昼間は明るく賑わっていて穏やかに感じられる街でも、夜になるとガラリと顔を変えることがある。その表情も街によって異なるが、話に聞くとそんなに珍しいものでもない。
この街は、夜だけと言わず昼間でもひどく物騒な街であった。街中の至るところに新旧問わず弾痕が残り、破壊された建物の破片が転がっている。街の中には穏やかとは縁の遠い雰囲気に包まれた者達ばかりがいた。余所から来るのは腕に覚えのある者ばかりで、それ以外の者達は忌避するような街だ。
そんな街に、そろそろ夜の帳が下りようかという頃、響き渡る銃声と共に長い漆黒の髪を持つ青年が街の中を疾走していた。銃を握った男達の集団が一人の青年を追いかけ回しているのだ。
その青年を追いかける集団は十人を越える大人数であった。多勢に無勢である。
薄暗闇に包まれた街中で、様々な怒声と共に銃を構えた見るからに物騒な男達の大行進が開催されているわけだが、この人数をもっても青年に決定打を浴びせることが出来ないでいた。
ここは腕に覚えがある者以外近寄らない街であるから、この青年はそれなりに出来るというわけだが、それなりどころか誰が見ても双方の力の差は歴然としていた。
男の集団が足音煩く走り回る中、追われている方は何とも軽快な動作で逃げていくのだ。この青年は周囲にある建物や看板、柱や電灯など様々なものを巧みに使って相手の攻撃を躱している。そこまで動作が軽やかだと軽量級の人物を思い浮かべそうだが、この青年は百九十を越える長身の持ち主で、がっしりとした体つきは誰が見ても重量級の人物であった。
黒髪の青年は、普段赤い衣に身を包んでいるのだが、今は全身黒衣を纏っている。ぴたっとした細身の作りで、この青年の鍛え抜かれ引き締まった見事な体躯がそれによって強調されていた。
青年は見た目からはとても想像がつかない敏捷な動きで追いかけてくる集団から距離を広げているのだが、如何せんこの街は相手の庭と言っても過言ではない場所だ。追いかけてくる男達から逃げられたと思っても、街中の至るところから仲間と思しき人物が出てきては攻撃を仕掛けてきて、完全には捲くことが出来ないでいた。罵声を浴びせる男の野太い声や煩く鳴り響く銃声を引き連れて、かなり派手に街中を大移動するはめになっている。
大通りから路地に入り、入り組んだ道を走り回っては、また大通りに出るというのを何度か繰り返し、再び路地に入って少し走ったところで青年の名前を呼ぶ声と共に腕を引っ張られた。
「っわッ」
簡単に捕らえられるようなスピードで走っていなかっただけに、いきなり強い力で腕を引かれて青年はぎょっとした。咄嗟のことで体勢を整えることが出来ず、相手に向かって倒れ込むような勢いで思い切りぶつかった。そしてそのまま転ぶかと思った巨体は、逞しい腕と胸に支えられて一旦止まった。
「シンタロー」
再び名前を呼ばれて自分の体を抱き留めた相手を見れば、見慣れた金髪と青い眼が自分を見つめていた。
「キンタロー」
安堵の息を吐くのも束の間、追われる身であるシンタローはキンタローに促されるままその細い道を共に走り抜けていった。
キンタローのおかげで追っ手を巧く捲いた二人は一旦地下水路に身を隠した。無言のまま暫く歩き続けると、どちらともなしに足を止める。特に全速力で走り続けていたシンタローは、人並み外れた体力の持ち主といえども流石に息が荒くなっていた。
大きく息をしながら壁にもたれ掛かって体を休める。
暫くその状態でじっとして何とか呼吸を落ち着けると、シンタローは傍に立つキンタローに笑みを浮かべた。
「サンキューな。助かった」
感謝の気持ちが表れた短い一言だったが、キンタローはシンタローをじっと見つめながら距離を詰めると相手を逃がさないように壁に押し付けて、恐ろしく低い呻り声を上げた。
「そう思うのなら無謀なことは止めろ。うちはいつから「人さらい」も仕事になったんだ?」
更に顔を近づけながらシンタローを鋭い視線で睨み付ける。普通の神経の持ち主なら震え上がって失神しそうなほど威力がある眼光だったが、シンタローからは微塵も堪えた様子が窺えなかった。
「人聞き悪ィこと言うなよ。俺は話し合いの「場」をセッティングしただけだろ」
「ふざけるな…ッ」
反省している様子もないシンタローに怒り心頭のキンタローは胸ぐらを掴んで更に怒気を露わにした。
「何が話し合いの場だッ」
キンタローは今にも殴りかかりそうな勢いだった。シンタロー以外の人間ならば、こんなにも激昂したこの男を目の前にして、ここまで暢気な様子でこの場に留まってなどいられないだろう。
キンタローが何故こんなにもシンタローに対して憤懣をぶちまけているのかといえば、今回受けた依頼が原因であった。
規模を問わず、様々な組織から多様な依頼を受けるガンマ団なのだが、今回はある地域の大きな街にある民間団体からの依頼であった。
その民間団体はここ半年ばかり、その街で絶大な勢力を奮っている組織から不用な圧力がかかるようになり、衝突が絶えなくなっていた。ここのところ特に血が流れるような事件が多発しており、死人が出る前に何とかしたいということであった。
仲介を頼まれたのである。
以前は何事においても被害が拡大して事態に収拾がつかなくなってからの依頼が多かったのだが、その功績あってか、最近はその前段階での依頼も少しずつだが増えてきていた。おかげで無駄な血を流さずに解決できる依頼も見られるようになってきている。従って、こういった依頼内容は、最近のガンマ団には珍しくもなく、内容としても特に難あるものではなかった。
依頼主がいる街はガンマ団本部からかなり離れた地にあるのだが、依頼人はわざわざ遠くからこの本部を訪れてきた。総帥に会って直に話をしたいという依頼人は珍しくもない。しかし、命を狙われることが少なくはない総帥であるから、約束なしで訪れた人間からの面会はほとんどが門前払いで、聞き届けられることは稀であった。
この時シンタローはいつも通り本部にいて、普段ならば総帥室で缶詰状態にあるのだが、この時は偶々空き時間が出来た。そして依頼人にとっては幸運なことに、所用があってエントランス付近にいたのだ。
普段ならば来客の応対は一般職員がするのだが、何やら必死な様子の依頼人に気付いてシンタローが近寄ってきた。総帥の姿を見た職員は「しまった」と思ったのだが、時は既に遅く、依頼人の姿を見てしまえばシンタローがノーと言うはずがない。従って、幸運にも希望通りガンマ団総帥に直に会って話をすることが出来たのだ。
シンタローが依頼内容を聞いているとき、もちろんキンタローもその場にいて同じように話を聞いていた。その内容に問題があるように感じられなかったキンタローは、シンタローの性格からしてこの依頼を受けるのだろうなと思った。そこまでは別に良いと今でも思っている。
その時はその場で直ぐに返答はせず、後日回答すると約束をしてその日の話は終わった。
それも珍しいことではなく、その後キンタローは依頼内容の裏をとるように関連資料を集めてシンタローに渡した。そこまでも普段やっていることと何ら変わりはない。
シンタローも普段と変わらぬ様子で資料を読んでいたし、その報告書内で何か疑問に思う点があれば全てキンタローに質問してきた。
それから一週間が経った本日。
キンタローが研究室で仕事をしていると携帯電話にシンタローから着信があった。何故内線ではなく携帯にと疑問に思いながら出ると、電話越しに先日の依頼を受ける旨を聞かされた。
そこまでは良かったのだが、この非常識な総帥は仲介を頼まれた相手組織のトップのところへ単身で乗り込んでくるというのである。電話越しに聞いた普段と変わらぬ調子の「ちょっと行ってくるゼ」という台詞でキンタローはめまいを起こしそうになった。
携帯からの連絡だったのは、既に本部から抜け出した後だったのだ。
はっきり言って団員全員が即倒ものの話であった。
そして「ちょっと行ってくるゼ」の内容が何かと言えば、先ほどキンタローが言ったとおりで、その組織のトップを力ずくで拉致したのである。用意周到に民間団体のトップをこの街に呼び寄せており、話し合いの場として指定した街の外れにある店へ連れていったのだ。
シンタローは依頼主に一対一で話をすることを条件として提示しており、向こうもその条件をのんでこの店には代表が一人で来ていた。この店の周囲にはガンマ団から選りすぐりの団員を要所に配置して警備を固めてある。団員達も総帥命令とあっては聞かないわけにはいかなかったのだろう。シンタローと合流する前に団員達の見つけたキンタローだが、この補佐官の姿に気付いた団員達の気まずさといったら心底気の毒なほどであった。
こうしてシンタローは、存分に話し合ってくれと言わんばかりの場を、見事一人でセッティングしてのけたのであるが、問題はその結果、トップをさらわれた組織の部下達が、当たり前だがシンタローを必死の形相で追い回すことになったということである。
だが、これはどう考えてもシンタローのやり方に問題がありすぎる。総帥を補佐する立場のキンタローが激怒するのも当然の話であった。
「お前は前代未聞の無謀者だぞ」
「無謀じゃねーだろ?ちゃんと二つの組織のトップ同士が話し合える場を作って、今現在二人はお話中。話し合いの時間もリミットがあるから、俺はそれまで逃げ切ればミッションクリアと」
「馬鹿を言うな。話し合いが決裂したらお前は完全に蜂の巣だ」
「決裂しねーって」
「何を根拠にそんなことを言える」
目の前で低く唸るキンタローにシンタローは一瞬だけ何か考える素振りを見せたが、普段と変わらぬ様子で口を開いた。
「知った顔なんだよ。両方とも」
シンタローからの予期せぬ言葉にキンタローの動作が止まる。青い眼が大きく見開かれ、その端正な顔には驚きの表情が張りついた。
「じゃなきゃ、依頼とはいえ遙々遠くからわざわざ俺に会いに来ねーだろ?うちまでこなくても、もっと近くに同業者はいるんだからサ」
シンタローの顔には何かを懐かしむような表情が浮かべられていた。
「………どこで知り合ったんだ?」
「そりゃぁまぁ………お前なら判ンだろ?」
言葉を濁しながらもシンタローは笑った。察するに、昔に何かやらかしたときの仲間と言うことなのだろうが、はっきり言葉にされなくともキンタローが共有する記憶の中から何となくいつの頃の仲間なのかが判った。父親と衝突しては飛び出し捕獲されるというのを何度も繰り返していた時期の仲間だろう。
「ま、だからさ。そんなに怒ンなよ」
そう笑みを浮かべたシンタローは、目の前の金糸の髪に手を伸ばして優しく梳くと頭を撫でた。少々誤魔化す意味合いも含まれた行動なのだが、シンタローはこれでこの件を終わりにするつもりであった。
一応、無茶をやった自覚はあるのだが、いつまでも説教を食らうのは御免である。シンタローとしては今のところ順調に物事が進んでいると思っているので、この辺りで話を切り上げてお終いということにしようとした。
だが次の瞬間、壁に押し付けられていた体は、苦しそうに顔を歪めたキンタローに力強く抱き締められていた。
「…キン…」
「…そういうことは先に言え…ッ」
縋り付くように、だが強い力で抱き締めてくるキンタローに、最初は驚いたシンタローだったが、どれだけ時間が経っても離れる様子がない相手に、さすがのシンタローも先ほどのように調子良く言葉を続けることが出来なかった。
「お前を心配した俺の気持ちはどうなる…ッ」
シンタローの肩に顔を埋めて何かを堪えるように体を震わせるキンタローの姿は痛々しく感じられた。
「……キンタロー…」
宙を泳いでいたシンタローの手が暫くしてキンタローの背に回されると、キンタローは更にきつく抱き締めてきた。あまりにも強い力に体は痛んだが、シンタローは大人しくされるがまま抵抗はしなかった。
「何故俺に黙っていた…」
「それは…」
「お前のかつての仲間ならば…そう一言あってもいいじゃないか…」
シンタローは言葉に詰まる。黙っていたことに深い意味はないからだ。
それでもあえて言うならば、今回やらかしたことは計画段階で話をすれば「無謀だ」と怒られる自覚があった。それで自分の行動に制限が掛かるのは困るなと思ったシンタローは、どのみち怒られるのならば実行後の方がいいと考え、深くは考えずに黙っていたのだ。キンタローに怒られるのが日常茶飯事に近い総帥は、まぁいつものことだろというくらいにしか思っていなかったのである。
だからキンタローが怒り露わに剣呑な雰囲気で迫ってきても、どれだけ鋭い眼光で睨まれようとも、怒られることを覚悟していたシンタローには堪えた様子が微塵もなかったのだ。
しかし、こうやって抱き締められることは予想していなかった。
いつも通り、こっぴどく怒られて終わりだと思っていたのだ。
「キンタロー…お前どうしたんだよ?いつものことだろ?俺がこんなんなのは」
「いつもだと?お前は…いつも……あんな鉛弾が飛び交う中を走り回っているというのか…ッ?」
「へ?だって…」
シンタローは何か言おうとして再び口を噤んだ。
そこでふと思い当たる。
もしかしたら、キンタローはこんな現場をリアルタイムで見たことが、いままで一度もなかったかもしれない。今の台詞で『そーいや全て事後報告で済ませていたような気がしなくもねぇな』と思ったシンタローである。
先に話せば怒られると思って「報告は後回し。何事もばれない限りは黙ってろ」精神でやっているといっても過言ではない。無理・無茶・無謀の三拍子を揃えた行動をしている自覚は一応あるので、子どものいたずらのようにばれるまで黙りを決め込むことが多々あるのだ。
尤もそれは、黙っていてもキンタローには確実にばれるからという理由もあったりするからなのだが───。
基本は黙りなのだが、今回は依頼人と話をしている場にキンタローがいたこともあって依頼を受ける旨は伝えなければと思った。更に気分屋なところがあるシンタローは電話越しなら止められることもないだろうと、珍しく事前報告をしたのだ。
いけると思えば単独でも突き進むシンタローで、そんな行動についてよくキンタローに怒られているから、勝手に相手は知っている気になっていたのだが、今のキンタローの様子を見る限り実際は違ったようである。
シンタローは細かく気にしていなかったので全く気付かなかったが、大体は事後報告、キンタローの元へ戻ったところで怒られていたのだ。
『あー…失敗した…』
キンタローが自分のことを心配しないわけがないということを日常の彼の台詞から判るはずなのに、見事にそこが抜け落ちた。こんな辛そうな姿をさせるくらいなら、もっと前から先に言う形を取れば良かったと後悔をした。
「…悪ィ」
これでは言い訳も何も出来ないと思ったシンタローは、静かな声で潔く謝った。そして背中に回していた手に少し力を込める。シンタローがしっかり抱き締めると、キンタローは顔を上げて至近距離で見つめてきた。
「…何故黙っていたんだ…?」
「それは……深い意味はねぇーよ。ただ、先に言ったらお前怒ンだろ?」
「当たり前だ」
「だから、俺は…」
シンタローは反論しようとしたのだが、キンタローが微かにまだ震えていることに気付いて直ぐに口を閉じた。
背中に回していた手を頭に移動して引き寄せながら目を閉じると、キンタローの唇にそっと触れた。
一瞬の間の後、直ぐに離れる。
「その…俺が悪かった…次から事後報告じゃなくてちゃんと事前報告にする…」
「………お前は…無謀なこと自体止めるとは言えないのか?」
「言わねーよ」
シンタローはそう言って優しげな笑みを浮かべながらキンタローの額に己の額をコツンとあわせた。
「これからは事前報告にするからいいだろ?」
少し黙って考えたキンタローは言葉では何も言わずに一つ頷いた。随分勝手な言いようであるが、シンタローらしい。キンタローとしては蚊帳の外にされないのならば、それでも構わなかった。
「それは、お前が突っ走る前に俺が止めても良いということだな?」
キンタローは念を押すように問いかける。
「あぁ。そのかわり、勝算がゼロじゃなかったらお前も協力しろよ?」
「…シンタロー…」
「頼りにしてンだからいーだろ?仲良く共犯な」
そう調子よく言われると丸め込まれた感が否めないキンタローだったが、額を合わせたまま至近距離で浮かべられた笑みも声も、向けられる全てが優しく感じられて、キンタローは結局また頷いた。
シンタローは総帥であるにも関わらず危険事に率先して突っ込んでいく。端から見ていれば、あえて危険事を選んで行動しているのではないかと思えるほど、躊躇うことなく飛び込んでいってしまうのだ。
それでも無事に戻ったから別に良いだろと言われてしまうと、待つ方の身としては心臓がいくつあっても足りない。この男を止めることは出来ないというのならば、キンタローは力になりたいと思っているのに、何も言わずに単独で走っていかれては傍にいる意味がなくなってしまうのだ。後ろで指をくわえて見ていることしか出来ないのが、キンタローには一番辛かった。
あんな場面を見てしまった後では何も知らされずに待っている方が遙かにしんどい。
共犯と言うことは、どんなときでも傍にいることが出来るのだから、例え銃弾が飛び交う中であってもただ一人後方で待つよりは安心感が得られる。どんな場所でもシンタローと一緒がいい、キンタローはそう思った。
次からはきちんと話をするというシンタローを信じて、キンタローは少し顔を離すと相手をじっと見つめた。
青い双眸に静かに見つめられると、シンタローが察したように目を閉じ、キンタローも同じようにゆっくり目を閉じながら再び顔を近づけて、今度は自ら口付けた。
そのままキンタローに深く求められてもシンタローは一切抵抗をしなかった。これでキンタローが落ち着くのならば好きにして構わないと思い、腕を絡めて自らも強く引き寄せた。元々キンタローには甘いシンタローである。本人も自覚しているのだが、受け入れ態勢になると何処までも甘くなるところがある。
キンタローは強く抱き締めていた体をゆっくりとまた壁に押し付け、余裕無く求める。そんなキンタローをシンタローは優しく抱き締めた。自分の理性まで持っていかれないように気を付けながら、相手を宥めるように背中を撫でる。
少しの間それを繰り返して、キンタローが落ち着きを取り戻してきたかと思う頃に、シンタローはいきなり足を割って入られた。驚くよりも先に体を密着させてくる。キンタローの太股がシンタローの中心にあたって体がビクリと跳ねた。
「んッ…キンタロー…」
何をするつもりなのかと問う前に、今度は胸元を勢い良くはだけさせられた。上着に付いているベルトにファスナーが引っかかって上半身全てが露わになったわけではなかったが、胸元はしっかり外気に触れてひんやりとした冷気を感じる。何事かと思ってキンタローを見ると、いやに真面目くさった顔をしてシンタローを見つめていた。
「シンタロー…お前、怪我はしていないのか?」
「…は?」
「あれだけ銃弾が飛び交う中にいたんだ。怪我の確認をさせろ」
「はあぁ?」
今の行動は誰が考えても怪我の確認をするためじゃないだろうとシンタローは思ったのだが、キンタローの手が胸元に触れてくると腰が引けた。が、背面は完全に壁なので逃げ道は何処にもない。
「や、大丈夫だって!どう見ても、俺はピンピンしてンだろ?」
先程までシンタローに縋り付いていた補佐官は何処へ行ったと嘆きたくなるほど、態度ががらりと変わった。落ち着いた途端に次はこれかと、シンタローは身の危険を感じて狼狽する。
「お前はそういうところで嘘をつくから信用ならない」
「ヒデェな、オイ……って、ちょっ…待…ッ」
唇で肌に触れられてシンタローは本気で焦る。相手を引き剥がそうかと思ったのだが、先程の自分を心配して縋り付くように抱き締めてきたキンタローが脳裏に焼き付いていて、シンタローは思うように抵抗が出来なかった。
こういうときに、自分はキンタローに凄く甘いと心底思うのだが、思ったところでやはり拒むことは出来ない。
そうやって何度も『餌食』になってきたのであった。
「キ…ン…タロー…」
名前を呼ぶ声は掠れ、体は思うように動かせず、このままではまずいと頭の中では警報が鳴っているのに、シンタローはキンタローの背に回した自分の腕すら動かせないでいた。
「何で…そんな……っつ…か…怪我なんか…してねぇ…だ…ろ…?」
事実シンタローはあれだけ銃弾が飛び交う中にいたというのにかすり傷一つ負っていないのだ。それは一目見れば判るはずなのだが、念には念を入れているのか何なのか。キンタローは一向にシンタローの体を離そうとはしなかった。
首筋を辿っていた唇が鎖骨へ移動して、そこから胸元へと舌が辿っていく。シンタローは息を詰めて何とかやり過ごそうとじっと耐える。
「シンタロー…お前ならもっと上手くやれたはずではないのか?」
「…ん…?」
ここで口を開けばたがが外れてしまいそうで、シンタローは辛うじて短い返事をする。
「何故…追われる羽目になったんだ?」
キンタローの問いかけで吐息が肌を擽り、また舌が這っていくと、シンタローは体の奧で燻る快感が勢いを増すのを感じた。問いかけに返答することが出来なくて、シンタローは目を瞑って唇を噛み締め、押し寄せてくる恍惚とした感覚を必死になって耐えた。
キンタローはそんなシンタローを下から見上げると、膝を折っていた姿勢をゆっくりと正して閉じられた唇に触れる。舌で促して唇を開かせて中へ入り、迷いながらも逃げるシンタローの舌を捕らえて絡ませていく。
絡み合う濡れた音が耳から浸食していき、それは理性を簡単に喰らい潰そうとする。キンタローから与えられる快楽は抗い難くて、シンタローは震える体を支えられずキンタローに縋り付いた。
『こ…このままいったら…マズ…イ…ッ』
内心では半泣き状態のシンタローなのだが、それでもキンタローを引き剥がす気になれない自分に『俺ってどーなの?』と自虐的な気持ちで問いかけた。怪我の確認が何の確認をしてるんだよと突っ込みを入れたい気持ちもあるのだが、それすら言うことが出来ない。
「シンタロー…」
深く触れ合っていた唇を離してキンタローが名前を呼ぶと、シンタローはゆっくり目を開ける。見つめてくる青い眼は澄んでいてシンタローは少し安堵したが、体を支えてくれる腕に込められた力は強くて、向けられる感情の強さにまた飲み込まれそうになった。相手が他の者でもそうなるのか判らなかったが、シンタローは体が高ぶってくるとキンタローの感情には引きずられやすいのだ。
「キン…タ…」
「シンタロー…お前はならもっと巧く出来るはずだと思うんだが、何故追われていたんだ?」
掠れながらも何とか返事代わりに名前を呼んだシンタローだが、無情とも言えるような問いかけを再び寄越された。これはその質問に答えるまで解放してはくれないということなのだろうか。
『…ヒデェ…』
こういう問い詰め方はベッドの上だけにしろと思いつつも、そんなことは口が裂けても言えないシンタローである。言ったら最後、これから頻繁にやられること間違いなしだからだ。
こんな形をとらなくても普通に聞いてくれればあっさりと答えられたはずなのだが、この状態では会話をすること自体かなりきつい。心の中で『バカヤロー』と思いながらも、シンタローは途切れ途切れに言葉を返した。
「もう…何年も…連絡取……なかっ…から…正面から………ンァッ」
台詞の中の正面という言葉でキンタローが動いた。足で熱を刺激され吐息が洩れる。
『何の拷問だよ…ッ』
自分が何故こんな方向に追い詰められているのかさっぱり判らないシンタローであった。
布越しに感じるキンタローにすら熱を感じて体は欲情していき、確実に退路は断たれていく。
「正面からだと?お前は何馬鹿なことをッ」
「アッ……う…動くな…ッ」
キンタローが意図していなくても、この体の密着具合は少し大きく動かれただけで見事な刺激を与えてくれる。特に間に入られたキンタローの足が悪さをしているわけだが、とにかく逃げ場がないのだ。
「お前はもう少し自重し…」
「ヤメッ…キン…ッ」
肩を掴まれて激しく揺さぶられると、シンタローはもう限界だと言わんばかりの高い声を上げた。
と、その時───。
「ガキがーッ!!!何処行きやがったーッ!!!!」
地下水路一面に、男達の低い声が響き渡った。
『た…助かったーっ』
後一歩遅かったらこんな場所でしっかりことに及んでいましたと、シンタローは正直に思った。崖っぷちも良いところ、理性の破片すら消え失せそうになっていたのだ。
響き渡ったその声にキンタローが臨戦態勢に入りシンタローから離れる。シンタローにとってはおじさん達の野太い声が救いの神となった。そんな声に救われてちゃ世話ねぇなと思いながら、大きく息を吸うと姿勢を正す。そして数秒間目を閉じて意識をはっきりさせると、キンタローを促してこの場から離れた。
シンタローの姿が見えなくなって何処かに隠れたのだろうと、追い回していた男達は手当たり次第探して、その内の何名かが地下水路へ下りてきたのだ。声の数と煩い足音から、そこまで人数がいるようには思えない。目星をつけてここに来たというよりは、下手な鉄砲も数打てば当たる状態で、何人かがここへ下りてきただけのようであった。
シンタローとキンタローは足音を立てないように素早く移動して声が聞こえた方向から離れていく。
「あんなに煩くしていては逃げられると考えないのか?」
移動しながらもキンタローが浮かんだ疑問を口にした。
「普段やってんのが相手を脅して怯んだ所を叩くってやつなんだろ」
「俺達相手にそんな方法では効果がないというのはお前の行動を見ていても判ると思うが…」
「学習能力がねーんだよ、きっと」
相手の人数が少ないと言えども、この地下水路では街中に比べて障害物が少ないので、撃ち合いになると盾に出来るものがないので逃げにくくなる。こういう時こそ相手を撃ち倒せたら手っ取り早いのだが、それはやらないと決めていた。
さてどうしようかと考えたシンタローの心中を察して、キンタローが何か言いたそうにしたが、説教なのは判っていたのでシンタローがそれを阻むように口を開いた。
「俺が上へ出て暴れっからお前は後ちょっとどっかで身を隠してろ。多分、俺が出ていけばここに来た連中も出てくるだろーし…」
どこまでも変わらない調子にキンタローが声を低くした。
「ふざけるな。俺も行く」
「でも面が割れてンのは俺だけだからお前は…」
「さっきの約束をもう忘れたのか?シンタロー」
無謀だと思ったらキンタローはシンタローを止める。だが、勝算があるならばその力を貸す。先程そう約束したばかりであった。それを一時間も経たない内に忘れたとは言わせない。
「お前はまた街中に出て派手にやるようだが、勝算はないのか?」
「まさか」
「ならば、俺が一緒に行っても問題はないはずだ」
「でも…」
「シンタロー、俺はこんな所で一人身を隠すのも、お前の無事だけを祈るのも御免だ」
キンタローにはっきりとした口調で言われると、シンタローは軽く肩を竦めて後はもう何も言わなかった。
声が良く響き渡る地下水路で耳を頼りに二人は移動をする。マンホールが空いている箇所が幾つかあり、そこから男達の声が聞こえる場所を避けて、ようやく一つの開いているマンホールから地上へ出た。
街中にもシンタローを探している男達はいるのだから不用意に出ていくのは危険なのだが、とにかく動作が派手で煩い連中だから、近くにいれば直ぐに判る。シンタロー達が地上へ出たマンホールからは、特に煩い声も聞こえなかったので出ていく分には安全だろうと思われた。とても対応しやすい連中で有り難いと思った二人である。
だが、それも地上へ出る一瞬が安全だっただけで、二人が姿を現すと同時に細い道から何人もの男が出てきて、早々に銃口を向けられる羽目になった。
そこから二人の動作は速かった。特に合図することもなく敵に向かって飛び出す。シンタローが先導する道をキンタローが援護しながら揃って走っていく。絶妙なコンビネーションであった。
シンタローは目の前に現れた三人の男が引き金を引く前に回し蹴りで薙ぎ倒す。その横合いから二人の男が出てくると手を蹴り上げた。その勢いで男の手に握られていた銃が手から離れる。地面に落ちた銃も拾えないように蹴り飛ばして、それは傍にあった溝に見事落ちた。飛び道具だけではなく、刃物をもって殴りかかってくる男達もいた。シンタローはその攻撃も難なく躱すと、一撃で昏倒させていく。拳一つで倒された相手も屈強な男のはずなのに、一人相手に数人がかりでこうもあっさり倒されてしまっては全く立つ瀬がないだろう。
この衝突の騒ぎをききつけた仲間達がまたこぞってこの場に現れたのだが、キンタローは自分も攻撃を仕掛けながらシンタローを見て『これではいつまで経っても反省はしないな…』と内心で溜息をついた。
他ではどうなのか判らなかったが、今対峙している男達に関して言えば、赤子の手を捻るぐらい簡単に倒されていってくれる。おかげで躊躇うことなく銃口を向けて引き金を引いてくれる相手にも関わらず、無駄な殺生をしないで済むのだ。仮に失敗しても自分が怪我を負って終わるのだから団員を動かすよりもシンタローにとっては気が楽なのだろう。普通に考えて目の前の展開はあり得ない状況なのだが、相手が弱すぎるのかシンタローが強すぎるのか、キンタローは悩むところであった。
またもや拳銃片手に男達の集団が現れるとシンタローは一人の手を蹴り上げて銃を空中に飛ばし上げた。直ぐ傍にあった店の横に積まれた木箱を足場に宙高く飛び上がって銃を手に取り、上から狙いを定めて引き金を引く。見事な射撃で男達の手から武器を奪っていった。
キンタローは傍に転がっていた銃を拾い上げると、飛び上がったシンタローを打ち落とそうと狙う男達の手に向かって引き金を引いた。次に、シンタローによって武器を奪われた男達に攻撃を仕掛けて意識を奪った。
「さすがだな、キンタロー」
いつの間に横へ来たのか、シンタローは覇気ある笑みをキンタローに向けた。
「………お前には及ばない」
キンタローが控えめな返事をすると、二人はまたそこから別れて自分たちに向かってきた敵を倒していった。
そして二人が再び近寄った時には周囲が静かになっており、辺り一面かなりの男達が伸びて転がっていた。
「終わりかな…?」
「…終わりだろう」
やっと騒ぎが落ち着いたかと思った瞬間、第二ラウンドスタートといわんばかりに血気溢れるむさ苦しい男達がこぞって集まってきた。流石の二人も絶句する。
これでは埒が明かないと思った二人は乱闘を止めにして、街中を使った障害物競走に切り換えることにした。二人揃ってここは逃げるが勝ちだと考えたのである。
行く手を阻む何人かの男達を殴り倒すと、二人はもの凄いスピードで走り出した。
今度は二人の青年が先導して、銃声と怒声をBGMに、おじさん達を引き連れて大行進をする羽目になった。
「シンタローッお前はもう少しやり方を考えろッこれではいつまで経っても収拾がつかないッ」
シンタローと並んで勢い良く足を動かしながら、キンタローは抗議を上げた。
「後ちょっと逃げ切ればタイムリミットだから頑張れよッ!その時間に待ち合わせた場所へ行けばミッションクリアだぜッ」
対するシンタローは慣れた様子で走っている。
「ふざけるなッ問題はそこじゃないッ」
「文句あんなら下で待ってりゃ良かったじゃねーかッ」
「………お前はいじわるだ…」
キンタローに睨まれるとシンタローは笑いながら相手の背中を叩いた。
「期待してんだから頼むぜ?相棒」
思わず見惚れるような笑みを浮かべると、シンタローは更にスピードを上げて前に躍り出た。そして前方から刃物をちらつかせてやってくる巨体の男達を殴り倒す。後方に続いていたキンタローは横合いから出てきた男達の応戦をした。
倒しても倒しても現れるシンタローの昔の知り合いの部下たちの多さに、キンタローは正直驚き覚えた。どれだけ大きなファミリーを構えているんだとげんなりしてくる。会話をする余裕などないくらい切羽詰まって逃げているはずなのだが、キンタローは思わずシンタローに問いかけた。
「シンタロー…お前はあんな短時間でこんなに恨まれるようなことをやらかしたのか?」
「んなことねーと思うんだけど…アイツが悪ィんだよ。トップになっていつの間にか頭が固くなってっから…もっと俺みたいに柔軟性を、だな…」
ぶつぶつ呟くシンタローの台詞を無視して、キンタローは自分の質問を続けた。
「で、正面切って乗り込んでいって何をしたんだ?」
「乗り込んだんじゃねーよ。昔の知り合いが訪ねてもおかしくねーと思って、普通に会いに行ったんだよ。さすがに俺も立場上おおっぴらに名乗ることはしなかったけど、そんな感じで取り次いでもらってさ。んで詳細話して…なのにアイツときたら…会わねーとか言いやがってッ」
「…それで?」
「往生際悪ィって殴り倒して連れてった」
「……………」
ヘマをするとかそれ以前の問題であった。どうりでこうも盛大に追い回されるはずである。
「…もうそれについては何も言わないが…無駄な殺生をしたくないのなら浅はかな行動は止めろ」
二人は走り続けて、街の中央から少しずれた場所にある広場へついた。この時点でタイムリミットは既に来ている。この場所が予め約束していた場所で、この時間に落ち合うはずだったのだが、運悪くシンタロー達の方が早く着いてしまったようで広場は無人であった。仕方なくこの場に留まって再度応戦することにする。
シンタローの話では話し合いが決裂するはずはないということだったが、約束の時間がどんどん過ぎていってもこの騒動に終わりを告げられる人物が現れなかった。キンタローの方は自分が知らない人物なだけに、いくらシンタローが大丈夫だと言っても一抹の不安を覚える。
広場で応戦していたシンタローとキンタローだが、決まった場所から移動できないと言うのは二人にとってかなり不利であった。まだかまだかと思いながらも、だんだん追い詰められていく。一旦この場所から離れた方がいいのではないかとキンタローが考えたときに、シンタローが一撃を食らって吹っ飛んだ。
「…シンタローッ」
シンタローは体を壁に叩きつけられる前に一回転して体勢を整え巧く着地する。殴られた際に口の端が切れて、滲んだ血を手の甲で拭った。
「イッテェー」
相変わらず懲りた様子はなかったが、シンタローが殴り飛ばされて口に血を滲ませている姿を目にすると、キンタローが殺気立つ。それに気付いたシンタローが慌てて止めに入った。
「キンタロー、ダメだッ」
血が沸き上がるのを感じたキンタローだったが、シンタローに名前を呼ばれて我に返る。
だが、それが一瞬の隙になって二人はだんだん隅へと追い詰められていった。相手の数が多すぎて、何とか攻撃を交わしていた二人だが、やはり無理がありすぎる。
キンタローの隙をついて背後を狙った男をシンタローが殴り飛ばし、そうやって他へ意識を取られたシンタローを狙ってまた別の男が攻撃を仕掛けてきたのをキンタローが迎え打った。
互いをフォローしながら決定打を浴びないように攻防を繰り返す。
そんな中、何人かの男達が一斉に銃口を向けて引き金を引くと、二人は弾丸を食らわないように転がり避けた。二手に分かれたシンタローとキンタローだが、男達は当初の目的であった長い黒髪の男に狙いを定めると立て続けに撃った。先に体勢を整えていたキンタローは弾が飛び交う中、シンタローの元へ飛び込んで覆い被さる。
その時であった。少し離れた地から一発の銃声が響き渡った。男達の動作が一斉に止まる。
それは待ち望んだ人物の到着を知らせる銃声であった。
「遅ェーよ…」
シンタローはぐったりしながら視線をキンタローの背後へ向けた。シンタローの視線を追ってキンタローも振り返ると、見た目三十代半ばくらいの男が二人の傍へ歩いてくるのが見えた。
昔の知り合いというのだから同年代を想像していたのだが、明らかに年上であった。がっしりとした体格と非常に高い背は、自分たちと同じくらいかそれ以上かもしれないとキンタローは思った。
『これがシンタローの昔の…』
キンタローはじっと相手を見つめた。対する男も、シンタローとキンタローをしげしげと見つめる。
しばらく吟味するように見つめた後、この緊迫感溢れる場においてこの男が発した第一声は、
「………お前等ってデキてんの?」
であった。シンタローは目を剥き固まり、キンタローは一瞬絶句した後『これは確かにシンタローの昔の知り合いだ…』と頷いてしまった。どうやら普通の神経の持ち主ではないようである。
今の二人の体勢は、別の場所で見れば確かにそう見えなくはない。
キンタローはシンタローに覆い被さるように乗り上がっていたし、シンタローの上着は地下水路ではだけさせられた名残があって、胸元が不自然に乱れているのだ。
しかし、銃をもった男達に追い詰められて囲まれた自分たちを見て、真っ先に思うところがそこなのかと、キンタローは思った。
「あのお前がねぇ……俺、シンタローが大人しく守られる体勢にいるのって初めて見たわ」
男は感心したようにキンタローを見つめてくる。キンタローはそう言われて己の下にいる相手の方へ向き直ると、驚き固まったまま若干顔を赤くしたシンタローと目があった。
二人を交互に見た後、キンタローは思った。
『ふむ…あの男とは一度深く話してみたいな…』
街中を走り回って大騒動をやらかしたシンタロー達であったが、依頼にあった話し合いは無事に終了することが出来たようである。騒ぎに収拾がついた後、この場に現れた依頼主、もう一方のシンタローの知り合いの様子を見る限り、納得が行く話が出来たように思われた。シンタローの無茶のおかげでかなり草臥れる依頼ではあったがこれで完了となった。
辺りはすっかり暗くなっていて、街中の至るところから明かりが漏れ、あちこちから豪快な笑い声が聞こえてくる。喧嘩をするような大声やガラスが割れる音も聞こえてきたが、それも日常茶飯事の街なのだ。
シンタローとキンタローは、二つの組織のトップから見送られる形で街を出た。
各々の車が止めてある場所まで並んで歩いていく。
肩を並べてしばらく無言のまま足を動かしていた二人だが、街の喧噪から大分離れて静かな場所までやってくると、空に浮かんだ月や星の輝きが目に付いた。天然の明かりを頼りにまたしばらく歩いていくと、シンタローがぽつりと口を開く。
「キンタロー…お前、さっきみてぇなの…止めろよ?」
「さっき?」
何を指して言われたのか判らず、キンタローは問い返した。
「俺に覆い被さってきたときの」
「あぁ……恥ずかしかったのか?」
「違ェよッ!!」
キンタローにからかわれてシンタローは声を荒立てたが、直ぐに話を戻した。
「俺の盾になるような真似は止めろ」
その声は静かだが強い意思が表れた口調であった。逆らいがたい命令を感じさせる。
並んで歩いていたキンタローはそこでふっと足を止めた。シンタローは数歩進んでからそれに気付いて立ち止まった。そして後ろを振り返る。
「キンタロー?」
暗闇の中、青い眼がシンタローを見つめる。視線を合わせると片方の目が独特の光を放っているのが判った。秘石眼が輝いているのだ。
空の輝きが放つ明かりの下、二人の間に沈黙の時が訪れた。そのままかなり長い時間、二人は立ち止まってお互いを見つめていた。シンタローは今自分が言った言葉を撤回するつもりはなかったし、キンタローもそれを受け入れるつもりはなかった。沈黙は二人が一歩も引くつもりがないことを顕わしている。
たった数歩分だけ開けられた二人の間を、幾度となく夜風が吹き抜けていく。
風に揺らされる金色の髪が月明かりを反射して微かな輝きを放つようにシンタローの眼に映った。輝きを放つ金色の髪と青い眼に視線を奪われていると、キンタローが足を動かして二人の距離を詰めるように傍へ近寄った。
「シンタロー…」
「…何だよ」
「俺がお前を好きだということを忘れるな」
「……………」
キンタローの台詞にシンタローは言葉を詰まらせた。何も言えずにキンタローを見つめ続けることになり、その視線を受けたキンタローはシンタローの手をゆっくり取ると再び歩き出した。
「頭で考えるよりも先に体が動く。それが嫌ならお前が無茶を止めればいい」
静かにそう言って、シンタローの手をしっかりと握りしめる。
シンタローは何も言えず黙ったままキンタローに手を引かれて大人しく歩いた。
キンタローは握りしめて触れた手がとても温かく感じられた。シンタローは相変わらず何も言わないままキンタローに手を繋がれて足だけを進めている。キンタローも自分が言いたいことは言ったので、黙ったまま繋いだ手を離さずに歩き続けた。
二人の車が眼で確認できる位置までくると、ここまでかと思い、キンタローは惜しみつつもその手を離そうとした。握りしめるように繋いでいた手の力を緩めると、シンタローがその手を離さないように力を込めてくる。
軽く衝撃を受けてシンタローの方を向いたキンタローだったが、相手は真っ直ぐに前を見つめたままであった。キンタローが青い眼を向けても、シンタローの視線とは絡み合わない。それでもキンタローの手を離さないように、しっかりと握りしめてくれたのも事実であった。
車につくまでシンタローは無言だったが、しっかりと繋がれた手から相手の気持ちが伝わってきたのが、キンタローは嬉しかった。
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