仕事漬けの毎日で自由な時間がちっともとれないと言えども、微塵も息抜きなしではやってられないというのも現実で、シンタローとキンタローは偶に出来る少しの自由時間を効率よく自分のために使っていた。二人揃って飲みながら他愛もない会話を楽しむこともその一つだ。
この日も二人は何か特別な時間を過ごしていたわけではなく、いつもと変わらない少しの自由時間を、揃って好きなアルコールと会話で楽しんでいた。
偶々この時そういう気分になったのか、なるべくしてなったというように、時期的にそういう頃だったのか。
適当なテレビを付けながらそれとは全然関係ない会話を交わし、ふとした瞬間に訪れた沈黙の中、相手が手を伸ばせば届く範囲にいるということに気付いた。
するとシンタローもキンタローもアルコールが回った頭で面倒だと思った手順を全部省いて、何の疑問も持たずに肩を寄せ合った。
酒で喉を潤しながら、触れる箇所を心地よく感じる。
その感覚がアルコールに酔ったからなのか、相手に酔ったからなのかは判断がつかなかったが、そこから相手に対する『想い』を自覚するよりも早くお互いに引き寄せあってキスをした。
理性よりも本能が働きかける衝動の方が強かった。
向かい合って視線を絡ませ、腕を回して引き寄せ合い、躊躇うことなく唇に触れた。そのまま抱き締める腕に力を込めて強く抱き合い、離れ難くなったところで我に返った。各々心の中にある相手への感情をきちんと頭で理解した瞬間でもあった。
同じタイミングで同じ様に驚いた表情を向けて、同時に今の行動を振り返った二人は、次の瞬間笑いの渦にのまれた。
「そっか…そーだったのか」
お互いに「好きだ」と言う前に強い力で相手を引き寄せて、拒むどころか望んで重ねた唇と腕に込めた力が語った正直な気持ちは、自分たちらしいと言えばらしかった。理性よりも本能に従い、愛の言葉を囁くよりも感覚で相手を捉える。それを隠さず出すことが出来るのは、逃げるどころから同じようにぶつけてくる、目の前にいる『半身』だからだ。
一頻り笑った後、晴れやかな笑みを浮かべたシンタローにキンタローは微笑で応え、ようやく「好きだ」と伝え合った二人に、この日新たな関係が加わった。
今になって考えてみれば、自分たちは知能を持つ生き物なのだから、もう少し頭を使うとか言葉で意志の疎通を図るとか、先にすることはあったのではないかとも思ったのだが、実にらしい始まりを二人は気に入ってもいた。
そんな夜を過ごしてから一ヶ月が経過していた。
その間、恋人として今までと違った、少しぐらいは甘さが加わった時間を過ごせたのかと言えばそんなこともなく、想いを告げ合った次の日にキンタローは学会で本部から五日間ほど離れた。シンタローは翌々日に支部へ飛び一週間ほど戻ってこなかった。
文明の利器で相手との連絡手段にはことを欠かないご時世だが、二人の性格からして数日間離れたぐらいで「どうしてる?」などという連絡はしない。仕事の用件があれば別だが、相手のスケジュールが詰まりに詰まっていることを承知で負担になるようなことはしないのだ。
二人が本部に戻ってやっと顔を合わせたかと思えば、一言二言挨拶を交わすのが精一杯で、各々半ば走るような状態で会議へ向かったり研究室へ籠もったりと、自分たちのことよりも仕事優先の日々が続いた。それに不満が起きるかといえば現実問題それどころではなく、あれをやってこれをやってと目の前に積み上がった業務に集中すること以外何かを考える余裕などなかった。
相手の様子が微塵も気にならなかったのかと問われれば、答えはノーであるが、団内において私事を優先させられるような立場にいないため、結局、二人の関係が変わろうとも、日常は変わらないというのが現実なのだ。
それでも何とか仕事にきりをつけてキンタローが総帥を補佐することに専念できると思って総帥室に訪れた時点で、かれこれ二週間半が経っていただろうか。
総帥であるシンタローの姿が幻となるくらい業務に追われて飛び回っており、さすがに見かねたキンタローが他の者に割り振れる業務を部下に任せて総帥の傍に戻ったのだ。相変わらず高く積み上げられた紙に埋もれて、その隙間から見える恋人の難しい顔を眺めながら持ってきた書類の束に一度視線を向けた。少し考える素振りを見せたが諦めた表情を浮かべて首を振ると、普段と変わらない足取りで近寄っていった。
半身が近寄ってくると、シンタローは読んでいた書類から顔を上げて視線を合わせた。
「キンタロー…お前、こんなとこ来てて大丈夫なのか?」
「総帥室を指して「こんなとこ」はないだろう」
「真っ先に突っ込むトコはそこかよ……研究は?」
「一段落つけてきた。引き続き必要なデータ収集は部下がやっている。お前を補佐するのも俺の業務だからここに来たんだが、迷惑だったか?」
「まさか。ありがてェに決まってんだろ」
シンタローはそう言って笑みを浮かべた。その笑顔につられてキンタローも微笑を洩らしたのだが直ぐに緩んだ顔を引き締めると更に近寄った。近い距離と真面目な顔をしながら真っ直ぐ見つめてくる青い眼に、シンタローは何事かと思って視線を返すと、静かな声で名前を呼ばれる。
「シンタロー」
「…ンだよ」
少しドキリとしながら返事をすれば、直ぐに紙の束を渡された。一体何をあらたまって書類を渡すのかと、シンタローは手にした紙の束を見た後、再びキンタローに視線を向ける。
「午前中に目を通して欲しい急ぎの書類だ。全て午後の会議に使うらしい」
「へ?午前中?」
シンタローは手に持っている書類の厚さを考えて唸り声を上げた。
「…ふざけんな。何でこんなにギリギリなんだよ…アウトだろ、コレ」
「そういうな。こっちは俺が見ておく」
そういってキンタローは今手渡した束より少し薄い書類の束を見せる。
「こういった仕事は綺麗に半分とはいかないものだな」
「いーって。それまで足されたら俺がアウトだ」
シンタローはげんなりした様子で今手渡された書類を眺めると、直ぐに目を通し始めた。そんな半身の姿を少しだけ見つめた後、キンタローも己の業務に取りかかった。
時間に追われるのはいつものことで、それでも何とか書類を読み終えシンタローが紙にサインを走らせると、キンタローはそれを受け取って総帥室から出ていった。キンタローが書類を届け、また新たな書類の束を受け取って総帥室に戻っても、シンタローは変わらぬ姿勢で仕事を続けている。やることの多さに軽口を叩く余裕もなくなってくると、シンタローもキンタローも沈黙のままひたすら業務を全うすることに専念した。
結局二人揃ったところで色気のいの字もない状態なのだが、何か急激な変化を望んで出来上がった関係でもなかったので、そのまま平行線を保ったまま時が流れていった。
そうして簡単に一ヶ月が経ってしまったわけだが、この頃にはさすがに人として休憩が欲しくなってくる。うまくタイミングがかち合ってその様な時間が出来ればいいのだが、いくら待っても出来ないときはあるものだ。そうなると自分たちで時間を捻り出すしか手段はないので、何とか仕事に算段を付けると数時間の自由時間を得た。一日フリーに出来れば良かったのだが、どう頑張ってもそこまでの時間を直ぐに作ることは無理だったので、それはまた後日の楽しみにすることとして、その日は二人揃って夕方に業務を上がった。
せっかくだからあらたまって二人で食事に行こうかと考えたシンタローだったが「お前が好きな酒がある」とキンタローに言われると喜び勇んで自室に戻った。脱ぎ捨てるように着替えを済ませて、部屋に常備してあるお気に入りのつまみの菓子をひっつかむと相手の部屋へそそくさと向かう。楽しい時間を共有できれば場所はどこでも構わないのだ。
着替えを済ませたら来るのは判っているだろうと踏んで、シンタローは自室に戻るかのようにキンタローの部屋へ堂々と入っていった。傍若無人が代名詞のような総帥である。嫌味なく勝手気ままに振る舞う姿は雄快に感じられた。
「早いな…」
早々に部屋へ訪れたシンタローの姿にキンタローは微笑を洩らす。シンタローと違って几帳面な性格をしているキンタローは、着ていたものを丁寧に片付けてから酒の準備をしているところであった。
「そりゃ、仕事から離れると足も軽くなんだろ」
そう言ってシンタローは持っていた菓子を近くにあったテーブルに放り出し、笑いながらキンタローの傍へ近寄った。棚から一本の瓶を取り出したキンタローは半身が近寄ってくる気配を感じるとそれを適当なところへ置き、当然のように腕を伸ばして引き寄せた。シンタローが半身の背中に腕を回すと同じ強さで抱き締め合う。
「よく判ったな」
「当たり前だ」
仕事以外で得られた二人の時間へ挨拶するかのように抱擁を交わす。スイッチのオンとオフ、レバーの切り替えのように人間の気持ちや感情を直ぐに切り換えることは無理だと思うのだが、こうして二人になると先程のまでの淡泊な状態が嘘のように相手を「好きだ」と思う気持ちが溢れてきた。触れたいと思ったところで同じように手を伸ばしてくる半身は、自分の分身のように見事な共鳴を果たしていると思う。それに恐怖を感じるかと言えばそうではなく、相手に関して言えば安心感が一番にきた。
少しの時間抱き合うと、二人は直ぐに離れた。キンタローは途中になっていた酒の準備を再開し、シンタローは簡易キッチンへ体を向ける。
「昼飯遅かったからまだ腹減ってねぇよな?」
「あぁ」
アルコールだけでも良かったのだが、この部屋には何かつまめるものはあるのかと冷蔵庫を開けた。
案の定、そこは見事なまでにほとんど何もない冷えた箱になっていた。ここのところ特に仕事漬けの日々を送っていたので、普段に輪をかけて酷い状態になっている。申し訳程度にミネラルウォーターの小さなペットボトルが二本冷やされていたが、相変わらずの半身に呆れた声を出した。
「お前…何かもうちょっと入れとけよ」
「何もなかったか?」
「それすら把握してねェーのかよ…」
これに関しては相手に求めるだけ無駄だと思ったシンタローは、諦めて棚から皿を出すと自分が持ってきた菓子を適当に出した。
「俺がよく飲みに行く店で出してくれるやつだから、適当につまむにはいいだろ」
そういってソファに座った。キンタローが並んで座りグラスに氷とアルコールを注ぐとシンタローに一つ渡す。シンタローはグラスを受け取ると軽く掲げて口をつけた。
二人になったら色々と話をしたいと思っていたシンタローだったが、実際その時間を得られると話よりも沈黙の中にある安らぎの空間が心地よくて、口を開かずただアルコールを口にしていた。二人でいる静寂の中には、相手のおかげで何とも言えない安心感があった。
『そーいや…コイツと初めてキスしたときもこんな感じだったな…』
恋人となったキンタローも同じものを少しでも良いから感じていてくれたらいいなと思いながら、シンタローはそっと視線を向けた。
考え事をしているかのように黙ったままグラスに口付けるキンタローの端正な横顔が目に映る。
『これ以上近くなんてねェーと思うんだけど…これからもっと近くへ寄れんのかな?』
キンタローに対する信頼感や安心感は飛び抜けて高く感じていた。ともすれば依存してしまいそうになるほど、精神面での安定感はこの上などないとシンタローは思っていた。
『精神面……やっぱこの先体の関係とかもつのかな?』
いつまでもプラトニックな関係を保ちましょうなんてことに自分たちはならないだろうなと思った。そもそもスタートがスタートなのだ。キンタローの体の事情は判らなかったが、シンタローの方は至って健康な青年である。当然好きな相手が傍にいればその気になるのだ。
ただ、相手がキンタローの場合、その気になるのその気は一体どっちになるのかシンタローは自分の事ながら見当が付かなかった。
『………どっちだ?』
いつの間にか真剣に考えるような視線をキンタローに向けていたシンタローだが、今までその視線を放っておいたキンタローも向けられるものが理解しがたいものに変わるとさすがに向き直った。
「お前はさっきから何をしているんだ?」
熱烈な視線とは言い難い、何とも神妙な顔をしながら見つめてくる恋人の視線は不可解なもの以外のなんでもない。あえて言うなら品定めに近い目をしているシンタローに、キンタローは呆れた声を洩らした。
「いや……何でもねェよ」
口ではそう言いつつも一向に視線を逸らさないシンタローに、キンタローは一つ溜息をついて体を動かすと腕を伸ばして相手の肩を抱いた。そこに込められた力は緩いものだったが、シンタローはされるがまま相手にもたれ掛かった。
「考えているのは仕事のことか?」
「違ェよ」
肩に回された手ともたれ掛かって触れた箇所を心地よく感じてシンタローは目を閉じた。とても居心地の良い場所だと思いながら相手に体を預けそうになって、そこで『いや、待てよ』と思い直した。
横で大人しくしていたシンタローがまたもや不可解な行動に出ると、キンタローは何とも言えない顔をする。
何が不可解かと言えば、キンタローと同じように肩に手を回してきたからである。
今この場で二人揃って肩を組んで酒を飲む意味が解らなかった。もっと大勢で飲んでいる中、盛り上がった仲間同士が肩を組んで陽気に飲み合うというのならともかく、やっと得た二人の時間を過ごそうというときに、この図は誰が見てもおかしいだろうと思う。キンタローとしてはもっと甘いものを考えていたし、瞬間的になってしまったが確実に甘い空気が流れたはずなのだ。
「シンタロー…お前は何がしたいんだ?」
「何って…俺もお前の肩を抱きたくなったからこうしてんじゃねェーかよ」
「……………」
ケロリとした表情でそう言うシンタローに、キンタローは閉口してしまう。直前までかなり良い雰囲気になっていたような気がしたのだが、気のせいだったかと思わず自問自答してしまった。
『偶に…本当に何を考えているのか判らなくなる』
他の者より相手の思考を先読みしやすい特別な関係にある二人だが、やはり別固体の人間には変わりないのでお互いに判らないところがあるというのも当然であった。だがしかし、これに関しては何となく釈然としないものをキンタローは感じてしまう。
『今の流れで俺に非があったようには思えないのだが…』
キンタローとしては不満な状態になってしまったのだが、シンタローの方はご機嫌な様子でアルコールを口にしている。そのまま相手の様子を窺ってみたキンタローだが、シンタローは次の行動を考えて腕を回してきたわけでもなさそうで、意味不明だと思った体勢のままグラスに口をつけていた。
キンタローの方はあわよくばということを少なからず考えて相手に手を回していたので、シンタローが特に次へ行かないのなら自分が好きな行動に出ても良いだろうという判断を下した。不満を抑えて先に相手の行動を待ったのだから文句は言われないはずだというのが、この時のキンタローの考えであった。
キンタローは何も言わずにシンタローの手からグラスを取り上げてテーブルに置く。突然飲んでいたアルコールを奪われたシンタローは驚いた表情を浮かべたのだが、それに構わずのし掛かった。シンタローの片腕は既にキンタローに回されていたので、いきなり不安定な姿勢になるとバランスを取るため、慌てて相手の首にしっかり抱きつく。キンタローはそれを見越して少し荒い行動をとっていたので、その結果に満足するとそのまま自分が望んだとおり相手の唇に口付けた。
体重をかけて相手を押し倒し、もっと深い口付けを交わしたくて唇を開くよう誘ったのだが、シンタローは頑なに閉じてそれを拒む。そして自分の上に乗り上がったキンタローを必死になって押し返した。だが、体格も力も同じ相手となると、先に不利な体勢へ持ち込まれてしまってはそこから動くことが困難となる。
体勢を立て直すことに必死になりすぎてシンタローが闇雲に藻掻くと、その隙を取られ唇を割って入られた。
「…ッ…ァ」
絡む舌の音が耳から浸食して、体中の感覚が麻痺していく。
逃げ場を失い抵抗が弱くなっても容赦なく口腔を犯してくるキンタローに翻弄されて、このまま相手の思うように流されそうにもなったシンタローだったが、ここでは男としてのプライドが勝った。
押し返してもビクともしない相手の舌に思い切り噛みつく。否、噛みつこうとしたのだが、キンタローは驚くべき察しの良さで下顎に指をかけて阻止した。そこで仕方なくシンタローが体の力を完全に抜くと、ようやく落ちたと思われたのか、口付けから解放された。
そこですかさず不満を訴えるように殴りかかったシンタローだったが、力が入らない体で繰り出した拳にキレはなく、いとも簡単に避けられ不発に終わってしまった。
キンタローは情欲に濡れた青い眼で見下ろすようにじっとシンタローを見つめる。対するシンタローは乗り上げた半身を睨み付けているのだが、与えられた快楽の所為かその眼に普段のような鋭さはなかった。
無言の時の中、見つめ合うとも睨み合うともとれるような視線がぶつかり合う。
双方一歩も引く様子はなく暫しの時が流れたのだが、そんな中キンタローは涙が浮かんでいたシンタローの目元に柔らかな口付けを落とし、唾液で濡れた唇に長い指で触れた。拭うようにそっとなぞった指をシンタローがパクリと銜える。予想外の行動に驚いたキンタローの体が、受けた衝撃で微かに揺れると、シンタローはニヤリと笑った。瞬間の表情はキンタローの雄を強く刺激するほど艶めかしく映ったのに、余裕の笑みを浮かべた表情は誘うようなものではなくて、イタズラに成功した子どもに近いような顔であった。
「ったく、勝手にコトを進めんなっつーの」
シンタローは一言文句を口にすると、素晴らしき腹筋のみで起き上がる。まるで組み討ちした後のような動作にキンタローは溜息をついた。日が悪いのか何なのか、シンタローがちっともその気になってくれないのだ。
いや、少しは流されるのだから全くと言うことではないのだが、直ぐに色事から逸れてしまう。キンタローは難攻不落の城壁を攻めることが嫌いなわけではなかったが、自分が落としたい相手、つまりシンタローに限っては難攻する部分が違うように思われた。本人に守っている意識がないのだから、攻めどころがよく判らないのだ。
「断ってからした方が良かったのか?」
シンタローの文句に対して当然の問いかけを返したキンタローだが、その台詞を聞いたシンタローは微妙な表情を浮かべると「それはそれでヤダ」と呟いた。
起き上がったシンタローは『安全』を取って離れていくかと思われたのだが、それには反してキンタローに顔を近づけてくるとマジマジと見つめてくる。その視線は先程アルコールを飲んでいたときに感じたものと同じ様なものであった。
「なぁ、キンタロー」
「何だ?」
「やっぱ俺らの間にもサ、体って絡むんだよな?」
「………あぁ、そうだな」
今ここで改めて確認する必要性を問い質したくなったキンタローだったが、ひとまず頷くことに留めておいた。この際少し投げやりな口調になってしまったのは諦めてもらうことにする。
今あった流れは確実にそれを踏んだものだったと思ったのだが、シンタローの中ではどのように消化されているのか判らない。無用な言い合いを避けることにして、シンタローの問いかけの意味を知りたかった。
そんなキンタローの心中を知ってか知らずか、シンタローは更に顔を近づけて青い眼を覗き込むように見つめると、また離れてその顔をじっと眺めた。
「でさ。やっぱ……どっちなのかなぁって思うわけなんだけど…」
「………何がだ?」
思わず突っ込みを入れるような鋭い口調になってしまったキンタローだが、シンタローが何を考えているのか全く理解が出来なかった。「どっち」と言うくらいだから何かの二択なのは判ったのだが、一体それが何なのかは見当がつかない。
シンタローはキンタローの突っ込みを全然聞いていなかったようで、目の前の恋人の顔を見つめながら何かを考えるような素振りを見せると一人納得がいったように頷いた。
「相手がお前だとサ、俺がリードすべきだよな」
「一体何の話だ、シンタロー」
目の前で見事な自己完結を果たしたシンタローにしびれを切らしたキンタローは、解るように説明をしろという視線を向けた。
「だから、どっちなんだっつー話だよ」
「何についての二択なんだ?」
「やるときに決まってんだろ」
「……………」
決まってんだろと言われても、キンタローとしてはそんなもの知らない。更に一応はその辺りを考える余裕があるのならば、先程から流れる空気をどうして読まないんだと、キンタローは少し恨めしそうな顔をした。まだそこまで考えていないと言われた方が遙かにマシだと思った。
「何つー顔してんだよ」
何やら納得いかないといった顔をしているキンタローに、シンタローは笑いかけた。本人にこれっぽっちも悪気がないので、随分と優しく明るい笑みを向けてくる。
期待した自分が悪かったのかとかシンタローは察しが悪すぎるなど色々な思考が巡ったキンタローだったが、結局目の前の笑顔に折れた。含みのない笑顔はキンタローが好きな顔の一つなのだ。
シンタローは柔らかな笑みをそのまま、金糸の髪に手を伸ばして優しく梳いていく。その仕草を心地よく受けていると更に近付く気配を感じ、シンタローが髪に触れる手はそのまま軽く口付けた。
少し甘さを感じる空気が二人を包んだのだが、キンタローは先程からの流れで期待をするだけ無駄だと思い、シンタローの心地よい動作だけを有り難く受け取ることにする。ただ、こうも相手が近くにいるとどうしても欲が出てきてしまうのは仕方なく、少しだけ手を伸ばしたり引き寄せたりはしてみた。それに対しての抵抗には合わず、シンタローがキンタローの頬に手を伸ばして包み込むと青い眼をじっと見つめ、それから会話の続きを口にした。
「俺なりに考えてだな。ここはやっぱ、俺がリードした方がスムーズにいくだろうと思ったわけだ」
シンタローにそう言われて、キンタローは台詞の意味を考えた。
先程からの会話の流れだと、これは二人の間に体が絡んだときのことを指していると捉えて間違えはないのだろう。それならばと思い、キンタローはシンタローが言った台詞をたどってその時の状況を少し考えてみる。
そしてそれらを自分なりに考えて解釈した後、問い返す形で答えた。
「リードする……つまり先導するお前の後を俺がたどっていけばいいと言うことか?」
キンタローが台詞を言い終えるやいなや、今まであったゆったりした空気が一気に消え去り、シンタローの鋭い拳が飛んできた。辛うじてそれを受け止めたキンタローだが、衝撃で掌がビリビリと痺れる。この男が繰り出す攻撃はとても重くて半端なものではない。
「痛いぞ、シンタロー」
「痛ェのはテメーの台詞だ…ざけんなッ何だそりゃッ!!…どーいう思考回路してやがんだ…オメーはッ!!」
シンタローは激しい怒気を含んだ唸り声を上げる。
「お前が言ったことを反復しただけだ」
「言ってねェーッ!!」
力の限り反論を叫ぶと、シンタローの拳を握りしめたままだったキンタローと力の押し比べになり、今度はシンタローが相手に乗り上がった。
「お前意味解ってる?俺が言ったリードはこう!俺が「上」なわけ」
しっかり体を押し倒して上から見つめてくるシンタローにそう言われて、キンタローは驚いた表情を浮かべた。シンタローは『やっと理解したか』と思ったのだが、それも束の間、
「眺め的には楽しそうだが、初めてなのにいきなり上で動くのは大変じゃないのか?」
というお気遣いも含まれた素晴らしい台詞を頂いた。
シンタローは容赦なく顔面めがけて殴りかかったのだが、キンタローは素晴らしく驚異的な反射神経で何とか攻撃を避ける。ガンマ団総帥が放った渾身の一撃は柔らかなソファのクッションに沈んだ。
「…オメェ、一回殴らせろ」
「いやだ」
シンタローは獰猛な呻り声を上げたのだがキンタローには全く効果がなかった。自分が乗り上げても飄々としている様子は腹立たしいなんてものではない。シンタローの言い回しにおかしな所はなかったはずなのだが、何故こうも会話がかみ合わないのか全然理解が出来なかった。
キンタローの方としても大真面目に相手の台詞を捉えた結果に出た台詞なのだが、お互いに会話が一方通行になるのにはそれぞれ理由があるのだ。
シンタローは最初にどちらだろうと両方の場合を考えたのだが、キンタローは最初から『逆』を一切考えていなかった。それは一般的男女の関係ぐらい自分の立場を信じて疑わず、自分は相手を「抱く」ものだと思っている。これに関しての受動態はキンタローの辞書には存在していないのだ。従って、その思考のもとシンタローに言われたことを解釈するために、結果として殴りかかられたり激怒されるような台詞しか出てこないのだ。
シンタローとしてはあり得ない方向にずれた平行線を辿った会話だったが、どうしたら相手に解らせることが出来るかと考え、体勢の優位を利用して先程キンタローが自分に仕掛けてきたことをそのままやり返してやろうと目論んだ。要は自分が攻めていけば問題はないと思ったのだ。
相手を押し倒したままシンタローは顔を近づけ唇に触れる。それをキンタローは逃げることなく受け止め、相手が深い口付けを望んで絡ませてくる舌に応えた。
自分が思うとおりにことが運んでいると思ったシンタローだったが、キンタローは相手が絡みついてくるのをこれ幸いとシンタローが着ているシャツの中に手を滑り込ませる。
「……ッ」
キンタローの手が直に肌へ触れてくると、驚いたシンタローの体が反応を返す。
シンタローは相手の行動に焦りを感じて逃げようとしたのだが『ここで逃げたら俺の男としてのプライドが!!』などと余計なことを考えたために動きが鈍くなった。一旦引いて体勢を整えるなどといったことは浮かばないようで、自ら仕掛けたにも関わらず先に逃げ出したら負けだろうなどという思考に至ったのか何とかその場に留まったのだが、相手に絡ませていた舌はいつの間にか翻弄される形になっていた。
「ン…ッ…キンゥ……ン…ッ」
強い力で抱き締められてシンタローは留まるどころか逃げられなくなってしまったのだが、なけなしの力を振り絞って相手を引き剥がすと「こうじゃねェーッ」と顔を紅潮させながら叫び声を上げた。
PR