凪
「パプワ、シンタローさんは?」
昼食が出来たのに、食卓には1人足りない。
チャッピーと遊んでいたパプワが、「海を見てくるって言ってたゾ」と教えてくれた。
先に食べるよう言い置いて、海辺へと歩いていったら、砂浜に胡坐で座り込んでいる彼を見つけた。
気配を感じて振り向いたシンタローさんは、パプワたちと遊んでいるときの顔ではなく、厳しいお姑の顔でもなかった。
俺に好きだと言ってくれるときの顔でもない。
「ああ…悪ィ、もう昼か?」
でも俺はこの顔を知っている。
待っている人のことを、想っている顔だ。
「すぐに、行くから」
短く告げてまた海を見つめている彼の後ろに膝をついて、抱きしめた。互いに顔が見えないように、肩に額を埋めて。
流れる雲が太陽にかかったのか日差しが急に弱くなった。
いつも真っ直ぐに前を見据えて、力強い光を眼に宿しているシンタローさんが、俺とあの人のあいだで揺れるときだけ弱く感じる。
それを見るたびに浮かぶ疑問を、俺は訊ねたことはない。
シンタローさん。
俺を好きにならなければ良かったと思ったことはありますか?
曇った空の下、海はそれでも穏やかに凪いでいる。
肩から小さな震えが伝わってきて、彼が拳に力をこめたことを知った。何を思って耐えているのかは想像に難くないけれど。
いつになく静かな浜辺と波の音が俺の心を決めさせた。
彼の望みをかなえることはたやすい。
あの人のことを考えることも出来ないくらい、俺に縛りつければいい。奪い尽して、俺を刻み込んで、傷つけてしまえばいい。
今ここで、裏切っているのはあなただと囁くだけで、彼は簡単に俺のものになる。
だけどそうしてきて、何が残っただろう。
袋小路で背中合わせに立ってるだけじゃないか。
ならば、俺は―――。
「っ、止めろ…」
強くなる腕の力に、シンタローさんの体がびくりと震えた。
抱きしめることは言葉よりも雄弁だった。
「リキッド……っ」
そんな声で呼ばれても、ちゃんと伝えたいんだ。
「―――こんなのは、知らない…」
迷子になった子どものように途方に暮れて、シンタローさんは俺の腕を掴む。
あの人にも触れた手だと思うと、まだ胸の奥はちりちりと焦げるけれど、責める言葉はたった今、捨てた。
あなたを縛るのではなく、包み込みたいと思う。
きっとシンタローさんにとっては俺に縛られ、求められた方が楽だ。
彼は常に縛られ(それは愛情だったり期待だったり責任だったりするのだろうが)、常に求められてきた(それはもういろんな意味で)、そういう人だから。
だから俺は別の道を行く。
あなたを包み、あなたに与える。
訊くのが怖かった疑問も、今なら平気だ(きっと悲しむから訊かないけれど)。
だってシンタローさんの答えがどうであれ、俺の答えは変わらない。俺はシンタローさんを好きになったこと後悔したりしない。
戻る道はもう断たれている。だから前に進もうと思う。
―――あの人を想う心まで抱きしめて。
「嫌だ」
シンタローさんが声を震わせて呟いた。
「こんなの、俺は知らない…」
そう繰り返す彼を、もう一度強く抱きしめた。
こんな愛され方を知らないというのなら。
顔を上げて、俺の心と同じくらい穏やかな海を眺めて、シンタローさんに囁いた。
「俺が、教えてあげます」
雲の切れ間から太陽が顔をのぞかせて、青い海を照らした。
「パプワ、シンタローさんは?」
昼食が出来たのに、食卓には1人足りない。
チャッピーと遊んでいたパプワが、「海を見てくるって言ってたゾ」と教えてくれた。
先に食べるよう言い置いて、海辺へと歩いていったら、砂浜に胡坐で座り込んでいる彼を見つけた。
気配を感じて振り向いたシンタローさんは、パプワたちと遊んでいるときの顔ではなく、厳しいお姑の顔でもなかった。
俺に好きだと言ってくれるときの顔でもない。
「ああ…悪ィ、もう昼か?」
でも俺はこの顔を知っている。
待っている人のことを、想っている顔だ。
「すぐに、行くから」
短く告げてまた海を見つめている彼の後ろに膝をついて、抱きしめた。互いに顔が見えないように、肩に額を埋めて。
流れる雲が太陽にかかったのか日差しが急に弱くなった。
いつも真っ直ぐに前を見据えて、力強い光を眼に宿しているシンタローさんが、俺とあの人のあいだで揺れるときだけ弱く感じる。
それを見るたびに浮かぶ疑問を、俺は訊ねたことはない。
シンタローさん。
俺を好きにならなければ良かったと思ったことはありますか?
曇った空の下、海はそれでも穏やかに凪いでいる。
肩から小さな震えが伝わってきて、彼が拳に力をこめたことを知った。何を思って耐えているのかは想像に難くないけれど。
いつになく静かな浜辺と波の音が俺の心を決めさせた。
彼の望みをかなえることはたやすい。
あの人のことを考えることも出来ないくらい、俺に縛りつければいい。奪い尽して、俺を刻み込んで、傷つけてしまえばいい。
今ここで、裏切っているのはあなただと囁くだけで、彼は簡単に俺のものになる。
だけどそうしてきて、何が残っただろう。
袋小路で背中合わせに立ってるだけじゃないか。
ならば、俺は―――。
「っ、止めろ…」
強くなる腕の力に、シンタローさんの体がびくりと震えた。
抱きしめることは言葉よりも雄弁だった。
「リキッド……っ」
そんな声で呼ばれても、ちゃんと伝えたいんだ。
「―――こんなのは、知らない…」
迷子になった子どものように途方に暮れて、シンタローさんは俺の腕を掴む。
あの人にも触れた手だと思うと、まだ胸の奥はちりちりと焦げるけれど、責める言葉はたった今、捨てた。
あなたを縛るのではなく、包み込みたいと思う。
きっとシンタローさんにとっては俺に縛られ、求められた方が楽だ。
彼は常に縛られ(それは愛情だったり期待だったり責任だったりするのだろうが)、常に求められてきた(それはもういろんな意味で)、そういう人だから。
だから俺は別の道を行く。
あなたを包み、あなたに与える。
訊くのが怖かった疑問も、今なら平気だ(きっと悲しむから訊かないけれど)。
だってシンタローさんの答えがどうであれ、俺の答えは変わらない。俺はシンタローさんを好きになったこと後悔したりしない。
戻る道はもう断たれている。だから前に進もうと思う。
―――あの人を想う心まで抱きしめて。
「嫌だ」
シンタローさんが声を震わせて呟いた。
「こんなの、俺は知らない…」
そう繰り返す彼を、もう一度強く抱きしめた。
こんな愛され方を知らないというのなら。
顔を上げて、俺の心と同じくらい穏やかな海を眺めて、シンタローさんに囁いた。
「俺が、教えてあげます」
雲の切れ間から太陽が顔をのぞかせて、青い海を照らした。
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