甘い罠
「はい、シンタローさんも、どうぞ」
そう言ってリキッドが出してきた今日のおやつは、チョコレートプリンだった。
……ちなみに言うならば昨日はガトーショコラで、一昨日はチョコアイスだった。一昨々日はチョコレートムースで、その前はチョコクッキーだった。
……さらに言うならば、おやつにチョコが使われていない場合も、飲み物としてホットチョコレートが必ず供される。時には、夜寝る前にホットミルクの代わりとして出されることもあった。
……これは……あれだな、うん。
家政夫はたぶん、俺が知らないと思ってるんだろうけど、な……。
──馬鹿野郎、主夫の知恵を甘く見やがって。
「……あの……シンタローさん、どうかしました……?」
チョコレートプリンを前に、押し黙ったまま手をつけようとしない俺を気にしてか、リキッドが恐る恐る声をかけてくる。
パプワたちは相変わらず食欲旺盛で、毎日チョコが続こうがあまり気にしないようだった。今もあっさりとチョコレートプリンをたいらげ、お代わりを要求している。
俺は軽くリキッドを睨んだ。まさかパプワたちの前で、問題の核心に触れるわけにもいかない。
「別に。ただ、ここんとこ、似たようなメニューが続いてるからな」
言外に「いい加減厭きた」と言ってやると、心持ち身を引き気味にして俺の様子を窺っていたリキッドは、決まり悪そうな表情で頭を下げた。
「あ……す、すいません。実は……島の女王カカオから、いっぱいカカオを分けてもらっちゃって──あ、その女王カカオとはですね、以前にいろいろあって、そのときから仲良くしてもらってるんですけど、それで──」
「……そうか」
俺はリキッドの言い訳を遮って、匙を手に取った。嘘をつくときやなにかを誤魔化そうとするとき、リキッドはあからさまに眼が泳ぐ。こいつがなにか隠していることは確実だが、この家政夫は案外頑固なところがあって、自分でどうしてもと決めたことにはなかなか口を割らない。もっと過激な手段に出れば、具体的な理由を聞き出すこともできるだろうが、聞かずとも簡単に予想できるその『理由』と、過激な手段に訴えることで発生する手間と被害とを天秤にかければ、いちいちそんな面倒なことをしていられるか、と俺が判断するのも当然のことだった。──最終的には、それをした方が、リキッドのため──いや、俺のためにか──になるのかもしれなくても、だ。
……まあ、なにはともあれ、チョコレートプリンはそれなりに美味かった。リキッドの下心付きの連日のチョコ攻めとはいえ、残したり捨てたり、なんてもったいないことを俺ができるわけがない。パプワの情操教育にも悪い。
……しかしそろそろ、別のおやつを食いたいもんだ。
「シンタローさん、おかわりは?」
チョコ攻めから逃れる手段を画策している俺の気も知らず、リキッドが新たなチョコレートプリンを卓袱台に置く。
「……俺はもういい。パプワにやれよ」
「パプワなら、また遊びに行っちゃいましたよ」
……不覚だ。チョコのせいで、そんなことにも気づけないとは。
「……なら、お前が食っちまえよ」
「いや……俺、作るときに散々味見したもんで……もうお腹いっぱいなんですよ」
この言葉が本当のことなのか、それとも俺にチョコを食わせるための口実なのか、もしくはその両方なのか、考えていると本当に苛々してくる。
──ああ、そりゃそうだろうよ、お前はな。これ以上チョコを食う必要なんて、これっぽっちもないだろうよ! とっくに脳味噌がチョコになっちまってるんだからな!
……しかし目の前のチョコレートプリンを粗末にすることもまた、俺の主夫としての意地が許さなかった。俺は今日このときほど、パプワハウスに冷蔵庫がなかったことを苦々しく思ったことはない。
「……しょうがねえな。……お前も半分食えよ」
渋々と皿を手元に引き寄せると、急に表情を明るくした家政夫が「半分こですね!」と実に嬉しそうに言う。それを横目で見ながら、後で難癖つけて殴ろう、と俺は心に決めた。今すぐそれを実行しなかったのは、美味しく食べているチョコレートに対して、なんだか悪いような気がしたからだ。せっかく女王カカオにわけてもらったものを、ありがたく大事に食べなければ罰が当たる。それに食べ終えてからの方が、ちょうどいい運動にもなるだろう。
隣で嬉々としてプリンを食べる家政夫をなるべく視界に入れないようにしながら、俺はこのチョコ攻めの、そもそもの原因について考えていた。
最初は、リキッドがおやつにナントカっていう繊細なチョコレートケーキを作ったのが始まりだった、ように思う。そのケーキは美しい見た目同様に美味しくて、食べた後しばらくの間、俺もパプワもチャッピーも、いつもより二割増しで機嫌が良かった。気分が良くなったついでに、家政夫に少しばかり優しくしてやった覚えもある。ただ、それは美味しいものを食べたら誰だってそうなるだろうという程度のもので、まして甘いチョコレートともなれば、不機嫌になれという方が無理だ(もっとも、今現在の俺の状態はそれを見事に裏切っているわけだが、これはまた話が別)。
……だが、家政夫は、俺たち──というか、俺か──の上機嫌を、単純に『食欲が十二分に満たされたから』だとは思わなかったらしい。
チョコレートがただのカロリーの固まりではなく、身体にいい各種成分が多量に含まれてもいるというのは、今や主夫の常識だ。それを家政夫が知っているのは至極当然のことであるし、さらに細かい知識を求めるのも、家事を任せられた者の義務と言えるだろう。
──しかし。
ただ一つだけ、家政夫には知っていてほしくなかった──知っていても、家事に応用してほしくなかった成分が、チョコレートにはあるのだ。
その成分とは──
「……これで狙いがパプワやチャッピーだったら、笑えねえよな」
て言うか、犯罪だろ、と呟く俺の声は、幸いと言うかなんと言うか、チョコレートプリンを食べ終えて満足しているらしい家政夫には、よく聞こえなかったらしい。
「え? なんですか、シンタローさん」
「……別に。それよりお前、腹いっぱいなんじゃなかったのかよ」
半分より多めにくれてやったのに、全部綺麗にたいらげやがって。
「え、だ、だって、シンタローさんと半分こなんですもん!」
握り拳つきで力説する家政夫の思考回路は、相変わらず俺にはよくわからない。
「……どうでもいいけどよ──」
俺は、チョコレートプリンの最後の一匙をすくいながら言った。
「お前、あんまりチョコ食いすぎんなよな」
これ以上能天気になられると、面倒だからな──
そうしてプリンの乗った匙を、リキッドの口に素早く突っ込んだ。
突然のことに唖然としたままのリキッドに向かって、俺は唇の端を上げてみせる。
「それに男ならな、こんな回りくどいことしてんじゃねえよ」
すべてはチョコ頼みなんて、馬鹿馬鹿しいだろ?
されるがままのリキッドの口から匙を取り出すと、俺は汚れ物を手に台所へと向かった。
──チョコレートには、フェニルエチルアミンという、恋愛時に急激に増える脳内物質の一つが含まれている。要するに、チョコを食べれば、脳が恋したときと似た状態になる、というわけだ。
でも、だからといって、それだけで恋愛ができるほど、人間は単純なものじゃないだろう。
直接ぶつかった方がはるかに効果的だということに、リキッドはそろそろ気づいてもいいころだ。
リキッドは未だ固まったまま、動く気配もない。
リキッドが正気に戻るのと俺の《眼魔砲》、帰ってきたパプワの蹴りとチャッピーの《餌攻撃》、どれが一番早いだろうかと思いながら、俺は流しの蛇口をひねった。
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(06.11.27.)
「はい、シンタローさんも、どうぞ」
そう言ってリキッドが出してきた今日のおやつは、チョコレートプリンだった。
……ちなみに言うならば昨日はガトーショコラで、一昨日はチョコアイスだった。一昨々日はチョコレートムースで、その前はチョコクッキーだった。
……さらに言うならば、おやつにチョコが使われていない場合も、飲み物としてホットチョコレートが必ず供される。時には、夜寝る前にホットミルクの代わりとして出されることもあった。
……これは……あれだな、うん。
家政夫はたぶん、俺が知らないと思ってるんだろうけど、な……。
──馬鹿野郎、主夫の知恵を甘く見やがって。
「……あの……シンタローさん、どうかしました……?」
チョコレートプリンを前に、押し黙ったまま手をつけようとしない俺を気にしてか、リキッドが恐る恐る声をかけてくる。
パプワたちは相変わらず食欲旺盛で、毎日チョコが続こうがあまり気にしないようだった。今もあっさりとチョコレートプリンをたいらげ、お代わりを要求している。
俺は軽くリキッドを睨んだ。まさかパプワたちの前で、問題の核心に触れるわけにもいかない。
「別に。ただ、ここんとこ、似たようなメニューが続いてるからな」
言外に「いい加減厭きた」と言ってやると、心持ち身を引き気味にして俺の様子を窺っていたリキッドは、決まり悪そうな表情で頭を下げた。
「あ……す、すいません。実は……島の女王カカオから、いっぱいカカオを分けてもらっちゃって──あ、その女王カカオとはですね、以前にいろいろあって、そのときから仲良くしてもらってるんですけど、それで──」
「……そうか」
俺はリキッドの言い訳を遮って、匙を手に取った。嘘をつくときやなにかを誤魔化そうとするとき、リキッドはあからさまに眼が泳ぐ。こいつがなにか隠していることは確実だが、この家政夫は案外頑固なところがあって、自分でどうしてもと決めたことにはなかなか口を割らない。もっと過激な手段に出れば、具体的な理由を聞き出すこともできるだろうが、聞かずとも簡単に予想できるその『理由』と、過激な手段に訴えることで発生する手間と被害とを天秤にかければ、いちいちそんな面倒なことをしていられるか、と俺が判断するのも当然のことだった。──最終的には、それをした方が、リキッドのため──いや、俺のためにか──になるのかもしれなくても、だ。
……まあ、なにはともあれ、チョコレートプリンはそれなりに美味かった。リキッドの下心付きの連日のチョコ攻めとはいえ、残したり捨てたり、なんてもったいないことを俺ができるわけがない。パプワの情操教育にも悪い。
……しかしそろそろ、別のおやつを食いたいもんだ。
「シンタローさん、おかわりは?」
チョコ攻めから逃れる手段を画策している俺の気も知らず、リキッドが新たなチョコレートプリンを卓袱台に置く。
「……俺はもういい。パプワにやれよ」
「パプワなら、また遊びに行っちゃいましたよ」
……不覚だ。チョコのせいで、そんなことにも気づけないとは。
「……なら、お前が食っちまえよ」
「いや……俺、作るときに散々味見したもんで……もうお腹いっぱいなんですよ」
この言葉が本当のことなのか、それとも俺にチョコを食わせるための口実なのか、もしくはその両方なのか、考えていると本当に苛々してくる。
──ああ、そりゃそうだろうよ、お前はな。これ以上チョコを食う必要なんて、これっぽっちもないだろうよ! とっくに脳味噌がチョコになっちまってるんだからな!
……しかし目の前のチョコレートプリンを粗末にすることもまた、俺の主夫としての意地が許さなかった。俺は今日このときほど、パプワハウスに冷蔵庫がなかったことを苦々しく思ったことはない。
「……しょうがねえな。……お前も半分食えよ」
渋々と皿を手元に引き寄せると、急に表情を明るくした家政夫が「半分こですね!」と実に嬉しそうに言う。それを横目で見ながら、後で難癖つけて殴ろう、と俺は心に決めた。今すぐそれを実行しなかったのは、美味しく食べているチョコレートに対して、なんだか悪いような気がしたからだ。せっかく女王カカオにわけてもらったものを、ありがたく大事に食べなければ罰が当たる。それに食べ終えてからの方が、ちょうどいい運動にもなるだろう。
隣で嬉々としてプリンを食べる家政夫をなるべく視界に入れないようにしながら、俺はこのチョコ攻めの、そもそもの原因について考えていた。
最初は、リキッドがおやつにナントカっていう繊細なチョコレートケーキを作ったのが始まりだった、ように思う。そのケーキは美しい見た目同様に美味しくて、食べた後しばらくの間、俺もパプワもチャッピーも、いつもより二割増しで機嫌が良かった。気分が良くなったついでに、家政夫に少しばかり優しくしてやった覚えもある。ただ、それは美味しいものを食べたら誰だってそうなるだろうという程度のもので、まして甘いチョコレートともなれば、不機嫌になれという方が無理だ(もっとも、今現在の俺の状態はそれを見事に裏切っているわけだが、これはまた話が別)。
……だが、家政夫は、俺たち──というか、俺か──の上機嫌を、単純に『食欲が十二分に満たされたから』だとは思わなかったらしい。
チョコレートがただのカロリーの固まりではなく、身体にいい各種成分が多量に含まれてもいるというのは、今や主夫の常識だ。それを家政夫が知っているのは至極当然のことであるし、さらに細かい知識を求めるのも、家事を任せられた者の義務と言えるだろう。
──しかし。
ただ一つだけ、家政夫には知っていてほしくなかった──知っていても、家事に応用してほしくなかった成分が、チョコレートにはあるのだ。
その成分とは──
「……これで狙いがパプワやチャッピーだったら、笑えねえよな」
て言うか、犯罪だろ、と呟く俺の声は、幸いと言うかなんと言うか、チョコレートプリンを食べ終えて満足しているらしい家政夫には、よく聞こえなかったらしい。
「え? なんですか、シンタローさん」
「……別に。それよりお前、腹いっぱいなんじゃなかったのかよ」
半分より多めにくれてやったのに、全部綺麗にたいらげやがって。
「え、だ、だって、シンタローさんと半分こなんですもん!」
握り拳つきで力説する家政夫の思考回路は、相変わらず俺にはよくわからない。
「……どうでもいいけどよ──」
俺は、チョコレートプリンの最後の一匙をすくいながら言った。
「お前、あんまりチョコ食いすぎんなよな」
これ以上能天気になられると、面倒だからな──
そうしてプリンの乗った匙を、リキッドの口に素早く突っ込んだ。
突然のことに唖然としたままのリキッドに向かって、俺は唇の端を上げてみせる。
「それに男ならな、こんな回りくどいことしてんじゃねえよ」
すべてはチョコ頼みなんて、馬鹿馬鹿しいだろ?
されるがままのリキッドの口から匙を取り出すと、俺は汚れ物を手に台所へと向かった。
──チョコレートには、フェニルエチルアミンという、恋愛時に急激に増える脳内物質の一つが含まれている。要するに、チョコを食べれば、脳が恋したときと似た状態になる、というわけだ。
でも、だからといって、それだけで恋愛ができるほど、人間は単純なものじゃないだろう。
直接ぶつかった方がはるかに効果的だということに、リキッドはそろそろ気づいてもいいころだ。
リキッドは未だ固まったまま、動く気配もない。
リキッドが正気に戻るのと俺の《眼魔砲》、帰ってきたパプワの蹴りとチャッピーの《餌攻撃》、どれが一番早いだろうかと思いながら、俺は流しの蛇口をひねった。
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(06.11.27.)
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