+ PM 07:50【LIVING】+
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その日は久しぶりに従兄弟三人が揃って夕食を摂っていた。
ここのところばらばらの行動が続いていた三人なのだが、キンタローが研究室に籠もりきりで食事を疎かにしていたのをグンマが見かねてシンタローに告げ口をした。その結果、有能な補佐官は有無を言わさず総帥によって研究室から引きずり出されたのである。一時間ほど前の話だった。
テーブルの上にはシンタローがあり合わせの材料で作ったという料理の数々が並んでいる。生野菜のサラダから肉料理に魚料理、スープと三人で食べるには少々豪華な夕餉である。
キンタローはシンタローが用意したものを大人しく食べていた。食事の進みが悪いわけでもないので、きちんと食欲があるのは一目で分かる。自分も食事を摂りながらその様子を観察していたシンタローは、自分が作ったものがある程度キンタローの腹に納まると、溜息混じりに文句を言った。
「お前さぁー…体が資本って俺が何回言ったと思うわけ?ったく…俺がいなかったらどーすんだよ」
シンタローに睨まれながら小言を食らったキンタローだが、口に入っていたものを飲み込むと、それを特に気にした様子もなく平然と言い返した。
「お前がずっと傍にいればいい」
キンタローとしては大したことを言ったつもりもなかったのだが、その一言があらぬ方向からの反撃となってシンタローは二の句が継げられなくなってしまった。
だがキンタローの横で同じように食事を摂っていたグンマは、面白そうに笑いながら突っ込みを入れた。
「あはは、キンちゃんどさくさに紛れて凄いこと言ってるね」
「別に凄いことじゃないだろう」
「えー、ずるいよー。シンちゃんを我がものにするなんて」
「厳然たる事実だ」
「んー…そうなんだろうけどさぁ」
目を白黒させながら二人の会話を聞いていたシンタローは、グンマの肯定の台詞で我に返り怒鳴り声を上げた。
「オメェら、ふざけたこと言ってんじゃねぇーッ誰がものになるかっつーの」
少し顔が赤いのは怒りの所為からなのか、あるいは別の理由・・からなのか、鋭い眼で睨んでくるシンタローに、グンマはきょとんとした顔をする。次いで驚いた顔をすると慌ててキンタローを見た。平然とした様子で食事を続けるキンタローに、グンマは声を潜めて話しかける。
「ちょっと、キンちゃん…シンちゃんって…」
「あぁ。お前にばれていることを知らないぞ」
キンタローの台詞にグンマは耳を疑った。
グンマがキンタローを問い詰めて二人の関係を白状させたのはかなり前の話になる。というか、出来上がって数日も経たない内のことだった。
てっきり自分に話したことをシンタローに言ったものだと思い込んでいたのだが、いまだに二人の関係がばれていないと思っているシンタローに驚き、黙りを貫き通しているキンタローにも驚いた。二重の驚きであった。
「もう…そーゆーことは先に言っておいてよ…」
「………何コソコソ話してんだよ?」
シンタローは怪訝そうな顔をしながら二人を交互に見た。目の前で内緒話をされたら気になるというのも人の心理であろう。二人とは異なる真っ黒な瞳でじっと見つめられてグンマは気まずい思いをしたのだが、本来もっと気まずい思いをするべき人物は飄々と食事を口に運んでいた。
「な…なんでもないよ、シンちゃん…」
「そーかぁ?」
「うん…き…気にしないで、ね…」
グンマがしどろもどろになりながら返事をする。キンタローがシンタローから受けた忠告通り大人しく食事をしていることで気が逸れたのか、それ以上は突っ込んで聞いてはこなかった。
それから話題を変えてシンタローとグンマが喋り、キンタローが大人しくその横で食事を摂るという時間が少し流れた。二人の会話を黙って聞いていたキンタローだが、突然グンマに話題を振られると一旦食事の手を止める。
「さっきから一切喋らないでずっとご飯食べてるけど、やっぱりシンちゃんのご飯は美味しい?」
「美味しい」
グンマは何気ない会話のつもりでキンタローに話題を振り、キンタローも素直な感想を一言述べただけだったのだが、それを耳にしたシンタローは照れたように軽く肩を竦めた。
「あー、シンちゃん照れてる」
「う…うるせーよ」
キンタローは、グンマに指摘されてうっすら顔が赤くなったシンタローを見る。視線が合うと勢い良く逸らされたのだが、それがキンタローの青い眼には可愛く映って、微笑を浮かべた。
「ふーん………まぁ、いーけどね」
そんなキンタローを眺めながら、グンマがわざと冷ややかな視線を作って投げ付ける。目で指摘されて、今度はキンタローが肩を竦めたのだが、問題の人物はきょとんとしたまま訳が分からないようで、また真っ黒な瞳で二人をじっと見つめていた。
間もなく久しぶりに三人が揃った食事が終わるかという頃、またグンマがキンタローに話題を投げかけた。
「そーいえばキンちゃんって、シンちゃんが作ったご飯、いつも大人しく食べてるけど、アレが食べたいとかコレが食べたいとかってないの?」
「あぁ、そーいや、俺も聞いたことねぇーな」
グンマの質問にシンタローも興味を示したようで話題に乗っかる。何かを期待するような表情で二人に質問されたキンタローは返答に困った。
『これは…どう答えたら良いんだろうか…』
直ぐ食事を疎かにしてしまうことから判るように、キンタローは食に無頓着なのだ。
特に好き嫌いもなく、食べられれば何でも良いというのが根底にある。一言付け加えるのなら、極端に甘いものは遠慮したいといったぐらいで、敢えてリクエストしてまで食べたい物が今まであったのかと問われれば、差し当たって思い当たるものもない。
更に、食事に関して恵まれた環境にいるというのもあった。シンタローが料理好きなため、一口で止めたくなるような奇抜な味をした料理や食べられるのかどうかすら怪しい斬新な料理が出てくることはまずない。彼が作れば美味しく頂ける料理が並ぶのだから、それ以上を考えたことは一度もなかった。
「今のままで十分満足しているが…」
「えー、それじゃつまんないよー。何かおねだりとかしないのー?」
「…おねだり…」
「僕なんかしょっちゅう色んなもの作ってもらってるのに…」
「そうなのか?」
「うん。昨日はアップルパイを焼いてもらったんだ。凄い美味しかったー!あ、キンちゃんも食べたかった?」
「甘いものはいらない」
あれだけの激務に身を投じているガンマ団総帥を捕まえて何をやらせているんだと周りの者達は思うのだが、シンタローにとっては良い気分転換になっていたりする。嫌なことははっきりと嫌だと言う性格だから、グンマに付き合ったということはそれだけ余裕があったということなのだろうとキンタローは思った。
そうなると、自分はどうなのだろうかとキンタローは問いかけてみる。
食べたいもの、食べたいものと頭の中で呟きながらそのまま暫く考えてみて、ようやく辿り着いた先といえば、シンタロー本人・・・・・・・ぐらいだな、ということであった。
あまりにも食べたいものが思いつかなくて、更にシンタローと考えていたら食べたいの意味が途中ですり替わってしまったようだ。
『確かに食べる・・・とは言うが……これでは回答にならないだろうな…』
ねだってまで食べたいものは、と考えながらキンタローはシンタローをじっと見た。シンタローの方は次にキンタローが何を答えるのか興味津々の呈で見ている。
グンマは更に外からそんな二人を好奇心旺盛に見ていたのだが、ふと思い立って席を立つ。
「まだ二人とも時間あるよね?新しいお茶の葉っぱもらったの。二人とも何か飲むでしょ?」
二人が頷いたのを確認すると、グンマはキッチンへ向かった。お湯を沸かして三人分のお茶の用意をするとなるとそれなりに時間がかかる。しばらくキッチンにいたグンマがお茶の準備を終えて戻ってくると、シンタローとキンタローはまだお互いをその目に映したまま沈黙していた。
『わぁー、シンちゃんとキンちゃん、今までずっと見つめ合ってたのかな?』
キンタローはともかく、シンタローの方は相手が答えるのを待っていただけなので、グンマが戻ってくると自然な動作で視線を外した。グンマにはそれすら少しドキドキと感じられる。
シンタローはグンマの手伝いをしようと腰を上げたのだが、グンマはそれを制した。
「いーよ、シンちゃん、ご飯のお礼」
「そーか?悪ィな」
グンマはカップにお茶を注ぐとシンタローとキンタローに渡し、自分の分を入れると再び席に着いた。二人の会話はどうなっているのかなと思いながら、入れたばかりのお茶をゆっくり飲む。シンタローとキンタローもグンマから受け取ったカップに口をつけた。
熱いお茶を飲みながらキンタローはもう一度考えてみる。
作ってもらったものは全て美味しいということで、特に何か例を挙げなくてはいけないこともないのだろうが、シンタローからの期待が籠もった視線を見るとここは何か答えなくてはいけないような気になってくる。
しかし、ここで調子よく何か適当に挙げられる性格でもないキンタローは、考えても言葉が出てこなくて、だんだん答えは「シンタロー」でもいいんじゃないかという気さえしてきた。
ねだって食べたい・・・・のも、キンタローにとって美味・・であることも紛うことのない事実であるのは確かだ。
キンタローは再びシンタローに視線を向けた。
「ずっと……食べてみたいと思っていたが、初めて口にしたときの衝撃は大きかったな。想像以上だったし直ぐ夢中になった。俺としては毎日食べたいと思うんだが……実際問題それは無理なのが残念だ」
キンタローの横で大人しくお茶を飲んでいたグンマが思い切り咽せた。
キンタローとしてはシンタローの眼を真っ直ぐ見つめながら相手に判りやすいように台詞を口にしたつもりだったのだが、グンマの反応の方が早かった。
グンマは少しの間涙目になりながら咳き込んでいたのだが、何とか自分を落ち着かせるとキンタローに心底呆れた顔を向ける。この従兄弟はキンタローが何を指して言ったのか直ぐに察したのであった。
「キンちゃん…」
「他に自ら望んだものが直ぐに思い浮かばなかった」
「まぁ………いーけどね。確かに、食べる・・・とは言うし…」
キンタローとしてはシンタローも直ぐに気付くだろうと思っていたのだが、当の本人は少し照れた笑みを浮かべながらキンタローに視線を返した。
「確かに毎日同じものってのは栄養が偏るから良くねぇーけど、そんなに気に入ってンのがあんなら言ってくれりゃいいのに」
シンタローの台詞にキンタローとグンマは目を剥き固まった。思わず揃って相手を凝視してしまう。何を指して言ったのか、グンマは直ぐに判ったのだが、当の本人には伝わらなかったようであった。
「いつ食ったやつ?」
「いつ……そうだな、初めて食べた・・・のは…」
キンタローの台詞にグンマが慌てて口を塞ぐ。
「ちょっとキンちゃんッ!それはさすがにシンちゃんが可哀想でしょッ!」
グンマに怒られてキンタローは口を閉じた。本人としては最後まで言うつもりはなかったのだが冗談には聞こえなかったようだ。
「冗談だ、グンマ」
「洒落にならないことしないでよ」
「グンマ、何で俺が可哀想なんだよ?」
シンタローはキンタローとグンマのやりとりが理解できないようで、今度はグンマに話題を振ったのだが、振られた方は何とも言えない顔をする。困ったグンマはキンタローの顔を睨んだ。グンマとしてはとばっちりを食らうのは御免だということなのだが、睨まれた方は意に介した様子もなく平然としている。
「………何でもないから気にしないで、シンちゃん」
「何だぁ?まぁ、いーや。キンタロー、最近も食ったヤツ?」
「最近は…」
「キンちゃんッ!」
またグンマの咎める声が響いたところでキンタローの携帯がタイミング良く鳴った。ディスプレイを見れば研究室からで部下からかかってきたのが一目で分かる。キンタローはこれで会話を打ち切ろうと電話に出た。
キンタローが会話から外れるとこの話題はここで中断されると思われたのだが、何も判っていないシンタローはグンマに問いかけてきた。
「なぁ、グンマはキンタローが何を指して言ってンのか判ってンの?」
「うん…まぁ………多分…」
「何だよ、俺だけ判ってねぇーのかよ。お前も食ったことあるヤツ?」
「ぼ…僕はないよッ!!」
グンマは慌てて勢い良く首を横に振った。そんなあってはならないような恐ろしいことをサラリと聞かないでと狼狽する。
「じゃぁ、キンタローにだけ作ったのか…いつだろ?」
シンタローが首を傾げながら記憶を辿っていく。グンマはそんなシンタローに何を言えばいいのか判らず、何とか曖昧な笑みを浮かべた。
「大体ここで食うときは、グンマ、お前も一緒だろ?キンタローと二人ってのはそう無かったはずだから…いや、でも待てよ…」
見当を付けようと一所懸命考えているシンタローがだんだん可哀想になってきたグンマだが、自ら答えを言うことは絶対に出来ないと思った。これは口が裂けても言いたくない。お願いだから僕にこれ以上聞かないでと心の中で激しく祈った程である。
キンタローが電話を切ると、グンマは再び睨む。シンタローが一所懸命どの料理なのか思い出そうと考え込んでいる姿を目で促して「どうするの?」と訴えた。
どうするのかと問われても、キンタローもどうしたらいいのか判らなかった。
自らまいた種とはいえ、シンタローは直ぐに察すると思ったのだが、予想外の方向へ行ってしまったのだ。軌道修正をかけるにも、それにははっきりした言葉で言わないと相手に伝わらないだろう。先程のように揶揄した台詞を口にするならともかく、グンマがいる前ではっきりと言っていいものかどうなのかは悩むとろこであった。というよりも、言えないことだということはキンタローにも判った。
色々な都合を考えて、これは二人になったときにでも回答するのが良いだろうという結論に達した。
「研究室から呼び出しがかかったから俺は行くぞ」
キンタローがそう言って椅子から立ち上がると「何だよ。だったら答えを教えてから行けよ」とシンタローが視線を向けた。本当に何も判っていない様子で、きょとんとした顔で見つめてくるのが何とも言えず、キンタローの目には可愛く映った。己は末期かも知れないという自覚が半分くらいあるキンタローなのだが、シンタローが時折見せる『そういう顔』を見てしまうと周りに構わず手を伸ばしたくなるのだが、さすがに今は諦めた。ここにはグンマもいるのだ。
「…今度答える」
キンタローは適当に誤魔化してリビングから出ていこうとした。
しかしシンタローの傍を通ったときにスーツの上着の裾を掴まれる。振り返ると椅子に座った状態のシンタローが首を傾げながらキンタローをじっと見上げていた。
「今度って、もったいぶるようなことかよ?なぁ、教えろよ、キンタロー。気になんだろ」
シンタローの台詞にキンタローが一度グンマに視線を向けると、グンマは心したように顔を背けた。
キンタローはゆっくり屈んでシンタローの肩に手を置くと耳元に唇を寄せ「答えはお前だ、シンタロー」と意図して低い声で囁いた。
予想通りに今の台詞でフリーズしたシンタローの耳に軽く口付けるとキンタローは背を向けてリビングから出ていった。
その後どうなったかは、グンマのみぞ知る。
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昼間は明るく賑わっていて穏やかに感じられる街でも、夜になるとガラリと顔を変えることがある。その表情も街によって異なるが、話に聞くとそんなに珍しいものでもない。
この街は、夜だけと言わず昼間でもひどく物騒な街であった。街中の至るところに新旧問わず弾痕が残り、破壊された建物の破片が転がっている。街の中には穏やかとは縁の遠い雰囲気に包まれた者達ばかりがいた。余所から来るのは腕に覚えのある者ばかりで、それ以外の者達は忌避するような街だ。
そんな街に、そろそろ夜の帳が下りようかという頃、響き渡る銃声と共に長い漆黒の髪を持つ青年が街の中を疾走していた。銃を握った男達の集団が一人の青年を追いかけ回しているのだ。
その青年を追いかける集団は十人を越える大人数であった。多勢に無勢である。
薄暗闇に包まれた街中で、様々な怒声と共に銃を構えた見るからに物騒な男達の大行進が開催されているわけだが、この人数をもっても青年に決定打を浴びせることが出来ないでいた。
ここは腕に覚えがある者以外近寄らない街であるから、この青年はそれなりに出来るというわけだが、それなりどころか誰が見ても双方の力の差は歴然としていた。
男の集団が足音煩く走り回る中、追われている方は何とも軽快な動作で逃げていくのだ。この青年は周囲にある建物や看板、柱や電灯など様々なものを巧みに使って相手の攻撃を躱している。そこまで動作が軽やかだと軽量級の人物を思い浮かべそうだが、この青年は百九十を越える長身の持ち主で、がっしりとした体つきは誰が見ても重量級の人物であった。
黒髪の青年は、普段赤い衣に身を包んでいるのだが、今は全身黒衣を纏っている。ぴたっとした細身の作りで、この青年の鍛え抜かれ引き締まった見事な体躯がそれによって強調されていた。
青年は見た目からはとても想像がつかない敏捷な動きで追いかけてくる集団から距離を広げているのだが、如何せんこの街は相手の庭と言っても過言ではない場所だ。追いかけてくる男達から逃げられたと思っても、街中の至るところから仲間と思しき人物が出てきては攻撃を仕掛けてきて、完全には捲くことが出来ないでいた。罵声を浴びせる男の野太い声や煩く鳴り響く銃声を引き連れて、かなり派手に街中を大移動するはめになっている。
大通りから路地に入り、入り組んだ道を走り回っては、また大通りに出るというのを何度か繰り返し、再び路地に入って少し走ったところで青年の名前を呼ぶ声と共に腕を引っ張られた。
「っわッ」
簡単に捕らえられるようなスピードで走っていなかっただけに、いきなり強い力で腕を引かれて青年はぎょっとした。咄嗟のことで体勢を整えることが出来ず、相手に向かって倒れ込むような勢いで思い切りぶつかった。そしてそのまま転ぶかと思った巨体は、逞しい腕と胸に支えられて一旦止まった。
「シンタロー」
再び名前を呼ばれて自分の体を抱き留めた相手を見れば、見慣れた金髪と青い眼が自分を見つめていた。
「キンタロー」
安堵の息を吐くのも束の間、追われる身であるシンタローはキンタローに促されるままその細い道を共に走り抜けていった。
キンタローのおかげで追っ手を巧く捲いた二人は一旦地下水路に身を隠した。無言のまま暫く歩き続けると、どちらともなしに足を止める。特に全速力で走り続けていたシンタローは、人並み外れた体力の持ち主といえども流石に息が荒くなっていた。
大きく息をしながら壁にもたれ掛かって体を休める。
暫くその状態でじっとして何とか呼吸を落ち着けると、シンタローは傍に立つキンタローに笑みを浮かべた。
「サンキューな。助かった」
感謝の気持ちが表れた短い一言だったが、キンタローはシンタローをじっと見つめながら距離を詰めると相手を逃がさないように壁に押し付けて、恐ろしく低い呻り声を上げた。
「そう思うのなら無謀なことは止めろ。うちはいつから「人さらい」も仕事になったんだ?」
更に顔を近づけながらシンタローを鋭い視線で睨み付ける。普通の神経の持ち主なら震え上がって失神しそうなほど威力がある眼光だったが、シンタローからは微塵も堪えた様子が窺えなかった。
「人聞き悪ィこと言うなよ。俺は話し合いの「場」をセッティングしただけだろ」
「ふざけるな…ッ」
反省している様子もないシンタローに怒り心頭のキンタローは胸ぐらを掴んで更に怒気を露わにした。
「何が話し合いの場だッ」
キンタローは今にも殴りかかりそうな勢いだった。シンタロー以外の人間ならば、こんなにも激昂したこの男を目の前にして、ここまで暢気な様子でこの場に留まってなどいられないだろう。
キンタローが何故こんなにもシンタローに対して憤懣をぶちまけているのかといえば、今回受けた依頼が原因であった。
規模を問わず、様々な組織から多様な依頼を受けるガンマ団なのだが、今回はある地域の大きな街にある民間団体からの依頼であった。
その民間団体はここ半年ばかり、その街で絶大な勢力を奮っている組織から不用な圧力がかかるようになり、衝突が絶えなくなっていた。ここのところ特に血が流れるような事件が多発しており、死人が出る前に何とかしたいということであった。
仲介を頼まれたのである。
以前は何事においても被害が拡大して事態に収拾がつかなくなってからの依頼が多かったのだが、その功績あってか、最近はその前段階での依頼も少しずつだが増えてきていた。おかげで無駄な血を流さずに解決できる依頼も見られるようになってきている。従って、こういった依頼内容は、最近のガンマ団には珍しくもなく、内容としても特に難あるものではなかった。
依頼主がいる街はガンマ団本部からかなり離れた地にあるのだが、依頼人はわざわざ遠くからこの本部を訪れてきた。総帥に会って直に話をしたいという依頼人は珍しくもない。しかし、命を狙われることが少なくはない総帥であるから、約束なしで訪れた人間からの面会はほとんどが門前払いで、聞き届けられることは稀であった。
この時シンタローはいつも通り本部にいて、普段ならば総帥室で缶詰状態にあるのだが、この時は偶々空き時間が出来た。そして依頼人にとっては幸運なことに、所用があってエントランス付近にいたのだ。
普段ならば来客の応対は一般職員がするのだが、何やら必死な様子の依頼人に気付いてシンタローが近寄ってきた。総帥の姿を見た職員は「しまった」と思ったのだが、時は既に遅く、依頼人の姿を見てしまえばシンタローがノーと言うはずがない。従って、幸運にも希望通りガンマ団総帥に直に会って話をすることが出来たのだ。
シンタローが依頼内容を聞いているとき、もちろんキンタローもその場にいて同じように話を聞いていた。その内容に問題があるように感じられなかったキンタローは、シンタローの性格からしてこの依頼を受けるのだろうなと思った。そこまでは別に良いと今でも思っている。
その時はその場で直ぐに返答はせず、後日回答すると約束をしてその日の話は終わった。
それも珍しいことではなく、その後キンタローは依頼内容の裏をとるように関連資料を集めてシンタローに渡した。そこまでも普段やっていることと何ら変わりはない。
シンタローも普段と変わらぬ様子で資料を読んでいたし、その報告書内で何か疑問に思う点があれば全てキンタローに質問してきた。
それから一週間が経った本日。
キンタローが研究室で仕事をしていると携帯電話にシンタローから着信があった。何故内線ではなく携帯にと疑問に思いながら出ると、電話越しに先日の依頼を受ける旨を聞かされた。
そこまでは良かったのだが、この非常識な総帥は仲介を頼まれた相手組織のトップのところへ単身で乗り込んでくるというのである。電話越しに聞いた普段と変わらぬ調子の「ちょっと行ってくるゼ」という台詞でキンタローはめまいを起こしそうになった。
携帯からの連絡だったのは、既に本部から抜け出した後だったのだ。
はっきり言って団員全員が即倒ものの話であった。
そして「ちょっと行ってくるゼ」の内容が何かと言えば、先ほどキンタローが言ったとおりで、その組織のトップを力ずくで拉致したのである。用意周到に民間団体のトップをこの街に呼び寄せており、話し合いの場として指定した街の外れにある店へ連れていったのだ。
シンタローは依頼主に一対一で話をすることを条件として提示しており、向こうもその条件をのんでこの店には代表が一人で来ていた。この店の周囲にはガンマ団から選りすぐりの団員を要所に配置して警備を固めてある。団員達も総帥命令とあっては聞かないわけにはいかなかったのだろう。シンタローと合流する前に団員達の見つけたキンタローだが、この補佐官の姿に気付いた団員達の気まずさといったら心底気の毒なほどであった。
こうしてシンタローは、存分に話し合ってくれと言わんばかりの場を、見事一人でセッティングしてのけたのであるが、問題はその結果、トップをさらわれた組織の部下達が、当たり前だがシンタローを必死の形相で追い回すことになったということである。
だが、これはどう考えてもシンタローのやり方に問題がありすぎる。総帥を補佐する立場のキンタローが激怒するのも当然の話であった。
「お前は前代未聞の無謀者だぞ」
「無謀じゃねーだろ?ちゃんと二つの組織のトップ同士が話し合える場を作って、今現在二人はお話中。話し合いの時間もリミットがあるから、俺はそれまで逃げ切ればミッションクリアと」
「馬鹿を言うな。話し合いが決裂したらお前は完全に蜂の巣だ」
「決裂しねーって」
「何を根拠にそんなことを言える」
目の前で低く唸るキンタローにシンタローは一瞬だけ何か考える素振りを見せたが、普段と変わらぬ様子で口を開いた。
「知った顔なんだよ。両方とも」
シンタローからの予期せぬ言葉にキンタローの動作が止まる。青い眼が大きく見開かれ、その端正な顔には驚きの表情が張りついた。
「じゃなきゃ、依頼とはいえ遙々遠くからわざわざ俺に会いに来ねーだろ?うちまでこなくても、もっと近くに同業者はいるんだからサ」
シンタローの顔には何かを懐かしむような表情が浮かべられていた。
「………どこで知り合ったんだ?」
「そりゃぁまぁ………お前なら判ンだろ?」
言葉を濁しながらもシンタローは笑った。察するに、昔に何かやらかしたときの仲間と言うことなのだろうが、はっきり言葉にされなくともキンタローが共有する記憶の中から何となくいつの頃の仲間なのかが判った。父親と衝突しては飛び出し捕獲されるというのを何度も繰り返していた時期の仲間だろう。
「ま、だからさ。そんなに怒ンなよ」
そう笑みを浮かべたシンタローは、目の前の金糸の髪に手を伸ばして優しく梳くと頭を撫でた。少々誤魔化す意味合いも含まれた行動なのだが、シンタローはこれでこの件を終わりにするつもりであった。
一応、無茶をやった自覚はあるのだが、いつまでも説教を食らうのは御免である。シンタローとしては今のところ順調に物事が進んでいると思っているので、この辺りで話を切り上げてお終いということにしようとした。
だが次の瞬間、壁に押し付けられていた体は、苦しそうに顔を歪めたキンタローに力強く抱き締められていた。
「…キン…」
「…そういうことは先に言え…ッ」
縋り付くように、だが強い力で抱き締めてくるキンタローに、最初は驚いたシンタローだったが、どれだけ時間が経っても離れる様子がない相手に、さすがのシンタローも先ほどのように調子良く言葉を続けることが出来なかった。
「お前を心配した俺の気持ちはどうなる…ッ」
シンタローの肩に顔を埋めて何かを堪えるように体を震わせるキンタローの姿は痛々しく感じられた。
「……キンタロー…」
宙を泳いでいたシンタローの手が暫くしてキンタローの背に回されると、キンタローは更にきつく抱き締めてきた。あまりにも強い力に体は痛んだが、シンタローは大人しくされるがまま抵抗はしなかった。
「何故俺に黙っていた…」
「それは…」
「お前のかつての仲間ならば…そう一言あってもいいじゃないか…」
シンタローは言葉に詰まる。黙っていたことに深い意味はないからだ。
それでもあえて言うならば、今回やらかしたことは計画段階で話をすれば「無謀だ」と怒られる自覚があった。それで自分の行動に制限が掛かるのは困るなと思ったシンタローは、どのみち怒られるのならば実行後の方がいいと考え、深くは考えずに黙っていたのだ。キンタローに怒られるのが日常茶飯事に近い総帥は、まぁいつものことだろというくらいにしか思っていなかったのである。
だからキンタローが怒り露わに剣呑な雰囲気で迫ってきても、どれだけ鋭い眼光で睨まれようとも、怒られることを覚悟していたシンタローには堪えた様子が微塵もなかったのだ。
しかし、こうやって抱き締められることは予想していなかった。
いつも通り、こっぴどく怒られて終わりだと思っていたのだ。
「キンタロー…お前どうしたんだよ?いつものことだろ?俺がこんなんなのは」
「いつもだと?お前は…いつも……あんな鉛弾が飛び交う中を走り回っているというのか…ッ?」
「へ?だって…」
シンタローは何か言おうとして再び口を噤んだ。
そこでふと思い当たる。
もしかしたら、キンタローはこんな現場をリアルタイムで見たことが、いままで一度もなかったかもしれない。今の台詞で『そーいや全て事後報告で済ませていたような気がしなくもねぇな』と思ったシンタローである。
先に話せば怒られると思って「報告は後回し。何事もばれない限りは黙ってろ」精神でやっているといっても過言ではない。無理・無茶・無謀の三拍子を揃えた行動をしている自覚は一応あるので、子どものいたずらのようにばれるまで黙りを決め込むことが多々あるのだ。
尤もそれは、黙っていてもキンタローには確実にばれるからという理由もあったりするからなのだが───。
基本は黙りなのだが、今回は依頼人と話をしている場にキンタローがいたこともあって依頼を受ける旨は伝えなければと思った。更に気分屋なところがあるシンタローは電話越しなら止められることもないだろうと、珍しく事前報告をしたのだ。
いけると思えば単独でも突き進むシンタローで、そんな行動についてよくキンタローに怒られているから、勝手に相手は知っている気になっていたのだが、今のキンタローの様子を見る限り実際は違ったようである。
シンタローは細かく気にしていなかったので全く気付かなかったが、大体は事後報告、キンタローの元へ戻ったところで怒られていたのだ。
『あー…失敗した…』
キンタローが自分のことを心配しないわけがないということを日常の彼の台詞から判るはずなのに、見事にそこが抜け落ちた。こんな辛そうな姿をさせるくらいなら、もっと前から先に言う形を取れば良かったと後悔をした。
「…悪ィ」
これでは言い訳も何も出来ないと思ったシンタローは、静かな声で潔く謝った。そして背中に回していた手に少し力を込める。シンタローがしっかり抱き締めると、キンタローは顔を上げて至近距離で見つめてきた。
「…何故黙っていたんだ…?」
「それは……深い意味はねぇーよ。ただ、先に言ったらお前怒ンだろ?」
「当たり前だ」
「だから、俺は…」
シンタローは反論しようとしたのだが、キンタローが微かにまだ震えていることに気付いて直ぐに口を閉じた。
背中に回していた手を頭に移動して引き寄せながら目を閉じると、キンタローの唇にそっと触れた。
一瞬の間の後、直ぐに離れる。
「その…俺が悪かった…次から事後報告じゃなくてちゃんと事前報告にする…」
「………お前は…無謀なこと自体止めるとは言えないのか?」
「言わねーよ」
シンタローはそう言って優しげな笑みを浮かべながらキンタローの額に己の額をコツンとあわせた。
「これからは事前報告にするからいいだろ?」
少し黙って考えたキンタローは言葉では何も言わずに一つ頷いた。随分勝手な言いようであるが、シンタローらしい。キンタローとしては蚊帳の外にされないのならば、それでも構わなかった。
「それは、お前が突っ走る前に俺が止めても良いということだな?」
キンタローは念を押すように問いかける。
「あぁ。そのかわり、勝算がゼロじゃなかったらお前も協力しろよ?」
「…シンタロー…」
「頼りにしてンだからいーだろ?仲良く共犯な」
そう調子よく言われると丸め込まれた感が否めないキンタローだったが、額を合わせたまま至近距離で浮かべられた笑みも声も、向けられる全てが優しく感じられて、キンタローは結局また頷いた。
シンタローは総帥であるにも関わらず危険事に率先して突っ込んでいく。端から見ていれば、あえて危険事を選んで行動しているのではないかと思えるほど、躊躇うことなく飛び込んでいってしまうのだ。
それでも無事に戻ったから別に良いだろと言われてしまうと、待つ方の身としては心臓がいくつあっても足りない。この男を止めることは出来ないというのならば、キンタローは力になりたいと思っているのに、何も言わずに単独で走っていかれては傍にいる意味がなくなってしまうのだ。後ろで指をくわえて見ていることしか出来ないのが、キンタローには一番辛かった。
あんな場面を見てしまった後では何も知らされずに待っている方が遙かにしんどい。
共犯と言うことは、どんなときでも傍にいることが出来るのだから、例え銃弾が飛び交う中であってもただ一人後方で待つよりは安心感が得られる。どんな場所でもシンタローと一緒がいい、キンタローはそう思った。
次からはきちんと話をするというシンタローを信じて、キンタローは少し顔を離すと相手をじっと見つめた。
青い双眸に静かに見つめられると、シンタローが察したように目を閉じ、キンタローも同じようにゆっくり目を閉じながら再び顔を近づけて、今度は自ら口付けた。
そのままキンタローに深く求められてもシンタローは一切抵抗をしなかった。これでキンタローが落ち着くのならば好きにして構わないと思い、腕を絡めて自らも強く引き寄せた。元々キンタローには甘いシンタローである。本人も自覚しているのだが、受け入れ態勢になると何処までも甘くなるところがある。
キンタローは強く抱き締めていた体をゆっくりとまた壁に押し付け、余裕無く求める。そんなキンタローをシンタローは優しく抱き締めた。自分の理性まで持っていかれないように気を付けながら、相手を宥めるように背中を撫でる。
少しの間それを繰り返して、キンタローが落ち着きを取り戻してきたかと思う頃に、シンタローはいきなり足を割って入られた。驚くよりも先に体を密着させてくる。キンタローの太股がシンタローの中心にあたって体がビクリと跳ねた。
「んッ…キンタロー…」
何をするつもりなのかと問う前に、今度は胸元を勢い良くはだけさせられた。上着に付いているベルトにファスナーが引っかかって上半身全てが露わになったわけではなかったが、胸元はしっかり外気に触れてひんやりとした冷気を感じる。何事かと思ってキンタローを見ると、いやに真面目くさった顔をしてシンタローを見つめていた。
「シンタロー…お前、怪我はしていないのか?」
「…は?」
「あれだけ銃弾が飛び交う中にいたんだ。怪我の確認をさせろ」
「はあぁ?」
今の行動は誰が考えても怪我の確認をするためじゃないだろうとシンタローは思ったのだが、キンタローの手が胸元に触れてくると腰が引けた。が、背面は完全に壁なので逃げ道は何処にもない。
「や、大丈夫だって!どう見ても、俺はピンピンしてンだろ?」
先程までシンタローに縋り付いていた補佐官は何処へ行ったと嘆きたくなるほど、態度ががらりと変わった。落ち着いた途端に次はこれかと、シンタローは身の危険を感じて狼狽する。
「お前はそういうところで嘘をつくから信用ならない」
「ヒデェな、オイ……って、ちょっ…待…ッ」
唇で肌に触れられてシンタローは本気で焦る。相手を引き剥がそうかと思ったのだが、先程の自分を心配して縋り付くように抱き締めてきたキンタローが脳裏に焼き付いていて、シンタローは思うように抵抗が出来なかった。
こういうときに、自分はキンタローに凄く甘いと心底思うのだが、思ったところでやはり拒むことは出来ない。
そうやって何度も『餌食』になってきたのであった。
「キ…ン…タロー…」
名前を呼ぶ声は掠れ、体は思うように動かせず、このままではまずいと頭の中では警報が鳴っているのに、シンタローはキンタローの背に回した自分の腕すら動かせないでいた。
「何で…そんな……っつ…か…怪我なんか…してねぇ…だ…ろ…?」
事実シンタローはあれだけ銃弾が飛び交う中にいたというのにかすり傷一つ負っていないのだ。それは一目見れば判るはずなのだが、念には念を入れているのか何なのか。キンタローは一向にシンタローの体を離そうとはしなかった。
首筋を辿っていた唇が鎖骨へ移動して、そこから胸元へと舌が辿っていく。シンタローは息を詰めて何とかやり過ごそうとじっと耐える。
「シンタロー…お前ならもっと上手くやれたはずではないのか?」
「…ん…?」
ここで口を開けばたがが外れてしまいそうで、シンタローは辛うじて短い返事をする。
「何故…追われる羽目になったんだ?」
キンタローの問いかけで吐息が肌を擽り、また舌が這っていくと、シンタローは体の奧で燻る快感が勢いを増すのを感じた。問いかけに返答することが出来なくて、シンタローは目を瞑って唇を噛み締め、押し寄せてくる恍惚とした感覚を必死になって耐えた。
キンタローはそんなシンタローを下から見上げると、膝を折っていた姿勢をゆっくりと正して閉じられた唇に触れる。舌で促して唇を開かせて中へ入り、迷いながらも逃げるシンタローの舌を捕らえて絡ませていく。
絡み合う濡れた音が耳から浸食していき、それは理性を簡単に喰らい潰そうとする。キンタローから与えられる快楽は抗い難くて、シンタローは震える体を支えられずキンタローに縋り付いた。
『こ…このままいったら…マズ…イ…ッ』
内心では半泣き状態のシンタローなのだが、それでもキンタローを引き剥がす気になれない自分に『俺ってどーなの?』と自虐的な気持ちで問いかけた。怪我の確認が何の確認をしてるんだよと突っ込みを入れたい気持ちもあるのだが、それすら言うことが出来ない。
「シンタロー…」
深く触れ合っていた唇を離してキンタローが名前を呼ぶと、シンタローはゆっくり目を開ける。見つめてくる青い眼は澄んでいてシンタローは少し安堵したが、体を支えてくれる腕に込められた力は強くて、向けられる感情の強さにまた飲み込まれそうになった。相手が他の者でもそうなるのか判らなかったが、シンタローは体が高ぶってくるとキンタローの感情には引きずられやすいのだ。
「キン…タ…」
「シンタロー…お前はならもっと巧く出来るはずだと思うんだが、何故追われていたんだ?」
掠れながらも何とか返事代わりに名前を呼んだシンタローだが、無情とも言えるような問いかけを再び寄越された。これはその質問に答えるまで解放してはくれないということなのだろうか。
『…ヒデェ…』
こういう問い詰め方はベッドの上だけにしろと思いつつも、そんなことは口が裂けても言えないシンタローである。言ったら最後、これから頻繁にやられること間違いなしだからだ。
こんな形をとらなくても普通に聞いてくれればあっさりと答えられたはずなのだが、この状態では会話をすること自体かなりきつい。心の中で『バカヤロー』と思いながらも、シンタローは途切れ途切れに言葉を返した。
「もう…何年も…連絡取……なかっ…から…正面から………ンァッ」
台詞の中の正面という言葉でキンタローが動いた。足で熱を刺激され吐息が洩れる。
『何の拷問だよ…ッ』
自分が何故こんな方向に追い詰められているのかさっぱり判らないシンタローであった。
布越しに感じるキンタローにすら熱を感じて体は欲情していき、確実に退路は断たれていく。
「正面からだと?お前は何馬鹿なことをッ」
「アッ……う…動くな…ッ」
キンタローが意図していなくても、この体の密着具合は少し大きく動かれただけで見事な刺激を与えてくれる。特に間に入られたキンタローの足が悪さをしているわけだが、とにかく逃げ場がないのだ。
「お前はもう少し自重し…」
「ヤメッ…キン…ッ」
肩を掴まれて激しく揺さぶられると、シンタローはもう限界だと言わんばかりの高い声を上げた。
と、その時───。
「ガキがーッ!!!何処行きやがったーッ!!!!」
地下水路一面に、男達の低い声が響き渡った。
『た…助かったーっ』
後一歩遅かったらこんな場所でしっかりことに及んでいましたと、シンタローは正直に思った。崖っぷちも良いところ、理性の破片すら消え失せそうになっていたのだ。
響き渡ったその声にキンタローが臨戦態勢に入りシンタローから離れる。シンタローにとってはおじさん達の野太い声が救いの神となった。そんな声に救われてちゃ世話ねぇなと思いながら、大きく息を吸うと姿勢を正す。そして数秒間目を閉じて意識をはっきりさせると、キンタローを促してこの場から離れた。
シンタローの姿が見えなくなって何処かに隠れたのだろうと、追い回していた男達は手当たり次第探して、その内の何名かが地下水路へ下りてきたのだ。声の数と煩い足音から、そこまで人数がいるようには思えない。目星をつけてここに来たというよりは、下手な鉄砲も数打てば当たる状態で、何人かがここへ下りてきただけのようであった。
シンタローとキンタローは足音を立てないように素早く移動して声が聞こえた方向から離れていく。
「あんなに煩くしていては逃げられると考えないのか?」
移動しながらもキンタローが浮かんだ疑問を口にした。
「普段やってんのが相手を脅して怯んだ所を叩くってやつなんだろ」
「俺達相手にそんな方法では効果がないというのはお前の行動を見ていても判ると思うが…」
「学習能力がねーんだよ、きっと」
相手の人数が少ないと言えども、この地下水路では街中に比べて障害物が少ないので、撃ち合いになると盾に出来るものがないので逃げにくくなる。こういう時こそ相手を撃ち倒せたら手っ取り早いのだが、それはやらないと決めていた。
さてどうしようかと考えたシンタローの心中を察して、キンタローが何か言いたそうにしたが、説教なのは判っていたのでシンタローがそれを阻むように口を開いた。
「俺が上へ出て暴れっからお前は後ちょっとどっかで身を隠してろ。多分、俺が出ていけばここに来た連中も出てくるだろーし…」
どこまでも変わらない調子にキンタローが声を低くした。
「ふざけるな。俺も行く」
「でも面が割れてンのは俺だけだからお前は…」
「さっきの約束をもう忘れたのか?シンタロー」
無謀だと思ったらキンタローはシンタローを止める。だが、勝算があるならばその力を貸す。先程そう約束したばかりであった。それを一時間も経たない内に忘れたとは言わせない。
「お前はまた街中に出て派手にやるようだが、勝算はないのか?」
「まさか」
「ならば、俺が一緒に行っても問題はないはずだ」
「でも…」
「シンタロー、俺はこんな所で一人身を隠すのも、お前の無事だけを祈るのも御免だ」
キンタローにはっきりとした口調で言われると、シンタローは軽く肩を竦めて後はもう何も言わなかった。
声が良く響き渡る地下水路で耳を頼りに二人は移動をする。マンホールが空いている箇所が幾つかあり、そこから男達の声が聞こえる場所を避けて、ようやく一つの開いているマンホールから地上へ出た。
街中にもシンタローを探している男達はいるのだから不用意に出ていくのは危険なのだが、とにかく動作が派手で煩い連中だから、近くにいれば直ぐに判る。シンタロー達が地上へ出たマンホールからは、特に煩い声も聞こえなかったので出ていく分には安全だろうと思われた。とても対応しやすい連中で有り難いと思った二人である。
だが、それも地上へ出る一瞬が安全だっただけで、二人が姿を現すと同時に細い道から何人もの男が出てきて、早々に銃口を向けられる羽目になった。
そこから二人の動作は速かった。特に合図することもなく敵に向かって飛び出す。シンタローが先導する道をキンタローが援護しながら揃って走っていく。絶妙なコンビネーションであった。
シンタローは目の前に現れた三人の男が引き金を引く前に回し蹴りで薙ぎ倒す。その横合いから二人の男が出てくると手を蹴り上げた。その勢いで男の手に握られていた銃が手から離れる。地面に落ちた銃も拾えないように蹴り飛ばして、それは傍にあった溝に見事落ちた。飛び道具だけではなく、刃物をもって殴りかかってくる男達もいた。シンタローはその攻撃も難なく躱すと、一撃で昏倒させていく。拳一つで倒された相手も屈強な男のはずなのに、一人相手に数人がかりでこうもあっさり倒されてしまっては全く立つ瀬がないだろう。
この衝突の騒ぎをききつけた仲間達がまたこぞってこの場に現れたのだが、キンタローは自分も攻撃を仕掛けながらシンタローを見て『これではいつまで経っても反省はしないな…』と内心で溜息をついた。
他ではどうなのか判らなかったが、今対峙している男達に関して言えば、赤子の手を捻るぐらい簡単に倒されていってくれる。おかげで躊躇うことなく銃口を向けて引き金を引いてくれる相手にも関わらず、無駄な殺生をしないで済むのだ。仮に失敗しても自分が怪我を負って終わるのだから団員を動かすよりもシンタローにとっては気が楽なのだろう。普通に考えて目の前の展開はあり得ない状況なのだが、相手が弱すぎるのかシンタローが強すぎるのか、キンタローは悩むところであった。
またもや拳銃片手に男達の集団が現れるとシンタローは一人の手を蹴り上げて銃を空中に飛ばし上げた。直ぐ傍にあった店の横に積まれた木箱を足場に宙高く飛び上がって銃を手に取り、上から狙いを定めて引き金を引く。見事な射撃で男達の手から武器を奪っていった。
キンタローは傍に転がっていた銃を拾い上げると、飛び上がったシンタローを打ち落とそうと狙う男達の手に向かって引き金を引いた。次に、シンタローによって武器を奪われた男達に攻撃を仕掛けて意識を奪った。
「さすがだな、キンタロー」
いつの間に横へ来たのか、シンタローは覇気ある笑みをキンタローに向けた。
「………お前には及ばない」
キンタローが控えめな返事をすると、二人はまたそこから別れて自分たちに向かってきた敵を倒していった。
そして二人が再び近寄った時には周囲が静かになっており、辺り一面かなりの男達が伸びて転がっていた。
「終わりかな…?」
「…終わりだろう」
やっと騒ぎが落ち着いたかと思った瞬間、第二ラウンドスタートといわんばかりに血気溢れるむさ苦しい男達がこぞって集まってきた。流石の二人も絶句する。
これでは埒が明かないと思った二人は乱闘を止めにして、街中を使った障害物競走に切り換えることにした。二人揃ってここは逃げるが勝ちだと考えたのである。
行く手を阻む何人かの男達を殴り倒すと、二人はもの凄いスピードで走り出した。
今度は二人の青年が先導して、銃声と怒声をBGMに、おじさん達を引き連れて大行進をする羽目になった。
「シンタローッお前はもう少しやり方を考えろッこれではいつまで経っても収拾がつかないッ」
シンタローと並んで勢い良く足を動かしながら、キンタローは抗議を上げた。
「後ちょっと逃げ切ればタイムリミットだから頑張れよッ!その時間に待ち合わせた場所へ行けばミッションクリアだぜッ」
対するシンタローは慣れた様子で走っている。
「ふざけるなッ問題はそこじゃないッ」
「文句あんなら下で待ってりゃ良かったじゃねーかッ」
「………お前はいじわるだ…」
キンタローに睨まれるとシンタローは笑いながら相手の背中を叩いた。
「期待してんだから頼むぜ?相棒」
思わず見惚れるような笑みを浮かべると、シンタローは更にスピードを上げて前に躍り出た。そして前方から刃物をちらつかせてやってくる巨体の男達を殴り倒す。後方に続いていたキンタローは横合いから出てきた男達の応戦をした。
倒しても倒しても現れるシンタローの昔の知り合いの部下たちの多さに、キンタローは正直驚き覚えた。どれだけ大きなファミリーを構えているんだとげんなりしてくる。会話をする余裕などないくらい切羽詰まって逃げているはずなのだが、キンタローは思わずシンタローに問いかけた。
「シンタロー…お前はあんな短時間でこんなに恨まれるようなことをやらかしたのか?」
「んなことねーと思うんだけど…アイツが悪ィんだよ。トップになっていつの間にか頭が固くなってっから…もっと俺みたいに柔軟性を、だな…」
ぶつぶつ呟くシンタローの台詞を無視して、キンタローは自分の質問を続けた。
「で、正面切って乗り込んでいって何をしたんだ?」
「乗り込んだんじゃねーよ。昔の知り合いが訪ねてもおかしくねーと思って、普通に会いに行ったんだよ。さすがに俺も立場上おおっぴらに名乗ることはしなかったけど、そんな感じで取り次いでもらってさ。んで詳細話して…なのにアイツときたら…会わねーとか言いやがってッ」
「…それで?」
「往生際悪ィって殴り倒して連れてった」
「……………」
ヘマをするとかそれ以前の問題であった。どうりでこうも盛大に追い回されるはずである。
「…もうそれについては何も言わないが…無駄な殺生をしたくないのなら浅はかな行動は止めろ」
二人は走り続けて、街の中央から少しずれた場所にある広場へついた。この時点でタイムリミットは既に来ている。この場所が予め約束していた場所で、この時間に落ち合うはずだったのだが、運悪くシンタロー達の方が早く着いてしまったようで広場は無人であった。仕方なくこの場に留まって再度応戦することにする。
シンタローの話では話し合いが決裂するはずはないということだったが、約束の時間がどんどん過ぎていってもこの騒動に終わりを告げられる人物が現れなかった。キンタローの方は自分が知らない人物なだけに、いくらシンタローが大丈夫だと言っても一抹の不安を覚える。
広場で応戦していたシンタローとキンタローだが、決まった場所から移動できないと言うのは二人にとってかなり不利であった。まだかまだかと思いながらも、だんだん追い詰められていく。一旦この場所から離れた方がいいのではないかとキンタローが考えたときに、シンタローが一撃を食らって吹っ飛んだ。
「…シンタローッ」
シンタローは体を壁に叩きつけられる前に一回転して体勢を整え巧く着地する。殴られた際に口の端が切れて、滲んだ血を手の甲で拭った。
「イッテェー」
相変わらず懲りた様子はなかったが、シンタローが殴り飛ばされて口に血を滲ませている姿を目にすると、キンタローが殺気立つ。それに気付いたシンタローが慌てて止めに入った。
「キンタロー、ダメだッ」
血が沸き上がるのを感じたキンタローだったが、シンタローに名前を呼ばれて我に返る。
だが、それが一瞬の隙になって二人はだんだん隅へと追い詰められていった。相手の数が多すぎて、何とか攻撃を交わしていた二人だが、やはり無理がありすぎる。
キンタローの隙をついて背後を狙った男をシンタローが殴り飛ばし、そうやって他へ意識を取られたシンタローを狙ってまた別の男が攻撃を仕掛けてきたのをキンタローが迎え打った。
互いをフォローしながら決定打を浴びないように攻防を繰り返す。
そんな中、何人かの男達が一斉に銃口を向けて引き金を引くと、二人は弾丸を食らわないように転がり避けた。二手に分かれたシンタローとキンタローだが、男達は当初の目的であった長い黒髪の男に狙いを定めると立て続けに撃った。先に体勢を整えていたキンタローは弾が飛び交う中、シンタローの元へ飛び込んで覆い被さる。
その時であった。少し離れた地から一発の銃声が響き渡った。男達の動作が一斉に止まる。
それは待ち望んだ人物の到着を知らせる銃声であった。
「遅ェーよ…」
シンタローはぐったりしながら視線をキンタローの背後へ向けた。シンタローの視線を追ってキンタローも振り返ると、見た目三十代半ばくらいの男が二人の傍へ歩いてくるのが見えた。
昔の知り合いというのだから同年代を想像していたのだが、明らかに年上であった。がっしりとした体格と非常に高い背は、自分たちと同じくらいかそれ以上かもしれないとキンタローは思った。
『これがシンタローの昔の…』
キンタローはじっと相手を見つめた。対する男も、シンタローとキンタローをしげしげと見つめる。
しばらく吟味するように見つめた後、この緊迫感溢れる場においてこの男が発した第一声は、
「………お前等ってデキてんの?」
であった。シンタローは目を剥き固まり、キンタローは一瞬絶句した後『これは確かにシンタローの昔の知り合いだ…』と頷いてしまった。どうやら普通の神経の持ち主ではないようである。
今の二人の体勢は、別の場所で見れば確かにそう見えなくはない。
キンタローはシンタローに覆い被さるように乗り上がっていたし、シンタローの上着は地下水路ではだけさせられた名残があって、胸元が不自然に乱れているのだ。
しかし、銃をもった男達に追い詰められて囲まれた自分たちを見て、真っ先に思うところがそこなのかと、キンタローは思った。
「あのお前がねぇ……俺、シンタローが大人しく守られる体勢にいるのって初めて見たわ」
男は感心したようにキンタローを見つめてくる。キンタローはそう言われて己の下にいる相手の方へ向き直ると、驚き固まったまま若干顔を赤くしたシンタローと目があった。
二人を交互に見た後、キンタローは思った。
『ふむ…あの男とは一度深く話してみたいな…』
街中を走り回って大騒動をやらかしたシンタロー達であったが、依頼にあった話し合いは無事に終了することが出来たようである。騒ぎに収拾がついた後、この場に現れた依頼主、もう一方のシンタローの知り合いの様子を見る限り、納得が行く話が出来たように思われた。シンタローの無茶のおかげでかなり草臥れる依頼ではあったがこれで完了となった。
辺りはすっかり暗くなっていて、街中の至るところから明かりが漏れ、あちこちから豪快な笑い声が聞こえてくる。喧嘩をするような大声やガラスが割れる音も聞こえてきたが、それも日常茶飯事の街なのだ。
シンタローとキンタローは、二つの組織のトップから見送られる形で街を出た。
各々の車が止めてある場所まで並んで歩いていく。
肩を並べてしばらく無言のまま足を動かしていた二人だが、街の喧噪から大分離れて静かな場所までやってくると、空に浮かんだ月や星の輝きが目に付いた。天然の明かりを頼りにまたしばらく歩いていくと、シンタローがぽつりと口を開く。
「キンタロー…お前、さっきみてぇなの…止めろよ?」
「さっき?」
何を指して言われたのか判らず、キンタローは問い返した。
「俺に覆い被さってきたときの」
「あぁ……恥ずかしかったのか?」
「違ェよッ!!」
キンタローにからかわれてシンタローは声を荒立てたが、直ぐに話を戻した。
「俺の盾になるような真似は止めろ」
その声は静かだが強い意思が表れた口調であった。逆らいがたい命令を感じさせる。
並んで歩いていたキンタローはそこでふっと足を止めた。シンタローは数歩進んでからそれに気付いて立ち止まった。そして後ろを振り返る。
「キンタロー?」
暗闇の中、青い眼がシンタローを見つめる。視線を合わせると片方の目が独特の光を放っているのが判った。秘石眼が輝いているのだ。
空の輝きが放つ明かりの下、二人の間に沈黙の時が訪れた。そのままかなり長い時間、二人は立ち止まってお互いを見つめていた。シンタローは今自分が言った言葉を撤回するつもりはなかったし、キンタローもそれを受け入れるつもりはなかった。沈黙は二人が一歩も引くつもりがないことを顕わしている。
たった数歩分だけ開けられた二人の間を、幾度となく夜風が吹き抜けていく。
風に揺らされる金色の髪が月明かりを反射して微かな輝きを放つようにシンタローの眼に映った。輝きを放つ金色の髪と青い眼に視線を奪われていると、キンタローが足を動かして二人の距離を詰めるように傍へ近寄った。
「シンタロー…」
「…何だよ」
「俺がお前を好きだということを忘れるな」
「……………」
キンタローの台詞にシンタローは言葉を詰まらせた。何も言えずにキンタローを見つめ続けることになり、その視線を受けたキンタローはシンタローの手をゆっくり取ると再び歩き出した。
「頭で考えるよりも先に体が動く。それが嫌ならお前が無茶を止めればいい」
静かにそう言って、シンタローの手をしっかりと握りしめる。
シンタローは何も言えず黙ったままキンタローに手を引かれて大人しく歩いた。
キンタローは握りしめて触れた手がとても温かく感じられた。シンタローは相変わらず何も言わないままキンタローに手を繋がれて足だけを進めている。キンタローも自分が言いたいことは言ったので、黙ったまま繋いだ手を離さずに歩き続けた。
二人の車が眼で確認できる位置までくると、ここまでかと思い、キンタローは惜しみつつもその手を離そうとした。握りしめるように繋いでいた手の力を緩めると、シンタローがその手を離さないように力を込めてくる。
軽く衝撃を受けてシンタローの方を向いたキンタローだったが、相手は真っ直ぐに前を見つめたままであった。キンタローが青い眼を向けても、シンタローの視線とは絡み合わない。それでもキンタローの手を離さないように、しっかりと握りしめてくれたのも事実であった。
車につくまでシンタローは無言だったが、しっかりと繋がれた手から相手の気持ちが伝わってきたのが、キンタローは嬉しかった。
E N D...
4000HIT/A様に捧げます
翌日。部屋に戻って寝たのが遅かったといえども習慣づいた体はいつも通りの時間に目を覚ますもので、数時間しか寝ていないシンタローだったが割と早い時間に意識が覚醒した。気持ち的にはもう少し寝ていたかったのだが眠気を吹き飛ばすように勢い良く起き上がりベッドから降りる。アルコールのにおいが体に染みついているような気がしてそのままシャワールームへ向かった。
昨日は二人揃って「その気にさせる」宣言をした後、軽口を叩きながら会話をしていたのだが、内容が仕事関係に少し触れるとそこから会話のやり取りがだんだん白熱してきて、最終的には半分くらい総帥と補佐官の顔に戻って話し込んだのであった。我に返ったときには日付が変わってから大分時が経過していて、慌てて部屋に戻ったシンタローだった。
熱いお湯を浴びながら頭からしっかり洗い流すと残っていた眠気も一緒に流れ落ちていく。
サッパリした気持ちで出てくると、濡れた髪をドライヤーで乾かしながら『そーいやキンタローが随分と触ってたな』と昨晩のやりとりを思い出した。何とはなしに己の真っ黒な髪を一房摘んで眺めてみると、少しだけ気恥ずかしくなる。昨晩は触れてくる手の心地良さに深くは考えなかったのだが、キンタローが自分の髪に触れてきたのは初めてなのだ。取っ組み合ったときにひっつかまれた記憶はあるのだが、指で優しく梳かれた記憶はない。
シンタローの方はどうなのかと言えば、こうなる前からキンタローの髪に何度か触れたことがあったりする。自分が金色の髪に憧れていた過去があるのは相手も承知で、偶に触ったり眺めたりしても誰も他意があるとは思わない。勿論、本当に他意などなく、傍にグンマがいれば彼の長い髪を摘んでみることもある。幼い頃に「綺麗だ」と思い続けたものは、成長した今でも特別なものに見えるようだ。
更に昨晩のやりとりを思い出すと、お互いに随分と変な宣言をしたもんだと思った。アルコールで酔った勢いというわけではないところがまたおかしい。勝負ではないのだからわざわざ口に出して言うようなことではないのだが、昨日の自分たちは本気で宣戦布告状態であった。それが今になると『何やってんだか』と笑えてくる。
『あんな真面目な顔して言うような台詞じゃねーよな』
その時のキンタローの顔を思い出すと笑みが零れる。
『成功するまで仕掛けてくるってんだろ?相手が俺だったから言った台詞なんだろーけど…』
自分も同じ様な宣言をしたのだから相手のことを笑える立場ではないのだが、同じ台詞を他で言おうものなら確実に相手から制裁を食らう羽目になるだろう。
「でも、まぁ楽しかったよな」
ゆったりとした時間もあり、上下関係でもめたりもして、最終的には仕事の話で白熱したトークを展開することとなった二人だったが、時が過ぎるのを忘れて一緒にいられたのは楽しかった証拠だ。
「次はいつ時間がとれっかなぁー…」
乾いた髪にざっと櫛を入れながらシンタローはぼやいた。そう簡単には自由な時間がとれないの残念に思いながら、鏡の前で簡単に身だしなみのチェックを入れる。
「これも毎朝面倒だな」
そう言いつつも、しっかり支度を整えたシンタローだ。
つやつやになるまで磨き上げる必要はないが、荒事専門と言えどもやはり巨大な組織のトップとなる者が、寝ぐせ全開で歩き回るわけにはいかない。上に立つ者としての威厳と礼儀を欠かない程度には外観を整えることも必要なのだ。毎朝面倒だと思いつつも、そこは人前に出るときの総帥としてのけじめで、どんな時でも疲れを見せずにはったりをかますためにも外見だけはきちんと整えるようにしている。急な来客もあれば、急に出かけることもあるのだ。もっとも、少しでも乱れていようものなら、ほぼ常に付き従っている優秀な補佐官が端から端まで入念に整えてくれたりするのだが。
時計に目をやると六時半を少し回ったところであった。今から朝食の準備をすれば朝はしっかりしたものを食べられるなと考えてシンタローは部屋を出た。自室を出ると同じタイミングで部屋から出てきたキンタローと顔を合わせる。
「おー!キンタロー、おはよーっ」
「おはよう、シンタロー」
元気に朝の挨拶で声を掛けたシンタローに、キンタローはしっかり視線を合わせて挨拶を返した。キンタローも朝食を摂りにリビングへ行くのだろうと思い、目的地が同じなら一緒に行くかと相手が傍へ来るまで待つ。
シンタローは半身が来たタイミングで歩き出そうとしたのだが、対するキンタローは傍へ来ると足を止める。青い双眸でシンタローの顔をじっと見つめた。
「ん?どーした?」
「部屋に戻ったのが遅かっただろう…きちんと眠れたのか?」
「あぁ、大丈夫だよ。戻って即寝だったからな」
キンタローの気遣いにシンタローは笑顔で応える。寝起きはさすがに少し怠く感じたのだが、体が完全に覚醒した今は特に不調も覚えず、あえて言うならお腹が空いたということぐらいであった。
「そうか…ならいい」
そう言いつつも更に顔を近づけてくるキンタローにシンタローは疑問の視線を投げかけた。大丈夫だと言ったのだがその台詞だけでは納得がいかなかったのだろうか。偶に変なところで過度に心配をする半身を思えば、間近でしっかり自分の状態を確認すれば気が済むかと特に気に留めるのを止めた。
だがしかし。そんな予想を裏切って、シンタローが疑問に思った行動の答えはとんでもないもので返された。
頬に手が触れたと思った次の瞬間には間近に迫った青い双眸が閉じられていて、こんな朝から廊下で堂々とシンタローの唇に触れてきたのだ。
深くはなかったが、軽く触れただけとは言い難い口付けであった。
当然だがシンタローは驚いた。驚愕のあまり目を大きく見開いて完全に固まってしまった。
キンタローは硬直した相手に構うことなく唇を離すとゆっくりと目を開いて、間近でその顔を一瞬だけ見つめた後、平然とした様子で「行くぞ」と促して歩き出す。
シンタローには今この場所でキスをされる意味が全く判らなかった。二人で交わした会話の内容、その前後にもその様な「流れ」は全くない。
「な…な……ッ」
行くぞじゃねぇと突っ込みを入れたかったシンタローだが、当の本人は眼を白黒させたまま声が出なければ動くことも出来ない。辛うじて動いた首を回してキンタローに顔を向けると、相手は動けなくなったシンタローを待つように立ち止まって振り向いた。そしてその端正な顔に含みのある笑みを浮かべた。
キンタローの顔を見たまさにその時、シンタローは相手を理解した。
『やられた…ッ』
お互いにとんでもない宣戦布告をした昨晩、シンタローは次のオフまでに何か策を練ればいいかと悠長に構えていたのだが、キンタローの方は違ったようである。これも彼が考えた『作戦』の一つなのだと、キンタローが浮かべた笑みが物語っているのだ。早々に仕掛けてきた補佐官の「攻撃」を躱せず、真正面から見事に食らったガンマ団現総帥であった。
「キンタロー…ちょっと待て、オイ…」
相手の意図を理解してからもの凄い勢いで再起動を果たしたシンタローが発した第一声は、恐ろしいほど物騒な響きを持った唸り声だった。
「待ってるぞ」
律儀に返事をするキンタローのもとへ、シンタローは恐怖心を掻き立てるような緩慢な動作で歩み寄ると、壮絶な笑みを浮かべて鋭い視線を投げ付ける。
「…一応、説明してもらおーか」
「何のだ?」
「…今の行動」
「説明が必要だったか?」
「いーから吐け」
獰猛な唸り声を上げるシンタローには逆らわず、キンタローは真顔で答えた。
「お前が部屋に戻ってから寝るまでの間に少し考えてだな…」
「ほぉ…」
「簡単にフリーの時間を取れるわけがないからどこで差をつけるか思考を巡らせた結果なんだが…」
「結果ぁ?」
「昨晩の失敗は、やはり以前と同じ様な状態にいたことにあると思ってだな。業務から外れた全ての時間を有効活用してお前にもう少し俺を意識してもらおうと考えたわけだ」
キンタローが台詞を言い終わるやいなや、予想通りのパンチが繰り出されてそれを悠然と避けた。空を斬る音がして、その攻撃の重さを感じさせられる。まともに食らったら一撃昏倒だっただろう。
感情任せに殴りかかり次に怒鳴りつけて終わりだろうと思っていたキンタローだが、猛然とした勢いで踵が飛んでくると、持って生まれた反射神経のおかげで辛うじて躱す。紙一重で避けることが出来た冷や汗ものの攻撃は、食らえば絶対床に沈められていたはずだ。
シンタローは自分の攻撃を二度避けたキンタローの胸ぐらを掴み壁へ叩きつけるように追いやった。そして鬼の形相で至近距離へ迫り相手を睨み付ける。
「…警戒ならしてやるけど?」
「構わない。それも「意識する」うちだろう」
「あーっそ。んじゃぁ、警戒して距離おいても構わねぇーってことだな?」
「お前がやられっぱなしでの逃げを良しとするのならばな」
「……………」
ああ言えばこう言う。随分と口達者になったものだと思いながらも、腹立たしいことこの上ない。シンタローの性格を理解した上でやっているのだから、随分と抜かりのないことである。
「大体、朝っぱらからこんな所で仕掛けてくるヤツがあるかッ」
「こんな所?」
「誰に見られるか判ンねーだろーがッ!!」
シンタローの指摘にキンタローは数回瞬きをすると、徐に訝しげな顔をした。
「デスクワークばかりでお前の感覚はそんなに鈍ったのか?」
「は…?!」
「そこまで広いわけではないのだからこのフロアの気配くらい簡単に判るだろう」
何馬鹿なことを言っているんだと、その冷静な口調と青い眼で言われたシンタローは、昨晩に引き続き言い返すことが出来なかった。
「~~~~~ッ」
口でも勝てずに、こんな所で味わうはずのない敗北感を味わって、朝っぱらから撃沈を果たす。俺の何がいけないんだよと、昨晩と同じことを考えた。
「オメェって本ッッッ当に可愛くねぇなッ」
「お前は可愛い反応ばかり示すな」
躱すことが出来るか否かの瀬戸際の攻撃を「可愛い反応」というものだから、この補佐官の感覚も素晴らしいものだ。あちこちから確実に抗議が上がりそうな見事な感想である。
「そーいう台詞が俺の機嫌を損ねてんだけど」
「そうか。では次から心の中で思うだけに留めよう」
そう言ってキンタローは目の前に迫った、それはそれは恐ろしく怖い顔をしたヒトを暫くじっと見つめて、見つめられたシンタローがその視線をむず痒いと思う頃に微笑を浮かべた。
「………何考えた?」
明らかに何かを思いましたという笑みを目の前で浮かべられるとついつい問い質してしまう。この際の矛盾は考えないようにしたようだ。
「言わない方が良いんだろう?」
「……………言えよ」
ふてくされたように言うシンタローに、キンタローの微笑が完全な笑みになった。シンタローとは対照的な柔らかい表情を向けながら、胸ぐらを掴まれたままだったキンタローはその手に自分の手を添えてゆっくりと外す。
「こういうやりとりも楽しいものだなと思っただけだ」
「俺はちっとも楽しくねぇーゾ…」
「そうか?」
キンタローは目元に笑みを残したまま襟元を正した。
「皺になってしまったな」
鏡を見て確認したわけではないが、シンタローが力任せに掴んだシャツが着たときのまま綺麗な状態であるはずがない。
「自業自得だろ」
機嫌の悪い声でそう言いつつも、シンタローはキンタローのネクタイを元通り綺麗に整えた。結局はこうして面倒見てくれるシンタローに、キンタローは相好を崩す。
「ありがとう」
一言礼を言えば、シンタローは何とも言えない顔をした。
掴みかかったシンタローがキンタローの着衣を乱したのだから、それを整えて礼を言われる必要はないように思えた。だが、元凶はキンタローなのだから先程言ったとおり自業自得な訳で、結局シンタローは反応に困って曖昧な表情を浮かべた。
自分で直したネクタイとその付近のあり得ない縒れ具合を見て、シンタローは曖昧な表情のまま「キンタロー、飯食ったらシャツ取り替えてこい」と一言添えたのだった。
その日から有言実行の補佐官キンタローの「実行」内容に、シンタローは頭を抱える羽目になった。
素晴らしい切り替え技と言うべきか何なのか。
仕事中とそうでない時に変わる態度にシンタローはしっかり振り回されていた。もう勘弁してくれと思いながらも、その辺りは男のプライドで負けを認めたくないから口が裂けても言えないのだが、どうにも逃げ道を確保出来ないまま体勢を整えられないでいる。
補佐官として優秀なのは結構なことなのだが、その頭の回転の速さを別のことに使われると、シンタローからしてみればとても質が悪い。自分にとっての好機を逃さない心意気は素晴らしいと思うのだが、何事にも真面目な性格が災いして、とにかくやり過ぎる傾向があるのだ。
『…ったく、一歩間違えれば万年発情男だゾ、コラ』
そんな感想を抱いたものの、その匙加減は舌を巻くほど絶妙なものだった。
まず仕事中には絶対に手を出さない。その徹底ぶりは見事なもので、どんなチャンスが転がっていようとも決して手を伸ばしたりはしないのだ。その態度はこの上なく淡泊で素っ気ない。
一度だけその心内を知りたくて餌をばらまいたりもしたのだが、絶対に食らいついてこなかった。自分で決めた意志を貫く姿勢には感心したものの、その後「誘うなら休憩中にしろ」と迫られて、少々大変な目に遭い『二度とやるもんか』と心に誓ったシンタローだったりもする。
そして仕事から離れると一転して、所構わず手を伸ばしてくる。
あれから抱擁、しかも形容詞に少しばかり「熱烈な」もしくは「強烈な」とつけたくなるものを受けない日はないと思うくらい、その辺りの強行ぶりもそれはそれは見事なものであった。
仕事中の一服はもちろん、間の移動時間もそれから外れるようで、二人で乗るエレベータなどはシンタローにとって「最悪」の空間だ。暴れると落ちるぞという有り難い「忠告」のもと、ある意味「良いように」されている。
素晴らしい頭脳の持ち主であることは知っていたが、それを任務や研究以外で活かしてくれると非常に厄介な相手になるものだと心底思い知らされた。
人の気配には敏感で「第三者を巻き込んで」というシンタローが嫌がることは絶対にやらず、更に機転を利かせてその時々の死角に連れ込むのはお手の物、ここはお前のホームグラウンドかと突っ込みを入れたくなること多々ありだ。
やられっぱなしは性に合わないシンタローだが、反撃に出ようにも同じコトをやり返したところで相手に喜ばれるだけだから意味がない。しかも何故か主導権は必ずキンタローに渡ってしまい、何がいけないんだと頭を捻ること頻りなのだ。
上か下かでもめたはずが、いつの間にか事態があらぬ展開を遂げている。目的達成のための回り道は時に必要なものだと思うが、いつも通りと言うべきか、やはり少しずれた方向に進んでいるようにも思えた。
『これも作戦の内だったらスゲェよな…』
シンタローは読み終えた書類にサインを走らせ処理済みの束の上に乗せると、また新しい束を手に取りながら傍で仕事をするキンタローに視線を向けた。相手は少し難しそうな顔をしながらここに届けられた書類に目を通している。総帥に渡す前に何かのチェックを行っているようであった。
『本当に、まぁ、素晴らしいギャップで…』
シンタローから見ても、仕事が出来る男、というのはカッコイイと思う。どんなに詰まったスケジュールでも周章狼狽することもなく確実にこなし、難題が降り懸かってきても屈することなく立ち向かう。そういった負けず嫌いで熱い部分もあるというのに、相手に与える印象は落ち着きを払ってクールなものだ。慌てふためきみっともない醜態を晒したことは、シンタローが知る限りではない。憧れの念を抱く同性がいてもおかしくはないと思った。
そんな男がシンタローの相手なのだ。キンタローの仕事ぶりは、心底称賛に値するものだと、シンタローは思っていた。総帥である自分を補佐する彼の能力は、こうなるずっと以前から認めていたのだ。
そして、それに加えてここ最近の熱烈なアプローチである。自分が女だったら確実にゴールインしてたな、とシンタローはある種他人事のような感覚で冷静に捉えていた。
『見た目はカッコイイし、仕事をさせれば有能で、好きな奴には一途だし……寝たことねーからそっちのテクニックとかは判ンねーけど、適度にエロイしな…』
随分な感想に聞こえるが、これはシンタローなりに褒めているのだ。偶に紙一重な言動をするのが他人の目にどう映るのか判らなかったが、自分にとっては最高の相手だと思っていた。表情の堅さと真面目な性格から堅物に見られやすいのだが、実際はそんなことなく、少なくともシンタローには砕けた態度をとる。そして何よりも有り難かったのが、お互いに本気でぶつかり合える相手だということだった。
『でもなぁ…俺もそう簡単には譲れねェんだよ、キンタロー』
無理難題でなければ可能な限り相手の望むようにしてやりたいとシンタローは思うのだが、これに関しては無理難題の部類に入ってしまうのだ。問題の種類問わず、すんなりいかないことも楽しめるくらいの余裕があればいいなと考えつつ、現実問題迫っているものに関しては実際の所どうなのか、自分に関しても判らなかった。
「シンタロー」
名前を呼ばれて意識を現実に戻すと、キンタローは顔を蹙めながら書類の束を持って近寄ってきた。
「何かあったか?」
「あぁ。この二つの支部の報告書…この表の数値だ、明らかにおかしい」
シンタローはキンタローが手渡してきた書類に目をやる。
「どうおかしいんだよ?」
「電力消費量が桁違いに高すぎる」
シンタローは指摘された表に目をやったが、比べるものがなかったので顔を上げると、それを察したキンタローが各支部の一覧表を見せた。
「用意がイイナ」
素直な感想を洩らすと真っ黒な眼が表を見る。シンタローが数値を追っていくと、キンタローがそれに説明を加えていった。
「いいか。ここに並んだ三つの支部の内二つは武器関連の工場、一つが軍艦関連の工場の管理もあるから年間維持費が高くなる───これがその内訳だ。この三つを除いた以下の支部は似たり寄ったりの数値だろう?その中でこの二つがおかしい」
資料を眺めながらキンタローの指摘を聞いていたシンタローは暫く黙ったまま何かを考え、溜息をついた。
「あー…狸と狐ンとこかぁ…」
シンタローはそんなぼやきを洩らす。それはキンタローの耳にも届いたのだが、その意味が判らず問い返した。
「…狸と狐?何だそれは?」
「ここの支部長達だよ。何か企んでんだろーって話だ」
シンタローは簡単に答えると、引き出しから一枚の紙を取り出し何か数行文字を走らせると総帥印を押した。そしてそれをキンタローに渡す。
「任せていーか?情報管理局への入室と資料閲覧許可証だ。ちょっとばかし過去の資料を漁って欲しいんだけど」
「解った」
キンタローは了承すると、受け取った許可証を内ポケットにしまう。そんな動作を見ながらシンタローは感心したように感想を口にした。
「良く気付いたな」
「あぁ…偶々だ」
「偶々?」
シンタローの質問に答えながら、頭の中は既に次の仕事に切り換えられているようである。今の件は他の資料を集めてからとキンタローの中では一時保留にしたようで、他の書類を手にとって眺めていた。
「本部の維持費も高いからな。どこかに無駄があるんじゃないかと思って資料を眺めていたときに、偶々目についたんだ」
それだけ返すと、キンタローは手に持っている書類に意識を集中させた。
シンタローはそんな姿を眺めながら、惚れ惚れすンな、と微笑を浮かべる。
結局、キンタローが意図した通りか否かは定かでないが、シンタローは以前よりも増して己の半身にどんどんはまりつつあるのだ。相変わらず手を伸ばされれば負けじと暴れる核弾頭のような総帥で、その先は意地とプライドで頑なに拒むのだが、この落差のおかげで心はどんどん相手に捕らわれていく。
仕事に追われることには慣れてきたが、そんな日常ふとした瞬間いつの間にか助けになっている相手には、どうしたってグラリと揺れるものがある。
もしキンタローが修行僧よろしく微塵も手を出してこなくなったら、それはそれで物足りなさを覚えるのだろうけれども、それは別として、シンタローが特に好きなのはこの仕事中のキンタローだったりする。所謂、同性が憧れを抱く出来る男なのだ。ここ最近は休憩中とのギャップもあって、特に心動かされるものがあった。
キンタローの姿に少し視線を奪われたシンタローだったが、直ぐに頭を切り替えて己の業務に戻ったのだった。
それから三十分ほど経った頃、総帥室の内線が鳴る。何かと思えば秘書課からで、午後にある会議の開始時間が一時間繰り上がったため、休憩を摂るなら今の内に済ませて欲しいということだった。本日の午後からは会議の連続で、今休憩を逃すと夜まで一切摂ることが出来なくなる。
「キンタロー、午後の会議が一時間繰り上げだってさ。キリついたら飯だけは食っとこーぜ」
「あぁ、解った」
キンタローはシンタローの呼びかけに返事をすると、タイミング良く読み終えた書類を束ねる。シンタローは持っていたラスト一枚に目を通すとサインを走らせて処理した束の上に積み重ねた。
「良し、休憩ーッ」
そう言って席を立とうとすれば、待っていましたと言わんばかりにキンタローが腕を回してきた。毎回よくやるなと思いながら浮かせた腰を戻すと、シンタローは呆れた声を出す。
「休憩になった途端コレかよ…毎度ご苦労だな」
こうも頻繁だと度を超えない限りは抵抗する気も失せる。これは慣れていいものなのかと考えつつも、この程度ならまぁいいかという判断になる辺り、状況に慣らされてきているのは確実のようであった。
背後から回された腕を振り払わずにいるとキンタローの吐息が耳を擽り、くすぐったさに身を捩れば低い声が鼓膜に響いた。この辺、意図してやっているのか素なのかいまいち判断がつかず、シンタローは相手の雰囲気に飲み込まれそうになることがしばしばある。
「シンタロー…誘うなら休憩時間にしろと前にも言ったはずだ」
忠告の台詞とともに腕に力を込めたかと思えば、次に片方の手が動き、胸元から鎖骨に触れ、そして喉元をたどって顎に手を掛けると、シンタローの顔をゆっくりと上へ向かせた。
そして青い眼に覗き込まれると『はい、アウトッ』と冷静に判断を下して、シンタローはその眼を睨み付けた。
「あ?寝言は寝て言え。誰がいつ誘ったって?」
訳の解らないことを言うなと射抜くような視線で示したのだが、キンタローはそれに構うことなくシンタローの鋭い眼にキスを降らせてくる。
「さっき…この眼が俺をずっと見ていただろう?」
先程向けていた視線を指摘されてシンタローは内心言葉に詰まったのだが、断じて誘ったつもりはない。
キンタローが降らせていたキスが止むとシンタローは閉じていた眼をゆっくり開いた。至近距離で青い双眸が見つめていて、恥ずかしさのあまり視線を泳がす。
他意がなくても本人に改めて指摘されるというのは、かなり恥ずかしいものがあるのだ。
シンタローは拘束してくるキンタローの逞しい腕から逃れようと体を動かしたのだが、簡単に離してくれるような相手でもなかった。
「ちょっと考え事してたんだよ」
「俺のことか?」
言われた台詞に嬉しそうな顔をするキンタローなのだが、それがまた事実でもこんな場でシンタローが頷けるはずもなく「違ェーよッ自惚れンな!!」と乱暴に否定して顔を背けた。
キンタローはそんな態度を気にはせず、シンタローの顔をもう一度自分の方へ向けるとそっと唇を重ねた。
「ンッ…コラ…止めろって…」
体勢的な不利もあって、強い力で拒むことは出来なかったがキンタローの唇はあっさり離れる。
しかし、諦めたわけでもないようで、シンタローから離れようとはしなかった。
「お前ねェ…」
「いいじゃないか。少し補給させろ…この後は会議の連続なんだ」
「どーいう関連性だよ?」
「だらだらと長引くと苛々してくる……意味のなさない意見などはその場で一刀両断したくなるしな…」
シンタローの顔を覗き込みながら、キンタローは感情を露わにすることなく、とんでもないことをサラリと言ってのけた。表情が出ない分、輝いた秘石眼がとても恐い。その眼を見ると、過去にあった会議を嫌でも思い出す。
本筋からは直ぐに逸れ脱線した数は片手で済まなく、的を射ない意見ばかりでだらだらと時間ばかり過ぎていった会議に問題があるのは確かだが、それに苛々が頂点に達したキンタローは言葉のみで相手を完膚無きまで打ちのめしてくれたのだった。
おかげで、その場にいた何人かの職員や団員が再起不能状態にめり込んでいた。その意見自体は間違っていないのだが、機嫌が悪いキンタローの言葉は切れ味が良すぎるのだ。正論を言うにしても言い方ってものがあるだろうと思いながら、その「後始末」に手を焼いた記憶が苦く感じられる。
しかも、それが一度や二度の話ではないのだから、避けられるならそれに越したことはない。
シンタローは溜息をつくと無理矢理腕を振り払って席を立ち、キンタローの正面に立った。
「頼むから、穏便にな…」
そう言って相手の頬を両手で包み込むと、午後の会議の無事を祈って自ら口付けた。
この位の譲歩で午後の会議が平穏無事に進むというのならば、安いものだと思ったのだ。
しかし、これで終わらないのがシンタローで、終わらせないのがキンタローだ。
キンタローは頬に触れているシンタローの手を取って己の首へ回すよう導き、自分は相手の背に腕を回してしっかり抱き締める。そしてもっと深いものを望んで、唇を割って入り歯列をなぞって舌を絡ませた。
シンタローはそこまで受け入れてから『しまった』と気付いたのだが、時は既に遅しで、口腔を犯してくる相手から逃げることが出来ず、密着した体からは離れられなかった。息が出来ない苦しさに喘ぐと、時折唇を解放してくれるもののそれも一瞬で、また直ぐに捕らえられた。
「ふぅ…ンッ……や…ッ」
苦しそうにしながら掠れた声で抵抗を表し、腕の中で力無く暴れるシンタローを逞しい腕でしっかり支えていたキンタローなのだが、これ以上は勘弁してくれと泣きが入りそうなシンタローが逃げようとしたのが逆効果となって、いつの間にかその体を壁に押し付けていた。そして尚も相手を望んで離さず、最終的にはシンタローが自分の体を支えることが出来なくなり、ずるずるとその場に崩れ落ちていった。
床の上で俯いたまま肩で息をしていたシンタローが涙を浮かべた眼でキンタローを睨み付ける。
「お前…酷ェぞッ!!俺の好意を何だと思ってやがるッ!!」
少し譲歩するはずだったのが、これではどう考えても少しとは言えない。完全に相手の思うがまま、しっかり良いように食われた。
そんな心情を解っているのか、キンタローは効果の為さない睨みを投げ付けてくるシンタローを見つめると、挑発するように己の唇をペロリと舐め「御馳走様」と一言返した。
あまりの仕打ちに完膚無きまで打ちのめされたガンマ団総帥は、ある意味無敵な補佐官に返す言葉が見つからなかった。『酷ェ…』と何度も思いながら、壁伝いに何とか立ち上がる。その際、キンタローは色々と辛そうなシンタローに手を差し延べたのだが、見事に振り払われた。
自力で立ち上がったシンタローは、ふらふらしつつも悪態をつく。
「自滅しても知らねぇからなッ」
「自滅?」
「俺を追い詰めるつもりで、自分が追い詰められやがれッ」
「その時は………大変だな、シンタロー」
「フザケンナッ」
その時の被害はそっくりそのままお前に行くというキンタローを、シンタローは本気で殴り飛ばしたかった。
しかし如何せん、体がまだ言うことを聞くような状態にない。怒りに耐えるかのように拳へ力を込めたのだが、涙ぐましいほどにしか力が入らないのだ。後でまとめて返してやると物騒な決意を新たに、言葉では負けじと言い返した。
「誰が相手するか。どっかで勝手に処理してこいよッ」
シンタローの中では当然の流れとして口を衝いて出た台詞だったのだが、キンタローにはどうも聞き流せなかったようで、眉を顰めてシンタローに一歩近づく。
「正面切って浮気を勧めるヤツがあるか」
何でそういうところにだけしっかり反応するんだよと突っ込みを入れつつも、シンタローは台詞を撤回しない。
「お前は俺が浮気をしても構わないというのか?」
機嫌を損ねた口調でそういうキンタローをシンタローはしれっとした様子で見つめる。男だったらこれは願ったり叶ったりのお許しだろと頭の中で主張して、実際には違う台詞を口にした。
「決まってンだろ。お前と同じくらいには構わねぇーよ」
シンタローは睨むような強く鋭い視線を相手に合わせてそう言いきった後に「オラ、飯行くぞ」と続けて、ふらふらしながら歩き出した。
その一秒後に意味を理解したキンタローは、シンタローの後ろ姿を目に映しながら破顔一笑したのであった。
NEXT...SOON
自分の思い通りにいかず怒りの雄叫びを上げたシンタローだったが、行けるところまで行ってみようというか、やれるところまでやってみようというキンタローに再び引き寄せられる。勿論そこで大人しく相手に従うような気質は持ち合わせていないシンタローなので、激しく暴れてそのまま揉み合う形となったのだが、いつの間にかまた「上」を取られていて、楽しそうに自分を覗き込む青い眼と数十分ぶりの再会を果たした。
見つめてくるその眼の色があまりにも綺麗な青色をしていてシンタローの激情を余計に煽る。
「テメ、コノヤロッ!!退き……ン…ァッ」
口を開くと怒声しか出てこないシンタローの首筋に唇を寄せて舐め上げ更に中心を膝で刺激すると、台詞が途中で掠れる。自分が上げた声に驚いて、シンタローは思わず口を両手で覆った。
これに気を良くしたキンタローはシンタローのシャツを捲くし上げて肌を直にまさぐる。慌ててその手を阻もうとシンタローは腕を掴んだのだが、それによって今まで手で覆われていた口元が露わになり、ここぞとばかりにキンタローは唇を重ねた。
「…ン…ヤメ…ッ」
今度は口付けから逃れようと顔を背けるのだが、それに構わずキンタローは相手が横を向いたのを幸いと耳を軽く噛み、舌で刺激を与え、直に鼓膜を震わすように低い声で名前を囁く。シンタローはそれに反応するかのように体を震わせた。
『…のヤローッ』
正直だんだん体の事情もやばくなってきたシンタローなのだが、それよりも一歩も引かないどころから随分と自分の良いように触れてくるキンタローに腹が立つことの方が大きく、これまたお約束のようにブチ切れた。
「……ッ退けェーーーッ!!!」
その結果として今現在、ソファの上で正座をさせられる紳士の図がある。
その正面では睨みを利かせたシンタローが、同じく正座をしていた。
「シンタロー……正座の意味は?」
「黙れ。基本だろ、基本」
キンタローには何の基本なのか判らなかったが、さすがに逆らえるような雰囲気もなかったので、大人しく言われるがままに従った。青い眼で怒りのオーラを纏ったシンタローをじっと見つめる。
『落ちると思ったんだが…やはり無理だったか…』
誰が見てももの凄い低気圧なシンタローを黙って見つめていたキンタローだが、どことなく悩ましげな雰囲気が混ざるのが気になり、視線を真っ直ぐ合わせたまま相手に問いかける。
「体は辛くないのか?」
「誰の所為だ、誰のッ!!判ってんなら止めろよッ!!」
「止める?誰がだ。それよりも俺に任せてそのままイ…」
「ッザケンナ!!」
台詞を言い終わる前に思い切り頭を殴られたキンタローであった。
相手は常人よりもかなり力が強いため、これが凄く痛い。星が飛ぶまではいかなかったが、キンタローは拳が当たったところを庇うようにそっと撫でた。そして少し眉根を寄せると抗議を上げる。
「暴力では何も解決しないぞ」
「オメェが言うなッ!!」
また殴りかかってきそうな恋人に、二発目を食らうのはゴメンだとキンタローは両手を上げて降参を示す。掴みかかってきそうな勢いで半ば腰を上げた状態だったシンタローは、キンタローの降参に再び腰を下ろした。
「お前、好き勝手やりすぎ。俺は納得してねぇーっつーのに人の話聞いてねェーし…」
「俺はきちんと聞いていた」
「あり得ねェー返答寄越してきやがって、何処が聞いてたっつーんだよ」
シンタローはそう言って目の前に正座をさせた相手を睨み付けた。しかしキンタローは鋭い視線を受けても飄々とした態度を崩さない。
「大体からどっちがどっちなのかまだ決めてねーんだぞ!!」
「…決める?話し合いでもするのか?」
面白いことを言うものだと思って問い返したキンタローだが、そう言われて今の言葉を頭の中で反芻させたシンタローは一瞬の間の後「何の話し合いだよッ!!」と顔を真っ赤にしながら声を荒立てた。
何を想像したのかキンタローには判らなかったが、反応見る限り随分と面白いものが頭に浮かんだようである。
「そもそもこういうものはお互いに好きだと思う感情のもと衝動や欲求でするものではないのか?自然の流れに従うものであってわざわざ事前に決めておくものじゃないだろう」
これほど白々しく聞こえる台詞もそうはないだろうとシンタローは思った。キンタローの感情を否定するつもりはないが、こうも淡々とした口調で言われてしまうと頷けない気持ちになる。
更に、正座させられている立場としては随分と太々しい言い様だったが、それでも一理あるのは確かだった。
「そりゃ…決めとくもんじゃねェーだろーけど…でもその時ンなってどっちも同じ方選んだらどーすんだよ?」
少し言葉を濁したシンタローだが、それでも反論を試みる。何故なら今現在も「同じ方」を選んでいると、シンタローは思っているからだ。先程までのは襲われても抵抗を果たしたことになっているようで、本人としてはまだいいようにされているつもりはないらしい。
「同じ方?何故そうなるんだ?」
「……お前…ホントに会話しろよ…」
またもやキンタローの一方通行な台詞にシンタローは額に手を当てて項垂れた。どうしてこの男はここまで話が通じないのかと頭が痛くなってくる。
「してるぞ」
「…してねェよ」
シンタローは眉を顰めて力無く睨み付ける。対するキンタローは微塵も変わらない表情で青い双眸に恋人の姿を映していた。
「その、何だ?お前の中で何でか頑なに決まっている「それ」は何とかなんねェのかよ?」
「…それ?」
「俺もされるつもりはねェーの」
「何故だ?」
「な…何故って…」
「俺達の間にも体が絡むと言葉にしたのはお前じゃないか。なのに、何故だ?」
そんな質問をされても困る。激しく困るのだが相手がそれ察するはずもなく、シンタローは『そこは聞くところじゃねェだろう』とげんなりした。一体ここで何を語れと言うのか突っ込みたくなる。そんな心中知らずに、キンタローはそのまま言葉を続ける。
「お前がされなくては先に進まないじゃないか」
「だからッ!!何でそーなんだよッ!!」
頑固なのか何なのか、はたまた思考が何処かあらぬ方向へ飛んでいるのか、キンタローがシンタローの意を全く得ない。普段は以心伝心、言わず語らずの内に判ってくれる相手なのだが、偶に意志の疎通が全く図れなくなる。相手が意図してはぐらかしているのならともかく、本気なだけにタチが悪い。
シンタローは声を荒立てながら、俺の意を体する補佐官は何処へ消えたと儚い気持ちになってしまった。キンタローにきょとんとされて、更に脱力してしまう。
『普段が無愛想なだけにこーいう顔をすると可愛いけど……やっぱ可愛くねェ…』
先程とは変わって、今度はシンタローが恨めしそうな顔をしながらキンタローを見たのであった。
キンタローの方はその様な眼で見られる覚えが全くなかったので無言のまま暫く相手を見つめた。律儀に正座の姿勢は保ったままである。
そうして少々長い時間無言のやりとりが続いたのだが、待ったところで相手の意を得られず、キンタローは先程から変わらない表情で問いかけた。
「大丈夫か?」
「…お前もな」
問いかけには直ぐに返答があるものの、その意味が解らず今度は首を傾げる。
「すまない、シンタロー…お前の言いたいことが全く判らないのだが…」
「俺も何で解んねぇーのかが判んねェーよ…」
唸るようにそう言われてキンタローは今までの会話を振り返ってみたのだが、やはり判らなかった。
だが、だからといってこのまま閉口して引き下がるのも無意味である。シンタローとする会話は仕事の話でもそれ以外でも好きなのだが、どうも今展開している会話は好ましいものではないらしいということは察知して、キンタローはことの解明に務めるべく相手に問いかけた。
「お前が言いたいことは相変わらず判らないが、何か引っかかっている部分があることは判った。質問するが、お前は俺の行動のどの部分に納得がいかないんだ?」
キンタローとしては大真面目な質問だったのだが、問われたシンタローはまた答えにくい質問を寄越してきやがったと、嫌そうな顔をした。そういう部分を汲み取れよと思いながら黙って相手を見つめる。
「黙りは止めろ。意味がない上、時間の無駄だ。で、どうなんだ?答えろ」
見事なほど威圧的な台詞なのだが、それに似合わずシンタローに言われたとおり大人しく正座しているあたり、キンタローの性格が態度によく顕れている。それで無用な怒りは削がれたが、答えたら答えたで又被爆すんだろうな俺、とシンタローは口を開くのを躊躇った。
しかし、更に眼で強く訴えられて、結局折れる羽目になる。キンタローが投げ付けてくるであろう爆弾発言に一応は備えつつ答えた。
「あー…とりあえず、その、俺としては…押し倒されるのがヤダ」
直球勝負、シンタローとしてはストレートに言ったつもりなのだが、相手はどうくるかと対する言葉に構えてみる。キンタローはシンタローの台詞に驚くこともなく、淡々とした様子で言葉を返した。
「お前から誘いたいということか?別に俺は構わないぞ。大歓迎だ」
「……………」
心の中で『グッバイ、俺様…良く頑張ったゼ』と理性に別れを告げたシンタローは、勢い任せに相手の胸ぐらを掴んだ。
「オメェは一回病院行って頭調べてもらってこいッ!!何でそこでそーなんだよッ!!違ェだろッ?!」
いきなり掴みかかってきたシンタローを咎めることなく、キンタローは眼前の迫力溢れる恋人の顔を見つめながら相変わらず淡々とした様子で台詞を口にする。
「どこが違うんだ?」
「その質問自体がおかしいッ!!」
「それは返答になっていない」
「ダーッ!!もうッ!!」
「シンタロー、そうやって怒って叫び声を上げ会話を打ち切ろうとするのはお前の悪い癖だ」
「オメェ、ホントむかつくッ」
「会話を逸らすな。で、どこが違うというんだ?」
一進一退の会話をしながら相手に逃げられないよう掴みかかってきた両手をキンタローはしっかりと掴む。鬼の形相さながら恐ろしく怖い顔をして、壁にすら穴を開けられるんじゃないかというほど鋭い視線で睨まれても、怯むことなくじっと相手を見つめた。
「自分で考えろッ!!次にその態度だ!!俺が納得いってないのが判ってンだったら、オメェはさっきのをちっとは反省しろッ?!」
「反省?」
「問い返すなッ!!そんぐらい判ンだろッ!!」
「さっきの件に関して言うのならば、するわけがないだろう」
この言い種にシンタローの怒りのボルテージが急上昇を遂げ、一触即発の雰囲気のまま更に顔を近づけ先程よりも近い距離で睨み付けた。普通の人間ならば恐怖のあまり失神しそうな勢いだ。
もっともそれはあくまで普通の人間であって、キンタローにそれで効果があるはずもなく、相手の様子は意に介さず口を開いた。
「俺はお前相手に遠慮はしない───お前もそうだろう?シンタロー」
睨まれても視線を逸らすことなく、キンタローは目の前の顔を静かに見つめる。
怒り心頭だったシンタローはキンタローの視線を受けながら、瞬間、その台詞に言葉を詰まらせた。何を言われても響かないほど我を忘れていたわけではなく、その言葉が意味するところをきちんと汲んだようである。
お互いに遠慮はしない。暗黙のルールのように、二人の間にはそれが最初からあった。
他ならば、単なる我が儘な言動に聞こえるこのルールは、今の二人の関係を築くのに必要なものだった。
己をさらけ出してもきちんと受け止め、どんなにぶつかり合っても潰れない相手というのは、実際そう簡単に出逢えるものではない。
幸運にも、二人にとって相手がそうであった。恋仲になる前から、既に相手は特別なのだ。
先程の流れも、キンタローはいつも通り己の要求をぶつけてきた。目的がスバラシイものなだけに本筋が見えにくくなるのだが、二人の間にあるルールに則って行動しただけなのだ。それが納得いかないものだというのなら、シンタローも同じように主張をぶつければいい。これに関せず何に対してもお互いに納得出来るまでぶつかり合うのが二人の間での流儀なのだ。自分が納得をして譲る気になったら譲ればいいし、意見が平行を保ったままならそれはそれで構わない。二人とも不変を望むような性格ではないから、いずれは必ず決着がつくことを解っている。
更に付け加えるならば、その均衡が保てないときは既に相手を受け入れる体勢になっているということだったりするのだが、この時のシンタローはそこまでの思考に至らなかった。最初から一方通行だったキンタローと両方を考えたシンタローでは、どちらが譲歩できるかなど決まっているはずなのだ。
シンタローは掴んでいた襟を離すと無言のままキンタローから離れた。返す言葉も見つからずに逡巡しているとキンタローの青い眼が間近に迫る。
「このまま部屋に戻るなどというつまらないことはするなよ」
「……………」
「また時間に追われる日常に直ぐ戻るんだ。俺はまだお前と一緒にいたい。それでも戻るというのなら、また力に訴えるまでだが…」
「戻んねぇーよ…俺だって伊達や酔狂でココにいるわけじゃねぇーんだから」
そして「そんなハングリーな眼で俺を見んな」と続けると、シンタローはキンタローを押し返した。キンタローは律儀に正座の姿勢に戻る。一つ溜息を洩らして正面の端正な顔を軽く睨み付けたシンタローだが、先程の迫力は既に消え失せていた。
「紳士だって言われるのオメェはどこ行った?」
「お前相手に紳士的に振る舞ってどうするんだ?」
問うように切り返したキンタローだったが、目元に笑みを浮かべてシンタローを見る。
そんな視線を向けられたシンタローは少しだけ青い眼を睨み続けた後、ニヤリと笑った。
「意味ねぇな」
正座をしたまま暫しの間見つめ合った二人だが、だんだんこの体勢が馬鹿らしくなってきて、ふっと笑みを浮かべると座り直し、互いに肩が触れる位置に落ち着いた。
衝突は日常茶飯事、周囲が緊急避難令を発動するほど剣呑な雰囲気で睨み合うこともしょっちゅうで、男の話し合いと言ったらこれだろうと拳で語ること多々ありの二人なのだが、それでも決して後に引くことはなく必ず元に戻る。ここは一番落ち着く心地よい場所だと二人は思った。
シンタローは先程取り上げられたグラスに手を伸ばし、氷で薄まったアルコールを一気に飲み干す。空になったグラスに酒をつぎ足し、それを片手に黙ったままキンタローの横にいた。
二人の間に最初の雰囲気が戻ると、感じる心地よさに身を任せたシンタローはどんどん大人しくなっていった。
そんな恋人にキンタローは手を伸ばし、頭を撫でながら髪を梳く。指から流れ落ちていく長い漆黒の髪の感触を黙ったまま楽しんでいた。シンタローも触れてくるキンタローの手が気持ちよくて、無意識に少しだけ相手に体を預ける。
その様子にキンタローは柔らかな笑みを零し、髪に触れていた手で頬にそっと触れてみれば、シンタローが顔を擦り寄せた。
「何を考えている?」
キンタローが静かな声で問いかける。その声すら心地よく耳に響いて、シンタローは頬に触れるキンタローの手を感じながら目を閉じた。
「いや…好きだな、と思って…………………この酒がッ」
二人を包んだしっとりとした空気に飲まれてついつい本音が口からこぼれ落ち、シンタローは慌てて誤魔化しながら手に持っていたグラスに口付ける。慌てて飲むには高いアルコール度数なのだが、何も考えずに飲み込んだ。
「そうか」
短い返事をするとキンタローはそれ以上何も言わず、また長い髪に指を絡ませた。
好ましいと思った甘い空気が再び二人を包んだのだから、この時間をもっと楽しみたい。
そう思ってキンタローも言葉数が少なくなっていたのだが、シンタローはその態度を違うように捉えたようで、少しばかり長い時間逡巡した後、ぼそりと呟きを洩らした。
会話が続いているとは思っていなかったキンタローは、その言葉を聞き損ねて問い返す。
「何だ?」
俯いてしまったシンタローの表情はキンタローの位置から確認することが出来ない。反応を待ってみても無言になってしまったシンタローは口を開かずじっとしているので、キンタローは促すように再び頬に触れた。
「シンタロー?」
更に名前を呼んで根気よく待ってみると、ようやく口を開いてくれる。
「だからッ…その………さ…酒じゃねェ…よ…」
聞こえた台詞に驚いたキンタローは、思わずシンタローの顔を自分の方へ向けさせる。案の定、相手は顔が赤くなっていた。それがアルコールの所為でないのは一目瞭然である。
「見んなッ」
赤くなった顔を見られたのが恥ずかしくて、シンタローは乱暴に顔を背けた。これだからコイツはとブツブツ呟く恋人をキンタローはそっと引き寄せる。
「ちゃんと判っているから大丈夫だ」
そう言うとしっかり抱き締めた。また抵抗して暴れるようならばその時に解放すればいいと考え、今は己の気持ちに素直に従い腕に力を込める。
『以前はこんな態度をとらなかったんだが…』
わざわざ訂正するということから、今あった沈黙の時間に色々考えたことが窺えて、キンタローはそんなシンタローが愛しくて仕方がなかった。本当に余程のことがない限り極度に照れ屋なこの男がこの様な台詞を恥を忍んで言うはずがない。相手の性格を知っていたからキンタローは特に気にせず頷くに留めておいたのだが、シンタローの方は気にしたようで、更にそれが自分のことだというのが嬉しかった。
「…なら、いーけど…」
呟くように返事をして、暫くの間腕の中で大人しくしていたシンタローだが、何か訴えるように身じろぐと、キンタローは拘束する腕の力を緩めた。これで自分から離れていくかと思ったのだが、少しだけ体勢を整えるとシンタローはキンタローの背に腕を回す。
『あぁ、本当に………どうしてくれようか』
これでは相手に他意がないと判っていても期待してしまう。シンタローのことだから、自分だけがというのを嫌がって、同じように抱き締めてきたのだろう。それが判っていても今さっきの態度と併せてその行動が可愛く見えてしまう。キンタローから見ても物騒だと思うことが多々あるガンマ団総帥を捕まえて「可愛い」と思ってしまうのは、もはや末期かもしれないと本人も思った。
『シンタローを今すぐ抱きたい…』
この男の全てを食らい尽くしたいと体中の血が騒ぎ出すのをキンタローは感じる。
そんな不穏な空気を敏感に感じ取ったのか、シンタローが怪訝そうな顔をしながらキンタローを見つめてきた。
「…何か変なこと考えてねェ?」
「……………」
沈黙を肯定ととったシンタローは慌ててキンタローの腕から逃れた。案外あっさり解放されて、それはそれで疑問に思う。
「キンタロー?」
「安心しろ。今日はもう手を出すつもりはない」
そう言ってシンタローから視線を逸らすと、空になっていた自分のグラスにアルコールを半分くらいつぎ、一気に飲み干した。シンタローは相手の様子に首を傾げる。
キンタローが一歩引いたのは諦めたわけではなく、単に理性の限界が近かったからである。もう一度仕掛けて相手が流されてくれれば万事問題はないのだが、そうならない場合最初から無理強いはしたくない。そう思って、危ない橋を渡ることは止めたのであった。
シンタローの方も、もう一回こられたら体の都合上もしかしたら良いようにされていたかもしれないという気持ちが僅かにあったので、キンタローが引いてくれるならそれにこしたことはない。
「お前がその気になるまで何度でも仕掛けてやるから覚悟しておけ」
「スゲェ宣言だな、オイ…」
キンタローの見事な言いっぷりに呆れたシンタローだが『いや、待てよ』と思い直す。
「その気になるまで、か…」
「……………?」
自分にも同じ条件は与えられているはずなのだから、自分が先にキンタローを『その気』にさせればいいんだと思いついた。得意げな笑みを浮かべてキンタローを見る。
「お前も覚悟しておけよ、キンタロー」
「…何の話だ?」
キンタローの質問には答えず、シンタローは楽しそうにしながら頭の中で策略を巡らせ始める。
また良からぬことを考えているなと思いながら、キンタローはもう一度アルコールに口付けた。
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仕事漬けの毎日で自由な時間がちっともとれないと言えども、微塵も息抜きなしではやってられないというのも現実で、シンタローとキンタローは偶に出来る少しの自由時間を効率よく自分のために使っていた。二人揃って飲みながら他愛もない会話を楽しむこともその一つだ。
この日も二人は何か特別な時間を過ごしていたわけではなく、いつもと変わらない少しの自由時間を、揃って好きなアルコールと会話で楽しんでいた。
偶々この時そういう気分になったのか、なるべくしてなったというように、時期的にそういう頃だったのか。
適当なテレビを付けながらそれとは全然関係ない会話を交わし、ふとした瞬間に訪れた沈黙の中、相手が手を伸ばせば届く範囲にいるということに気付いた。
するとシンタローもキンタローもアルコールが回った頭で面倒だと思った手順を全部省いて、何の疑問も持たずに肩を寄せ合った。
酒で喉を潤しながら、触れる箇所を心地よく感じる。
その感覚がアルコールに酔ったからなのか、相手に酔ったからなのかは判断がつかなかったが、そこから相手に対する『想い』を自覚するよりも早くお互いに引き寄せあってキスをした。
理性よりも本能が働きかける衝動の方が強かった。
向かい合って視線を絡ませ、腕を回して引き寄せ合い、躊躇うことなく唇に触れた。そのまま抱き締める腕に力を込めて強く抱き合い、離れ難くなったところで我に返った。各々心の中にある相手への感情をきちんと頭で理解した瞬間でもあった。
同じタイミングで同じ様に驚いた表情を向けて、同時に今の行動を振り返った二人は、次の瞬間笑いの渦にのまれた。
「そっか…そーだったのか」
お互いに「好きだ」と言う前に強い力で相手を引き寄せて、拒むどころか望んで重ねた唇と腕に込めた力が語った正直な気持ちは、自分たちらしいと言えばらしかった。理性よりも本能に従い、愛の言葉を囁くよりも感覚で相手を捉える。それを隠さず出すことが出来るのは、逃げるどころから同じようにぶつけてくる、目の前にいる『半身』だからだ。
一頻り笑った後、晴れやかな笑みを浮かべたシンタローにキンタローは微笑で応え、ようやく「好きだ」と伝え合った二人に、この日新たな関係が加わった。
今になって考えてみれば、自分たちは知能を持つ生き物なのだから、もう少し頭を使うとか言葉で意志の疎通を図るとか、先にすることはあったのではないかとも思ったのだが、実にらしい始まりを二人は気に入ってもいた。
そんな夜を過ごしてから一ヶ月が経過していた。
その間、恋人として今までと違った、少しぐらいは甘さが加わった時間を過ごせたのかと言えばそんなこともなく、想いを告げ合った次の日にキンタローは学会で本部から五日間ほど離れた。シンタローは翌々日に支部へ飛び一週間ほど戻ってこなかった。
文明の利器で相手との連絡手段にはことを欠かないご時世だが、二人の性格からして数日間離れたぐらいで「どうしてる?」などという連絡はしない。仕事の用件があれば別だが、相手のスケジュールが詰まりに詰まっていることを承知で負担になるようなことはしないのだ。
二人が本部に戻ってやっと顔を合わせたかと思えば、一言二言挨拶を交わすのが精一杯で、各々半ば走るような状態で会議へ向かったり研究室へ籠もったりと、自分たちのことよりも仕事優先の日々が続いた。それに不満が起きるかといえば現実問題それどころではなく、あれをやってこれをやってと目の前に積み上がった業務に集中すること以外何かを考える余裕などなかった。
相手の様子が微塵も気にならなかったのかと問われれば、答えはノーであるが、団内において私事を優先させられるような立場にいないため、結局、二人の関係が変わろうとも、日常は変わらないというのが現実なのだ。
それでも何とか仕事にきりをつけてキンタローが総帥を補佐することに専念できると思って総帥室に訪れた時点で、かれこれ二週間半が経っていただろうか。
総帥であるシンタローの姿が幻となるくらい業務に追われて飛び回っており、さすがに見かねたキンタローが他の者に割り振れる業務を部下に任せて総帥の傍に戻ったのだ。相変わらず高く積み上げられた紙に埋もれて、その隙間から見える恋人の難しい顔を眺めながら持ってきた書類の束に一度視線を向けた。少し考える素振りを見せたが諦めた表情を浮かべて首を振ると、普段と変わらない足取りで近寄っていった。
半身が近寄ってくると、シンタローは読んでいた書類から顔を上げて視線を合わせた。
「キンタロー…お前、こんなとこ来てて大丈夫なのか?」
「総帥室を指して「こんなとこ」はないだろう」
「真っ先に突っ込むトコはそこかよ……研究は?」
「一段落つけてきた。引き続き必要なデータ収集は部下がやっている。お前を補佐するのも俺の業務だからここに来たんだが、迷惑だったか?」
「まさか。ありがてェに決まってんだろ」
シンタローはそう言って笑みを浮かべた。その笑顔につられてキンタローも微笑を洩らしたのだが直ぐに緩んだ顔を引き締めると更に近寄った。近い距離と真面目な顔をしながら真っ直ぐ見つめてくる青い眼に、シンタローは何事かと思って視線を返すと、静かな声で名前を呼ばれる。
「シンタロー」
「…ンだよ」
少しドキリとしながら返事をすれば、直ぐに紙の束を渡された。一体何をあらたまって書類を渡すのかと、シンタローは手にした紙の束を見た後、再びキンタローに視線を向ける。
「午前中に目を通して欲しい急ぎの書類だ。全て午後の会議に使うらしい」
「へ?午前中?」
シンタローは手に持っている書類の厚さを考えて唸り声を上げた。
「…ふざけんな。何でこんなにギリギリなんだよ…アウトだろ、コレ」
「そういうな。こっちは俺が見ておく」
そういってキンタローは今手渡した束より少し薄い書類の束を見せる。
「こういった仕事は綺麗に半分とはいかないものだな」
「いーって。それまで足されたら俺がアウトだ」
シンタローはげんなりした様子で今手渡された書類を眺めると、直ぐに目を通し始めた。そんな半身の姿を少しだけ見つめた後、キンタローも己の業務に取りかかった。
時間に追われるのはいつものことで、それでも何とか書類を読み終えシンタローが紙にサインを走らせると、キンタローはそれを受け取って総帥室から出ていった。キンタローが書類を届け、また新たな書類の束を受け取って総帥室に戻っても、シンタローは変わらぬ姿勢で仕事を続けている。やることの多さに軽口を叩く余裕もなくなってくると、シンタローもキンタローも沈黙のままひたすら業務を全うすることに専念した。
結局二人揃ったところで色気のいの字もない状態なのだが、何か急激な変化を望んで出来上がった関係でもなかったので、そのまま平行線を保ったまま時が流れていった。
そうして簡単に一ヶ月が経ってしまったわけだが、この頃にはさすがに人として休憩が欲しくなってくる。うまくタイミングがかち合ってその様な時間が出来ればいいのだが、いくら待っても出来ないときはあるものだ。そうなると自分たちで時間を捻り出すしか手段はないので、何とか仕事に算段を付けると数時間の自由時間を得た。一日フリーに出来れば良かったのだが、どう頑張ってもそこまでの時間を直ぐに作ることは無理だったので、それはまた後日の楽しみにすることとして、その日は二人揃って夕方に業務を上がった。
せっかくだからあらたまって二人で食事に行こうかと考えたシンタローだったが「お前が好きな酒がある」とキンタローに言われると喜び勇んで自室に戻った。脱ぎ捨てるように着替えを済ませて、部屋に常備してあるお気に入りのつまみの菓子をひっつかむと相手の部屋へそそくさと向かう。楽しい時間を共有できれば場所はどこでも構わないのだ。
着替えを済ませたら来るのは判っているだろうと踏んで、シンタローは自室に戻るかのようにキンタローの部屋へ堂々と入っていった。傍若無人が代名詞のような総帥である。嫌味なく勝手気ままに振る舞う姿は雄快に感じられた。
「早いな…」
早々に部屋へ訪れたシンタローの姿にキンタローは微笑を洩らす。シンタローと違って几帳面な性格をしているキンタローは、着ていたものを丁寧に片付けてから酒の準備をしているところであった。
「そりゃ、仕事から離れると足も軽くなんだろ」
そう言ってシンタローは持っていた菓子を近くにあったテーブルに放り出し、笑いながらキンタローの傍へ近寄った。棚から一本の瓶を取り出したキンタローは半身が近寄ってくる気配を感じるとそれを適当なところへ置き、当然のように腕を伸ばして引き寄せた。シンタローが半身の背中に腕を回すと同じ強さで抱き締め合う。
「よく判ったな」
「当たり前だ」
仕事以外で得られた二人の時間へ挨拶するかのように抱擁を交わす。スイッチのオンとオフ、レバーの切り替えのように人間の気持ちや感情を直ぐに切り換えることは無理だと思うのだが、こうして二人になると先程のまでの淡泊な状態が嘘のように相手を「好きだ」と思う気持ちが溢れてきた。触れたいと思ったところで同じように手を伸ばしてくる半身は、自分の分身のように見事な共鳴を果たしていると思う。それに恐怖を感じるかと言えばそうではなく、相手に関して言えば安心感が一番にきた。
少しの時間抱き合うと、二人は直ぐに離れた。キンタローは途中になっていた酒の準備を再開し、シンタローは簡易キッチンへ体を向ける。
「昼飯遅かったからまだ腹減ってねぇよな?」
「あぁ」
アルコールだけでも良かったのだが、この部屋には何かつまめるものはあるのかと冷蔵庫を開けた。
案の定、そこは見事なまでにほとんど何もない冷えた箱になっていた。ここのところ特に仕事漬けの日々を送っていたので、普段に輪をかけて酷い状態になっている。申し訳程度にミネラルウォーターの小さなペットボトルが二本冷やされていたが、相変わらずの半身に呆れた声を出した。
「お前…何かもうちょっと入れとけよ」
「何もなかったか?」
「それすら把握してねェーのかよ…」
これに関しては相手に求めるだけ無駄だと思ったシンタローは、諦めて棚から皿を出すと自分が持ってきた菓子を適当に出した。
「俺がよく飲みに行く店で出してくれるやつだから、適当につまむにはいいだろ」
そういってソファに座った。キンタローが並んで座りグラスに氷とアルコールを注ぐとシンタローに一つ渡す。シンタローはグラスを受け取ると軽く掲げて口をつけた。
二人になったら色々と話をしたいと思っていたシンタローだったが、実際その時間を得られると話よりも沈黙の中にある安らぎの空間が心地よくて、口を開かずただアルコールを口にしていた。二人でいる静寂の中には、相手のおかげで何とも言えない安心感があった。
『そーいや…コイツと初めてキスしたときもこんな感じだったな…』
恋人となったキンタローも同じものを少しでも良いから感じていてくれたらいいなと思いながら、シンタローはそっと視線を向けた。
考え事をしているかのように黙ったままグラスに口付けるキンタローの端正な横顔が目に映る。
『これ以上近くなんてねェーと思うんだけど…これからもっと近くへ寄れんのかな?』
キンタローに対する信頼感や安心感は飛び抜けて高く感じていた。ともすれば依存してしまいそうになるほど、精神面での安定感はこの上などないとシンタローは思っていた。
『精神面……やっぱこの先体の関係とかもつのかな?』
いつまでもプラトニックな関係を保ちましょうなんてことに自分たちはならないだろうなと思った。そもそもスタートがスタートなのだ。キンタローの体の事情は判らなかったが、シンタローの方は至って健康な青年である。当然好きな相手が傍にいればその気になるのだ。
ただ、相手がキンタローの場合、その気になるのその気は一体どっちになるのかシンタローは自分の事ながら見当が付かなかった。
『………どっちだ?』
いつの間にか真剣に考えるような視線をキンタローに向けていたシンタローだが、今までその視線を放っておいたキンタローも向けられるものが理解しがたいものに変わるとさすがに向き直った。
「お前はさっきから何をしているんだ?」
熱烈な視線とは言い難い、何とも神妙な顔をしながら見つめてくる恋人の視線は不可解なもの以外のなんでもない。あえて言うなら品定めに近い目をしているシンタローに、キンタローは呆れた声を洩らした。
「いや……何でもねェよ」
口ではそう言いつつも一向に視線を逸らさないシンタローに、キンタローは一つ溜息をついて体を動かすと腕を伸ばして相手の肩を抱いた。そこに込められた力は緩いものだったが、シンタローはされるがまま相手にもたれ掛かった。
「考えているのは仕事のことか?」
「違ェよ」
肩に回された手ともたれ掛かって触れた箇所を心地よく感じてシンタローは目を閉じた。とても居心地の良い場所だと思いながら相手に体を預けそうになって、そこで『いや、待てよ』と思い直した。
横で大人しくしていたシンタローがまたもや不可解な行動に出ると、キンタローは何とも言えない顔をする。
何が不可解かと言えば、キンタローと同じように肩に手を回してきたからである。
今この場で二人揃って肩を組んで酒を飲む意味が解らなかった。もっと大勢で飲んでいる中、盛り上がった仲間同士が肩を組んで陽気に飲み合うというのならともかく、やっと得た二人の時間を過ごそうというときに、この図は誰が見てもおかしいだろうと思う。キンタローとしてはもっと甘いものを考えていたし、瞬間的になってしまったが確実に甘い空気が流れたはずなのだ。
「シンタロー…お前は何がしたいんだ?」
「何って…俺もお前の肩を抱きたくなったからこうしてんじゃねェーかよ」
「……………」
ケロリとした表情でそう言うシンタローに、キンタローは閉口してしまう。直前までかなり良い雰囲気になっていたような気がしたのだが、気のせいだったかと思わず自問自答してしまった。
『偶に…本当に何を考えているのか判らなくなる』
他の者より相手の思考を先読みしやすい特別な関係にある二人だが、やはり別固体の人間には変わりないのでお互いに判らないところがあるというのも当然であった。だがしかし、これに関しては何となく釈然としないものをキンタローは感じてしまう。
『今の流れで俺に非があったようには思えないのだが…』
キンタローとしては不満な状態になってしまったのだが、シンタローの方はご機嫌な様子でアルコールを口にしている。そのまま相手の様子を窺ってみたキンタローだが、シンタローは次の行動を考えて腕を回してきたわけでもなさそうで、意味不明だと思った体勢のままグラスに口をつけていた。
キンタローの方はあわよくばということを少なからず考えて相手に手を回していたので、シンタローが特に次へ行かないのなら自分が好きな行動に出ても良いだろうという判断を下した。不満を抑えて先に相手の行動を待ったのだから文句は言われないはずだというのが、この時のキンタローの考えであった。
キンタローは何も言わずにシンタローの手からグラスを取り上げてテーブルに置く。突然飲んでいたアルコールを奪われたシンタローは驚いた表情を浮かべたのだが、それに構わずのし掛かった。シンタローの片腕は既にキンタローに回されていたので、いきなり不安定な姿勢になるとバランスを取るため、慌てて相手の首にしっかり抱きつく。キンタローはそれを見越して少し荒い行動をとっていたので、その結果に満足するとそのまま自分が望んだとおり相手の唇に口付けた。
体重をかけて相手を押し倒し、もっと深い口付けを交わしたくて唇を開くよう誘ったのだが、シンタローは頑なに閉じてそれを拒む。そして自分の上に乗り上がったキンタローを必死になって押し返した。だが、体格も力も同じ相手となると、先に不利な体勢へ持ち込まれてしまってはそこから動くことが困難となる。
体勢を立て直すことに必死になりすぎてシンタローが闇雲に藻掻くと、その隙を取られ唇を割って入られた。
「…ッ…ァ」
絡む舌の音が耳から浸食して、体中の感覚が麻痺していく。
逃げ場を失い抵抗が弱くなっても容赦なく口腔を犯してくるキンタローに翻弄されて、このまま相手の思うように流されそうにもなったシンタローだったが、ここでは男としてのプライドが勝った。
押し返してもビクともしない相手の舌に思い切り噛みつく。否、噛みつこうとしたのだが、キンタローは驚くべき察しの良さで下顎に指をかけて阻止した。そこで仕方なくシンタローが体の力を完全に抜くと、ようやく落ちたと思われたのか、口付けから解放された。
そこですかさず不満を訴えるように殴りかかったシンタローだったが、力が入らない体で繰り出した拳にキレはなく、いとも簡単に避けられ不発に終わってしまった。
キンタローは情欲に濡れた青い眼で見下ろすようにじっとシンタローを見つめる。対するシンタローは乗り上げた半身を睨み付けているのだが、与えられた快楽の所為かその眼に普段のような鋭さはなかった。
無言の時の中、見つめ合うとも睨み合うともとれるような視線がぶつかり合う。
双方一歩も引く様子はなく暫しの時が流れたのだが、そんな中キンタローは涙が浮かんでいたシンタローの目元に柔らかな口付けを落とし、唾液で濡れた唇に長い指で触れた。拭うようにそっとなぞった指をシンタローがパクリと銜える。予想外の行動に驚いたキンタローの体が、受けた衝撃で微かに揺れると、シンタローはニヤリと笑った。瞬間の表情はキンタローの雄を強く刺激するほど艶めかしく映ったのに、余裕の笑みを浮かべた表情は誘うようなものではなくて、イタズラに成功した子どもに近いような顔であった。
「ったく、勝手にコトを進めんなっつーの」
シンタローは一言文句を口にすると、素晴らしき腹筋のみで起き上がる。まるで組み討ちした後のような動作にキンタローは溜息をついた。日が悪いのか何なのか、シンタローがちっともその気になってくれないのだ。
いや、少しは流されるのだから全くと言うことではないのだが、直ぐに色事から逸れてしまう。キンタローは難攻不落の城壁を攻めることが嫌いなわけではなかったが、自分が落としたい相手、つまりシンタローに限っては難攻する部分が違うように思われた。本人に守っている意識がないのだから、攻めどころがよく判らないのだ。
「断ってからした方が良かったのか?」
シンタローの文句に対して当然の問いかけを返したキンタローだが、その台詞を聞いたシンタローは微妙な表情を浮かべると「それはそれでヤダ」と呟いた。
起き上がったシンタローは『安全』を取って離れていくかと思われたのだが、それには反してキンタローに顔を近づけてくるとマジマジと見つめてくる。その視線は先程アルコールを飲んでいたときに感じたものと同じ様なものであった。
「なぁ、キンタロー」
「何だ?」
「やっぱ俺らの間にもサ、体って絡むんだよな?」
「………あぁ、そうだな」
今ここで改めて確認する必要性を問い質したくなったキンタローだったが、ひとまず頷くことに留めておいた。この際少し投げやりな口調になってしまったのは諦めてもらうことにする。
今あった流れは確実にそれを踏んだものだったと思ったのだが、シンタローの中ではどのように消化されているのか判らない。無用な言い合いを避けることにして、シンタローの問いかけの意味を知りたかった。
そんなキンタローの心中を知ってか知らずか、シンタローは更に顔を近づけて青い眼を覗き込むように見つめると、また離れてその顔をじっと眺めた。
「でさ。やっぱ……どっちなのかなぁって思うわけなんだけど…」
「………何がだ?」
思わず突っ込みを入れるような鋭い口調になってしまったキンタローだが、シンタローが何を考えているのか全く理解が出来なかった。「どっち」と言うくらいだから何かの二択なのは判ったのだが、一体それが何なのかは見当がつかない。
シンタローはキンタローの突っ込みを全然聞いていなかったようで、目の前の恋人の顔を見つめながら何かを考えるような素振りを見せると一人納得がいったように頷いた。
「相手がお前だとサ、俺がリードすべきだよな」
「一体何の話だ、シンタロー」
目の前で見事な自己完結を果たしたシンタローにしびれを切らしたキンタローは、解るように説明をしろという視線を向けた。
「だから、どっちなんだっつー話だよ」
「何についての二択なんだ?」
「やるときに決まってんだろ」
「……………」
決まってんだろと言われても、キンタローとしてはそんなもの知らない。更に一応はその辺りを考える余裕があるのならば、先程から流れる空気をどうして読まないんだと、キンタローは少し恨めしそうな顔をした。まだそこまで考えていないと言われた方が遙かにマシだと思った。
「何つー顔してんだよ」
何やら納得いかないといった顔をしているキンタローに、シンタローは笑いかけた。本人にこれっぽっちも悪気がないので、随分と優しく明るい笑みを向けてくる。
期待した自分が悪かったのかとかシンタローは察しが悪すぎるなど色々な思考が巡ったキンタローだったが、結局目の前の笑顔に折れた。含みのない笑顔はキンタローが好きな顔の一つなのだ。
シンタローは柔らかな笑みをそのまま、金糸の髪に手を伸ばして優しく梳いていく。その仕草を心地よく受けていると更に近付く気配を感じ、シンタローが髪に触れる手はそのまま軽く口付けた。
少し甘さを感じる空気が二人を包んだのだが、キンタローは先程からの流れで期待をするだけ無駄だと思い、シンタローの心地よい動作だけを有り難く受け取ることにする。ただ、こうも相手が近くにいるとどうしても欲が出てきてしまうのは仕方なく、少しだけ手を伸ばしたり引き寄せたりはしてみた。それに対しての抵抗には合わず、シンタローがキンタローの頬に手を伸ばして包み込むと青い眼をじっと見つめ、それから会話の続きを口にした。
「俺なりに考えてだな。ここはやっぱ、俺がリードした方がスムーズにいくだろうと思ったわけだ」
シンタローにそう言われて、キンタローは台詞の意味を考えた。
先程からの会話の流れだと、これは二人の間に体が絡んだときのことを指していると捉えて間違えはないのだろう。それならばと思い、キンタローはシンタローが言った台詞をたどってその時の状況を少し考えてみる。
そしてそれらを自分なりに考えて解釈した後、問い返す形で答えた。
「リードする……つまり先導するお前の後を俺がたどっていけばいいと言うことか?」
キンタローが台詞を言い終えるやいなや、今まであったゆったりした空気が一気に消え去り、シンタローの鋭い拳が飛んできた。辛うじてそれを受け止めたキンタローだが、衝撃で掌がビリビリと痺れる。この男が繰り出す攻撃はとても重くて半端なものではない。
「痛いぞ、シンタロー」
「痛ェのはテメーの台詞だ…ざけんなッ何だそりゃッ!!…どーいう思考回路してやがんだ…オメーはッ!!」
シンタローは激しい怒気を含んだ唸り声を上げる。
「お前が言ったことを反復しただけだ」
「言ってねェーッ!!」
力の限り反論を叫ぶと、シンタローの拳を握りしめたままだったキンタローと力の押し比べになり、今度はシンタローが相手に乗り上がった。
「お前意味解ってる?俺が言ったリードはこう!俺が「上」なわけ」
しっかり体を押し倒して上から見つめてくるシンタローにそう言われて、キンタローは驚いた表情を浮かべた。シンタローは『やっと理解したか』と思ったのだが、それも束の間、
「眺め的には楽しそうだが、初めてなのにいきなり上で動くのは大変じゃないのか?」
というお気遣いも含まれた素晴らしい台詞を頂いた。
シンタローは容赦なく顔面めがけて殴りかかったのだが、キンタローは素晴らしく驚異的な反射神経で何とか攻撃を避ける。ガンマ団総帥が放った渾身の一撃は柔らかなソファのクッションに沈んだ。
「…オメェ、一回殴らせろ」
「いやだ」
シンタローは獰猛な呻り声を上げたのだがキンタローには全く効果がなかった。自分が乗り上げても飄々としている様子は腹立たしいなんてものではない。シンタローの言い回しにおかしな所はなかったはずなのだが、何故こうも会話がかみ合わないのか全然理解が出来なかった。
キンタローの方としても大真面目に相手の台詞を捉えた結果に出た台詞なのだが、お互いに会話が一方通行になるのにはそれぞれ理由があるのだ。
シンタローは最初にどちらだろうと両方の場合を考えたのだが、キンタローは最初から『逆』を一切考えていなかった。それは一般的男女の関係ぐらい自分の立場を信じて疑わず、自分は相手を「抱く」ものだと思っている。これに関しての受動態はキンタローの辞書には存在していないのだ。従って、その思考のもとシンタローに言われたことを解釈するために、結果として殴りかかられたり激怒されるような台詞しか出てこないのだ。
シンタローとしてはあり得ない方向にずれた平行線を辿った会話だったが、どうしたら相手に解らせることが出来るかと考え、体勢の優位を利用して先程キンタローが自分に仕掛けてきたことをそのままやり返してやろうと目論んだ。要は自分が攻めていけば問題はないと思ったのだ。
相手を押し倒したままシンタローは顔を近づけ唇に触れる。それをキンタローは逃げることなく受け止め、相手が深い口付けを望んで絡ませてくる舌に応えた。
自分が思うとおりにことが運んでいると思ったシンタローだったが、キンタローは相手が絡みついてくるのをこれ幸いとシンタローが着ているシャツの中に手を滑り込ませる。
「……ッ」
キンタローの手が直に肌へ触れてくると、驚いたシンタローの体が反応を返す。
シンタローは相手の行動に焦りを感じて逃げようとしたのだが『ここで逃げたら俺の男としてのプライドが!!』などと余計なことを考えたために動きが鈍くなった。一旦引いて体勢を整えるなどといったことは浮かばないようで、自ら仕掛けたにも関わらず先に逃げ出したら負けだろうなどという思考に至ったのか何とかその場に留まったのだが、相手に絡ませていた舌はいつの間にか翻弄される形になっていた。
「ン…ッ…キンゥ……ン…ッ」
強い力で抱き締められてシンタローは留まるどころか逃げられなくなってしまったのだが、なけなしの力を振り絞って相手を引き剥がすと「こうじゃねェーッ」と顔を紅潮させながら叫び声を上げた。