外は暗闇に包まれていた。いつもなら夜闇に散りばめられた宝石のように輝く月や星が空に姿を見せない。分厚い雲に隠れているのだろう。自然の光源は一切見つからず、ただ暗い闇が無限に広がっているように見えた。
キンタローはベッドに横たわりながら、暗闇以外何も見えない窓の外を眺めていた。ベッドサイドに置かれた病人食は手をつけられることもなく、とうに冷めてしまっている。
『こんなところで寝ている場合ではないのだが…』
薬のおかげで熱はすっかり下がったようであった。更に、点滴を打たれたおかげか体も幾分軽くなったような気がする。早朝に味わった苦痛は何処へ行ったのやら、思わず苦笑がもれるほど回復をしていた。結構なことである。
ただ、沈んだ気持ちだけは薬でどうすることも出来ず、いまだに暗い気分なキンタローであった。傍にあるデジタル時計に目をやると、夜の八時を回ったところである。
『シンタローはまだ仕事だな…』
こんなところで倒れているようでは全然役に立っていない。自己嫌悪などとっくに通り越して、憎くすら思えた。キンタローにとって役に立てない自分は、シンタローの傍に居る意味がないのだ。
キンタローは重い溜息を一つ吐いた。
途端に、部屋の電気が付いて驚く。いきなり明るくなった部屋に、眩しさで青い眼が細められた。
「お前って何か考えごとしてると、こんなに近くに俺が来ても気付かないのな」
まだ仕事をしているだろうと思っていた半身がベッドルームの入口に立っていた。それにも驚いたキンタローだ。
「シンタロー…何故こんな時間に…」
「ん?来ちゃ迷惑だった?」
「いや…お前ならいつでも歓迎だ」
真面目な顔をしてそう言うキンタローにシンタローはイタズラじみた笑みを浮かべる。
「じゃぁ、浮気の最中でも堂々と入ってってやるヨ」
「……俺は浮気などしたことない」
「冗談だって」
シンタローはそう言って笑いながら部屋の中へ入ってきた。
キンタローは己を心配してきてくれた半身を嬉しく思い、上半身を起こす。それからベッドから降りようとして、シンタローが慌てて制した。キンタローは不満げな顔を向ける。
「んな顔すんなって。いーから寝てろヨ」
そう言ってキンタローをベッドの中に押し込めると、己はその端に腰を掛けた。
納得いかないキンタローはシンタローに向かって抗議の意味を込めて手を伸ばした。シンタローはその手を掴むとしっかりと握り返す。すると、手を繋がれたことに気を良くしたのか、それともその手の温もりに安心したのか、キンタローは大人しくなった。そんな半身の様子に、シンタローはクスリと笑う。
「現金なヤツ。まだ熱あんのか?」
「もう下がったと思うが…」
「でも何か手が熱い」
「先程まで寝ていたからだろう…」
握りしめた手を離さないでいてくれるシンタローに、キンタローは己のささくれ立った心が落ち着きを取り戻していくのがよく判った。これでは現金なヤツと言われても仕方がない。
キンタローは心の中で『役に立たない』ということは『いらない』ということだと思い込んでいた。だが、こうやってシンタローが傍にいてくれるとその思考を否定してくれているように思えて気持ちが軽くなっていく。随分と己を卑下していたようであった。半身が傍にいてくれることが純粋に嬉しい。
シンタローは繋いだ手はそのままに、もう一方の空いた手でキンタローの額に触れて熱を確かめた。キンタローが言ったとおり熱はきちんと下がっているようである。それから金色の髪に触れる。シンタローは暫く頭を撫でていた。キンタローはその手の心地よさに目を閉じ、されるがまま大人しくベッドで横になっている。
「キンタロー…気付かなくてゴメンな…」
静かで穏やかな時間が流れていたがのだが、突然、シンタローが一言ポツリともらした。その台詞に今まで閉じられていたキンタローの双眸が開く。青い眼が疑問を顕わにしてシンタローを見つめた。何故ここで謝られるのか全く判らないからだ。
「お前を倒れさせたからサ…」
「俺が勝手に倒れたんだ、お前が謝ることなどどこにもない…」
「あるんだよ。一番傍にいたつもりなのに…全然お前のこと判ってなかった」
そう言ってもう一度「ゴメン」と謝って頭を下げるシンタローに、キンタローは胸が苦しくなった。
「お前は何も悪くないのに謝るのは止めてくれ、シンタロー…」
勝手に悩んでオーバーヒートしたのは自分の所為だとキンタローは判っている。シンタローが悪いわけではないのだから、謝罪の言葉が胸に突き刺さる。自分のことで責任など感じてほしくないのだ。
「でも、お前…何か上手くいかないこと抱えて悩んでただろ?」
シンタローのその台詞に、キンタローは驚き目を見開いた。言い当てられたことに心底驚いたのだ。自分の胸の内を話したことはなかったはずである。
「俺も上手くいかないことがあると、無茶やらかすからさ…。お前はそれに気付いてちゃんと止めてくれるのに、俺は出来なかった。結果、お前は今ベッドで寝ている羽目になっちまって…」
「俺はお前に何もしていない。それに、俺が今ここで寝ているのは自業自得なはずだ…」
何故いきなり高熱を出して倒れる羽目になったのか、キンタローは己の事ながら原因が皆目検討つかなかった。だが、シンタローが原因でないことぐらい判る。
「何もしてなくねぇって。偶にスゴイ剣幕で怒るじゃねーか」
「……………あれは、上手くいかないことからきていたのか?」
「他に何があんだよ?」
「いつも通り調子に乗っているだけだと思っていた…」
「ヒドイ言われよーだな、オイ…」
シンタローは何とも言えないような目を向けた。調子に乗っているだけと思われていたとは考えもしなかった。
『まぁ、なきにしもあらず───調子こいてるときもあるか…』
半々ぐらいかな、などと遠い目をしながら思う。
「そうか…お前でも上手くいかないことで悩んだりするのか…」
「何を今更。ンなの、当たり前だろ?」
「お前は基本能力が高いから、きちんと己を把握してやっているものだと思っていた…」
「その言葉そっくりそのまま返してやるヨ。まぁ…そりゃ自分に関しちゃ、どのくらいの無理がきくかってのは大体判るから、粗方のことはその範囲でやるけど…やっぱ、どーしても納得いかないことが出てくると、一線越えそうになっちまうのは人間の心理っちゃ心理だろ?」
至極尤もなことを言われて、キンタローは頷いた。
「お前には自覚がねーのかもしんねーけど、そういうとき、ちゃんとお前は止めてくれてたんだよ」
「…役に立っていたのなら、いいんだが…」
キンタローはポツリと呟いた。シンタローはそんなキンタローの顔を下から覗き込んで笑顔を見せる。
「役に立たないわけねーだろーが」
その台詞が本当なら、嬉しいとキンタローは思った。自分の行動が、一番役立ちたいと思っている人のためになるのならそれ以上のことは求めない。それで充分だ。
だが、まだ何処かネガティブな思考が払拭されず、キンタローは沈んだ気持ちから抜け出せない。
「お前がいつも仕事漬けなのもその所為なのか?」
「や…あれは単に終わらねーだけだな…」
学生がやるレポートのような口調でシンタローは言葉を返した。実際はそれで巨大な組織が動くのだから、そんな軽いものではないのだが───。
「そこは…───俺が口を挟んでも良いところ…なのか?」
「ん?口を挟むって?」
「いや……終わらないとはいえ、度を超えてやっているように思える…」
「そりゃお前だろ」
シンタローは断言した。キンタローの真面目な性格は必要以上に思い詰めることが度々あるのだ。今回倒れたのもそれでオーバーヒートしたからであろう。シンタローは半身がそういう性格なのを知っていたのに、何も出来なかった自分に腹を立てているのだ。
「俺は………少しでもお前の役に立てたらいいと思って手伝っているだけだ。もっとも先に倒れてしまっては意味がないんだが…」
「俺が無茶させてたのか?」
「違う…そうじゃない…俺よりお前の方が非常識な無茶をしている」
「非常識って…オイ」
それが専売特許のガンマ団新総帥だ。無理と無茶は常にバーゲンセールで大売り出しなのである。
「何か違った形で助けになれたらいいと思ったんだ。日頃の仕事ぶりは、お前が自分で大丈夫だと思った範囲でやっているのだろうから、他人にとやかく言われる筋合いはないだろうし…」
キンタローはそう言って項垂れた。顔を覗き込んだ姿勢のままだったシンタローはキンタローの落胆した顔がよく判る。見ているこっちが辛くなるほど悲嘆に暮れた顔であった。
随分な煮詰まり方をしている半身を可哀想になり、またこの原因は自分かと思うと、シンタローは己を殴り倒したくなってきた。思い切り溜息をつきそうになるのを何とか堪える。自分よりも溜息で埋もれてしまいそうな人間が目の前にいるのだ。
シンタローは体勢を変えてもっとキンタローに近づくと、そっと半身を抱き締めた。キンタローはされるがまま大人しく肩口に頭を乗せる。
「お前さ、この間の夜、総帥室で何か言いたそうにしていたことって、それか?」
シンタローの問いかけに、キンタローは静かに頷いた。この半身にどれだけ気遣わせていたのだろうか。そりゃ倒れるわな、と納得してしまったシンタローである。高松に指摘されたことがしっかり当たっていて言い訳も出来ない。
「俺の仕事に口を挟めねぇーってのは?」
「挟めないというか……お前の役に立ちたいだけなんだ」
「充分すぎるほど助けられてるゾ、俺は」
「まだまだだ。自分が納得できない…もっとお前の役に立ちたいのに…」
そう言いながらキンタローは縋り付き腕に力を込める。シンタローは強く抱き締めてくるキンタローをあやすように背中を軽く叩いた。そして、優しい響きを持った静かな声で問いかける。
「キンタロー…あのさ、役に立つとか立たないとか、そんなんじゃなくて…もっと根本的な部分で俺はお前から離れないから、安心しろよ?」
シンタローの台詞にキンタローがピクリと動いた。
『やっぱり原因はここか…』
役に立ちたいと繰り返し言う心を考えれば、恐らくシンタローに必要とされたいということなのだ。思考が堅いこの従兄弟のことだ、必要とされなければ、いる意味がない人間だと考えたのだろう。必死に存在価値を得ようとして己を省みないほど頑張りすぎたのだ。
『今でも充分なのに…っつーか、離れないっつーよりも…もう離れらんないし……そもそもこれ以上役に立つって、コイツの理想はどんだけ高いんだよ…』
キンタローが追い求めるものを計り知れず、どんな山よりも高そうな理想像を思ってシンタローは溜息をついた。
「シンタロー…?」
そんなシンタローの様子をどう捉えたのか、キンタローは肩に埋めていた顔を上げると、不安が表れた声で半身の名前を呼んだ。シンタローに視線を合わせると、少し困ったような笑みを浮かべてキンタローを見ている。
「ったく、お前は…俺に捨てられるかも知れないとか思って悶々としてたのか」
「そこまでは思っていないが…」
「似たようなことは思ってただろ?」
「……………」
沈黙は肯定のようであった。
『俺がどんだけお前に惚れてると思ってんだよコノヤロー…』
シンタローは心の中で悪態をついた。だが、口に出しては絶対に言えない。態度や声色で相手を思う心はしっかりと顕れているのだが、如何せん気質が根っから俺様な上に極度の恥ずかしがり屋なシンタローだ。言葉で好きだ、愛してる、といった愛情表現の類は余程のことがない限り口から出てこない。余程のことといえば───。
『お前に抱かれる度に俺が言ってることはちゃんと聞いてんのかよコンチクショーッ』
こんな感じなのである。己に一切の余裕がなくなり、感情が高ぶって限界に来ないと、心の内を明かすことが出来ない不器用な男なのだ。
『しかも…お前相手じゃ絶対少ない回数じゃねーだろーがキンタローッ』
心の中で散々叫んでみたシンタローだが、それらは全て飲み込まれた台詞であった。いくらキンタローの寝室で二人きりだと言っても、やはり素面では言えないものだ。もっとも酒を飲んだからと言って言えるようなシンタローでもないのだが───。
「キンタロー、コレに限ってはくだらないことで悩むなって言うからな。もっと俺を信用しろヨ…」
「……………」
シンタローの台詞にキンタローは無言だったが、少ししてからしっかりと頷いた。
「大体から、使い捨ての人間に俺が…その……許すかってのッ!!」
「…………?」
『あぁ…疑問符が付いた…』
思わず言葉を濁してしまったら意味が通じなかったようである。意味を聞かれて冷静に説明出来る自信がないシンタローは、慌てて他の話題に移る。
「シンタロー…今の意…」
「わかんなかったらそれで良し。次───お前が倒れたことなんだけど…」
「………すまない…」
「怒ってるわけじゃねーよ。あのな、お前と俺の生活の違いで決定的なもんってどこにあんのかな?って考えたんだけどサ……」
そう言うと、シンタローはキンタローから視線を外した。黒い瞳に今度は何を映しているかといえば、ベッドサイドに置かれた既に冷め切っている病人食である。
「どんなに仕事が忙しくても食事はちゃんと摂れ、キンタロー」
「…食事?」
予想外の所を指摘されたキンタローはきょとんとした顔をシンタローに向けた。シンタローは保護者よろしく、少しお説教モードである。
「今日、研究棟まで行って他の研究員達から色々聞いてきたんだよ。お前が飯食ってる姿を見たことがねぇーって言われたぞ、オイ。それ以前に休憩も摂らねーんだって?」
「そうだったか…?」
「疑問符が付いてる時点でダメだぞ。今だってコレ食ってねーし…」
シンタローは全く手をつけられていない冷え切った食事を指した。
「食欲がない」
対するキンタローはそんな一言で片付けてしまった。これではだめだとシンタローは思うのだった。
ガンマ団は方針が変わったとは言え、荒事に関わることには変わりない。体があって全てが成り立つのだ。資本となる体の健康を維持する上で、基本の一つである食事の大切さをこんな一言で片付けるようでは、この先何回だって倒れるようなことをやらかすであろう。
「キンタロー…そうやって食事を疎かにした結果、お前はどうなった?対する俺はどうしてる?」
そう言われるとキンタローに反論する余地はない。自分は倒れてベッドの上で、シンタローは昨日の騒ぎにも関わらず元気にピンピンしているのだ。
「共有している記憶にもあんだろ?士官学生時代に学校で散々言われたの覚えてねぇ?」
「覚えていない」
即答されてしまっては立つ瀬がないシンタローだ。どうでもいい事は鮮明に覚えているくせに、肝心なところは何故抜けるのだろうか。
『俺の下世話な話なんかよりこっちの方を覚えてろっての』
またもや心の中で悪態を付いてしまったシンタローであった。
「やることが多いと充分な睡眠とか摂れなかったりすんだから、その分どこかで補ってやらねーと体に負荷ばっかかかっちまうだろ?きちんと栄養を与えないと体も回復しねェーんだからさ」
「確かにそうだが…」
「が、じゃねーよ。そーなの。俺が頑張って鍛え上げた体はお前ンとこにいったんだぞ?ちゃんと栄養与えて休んでやれば、直ぐに回復するはずだから…」
シンタローがサービスとの厳しい修行に耐え、更に自分自身の努力で鍛え上げた強靱な肉体が、キンタローの体なのだ。シンタローが言ったとおり、短くともきちんと休息をとり、体を維持するための基本的な努力を怠らなければ、ちょっとやそっとでは壊れたりしないはずである。その一番の例が、シンタロー自身なのであるから───。
「───判った…以後、気を付けるようにする…」
「よし。っつー訳でだ。どーせお前のことだから用意されたもんは食ってねェだろうな…って思って、俺様お手製のものを作ってきたから、きちんと食えよ?」
「……非常にありがたいが、今は食欲がない」
この期に及んでまだ言うかと思ったシンタローだが、後一息と思って言葉を飲み込む。まだ半分くらいは納得していないのだろう。ここで頭ごなしにあれこれ言ったら逆効果だと思ったシンタローは、だだをこねるキンタローに有効だと思うような台詞を口にした。
「俺がせっかく作ってきたものを食わねーっての?」
「気持ちは嬉しいが…」
「あっそーぉ。別にいーけど……そうやっている間にも筋力は落ちて俺と差が付いていくって訳だな」
「……………」
シンタローは沈黙するキンタローの腕を掴むと、容赦なく捻りあげた。病人相手に何をするといった感じだが、反撃をする隙を与えず一気に乗り上げて相手の動きを封じる。
「おーおー…いとも簡単に組み敷かれたな、キンタローさん」
「…痛いぞ、シンタロー…」
顔を蹙めて抗議をするキンタローに、シンタローは無情にも一言言い放った。
「軟弱な男に抱かれる趣味はねぇからな。次からお前が『下』決定ー。しっかり俺の腕枕で寝ろよ」
目がマジなシンタローに、キンタローは「食べる」と反射的に返事をした。
今の『関係』は、シンタローがキンタローを甘んじて受け入れてくれているから成り立っている関係だ。反撃に出られるとこの漆黒の獣の動きを封じることは至難の業である。ましてや、筋力が少しでも落ちていようものなら、確実に組み敷かれるのはキンタローになる。
まさかそんな方向から攻撃を仕掛けてくるとは微塵も思わなかったキンタローは真顔で即答してしまった。上手く引っかかってくれた半身に、シンタローは声を上げて笑いながら用意した食事を取りに部屋から出ていった。
キンタローはベッドに横たわりながら、暗闇以外何も見えない窓の外を眺めていた。ベッドサイドに置かれた病人食は手をつけられることもなく、とうに冷めてしまっている。
『こんなところで寝ている場合ではないのだが…』
薬のおかげで熱はすっかり下がったようであった。更に、点滴を打たれたおかげか体も幾分軽くなったような気がする。早朝に味わった苦痛は何処へ行ったのやら、思わず苦笑がもれるほど回復をしていた。結構なことである。
ただ、沈んだ気持ちだけは薬でどうすることも出来ず、いまだに暗い気分なキンタローであった。傍にあるデジタル時計に目をやると、夜の八時を回ったところである。
『シンタローはまだ仕事だな…』
こんなところで倒れているようでは全然役に立っていない。自己嫌悪などとっくに通り越して、憎くすら思えた。キンタローにとって役に立てない自分は、シンタローの傍に居る意味がないのだ。
キンタローは重い溜息を一つ吐いた。
途端に、部屋の電気が付いて驚く。いきなり明るくなった部屋に、眩しさで青い眼が細められた。
「お前って何か考えごとしてると、こんなに近くに俺が来ても気付かないのな」
まだ仕事をしているだろうと思っていた半身がベッドルームの入口に立っていた。それにも驚いたキンタローだ。
「シンタロー…何故こんな時間に…」
「ん?来ちゃ迷惑だった?」
「いや…お前ならいつでも歓迎だ」
真面目な顔をしてそう言うキンタローにシンタローはイタズラじみた笑みを浮かべる。
「じゃぁ、浮気の最中でも堂々と入ってってやるヨ」
「……俺は浮気などしたことない」
「冗談だって」
シンタローはそう言って笑いながら部屋の中へ入ってきた。
キンタローは己を心配してきてくれた半身を嬉しく思い、上半身を起こす。それからベッドから降りようとして、シンタローが慌てて制した。キンタローは不満げな顔を向ける。
「んな顔すんなって。いーから寝てろヨ」
そう言ってキンタローをベッドの中に押し込めると、己はその端に腰を掛けた。
納得いかないキンタローはシンタローに向かって抗議の意味を込めて手を伸ばした。シンタローはその手を掴むとしっかりと握り返す。すると、手を繋がれたことに気を良くしたのか、それともその手の温もりに安心したのか、キンタローは大人しくなった。そんな半身の様子に、シンタローはクスリと笑う。
「現金なヤツ。まだ熱あんのか?」
「もう下がったと思うが…」
「でも何か手が熱い」
「先程まで寝ていたからだろう…」
握りしめた手を離さないでいてくれるシンタローに、キンタローは己のささくれ立った心が落ち着きを取り戻していくのがよく判った。これでは現金なヤツと言われても仕方がない。
キンタローは心の中で『役に立たない』ということは『いらない』ということだと思い込んでいた。だが、こうやってシンタローが傍にいてくれるとその思考を否定してくれているように思えて気持ちが軽くなっていく。随分と己を卑下していたようであった。半身が傍にいてくれることが純粋に嬉しい。
シンタローは繋いだ手はそのままに、もう一方の空いた手でキンタローの額に触れて熱を確かめた。キンタローが言ったとおり熱はきちんと下がっているようである。それから金色の髪に触れる。シンタローは暫く頭を撫でていた。キンタローはその手の心地よさに目を閉じ、されるがまま大人しくベッドで横になっている。
「キンタロー…気付かなくてゴメンな…」
静かで穏やかな時間が流れていたがのだが、突然、シンタローが一言ポツリともらした。その台詞に今まで閉じられていたキンタローの双眸が開く。青い眼が疑問を顕わにしてシンタローを見つめた。何故ここで謝られるのか全く判らないからだ。
「お前を倒れさせたからサ…」
「俺が勝手に倒れたんだ、お前が謝ることなどどこにもない…」
「あるんだよ。一番傍にいたつもりなのに…全然お前のこと判ってなかった」
そう言ってもう一度「ゴメン」と謝って頭を下げるシンタローに、キンタローは胸が苦しくなった。
「お前は何も悪くないのに謝るのは止めてくれ、シンタロー…」
勝手に悩んでオーバーヒートしたのは自分の所為だとキンタローは判っている。シンタローが悪いわけではないのだから、謝罪の言葉が胸に突き刺さる。自分のことで責任など感じてほしくないのだ。
「でも、お前…何か上手くいかないこと抱えて悩んでただろ?」
シンタローのその台詞に、キンタローは驚き目を見開いた。言い当てられたことに心底驚いたのだ。自分の胸の内を話したことはなかったはずである。
「俺も上手くいかないことがあると、無茶やらかすからさ…。お前はそれに気付いてちゃんと止めてくれるのに、俺は出来なかった。結果、お前は今ベッドで寝ている羽目になっちまって…」
「俺はお前に何もしていない。それに、俺が今ここで寝ているのは自業自得なはずだ…」
何故いきなり高熱を出して倒れる羽目になったのか、キンタローは己の事ながら原因が皆目検討つかなかった。だが、シンタローが原因でないことぐらい判る。
「何もしてなくねぇって。偶にスゴイ剣幕で怒るじゃねーか」
「……………あれは、上手くいかないことからきていたのか?」
「他に何があんだよ?」
「いつも通り調子に乗っているだけだと思っていた…」
「ヒドイ言われよーだな、オイ…」
シンタローは何とも言えないような目を向けた。調子に乗っているだけと思われていたとは考えもしなかった。
『まぁ、なきにしもあらず───調子こいてるときもあるか…』
半々ぐらいかな、などと遠い目をしながら思う。
「そうか…お前でも上手くいかないことで悩んだりするのか…」
「何を今更。ンなの、当たり前だろ?」
「お前は基本能力が高いから、きちんと己を把握してやっているものだと思っていた…」
「その言葉そっくりそのまま返してやるヨ。まぁ…そりゃ自分に関しちゃ、どのくらいの無理がきくかってのは大体判るから、粗方のことはその範囲でやるけど…やっぱ、どーしても納得いかないことが出てくると、一線越えそうになっちまうのは人間の心理っちゃ心理だろ?」
至極尤もなことを言われて、キンタローは頷いた。
「お前には自覚がねーのかもしんねーけど、そういうとき、ちゃんとお前は止めてくれてたんだよ」
「…役に立っていたのなら、いいんだが…」
キンタローはポツリと呟いた。シンタローはそんなキンタローの顔を下から覗き込んで笑顔を見せる。
「役に立たないわけねーだろーが」
その台詞が本当なら、嬉しいとキンタローは思った。自分の行動が、一番役立ちたいと思っている人のためになるのならそれ以上のことは求めない。それで充分だ。
だが、まだ何処かネガティブな思考が払拭されず、キンタローは沈んだ気持ちから抜け出せない。
「お前がいつも仕事漬けなのもその所為なのか?」
「や…あれは単に終わらねーだけだな…」
学生がやるレポートのような口調でシンタローは言葉を返した。実際はそれで巨大な組織が動くのだから、そんな軽いものではないのだが───。
「そこは…───俺が口を挟んでも良いところ…なのか?」
「ん?口を挟むって?」
「いや……終わらないとはいえ、度を超えてやっているように思える…」
「そりゃお前だろ」
シンタローは断言した。キンタローの真面目な性格は必要以上に思い詰めることが度々あるのだ。今回倒れたのもそれでオーバーヒートしたからであろう。シンタローは半身がそういう性格なのを知っていたのに、何も出来なかった自分に腹を立てているのだ。
「俺は………少しでもお前の役に立てたらいいと思って手伝っているだけだ。もっとも先に倒れてしまっては意味がないんだが…」
「俺が無茶させてたのか?」
「違う…そうじゃない…俺よりお前の方が非常識な無茶をしている」
「非常識って…オイ」
それが専売特許のガンマ団新総帥だ。無理と無茶は常にバーゲンセールで大売り出しなのである。
「何か違った形で助けになれたらいいと思ったんだ。日頃の仕事ぶりは、お前が自分で大丈夫だと思った範囲でやっているのだろうから、他人にとやかく言われる筋合いはないだろうし…」
キンタローはそう言って項垂れた。顔を覗き込んだ姿勢のままだったシンタローはキンタローの落胆した顔がよく判る。見ているこっちが辛くなるほど悲嘆に暮れた顔であった。
随分な煮詰まり方をしている半身を可哀想になり、またこの原因は自分かと思うと、シンタローは己を殴り倒したくなってきた。思い切り溜息をつきそうになるのを何とか堪える。自分よりも溜息で埋もれてしまいそうな人間が目の前にいるのだ。
シンタローは体勢を変えてもっとキンタローに近づくと、そっと半身を抱き締めた。キンタローはされるがまま大人しく肩口に頭を乗せる。
「お前さ、この間の夜、総帥室で何か言いたそうにしていたことって、それか?」
シンタローの問いかけに、キンタローは静かに頷いた。この半身にどれだけ気遣わせていたのだろうか。そりゃ倒れるわな、と納得してしまったシンタローである。高松に指摘されたことがしっかり当たっていて言い訳も出来ない。
「俺の仕事に口を挟めねぇーってのは?」
「挟めないというか……お前の役に立ちたいだけなんだ」
「充分すぎるほど助けられてるゾ、俺は」
「まだまだだ。自分が納得できない…もっとお前の役に立ちたいのに…」
そう言いながらキンタローは縋り付き腕に力を込める。シンタローは強く抱き締めてくるキンタローをあやすように背中を軽く叩いた。そして、優しい響きを持った静かな声で問いかける。
「キンタロー…あのさ、役に立つとか立たないとか、そんなんじゃなくて…もっと根本的な部分で俺はお前から離れないから、安心しろよ?」
シンタローの台詞にキンタローがピクリと動いた。
『やっぱり原因はここか…』
役に立ちたいと繰り返し言う心を考えれば、恐らくシンタローに必要とされたいということなのだ。思考が堅いこの従兄弟のことだ、必要とされなければ、いる意味がない人間だと考えたのだろう。必死に存在価値を得ようとして己を省みないほど頑張りすぎたのだ。
『今でも充分なのに…っつーか、離れないっつーよりも…もう離れらんないし……そもそもこれ以上役に立つって、コイツの理想はどんだけ高いんだよ…』
キンタローが追い求めるものを計り知れず、どんな山よりも高そうな理想像を思ってシンタローは溜息をついた。
「シンタロー…?」
そんなシンタローの様子をどう捉えたのか、キンタローは肩に埋めていた顔を上げると、不安が表れた声で半身の名前を呼んだ。シンタローに視線を合わせると、少し困ったような笑みを浮かべてキンタローを見ている。
「ったく、お前は…俺に捨てられるかも知れないとか思って悶々としてたのか」
「そこまでは思っていないが…」
「似たようなことは思ってただろ?」
「……………」
沈黙は肯定のようであった。
『俺がどんだけお前に惚れてると思ってんだよコノヤロー…』
シンタローは心の中で悪態をついた。だが、口に出しては絶対に言えない。態度や声色で相手を思う心はしっかりと顕れているのだが、如何せん気質が根っから俺様な上に極度の恥ずかしがり屋なシンタローだ。言葉で好きだ、愛してる、といった愛情表現の類は余程のことがない限り口から出てこない。余程のことといえば───。
『お前に抱かれる度に俺が言ってることはちゃんと聞いてんのかよコンチクショーッ』
こんな感じなのである。己に一切の余裕がなくなり、感情が高ぶって限界に来ないと、心の内を明かすことが出来ない不器用な男なのだ。
『しかも…お前相手じゃ絶対少ない回数じゃねーだろーがキンタローッ』
心の中で散々叫んでみたシンタローだが、それらは全て飲み込まれた台詞であった。いくらキンタローの寝室で二人きりだと言っても、やはり素面では言えないものだ。もっとも酒を飲んだからと言って言えるようなシンタローでもないのだが───。
「キンタロー、コレに限ってはくだらないことで悩むなって言うからな。もっと俺を信用しろヨ…」
「……………」
シンタローの台詞にキンタローは無言だったが、少ししてからしっかりと頷いた。
「大体から、使い捨ての人間に俺が…その……許すかってのッ!!」
「…………?」
『あぁ…疑問符が付いた…』
思わず言葉を濁してしまったら意味が通じなかったようである。意味を聞かれて冷静に説明出来る自信がないシンタローは、慌てて他の話題に移る。
「シンタロー…今の意…」
「わかんなかったらそれで良し。次───お前が倒れたことなんだけど…」
「………すまない…」
「怒ってるわけじゃねーよ。あのな、お前と俺の生活の違いで決定的なもんってどこにあんのかな?って考えたんだけどサ……」
そう言うと、シンタローはキンタローから視線を外した。黒い瞳に今度は何を映しているかといえば、ベッドサイドに置かれた既に冷め切っている病人食である。
「どんなに仕事が忙しくても食事はちゃんと摂れ、キンタロー」
「…食事?」
予想外の所を指摘されたキンタローはきょとんとした顔をシンタローに向けた。シンタローは保護者よろしく、少しお説教モードである。
「今日、研究棟まで行って他の研究員達から色々聞いてきたんだよ。お前が飯食ってる姿を見たことがねぇーって言われたぞ、オイ。それ以前に休憩も摂らねーんだって?」
「そうだったか…?」
「疑問符が付いてる時点でダメだぞ。今だってコレ食ってねーし…」
シンタローは全く手をつけられていない冷え切った食事を指した。
「食欲がない」
対するキンタローはそんな一言で片付けてしまった。これではだめだとシンタローは思うのだった。
ガンマ団は方針が変わったとは言え、荒事に関わることには変わりない。体があって全てが成り立つのだ。資本となる体の健康を維持する上で、基本の一つである食事の大切さをこんな一言で片付けるようでは、この先何回だって倒れるようなことをやらかすであろう。
「キンタロー…そうやって食事を疎かにした結果、お前はどうなった?対する俺はどうしてる?」
そう言われるとキンタローに反論する余地はない。自分は倒れてベッドの上で、シンタローは昨日の騒ぎにも関わらず元気にピンピンしているのだ。
「共有している記憶にもあんだろ?士官学生時代に学校で散々言われたの覚えてねぇ?」
「覚えていない」
即答されてしまっては立つ瀬がないシンタローだ。どうでもいい事は鮮明に覚えているくせに、肝心なところは何故抜けるのだろうか。
『俺の下世話な話なんかよりこっちの方を覚えてろっての』
またもや心の中で悪態を付いてしまったシンタローであった。
「やることが多いと充分な睡眠とか摂れなかったりすんだから、その分どこかで補ってやらねーと体に負荷ばっかかかっちまうだろ?きちんと栄養を与えないと体も回復しねェーんだからさ」
「確かにそうだが…」
「が、じゃねーよ。そーなの。俺が頑張って鍛え上げた体はお前ンとこにいったんだぞ?ちゃんと栄養与えて休んでやれば、直ぐに回復するはずだから…」
シンタローがサービスとの厳しい修行に耐え、更に自分自身の努力で鍛え上げた強靱な肉体が、キンタローの体なのだ。シンタローが言ったとおり、短くともきちんと休息をとり、体を維持するための基本的な努力を怠らなければ、ちょっとやそっとでは壊れたりしないはずである。その一番の例が、シンタロー自身なのであるから───。
「───判った…以後、気を付けるようにする…」
「よし。っつー訳でだ。どーせお前のことだから用意されたもんは食ってねェだろうな…って思って、俺様お手製のものを作ってきたから、きちんと食えよ?」
「……非常にありがたいが、今は食欲がない」
この期に及んでまだ言うかと思ったシンタローだが、後一息と思って言葉を飲み込む。まだ半分くらいは納得していないのだろう。ここで頭ごなしにあれこれ言ったら逆効果だと思ったシンタローは、だだをこねるキンタローに有効だと思うような台詞を口にした。
「俺がせっかく作ってきたものを食わねーっての?」
「気持ちは嬉しいが…」
「あっそーぉ。別にいーけど……そうやっている間にも筋力は落ちて俺と差が付いていくって訳だな」
「……………」
シンタローは沈黙するキンタローの腕を掴むと、容赦なく捻りあげた。病人相手に何をするといった感じだが、反撃をする隙を与えず一気に乗り上げて相手の動きを封じる。
「おーおー…いとも簡単に組み敷かれたな、キンタローさん」
「…痛いぞ、シンタロー…」
顔を蹙めて抗議をするキンタローに、シンタローは無情にも一言言い放った。
「軟弱な男に抱かれる趣味はねぇからな。次からお前が『下』決定ー。しっかり俺の腕枕で寝ろよ」
目がマジなシンタローに、キンタローは「食べる」と反射的に返事をした。
今の『関係』は、シンタローがキンタローを甘んじて受け入れてくれているから成り立っている関係だ。反撃に出られるとこの漆黒の獣の動きを封じることは至難の業である。ましてや、筋力が少しでも落ちていようものなら、確実に組み敷かれるのはキンタローになる。
まさかそんな方向から攻撃を仕掛けてくるとは微塵も思わなかったキンタローは真顔で即答してしまった。上手く引っかかってくれた半身に、シンタローは声を上げて笑いながら用意した食事を取りに部屋から出ていった。
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『これは何かの冗談なのだろうか…』
キンタローは朦朧とする意識の中溜息を吐いた。高い熱の所為で節々が痛み、体は鉛のように重く怠い。これは自分の体かと思うくらい自由が利かず、ベッドに横たわったまま、キンタローは動くことが出来なかった。
散々な思いをした昨日は、シンタロー、グンマ、マジックと四人揃って夜の食事を摂った。それは久しぶりに楽しい食事であった。マジックがシンタローに宣言した通り作ったカレーは美味しかったし、四人揃っての会話も騒がしいほど煩いものだったが、一家団欒を思わせるような温かい時間であった。
その後シンタローは早々に自室へ戻ったので、キンタローは少しだけ一人残って仕事をした。それでも割と早い時間に部屋へ戻ってきていたのだ。後は特に何をするわけでもなく大人しく休んだキンタローだったのだが、明け方、あまりの苦しさに目を覚ました。割れるような痛みが頭に走り、体が思うように動かない。呼吸も荒く、初めて味わう苦痛に何が起きたのか全く判らなかった。
『…結局…俺は…』
朦朧とした意識の断片に半身の姿が映る。
それは早朝にも関わらず、キンタローの異変を感じ取ったシンタローがいち早くここへ来た証拠であった。
二人の間に何の作用が働いているのか判らないが、目に見えない繋がりがある。別固体に別れた今でも、全てではないが、相手の様子を感じ取るように判ることが結構あるのだ。
意識がハッキリしないため、その後どうなったのか判らないが、今現在は高松に特効薬を打たれてベッドに横たわっている状態である。シンタローが来たということは、その後の面倒を全てみさせたということである。
気が滅入る現実であった。
キンタローは高松に、高熱の原因は一番が過労からくるものであると言われた。
『何故俺が先に倒れるんだ…』
あまりにも情けなくて心情的には泣きたい気持ちであったがそこはプライドでなんとか踏み留まる。
『役に立たない自分は価値がないのではないか?』
シンタローの役に立ちたいのに、迷惑ばかりかけている。キンタローはそう思えて仕方がなかった。
シンタローがそれを必ず否定するのは判っていても、この場合、実際に役立つか否かよりも自分が彼のために思うような行動をとれないのが辛いのだ。
高い熱が嫌な思考に拍車を掛けて苦しみを増長させる。
苦痛を我慢しながらキンタローは目を閉じた。
浮かぶのは愛しき半身の姿。
シンタローの残像を追い求めながら、キンタローの意識は落ちていった。
一方シンタローはいつも通り総帥室にいたものの高松からの嫌味混じりな説教を食らっていた。いや、混じりと言うより、嫌味な説教である。
いつもなら耳に痛い響きを放つ七変化をするような嫌味は微塵も聞かず、元凶である高松を室外へ放り出す。
だがしかし。今回はキンタローが関わっているだけに、嫌味と言えど意見を端っから無視することが出来なかった。
無視は出来ないのだが、元来短気な性格であるシンタローの我慢は既に限界であった。
今なら誰が火を点けても確実にこの総帥を爆発させることが出来る。昨日に引き続き眼魔砲が放たれるのは時間の問題のようであった。
『俺が悪ィのはわかっけど!!あーッもうッ』
高松はさっきから「誰の所為でキンタロー様があんなにも苦労をしているか解っているのですか?」と事細かに過去の実例を挙げて話していた。
「大体から、昨日のあれは何なんですか?」
「何って…だから人助けじゃねぇーか」
「ばっちりテレビに映ってましたけど…」
「それは…その…」
「総帥ともあろう者が何をなさっているんです?その様に中途半端な行動をなさるようでした、最初から何もしない方がいいですよ」
お説ごもっともであった。シンタロー個人で動くのなら、どこにも証拠を残さないようにしなくてはならない。中途半端に『ガンマ団』が出てきてしまうなら、最初からガンマ団総帥として名前を背負って行動をした方がいいのだ。
「あの様な傷ついた姿まで全世界に晒して…」
「あれは俺の血じゃねーぞ」
「関係ありませんよ。見る者にとってどう見えるかが一番重要なのですから」
「……………」
正論を述べられて口を噤んだシンタローだ。
実際に傷を負っていなくても、傷ついているように見えたらそれで終わりのような世界なのである。逆に、深手を負っていても平然としていれば負けにはならないのだ。上に立つ者はそうなくてはならない。それはシンタローも十分に理解している。だから、映像を撮られてしまったときに己の失態を思ったのだ。事件が予想外な発展をしたことが原因だったのだが、それは後の祭りでただの言い訳にしかならない。
「昨日の件以外にもたくさんありますよね、シンタロー様」
「他に何があるってんだよ」
「自覚がないんですか?ではお話ししましょうか。まず、あなたは遠征に行けば無謀な行動をとるようですし…」
「や、無謀じゃねぇって!!ちゃんと勝算有りとして考えてから行動してるって!!」
「敵の本拠地へ総帥が一人で乗り込むことの何処が無謀ではないんですか?」
「う…」
「更に、それ以外で何処かへ赴けば、危険をかえりみずにフラフラと単独行動をなさっているようですし…」
「そ…それはただの散歩だって!!色んな文化に触れるのはいいことだろ!!日常が血生臭いんだからそういった気分転換も必要だと考えてだな…」
「でも、いつも乱闘沙汰が起きてますよね?」
「そ…そりゃ攻撃を食らえば反撃すんだろ…」
「やっぱり狙われているんじゃないですか」
「…………」
シンタローは返す言葉が見つからず、再び口を噤んだ。そもそも高松に口で勝とうとすること自体が無謀なのだ。
改めて指摘されるまでもなく、シンタローは他人への迷惑を全く省みずに行動することがよくある。というか他人のことをあまり考えない。迷惑をかけているとは微塵も思っていないからだ。
他人への気遣いとは別もので、基本が潔いほど自分本位な姿勢であるから行動もその通りになるのだ。結果が良ければ全て良しだろと思っていたシンタローだが、自分の身勝手な行動でキンタローが倒れたというのならばそこは改めなくてはいけないかと流石に考える。
「本部にいる間は不規則すぎる生活をおくっていらっしゃいますよね?」
「あーッ!!もう判ったって!!俺が悪いんだろッ!!判ったよッ!!」
まだまだ続きそうな高松の言葉をシンタローは苛立たしげに打ち切る。そんな総帥を呆れた目つきで見つめながら、高松は更に言葉を続けた。
「自分が不利になると声を荒立てて妨害するのはよろしくないですよ。全く小さい男ですねぇー…腹を括って大人しく反省された方が身のためでしょうに」
シンタローにここまで遠慮なくはっきり意見を言える人物はそうはいない。痛いところを突かれたシンタローは口をへの字に曲げて高松を睨み付けた。
「全く…総帥が何ていう顔をしてらっしゃるんですか…」
「うるせーなっ」
「キンタロー様が真似されたらどうするんです?」
「アイツがするかよ、俺の真似なんか」
「……でも不規則な生活はあなたの影響だと思いますけれど…」
高松のこの台詞に、シンタローの肩がピクリと動く。
「俺の影響?」
そんなシンタローの様子を見て、高松は、呆れながら気付いていなかったのかというような表情を浮かべた。
「そうですよ。何を今更。キンタロー様の一番近くにいらっしゃるあなたじゃないですか…他に誰から影響を受けるんです?」
「部下の研究員とか…」
「そこまで頭の悪い男でしたか?シンタロー様は」
高松の台詞にシンタローは出かかった言葉を飲み込んだ。キンタローが一般職員の影響を受けるような男ではないのを重々承知だからだ。元々の性格に頑固なところもあるし、あまり周りの意見を聞かないところもある。勿論、シンタローが周囲の意見を聞かないのとは種類が違う。単に彼と同じくらい頭の回転が速い部下がいないから、歯車が合わないのだ。キンタローを言いくるめられるほど頭の回転が速い者は、残念ながら一般団員や職員を合わせても見つからないだろう。キンタローは必要があれば相手にあわせたりもするから社会においては問題ないのだが、それを本人の日常生活にまでするかといえばしない。それこそ気疲れを起こしてしまう。
だが、そこでシンタローは首を傾げた。
「でも、俺は元気だけど?」
シンタローの台詞に、高松はジャンの姿が浮かんだ。
「青の一族の方がデリケートなのでは?」
さんざん実験の被験者にしてきた懐かしき竹馬の友は、赤い秘石の番人だった。
「誰を頭の中に思い浮かべてんだよ、コノヤロー。俺はデリケートだぞ」
その台詞に、もの凄い胡散濃さそうな視線を高松から投げつけられたシンタローであった。
「それだけ傍若無人に行動をなさっていて、誰がデリケートなんですか。誰がどう見ても鋼の神経の持ち主でしょう。それに比べてキンタロー様は……あぁ、お労しい」
高松のキンタロー贔屓は今に始まったことではない。シンタローは会話を諦めて考えた。
日常生活において、己とキンタローの違いは何であろうか。
基本はお互い共に行動をすることが多いのだから、そこまで違いがあるようには思えないのだ。キンタローが研究室へ行ったり来たりしたりもするが、一日の大半は一緒に仕事をしていることがほとんどである。これといって行動に違いを見つけられない。
ならば、体調を崩す原因とは何かという方向から考えてみるかとシンタローは思い直す。
心労は確かに原因になるとは思うが、今回の件がそれだとは思えない。シンタローの無茶に関しては、明らかに度を超えたことをやらかすと、キンタローははっきり意見を言ってくる。感情を隠そうともせず、非常に物騒な響きをもった恐ろしい唸り声で注意を促すのだ。野生の獣もびっくりの迫力である。
更に口が裂けても誰にも言えないのだが、シンタローは前に一度だけその注意に反抗して散々な目に遭ったことがあるのだ。
無理矢理ベッドへ引きずられ、一晩中凌辱を受けた。無理だと思っても解放してもらえず、意識が飛びそうになれば現実に叩き戻される。あの様な無茶をやらかすようなお前ならばまだまだ付き合えるだろう、と言ってのし掛かってくる半身に、シンタローはプライドを投げ捨て、泣いて懇願したのだ。快楽を心底苦痛だと思ったのはあの時が初めてであった。このまま腹上死させられるのではと本気で考えたほどだ。それ以来、キンタローが物騒な声で忠告を促してきたときだけは、一切逆らわないことにしているシンタローなのだ。
そんな男が、シンタローの行動で黙認している部分からくるストレスで倒れるとは到底思えなかった。絶対に違うと断言できる。もっとも、根拠は誰にも言えないのだが───。
「なぁ、高松。キンタローって研究者としての行動はどんななの?」
補佐官として自分を助けてくれるキンタローはよく判るのだが、研究者としてどの様なことをやっているのか、シンタローは考えてみればよく知らない。シンタローの専門分野ではないから口を挟もうとも思わなかったし、研究棟にはグンマがいるから大丈夫だろうと思っていた。
お労しいキンタロー様の姿にトリップしていた高松は、シンタローの「キンタローって研究者として」という台詞で現実へ戻ってきた。
「研究者としてですか?非常に研究熱心で優秀ですよ。飲み込みも早いし、新しいことによくお気づきになりますし、一教えれば十理解するような頭の回転の速さですから…」
永遠に続きそうなキンタロー様の素晴らしさという高松の台詞をシンタローは途中から聞くのを放棄した。半身をきちんと理解しているシンタローには「研究熱心で優秀」と言う言葉だけで充分である。
『じゃぁ、原因はアレかなぁー…』
思い当たる点が一つあった。シンタローも度を超えた無茶をたまにやらかしたりもするからよく判る。
新総帥としての焦りを感じたり、自分がやろうとしていることに対しての不安を強く感じるといても立ってもいられなくなる。何かに追われているような気がして不安に気をとられ、何かを成し遂げなければと駆り立てられて、危険を省みずに突っ込んでいってしまうのだ。
そんなときのストッパーがキンタローなのであった。
『っつーことは、アイツを止めなきゃなんねーのは俺じゃねーか…』
それに気付かず、半身を倒れさせてしまったことに酷く心が痛んだ。こうなる前に、自分がストッパーにならずしてどうするのだと思う。
恐らくキンタローも何かに焦りを感じていたのだろう。他の何事も目に入らないくらいその感情にとらわれ、それを振り切るように一心不乱に何かへ───キンタローの場合は仕事に没頭していたのだろう。結果、日常生活のことが疎かになり、生活リズムが崩れたのだ。昨日、一昨日と様子がおかしかったのは、そこからきているのかもしれない。バランスが崩れた結果、体に掛かった負荷の限界が近かったのだ。
『俺って最悪じゃねぇかよ…』
そんな時に昨日のような騒ぎである。自分でも失態が多かったと反省が多々ある事件だっただけに、キンタローが感じたものは並ならぬものだったのであろう。
誰も聞いていない高松の『キンタロー様が如何に素晴らしいか論』が響き渡る総帥室で、シンタローは額に手を当て俯くと、深い深い溜息をついたのであった。
キンタローは朦朧とする意識の中溜息を吐いた。高い熱の所為で節々が痛み、体は鉛のように重く怠い。これは自分の体かと思うくらい自由が利かず、ベッドに横たわったまま、キンタローは動くことが出来なかった。
散々な思いをした昨日は、シンタロー、グンマ、マジックと四人揃って夜の食事を摂った。それは久しぶりに楽しい食事であった。マジックがシンタローに宣言した通り作ったカレーは美味しかったし、四人揃っての会話も騒がしいほど煩いものだったが、一家団欒を思わせるような温かい時間であった。
その後シンタローは早々に自室へ戻ったので、キンタローは少しだけ一人残って仕事をした。それでも割と早い時間に部屋へ戻ってきていたのだ。後は特に何をするわけでもなく大人しく休んだキンタローだったのだが、明け方、あまりの苦しさに目を覚ました。割れるような痛みが頭に走り、体が思うように動かない。呼吸も荒く、初めて味わう苦痛に何が起きたのか全く判らなかった。
『…結局…俺は…』
朦朧とした意識の断片に半身の姿が映る。
それは早朝にも関わらず、キンタローの異変を感じ取ったシンタローがいち早くここへ来た証拠であった。
二人の間に何の作用が働いているのか判らないが、目に見えない繋がりがある。別固体に別れた今でも、全てではないが、相手の様子を感じ取るように判ることが結構あるのだ。
意識がハッキリしないため、その後どうなったのか判らないが、今現在は高松に特効薬を打たれてベッドに横たわっている状態である。シンタローが来たということは、その後の面倒を全てみさせたということである。
気が滅入る現実であった。
キンタローは高松に、高熱の原因は一番が過労からくるものであると言われた。
『何故俺が先に倒れるんだ…』
あまりにも情けなくて心情的には泣きたい気持ちであったがそこはプライドでなんとか踏み留まる。
『役に立たない自分は価値がないのではないか?』
シンタローの役に立ちたいのに、迷惑ばかりかけている。キンタローはそう思えて仕方がなかった。
シンタローがそれを必ず否定するのは判っていても、この場合、実際に役立つか否かよりも自分が彼のために思うような行動をとれないのが辛いのだ。
高い熱が嫌な思考に拍車を掛けて苦しみを増長させる。
苦痛を我慢しながらキンタローは目を閉じた。
浮かぶのは愛しき半身の姿。
シンタローの残像を追い求めながら、キンタローの意識は落ちていった。
一方シンタローはいつも通り総帥室にいたものの高松からの嫌味混じりな説教を食らっていた。いや、混じりと言うより、嫌味な説教である。
いつもなら耳に痛い響きを放つ七変化をするような嫌味は微塵も聞かず、元凶である高松を室外へ放り出す。
だがしかし。今回はキンタローが関わっているだけに、嫌味と言えど意見を端っから無視することが出来なかった。
無視は出来ないのだが、元来短気な性格であるシンタローの我慢は既に限界であった。
今なら誰が火を点けても確実にこの総帥を爆発させることが出来る。昨日に引き続き眼魔砲が放たれるのは時間の問題のようであった。
『俺が悪ィのはわかっけど!!あーッもうッ』
高松はさっきから「誰の所為でキンタロー様があんなにも苦労をしているか解っているのですか?」と事細かに過去の実例を挙げて話していた。
「大体から、昨日のあれは何なんですか?」
「何って…だから人助けじゃねぇーか」
「ばっちりテレビに映ってましたけど…」
「それは…その…」
「総帥ともあろう者が何をなさっているんです?その様に中途半端な行動をなさるようでした、最初から何もしない方がいいですよ」
お説ごもっともであった。シンタロー個人で動くのなら、どこにも証拠を残さないようにしなくてはならない。中途半端に『ガンマ団』が出てきてしまうなら、最初からガンマ団総帥として名前を背負って行動をした方がいいのだ。
「あの様な傷ついた姿まで全世界に晒して…」
「あれは俺の血じゃねーぞ」
「関係ありませんよ。見る者にとってどう見えるかが一番重要なのですから」
「……………」
正論を述べられて口を噤んだシンタローだ。
実際に傷を負っていなくても、傷ついているように見えたらそれで終わりのような世界なのである。逆に、深手を負っていても平然としていれば負けにはならないのだ。上に立つ者はそうなくてはならない。それはシンタローも十分に理解している。だから、映像を撮られてしまったときに己の失態を思ったのだ。事件が予想外な発展をしたことが原因だったのだが、それは後の祭りでただの言い訳にしかならない。
「昨日の件以外にもたくさんありますよね、シンタロー様」
「他に何があるってんだよ」
「自覚がないんですか?ではお話ししましょうか。まず、あなたは遠征に行けば無謀な行動をとるようですし…」
「や、無謀じゃねぇって!!ちゃんと勝算有りとして考えてから行動してるって!!」
「敵の本拠地へ総帥が一人で乗り込むことの何処が無謀ではないんですか?」
「う…」
「更に、それ以外で何処かへ赴けば、危険をかえりみずにフラフラと単独行動をなさっているようですし…」
「そ…それはただの散歩だって!!色んな文化に触れるのはいいことだろ!!日常が血生臭いんだからそういった気分転換も必要だと考えてだな…」
「でも、いつも乱闘沙汰が起きてますよね?」
「そ…そりゃ攻撃を食らえば反撃すんだろ…」
「やっぱり狙われているんじゃないですか」
「…………」
シンタローは返す言葉が見つからず、再び口を噤んだ。そもそも高松に口で勝とうとすること自体が無謀なのだ。
改めて指摘されるまでもなく、シンタローは他人への迷惑を全く省みずに行動することがよくある。というか他人のことをあまり考えない。迷惑をかけているとは微塵も思っていないからだ。
他人への気遣いとは別もので、基本が潔いほど自分本位な姿勢であるから行動もその通りになるのだ。結果が良ければ全て良しだろと思っていたシンタローだが、自分の身勝手な行動でキンタローが倒れたというのならばそこは改めなくてはいけないかと流石に考える。
「本部にいる間は不規則すぎる生活をおくっていらっしゃいますよね?」
「あーッ!!もう判ったって!!俺が悪いんだろッ!!判ったよッ!!」
まだまだ続きそうな高松の言葉をシンタローは苛立たしげに打ち切る。そんな総帥を呆れた目つきで見つめながら、高松は更に言葉を続けた。
「自分が不利になると声を荒立てて妨害するのはよろしくないですよ。全く小さい男ですねぇー…腹を括って大人しく反省された方が身のためでしょうに」
シンタローにここまで遠慮なくはっきり意見を言える人物はそうはいない。痛いところを突かれたシンタローは口をへの字に曲げて高松を睨み付けた。
「全く…総帥が何ていう顔をしてらっしゃるんですか…」
「うるせーなっ」
「キンタロー様が真似されたらどうするんです?」
「アイツがするかよ、俺の真似なんか」
「……でも不規則な生活はあなたの影響だと思いますけれど…」
高松のこの台詞に、シンタローの肩がピクリと動く。
「俺の影響?」
そんなシンタローの様子を見て、高松は、呆れながら気付いていなかったのかというような表情を浮かべた。
「そうですよ。何を今更。キンタロー様の一番近くにいらっしゃるあなたじゃないですか…他に誰から影響を受けるんです?」
「部下の研究員とか…」
「そこまで頭の悪い男でしたか?シンタロー様は」
高松の台詞にシンタローは出かかった言葉を飲み込んだ。キンタローが一般職員の影響を受けるような男ではないのを重々承知だからだ。元々の性格に頑固なところもあるし、あまり周りの意見を聞かないところもある。勿論、シンタローが周囲の意見を聞かないのとは種類が違う。単に彼と同じくらい頭の回転が速い部下がいないから、歯車が合わないのだ。キンタローを言いくるめられるほど頭の回転が速い者は、残念ながら一般団員や職員を合わせても見つからないだろう。キンタローは必要があれば相手にあわせたりもするから社会においては問題ないのだが、それを本人の日常生活にまでするかといえばしない。それこそ気疲れを起こしてしまう。
だが、そこでシンタローは首を傾げた。
「でも、俺は元気だけど?」
シンタローの台詞に、高松はジャンの姿が浮かんだ。
「青の一族の方がデリケートなのでは?」
さんざん実験の被験者にしてきた懐かしき竹馬の友は、赤い秘石の番人だった。
「誰を頭の中に思い浮かべてんだよ、コノヤロー。俺はデリケートだぞ」
その台詞に、もの凄い胡散濃さそうな視線を高松から投げつけられたシンタローであった。
「それだけ傍若無人に行動をなさっていて、誰がデリケートなんですか。誰がどう見ても鋼の神経の持ち主でしょう。それに比べてキンタロー様は……あぁ、お労しい」
高松のキンタロー贔屓は今に始まったことではない。シンタローは会話を諦めて考えた。
日常生活において、己とキンタローの違いは何であろうか。
基本はお互い共に行動をすることが多いのだから、そこまで違いがあるようには思えないのだ。キンタローが研究室へ行ったり来たりしたりもするが、一日の大半は一緒に仕事をしていることがほとんどである。これといって行動に違いを見つけられない。
ならば、体調を崩す原因とは何かという方向から考えてみるかとシンタローは思い直す。
心労は確かに原因になるとは思うが、今回の件がそれだとは思えない。シンタローの無茶に関しては、明らかに度を超えたことをやらかすと、キンタローははっきり意見を言ってくる。感情を隠そうともせず、非常に物騒な響きをもった恐ろしい唸り声で注意を促すのだ。野生の獣もびっくりの迫力である。
更に口が裂けても誰にも言えないのだが、シンタローは前に一度だけその注意に反抗して散々な目に遭ったことがあるのだ。
無理矢理ベッドへ引きずられ、一晩中凌辱を受けた。無理だと思っても解放してもらえず、意識が飛びそうになれば現実に叩き戻される。あの様な無茶をやらかすようなお前ならばまだまだ付き合えるだろう、と言ってのし掛かってくる半身に、シンタローはプライドを投げ捨て、泣いて懇願したのだ。快楽を心底苦痛だと思ったのはあの時が初めてであった。このまま腹上死させられるのではと本気で考えたほどだ。それ以来、キンタローが物騒な声で忠告を促してきたときだけは、一切逆らわないことにしているシンタローなのだ。
そんな男が、シンタローの行動で黙認している部分からくるストレスで倒れるとは到底思えなかった。絶対に違うと断言できる。もっとも、根拠は誰にも言えないのだが───。
「なぁ、高松。キンタローって研究者としての行動はどんななの?」
補佐官として自分を助けてくれるキンタローはよく判るのだが、研究者としてどの様なことをやっているのか、シンタローは考えてみればよく知らない。シンタローの専門分野ではないから口を挟もうとも思わなかったし、研究棟にはグンマがいるから大丈夫だろうと思っていた。
お労しいキンタロー様の姿にトリップしていた高松は、シンタローの「キンタローって研究者として」という台詞で現実へ戻ってきた。
「研究者としてですか?非常に研究熱心で優秀ですよ。飲み込みも早いし、新しいことによくお気づきになりますし、一教えれば十理解するような頭の回転の速さですから…」
永遠に続きそうなキンタロー様の素晴らしさという高松の台詞をシンタローは途中から聞くのを放棄した。半身をきちんと理解しているシンタローには「研究熱心で優秀」と言う言葉だけで充分である。
『じゃぁ、原因はアレかなぁー…』
思い当たる点が一つあった。シンタローも度を超えた無茶をたまにやらかしたりもするからよく判る。
新総帥としての焦りを感じたり、自分がやろうとしていることに対しての不安を強く感じるといても立ってもいられなくなる。何かに追われているような気がして不安に気をとられ、何かを成し遂げなければと駆り立てられて、危険を省みずに突っ込んでいってしまうのだ。
そんなときのストッパーがキンタローなのであった。
『っつーことは、アイツを止めなきゃなんねーのは俺じゃねーか…』
それに気付かず、半身を倒れさせてしまったことに酷く心が痛んだ。こうなる前に、自分がストッパーにならずしてどうするのだと思う。
恐らくキンタローも何かに焦りを感じていたのだろう。他の何事も目に入らないくらいその感情にとらわれ、それを振り切るように一心不乱に何かへ───キンタローの場合は仕事に没頭していたのだろう。結果、日常生活のことが疎かになり、生活リズムが崩れたのだ。昨日、一昨日と様子がおかしかったのは、そこからきているのかもしれない。バランスが崩れた結果、体に掛かった負荷の限界が近かったのだ。
『俺って最悪じゃねぇかよ…』
そんな時に昨日のような騒ぎである。自分でも失態が多かったと反省が多々ある事件だっただけに、キンタローが感じたものは並ならぬものだったのであろう。
誰も聞いていない高松の『キンタロー様が如何に素晴らしいか論』が響き渡る総帥室で、シンタローは額に手を当て俯くと、深い深い溜息をついたのであった。
キンタローの体がグラリと揺れた。倒れるのかとグンマは青ざめたが、その体は次の瞬間勢い良く席を立つ。
「キンちゃんッ?!」
もの凄い剣幕でこの場から走り出したキンタローにグンマが慌てる。一瞬遅れて追いかけたが、到底追いつけるようなスピードではない。だが、感情に突き動かされた従兄弟をこのまま放っておくわけにもいかない。
この時、幸運にもキンタローが向かった先から高松が歩いてくる姿を認めて、グンマが声を張り上げた。
「高松!!キンちゃんを止めてェェ!!」
「グンマ様…え?キンタロー様を?」
いまいち状況が飲み込めない高松だったが、言われたとおりに走り来るキンタローを止めようと試みる。だが、黄金の獣は後見人をあっさり突き飛ばして走り去った。突き飛ばされた高松は心底驚いた。あんなに慌てたキンタローはほとんど見たことがない。キンタローは大抵のことでは感情を露わにしないからだ。例外があるとすれば───。
「グンマ様、一体何が…?」
高松の元まで走ってきたグンマに問いかける。
「何か、テレビでね、血塗れのシンちゃんが、映ってて…」
グンマは息を切らしながら必死に説明をする。
グンマの台詞を聞いて高松は目を瞠った。それが本当なら一大事である。
「あ、お父様!!」
一般団員がいるようなフロアでその姿を目にするのは非常に珍しいことなのだが、前総帥であるマジックがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。マジックはただならぬ剣幕で走ってくるキンタローの姿を目にして驚いた。
だが、ここは流石の前総帥。猪突猛進状態のキンタローを素早い動きで避けると、その腕を掴んで制止させた。
「キンちゃん、そんなに慌ててどうしたんだい?」
キンタローは非常に険しい表情でマジックを見やった。数年前の荒れていた頃を思い出させるような顔であり、どこか悲痛な表情を浮かべている顔でもあった。
マジックの質問に答えたのは、息を切らせながらそこまで走ってきたグンマである。
「お父様…ありがとう…キン…ちゃん…落ち着いて…」
「グンちゃん、大丈夫かい?一体何があったんだね?」
「今ね…テレビでシンちゃんが…」
「グンマ様!!」
高松がグンマを制しようとしたのだが、グンマは事の次第を全て話してしまった。
途端に、先程のキンタローと同じ様な勢いで走り出す、前総帥マジック。
「待っててシンちゃん!!今、パパが助けに行くから!!キンちゃん行くよ!!」
二人揃って勢い良く走り出した姿を見て、グンマが嘆いた。
「えぇー?!何でそうなるのー!!」
誰がどう考えてもそうなるのは当たり前である。マジックがシンタロー絡みで大人しくしているわけがない。黒髪の愛息に関しては、どんな小さな火種でも劫火とするマジックなのだ。シンタローが街中で負傷したとなっては、一大事である。何が大変かと言えば、その街の存続が、だ。
だから高松はグンマを止めようとしたのだが、間に合わなかった。
シンタロー絡みで暴走する二人を止められるのは、シンタロー本人以外いない。
高松はグンマを宥めて休憩室に戻った。問題のテレビ画面に視線を向けると、流れている内容はウィンディアの事件だが、映像は街中のものではなかった。高松に連れ戻されたグンマは、そのテレビからの情報を一切逃さないといった様子で見入っている。
そんな中、高松は冷静に考える。その映像自体が何か見間違いだったのではと、まず思った。ウィンディアでシンタローのような黒髪長髪の若者は珍しくないからだ。仮にその映像が本当だったとしても、シンタローのことだから命に別状があるわけではないだろうと、このドクターは確信していた。本来なら傷一つ負うはずもないはずである。それが負傷したとなると、誰かを庇ったか線が一番高い。戦地ならともかく、今回は起こった悲劇は街中だ。シンタローは、巻き込まれたのは民間人を放っておけるような性格ではない。
どちらにしてもシンタローの能力を考えれば、キンタローもマジックもそのくらい判るはずなのだが、どうしても先に頭へ血が上るようだ。
『しかし、その様な映像を撮られてしまうとは、まだまだ甘いですねぇ、シンタロー様は』
本部へ戻ってきたシンタローの傷の手当をする際に、どんな嫌味を言って差し上げましょうかなどと考える高松は、新しき総帥の力を認めているのか、単なる趣味か───。
休憩室にある窓から、激しく揺れ動くヘリコプターが一台飛び立っていくのが見えたのだが、あっさり見なかったことにしたのであった。
ウィンディアは突然の大事件に騒然としていた。
偶然起きたような強盗事件が、多数の死傷者を出す大惨事へと発展したのだ。事態はかなり複雑かつ深刻なものとなっていた。
『まいったな…』
シンタローは辺りを見回す。一段落した今は至るところに取材陣が待ち構えていて、上手く身動きがとれないのだ。
上に着ていた白いTシャツの至るところが血に濡れて紅く染まっているのだが、この赤い色の大半はシンタローが助けた他人のものだ。素材の所為なのか必要以上に広がって染まってしまっている。見た目には相当な深手を負った人に見えた。これは助けた人の血だと言っても、それは本人にしか判らないことだ。シンタローが実際に負った傷は弾をかすめた程度の軽いもので、本人からしてみれば、かすり傷同然であった。戦場で負う傷と比べれば、つばを付けておけば治るなどと軽口をたたけるようなものなのだ。
二度目に起きた強盗事件は、どんな作用を引き起こしたのか、ターゲットとなった宝石店を中心にあちこちで呼応するように発砲事件が起きたのだ。一転して、目の前の事件を解決すればいいという単純なものではなくなった。こうなると、偶然起きた二件目の事件は、偶然ではないようだ。
こうして突然、この事件の不自然さが浮き彫りになった。誰かの意図を感じずにはいられないシンタローだ。
出会してしまったのは運が悪かったのだろうけれども、誰が考えても単純な強盗事件ではないはずだ。
だが、この街で不穏な動きがあるという報告は受けていない。ガンマ団本部からそこまで離れている街ではないのだから、何かあれば必ず報告を受けるはずである。
事件に対して様々な疑惑が頭の中を過ぎったシンタローだが、考えながら行動をするには分が悪すぎる。どんな人間が手にしても、武器は武器で人間を傷つける。簡単に命を奪うことが出来てしまう。現に巻き込まれた民間人が次々と倒れていっているのだ。余計な思惑に捕らわれている間にも、命を落としていく人間がいる。
被害が拡大される前に自体は収めなくてはならないと思ったシンタローは、事態収拾へ努めたのだった───が、少しばかり、いや、かなりやりすぎたようである。
各々の犯人は統率された動きをしているわけではなく、全てが単体である。従って、誰か司令塔となる人物を叩けば事が収まるというわけではない。
急がば回れと諦めたシンタローは、虱潰しに一人一人と対峙して倒していったのだった。
事件発生の連絡を受けて出動したウィンディアの警官達に紛れて、明らかに常人の域を遙かに超えた漆黒の獣が、すり抜ける風のような動きで街中を飛び回る。パニックを起こした民間人も迷うことなく昏倒させて端に避けると、銃に臆することなく立ち向かっていく。また、放たれた弾に当たらないのも凄いが、相手が引き金を引く前に一撃で倒してしまう程の凄腕だ。無駄のない動きは、明らかに特別な訓練を受けた者だと印象づける。更に、相手が落としてそこいらに転がっている銃を拾い上げると、遠くのターゲットも狙い撃つ。その射撃術の神業なこと、無造作に連射したように引き金を引いたかと思えば、各々武器を持っていた手に命中する。次の瞬間既に移動しており、漆黒の獣は新たなターゲットを倒していた。
そうやって街中を飛び回ったシンタローが事態を収めた頃には、当たり前だが大注目を浴びていたのだった。
『あちゃー…やりすぎちまった…』
やっと終わったと思ったときには、自分も終わっていたのだ。警官達の畏怖敬遠する視線が非常に痛い。
シンタローは曖昧な笑みを浮かべると、まだ混乱している民間人の群に紛れて逃げた。そうこうしている内に、銃声が響かなくなり静かになった街の様子をもう安全だと判断したのか報道陣が押し掛けてきて、身動きがとれなくなってしまったのである。
更に、凄惨な街の様子をカメラで映し出している中、シンタローの姿も撮られてしまい、違った意味で最悪な状況になった。一瞬とはいえ、非常によろしくないことである。
『こんなはずじゃなかったんだけど…』
何とかここから離れて本部へ戻りたいのだが、如何せん邪魔が多すぎるのだ。どこかに紛れて移動できないかなと思ったシンタローに、負傷者を運び出している救急隊員が声を掛ける。病院に行ったら行ったで面倒が起きるかなと思ったシンタローは「あ、これ殆ど俺の血じゃないんで大丈夫です」と言って丁重にお断りした。じゃぁ誰の血だよ、と相手を固まらせてから失言に気づき、ますます居場所がなくなっていくのだった。つくづく隠密に行動が出来ない人間である。
そんな中、部下を何人か引き連れた男がシンタローへ近寄ってきた。肉付きがよい小太りした初老の男で、仕立ての良いスーツを身につけていた。後ろに従っている部下の様子からも身分が高い者であることは一目瞭然だ。普段なら威風堂々とした立ち振る舞いなのだろうが、シンタローを前にして、非常に恐縮したように顔面蒼白である。
シンタローはこの男の顔を知っていた。ウィンディア街警のトップだ。
さすがに街警のトップとなれば、目の前にいる黒髪長髪の青年が何処の誰だか判るのであろう。顔面蒼白の理由も半分はこれのようであった。
シンタローは苦笑をもらすと、自ら声を掛ける。これは好機が訪れたと思ったからだ。この男と話せば上手くこの街から出ていくことが出来る。
「災難だったな」
「はい…それは、もう…」
流れ落ちる冷や汗をハンカチで拭きながら何とか応対しているような口調だ。
「結構な騒ぎになってるけど、被害は?」
「今、調べているところでございます…」
己の半分程しか生きてきていない青年に向かって敬語である。流石に気の毒に思ったシンタローだった。これでは部下の前で示しがつかないだろう。
「そんな腰を低くしなくてもサ…」
「いえ、あの……はぁ…」
相変わらず苦笑を浮かべたままのシンタローだったが、このガンマ団総帥の友好的な態度に少し気を緩めたのか、街警のトップは一歩近寄って口を動かした。
「お体の方は…」
「あぁ、これは大丈夫だ。俺よりも被害にあった民間人の方を…」
「救急隊をフル活動させています」
「酷い事件だよな…」
「はい。まったくもって…」
二人は何気なく会話をしていたのだが、街警トップと話す青年の姿にだんだんと周囲の視線が集まりだした。これ以上注目の浴びようがないシンタローだが、今は早くここを去りたい。事件については今判っている範囲でも詳細を知りたいのだが、周囲を見る限りそんな余裕もなさそうだ。
「ウチも何かあったら全面的に協力をする───ってわけで、悪い…派手に動いて注目を浴びてるから一旦本部へ戻りたいんだけど…」
「判りました。直ぐに手配いたします」
ガンマ団総帥が直ぐにこの場を去ってくれるということに安堵したのか、街警トップは背後に控えていた部下に指示を出す。部下は直ぐに無線でどこかへ連絡をしてくれたようであった。
これで何とかなった、とシンタローと街警トップが共に胸を撫で下ろそうとしたときである。
遠くの方から何か音がした。それはだんだんと近づいてきているようだ。一体何かと思えば音の正体はヘリコプターであった。
もの凄い音を発しながら、シンタロー達の上空で止まる。
「ヘリなんか呼んだのか?」
「いえ、そんな指示は出していませんが…」
二人揃ってヘリを見るやいなや、
「シンちゃんッ!!!パパだよ!!!助けに来たよ、マイハニー」
ド派手なピンクのスーツで全身を包んだ男が、耳を疑いたくなるような台詞を叫んで上空から降ってきた、もとい、飛び降りてきた。そんな高さから飛び降りたら死ぬだろうという勢いで落下してきたマジックガンマ団前総帥は、落下地点に激突する前に眼魔砲を地面に向かって放ち、己の体をフワリと浮き上がらせると優美に着地した。
マジックが目の前に現れるやいなや、シンタローは顔を引きつらせ街警トップは傾倒した。部下が慌ててその体を支える。だが、更に───。
「シンタローッ!!!」
ヘリから下ろした梯子に掴まり、爆風を全身で浴びながらハリウッド映画の男優さながら美形の青年が、今正にヒロインを助けに来ましたといった風貌で現れたのだった。
ヘリを可能な限り下降させると、そこから一気に飛び降りる。
その一連の動作の格好良さと美しさと言ったら、その場にいた者の目を奪うのに充分だったのだが、激しく場違いなことこの上ない。
「シンちゃん!!大丈夫?!」
「シンタロー!!大丈夫か!?」
口々に喚き立てる身内の暴走に、シンタローはブチ切れた。
「お前等まとめて逝きやがれェェーッ!!!!」
ガンマ団新総帥の激しい怒声は、辺り一面にこだましたのであった。
ガンマ団本部へ戻って、場所は総帥室。血塗れて汚れた服を着替えることもせずに、現総帥であるシンタローはドカリと席に座っていた。目の前にいる二人を嶮しい目で睨み付けると、激しい怒り声が響き渡る。
「何考えてんだよ!!」
「だってシンちゃんが怪我して血塗れだったって聞いたから、パパいてもたってもいられなくてね」
すかさず反論してきたのは、シンタローのご立腹になれている父親のマジックであった。どれだけ嶮しい目で見られようと、怒声が響き渡ろうとも、全く気にしない父親マジックの精神的タフさは素晴らしいものがある。対するキンタローは黙ったままシンタローを見つめていた。
「あんな登場の仕方があるか!!一発で何処の誰だかバレルわッ!!」
「そんなこと考えている暇なんてないくらい心配したんだよ!!」
「嘘つけェェーッ」
これが世界に畏怖されたガンマ団前総帥の所行かと疑いたくなる。考えている暇がなかったなんて、それがあの切れ者と言われた覇王が口にする言い訳かと言わずにはいられない。
「それにお前に何かあったら、グンちゃんも悲しむし、コタローが目を覚ましたとき、パパ何も言えなくなっちゃうよ…家族が悲しむ姿を見るなんて…そんなのパパは…」
麗しい家族愛の台詞であるが、シンタローはそんなものに誤魔化されない。これこそシンタローの弱みにつけ込んで怒りを封じようとしているのであった。
「親父、お前「マイハニー」とか叫んでたよな?」
「パパの愛は昔から変わらないヨ」
何愛だと突っ込む前に、怒りの頂点に達したシンタローは遠慮なく眼魔砲を放ったのであった。瓦礫に埋もれて逝ってしまえと思ったのだが、見事に避けられていたようで、横から声を掛けられる。
「あはは。シンちゃん、短気は損気だぞ!」
『ムカツクッ!!!!』
どんどん顔が鬼の形相になっていくシンタローだった。
「キンタロー、お前も何で止めないで一緒になってきやがったッ」
「シンちゃん、最初に走り出しのはキンちゃんだよ」
「はあぁ?!お前が先陣切ったのかよ?!」
黙ったままの半身に、シンタローは心底呆れた声を出した。ストッパーとなるはずの従兄弟が最初に走り出したら、後は続くのみとなる。これでは暴走が止まるわけない。
「お前を心配したからに決まっているだろう」
「そんなに俺は信用ないわけ?」
シンタローはジィッとキンタローを睨み付けた。若干拗ねているような視線が含まれている。
「シンちゃん!!何?その目。パパと随分対応が違うと思うんだけど!!」
「ウルセー、黙れ」
違った論点で横から喚き立てるマジックを一言で黙らせる。視線はキンタローへ向けたままだ。
「信用していないわけじゃない。お前の暴走は今に限ったことではないからな」
「暴走言うな」
「違わないだろう?ただ───血塗れはよくない…テレビ画面でお前の姿が一瞬映ったとき、俺は心臓が止まるかと思った…」
キンタローは重々しく言葉を吐き出す。マジックのようなノリと違ってこのように真面目に切り返されるとシンタローは大人しくなってしまう。更に、キンタローは本当に思ったことしか言わないので、本心をこの様に言われるとばつが悪い。キンタローの言葉でシンタローの怒りの勢いが半減する。
「そりゃ…心配をかけたのは悪かったけど……って親父、何してる?」
「ん?シンちゃんメモ。キンちゃんみたいに対応すればシンちゃんは大人しくなるのかと思って」
どこまでも場を台無しにしてくれるマジック前総帥であった。
本日二発目の眼魔砲が盛大に放たれたが、またしもヒットはせずに涼しげな父親の顔を見る羽目になったシンタローであった。
「そこまで元気なら本当に大丈夫だね、シンちゃん。安心したよ」
殺気立っている息子に穏やかな笑顔を向ける父親。これを大人の余裕と言っていいものか何なのか。
だが、ここいらが潮時と思ったのか、マジックは今までと打って変わった真面目な口調で、
「シンタロー、お前は私が現役だったときと全く違うのだから、傍にいる者や待っている者へ心配をかけるようなことをするのはなるべく控えるようにしなさい」
と言ったのであった。突然の真面目な台詞にシンタローは言葉に詰まる。そんな息子にマジックはいつもと変わらない笑みを浮かべた。
「今日はシンちゃんの大好きなカレーを張り切って作っちゃうからね!それから、ちゃんと高松のところへ行って傷の手当はしておくんだよ」
そうしてマジックは大人しく引き下がっていったのであった。
無茶苦茶なように見えた一連の言動をまとめてみると、本当にシンタローのことを心配していただけということがよく判る。無事が判り、いつも通りシンタローだと納得すればきちんと引いていくのだ。
何だか親に負けたような気持ちになったシンタローは、深い溜息をついてしまった。
「シンタロー…傷の手当だが…」
「ん?あぁ、今高松ンとこへ行くよ」
そういって怠そうに席を立つ。
「違う。そうではなくて、俺が手当を…」
キンタローの台詞にシンタローはピタっと止まった。そして半身の端正な顔を見つめたが、総帥室の扉へ向かって歩き出した。
「ヤだ。お前、俺の血ィ見ると興奮して食らいついてくるから」
そう言ってベェっと舌を出すと、総帥室を出ていった。
一人残されたキンタローは、シンタローが残していった台詞に思わず固まった。色々と反論の台詞が浮かんできたのだが、当の本人はもうここにはいない。
「何の話だ、シンタロー…」
キンタローには該当する記憶がない。まだ、シンタローを殺そうと執拗に狙っていたときのことなのだろうか。あの時は確かにシンタローの血を見たがって追いかけ回していたような気はする。
シンタローが残していった台詞をどう捉えればいいのかも全く判らず、そのまま暫く一人呆然と立ち尽くしたキンタローだ。暫く立ち尽くした後、どっと疲労が押し寄せてきたような気がしたのであった。
「キンちゃんッ?!」
もの凄い剣幕でこの場から走り出したキンタローにグンマが慌てる。一瞬遅れて追いかけたが、到底追いつけるようなスピードではない。だが、感情に突き動かされた従兄弟をこのまま放っておくわけにもいかない。
この時、幸運にもキンタローが向かった先から高松が歩いてくる姿を認めて、グンマが声を張り上げた。
「高松!!キンちゃんを止めてェェ!!」
「グンマ様…え?キンタロー様を?」
いまいち状況が飲み込めない高松だったが、言われたとおりに走り来るキンタローを止めようと試みる。だが、黄金の獣は後見人をあっさり突き飛ばして走り去った。突き飛ばされた高松は心底驚いた。あんなに慌てたキンタローはほとんど見たことがない。キンタローは大抵のことでは感情を露わにしないからだ。例外があるとすれば───。
「グンマ様、一体何が…?」
高松の元まで走ってきたグンマに問いかける。
「何か、テレビでね、血塗れのシンちゃんが、映ってて…」
グンマは息を切らしながら必死に説明をする。
グンマの台詞を聞いて高松は目を瞠った。それが本当なら一大事である。
「あ、お父様!!」
一般団員がいるようなフロアでその姿を目にするのは非常に珍しいことなのだが、前総帥であるマジックがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。マジックはただならぬ剣幕で走ってくるキンタローの姿を目にして驚いた。
だが、ここは流石の前総帥。猪突猛進状態のキンタローを素早い動きで避けると、その腕を掴んで制止させた。
「キンちゃん、そんなに慌ててどうしたんだい?」
キンタローは非常に険しい表情でマジックを見やった。数年前の荒れていた頃を思い出させるような顔であり、どこか悲痛な表情を浮かべている顔でもあった。
マジックの質問に答えたのは、息を切らせながらそこまで走ってきたグンマである。
「お父様…ありがとう…キン…ちゃん…落ち着いて…」
「グンちゃん、大丈夫かい?一体何があったんだね?」
「今ね…テレビでシンちゃんが…」
「グンマ様!!」
高松がグンマを制しようとしたのだが、グンマは事の次第を全て話してしまった。
途端に、先程のキンタローと同じ様な勢いで走り出す、前総帥マジック。
「待っててシンちゃん!!今、パパが助けに行くから!!キンちゃん行くよ!!」
二人揃って勢い良く走り出した姿を見て、グンマが嘆いた。
「えぇー?!何でそうなるのー!!」
誰がどう考えてもそうなるのは当たり前である。マジックがシンタロー絡みで大人しくしているわけがない。黒髪の愛息に関しては、どんな小さな火種でも劫火とするマジックなのだ。シンタローが街中で負傷したとなっては、一大事である。何が大変かと言えば、その街の存続が、だ。
だから高松はグンマを止めようとしたのだが、間に合わなかった。
シンタロー絡みで暴走する二人を止められるのは、シンタロー本人以外いない。
高松はグンマを宥めて休憩室に戻った。問題のテレビ画面に視線を向けると、流れている内容はウィンディアの事件だが、映像は街中のものではなかった。高松に連れ戻されたグンマは、そのテレビからの情報を一切逃さないといった様子で見入っている。
そんな中、高松は冷静に考える。その映像自体が何か見間違いだったのではと、まず思った。ウィンディアでシンタローのような黒髪長髪の若者は珍しくないからだ。仮にその映像が本当だったとしても、シンタローのことだから命に別状があるわけではないだろうと、このドクターは確信していた。本来なら傷一つ負うはずもないはずである。それが負傷したとなると、誰かを庇ったか線が一番高い。戦地ならともかく、今回は起こった悲劇は街中だ。シンタローは、巻き込まれたのは民間人を放っておけるような性格ではない。
どちらにしてもシンタローの能力を考えれば、キンタローもマジックもそのくらい判るはずなのだが、どうしても先に頭へ血が上るようだ。
『しかし、その様な映像を撮られてしまうとは、まだまだ甘いですねぇ、シンタロー様は』
本部へ戻ってきたシンタローの傷の手当をする際に、どんな嫌味を言って差し上げましょうかなどと考える高松は、新しき総帥の力を認めているのか、単なる趣味か───。
休憩室にある窓から、激しく揺れ動くヘリコプターが一台飛び立っていくのが見えたのだが、あっさり見なかったことにしたのであった。
ウィンディアは突然の大事件に騒然としていた。
偶然起きたような強盗事件が、多数の死傷者を出す大惨事へと発展したのだ。事態はかなり複雑かつ深刻なものとなっていた。
『まいったな…』
シンタローは辺りを見回す。一段落した今は至るところに取材陣が待ち構えていて、上手く身動きがとれないのだ。
上に着ていた白いTシャツの至るところが血に濡れて紅く染まっているのだが、この赤い色の大半はシンタローが助けた他人のものだ。素材の所為なのか必要以上に広がって染まってしまっている。見た目には相当な深手を負った人に見えた。これは助けた人の血だと言っても、それは本人にしか判らないことだ。シンタローが実際に負った傷は弾をかすめた程度の軽いもので、本人からしてみれば、かすり傷同然であった。戦場で負う傷と比べれば、つばを付けておけば治るなどと軽口をたたけるようなものなのだ。
二度目に起きた強盗事件は、どんな作用を引き起こしたのか、ターゲットとなった宝石店を中心にあちこちで呼応するように発砲事件が起きたのだ。一転して、目の前の事件を解決すればいいという単純なものではなくなった。こうなると、偶然起きた二件目の事件は、偶然ではないようだ。
こうして突然、この事件の不自然さが浮き彫りになった。誰かの意図を感じずにはいられないシンタローだ。
出会してしまったのは運が悪かったのだろうけれども、誰が考えても単純な強盗事件ではないはずだ。
だが、この街で不穏な動きがあるという報告は受けていない。ガンマ団本部からそこまで離れている街ではないのだから、何かあれば必ず報告を受けるはずである。
事件に対して様々な疑惑が頭の中を過ぎったシンタローだが、考えながら行動をするには分が悪すぎる。どんな人間が手にしても、武器は武器で人間を傷つける。簡単に命を奪うことが出来てしまう。現に巻き込まれた民間人が次々と倒れていっているのだ。余計な思惑に捕らわれている間にも、命を落としていく人間がいる。
被害が拡大される前に自体は収めなくてはならないと思ったシンタローは、事態収拾へ努めたのだった───が、少しばかり、いや、かなりやりすぎたようである。
各々の犯人は統率された動きをしているわけではなく、全てが単体である。従って、誰か司令塔となる人物を叩けば事が収まるというわけではない。
急がば回れと諦めたシンタローは、虱潰しに一人一人と対峙して倒していったのだった。
事件発生の連絡を受けて出動したウィンディアの警官達に紛れて、明らかに常人の域を遙かに超えた漆黒の獣が、すり抜ける風のような動きで街中を飛び回る。パニックを起こした民間人も迷うことなく昏倒させて端に避けると、銃に臆することなく立ち向かっていく。また、放たれた弾に当たらないのも凄いが、相手が引き金を引く前に一撃で倒してしまう程の凄腕だ。無駄のない動きは、明らかに特別な訓練を受けた者だと印象づける。更に、相手が落としてそこいらに転がっている銃を拾い上げると、遠くのターゲットも狙い撃つ。その射撃術の神業なこと、無造作に連射したように引き金を引いたかと思えば、各々武器を持っていた手に命中する。次の瞬間既に移動しており、漆黒の獣は新たなターゲットを倒していた。
そうやって街中を飛び回ったシンタローが事態を収めた頃には、当たり前だが大注目を浴びていたのだった。
『あちゃー…やりすぎちまった…』
やっと終わったと思ったときには、自分も終わっていたのだ。警官達の畏怖敬遠する視線が非常に痛い。
シンタローは曖昧な笑みを浮かべると、まだ混乱している民間人の群に紛れて逃げた。そうこうしている内に、銃声が響かなくなり静かになった街の様子をもう安全だと判断したのか報道陣が押し掛けてきて、身動きがとれなくなってしまったのである。
更に、凄惨な街の様子をカメラで映し出している中、シンタローの姿も撮られてしまい、違った意味で最悪な状況になった。一瞬とはいえ、非常によろしくないことである。
『こんなはずじゃなかったんだけど…』
何とかここから離れて本部へ戻りたいのだが、如何せん邪魔が多すぎるのだ。どこかに紛れて移動できないかなと思ったシンタローに、負傷者を運び出している救急隊員が声を掛ける。病院に行ったら行ったで面倒が起きるかなと思ったシンタローは「あ、これ殆ど俺の血じゃないんで大丈夫です」と言って丁重にお断りした。じゃぁ誰の血だよ、と相手を固まらせてから失言に気づき、ますます居場所がなくなっていくのだった。つくづく隠密に行動が出来ない人間である。
そんな中、部下を何人か引き連れた男がシンタローへ近寄ってきた。肉付きがよい小太りした初老の男で、仕立ての良いスーツを身につけていた。後ろに従っている部下の様子からも身分が高い者であることは一目瞭然だ。普段なら威風堂々とした立ち振る舞いなのだろうが、シンタローを前にして、非常に恐縮したように顔面蒼白である。
シンタローはこの男の顔を知っていた。ウィンディア街警のトップだ。
さすがに街警のトップとなれば、目の前にいる黒髪長髪の青年が何処の誰だか判るのであろう。顔面蒼白の理由も半分はこれのようであった。
シンタローは苦笑をもらすと、自ら声を掛ける。これは好機が訪れたと思ったからだ。この男と話せば上手くこの街から出ていくことが出来る。
「災難だったな」
「はい…それは、もう…」
流れ落ちる冷や汗をハンカチで拭きながら何とか応対しているような口調だ。
「結構な騒ぎになってるけど、被害は?」
「今、調べているところでございます…」
己の半分程しか生きてきていない青年に向かって敬語である。流石に気の毒に思ったシンタローだった。これでは部下の前で示しがつかないだろう。
「そんな腰を低くしなくてもサ…」
「いえ、あの……はぁ…」
相変わらず苦笑を浮かべたままのシンタローだったが、このガンマ団総帥の友好的な態度に少し気を緩めたのか、街警のトップは一歩近寄って口を動かした。
「お体の方は…」
「あぁ、これは大丈夫だ。俺よりも被害にあった民間人の方を…」
「救急隊をフル活動させています」
「酷い事件だよな…」
「はい。まったくもって…」
二人は何気なく会話をしていたのだが、街警トップと話す青年の姿にだんだんと周囲の視線が集まりだした。これ以上注目の浴びようがないシンタローだが、今は早くここを去りたい。事件については今判っている範囲でも詳細を知りたいのだが、周囲を見る限りそんな余裕もなさそうだ。
「ウチも何かあったら全面的に協力をする───ってわけで、悪い…派手に動いて注目を浴びてるから一旦本部へ戻りたいんだけど…」
「判りました。直ぐに手配いたします」
ガンマ団総帥が直ぐにこの場を去ってくれるということに安堵したのか、街警トップは背後に控えていた部下に指示を出す。部下は直ぐに無線でどこかへ連絡をしてくれたようであった。
これで何とかなった、とシンタローと街警トップが共に胸を撫で下ろそうとしたときである。
遠くの方から何か音がした。それはだんだんと近づいてきているようだ。一体何かと思えば音の正体はヘリコプターであった。
もの凄い音を発しながら、シンタロー達の上空で止まる。
「ヘリなんか呼んだのか?」
「いえ、そんな指示は出していませんが…」
二人揃ってヘリを見るやいなや、
「シンちゃんッ!!!パパだよ!!!助けに来たよ、マイハニー」
ド派手なピンクのスーツで全身を包んだ男が、耳を疑いたくなるような台詞を叫んで上空から降ってきた、もとい、飛び降りてきた。そんな高さから飛び降りたら死ぬだろうという勢いで落下してきたマジックガンマ団前総帥は、落下地点に激突する前に眼魔砲を地面に向かって放ち、己の体をフワリと浮き上がらせると優美に着地した。
マジックが目の前に現れるやいなや、シンタローは顔を引きつらせ街警トップは傾倒した。部下が慌ててその体を支える。だが、更に───。
「シンタローッ!!!」
ヘリから下ろした梯子に掴まり、爆風を全身で浴びながらハリウッド映画の男優さながら美形の青年が、今正にヒロインを助けに来ましたといった風貌で現れたのだった。
ヘリを可能な限り下降させると、そこから一気に飛び降りる。
その一連の動作の格好良さと美しさと言ったら、その場にいた者の目を奪うのに充分だったのだが、激しく場違いなことこの上ない。
「シンちゃん!!大丈夫?!」
「シンタロー!!大丈夫か!?」
口々に喚き立てる身内の暴走に、シンタローはブチ切れた。
「お前等まとめて逝きやがれェェーッ!!!!」
ガンマ団新総帥の激しい怒声は、辺り一面にこだましたのであった。
ガンマ団本部へ戻って、場所は総帥室。血塗れて汚れた服を着替えることもせずに、現総帥であるシンタローはドカリと席に座っていた。目の前にいる二人を嶮しい目で睨み付けると、激しい怒り声が響き渡る。
「何考えてんだよ!!」
「だってシンちゃんが怪我して血塗れだったって聞いたから、パパいてもたってもいられなくてね」
すかさず反論してきたのは、シンタローのご立腹になれている父親のマジックであった。どれだけ嶮しい目で見られようと、怒声が響き渡ろうとも、全く気にしない父親マジックの精神的タフさは素晴らしいものがある。対するキンタローは黙ったままシンタローを見つめていた。
「あんな登場の仕方があるか!!一発で何処の誰だかバレルわッ!!」
「そんなこと考えている暇なんてないくらい心配したんだよ!!」
「嘘つけェェーッ」
これが世界に畏怖されたガンマ団前総帥の所行かと疑いたくなる。考えている暇がなかったなんて、それがあの切れ者と言われた覇王が口にする言い訳かと言わずにはいられない。
「それにお前に何かあったら、グンちゃんも悲しむし、コタローが目を覚ましたとき、パパ何も言えなくなっちゃうよ…家族が悲しむ姿を見るなんて…そんなのパパは…」
麗しい家族愛の台詞であるが、シンタローはそんなものに誤魔化されない。これこそシンタローの弱みにつけ込んで怒りを封じようとしているのであった。
「親父、お前「マイハニー」とか叫んでたよな?」
「パパの愛は昔から変わらないヨ」
何愛だと突っ込む前に、怒りの頂点に達したシンタローは遠慮なく眼魔砲を放ったのであった。瓦礫に埋もれて逝ってしまえと思ったのだが、見事に避けられていたようで、横から声を掛けられる。
「あはは。シンちゃん、短気は損気だぞ!」
『ムカツクッ!!!!』
どんどん顔が鬼の形相になっていくシンタローだった。
「キンタロー、お前も何で止めないで一緒になってきやがったッ」
「シンちゃん、最初に走り出しのはキンちゃんだよ」
「はあぁ?!お前が先陣切ったのかよ?!」
黙ったままの半身に、シンタローは心底呆れた声を出した。ストッパーとなるはずの従兄弟が最初に走り出したら、後は続くのみとなる。これでは暴走が止まるわけない。
「お前を心配したからに決まっているだろう」
「そんなに俺は信用ないわけ?」
シンタローはジィッとキンタローを睨み付けた。若干拗ねているような視線が含まれている。
「シンちゃん!!何?その目。パパと随分対応が違うと思うんだけど!!」
「ウルセー、黙れ」
違った論点で横から喚き立てるマジックを一言で黙らせる。視線はキンタローへ向けたままだ。
「信用していないわけじゃない。お前の暴走は今に限ったことではないからな」
「暴走言うな」
「違わないだろう?ただ───血塗れはよくない…テレビ画面でお前の姿が一瞬映ったとき、俺は心臓が止まるかと思った…」
キンタローは重々しく言葉を吐き出す。マジックのようなノリと違ってこのように真面目に切り返されるとシンタローは大人しくなってしまう。更に、キンタローは本当に思ったことしか言わないので、本心をこの様に言われるとばつが悪い。キンタローの言葉でシンタローの怒りの勢いが半減する。
「そりゃ…心配をかけたのは悪かったけど……って親父、何してる?」
「ん?シンちゃんメモ。キンちゃんみたいに対応すればシンちゃんは大人しくなるのかと思って」
どこまでも場を台無しにしてくれるマジック前総帥であった。
本日二発目の眼魔砲が盛大に放たれたが、またしもヒットはせずに涼しげな父親の顔を見る羽目になったシンタローであった。
「そこまで元気なら本当に大丈夫だね、シンちゃん。安心したよ」
殺気立っている息子に穏やかな笑顔を向ける父親。これを大人の余裕と言っていいものか何なのか。
だが、ここいらが潮時と思ったのか、マジックは今までと打って変わった真面目な口調で、
「シンタロー、お前は私が現役だったときと全く違うのだから、傍にいる者や待っている者へ心配をかけるようなことをするのはなるべく控えるようにしなさい」
と言ったのであった。突然の真面目な台詞にシンタローは言葉に詰まる。そんな息子にマジックはいつもと変わらない笑みを浮かべた。
「今日はシンちゃんの大好きなカレーを張り切って作っちゃうからね!それから、ちゃんと高松のところへ行って傷の手当はしておくんだよ」
そうしてマジックは大人しく引き下がっていったのであった。
無茶苦茶なように見えた一連の言動をまとめてみると、本当にシンタローのことを心配していただけということがよく判る。無事が判り、いつも通りシンタローだと納得すればきちんと引いていくのだ。
何だか親に負けたような気持ちになったシンタローは、深い溜息をついてしまった。
「シンタロー…傷の手当だが…」
「ん?あぁ、今高松ンとこへ行くよ」
そういって怠そうに席を立つ。
「違う。そうではなくて、俺が手当を…」
キンタローの台詞にシンタローはピタっと止まった。そして半身の端正な顔を見つめたが、総帥室の扉へ向かって歩き出した。
「ヤだ。お前、俺の血ィ見ると興奮して食らいついてくるから」
そう言ってベェっと舌を出すと、総帥室を出ていった。
一人残されたキンタローは、シンタローが残していった台詞に思わず固まった。色々と反論の台詞が浮かんできたのだが、当の本人はもうここにはいない。
「何の話だ、シンタロー…」
キンタローには該当する記憶がない。まだ、シンタローを殺そうと執拗に狙っていたときのことなのだろうか。あの時は確かにシンタローの血を見たがって追いかけ回していたような気はする。
シンタローが残していった台詞をどう捉えればいいのかも全く判らず、そのまま暫く一人呆然と立ち尽くしたキンタローだ。暫く立ち尽くした後、どっと疲労が押し寄せてきたような気がしたのであった。
次の日、少し早く目が覚めたキンタローだったが寝覚めは最悪だった。
昨日は普段よりも早めに休んだつもりだったのだが、目が覚めても体が怠く頭もすっきりしない。眠りが浅かったのかもしれない。
原因は部屋に戻ってからも悪い方へ引きずられた思考のせいだと思われた。
それでもベッドから降りると早々に身支度を整える。シャワーを浴びて体を完全に覚醒させると、いつも通りにスーツをしっかり着込み、足早に総帥室へ向かった。
『少しでもシンタローの役に立ちたい…』
今のキンタローにとっては、それが己の存在意義の一つであった。
まだ積み上げられてきたものが何もない者にとって、一つのものに対する思いの比重は他の者よりも遙かに大きい。立ち止まれば、自分の居場所など他の誰かが簡単に奪っていくような気がしてならないのだ。己が納得いくまでとことん突き詰めないと気が済まない。不安で堪らなくなる。
焦らずにゆっくりとと言われても、キンタローには足を止めている暇などなかった。己を確立するには圧倒的に時間が足りないのだ。
そう思いながらマイナスな思考を振り切るように勢い良く総帥室へ入ると、
「お!おはよー、早ェなキンタロー」
というシンタローの明るい声に出迎えられた。
その場で激しく項垂れそうになったキンタローである。よろけてもたれ掛かった壁に、思わず喋りかけそうになる。
『何故だ…何故なんだッ』
今さっき己を奮い立たせたばかりだというのに、次の瞬間鉄槌が勢い良く頭にぶつかった。ゴーンと重い音が響く。
何故、昨晩自分より遅く休んだはずのシンタローがもう既にここにいるのだろうか。
普段通りの時間ならともかく、キンタローはいつもより早い時間にここへ来ている。一般団員は別としても、一般職員が始業するにはまだ悠に時間があるのだ。
更に、シンタローは今ここに来たというわけではないらしく、既に読み終えてサインがしてある書類がいくつか目に付く。この男は一体何時からここにいるのだろうかと疑問に思わない者はいないであろう。
「……………」
結局、あまりの衝撃に挨拶を返すことも出来ず、昨晩と同様に固まりながらシンタローを凝視するキンタローなのであった。
恐い顔で見つめられたシンタローもまた、昨日と同様の台詞を口にする。
「何だよ、どうかしたのかよ?」
「……………お前は昨日きちんと休んだのか?」
「ん?あぁ、ちゃんと戻って寝たゾ。まだちっと眠ィけど、何か目が覚めちまったからさ。朝飯もしっかり食ってきたし、バッチリ元気!」
非常に明るい声と笑顔で返事をされて、キンタローは何とも言えない微妙な気持ちになった。シンタローよりも早く休んだキンタローは、疲れがとれたとは思えないような怠さが残っている。
短い休息でも、元気ならそれにこしたことはないのだが…。
「いや、それならいい…」
キンタローは静かな声でそう言うと、総帥室に入ってきたときの勢いは何処へいったのか、とぼとぼと歩いてシンタローのデスクに近寄った。どんよりとした空気が補佐官を包んでいる。
落ち込んでいるのが一目でよく判った。
「キンタロー…何しょんぼりしてんだよ?」
机の上で無造作に積み重ねられていた書類に手を伸ばしながら、シンタローに問われたキンタローは、暗い目を向けた。一瞬の間をあけ、覇気のない声で答える。
「…俺は普通だ」
「……………」
それが普通ではアラシヤマと十分対が張れる。
シンタローはそんな突っ込みを入れそうになったが、何とか踏みとどまり爆弾を落とさずに済んだ。
そんな突っ込みを入れようものなら、どこかに埋まってしまいそうなほどジメジメと暗いのだ。キンタローがそんな根暗な男になってしまってはシンタローが困る。それどころか青の一族をはじめ、ガンマ団全体が困るのだ。このような状態では、いつか人形片手に喋り出すかもしれないなどと思わず考えてしまう。いや、キンタローの場合は、人形相手ではなく少し高度に人体模型かもしれない。
何処ぞのマッドか───。
これでは完全に変態の仲間入りだと思って、頭の中に浮かんだアラシヤマや高松に想像上でも眼魔砲を放ち、嫌な思考と共に吹き飛ばした。『そんなの俺は認めねぇーッ』と勝手に想像しておきながら、頭の中で怒声を飛ばす。
触れてほしくないのなら仕方ない、と思い直して、シンタローは別の話題を振る。
「そーいや、お前、昨日俺に何か言いたそうにしてたじゃねーか…何かあんなら言えよ?遠慮するよーな仲じゃねーんだからサ」
そう言っていつも通りの笑顔を向けたのだが、その台詞で正に埋まってしまいそうになったキンタローにシンタローの顔は引きつった。このままでは人体模型一直線だ。
「あーッいい、いい、いーから!!言いたくねーなら無理に聞かねーから!!」
シンタローは今の台詞のどこが悪かったのか全く判らない。判らないが地雷を踏んだらしいことは判ったので、この件についても触れることを諦めた。今日は調子が悪いのかもしれない。そう思うことにする。
あらためてキンタローの顔を見てみれば、疲労が色濃く表れていた。
ここのところ深夜遅くまで付き合わせているから、無理をさせすぎたのかもしれない。
性格上、何事も細かく丁寧に取り組むキンタローだ。自分よりもこの半身の方が遙かに要領がいいから、何事も飄々とこなしているように見えるのだが、実際の所は判らない。今まで全然気付かなかったが、大分負荷がかかっているのかもしれない。
シンタローは目に付いた顔色の悪さが心配になった。何かあってからでは遅いのだ。いつもシンタローのことを気遣ってくれる半身のことで、自分が気付けないのは嫌だった。
「キンタロー…お前、何か顔色悪ィけど…大丈夫か?具合悪ィなら…」
心から相手を思っての台詞だったが、話の途中で完全にめり込んでしまった半身にシンタローは慌てた。
今日は朝から地雷踏み大会のようだ。言うこと全てが禁句のようである。さすがのシンタローも三度目となっては机に突っ伏してしまった。
『あーっもうっ!!何なら喋っていいんだよッ!!』
シンタローが言う台詞は地雷とイコールのような状態となっている。何処に埋まっているか判らないものを立て続けに三回も踏めば十分であろう。爆撃よろしく口を開くたびにキンタローの俯き加減が酷くなっていくので、シンタローは一旦会話を諦めた。
『そんな日もあるよな…』
背負っていた暗い影が斜線からベタになったように見えたが、何も口にしないキンタローを尊重してこれ以上話を振らず、シンタローは再び読みかけの書類に視線を戻した。
黙ったまま仕事を黙々とこなしていた二人だが、昼前に研究室から内線が入り、キンタローは一旦総帥室を出た。シンタローも人と会う約束があったので、その数十分後に出ていく。
こうやってお互いに別行動をとるのはいつものことなのだが、シンタローはキンタローの様子を思うと離れるのが少し心配であった。しかし、仕事は仕事でこなさなければならない。今日の夜は少し早めに切り上げて突っ込んだ話でもしに行くかと考えて、一旦この件は思考から外した。
総帥室から出ていったキンタローは足早に研究室へ向かう。実験中に何かトラブルが発生したらしい。
『こんなときに限って…』
得てして、タイミングというのはそんなものであったりする。何かしようとしているときに、別の何かが邪魔をするというのは、残念ながら珍しいことではないのだ。
それを如何に早く片付けて本来の業務へ戻るかが、その者の能力によるところだったりするわけだが───総帥補佐官を務めるキンタローは能力が低いわけではない。むしろ他に対を張れる者がいないくらい非常に高い。
従って、この件も早々に片付けて総帥室へ戻ろうと思っていたのだが、そう思い通りに行かないという日もまた珍しいものではないのであった。
一方、シンタローは本部から車を飛ばして、そこから西南に位置する街『ウィンディア』へ来ていた。
ガンマ団本部から十五キロメートルほど離れたところにあるこの街は、交通の便から様々な人が出入りする。大きなステーションは複数の鉄道が交わり、毎日各地から多くの人が訪れるのだ。いわゆる上流階級と呼ばれる人が集まるようなホテルやクラブ、遊技場もあれば、その日暮らしの男達が昼間から飲んだくれているような店まで混在している街である。
これから会う人物はシンタローの昔からの友人であった。と言っても士官学生時代の友人ではない。何処で知り合ったかと言えば、親子喧嘩をして家出をしている最中にとある街で知り合ったのだ。当時の無茶仲間である。
こんな昼間からこの友人に何の用があるのかと言えば、彼は情報屋を生業としている。勿論、公に出来ないような情報を扱うのが専門の人間である。
頼んでいた資料が出来上がったと言うことで、それを受け取りに来たのだ。通信で送ってもらえば一瞬で済むのだが、色々と都合があるらしい。
裏街道を行くのが生業の友人だが、この総帥の商業柄なのか人柄なのかこの性格の所為なのか、シンタローにはこの手の知人友人が結構多い。勿論、きちんと人を選んで付き合うからどの友人もその道のプロなのだが、必要不必要は別として、この場合の『プロ』というのは一般的に褒められたものでないことは確かだった。
シンタローは車を駅前の巨大立体駐車場の陰に隠れて見えなくなっているような駐車場に止めると、一旦大通りに出る。そこを5分ばかり歩くと、右手にある細い路地へと入っていった。
この街の特徴として、シンタローのような人間が歩いていても目立たないというのがある。シンタロー自身、偉丈夫であるにも関わらず、昼間でも存在感を消して行動が出来る特殊な人間なのだが、それ以前に様々な人種が混在するこの街では余り目立たないのだ。
赤い総帥服で大通りを闊歩していれば話は別だが、私服でいればただの大きな若者としか見られない。ガンマ団総帥の顔を知っている者がいたとしても「他人の空似かな」で済んでしまうような街がウィンディアなのである。
シンタローのような総帥にとっては非常に有り難い街で、その部下達を嘆かせる街でもあったた。
細い路地に入って少し歩くと、所々ペンキが剥げている看板が斜めにずれて落ちかけている店がある。外から見た印象は潰れかけているような店なのだが、その横にある地下への階段をシンタローは下りていった。そして降りた先にある扉を開けると、一転して賑わっている声が聞こえてきた。
昼間から大酒を食らい、新しい客が来ても誰も気に留めない。見るからに屈強そうな男達が、各々自分達のテーブルで騒いでいる。もう少し警戒を払っても良いような感じがするが、全く払っていないわけではないのだ。こんな騒ぎの中でも物騒な気配には敏感に気付く。それ以外には興味がないのだ。自分に害がなければ関わらない。ここはそんな男達が集合している店であった。
シンタローは店の奧にあるカウンターに腰を掛ける。流石に昼間から飲むわけにもいかないので、何か食べるかとメニューを眺めた。この店はどの料理も非常に豪快な量が出てくるのだが、それだけでなく味も良い。シンタローは結構気に入っていて、過去に何回か足を運んでいる。勿論キンタローと来たこともある。
どうするかな、なんて呑気に選んでいると、隣りに一人の男が座った。癖のある赤茶色の髪をした中肉中背の男だ。身につけている衣服は随分と草臥れている。長く伸びた前髪の隙間から焦げ茶色の瞳がのぞいていて、シンタローの姿を映していた。シンタローは気配で友人が来たことが分かった。
「悪ィ、シンタロー…待ったか?」
「いんや、今来たとこ」
シンタローは『本日のスペシャルランチ』というのを二人前頼むと、ようやく友人へ顔向けた。
「飯食ってねぇーよな?」
「おごり?」
そんな友人の返答にシンタローは笑みが洩れた。
「あぁ、おごってやる。有り難く思えヨ、ジョニー」
シンタローにジョニーと呼ばれた男は「久々にまともな飯が食える」と歓喜の声を上げ、それから忘れぬうちにと一枚のディスクを渡した。
「これに全部まとめておいたよ」
「お、サンキュー。随分早かったな。もっと時間がかかると思ってたんだけど…」
「悪かったな。今仕事がねーんだよ」
そう悪態をつくと、もう一枚ディスクを渡す。
「これは?」
「キンタローに渡してくれってアーサーのヤローから頼まれた」
「アーサーから?武器屋がキンタローに何の用事だ?」
「俺が知るわけねーだろ。何かのリストが入ってるっつってたけどな…」
武器屋のアーサーと言えば、やはり裏街道で有名な人物である。金さえ払えば老若男女人種問わずどんな武器でも売ってくれるという、地獄の沙汰も金次第がモットーな男だ。だが、その種類と知識が豊富なことから一部で絶大な人気を誇る。あの国の特殊部隊ではその会社の製品をこういった理由から実戦配備されているというような台詞がすらすらと出てくる。多分、武器について語らせたらノンストップで一日中話してくれるだろう。ジョニーと同様に、昔の無茶仲間で、シンタローとも親しい仲であった。
シンタローが二枚のディスクをしまうと、タイミング良く料理が運ばれてくる。本日のランチは肉料理がメインのようで、香ばしい匂いが食欲を刺激する。
メインの用事は既に済んでいるので、二人は食事にありつきながら、近況を交えて雑談を楽しんだ。
昼間から豪快な男達が集まるような店のため、かなりボリュームがあるランチだったが、二人は早々に食事を平らげ、挨拶を交わすと店を出て別れた。
シンタローはそのまま直ぐに本部へ戻ろうと表通りへ出た。
だが、来た道を戻る途中に人だかりと女の悲鳴、子どもの泣き声が聞こえてきて足を止める。何事かと思って騒ぎの方へ視線を向けると、人相の悪い大柄の男が、小さな子どもを片手でつまみ上げていた。その前に泣き崩れながらも何か言葉を口にしている女性が見える。シンタローはただの痴情のもつれかなと思いこの場を立ち去ろうとしたが、男がつまみ上げている子どもの顔面が血にまみれているのを見て向かう先を変えた。
騒ぎへ近づくに連れ、野次馬からの台詞で事の次第が見えてくる。
女性はしつこくつきまとう男から逃げていたようだが、本日ここで運悪くはち合わせてしまったようだ。男は昼間から酒を浴びるように飲み、日常茶飯事暴力を振るうような人間で、女性は身の危険を感じてこの男から離れた。
だが、自分と一緒にならないのは子どもが居る所為だと勝手に思い込んだ男は、その女性と一緒にいた、まだ小さな子どもを殴りつけたらしい。
どうしようもない人間はどこにでもいるものだと思いながら、シンタローは騒ぎの中心へと足を進める。
この男は今も酒を飲んだ後なのか、赤い顔をしており、足元も若干ふらついている。激情も相成って、男は周りが一切見えていないようであった。掴みあげている子どもを宙で再び振り回す。子どもは殴られた痛みの衝撃と今現在の恐怖から声を失っている。
『本当に酷ェヤツだな…』
そうこうしている内に、男は下卑た笑いを浮かべると子どもを投げ飛ばした。
小さな体は壁に激突した。周りの見物人はそう思って悲鳴をあげそうになったのだが、実際は一人の男がしっかりと受け止めていた。驚き固まっている子どもの頭を優しく撫でながら、そっと地面に下ろす。
「もう、大丈夫だよ」
シンタローは優しげな笑みを浮かべながらそう言った。
子どもは呆然としながらシンタローの顔を眺めていたが、しばらくして意識が現実に戻ってきたのか漸く大声で泣き出した。男の前で泣き崩れていた女性が、直ぐに駆け寄ってきて泣きながら子どもを抱き締めた。子どもの無事に安堵し、シンタローに涙を流しながら礼を言う。
それに笑顔で応じると、次にシンタローは子どもを投げ飛ばした男に視線をやる。
男は嶮しい顔をしてシンタローを睨んでいた。非常に恐ろしい形相は、突然わいて出た男を忌々しく思っているのがよく判る。今まさに飛びかからんといった剣幕で、鋭い視線を投げつけていた。
子どもは無事に救出されたわけだし、ここでシンタローも己の立場をわきまえて、早々に立ち去るように努めるのが懸命な判断だ。だがしかし、小さな子どもに暴力を振るったことが腹に据えかねて、ついつい相手を挑発してしまう。
シンタローは冷ややかな視線を相手に向けた。頭に血が上っている男は、それだけで猛烈な勢いで突進してくる。その動きは意外なほど素早く、一般人だったらまず避けることは出来なかっただろう。そういった自負も男にはあったのか、口元には余裕めいた笑みが浮かんでいた。
だが、シンタローはあらゆる意味で一般人ではない。
悠然と躱すと、一撃でその男を昏倒させたのだった。
『あー…スッキリした』
自分事のように腹を立てていたシンタローは、拳一撃で気持ちを落ち着かせて、後はこの街の警察に任せることにする。周りからは歓喜の声援が聞こえたが、曖昧な笑みで誤魔化すと再び表通りへ出た。
一件落着と思ったシンタローだが、ここからは運が悪かったのだろう。
直ぐに駐車場へ向かうつもりだったのだが、表通りは表通りで事件が起きていたのである。
シンタローが今までいた路地の真正面にある貴金属店に強盗が入り、高価な品物を奪ってまさに今出てきたところへ、今度ははち合わせてしまったのだ。
これがまた最悪のグループ犯で、綿密でないにしろ予め逃走経路などある程度計画を立てておけばいいものを、全くそれを考えていなかったようだ。行き当たりばったりの無計画で、もたもたしている間に周囲の人間が騒ぎ出してしまい、それに慌ててその場近くにいた人間を逃走用の人質に取ろうとした。
グループの内の一人は拳銃を片手に近場にいた人間、シンタローに手を出したのだ。
いきなりそんな状況に出くわしたシンタローはいまいち状況がよく判らなかったのだが、危害を加える者には条件反射で動いてしまう。相手の手を捻りあげ武器を奪って投げ飛ばした。
「イキナリ何だっての?」
投げ飛ばされた男は壁に激突して気絶した。シンタローは訳が判らずきょとんとしている。
だが、気絶した男の仲間はそんな場合ではない。イキナリ何だ、は彼等も言いたかった。
突然現れた長身の男を攻撃対象と見なして、一斉にシンタローへ銃口を向けて引き金を引く。
シンタローはこれもまた素早い動きで躱すと、街中で飛び道具を使われるのは迷惑千万と、強盗犯全員をあっさり素手で倒した。素人と玄人では話にならない。素人が無闇に撃つ拳銃は弾がどこへ飛ぶか判らず非常に危険なのだが、動き自体が荒くてシンタローのような男だと簡単に躱しながら相手に近づくことが出来てしまう。ましてやこの様に間抜けな強盗犯となっては、動作自体が止まっているように感じられた。後は隙を見て手套一撃で充分であった。
「危ねーだろーが。街中でバンバンやったら…」
それ以上に危険な男が呑気な感想を洩らす。それから周囲を見回したが、流れ弾に当たって負傷した者はいないようであった。
シンタローのような目立つ男でも目立たないのがこの街なのだが、さすがにこうなってくると一躍ヒーロー扱いで、周囲の者の視線が集まってくる。事件が早急に解決されるのは街の人間にとって有り難いことなのだが、シンタローにとってこの展開は非常に有り難くない。余計な注目を浴びることが後々の面倒事に繋がるのは重々承知である。
『ヤベー…調子ぶっこいちまったかな?』
心の中で反省をしたシンタローだが、悪いことは続く日もあるのだ。
曖昧な笑みで周囲に応じながら誤魔化そうとしていた矢先に、今度は先程強盗が入った貴金属店の斜向かいにある宝石店で強盗事件が発生したのである。
何故同じ日にこんな近くで強盗事件が二件も発生するんだ、とシンタローも含め街にいた人々は盛大に突っ込みを入れたかった。だが、実際はそれどころではない。こちらの方が遙かに凶悪で、白昼堂々サブマシンガンを街中でぶっ放す次第だ。これには流石に負傷者が出ている。
シンタローは保身のために行動が出来るような性格ではないので、目の前の事件を見て見ぬ振りして「後は地元警察に任せよう」とこの騒ぎに紛れて立ち去ることが出来ない。
『…ったく、どんなアタリ日だよ』
心の中でそうごちると、諦めて目の前の出来事に意識を集中させた。
シンタローのような黒髪長髪は、この街にごまんといる。偉丈夫だって珍しくはない。服装もこれといって特徴があるような格好しているわけでもないから何かあっても適当に誤魔化せるだろう。
そう判断をすると、この非常識なガンマ団総帥は目の前の事件を解決すべく堂々と参戦したのであった。
昼前に研究員から呼び出しを受けたキンタローは、早々に総帥室へ戻るつもりで研究室へ来た。本当なら既に総帥室で書類を片付けているはずなのだが、今現在はキンタローの意に反して何故か休憩室でコーヒーを飲んでいる。
『何故だ…何故なんだ…』
呼び出された件は早急に解決させたのだが、研究室に現れたのが久々だった所為か、キンタローの部下や他の研究員からひっきりなしに助言を求められてなかなか解放してもらえなかったのだ。その流れのまま、今は小休憩という名の名目で研究棟内に設置された大型の休憩室に来て、ここでも議論を展開させていた。
『シンタローはジョニーに会うと言ってウィンディアへ行っているから、その間に書類を少しでも片付けてしまいたかったのだが…』
律儀で真面目な性格をしているキンタローは、相手に助言を求められれば丁寧に対応する。かなり堅苦しいような言い回しなのだが、昼夜研究室にこもって己の研究テーマを突き詰めているような人間にはそれくらいが丁度良いようである。質問すれば大抵のことは答えが返ってくるので、キンタローはガンマ団の研究員達にとって非常に貴重な存在なのだ。もっとも、本人は全く気付いていないのだが。
キンタローは研究員の話に耳を傾けながら、残りの仕事量と時間を計算して今日の業務の算段をつけた。
そろそろ本当に総帥室へ戻らないと今日中に終わらせたい業務が終わらなくなってしまう。そろそろシンタローも戻ってきている頃だろうと思い、適当に席を立とうとしたところで、聞き慣れた声に呼び止められた。
「あれ?キンちゃんだ!ココにいるの珍しいね~」
「…グンマ」
キンタローのもう一人の従兄弟が笑顔を浮かべながら近寄ってきた。
「キンちゃんも休憩?僕もなの。ホラ、これケーキ。ココの美味しいんだよー。キンちゃんも食べる?」
ケーキに喜んでいるのか、ここでキンタローに会ったことに喜んでいるのか判断がつかないが、グンマの楽しそうな声が室内に響き渡った。
「いや、いい」
「そう?あれ、シンちゃんは?」
「外に出ている。多分そろそろ戻ってくる頃だと思うが…」
「ふーん…シンちゃんはこれ食べるかな?」
今手にしているケーキが余程好きなのだろうか。グンマの返答を耳にしながらそんなことを考えたキンタローだ。この場にいる他の研究員達にも勧めている。
満面の笑みを浮かべながらお茶の準備をしていたグンマだが、休憩室で適当に流れていた大型のテレビ画面に目をやると、突然動作が止まった。
「シンちゃん…」
一言そう呟くと画面を凝視している。
「シンタローがどうした?」
つられて画面に視線を向けたキンタローは、目に入ってきた映像で固まった。
ウィンディアで銃撃戦。死傷者多数───。
白い文字でテロップが流れ、負傷者の映像がランダムに映し出される。
その中に、名前は出ていなかったが、白いTシャツを深紅に染めあちこちに傷を負った黒髪の従兄弟の姿があった。
一瞬映し出された半身の傷ついた姿だけが脳裏に焼き付く。
キンタローは全ての物音が遠くに聞こえ、目の前が一気に真っ暗になって何も見えなくなった───。
昨日は普段よりも早めに休んだつもりだったのだが、目が覚めても体が怠く頭もすっきりしない。眠りが浅かったのかもしれない。
原因は部屋に戻ってからも悪い方へ引きずられた思考のせいだと思われた。
それでもベッドから降りると早々に身支度を整える。シャワーを浴びて体を完全に覚醒させると、いつも通りにスーツをしっかり着込み、足早に総帥室へ向かった。
『少しでもシンタローの役に立ちたい…』
今のキンタローにとっては、それが己の存在意義の一つであった。
まだ積み上げられてきたものが何もない者にとって、一つのものに対する思いの比重は他の者よりも遙かに大きい。立ち止まれば、自分の居場所など他の誰かが簡単に奪っていくような気がしてならないのだ。己が納得いくまでとことん突き詰めないと気が済まない。不安で堪らなくなる。
焦らずにゆっくりとと言われても、キンタローには足を止めている暇などなかった。己を確立するには圧倒的に時間が足りないのだ。
そう思いながらマイナスな思考を振り切るように勢い良く総帥室へ入ると、
「お!おはよー、早ェなキンタロー」
というシンタローの明るい声に出迎えられた。
その場で激しく項垂れそうになったキンタローである。よろけてもたれ掛かった壁に、思わず喋りかけそうになる。
『何故だ…何故なんだッ』
今さっき己を奮い立たせたばかりだというのに、次の瞬間鉄槌が勢い良く頭にぶつかった。ゴーンと重い音が響く。
何故、昨晩自分より遅く休んだはずのシンタローがもう既にここにいるのだろうか。
普段通りの時間ならともかく、キンタローはいつもより早い時間にここへ来ている。一般団員は別としても、一般職員が始業するにはまだ悠に時間があるのだ。
更に、シンタローは今ここに来たというわけではないらしく、既に読み終えてサインがしてある書類がいくつか目に付く。この男は一体何時からここにいるのだろうかと疑問に思わない者はいないであろう。
「……………」
結局、あまりの衝撃に挨拶を返すことも出来ず、昨晩と同様に固まりながらシンタローを凝視するキンタローなのであった。
恐い顔で見つめられたシンタローもまた、昨日と同様の台詞を口にする。
「何だよ、どうかしたのかよ?」
「……………お前は昨日きちんと休んだのか?」
「ん?あぁ、ちゃんと戻って寝たゾ。まだちっと眠ィけど、何か目が覚めちまったからさ。朝飯もしっかり食ってきたし、バッチリ元気!」
非常に明るい声と笑顔で返事をされて、キンタローは何とも言えない微妙な気持ちになった。シンタローよりも早く休んだキンタローは、疲れがとれたとは思えないような怠さが残っている。
短い休息でも、元気ならそれにこしたことはないのだが…。
「いや、それならいい…」
キンタローは静かな声でそう言うと、総帥室に入ってきたときの勢いは何処へいったのか、とぼとぼと歩いてシンタローのデスクに近寄った。どんよりとした空気が補佐官を包んでいる。
落ち込んでいるのが一目でよく判った。
「キンタロー…何しょんぼりしてんだよ?」
机の上で無造作に積み重ねられていた書類に手を伸ばしながら、シンタローに問われたキンタローは、暗い目を向けた。一瞬の間をあけ、覇気のない声で答える。
「…俺は普通だ」
「……………」
それが普通ではアラシヤマと十分対が張れる。
シンタローはそんな突っ込みを入れそうになったが、何とか踏みとどまり爆弾を落とさずに済んだ。
そんな突っ込みを入れようものなら、どこかに埋まってしまいそうなほどジメジメと暗いのだ。キンタローがそんな根暗な男になってしまってはシンタローが困る。それどころか青の一族をはじめ、ガンマ団全体が困るのだ。このような状態では、いつか人形片手に喋り出すかもしれないなどと思わず考えてしまう。いや、キンタローの場合は、人形相手ではなく少し高度に人体模型かもしれない。
何処ぞのマッドか───。
これでは完全に変態の仲間入りだと思って、頭の中に浮かんだアラシヤマや高松に想像上でも眼魔砲を放ち、嫌な思考と共に吹き飛ばした。『そんなの俺は認めねぇーッ』と勝手に想像しておきながら、頭の中で怒声を飛ばす。
触れてほしくないのなら仕方ない、と思い直して、シンタローは別の話題を振る。
「そーいや、お前、昨日俺に何か言いたそうにしてたじゃねーか…何かあんなら言えよ?遠慮するよーな仲じゃねーんだからサ」
そう言っていつも通りの笑顔を向けたのだが、その台詞で正に埋まってしまいそうになったキンタローにシンタローの顔は引きつった。このままでは人体模型一直線だ。
「あーッいい、いい、いーから!!言いたくねーなら無理に聞かねーから!!」
シンタローは今の台詞のどこが悪かったのか全く判らない。判らないが地雷を踏んだらしいことは判ったので、この件についても触れることを諦めた。今日は調子が悪いのかもしれない。そう思うことにする。
あらためてキンタローの顔を見てみれば、疲労が色濃く表れていた。
ここのところ深夜遅くまで付き合わせているから、無理をさせすぎたのかもしれない。
性格上、何事も細かく丁寧に取り組むキンタローだ。自分よりもこの半身の方が遙かに要領がいいから、何事も飄々とこなしているように見えるのだが、実際の所は判らない。今まで全然気付かなかったが、大分負荷がかかっているのかもしれない。
シンタローは目に付いた顔色の悪さが心配になった。何かあってからでは遅いのだ。いつもシンタローのことを気遣ってくれる半身のことで、自分が気付けないのは嫌だった。
「キンタロー…お前、何か顔色悪ィけど…大丈夫か?具合悪ィなら…」
心から相手を思っての台詞だったが、話の途中で完全にめり込んでしまった半身にシンタローは慌てた。
今日は朝から地雷踏み大会のようだ。言うこと全てが禁句のようである。さすがのシンタローも三度目となっては机に突っ伏してしまった。
『あーっもうっ!!何なら喋っていいんだよッ!!』
シンタローが言う台詞は地雷とイコールのような状態となっている。何処に埋まっているか判らないものを立て続けに三回も踏めば十分であろう。爆撃よろしく口を開くたびにキンタローの俯き加減が酷くなっていくので、シンタローは一旦会話を諦めた。
『そんな日もあるよな…』
背負っていた暗い影が斜線からベタになったように見えたが、何も口にしないキンタローを尊重してこれ以上話を振らず、シンタローは再び読みかけの書類に視線を戻した。
黙ったまま仕事を黙々とこなしていた二人だが、昼前に研究室から内線が入り、キンタローは一旦総帥室を出た。シンタローも人と会う約束があったので、その数十分後に出ていく。
こうやってお互いに別行動をとるのはいつものことなのだが、シンタローはキンタローの様子を思うと離れるのが少し心配であった。しかし、仕事は仕事でこなさなければならない。今日の夜は少し早めに切り上げて突っ込んだ話でもしに行くかと考えて、一旦この件は思考から外した。
総帥室から出ていったキンタローは足早に研究室へ向かう。実験中に何かトラブルが発生したらしい。
『こんなときに限って…』
得てして、タイミングというのはそんなものであったりする。何かしようとしているときに、別の何かが邪魔をするというのは、残念ながら珍しいことではないのだ。
それを如何に早く片付けて本来の業務へ戻るかが、その者の能力によるところだったりするわけだが───総帥補佐官を務めるキンタローは能力が低いわけではない。むしろ他に対を張れる者がいないくらい非常に高い。
従って、この件も早々に片付けて総帥室へ戻ろうと思っていたのだが、そう思い通りに行かないという日もまた珍しいものではないのであった。
一方、シンタローは本部から車を飛ばして、そこから西南に位置する街『ウィンディア』へ来ていた。
ガンマ団本部から十五キロメートルほど離れたところにあるこの街は、交通の便から様々な人が出入りする。大きなステーションは複数の鉄道が交わり、毎日各地から多くの人が訪れるのだ。いわゆる上流階級と呼ばれる人が集まるようなホテルやクラブ、遊技場もあれば、その日暮らしの男達が昼間から飲んだくれているような店まで混在している街である。
これから会う人物はシンタローの昔からの友人であった。と言っても士官学生時代の友人ではない。何処で知り合ったかと言えば、親子喧嘩をして家出をしている最中にとある街で知り合ったのだ。当時の無茶仲間である。
こんな昼間からこの友人に何の用があるのかと言えば、彼は情報屋を生業としている。勿論、公に出来ないような情報を扱うのが専門の人間である。
頼んでいた資料が出来上がったと言うことで、それを受け取りに来たのだ。通信で送ってもらえば一瞬で済むのだが、色々と都合があるらしい。
裏街道を行くのが生業の友人だが、この総帥の商業柄なのか人柄なのかこの性格の所為なのか、シンタローにはこの手の知人友人が結構多い。勿論、きちんと人を選んで付き合うからどの友人もその道のプロなのだが、必要不必要は別として、この場合の『プロ』というのは一般的に褒められたものでないことは確かだった。
シンタローは車を駅前の巨大立体駐車場の陰に隠れて見えなくなっているような駐車場に止めると、一旦大通りに出る。そこを5分ばかり歩くと、右手にある細い路地へと入っていった。
この街の特徴として、シンタローのような人間が歩いていても目立たないというのがある。シンタロー自身、偉丈夫であるにも関わらず、昼間でも存在感を消して行動が出来る特殊な人間なのだが、それ以前に様々な人種が混在するこの街では余り目立たないのだ。
赤い総帥服で大通りを闊歩していれば話は別だが、私服でいればただの大きな若者としか見られない。ガンマ団総帥の顔を知っている者がいたとしても「他人の空似かな」で済んでしまうような街がウィンディアなのである。
シンタローのような総帥にとっては非常に有り難い街で、その部下達を嘆かせる街でもあったた。
細い路地に入って少し歩くと、所々ペンキが剥げている看板が斜めにずれて落ちかけている店がある。外から見た印象は潰れかけているような店なのだが、その横にある地下への階段をシンタローは下りていった。そして降りた先にある扉を開けると、一転して賑わっている声が聞こえてきた。
昼間から大酒を食らい、新しい客が来ても誰も気に留めない。見るからに屈強そうな男達が、各々自分達のテーブルで騒いでいる。もう少し警戒を払っても良いような感じがするが、全く払っていないわけではないのだ。こんな騒ぎの中でも物騒な気配には敏感に気付く。それ以外には興味がないのだ。自分に害がなければ関わらない。ここはそんな男達が集合している店であった。
シンタローは店の奧にあるカウンターに腰を掛ける。流石に昼間から飲むわけにもいかないので、何か食べるかとメニューを眺めた。この店はどの料理も非常に豪快な量が出てくるのだが、それだけでなく味も良い。シンタローは結構気に入っていて、過去に何回か足を運んでいる。勿論キンタローと来たこともある。
どうするかな、なんて呑気に選んでいると、隣りに一人の男が座った。癖のある赤茶色の髪をした中肉中背の男だ。身につけている衣服は随分と草臥れている。長く伸びた前髪の隙間から焦げ茶色の瞳がのぞいていて、シンタローの姿を映していた。シンタローは気配で友人が来たことが分かった。
「悪ィ、シンタロー…待ったか?」
「いんや、今来たとこ」
シンタローは『本日のスペシャルランチ』というのを二人前頼むと、ようやく友人へ顔向けた。
「飯食ってねぇーよな?」
「おごり?」
そんな友人の返答にシンタローは笑みが洩れた。
「あぁ、おごってやる。有り難く思えヨ、ジョニー」
シンタローにジョニーと呼ばれた男は「久々にまともな飯が食える」と歓喜の声を上げ、それから忘れぬうちにと一枚のディスクを渡した。
「これに全部まとめておいたよ」
「お、サンキュー。随分早かったな。もっと時間がかかると思ってたんだけど…」
「悪かったな。今仕事がねーんだよ」
そう悪態をつくと、もう一枚ディスクを渡す。
「これは?」
「キンタローに渡してくれってアーサーのヤローから頼まれた」
「アーサーから?武器屋がキンタローに何の用事だ?」
「俺が知るわけねーだろ。何かのリストが入ってるっつってたけどな…」
武器屋のアーサーと言えば、やはり裏街道で有名な人物である。金さえ払えば老若男女人種問わずどんな武器でも売ってくれるという、地獄の沙汰も金次第がモットーな男だ。だが、その種類と知識が豊富なことから一部で絶大な人気を誇る。あの国の特殊部隊ではその会社の製品をこういった理由から実戦配備されているというような台詞がすらすらと出てくる。多分、武器について語らせたらノンストップで一日中話してくれるだろう。ジョニーと同様に、昔の無茶仲間で、シンタローとも親しい仲であった。
シンタローが二枚のディスクをしまうと、タイミング良く料理が運ばれてくる。本日のランチは肉料理がメインのようで、香ばしい匂いが食欲を刺激する。
メインの用事は既に済んでいるので、二人は食事にありつきながら、近況を交えて雑談を楽しんだ。
昼間から豪快な男達が集まるような店のため、かなりボリュームがあるランチだったが、二人は早々に食事を平らげ、挨拶を交わすと店を出て別れた。
シンタローはそのまま直ぐに本部へ戻ろうと表通りへ出た。
だが、来た道を戻る途中に人だかりと女の悲鳴、子どもの泣き声が聞こえてきて足を止める。何事かと思って騒ぎの方へ視線を向けると、人相の悪い大柄の男が、小さな子どもを片手でつまみ上げていた。その前に泣き崩れながらも何か言葉を口にしている女性が見える。シンタローはただの痴情のもつれかなと思いこの場を立ち去ろうとしたが、男がつまみ上げている子どもの顔面が血にまみれているのを見て向かう先を変えた。
騒ぎへ近づくに連れ、野次馬からの台詞で事の次第が見えてくる。
女性はしつこくつきまとう男から逃げていたようだが、本日ここで運悪くはち合わせてしまったようだ。男は昼間から酒を浴びるように飲み、日常茶飯事暴力を振るうような人間で、女性は身の危険を感じてこの男から離れた。
だが、自分と一緒にならないのは子どもが居る所為だと勝手に思い込んだ男は、その女性と一緒にいた、まだ小さな子どもを殴りつけたらしい。
どうしようもない人間はどこにでもいるものだと思いながら、シンタローは騒ぎの中心へと足を進める。
この男は今も酒を飲んだ後なのか、赤い顔をしており、足元も若干ふらついている。激情も相成って、男は周りが一切見えていないようであった。掴みあげている子どもを宙で再び振り回す。子どもは殴られた痛みの衝撃と今現在の恐怖から声を失っている。
『本当に酷ェヤツだな…』
そうこうしている内に、男は下卑た笑いを浮かべると子どもを投げ飛ばした。
小さな体は壁に激突した。周りの見物人はそう思って悲鳴をあげそうになったのだが、実際は一人の男がしっかりと受け止めていた。驚き固まっている子どもの頭を優しく撫でながら、そっと地面に下ろす。
「もう、大丈夫だよ」
シンタローは優しげな笑みを浮かべながらそう言った。
子どもは呆然としながらシンタローの顔を眺めていたが、しばらくして意識が現実に戻ってきたのか漸く大声で泣き出した。男の前で泣き崩れていた女性が、直ぐに駆け寄ってきて泣きながら子どもを抱き締めた。子どもの無事に安堵し、シンタローに涙を流しながら礼を言う。
それに笑顔で応じると、次にシンタローは子どもを投げ飛ばした男に視線をやる。
男は嶮しい顔をしてシンタローを睨んでいた。非常に恐ろしい形相は、突然わいて出た男を忌々しく思っているのがよく判る。今まさに飛びかからんといった剣幕で、鋭い視線を投げつけていた。
子どもは無事に救出されたわけだし、ここでシンタローも己の立場をわきまえて、早々に立ち去るように努めるのが懸命な判断だ。だがしかし、小さな子どもに暴力を振るったことが腹に据えかねて、ついつい相手を挑発してしまう。
シンタローは冷ややかな視線を相手に向けた。頭に血が上っている男は、それだけで猛烈な勢いで突進してくる。その動きは意外なほど素早く、一般人だったらまず避けることは出来なかっただろう。そういった自負も男にはあったのか、口元には余裕めいた笑みが浮かんでいた。
だが、シンタローはあらゆる意味で一般人ではない。
悠然と躱すと、一撃でその男を昏倒させたのだった。
『あー…スッキリした』
自分事のように腹を立てていたシンタローは、拳一撃で気持ちを落ち着かせて、後はこの街の警察に任せることにする。周りからは歓喜の声援が聞こえたが、曖昧な笑みで誤魔化すと再び表通りへ出た。
一件落着と思ったシンタローだが、ここからは運が悪かったのだろう。
直ぐに駐車場へ向かうつもりだったのだが、表通りは表通りで事件が起きていたのである。
シンタローが今までいた路地の真正面にある貴金属店に強盗が入り、高価な品物を奪ってまさに今出てきたところへ、今度ははち合わせてしまったのだ。
これがまた最悪のグループ犯で、綿密でないにしろ予め逃走経路などある程度計画を立てておけばいいものを、全くそれを考えていなかったようだ。行き当たりばったりの無計画で、もたもたしている間に周囲の人間が騒ぎ出してしまい、それに慌ててその場近くにいた人間を逃走用の人質に取ろうとした。
グループの内の一人は拳銃を片手に近場にいた人間、シンタローに手を出したのだ。
いきなりそんな状況に出くわしたシンタローはいまいち状況がよく判らなかったのだが、危害を加える者には条件反射で動いてしまう。相手の手を捻りあげ武器を奪って投げ飛ばした。
「イキナリ何だっての?」
投げ飛ばされた男は壁に激突して気絶した。シンタローは訳が判らずきょとんとしている。
だが、気絶した男の仲間はそんな場合ではない。イキナリ何だ、は彼等も言いたかった。
突然現れた長身の男を攻撃対象と見なして、一斉にシンタローへ銃口を向けて引き金を引く。
シンタローはこれもまた素早い動きで躱すと、街中で飛び道具を使われるのは迷惑千万と、強盗犯全員をあっさり素手で倒した。素人と玄人では話にならない。素人が無闇に撃つ拳銃は弾がどこへ飛ぶか判らず非常に危険なのだが、動き自体が荒くてシンタローのような男だと簡単に躱しながら相手に近づくことが出来てしまう。ましてやこの様に間抜けな強盗犯となっては、動作自体が止まっているように感じられた。後は隙を見て手套一撃で充分であった。
「危ねーだろーが。街中でバンバンやったら…」
それ以上に危険な男が呑気な感想を洩らす。それから周囲を見回したが、流れ弾に当たって負傷した者はいないようであった。
シンタローのような目立つ男でも目立たないのがこの街なのだが、さすがにこうなってくると一躍ヒーロー扱いで、周囲の者の視線が集まってくる。事件が早急に解決されるのは街の人間にとって有り難いことなのだが、シンタローにとってこの展開は非常に有り難くない。余計な注目を浴びることが後々の面倒事に繋がるのは重々承知である。
『ヤベー…調子ぶっこいちまったかな?』
心の中で反省をしたシンタローだが、悪いことは続く日もあるのだ。
曖昧な笑みで周囲に応じながら誤魔化そうとしていた矢先に、今度は先程強盗が入った貴金属店の斜向かいにある宝石店で強盗事件が発生したのである。
何故同じ日にこんな近くで強盗事件が二件も発生するんだ、とシンタローも含め街にいた人々は盛大に突っ込みを入れたかった。だが、実際はそれどころではない。こちらの方が遙かに凶悪で、白昼堂々サブマシンガンを街中でぶっ放す次第だ。これには流石に負傷者が出ている。
シンタローは保身のために行動が出来るような性格ではないので、目の前の事件を見て見ぬ振りして「後は地元警察に任せよう」とこの騒ぎに紛れて立ち去ることが出来ない。
『…ったく、どんなアタリ日だよ』
心の中でそうごちると、諦めて目の前の出来事に意識を集中させた。
シンタローのような黒髪長髪は、この街にごまんといる。偉丈夫だって珍しくはない。服装もこれといって特徴があるような格好しているわけでもないから何かあっても適当に誤魔化せるだろう。
そう判断をすると、この非常識なガンマ団総帥は目の前の事件を解決すべく堂々と参戦したのであった。
昼前に研究員から呼び出しを受けたキンタローは、早々に総帥室へ戻るつもりで研究室へ来た。本当なら既に総帥室で書類を片付けているはずなのだが、今現在はキンタローの意に反して何故か休憩室でコーヒーを飲んでいる。
『何故だ…何故なんだ…』
呼び出された件は早急に解決させたのだが、研究室に現れたのが久々だった所為か、キンタローの部下や他の研究員からひっきりなしに助言を求められてなかなか解放してもらえなかったのだ。その流れのまま、今は小休憩という名の名目で研究棟内に設置された大型の休憩室に来て、ここでも議論を展開させていた。
『シンタローはジョニーに会うと言ってウィンディアへ行っているから、その間に書類を少しでも片付けてしまいたかったのだが…』
律儀で真面目な性格をしているキンタローは、相手に助言を求められれば丁寧に対応する。かなり堅苦しいような言い回しなのだが、昼夜研究室にこもって己の研究テーマを突き詰めているような人間にはそれくらいが丁度良いようである。質問すれば大抵のことは答えが返ってくるので、キンタローはガンマ団の研究員達にとって非常に貴重な存在なのだ。もっとも、本人は全く気付いていないのだが。
キンタローは研究員の話に耳を傾けながら、残りの仕事量と時間を計算して今日の業務の算段をつけた。
そろそろ本当に総帥室へ戻らないと今日中に終わらせたい業務が終わらなくなってしまう。そろそろシンタローも戻ってきている頃だろうと思い、適当に席を立とうとしたところで、聞き慣れた声に呼び止められた。
「あれ?キンちゃんだ!ココにいるの珍しいね~」
「…グンマ」
キンタローのもう一人の従兄弟が笑顔を浮かべながら近寄ってきた。
「キンちゃんも休憩?僕もなの。ホラ、これケーキ。ココの美味しいんだよー。キンちゃんも食べる?」
ケーキに喜んでいるのか、ここでキンタローに会ったことに喜んでいるのか判断がつかないが、グンマの楽しそうな声が室内に響き渡った。
「いや、いい」
「そう?あれ、シンちゃんは?」
「外に出ている。多分そろそろ戻ってくる頃だと思うが…」
「ふーん…シンちゃんはこれ食べるかな?」
今手にしているケーキが余程好きなのだろうか。グンマの返答を耳にしながらそんなことを考えたキンタローだ。この場にいる他の研究員達にも勧めている。
満面の笑みを浮かべながらお茶の準備をしていたグンマだが、休憩室で適当に流れていた大型のテレビ画面に目をやると、突然動作が止まった。
「シンちゃん…」
一言そう呟くと画面を凝視している。
「シンタローがどうした?」
つられて画面に視線を向けたキンタローは、目に入ってきた映像で固まった。
ウィンディアで銃撃戦。死傷者多数───。
白い文字でテロップが流れ、負傷者の映像がランダムに映し出される。
その中に、名前は出ていなかったが、白いTシャツを深紅に染めあちこちに傷を負った黒髪の従兄弟の姿があった。
一瞬映し出された半身の傷ついた姿だけが脳裏に焼き付く。
キンタローは全ての物音が遠くに聞こえ、目の前が一気に真っ暗になって何も見えなくなった───。
ガンマ団本部に勤務する皆が不思議に思っていることがある。
それは新しくガンマ団総帥となったシンタローに近しい者になればなるほど、感じていることである。
シンタローが総帥となってから大々的に改革が行われ、新制ガンマ団として新たな未来を掴むために再スタートをきった。それと同時に始まった、慌ただしいではとても済まないほど忙しい日々が、新総帥を始めとするガンマ団全体に待っていた。
周囲の者達も皆協力を惜しまずに、一つ一つ任された仕事を確実にこなしていった。
それでもやることは減らず、当然、現団のトップであるシンタローは周囲の者達が口を挟む隙がないほど忙殺される日々を送っている。
来る日も来る日も遠征、会合、会議、書類の束などとの奮闘を繰り返し、ほとんど自由時間がとれない日々が何ヶ月も続いている。本人も今は仕方がないと諦めて仕事に専念しているのだが、ここで周囲の者達は疑問を抱くのだ。
このガンマ団の新しき総帥は一体いつ休んでいるのだろうか、と。
日が暮れ、空が真っ黒なベールを被り、月が浮かんだ。そして星々が輝き始めてから、随分と時間が経つ。辺りはしんと静まり返り、外では虫が鳴く声だけが響き渡っていた。
日付が変わってから、一時間と少し過ぎた頃である。
キンタローは総帥補佐官として自分が引き受けた分の書類に目を通し終わると、その束をまとめながらシンタローを見た。己の半身は、難しい顔をしながら分厚い資料に目を通しているところだ。
キンタローが席を立つとシンタローは顔を上げて視線を向けた。
「終わったのか?いつも遅くまで悪ィな…」
シンタローはそう言って苦笑を浮かべながら大きく伸びをする。暫く同じ姿勢で書類を読みふけっていたので、そうするだけで凝り固まった体が少しほぐれたような気がした。
キンタローは書類の束を持ってシンタローの傍に近寄る。重厚感溢れる総帥のデスクの上に持っていた紙の束を置くと青い眼をシンタローに向けた。
「俺にとっても家業と変わらないのだからお前が気にする必要はどこにもない」
「そう言ってくれるとありがてェけど…でもお前の本業は他にあるんだからサ。気ィ使わねェで好きなことやれよ、キンタロー」
その台詞にキンタローは何とも言えない気持ちになって反論しようとしたが、シンタローの台詞が部屋に響くほうが早かった。
「でも感謝してる。遅くまでありがとうな」
キンタローが読み終えた書類を指しながら、シンタローは和かな微笑を浮かべた。
先にその様な笑顔を向けられると、出かかった台詞は完全に飲み込むしかなくなる。キンタローのそんな様子に気付かないシンタローは「部屋に戻ってゆっくり休めよ」と言って再び先程まで読んでいた紙の束に視線を戻した。
キンタローはシンタローに何か言いたかった。
こういうとき、二人の間に自分は望まぬ壁があるような気がして胸が痛いのだ。
普通の人間にはあるべき壁が、幸か不幸か二人の間には存在しない。
だがしかし、この様に言われてしまうと誰よりも近くにいる分、酷い拒絶感を味わう。
キンタローは頭の中で考えた。
根を詰めすぎるな、とか。お前はまだ休まないのか、とか。
頭に浮かぶ台詞はどれも陳腐に思えて、それに対するシンタローの台詞も容易に考えつく。もう少し気の利いた言い回しが出来れば、こういうときに感じる壁を難なく乗り越えて彼に近づくことが出来るのだろうか。
何か言うことは叶わず、だからといって言われた通りに退室することも出来なくて、キンタローは青い双眸に半身の姿を映しながら立ち尽くした。
資料に目を通していたシンタローは、動かぬ気配と痛いほど注がれている視線に再度顔を上げる。
そこには少し恨みがましそうな顔をしたキンタローがいた。
「何だよ、どうかしたのか?」
シンタローは訝しげな表情を浮かべる。現時点でキンタローの心情が全く掴めないため、何故その様な目で見られるのか想像がつかないのだ。だが、対するキンタローも、どうかしたのかと聞かれても答えられない。答えられないからその様な目で見ているのだ。
従ってお互いに相手を見つめたまま沈黙の時が流れる。視線は逸らされることなく長い間二人は黙ったまま互いの半身をその目に映していた。
そんな無言の時の中で先に動いたのはシンタローである。いつまでも直立不動で恐い表情を張りつけたままのキンタローに苦笑しながら席を立つ。
「ったく、どうしたんだよ…そんなに言いにくいこと考えてんのか?」
キンタローの傍まで歩み寄ったシンタローは、苦笑を優しげな笑みに変えて金糸の髪に触れる。そしてそのまま頭を撫でた。
同じ体格の二人であるから、当然キンタローの正面にシンタローの顔がくる。
真正面でこの仕草をやられると愛しさが込み上げてきて思わず抱き締めたくなるのだが、今はそれ以上に腑甲斐ない己に対して激しい自己嫌悪に陥った。
自分が慰められてどうするのだ、と。
キンタローは己の頭を撫でるシンタローの手を取ると溜息を一つ吐いた。その手を握り締めたまま、漸く口を開く。
「自分に嫌気がさすな…」
「…何の話だよ?」
「お前の仕事ぶりに口を挟めずにいるのが嫌だ」
キンタローの声は抑揚なく淡々としていて感情が顕にならない。
いつもならそんなキンタローの心情を上手く察するシンタローなのだが、たまに全く判らなくなるときがある。
今もそうであった。
一体目の前の男が何を思ってそんな台詞を吐いたのか見当がつかない。
「俺の仕事に何か言いたいことがあんのか?」
「そういう意味ではない」
「じゃあ…何だ?」
シンタローは小首を傾げながら真っ黒な目を瞬かせた。
「…いい、何でもない」
キンタローはそう言ってシンタローを引き寄せるとその体を抱き締めた。瞬間、シンタローの匂いが鼻孔を掠め、何故だか少し切なくなる。そう感じた心が、現時点である二人の距離かとキンタローは思った。
シンタローは、きつく抱き締めてくるキンタローにされるがまま、抵抗をしなかった。
シンタローを腕に抱き締めたままキンタローは思う。
これはただのエゴなのだ。
シンタローは自分がやるべきことに一心不乱で立ち向かっている。だからといって無謀なことをしているわけでもなく、彼なりに勝算ありと考えて日々の激務をこなしているのだ。頑丈な体にものを言わせているところもあるが、それでも倒れることなく不調も訴えずに仕事をしているのだから、他人にとやかく言われる筋合いはない。たまに寝不足でおかしな言動を吐いていることもあるが、休息をとればすぐいつものシンタローに戻るのだ。
それでももっと頼ってほしいとか、もう少し弱音を吐いてもいいのではないか等は、彼に言って良い台詞ではない。
シンタローの能力を一番よく理解しているキンタローだからこそ、その台詞を口にすることが出来ないのであった。
だが、総帥補佐官となればシンタローの一番近くにいるはずなのに、激務をこなす彼の中に入る余地がない現状を寂しく思う。公私共に、シンタローの傍にいるキンタローだからこそ、その距離をもどかしく思うのだ。
総帥補佐官として、従兄弟として、恋人として、大切な相手を想うのに、それが伝わらない。伝える術も判らない。
思考を巡らせると相反する言葉が頭の中で飛びかう。それでも己の半身を理解しているキンタローは頭に浮かんだ台詞を口にはしない。このようなところで通すような我儘ではないのだ。
「全然何でもなくねェじゃねェかよ」
抱き締めてくるキンタローにシンタローは笑みを含みながらそう言うと、その背中に手を回した。
「シンタロー…」
「ん?」
キンタローの問い掛けに対するシンタローの声が優しく鼓膜を震わす。
自他共に認めるほどシンタローはキンタローに甘い。こうして二人きりでいるときなど、その様子が顕著になる。表情も声も仕草も、キンタローに向けられる全てが優しく暖かい。
キンタローは次に紡ぐ言葉を探したが、見つけることが出来ず、シンタローを抱き締める腕に力を込めた。こうしている時間もシンタローの邪魔をしているな、と少し自虐的な思考に囚われながら、暫く黙って抱き締めた後、拘束していた腕の力を緩めてその体を解放した。
今ここで無理矢理にでも自然に見えるような笑顔を作れる芸当があれば良かったのだが、とキンタローは思う。
しかし現実の自分は、表情が乏しく、無表情でいれば怒っているように見られることが度々だ。
笑顔で場を和ませるといったような付加効果は諦めて、淡々とした口調でいつも別れ際に吐く台詞を口にした。
「…では、先に休ませてもらう。お前も適当なところで休め、シンタロー」
内心もやもやとしたものを抱えながらも、相手の目を見て言えたのは上出来だろう。
キンタローは言い終えた後、一瞬だけ見つめると、シンタローに背を向けた。
気配でシンタローが何か言おうとしたのが判ったが、それに気付かぬふりをして足早に部屋を出ていった。
総帥室に一人残ったシンタローは、キンタローが出ていった後の扉を見つめながら溜め息を一つ吐く。
キンタローがシンタローの仕事に対して何を言いたかったのか判らないが、去りぎわは明らかに無理をしていたのが判る。何でもいいから話してほしかったのだが、当のキンタローはもうここには居ない。
「遠慮するような仲じゃねェんだし、何かあんなら言ってくれりゃー良いのに…」
小さな声で呟きながら少しの間扉を見つめていたが、数回頭を振ると、席に戻る。そうしてシンタローは再び書類へと意識を向けたのだった。
それは新しくガンマ団総帥となったシンタローに近しい者になればなるほど、感じていることである。
シンタローが総帥となってから大々的に改革が行われ、新制ガンマ団として新たな未来を掴むために再スタートをきった。それと同時に始まった、慌ただしいではとても済まないほど忙しい日々が、新総帥を始めとするガンマ団全体に待っていた。
周囲の者達も皆協力を惜しまずに、一つ一つ任された仕事を確実にこなしていった。
それでもやることは減らず、当然、現団のトップであるシンタローは周囲の者達が口を挟む隙がないほど忙殺される日々を送っている。
来る日も来る日も遠征、会合、会議、書類の束などとの奮闘を繰り返し、ほとんど自由時間がとれない日々が何ヶ月も続いている。本人も今は仕方がないと諦めて仕事に専念しているのだが、ここで周囲の者達は疑問を抱くのだ。
このガンマ団の新しき総帥は一体いつ休んでいるのだろうか、と。
日が暮れ、空が真っ黒なベールを被り、月が浮かんだ。そして星々が輝き始めてから、随分と時間が経つ。辺りはしんと静まり返り、外では虫が鳴く声だけが響き渡っていた。
日付が変わってから、一時間と少し過ぎた頃である。
キンタローは総帥補佐官として自分が引き受けた分の書類に目を通し終わると、その束をまとめながらシンタローを見た。己の半身は、難しい顔をしながら分厚い資料に目を通しているところだ。
キンタローが席を立つとシンタローは顔を上げて視線を向けた。
「終わったのか?いつも遅くまで悪ィな…」
シンタローはそう言って苦笑を浮かべながら大きく伸びをする。暫く同じ姿勢で書類を読みふけっていたので、そうするだけで凝り固まった体が少しほぐれたような気がした。
キンタローは書類の束を持ってシンタローの傍に近寄る。重厚感溢れる総帥のデスクの上に持っていた紙の束を置くと青い眼をシンタローに向けた。
「俺にとっても家業と変わらないのだからお前が気にする必要はどこにもない」
「そう言ってくれるとありがてェけど…でもお前の本業は他にあるんだからサ。気ィ使わねェで好きなことやれよ、キンタロー」
その台詞にキンタローは何とも言えない気持ちになって反論しようとしたが、シンタローの台詞が部屋に響くほうが早かった。
「でも感謝してる。遅くまでありがとうな」
キンタローが読み終えた書類を指しながら、シンタローは和かな微笑を浮かべた。
先にその様な笑顔を向けられると、出かかった台詞は完全に飲み込むしかなくなる。キンタローのそんな様子に気付かないシンタローは「部屋に戻ってゆっくり休めよ」と言って再び先程まで読んでいた紙の束に視線を戻した。
キンタローはシンタローに何か言いたかった。
こういうとき、二人の間に自分は望まぬ壁があるような気がして胸が痛いのだ。
普通の人間にはあるべき壁が、幸か不幸か二人の間には存在しない。
だがしかし、この様に言われてしまうと誰よりも近くにいる分、酷い拒絶感を味わう。
キンタローは頭の中で考えた。
根を詰めすぎるな、とか。お前はまだ休まないのか、とか。
頭に浮かぶ台詞はどれも陳腐に思えて、それに対するシンタローの台詞も容易に考えつく。もう少し気の利いた言い回しが出来れば、こういうときに感じる壁を難なく乗り越えて彼に近づくことが出来るのだろうか。
何か言うことは叶わず、だからといって言われた通りに退室することも出来なくて、キンタローは青い双眸に半身の姿を映しながら立ち尽くした。
資料に目を通していたシンタローは、動かぬ気配と痛いほど注がれている視線に再度顔を上げる。
そこには少し恨みがましそうな顔をしたキンタローがいた。
「何だよ、どうかしたのか?」
シンタローは訝しげな表情を浮かべる。現時点でキンタローの心情が全く掴めないため、何故その様な目で見られるのか想像がつかないのだ。だが、対するキンタローも、どうかしたのかと聞かれても答えられない。答えられないからその様な目で見ているのだ。
従ってお互いに相手を見つめたまま沈黙の時が流れる。視線は逸らされることなく長い間二人は黙ったまま互いの半身をその目に映していた。
そんな無言の時の中で先に動いたのはシンタローである。いつまでも直立不動で恐い表情を張りつけたままのキンタローに苦笑しながら席を立つ。
「ったく、どうしたんだよ…そんなに言いにくいこと考えてんのか?」
キンタローの傍まで歩み寄ったシンタローは、苦笑を優しげな笑みに変えて金糸の髪に触れる。そしてそのまま頭を撫でた。
同じ体格の二人であるから、当然キンタローの正面にシンタローの顔がくる。
真正面でこの仕草をやられると愛しさが込み上げてきて思わず抱き締めたくなるのだが、今はそれ以上に腑甲斐ない己に対して激しい自己嫌悪に陥った。
自分が慰められてどうするのだ、と。
キンタローは己の頭を撫でるシンタローの手を取ると溜息を一つ吐いた。その手を握り締めたまま、漸く口を開く。
「自分に嫌気がさすな…」
「…何の話だよ?」
「お前の仕事ぶりに口を挟めずにいるのが嫌だ」
キンタローの声は抑揚なく淡々としていて感情が顕にならない。
いつもならそんなキンタローの心情を上手く察するシンタローなのだが、たまに全く判らなくなるときがある。
今もそうであった。
一体目の前の男が何を思ってそんな台詞を吐いたのか見当がつかない。
「俺の仕事に何か言いたいことがあんのか?」
「そういう意味ではない」
「じゃあ…何だ?」
シンタローは小首を傾げながら真っ黒な目を瞬かせた。
「…いい、何でもない」
キンタローはそう言ってシンタローを引き寄せるとその体を抱き締めた。瞬間、シンタローの匂いが鼻孔を掠め、何故だか少し切なくなる。そう感じた心が、現時点である二人の距離かとキンタローは思った。
シンタローは、きつく抱き締めてくるキンタローにされるがまま、抵抗をしなかった。
シンタローを腕に抱き締めたままキンタローは思う。
これはただのエゴなのだ。
シンタローは自分がやるべきことに一心不乱で立ち向かっている。だからといって無謀なことをしているわけでもなく、彼なりに勝算ありと考えて日々の激務をこなしているのだ。頑丈な体にものを言わせているところもあるが、それでも倒れることなく不調も訴えずに仕事をしているのだから、他人にとやかく言われる筋合いはない。たまに寝不足でおかしな言動を吐いていることもあるが、休息をとればすぐいつものシンタローに戻るのだ。
それでももっと頼ってほしいとか、もう少し弱音を吐いてもいいのではないか等は、彼に言って良い台詞ではない。
シンタローの能力を一番よく理解しているキンタローだからこそ、その台詞を口にすることが出来ないのであった。
だが、総帥補佐官となればシンタローの一番近くにいるはずなのに、激務をこなす彼の中に入る余地がない現状を寂しく思う。公私共に、シンタローの傍にいるキンタローだからこそ、その距離をもどかしく思うのだ。
総帥補佐官として、従兄弟として、恋人として、大切な相手を想うのに、それが伝わらない。伝える術も判らない。
思考を巡らせると相反する言葉が頭の中で飛びかう。それでも己の半身を理解しているキンタローは頭に浮かんだ台詞を口にはしない。このようなところで通すような我儘ではないのだ。
「全然何でもなくねェじゃねェかよ」
抱き締めてくるキンタローにシンタローは笑みを含みながらそう言うと、その背中に手を回した。
「シンタロー…」
「ん?」
キンタローの問い掛けに対するシンタローの声が優しく鼓膜を震わす。
自他共に認めるほどシンタローはキンタローに甘い。こうして二人きりでいるときなど、その様子が顕著になる。表情も声も仕草も、キンタローに向けられる全てが優しく暖かい。
キンタローは次に紡ぐ言葉を探したが、見つけることが出来ず、シンタローを抱き締める腕に力を込めた。こうしている時間もシンタローの邪魔をしているな、と少し自虐的な思考に囚われながら、暫く黙って抱き締めた後、拘束していた腕の力を緩めてその体を解放した。
今ここで無理矢理にでも自然に見えるような笑顔を作れる芸当があれば良かったのだが、とキンタローは思う。
しかし現実の自分は、表情が乏しく、無表情でいれば怒っているように見られることが度々だ。
笑顔で場を和ませるといったような付加効果は諦めて、淡々とした口調でいつも別れ際に吐く台詞を口にした。
「…では、先に休ませてもらう。お前も適当なところで休め、シンタロー」
内心もやもやとしたものを抱えながらも、相手の目を見て言えたのは上出来だろう。
キンタローは言い終えた後、一瞬だけ見つめると、シンタローに背を向けた。
気配でシンタローが何か言おうとしたのが判ったが、それに気付かぬふりをして足早に部屋を出ていった。
総帥室に一人残ったシンタローは、キンタローが出ていった後の扉を見つめながら溜め息を一つ吐く。
キンタローがシンタローの仕事に対して何を言いたかったのか判らないが、去りぎわは明らかに無理をしていたのが判る。何でもいいから話してほしかったのだが、当のキンタローはもうここには居ない。
「遠慮するような仲じゃねェんだし、何かあんなら言ってくれりゃー良いのに…」
小さな声で呟きながら少しの間扉を見つめていたが、数回頭を振ると、席に戻る。そうしてシンタローは再び書類へと意識を向けたのだった。