロマンス…」

蹴りをくれた主は、シンタローの秘書のひとりであるチョコレートロマンスだった。

「さっきから何百回呼ばせる気ですか?マジック元総帥がお呼びですよ」

チョコはたいぶイライラしていたらしく、元々きつめの目じりがさらにつりあがっていた。

「へ?マジック様が…?」

実績、実力ともにナンバー2と認められているアラシヤマに命令できるのは、今は総帥であるシンタローただ一人となっている。

それは極めて軍隊的な性格を持つガンマ団において、指揮系統を混乱させないための措置でもあった。

「今日は名目上は『お休み』の日でしょう?マジック様も『プライベート』でお話があるみたいですよ」

チョコの言葉尻に何か冷たいものが混ざっている感じは否めなかったが、このタイミングでマジックに呼び出されるとしたら…。


も、もしかして、『息子をよろしく頼む』とか言われてしまうんやろか…!

思いついてしまった可能性に、アラシヤマは一瞬気が遠くなった。

マジック様には徐々にご報告しよ思うてたんに、むこうからお許しをいただけるなんて…!!

こんなにも恵まれていていいものだろうか?
アラシヤマは自分の幸せに恐怖すら感じた。

「…じゃあ、とにかく伝えましたからね。後でいいですから、必ず今日中にマジック様のところに行って下さいよ?」

チョコは穿き捨てるように言い残し、その場を去っていった。

チョコの態度は気になったが、おそらく自分とシンタローの仲を嫉妬してのことだろう。

シンタローはんは人気ありますさかいなぁ…。まあ、わてに獲られる気ぃしてまうんやろ。


笑い出すどころか、踊り出してしまいそうだ。

アラシヤマはバレリーナのような足取りで、早速マジックの自室を目指した。

「あれ?オメ、今日代休じゃなかったべか?」

「呼び出しでもあったっちゃか?」

ふと、知った顔に呼び止められた。

ミヤギとトットリは任務明けらしく、くたびれた顔をしている。

「お二人さんとも、おつかれさんどす。わてはこれから男を見せに行くんですわ」

「…何言ってるべ?…」

「頭のネジでも飛んだっちゃか?」

ミヤギとトットリは不審なものを見る目つきでアラシヤマを見てくる。

アラシヤマはにっこりと笑顔を返すと、トットリの肩にポンと手を置いた。

「お二人とも、式には招待状を出しますさかい、ぜひ出席したっておくれやす」

それだけ告げて、アラシヤマは再び軽い足取りで先を急いだ。



「……式って、なんの式だべ…」

ミヤギが困惑した声色でトットリに問う。

「さぁ?葬式のことじゃないっちゃか?」

トットリが返した適当な答えは、浮かれポンチキになっているアラシヤマの耳には入らなかった。

* * * * *

「マジック様!シンタローはんのことは、わてに…!このわてに任せておくれやすッ…!!」

アラシヤマは考えに考え抜いた台詞叫びながら、マジックの部屋に突撃した。

途端。

ジュワッという、熱風が体の横を通り抜けていく。


「なっ…!!?」

「ああ、ゴメンゴメン。ちょっと眼魔砲の練習をしていてね」

もう何十年もこの技を使っているだろうに、いまだに練習が必要なのだろうか?

疑問に思いながらも、アラシヤマはマジックに敬礼した。

「マジック様直々のお呼びやと伺いまして、参上いたしました」

「楽にしていいよ。私はもう隠退した身だからね。まあ、かけたまえ」

アラシヤマは進められるまま、黒革のソファに腰掛けた。

「…い゙っ…!!?」

体がソファに沈んだとたん、尻にチクリとした痛みが走った。

慌てて立ち上がると、中から太い釘のようなものが突き出ている。

…まさか…。

アラシヤマがソファの下に手を突っ込むと、五寸釘に胸を貫かれた藁人形が出てきた。

頭から冷水をかけられたような冷たい感覚が、アラシヤマの全身を通り抜けた。

「ん?どうしたんだい?」

マジックは笑顔で問うてくる。

アラシヤマが怪しげな藁人形を持っているにも関わらず、だ。

「…あの…、これがソファの下にあったんどすけど…」

アラシヤマが藁人形を差し出すと、マジックは大袈裟なそぶりで驚いて見せた。

「おや!一体誰がこんな危ないものを!?」

マジックは藁人形をつかむと、ぽいとごみ箱に捨ててしまった。

「まったく、こんなものを誰が置いたんだろうねぇ」

マジックは鮮やかな笑顔を見せているが、その目は笑っていなかった。

おかしい。

マジックの様子は明らかにアラシヤマを歓迎していない。


むしろ悪意すら感じるほどの態度に、アラシヤマはこれから起こる対立を予期した。

これは……
婿舅問題の始まりか…っ!?

人生、いいことばかりあらへんいうことはわかっとったつもりやけど…。

都合のいい方向しか考えてなかっただけに、マジックの態度はショックだった。

父親の反対に合うなんて、まるでロミオとジュリエットだ。

アラシヤマは己の不幸にくらりとした。

「アラシヤマ?もう釘はないだろう?座りたまえ」

改めて促され、アラシヤマはマジックの向かいに座った。

「今日、君に来てもらったのは、シンタローのことについてなんだが…」

想像していた通りの切り出しに、アラシヤマは思わず身構えた。

なんていうつもりやろ…。
『シンタローと別れてくれ』
『君とシンタローの仲を認めるわけにはいかん』
『非生産的な関係はやめたまえ』

でも、わてとシンタローはんはもうお互い離れられん仲なんや。
ここでわてが気張らんかったら、シンタローはんに合わす顔がないやないか!

アラシヤマは膝に置いた手をギュッと握り締めた。

そうや!
親の反対に合うくらい、たいしたことやあらへん!

いざとなったら、シンタローはんを連れて、世界の果てまで逃げるんや。
二人で肩を抱き合って、雪山を越えたりして。

そんで、世界の中心で愛を叫ぶんや…!


「…ヤマ?聞いているのかい?」

ふいにマジックに下から顔を覗き込まれ、アラシヤマは我に返った。

「あ…!はいっ!!」

「そう。じゃあ、早速明日からシンちゃんのお弁当係は交代ってことで」

マジックはニッコリ笑って膝をポンと叩いた。

「え?ちょおっ…、なんの話どすかっ!?」

アラシヤマは慌てて食い下がった。

「もう、やっぱり聞いてなかったのかい?私がシンちゃんのお弁当係りを代わってあげるという話だよ」

マジックは足を組みなおしながら続けた。

「君も任務が多くて大変だろうし、何よりシンタローの好みは私が一番把握しているからね」

マジックの言葉尻には、どこか挑戦的なものが混じっている。

「…でも、シンタローはんはわての料理が食べたいいうてきたんどすえ?」

アラシヤマは『わての』のところを強調して返した。

実際はシンタローが欲していたのは『京料理』なのだが、意味するところは同じだろう。

「でもきっとシンちゃんは、私に遠慮しているんだよ。ホントは私にお弁当を持ってきてもらいたいんじゃないかと思うんだ」

「だとしたら、わざわざわてを指名したんはなんでやったんでっしゃろ?」

せっかくつかんだランチタイムの特権を、そうやすやす奪われるわけにはいかない。

二人の間には、青い火花が見えるようだった。

数分ほども、そうして睨みあっていただろうか。

「やれやれ、君も頑固だね…」

マジックは肩をすくめると、フゥと大きなため息をついた。

「じゃあこうしよう。明日のランチには君と私、ふたりでシンタローにお弁当を持っていく。そして、シンタローが選んだ方が、今後シンタローにお弁当を差し入れする権利を獲得する」

マジックはよほど自身があるのか、挑戦的な笑みを浮かべている。

「どうかね?」

「……了解どす」

マジックにどんな秘策があるのかは知らないが、シンタローが欲しているのは『京料理』だ。

もちろん、それを教えるほどアラシヤマはお人よしではない。

勝機は自分にあるといってよかった。

「ほいたら、マジック様。明日正午に、総帥室の前でよろしいでっしゃろか?」

「もちろん。まあ、君も頑張ってくれたまえ」

マジックは余裕のポーズを崩さないまま。

アラシヤマは勢いよく立ち上がると、一礼してマジックの部屋をあとにした。


* * * * *


「シンタローはんッ!!」
「シンちゃんッ!!」

ノックもせずに飛び込んできた二つの騒音。

「今日のランチはどっち!?」

シンタローは目の前に突き出された二つの巨大な弁当箱を冷ややかな目で見つめた。

「…つーか、意味わかんねぇんだけど」

この二人が一緒に弁当を持ってくるなんて不自然すぎる。

何か裏で取引でもあるように思えてならない。

「意味なんてないよ、シンちゃん。最近パパの料理を食べてなかっただろう?そろそろパパの味が恋しくなったんじゃないかと思ってね」

マジックが蓋を開けて差し出すバスケットの中には、焼きたてのナンと銀色のボウルが入っている。
中身はきっとカレーだろう。

対してアラシヤマの方は、小判型の三重の重箱に、手の込んでそうな小鉢料理と散らし寿司が詰められている。

「…一体、何の対決してんだヨ?」

この二人が弁当で争っているのはあきらかだ。
そして、承知してはいないが、勝敗を決めるのはシンタローなのだろう。

背景も知らずに答えを出すには、この二人は危険すぎる。

「シンタローはんのランチを作る係り対決どす」

シンタローが問い詰めるまでもなく、アラシヤマがあっさりと答えた。

アラシヤマはちらりとマジックを見て続けた。

「マジック様がお弁当作る係りを代わって欲しいいうもんで、シンタローはんに決めてもらおいうことになったんどすわ」

「はァ~?いつから俺の弁当係が役職になったんだよ。てゆーか、親父、そんなに暇なら旅行でも行けよ、うざってぇ」

シンタローは呆れて額を押さえた。

毎日毎日、俺はクソする暇もねぇほど忙しいっつーのに、この親父はどこまで暢気なのか。

「だって、シンちゃんッ…!最近ちっとも一緒にごはん食べてくれないじゃないか!!ずるいよ、アラシヤマばっかり!パパだってシンちゃんに『はい、あ~ん』とかしてあげたいよ!」

「…俺はアラシヤマにそんなことした覚えもなければ、今後することも永久にねぇんだけどな」

まともに相手にする気にもなれず、シンタローは部屋のすみにいたティラミスを目で呼んだ。

「ティラミス、元総帥を自室まで送り届けてさしあげろ。あ、親父、飯は置いてってくれていいぜ」

ティラミスはやや暗い表情でマジックの傍らに立ち、マジックの肩に手を置いた。

「…マジック様。どうかここはシンタロー様の言うとおりに…」

「シンちゃんッ!まだパパは返事を聞いてないよッ!」

マジックはティラミスを振り払おうと、大きく腕を振った。

「アッ…!」

マジックの長い腕が、勢いあまってアラシヤマの弁当箱にあたった。

グシャという粘着質な音とともに、弁当の中身が床に散乱する。

色とりどりのきれいな色彩の食物が、その光景をかえって無残に見せた。

「あ…」

アラシヤマはその場にしゃがみこんだが、弁当の中身が戻るわけでもない。

アラシヤマは空になった弁当箱を拾い、悲しそうに目を伏せた。

その表情に、シンタローはぎゅっと胸をつかまれるような感覚を覚えた。

そうだよな…。自分の作ったモン粗末にされるのって悲しいんだよな…。

小さな友人と南の島で暮らしていたあのころ。

食べ物の調達、料理は自分の役目だった。

自分で採った食物を自分で料理して食べる。

そのことを繰り返しているうちに、食物を得る苦労も食物を与えてもらうありがたみも、呼吸をするように自分の身に染み付いた。

だから…。

「俺ぁ、食いモン粗末にする奴ぁ、大っ嫌いなんだよ…」

シンタローの低くうめくような声に、マジックはビクリト体を震わせた。

「ご、ごめん…ッ!シンちゃん、わざとじゃないんだよ…?悪気があったわけじゃあ…」

おろおろと顔色を伺ってくるマジックを、シンタロー
はギンッと睨みつけた。

「これ以上、俺の機嫌をそこねないうちに帰れよ。カレーは置いていっていいから」


これ以上居座っては本格的に口を利いてもらえなくなることを悟ったのか、マジックはがっくりと肩を落とすと、わざとらしい大きなため息をついた。

その背中をいたわるように、ティラミスがそっとマジックに付き添う。

マジックは一度だけ振り返ると、再びため息を残して総帥室を出て行った。

「…悪かったナ。バカ親父が…」

シンタローはアラシヤマの前にしゃがみこんだ。

「いいんどす…。覆水盆に返らずや。それより、床汚してしもてすんまへん」

アラシヤマはひっくり返った弁当箱に、おかずを戻し始めた。

紅葉の形をしたにんじんや、きれいな色の煮凝り、素材が透けるほどに薄く切られた酢の物。

知識がなくとも、どれほど時間をかけられたものなのかは推測できる。

アラシヤマはともかく、食い物には罪はない。

シンタローは紅葉型のにんじんをつまむと、ひょいと口に入れた。

薄味だが、にんじん本来の甘みが出たいい味付けだった。

「シ、シンタローはんっ!何してはりますの!?それ、落としたもんどすえ?」

アラシヤマがとっさにシンタローの手首をつかんだ。

けれど、にんじんは既に胃に入ってしまったあとだ。

「別に、落ちたくれーで、死にはしねぇヨ。せっかく作ったのに、もったいねーじゃんかよ」

シンタローはアラシヤマの手を振り解くと、側に落ちていた蒲鉾状の固まりを口に入れた。

「お、これ上手いな。なんていう…」

ふと、アラシヤマが体を起こしたと思うと、満身の力で抱きついてきた。

「てめッ…!!なにす…」

シンタローは体をよじったが、床に座り込んでいる上に、腕の上から抱きしめられていてはろくに身動きもとれない。

「…うれしおす…。シンタローはんッ…!」

アラシヤマの、シンタローを抱く力が強くなる。

「こないにわてを大事に思っとってくれはったなんて…。クニの料理なんて作れんでもかましまへん!わては一生、シンタローはんを愛し続けますさかい、二人で誓いをたてまひょ!!」

アラシヤマの、シンタローを抱く力がますます強くなる。
フイをつかれたとはいえ、実力だけはガンマ団ナンバー2の男だ。満身の力でサバ折をかけられては、シンタローも呻くしかなかった。

「…なッに…、わけわかんねーこと言って…」

上半身をのけぞらせてアラシヤマを見ると、その目は怪しく血走って、不気味な光を発しているように見えた。

「舅の反対なんて、二人の愛のパワーがあれば問題あらしまへん!いざ、誓いのキキキキッスをッ…!!」

アラシヤマの唇がむにゅ~と近づいてくる。

シンタローは咄嗟に右拳をふところに入れた。
拳がほぼ密着した状態から、思い切りみぞおちに正拳を突き入れる。

「ゴフッ…」

わずかな胃の内臓物と血を吐いて、アラシヤマ崩れ落ちた。

また、いつ目を覚ますかわからない。

シンタローはアラシヤマの足をつかむと、引きずって総帥室の外に放り出した。
仰向けで白目をむいているアラシヤマの腹のうえに、三重のお弁当箱をそっと乗せる。

アラシヤマが目を覚ましていないことを確認して、素早く総帥室に戻り、セキュリティ・ロックをかけた。

今までもアラシヤマに抱きつかれたり擦り寄られたりしたことは多々ある。
その度に眼魔砲で返り討ちにあわせたりしてきたが、さっきのアラシヤマは獣じみていて、正直言って怖かった。

「……すげー馬鹿力…」

アラシヤマに抱きしめられた両腕がじわじわとしびれている。

「一体なんだったんだよ…」

何がアラシヤマを凶行に走らせたのかわからない。
なんなんだ、クニの味がどーだとか…。

まあ、あいつがわけわかんねーのはいつものことだし。

シンタローは腕をさすりながら、デスクの上の新聞を手に取った。

ティラミスが戻ってきたら、親父のカレーでも食うか。

シンタローはデスクに置かれたままにまっていたバスケットをちらりと見て、再び新聞に目を戻した。



* * * * *


「…ううう…シンちゃん…」

力を落とし、ヨロヨロと歩く元総帥に合わせて、ティラミスはどんよりした空気を味わっていた。

「ねぇ、ティラミス。シンちゃんはもう、パパより好きな人がいるのかな…」

「そんなのたくさんいると思いまずが…」

ゴウッという音を立てて、破壊力を持った球体が耳の横を通り抜けていく。

ティラミスは自分の素直さを少し反省した。

「くそぉ…アラシヤマめ…。私ですらシンちゃんとランチデート出来ていないものを…」

「……」

ハンカチでも噛みそうなほど悔しがるマジックが、少しだけ憐れに思えた。

事の真相は、別にそんなに悔しがるような内容じゃないからだ。

「マジック様、実は…」

ティラミスはチョコレートロマンスから聞いた話も含め、アラシヤマが弁当を差し入れしている理由をすべて話した。

「なぁあんだ!そんなことだったのかい!」

背中にバラでも咲かせそうなほど、マジックの笑顔が生気を取り戻し始める。

「おかしいと思ったんだよ!シンちゃんが非生産的な行為に耽るとも思えないからね」

それまで、足をひきずりそうに歩いていたのが、スキップでも始めそうな勢いだ。


「それしにても、あのコもまだまだ若いねぇ。男は50代からこそが華なのに、テレビなんかに影響されて若さにすがろうとするなんて」

50を過ぎてなお、エレガンスに生きようとする彼からすると、確かにシンタローの行為は愚かだろう。

「まあ、それもたぶん今日までのことですから…」

言ってしまったあとで、ティラミスはハッと口を押さえた。
自分たちが余計なことをしたのがバレたら、アラシヤマに逆恨みされるかもしれない。

しかし、息子の不純同性交友の疑いが晴れたことに浮かれている耳に、ティラミスの呟きは入っていなかったらしい。


昨日、昼休み後のシンタローはすこぶる機嫌が悪く、いつにも増して威圧的なオーラを振りまいていた。

シンタローは機嫌さえよければ、カリスマ性ある頼れるトップだが、機嫌が悪ければ一転、威圧的な恐怖政治の王となる。

昨日のシンタローは後者だった。

その理由は明らかで、昼食の間アラシヤマから受けたストレスがシンタローの機嫌を悪くしているのだった。

シンタローの機嫌が悪い場合、被害を受けるのは、秘書であるティラミスとチョコレートロマンスの役目だ。

こんな状態が何日も続いたら俺たちの身がもたない…!!

ティラミスとチョコは、例の番組のヤラセ報道を最も大きく報道している新聞を探し出し、総帥室の机に置いておくことにした。

それが、自分たちに火の粉がかからない、最良の方法だった。

午前中は会議で新聞を読む暇などなかっただろうが、今頃目を通しているかもしれない。

そうだといいけどな。

けれど、自分の仕事がシンタローの秘書であり、シンタローの側に息子命の元上司とストーカーのナンバー2がいる限り、こういった苦労はこれからも続くのかもしれない。


ティラミスはスキップをしながら自室に戻るマジックの背中を追いかけながら、少しだけため息をついた。





END

2007/3/2 UP
2007/3/12 改正


バカな話でスミマセン…。






































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agf
愛していると言ってくれ

「…素直になる薬…ですか…?」

新入団員は決して近寄ってはいけないと言われている魔の研究室。

コポコポと不気味な音をたてる液体や、薄茶色く変色したホルマリン漬けの壜の森の中に、アラシヤマはにっこりと笑って「お願い」ポーズをとっていた。

「そうどす。なんちゅーか、日ごろ隠している本当の心を出さずにはいられんようになる薬なんてあらしまへんかなーと思うて」

くねくねと不気味なしぐさを繰り返すアラシヤマを前に、高松はそっとため息をついた。

誰に使うのかは容易に想像できる。
どうせ眼魔砲で吹き飛ばされて、医務室に運ばれる目に遭うのだろう。憐れなことだ。

「…使用目的によっては、ないこともありませんが…」

「ホンマどすか!」

アラシヤマの目が輝きに満ちる。

「だから、使用目的に寄っては、と言ったでしょう」

「そんなん…。使用目的なんて、わてはシンタローはんの本音を聞いてみたいだけなんどす」

アラシヤマは赤らんだ頬を少女のように押さえて言った。

「…ほら、シンタローはんてば、今流行のツンデレやさかい、素直になりとうてもなれまへんのや。もちろんシンタローはんの心は言葉にせんでもわてにはわかっとります。せやけど、愛する人から愛の言葉を聴きたいっちゅーのは当然でっしゃろ?」

「……私は時折、あなたの妄想力が発電にでも使えるんじゃないかと思うときがありますよ…」

高松の嫌味にもめげず、アラシヤマはえ?と曖昧な笑顔を返した。

「…まあ、いいでしょう。ようするに貴方の妄想を現実のものにしたいというわけですね」

高松はアラシヤマに背を向けると、薬品棚から紫色の小瓶を取り出した。

「いややわ、ドクター。何聞いてますのん?わては『素直になる薬』が欲しいと…」

タン、と高松は小瓶をテーブルに置いた。

「これが貴方の欲しがっている『素直になる薬』です。これはまだ新総帥にも報告していない薬なんですけどね。4万円でどうですか?」

アラシヤマはニヤリと笑って懐に手を伸ばした。

「フフフ…わての取引カードは4万円なんてもんじゃないどすえ…」

取り出したのは、1枚のCD-ROM。

「グンマ&キンタローの『一緒にシャワー』シーン連射160枚画像どす!」

「なッ…何ィ…!!!」

高松の鼻元からは、早くも赤い鮮血がほとばしっている。

「アンタ…、一体なんでそんなもんを…」

高松はヨロヨロとROMに手を伸ばす。アラシヤマは意地悪げにその手を遠ざけた。

「フフ…わての存在感のなさを甘う見んで欲しいどすな。シャワー室が満杯のときに、隣にいたわてがあのボケ二人に気付かれんように写真取るなんて造作もないことどす!」

アラシヤマは勝ち誇ったように高らかに笑い声を上げた。


* * * * *

「えーと…原液を2、3滴わての体に降りかけてから、残りを相手に飲ませるんだったどすな」

ROMと引き換えに薬を手に入れたアラシヤマは、自室に戻って高松から聞いた使用法を反芻した。

『薬を振り掛けるときは地肌につけたほうがいいですよ、服を脱いだらお終いですから。それと、体につける薬の作用は24時間ですから、24時間以内に相手に薬を飲ませてくださいね』

何故アラシヤマまで薬をつける必要があるのかは、「素直になる」相手を特定させるためらしい。

『誰彼かまわず素直になっても大変でしょうが』

もしかしたら軍事用に開発されていたものなのかも知れない。安全かつ作用を調整できる自白剤、といったところだろうか?

高松もすでに人体実験を済ませ、効果を確認しているということだから、安全性は問題ないだろう。

問題は…。

「これをどうやってシンタローはんに飲ませるか、どすなぁ…」

アラシヤマは紫色の小瓶をちらりと見てから、自作の『シンタロースケジュールメモ』に手を伸ばした。

「あ、明日は夜にマジック様との会食がはいっとるやないどすか」

シンタローとマジックの会食は月に一回程度の恒例になりつつある。

ほとんどマジックがシンタローと食事を取りたいためだけに、「引継ぎで伝え忘れたことが」だの「団のことで気になることがあって…」だのと、無理やり仕事をからめてはシンタローを呼び寄せているのだが、仕事と言われてはシンタローは無視できない。

会食は明日の夜8時。

秘書であるチョコレートロマンスとティラミスはまだ残っているかもしれないが、ちょうどいいタイミングだろう。

「フフ…、こないに早うチャンスが巡ってきはるとは、ロマンスの神様もわての味方みたいどすなぁ」

アラシヤマはシンタローのスケジュール表にチュっとキスをした。

* * * * *

「じゃあ、俺はさっさと戻ってくるつもりだけど、お前は仕事終わったら先あがってていいからな」

「はい、わかりました」

バン、とドアを閉めて、シンタローは総帥室を離れていった。
大股でずかずか歩くのは、イライラしているときの彼のくせだ。

「フフ…マジック様との食事がそんなに嫌なんどすかなぁ…ホンマ子供みたいで可愛らしわぁ」

アラシヤマは長い髪をなびかせて去ってゆくシンタローを物陰に隠れて見つめていた。

ずんずんと遠くなっていく姿が、どうしようもなく愛おしい。

どこもかしこも素敵なわての王子様どすわ…。

物陰に隠れたまま、ホゥとため息を付く。

シンタローの姿がすっかり見えなくなったところで、アラシヤマは総帥室のドアを叩いた。


「どなたですか?」

「…わてや、アラシヤマや」

アラシヤマが名前を告げると、チョコレート色のドアがスッと開いた。

「どうしたんです?総帥は今出られていて不在ですよ?」

部屋にいたのはティラミスだった。

「そか…。あんさんだけか?」

「ええ、チョコレートロマンスは先にあがりました。で、何か御用でしたか?」

「ちょお、シンタローはんに直接渡したいもんがあったんやけど、ほな、また出直しますわ」

くるりとアラシヤマは向きを変え、部屋を出るふりをした。

「ああ、そうや。申し訳ないんやど、水をもろうてもええやろか?急いできたさかい、喉がカラカラなんや」

「そんなに急いでたんですか?どうぞ、そこにウォータースタンドがありますからご自由に。紙コップはそこのゴミ箱に捨ててくださいね」

ティラミスは壁の端に取り付けられたミネラルウォーターのタンクを指差した。

「おおきに…」

アラシヤマはティラミスをちらりと見てウォータースタンドに近づいた。

ティラミスはすでに仕事に戻っていて、アラシヤマを気にする様子はない。

アラシヤマは自分の分の水を紙コップに注いでから、手に隠し持っていた小瓶の中身を素早くタンクに流し込んだ。

総帥室にこのウォータースタンドがあるのはチェック済みだった。
総帥室には給油設備も付いているが、この部屋ではコーヒーや紅茶を入れるときもこのタンクの水を使っている。

薬の原液はすでにアラシヤマの首筋に塗りこんであった。

あとはこれをシンタローはんが飲んでさえくれれば…!!

アラシヤマは小さくガッツポーズをとった。

「あれ?水もうありませんか?」

ウォータースタンドから動かないアラシヤマを不審に思ったのか、ティラミスが声をかけてきた。

「いや、まだまだ仰山ありますえ。ほんま、生き返ったわ~」

アラシヤマは手にしていた水を一気にあおると、空になった紙コップをくしゃりと潰してゴミ箱に捨てた。

「シンタローはんは今日戻られますのやろ?」

「ええ、今日はマジック様とお会いになられてますが、小1時間ほどで戻られると思いますよ」

ティラミスは手にしていた書類から目を離さずに答えた。

アラシヤマは少しだけ安心して胸を押さえた。

シンタローのスケジュールはだいたい把握しているとはいえ、予想外の予定が入らないとも限らない。

ひとまず、この総帥室に戻ってくるのなら、24時間のうちに一度も水分を取らないということはないだろう。

アラシヤマは空になった壜をポケットの中で握り締めた。

「ほいたら、失礼しますわ…」

「総帥にはアラシヤマさんがお話があったようだとお伝えしておきますね」

軽く会釈をするティラミスにわずかに罪悪感を覚えつつ、アラシヤマは総帥室をあとにした。

* * * * *

……さて、どのくらいのタイミングでうかがったらええもんやろか…?


自室に戻ったアラシヤマは、ベッドに横たわってその後の行動のことを考えていた。

1時間ほどで戻ると言うてたけど、戻ってすぐに水飲むかどうかはわからんし…。早くに行き過ぎて警戒心もたれたら元も子もないやろしなぁ…。

早く「素直な」シンタローに会いたいのはやまやまだが、ここは念には念を入れて明日の夕方くらいがいいだろう。

同じ部屋で勤務するティラミスやチョコレートロマンスも薬を飲んでしまう可能性は大いにあるが、アラシヤマ以外には効果は出ないということなので、仕事に支障をきたすことはないはずだ。


…ああ、でも…。早うシンタローはんに会いたいわぁ…。

「素直な」シンタローはなんて言ってくれるだろうか?

『お前は生涯の心友だぜ…』

『お前がいないと俺は駄目なんだ…』

『愛してる。ずっと一緒にいてくれ…』

「………くはぁ~~!!!たまりませんわぁ~~!!!」

アラシヤマはゴロゴロとベッドの上をのたうち回った。

コンコン。

ふいに、アラシヤマの部屋のドアがノックされた。

…空耳か?

アラシヤマは転がるのを止めて、じっとドアを見つめた。


コンコン。


やはり、誰かがドアをノックしている。

…誰やろ…?わての部屋に人がくるなんて。


ドアを開けると、そこにはティラミスが俯いたまま立っていた。

「へ!?ティラミス…?」

あまりにも意外な客人に、アラシヤマは素っ頓狂な声を上げた。

「なッ…どうしたんどすか!?」

「……」

ティラミスは顔を上げないまま、アラシヤマに抱きついた。

そのまま部屋の中に押し込まれ、バランスを崩したアラシヤマは仰向けに倒されてしまった。

「…った~…、何しますのん…?」

床に手をついて半身を起こすと、再びティラミスがアラシヤマの首元に抱きついてくる。

「ちょおっ…!何してますのんや!?」

額を押さえて引きはがすと、潤んだティラミスの瞳がじっとアラシヤマを見つめた。

「…私も…どうすればいいのかわからないんです…。貴方が…貴方が好きなんです!!」

「……!!!」

ティラミスの突然の告白に、アラシヤマは目を白黒させた。

…まさか、こいつも「素直になる水」飲んでしもたんじゃ…!

アラシヤマが動転している間にも、ティラミスはアラシヤマに口付けようと、唇を差し出してくる。

「…ほあッ…!」

すんでのところでティラミスのキスを避けると、アラシヤマは部屋を飛び出して外から鍵をかけた。

『ア、アラシヤマさんッ…!!』

部屋の中からはティラミスの悲痛な叫び声が聞こえている。

「…き、気持ちは嬉しいんやけど…、わてはシンタローはん一筋やさかい。堪忍したってや…」

扉ごしにティラミスに声をかけて、アラシヤマは自室を離れた。

…しっかし…、ホンマ、あせってしもたわ…。


アラシヤマはティラミスを閉じ込めた自室に戻ることも出来ず、深夜の官舎内をうろついていた。

あのティラミスまでもが自分に惚れていたなんて。

ティラミスとは、総帥室に行ったときに、たまに会話する程度だったが、そんな熱烈な思いを寄せられていたとは気がつかなかった。

「…美しいって罪なんやなぁ…。でも、わてにはシンタローはんがおるさかい…堪忍や…!」

堪忍、とはいいながらも、生まれて初めて受けた愛の告白に、アラシヤマは喜びを隠せなかった。

『好き』という言葉の甘い感触…。
でも、シンタローへの愛を貫きたい…!!

…ああ、わてはどうしたら…!

いつのまにか、官舎のエントランスまで来てしまったらしい。
明り取りのフランス窓からは、月の光が入り込んいる。

「…なんだ、オメーかヨ。迎えに行く手間が省けたぜ」

ぼんやり浮かび上がる月の光に、長身の男の姿が浮かび上がっていた。





→(2) に続く





















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SLEEPING KING

深夜のガンマ団本部。

静まり返った廊下に、ドアを叩く音が響いた。

「シンタロー、入るぞ?」
キンタローが扉を開けると、シンタローが机に突っ伏していた。

「シンタロー!?」

キンタローはデスクに駆け寄った。
声で目が覚めたのか、シンタローがむくりと起き上がる。

「…キンタローか…。悪い、ちょっとウトウトしてた」

「別に、謝ることじゃないだろう」

シンタローは赤い目を擦って、へへへと笑った。




ガンマ団を生まれ変わらせる。

その目的のために、シンタローはどれだけ奔走しているだろう?

シンタローが新総帥に立って約一年。

休暇はおろか、自室で休んでいる姿すら、見掛けることはなかった。

「…お前は働き過ぎだ。少しくらい休んだらどうだ?」

キンタローはシンタローの肩に手を追いた。

シンタローが青い顔で見上げてくる。

「…ありがとナ、キンタロー。でも、ま、今は過渡期だからよ。ここでオレがやらなきゃ、ガンマ団を変えることはできねぇ」

疲れた表情をしているが、意思の強い瞳は変わらない。

…多分、オレが何を言っても聞かないだろう。

そんなにも自分は頼りないのかと、気分が重くなった。

かつては心の底から憎かった相手。
けれど、冷静になった今、あれは強い憧れを含んだ嫉妬ではなかったかと思う。

強さと優しさと矜持。全てを兼ね備えた絶大なるカリスマ。

前総帥であるマジックと血の繋がりがないことがわかっても、マジックや他の団員のシンタローへの信頼は揺らがなかった。

人を魅き付けてやまないその魅力は、ほかでもないシンタロー自身のものだ。

補佐としてシンタローの側にいるうちに、キンタローもそれを理解するようになっていた。

彼を超えたいという気持ちは、今はもうない。

今はただ側にいて、支えになってやりたい。

キンタローはいつしかそう願うようになっていた。



「仕事、後どのくらい残ってるんだ?」

手伝えるものなら手伝ってやろう。

そう思って、キンタローは白衣を脱いでソファに座った。

「ん?急ぎの依頼の采配だけだから、後一時間ってとこだろ」

時計を見ると、既に三時を過ぎている。

これで朝8時の会議に参加するのだから…まったく、ナポレオンにでもなるつもりなのか。

「半分渡せ。依頼の采配なら、俺にも出来るだろう」

采配とは、ここではどの依頼をどの隊、または団員に割り当てるかを決定することを言う。

キンタローは、普段は科学者として開発部に身を置いているが、ガンマ団内の軍備、団員の能力データなどは全て把握している。

「オレが仮に割り当ててから、後でお前がチェックすれば、時間の短縮になるだろう」

シンタローは少し考えていたが、書類の束を一度机で揃えると、半分を分けてキンタローに差し出した。

「サンキュ。助かるよ」

少しだけ笑顔になったシンタローは、やはり疲れた青い顔をしていた。

カチコチと時計の音が響く。

ふと、窓を見ると、夜の色が少しだけ淡くなっていた。

「終わったぞ。シンタロー」

「ん、サンキュ」

シンタローは書類を受け取ると、内容を確認しながら一枚ずつにサインをしていった。

「オッケー、オッケー、これもオッケー…」

さらさらとサインされていく音を聞きながら、キンタローは当然だと思った。

データの正確さならば、シンタローより上だという自信がある。

「あ、こりゃダメだ」

シンタローのサインが止まった。

「何だと!?オレの…いいか、このオレの采配は完全なる総合データを元に最も合理的かつ経済原理に基づいて…」

まくし立てるキンタローを、シンタローは手で制した。

「いや、この采配も解るんだけどよ、ちとウチのリスクが高いんだよ」

その依頼の内容は、ゲリラ軍の武器庫を秘密裏に破壊して欲しいというものだった。

「しかし、破壊工作隊としてはトップクラスを選んだつもりだぞ」

「この武器庫の位置が厄介な場所なんだよ。接近するとこちらが致命傷を負う可能性がある」

「ではどうする?何か策があるのか?」

キンタローが尋ねると、シンタローは苦虫を噛み潰したような顔をした。

「…多分、これしかねーんだョ…」

シンタローは苦悶の表情のまま、采配表を書き直す。

そこにあった名前は。


アラシヤマ
シンタロー


「…なっ、この程度の仕事に自ら出向く気か!?」

厄介な依頼なのはわかるが、規模としては小さい仕事だ。それを総帥自ら、しかも二人で行うなんて。

「オイ、キンタロー。言っとくがナ、依頼に程度もクソもねーゾ。みんなウチを頼って来てるんだ。どれひとつ手は抜けねーんだョ」

言っていることはわかるが…。

「…なぜお前が出向く必要がある?」

「武器庫の破壊ならアラシヤマの炎があれば、火薬に引火して勝手に爆発する。でも、地理的に敵に知られない位置からはアイツの炎も届かねぇ」

「…それで、お前の眼魔砲で風を導いて炎を飛距離を延ばす、というわけか」

その通り。とシンタローは答えた。

「ほんとはアイツと二人なんて無茶苦茶イヤなんだけどよー…」

ぶつぶつ文句を言いながらも、シンタローは決定のサインを書き込んだ。

その書類の実行予定日を見ると…

「明日じゃないか!!」

正確には日付が変わっているので今日だ。

ああ、とシンタローは軽く流す。

「お前、朝から会議で、そのまま実戦に向かう気か!?」
そうだ、と答えながら、シンタローは他の書類のサインを始めている。

「お前、昨日実戦から戻ったばかりで、そのうえほとんど休んでないだろう!今日だって、今からじゃいくらも休めないじゃないか!オレは反対だ!!」

キンタローの声は、もはや怒号に近かった。

「…まあ、でも」

シンタローは万年筆の後ろでポリポリと頬を掻いた。

「アラシヤマがいっから大丈夫だろ」

なんだかんだ言ってもアイツ強いから。

そんなシンタローの言葉に、キンタローはモヤモヤとした不快な感情が広がって行くのを感じた。

アラシヤマが強いのは事実だ。シンタローは表向きアラシヤマを疎んじながらも、本心では絶大の信頼を置いている。

能力も実績も確かに優秀なアラシヤマだが、シンタローが彼にそこまでの信頼を置いているのには、心理的な安心感があるからのように見えてならない。

キンタローには、それが不快だった。

「……わかった」

キンタローの呟きに、シンタローは不思議そうな顔をした。

「オレも行く」

「はぁっ!?」

何言ってるんだよ、とシンタローは目を見開いた。

「なんでだよ。大体、オメー、自分の研究は?」

「一日抜けるくらいは問題ない。それに、眼魔砲ならオレも使える」

キンタローは、シンタローの頬にそっと触れた。

「万が一、お前が倒れたときの予備員だ。いいな、オレも行くぞ」

シンタローはしばしキンタローを見つめていた。
が、キンタローの意思が固いことを悟ると、仕方なさそうにサインした書類にキンタローの名前を書き足した。

翌日、キンタローはシンタロー、アラシヤマ、他機関士数名とともに飛行挺に乗り込んだ。


「シンタローはんと二人で任務なんて、戦場も天国になってまいますわ~」

緊急任務で朝から呼び出されたにもかかわらず、アラシヤマは有頂天この上ない浮かれ様だった。

「…いや、その例えはまずいだろう」

「ほっとけョ。そのうちホントに天国に送るつもりだから」

シンタローはアラシヤマのラブコールはすべてスルーして、熱心に現場の地形図を眺めている。

「オラ、着くまでにミーティングすんぞ」

シンタローは地形図を机に広げた。

アラシヤマの顔がさっと真剣な表情になった。



ミーティングの間、シンタローとアラシヤマの呼吸は見事なものだった。
お互いの能力と思考を把握しているからこその流れ。
キンタローはほとんど口を挟むことすらせずに、二人の作戦を聞いていた。

悔しさを感じなくもないが、これが毎度実戦に出ているものと、そうでないものの差だろう。

「…それでだ、キンタロー」

作戦会議が一通り終了すると、シンタローはあらためてキンタローに向き合った。

シンタローの手が、キンタローの肩に置かれる。

「オレなりに色々考えた結果なんだが、お前はやっぱり艦で待機しててくれ」

シンタローの目は真剣だった。

「…オレは予備員だと言っただろう。お前と一緒にいないと意味がない」

キンタローはきっぱりと答えた。
肩に置かれた手を除けようとしたが、それはしっかり固定されていて動かなかった。

シンタローは続けた。

「お前の戦闘能力は、誰よりもこのオレが知ってる。でも、実戦を退いて科学者として生きることを選んだのはお前自身だろう?」

キンタローは、肩に置かれた手にぐっと力が篭るのを感じた。

「お前は団の頭脳だ。お前を失うわけにはいかない」
シンタローの言葉は、キンタローの胸の奥を叩いた。

「血生臭いことは、わてらのが慣れとる。シンタローはんの言う通りにするんがええと思いますえ」

今まで黙って聞いていたアラシヤマが、ふいに口を出した。

「シンタローはんは確かに無理しはるから、あんさんが見てられんなるのもわかりますえ。せやけど、すこぉしシンタローはんを見くびり過ぎや」

見くびる、の言葉に、キンタローはびくりとした。

「こん人が不死身なんは、あんさんかて身を持って知ってますやろ?」

キンタローは無言のまま、何も言い返さずにいた。

…自分はシンタローを見くびっているのだろうか?

いや、違う。

ただ、守りたいと思っただけだ。


「…前線で王を守るのはわてらの仕事や。あんさんは装備で王と兵を守る。見てみぃ」

アラシヤマはテーブルに、身につけていた装備品を並べ出した。

赤外線暗視スコープ、金属レーダー、ビーコン錯乱機、暗号通信機、広範型催涙弾…。

「全部、あんさんが改良したり開発したりしたもんや」

キンタローは、はっとアラシヤマを見つめた。

「…あんさんは、誰よりもシンタローはんを守ってるんや。こればっかりは、わてもかないまへん。だから、わてとしても、あんさんを前線には出しとぉないんどす…」

アラシヤマは少し悔し気な顔をしていた。


そのとき、ピーという電子音が鳴り響いた。

操縦室からの通信がスクリーンに映し出される。

『総帥、目標地点上空に着きました』

機関士のひとりが敬礼をしてそう告げた。

「わかった。作戦を決行する。後のことは指示通りにしろ」

『はっ』

シンタローは通信を切ると、パラシュートを背負ってハッチに向かった。

アラシヤマもその後に続く。

「…待て、シンタロー」

キンタローはシンタローの腕を掴んで呼び止めた。

「せめて、これを持って行け…」

差し出したのは、金属製のリング。

「これは…?」

「生体スキャナーだ。これを腕にしていれば、離れていてもお前の身体の状態を知ることができる」

シンタローはリングを手に取ると、しばし眺めたあと、左腕に嵌めた。

「それでお前の意識の有無や出血量までわかるようになっている。GPS機能も入っているからな。お前に何か…」

むぐ。

続きを言おうとしたキンタローの唇を、シンタローが指でつまんだ。

「全部言わなくてもわあってるよ。お前が出てこなきゃなんねえようなことには絶対ならねえ。約束する」
シンタローはキンタローの唇から手を離すと、開閉ボタンを押してハッチを開いた。

とたんに、猛烈な風が艦内に吹き荒れる。

シンタローはハラハラと手を振って空に飛び出していった。
アラシヤマがすぐ後に続いて飛び降りる。

流れ込む風を受けながら、キンタローは言えなかった言葉を反芻した。

『お前に何かあったら、それがどこであろうと、オレは飛び出して行く』



* * * *


カチコチと時計の進む音が耳に響く。

シンタローが艦を出て、既に5時間が経過していた。

「…シンタロー達からの通信はまだか?」

「…はい」

キンタローは機関士と共にコントロールルームで待機していた。

既に任務終了予定時刻を1時間近く過ぎている。

キンタローは苛々した表情を隠すように額を押さえた。

モニターに映し出されるシンタローの生体スキャンデータには、今のところ異常は出ていない。

しかし、任務中は緊急事態でもないかぎり、艦から前線部隊へ通信を出すことは禁じられている。

「…くそッ…」

キンタローは苛立だしげにテーブルを叩いた。

そのとき。

ピーという不快な機械音が艦内に鳴り響いた。

モニターに描かれるシンタローの生体グラフが異常な形で折れ曲がった。

「…なっ…!?」

「キンタロー様、これは…!?」

グラフが示しているものは、シンタローが意識を失っているということだった。

「今すぐシンタローの位置を確認しろ!!急げ!!」

キンタローの背中に、じわりと汗が沸き上がる。

「しかしっ…、今通信を出しては、この距離では敵に艦の位置を特定される危険が…!!」

「もし特定されたら俺が出る!!いいから早くしろ!!」

シンタローの異常を知らせる高い機械音が、キンタローの不安を増加させていく。

通信士はキンタローの気迫に圧されるように、信号追跡ボタンに手を伸ばした。
そのとき、ピッピッと短い電子音が鳴った。

「あ…アラシヤマさんから通信です!すぐ近くにいます!」

キンタローは通信士から無線を奪い取った。

「アラシヤマ!シンタローはどうした!?」

『…は?別になんもありゃしまへんえ?とりあえず、ロープ降ろしてもらえまへんやろか?』

…どういうことだ?リングが壊れたのか?
いや、まさか。耐久性にはかなり改良を加えたはずだ。
なら、何があった?

キンタローは無線を掴んだまま、しばし立ち尽くした。

無線を聞いていた機艦士が早々とロープを降ろしていく。

しばらくして、後部室でガタンという物音がした。

キンタローは無線を通信士に突き返すと、後部室に飛び込んだ。



「シンタロー!!」

「…大きい声出さんといてくんなはれ。シンタローはんが起きてまう」

シンタローは、アラシヤマに抱きかかえられるようにして、眠っていた。

「…シンタロー?」

「艦の位置を確認して、緊張が解けたんでっしゃろ。スイッチが切れるみたいに眠ってしまいましたわ」

アラシヤマは微笑を浮かべながら、シンタローの髪を梳いた。

「寝ている?…そうか、それで…」

リングは皮膚を通して神経信号を読み取るように設計していた。

人間は眠っているとき、仮死とほぼ変わらない状態になる。

つまり、睡眠状態を意識不明と読み取ってしまったのだ。

「くそ…。俺としたことが」

あまりに初歩的なミスだ。

しかし、己の失敗をふがいなく思いながらも、シンタローの無事に、キンタローは心から安堵した。

シンタローの顔を確かめようと、キンタローは側にしゃがみ込んだ。

そっとシンタローの顔に手を伸ばす。

しかし、アラシヤマがシンタローを引き寄せたため、キンタローの手は空を掻いた。

「…今、わて以外の人が触れたら起きてしまいますえ」

「…え…?」

どういう意味だ?

キンタローが問いただすよりも早く、アラシヤマはシンタローを抱き抱えたまま立ち上がった。

細く見える体のどこにそんな力があるのか。

アラシヤマは、まるでお姫様を抱き上げるように、シンタローを抱えて歩き出した。

「おい、どこへ連れて行く?」

「この艦、仮眠室付いてましたやろ?そこへ寝かせてきますわ」

アラシヤマはそのまま奥の自動ドアに消えた。

シンタローはよっぽど疲れているのか、抱き上げられても起きる気配はなかった。


…アラシヤマ以外が触れると目覚める?一体どんな意味だ?
それほどまでに、自分はシンタローに安心される存在だとでも言うのか!?

苛々した気持ちが再び沸き上がってくる。

キンタローは既に気が付いていた。

この任務についてから、自分を支配している不快な感情。

……これは嫉妬だ。

シンタローの側にいる、アラシヤマに対しての。

そして、この感情がしめすものは…。

キンタローは思わず壁を殴り付けた。

…認めたくない。気付いてはいけない。

シンタローに、恋焦がれているなど。


キンタローは、二度三度と壁を殴り付けた。鉄製の壁に、僅かに血の跡が付く。

「…あ、あの、キンタロー様…」

気が付くと、通信士のひとりがすぐ後ろまで来ていた。

「…なんだ」

キンタローの低い声に、年若い通信士はびくりと竦み上がった。

「…あっ…あの、生体スキャンのスクランブル音が消えないので、まだ問題があるのかと…」

確かに、エンジン音に掻き消されているが、コントロールルームの方からは僅かに不快な機械音が聞こえている。

「ああ、すまなかった。今停める」

通信士は敬礼をしてコントロールルームに戻って行った。

リングはシンタローの腕に付いたままだ。
音を停めるには腕から外さなければ。

キンタローは仮眠室の扉を開けた。

一瞬。


キンタローは自分の目を疑った。

アラシヤマが、ベッドに横たわるシンタローに覆い被さるようにして口付けている。


「…なっ…何をしているっ!?」

キンタローは咄嗟にアラシヤマを掴み上げて引き離した。

アラシヤマはキンタローに首元を掴み上げられたまま、濡れた唇をべろりと舐めた。

「何て…、薬飲ませただけですわ。ホンマ、このお方は働き過ぎやさかい、このまま朝まで眠ってもらお思いましてな」

"薬"の言葉に、キンタローの力が緩んだ。

その隙に、アラシヤマは身を引いて、キンタローの手を外した。

「あんま不粋なことせんといてくんなはれ。嫉妬剥き出してこっちも気分悪ぅなりますわ」

アラシヤマは吐き捨てるように言った。

自分の感情を見透かされている…。
キンタローはカッと顔が赤くなるのを感じて、顔を隠すように俯いた。

俯いた視線の先に、リングを嵌めたシンタローの左手が見える。

シンタローは薬が効いているのか、昏々と眠り続けていた。

アラシヤマは、キンタローの横を摺り抜け、そのままドアに向かっていった。
その足音がドアの前でぴたりと止まる。


「ひとつ、言うておきますけど…」

淡々とした、アラシヤマの声。

「その人に恋するんは、天女に恋するようなもんどすえ」

「……!!」

キンタローは反射的にアラシヤマを振り返った。

「先輩としての、忠告ですわ」

パタンと、アラシヤマはドアを閉めて出て行った。

しんとなった部屋には、規則正しい寝息だけが聞こえる。


アラシヤマは、天女に恋をするようなものだと言った。

手の届かない相手という意味では確かにそうかも知れない。

でも違う。

俺は、この眠れる王を守りたいだけだ。

全身全霊で。

キンタローはベッドの側に膝をつくと、シンタローの左手をとった。

銀色に光るリングをそっと抜き取る。

「…ん…」

シンタローが身じろぎする気配がして、キンタローは手を離した。

シンタローは目を覚ますことなく眠りこけている。

その唇は濡れて光っていた。

さっきの、アラシヤマの口付けがフラッシュバックする。

キンタローはシンタローから抜き取ったリングを強くにぎりしめた。

バキリと鈍い音がして、掌の中でリングが砕けていく。

破片が皮膚に食い込み、血が指の間から零れ落ちていった。


俺は、恋なんてしていない。

なのに、この嵐のような独占欲はなんだというのか!
口付けているのを見た瞬間、沸き上がったのは明らかな殺意だった。



俺は、お前を

守りたいだけだ。



キンタローは、獰猛な獣のような馴らしきれない気持ちを抱えたまま、血に染まったリングを握り潰した。



→ANOTHER_SIDE






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