別の相手を探してくれ。
アンタだったらすぐ、次も見つかる。
何度目になるか解からない激しい親子喧嘩の後の、
粗雑な口付けを交わした後で彼は言った。
シンタローの歯が私の唇を傷つけたのか少し痛む。が、さして気にする程の事ではない。
もっと酷く暴れる事もあるし、これ位可愛いものだ。
それにしても何故シンタローは時々、自虐的になるのだろう。
頭に血が昇りすぎて安易に自分で自分を傷つけるような発言ばかりしている気がする。
私はと言えば、シンタローのこう言った発言に関しては口に出すほど気にしていない。
大げさに泣き言を吐いて彼をイラつかせるのも私の趣味の一つであるが
その場合はシンタローが私に素っ気無い態度をとった時に使う楽しみで、
今のような他人を引き合いに出された状況だとそれを使う気にはならない。
『次も見つかる』?次って何かな。
言った後でそんなに辛そうな顔する位なら最初から言わなければ良いのに馬鹿な子だね。
シンちゃんは肝心な所で頭が悪いな。
そんなの可愛すぎてチューしたくなるの当たり前じゃないか。
シンタローが、私の事好きだって私はちゃんと知っているのに別の相手を探すなんて
まったくナンセンスだ。意味が無い。
『ガキ扱いするんじゃねェ、幾つだと思ってんだ』なんてシンちゃんはよく怒るけど
いつまで経っても天邪鬼だから私はキミを子供扱いしちゃうんだよ、シンタロー。
もしも本当に私がキミ以外の誰かを愛してしまったら
きっとシンちゃん生きていけないよ。
愛される事に慣れすぎて、そこ等辺の考え方が麻痺しちゃってるのかもしれないけど。
恥ずかしい位ファザコンのくせに生意気だね。
そう言う所が気に入ってるから手を出すのをやめられないのだけれど。
私と彼との間で延々と沈黙が続いている。
どうせまた私の言った台詞に思考を巡らせてオーバーに悩んでいるのだろう。
もっとシンプルに考えられないものかな。ネガティブなんだから。
難しく考えなくて良いのに。
シンタローが私を好きで、私もシンタローが好き。
それで納得すれば良いのにきっとシンちゃんの事だから順序がどうのこうので文句で頭がいっぱいなんだろう。
どっちも同じ位『好き』なんだから気にする事なんかないのに。
むしろ、シンちゃんの方がパパの事凄い好きじゃないか。
私だって解かってる事なのにシンちゃん自分で自分の事解かってないのかな?
段々可哀想になってきた私は、シンちゃんの頭を優しく撫でた。
不機嫌そうな顔をしているけど大人しく撫でられてるって事は嫌じゃないのだろう。
顔を近付けると、条件反射のように眉間に皺を寄せて目を瞑ってしまう彼の仕草が
私はどうしようも無く愛しいと思う。
甘やかしすぎたのが悪かったのか。
キミをそんな風にしてしまった原因がパパにあるなら、
最後まで責任を持つよ ハニー。
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―――――――――だってシンちゃん、パパの事好きでしょう?
何度目になるか解からない激しい親子ゲンカの後の、
ムードもへったくれもない口付けを交わした後で奴は言った。
抵抗した際にオレの歯が親父の唇の端を傷つけたようだ。少し赤くなっている。
今さらかすり傷をつけた位で気にする事もないと思うが間近で見るとやはり少しだけではあるが罪悪感が生まれた。
・・・別にオレが悪いわけじゃないのに。
向こうは絶対に『自分が悪い』とは微塵も考えていないだろうに何で、オレが、本当に悪くないオレの方が、
悪い事をしたような気分にならなきゃいけないんだよ。
ケンカの内容なんて下らな過ぎてもう忘れちまった。
そう、揉めるつったって毎回下らねぇ事ばっかで大した話じゃないんだ。
ただ親父がしつこいのとオレが短気なせいでややこしくなるのであって。
ようするに相性悪いんだオレとコイツは。
お互い若くもないのにぼろぼろになるまで続ける。アホらしい。
オレも本気で相手をしなきゃ良いのに結局ムキになっちまうし疲れるばっかりだ。
別の相手を探してくれ。
アンタだったらすぐ、次も見つかる。
そう言ったら急に無表情になって、無理やりキスだ。
どこまでも自分勝手な男だ。勝手はオレも一緒だが。
オレの気持ちなんてこいつは全然考えちゃいない。
考えてたら毎回こんな事にはなってないはずだ。
どうしてオレがお前なんかの相手をしなきゃならないんだ!と怒ったら『パパの事好きでしょう?』、だ?
親父の言葉にオレは意識が飛びかけそうになった。
何なんだこいつは。
何でこんなに自信過剰なんだ。
その自信は一体何処から生まれてくるんだ。
確かに『別の相手を探してくれ。』なんて本気で言ったわけじゃないし、
本音を言えば、オレも、どうとも思ってない奴相手にケンカなんかしない。
認めたくはないがオレはこいつが好きだ。
キスをする度に
それ以上の事をする度に
アンタと、離れる度にそれは思い知らされる。
だから『パパの事好きでしょう』は悔しいが当たっている。
当たっているがその物言いだと‘オレがマジックに惚れているから、マジックはオレに惚れている’みたいに聞こえる。
そんなの、はっきり言ってオレのプライドが許さん。と言うか逆だろどう考えても。
『別の相手を探してくれ。』ってのはオレは別にアンタじゃなくたって構わないんだぜ。と暗に言ってるのであって
もう少しオレを気遣え、でないとアンタなんか捨ててやると自分なりの脅しのつもりだったんだが一体何でこんな事に・・・
そりゃ、確かに
アンタがもし、万が一だがオレ以外の誰かを好きになったりしたらオレはどうしたら良いか解からなくなると思う。
28年間そんな事一度も無かったんだからな。
オレは
アンタが
オレの事を世界で一番好きで
そしてそれが当たり前の環境で育ってきちまったんだから。
アンタがオレを好きだって事を前提で、オレはアンタが好きなのに。
何勝手に逆にしてるんだよ。
悶々と黙りこくっていたら親父に頭を撫でられる。
微妙な所でガキ扱いすんじゃねぇよ。
いつもの仏頂面で構えていると、親父がぐぐっと顔を寄せる。
息が近い。
やめて欲しい。
解かっててやってんのか。
いっそ、素直にアンタの前で
オレはアンタの物なんだと
認めちまえば楽になれるのに。
オレをこんな性格にしたアンタを
オレは一生恨んでやる。
「シンタロー、相談したい事がある。良いか。」
機械音と共に扉が開くと同時に、キンタローは至って普通の声で
総帥室のソファに横たわっていたオレに向かって淡々とそう言った。
キンタローがオレに相談なんて実に珍しい。
コイツにも悩み事なんてものがあるのか、とオレは少し驚いていた。
それにしても『相談したい』と言ってる割にはいつもと大して表情が変わらない野郎だな、
キンタローは。
「あぁ、良いぜ。言ってみろよ。」
身体を起こして、向かい側のソファに座ったキンタローに快く返事をしてやる。
するとキンタローはまっすぐにオレの方をじっと見つめた。
「ハーレムの事だ。」
コイツの口から“ハーレム”なんて名前が出るもんだから、
あぁまたアノ親父は我が家に多大な借金でもつくりやがったのか
まったく迷惑極まりねェ男だな、とオレが愚痴を零すと
それもあるのだが、オレが話したいのはもっと別の事だ、とキンタローは冷静に言い放った。
あの野郎・・・と心の中でハーレムを呪う。
しかし、ハーレムの事で借金以外に何か特に話すネタなんてあっただろうか。
オレだったらできるだけあんな奴の事は話題に出したくはないんだがな。
まぁ、キンタローにはいつも世話になっている事だしそのキンタローが相談したいつってんだから
聞いてやらないワケにはいかないか。
ハーレムがどうしたって?と問いかけると、キンタローはこれまた無表情に
「オレはハーレムの事が好きなようだ。」
と答えた。
信じられない内容に、オレは眩暈で倒れそうになった。
男同士だろ、とかそんな基本的な事にはあえて突っ込まない。オレだって人の事は言えないしな。
そんな事よりもまず真っ先にオレの脳裏に浮かんだ言葉。それは『ハーレムにオマエは勿体無い』の一言だった。
別にキンタローが誰を好きになろうがキンタローの勝手だしオレが口を出す権利なんざこれっぽちも無いんだろうけど
それにしたって何であえてハーレムなんだ?気は確かか?もっと他にもいただろう?!
オレが早口で捲くし立てるとキンタローは気を悪くしたらしく眉間に濃い皺を寄せながら
「じゃあシンタロー、オマエは何故あえてマジックなんだ。」
と言われ、痛い所を突かれてしまったオレはそれ以上何も言えなくなってしまった。
あぁ、クソ。オレも人の事が言えない。
落ち込むオレを他所にキンタローはいつもの口調で所謂恋愛相談と言うヤツを滔滔と喋り始めた。
「好き、と言う事に気付いたは良いがそこから先どうすれば良いのかがまったく解からない。
何せこう言った経験は初めての事だからな。そこでシンタロー、オマエにどうしたら良いのか教えて欲しい。」
知るかよ!と怒鳴りつけてやりたいのをオレは必死で堪えて、両手で顔を抑えた。
何で、こんな、色恋沙汰の話をキンタローとしなくちゃならない?
『こーゆー時はこーした方が良いと思うぜ』
とでも言えって言うのか。冗談じゃない!
そんな、オレが、まるで、
マジックにして欲しい事を言ってるみてェじゃねぇか。
そんなのがアイツにバレてみろ。アイツの事だから嬉々として『シ~ンちゃん』なんつって餌食にされるに違いねぇんだ。
安易に予想できすぎて頭が痛くなる。
つーかマジック云々以前にキンタローとこんな話をするのも死ぬ程嫌だ。
『そうか。シンタローはこーゆー時こー言われると嬉しいんだな。』
なんて言われた日にはオレは恥ずかしくてもう一生誰とも顔が合わせられねェ。
「ごめんホント無理ですんで。」
きっぱりと断るとキンタローはこれまたはっきりとした口調で
「シンタローはマジックにどんな事をされたら嬉しいんだ。それを教えてくれれば良い。」
と言った。
この時ほどオレは死にたくなった事が未だかつてあっただろうか。いや無い。
教えてくれれば良い、だと?何ちゅー事言うんだオマエは。教えられるワケないだろ!?
何だよ何でこんな話題になってんだよ。頼むからもうやめてくれ!
「頼む、シンタロー。
こんな事を話せるのはオレにはオマエしかいないんだ。
どうしたら良い?どうしたらオレはハーレムの心を掴む事ができる?」
そんな事はオマエの愛しいハーレムに聞け。何でオレがあんなヤツのためにこんな思いをしなきゃならねェんだ。
まったくたまったもんじゃない。とんだとばっちりだ。
「シンタローが言われたら弱い台詞ってどんな台詞だ。
シンタロー。頼む、教えてくれ。」
キンタローがしつこくしつこく一生懸命何度も何度もそう聞いてくるので、ついに根負けしたオレは
覚悟を決めて、親友の耳を引っつかみボソボソと微かな小さい声で呟いてやった。
言った瞬間全身が熱くなったのが自分でも解かる。
顔なんか特に熱くてどうにかなってしまいそうだ。
あぁもう穴があったら入りてぇマジで。
「そうか・・・わかった。有難うシンタロー。」
はいはいはいはい。どーいたしましてッ
「さっそく今からハーレムの所へ向かうとしよう。
迷惑かけてスマなかったな。」
まったくだ!
と、どんなに言ってやりたかったか。
キンタローが部屋から出て行った後、オレは暫く一人でソファの上にうつ伏せになって身悶えていた。
もうこんな相談はまっぴら御免だ。
オレは心の中で強く願った。
何十分か経った後に再び扉が開き、今度は誰だグンマか?今日は厄日か何かかと顔を上げると
今最も会いたくない人物が立っていた事にオレは内心かなりショックを受けたが顔に出さないよう
なるべくクールにヤツの前で振舞う事にした。
「シンちゃんは今日、夜空いてるかな?」
親父の問いかけに即座にNO、と答える。
予定なんぞ入ってやしないんだがとにかく今日一日コイツと顔を合わせるのは避けたかった。
それに今オレは無性に一人になりたくて仕方が無い。
何せさっきのでオレの心はぼろぼろになっちまってて回復するにはひどく時間がかかりそうなのだ。
食事に行くなら一人で行け。それかグンマでも誘えば良い。
早くマジックに部屋から出て行って欲しいオレは、ぞんざいにヤツに冷たく言ってやった。
「せっかくシンちゃんが可愛い事を言っていたからご褒美をあげようと思ったのにな。」
残念。と親父が肩を竦める。
わなわなと全身が震えた。何つったんだコイツは。オレが、何だって?
「だって総帥室だよー?モニターからそりゃばっちり見てたさ。
声は聞けなくてもパパ、読唇術は得意だしね。はは、もー超ビックリしちゃった。」
意外だったよ☆と肩にぽん、と手を置かれる。
その時オレは目の前が真っ白になり、ふと我に返ると部屋の中は滅茶苦茶に焼け焦げていて
親父は本棚に埋もれていた。
キスをする合間の、頬に触れる熱い吐息にオレは弱い。
少し離れてそれからまた違う角度から唇が合わさると、頭の奥が芯から溶けてしまいそうになる。
こんな、夜も明けそうだと言う頃にコイツと、・・・マジックと、こんな濃厚なキスをする事になるとは
ほんの数分前には思いもしなかった。
遠征先から帰って来て、さっそく自分専用の広い、シーツもふかふかのベッドで思う存分寝倒してやろうと
少し浮かれ気味でカードキーで扉を開けた瞬間、コイツが出てきて壁に押し付けられる形でそのまま唇を奪われてしまった。
あまりに唐突すぎて抵抗する事もできなかったが
今はオレの方がしっかりと親父の背中に両腕を回してしがみ付いている。
久しぶりの、キスだ。
懐かしい匂いに涙腺が緩みそうになった。
繰り返し繰り返し、何度も唇を重ねる度にひどく胸が熱くなる。
こんな場所で、こんな事をして、もしかしたら誰かに見られてしまうかもしれないのに
それすらどうでも良いなんて思える程、オレはコイツに飢えていたのだろうか。
「会いたかったよ」
マジックはオレの耳元で低くそう囁いた。
あぁ、そうかい。
いつものように悪態をついてやりたかったが生憎そんな余裕もなくオレは
親父と目を合わさないように俯いて、黙っていた。
何で、
そう、
アンタは、恥ずかしげもなくこんな事をして。
言ってやりたい事は山程あるのに考えがまとまらない。
大体どうしてこんな時間に、オレの部屋にいておまけに起きてるんだよ。
そんな事は聞かないでも解かってる。
解かってるから余計に何も言えない。
言ってしまったら、オレの方が頬が熱くなりそうで絶対に口に出したくなかった。
畜生、畜生、畜生。
不意をついてあんなキスをするなんて反則じゃないのか。
この馬鹿野郎め。本当に馬鹿だよアンタは。
こんな時間まで、オレの部屋で、オレの事なんか待ってるんじゃねェよ!
オマエは忠犬ハチ公かッ
そんなコイツが情けなくて、愛しくて、マジックがもう一度
オレの唇に触れた時、オレは再度ヤツの口腔の侵入を許していた。
シンちゃん、シンタロー、と
何度も名前を呼ばれるのがたまらなくて
オレはただ、ただひたすらに親父のキスに応えた。
長くて骨ばったマジックの指が、ゆっくりとオレのスーツのボタンを丁寧に外していく。
すっかり開拓されてしまった身体は、彼の手が胸を這うだけで敏感に反応を示すが
刹那、我に返ったオレは、慌ててヤツの両腕を掴んだ。
「・・・何?」
不満そうにマジックが恨みがましい目でこちらを見る。
何、じゃねェだろ。
「場所をわきまえろよ。」
じろりと睨みを利かせて外されたボタンを元に戻しながら、マジックの腕をすり抜ける。
背中を向けた、後ろの方で
「じゃあベッドならイイの?」
と聞かれ、オレが返事をせずに部屋へ入ると親父もオレの後につづき
そのまま背中から抱きすくめられてしまった。
首の付け根に顔を押し当てられ、金髪がくすぐったくて
文句を言ってやろうと振り向いて視線を合わせたら、オレの方が我慢できなくなってしまった。
お互いの服が床に乱雑に脱ぎ散らかされる。
とてもじゃないがベッドまで待てなかった。
息継ぎとも喘ぎともつかない声がうす暗い青い光に満たされた部屋に反響する。
「可愛いよ」とか「好きだよ」とかそんな台詞はもう十分聞き飽きているのに。
それでもそう言われると身体は火照って
アンタが、アンタのその声で、オレの名を呼んで肌に手が触れるだけで感じてしまう。
父さん。
父さん、
父さん、
父さん。
オレもアンタに、ずっと逢いたかった。
「パパ。」
「何だい?シンちゃん。」
「どうして僕は皆と違って髪の毛も、目の色も真っ黒なの?」
ついにこの話しが来た、とマジックは思った。
「シンちゃん、一人だけ違うっていうのは本当は凄い事なんだよ。」
ちょこんとシンタローを膝の上に乗せて語りかけるように優しく話す。
マジックの低い声色が、シンタローの耳に心地良く入ってくる。
「僕、凄くなくてもいいよ。皆と同じ金色の髪と青い目が欲しいよ。」
自分で言って悲しくなったのか、シンタローが泣き出す寸前の顔をしたので、マジックは慌ててシンタローを自分の方に引き寄せる。
「シンちゃん、そんな事言わないで。パパはシンちゃんのその髪の毛も、目の色も大大大好きさ!」
ぎゅうっと抱きしめて、今にも零れ落ちそうな涙を舌ですくった。
でも、シンタローは腑に落ちない顔をしている。
マジックは困ったように心の中で溜息をついた。
そして、ある話を思い出す。
「シンちゃん、“赤鼻のトナカイ”ってお歌知ってる?」
いきなりの話題転換に意味が解らなかったシンタローだが、コクリと頷いた。
「真っ赤なお鼻の~トナカイさーんーはーってやつ?」
一小節目を歌ってやると、目尻をだらし無く垂れ下げ、マジックは、シンちゃん上手ー!と、拍手を送る。
「そう。ソレ。実はね、このお歌、お話もあるんだよ。」
「ふうん。」
たいして興味なさそうにシンタローが相槌を打った。
今聞いているのはそんな事じゃない。
話を反らされた気がして、シンタローは膝から下りようとした。
でも、すかさずマジックがシンタローの体を包み込んだので、それは叶わなかった。
「シンちゃん。トナカイの鼻って本当は赤くないんだよ。」
耳元で優しく囁かれる。
その事実を知らなかったシンタローは驚いたようにマジックを見た。
本物のトナカイは見た事がなかったし、俗世離れしているマジックはテレビというものを余りシンタローに見せたりはしなかった。
そういえば動物園に行った時、トナカイを見たような気がするのだが、鼻をまじまじと見た訳ではないので記憶が薄い。
まして、子供の記憶力なんてたかが知れている。
驚く息子に微笑みかけて、マジックは愛情たっぷりに話し始める。
「トナカイにとって1番名誉な事は何だと思う?」
「うーん。なぁに?パパ。」
「それはね、サンタさんのソリを引く事だよ。
クリスマスの日、サンタクロースは良い子にプレゼントを配る為に沢山のプレゼントを袋に詰めて出発するんだよ。そこに選ばれたのは素晴らしいトナカイ8頭。でもね、困った事が起きたのさ。」
「なぁに??」
困った事って何だろう、と、シンタローはマジックに話を急かす。
マジックの胸元を軽くキュッと握って話を急かす。
その動作が愛らしくて、鼻血を垂らすマジック。
心なしか微笑んでいる。
「パパ、鼻血……」
「おっと。」
恥ずかしそうに笑い、マジックは胸ポケットに閉まってあった白いハンカチを広げ鼻に当てる。
つつ…と流れた鼻血を拭き取り、話しを再開した。
「困った事っていうのはね、とっても濃い霧が辺りを包んでしまったんだよ。これじゃあ空に飛び立てないって皆慌てたんだ。だって、雪は深々と降っているし、霧は出てくるしで、自分の鼻先すら分からない。これじゃあ煙突も見えないし、子供達の家すら解らないだろう?」
「でも、僕にはちゃんとサンタさんプレゼントくれたよ?」
どうやったんだろう?
シンタローは考えた。
サンタさんは良い子にしかプレゼントをくれない。
だからいい子にしていればサンタさんは欲しいものをくれる。
僕はパパと一緒に居たいってお願いしたから、クリスマスの日、遠くに行ってたパパが帰ってきてくれたんだ!
僕がいい子にして、パパに本当はお仕事行かないでって我が儘言わなかったからサンタさんはプレゼントをくれたんだよ。
ちゃんと僕の家が解ったんだからサンタさんはちゃんと良い子の家が解ったんだ。
グンマだって、欲しがってた天体模型のライト貰ったって言ってたし。
どうやったんだろう。
「そうだね。シンちゃんの所にちゃんと来たもんね。そう。ちゃんとサンタさんは空に飛び立てたんだよ。どうやったかって言うとね、サンタさんは見送りに来ていたルドルフの所に行ったのさ。ルドルフは鼻が真っ赤でピカピカしていて、皆から馬鹿にされていたんだ。でもね、こんな視界の悪い日にはルドルフの鼻が必要だった。サンタさんはルドルフに先頭に立つように言ったんだよ。」
そう話すと、シンタローは大きな目をキラキラと輝かせた。
一人だけ違うトナカイのルドルフ。
そのトナカイに自分を重ねていた。
金色の中に混じる黒色。
自分とルドルフは正に同じ境遇であった。
「勿論ルドルフは大喜び!いつも馬鹿にされていた赤い鼻が役に立つ。これでシンちゃんや、グンちゃん達のような良い子達にプレゼントを配る事ができる。ルドルフは元気よくトナカイの列の先頭に立ったんだ。彼の鼻があれば暗い視界の悪い道もへっちゃらだった。」
「………。」
「それからルドルフは皆に愛されるトナカイになったんだよ。」
話が終わると同時にマジックの大きな手がシンタローの頭を撫でた。
「だからね、シンちゃんの髪と目が黒くても気にする事ないんだよ。ルドルフがそうであったように、シンちゃんだって皆を助けてる。シンちゃんが知らないだけでね。パパはお前がその色で生まれてきてくれてとても嬉しいよ。」
そう言ってシンタローの真っ黒な髪にキスをした。
僕もルドルフみたいになれるのかな、と、父親が褒めた髪を摘んでみる。
「だからシンちゃん。パパが困ったら助けてね。パパはサンタさんじゃないし、シンちゃんもルドルフじゃないけど、パパ、シンちゃんが居ないの本当は堪えられないんだよー!」
スリスリと擦り寄るマジックに、シンタローはしょうがないなぁと笑ってみせた。
時は流れて、シンタローの出生の秘密が解った。
金髪碧眼しか生まれない一族に黒目黒髪の子供が生まれたのは、赤の一族を騙す為だった。
赤の一族と同じ色にし、本当の青の一族を封じ込め、青の番人もその魂の中に潜り込ませた。
シンタローは影だったのだ。
24年間、父を越える為、認めて貰う為に必死だった彼はマジックの息子どころか赤の一族にとっても青の一族にとっても要らない人間で。
こんなに悩んで生きて前を向いて頑張ってきたのに何故今更要らない人間だと言うのだろう。
マジックの息子ではないと言われた瞬間、信じられなくて、思わず叫んだあの言葉。
いがみ合ったり喧嘩もした。
最愛の弟、コタローを幽閉されたあの日から、父の考えが解らなくなった。
それでも。
自分はマジックの息子なんだと、心の片隅で誇りに思っていた部分も確かにあって。
自分の生きてきた全てを否定された瞬間は後にも先にもあの出来事であろう。
しかし、マジックは自分を息子だと言ってくれた。
コタローの暴走を止める為に、死期を悟りながら。
その言葉に嘘偽りはなかったし、シンタローもマジックの死期を悟り、行くなと止めた。
弟も大切だが、父も又、大切だから。
そして、親友との別れ、弟の眠りにより、一族は再び一つに纏まり和解した。
ガンマ団本部に戻って一番最初にした事は、父との会話。
「シンタロー。」
初めに話し掛けてきたのはマジックで。
シンタローもそれを待っていた。
長い間の仲たがいの後で、やはり父であるマジックが突破口を開こうとしてくれたのだろう。
シンタローも素直にマジックの話しに耳を傾ける。
「お前に総帥の椅子を渡そう。」
「なッツ!?」
驚いた声を出したシンタローであったが、マジックは穏やかな顔をしていた。
ここ何年も見ていない顔。
そう。まるでシンタローが幼少期だった頃の父親の顔だ。
「例えお前と血の繋がりがなかろうと、私の後継ぎはお前だよ、シンタロー。お前は私の息子だからね。ガンマ団の指揮を取りなさい。お前のしたい事を思いっきりやりなさい。」
マジックの白くて骨ばった指がシンタローの頭に触れる。
一瞬ビクリと体が強張ったが、その温かい指先に懐かしさを覚え、目を細めた。
やりたい事。
確かにある。
パプワとの約束を果たしたい。
自分は普通の人より、出来る事が大きい。
団のトップに立ったら尚更。
軍隊のようなガンマ団である。
総帥が右、といったら右に行き、左、といったら左に行くだろう。
思いのまま、動かせる。
それに。
シンタローがガンマ団を解散する、と言えばガンマ団が無くなる事も出来るのだ。
………だが。
シンタローは怖いと思う。
自分にこの巨大な団の総帥になれる自信は少ない。
しかも、マジックは青の一族の中でも稀有な存在であった。
果たしてその後を自分が継げるのだろうか?
青の一族ですらない自分が?
父のように完璧なまでの総帥になれるだろうか?
いや、きっとなれないだろう。
「グンマが適任じゃねぇのか。一応あんなでもアンタの正当な長男だぜ?」
「……シンちゃん、本気で言ってるの?グンちゃんができる訳ないでしょ~…」
はぁー、と、溜息をついてオーバーリアクションで肩を竦める。
「第一グンちゃんは開発課なんだよ?発明品造る為ならあの子全ての用事をほっぽらかすよ。団員達の訓示もきっと来ないね。断言できるよ。」
そう言われてしまえばそうだ。
グンマは昔から物事を真剣に取り込むと回りが見えなくなる。
しかもツメが甘い。
「じゃ、キンタローは……。」
「キンタローはルーザーの息子なんだよ、シンタロー。お前は私の息子だ。」
そう言われると凄く嬉しい。
こんな影でしかない自分を認めてくれて有り難いと思う。
でも。だからこそ。
シンタローは思うのだ。
これ以上この一族を掻き回したくはない、と。
大好きな家族だから、大好きな人だから。
自分がこの一族の頭に立つのだけは嫌だった。
「シンタロー。私のお願いだ。お前になら任せられる。」
「………。」
マジック達青の一族が築き上げてきたものを、全く何の繋がりもない赤の他人が掲げるなんて、そんな事できないし、したくない。
でも、父が言う事なのだ。
父と信じていて、父だと言う人が言うのだ。
しばらくの葛藤の末、シンタローは口を開いた。
「解った。」
そう唇が動いた瞬間、マジックはバンザーイ!と手を上げて喜ぶ。
しかし、シンタローは眉間にシワを寄せていた。
「ただし、条件がある。」
その声は凛としていて、普段シンタローの前ではおちゃらけているマジックも、動きを止めた。
「条件って、何?」
「コタローがガンマ団をつぐまでの間だ。」
そうキッパリ言い放つ。
マジックも、その条件は予想の範囲内だったようで瞼を落とした。
「コタローがいつか目を覚まし、大人になるまで、って事だね?」
「ああ。」
マジックにとってコタローはとても意味のある息子でいる事に変わりはない。
コタローにしてしまった事の間違いを全て受け入れ、そのうえでコタローを受け入れようと思う。
マジックとて、コタローが憎かったり、嫌いだった訳じゃない。
善悪の感情もないのに巨大な力を秘めているコタローを野放しにできなかった。
それは総帥として団員を殺されない為でもあったし、訳も解らぬ息子が他人を殺す所を見たくないし、又、殺しを何の戸惑いもなくしてしまうのが怖かったのだ。
「シンタロー、解ったよ。でも、これだけは聞かせて欲しい。もし、コタローがガンマ団を継ぎたくない、と言ったらどうするんだい?仕事を誰かに押し付ける?総帥の仕事を継続する?それとも…」
マジックが一旦言葉を切った。
そして、目をつぶって空を仰ぐ。
それからシンタローの目を見つめた。
青い瞳がシンタローの黒い瞳に写る。
「逃げてしまうのかな?4年前のように。」
4年前、確かにシンタローは逃げ出した。
大切な弟を助け出したかったし、何よりこの父親に奪われる事の憤りを解らせてやりたかった。
言葉を考えていると、マジックが表情を緩める。
そして、シンタローの頬に指先を這わせた。
「シンちゃん、昔、パパに何で自分だけ髪の色と目の色が黒いのかって聞いた事覚えてる?」
いきなり話題変換されて、シンタローは少し戸惑った。
しかし、マジックが話を聞かない事はいつもの事なので、とりあえず思い出してみる。
そういえばそんな事も聞いたような気もしなくもない。
子供心にとても気になっていた事。
まだ小さかった頃にはものも解らないだろうと知らない人達に「グンマ様の影武者」なんて言われていた事もあった。
グンマの、ではなかったが、影武者は当たってたかな、なんて思う。
「そんな事もあったかナ。」
「うん。あったよ。その時、赤鼻のトナカイの話しで例え話しをしたんだけど、シンちゃん凄く気に入ってくれてね、おっきな目をキラキラさせて話しを聞いてくれた。」
だんだんマジックの顔が近づいてきて、あ、キスされるな、と解ったから静かに目を閉じた。
予想通り薄い唇がシンタローの唇に当たる。
啄むような、触れるだけのキスをされる。
ちゅ、ちゅ、と優しい音が時々聞こえた。
「その時にね、パパの事助けてって言ったんだよ。」唇をくっつけて話しを始めたので、シンタローは少し目を開けた。
目の前には見慣れた父親の顔。
「そしたらお前はね、しょうがないなって、笑ったんだ。」
だからね、シンちゃん。パパを助けて。
そう付け加えてシンタローを抱きしめた。
「俺はもう、何処にもいかねーヨ。」
そう言ってやると、酷く安堵した顔で笑った。
その顔がコタローとダブって見えて、やっぱり親子なんだな、と嬉しい気分になる。
「シンタロー、ありがとう。愛してるよ。」
親子なのに恋人同士とか、本当ややこしい関係だと解っている。
でも、マジックに愛してると言われる度にいつもほんわかした気持ちになれて。
戸惑いとか確かに昔はあったけれど、今はただただ嬉しい。
俺、結構コイツにハマっちゃってんだナ。
絶対言ってなんてやらないけど。
「コタローがもし総帥にならないって言ったら、コタローの子供ができるまで総帥、やってやるよ。」
よしよし、と頭をポンポンと叩いてやると、困ったようにマジックは笑った。
「それって遠回しのプロポーズって取っていいのかな?」
「深読みすんな、馬鹿。」
そう言ってこずいてやったら、痛い、って言って嬉しそうに笑う。
マジックに息子と認めて貰い、恋愛感情的にも愛して貰っていると解るだけで、赤とか青とかどうでも良くなってしまう。
俺の心の大半を占めてる人。
いつかコタローが目覚めたら、今度こそ皆笑って幸せな家庭が築けると思う。
触れるだけのキスから、だんだん濃厚なキスに変わっていく。
マジックが口をあけて、シンタローにも開けるように催促をするので、ちょっとだけ開けてやると、舌を入れてきた。
決して無理矢理なんかじゃなく、優しく、包み込むように。
両手で頬を持ち上げられて、歯をなぞられる。
「んん、ふ……っ」
眉をしかめて苦しそうにすると、マジックがキスを解いた。
銀色の糸が明かりに照らされてテラテラ光って見えた。
「シンちゃん……」
今日は二人で寝たいと、お互い思う。
子供の時のように、二人でベッドに包まって、マジックに抱きしめられて眠りにつきたい。
平均的な体を大きく上回る二人が同じベッドで寝るなんて、はたから見ればおかしな光景かもしれない。
それだけれども。
やはり父であり、息子であり、恋人同士であり。
ほんわかした気持ちの中、子供のように眠りたいのだ。
総帥になる、と言ってしまったからには、それに見合う代償も必要で。
それは、時間だとか体力だとか色々あるけれど、きっと今までみたいに会いたくなったら会えるとか、そんな事はできないだろう。
昔から父の背中を見て育ってきたシンタローには解る。
外交に仕事に明け暮れ、家に中々戻って来られない父。
子供心に忙しいのだな、と思っていた。
それに。
自分のやりたい事。
それはこの素晴らしい世界を守っていく事。
パプワとの約束だ。
このガンマ団を一から変えなければならない大仕事。
大変かもしれないが、やらなければならない。
決してシンタローは安請け合いをした訳ではないのだから。
ガンマ団を変えて、世界を変えて。
出来る事から始めよう。
これはその第一歩なのだ。
マジックの温かい体温を全身で感じながらシンタローは瞳を閉じた。
何だかとても眠い。
マジックの服の端っこを握り締めながら、シンタローは眠りについた。
「シンちゃん、寝ちゃったの?」
意識の端っこでマジックの声が聞こえる。
その、心地良いトーンの声に無意識のうちに安堵している自分が居た。
「おやすみ、シンタロー。」
マジックの唇がシンタローの額に触れたような気がした。
それから数日後、シンタローがガンマ団総帥を継ぐ事を発表された。
あの島で共に戦った戦友達も幹部へと格上げされて。
彼が一番最初にやった事は“殺さず”。
人殺し軍団から、正義のお仕置き集団に変貌を遂げる。
ガンマ団の根底をひっくり返し、団員達から反感を持たれるかとも覚悟していたが、中々どうして。
結構素直に受け入れて貰えた。
涙を流して喜ぶマジックが祭壇の端っこに見える。
襲名を終え、祭壇を後にした時、シンタローはマジックに耳打ちをした。
“俺はルドルフになれたみたいだ。”
お前の鼻が役に立つのさ
終わり
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「何だい?シンちゃん。」
「どうして僕は皆と違って髪の毛も、目の色も真っ黒なの?」
ついにこの話しが来た、とマジックは思った。
「シンちゃん、一人だけ違うっていうのは本当は凄い事なんだよ。」
ちょこんとシンタローを膝の上に乗せて語りかけるように優しく話す。
マジックの低い声色が、シンタローの耳に心地良く入ってくる。
「僕、凄くなくてもいいよ。皆と同じ金色の髪と青い目が欲しいよ。」
自分で言って悲しくなったのか、シンタローが泣き出す寸前の顔をしたので、マジックは慌ててシンタローを自分の方に引き寄せる。
「シンちゃん、そんな事言わないで。パパはシンちゃんのその髪の毛も、目の色も大大大好きさ!」
ぎゅうっと抱きしめて、今にも零れ落ちそうな涙を舌ですくった。
でも、シンタローは腑に落ちない顔をしている。
マジックは困ったように心の中で溜息をついた。
そして、ある話を思い出す。
「シンちゃん、“赤鼻のトナカイ”ってお歌知ってる?」
いきなりの話題転換に意味が解らなかったシンタローだが、コクリと頷いた。
「真っ赤なお鼻の~トナカイさーんーはーってやつ?」
一小節目を歌ってやると、目尻をだらし無く垂れ下げ、マジックは、シンちゃん上手ー!と、拍手を送る。
「そう。ソレ。実はね、このお歌、お話もあるんだよ。」
「ふうん。」
たいして興味なさそうにシンタローが相槌を打った。
今聞いているのはそんな事じゃない。
話を反らされた気がして、シンタローは膝から下りようとした。
でも、すかさずマジックがシンタローの体を包み込んだので、それは叶わなかった。
「シンちゃん。トナカイの鼻って本当は赤くないんだよ。」
耳元で優しく囁かれる。
その事実を知らなかったシンタローは驚いたようにマジックを見た。
本物のトナカイは見た事がなかったし、俗世離れしているマジックはテレビというものを余りシンタローに見せたりはしなかった。
そういえば動物園に行った時、トナカイを見たような気がするのだが、鼻をまじまじと見た訳ではないので記憶が薄い。
まして、子供の記憶力なんてたかが知れている。
驚く息子に微笑みかけて、マジックは愛情たっぷりに話し始める。
「トナカイにとって1番名誉な事は何だと思う?」
「うーん。なぁに?パパ。」
「それはね、サンタさんのソリを引く事だよ。
クリスマスの日、サンタクロースは良い子にプレゼントを配る為に沢山のプレゼントを袋に詰めて出発するんだよ。そこに選ばれたのは素晴らしいトナカイ8頭。でもね、困った事が起きたのさ。」
「なぁに??」
困った事って何だろう、と、シンタローはマジックに話を急かす。
マジックの胸元を軽くキュッと握って話を急かす。
その動作が愛らしくて、鼻血を垂らすマジック。
心なしか微笑んでいる。
「パパ、鼻血……」
「おっと。」
恥ずかしそうに笑い、マジックは胸ポケットに閉まってあった白いハンカチを広げ鼻に当てる。
つつ…と流れた鼻血を拭き取り、話しを再開した。
「困った事っていうのはね、とっても濃い霧が辺りを包んでしまったんだよ。これじゃあ空に飛び立てないって皆慌てたんだ。だって、雪は深々と降っているし、霧は出てくるしで、自分の鼻先すら分からない。これじゃあ煙突も見えないし、子供達の家すら解らないだろう?」
「でも、僕にはちゃんとサンタさんプレゼントくれたよ?」
どうやったんだろう?
シンタローは考えた。
サンタさんは良い子にしかプレゼントをくれない。
だからいい子にしていればサンタさんは欲しいものをくれる。
僕はパパと一緒に居たいってお願いしたから、クリスマスの日、遠くに行ってたパパが帰ってきてくれたんだ!
僕がいい子にして、パパに本当はお仕事行かないでって我が儘言わなかったからサンタさんはプレゼントをくれたんだよ。
ちゃんと僕の家が解ったんだからサンタさんはちゃんと良い子の家が解ったんだ。
グンマだって、欲しがってた天体模型のライト貰ったって言ってたし。
どうやったんだろう。
「そうだね。シンちゃんの所にちゃんと来たもんね。そう。ちゃんとサンタさんは空に飛び立てたんだよ。どうやったかって言うとね、サンタさんは見送りに来ていたルドルフの所に行ったのさ。ルドルフは鼻が真っ赤でピカピカしていて、皆から馬鹿にされていたんだ。でもね、こんな視界の悪い日にはルドルフの鼻が必要だった。サンタさんはルドルフに先頭に立つように言ったんだよ。」
そう話すと、シンタローは大きな目をキラキラと輝かせた。
一人だけ違うトナカイのルドルフ。
そのトナカイに自分を重ねていた。
金色の中に混じる黒色。
自分とルドルフは正に同じ境遇であった。
「勿論ルドルフは大喜び!いつも馬鹿にされていた赤い鼻が役に立つ。これでシンちゃんや、グンちゃん達のような良い子達にプレゼントを配る事ができる。ルドルフは元気よくトナカイの列の先頭に立ったんだ。彼の鼻があれば暗い視界の悪い道もへっちゃらだった。」
「………。」
「それからルドルフは皆に愛されるトナカイになったんだよ。」
話が終わると同時にマジックの大きな手がシンタローの頭を撫でた。
「だからね、シンちゃんの髪と目が黒くても気にする事ないんだよ。ルドルフがそうであったように、シンちゃんだって皆を助けてる。シンちゃんが知らないだけでね。パパはお前がその色で生まれてきてくれてとても嬉しいよ。」
そう言ってシンタローの真っ黒な髪にキスをした。
僕もルドルフみたいになれるのかな、と、父親が褒めた髪を摘んでみる。
「だからシンちゃん。パパが困ったら助けてね。パパはサンタさんじゃないし、シンちゃんもルドルフじゃないけど、パパ、シンちゃんが居ないの本当は堪えられないんだよー!」
スリスリと擦り寄るマジックに、シンタローはしょうがないなぁと笑ってみせた。
時は流れて、シンタローの出生の秘密が解った。
金髪碧眼しか生まれない一族に黒目黒髪の子供が生まれたのは、赤の一族を騙す為だった。
赤の一族と同じ色にし、本当の青の一族を封じ込め、青の番人もその魂の中に潜り込ませた。
シンタローは影だったのだ。
24年間、父を越える為、認めて貰う為に必死だった彼はマジックの息子どころか赤の一族にとっても青の一族にとっても要らない人間で。
こんなに悩んで生きて前を向いて頑張ってきたのに何故今更要らない人間だと言うのだろう。
マジックの息子ではないと言われた瞬間、信じられなくて、思わず叫んだあの言葉。
いがみ合ったり喧嘩もした。
最愛の弟、コタローを幽閉されたあの日から、父の考えが解らなくなった。
それでも。
自分はマジックの息子なんだと、心の片隅で誇りに思っていた部分も確かにあって。
自分の生きてきた全てを否定された瞬間は後にも先にもあの出来事であろう。
しかし、マジックは自分を息子だと言ってくれた。
コタローの暴走を止める為に、死期を悟りながら。
その言葉に嘘偽りはなかったし、シンタローもマジックの死期を悟り、行くなと止めた。
弟も大切だが、父も又、大切だから。
そして、親友との別れ、弟の眠りにより、一族は再び一つに纏まり和解した。
ガンマ団本部に戻って一番最初にした事は、父との会話。
「シンタロー。」
初めに話し掛けてきたのはマジックで。
シンタローもそれを待っていた。
長い間の仲たがいの後で、やはり父であるマジックが突破口を開こうとしてくれたのだろう。
シンタローも素直にマジックの話しに耳を傾ける。
「お前に総帥の椅子を渡そう。」
「なッツ!?」
驚いた声を出したシンタローであったが、マジックは穏やかな顔をしていた。
ここ何年も見ていない顔。
そう。まるでシンタローが幼少期だった頃の父親の顔だ。
「例えお前と血の繋がりがなかろうと、私の後継ぎはお前だよ、シンタロー。お前は私の息子だからね。ガンマ団の指揮を取りなさい。お前のしたい事を思いっきりやりなさい。」
マジックの白くて骨ばった指がシンタローの頭に触れる。
一瞬ビクリと体が強張ったが、その温かい指先に懐かしさを覚え、目を細めた。
やりたい事。
確かにある。
パプワとの約束を果たしたい。
自分は普通の人より、出来る事が大きい。
団のトップに立ったら尚更。
軍隊のようなガンマ団である。
総帥が右、といったら右に行き、左、といったら左に行くだろう。
思いのまま、動かせる。
それに。
シンタローがガンマ団を解散する、と言えばガンマ団が無くなる事も出来るのだ。
………だが。
シンタローは怖いと思う。
自分にこの巨大な団の総帥になれる自信は少ない。
しかも、マジックは青の一族の中でも稀有な存在であった。
果たしてその後を自分が継げるのだろうか?
青の一族ですらない自分が?
父のように完璧なまでの総帥になれるだろうか?
いや、きっとなれないだろう。
「グンマが適任じゃねぇのか。一応あんなでもアンタの正当な長男だぜ?」
「……シンちゃん、本気で言ってるの?グンちゃんができる訳ないでしょ~…」
はぁー、と、溜息をついてオーバーリアクションで肩を竦める。
「第一グンちゃんは開発課なんだよ?発明品造る為ならあの子全ての用事をほっぽらかすよ。団員達の訓示もきっと来ないね。断言できるよ。」
そう言われてしまえばそうだ。
グンマは昔から物事を真剣に取り込むと回りが見えなくなる。
しかもツメが甘い。
「じゃ、キンタローは……。」
「キンタローはルーザーの息子なんだよ、シンタロー。お前は私の息子だ。」
そう言われると凄く嬉しい。
こんな影でしかない自分を認めてくれて有り難いと思う。
でも。だからこそ。
シンタローは思うのだ。
これ以上この一族を掻き回したくはない、と。
大好きな家族だから、大好きな人だから。
自分がこの一族の頭に立つのだけは嫌だった。
「シンタロー。私のお願いだ。お前になら任せられる。」
「………。」
マジック達青の一族が築き上げてきたものを、全く何の繋がりもない赤の他人が掲げるなんて、そんな事できないし、したくない。
でも、父が言う事なのだ。
父と信じていて、父だと言う人が言うのだ。
しばらくの葛藤の末、シンタローは口を開いた。
「解った。」
そう唇が動いた瞬間、マジックはバンザーイ!と手を上げて喜ぶ。
しかし、シンタローは眉間にシワを寄せていた。
「ただし、条件がある。」
その声は凛としていて、普段シンタローの前ではおちゃらけているマジックも、動きを止めた。
「条件って、何?」
「コタローがガンマ団をつぐまでの間だ。」
そうキッパリ言い放つ。
マジックも、その条件は予想の範囲内だったようで瞼を落とした。
「コタローがいつか目を覚まし、大人になるまで、って事だね?」
「ああ。」
マジックにとってコタローはとても意味のある息子でいる事に変わりはない。
コタローにしてしまった事の間違いを全て受け入れ、そのうえでコタローを受け入れようと思う。
マジックとて、コタローが憎かったり、嫌いだった訳じゃない。
善悪の感情もないのに巨大な力を秘めているコタローを野放しにできなかった。
それは総帥として団員を殺されない為でもあったし、訳も解らぬ息子が他人を殺す所を見たくないし、又、殺しを何の戸惑いもなくしてしまうのが怖かったのだ。
「シンタロー、解ったよ。でも、これだけは聞かせて欲しい。もし、コタローがガンマ団を継ぎたくない、と言ったらどうするんだい?仕事を誰かに押し付ける?総帥の仕事を継続する?それとも…」
マジックが一旦言葉を切った。
そして、目をつぶって空を仰ぐ。
それからシンタローの目を見つめた。
青い瞳がシンタローの黒い瞳に写る。
「逃げてしまうのかな?4年前のように。」
4年前、確かにシンタローは逃げ出した。
大切な弟を助け出したかったし、何よりこの父親に奪われる事の憤りを解らせてやりたかった。
言葉を考えていると、マジックが表情を緩める。
そして、シンタローの頬に指先を這わせた。
「シンちゃん、昔、パパに何で自分だけ髪の色と目の色が黒いのかって聞いた事覚えてる?」
いきなり話題変換されて、シンタローは少し戸惑った。
しかし、マジックが話を聞かない事はいつもの事なので、とりあえず思い出してみる。
そういえばそんな事も聞いたような気もしなくもない。
子供心にとても気になっていた事。
まだ小さかった頃にはものも解らないだろうと知らない人達に「グンマ様の影武者」なんて言われていた事もあった。
グンマの、ではなかったが、影武者は当たってたかな、なんて思う。
「そんな事もあったかナ。」
「うん。あったよ。その時、赤鼻のトナカイの話しで例え話しをしたんだけど、シンちゃん凄く気に入ってくれてね、おっきな目をキラキラさせて話しを聞いてくれた。」
だんだんマジックの顔が近づいてきて、あ、キスされるな、と解ったから静かに目を閉じた。
予想通り薄い唇がシンタローの唇に当たる。
啄むような、触れるだけのキスをされる。
ちゅ、ちゅ、と優しい音が時々聞こえた。
「その時にね、パパの事助けてって言ったんだよ。」唇をくっつけて話しを始めたので、シンタローは少し目を開けた。
目の前には見慣れた父親の顔。
「そしたらお前はね、しょうがないなって、笑ったんだ。」
だからね、シンちゃん。パパを助けて。
そう付け加えてシンタローを抱きしめた。
「俺はもう、何処にもいかねーヨ。」
そう言ってやると、酷く安堵した顔で笑った。
その顔がコタローとダブって見えて、やっぱり親子なんだな、と嬉しい気分になる。
「シンタロー、ありがとう。愛してるよ。」
親子なのに恋人同士とか、本当ややこしい関係だと解っている。
でも、マジックに愛してると言われる度にいつもほんわかした気持ちになれて。
戸惑いとか確かに昔はあったけれど、今はただただ嬉しい。
俺、結構コイツにハマっちゃってんだナ。
絶対言ってなんてやらないけど。
「コタローがもし総帥にならないって言ったら、コタローの子供ができるまで総帥、やってやるよ。」
よしよし、と頭をポンポンと叩いてやると、困ったようにマジックは笑った。
「それって遠回しのプロポーズって取っていいのかな?」
「深読みすんな、馬鹿。」
そう言ってこずいてやったら、痛い、って言って嬉しそうに笑う。
マジックに息子と認めて貰い、恋愛感情的にも愛して貰っていると解るだけで、赤とか青とかどうでも良くなってしまう。
俺の心の大半を占めてる人。
いつかコタローが目覚めたら、今度こそ皆笑って幸せな家庭が築けると思う。
触れるだけのキスから、だんだん濃厚なキスに変わっていく。
マジックが口をあけて、シンタローにも開けるように催促をするので、ちょっとだけ開けてやると、舌を入れてきた。
決して無理矢理なんかじゃなく、優しく、包み込むように。
両手で頬を持ち上げられて、歯をなぞられる。
「んん、ふ……っ」
眉をしかめて苦しそうにすると、マジックがキスを解いた。
銀色の糸が明かりに照らされてテラテラ光って見えた。
「シンちゃん……」
今日は二人で寝たいと、お互い思う。
子供の時のように、二人でベッドに包まって、マジックに抱きしめられて眠りにつきたい。
平均的な体を大きく上回る二人が同じベッドで寝るなんて、はたから見ればおかしな光景かもしれない。
それだけれども。
やはり父であり、息子であり、恋人同士であり。
ほんわかした気持ちの中、子供のように眠りたいのだ。
総帥になる、と言ってしまったからには、それに見合う代償も必要で。
それは、時間だとか体力だとか色々あるけれど、きっと今までみたいに会いたくなったら会えるとか、そんな事はできないだろう。
昔から父の背中を見て育ってきたシンタローには解る。
外交に仕事に明け暮れ、家に中々戻って来られない父。
子供心に忙しいのだな、と思っていた。
それに。
自分のやりたい事。
それはこの素晴らしい世界を守っていく事。
パプワとの約束だ。
このガンマ団を一から変えなければならない大仕事。
大変かもしれないが、やらなければならない。
決してシンタローは安請け合いをした訳ではないのだから。
ガンマ団を変えて、世界を変えて。
出来る事から始めよう。
これはその第一歩なのだ。
マジックの温かい体温を全身で感じながらシンタローは瞳を閉じた。
何だかとても眠い。
マジックの服の端っこを握り締めながら、シンタローは眠りについた。
「シンちゃん、寝ちゃったの?」
意識の端っこでマジックの声が聞こえる。
その、心地良いトーンの声に無意識のうちに安堵している自分が居た。
「おやすみ、シンタロー。」
マジックの唇がシンタローの額に触れたような気がした。
それから数日後、シンタローがガンマ団総帥を継ぐ事を発表された。
あの島で共に戦った戦友達も幹部へと格上げされて。
彼が一番最初にやった事は“殺さず”。
人殺し軍団から、正義のお仕置き集団に変貌を遂げる。
ガンマ団の根底をひっくり返し、団員達から反感を持たれるかとも覚悟していたが、中々どうして。
結構素直に受け入れて貰えた。
涙を流して喜ぶマジックが祭壇の端っこに見える。
襲名を終え、祭壇を後にした時、シンタローはマジックに耳打ちをした。
“俺はルドルフになれたみたいだ。”
お前の鼻が役に立つのさ
終わり
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