あの人の
何処がいいかと尋ねられ
何処が悪いと問い返す
YOU’RE MY SUNSHINE
「―――しかし、少々意外だった」
補佐官を務める従兄弟の言葉に、シンタローがくすぐったそうに笑う。
「そうか?」
「理解に苦しんだ、という方が正確かな」
「どういう意味だそりゃ」
「だってそうだろう」
シンタローにグラスを渡し、キンタローはその正面に腰を下ろした。
「何で、コージなんだ?」
「―――僕ちょっと吃驚しちゃった」
「何でじゃ?」
紅茶を飲まないコージにグンマが宇治の緑茶を手渡す。
「おっ、茶柱が立っとるぞ」
「良かったね。だけどさ、コージ」
「うん?」
「何で、シンちゃんなの?」
シンタローが伊達衆の武者のコージとつき合い始めた時、従兄弟であるキンタローとグンマは心の底から仰天した。
何しろシンタローは全団員の尊敬と憧れを一身に受けているカリスマ総帥であり、彼のためなら命も要らないと決めているのは何も親馬鹿な前総帥だけでは無かったからだ。
シンタローが選んだ相手に不足があるというわけではない。
伊達衆最年長のコージは、どんな時にもゆったりと落ち着いていて、時にはキンタローにさえささやかな劣等感を抱かせるほどの包容力を持った男だった。
―――シンタローがいいならそれでいい。
キンタローもグンマもそう思っている。
だが、青の一族の血をひく二人にとっては、掌中の珠を奪われたような気になったのも事実で。
何故と訊かれ、唇に指を当てて考えこむシンタローを複雑な思いで凝視める。
見慣れた癖が、わけもなく眩しかった。
(俺では駄目だったのだろうか)
その肩には重すぎる荷を背負い、全ての過去を受け入れて歩き出し始めた彼の、自分は支えにはなれなかったのだろうか。
何故と訊かれ、緑茶に視線を落とすコージを複雑な思いで凝視める。
男らしいけれどどこか優しい頬の輪郭が、ちょっとだけ憎らしかった。
(僕やキンちゃんじゃ駄目なのかな)
決して泣き言や愚痴を言わず、どんな重圧も笑ってはね返してしまうシンタローの、自分は心の奥まで理解する事が出来なかったんだろうか。
「理由なんぞ、考えたことはないのぉ」
コージの声は普段と変わらない。
「わしはただ、あいつから眼を離せんかった。ずっと側で見ていたかった」
「・・・」
「じゃけえ本気で口説きたい、そう思うた」
「初めてあいつに―――キスされた時」
シンタローがふいと眼を逸らす。
「どうしてだか分かんねェけど、嫌じゃなかったんだよ」
「・・・」
「本気で口説いていいかってそう言われて・・不覚にも頷いちまった」
「あいつの側に居ると、何だか暖かい気持ちになるんだ」
「―――そうか」
「建物の影から急に日向に出ると、身体中がほっとして力が抜けるだろ、そんな感じなんだ」
「シンタローを見ちょると、元気になれるんじゃ」
「―――ふうん」
「雲が切れて急にお日さんが見えると、思わず手を伸ばしとうなるじゃろ、そげな感じじゃの」
キンタローはグラスの中の酒に見入るシンタローを暫く眺めていた。
(こんなシンタローは初めて見る)
それは物思うような、それでいて深く満ち足りたような柔和な眼差しだった。
シンタローはきっと幸せなのだろうとキンタローは思う。
「・・・安らぎ、か」
コージの羽根の下でなら、シンタローはひっそりと安らかに眠ることが出来る。
愛情が深すぎる自分達にはないもの。
そして、自分達では永遠にシンタローに与えることは出来ないもの。
「コージはおまえの、太陽なんだな。―――」
グンマは微かな笑みを浮かべて窓の外を見ているコージを暫く眺めていた。
(コージがシンちゃんを変えたんだ)
それは何も要求しない、全てを包み込むような優しい眼差しだった。
きっとシンタローのことを考えているのだろうとグンマは思う。
「・・・労り、か」
コージは何も欲しがらない。ただ、水が流れるようにシンタローを愛しているだけ。
シンタローが必要とする唯一のもの。
そして、きっとこの男にとっても。
「シンちゃんはコージの、お日様なんだね。―――」
シンタローの瞳が初めてキンタローに向けられる。
「・・・たぶん、そうかも」
コージが初めて白い歯を見せる。
「・・・そうじゃな、きっと」
それならとても敵わない、そう思った。
けれど口惜しくはない。
もう憎らしいとも思わない。
ひとつの銀河系にはひとつの太陽しか要らないのだ。
(お互いがお互いにとってたったひとつの)
どんなに寒く冷たい空の下でも、希望の光もない冬の最中でも。
いつも頭上に輝く太陽さえ見つけられれば、真っ直ぐに生きていけると思った。
(迷わずにどこまでも)
走り続けることが出来る。
あなたさえいれば、きっと。
何処がいいかと尋ねられ
何処が悪いと問い返す
YOU’RE MY SUNSHINE
「―――しかし、少々意外だった」
補佐官を務める従兄弟の言葉に、シンタローがくすぐったそうに笑う。
「そうか?」
「理解に苦しんだ、という方が正確かな」
「どういう意味だそりゃ」
「だってそうだろう」
シンタローにグラスを渡し、キンタローはその正面に腰を下ろした。
「何で、コージなんだ?」
「―――僕ちょっと吃驚しちゃった」
「何でじゃ?」
紅茶を飲まないコージにグンマが宇治の緑茶を手渡す。
「おっ、茶柱が立っとるぞ」
「良かったね。だけどさ、コージ」
「うん?」
「何で、シンちゃんなの?」
シンタローが伊達衆の武者のコージとつき合い始めた時、従兄弟であるキンタローとグンマは心の底から仰天した。
何しろシンタローは全団員の尊敬と憧れを一身に受けているカリスマ総帥であり、彼のためなら命も要らないと決めているのは何も親馬鹿な前総帥だけでは無かったからだ。
シンタローが選んだ相手に不足があるというわけではない。
伊達衆最年長のコージは、どんな時にもゆったりと落ち着いていて、時にはキンタローにさえささやかな劣等感を抱かせるほどの包容力を持った男だった。
―――シンタローがいいならそれでいい。
キンタローもグンマもそう思っている。
だが、青の一族の血をひく二人にとっては、掌中の珠を奪われたような気になったのも事実で。
何故と訊かれ、唇に指を当てて考えこむシンタローを複雑な思いで凝視める。
見慣れた癖が、わけもなく眩しかった。
(俺では駄目だったのだろうか)
その肩には重すぎる荷を背負い、全ての過去を受け入れて歩き出し始めた彼の、自分は支えにはなれなかったのだろうか。
何故と訊かれ、緑茶に視線を落とすコージを複雑な思いで凝視める。
男らしいけれどどこか優しい頬の輪郭が、ちょっとだけ憎らしかった。
(僕やキンちゃんじゃ駄目なのかな)
決して泣き言や愚痴を言わず、どんな重圧も笑ってはね返してしまうシンタローの、自分は心の奥まで理解する事が出来なかったんだろうか。
「理由なんぞ、考えたことはないのぉ」
コージの声は普段と変わらない。
「わしはただ、あいつから眼を離せんかった。ずっと側で見ていたかった」
「・・・」
「じゃけえ本気で口説きたい、そう思うた」
「初めてあいつに―――キスされた時」
シンタローがふいと眼を逸らす。
「どうしてだか分かんねェけど、嫌じゃなかったんだよ」
「・・・」
「本気で口説いていいかってそう言われて・・不覚にも頷いちまった」
「あいつの側に居ると、何だか暖かい気持ちになるんだ」
「―――そうか」
「建物の影から急に日向に出ると、身体中がほっとして力が抜けるだろ、そんな感じなんだ」
「シンタローを見ちょると、元気になれるんじゃ」
「―――ふうん」
「雲が切れて急にお日さんが見えると、思わず手を伸ばしとうなるじゃろ、そげな感じじゃの」
キンタローはグラスの中の酒に見入るシンタローを暫く眺めていた。
(こんなシンタローは初めて見る)
それは物思うような、それでいて深く満ち足りたような柔和な眼差しだった。
シンタローはきっと幸せなのだろうとキンタローは思う。
「・・・安らぎ、か」
コージの羽根の下でなら、シンタローはひっそりと安らかに眠ることが出来る。
愛情が深すぎる自分達にはないもの。
そして、自分達では永遠にシンタローに与えることは出来ないもの。
「コージはおまえの、太陽なんだな。―――」
グンマは微かな笑みを浮かべて窓の外を見ているコージを暫く眺めていた。
(コージがシンちゃんを変えたんだ)
それは何も要求しない、全てを包み込むような優しい眼差しだった。
きっとシンタローのことを考えているのだろうとグンマは思う。
「・・・労り、か」
コージは何も欲しがらない。ただ、水が流れるようにシンタローを愛しているだけ。
シンタローが必要とする唯一のもの。
そして、きっとこの男にとっても。
「シンちゃんはコージの、お日様なんだね。―――」
シンタローの瞳が初めてキンタローに向けられる。
「・・・たぶん、そうかも」
コージが初めて白い歯を見せる。
「・・・そうじゃな、きっと」
それならとても敵わない、そう思った。
けれど口惜しくはない。
もう憎らしいとも思わない。
ひとつの銀河系にはひとつの太陽しか要らないのだ。
(お互いがお互いにとってたったひとつの)
どんなに寒く冷たい空の下でも、希望の光もない冬の最中でも。
いつも頭上に輝く太陽さえ見つけられれば、真っ直ぐに生きていけると思った。
(迷わずにどこまでも)
走り続けることが出来る。
あなたさえいれば、きっと。
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広報課にあったというガンマ団員アンケート結果を持ってきたのは、ロッドだった。
「アンケートなんか採ってやがったのか?」
「それが笑えますよぉ、公表できなくなっちまって」
どういうことだと紙を受け取ったハーレムは、中身に目を走らせて声を殺し俯いて笑った。
総帥がカッコいい、とか。
総帥がシンタローだからここにいる、とか。
総帥が本部に全然戻らないのが不満だ、とか。
「シンタローのことしか書いてねーじゃねえか」
「ね? こんなもん、前総帥やキンタロー様には見せらんねえって、広報の奴ら青くなってましたよ」
「言えるな」
青の一族は愛情も独占欲もその表現方法も桁外れだ。
特戦部隊はさっそく、彼らがこれを見たら何発の眼魔砲が飛ぶか、賭けを始めている。
それにしても、とハーレムは会話を耳にしながら紙を指で弾いた。
シンタローというのは、つくづく不思議な男だ。
南の島から戻って以来、総帥代行をしている長兄は、シンタローが実の息子でないと分かってからも、団員一同にウザがられる程の溺愛っぷりである。
シンタローの命を狙ったことのあるミヤギ・トットリ・アラシヤマ・コージは新総帥の側近になった。
一度は辞めた津軽ジョッカーや博多どん太も、シンタローの総帥着任と同時に舞い戻ってきた。
グンマだって出生の秘密を知っていろいろと思うことはあるだろうに、いまだにシンちゃんシンちゃんとうるさい。
そして何と言ってもキンタローだ、と、かつて自分が擁立しようとした甥っ子を思い、ハーレムは笑いを堪えた。
シンタローへの殺意だけで立っていた男が、いま彼を救うために徹夜を続けている。
まったくたいしたもんだ。
周りから見れば、シンタローはもうすっかり新生ガンマ団の総帥なのだろう。
―――目を背けているのは自分だけだ。
別にシンタローに不満がある訳ではない。
ガンマ団に留まって自分らしく生きることも、やろうと思えば出来たかもしれない。
けれどハーレムは故意にでも新総帥に逆らわずにはいられなかった。
理由は分かっている。
自分は、シンタローを子どもだと信じたいのだ。
青の一族に黒眼黒髪の子が生まれたときは驚いたが、ハーレムはハーレムなりにシンタローを可愛がった。
精神的に幼さ(というよりガキっぽさ)の残る彼は、子ども扱いされたくない気の強いちみっ子と合っていたらしい。
可愛くないガキだ、ムカつくナマハゲだと言い争う姿は、周りから見ればどちらが子どもか分からず、また周りから見れば楽しそうだった。
なのに、久しぶりに兄に会いに行ったとき。
「ハーレム叔父さん!」
駆け寄ってきたシンタローは思ったより成長していて、そして、
―――あの男に似ていた。
マズいと思ったときにはもう遅かった。
ハーレムはシンタローの腕を振り払い、体を嫌悪に震わせていた。
今も忘れない。
シンタローのひどく驚いた―――傷ついた顔を。
ちょうどあの頃から、シンタローはさまざまなことを知り始めていた。
父親のやっている仕事。総帥の長男という言葉の持つ意味。一族の異端である自分。
団員たちはマジックにおもねり、シンタローに媚びを含んだ笑顔を向けた。そして彼が去るとささやくのだ。
(成長すればもしかしたらって思っていたが)
(駄目だな)
(あれは秘石眼じゃない)
実力があれば良いのかと、シンタローは士官学校に進んで優秀な成績を取り、戦闘試合があれば必ず優勝してみせた。
それでも声は止まない。
(決勝の相手はグンマ様の作ったロボットだって)
(八百長じゃないの?)
眼魔砲を撃てるようになってさえ、誰かが言うのだ。
(だってシンタローは総帥の息子だから)
失望や嫉妬や敵意の視線のなか、彼は一刻も早く大人になろうとしていた。
弟の誕生をあんなに喜んだのも、守るべき誰かが欲しかったせいかもしれない。
けれどあのとき、シンタローがもっとも助けを必要としていたとき、ハーレムはその手を振り払ったのだ。
今になれば分かる。
体を取り戻したキンタローを手元に置いたのも、彼をシンタローと呼んだのも、すべて自分の罪悪感から来ている。
ジャンに似ていなければ、シンタローを受け入れられた。あんな顔をさせずに済んだ。
だからジャンに似ていないシンタローを求めたのだ。
そうしてあの島で皆がそれぞれの真実を知り、戦いの末に運命を乗り越えていった。
ハーレムもそうした。
長兄の、次兄の、末弟の心を抱きしめ、若い甥たちに未来を託した。
なのにシンタローへの気持ちだけは残っていたらしい。
あの日、少年だったシンタローともう一度逢いたい。
「隊長、隊長はどうします? 今んとこ本命はねー、マジック前総帥が10から15発、キンタロー補佐官が5から10発」
シンタローが子どものままであったら、自分たちはあの日からやり直せる。だから大人だなんて思ってやらないし、あいつの命令なんて聞いてやらない。
「えらくおとなしい予想じゃねえか。多分もっと派手にやらかすぜ」
「マジかよ、本部壊れんじゃね?」
俺は訳の分かった大人になんかならない。
だからお前も、どうかそのままで。
痛みが人を大人にするのなら、シンタローは大丈夫だ。あの島は決して彼を傷つけたりはしない。
ストレスが溜まったときは、手近に自分の元部下がいるのだし。
「いつ見せます?」
「シンタローが島から戻ったらだな。あいつがキレた兄貴とキンタローにキレ返して、眼魔砲を何発撃つかも賭け対象にするから覚えとけよ」
ちょうどそこで酒がなくなり、ハーレムは新しい瓶を取りに立ち上がった。
「兄貴がどんな顔すっか楽しみだな」
だから早く戻って来いなんて、そんな甘っちょろいことは思ってやらないけれど。
酒を探して棚の奥に消えた隊長を確認し、特戦部隊は賭けノートに新たな項目を付け足した。
『アンケートを公表できない本当の理由は、自由意見欄のほとんどがシンタロー総帥への愛の告白で埋まっているせいだと知ったとき、キレたハーレム隊長が撃つ眼魔砲の数は?』
逢いたいひとは誰だろう
夢のように儚く
通りすぎてゆくだけだけど
MILKY WAY
「あーあ、雨止まないね――・・・」
残念そうな声に、パソコンのキーを叩いていたキンタローも顔を上げた。
グンマは絶え間なく雨の滴が流れ落ちる窓ガラスにおでこをくっつけて外を眺めている。
「仕方ないさ、梅雨なんだから」
「だって明日は七夕だよー? 雨が降ったら織り姫と彦星逢えないじゃん!」
「はは、グンマはロマンチストだな」
「絶対に逢わせてあげたいんだよ。だって一年も待ったんだから」
何かを思い詰めたような声に、思わず手が止まる。
「・・・そうだな」
席を立ってグンマの隣に立ち、雨で曇る空を見上げる。
(一年に一度だけ)
「晴れたら、いいのにな。―――」
(鵲の橋を渡って恋人達が巡り逢う)
もう何年も逢っていないような気がする。
あの頃は毎晩おまえをこの腕に抱いていたのに。
毎朝おまえの温もりで眼を覚ましたのに。
二人が離れることなど有り得ないと、俺は心から信じていたんだ。
(シンタロー・・・早く逢いたい―――)
「でもさ、きっとシンちゃんのいるところは晴れてるよね」
キンタローはグンマの顔に視線を移した。
こっちを見上げる従兄弟の水色の瞳は柔和に微笑んでいた。
「あそこはずっと夏だもん」
「グンマ・・・」
「だから心配しないでね、キンちゃん」
―――きっと、逢えるから。
優しい声が、切ないほど胸に沁みた。
「あーあ・・雨、止みませんね―――・・・」
リキッドが小さく溜息をついた。
「まだ早いんじゃねえ? 帰りは夕方になるって言ってたぞ」
「パプワの迎えの話じゃないっす! 明日はせっかくの七夕なのに」
「ああ・・・大変だよな、おまえも」
ジャイアントイッポンダケに短冊を吊すのは、何故か毎年リキッドの役目になっている。雨の中を竹に登るのは難しいだろうと思って頷くと、もう一度溜息をつかれた。
「違いますよ。確か雨が降ったら、織り姫さんって天の川渡れないんでしょ?」
「・・・そうだったっけ?」
「アンタだって逢いたいでしょ」
「は?」
「―――向こうで待ってる彦星に」
シンタローは、暫く黙ってリキッドを凝視めていた。
真っ直ぐにこちらを見返してくる青い瞳に浮かんでいる感情が嫉妬なのか優しさなのか、全てを彼に与えた今でも完全には理解らないのが哀しかった。
「あ――・・・どうかなあ」
そっと手を伸ばして、金色と黒という不思議なトーンの髪に触れる。
そのままそっと引き寄せて、リキッドの肩に顔を埋めた。
「彦星がいつまでも待ってるなんて保証はない訳だし」
「・・・シンタローさん・・?」
「ひょっとしたら織り姫にだって」
自分よりほんの少し小さな背中に手を回して、心地良い温もりにそっと身を委ねる。
「他に好きな男が出来たかもしんねーし。―――」
だから、七夕は雨の方がいい。
雨で銀河が渡れないのならば、想い人の心変わりを疑うこともない。
二人を阻むのが銀河に降る雨ならば、待っている男を悲しませずにすむのだから。
少しずつ明るくなってきた空を見上げながら、リキッドはきつくシンタローを抱きしめた。
「明日空が晴れても、俺はアンタを離しませんよ」
「リキッ・・・」
「たとえ橋が架かっても、あの人のところには帰さない」
「だったら!」
まだ幼さの残る頬を両手で挟んで熱い吐息を零す唇をねじ切るように吸う。
「・・・しっかり掴まえとけよ、ヤンキー」
(心が揺れないように)
―――おまえの強さで未練の橋を、粉々に打ち砕いて欲しい。
信じる者が救われるなら
きっと誰も
泣いたりなんかしない
嵐
「いっそのこと、殺しちゃえば」
墨を流したような空には生暖かい風が吹き荒れている。
「そんなキンちゃん、もう僕見てられない」
夜毎独り、おまえを思う。
俺の腕で乱れた身体を今はあの男が抱いているのかと思うと、嫉妬に狂いそうになる。
「僕はシンちゃんが大好きだよ。幸せになって欲しいと思う」
「・・・それなら」
「だけどキンちゃんのこともすっごく大事なんだもん」
普段は柔和な水色の瞳に浮かんでいるのは紛れもない怒りだ。
「それに、よく知りもしないあんな子にシンちゃんをあげるのなんか、絶対に嫌。―――」
だが、いったい誰の命を奪えばいい。
誰を殺せば俺の心は静まるのだろう。
俺からシンタローを奪った赤の秘石の番人か?
俺というものがありながら他の男に身を任せたシンタローか?
―――それとも、恋人の心変わりを知りながら諦めることも出来ない惨めな俺自身をか?
「・・・出来ない」
「どうして」
「シンタローは俺を忘れてなどいない筈だから。いつかきっと帰ってきてくれると信じている」
「だけどもし帰ってこなかったら?」
「・・・もし本当に心が離れてしまったものなら」
(追いかけても泣き叫んでも)
離れた心は戻らない。
ましてや誰かの命を奪ってみたところで無駄な事。
その心の望むままに生きられるよう、文字通り半身として俺はあいつを支えてきた。
ありのままのおまえでいてくれと言ったのは俺だ。―――で、あるならば。
あいつが選んだ道なら、それがどんなものでも俺は受け入れなければならないのだ。
「そんなの、綺麗事なんじゃないの」
「・・・」
「他人に譲れる程度の想いなら、恋とは呼ばないよ」
そうかもしれない。
今だって俺の心の中には嵐が吹き荒れている。
あの男を殺せと、そしてシンタローを取り戻せと吼えている。
それはきっと、静かな海のように凪いだあの男の心とはまるで違うもので。
「それでも・・・俺には出来ないよ、グンマ」
「どうして!」
俺を見上げる従兄弟の顔は泣きそうに歪んでいる。
「どうしてシンちゃんを諦められるの? キンちゃんは、シンちゃんがあの子のものになっちゃっても平気なの?」
「俺が平気だと―――そう思うのか!?」
「・・・ごめん」
「諦められる訳がない。思い切れる筈などない」
「キンちゃん・・・」
「だがな、グンマ。ひとの心は、誰にも縛れないんだ。―――」
(シンタロー)
理性では、もしおまえがあの男を愛したのなら、俺はそれも含めておまえを受け入れるべきだと分かっている。
俺はおまえに、俺が望む形ではなくおまえ自身の望む形であり続けて欲しいのだ。
(それでも身の裡では荒涼とした風が吹きすさぶ)
本当は、この胸を引き裂いてしまいたい。
血の滴る心臓を取り出して、おまえに突きつけてやりたい。
これでも足りないのかと。
これでも戻ってきてはくれないのかと。
―――だけど出来ない。
だって俺はやっぱり、シンタローを愛しているから。
「お互い好きなのに、・・・なんでうまくいかないんだろうね」
呟くグンマを抱きしめて、俺は暗い空を見上げた。
嵐が、来ようとしていた。
凪
「パプワ、シンタローさんは?」
昼食が出来たのに、食卓には1人足りない。
チャッピーと遊んでいたパプワが、「海を見てくるって言ってたゾ」と教えてくれた。
先に食べるよう言い置いて、海辺へと歩いていったら、砂浜に胡坐で座り込んでいる彼を見つけた。
気配を感じて振り向いたシンタローさんは、パプワたちと遊んでいるときの顔ではなく、厳しいお姑の顔でもなかった。
俺に好きだと言ってくれるときの顔でもない。
「ああ…悪ィ、もう昼か?」
でも俺はこの顔を知っている。
待っている人のことを、想っている顔だ。
「すぐに、行くから」
短く告げてまた海を見つめている彼の後ろに膝をついて、抱きしめた。互いに顔が見えないように、肩に額を埋めて。
流れる雲が太陽にかかったのか日差しが急に弱くなった。
いつも真っ直ぐに前を見据えて、力強い光を眼に宿しているシンタローさんが、俺とあの人のあいだで揺れるときだけ弱く感じる。
それを見るたびに浮かぶ疑問を、俺は訊ねたことはない。
シンタローさん。
俺を好きにならなければ良かったと思ったことはありますか?
曇った空の下、海はそれでも穏やかに凪いでいる。
肩から小さな震えが伝わってきて、彼が拳に力をこめたことを知った。何を思って耐えているのかは想像に難くないけれど。
いつになく静かな浜辺と波の音が俺の心を決めさせた。
彼の望みをかなえることはたやすい。
あの人のことを考えることも出来ないくらい、俺に縛りつければいい。奪い尽して、俺を刻み込んで、傷つけてしまえばいい。
今ここで、裏切っているのはあなただと囁くだけで、彼は簡単に俺のものになる。
だけどそうしてきて、何が残っただろう。
袋小路で背中合わせに立ってるだけじゃないか。
ならば、俺は―――。
「っ、止めろ…」
強くなる腕の力に、シンタローさんの体がびくりと震えた。
抱きしめることは言葉よりも雄弁だった。
「リキッド……っ」
そんな声で呼ばれても、ちゃんと伝えたいんだ。
「―――こんなのは、知らない…」
迷子になった子どものように途方に暮れて、シンタローさんは俺の腕を掴む。
あの人にも触れた手だと思うと、まだ胸の奥はちりちりと焦げるけれど、責める言葉はたった今、捨てた。
あなたを縛るのではなく、包み込みたいと思う。
きっとシンタローさんにとっては俺に縛られ、求められた方が楽だ。
彼は常に縛られ(それは愛情だったり期待だったり責任だったりするのだろうが)、常に求められてきた(それはもういろんな意味で)、そういう人だから。
だから俺は別の道を行く。
あなたを包み、あなたに与える。
訊くのが怖かった疑問も、今なら平気だ(きっと悲しむから訊かないけれど)。
だってシンタローさんの答えがどうであれ、俺の答えは変わらない。俺はシンタローさんを好きになったこと後悔したりしない。
戻る道はもう断たれている。だから前に進もうと思う。
―――あの人を想う心まで抱きしめて。
「嫌だ」
シンタローさんが声を震わせて呟いた。
「こんなの、俺は知らない…」
そう繰り返す彼を、もう一度強く抱きしめた。
こんな愛され方を知らないというのなら。
顔を上げて、俺の心と同じくらい穏やかな海を眺めて、シンタローさんに囁いた。
「俺が、教えてあげます」
雲の切れ間から太陽が顔をのぞかせて、青い海を照らした。
「パプワ、シンタローさんは?」
昼食が出来たのに、食卓には1人足りない。
チャッピーと遊んでいたパプワが、「海を見てくるって言ってたゾ」と教えてくれた。
先に食べるよう言い置いて、海辺へと歩いていったら、砂浜に胡坐で座り込んでいる彼を見つけた。
気配を感じて振り向いたシンタローさんは、パプワたちと遊んでいるときの顔ではなく、厳しいお姑の顔でもなかった。
俺に好きだと言ってくれるときの顔でもない。
「ああ…悪ィ、もう昼か?」
でも俺はこの顔を知っている。
待っている人のことを、想っている顔だ。
「すぐに、行くから」
短く告げてまた海を見つめている彼の後ろに膝をついて、抱きしめた。互いに顔が見えないように、肩に額を埋めて。
流れる雲が太陽にかかったのか日差しが急に弱くなった。
いつも真っ直ぐに前を見据えて、力強い光を眼に宿しているシンタローさんが、俺とあの人のあいだで揺れるときだけ弱く感じる。
それを見るたびに浮かぶ疑問を、俺は訊ねたことはない。
シンタローさん。
俺を好きにならなければ良かったと思ったことはありますか?
曇った空の下、海はそれでも穏やかに凪いでいる。
肩から小さな震えが伝わってきて、彼が拳に力をこめたことを知った。何を思って耐えているのかは想像に難くないけれど。
いつになく静かな浜辺と波の音が俺の心を決めさせた。
彼の望みをかなえることはたやすい。
あの人のことを考えることも出来ないくらい、俺に縛りつければいい。奪い尽して、俺を刻み込んで、傷つけてしまえばいい。
今ここで、裏切っているのはあなただと囁くだけで、彼は簡単に俺のものになる。
だけどそうしてきて、何が残っただろう。
袋小路で背中合わせに立ってるだけじゃないか。
ならば、俺は―――。
「っ、止めろ…」
強くなる腕の力に、シンタローさんの体がびくりと震えた。
抱きしめることは言葉よりも雄弁だった。
「リキッド……っ」
そんな声で呼ばれても、ちゃんと伝えたいんだ。
「―――こんなのは、知らない…」
迷子になった子どものように途方に暮れて、シンタローさんは俺の腕を掴む。
あの人にも触れた手だと思うと、まだ胸の奥はちりちりと焦げるけれど、責める言葉はたった今、捨てた。
あなたを縛るのではなく、包み込みたいと思う。
きっとシンタローさんにとっては俺に縛られ、求められた方が楽だ。
彼は常に縛られ(それは愛情だったり期待だったり責任だったりするのだろうが)、常に求められてきた(それはもういろんな意味で)、そういう人だから。
だから俺は別の道を行く。
あなたを包み、あなたに与える。
訊くのが怖かった疑問も、今なら平気だ(きっと悲しむから訊かないけれど)。
だってシンタローさんの答えがどうであれ、俺の答えは変わらない。俺はシンタローさんを好きになったこと後悔したりしない。
戻る道はもう断たれている。だから前に進もうと思う。
―――あの人を想う心まで抱きしめて。
「嫌だ」
シンタローさんが声を震わせて呟いた。
「こんなの、俺は知らない…」
そう繰り返す彼を、もう一度強く抱きしめた。
こんな愛され方を知らないというのなら。
顔を上げて、俺の心と同じくらい穏やかな海を眺めて、シンタローさんに囁いた。
「俺が、教えてあげます」
雲の切れ間から太陽が顔をのぞかせて、青い海を照らした。