SLEEPING KING
深夜のガンマ団本部。
静まり返った廊下に、ドアを叩く音が響いた。
「シンタロー、入るぞ?」
キンタローが扉を開けると、シンタローが机に突っ伏していた。
「シンタロー!?」
キンタローはデスクに駆け寄った。
声で目が覚めたのか、シンタローがむくりと起き上がる。
「…キンタローか…。悪い、ちょっとウトウトしてた」
「別に、謝ることじゃないだろう」
シンタローは赤い目を擦って、へへへと笑った。
ガンマ団を生まれ変わらせる。
その目的のために、シンタローはどれだけ奔走しているだろう?
シンタローが新総帥に立って約一年。
休暇はおろか、自室で休んでいる姿すら、見掛けることはなかった。
「…お前は働き過ぎだ。少しくらい休んだらどうだ?」
キンタローはシンタローの肩に手を追いた。
シンタローが青い顔で見上げてくる。
「…ありがとナ、キンタロー。でも、ま、今は過渡期だからよ。ここでオレがやらなきゃ、ガンマ団を変えることはできねぇ」
疲れた表情をしているが、意思の強い瞳は変わらない。
…多分、オレが何を言っても聞かないだろう。
そんなにも自分は頼りないのかと、気分が重くなった。
かつては心の底から憎かった相手。
けれど、冷静になった今、あれは強い憧れを含んだ嫉妬ではなかったかと思う。
強さと優しさと矜持。全てを兼ね備えた絶大なるカリスマ。
前総帥であるマジックと血の繋がりがないことがわかっても、マジックや他の団員のシンタローへの信頼は揺らがなかった。
人を魅き付けてやまないその魅力は、ほかでもないシンタロー自身のものだ。
補佐としてシンタローの側にいるうちに、キンタローもそれを理解するようになっていた。
彼を超えたいという気持ちは、今はもうない。
今はただ側にいて、支えになってやりたい。
キンタローはいつしかそう願うようになっていた。
「仕事、後どのくらい残ってるんだ?」
手伝えるものなら手伝ってやろう。
そう思って、キンタローは白衣を脱いでソファに座った。
「ん?急ぎの依頼の采配だけだから、後一時間ってとこだろ」
時計を見ると、既に三時を過ぎている。
これで朝8時の会議に参加するのだから…まったく、ナポレオンにでもなるつもりなのか。
「半分渡せ。依頼の采配なら、俺にも出来るだろう」
采配とは、ここではどの依頼をどの隊、または団員に割り当てるかを決定することを言う。
キンタローは、普段は科学者として開発部に身を置いているが、ガンマ団内の軍備、団員の能力データなどは全て把握している。
「オレが仮に割り当ててから、後でお前がチェックすれば、時間の短縮になるだろう」
シンタローは少し考えていたが、書類の束を一度机で揃えると、半分を分けてキンタローに差し出した。
「サンキュ。助かるよ」
少しだけ笑顔になったシンタローは、やはり疲れた青い顔をしていた。
カチコチと時計の音が響く。
ふと、窓を見ると、夜の色が少しだけ淡くなっていた。
「終わったぞ。シンタロー」
「ん、サンキュ」
シンタローは書類を受け取ると、内容を確認しながら一枚ずつにサインをしていった。
「オッケー、オッケー、これもオッケー…」
さらさらとサインされていく音を聞きながら、キンタローは当然だと思った。
データの正確さならば、シンタローより上だという自信がある。
「あ、こりゃダメだ」
シンタローのサインが止まった。
「何だと!?オレの…いいか、このオレの采配は完全なる総合データを元に最も合理的かつ経済原理に基づいて…」
まくし立てるキンタローを、シンタローは手で制した。
「いや、この采配も解るんだけどよ、ちとウチのリスクが高いんだよ」
その依頼の内容は、ゲリラ軍の武器庫を秘密裏に破壊して欲しいというものだった。
「しかし、破壊工作隊としてはトップクラスを選んだつもりだぞ」
「この武器庫の位置が厄介な場所なんだよ。接近するとこちらが致命傷を負う可能性がある」
「ではどうする?何か策があるのか?」
キンタローが尋ねると、シンタローは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「…多分、これしかねーんだョ…」
シンタローは苦悶の表情のまま、采配表を書き直す。
そこにあった名前は。
アラシヤマ
シンタロー
「…なっ、この程度の仕事に自ら出向く気か!?」
厄介な依頼なのはわかるが、規模としては小さい仕事だ。それを総帥自ら、しかも二人で行うなんて。
「オイ、キンタロー。言っとくがナ、依頼に程度もクソもねーゾ。みんなウチを頼って来てるんだ。どれひとつ手は抜けねーんだョ」
言っていることはわかるが…。
「…なぜお前が出向く必要がある?」
「武器庫の破壊ならアラシヤマの炎があれば、火薬に引火して勝手に爆発する。でも、地理的に敵に知られない位置からはアイツの炎も届かねぇ」
「…それで、お前の眼魔砲で風を導いて炎を飛距離を延ばす、というわけか」
その通り。とシンタローは答えた。
「ほんとはアイツと二人なんて無茶苦茶イヤなんだけどよー…」
ぶつぶつ文句を言いながらも、シンタローは決定のサインを書き込んだ。
その書類の実行予定日を見ると…
「明日じゃないか!!」
正確には日付が変わっているので今日だ。
ああ、とシンタローは軽く流す。
「お前、朝から会議で、そのまま実戦に向かう気か!?」
そうだ、と答えながら、シンタローは他の書類のサインを始めている。
「お前、昨日実戦から戻ったばかりで、そのうえほとんど休んでないだろう!今日だって、今からじゃいくらも休めないじゃないか!オレは反対だ!!」
キンタローの声は、もはや怒号に近かった。
「…まあ、でも」
シンタローは万年筆の後ろでポリポリと頬を掻いた。
「アラシヤマがいっから大丈夫だろ」
なんだかんだ言ってもアイツ強いから。
そんなシンタローの言葉に、キンタローはモヤモヤとした不快な感情が広がって行くのを感じた。
アラシヤマが強いのは事実だ。シンタローは表向きアラシヤマを疎んじながらも、本心では絶大の信頼を置いている。
能力も実績も確かに優秀なアラシヤマだが、シンタローが彼にそこまでの信頼を置いているのには、心理的な安心感があるからのように見えてならない。
キンタローには、それが不快だった。
「……わかった」
キンタローの呟きに、シンタローは不思議そうな顔をした。
「オレも行く」
「はぁっ!?」
何言ってるんだよ、とシンタローは目を見開いた。
「なんでだよ。大体、オメー、自分の研究は?」
「一日抜けるくらいは問題ない。それに、眼魔砲ならオレも使える」
キンタローは、シンタローの頬にそっと触れた。
「万が一、お前が倒れたときの予備員だ。いいな、オレも行くぞ」
シンタローはしばしキンタローを見つめていた。
が、キンタローの意思が固いことを悟ると、仕方なさそうにサインした書類にキンタローの名前を書き足した。
翌日、キンタローはシンタロー、アラシヤマ、他機関士数名とともに飛行挺に乗り込んだ。
「シンタローはんと二人で任務なんて、戦場も天国になってまいますわ~」
緊急任務で朝から呼び出されたにもかかわらず、アラシヤマは有頂天この上ない浮かれ様だった。
「…いや、その例えはまずいだろう」
「ほっとけョ。そのうちホントに天国に送るつもりだから」
シンタローはアラシヤマのラブコールはすべてスルーして、熱心に現場の地形図を眺めている。
「オラ、着くまでにミーティングすんぞ」
シンタローは地形図を机に広げた。
アラシヤマの顔がさっと真剣な表情になった。
ミーティングの間、シンタローとアラシヤマの呼吸は見事なものだった。
お互いの能力と思考を把握しているからこその流れ。
キンタローはほとんど口を挟むことすらせずに、二人の作戦を聞いていた。
悔しさを感じなくもないが、これが毎度実戦に出ているものと、そうでないものの差だろう。
「…それでだ、キンタロー」
作戦会議が一通り終了すると、シンタローはあらためてキンタローに向き合った。
シンタローの手が、キンタローの肩に置かれる。
「オレなりに色々考えた結果なんだが、お前はやっぱり艦で待機しててくれ」
シンタローの目は真剣だった。
「…オレは予備員だと言っただろう。お前と一緒にいないと意味がない」
キンタローはきっぱりと答えた。
肩に置かれた手を除けようとしたが、それはしっかり固定されていて動かなかった。
シンタローは続けた。
「お前の戦闘能力は、誰よりもこのオレが知ってる。でも、実戦を退いて科学者として生きることを選んだのはお前自身だろう?」
キンタローは、肩に置かれた手にぐっと力が篭るのを感じた。
「お前は団の頭脳だ。お前を失うわけにはいかない」
シンタローの言葉は、キンタローの胸の奥を叩いた。
「血生臭いことは、わてらのが慣れとる。シンタローはんの言う通りにするんがええと思いますえ」
今まで黙って聞いていたアラシヤマが、ふいに口を出した。
「シンタローはんは確かに無理しはるから、あんさんが見てられんなるのもわかりますえ。せやけど、すこぉしシンタローはんを見くびり過ぎや」
見くびる、の言葉に、キンタローはびくりとした。
「こん人が不死身なんは、あんさんかて身を持って知ってますやろ?」
キンタローは無言のまま、何も言い返さずにいた。
…自分はシンタローを見くびっているのだろうか?
いや、違う。
ただ、守りたいと思っただけだ。
「…前線で王を守るのはわてらの仕事や。あんさんは装備で王と兵を守る。見てみぃ」
アラシヤマはテーブルに、身につけていた装備品を並べ出した。
赤外線暗視スコープ、金属レーダー、ビーコン錯乱機、暗号通信機、広範型催涙弾…。
「全部、あんさんが改良したり開発したりしたもんや」
キンタローは、はっとアラシヤマを見つめた。
「…あんさんは、誰よりもシンタローはんを守ってるんや。こればっかりは、わてもかないまへん。だから、わてとしても、あんさんを前線には出しとぉないんどす…」
アラシヤマは少し悔し気な顔をしていた。
そのとき、ピーという電子音が鳴り響いた。
操縦室からの通信がスクリーンに映し出される。
『総帥、目標地点上空に着きました』
機関士のひとりが敬礼をしてそう告げた。
「わかった。作戦を決行する。後のことは指示通りにしろ」
『はっ』
シンタローは通信を切ると、パラシュートを背負ってハッチに向かった。
アラシヤマもその後に続く。
「…待て、シンタロー」
キンタローはシンタローの腕を掴んで呼び止めた。
「せめて、これを持って行け…」
差し出したのは、金属製のリング。
「これは…?」
「生体スキャナーだ。これを腕にしていれば、離れていてもお前の身体の状態を知ることができる」
シンタローはリングを手に取ると、しばし眺めたあと、左腕に嵌めた。
「それでお前の意識の有無や出血量までわかるようになっている。GPS機能も入っているからな。お前に何か…」
むぐ。
続きを言おうとしたキンタローの唇を、シンタローが指でつまんだ。
「全部言わなくてもわあってるよ。お前が出てこなきゃなんねえようなことには絶対ならねえ。約束する」
シンタローはキンタローの唇から手を離すと、開閉ボタンを押してハッチを開いた。
とたんに、猛烈な風が艦内に吹き荒れる。
シンタローはハラハラと手を振って空に飛び出していった。
アラシヤマがすぐ後に続いて飛び降りる。
流れ込む風を受けながら、キンタローは言えなかった言葉を反芻した。
『お前に何かあったら、それがどこであろうと、オレは飛び出して行く』
* * * *
カチコチと時計の進む音が耳に響く。
シンタローが艦を出て、既に5時間が経過していた。
「…シンタロー達からの通信はまだか?」
「…はい」
キンタローは機関士と共にコントロールルームで待機していた。
既に任務終了予定時刻を1時間近く過ぎている。
キンタローは苛々した表情を隠すように額を押さえた。
モニターに映し出されるシンタローの生体スキャンデータには、今のところ異常は出ていない。
しかし、任務中は緊急事態でもないかぎり、艦から前線部隊へ通信を出すことは禁じられている。
「…くそッ…」
キンタローは苛立だしげにテーブルを叩いた。
そのとき。
ピーという不快な機械音が艦内に鳴り響いた。
モニターに描かれるシンタローの生体グラフが異常な形で折れ曲がった。
「…なっ…!?」
「キンタロー様、これは…!?」
グラフが示しているものは、シンタローが意識を失っているということだった。
「今すぐシンタローの位置を確認しろ!!急げ!!」
キンタローの背中に、じわりと汗が沸き上がる。
「しかしっ…、今通信を出しては、この距離では敵に艦の位置を特定される危険が…!!」
「もし特定されたら俺が出る!!いいから早くしろ!!」
シンタローの異常を知らせる高い機械音が、キンタローの不安を増加させていく。
通信士はキンタローの気迫に圧されるように、信号追跡ボタンに手を伸ばした。
そのとき、ピッピッと短い電子音が鳴った。
「あ…アラシヤマさんから通信です!すぐ近くにいます!」
キンタローは通信士から無線を奪い取った。
「アラシヤマ!シンタローはどうした!?」
『…は?別になんもありゃしまへんえ?とりあえず、ロープ降ろしてもらえまへんやろか?』
…どういうことだ?リングが壊れたのか?
いや、まさか。耐久性にはかなり改良を加えたはずだ。
なら、何があった?
キンタローは無線を掴んだまま、しばし立ち尽くした。
無線を聞いていた機艦士が早々とロープを降ろしていく。
しばらくして、後部室でガタンという物音がした。
キンタローは無線を通信士に突き返すと、後部室に飛び込んだ。
「シンタロー!!」
「…大きい声出さんといてくんなはれ。シンタローはんが起きてまう」
シンタローは、アラシヤマに抱きかかえられるようにして、眠っていた。
「…シンタロー?」
「艦の位置を確認して、緊張が解けたんでっしゃろ。スイッチが切れるみたいに眠ってしまいましたわ」
アラシヤマは微笑を浮かべながら、シンタローの髪を梳いた。
「寝ている?…そうか、それで…」
リングは皮膚を通して神経信号を読み取るように設計していた。
人間は眠っているとき、仮死とほぼ変わらない状態になる。
つまり、睡眠状態を意識不明と読み取ってしまったのだ。
「くそ…。俺としたことが」
あまりに初歩的なミスだ。
しかし、己の失敗をふがいなく思いながらも、シンタローの無事に、キンタローは心から安堵した。
シンタローの顔を確かめようと、キンタローは側にしゃがみ込んだ。
そっとシンタローの顔に手を伸ばす。
しかし、アラシヤマがシンタローを引き寄せたため、キンタローの手は空を掻いた。
「…今、わて以外の人が触れたら起きてしまいますえ」
「…え…?」
どういう意味だ?
キンタローが問いただすよりも早く、アラシヤマはシンタローを抱き抱えたまま立ち上がった。
細く見える体のどこにそんな力があるのか。
アラシヤマは、まるでお姫様を抱き上げるように、シンタローを抱えて歩き出した。
「おい、どこへ連れて行く?」
「この艦、仮眠室付いてましたやろ?そこへ寝かせてきますわ」
アラシヤマはそのまま奥の自動ドアに消えた。
シンタローはよっぽど疲れているのか、抱き上げられても起きる気配はなかった。
…アラシヤマ以外が触れると目覚める?一体どんな意味だ?
それほどまでに、自分はシンタローに安心される存在だとでも言うのか!?
苛々した気持ちが再び沸き上がってくる。
キンタローは既に気が付いていた。
この任務についてから、自分を支配している不快な感情。
……これは嫉妬だ。
シンタローの側にいる、アラシヤマに対しての。
そして、この感情がしめすものは…。
キンタローは思わず壁を殴り付けた。
…認めたくない。気付いてはいけない。
シンタローに、恋焦がれているなど。
キンタローは、二度三度と壁を殴り付けた。鉄製の壁に、僅かに血の跡が付く。
「…あ、あの、キンタロー様…」
気が付くと、通信士のひとりがすぐ後ろまで来ていた。
「…なんだ」
キンタローの低い声に、年若い通信士はびくりと竦み上がった。
「…あっ…あの、生体スキャンのスクランブル音が消えないので、まだ問題があるのかと…」
確かに、エンジン音に掻き消されているが、コントロールルームの方からは僅かに不快な機械音が聞こえている。
「ああ、すまなかった。今停める」
通信士は敬礼をしてコントロールルームに戻って行った。
リングはシンタローの腕に付いたままだ。
音を停めるには腕から外さなければ。
キンタローは仮眠室の扉を開けた。
一瞬。
キンタローは自分の目を疑った。
アラシヤマが、ベッドに横たわるシンタローに覆い被さるようにして口付けている。
「…なっ…何をしているっ!?」
キンタローは咄嗟にアラシヤマを掴み上げて引き離した。
アラシヤマはキンタローに首元を掴み上げられたまま、濡れた唇をべろりと舐めた。
「何て…、薬飲ませただけですわ。ホンマ、このお方は働き過ぎやさかい、このまま朝まで眠ってもらお思いましてな」
"薬"の言葉に、キンタローの力が緩んだ。
その隙に、アラシヤマは身を引いて、キンタローの手を外した。
「あんま不粋なことせんといてくんなはれ。嫉妬剥き出してこっちも気分悪ぅなりますわ」
アラシヤマは吐き捨てるように言った。
自分の感情を見透かされている…。
キンタローはカッと顔が赤くなるのを感じて、顔を隠すように俯いた。
俯いた視線の先に、リングを嵌めたシンタローの左手が見える。
シンタローは薬が効いているのか、昏々と眠り続けていた。
アラシヤマは、キンタローの横を摺り抜け、そのままドアに向かっていった。
その足音がドアの前でぴたりと止まる。
「ひとつ、言うておきますけど…」
淡々とした、アラシヤマの声。
「その人に恋するんは、天女に恋するようなもんどすえ」
「……!!」
キンタローは反射的にアラシヤマを振り返った。
「先輩としての、忠告ですわ」
パタンと、アラシヤマはドアを閉めて出て行った。
しんとなった部屋には、規則正しい寝息だけが聞こえる。
アラシヤマは、天女に恋をするようなものだと言った。
手の届かない相手という意味では確かにそうかも知れない。
でも違う。
俺は、この眠れる王を守りたいだけだ。
全身全霊で。
キンタローはベッドの側に膝をつくと、シンタローの左手をとった。
銀色に光るリングをそっと抜き取る。
「…ん…」
シンタローが身じろぎする気配がして、キンタローは手を離した。
シンタローは目を覚ますことなく眠りこけている。
その唇は濡れて光っていた。
さっきの、アラシヤマの口付けがフラッシュバックする。
キンタローはシンタローから抜き取ったリングを強くにぎりしめた。
バキリと鈍い音がして、掌の中でリングが砕けていく。
破片が皮膚に食い込み、血が指の間から零れ落ちていった。
俺は、恋なんてしていない。
なのに、この嵐のような独占欲はなんだというのか!
口付けているのを見た瞬間、沸き上がったのは明らかな殺意だった。
俺は、お前を
守りたいだけだ。
キンタローは、獰猛な獣のような馴らしきれない気持ちを抱えたまま、血に染まったリングを握り潰した。
→ANOTHER_SIDE
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深夜のガンマ団本部。
静まり返った廊下に、ドアを叩く音が響いた。
「シンタロー、入るぞ?」
キンタローが扉を開けると、シンタローが机に突っ伏していた。
「シンタロー!?」
キンタローはデスクに駆け寄った。
声で目が覚めたのか、シンタローがむくりと起き上がる。
「…キンタローか…。悪い、ちょっとウトウトしてた」
「別に、謝ることじゃないだろう」
シンタローは赤い目を擦って、へへへと笑った。
ガンマ団を生まれ変わらせる。
その目的のために、シンタローはどれだけ奔走しているだろう?
シンタローが新総帥に立って約一年。
休暇はおろか、自室で休んでいる姿すら、見掛けることはなかった。
「…お前は働き過ぎだ。少しくらい休んだらどうだ?」
キンタローはシンタローの肩に手を追いた。
シンタローが青い顔で見上げてくる。
「…ありがとナ、キンタロー。でも、ま、今は過渡期だからよ。ここでオレがやらなきゃ、ガンマ団を変えることはできねぇ」
疲れた表情をしているが、意思の強い瞳は変わらない。
…多分、オレが何を言っても聞かないだろう。
そんなにも自分は頼りないのかと、気分が重くなった。
かつては心の底から憎かった相手。
けれど、冷静になった今、あれは強い憧れを含んだ嫉妬ではなかったかと思う。
強さと優しさと矜持。全てを兼ね備えた絶大なるカリスマ。
前総帥であるマジックと血の繋がりがないことがわかっても、マジックや他の団員のシンタローへの信頼は揺らがなかった。
人を魅き付けてやまないその魅力は、ほかでもないシンタロー自身のものだ。
補佐としてシンタローの側にいるうちに、キンタローもそれを理解するようになっていた。
彼を超えたいという気持ちは、今はもうない。
今はただ側にいて、支えになってやりたい。
キンタローはいつしかそう願うようになっていた。
「仕事、後どのくらい残ってるんだ?」
手伝えるものなら手伝ってやろう。
そう思って、キンタローは白衣を脱いでソファに座った。
「ん?急ぎの依頼の采配だけだから、後一時間ってとこだろ」
時計を見ると、既に三時を過ぎている。
これで朝8時の会議に参加するのだから…まったく、ナポレオンにでもなるつもりなのか。
「半分渡せ。依頼の采配なら、俺にも出来るだろう」
采配とは、ここではどの依頼をどの隊、または団員に割り当てるかを決定することを言う。
キンタローは、普段は科学者として開発部に身を置いているが、ガンマ団内の軍備、団員の能力データなどは全て把握している。
「オレが仮に割り当ててから、後でお前がチェックすれば、時間の短縮になるだろう」
シンタローは少し考えていたが、書類の束を一度机で揃えると、半分を分けてキンタローに差し出した。
「サンキュ。助かるよ」
少しだけ笑顔になったシンタローは、やはり疲れた青い顔をしていた。
カチコチと時計の音が響く。
ふと、窓を見ると、夜の色が少しだけ淡くなっていた。
「終わったぞ。シンタロー」
「ん、サンキュ」
シンタローは書類を受け取ると、内容を確認しながら一枚ずつにサインをしていった。
「オッケー、オッケー、これもオッケー…」
さらさらとサインされていく音を聞きながら、キンタローは当然だと思った。
データの正確さならば、シンタローより上だという自信がある。
「あ、こりゃダメだ」
シンタローのサインが止まった。
「何だと!?オレの…いいか、このオレの采配は完全なる総合データを元に最も合理的かつ経済原理に基づいて…」
まくし立てるキンタローを、シンタローは手で制した。
「いや、この采配も解るんだけどよ、ちとウチのリスクが高いんだよ」
その依頼の内容は、ゲリラ軍の武器庫を秘密裏に破壊して欲しいというものだった。
「しかし、破壊工作隊としてはトップクラスを選んだつもりだぞ」
「この武器庫の位置が厄介な場所なんだよ。接近するとこちらが致命傷を負う可能性がある」
「ではどうする?何か策があるのか?」
キンタローが尋ねると、シンタローは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「…多分、これしかねーんだョ…」
シンタローは苦悶の表情のまま、采配表を書き直す。
そこにあった名前は。
アラシヤマ
シンタロー
「…なっ、この程度の仕事に自ら出向く気か!?」
厄介な依頼なのはわかるが、規模としては小さい仕事だ。それを総帥自ら、しかも二人で行うなんて。
「オイ、キンタロー。言っとくがナ、依頼に程度もクソもねーゾ。みんなウチを頼って来てるんだ。どれひとつ手は抜けねーんだョ」
言っていることはわかるが…。
「…なぜお前が出向く必要がある?」
「武器庫の破壊ならアラシヤマの炎があれば、火薬に引火して勝手に爆発する。でも、地理的に敵に知られない位置からはアイツの炎も届かねぇ」
「…それで、お前の眼魔砲で風を導いて炎を飛距離を延ばす、というわけか」
その通り。とシンタローは答えた。
「ほんとはアイツと二人なんて無茶苦茶イヤなんだけどよー…」
ぶつぶつ文句を言いながらも、シンタローは決定のサインを書き込んだ。
その書類の実行予定日を見ると…
「明日じゃないか!!」
正確には日付が変わっているので今日だ。
ああ、とシンタローは軽く流す。
「お前、朝から会議で、そのまま実戦に向かう気か!?」
そうだ、と答えながら、シンタローは他の書類のサインを始めている。
「お前、昨日実戦から戻ったばかりで、そのうえほとんど休んでないだろう!今日だって、今からじゃいくらも休めないじゃないか!オレは反対だ!!」
キンタローの声は、もはや怒号に近かった。
「…まあ、でも」
シンタローは万年筆の後ろでポリポリと頬を掻いた。
「アラシヤマがいっから大丈夫だろ」
なんだかんだ言ってもアイツ強いから。
そんなシンタローの言葉に、キンタローはモヤモヤとした不快な感情が広がって行くのを感じた。
アラシヤマが強いのは事実だ。シンタローは表向きアラシヤマを疎んじながらも、本心では絶大の信頼を置いている。
能力も実績も確かに優秀なアラシヤマだが、シンタローが彼にそこまでの信頼を置いているのには、心理的な安心感があるからのように見えてならない。
キンタローには、それが不快だった。
「……わかった」
キンタローの呟きに、シンタローは不思議そうな顔をした。
「オレも行く」
「はぁっ!?」
何言ってるんだよ、とシンタローは目を見開いた。
「なんでだよ。大体、オメー、自分の研究は?」
「一日抜けるくらいは問題ない。それに、眼魔砲ならオレも使える」
キンタローは、シンタローの頬にそっと触れた。
「万が一、お前が倒れたときの予備員だ。いいな、オレも行くぞ」
シンタローはしばしキンタローを見つめていた。
が、キンタローの意思が固いことを悟ると、仕方なさそうにサインした書類にキンタローの名前を書き足した。
翌日、キンタローはシンタロー、アラシヤマ、他機関士数名とともに飛行挺に乗り込んだ。
「シンタローはんと二人で任務なんて、戦場も天国になってまいますわ~」
緊急任務で朝から呼び出されたにもかかわらず、アラシヤマは有頂天この上ない浮かれ様だった。
「…いや、その例えはまずいだろう」
「ほっとけョ。そのうちホントに天国に送るつもりだから」
シンタローはアラシヤマのラブコールはすべてスルーして、熱心に現場の地形図を眺めている。
「オラ、着くまでにミーティングすんぞ」
シンタローは地形図を机に広げた。
アラシヤマの顔がさっと真剣な表情になった。
ミーティングの間、シンタローとアラシヤマの呼吸は見事なものだった。
お互いの能力と思考を把握しているからこその流れ。
キンタローはほとんど口を挟むことすらせずに、二人の作戦を聞いていた。
悔しさを感じなくもないが、これが毎度実戦に出ているものと、そうでないものの差だろう。
「…それでだ、キンタロー」
作戦会議が一通り終了すると、シンタローはあらためてキンタローに向き合った。
シンタローの手が、キンタローの肩に置かれる。
「オレなりに色々考えた結果なんだが、お前はやっぱり艦で待機しててくれ」
シンタローの目は真剣だった。
「…オレは予備員だと言っただろう。お前と一緒にいないと意味がない」
キンタローはきっぱりと答えた。
肩に置かれた手を除けようとしたが、それはしっかり固定されていて動かなかった。
シンタローは続けた。
「お前の戦闘能力は、誰よりもこのオレが知ってる。でも、実戦を退いて科学者として生きることを選んだのはお前自身だろう?」
キンタローは、肩に置かれた手にぐっと力が篭るのを感じた。
「お前は団の頭脳だ。お前を失うわけにはいかない」
シンタローの言葉は、キンタローの胸の奥を叩いた。
「血生臭いことは、わてらのが慣れとる。シンタローはんの言う通りにするんがええと思いますえ」
今まで黙って聞いていたアラシヤマが、ふいに口を出した。
「シンタローはんは確かに無理しはるから、あんさんが見てられんなるのもわかりますえ。せやけど、すこぉしシンタローはんを見くびり過ぎや」
見くびる、の言葉に、キンタローはびくりとした。
「こん人が不死身なんは、あんさんかて身を持って知ってますやろ?」
キンタローは無言のまま、何も言い返さずにいた。
…自分はシンタローを見くびっているのだろうか?
いや、違う。
ただ、守りたいと思っただけだ。
「…前線で王を守るのはわてらの仕事や。あんさんは装備で王と兵を守る。見てみぃ」
アラシヤマはテーブルに、身につけていた装備品を並べ出した。
赤外線暗視スコープ、金属レーダー、ビーコン錯乱機、暗号通信機、広範型催涙弾…。
「全部、あんさんが改良したり開発したりしたもんや」
キンタローは、はっとアラシヤマを見つめた。
「…あんさんは、誰よりもシンタローはんを守ってるんや。こればっかりは、わてもかないまへん。だから、わてとしても、あんさんを前線には出しとぉないんどす…」
アラシヤマは少し悔し気な顔をしていた。
そのとき、ピーという電子音が鳴り響いた。
操縦室からの通信がスクリーンに映し出される。
『総帥、目標地点上空に着きました』
機関士のひとりが敬礼をしてそう告げた。
「わかった。作戦を決行する。後のことは指示通りにしろ」
『はっ』
シンタローは通信を切ると、パラシュートを背負ってハッチに向かった。
アラシヤマもその後に続く。
「…待て、シンタロー」
キンタローはシンタローの腕を掴んで呼び止めた。
「せめて、これを持って行け…」
差し出したのは、金属製のリング。
「これは…?」
「生体スキャナーだ。これを腕にしていれば、離れていてもお前の身体の状態を知ることができる」
シンタローはリングを手に取ると、しばし眺めたあと、左腕に嵌めた。
「それでお前の意識の有無や出血量までわかるようになっている。GPS機能も入っているからな。お前に何か…」
むぐ。
続きを言おうとしたキンタローの唇を、シンタローが指でつまんだ。
「全部言わなくてもわあってるよ。お前が出てこなきゃなんねえようなことには絶対ならねえ。約束する」
シンタローはキンタローの唇から手を離すと、開閉ボタンを押してハッチを開いた。
とたんに、猛烈な風が艦内に吹き荒れる。
シンタローはハラハラと手を振って空に飛び出していった。
アラシヤマがすぐ後に続いて飛び降りる。
流れ込む風を受けながら、キンタローは言えなかった言葉を反芻した。
『お前に何かあったら、それがどこであろうと、オレは飛び出して行く』
* * * *
カチコチと時計の進む音が耳に響く。
シンタローが艦を出て、既に5時間が経過していた。
「…シンタロー達からの通信はまだか?」
「…はい」
キンタローは機関士と共にコントロールルームで待機していた。
既に任務終了予定時刻を1時間近く過ぎている。
キンタローは苛々した表情を隠すように額を押さえた。
モニターに映し出されるシンタローの生体スキャンデータには、今のところ異常は出ていない。
しかし、任務中は緊急事態でもないかぎり、艦から前線部隊へ通信を出すことは禁じられている。
「…くそッ…」
キンタローは苛立だしげにテーブルを叩いた。
そのとき。
ピーという不快な機械音が艦内に鳴り響いた。
モニターに描かれるシンタローの生体グラフが異常な形で折れ曲がった。
「…なっ…!?」
「キンタロー様、これは…!?」
グラフが示しているものは、シンタローが意識を失っているということだった。
「今すぐシンタローの位置を確認しろ!!急げ!!」
キンタローの背中に、じわりと汗が沸き上がる。
「しかしっ…、今通信を出しては、この距離では敵に艦の位置を特定される危険が…!!」
「もし特定されたら俺が出る!!いいから早くしろ!!」
シンタローの異常を知らせる高い機械音が、キンタローの不安を増加させていく。
通信士はキンタローの気迫に圧されるように、信号追跡ボタンに手を伸ばした。
そのとき、ピッピッと短い電子音が鳴った。
「あ…アラシヤマさんから通信です!すぐ近くにいます!」
キンタローは通信士から無線を奪い取った。
「アラシヤマ!シンタローはどうした!?」
『…は?別になんもありゃしまへんえ?とりあえず、ロープ降ろしてもらえまへんやろか?』
…どういうことだ?リングが壊れたのか?
いや、まさか。耐久性にはかなり改良を加えたはずだ。
なら、何があった?
キンタローは無線を掴んだまま、しばし立ち尽くした。
無線を聞いていた機艦士が早々とロープを降ろしていく。
しばらくして、後部室でガタンという物音がした。
キンタローは無線を通信士に突き返すと、後部室に飛び込んだ。
「シンタロー!!」
「…大きい声出さんといてくんなはれ。シンタローはんが起きてまう」
シンタローは、アラシヤマに抱きかかえられるようにして、眠っていた。
「…シンタロー?」
「艦の位置を確認して、緊張が解けたんでっしゃろ。スイッチが切れるみたいに眠ってしまいましたわ」
アラシヤマは微笑を浮かべながら、シンタローの髪を梳いた。
「寝ている?…そうか、それで…」
リングは皮膚を通して神経信号を読み取るように設計していた。
人間は眠っているとき、仮死とほぼ変わらない状態になる。
つまり、睡眠状態を意識不明と読み取ってしまったのだ。
「くそ…。俺としたことが」
あまりに初歩的なミスだ。
しかし、己の失敗をふがいなく思いながらも、シンタローの無事に、キンタローは心から安堵した。
シンタローの顔を確かめようと、キンタローは側にしゃがみ込んだ。
そっとシンタローの顔に手を伸ばす。
しかし、アラシヤマがシンタローを引き寄せたため、キンタローの手は空を掻いた。
「…今、わて以外の人が触れたら起きてしまいますえ」
「…え…?」
どういう意味だ?
キンタローが問いただすよりも早く、アラシヤマはシンタローを抱き抱えたまま立ち上がった。
細く見える体のどこにそんな力があるのか。
アラシヤマは、まるでお姫様を抱き上げるように、シンタローを抱えて歩き出した。
「おい、どこへ連れて行く?」
「この艦、仮眠室付いてましたやろ?そこへ寝かせてきますわ」
アラシヤマはそのまま奥の自動ドアに消えた。
シンタローはよっぽど疲れているのか、抱き上げられても起きる気配はなかった。
…アラシヤマ以外が触れると目覚める?一体どんな意味だ?
それほどまでに、自分はシンタローに安心される存在だとでも言うのか!?
苛々した気持ちが再び沸き上がってくる。
キンタローは既に気が付いていた。
この任務についてから、自分を支配している不快な感情。
……これは嫉妬だ。
シンタローの側にいる、アラシヤマに対しての。
そして、この感情がしめすものは…。
キンタローは思わず壁を殴り付けた。
…認めたくない。気付いてはいけない。
シンタローに、恋焦がれているなど。
キンタローは、二度三度と壁を殴り付けた。鉄製の壁に、僅かに血の跡が付く。
「…あ、あの、キンタロー様…」
気が付くと、通信士のひとりがすぐ後ろまで来ていた。
「…なんだ」
キンタローの低い声に、年若い通信士はびくりと竦み上がった。
「…あっ…あの、生体スキャンのスクランブル音が消えないので、まだ問題があるのかと…」
確かに、エンジン音に掻き消されているが、コントロールルームの方からは僅かに不快な機械音が聞こえている。
「ああ、すまなかった。今停める」
通信士は敬礼をしてコントロールルームに戻って行った。
リングはシンタローの腕に付いたままだ。
音を停めるには腕から外さなければ。
キンタローは仮眠室の扉を開けた。
一瞬。
キンタローは自分の目を疑った。
アラシヤマが、ベッドに横たわるシンタローに覆い被さるようにして口付けている。
「…なっ…何をしているっ!?」
キンタローは咄嗟にアラシヤマを掴み上げて引き離した。
アラシヤマはキンタローに首元を掴み上げられたまま、濡れた唇をべろりと舐めた。
「何て…、薬飲ませただけですわ。ホンマ、このお方は働き過ぎやさかい、このまま朝まで眠ってもらお思いましてな」
"薬"の言葉に、キンタローの力が緩んだ。
その隙に、アラシヤマは身を引いて、キンタローの手を外した。
「あんま不粋なことせんといてくんなはれ。嫉妬剥き出してこっちも気分悪ぅなりますわ」
アラシヤマは吐き捨てるように言った。
自分の感情を見透かされている…。
キンタローはカッと顔が赤くなるのを感じて、顔を隠すように俯いた。
俯いた視線の先に、リングを嵌めたシンタローの左手が見える。
シンタローは薬が効いているのか、昏々と眠り続けていた。
アラシヤマは、キンタローの横を摺り抜け、そのままドアに向かっていった。
その足音がドアの前でぴたりと止まる。
「ひとつ、言うておきますけど…」
淡々とした、アラシヤマの声。
「その人に恋するんは、天女に恋するようなもんどすえ」
「……!!」
キンタローは反射的にアラシヤマを振り返った。
「先輩としての、忠告ですわ」
パタンと、アラシヤマはドアを閉めて出て行った。
しんとなった部屋には、規則正しい寝息だけが聞こえる。
アラシヤマは、天女に恋をするようなものだと言った。
手の届かない相手という意味では確かにそうかも知れない。
でも違う。
俺は、この眠れる王を守りたいだけだ。
全身全霊で。
キンタローはベッドの側に膝をつくと、シンタローの左手をとった。
銀色に光るリングをそっと抜き取る。
「…ん…」
シンタローが身じろぎする気配がして、キンタローは手を離した。
シンタローは目を覚ますことなく眠りこけている。
その唇は濡れて光っていた。
さっきの、アラシヤマの口付けがフラッシュバックする。
キンタローはシンタローから抜き取ったリングを強くにぎりしめた。
バキリと鈍い音がして、掌の中でリングが砕けていく。
破片が皮膚に食い込み、血が指の間から零れ落ちていった。
俺は、恋なんてしていない。
なのに、この嵐のような独占欲はなんだというのか!
口付けているのを見た瞬間、沸き上がったのは明らかな殺意だった。
俺は、お前を
守りたいだけだ。
キンタローは、獰猛な獣のような馴らしきれない気持ちを抱えたまま、血に染まったリングを握り潰した。
→ANOTHER_SIDE
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