幸福の定義が分からない
きっと誰も不幸せではないんだろうに
ひとはいつも
星のように届かないものばかりに手を伸ばす
桃 李
心配なのでしょうとその男は言った。
シンタロー様のことが。
あの島にいる、赤の番人のことが―――。
俺は目の前の男を見据えた。
「・・・どういう意味だ」
長身の中国人は薄墨色の瞳で俺を見返した。
「あそこには私の元同僚がいます。四年前赤の秘石の番人として島に残った」
「知っている」
「子供のような男でした。鬼神と言われ、ガンマ団の癌細胞と疎まれたハーレム隊長の心さえその明るさで溶かしてしまった。私から見ても可愛い坊やでした」
「それが?」
「考えたことはないとは言わせませんよ、キンタロー様」
―――今シンタロー様の眼に映っているのは、一体誰なのでしょうね?
風が、ざあっと吹き抜けた。
誰もいない屋上で、俺はマーカーと二人きりで向き合っている。
「・・・何が言いたい」
「あなたは知っているはずだ。ひとたびリキッドがシンタロー様を愛したら、その結果がどうなるかを」
「・・・」
「何故ならあなたはあの島に行き、その目でリキッドを見たのだから」
(確かに俺は見た)
力の差など気にも留めずにシンタローに食ってかかったあの男は、誰よりも強い眼をしていた。
秘石眼であるはずもないのに、その眼はきらきらと輝いていた。
(あの青い瞳で凝視められたらきっと)
そうだ―――俺はもうずっと前から知っていたのだと思う。
シンタローはあの男と恋に落ちるだろう。
そして俺から離れてゆくだろう。
それはたぶん、俺にはどうしようもない二人の運命だった。
俺は特戦部隊の炎使いを見据えた。
「俺を、嘲笑いに来たのか」
「いいえ」
切れ長の瞳がふっと伏せられる。
「私にそんな資格はありません」
「マーカー・・・・?」
「私も、愛する者を遠く時空の彼方に奪われた人間ですから。―――」
春の風が吹いて、マーカーが着ている中国服の長い裾を乱す。
黒絹の服に刺繍されているのは、白と薄紅の桃の花だった。
(愛する者を)
「おまえにも・・誰か大事な人が?」
(遠く時空の彼方に奪われた人間)
「ええ」
マーカーは初めて微笑んだ。
年齢の分からない東洋人の微笑はどこか曖昧で、そして悲しげだった。
「あの方は・・桃の花なのですよ、キンタロー様」
「桃の・・花?」
――― 桃李不言
下自成蹊 ―――
(桃李もの言わずとも下自ずから小道を成す)
歌うように呟かれた中国語が、鮮やかに俺の心に沁みた。
「何を語らずとも、シンタロー様のような方は人を惹きつけてしまう。好むと好まざるに関わらず多くの人間を引き寄せてしまうのです」
そう、青の一族がシンタローを求めてやまぬように。
俺がシンタローに焦がれてやまぬように。
きっと今頃は少年のような瞳をしたあの男も、シンタローを愛してしまっている。
「変えることは・・・出来ないのだろうな」
「では」
俺は顔を上げた。マーカーは静かに俺を見ていた。
「譲るおつもりですか?―――リキッドに、シンタロー様を」
眩しいばかりの笑顔を思った。
夜ごと抱いたしなやかな肢体を思った。
共有してきた二十四年の日々を思った。
数え切れないほど交わした儚い約束を思った。
「いいや」
震える拳を握りしめる。
「シンタローを諦める訳には、いかない。―――」
(たとえあの漆黒の瞳に俺が映っていなくとも)
「・・・俺はあいつを愛している」
(誰に抱かれていようとも)
「必ず見つけ出してみせる」
シンタローは俺の命だった。
あいつの笑顔だけが俺を満たしてくれた。
俺に生きる力を与えてくれたのはあいつの優しい微笑みだけだった。
(人の心は縛れないけれど)
俺は必ずあの島への道を見つける。
そして何度でもおまえを口説けばいい。
おまえが欲しいと。
だからおまえを俺にくれ、と。
命の限りにおまえを口説いて、それでも想いが叶わぬ時は―――・・・シンタロー。
―――どうかおまえのその手で、俺を殺して欲しい。
「またずいぶんと魅入られてしまったものですな」
「仕方がない。桃の花とはそういうものだ」
「・・・哀れなお方だ」
それでも俺は幸せだったんだ。
おまえだけを凝視めていられれば、それで良かった。
携帯が鳴る。画面を確かめてマーカーは溜息をついた。
「やれやれ、また出撃命令です」
「次は何処へ?」
「知りません」
「暢気な男だな」
「何処でも同じです。あれのいない世界など、私にとっては何の価値もありませんから」
桃の花を縫い取った黒い中国服が背を向ける。
落ち着いた足音が遠ざかるのを聞きながら、俺は遠い空へ視線を投げた。
(シンタロー)
おまえは今何をしているだろうか。
おまえの心の中に、まだ俺の居場所はあるか。
(たとえあの男を好きになってしまっていても)
時には俺のことを思い出して泣いてくれればいいと思う。
俺はこの場所で、今でもおまえだけを愛しているから。
きっと誰も不幸せではないんだろうに
ひとはいつも
星のように届かないものばかりに手を伸ばす
桃 李
心配なのでしょうとその男は言った。
シンタロー様のことが。
あの島にいる、赤の番人のことが―――。
俺は目の前の男を見据えた。
「・・・どういう意味だ」
長身の中国人は薄墨色の瞳で俺を見返した。
「あそこには私の元同僚がいます。四年前赤の秘石の番人として島に残った」
「知っている」
「子供のような男でした。鬼神と言われ、ガンマ団の癌細胞と疎まれたハーレム隊長の心さえその明るさで溶かしてしまった。私から見ても可愛い坊やでした」
「それが?」
「考えたことはないとは言わせませんよ、キンタロー様」
―――今シンタロー様の眼に映っているのは、一体誰なのでしょうね?
風が、ざあっと吹き抜けた。
誰もいない屋上で、俺はマーカーと二人きりで向き合っている。
「・・・何が言いたい」
「あなたは知っているはずだ。ひとたびリキッドがシンタロー様を愛したら、その結果がどうなるかを」
「・・・」
「何故ならあなたはあの島に行き、その目でリキッドを見たのだから」
(確かに俺は見た)
力の差など気にも留めずにシンタローに食ってかかったあの男は、誰よりも強い眼をしていた。
秘石眼であるはずもないのに、その眼はきらきらと輝いていた。
(あの青い瞳で凝視められたらきっと)
そうだ―――俺はもうずっと前から知っていたのだと思う。
シンタローはあの男と恋に落ちるだろう。
そして俺から離れてゆくだろう。
それはたぶん、俺にはどうしようもない二人の運命だった。
俺は特戦部隊の炎使いを見据えた。
「俺を、嘲笑いに来たのか」
「いいえ」
切れ長の瞳がふっと伏せられる。
「私にそんな資格はありません」
「マーカー・・・・?」
「私も、愛する者を遠く時空の彼方に奪われた人間ですから。―――」
春の風が吹いて、マーカーが着ている中国服の長い裾を乱す。
黒絹の服に刺繍されているのは、白と薄紅の桃の花だった。
(愛する者を)
「おまえにも・・誰か大事な人が?」
(遠く時空の彼方に奪われた人間)
「ええ」
マーカーは初めて微笑んだ。
年齢の分からない東洋人の微笑はどこか曖昧で、そして悲しげだった。
「あの方は・・桃の花なのですよ、キンタロー様」
「桃の・・花?」
――― 桃李不言
下自成蹊 ―――
(桃李もの言わずとも下自ずから小道を成す)
歌うように呟かれた中国語が、鮮やかに俺の心に沁みた。
「何を語らずとも、シンタロー様のような方は人を惹きつけてしまう。好むと好まざるに関わらず多くの人間を引き寄せてしまうのです」
そう、青の一族がシンタローを求めてやまぬように。
俺がシンタローに焦がれてやまぬように。
きっと今頃は少年のような瞳をしたあの男も、シンタローを愛してしまっている。
「変えることは・・・出来ないのだろうな」
「では」
俺は顔を上げた。マーカーは静かに俺を見ていた。
「譲るおつもりですか?―――リキッドに、シンタロー様を」
眩しいばかりの笑顔を思った。
夜ごと抱いたしなやかな肢体を思った。
共有してきた二十四年の日々を思った。
数え切れないほど交わした儚い約束を思った。
「いいや」
震える拳を握りしめる。
「シンタローを諦める訳には、いかない。―――」
(たとえあの漆黒の瞳に俺が映っていなくとも)
「・・・俺はあいつを愛している」
(誰に抱かれていようとも)
「必ず見つけ出してみせる」
シンタローは俺の命だった。
あいつの笑顔だけが俺を満たしてくれた。
俺に生きる力を与えてくれたのはあいつの優しい微笑みだけだった。
(人の心は縛れないけれど)
俺は必ずあの島への道を見つける。
そして何度でもおまえを口説けばいい。
おまえが欲しいと。
だからおまえを俺にくれ、と。
命の限りにおまえを口説いて、それでも想いが叶わぬ時は―――・・・シンタロー。
―――どうかおまえのその手で、俺を殺して欲しい。
「またずいぶんと魅入られてしまったものですな」
「仕方がない。桃の花とはそういうものだ」
「・・・哀れなお方だ」
それでも俺は幸せだったんだ。
おまえだけを凝視めていられれば、それで良かった。
携帯が鳴る。画面を確かめてマーカーは溜息をついた。
「やれやれ、また出撃命令です」
「次は何処へ?」
「知りません」
「暢気な男だな」
「何処でも同じです。あれのいない世界など、私にとっては何の価値もありませんから」
桃の花を縫い取った黒い中国服が背を向ける。
落ち着いた足音が遠ざかるのを聞きながら、俺は遠い空へ視線を投げた。
(シンタロー)
おまえは今何をしているだろうか。
おまえの心の中に、まだ俺の居場所はあるか。
(たとえあの男を好きになってしまっていても)
時には俺のことを思い出して泣いてくれればいいと思う。
俺はこの場所で、今でもおまえだけを愛しているから。
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草の葉に
止まる蝶々はふたごころ
というて菜の花も捨てられぬ
ふたごころ
俺は知ってる。
俺に抱かれてる間中、あの人は別の男のことを考えてる。
だからって、あの人が嘘を吐いてる訳じゃない。
俺を好きだと言ってくれたのは本当で。
だけどきっと忘れられないでいるんだ。
優しい声と強い眼差しを持った誰かのことを。
あの人からそいつを追い出したくて、忘れさせたくて、俺は滅茶苦茶にあの人を貫く。
啼かせて、喘がせて、縋りつくように呼ぶ名前が俺のものになるまで嬲る。
責め立てて快楽を抉り出して、あの人が泣き出しても許さずに貪った。
(どうして俺は)
疲れ果てて眠りに落ちるあの人の上に、俺の涙がぽとりと落ちて滲んだ。
(傷つけたい訳じゃないのに)
このままあなたを殺して俺も死ねたら、どれだけ幸せだろう。
屈託無く笑うあの人の眼からは、何も読み取れない。
好きだと言って俺にくれるそのキスにも、濁りはない。
あなたの中にいるのが俺だけだということを確かめたくて何度もあなたを抱く。
なのにあまりにも見えてしまう他人の影に、俺はもう狂いそうだ。
他の誰かに抱かれてる時にも、あなたはこうやって俺をちらつかせるのだろうか。
今までにこの花が何人に愛でられて綺麗に咲いたのかなんて、考えたくもない。
ああ・・・俺は遠からずあなたを手折ってしまいそうです。
(ねえ、シンタローさん)
―――あなたが見ているのは、一体誰なんですか?
■SSS.18「if」 キンタロー+コタロー「ボクでよかったの?」
会うなり、コタローはそう口にした。
いや、一族の人間だけで顔をあわせた時はそんなことをおくびにも出さなかった。
眠る前のひととき、俺が一人でいるのを見計らうようにこの子どもは話しかけてきたのだ。
「…よかったとは」
どういうことだ、と口にする前に子どもはまっすぐに見つめたままもう一度問いを発した。
「パパが助けたのがボクでよかったの?お兄ちゃんじゃなくてさ」
お兄ちゃんと、ここにはいない従兄弟のことを言及した時、子どもの瞳は揺れていた。
「シンタローは…よかったと思っているだろうな」
グンマも伯父も、とわずかに視線を落として口にするとコタローは些か強い口調で再び問うた。
「あなたはよかったの?」
「ああ」
シンタローがよかれと思ったことだから。
彼が選ばれていたのなら、きっと誰もが傷つくことになっただろうから。
伯父は後悔を、シンタローは罪悪感を、グンマは愛情のもたらす理不尽さによって。
「お前はどうなんだ」
「どうって?ボクは…パパがボクを優先したのは嬉しかったけれど、でも…」
お兄ちゃんはボクのせいで、と揺れた目で語った。
「シンタローは大丈夫だ。アイツは何度でも生き返る。島で仲良くやってるさ」
心にもない言葉を安心させるように口にするとコタローはほっとしたような顔をした。
「…ねえ」
「なんだ?」
「ボクの力が安定したら迎えに行こうね」
お兄ちゃんを、と少し照れた顔で口にすると「オヤスミっ」とぱたぱたと足音を立ててコタローは帰った。
よかったかだって?
そんなことを俺に聞かないでくれ。
どうしてそんな残酷な質問を口にするんだ。
あのとき、俺が先に行かなければシンタローではなく俺が島へと取り残されたかもしれない。
そうなっていれば、きっと皆幸せだった。単なる従兄弟の俺を迎えに行くのは焦らなくてもいい。
父と二人の兄に囲まれて、おまえはもっと幸せを感じたはずだ。
友との別れも消し飛ぶくらいに、家族から愛情をもらえただろう。
きっと、今頃幸せな家族ができていたんだ。あのとき、俺が先に行かなければ。
会うなり、コタローはそう口にした。
いや、一族の人間だけで顔をあわせた時はそんなことをおくびにも出さなかった。
眠る前のひととき、俺が一人でいるのを見計らうようにこの子どもは話しかけてきたのだ。
「…よかったとは」
どういうことだ、と口にする前に子どもはまっすぐに見つめたままもう一度問いを発した。
「パパが助けたのがボクでよかったの?お兄ちゃんじゃなくてさ」
お兄ちゃんと、ここにはいない従兄弟のことを言及した時、子どもの瞳は揺れていた。
「シンタローは…よかったと思っているだろうな」
グンマも伯父も、とわずかに視線を落として口にするとコタローは些か強い口調で再び問うた。
「あなたはよかったの?」
「ああ」
シンタローがよかれと思ったことだから。
彼が選ばれていたのなら、きっと誰もが傷つくことになっただろうから。
伯父は後悔を、シンタローは罪悪感を、グンマは愛情のもたらす理不尽さによって。
「お前はどうなんだ」
「どうって?ボクは…パパがボクを優先したのは嬉しかったけれど、でも…」
お兄ちゃんはボクのせいで、と揺れた目で語った。
「シンタローは大丈夫だ。アイツは何度でも生き返る。島で仲良くやってるさ」
心にもない言葉を安心させるように口にするとコタローはほっとしたような顔をした。
「…ねえ」
「なんだ?」
「ボクの力が安定したら迎えに行こうね」
お兄ちゃんを、と少し照れた顔で口にすると「オヤスミっ」とぱたぱたと足音を立ててコタローは帰った。
よかったかだって?
そんなことを俺に聞かないでくれ。
どうしてそんな残酷な質問を口にするんだ。
あのとき、俺が先に行かなければシンタローではなく俺が島へと取り残されたかもしれない。
そうなっていれば、きっと皆幸せだった。単なる従兄弟の俺を迎えに行くのは焦らなくてもいい。
父と二人の兄に囲まれて、おまえはもっと幸せを感じたはずだ。
友との別れも消し飛ぶくらいに、家族から愛情をもらえただろう。
きっと、今頃幸せな家族ができていたんだ。あのとき、俺が先に行かなければ。
湿った髪
シンちゃんが泣いてる。
そう思ったのは、一緒に育ってきた従兄弟だからだろうか。
執務室から戻ってきた黒髪の従兄弟 ― 今は兄弟だが ― は、いつになく表情が暗かった。
ちょうどグンマも研究室から小休憩にリビングに戻ってきたところだったが、無言で戻ってきたシンタローが気になった。
「どーしたの?シンちゃん」
声をかけると、シンタローはまるで初めてグンマがリビングにいたことに気づいたように、驚いて顔をあげた。
「ああ、グンマ・・・。もう仕事終わりか?」
ぼーっとしていたのが恥ずかしかったのか、シンタローは力なく笑った。
「うんと・・・。お夜食もらおうと思って戻ってきたの。今夜はもう少し。シンちゃんは?」
「今日はオレは終わり。部屋行く」
と言って、シンタローは自室へ戻ろうとした。
「シンちゃん、夕飯は・・・?」
「今日は腹減ってないからいい」
そう言って、振り返ることなくリビングを出て行ってしまった。
シンちゃん、どうしたのかな?
やっぱり気になって、夜食を2つ持ってシンタローの自室へ向かった。
「シンちゃん?」
ドア越しに話しかけても、案の上返事はなかった。
指紋認証を使うドアは、本人でなければ外から開けることができない。
「シンちゃん、リゾット持ってきたんだけど、一緒に食べない?リゾットなら入るでしょ?」
お盆の上には、湯気の立つきのこのチーズリゾットが載っている。
少しの間があって、内側からロックを解除する電子音がした。
「ありがと」
いつもは明るい彼が表情の暗いのを見ると、こちらまで気持ちが沈むような気がしたが、努めて明るく言って部屋に入る。
シンタローは総帥服の上着だけ脱いで、どうやらベッドに横になっていたようだった。
いつもハウスキーパーによって完璧に整えられるベッドの上に、人の寝た跡がついている。
テーブルの上にお盆を載せると、一緒に持ってきたミネラルウォーターをコップに注いだ。
「シンちゃんはビールの方が良かったかな?」
笑いながら言うと、シンタローもつられたように少しだけ笑った。
けれど、すぐ目を伏せてしまう。
「どうしたの?シンちゃん」
シンタローの座る側のソファに行くと、グンマはシンタローの髪を撫でた。
顔にかかった髪を耳の後ろへかけようとして、その髪が湿っているのに気づく。
やっぱりシンちゃん、泣いてたんだ。
おそらくベッドに横になりながら泣いていたのだ。
伏目がちにしていたからよく見えなかったが、おそらく目は赤くなっているだろう。
黒いまつげは水分を含んでいた。
問いかけてはみたものの、シンタローは黙ったままだった。
気丈な彼が、泣くなんて珍しいと他の者なら思うかもしれない。
しかし、小さい頃から2人だけで遊んでいた自分なら、従兄弟が泣いているところを何度も目撃したことがあったし、実際2人でよく泣いていた。
たいていは自分が先に泣いて、シンタローはぐっと我慢していることが多かったが。
それでも最後にはこらえきれず泣いてしまったことが多かった。
シンちゃんどうしたの?
その問いかけには、きっと、答えなんかもらえない。
シンタローには、きっと、つらいことが多すぎる。
あの島のこと。シンタロー自身のこと。コタローのこと。マジックのこと。キンタローのこと。仕事のこと。
・・・おそらくグンマのことだって。
グンマは、背の高いシンタローの肩をそっと抱いた。
彼にしては珍しく素直に、グンマに体重を預けてくるのが嬉しかった。
彼のがっしりとした体に腕を回し、そっと力を込める。
キンちゃんが帰ってくるまでは、今日はボクがなぐさめてあげる。
グンマは、新たに落ちてきた涙をそっと舌で舐めとった。
end
ブラウザバックでお戻り下さい
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同族嫌悪・近親憎悪
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ガンマ団新総帥は、その日すこぶる機嫌が悪かった。
廊下にいるにも関わらず、部屋の中から伝わってくるこのオーラは只事ではない。
「……ティラミス、お前行け」
「馬鹿言うな。俺だってまだ死にたくない」
部屋の前では書類の束を持ったままの秘書二名が、美しき譲り合い (押し付け合い)の精神を発揮した会話が繰り広げている。
誰だって無駄に寿命を縮めたくはない。
『二人とも、くだらねぇ事やってねぇで、早く入って来やがれ』
「「!」」
扉越しに聞こえたそれは、いつもより低く、明らかに機嫌が悪そうな声色。
何にしろ、気付かれているのなら入らない訳にはいかない。
顔はあくまでも冷静を装いつつ、二人は自動ドアの前に立った。
「「失礼します」」
扉に背を向け、深々と椅子に座り込んだその人物。
顔は見えなくとも、張り詰めている肌を刺すような空気が恐ろしい。
「今日の予定は昨日確認したものと変更ないな」
「はい」
スケジュールを書き込んだメモを見ながら、返事をする。
ここ最近はそんなに忙しいことはない。
遠征が無いかわりに書類処理が多いだけだ。
「ならいい。下がってくれ」
振り向かないままに確認を取ると、下がれと手で示す。
「……あの、総帥? ……何かお気に触ることでも?」
「あったように見えるのか?」
あからさまに、「それ以上聞くな」と言う雰囲気を漂わせた低い声に、チョコレートロマンスは首を振るので精一杯だった。
「(こら、チョコレートロマンス! 聞くならちゃんと最後まで聞け!)」
「(馬鹿! あの状態で聞けるか!!)」
秘書二人、目線で会話が出来る辺り付き合いの長さが窺える。
「「それでは、失礼します」」
入室の時と同じように、声をそろえて二人は部屋を出た。
扉が閉じた瞬間に、これまた同じようにため息をつき、互いの顔を見やる。
「……マジック様か?」
「……八割の確率でそうだと思うぞ俺は」
やたら高い確信なのは、普段の行動を見れば仕方がない。
「仕事が進むなら良いけどな……俺たちの寿命が縮むくらいだ」
「秘書は耐えるお仕事です。か?」
「世知辛いな……」
「ああ」
まさに秘書の鏡と言える会話をしながら、二人は元総帥のいるであろう部屋に向けて歩き出した。
特戦部隊隊長は、その日とてつもなく機嫌が悪かった。
廊下にいるにも関わらず、部屋の中から伝わってくるこのオーラは只事ではない。
「……ロッド、お前が行け。骨は拾ってやる」
「いやー、俺もまだ殉職する年齢じゃないしねー、ここは平等にじゃんけんで……」
「……」
部屋の前では各部署への報告(主に損害報告)から帰ってきた部下三名が、醜い押し付け合いの精神を発揮した会話が繰り広げている。
あの隊長のことだ。下手すれば眼魔砲は確実。
『おらてめぇら! くだらねぇ事やってねぇで、早く入ってこい』
「「「!」」」
扉越しに聞こえたそれは、明らかに不機嫌が表面に表れていて、三人は即座に身を固くした。
このまま入らなければ殺されるが、入っても殺される。
「「「……じゃんけん」」」
…………。
平等な勝負の結果、先頭で部屋に入ることになったロッドは、信じてもいない十字を切った。
「隊長ー、只今戻りました」
「遅ぇ」
デスクに足を乗せ、あからさまに機嫌が悪いことを態度で示した男は、既に吸い殻が溢れんばかりのった灰皿に、更にタバコを押し付けた。
「報告に何時間かかってんだ」
確かに、たかが書類提出にそれぞれずいぶん時間がかかっている。
それもそのはず、それぞれが各部署で、書類の書き直しをしていたのだから当然だ。
さすがに三行だけしかない書類を見た時は、全員頭を抱えたものだ。
せめて一枚以上の厚さで報告書として提出して欲しい。
「それで? 次はどこに行ってこいって?」
「あぁ、いえ、しばらく待機だそうですよ?」
珍しく空いた時間ができた、と笑いながら言ったロッドに、しかしハーレムは一層眉根を寄せた。
「あぁ? 待機だぁ?」
足で強くデスクが強く蹴られ、置いてあった残りの書類が舞い上がって、床に降り注いだ。
後々の片付けはやはり自分たちがするのだろうと思うと、頭痛がする。
「……あの、隊長? 何かあったんっすか?」
「あったように見えんのか? ぁあ?」
聞いたロッドに向けて、射殺さんばかりの視線を向け、噛み付くような言葉で威嚇する。
そうとうに機嫌が悪いらしいと読み取って、「いーえ」とあくまで平静を崩さずに返す。
「(だめだこりゃ、そーとー虫の居所悪いみたいよ?)」
「(いつも以上にな)」
「(…………)」
部下三人、長年この上司の下についてきただけあってか、さすがに意思疎通が出来ている。
「それじゃ、俺らはこの辺で」
「失礼いたします」
「…………」
こういう時は、巻き込まれないうちに姿を消すのが賢い部下というものだ。
今のうちに部屋をでるにかぎる。
リキッドがいれば八つ当たり相手ができて少しはマシなのだろうが……。
ないものねだりをしても仕方がない。
「……やっぱ馬かねぇ?」
「いや、酒が切れたのかもしれん」
「タバコもありうる……」
閉じた扉の前で、思い思いの原因を述べる。
普段の生活ぶりを見れば仕方のないことだが……何と人望のないことか。
「まあ、とばっちりが来ないならいいんだけどね。俺は」
「同感だ」
「……」
巻き込まれても何の徳もないことがわかっている。
次の出撃までに上司の機嫌が直っていることを願いつつ、各自室に向け、長い廊下を歩き始めた。
昨晩深夜、総帥自室の明かりは消えていなかった。
未だ安定しない団内部を総括するため、全て把握しなければ気がすまないとでも言うように、現総帥が寝る間を削って資料を読み漁っていたからだ。
しかし過去のファイルの何と多いことか……。
自室は半分資料室と化し、ことにテーブル周りは酷いもの。
本来デスクですべき作業だが、残念ながらそのデスクは部屋にない。
彼を心配してか、従兄弟がそろって片付けてしまった。
もっとも、その意を酌まずにいるわけだが……。
「んなことしたって何にもならねーぜ?」
「……るせぇ、いつ帰ってきたんだよ」
バタンと他人の迷惑を考えない音がして、開け放たれたドアから不躾な声が響く。
音からして、金具が駄目になったかもしれない。
部屋の主は、全く気にも留めていないように、ファイルから顔を上げぬままに答えた。
「さっきだよ、隊長様自らご報告にきてやったってんだ。感謝しろよ?」
「知るかよ。だったらこんな時間に来るんじゃねぇ。……おい、硝煙臭ぇぞ。」
戦場の匂いが染み付いている隊服に、酷く嫌そうな顔をする。
シャワーくらい浴びてからこいと、追い払うように手を振った。
嫌いなわけではない。
今見たくはないだけ。
「……昔の事なんて持ち出したところで、兄貴にゃ勝てねぇって思うだけだろ」
「……黙れよ」
少し眉を動かして、それでも顔は上げない。
この男は何を言いたいのか。
「てめぇにゃ、無理なんだよ」
「黙れ」
「わかりきってたことだろ」
「黙れって言ってんだ!」
ファイルを乱暴に閉じて吐き出す。
「何が言いたい、ハーレムっ……」
初めて顔を上げ、そこに立つ人物を睨みつけた。
相手もまた、負けず劣らずに凄んだ視線をぶつけてくる。
「……てめぇは『青』じゃねぇ」
「……そんなこと昔からだろ」
何を今になって言い出すのだと、シンタローは眉を寄せた。
髪色や眼で、今までだって充分言われ続けてきたことだ。
「わかってねぇよ糞餓鬼」
「何でだよ!」
未だ子ども扱いなのが気に入らない。
わかったふりをしてるのが気に入らない。
互いに相手が癇に障る。
胸倉を掴みあって、唾のかかる距離で怒鳴りあう。
「わかってんなら! ちまちまこんなことしてねぇで、てめぇの力で引っ張ってきゃいいだろーが!」
「足りねぇんだよ! まだ! 俺はっ……!」
言いかけて、ようやく言葉を読み取る。
「俺は……」
『青』でなく『自分の力』で……?
「……それで駄目なら、とっとと辞めて俺に譲れ」
「誰がっ……」
だとすれば、何と回りくどく、演技くさいことをするのかこの男は。
それが気に食わず、シンタローはますます眉を寄せ、睨みつける。
結局子ども扱いしてんじゃねぇか、と。
そうやって視線だけでぶつかり合い、しばらく過ぎると、不意にハーレムが手を離した。
「……けっ……気分悪ィ」
そう言って、自分の胸倉を掴んでいたシンタローの手を払い、さっさと開けたままのドアから出て行った。
ご丁寧に今度はドアを閉めて。
おかげで上部の金具が取れた。いい迷惑だ。
「……報告、してけよ」
本来の目的を果たさなかった叔父に、シンタローは精一杯の悪態をついた。
「――――っあー、くそっ」
書類にペンを走らせてはいるのに、全然集中できやしねぇ。
「あんのクソ獅子舞がっ……!」
ったく、気に入らねぇな。あの叔父は。
一々何かとつっかかって来る。親父とは違う、それでも苦手な部類。
口調も、態度も。
いい加減大人になれよオッサン。
阿呆らしい。
近親憎悪?
違うね。一緒にすんなよ。
あんなんただの酔っぱらいだ。
「言いたいことずけずけ言いやがって……」
「――――っだー、ムカツク」
逃げやがったな、あいつら。
発散する相手がいねぇじゃねぇか。
「糞餓鬼め……」
あぁ、胸糞悪ィ。あの甥っ子は。
顔以外はアイツと似ても似つかねぇってのに。
言動も、行動も。
まるで餓鬼の戯言じゃねぇか。
馬鹿くせぇ。
同属嫌悪?
冗談じゃねぇな。
あんなんただの糞餓鬼だ。
「『青』になんかなるもんじゃねぇんだよ」
だから、絶対、
「アイツに諭されたなんて死んでも思いたくねぇ」
「餓鬼は餓鬼らしくしとくもんだ」
『お前を認めてる』なんて、言ってやらねぇ。
END