なんでこんなことになっているのか………。
淡い薄紅色のトンネルを緩やかな足並みで歩く。道の両端に植えられた桜は、互いに交差するように枝を伸ばし、その枝先まで春の訪れを示すように鮮やかな春色に染め上げる。
幻想的な風景。夢見心地を誘われるその道を、けれどシンタローは無言のまま。仏頂面をして、まるで苦行のように延々と歩いていた。
一体、自分は何をしているのか―――――。
「どないしはりましたん? シンタローはん」
訊ねたのは、自分の同行者。そう、シンタローは、ひとりでここに訪れたわけではなかった。
ガンマ団が保有する保養所のひとつ。中でも一族と幹部以上の者しか来ることを許されないここは、シンタローの中では、特別な場所であった。この時期になれば、家族などといつも訪れるこの場所を、けれど家族以外で、二人きりできたのは初めてだった。
「どうもしねぇよ」
そっけなく言い放ち、歩みを速める自分の背後から、同じような足並みでついてくる気配がする。けれど、自分を追い越すことはしない。隣に立つこともしない。それは、そうすることを自分が最初に拒否したせいだった。
『キモいから隣を歩くな』
それは、照れ隠しを多分に含んだもので、訪れる者が少ないとはいえ、保養所内の建物には常任している管理人がいる。その目をはばかって言ったのだが、荷物を部屋に置き、外へと散歩に出かけ、その目もとっくに見えなくなったにもかかわらず、相手はその言葉を忠実に守ってくれていた。
「………くそぉ」
つまらない。全然つまらない。結局ひとりで歩いているのと変わらないのだ。
今日は、散歩日和である。
このあたりは、数日花冷えとも言われていて寒い日が続いていたのだが、今日は一転して春の陽気になったと、ここの管理人が教えてくれた。
その言葉どおり、頬に触れるのは柔らかく温かな春風。前日までは、七分咲きだったと言われていた桜も、今日の陽気に誘われるように、蕾は、ほろほろと綻び、その艶やかな姿を披露してくれている。
眺めるだけでも楽しい、その光景。それなのに、今の自分は、ほとんどわき目もみらずに、真っ直ぐ進んでいる。
スタスタスタ。
聞こえてくる音は二人分。
けれど、自分の隣には誰もいない。それは、もちろん自分のせいだけれど、素直に言うことを聞く相手も相手だと思うのは、身勝手な考えだろうか。
今日の散歩とて、実のところようやく時間を工面して作ったものだ。自分は総帥業が忙しくて、ほぼ無休。相手もまた、性格は置いといて、ガンマ団団員としては幹部の実力を持つほど有能である。そのために、危険で難しい任務を与えることが多く、ほとんど本部に戻ってくることはない。
下手すれば、二ヶ月三ヶ月の遠征だってありうる相手を、総帥権限をほんの少しだけ使わせてもらって、この時期に本部に留まらせたのは、理由がある。
それは、ひとつの約束。
それは、他愛のないもので、言った本人は忘れているかもしれないが、それでも自分は実現させて見たかったのだ。
「シンタローはん?」
背後から問いかけられる声。そろそろ我慢が出来なくなり、苛立たしさに、頭を掻き毟ったり、粗雑に歩みを進めるために不審に思ったのだろう。それならば、自分を追い越し、こちらの様子を伺ってくれたり、隣に立って気遣う視線を向けてくれればいいのに、忠犬よろしく一歩後ろの位置から変わらない。
そして状況は変わらないまま、桜並木も終わりを迎えた。
桜並木の終着点は、洪水のように流れ落ちる枝垂れ桜だった。
「うわっ」
その迫力に飲み込まれそうになる。
それほどに見事な桜だった。無数の枝が天上から垂れ下がって、それはまるで薄紅色の滝である。周りの空気すらも桜色に染め上げられてしまうようだった。
ここの土地を買った時、この桜が決めてだったと言われている。そこから続く道は、後から作ったものである。他のものは五十年も経ってはいないのだが、この桜だけは、もう百年以上も前から、ここにあるのだ。
何度も見ているにもかかわらず、圧倒的な迫力に息を飲んで魅入ってしまう。
一瞬だけ、意識が桜へと向けられた。そのために、突然身体を触れられて驚いてしまった。
ビクッ。
肩が大きく揺れる。反射的に、視線を斜め下に向ければ、そこには自分の右手がある。そしてその上を掴む、アラシヤマの手があった。重なるように触れた手は、しっかりと握り締められていた。
驚いた。
ずっと触れることなどしなかったにも関わらず、行き成りのこの行動にどう反応すべきかと考え込めば、半歩ほど距離を縮めた場所から、声が聞こえた。
「驚かせてすんまへん」
「なに?」
ビクついてしまったのを隠せなかったことに、かすかに羞恥を覚えつつも、平素を装ってそう訊ねれば、申し訳そうに告げられた。
「あんさんが、この桜に奪われてしまわれそうで思わず手を掴んでしもうたんどす」
その言葉に心底呆れた。
そんなはずはない。確かに、この枝垂れ桜は見事である。一瞬だけ、それに見蕩れてしまった。けれど、わかっていない。それもわずかの合間だけで、心はもちろんのこと、自分の意識はいつだって、後ろにいた相手の方へ行っていたのだ。
「わても阿呆どすな。許可なく触ってしもうて、気分悪ぅ思わせたらすんまへんどした」
その手がいとも簡単にするりとほどけられる。だが、シンタローは、逃げ去る寸前にその手を掴んだ。
「シンタローはん?」
訝しげな声が耳に聞こえる。相手の表情はわからない。いつまでも背後にいるからだ。だから、気付いてもらえない。顔さえ見れば、一目瞭然のはずなのに。
無言のまま、その手を引っ張る。なんなくその身体は、自分の隣に立つ。
こちらを見る相手の視線から、ふいっと顔をそらす。だが、真横から自分を見つめる相手の視線は感じていた。
掴んだ手は、すでに力を緩めていた。手を解こうと思えばすぐに解ける。だが、手はまだ繋がったまま。
「シンタローはん………このままでええどすか?」
どうしてわざわざそんなことを聞くのだろうか。自分の答えなど分かりきっている。それとも、それもわからないほど鈍感なのだろうか。ああ、そうだろう。だからこそ、苛立ちは増す。
心の声など聞こえはしない、言葉にしなければわかってもらえない。
そんなことは、重々承知。だからといって、なんでも言葉にできるわけがない。
言えない言葉などたくさんある。そう―――恥かしくて言葉にできないことは、それこそ山盛りたくさんだ。
だから、答えにならない答えを告げた。
「約束……しただろ」
冬に交わした約束。
―――桜が咲いたら、一緒に見に行きまひょ。
冬の最中に告げられた言葉。桜の蕾はまだほとんど目立たないぐらい小さく堅く。春などずっと先のことに思えたけれど、その約束が叶えられるのを密かに待っていた。
それは、まだ叶えられていない。共に並んで桜を見てはいないのだ。
「そうどしたな」
ふわりと笑みが浮かべられる。ああ、覚えていてくれたのだ、とその笑顔でわかった。
それだけで十分である。我ながら現金だとは思うけれど、先ほどまでの苛立ちはスッと消えていた。
繋いだ手は、いまだそのまま。
「―――ほなら、このままあの桜の周りを散歩しまひょか」
「そうだな」
周りの大気すらも桜色に染め上げるほどの艶やかな枝垂れ桜の下で、自身もまた、桜色の染めながら、春を楽しむように手を繋ぎ歩き出した。
淡い薄紅色のトンネルを緩やかな足並みで歩く。道の両端に植えられた桜は、互いに交差するように枝を伸ばし、その枝先まで春の訪れを示すように鮮やかな春色に染め上げる。
幻想的な風景。夢見心地を誘われるその道を、けれどシンタローは無言のまま。仏頂面をして、まるで苦行のように延々と歩いていた。
一体、自分は何をしているのか―――――。
「どないしはりましたん? シンタローはん」
訊ねたのは、自分の同行者。そう、シンタローは、ひとりでここに訪れたわけではなかった。
ガンマ団が保有する保養所のひとつ。中でも一族と幹部以上の者しか来ることを許されないここは、シンタローの中では、特別な場所であった。この時期になれば、家族などといつも訪れるこの場所を、けれど家族以外で、二人きりできたのは初めてだった。
「どうもしねぇよ」
そっけなく言い放ち、歩みを速める自分の背後から、同じような足並みでついてくる気配がする。けれど、自分を追い越すことはしない。隣に立つこともしない。それは、そうすることを自分が最初に拒否したせいだった。
『キモいから隣を歩くな』
それは、照れ隠しを多分に含んだもので、訪れる者が少ないとはいえ、保養所内の建物には常任している管理人がいる。その目をはばかって言ったのだが、荷物を部屋に置き、外へと散歩に出かけ、その目もとっくに見えなくなったにもかかわらず、相手はその言葉を忠実に守ってくれていた。
「………くそぉ」
つまらない。全然つまらない。結局ひとりで歩いているのと変わらないのだ。
今日は、散歩日和である。
このあたりは、数日花冷えとも言われていて寒い日が続いていたのだが、今日は一転して春の陽気になったと、ここの管理人が教えてくれた。
その言葉どおり、頬に触れるのは柔らかく温かな春風。前日までは、七分咲きだったと言われていた桜も、今日の陽気に誘われるように、蕾は、ほろほろと綻び、その艶やかな姿を披露してくれている。
眺めるだけでも楽しい、その光景。それなのに、今の自分は、ほとんどわき目もみらずに、真っ直ぐ進んでいる。
スタスタスタ。
聞こえてくる音は二人分。
けれど、自分の隣には誰もいない。それは、もちろん自分のせいだけれど、素直に言うことを聞く相手も相手だと思うのは、身勝手な考えだろうか。
今日の散歩とて、実のところようやく時間を工面して作ったものだ。自分は総帥業が忙しくて、ほぼ無休。相手もまた、性格は置いといて、ガンマ団団員としては幹部の実力を持つほど有能である。そのために、危険で難しい任務を与えることが多く、ほとんど本部に戻ってくることはない。
下手すれば、二ヶ月三ヶ月の遠征だってありうる相手を、総帥権限をほんの少しだけ使わせてもらって、この時期に本部に留まらせたのは、理由がある。
それは、ひとつの約束。
それは、他愛のないもので、言った本人は忘れているかもしれないが、それでも自分は実現させて見たかったのだ。
「シンタローはん?」
背後から問いかけられる声。そろそろ我慢が出来なくなり、苛立たしさに、頭を掻き毟ったり、粗雑に歩みを進めるために不審に思ったのだろう。それならば、自分を追い越し、こちらの様子を伺ってくれたり、隣に立って気遣う視線を向けてくれればいいのに、忠犬よろしく一歩後ろの位置から変わらない。
そして状況は変わらないまま、桜並木も終わりを迎えた。
桜並木の終着点は、洪水のように流れ落ちる枝垂れ桜だった。
「うわっ」
その迫力に飲み込まれそうになる。
それほどに見事な桜だった。無数の枝が天上から垂れ下がって、それはまるで薄紅色の滝である。周りの空気すらも桜色に染め上げられてしまうようだった。
ここの土地を買った時、この桜が決めてだったと言われている。そこから続く道は、後から作ったものである。他のものは五十年も経ってはいないのだが、この桜だけは、もう百年以上も前から、ここにあるのだ。
何度も見ているにもかかわらず、圧倒的な迫力に息を飲んで魅入ってしまう。
一瞬だけ、意識が桜へと向けられた。そのために、突然身体を触れられて驚いてしまった。
ビクッ。
肩が大きく揺れる。反射的に、視線を斜め下に向ければ、そこには自分の右手がある。そしてその上を掴む、アラシヤマの手があった。重なるように触れた手は、しっかりと握り締められていた。
驚いた。
ずっと触れることなどしなかったにも関わらず、行き成りのこの行動にどう反応すべきかと考え込めば、半歩ほど距離を縮めた場所から、声が聞こえた。
「驚かせてすんまへん」
「なに?」
ビクついてしまったのを隠せなかったことに、かすかに羞恥を覚えつつも、平素を装ってそう訊ねれば、申し訳そうに告げられた。
「あんさんが、この桜に奪われてしまわれそうで思わず手を掴んでしもうたんどす」
その言葉に心底呆れた。
そんなはずはない。確かに、この枝垂れ桜は見事である。一瞬だけ、それに見蕩れてしまった。けれど、わかっていない。それもわずかの合間だけで、心はもちろんのこと、自分の意識はいつだって、後ろにいた相手の方へ行っていたのだ。
「わても阿呆どすな。許可なく触ってしもうて、気分悪ぅ思わせたらすんまへんどした」
その手がいとも簡単にするりとほどけられる。だが、シンタローは、逃げ去る寸前にその手を掴んだ。
「シンタローはん?」
訝しげな声が耳に聞こえる。相手の表情はわからない。いつまでも背後にいるからだ。だから、気付いてもらえない。顔さえ見れば、一目瞭然のはずなのに。
無言のまま、その手を引っ張る。なんなくその身体は、自分の隣に立つ。
こちらを見る相手の視線から、ふいっと顔をそらす。だが、真横から自分を見つめる相手の視線は感じていた。
掴んだ手は、すでに力を緩めていた。手を解こうと思えばすぐに解ける。だが、手はまだ繋がったまま。
「シンタローはん………このままでええどすか?」
どうしてわざわざそんなことを聞くのだろうか。自分の答えなど分かりきっている。それとも、それもわからないほど鈍感なのだろうか。ああ、そうだろう。だからこそ、苛立ちは増す。
心の声など聞こえはしない、言葉にしなければわかってもらえない。
そんなことは、重々承知。だからといって、なんでも言葉にできるわけがない。
言えない言葉などたくさんある。そう―――恥かしくて言葉にできないことは、それこそ山盛りたくさんだ。
だから、答えにならない答えを告げた。
「約束……しただろ」
冬に交わした約束。
―――桜が咲いたら、一緒に見に行きまひょ。
冬の最中に告げられた言葉。桜の蕾はまだほとんど目立たないぐらい小さく堅く。春などずっと先のことに思えたけれど、その約束が叶えられるのを密かに待っていた。
それは、まだ叶えられていない。共に並んで桜を見てはいないのだ。
「そうどしたな」
ふわりと笑みが浮かべられる。ああ、覚えていてくれたのだ、とその笑顔でわかった。
それだけで十分である。我ながら現金だとは思うけれど、先ほどまでの苛立ちはスッと消えていた。
繋いだ手は、いまだそのまま。
「―――ほなら、このままあの桜の周りを散歩しまひょか」
「そうだな」
周りの大気すらも桜色に染め上げるほどの艶やかな枝垂れ桜の下で、自身もまた、桜色の染めながら、春を楽しむように手を繋ぎ歩き出した。
「好きどす」
「やめろ」
告白したとたん、0.2秒で拒絶された。
けれど、相手の顔に、自分の告白を嫌がる表情は伺えなかった。もっとも喜んでいるとも思えない、無表情に近い顔であったが、それでも嫌悪は見られなかった。
「なんででっしゃろ?」
なんとなく―――もしかしたら、目の錯覚かもしれないが―――そこに、何かに怯える子供のような表情を見つけて、アラシヤマはそう問いかけた。
拒否されたことは、もちろん痛かったけれど、それでも、自分が相手に嫌われているとは思えなかった。
「嫌いだからだ」
それでも、あっさりとそう言い放ったシンタローは、けれどアラシヤマに視線を向けることはなかった。
その視線は、らしくなく下に向けられたままだ。
「わてがどすか?」
「…………」
そう訊ねれば、相手に沈黙される。
素直ではないことは最初から分かっている。
時に、子供のような幼い感情や態度をとるを彼を、自分は好いているのだ。
「違うようどすな。―――ほなら……好きな人があんさんの前からいなくなってしもうことどすか?」
「っ!」
ビクッと震え、そして怯えるように自分の方へと視線を走らせたシンタローに、アラシヤマは、唇を歪め、苦笑した。
「どうやら、図星のようどすなあ」
「違っ……」
「どう違うとりまっか?」
即座に否定する相手に、さらに自分は問いかける。
意地悪だとはわかっていても、それでも相手の心が知りたいと思うのだ。
彼が、あまり人といる姿を目にしたことはない。
いつだって、一線を置いて、人と付き合っていた。それは、ガンマ団総帥の息子だからという理由かと思っていたが、そうではなかった。
彼は、好きな人を何度か手放している。
幽閉された弟。
ろくに別れの挨拶も交わせず離れ離れになった友。
もしかしたら、他にも親しい者が何人か戦いの中で消えていったかもしれない。
そんな過去が、彼を怯えさせるのだ。
―――好きな人が傍からいなくなる恐怖。
(けど、そない経験をしておるのは、何も彼一人ではないでっしゃろに………)
だから、怯えるなというのは、間違ってはいるけれど。
それでも、それを理由に否定されたくもなかった。
誰もが、彼の前から消えてしまうということはありえないのだから。
「シンタローはん。わては、弱いでっか?」
「アラシヤマ?」
真剣な眼差しを向けたまま、アラシヤマは、一歩シンタローに近づいた。
近づいたアラシヤマをシンタローはおずおずと見上げる。まるで、捨てられた子犬のような眼差しに、どれほど自分が胸を痛ませているか、相手はわからないだろう。
そんな瞳など、させたくないのに。
アラシヤマは、近づいたために触れることのできたシンタローの頬に、指を這わす。嫌がるそぶりを見せないことに、内心安堵をしつつも、触れる指先から伝わるぬくもりに、愛しさがます。
「あんさんを一人置いていってしまうほど、弱い人間だと思うとりまっか?」
「そんなの……わかんないだろう。強くてもすぐに死んじまう人間もいれば、そうでない人間だって………」
怯えるよに震える眼差しが切なくて、アラシヤマは、その身体を包み込むように抱きしめた。
震えなくてもいい。
怯えなくてもいい。
自分はちゃんとここにいることを示すために。
「わては、強いどすえ。せやから……あんさんも遠慮なくわてを好きになってくだはれ」
その耳元で、確固とした思いを呟く。
「なっ……なんだよそれ」
その思いは相手にとっては、衝撃的なものだったのか、腕の中で突如暴れる身体を逃がさぬように力強く抱きしめた。
「ちゃんとここにおりますよって……だから、シンタローはん」
怯える必要はないから、自分を好いてください。
腕の中で暴れていたシンタローは、けれど、不意に大人しくなった。
「シンタローはん?」
訝しげに下を向いたアラシヤマに、いつもの彼らしい挑戦的な眼差しが向けられた。
「アラシヤマ。約束だからな。その約束違えたら、怒るぞ」
「はいv」
決して、あんさんを置いてどこかに行くようなことはあらしまへんから。
身体を離し、シンタローと向かいあったアラシヤマは、笑みを浮かべて頷いて見せた。
「それじゃあ、シンタローはんも、わてのことを好きということどすな!」
これで、晴れて恋人同士☆ と浮かれた調子で言ったアラシヤマだが、けれど、刹那のうちに、その思いは打ち砕かれた。
「違う」
「ええっ!! そ、そんな…そんなん嘘でっしゃろ?」
「いいや、嘘じゃない」
0.1秒で否定され、ズーンと落ち込んだアラシヤマの耳に、くつくつと楽しげに笑うシンタローの声が聞こえてきた。
「まだに決まっているだろう。いったじゃねえかよ、お前だって。好きになってくれって。だからといって、そんなに早く好きになれるわけねえだろ。もう少し気長にまってろ」
「もう少しっていつのことどすか~」
「もう少しは、もう少しだ」
急激に高まった感激から、あっさりと一気に落とされてしまい、がっくりと膝を折り、打ちひしがれるアラシヤマの耳元に、その声は聞こえてきた。
「どうせ、それほど時間はかかれねぇよ」
「!?」
驚いて顔をあげたアラシヤマに、意味ありげな笑みを一つ浮かべたシンタローは、子供のように、舌を出してみせた。
「その時は覚悟しとけ」
そう告げる未来の恋人(すでに確定☆)を見上げながら、アラシヤマも、ニヤリと笑みを返してやった。
(望むところどす)
「……何、笑ってんだよ」
しまったと思った時には、すでに遅かった。
ぶすっとした表情。その唇から漏らされる低く唸るような、機嫌の悪さが即座に感じられる声を出され、すぐ傍にいたアラシヤマは、思わず漏れていた笑みをすぐに消した。
とはいえ、浮かべてしまったそれは、すでに見られており、そればかりは取り返しのつかないことである。それ故に、彼の質問を無視することは出来なかった。
「気ぃ触ったんならすんまへん。つい気が緩んでしもうたんですわ」
まっすぐに前だけを見つめてそう告げる。必要なことを言ってしまえば、後は口は真一文字に結んだ。
相手の気に障るようなことは極力避けたい。折角の好機なのだ。これをあっさりと失いたくはなかった。
相手はかなりの気分屋で気紛れ屋、いつ笑みをもらす原因であるこの状態を崩すか知れない。しかし、こちらが平素な表情を保ってみたところで、機嫌の方は直る見込みはなかった。
「ちっくしょ~。ムカつくな。なんで、あそこにお前しかいねぇんだよ。あ~あ、運が悪ぃぜ」
心底嘆くその言葉に、ほんの少し………いや、結構グサッと胸にくるものがあったが、それでもひっそりと思ってしまう。
(わては、幸運だと思いましたわ)
それは言葉には決して出してはいけないことであった。うっかり口にしてしまえば、眼魔砲は必至。けれど、黙っていれば、さらにぶつくさと言葉が重ねられた。
「その上、アラシヤマなんかに笑われるし。ついてねぇ~」
自分を憐れむシンタローに、慌てて言い繕った。
「わてが笑うたのは、そんな意味ではありまへんで!」
それだけは、否定しておきたかった。あれは、そんなつもりの笑みではない。
「んなら、なんだよ」
こちらからでは見えないが、剣呑な眼差しが送られたのを肌で感じる。しかし、だからといってすぐには言えなかった。言えるぐらいなら、あんなひっそりと笑わない。
「…………」
「いわねぇと眼魔砲」
ぼそりと呟かれたそれに、本気を感じさせられる。やはり沈黙は許されないようだった。
後頭部あたりからもほのかに温もりが伝わってくる。これが「はぁ~あ、ちょうどええ温度で、極楽極楽ですわ」と言っていられるまではいいが、うっかりすれば、頭部喪失の危機である。
それでもたっぷり一分は躊躇った後、アラシヤマは覚悟を決めて口を開いた。
「その……シンタローはんが背中にいて幸せのあまりニヤケてしもうたんどすッ!」
シンタローはんを背負えるなんて、そんな好機に出会えた幸福に感謝していたんどす。
とうとう言ってしまった自分の幸せに、言葉どおり背中に背負っていたシンタローが、急に押し黙った。
「…………」
「えーと、シンタローはん?」
これは、想像に反した行動だった。てっきり、その場で眼魔砲をくらわされると思ったのである。逃げる用意は出来ていたアラシヤマだったが、相手の沈黙に、足を止めた。
「…………」
「あの……わての正直な気持ちを言うたんどすえ?」
それでも相手は何も言わない。気に障ったことを言ったのは自覚はあるものの、それで沈黙へと繋がるとは思ってもおらず、どうするべきかとその場でオロオロしていれば、
「…………降ろせ」
一言そういわれた。
「えっ?」
「今すぐ降ろせッ!」
「せやかて、シンタローはんの足は…」
降ろせといわれても、素直に降ろせるものではない。それが出来ないから、自分がここまで背負ってきていたのである。
「這って歩ける」
「そないなことできるはずありまへんやろ。景気よぉ、くじいてくだはりましたし」
実際、見ていたアラシヤマも蒼ざめてしまうほどのくじけっぷりだったのである。ちょうど階段を下りてきていたシンタローが、何の弾みか、段を踏み外し、上から転げ落ちてきたのである。あちらもとっさだったためか、ろくに受身も取れずに、そのまま一気に下の踊り場まで転がってしまった。
アラシヤマが、慌てて駆け寄った時には、骨が折れなくて重畳だと言ってしまうほど、足首がありえないほど捻じ曲がってたのだ。
あのシンタローが、十分以上、その場から動けなかったのである。しかも、悲鳴こそあげなかったものの、苦痛の声は喉からしきりに漏れていたし、脂汗など額にびっしりと浮いていた。この状況で、自分の力で歩けるはずはなかった。
それゆえに、自分が背負って医務室まで連れていっている途中なのである。
うっかり機嫌を損ねさせてしまったのは失敗したが、たったそれだけのことで、彼をこの場に置いていけるはずがなかった。
「もっとわてを頼ってくだはれ」
「ヤダッ」
「やだって…そないきっぱりに―――」
駄々っ子のような言葉で、一言言われてしまった。
(はぁ~)
胸中で思わず溜息がついてしまう。
意地っ張りも大概にして欲しい。
実際、ここまで背負ってくる前もひと悶着があったのだ。自分の背中に素直に乗るような人ではなく、切ないかな他の部下を呼ぼうとすれば、恥ずかしいからヤダだの格好悪いからヤメロだの駄々をこねて、結局自分が運ぶことで、落ち着いたのだ。
素直に自分を選んでくれたわけではなかったものの、それでも、大事な人が、自分に身を預けてくれる幸せに、浸ってはいたものの、ここで拒絶されれば、いい加減ムカついてもくるというものである。
アラシヤマは、止まっていた足を動かした。
「うわッ」
それは、シンタローも思わず背中の上でバランスを崩してしまうほど唐突で、しかもハイスピードを伴っていた。行き成りのことで、背中から転げ落ちそうになっていたが、どうにかバランス感覚を駆使して、体勢を整えてくれる。それはこちらとしてもありがたかった。シンタローが背中から落ちるようになれば、それをしっかり抱えている自分も一緒に倒れていたからだ。
「まてよッ、俺は降ろせっていっただろうがッ」
どうにか自分の安全を確保してから、耳元でがなりたてられる言葉。だが、アラシヤマはそんなものは無視した。
どちらにしても、あそこでいつまでも言い合ったところで、無駄でしかないのである。怪我した箇所は即座に直るものではない。シンタローの言うような、這って医務室にいけることなどできないのだ。結局は、シンタローが折れて自分が運ぶか、他のものにシンタローを預けるしかない。それならば、自分が運んでいく方を、アラシヤマは選んだだけだった。
「こらッ、てめぇ! 言うこときかねぇと――」
「わてを殺しますか?」
「ッ!?」
ここで本当に眼魔砲など打たれてしまえば、自分は間違いなく死んでしまうだろう。まだ、殴るという方法も残っているかもしれないが、不安定な今の状態で殴ったぐらいで、自分をどうこうできる相手だとも思ってはいないだろう。
脅しのためだとすぐに分かる眼魔砲の熱を頬の辺りで感じながら、冷ややかにそう言い放てば、相手は喉を詰まらすようにして、押し黙ってくれた。
(ほんまに……こん人は)
決してそんなことをしないことは分かっている――自分を殺すなど出来はしない――だからこそ、それを逆手にとっての脅し文句だったのだが、思わぬほど効果的だったようである。
すっかり背中の上で大人しくなってしまった。
(―――甘過ぎますわ)
黙るよりも、さらに強気に圧力をかけるなり、自分の頬辺りを傷つけて、言うことを聞かせる方法はいくらでもあるだろう。何よりも、彼は自分の上司なのだ。その権力を盾に取ることも可能である。しかし、そんなことは思いつかないのか、彼は、脅しのつもりで蓄えていた右手の眼魔砲のエネルギーさえも開放してしまっていた。
もちろん完全に大人しくするつもりはなく、代わりに髪の毛を思い切り引っ張ってくれた。
それで一応先ほどの言葉に対する、反撃のつもりなのだろう。
あまりにも可愛らしい行動だ。
(ほんま、かないまへんわ)
だからこそ、愛しく思うのだろう。
意地っ張りで頑固で。なのに、相手へ接するその態度は、例え誰であろうとも―――うわべの態度でごまかせる時はあるけれど―――優しいと思わずにはいられないもので、仕方がないとは思うけれど、それが彼なのである。
決してガンマ団という組織の中で、トップに立つ人に必要なものであるとは思えないが、誰も何も言わずに、彼の中にあるそれを認めてしまっている。
それに、こういう人だからこそ、皆が、彼の元に集い、力を貸すことを躊躇わないのだ。自分もその数多の一人であることは、悔しいのだけれど、その悔しさを押し殺させてまでも、仕える価値があるのだから、本当に仕方ないとしかいえない。
彼に関わってしまったのが、運の尽きか、幸運だというべきか―――いまのところ、後者だと信じている。
だから、言えるのだ。
「シンタローはん――わての命はもうあんさんのものやから、好きにしてもええんどすえ?」
気にいらなければ、滅してくれてもかまわない。捨て駒にされても、恨みはしない、と告げる。
それは本心として、相手に捧げられる言葉。
もしも、殺したいと願ったのならば、殺せばいい。自殺しろと言われても、自分は躊躇わず、その命を自分で絶つことが出来るだろう。
彼のために、命をかけたことがあるから、それは確信を持って言えることである。
自分が言った言葉に、どんな言葉を返してくれるかと思って待っていれば、たっぷりと一分ぐらいの間が空いて、ささやくほどの声音で、聞こえてきた。
「それなら、余計殺せねぇだろが。―――俺のためにもっと役立ってくれねぇと困るんだからな」
「…………くくっ」
本当にこの人は―――。
(なんて愛しい存在だろうか)
自分のようなものには、触れるだけでももったいない気がしてしまう。
だけれど、もうしばらく……、後数十メートル先の医務室につくまでは、この背中にいて欲しい。
「な、何笑ってんだよ! てめぇは」
こみ上げてきた笑いを抑えることが出来ず、身体全体で震えるように笑えば、憤怒の声が聞こえてくる。
「やっぱりあんさんが、好きですわ」
「なッ!?」
息を呑む相手を尻目に、アラシヤマは思う存分身体を揺らして笑い続けた。
一生忠誠を誓ってもええどすか?
一生逃れられないように。
一生貴方を縛り付けられるように―――。
「アラシヤマ……アラシヤマアラシヤマアラシヤマアラシヤマアラシヤマッッ!」
何度呼ぼうとも、心は満たされない。どれほど求めても、望むものはいない。
傍にいない。声が聞こえない。何も感じられない。
忘れられてしまったのだろうか。そうなのかもしれない。きっとそうに違いない。
あれほど約束したのに…何度も誓ってくれたのに…ここにいないのだから。
それは仕方のないことで―――自分には魅力などない。
それは当前のことで―――自分には良いところなどない。
彼に相応しい人ではなかったのだから。
横暴で、我侭で、迷惑ばかりかけて困らせる存在でしかなかった。
それでも……自分が無茶な言葉を言うたびに、『ずっと傍にいろ』と強制するたびに、時に微笑みながら、時に真摯な態度で、誓ってくれたのに。
(どうして……ここにいない?)
なぜ…なぜ…なぜ?
同じ疑問を繰り返す。本当は、分かっているはずなのに――自分は飽きられて、見捨てられたのだ――それを拒否して拒絶を起こして、ここにいない相手の言葉を求めてしまう。
なぜなら、彼は理由もいわずに姿を消してしまったのだ。いや、それともここに戻ってこれないのだろうか。
何かがあったのだろうだろうけれど、ここに彼がいないのは事実である。
もっと早く自分から求めなければいけなかったのだろうか。何を捨てても、何を捨てさせても、ここへ来ることを欲するべきだっただろうか。
それでも――その姿が目の前から消えるその前に、遠くから眺めたその姿は、幸せそうだった。自分は、そこへいないのに、穏やかに微笑んでいて、それを近づいていって、壊すことなど出来はしなかった。
自分がいなくても、彼は幸福なのだと気付いてしまえば、自分の勝手な気持ちひとつで、彼を望むことなどできなかった。
自惚れていた。
自分こそが彼を幸せにできるのだと―――そんなことは、決してないのに…。
彼は、きっと自分がいない場所で幸せを見つけている。それは喜ぶべきことなのだろう。けれど―――今の自分は不幸過ぎて、祝福の言葉をあげられない。
「アラシヤマ……」
溢れる想いに胸が詰まる。ぎゅうぎゅうに押し込められた想いが悲鳴をあげている。こんなにも彼を必要としているなんて気付かなかった。『傍にいて欲しい』と望むのは、ただ、一人が怖かっただけだ。誰でもよかった。そこにいてくれれば―――そう思っていたのに。なぜ、気付いてしまったのだろう。『誰でも』…なんてありえなくて、『アラシヤマだけ』だったことを。気付いた時には、もう彼は自分から離れてしまった後だった。
「アラっ……んくっ」
喉が詰まる。目元が焼けるように熱い。
抑えきれずに零してしまった涙が、みっともなく流れ落ちてきた。溢れる涙が頬を伝い、顎の先からいくつも落ちていき、床をぬらす。後から後から込み上げてくる涙に、誰もいない空間を見つめ、顔を濡らした。
誰もいなくて助かった。こんな姿は、誰にも見せられない。
女々しく泣くなど、それは自分ではない。
そう。これは自分ではない。
こんなに辛く苦しい思いをするのは、自分でなくていい。
押込めばいい―――恋心を。
封じればいい―――愛する気持ちを。
捨てればいい―――彼を欲する想いを。
忘れればいい―――アラシヤマという存在を。
存在全てを殺してしまえばいいのだ。
そうすれば、自分は元へ戻れる。
全ては元通りで、いつもの自分の戻れる。
だから……大丈夫だ。
怖がることも恐れることもない。
ゼロへ。
全て―――消エ失セロ。
「シンタローはん!」
「? 誰だよ、てめえは――」
リセット――――終了。
何度呼ぼうとも、心は満たされない。どれほど求めても、望むものはいない。
傍にいない。声が聞こえない。何も感じられない。
忘れられてしまったのだろうか。そうなのかもしれない。きっとそうに違いない。
あれほど約束したのに…何度も誓ってくれたのに…ここにいないのだから。
それは仕方のないことで―――自分には魅力などない。
それは当前のことで―――自分には良いところなどない。
彼に相応しい人ではなかったのだから。
横暴で、我侭で、迷惑ばかりかけて困らせる存在でしかなかった。
それでも……自分が無茶な言葉を言うたびに、『ずっと傍にいろ』と強制するたびに、時に微笑みながら、時に真摯な態度で、誓ってくれたのに。
(どうして……ここにいない?)
なぜ…なぜ…なぜ?
同じ疑問を繰り返す。本当は、分かっているはずなのに――自分は飽きられて、見捨てられたのだ――それを拒否して拒絶を起こして、ここにいない相手の言葉を求めてしまう。
なぜなら、彼は理由もいわずに姿を消してしまったのだ。いや、それともここに戻ってこれないのだろうか。
何かがあったのだろうだろうけれど、ここに彼がいないのは事実である。
もっと早く自分から求めなければいけなかったのだろうか。何を捨てても、何を捨てさせても、ここへ来ることを欲するべきだっただろうか。
それでも――その姿が目の前から消えるその前に、遠くから眺めたその姿は、幸せそうだった。自分は、そこへいないのに、穏やかに微笑んでいて、それを近づいていって、壊すことなど出来はしなかった。
自分がいなくても、彼は幸福なのだと気付いてしまえば、自分の勝手な気持ちひとつで、彼を望むことなどできなかった。
自惚れていた。
自分こそが彼を幸せにできるのだと―――そんなことは、決してないのに…。
彼は、きっと自分がいない場所で幸せを見つけている。それは喜ぶべきことなのだろう。けれど―――今の自分は不幸過ぎて、祝福の言葉をあげられない。
「アラシヤマ……」
溢れる想いに胸が詰まる。ぎゅうぎゅうに押し込められた想いが悲鳴をあげている。こんなにも彼を必要としているなんて気付かなかった。『傍にいて欲しい』と望むのは、ただ、一人が怖かっただけだ。誰でもよかった。そこにいてくれれば―――そう思っていたのに。なぜ、気付いてしまったのだろう。『誰でも』…なんてありえなくて、『アラシヤマだけ』だったことを。気付いた時には、もう彼は自分から離れてしまった後だった。
「アラっ……んくっ」
喉が詰まる。目元が焼けるように熱い。
抑えきれずに零してしまった涙が、みっともなく流れ落ちてきた。溢れる涙が頬を伝い、顎の先からいくつも落ちていき、床をぬらす。後から後から込み上げてくる涙に、誰もいない空間を見つめ、顔を濡らした。
誰もいなくて助かった。こんな姿は、誰にも見せられない。
女々しく泣くなど、それは自分ではない。
そう。これは自分ではない。
こんなに辛く苦しい思いをするのは、自分でなくていい。
押込めばいい―――恋心を。
封じればいい―――愛する気持ちを。
捨てればいい―――彼を欲する想いを。
忘れればいい―――アラシヤマという存在を。
存在全てを殺してしまえばいいのだ。
そうすれば、自分は元へ戻れる。
全ては元通りで、いつもの自分の戻れる。
だから……大丈夫だ。
怖がることも恐れることもない。
ゼロへ。
全て―――消エ失セロ。
「シンタローはん!」
「? 誰だよ、てめえは――」
リセット――――終了。