どっちの料理ショー
今の、この光景を目の前にしては、ひょうやアラレどころか、ミミズやカエルが降ってきてもおかしくない。
ティラミスは総帥室の窓に張り付き、なんども目を擦った。
「…なんだ…?この非現実的な光景は…」
窓から見えるのは中世ヨーロッパ風の中庭。
薔薇のアーチに縁取られたベンチで仲良くお弁当をつついているのは、カリスマ的な人気を誇る我らが新総帥と、そのストーカーとしての方が有名なナンバー2幹部だった。
夢を見ているのか、それともついにアラシヤマの妄想世界に取り込まれてしまったのか。
シンタローがガンマ団総帥を襲名して約一年。
ティラミスは秘書として、シンタローの側近くに仕えてきた。
しかし、この一年で見たアラシヤマの姿といえば、眼魔砲で焦がされているか、正拳でKOされているか、回し蹴りされて吹っ飛んでいるか…。
いずれにせよ、シンタローとまともに会話をしている姿すら見たことがなかったのだ。
それが一緒にお弁当!?
お弁当はアラシヤマのお手製らしく、これでもかというくらいに豪華な折りに詰められている。
アラシヤマはこの上ないほど嬉しそうに、お茶をいれたりおかずを取り分けたりと、かいがいしく世話を焼いていた。
「おい、ティラミス。いつまで外見てるんだ。さぼるなよ」
チョコレートロマンスが、大量の書類をどんとデスクに置いた。
「ああ、チョコ。でも、あれ…」
ティラミスが窓の外を指さすと、チョコはなんだ?と首を伸ばした。
「なんだ、あれか」
「あれかって、お前!驚かないのかよ!?」
チョコは長めの髪をかきあげながら、だるそうに答えた。
「お前、昨日休暇だったからなぁ。アレ、テレビの影響なんだよ」
「…ハァ?」
「なんか健康系テレビ番組で『京料理で身体年齢が若返る!』とかやってたんだよ。その影響」
「え?それでアラシヤマ氏が弁当差し入れしてんの?」
「元々はシンタロー様の命令なんだけどな。まあ、本人も喜んでるし、いいんじゃねーの」
トントンと束ねた書類な端を机で整えながら、チョコは少しだけ溜息をついた。
「シンタロー様…。この一年、休みなんかほとんどなくて、睡眠時間も食生活もめちゃくちゃになってたから…。あんな番組の影響受けるほど追い込まれてたなんて、ちょっと痛々しいよな」
「…てゆーか、その番組、プロデューサーがヤラセで捕まったヤツじゃねーの?」
「それがますます痛々しいんじゃん…」
チョコは額を押さえている。
そのしぐさに、なんとなくチョコが言いたいことが伝わったような気がして、ティラミスは「ああ」とだけ答えた。
確かに、今のシンタローの生活では体に異常をきたしてもおかしくない。
本人も「キチンとしなければ」という自覚はあるのだろう。だが、迫り寄せる仕事の波がそれを許してくれない。
けれど、あんなヤラセ番組に踊らされ、かつ蛇蝎のごとく嫌っているアラシヤマに救いをもとめるほど追い込まれていたなんて…!
チョコの言う、『痛々しい』の表現が一番ハマるな。
そう思いながら、ティラミスは窓辺を離れた。
「シンちゃ~ん、今日のランチはアボガドと生ハムのクロワッサンサンドとエビとスクランブルエッグのベーグルサンドだよ~」
バタンと派手な音を立てて総帥室の扉が開く。
現れたのは、ティラミスとチョコが散々苦労させられた元上司、マジック総帥その人だった。
「マジック様ッ…!」
ティラミスとチョコは、咄嗟に窓に張り付いた。
マジックのシンタローへの愛情は明らかに異常の域に達している。
シンタローが誰かとベンチでお弁当を食べているなんて、恐ろしくて見せられるはずもなかった。
「ん?シンタローはいないのかい?」
「し、新総帥は急用で…」
ティラミスは窓に張り付いた不自然な恰好のまま答えた。
「急用?どこに?何時頃戻ってくるのかな?」
ニコニコと問い掛けてくるマジックのプレッシャー。
ティラミスは咄嗟に嘘が思い付けず、ぐっと言葉を詰まらせた。
「新総帥は先程、幹部の方とお食事に行かれました」
冷や汗をかいているティラミスに代わり、チョコがさらりと答えた。
グッジョブ!たしかにそれは嘘ではない。
「なーんだ、お天気がいいから中庭でランチでもと思っていたのに…。残念だね」
マジックは大きなバスケットを抱えて、フゥと溜息をついた。
『中庭』の言葉にティラミスの心が跳ねる。
オロオロとチョコに視線を送ると、目だけで『黙っていろ』と怒られた。
「そうだ。君達、お昼まだだったら一緒にどうだい?私のクロワッサンサンドは中々のものだよ」
きらりと光るような笑顔を向けられて、ティラミスとチョコはぶんぶんと顔を横に振った。
「い、いえ!結構です」
「私も、お昼はもういただきましたので」
「そうか、残念だな」
マジックは少しだけ寂しそうな顔をした。
「グンマ博士とご一緒されてはいかがですか?先ほどお菓子を買いに行くとおっしゃってましたから、まだ昼食をとられてないと思いますよ」
チョコが上手にマジックを誘導する。
「またあの子はお菓子ばっかり食べて…。じゃあ、グンちゃんのとこに行ってみようかな」
マジックの言葉に、ティラミスの緊張が一瞬ほどけた。
その隙に、マジックが一瞬にして間合いを詰める。
強い力で押しのけられ、ティラミスは床に膝をついた。
「マ、マジック様…ッ!」
マジックの視線は、窓の外の一点に集中している。
要領のいいチョコは、さっさと部屋の対角線まで非難していた。
あのやろう!自分だけ!!
ティラミスも慌ててマジックから離れようとしたが、立ち上がる途中で襟首を捕まえられてしまった。
「ぐっ…!」
シャツの胸元が首を圧迫して苦しい。
必死にもがくも、そこはやはりガンマ団元総帥。
片手でやすやすとティラミスを引き止める。
「ははは、何をそんなに怖がっているんだい?私が大人気なく嫉妬するとでも?それこそ心外だよ」
マジックは笑顔を作ってはいるが、目は笑っていなかった。
「いやあ、シンちゃんに仲良くランチできるお友達がいて本当に良かったよ。ちょっと甘やかして育ててしまったからちょっとだけワガママだしね」
マジックは尚も笑顔にならない笑顔で笑っている。
しかし、ティラミスが考えていたほどの暴走はなく、ショックと嫉妬を必死に押し隠そうと努力しているように見えた。
それはともかく…。
もう、息が……。
ティラミスの襟首はマジックに引っ張られたまま。
だんだんと顔が赤く膨張し始めてきた。
それに気がついたマジックは「ごめんごめん」と慌てて手を離した。
「まあ、君たちが気を使ってくれたことは嬉しく感じるよ。確かに私はここ3年ほどシンちゃんに『お外でお弁当』を断られているからね…」
マジックはふっと寂しそうに笑った。
シンタローがアラシヤマと外で昼食をとっているのは、ピクニック気分だからではなく、『アラシヤマと密閉空間で食事を取りたくない』という理由からだ。
チョコは事実を知っていたが、今は言うタイミングではないだろうと黙っていた。
「しかし、見てご覧よ。楽しそうにしているじゃないか。最近、息も継げないほど忙しそうだったから…。お友達と過ごす時間を少しでも持っていてくれて、私は安心したよ」
マジックは窓越しにシンタローを見つめている。
寂しそうではあったが、そのまなざしは優しく、父親としての大きな愛情を感じさせた。
「…そうですね…」
ティラミスも首をさすりながら立ち上がり、窓の外の二人を見やった。
ニコニコと目じりが下がりまくりのアラシヤマに対し、シンタローは不機嫌この上ない顔をして弁当をつついているが、まあ楽しそうに見えなくもない。
ふと、アラシヤマがシンタローの顔を覗き込んだ。
そして、人差し指で軽くシンタローの頬に触れた。
どうやら米粒か何かがついていたらしい。
アラシヤマはそれを指先ですくい取ると、嬉しそうにパクンと口に入れた。
あ~…あんなことして、また総帥に殴られちゃうんじゃないの?
ちょっと調子に乗りすぎだろう。
ティラミスが苦笑いしていたら、突然目の前の窓ガラスが真っ白になった。
「なっ…!?」
横を見ると、マジックの秘石眼がじりじりと窓ガラスに穴を開けている。
二つの穴を中心に、窓ガラス全体には無数のヒビが走っていた。
「マ、マジック様ッ…!?」
「え?なんだい?」
マジックはクルっとティラミスに顔を向けたが、秘石眼のレーザービームは止まらない。
すんでのところで避けたものの、ティラミスは耳の端を少し焼かれてしまった。
「ははは、嫌だなぁ。こんなことで嫉妬なんてしやしないよ。私は大人だからね」
そう言いながらも、握り締められたマジックの拳に、血が吹き出そうなほど血管が浮き出ているのをティラミスは見逃せなかった。
「あ、そうだ。ちょっと用事を思い出してね。アラシヤマに後で私の部屋に来るように伝えてくれないかい?」
どんな用事なのか考えたくもないが、現在のトップ権力者はシンタローだ。
元総帥とはいえ、基本的にはシンタロー以外の人間は幹部に命令できない決まりになっている。
どう答えたものか…とティラミスが思案していると、チョコがあっさりと「はい、わかりました」と答えてしまった。
「じゃあ、よろしく頼むよ」
引きつった笑みのまま、マジックは総帥室を出て行った。
バタンと扉が閉められたあとで、ティラミスはチョコと顔を見合わせた。
「…いいのかよ?幹部に命令できんのは総帥だけのはずだろ?」
ティラミスは秘石眼で焼かれた耳を押さえながら、部屋の隅に避難したままのチョコに問うた。
「この場合、他にどう言えっていうんだよ」
確かに。
チョコの言いたいことも良くわかる。
ティラミスも下手なことを言って係わり合いになるのは御免だった。
「まあ、アラシヤマ氏にはしばらく任務は入ってないはずだし、なんとかなるだろ。今日だってホントは代休のはずだからな」
それであっさりOKしたのか。
休暇扱いなら、マジックに呼び出されたとしても、それは『プライベート』の範囲内だ。
しかし……ということは、アラシヤマは今日、シンタローに弁当を届けるためだけに来ていたのか。
何がどうなってもいいけど…出来るだけ係わり合いたくないなぁ…。
ティラミスは書類の積まれたデスクに戻り、ヒビ割れで真っ白になった窓をぼんやりと見上げた。
* * * * *
幸せすぎるランチタイムを終え、アラシヤマは夢見心地でフラフラと本部の廊下を歩いていた。
シンタローはんたら、あないに照れんでもええのんに…。
ホンマ、可愛いお人やわ…。
フラフラしているのは、ほっぺについたご飯粒をパクンとやったときに、みぞおちに正拳を突き入れられたからなのだが、いまはエンドルフィンが大量放出されていて痛みなど感じるどころではない。
今日の筍ご飯は我ながらええ出来やったもんなぁ。
明日はどないしょ?湯葉は季節的にもう少し先の方がええやろし…。
『京料理だけでお弁当』というのは、しこみに時間がかかるだけに中々難しい課題だった。
けれど、シンタローが求めているのなら苦にはならない。
アラシヤマはニヤニヤしながら、明日のメニューに思いをめぐらせた。
任務明けだった昨日、珍しくもシンタローに呼び出されて言われたのは、『京料理を教えてくれ』というものだった。
幼いころから家事を一切しない中国人の師匠と暮らしていたため、もちろん料理は出来る。
京料理も一通りは作れるが、シンタローが突然なぜ京料理にこだわりだしたのか不思議だった。
「ええどすけど…どうしはったん?急に…」
「イヤ…、なんつぅの、なんとなくだよ…」
シンタローはごもごもと口ごもり、少しだけ頬を赤らめた。
その気恥ずかしそうな姿から、アラシヤマはひとつの可能性に気がついた。
も、もしかして……!!
わてとの新婚生活のために、わての郷の料理を覚えようとしてるんじゃ……!?
アラシヤマの頭の中に、リンゴーンと鐘の音が鳴り響く。
長いこと待ち続けたかいがあった…!
あまりの喜びに、アラシヤマは神の祝福に照らされているような錯覚に陥った。
「で、どうなんだヨ?そもそも、京料理作れんのかヨテメー」
えらそうに踏ん反りかえる姿も、自分のベターハーフであると思うと何もかもが愛しい。
うっとりとしかけながらも、これ以上悦に入っていてはどつかれる。
アラシヤマは気合を入れて顔を引き締めた。
「も、もちろんどすえ!どんなんがお好みでっしゃろ?」
「あ~…、あんま時間とれねぇから、出来るだけ手軽なもんがいいな。10分くらいで出来るやつねぇの?」
シンタローが多忙なのはしかたないことなのだが、京料理は下準備に時間がかかるものが多い。
寸刻みのシンタローのスケジュールで、充分な時間が確保できるとは思えなかった。
「シンタローはん、こうしたらどうでっしゃろ?わて、シンタローはんに京料理でおべんと差し入れますさかい、まずはそれで味を覚えてもろて、食べながらレシピを講釈するゆうのは?」
これなら、時間を有効利用できる上に、アラシヤマ自身にもシンタローに会える口実ができる。
一石二鳥どころか、一石三鳥のアイデアだった。
「…そんなに、めんどくせぇものなのかよ…」
シンタローの眉間にわずかに皺が寄った。
「下準備で一晩水にさらしとく、とかあっためて冷やしてまた水に戻して…みたいのが多いんや。せやさかい、なかなか一気にお教えするんは難しいんやないかと思うんですわ」
シンタローは大分嫌そうな顔をしていたが、最後にはフゥと大きなため息をついた。
「……しかたねぇなぁ…。テメェ、ちゃんと食えるもん作れんだろうな?」
アラシヤマはコクンコクンと大きく頷いた。
「シンタローはんに食べてもらえるんやったら、大量の愛情という名のスパイスを振りかけて作りますえ!」
「…スパイスはいらねぇ。ちゃんとフツーに食えるもん作ってこいヨ!?変なもん入れたらその場でシベリア永久追放にすっからナ!」
ビシィッとシンタローの人差し指がアラシヤマの眉間を指す。
本来なら無礼にあたるであろう行為も、アラシヤマは笑顔で受け止めた。
シンタローは苦虫を噛み潰したような表情のまま、くるりと踵と返す。
「早速、明日からおべんとお持ちしますさかい、楽しみしたっておくれやすぅ~!」
ハートマークが飛んでいきそうなアラシヤマの呼びかけを無視して、シンタローはスタスタとその場を去っていった。
* * * * *
本日のお弁当はまずまずシンタローの気に合ったようで、シンタローは熱心にレシピを聞いてくれた。
まったくもう…。
素直にわてのためやと言うてくれたら、わてかて準備している言葉があるんに…。
『アラシヤマ…、俺、お前の故郷の味を覚えたくて…』
『シンタローはん、わてはそのキモチだけで充分や。クニの味を作れんでも、わての一番は未来永劫変わらんのやで…?』
『アラシヤマ…』
『シンタローはん…』
『…もう、シンタローって、呼んでくれよ…』
(シンタロー、顔を赤らめて俯く)
『シンタロー…!!』
(アラシヤマ、シンタローを抱きしめ、もつれ込むようにベッドへ……)
「…ヤマ…さん!……アラシヤマさんッ…!!」
ガギッと背中に蹴りを入れられて、アラシヤマは現実の世界に戻った。
「…あ、チョコレートロマンス…」
蹴りをくれた主は、シンタローの秘書のひとりであるチョコレートロマンスだった。
「さっきから何百回呼ばせる気ですか?マジック元総帥がお呼びですよ」
チョコはたいぶイライラしていたらしく、元々きつめの目じりがさらにつりあがっていた。
「へ?マジック様が…?」
実績、実力ともにナンバー2と認められているアラシヤマに命令できるのは、今は総帥であるシンタローただ一人となっている。
それは極めて軍隊的な性格を持つガンマ団において、指揮系統を混乱させないための措置でもあった。
「今日は名目上は『お休み』の日でしょう?マジック様も『プライベート』でお話があるみたいですよ」
チョコの言葉尻に何か冷たいものが混ざっている感じは否めなかったが、このタイミングでマジックに呼び出されるとしたら…。
も、もしかして、『息子をよろしく頼む』とか言われてしまうんやろか…!
思いついてしまった可能性に、アラシヤマは一瞬気が遠くなった。
マジック様には徐々にご報告しよ思うてたんに、むこうからお許しをいただけるなんて…!!
こんなにも恵まれていていいものだろうか?
アラシヤマは自分の幸せに恐怖すら感じた。
「…じゃあ、とにかく伝えましたからね。後でいいですから、必ず今日中にマジック様のところに行って下さいよ?」
チョコは穿き捨てるように言い残し、その場を去っていった。
チョコの態度は気になったが、おそらく自分とシンタローの仲を嫉妬してのことだろう。
シンタローはんは人気ありますさかいなぁ…。まあ、わてに獲られる気ぃしてまうんやろ。
笑い出すどころか、踊り出してしまいそうだ。
アラシヤマはバレリーナのような足取りで、早速マジックの自室を目指した。
「あれ?オメ、今日代休じゃなかったべか?」
「呼び出しでもあったっちゃか?」
ふと、知った顔に呼び止められた。
ミヤギとトットリは任務明けらしく、くたびれた顔をしている。
「お二人さんとも、おつかれさんどす。わてはこれから男を見せに行くんですわ」
「…何言ってるべ?…」
「頭のネジでも飛んだっちゃか?」
ミヤギとトットリは不審なものを見る目つきでアラシヤマを見てくる。
アラシヤマはにっこりと笑顔を返すと、トットリの肩にポンと手を置いた。
「お二人とも、式には招待状を出しますさかい、ぜひ出席したっておくれやす」
それだけ告げて、アラシヤマは再び軽い足取りで先を急いだ。
「……式って、なんの式だべ…」
ミヤギが困惑した声色でトットリに問う。
「さぁ?葬式のことじゃないっちゃか?」
トットリが返した適当な答えは、浮かれポンチキになっているアラシヤマの耳には入らなかった。
* * * * *
「マジック様!シンタローはんのことは、わてに…!このわてに任せておくれやすッ…!!」
アラシヤマは考えに考え抜いた台詞叫びながら、マジックの部屋に突撃した。
途端。
ジュワッという、熱風が体の横を通り抜けていく。
「なっ…!!?」
「ああ、ゴメンゴメン。ちょっと眼魔砲の練習をしていてね」
もう何十年もこの技を使っているだろうに、いまだに練習が必要なのだろうか?
疑問に思いながらも、アラシヤマはマジックに敬礼した。
「マジック様直々のお呼びやと伺いまして、参上いたしました」
「楽にしていいよ。私はもう隠退した身だからね。まあ、かけたまえ」
アラシヤマは進められるまま、黒革のソファに腰掛けた。
「…い゙っ…!!?」
体がソファに沈んだとたん、尻にチクリとした痛みが走った。
慌てて立ち上がると、中から太い釘のようなものが突き出ている。
…まさか…。
アラシヤマがソファの下に手を突っ込むと、五寸釘に胸を貫かれた藁人形が出てきた。
頭から冷水をかけられたような冷たい感覚が、アラシヤマの全身を通り抜けた。
「ん?どうしたんだい?」
マジックは笑顔で問うてくる。
アラシヤマが怪しげな藁人形を持っているにも関わらず、だ。
「…あの…、これがソファの下にあったんどすけど…」
アラシヤマが藁人形を差し出すと、マジックは大袈裟なそぶりで驚いて見せた。
「おや!一体誰がこんな危ないものを!?」
マジックは藁人形をつかむと、ぽいとごみ箱に捨ててしまった。
「まったく、こんなものを誰が置いたんだろうねぇ」
マジックは鮮やかな笑顔を見せているが、その目は笑っていなかった。
おかしい。
マジックの様子は明らかにアラシヤマを歓迎していない。
むしろ悪意すら感じるほどの態度に、アラシヤマはこれから起こる対立を予期した。
これは……
婿舅問題の始まりか…っ!?
人生、いいことばかりあらへんいうことはわかっとったつもりやけど…。
都合のいい方向しか考えてなかっただけに、マジックの態度はショックだった。
父親の反対に合うなんて、まるでロミオとジュリエットだ。
アラシヤマは己の不幸にくらりとした。
「アラシヤマ?もう釘はないだろう?座りたまえ」
改めて促され、アラシヤマはマジックの向かいに座った。
「今日、君に来てもらったのは、シンタローのことについてなんだが…」
想像していた通りの切り出しに、アラシヤマは思わず身構えた。
なんていうつもりやろ…。
『シンタローと別れてくれ』
『君とシンタローの仲を認めるわけにはいかん』
『非生産的な関係はやめたまえ』
でも、わてとシンタローはんはもうお互い離れられん仲なんや。
ここでわてが気張らんかったら、シンタローはんに合わす顔がないやないか!
アラシヤマは膝に置いた手をギュッと握り締めた。
そうや!
親の反対に合うくらい、たいしたことやあらへん!
いざとなったら、シンタローはんを連れて、世界の果てまで逃げるんや。
二人で肩を抱き合って、雪山を越えたりして。
そんで、世界の中心で愛を叫ぶんや…!
「…ヤマ?聞いているのかい?」
ふいにマジックに下から顔を覗き込まれ、アラシヤマは我に返った。
「あ…!はいっ!!」
「そう。じゃあ、早速明日からシンちゃんのお弁当係は交代ってことで」
マジックはニッコリ笑って膝をポンと叩いた。
「え?ちょおっ…、なんの話どすかっ!?」
アラシヤマは慌てて食い下がった。
「もう、やっぱり聞いてなかったのかい?私がシンちゃんのお弁当係りを代わってあげるという話だよ」
マジックは足を組みなおしながら続けた。
「君も任務が多くて大変だろうし、何よりシンタローの好みは私が一番把握しているからね」
マジックの言葉尻には、どこか挑戦的なものが混じっている。
「…でも、シンタローはんはわての料理が食べたいいうてきたんどすえ?」
アラシヤマは『わての』のところを強調して返した。
実際はシンタローが欲していたのは『京料理』なのだが、意味するところは同じだろう。
「でもきっとシンちゃんは、私に遠慮しているんだよ。ホントは私にお弁当を持ってきてもらいたいんじゃないかと思うんだ」
「だとしたら、わざわざわてを指名したんはなんでやったんでっしゃろ?」
せっかくつかんだランチタイムの特権を、そうやすやす奪われるわけにはいかない。
二人の間には、青い火花が見えるようだった。
数分ほども、そうして睨みあっていただろうか。
「やれやれ、君も頑固だね…」
マジックは肩をすくめると、フゥと大きなため息をついた。
「じゃあこうしよう。明日のランチには君と私、ふたりでシンタローにお弁当を持っていく。そして、シンタローが選んだ方が、今後シンタローにお弁当を差し入れする権利を獲得する」
マジックはよほど自身があるのか、挑戦的な笑みを浮かべている。
「どうかね?」
「……了解どす」
マジックにどんな秘策があるのかは知らないが、シンタローが欲しているのは『京料理』だ。
もちろん、それを教えるほどアラシヤマはお人よしではない。
勝機は自分にあるといってよかった。
「ほいたら、マジック様。明日正午に、総帥室の前でよろしいでっしゃろか?」
「もちろん。まあ、君も頑張ってくれたまえ」
マジックは余裕のポーズを崩さないまま。
アラシヤマは勢いよく立ち上がると、一礼してマジックの部屋をあとにした。
* * * * *
「シンタローはんッ!!」
「シンちゃんッ!!」
ノックもせずに飛び込んできた二つの騒音。
「今日のランチはどっち!?」
シンタローは目の前に突き出された二つの巨大な弁当箱を冷ややかな目で見つめた。
「…つーか、意味わかんねぇんだけど」
この二人が一緒に弁当を持ってくるなんて不自然すぎる。
何か裏で取引でもあるように思えてならない。
「意味なんてないよ、シンちゃん。最近パパの料理を食べてなかっただろう?そろそろパパの味が恋しくなったんじゃないかと思ってね」
マジックが蓋を開けて差し出すバスケットの中には、焼きたてのナンと銀色のボウルが入っている。
中身はきっとカレーだろう。
対してアラシヤマの方は、小判型の三重の重箱に、手の込んでそうな小鉢料理と散らし寿司が詰められている。
「…一体、何の対決してんだヨ?」
この二人が弁当で争っているのはあきらかだ。
そして、承知してはいないが、勝敗を決めるのはシンタローなのだろう。
背景も知らずに答えを出すには、この二人は危険すぎる。
「シンタローはんのランチを作る係り対決どす」
シンタローが問い詰めるまでもなく、アラシヤマがあっさりと答えた。
アラシヤマはちらりとマジックを見て続けた。
「マジック様がお弁当作る係りを代わって欲しいいうもんで、シンタローはんに決めてもらおいうことになったんどすわ」
「はァ~?いつから俺の弁当係が役職になったんだよ。てゆーか、親父、そんなに暇なら旅行でも行けよ、うざってぇ」
シンタローは呆れて額を押さえた。
毎日毎日、俺はクソする暇もねぇほど忙しいっつーのに、この親父はどこまで暢気なのか。
「だって、シンちゃんッ…!最近ちっとも一緒にごはん食べてくれないじゃないか!!ずるいよ、アラシヤマばっかり!パパだってシンちゃんに『はい、あ~ん』とかしてあげたいよ!」
「…俺はアラシヤマにそんなことした覚えもなければ、今後することも永久にねぇんだけどな」
まともに相手にする気にもなれず、シンタローは部屋のすみにいたティラミスを目で呼んだ。
「ティラミス、元総帥を自室まで送り届けてさしあげろ。あ、親父、飯は置いてってくれていいぜ」
ティラミスはやや暗い表情でマジックの傍らに立ち、マジックの肩に手を置いた。
「…マジック様。どうかここはシンタロー様の言うとおりに…」
「シンちゃんッ!まだパパは返事を聞いてないよッ!」
マジックはティラミスを振り払おうと、大きく腕を振った。
「アッ…!」
マジックの長い腕が、勢いあまってアラシヤマの弁当箱にあたった。
グシャという粘着質な音とともに、弁当の中身が床に散乱する。
色とりどりのきれいな色彩の食物が、その光景をかえって無残に見せた。
「あ…」
アラシヤマはその場にしゃがみこんだが、弁当の中身が戻るわけでもない。
アラシヤマは空になった弁当箱を拾い、悲しそうに目を伏せた。
その表情に、シンタローはぎゅっと胸をつかまれるような感覚を覚えた。
そうだよな…。自分の作ったモン粗末にされるのって悲しいんだよな…。
小さな友人と南の島で暮らしていたあのころ。
食べ物の調達、料理は自分の役目だった。
自分で採った食物を自分で料理して食べる。
そのことを繰り返しているうちに、食物を得る苦労も食物を与えてもらうありがたみも、呼吸をするように自分の身に染み付いた。
だから…。
「俺ぁ、食いモン粗末にする奴ぁ、大っ嫌いなんだよ…」
シンタローの低くうめくような声に、マジックはビクリト体を震わせた。
「ご、ごめん…ッ!シンちゃん、わざとじゃないんだよ…?悪気があったわけじゃあ…」
おろおろと顔色を伺ってくるマジックを、シンタロー
はギンッと睨みつけた。
「これ以上、俺の機嫌をそこねないうちに帰れよ。カレーは置いていっていいから」
これ以上居座っては本格的に口を利いてもらえなくなることを悟ったのか、マジックはがっくりと肩を落とすと、わざとらしい大きなため息をついた。
その背中をいたわるように、ティラミスがそっとマジックに付き添う。
マジックは一度だけ振り返ると、再びため息を残して総帥室を出て行った。
「…悪かったナ。バカ親父が…」
シンタローはアラシヤマの前にしゃがみこんだ。
「いいんどす…。覆水盆に返らずや。それより、床汚してしもてすんまへん」
アラシヤマはひっくり返った弁当箱に、おかずを戻し始めた。
紅葉の形をしたにんじんや、きれいな色の煮凝り、素材が透けるほどに薄く切られた酢の物。
知識がなくとも、どれほど時間をかけられたものなのかは推測できる。
アラシヤマはともかく、食い物には罪はない。
シンタローは紅葉型のにんじんをつまむと、ひょいと口に入れた。
薄味だが、にんじん本来の甘みが出たいい味付けだった。
「シ、シンタローはんっ!何してはりますの!?それ、落としたもんどすえ?」
アラシヤマがとっさにシンタローの手首をつかんだ。
けれど、にんじんは既に胃に入ってしまったあとだ。
「別に、落ちたくれーで、死にはしねぇヨ。せっかく作ったのに、もったいねーじゃんかよ」
シンタローはアラシヤマの手を振り解くと、側に落ちていた蒲鉾状の固まりを口に入れた。
「お、これ上手いな。なんていう…」
ふと、アラシヤマが体を起こしたと思うと、満身の力で抱きついてきた。
「てめッ…!!なにす…」
シンタローは体をよじったが、床に座り込んでいる上に、腕の上から抱きしめられていてはろくに身動きもとれない。
「…うれしおす…。シンタローはんッ…!」
アラシヤマの、シンタローを抱く力が強くなる。
「こないにわてを大事に思っとってくれはったなんて…。クニの料理なんて作れんでもかましまへん!わては一生、シンタローはんを愛し続けますさかい、二人で誓いをたてまひょ!!」
アラシヤマの、シンタローを抱く力がますます強くなる。
フイをつかれたとはいえ、実力だけはガンマ団ナンバー2の男だ。満身の力でサバ折をかけられては、シンタローも呻くしかなかった。
「…なッに…、わけわかんねーこと言って…」
上半身をのけぞらせてアラシヤマを見ると、その目は怪しく血走って、不気味な光を発しているように見えた。
「舅の反対なんて、二人の愛のパワーがあれば問題あらしまへん!いざ、誓いのキキキキッスをッ…!!」
アラシヤマの唇がむにゅ~と近づいてくる。
シンタローは咄嗟に右拳をふところに入れた。
拳がほぼ密着した状態から、思い切りみぞおちに正拳を突き入れる。
「ゴフッ…」
わずかな胃の内臓物と血を吐いて、アラシヤマ崩れ落ちた。
また、いつ目を覚ますかわからない。
シンタローはアラシヤマの足をつかむと、引きずって総帥室の外に放り出した。
仰向けで白目をむいているアラシヤマの腹のうえに、三重のお弁当箱をそっと乗せる。
アラシヤマが目を覚ましていないことを確認して、素早く総帥室に戻り、セキュリティ・ロックをかけた。
今までもアラシヤマに抱きつかれたり擦り寄られたりしたことは多々ある。
その度に眼魔砲で返り討ちにあわせたりしてきたが、さっきのアラシヤマは獣じみていて、正直言って怖かった。
「……すげー馬鹿力…」
アラシヤマに抱きしめられた両腕がじわじわとしびれている。
「一体なんだったんだよ…」
何がアラシヤマを凶行に走らせたのかわからない。
なんなんだ、クニの味がどーだとか…。
まあ、あいつがわけわかんねーのはいつものことだし。
シンタローは腕をさすりながら、デスクの上の新聞を手に取った。
ティラミスが戻ってきたら、親父のカレーでも食うか。
シンタローはデスクに置かれたままにまっていたバスケットをちらりと見て、再び新聞に目を戻した。
* * * * *
「…ううう…シンちゃん…」
力を落とし、ヨロヨロと歩く元総帥に合わせて、ティラミスはどんよりした空気を味わっていた。
「ねぇ、ティラミス。シンちゃんはもう、パパより好きな人がいるのかな…」
「そんなのたくさんいると思いまずが…」
ゴウッという音を立てて、破壊力を持った球体が耳の横を通り抜けていく。
ティラミスは自分の素直さを少し反省した。
「くそぉ…アラシヤマめ…。私ですらシンちゃんとランチデート出来ていないものを…」
「……」
ハンカチでも噛みそうなほど悔しがるマジックが、少しだけ憐れに思えた。
事の真相は、別にそんなに悔しがるような内容じゃないからだ。
「マジック様、実は…」
ティラミスはチョコレートロマンスから聞いた話も含め、アラシヤマが弁当を差し入れしている理由をすべて話した。
「なぁあんだ!そんなことだったのかい!」
背中にバラでも咲かせそうなほど、マジックの笑顔が生気を取り戻し始める。
「おかしいと思ったんだよ!シンちゃんが非生産的な行為に耽るとも思えないからね」
それまで、足をひきずりそうに歩いていたのが、スキップでも始めそうな勢いだ。
「それしにても、あのコもまだまだ若いねぇ。男は50代からこそが華なのに、テレビなんかに影響されて若さにすがろうとするなんて」
50を過ぎてなお、エレガンスに生きようとする彼からすると、確かにシンタローの行為は愚かだろう。
「まあ、それもたぶん今日までのことですから…」
言ってしまったあとで、ティラミスはハッと口を押さえた。
自分たちが余計なことをしたのがバレたら、アラシヤマに逆恨みされるかもしれない。
しかし、息子の不純同性交友の疑いが晴れたことに浮かれている耳に、ティラミスの呟きは入っていなかったらしい。
昨日、昼休み後のシンタローはすこぶる機嫌が悪く、いつにも増して威圧的なオーラを振りまいていた。
シンタローは機嫌さえよければ、カリスマ性ある頼れるトップだが、機嫌が悪ければ一転、威圧的な恐怖政治の王となる。
昨日のシンタローは後者だった。
その理由は明らかで、昼食の間アラシヤマから受けたストレスがシンタローの機嫌を悪くしているのだった。
シンタローの機嫌が悪い場合、被害を受けるのは、秘書であるティラミスとチョコレートロマンスの役目だ。
こんな状態が何日も続いたら俺たちの身がもたない…!!
ティラミスとチョコは、例の番組のヤラセ報道を最も大きく報道している新聞を探し出し、総帥室の机に置いておくことにした。
それが、自分たちに火の粉がかからない、最良の方法だった。
午前中は会議で新聞を読む暇などなかっただろうが、今頃目を通しているかもしれない。
そうだといいけどな。
けれど、自分の仕事がシンタローの秘書であり、シンタローの側に息子命の元上司とストーカーのナンバー2がいる限り、こういった苦労はこれからも続くのかもしれない。
ティラミスはスキップをしながら自室に戻るマジックの背中を追いかけながら、少しだけため息をついた。
END
2007/3/2 UP
2007/3/12 改正
バカな話でスミマセン…。
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今の、この光景を目の前にしては、ひょうやアラレどころか、ミミズやカエルが降ってきてもおかしくない。
ティラミスは総帥室の窓に張り付き、なんども目を擦った。
「…なんだ…?この非現実的な光景は…」
窓から見えるのは中世ヨーロッパ風の中庭。
薔薇のアーチに縁取られたベンチで仲良くお弁当をつついているのは、カリスマ的な人気を誇る我らが新総帥と、そのストーカーとしての方が有名なナンバー2幹部だった。
夢を見ているのか、それともついにアラシヤマの妄想世界に取り込まれてしまったのか。
シンタローがガンマ団総帥を襲名して約一年。
ティラミスは秘書として、シンタローの側近くに仕えてきた。
しかし、この一年で見たアラシヤマの姿といえば、眼魔砲で焦がされているか、正拳でKOされているか、回し蹴りされて吹っ飛んでいるか…。
いずれにせよ、シンタローとまともに会話をしている姿すら見たことがなかったのだ。
それが一緒にお弁当!?
お弁当はアラシヤマのお手製らしく、これでもかというくらいに豪華な折りに詰められている。
アラシヤマはこの上ないほど嬉しそうに、お茶をいれたりおかずを取り分けたりと、かいがいしく世話を焼いていた。
「おい、ティラミス。いつまで外見てるんだ。さぼるなよ」
チョコレートロマンスが、大量の書類をどんとデスクに置いた。
「ああ、チョコ。でも、あれ…」
ティラミスが窓の外を指さすと、チョコはなんだ?と首を伸ばした。
「なんだ、あれか」
「あれかって、お前!驚かないのかよ!?」
チョコは長めの髪をかきあげながら、だるそうに答えた。
「お前、昨日休暇だったからなぁ。アレ、テレビの影響なんだよ」
「…ハァ?」
「なんか健康系テレビ番組で『京料理で身体年齢が若返る!』とかやってたんだよ。その影響」
「え?それでアラシヤマ氏が弁当差し入れしてんの?」
「元々はシンタロー様の命令なんだけどな。まあ、本人も喜んでるし、いいんじゃねーの」
トントンと束ねた書類な端を机で整えながら、チョコは少しだけ溜息をついた。
「シンタロー様…。この一年、休みなんかほとんどなくて、睡眠時間も食生活もめちゃくちゃになってたから…。あんな番組の影響受けるほど追い込まれてたなんて、ちょっと痛々しいよな」
「…てゆーか、その番組、プロデューサーがヤラセで捕まったヤツじゃねーの?」
「それがますます痛々しいんじゃん…」
チョコは額を押さえている。
そのしぐさに、なんとなくチョコが言いたいことが伝わったような気がして、ティラミスは「ああ」とだけ答えた。
確かに、今のシンタローの生活では体に異常をきたしてもおかしくない。
本人も「キチンとしなければ」という自覚はあるのだろう。だが、迫り寄せる仕事の波がそれを許してくれない。
けれど、あんなヤラセ番組に踊らされ、かつ蛇蝎のごとく嫌っているアラシヤマに救いをもとめるほど追い込まれていたなんて…!
チョコの言う、『痛々しい』の表現が一番ハマるな。
そう思いながら、ティラミスは窓辺を離れた。
「シンちゃ~ん、今日のランチはアボガドと生ハムのクロワッサンサンドとエビとスクランブルエッグのベーグルサンドだよ~」
バタンと派手な音を立てて総帥室の扉が開く。
現れたのは、ティラミスとチョコが散々苦労させられた元上司、マジック総帥その人だった。
「マジック様ッ…!」
ティラミスとチョコは、咄嗟に窓に張り付いた。
マジックのシンタローへの愛情は明らかに異常の域に達している。
シンタローが誰かとベンチでお弁当を食べているなんて、恐ろしくて見せられるはずもなかった。
「ん?シンタローはいないのかい?」
「し、新総帥は急用で…」
ティラミスは窓に張り付いた不自然な恰好のまま答えた。
「急用?どこに?何時頃戻ってくるのかな?」
ニコニコと問い掛けてくるマジックのプレッシャー。
ティラミスは咄嗟に嘘が思い付けず、ぐっと言葉を詰まらせた。
「新総帥は先程、幹部の方とお食事に行かれました」
冷や汗をかいているティラミスに代わり、チョコがさらりと答えた。
グッジョブ!たしかにそれは嘘ではない。
「なーんだ、お天気がいいから中庭でランチでもと思っていたのに…。残念だね」
マジックは大きなバスケットを抱えて、フゥと溜息をついた。
『中庭』の言葉にティラミスの心が跳ねる。
オロオロとチョコに視線を送ると、目だけで『黙っていろ』と怒られた。
「そうだ。君達、お昼まだだったら一緒にどうだい?私のクロワッサンサンドは中々のものだよ」
きらりと光るような笑顔を向けられて、ティラミスとチョコはぶんぶんと顔を横に振った。
「い、いえ!結構です」
「私も、お昼はもういただきましたので」
「そうか、残念だな」
マジックは少しだけ寂しそうな顔をした。
「グンマ博士とご一緒されてはいかがですか?先ほどお菓子を買いに行くとおっしゃってましたから、まだ昼食をとられてないと思いますよ」
チョコが上手にマジックを誘導する。
「またあの子はお菓子ばっかり食べて…。じゃあ、グンちゃんのとこに行ってみようかな」
マジックの言葉に、ティラミスの緊張が一瞬ほどけた。
その隙に、マジックが一瞬にして間合いを詰める。
強い力で押しのけられ、ティラミスは床に膝をついた。
「マ、マジック様…ッ!」
マジックの視線は、窓の外の一点に集中している。
要領のいいチョコは、さっさと部屋の対角線まで非難していた。
あのやろう!自分だけ!!
ティラミスも慌ててマジックから離れようとしたが、立ち上がる途中で襟首を捕まえられてしまった。
「ぐっ…!」
シャツの胸元が首を圧迫して苦しい。
必死にもがくも、そこはやはりガンマ団元総帥。
片手でやすやすとティラミスを引き止める。
「ははは、何をそんなに怖がっているんだい?私が大人気なく嫉妬するとでも?それこそ心外だよ」
マジックは笑顔を作ってはいるが、目は笑っていなかった。
「いやあ、シンちゃんに仲良くランチできるお友達がいて本当に良かったよ。ちょっと甘やかして育ててしまったからちょっとだけワガママだしね」
マジックは尚も笑顔にならない笑顔で笑っている。
しかし、ティラミスが考えていたほどの暴走はなく、ショックと嫉妬を必死に押し隠そうと努力しているように見えた。
それはともかく…。
もう、息が……。
ティラミスの襟首はマジックに引っ張られたまま。
だんだんと顔が赤く膨張し始めてきた。
それに気がついたマジックは「ごめんごめん」と慌てて手を離した。
「まあ、君たちが気を使ってくれたことは嬉しく感じるよ。確かに私はここ3年ほどシンちゃんに『お外でお弁当』を断られているからね…」
マジックはふっと寂しそうに笑った。
シンタローがアラシヤマと外で昼食をとっているのは、ピクニック気分だからではなく、『アラシヤマと密閉空間で食事を取りたくない』という理由からだ。
チョコは事実を知っていたが、今は言うタイミングではないだろうと黙っていた。
「しかし、見てご覧よ。楽しそうにしているじゃないか。最近、息も継げないほど忙しそうだったから…。お友達と過ごす時間を少しでも持っていてくれて、私は安心したよ」
マジックは窓越しにシンタローを見つめている。
寂しそうではあったが、そのまなざしは優しく、父親としての大きな愛情を感じさせた。
「…そうですね…」
ティラミスも首をさすりながら立ち上がり、窓の外の二人を見やった。
ニコニコと目じりが下がりまくりのアラシヤマに対し、シンタローは不機嫌この上ない顔をして弁当をつついているが、まあ楽しそうに見えなくもない。
ふと、アラシヤマがシンタローの顔を覗き込んだ。
そして、人差し指で軽くシンタローの頬に触れた。
どうやら米粒か何かがついていたらしい。
アラシヤマはそれを指先ですくい取ると、嬉しそうにパクンと口に入れた。
あ~…あんなことして、また総帥に殴られちゃうんじゃないの?
ちょっと調子に乗りすぎだろう。
ティラミスが苦笑いしていたら、突然目の前の窓ガラスが真っ白になった。
「なっ…!?」
横を見ると、マジックの秘石眼がじりじりと窓ガラスに穴を開けている。
二つの穴を中心に、窓ガラス全体には無数のヒビが走っていた。
「マ、マジック様ッ…!?」
「え?なんだい?」
マジックはクルっとティラミスに顔を向けたが、秘石眼のレーザービームは止まらない。
すんでのところで避けたものの、ティラミスは耳の端を少し焼かれてしまった。
「ははは、嫌だなぁ。こんなことで嫉妬なんてしやしないよ。私は大人だからね」
そう言いながらも、握り締められたマジックの拳に、血が吹き出そうなほど血管が浮き出ているのをティラミスは見逃せなかった。
「あ、そうだ。ちょっと用事を思い出してね。アラシヤマに後で私の部屋に来るように伝えてくれないかい?」
どんな用事なのか考えたくもないが、現在のトップ権力者はシンタローだ。
元総帥とはいえ、基本的にはシンタロー以外の人間は幹部に命令できない決まりになっている。
どう答えたものか…とティラミスが思案していると、チョコがあっさりと「はい、わかりました」と答えてしまった。
「じゃあ、よろしく頼むよ」
引きつった笑みのまま、マジックは総帥室を出て行った。
バタンと扉が閉められたあとで、ティラミスはチョコと顔を見合わせた。
「…いいのかよ?幹部に命令できんのは総帥だけのはずだろ?」
ティラミスは秘石眼で焼かれた耳を押さえながら、部屋の隅に避難したままのチョコに問うた。
「この場合、他にどう言えっていうんだよ」
確かに。
チョコの言いたいことも良くわかる。
ティラミスも下手なことを言って係わり合いになるのは御免だった。
「まあ、アラシヤマ氏にはしばらく任務は入ってないはずだし、なんとかなるだろ。今日だってホントは代休のはずだからな」
それであっさりOKしたのか。
休暇扱いなら、マジックに呼び出されたとしても、それは『プライベート』の範囲内だ。
しかし……ということは、アラシヤマは今日、シンタローに弁当を届けるためだけに来ていたのか。
何がどうなってもいいけど…出来るだけ係わり合いたくないなぁ…。
ティラミスは書類の積まれたデスクに戻り、ヒビ割れで真っ白になった窓をぼんやりと見上げた。
* * * * *
幸せすぎるランチタイムを終え、アラシヤマは夢見心地でフラフラと本部の廊下を歩いていた。
シンタローはんたら、あないに照れんでもええのんに…。
ホンマ、可愛いお人やわ…。
フラフラしているのは、ほっぺについたご飯粒をパクンとやったときに、みぞおちに正拳を突き入れられたからなのだが、いまはエンドルフィンが大量放出されていて痛みなど感じるどころではない。
今日の筍ご飯は我ながらええ出来やったもんなぁ。
明日はどないしょ?湯葉は季節的にもう少し先の方がええやろし…。
『京料理だけでお弁当』というのは、しこみに時間がかかるだけに中々難しい課題だった。
けれど、シンタローが求めているのなら苦にはならない。
アラシヤマはニヤニヤしながら、明日のメニューに思いをめぐらせた。
任務明けだった昨日、珍しくもシンタローに呼び出されて言われたのは、『京料理を教えてくれ』というものだった。
幼いころから家事を一切しない中国人の師匠と暮らしていたため、もちろん料理は出来る。
京料理も一通りは作れるが、シンタローが突然なぜ京料理にこだわりだしたのか不思議だった。
「ええどすけど…どうしはったん?急に…」
「イヤ…、なんつぅの、なんとなくだよ…」
シンタローはごもごもと口ごもり、少しだけ頬を赤らめた。
その気恥ずかしそうな姿から、アラシヤマはひとつの可能性に気がついた。
も、もしかして……!!
わてとの新婚生活のために、わての郷の料理を覚えようとしてるんじゃ……!?
アラシヤマの頭の中に、リンゴーンと鐘の音が鳴り響く。
長いこと待ち続けたかいがあった…!
あまりの喜びに、アラシヤマは神の祝福に照らされているような錯覚に陥った。
「で、どうなんだヨ?そもそも、京料理作れんのかヨテメー」
えらそうに踏ん反りかえる姿も、自分のベターハーフであると思うと何もかもが愛しい。
うっとりとしかけながらも、これ以上悦に入っていてはどつかれる。
アラシヤマは気合を入れて顔を引き締めた。
「も、もちろんどすえ!どんなんがお好みでっしゃろ?」
「あ~…、あんま時間とれねぇから、出来るだけ手軽なもんがいいな。10分くらいで出来るやつねぇの?」
シンタローが多忙なのはしかたないことなのだが、京料理は下準備に時間がかかるものが多い。
寸刻みのシンタローのスケジュールで、充分な時間が確保できるとは思えなかった。
「シンタローはん、こうしたらどうでっしゃろ?わて、シンタローはんに京料理でおべんと差し入れますさかい、まずはそれで味を覚えてもろて、食べながらレシピを講釈するゆうのは?」
これなら、時間を有効利用できる上に、アラシヤマ自身にもシンタローに会える口実ができる。
一石二鳥どころか、一石三鳥のアイデアだった。
「…そんなに、めんどくせぇものなのかよ…」
シンタローの眉間にわずかに皺が寄った。
「下準備で一晩水にさらしとく、とかあっためて冷やしてまた水に戻して…みたいのが多いんや。せやさかい、なかなか一気にお教えするんは難しいんやないかと思うんですわ」
シンタローは大分嫌そうな顔をしていたが、最後にはフゥと大きなため息をついた。
「……しかたねぇなぁ…。テメェ、ちゃんと食えるもん作れんだろうな?」
アラシヤマはコクンコクンと大きく頷いた。
「シンタローはんに食べてもらえるんやったら、大量の愛情という名のスパイスを振りかけて作りますえ!」
「…スパイスはいらねぇ。ちゃんとフツーに食えるもん作ってこいヨ!?変なもん入れたらその場でシベリア永久追放にすっからナ!」
ビシィッとシンタローの人差し指がアラシヤマの眉間を指す。
本来なら無礼にあたるであろう行為も、アラシヤマは笑顔で受け止めた。
シンタローは苦虫を噛み潰したような表情のまま、くるりと踵と返す。
「早速、明日からおべんとお持ちしますさかい、楽しみしたっておくれやすぅ~!」
ハートマークが飛んでいきそうなアラシヤマの呼びかけを無視して、シンタローはスタスタとその場を去っていった。
* * * * *
本日のお弁当はまずまずシンタローの気に合ったようで、シンタローは熱心にレシピを聞いてくれた。
まったくもう…。
素直にわてのためやと言うてくれたら、わてかて準備している言葉があるんに…。
『アラシヤマ…、俺、お前の故郷の味を覚えたくて…』
『シンタローはん、わてはそのキモチだけで充分や。クニの味を作れんでも、わての一番は未来永劫変わらんのやで…?』
『アラシヤマ…』
『シンタローはん…』
『…もう、シンタローって、呼んでくれよ…』
(シンタロー、顔を赤らめて俯く)
『シンタロー…!!』
(アラシヤマ、シンタローを抱きしめ、もつれ込むようにベッドへ……)
「…ヤマ…さん!……アラシヤマさんッ…!!」
ガギッと背中に蹴りを入れられて、アラシヤマは現実の世界に戻った。
「…あ、チョコレートロマンス…」
蹴りをくれた主は、シンタローの秘書のひとりであるチョコレートロマンスだった。
「さっきから何百回呼ばせる気ですか?マジック元総帥がお呼びですよ」
チョコはたいぶイライラしていたらしく、元々きつめの目じりがさらにつりあがっていた。
「へ?マジック様が…?」
実績、実力ともにナンバー2と認められているアラシヤマに命令できるのは、今は総帥であるシンタローただ一人となっている。
それは極めて軍隊的な性格を持つガンマ団において、指揮系統を混乱させないための措置でもあった。
「今日は名目上は『お休み』の日でしょう?マジック様も『プライベート』でお話があるみたいですよ」
チョコの言葉尻に何か冷たいものが混ざっている感じは否めなかったが、このタイミングでマジックに呼び出されるとしたら…。
も、もしかして、『息子をよろしく頼む』とか言われてしまうんやろか…!
思いついてしまった可能性に、アラシヤマは一瞬気が遠くなった。
マジック様には徐々にご報告しよ思うてたんに、むこうからお許しをいただけるなんて…!!
こんなにも恵まれていていいものだろうか?
アラシヤマは自分の幸せに恐怖すら感じた。
「…じゃあ、とにかく伝えましたからね。後でいいですから、必ず今日中にマジック様のところに行って下さいよ?」
チョコは穿き捨てるように言い残し、その場を去っていった。
チョコの態度は気になったが、おそらく自分とシンタローの仲を嫉妬してのことだろう。
シンタローはんは人気ありますさかいなぁ…。まあ、わてに獲られる気ぃしてまうんやろ。
笑い出すどころか、踊り出してしまいそうだ。
アラシヤマはバレリーナのような足取りで、早速マジックの自室を目指した。
「あれ?オメ、今日代休じゃなかったべか?」
「呼び出しでもあったっちゃか?」
ふと、知った顔に呼び止められた。
ミヤギとトットリは任務明けらしく、くたびれた顔をしている。
「お二人さんとも、おつかれさんどす。わてはこれから男を見せに行くんですわ」
「…何言ってるべ?…」
「頭のネジでも飛んだっちゃか?」
ミヤギとトットリは不審なものを見る目つきでアラシヤマを見てくる。
アラシヤマはにっこりと笑顔を返すと、トットリの肩にポンと手を置いた。
「お二人とも、式には招待状を出しますさかい、ぜひ出席したっておくれやす」
それだけ告げて、アラシヤマは再び軽い足取りで先を急いだ。
「……式って、なんの式だべ…」
ミヤギが困惑した声色でトットリに問う。
「さぁ?葬式のことじゃないっちゃか?」
トットリが返した適当な答えは、浮かれポンチキになっているアラシヤマの耳には入らなかった。
* * * * *
「マジック様!シンタローはんのことは、わてに…!このわてに任せておくれやすッ…!!」
アラシヤマは考えに考え抜いた台詞叫びながら、マジックの部屋に突撃した。
途端。
ジュワッという、熱風が体の横を通り抜けていく。
「なっ…!!?」
「ああ、ゴメンゴメン。ちょっと眼魔砲の練習をしていてね」
もう何十年もこの技を使っているだろうに、いまだに練習が必要なのだろうか?
疑問に思いながらも、アラシヤマはマジックに敬礼した。
「マジック様直々のお呼びやと伺いまして、参上いたしました」
「楽にしていいよ。私はもう隠退した身だからね。まあ、かけたまえ」
アラシヤマは進められるまま、黒革のソファに腰掛けた。
「…い゙っ…!!?」
体がソファに沈んだとたん、尻にチクリとした痛みが走った。
慌てて立ち上がると、中から太い釘のようなものが突き出ている。
…まさか…。
アラシヤマがソファの下に手を突っ込むと、五寸釘に胸を貫かれた藁人形が出てきた。
頭から冷水をかけられたような冷たい感覚が、アラシヤマの全身を通り抜けた。
「ん?どうしたんだい?」
マジックは笑顔で問うてくる。
アラシヤマが怪しげな藁人形を持っているにも関わらず、だ。
「…あの…、これがソファの下にあったんどすけど…」
アラシヤマが藁人形を差し出すと、マジックは大袈裟なそぶりで驚いて見せた。
「おや!一体誰がこんな危ないものを!?」
マジックは藁人形をつかむと、ぽいとごみ箱に捨ててしまった。
「まったく、こんなものを誰が置いたんだろうねぇ」
マジックは鮮やかな笑顔を見せているが、その目は笑っていなかった。
おかしい。
マジックの様子は明らかにアラシヤマを歓迎していない。
むしろ悪意すら感じるほどの態度に、アラシヤマはこれから起こる対立を予期した。
これは……
婿舅問題の始まりか…っ!?
人生、いいことばかりあらへんいうことはわかっとったつもりやけど…。
都合のいい方向しか考えてなかっただけに、マジックの態度はショックだった。
父親の反対に合うなんて、まるでロミオとジュリエットだ。
アラシヤマは己の不幸にくらりとした。
「アラシヤマ?もう釘はないだろう?座りたまえ」
改めて促され、アラシヤマはマジックの向かいに座った。
「今日、君に来てもらったのは、シンタローのことについてなんだが…」
想像していた通りの切り出しに、アラシヤマは思わず身構えた。
なんていうつもりやろ…。
『シンタローと別れてくれ』
『君とシンタローの仲を認めるわけにはいかん』
『非生産的な関係はやめたまえ』
でも、わてとシンタローはんはもうお互い離れられん仲なんや。
ここでわてが気張らんかったら、シンタローはんに合わす顔がないやないか!
アラシヤマは膝に置いた手をギュッと握り締めた。
そうや!
親の反対に合うくらい、たいしたことやあらへん!
いざとなったら、シンタローはんを連れて、世界の果てまで逃げるんや。
二人で肩を抱き合って、雪山を越えたりして。
そんで、世界の中心で愛を叫ぶんや…!
「…ヤマ?聞いているのかい?」
ふいにマジックに下から顔を覗き込まれ、アラシヤマは我に返った。
「あ…!はいっ!!」
「そう。じゃあ、早速明日からシンちゃんのお弁当係は交代ってことで」
マジックはニッコリ笑って膝をポンと叩いた。
「え?ちょおっ…、なんの話どすかっ!?」
アラシヤマは慌てて食い下がった。
「もう、やっぱり聞いてなかったのかい?私がシンちゃんのお弁当係りを代わってあげるという話だよ」
マジックは足を組みなおしながら続けた。
「君も任務が多くて大変だろうし、何よりシンタローの好みは私が一番把握しているからね」
マジックの言葉尻には、どこか挑戦的なものが混じっている。
「…でも、シンタローはんはわての料理が食べたいいうてきたんどすえ?」
アラシヤマは『わての』のところを強調して返した。
実際はシンタローが欲していたのは『京料理』なのだが、意味するところは同じだろう。
「でもきっとシンちゃんは、私に遠慮しているんだよ。ホントは私にお弁当を持ってきてもらいたいんじゃないかと思うんだ」
「だとしたら、わざわざわてを指名したんはなんでやったんでっしゃろ?」
せっかくつかんだランチタイムの特権を、そうやすやす奪われるわけにはいかない。
二人の間には、青い火花が見えるようだった。
数分ほども、そうして睨みあっていただろうか。
「やれやれ、君も頑固だね…」
マジックは肩をすくめると、フゥと大きなため息をついた。
「じゃあこうしよう。明日のランチには君と私、ふたりでシンタローにお弁当を持っていく。そして、シンタローが選んだ方が、今後シンタローにお弁当を差し入れする権利を獲得する」
マジックはよほど自身があるのか、挑戦的な笑みを浮かべている。
「どうかね?」
「……了解どす」
マジックにどんな秘策があるのかは知らないが、シンタローが欲しているのは『京料理』だ。
もちろん、それを教えるほどアラシヤマはお人よしではない。
勝機は自分にあるといってよかった。
「ほいたら、マジック様。明日正午に、総帥室の前でよろしいでっしゃろか?」
「もちろん。まあ、君も頑張ってくれたまえ」
マジックは余裕のポーズを崩さないまま。
アラシヤマは勢いよく立ち上がると、一礼してマジックの部屋をあとにした。
* * * * *
「シンタローはんッ!!」
「シンちゃんッ!!」
ノックもせずに飛び込んできた二つの騒音。
「今日のランチはどっち!?」
シンタローは目の前に突き出された二つの巨大な弁当箱を冷ややかな目で見つめた。
「…つーか、意味わかんねぇんだけど」
この二人が一緒に弁当を持ってくるなんて不自然すぎる。
何か裏で取引でもあるように思えてならない。
「意味なんてないよ、シンちゃん。最近パパの料理を食べてなかっただろう?そろそろパパの味が恋しくなったんじゃないかと思ってね」
マジックが蓋を開けて差し出すバスケットの中には、焼きたてのナンと銀色のボウルが入っている。
中身はきっとカレーだろう。
対してアラシヤマの方は、小判型の三重の重箱に、手の込んでそうな小鉢料理と散らし寿司が詰められている。
「…一体、何の対決してんだヨ?」
この二人が弁当で争っているのはあきらかだ。
そして、承知してはいないが、勝敗を決めるのはシンタローなのだろう。
背景も知らずに答えを出すには、この二人は危険すぎる。
「シンタローはんのランチを作る係り対決どす」
シンタローが問い詰めるまでもなく、アラシヤマがあっさりと答えた。
アラシヤマはちらりとマジックを見て続けた。
「マジック様がお弁当作る係りを代わって欲しいいうもんで、シンタローはんに決めてもらおいうことになったんどすわ」
「はァ~?いつから俺の弁当係が役職になったんだよ。てゆーか、親父、そんなに暇なら旅行でも行けよ、うざってぇ」
シンタローは呆れて額を押さえた。
毎日毎日、俺はクソする暇もねぇほど忙しいっつーのに、この親父はどこまで暢気なのか。
「だって、シンちゃんッ…!最近ちっとも一緒にごはん食べてくれないじゃないか!!ずるいよ、アラシヤマばっかり!パパだってシンちゃんに『はい、あ~ん』とかしてあげたいよ!」
「…俺はアラシヤマにそんなことした覚えもなければ、今後することも永久にねぇんだけどな」
まともに相手にする気にもなれず、シンタローは部屋のすみにいたティラミスを目で呼んだ。
「ティラミス、元総帥を自室まで送り届けてさしあげろ。あ、親父、飯は置いてってくれていいぜ」
ティラミスはやや暗い表情でマジックの傍らに立ち、マジックの肩に手を置いた。
「…マジック様。どうかここはシンタロー様の言うとおりに…」
「シンちゃんッ!まだパパは返事を聞いてないよッ!」
マジックはティラミスを振り払おうと、大きく腕を振った。
「アッ…!」
マジックの長い腕が、勢いあまってアラシヤマの弁当箱にあたった。
グシャという粘着質な音とともに、弁当の中身が床に散乱する。
色とりどりのきれいな色彩の食物が、その光景をかえって無残に見せた。
「あ…」
アラシヤマはその場にしゃがみこんだが、弁当の中身が戻るわけでもない。
アラシヤマは空になった弁当箱を拾い、悲しそうに目を伏せた。
その表情に、シンタローはぎゅっと胸をつかまれるような感覚を覚えた。
そうだよな…。自分の作ったモン粗末にされるのって悲しいんだよな…。
小さな友人と南の島で暮らしていたあのころ。
食べ物の調達、料理は自分の役目だった。
自分で採った食物を自分で料理して食べる。
そのことを繰り返しているうちに、食物を得る苦労も食物を与えてもらうありがたみも、呼吸をするように自分の身に染み付いた。
だから…。
「俺ぁ、食いモン粗末にする奴ぁ、大っ嫌いなんだよ…」
シンタローの低くうめくような声に、マジックはビクリト体を震わせた。
「ご、ごめん…ッ!シンちゃん、わざとじゃないんだよ…?悪気があったわけじゃあ…」
おろおろと顔色を伺ってくるマジックを、シンタロー
はギンッと睨みつけた。
「これ以上、俺の機嫌をそこねないうちに帰れよ。カレーは置いていっていいから」
これ以上居座っては本格的に口を利いてもらえなくなることを悟ったのか、マジックはがっくりと肩を落とすと、わざとらしい大きなため息をついた。
その背中をいたわるように、ティラミスがそっとマジックに付き添う。
マジックは一度だけ振り返ると、再びため息を残して総帥室を出て行った。
「…悪かったナ。バカ親父が…」
シンタローはアラシヤマの前にしゃがみこんだ。
「いいんどす…。覆水盆に返らずや。それより、床汚してしもてすんまへん」
アラシヤマはひっくり返った弁当箱に、おかずを戻し始めた。
紅葉の形をしたにんじんや、きれいな色の煮凝り、素材が透けるほどに薄く切られた酢の物。
知識がなくとも、どれほど時間をかけられたものなのかは推測できる。
アラシヤマはともかく、食い物には罪はない。
シンタローは紅葉型のにんじんをつまむと、ひょいと口に入れた。
薄味だが、にんじん本来の甘みが出たいい味付けだった。
「シ、シンタローはんっ!何してはりますの!?それ、落としたもんどすえ?」
アラシヤマがとっさにシンタローの手首をつかんだ。
けれど、にんじんは既に胃に入ってしまったあとだ。
「別に、落ちたくれーで、死にはしねぇヨ。せっかく作ったのに、もったいねーじゃんかよ」
シンタローはアラシヤマの手を振り解くと、側に落ちていた蒲鉾状の固まりを口に入れた。
「お、これ上手いな。なんていう…」
ふと、アラシヤマが体を起こしたと思うと、満身の力で抱きついてきた。
「てめッ…!!なにす…」
シンタローは体をよじったが、床に座り込んでいる上に、腕の上から抱きしめられていてはろくに身動きもとれない。
「…うれしおす…。シンタローはんッ…!」
アラシヤマの、シンタローを抱く力が強くなる。
「こないにわてを大事に思っとってくれはったなんて…。クニの料理なんて作れんでもかましまへん!わては一生、シンタローはんを愛し続けますさかい、二人で誓いをたてまひょ!!」
アラシヤマの、シンタローを抱く力がますます強くなる。
フイをつかれたとはいえ、実力だけはガンマ団ナンバー2の男だ。満身の力でサバ折をかけられては、シンタローも呻くしかなかった。
「…なッに…、わけわかんねーこと言って…」
上半身をのけぞらせてアラシヤマを見ると、その目は怪しく血走って、不気味な光を発しているように見えた。
「舅の反対なんて、二人の愛のパワーがあれば問題あらしまへん!いざ、誓いのキキキキッスをッ…!!」
アラシヤマの唇がむにゅ~と近づいてくる。
シンタローは咄嗟に右拳をふところに入れた。
拳がほぼ密着した状態から、思い切りみぞおちに正拳を突き入れる。
「ゴフッ…」
わずかな胃の内臓物と血を吐いて、アラシヤマ崩れ落ちた。
また、いつ目を覚ますかわからない。
シンタローはアラシヤマの足をつかむと、引きずって総帥室の外に放り出した。
仰向けで白目をむいているアラシヤマの腹のうえに、三重のお弁当箱をそっと乗せる。
アラシヤマが目を覚ましていないことを確認して、素早く総帥室に戻り、セキュリティ・ロックをかけた。
今までもアラシヤマに抱きつかれたり擦り寄られたりしたことは多々ある。
その度に眼魔砲で返り討ちにあわせたりしてきたが、さっきのアラシヤマは獣じみていて、正直言って怖かった。
「……すげー馬鹿力…」
アラシヤマに抱きしめられた両腕がじわじわとしびれている。
「一体なんだったんだよ…」
何がアラシヤマを凶行に走らせたのかわからない。
なんなんだ、クニの味がどーだとか…。
まあ、あいつがわけわかんねーのはいつものことだし。
シンタローは腕をさすりながら、デスクの上の新聞を手に取った。
ティラミスが戻ってきたら、親父のカレーでも食うか。
シンタローはデスクに置かれたままにまっていたバスケットをちらりと見て、再び新聞に目を戻した。
* * * * *
「…ううう…シンちゃん…」
力を落とし、ヨロヨロと歩く元総帥に合わせて、ティラミスはどんよりした空気を味わっていた。
「ねぇ、ティラミス。シンちゃんはもう、パパより好きな人がいるのかな…」
「そんなのたくさんいると思いまずが…」
ゴウッという音を立てて、破壊力を持った球体が耳の横を通り抜けていく。
ティラミスは自分の素直さを少し反省した。
「くそぉ…アラシヤマめ…。私ですらシンちゃんとランチデート出来ていないものを…」
「……」
ハンカチでも噛みそうなほど悔しがるマジックが、少しだけ憐れに思えた。
事の真相は、別にそんなに悔しがるような内容じゃないからだ。
「マジック様、実は…」
ティラミスはチョコレートロマンスから聞いた話も含め、アラシヤマが弁当を差し入れしている理由をすべて話した。
「なぁあんだ!そんなことだったのかい!」
背中にバラでも咲かせそうなほど、マジックの笑顔が生気を取り戻し始める。
「おかしいと思ったんだよ!シンちゃんが非生産的な行為に耽るとも思えないからね」
それまで、足をひきずりそうに歩いていたのが、スキップでも始めそうな勢いだ。
「それしにても、あのコもまだまだ若いねぇ。男は50代からこそが華なのに、テレビなんかに影響されて若さにすがろうとするなんて」
50を過ぎてなお、エレガンスに生きようとする彼からすると、確かにシンタローの行為は愚かだろう。
「まあ、それもたぶん今日までのことですから…」
言ってしまったあとで、ティラミスはハッと口を押さえた。
自分たちが余計なことをしたのがバレたら、アラシヤマに逆恨みされるかもしれない。
しかし、息子の不純同性交友の疑いが晴れたことに浮かれている耳に、ティラミスの呟きは入っていなかったらしい。
昨日、昼休み後のシンタローはすこぶる機嫌が悪く、いつにも増して威圧的なオーラを振りまいていた。
シンタローは機嫌さえよければ、カリスマ性ある頼れるトップだが、機嫌が悪ければ一転、威圧的な恐怖政治の王となる。
昨日のシンタローは後者だった。
その理由は明らかで、昼食の間アラシヤマから受けたストレスがシンタローの機嫌を悪くしているのだった。
シンタローの機嫌が悪い場合、被害を受けるのは、秘書であるティラミスとチョコレートロマンスの役目だ。
こんな状態が何日も続いたら俺たちの身がもたない…!!
ティラミスとチョコは、例の番組のヤラセ報道を最も大きく報道している新聞を探し出し、総帥室の机に置いておくことにした。
それが、自分たちに火の粉がかからない、最良の方法だった。
午前中は会議で新聞を読む暇などなかっただろうが、今頃目を通しているかもしれない。
そうだといいけどな。
けれど、自分の仕事がシンタローの秘書であり、シンタローの側に息子命の元上司とストーカーのナンバー2がいる限り、こういった苦労はこれからも続くのかもしれない。
ティラミスはスキップをしながら自室に戻るマジックの背中を追いかけながら、少しだけため息をついた。
END
2007/3/2 UP
2007/3/12 改正
バカな話でスミマセン…。
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