作・渡井
Lovesize Theater
さっきから横でリキッドがティッシュを握り締めている。
時には大粒の涙までこぼしながら、ぼろぼろ泣いている。
はっきり言って、うっとおしいことこのうえない。
多忙を極めるシンタローを心配して、従兄弟でもある補佐官が2日間の休みをくれた。
特に出かける必要もないし、キンタローのお気遣いを無にするのも悪い。ここは思い切りだらけた休日を満喫してやろうとシンタローは決めた。
夕食後、リキッドがソファーをTVの前に動かしていたから理由を訊ねたら、映画を借りてきたという答えが返ってきた。
―――今夜はのんびり出来るんだし、映画鑑賞しましょう!
気になっていたロードショーが行く暇のないまま終わってしまい、シンタローが残念そうな顔をしていたのを覚えていたのだろう。
珍しく気の利く家政夫の明るい笑顔にほだされて、ソファーに座り込んだのが間違いだった。
シンタローが好きなのはド派手なアクションものや緻密に計算されたサスペンス映画であって断じて、―――いま目の前で流れているような純愛ストーリーではないのだ!
「か、かわいそう…」
不治の病にかかったヒロインが切々と想いを告げている。
鼻をぐずぐず言わせる乙女なヤンキーからなるべく遠く離れて、シンタローは痛み始めた頭を押さえた。
なぜこんなありがちなラブロマンスに感情移入できるのか、理解に苦しむ。
(しかも泣くか、フツー)
特戦部隊に在籍していたこともある、20歳を過ぎた立派な成人男子が。
「ああっそいつを信じちゃ駄目!」
今にもバレそうな嘘をつく頭の悪いライバルと、それにころりと騙されるような間抜けな恋人同士の話に。
「早く電話に出ろよー!」
声に出して応援するほどのめりこむというのは、いかがなものだろうか。
ソファーの端に座り直して、シンタローは欠伸をこらえた。
背が低く落ち着いた深い真紅のソファーは、周りのアジアン家具ともしっくり馴染んでいる。
たまたま立ち寄った店で一目ぼれして買ったのだが、シンタローもリキッドも大柄なので並んで座るには少し狭い。
特にこういう、出来るだけ距離を置きたいときは。
「うっ、うっ…」
泣き声につられて画面を見ると、ようやく誤解に気づいた男が女の臨終に間に合ったところだった。さっきまで呼吸もまともに出来なかったはずの女が、長々と愛の言葉を囁いている。
「ずっと入院してるのに何で完璧に化粧してんだよ」
「なに言ってんすか、お、俺だってシンタローさんに何かあったら…っ」
「勝手に殺すな」
もしかしてこのヒロインに自分を重ねて観ているのだろうか。部屋の中は暖かいが、シンタローの心中は永久凍土と化している。
あと10分でも続いたら俺は1人で寝るぞ、と決意をしたときようやくエンドロールが流れ始めた。
「面白かったっすね」
俺は面白くねえ。
「泣けましたよねー」
だから俺は泣いてねえ。
嬉々としてDVDを取り替えているリキッドに、嫌な予感がした。
「おい、まだ観るのか?」
「だってまだこんな時間ですよ。もう1本行けますよ」
「まさかそれもさっきみたいな…」
「や、全然違います。いろんなジャンルの方が楽しめるかなって」
その言葉に安心して立ち上がらなかったのが、今夜2度目の間違いだった。
不気味な音楽。
突然、窓に張り付く手のひら。
シャワーを浴びかけたまま恐怖に凍るヒロイン。鏡に映る影。
「あの、シンタローさん」
「なんだよっ!」
リキッドの視線を避けて、ことさら画面を見つめてしまう。
やべえ、見たくねえ。
「あの…怖いんすか?」
「んな訳ねーだろ!」
こんなの、ただの作りもんじゃねえか。
泣く子も黙るガンマ団総帥がホラー映画が怖いなんて、ありえない。
さっきまで端に座っていたのが、肩が触れ合うほど傍にいるのは偶然だ。ついでにリキッドの服の裾をしっかり掴んでいるのもたまたまである。
画面の中の浴槽では、長い黒髪から落ちる滴が波紋を広げている。
―――先に風呂に入っておけば良かった。
「ねえシンタローさん、俺思ったんすけど」
「ああ!?」
思わず声が裏返ったのは、急に声をかけられて驚いたからだ。
いきなり青白い顔の女がアップで映ったからではない。絶対にない。
「こうやってくっついて座ってると」
きゅっと手を握りこまれて、安心するなんて思わない。
「このソファー、案外狭くないですね」
とりあえず殴りつけた後で、シンタローはどうやって年下の恋人を丸め込んで一緒に風呂に入らせるか、真剣に悩み始めた。
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毎度のことながら、捏造し倒しております。
そうだったら可愛いなあ、と。
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作・斯波
「ただいま。これ、今月分」
玄関を開けたリキッドに、一枚の袋が手渡される。
「御苦労様っす!」
リキッドはにこりと笑ってそれを額のところで押し戴いた。
そう―――本日は給料日なのである。
笑って、ダーリン
風呂から上がってきたシンタローがタオルで髪を拭きながら座る頃には、テーブルの上にリキッドの心尽くしの料理が並んでいる。
今日の夕食は秋鮭の蒸し焼きと茸と小松菜のお浸し、それに具沢山の味噌汁。
鼻歌を歌いながらご飯をよそっている家政夫に思わず苦笑する。
「おまえ、給料日になるとやたら機嫌いいな」
「そりゃそーですよ! なーんかね、ちょっと贅沢なご飯にしようかなって思いますもん」
「これが贅沢な飯か?」
「あっ今馬鹿にしたでしょ! 秋鮭はまだ走りなんですからね、凄く高いんですよ!? 猛暑のせいで葉物野菜も高騰してるし米だって今年は不作で」
「分かった分かった、日々の遣り繰り御苦労さん」
これが超高給を誇るガンマ団総帥の家の食卓で交わされる会話だろうか。
だけどほっぺたを膨らませるリキッドが何とも可愛かったので、シンタローはそれ以上逆らわないでやることにした。
いただきます、と律儀に手を合わせて食べ始めるシンタローを見てリキッドも微笑む。
アジアン家具で統一されたリビングダイニングの一隅には、この部屋に似合っているんだか似合っていないんだか分からない神棚があった。
それはいつでも危険と隣り合わせなシンタローのためにリキッドが作ったもので、インテリアにはうるさいシンタローもリキッドの心情を察したのか文句は言わなかった。
今その神棚には、さっきシンタローが持ち帰った給料明細が供えられている。
もともとガンマ団は仕事の性質もあって給料はいい。そのトップを務めるシンタローであれば、特戦部隊の平隊員だったリキッドにとってはまさに天文学的な数字の高給を持って帰ってくる。
一緒に暮らしはじめた頃はその事に劣等感も持っていた。
それが原因で喧嘩してしまった事もある。
(あの時はもう、駄目かと思ったもんなあ・・・)
『喧嘩しても勝手には飛び出さない』という約束をあっさり反古にして飛び出していったシンタローを思い出すと今でも苦笑がこみあげてくる。
結局シンタローはリキッドの迎えを期待してアラシヤマのアパートに転がり込んでいたのだが、しっかり手を握りあってここに帰ってきたことはリキッドの中で暖かい記憶になっていた。
シンタローも同じことを思い出していたらしい。
「そういや最近は拗ねたことを言わなくなったじゃん、家政夫」
味噌汁に七味を振りながらからかうように言われ、リキッドはちょっと笑った。
「全然気にならないって訳じゃないです。俺だって男だから自分の力で稼ぎたいし」
「そうなの?」
ついと立ち上がってお茶を淹れるリキッドをシンタローの視線が追う。
「でも、そんなつまんない事にこだわんのはもう止めようと思って」
「・・・」
「特戦やってた頃も楽しかったけど、俺にはやっぱ家政夫の方が向いてるし」
大ぶりの湯呑みにたっぷり淹れた焙じ茶をシンタローの前に置く。
「シンタローさんのために家事やってる時が、一番俺、幸せですから。―――」
それは余りにもさらりとこぼれた言葉だったので、自分でも何を言ったか分かっていないようだった。そのまま自分の茶も淹れてシンタローの向かいに腰を下ろす。
「ねえシンタローさん、俺ちょっとは料理上手くなりました?」
屈託無い笑顔を、シンタローは黙って凝視めた。
「あー、だしの取り方はまだまだですかね」
「・・・四、五十万」
「けど今日の味噌汁は我ながら結構イケると―――え?」
「フルタイムで家政婦雇ったら一ヶ月にそんくらいかかるって」
「シンタローさん・・・」
「一流企業の管理職の月給くらいは軽く稼ぐくらいの働きを、おまえはしてんだよ」
リキッドは暫くぽかんとしていた。首筋から、ゆっくりと血の気が昇ってゆく。
それを隠すように慌てて飯茶碗を取り上げ、うろうろと食卓を見回す。
「箸、箸がない」
「左手に持ってんじゃねえか」
「あ・・・そっか」
おかしなくらい狼狽えながら箸を右手に持ちかえ、それからそうっと顔を上げた。
「あの、シンタローさん」
―――・・・ありがとう、ございま・・す。
消え入るような呟きのお返しは、金色の頭をぽんぽんと叩いてくれる温かい手だった。
「そういうことだから」
「ハイ・・」
「だしの取り方も上手くなったみてえだし」
「えっ? マジっすか?」
甲斐性のある奥様はニヤリと笑った。
「今日の味噌汁は、九十五点かな」
リキッドの眼がぱっと輝く。
「シンタローさ―――」
「目ェキラキラさせんな、ウザイ。それよりお代わり」
「はいっv!」
窓の外では、リキッドの笑顔と張り合うように秋の満月が煌々と輝いていた。
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ちなみに裏設定では、家計の半分が奥様の小遣いです。
やりくり頑張れ家政夫。
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作・渡井
キ ラ キ ラ
「うるせえ! だいたい何だってテメーにそんなこと言われなきゃなんねーんだよ!」
「ちょっ…そんな言い方ないでしょ!」
「知るか!」
シンタローが叩きつけるように扉を閉めた。もう少しで顔を挟みかけて、リキッドは深いため息をついた。
分厚い扉を通しても聞こえる荒い足音に、追いかける気力も失せる。
(何で喧嘩になっちゃったんだっけ?)
きっかけは些細な、本当に些細なことだったのに。
シンタローと一緒に暮らし始めた頃は、自分の幸せが信じられなかった。
考え事をしているときは、唇を人差し指で撫でること。
爪を切るのは、風呂上りじゃないと絶対に駄目なこと。
夜遅く帰ってくると、寝ている自分に気を遣って静かに入ってくること。
日々を送る中で見つけたシンタローの癖や行動の一つ一つが新鮮で、そのたびに彼をもっと好きになっていった。
あの頃は毎日がキラキラしていたのだ。
(なのに、何でかなぁ)
喧嘩に紛れて途中になっていた皿洗いを再開しながら、リキッドはまたため息をついた。
シンタローはリキッドのことを、あまり名前で呼ばない。日常生活ではたいてい「ヤンキー」または「家政夫」、それも面倒になると「お前」と化す。
慣れているつもりだった。呼んで欲しいときにはちゃんと名前で呼んでくれたし、さっきまでヤンキー呼ばわりだったのが不意打ちで「リキッド」と言われる喜びは、何にも変えがたかった。
なのに今日に限って、家政夫、という一言にかちんと来た。
「あんのイタリア人…!」
皿を拭きながら元同僚を呪ってみた。
先日、買い物帰りに偶然ロッドに会った。以前は同じ職場で働いていた彼は、いつものように上司の横暴ぶりを陽気に嘆いていた。
何でもまた部下の給料を勝手に競馬につぎ込んで、綺麗にすってしまったらしい。変わらないなあ、と苦笑していると、ロッドが何気なく言った。
―――いいよねリッちゃんは。奥様が超高給取りだから。
悪気がないのは分かっている。どんなに後輩苛めに熱を上げていても、頼れる先輩だった。本当に傷つけるようなことをする人じゃない。
けれど、リキッドのなけなしのプライドは、ずきずきとその言葉を迎えた。
(それって、男としてどうなの?)
確かにシンタローは、薄給に泣いていたリキッドからすれば信じられないような金額を持ち帰ってくる。
甲斐性のない自分が情けなくなっていた時だから、普段なら何とも思わない言葉に声を荒げてしまった。そうなると俺様なシンタローが引くはずもなく、意地が意地を呼んで言い争いになって、結局このざまだ。
本部にはまだシンタローの自室がある。出て行ったところで彼は何も困らない。むしろ通勤の手間が省ける上に、本部には最愛の弟や、同い年の従兄弟や、何だかんだ言って大事な父親がいるのだ。このまま帰らなくても何の不思議もない―――。
(…あ、やべ、泣きそう)
リビングの壁にもたれたまま、ずるずると床に座り込んだ。テーブルにはシンタローが飲みかけていたコーヒーが、すっかり冷めて置かれている。
見ていられなくて、目を逸らした。
逃げ場を作りたくないなんて格好つけてみたところで、部屋を一歩出れば簡単に距離は開く。
あんなに幸せだったのに。魔法をかけられたみたいな毎日だったのに。
このまま本当に夢に終わってしまうんだろうか。
『魔法が解けた王子様は、本当の姿に戻りました―――』
あれは、何の童話の台詞だったっけ。
あの人の本当の姿は、俺には手の届かない高嶺の花。
「うわっ!」
電話の音で、ぼやけかけた視界が急にクリアになった。慌てて走ったらテーブルの角に足をぶつけた。
「もっもしもし!?」
『遅いわヤンキー』
思わず30センチ、耳から電話を離した。不機嫌そうに呼びかける声に、渋々元に戻す。
「何だよアラシヤマ、今ちょっと忙しいんだけど」
『よう言うわ、どうせシンタローはんが出てって茫然自失しとったんやろ』
「…何でお前が知ってんの」
『さっきシンタローはんがうちに来はったから』
―――アラシヤマの家に?
そういえばアラシヤマは本部の近くにアパートを借りていた。友達のいない根暗な幹部は遊びに来てくれとしつこく、最後には師匠のマーカーまで担ぎ出されて、仕方なくシンタローと一緒に行ったことがある。
『少しは頭を使いよし。あんさんの首に乗っかってるんは中身のないカボチャどすか?』
「人をジャック・オ・ランタンみてーに言うな」
『あんさん、ミヤギはんやトットリはんの家を知ったはるの?』
「いや、知らないけど…」
『本部にはマジック様がおいでやし』
「だからそれが何なんだよ」
『知らん場所や本部におったら、あんさんが迎えに来られへんからやんか』
『…もしもし? 聞いとんかカボチャ』
しばらくの沈黙を経て念を押され、取り落としかけた電話を支え直して、リキッドはぼんやりと返事をした。
『ヤンキーが来ても通すな、て3回も言われましたわ。キンタローが2回同じこと言うただけで“うぜェ”って叫んではるのに』
「…うん」
『わてもこの後、師匠と約束があるんどす。早よ迎えに来てや』
「…うん」
『あのなあ、リキッド』
一瞬の間を置いてから、アラシヤマは思いもかけないほど優しい声で言った。
―――あんな可愛らしいお人、泣かしたらあきまへんえ。
今度こそ勢い良く返事して、リキッドは鍵を引っつかんだ。
一緒に暮らして、嫌なことだってたくさんあって、現実が見えてくる。
それでも2人でいたいと思ったとき、初めて本当の夢が始まる。
魔法が解けたあの人の姿は、来たって会わないと何度も言いながら自分を待っている、強気で意地っ張りな可愛い人だった。
彼を泣かすことこそ、いま迎えに行かないことこそ、
(男がすたるってもんだ!)
記憶にある道を走りながら、緩む頬を抑えきれない。
アラシヤマの家の扉は何の変哲もない普通の扉で、なのにキラキラと光って見えて、リキッドは意気揚々とノックした。
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何だかどんどん登場人物が増えて…
いや、リキシンと愉快な仲間たちが書きたかったのだから
良いのだけれど。
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作・斯波
初めて解る
相手のことってたくさんある
初めて解る自分の気持ちも
DAY BY DAY
六時、目覚ましが鳴って俺は眼を覚ます。
隣で眠っているシンタローさんが起きるのはその一時間後。
一緒に暮らすようになって初めて知った。
この年上の恋人は意外と、朝が弱い。
「シンタローさん、朝ですよ!」
七時十五分前、俺はシンタローさんをそっと揺り起こす。
枕の上に長い黒髪を乱して眠っているシンタローさんはうーん・・と唸ってシーツの奥へ奥へと潜り込んでいってしまう。
その様はものすごく可愛くていつまでも見ていたいくらいだけど、そういう訳にはいかない。
「遅刻したらキンタローさんに叱られますよー?」
わざと耳許で言ってやると僅かに眉をしかめる。俺は眼を覚まさないシンタローさんのさらさらの髪をすくいあげて、おでことほっぺに唇を押しあてた。
(だって今だけなんだし)
覚醒している時はいつでも超俺様のこの人が無防備に俺の手を受け入れるのは、夢と現の間を彷徨っているこんな時だけだ。
「シンタローさん、起きないと悪戯しちゃいますよー?」
半分冗談、半分本気で言った言葉がやっと脳に届いたらしい。
温かい首筋に顔を埋めている俺の頭の上に拳骨が落ちてきた。
時計の針は午前七時ちょうどを指している。
「今日は仕事、普通に終わりそうですか?」
「ん―――・・・」
俺はたんこぶが出来た頭をさすりながらお茶を淹れていた。
今朝の味噌汁は豆腐と油揚げ。ちりめんじゃこに冷たい大根おろしをかけながら、シンタローさんは一生懸命今日のスケジュールを思い出そうとしている。
シンタローさんが和食党だって知ったのも、一緒に暮らし始めてからのこと。
引っ越してきた次の朝パンを焼いてる俺に、何だか困ったような顔で言ったのだ。
―――なあ、明日はご飯にしてくれねェ?
それから慌てて、勿論それも美味そうだけど、と付け加えた顔はちょっと赤くなっていて、俺は何となく胸の奥が暖かくなったような気がした。
(・・・意外と気を使う人なんだなあ)
次の日から俺は、朝は一時間早く起きてご飯を炊くことにしたのだった。
「夕方から会議が入ってたから・・・たぶん、遅くなる・・」
箸の動きが遅いのはまだ完全に目覚めていないからなんだろう。
普段人を睨み殺しそうな漆黒の眼には、まだぼんやり霞がかかっている。
「分かりました。何か食いたいもの、あります?」
「鯖の味噌煮」
今度の答えは早い。
職場から連絡がない限り、どんなに帰りが遅くなっても俺はシンタローさんの夕食を用意することにしていた。引っ越してきた最初の晩に、シンタローさんと約束したからだ。
1.喧嘩しても勝手に飛び出したりしない。
2.どんなに嫌な事があった日でも、夜は一緒のベッドで眠る。
3.ご飯は出来るだけ一緒に食べる。
この人の背中は広いけど、それでも世界を相手に戦うには背負っているものが重すぎる。
時には泣きたくなることや、疲れて何もかもを投げ出したくなることだってあるだろう。
そんな時、うちで待ってる俺のことを思いだして少しでもほっとしてくれればいい。
そのためにいつでも俺は笑っていたい。
そしていつでも笑っていて欲しいから、今日もシンタローさんの好きなものを作ろうと思う。
「あれさあ、味噌を加えて煮る時に、練り胡麻入れると美味いんだぜ」
「え、そうなんすか?」
「簡単にコクが出るからさ、おまえもやってみ」
「分かりました。じゃあそれに挑戦してみます」
「うん。楽しみにしてっから」
「あ、お迎えが来てますよ」
エントランスには黒塗りの車がもう止まっていて、総帥が下りてくるのを待っている。
「もうそんな時間か。じゃあ行ってくる」
「行ってらっしゃい」
玄関で見送る俺の前で靴を履いて、シンタローさんはひょいと振り向いた。
「ああ、忘れるとこだった」
「え?」
「―――朝ごはん、御馳走様でした」
きょとんとする間もなく落ちてきたのは、柔らかくて温かい唇だった。
暫く俺は呆然としていた。
やっと正気に戻ったのは、シンタローさんがニッと笑って風のように出て行ってから十分ほども経ってからのことだった。一気に顔が赤くなる。
「ひょっとして俺たちって・・バカップルって奴―――!?」
(あなたのことを知れば知るほど好きになる)
また新しい一日が、始まろうとしていた。
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リキシンはこれからどうなるか考えるとちょっと寂しくなるので、
せめてパラレルでは恒久的なリキシンの幸せを追求してみたいです。
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作・渡井
ラズベリー・ラプソディ
面白くない。
「じゃあコタロー、寝る前にはちゃんと歯を磨くんだぞ」
おにいちゃんは膝に手をつき、僕と目線を合わせて笑う。
横ではキンタローおにいちゃんがファイルをきっちりと揃えている。今日のお仕事は終わりみたいだ。
「明日は朝から会議が入っている。遅れるなよ」
「はーいはいはい」
ひらひらと手を振って、おにいちゃんは廊下へと消えていく。
と思ったら、扉の向こうで何だか破壊音がした。しばらくしてから「うるせえバカ親父!」というおにいちゃんの怒鳴り声が聞こえてくる。
ああ、またパパと喧嘩してる。
「だって酷いよ、勝手にお嫁に行っちゃうなんて!」
「テメー頭わいてんのか!?」
キンタローおにいちゃんがため息をついて、仲裁に出て行った。
ほんと、面白くないよ。
前まで、今日みたいにお仕事が早く終わった日は、おにいちゃんがご飯を作ってくれた。
寝る前は本も読んでくれた。
どんなに忙しくても、うちに帰ればいつだって僕がおにいちゃんの一番だったんだ。
なのに今では、おにいちゃんは車に乗って行ってしまう。家政夫が待ってる部屋が、おにいちゃんの帰るとこになってしまった、らしい。
だからこうやって僕がおにいちゃんに会いに来るんだけど―――そんなに急いで行かなきゃ駄目なのかな。
家政夫は僕の友達だけど、アイツにおにいちゃんはもったいない。
てか、生意気。
「あはは、向こうも同じこと思ってるよ、きっと」
グンマおにいちゃんがパフェのミントの葉をよけながら笑った。
今日はパパもキンタローおにいちゃんも用事があるから、グンマおにいちゃんと2人でご飯だ。どうせならって近くのファミレスでハンバーグを食べた。
外食は楽しいけど、おにいちゃんが作ってくれた方が絶対に美味しい。
「だって釣り合ってないよ。何で僕のおにいちゃんをあげなきゃいけないのさ」
にこにこしてるグンマおにいちゃんに噛み付いてやった。
グンマおにいちゃんもキンタローおにいちゃんも、僕に負けないくらいおにいちゃんが好きなくせに、2人はなぜかとっても協力的だった。
おんおん泣くパパを毎日のように宥めてるのはグンマおにいちゃんだし、キンタローおにいちゃんはお引越しの手伝いまでしてた。
「まあまあ、コタローちゃんもパフェ食べようよ。ラズベリーが美味しいよ」
「凍ってるよ」
「それが口の中で溶けるのが美味しいんだって」
すごく嬉しそうに教えてくれて、僕は渋々ラズベリーを口に入れる。
あ、本当に美味しい。
「ここのパフェ、よく食べに来るんだ」
そういえばグンマおにいちゃんは甘いお菓子が大好きなんだった。よくおにいちゃんが呆れてたっけ。
「コタローちゃんと食べに来ようって思ってたんだよ」
「そうなの?」
おにいちゃんとグンマおにいちゃんとキンタローおにいちゃんは同い年で、僕だけずっと年下だ。話題も毎日の過ごし方も全然違うから、ときどきちょっと寂しくなることがある。
だけどみんな、いつでも僕のこと気にかけてるって、こんな風に何気なく伝えてくれるんだ。
こういうときは1人だけちみっ子なのも悪くないかなぁと思う。
「コタローちゃんが嬉しそうだと、僕も嬉しくなるんだよ。だから美味しいものを食べたら一緒に食べようって思うんだ」
ああ…それは、目の前の光景を見たら分かるよ。
グンマおにいちゃん、甘いものを食べてるときすごく幸せそうだもん。
「僕もグンマおにいちゃんが嬉しいと嬉しいよ」
見てるこっちまで幸せな気分になる。
少し驚いた顔になって、それからグンマおにいちゃんはにっこりと笑った。
「それと一緒だよ。僕とキンちゃんが、お引越しに賛成な理由は」
「…知ってたの?」
「だってコタローちゃん、最近ずっと拗ねてたから」
赤ちゃんみたいに言わないで。恥ずかしいよ。
おにいちゃんが引っ越してから、僕はそんなに分かりやすく機嫌が悪かったのか。もしかしてハンバーグとパフェは、慰めてくれてたのかな。
「おにいちゃんは、家政夫といて嬉しいの?」
「だと思うよ」
「だからグンマおにいちゃんとキンタローおにいちゃんも嬉しいの?」
うん、と大きく頷いてグンマおにいちゃんは最後のラズベリーを口に入れた。
「ご馳走様。もーおなかいっぱい」
そう言いながらお腹を撫でる仕草は満足そうで、僕は思わず声に出して笑った。
ファミレスからの帰り道、僕はグンマおにいちゃんと手を繋いで歩いた。
僕はグンマおにいちゃんが好きだし、キンタローおにいちゃんが好きだ。パパも、サービス叔父さんも、ハーレム叔父さんも好き。
そしておにいちゃんが大好き。
面白くないけど、家政夫といておにいちゃんが嬉しいなら、それもいいや。
だけどまだまだ釣り合うなんて思ってないからね。
うんと大切にして、幸せにして、いっぱい嬉しい思い出を作って。
―――そしたらシンタローおにいちゃんとのこと認めたげてもいいよ、リキッド。
明日は僕がパパを宥めてあげようかな?
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修業前のイメージです。
コタローもかなりのブラコンだと嬉しい。
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