光り輝くように綺麗な金色と宝石のような輝きの青色。
手に入らない宝物のような思いで見てきた、髪と眼。
昔はそれでウジウジしていることもあったような気がするが、今となってはどうでもいいことだ。
そうシンタローは思っているのだが、それでも金色の髪と青い眼につい反応をしてしまうことが偶にある。
『気にしているわけじゃねぇけど…気になんだよなぁ…』
シンタローは目の前にいる涼しげな顔をした金髪碧眼の恋人を見ながらそう思った。
世間一般で恋人同士である二人が、空いた時間を一緒に過ごすのは珍しいことではない、というより普通だ。
これはシンタローとキンタローも同じである。
二人には、完全なる休みという日は滅多にないのだが、少しでも自由に使える時間が出来ると、食事を一緒にとったり、他愛もない会話を楽しんだり、手合わせをしたりと二人の時間を楽しむ。夜に互いの部屋を行ったり来たりしてよろしくやることもしばしばだ。
よくグンマに「また仲間はずれにしたーッ」と拗ねられるのだが、仲が良い従兄弟と過ごす時間と恋人同士の時間は全く別物なのだから仕方がない、ということにしている。
そして、この二人の場合、仕事上の関係でも行動を共にすることは珍しいことではない。ガンマ団の新しきトップとそれを補佐する者なのだから、仕事上の絡みは、プライベートよりも遙かに多いと言っても過言ではない。
この日も例にもれず、シンタローとキンタローは一日ずっと行動を共にしていた。
いつも通り予定が詰まっている日であった。
朝一で目を通さねばならない書類の束、昼過ぎに呼ばれている会合があり、その前に一度支部へ立ち寄りたい。更に会合の後、本部へ戻りその頃には届いているはずの書類に急いで目を通して、そのまま夕方からの会議へ出席だ。移動時間も端末からデータを呼び出し報告書に目を通さなければ、仕事が追いつかない状態である。
一度遠征に出てしまうとなかなか戻ってこない二人なだけに、本部にいる間は、こういった予定が次から次へと舞い込んでくる。書類や会議は別として、会合や会食はひっきりなしに呼ばれるのだ。
朝から細かい文字を目で追うのはいまだに億劫だ、と思いながら、シンタローは紙の束を机の上に置いた。嫌だからと言って読まないわけにはいかないので、こういうものは集中してさっさと片付けるに限るのだ。今日はこれよりも気が滅入る会合が昼に待っているのだから、こんなところで既に疲れている場合ではない。
読み終えた書類をまとめて置くと、視界の端に、窓から入り込む陽光を反射する何かが映る。それは確認するまでもなく、半身の金色の髪の毛が眩しく輝いている証拠であった。
キンタローに視線を向けると、黙々と書類を読み進めているところである。ちらりと見た限り、残すところ後数ページのようだ。
ひとまず自分の仕事を終えたシンタローは、最初キンタロー髪の毛を見つめていたが、だんだんとその思考が半身そのものに奪われていった。
キンタローが大人しく書類を読んでいる姿は正に『出来る男』を思わせて、それだけで格好良く目に映る。ビジネス雑誌の表紙を飾りそうな絵になっているのだ。
『まぁ、随分と化けたもんだよな…』
凶暴で手を付けられないキンタローを知っているだけに、この様に紳士的な姿を目にすると、シンタローは何となくおかしくなってしまう。シンタローも社交の場では上品に振る舞ったりするが、この男の化けっぷりには到底敵わないと思うのだ。
「シンタロー」
ふいに声を掛けられて、シンタローの意識が現実に戻る。
「ん?」
視線をそのまま返事を返すと、キンタローはシンタローの方を向かずに言葉を続けた。
「さっきから何を見ている?」
「…へ?」
キンタローの質問にシンタローは間抜けな声を出す。
最後の一枚を読み終えたキンタローは、書類を丁寧に整えると、青い眼をシンタローに向けた。
「お前の視線だけはよく判る」
「……………」
「何を見ていたんだ?」
「……………なんでもねぇよ」
一言で言えば「見惚れていました」というわけなのだが、陽も昇りきっていない午前中から総帥室でシンタローがそんな言葉など口に出来るはずがない。キンタローならばそういった台詞がサラリと出てくるのだが、シンタローはそうもいかない。
質問に答えず視線を逸らすと、微かに笑う気配を感じた。
今キンタローの方を向けば、微笑というレアな表情の半身を目にすることが出来る。だがしかし、視線があった瞬間、流れからいって自分が赤面する羽目になるのだ。
「クソ…可愛くねぇー…」
シンタローは小さな声で悪態をつき、キンタローへ視線は向けず「終わったんなら行くぞ」と促して、総帥室を出ていった。背後でしっかりと笑う気配を感じたが、シンタローは無視を決め込んで歩いていった。
本部を出てから支部へ立ち寄るまでは順調だったのだが、その後の会合はシンタローにとって、この上なく非常に疲れるものであった。
昼間に出席した会合は、同業者同士のものだ。
こんな陽が高い内に揃いも揃って暇なもんだとシンタローは思うのだが、実際に手足となって動くのはその下の者達である。案外、こういった荒事を生業とする組織以外でも、上というのは時間があるものなのかもしれない。全員がと言うわけではないが、報告書しか読まずに、現場の実態が上に届かないというのはよく聞く話だ。
現ガンマ団トップのシンタローはどうかといえば、現場にはいる。従って、実状がどうであるかきちんと把握しているところは、下で働く者達にとって非常に有り難い。それは有り難いのだが、シンタローは大将であるにも関わらず、先陣切って突っ走る。難解であればあるほどスピードが速い上、皆が無理だと悲鳴をあげるような所も一人で突き進んでしまう。それは非常に有り難くない話だ。周囲の者は心臓がいくつあっても足りないと思うのだが、それで勝利を収めるのだから文句を言っても聞かない。無能とは違うのだろうが、これはこれで問題な上司なのであった。
シンタローが揃いも揃ってと思った会合だが、内容自体は有益なものである。
同業者同士馴れ合うわけではないのだが、やはりギブアンドテイクで、どの時代も情報交換は必要なのだ。ガンマ団総帥の立場からしても、シンタローはそれを解っているからきちんと出席する。一団体として、周囲との繋がりもきちんと作っておかなければならないのだ。
だがしかし。互いの立場を理解し、礼儀を守った上での会話なら問題はないのだが、人が集まるとはみ出る者は何処にでもいるものだ。
この会合も同じで、有益な会話の分だけ、無益な関わり合いも生じた。今回は新参者も多かったからかもしれない。見慣れない顔をいくつも見た。
利益のみを考えて人や組織と付き合うわけではないのだが、こうも相手が露骨だと「無駄だ」と切り捨ててしまいたくなるのだ。
相手の邪な思惑をを上手く会話でかわすことが出来ればいいのだが、シンタローはどうしても拳が出そうになってしまう。自分の短気は考えものだよなと思うのだが、ガンマ団総帥としてこれでも充分我慢している方なのである。
こんな総帥をキンタローが補佐して、これといったもめ事も起こらず和やかに時間が過ぎていくのだが、シンタローとしては、それはそれで微妙な気持ちなのであった。
『いつの間にこんな会話術を身に付けたんだか…』
キンタローは総帥に付き従う基本姿勢を崩さない。場の流れから二人別々になることもあるのだが、最終的には必ず傍にいる。
『随分とまぁ…優秀に育ったもんだ…』
キンタローの会話を聞きながら、シンタローも社交用の穏やかな笑みを浮かべた。
キンタローが傍を離れると、ふとした瞬間目が追ってしまう。
人の合間を縫って視線が重なった瞬間、微かな笑みを目元に浮かべられ、思わず心臓が跳ね上がった。
『本当にまぁ…随分格好良く育ったもんだナ…』
心の中で溜息をついたシンタローだった。
無事に会合も終わり、後は本部に戻って書類と会議だけだと、ホテルを出てから用意された車に乗り込もうとしたシンタローだが、肩を掴まれて振り返る。
己の背後には無表情のキンタローがいた。
「俺が運転する。少し時間に余裕があるから寄りたいところがある」
「寄りたいところ?何処だよ?」
「………ついて来い」
そう一言残してキンタローは歩いていってしまう。
シンタローは運転手に軽く挨拶をしてチップだけ渡すと、慌ててキンタローを追いかけた。
ホテルの裏手に回ると、何時の間に用意したのか一台の車の前でキンタローが待っている。レンタルなのだろうが、ネイビーブルーのそれはキンタローによく似合っているように思えた。
唐突な行動に文句の一つでも言ってやろうかと思っていたシンタローだが、その立ち姿に気がそがれてしまう。思わず下を向いて苦笑してしまった。
「カッコイーじゃねぇか」
文句を言うのは諦めて、少し離れた位置からしげしげと見つめながらシンタローは素直な感想を口にした。対するキンタローは表情一つ変えずに答える。
「車がか?」
「…さぁな───この車はお前が選んだの?」
「いや。そこのレンタカーのものなんだが…」
そう言ってキンタローが向けた視線の先を見ると一軒のレンタカーが見えた。この様なホテルの裏通りとは随分と変なところにあるように思えたが、廃れているようには見えないのでそこそこ利用者がいるようである。
「スピードが出るものを頼むと言ったらこれになったんだ」
店員がキンタローを見てこれを選んでくれたのかなと思いながら、次の瞬間今の台詞に聞き流せない一言があったことに気付く。
「キンタロー…スピードって何だ?」
「……………」
シンタローの質問には答えずにキンタローはさっさと運転席に乗り込んでしまう。
何か良からぬ事を考えているなと思ったシンタローだが、乗る以外に他ない。ここから車で本部へ戻るには結構な時間が掛かる。シンタローは、直ぐ傍にあった自動販売機で缶コーヒーを二つ買って、仕方なく助手席に乗り込んだ。
走り出しは穏やかなものだったが、大きな道に出ると、周りにあまり車がないのをいいことにキンタローはどんどん加速していく。シンタローもスピードを出す方だから文句は言わなかったが、キンタローらしくない運転だ。
チラリと横を見ると明らかに不機嫌な紳士がいる。
『さっきまで普通だったと思うんだけど……やっぱ何かあったかな?』
先程の会合を思い出してそう思う。始終穏やかそうに見えたキンタローだが、内面は自分と良く似たものを持つのをシンタローは知っている。
暫く黙って横で大人しくしていたシンタローだが、周りに車が一台も見えなくなると買ってきたコーヒーを飲みながら口を開いた。
「───で、キンタロー。どこに寄るつもりだって?」
キンタローの台詞はあの場を難なく立ち去る為の口実だと判っていたが、シンタローはあえて口にしてみる。何と返してくるかと思えば、
「ただの口実だ」
と不機嫌な声が戻ってきた。声のトーンが随分と低い。
機嫌の悪さがよく判ったシンタローはいたずらに刺激しないよう、率直に疑問を口にした。
「何をそんなに怒ってんだヨ?」
シンタローの指摘で更に気配が嶮しくなる。返答は返らずに暫く黙りかなと思ったシンタローだが、車の中は二人きりだ。特に気を遣う必要もないと思ったのか、キンタローは直ぐに応えた。
「不穏な輩が多すぎる…」
キンタローの唸り声に『やっぱりさっきの会合で何かあったんだな』と思いながら会話を続ける。
「まぁ、同業者、やってることがやってることだし…」
「それじゃない」
シンタローの台詞を不機嫌な声が遮った。あからさまに不機嫌な声だったが、シンタローは特に腹を立てることもなく、じゃぁどれだよと疑問に思いながらキンタローを見る。声は荒々しい響きもち、雰囲気は物騒なものなのに、運転をしている所為でそれが表だって出てこない。機嫌の悪さからいって実際は物騒な猛獣なのであろうが、理性が保たれているおかげで、少し危険な香りをさせる程度に留まっている。不謹慎にも少し見惚れてしまったシンタローだ。
もっとも、それは慣れているシンタローだからであって、他の者ではそんな呑気に捉えられないだろうが───。
運転をしているから視線は合わないが、シンタローが見ていることは判っているはずだ。視線で促されたキンタローは言葉を続ける。
「お前に対して邪な感情を抱く者が多い」
「あー…まぁ、ガンマ団総帥だからな。俺に取り入って甘い汁を吸いたいヤツが出てくるのは仕方ねぇだろ…」
シンタローは総帥になった時、組織の大きさと影響力をあらためて実感した。周りの者が向ける視線が今までと明らかに違うのだ。
反吐が出るほど媚びを売られたり、陥れてやろうと常にぎらついた目を向けられ、己の傘下に入れようと立ちふさがられたり、思惑は様々だが決して友好的でも穏やかなものでもなかった。
シンタローも大人しくそんなものに負けるような性格ではないから、話し合いという名目で、表では穏便に、裏では手荒にかわしている。
「それも違う」
キンタローからまたもや否定の台詞を返されて、シンタローは首を傾げた。
他にこの補佐官を怒らせるようなこととは一体なんだ───。
「じゃ、何だよ?」
そう言うシンタローの台詞に、キンタローはいきなり車を止めた。突然の行動にシンタローはキンタローを凝視する。荒々しく止まった車に真っ黒な瞳が驚きで見開かれた。
「何してんだ?」
シンタローの台詞にキンタローが振り向く。青い眼に激しい感情が表れていた。
「何故、お前は解らないんだ」
「だから何が?」
「こういうことだ」
キンタローはそういって身を乗り出す。反射的に逃れようとしたシンタローを押さえつけて荒々しく口付けた。
『どういうことだーーーッ?!』
シンタローの心の叫びは届かず、激しい口付けはそれだけでは済まなくなる程長く続けられた。解放を望んでも強い力で押さえつけられる。
「キ…ン…」
何とか押しのけようと腕に力を込めたシンタローだが、こうなってしまうとキンタローは梃子でも動かない。気が済むまでシンタローを離さないのだ。こんなところでいいようにされて堪るかと、暫く暴れて抵抗を試みたシンタローだが、結局無駄な足掻きに終わったのであった。
再び走り出し車の中でシンタローはぐったりしている。
その横でいまだに不機嫌なキンタローがハンドルを握っていた。
「何故こうもお前は男を引きつけるんだ…」
不機嫌極まりない声でキンタローは独り言のように呟く。
『お前以外にもこういうこと考えてる男がいんのかよ…』
立ち直れなくなりそうなガンマ団総帥であった。
本部へ戻り、その後の予定はスムーズに流れた。予定通りに届いていた書類に目を通して、時間が掛かると思っていた会議も早々に終わった。
そうして総帥室へ戻ろうとしているところに、一つ急な面会を求められた。何事かと思えばただの会食なのだが、声を掛けてきたのはシンタローが総帥となってから親しく付き合わせてもらっている国の元首だ。彼とは友好的な関係を築けているが、その周りはそうでもない。先のことを考えると顔は出しておきたい。ガンマ団の立場を思って声を掛けてくれて元首に感謝をすると、シンタローはキンタローを連れ立って再び本部を出た。
昼間の会合の件もあって、少し身構えていたシンタローだが、会食は非常に穏やかな雰囲気のもと、のんびりと時間が流れた。元首にあらためて感謝の挨拶を述べ、更にその周りの者と次への繋がりを作ってその場を後にする。
そうして再び総帥室へ戻ってきたときには、後二時間もしない内に日付が変わるであろうという頃であった。途中、若干予期せぬ出来事もあったが、二人にとっては総合していつも通りに流れた日常だった。
そしてその流れのまま、再び書類と向き合おうとして、二人とも流石に大分疲れていることに気付いく。
体力的にというよりは、精神的にといったところだ。それは恐らく、昼間の会合と先程の会食で人疲れをしているように思われた。
先程の会食は特に疲れるような出来事もなかったはずなのだが、万事荒事を得意とする集団なだけに、社交の場は気を遣いすぎて精神力を随分とすり減らすようだ。高級ホテルに寝泊まりする者と野営になれている者とでは決定的に相容れない部分があるのだろう。
シンタローもキンタローもやることは山のようにある。
だが、こんな日にはのんびりした休息の時間が必要だなと思った二人は、急ぎの書類だけさっさと片付け、早々に総帥室を後にした。
遅い時間だが、体を思い切り動かしたかった二人はトレーニングルームで競い合いながら汗を流す。全力でぶつかっても力負けしない相手はこういうとき非常に有り難い。とても良い気晴らしになるのだ。
そしてその後自室に戻りシャワーを浴びて心身共にさっぱりすると、二人はまた一緒にいた。
約束をしていたわけではないが、気が休める場所に落ち着こうとすると、自然と二人は一緒になるのだ。仕事もプライベートも常に一緒となると嫌になりそうなものだが、この二人にとって互いの半身だけは別であった。
これは二人の間では不思議なことではない。一つの体に一緒にいた24年間がそういう作用を起こすのか、横にいても他人がいる感覚にはならないのだ。
そんなわけで、今は二人揃ってシンタローの部屋にいる。
特に何を喋るわけでもなく二人とも無言なのだが、手を伸ばせば届く範囲に揃って座っていた。キンタローもシンタローも雑誌を読んでいる。当たり前だが種類はもちろん異なる。キンタローが手にしているものは最新号の科学雑誌で、シンタローは季節料理を特集した雑誌だ。
適度な距離を心地よく感じながら雑誌を捲っていたシンタローだが、視界の端に入る金色が気になって顔を上げた。今は落ち着きを取り戻したキンタローの端正な横顔が目に映る。
隣にいて、別にコンプレックスを感じていたわけではないのだが、今日は何故かキンタローを目で追っていたような気がする。たまたまそう言う気分なのか、焦がれてやまなかった金と青にシンタローの真っ黒な眼は引きつけられる。そしてそれ以上に、キンタロー自身に視線を奪われた。一体自分の目は何を追っているのか判らなくなる。
シンタローはふと思い立って居住まいを正し、まじまじとキンタローを見つめた。
『やっぱ綺麗な金色だよなー…』
そう思いながら少し眩しそうに目を細める。横顔だと、青い眼をしっかり確認できないのが残念だ。そんなことを考えながらキンタローを見つめていると、シンタローの視線に気付いた半身が振り向いた。
綺麗なブルーがシンタローを見つめる。
『眼も綺麗だなー…何か青い宝石みてぇだな…』
黙って見惚れていると、だんだん青と金しか目に入らなくなり───気付けばキンタローの後ろに天井が見えたシンタローだった。押し倒されたことに漸く気づき慌て出す。
「な…何だヨッ?!キンタロー」
「いや、お前が横で正座をしながら無言のまま俺を見つめているから……てっきり誘っているのかと思ったんだが…」
「どんな誘い方だよバカタレッ!!」
「違うのか?ずいぶん可愛い誘い方をしているものだと思って、これは期待を裏切らずに俺も応えなくてはと考えたのだが…」
「何の期待だッ!!」
突っ込みと共に蹴り飛ばそうとしたシンタローだが、上手くかわされ完全に組み敷かれた。
軽くじゃれ合いながらキンタローはそのまま口付けようと近づいた。だが、目を見開いたままのシンタローに目と鼻の距離で抗議する。
「目を閉じろ…」
「んー…だって綺麗だからサ、見てたいじゃん」
「………………何の話だ、シンタロー」
会話が繋がらないと思ったら、シンタローの手がキンタローの頭に伸びる。金糸の髪に指を絡めながら、キンタローの眼と髪を交互に見つめた。
「綺麗なブルーと金だよな」
一体先程から何を見ているのかと思っていたキンタローだが、この台詞でようやく納得がいった。そういえば、今日は一日シンタローの視線を感じていたように思う。
キンタローの髪を指で何度も梳きながらシンタローは微笑を浮かべる。
「ちいせぇ頃スゲェー憧れてて、欲しかったなぁ…って思ってサ」
そう言いながら幼き日の自分を思う。
今となれば何であんなに憧れたんだかと思うのだが、それも幼いが故のことだったのだろう。周りが持つものと同じものが欲しかったのだ。今は見てくれなどどうでもいいと思えるのだが、それでも当時を思い出すと必死だった自分に少し切なくなる。
そんな心情を知ってか否か、シンタローを見つめていたキンタローが口を開く。
「欲しいならやるぞ」
キンタローは自分の髪に指を絡めていたシンタローの手を取って口付ける。
「やるって?」
それから、疑問に眼を瞬かせたシンタローの目蓋へ口付けを落とした。次に頬へ移動する。そして、くすぐったそうに眼を細めたシンタローにしっかり視線を合わせるとシンタローの疑問に答えるように自分自身を指さした。
シンタローが意味を理解するまで、一瞬の間が空いた───。
実際、こんな仕草が様になるような男は、そうはいないだろう。まるで映画のワンシーンのようだ。
いつもは恥ずかしさの余りキンタローの言動に文句ばかりのシンタローも、そんなキンタローに見惚れて固まってしまった。頭の中が真っ白になり、鼓動が早くなる。
薄紅に染まったシンタローの頬を優しく手で触れ、それから今度はキンタローが漆黒の髪に指を絡めた。
「勿論、俺ももらうが…」
キンタローの長い指から流れ落ちるシンタローの髪にゆっくりと口付けを落とす。
「そういう意味じゃ…」
キンタローの台詞に否定の言葉を投げつけようとしたシンタローだが、その台詞は弱々しく響く。
目の前にいるキンタローの全ての動作から、シンタローは目を離せずにいた。
青い眼が臥せられる瞬間。
愛しげに口付けを落とす瞬間。
そして、その眼が再びシンタローへ向けられる瞬間───。
自分ばかりが惚れていると思ってしまうほどに跳ね上がった心臓がおさまらない。自分の上に乗り上げ、それでもいつもと変わらず涼しげな表情のキンタローから目が離せない。見つめてくる青い眼から視線を逸らすこともシンタローは出来なかった。
『あー…チクショー…カッコイーじゃねーか、コノヤロー』
いい男だ、と溜息が出るほど心の中で認めた後、シンタローはキンタローの首に腕を絡めようとしたが、それよりも先に唇を奪われた。
昼間の車の中と違って邪魔する理性は何処にもない。
逃げる間もなくあっさり舌を絡め取られ、己に乗り上げた半身が自分を求めて本性を現し、荒々しい獣にだんだんと変わる姿を見て、このままこの男に食われてしまいたいと、シンタローは心の中で思った───。
手に入らない宝物のような思いで見てきた、髪と眼。
昔はそれでウジウジしていることもあったような気がするが、今となってはどうでもいいことだ。
そうシンタローは思っているのだが、それでも金色の髪と青い眼につい反応をしてしまうことが偶にある。
『気にしているわけじゃねぇけど…気になんだよなぁ…』
シンタローは目の前にいる涼しげな顔をした金髪碧眼の恋人を見ながらそう思った。
世間一般で恋人同士である二人が、空いた時間を一緒に過ごすのは珍しいことではない、というより普通だ。
これはシンタローとキンタローも同じである。
二人には、完全なる休みという日は滅多にないのだが、少しでも自由に使える時間が出来ると、食事を一緒にとったり、他愛もない会話を楽しんだり、手合わせをしたりと二人の時間を楽しむ。夜に互いの部屋を行ったり来たりしてよろしくやることもしばしばだ。
よくグンマに「また仲間はずれにしたーッ」と拗ねられるのだが、仲が良い従兄弟と過ごす時間と恋人同士の時間は全く別物なのだから仕方がない、ということにしている。
そして、この二人の場合、仕事上の関係でも行動を共にすることは珍しいことではない。ガンマ団の新しきトップとそれを補佐する者なのだから、仕事上の絡みは、プライベートよりも遙かに多いと言っても過言ではない。
この日も例にもれず、シンタローとキンタローは一日ずっと行動を共にしていた。
いつも通り予定が詰まっている日であった。
朝一で目を通さねばならない書類の束、昼過ぎに呼ばれている会合があり、その前に一度支部へ立ち寄りたい。更に会合の後、本部へ戻りその頃には届いているはずの書類に急いで目を通して、そのまま夕方からの会議へ出席だ。移動時間も端末からデータを呼び出し報告書に目を通さなければ、仕事が追いつかない状態である。
一度遠征に出てしまうとなかなか戻ってこない二人なだけに、本部にいる間は、こういった予定が次から次へと舞い込んでくる。書類や会議は別として、会合や会食はひっきりなしに呼ばれるのだ。
朝から細かい文字を目で追うのはいまだに億劫だ、と思いながら、シンタローは紙の束を机の上に置いた。嫌だからと言って読まないわけにはいかないので、こういうものは集中してさっさと片付けるに限るのだ。今日はこれよりも気が滅入る会合が昼に待っているのだから、こんなところで既に疲れている場合ではない。
読み終えた書類をまとめて置くと、視界の端に、窓から入り込む陽光を反射する何かが映る。それは確認するまでもなく、半身の金色の髪の毛が眩しく輝いている証拠であった。
キンタローに視線を向けると、黙々と書類を読み進めているところである。ちらりと見た限り、残すところ後数ページのようだ。
ひとまず自分の仕事を終えたシンタローは、最初キンタロー髪の毛を見つめていたが、だんだんとその思考が半身そのものに奪われていった。
キンタローが大人しく書類を読んでいる姿は正に『出来る男』を思わせて、それだけで格好良く目に映る。ビジネス雑誌の表紙を飾りそうな絵になっているのだ。
『まぁ、随分と化けたもんだよな…』
凶暴で手を付けられないキンタローを知っているだけに、この様に紳士的な姿を目にすると、シンタローは何となくおかしくなってしまう。シンタローも社交の場では上品に振る舞ったりするが、この男の化けっぷりには到底敵わないと思うのだ。
「シンタロー」
ふいに声を掛けられて、シンタローの意識が現実に戻る。
「ん?」
視線をそのまま返事を返すと、キンタローはシンタローの方を向かずに言葉を続けた。
「さっきから何を見ている?」
「…へ?」
キンタローの質問にシンタローは間抜けな声を出す。
最後の一枚を読み終えたキンタローは、書類を丁寧に整えると、青い眼をシンタローに向けた。
「お前の視線だけはよく判る」
「……………」
「何を見ていたんだ?」
「……………なんでもねぇよ」
一言で言えば「見惚れていました」というわけなのだが、陽も昇りきっていない午前中から総帥室でシンタローがそんな言葉など口に出来るはずがない。キンタローならばそういった台詞がサラリと出てくるのだが、シンタローはそうもいかない。
質問に答えず視線を逸らすと、微かに笑う気配を感じた。
今キンタローの方を向けば、微笑というレアな表情の半身を目にすることが出来る。だがしかし、視線があった瞬間、流れからいって自分が赤面する羽目になるのだ。
「クソ…可愛くねぇー…」
シンタローは小さな声で悪態をつき、キンタローへ視線は向けず「終わったんなら行くぞ」と促して、総帥室を出ていった。背後でしっかりと笑う気配を感じたが、シンタローは無視を決め込んで歩いていった。
本部を出てから支部へ立ち寄るまでは順調だったのだが、その後の会合はシンタローにとって、この上なく非常に疲れるものであった。
昼間に出席した会合は、同業者同士のものだ。
こんな陽が高い内に揃いも揃って暇なもんだとシンタローは思うのだが、実際に手足となって動くのはその下の者達である。案外、こういった荒事を生業とする組織以外でも、上というのは時間があるものなのかもしれない。全員がと言うわけではないが、報告書しか読まずに、現場の実態が上に届かないというのはよく聞く話だ。
現ガンマ団トップのシンタローはどうかといえば、現場にはいる。従って、実状がどうであるかきちんと把握しているところは、下で働く者達にとって非常に有り難い。それは有り難いのだが、シンタローは大将であるにも関わらず、先陣切って突っ走る。難解であればあるほどスピードが速い上、皆が無理だと悲鳴をあげるような所も一人で突き進んでしまう。それは非常に有り難くない話だ。周囲の者は心臓がいくつあっても足りないと思うのだが、それで勝利を収めるのだから文句を言っても聞かない。無能とは違うのだろうが、これはこれで問題な上司なのであった。
シンタローが揃いも揃ってと思った会合だが、内容自体は有益なものである。
同業者同士馴れ合うわけではないのだが、やはりギブアンドテイクで、どの時代も情報交換は必要なのだ。ガンマ団総帥の立場からしても、シンタローはそれを解っているからきちんと出席する。一団体として、周囲との繋がりもきちんと作っておかなければならないのだ。
だがしかし。互いの立場を理解し、礼儀を守った上での会話なら問題はないのだが、人が集まるとはみ出る者は何処にでもいるものだ。
この会合も同じで、有益な会話の分だけ、無益な関わり合いも生じた。今回は新参者も多かったからかもしれない。見慣れない顔をいくつも見た。
利益のみを考えて人や組織と付き合うわけではないのだが、こうも相手が露骨だと「無駄だ」と切り捨ててしまいたくなるのだ。
相手の邪な思惑をを上手く会話でかわすことが出来ればいいのだが、シンタローはどうしても拳が出そうになってしまう。自分の短気は考えものだよなと思うのだが、ガンマ団総帥としてこれでも充分我慢している方なのである。
こんな総帥をキンタローが補佐して、これといったもめ事も起こらず和やかに時間が過ぎていくのだが、シンタローとしては、それはそれで微妙な気持ちなのであった。
『いつの間にこんな会話術を身に付けたんだか…』
キンタローは総帥に付き従う基本姿勢を崩さない。場の流れから二人別々になることもあるのだが、最終的には必ず傍にいる。
『随分とまぁ…優秀に育ったもんだ…』
キンタローの会話を聞きながら、シンタローも社交用の穏やかな笑みを浮かべた。
キンタローが傍を離れると、ふとした瞬間目が追ってしまう。
人の合間を縫って視線が重なった瞬間、微かな笑みを目元に浮かべられ、思わず心臓が跳ね上がった。
『本当にまぁ…随分格好良く育ったもんだナ…』
心の中で溜息をついたシンタローだった。
無事に会合も終わり、後は本部に戻って書類と会議だけだと、ホテルを出てから用意された車に乗り込もうとしたシンタローだが、肩を掴まれて振り返る。
己の背後には無表情のキンタローがいた。
「俺が運転する。少し時間に余裕があるから寄りたいところがある」
「寄りたいところ?何処だよ?」
「………ついて来い」
そう一言残してキンタローは歩いていってしまう。
シンタローは運転手に軽く挨拶をしてチップだけ渡すと、慌ててキンタローを追いかけた。
ホテルの裏手に回ると、何時の間に用意したのか一台の車の前でキンタローが待っている。レンタルなのだろうが、ネイビーブルーのそれはキンタローによく似合っているように思えた。
唐突な行動に文句の一つでも言ってやろうかと思っていたシンタローだが、その立ち姿に気がそがれてしまう。思わず下を向いて苦笑してしまった。
「カッコイーじゃねぇか」
文句を言うのは諦めて、少し離れた位置からしげしげと見つめながらシンタローは素直な感想を口にした。対するキンタローは表情一つ変えずに答える。
「車がか?」
「…さぁな───この車はお前が選んだの?」
「いや。そこのレンタカーのものなんだが…」
そう言ってキンタローが向けた視線の先を見ると一軒のレンタカーが見えた。この様なホテルの裏通りとは随分と変なところにあるように思えたが、廃れているようには見えないのでそこそこ利用者がいるようである。
「スピードが出るものを頼むと言ったらこれになったんだ」
店員がキンタローを見てこれを選んでくれたのかなと思いながら、次の瞬間今の台詞に聞き流せない一言があったことに気付く。
「キンタロー…スピードって何だ?」
「……………」
シンタローの質問には答えずにキンタローはさっさと運転席に乗り込んでしまう。
何か良からぬ事を考えているなと思ったシンタローだが、乗る以外に他ない。ここから車で本部へ戻るには結構な時間が掛かる。シンタローは、直ぐ傍にあった自動販売機で缶コーヒーを二つ買って、仕方なく助手席に乗り込んだ。
走り出しは穏やかなものだったが、大きな道に出ると、周りにあまり車がないのをいいことにキンタローはどんどん加速していく。シンタローもスピードを出す方だから文句は言わなかったが、キンタローらしくない運転だ。
チラリと横を見ると明らかに不機嫌な紳士がいる。
『さっきまで普通だったと思うんだけど……やっぱ何かあったかな?』
先程の会合を思い出してそう思う。始終穏やかそうに見えたキンタローだが、内面は自分と良く似たものを持つのをシンタローは知っている。
暫く黙って横で大人しくしていたシンタローだが、周りに車が一台も見えなくなると買ってきたコーヒーを飲みながら口を開いた。
「───で、キンタロー。どこに寄るつもりだって?」
キンタローの台詞はあの場を難なく立ち去る為の口実だと判っていたが、シンタローはあえて口にしてみる。何と返してくるかと思えば、
「ただの口実だ」
と不機嫌な声が戻ってきた。声のトーンが随分と低い。
機嫌の悪さがよく判ったシンタローはいたずらに刺激しないよう、率直に疑問を口にした。
「何をそんなに怒ってんだヨ?」
シンタローの指摘で更に気配が嶮しくなる。返答は返らずに暫く黙りかなと思ったシンタローだが、車の中は二人きりだ。特に気を遣う必要もないと思ったのか、キンタローは直ぐに応えた。
「不穏な輩が多すぎる…」
キンタローの唸り声に『やっぱりさっきの会合で何かあったんだな』と思いながら会話を続ける。
「まぁ、同業者、やってることがやってることだし…」
「それじゃない」
シンタローの台詞を不機嫌な声が遮った。あからさまに不機嫌な声だったが、シンタローは特に腹を立てることもなく、じゃぁどれだよと疑問に思いながらキンタローを見る。声は荒々しい響きもち、雰囲気は物騒なものなのに、運転をしている所為でそれが表だって出てこない。機嫌の悪さからいって実際は物騒な猛獣なのであろうが、理性が保たれているおかげで、少し危険な香りをさせる程度に留まっている。不謹慎にも少し見惚れてしまったシンタローだ。
もっとも、それは慣れているシンタローだからであって、他の者ではそんな呑気に捉えられないだろうが───。
運転をしているから視線は合わないが、シンタローが見ていることは判っているはずだ。視線で促されたキンタローは言葉を続ける。
「お前に対して邪な感情を抱く者が多い」
「あー…まぁ、ガンマ団総帥だからな。俺に取り入って甘い汁を吸いたいヤツが出てくるのは仕方ねぇだろ…」
シンタローは総帥になった時、組織の大きさと影響力をあらためて実感した。周りの者が向ける視線が今までと明らかに違うのだ。
反吐が出るほど媚びを売られたり、陥れてやろうと常にぎらついた目を向けられ、己の傘下に入れようと立ちふさがられたり、思惑は様々だが決して友好的でも穏やかなものでもなかった。
シンタローも大人しくそんなものに負けるような性格ではないから、話し合いという名目で、表では穏便に、裏では手荒にかわしている。
「それも違う」
キンタローからまたもや否定の台詞を返されて、シンタローは首を傾げた。
他にこの補佐官を怒らせるようなこととは一体なんだ───。
「じゃ、何だよ?」
そう言うシンタローの台詞に、キンタローはいきなり車を止めた。突然の行動にシンタローはキンタローを凝視する。荒々しく止まった車に真っ黒な瞳が驚きで見開かれた。
「何してんだ?」
シンタローの台詞にキンタローが振り向く。青い眼に激しい感情が表れていた。
「何故、お前は解らないんだ」
「だから何が?」
「こういうことだ」
キンタローはそういって身を乗り出す。反射的に逃れようとしたシンタローを押さえつけて荒々しく口付けた。
『どういうことだーーーッ?!』
シンタローの心の叫びは届かず、激しい口付けはそれだけでは済まなくなる程長く続けられた。解放を望んでも強い力で押さえつけられる。
「キ…ン…」
何とか押しのけようと腕に力を込めたシンタローだが、こうなってしまうとキンタローは梃子でも動かない。気が済むまでシンタローを離さないのだ。こんなところでいいようにされて堪るかと、暫く暴れて抵抗を試みたシンタローだが、結局無駄な足掻きに終わったのであった。
再び走り出し車の中でシンタローはぐったりしている。
その横でいまだに不機嫌なキンタローがハンドルを握っていた。
「何故こうもお前は男を引きつけるんだ…」
不機嫌極まりない声でキンタローは独り言のように呟く。
『お前以外にもこういうこと考えてる男がいんのかよ…』
立ち直れなくなりそうなガンマ団総帥であった。
本部へ戻り、その後の予定はスムーズに流れた。予定通りに届いていた書類に目を通して、時間が掛かると思っていた会議も早々に終わった。
そうして総帥室へ戻ろうとしているところに、一つ急な面会を求められた。何事かと思えばただの会食なのだが、声を掛けてきたのはシンタローが総帥となってから親しく付き合わせてもらっている国の元首だ。彼とは友好的な関係を築けているが、その周りはそうでもない。先のことを考えると顔は出しておきたい。ガンマ団の立場を思って声を掛けてくれて元首に感謝をすると、シンタローはキンタローを連れ立って再び本部を出た。
昼間の会合の件もあって、少し身構えていたシンタローだが、会食は非常に穏やかな雰囲気のもと、のんびりと時間が流れた。元首にあらためて感謝の挨拶を述べ、更にその周りの者と次への繋がりを作ってその場を後にする。
そうして再び総帥室へ戻ってきたときには、後二時間もしない内に日付が変わるであろうという頃であった。途中、若干予期せぬ出来事もあったが、二人にとっては総合していつも通りに流れた日常だった。
そしてその流れのまま、再び書類と向き合おうとして、二人とも流石に大分疲れていることに気付いく。
体力的にというよりは、精神的にといったところだ。それは恐らく、昼間の会合と先程の会食で人疲れをしているように思われた。
先程の会食は特に疲れるような出来事もなかったはずなのだが、万事荒事を得意とする集団なだけに、社交の場は気を遣いすぎて精神力を随分とすり減らすようだ。高級ホテルに寝泊まりする者と野営になれている者とでは決定的に相容れない部分があるのだろう。
シンタローもキンタローもやることは山のようにある。
だが、こんな日にはのんびりした休息の時間が必要だなと思った二人は、急ぎの書類だけさっさと片付け、早々に総帥室を後にした。
遅い時間だが、体を思い切り動かしたかった二人はトレーニングルームで競い合いながら汗を流す。全力でぶつかっても力負けしない相手はこういうとき非常に有り難い。とても良い気晴らしになるのだ。
そしてその後自室に戻りシャワーを浴びて心身共にさっぱりすると、二人はまた一緒にいた。
約束をしていたわけではないが、気が休める場所に落ち着こうとすると、自然と二人は一緒になるのだ。仕事もプライベートも常に一緒となると嫌になりそうなものだが、この二人にとって互いの半身だけは別であった。
これは二人の間では不思議なことではない。一つの体に一緒にいた24年間がそういう作用を起こすのか、横にいても他人がいる感覚にはならないのだ。
そんなわけで、今は二人揃ってシンタローの部屋にいる。
特に何を喋るわけでもなく二人とも無言なのだが、手を伸ばせば届く範囲に揃って座っていた。キンタローもシンタローも雑誌を読んでいる。当たり前だが種類はもちろん異なる。キンタローが手にしているものは最新号の科学雑誌で、シンタローは季節料理を特集した雑誌だ。
適度な距離を心地よく感じながら雑誌を捲っていたシンタローだが、視界の端に入る金色が気になって顔を上げた。今は落ち着きを取り戻したキンタローの端正な横顔が目に映る。
隣にいて、別にコンプレックスを感じていたわけではないのだが、今日は何故かキンタローを目で追っていたような気がする。たまたまそう言う気分なのか、焦がれてやまなかった金と青にシンタローの真っ黒な眼は引きつけられる。そしてそれ以上に、キンタロー自身に視線を奪われた。一体自分の目は何を追っているのか判らなくなる。
シンタローはふと思い立って居住まいを正し、まじまじとキンタローを見つめた。
『やっぱ綺麗な金色だよなー…』
そう思いながら少し眩しそうに目を細める。横顔だと、青い眼をしっかり確認できないのが残念だ。そんなことを考えながらキンタローを見つめていると、シンタローの視線に気付いた半身が振り向いた。
綺麗なブルーがシンタローを見つめる。
『眼も綺麗だなー…何か青い宝石みてぇだな…』
黙って見惚れていると、だんだん青と金しか目に入らなくなり───気付けばキンタローの後ろに天井が見えたシンタローだった。押し倒されたことに漸く気づき慌て出す。
「な…何だヨッ?!キンタロー」
「いや、お前が横で正座をしながら無言のまま俺を見つめているから……てっきり誘っているのかと思ったんだが…」
「どんな誘い方だよバカタレッ!!」
「違うのか?ずいぶん可愛い誘い方をしているものだと思って、これは期待を裏切らずに俺も応えなくてはと考えたのだが…」
「何の期待だッ!!」
突っ込みと共に蹴り飛ばそうとしたシンタローだが、上手くかわされ完全に組み敷かれた。
軽くじゃれ合いながらキンタローはそのまま口付けようと近づいた。だが、目を見開いたままのシンタローに目と鼻の距離で抗議する。
「目を閉じろ…」
「んー…だって綺麗だからサ、見てたいじゃん」
「………………何の話だ、シンタロー」
会話が繋がらないと思ったら、シンタローの手がキンタローの頭に伸びる。金糸の髪に指を絡めながら、キンタローの眼と髪を交互に見つめた。
「綺麗なブルーと金だよな」
一体先程から何を見ているのかと思っていたキンタローだが、この台詞でようやく納得がいった。そういえば、今日は一日シンタローの視線を感じていたように思う。
キンタローの髪を指で何度も梳きながらシンタローは微笑を浮かべる。
「ちいせぇ頃スゲェー憧れてて、欲しかったなぁ…って思ってサ」
そう言いながら幼き日の自分を思う。
今となれば何であんなに憧れたんだかと思うのだが、それも幼いが故のことだったのだろう。周りが持つものと同じものが欲しかったのだ。今は見てくれなどどうでもいいと思えるのだが、それでも当時を思い出すと必死だった自分に少し切なくなる。
そんな心情を知ってか否か、シンタローを見つめていたキンタローが口を開く。
「欲しいならやるぞ」
キンタローは自分の髪に指を絡めていたシンタローの手を取って口付ける。
「やるって?」
それから、疑問に眼を瞬かせたシンタローの目蓋へ口付けを落とした。次に頬へ移動する。そして、くすぐったそうに眼を細めたシンタローにしっかり視線を合わせるとシンタローの疑問に答えるように自分自身を指さした。
シンタローが意味を理解するまで、一瞬の間が空いた───。
実際、こんな仕草が様になるような男は、そうはいないだろう。まるで映画のワンシーンのようだ。
いつもは恥ずかしさの余りキンタローの言動に文句ばかりのシンタローも、そんなキンタローに見惚れて固まってしまった。頭の中が真っ白になり、鼓動が早くなる。
薄紅に染まったシンタローの頬を優しく手で触れ、それから今度はキンタローが漆黒の髪に指を絡めた。
「勿論、俺ももらうが…」
キンタローの長い指から流れ落ちるシンタローの髪にゆっくりと口付けを落とす。
「そういう意味じゃ…」
キンタローの台詞に否定の言葉を投げつけようとしたシンタローだが、その台詞は弱々しく響く。
目の前にいるキンタローの全ての動作から、シンタローは目を離せずにいた。
青い眼が臥せられる瞬間。
愛しげに口付けを落とす瞬間。
そして、その眼が再びシンタローへ向けられる瞬間───。
自分ばかりが惚れていると思ってしまうほどに跳ね上がった心臓がおさまらない。自分の上に乗り上げ、それでもいつもと変わらず涼しげな表情のキンタローから目が離せない。見つめてくる青い眼から視線を逸らすこともシンタローは出来なかった。
『あー…チクショー…カッコイーじゃねーか、コノヤロー』
いい男だ、と溜息が出るほど心の中で認めた後、シンタローはキンタローの首に腕を絡めようとしたが、それよりも先に唇を奪われた。
昼間の車の中と違って邪魔する理性は何処にもない。
逃げる間もなくあっさり舌を絡め取られ、己に乗り上げた半身が自分を求めて本性を現し、荒々しい獣にだんだんと変わる姿を見て、このままこの男に食われてしまいたいと、シンタローは心の中で思った───。
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