(お題「誄詞」グンマ視点)
枕元に座って、その顔を見下ろした。
幾分顔色が悪く、呼吸は苦しそうだ。それに気付いた瞬間、ほぼ無意識的に手を握った。いつもよりも低い体温が、怪我の重さを伝えてくる。
手を握ると、苦痛を訴えていた眉間の皺が緩んで、安堵したような表情になった。
持ち上げていた手をベッドに降ろして、軽く握りなおす。
育ての親をこうして眺める日が来るとは思ってもみなかった。純粋な信頼のみではなく、複雑な、どう処理して良いか分からないような感情がお腹の中で渦巻いている。
言語化出来ない感情を処理するのは昔から苦手で、日記をつけるようになったのは、それを克服するためだった。文章にするといくらか落ち着くことを教えてくれたのは、目の前で昏々と眠る人だった。
育ての親であり教育係である目の前の人物は、実に様々なことを教えてくれた。父親も母親も自分には存在しなかったが、一身に愛情を受けて育ったとは断言出来る。
過剰なほどに注がれた愛情は、贖罪によるものだったのかもしれないけれど。
考え込んでいたので、後ろの気配に気付かなかった。いつのまに部屋に入って来たのだろう。
ちくちくと首筋辺りに注がれた視線は、ずいぶん不躾で、遠慮を知らない子供みたいだった。くるりと振り向くと、予想通り新しい従兄弟が立っていて、こちらをじっと見つめていた。従兄弟になったばかりの彼に、どうにか笑顔を向ける。ちょっとぎこちなくなってしまったのが自分でも分かった。
「どうしたの、」
どう名前を呼ぼうか迷った。
彼はあの島で、もう一人の従兄弟の名前を名乗っていたけれど、実の父親と対面して涙を流した彼は、たぶんもうその名前に固執していないだろうなと思い、とっさに高松が付けた名前を呼んだ。
「…キンちゃん」
従兄弟は顔を顰めて面白くなさそうな表情をしたけれど、口元がわずかに綻んでいた。
彼の境遇については、何も言えなかった。あまりにも想像を絶する。黒髪の従兄弟を憎悪するのも、ある意味仕方ないのかもしれない。従兄弟に激しい憎しみをぶつけていた彼だったが、戦いが終った今、前よりも肩の力が抜けたように見える。
彼はあの従兄弟にはなれないし、彼自身のためにもなってはいけないと思う。
これからのためにも、彼個人の名前は必要だろうし、この状況で相応しいのは高松が付けた名前だろうと思って呼んだのだけれど、外れではなかったみたいだった。
従兄弟は無言でベッドに横たわる高松を見ていた。彼も気になって様子を見に来たらしい。彼の父親を崇拝していた高松は、眠る直前まで彼を心配していた。
二十四年間父親だと思っていた人物の実の息子は、所在なさげに横に立っていた。立ちっぱなしも落ち着かないので、丸イスを勧める。
「なあに?」
「何をしている?」
従兄弟の目線を辿った先には、握ったままの手があった。
ああこれ、と少し持ち上げてみせる。
「少しは楽かなーと思って。病気した時とか高松は良く僕の手を握ってくれたから。何となく楽になるんだよね」
風邪をひいて熱を出した時など、高松はよく手を握ってくれた。育ての親は、辛いときや寂しいとき、いつも傍にいてぬくもりを与えてくれた。
そのお返し、と言うわけではないのだけれど、何となく手を握らなければいけない気がしていた。
まだ親しいとは言えない従兄弟の目の前で、つないだままにしておくのは気恥ずかしかったけれど、離すのも白々しいように思えて、結局そのままにしておいた。
「…お前はソイツを許すのか?」
従兄弟の言葉に心臓が跳ねる。
高松や叔父が告白した内容については、いまだ信じられない部分もあった。
二十四年間信じてきた父親は実の父ではなく、叔父だと思っていた人物が実の父親だった。
黒髪の従兄弟は従兄弟ではなく、横にいる金髪の従兄弟が実の従兄弟だった。
明らかになった真実はこちらを途惑わせるばかりで、はっきり言って困惑している。どうしていいのか良くわからない。
返事につまったので、まず眠る育ての親の顔を見て、それから重ねた手を見た。
「…どうだろう。でも今こうして高松のそばにいないと、きっと後悔するだろうから」
つないだままの手は、二十四年間注いでくれた愛情を具体化したものに見えた。過去の罪がどうあれ、自分が受けていた愛情は確かに実在したもので、それを疑うことだけはしたくない。
けれど、犯した罪によって自分達の運命を変えられたと言うことも事実であり、きっと以前と同じ態度は取れないだろうと予感はしている。
混沌とした感情を、どうにか言葉にしてみようと努力した。
そりゃ色々思うこともあるけどさ、と続けて従兄弟と目を合わせた。同じ青の瞳が、問うような色を浮かべている。
「同じ理由で、高松も叔父様も、許さないとずっと後悔すると思う」
にぎった手が、そのままの解答だった。許すとか許さないとか、そう言う次元ではないのだと思う。こちらの答えを吟味するかのように考え込んでいた従兄弟は、やがてゆっくり肯いた。
「恐がらずに前に進まなければならないしな」
あるか無しかの微笑と共に口に出された言葉は、自分達の父親のものだった。従兄弟の微笑った顔を初めて目にして、こちらも自然に笑みが浮ぶ。
「うん。これからどうするかを考えないと」
ここにはいない従兄弟の台詞を引用しながら、あの二人は似たようなことをいってたんだなと今になって気が付いた。
これからどうなるのか、どうするのか、考えなければいけないことは山積みで、とりあえず今言えることは、二人の従兄弟の力になりたいということだった。
親友との突然の別れを余儀なくされた従兄弟は、二十四年間もの長い時間閉じ込められていた従兄弟は、これからどんな道を進んで行くのだろう。
どんな道を歩もうとも、一緒に進んで行きたい。
そんなことを考えていると、いつのまにかつないだ手の上に従兄弟の手が重ねられていた。
暖かな体温を持つそのてのひらに、思いも寄らないほど安心した。
(2006.3.18)
(2006.7.28)再up
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(お題「眠る間」のシンタロー側。)
彼にとって、その部屋は象徴だった。
弟が愛されていると言う象徴。家族全員で弟の目覚めを心待ちにしていると表している部屋だった。強い希望と、微かな焦りに彩られたその部屋は、それでも彼にとっては憩いの空間だった。
彼としては毎日弟の顔を見に来たいが、生憎と視察やら遠征やらで本部を空けることも多い。だからデスクワークはあまり好きではないが、休憩時間に弟の様子を見に行ける点は有難かった。
今日も彼は秘書官に半端強制的に勧められた休憩時間を、弟の部屋で費やすことに決め、秘書に一言告げてから総帥室を出て行った。
弟の部屋の扉を開ける時、彼はいつも少し緊張する。
扉の向こうでは弟がベットから起き上がって、何事も無かったかのようにこちらを見てくれるのではないかと期待してしまう。それならどんなに良いだろう、と祈るような気持ちでドアを開ける。
しかしそれは常に裏切られていた。
部屋で待っているのはベッドに横たわる弟の姿で、幼い頃のように彼の名前を呼んで笑ってくれることは無かった。
まずわずかな絶望が彼を襲い、次にそれを打ち消す断固とした決意がやってきて、結局彼はいつもの穏やかな表情で弟の枕元に座った。
定期的にドクターから渡される書類にもあるように、弟は健康そのものの状態で健やかに眠っている。身長も随分伸びた。それなのに、思い出は6歳のまま増えることを止めていた。そのことを考えると彼の胸は鉛でも飲み込んだかのように重くなる。最新の医療技術を取り入れて手を尽くしているが、起きる気配は残念ながら無かった。
明り取り用の大きな窓からは、日光がさんさんと降り注いでいた。部屋全体が自然な明るさと気温で快適に保たれている。部屋は彼の家族が揃えた調度品で整えられ、子供部屋のモデルルームのような内装をしていた。クローゼットの中には成長に合わせた衣服や未開封のプレゼントで埋め尽くされている。
カーテン越しに柔らかな陽光が差し込んで、新しい季節の到来を告げていた。
彼は眩しいのかかすかに目を細めつつ窓辺に近寄って、窓を開けた。頬をなでる風が心地好く、彼は窓を全開にする。弟が大事にしていた観葉植物が風に揺れ、葉全体で太陽の恵みを受け止めていた。
眠ったままの弟に関係なく季節は巡り、空白の時間は蓄積されて行く。
弟の傍にいるときぐらいは落ち込まないようにしようと心がけているが、どうしても焦燥感からは逃れられなかった。それを無理やり追い払い、彼はまた弟の枕元に座る。安らかな寝顔がせめてもの救いだった。
弟の寝顔を見つめながら、起きたら何をしてやろうか何処に連れて行ってやろうかと彼は想像する。今まで十分な愛情を受けなかった弟だからこそ、家族全員で目一杯甘やかし、何でも我侭を聞いてやりたかった。頭の中で色んな計画を立てて、それを実行する日を願う。それが弟の部屋で過ごす時の習慣になっていた。
休憩時間ぎりぎりまでそうやって過ごすのだが、今日は途中で切り上げ無ければならないようだった。
部屋の外で物音がして、主治医が入室して来た。
彼らはお互いに気安い挨拶を交わし、眠る少年の近くに並んで立った。検診の日か、と洩らした彼の独り言にドクターはええと答えて、少年をストレッチャーに移動させようとした。
その手をやんわりと押さえて彼は弟を抱き上げる。以前よりもわずかに重くなっていて、数値で表された以上に弟の成長を実感した。
ストレッチャーに横たえて、シーツをのど元まで引き上げる。ついでに頭をなでてから、彼は弟から離れた。
定期的な検診は欠かさず行っており、今日の夜か明日にでも彼の手元に書類が送られて来るだろう。異常無し、原因不明と書かれた書類はいい加減見飽きているが、それでも何か新しい発見が無いか隅々まで読んでしまう。
ドクターが最善を尽くしているのは分かっており、プレッシャーを与えてしまって悪い気がするがつい、頼む、と無意識的に言ってしまう。
彼の気持ちを察したように、ドクターはひとつ肯いて、ストレッチャーを押して設備のある病棟に向かった。
彼は弟を見送りながら、今度こそ、と強く願った。
(2006.3.3)
(2006.7.13)再up
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こじんまりとした駅は、暇そうにしている駅員と、ベンチに座ってのんびりと電車を待つ老夫婦しかいない。時間そのものがゆったりと過ぎていく様子を目の当たりにして、やっと旅に出ている実感が湧いた。
「この一年ろくなお休みとってなかったんだから、慰安ついでに旅行に行こうよ」
と言う彼の提案は最初こそ却下されたものの、珍しく食い下がったのが功を奏したのか、補佐官の従兄弟の説得が効いたのか、はたまたろくに休みを取っていないと指摘された当の本人に疲労の自覚があったのか、一週間の保留期間を得てめでたく受理された。
三人そろってまとまった休暇を取るのに一苦労、過保護な保護者を説得するのにまた一苦労、その次は旅行先の決定にもめにもめた。結局名目は「慰安旅行」なのだから、との理由で日本の温泉旅館で日々の疲れを癒そう、と言うことになった。
そして、彼らは日本の小さな駅に立っている。
「電車に乗ったのは初めてだ…」
「そうか良かったな。俺もすっげぇ久しぶりだったし、何か新鮮だった」
「僕も面白かったー。ワゴンでお弁当とかお菓子売りに来るんだね」
口々に感想を述べながら改札を通る彼らに、駅員が少々驚いたような視線を投げかけたが、すぐに興味を失ったように手元の仕事に戻った。有名な温泉町で知られたこの土地は、観光シーズンには大層賑わっているのだろうが、長い休みが終ったばかりのこの中途半端な時期はどこか閑散としている。それでいて旅行中のどこかわくわくする感情を煽るのは、観光客が残した熱気が、駅の建物そのものに染み付いているせいかもしれない。
各々荷物を持って、タクシー乗り場に向かった。休暇中とは言え彼らの身分ならば、自動車だろうがヘリだろうが飛行機だろうが、ありとあらゆる手段で旅館まで送迎してくれるだろう。現に日本までは団の飛行機を利用したが、だがそれも日本支部までだ。これも彼の発案である。
「ね、たまには電車も良かったでしょ」
「あーまぁな。つーかキンタロー、グンマ、お前ら駅弁やらお菓子やら買いこむんじゃねぇよ。良い歳して恥ずかしい」
車内販売の物売りで、物珍しさも手伝ってあれもこれもと欲張って買った食料は結局車内で食べきれず、荷物の中に押し込まれている。
「良いじゃない。どうせ夜はお酒飲むんだから、おつまみにすれば」
電車のボックス席で、流れていく窓からの風景を見ながらの昼食は確かに楽しいものだったが、ただでさえ目立つ風貌の三人が、子供のようにはしゃぎながらお弁当やらその土地の銘菓やらを買い込む様子は、他の乗客にとってはかなり奇異に映っただろう。
見知らぬ土地でも体裁を気にする従兄弟に内心で苦笑しながら返答すれば、的を射た意見だったようで、それ以上の小言は言わず、ちょっと肩を竦めただけで終った。
「キンちゃん、なにしてるの?行くよー」
姿が見えないと思い辺りを見回すと、物珍しげに駅の片隅にもうけられた小さな売店を眺めている従兄弟がいた。慌ててぐいぐい引っ張ってその場から連行し、さっさと歩いてタクシーに乗り込もうとする従兄弟に追いつく。
タクシーの運転手はこの時期はずれの目立つ外見をした観光客に目を丸くしたが、助手席に黒髪の従兄弟が座って日本語で行き先を告げると、ほっとしたような笑顔を返し、滑らかに発進させた。
「ご旅行ですか?」
「ええ、温泉旅館でゆっくり疲れを癒そうかと思って」
「良いですねぇ。今の時期は他に観光客も少ないし、きっとのんびり出来ますよ」
後部座席に座り、話好きの運転手と従兄弟の会話に耳を傾けながら、彼は窓の外を眺めている。運転手と如才なく言葉を交わす従兄弟が何となく可笑しい。
ガラス越しの町並みは、古い日本家屋が立ち並び、緑と融和している。観光のための外観整備と言うよりも、土地の人々が古き良き日本の風景を残そうと努力しているのか、そこに妙な気負いは無く、全体的に美しく調和が取れた景色だった。あまり幼少期の日本の思い出は無かったが、半分は日本人の彼にとって郷愁を誘われる光景だ。
隣を見れば、同じように従兄弟もガラスの向こうを眺めている。彼からは後頭部しか見えないが、恐らく目を輝かせて街の風景に見入っていることだろう。
「皆さんはお友達ですか。それともお仕事関係の…」
「いえ、従兄弟なんです」
関係を尋ねられた従兄弟があっさりと説明する。その「従兄弟」と言う単語に彼にとってどれほどの意味が含まれているのか、従兄弟は知らない。
そんな大切な従兄弟達と、三日間ずっと一緒に居られるのだ。
彼はふとある予感に囚われた。これから先、何年、何十年経っても、この旅行の思い出は特別なものとして記憶され、繰り返し繰り返し再生されるだろう。
何気ない、幸せな思い出として。
無難なやりとりを続行する前方の二人に視線を戻し、車の小刻みな振動に揺られながら、彼は言い知れぬ幸福感に浸っていた。
(2006.7.5)
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書類を捲る手を休め、彼は卓上のカレンダーを見た。
クリスマスイブまで一ヶ月をきっている。
今年も、本人は目覚めぬまま、当日を迎えようとしていた。
クリスマスイブは、彼の弟の誕生日だった。
「シンちゃんおそーい!」
彼が弟の部屋を訪れると、すでに従兄弟二人が集まっており、そろってツリーの飾りつけをしていた。
大人の背丈ほどあるモミの木に、オーナメントを飾りつけるのは、ここ数年間毎年のことだ。この時期になると、従兄弟全員が弟の部屋に集まってツリーを囲む。
「わりぃわりぃ。ちょっとクッキー焼いててな」
この時期は団も忙しいのだが、最愛の弟の誕生日ということで、彼は暇を見つけてはその準備をしていた。
「クッキー?」
何故クッキーなのかと不思議そうな顔をするキンタローに、彼は手にした実物を見せる。
ツリーの飾り用のレープクーヘンと言う焼き菓子は、蜂蜜とスパイスの入った癖のある味で、しっかりとした生地なので焼いても変形せず、飾りに適していた。ツリーや星やスノーマン等の様々な形に抜き取られ、デコレーションを施されたクッキーは、見た目も派手でツリーの深緑に良く映えた。
「美味しそうー!ね、一枚食べちゃだめ?」
歓声を上げながらのぞきこみ、手に取ろうとするグンマの手をよける。
「だーめ」
「いいじゃんケチー」
「オマエ好みの味じゃねぇよ」
従兄弟は頬をふくらまして拗ねていたが、彼が別に甘い菓子を焼いてあると言うとたちまち笑顔の上機嫌になった。大人気なくころころ変わる表情に苦笑が浮かぶ。
「ついでだからな、ついで」
そう言い張る彼に、今度は従兄弟二人がこっそり微笑う番だった。
三人で、ツリーを飾りつけながら、他愛の無いおしゃべりをする。
それだけで、幸せを感じた。これで弟が目覚めてくれたら申し分ない。
「さっきマジック叔父貴に会ってな。今日これからショッピングモールに行くそうだ」
「僕も出かけに会ったから、お土産頼んどいたよー」
そうか今日行ったかと彼は頷いた。
弟には毎年、家族一同でクリスマスプレゼントを贈っていた。個人が用意する誕生日プレゼントとはまた別物で、家族間で綿密な話し合いが行われ、品物を決める。買いに行くのはいつも父親の役目だった。
弟の部屋のクローゼットには、過去二年間分のプレゼントがつまっていた。
「変なの選びやしないだろうな、親父」
何を買うかは決めていても、店頭で実際に見て購入するのは父親であったから、つねに多少の心配が付きまとう。
プレゼントの包装は開けられること無く仕舞われるから、過去のプレゼントも実物を拝んだことは無い。
「大丈夫だろう。叔父貴は趣味が良い」
「ピンクのひらひら着てるけどねー」
キンタローのフォローをすかさずグンマがぶち壊し、確かにそうだと彼は頭を抱えた。
「けどおとーさま、似合ってるじゃない」
これにはキンタローも同意を示す。彼は五十を過ぎた良い大人がピンクのスーツが似合うというのは間違っているような気がしたが、まぁ良いかと思い直す。
彼は父親が弟へのプレゼントを買いに行くという、当たり前のような事が嬉しかった。
ツリーの飾りつけは手際よく行われた。最後に木の天辺に星を飾って終る。
「これからまた仕事か?」
キンタローに尋ねられ、彼は首を左右に振った。
「いや、もうちょい時間はある」
「じゃぁお茶しよーよ。シンちゃんのお菓子で」
「決まりだな」
隣でどれだけ騒いでも弟の目は開かれることはないが、こうして兄弟全員が集まると、何となく弟の表情がいつもより楽しそうに見えた。
クリスマスイブの当日、ツリーの下には、家族からの贈り物が所狭しと並べられる。
(2005.12.09)
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彼は大きく息を吐いた。
思うように結果の出ない実験に、酷く苛立つ。
こういうときは焦らない方が良いと、いつだったかアドバイスを受けた事があった。
気分転換をした方が良いのかもしれない。
休憩がてら、頼まれていた資料を持って、彼は従兄弟の元へ足を向けた。
父の部屋に行こうかとも思ったのだが、誰かと話をしたい気分だった。
おしゃべりな従兄弟との会話は良い気分転換になるだろう。
共同実験室を通り抜けると、顔見知りの研究者が、個室の方にいると教えてくれた。
科学者兼発明家の従兄弟は、彼が部屋に入って来たのにも気付かずに、黙々とパソコンのキーを打ち続けていた。
周りが見えなくなるほどの、その集中力にはいつも感心してしまう。
この従兄弟は一見のんびりしているようだが、いざというとき発揮する集中力は目を見張るものがある。
邪魔をしない方が良いだろうかとしばし考えた挙句、彼はこつこつとドアを叩いて、自分の入室を知らせた。
従兄弟は夢から覚めたような顔で振り返り、二三度まばたきすると、彼を認めてにっこりと笑った。
「どうしたの?」
小首をかしげて尋ねる相手に、手にした資料を渡す。
「あ、もう持ってきてくれたんだ。ありがとー」
「邪魔したか?」
「ううん、目が疲れてきたとこだったから、そろそろ休憩とらなきゃならなかったんだ」
気にしないでと言わんばかりに従兄弟は笑みを深くして、デスクの横に置いてあったコーヒーを口に運んだ。
「冷めちゃった。キンちゃんもコーヒー飲む?」
「ああ」
従兄弟はちょっと待っててと言いながら、立ち上がってひとつ伸びをした。
備え付けの小さなキッチンでヤカンを火にかける。
彼はデスクチェアに腰を掛けると、従兄弟専用の小さな個室を見渡した。
この従兄弟の個人の研究室は、至る所に物が置いてある。
パソコンに、うず高く積まれた資料、機械の部品。ここまでは良い。普通だ。
それに加えて、一見ガラクタにも見える発明品の数々が、棚や床に所狭しと置かれていた。
乱雑にちらかっているように見えて、実は従兄弟なりの法則によって整理されていると、彼は最近になって知った。
「はい。熱いから気を付けてね」
大きめのマグカップを手渡された。熱く濃い目のコーヒーが美味しい。脳が覚醒するような気がする。
「あれは何だ?」
彼はコーヒーを啜りながら、棚の端を指差した。
そこにはブリキのオモチャが大事そうに鎮座していた。どう見ても、錆びたオモチャにしか見えないがこれも何かの発明品なのだろうかと、興味を覚える。
「あ、これ?」
従兄弟はそれを大事そうに手に取ると、ひっくり返して後ろのスイッチを入れる。軋んだ音をたてて、首や手足が動いた。
「ガンボット第一号だよ。僕が三つの時に作ったの」
「そんな小さな時からロボットを作ろうとしてたのか」
この従兄弟は思い付きの発明や共同研究などで、他の分野の実験に手を出すこともあったが、自らの研究はあくまでもロボット工学、ロボティクスのみだった。
「うん。これが最初。って言っても市販のオモチャにモーターを取り付けただけだけどね」
次の年からは高松の協力で、もう少しまともなものが作れるようになったと言う。
「なぜ、そんなにロボットにこだわるんだ?」
彼は前々から不思議に思っていた。他の研究でも十分に実績を上げれるだろう頭脳があるのに、何故そこまでロボットに執着するのか。
「んーとね、原因はシンちゃんなの」
まだ不思議そうな彼を見て、従兄弟は笑う。
「小さい頃にね、二人でロボットアニメを良く観てたの。あの頃は二人で居る事が割りと多かったし。二人とも熱中して、良くロボットのオモチャで遊んだなぁ」
遠くを見るような目は、過ぎ去った日を懐かしんでいた。
「それである日ね、テレビ見ながらシンちゃんが言ったの。『アレ、欲しいなぁ』って。変形合体して、自分で操縦して動くやつ」
「だからなのか?」
「そう、そんなの売ってなかったし。だから自分で作ろうって。シンちゃんが喜んでくれると思ってさ」
そこで自分で作るという発想が、いかにもこの従兄弟らしい。
「なのに、そんなこと言ったなんてすぐ忘れちゃったんだよ。仕官学校時代は僕のガンボット壊しちゃうし。酷いよね、シンちゃんてば」
膨れ面をしながらも、その顔はどこか嬉しそうだ。
「まぁそのころはもうロボット製作が、僕のライフワークになっちゃってたから、別に良いんだけどね」
恐らくこの従兄弟はずっとロボットを研究し続けるのだろう。
生涯かけて続ける研究を、そんな早い時期から見つけられた従兄弟が少々羨ましい。
この部屋にあるものが、そのまま従兄弟の人生の軌跡なのだ。
ロボットについて尚も語る従兄弟を見ながら、彼は自分も負けていられないと思った。
コーヒーのカップを置いて、礼を言うと、彼は従兄弟の部屋を後にして自分の研究室に向かった。
とりあえず、目の前の実験方法を見直してみよう。
もしかしたら、この研究が自分のライフワークになるかもしれない。
彼は大きく息を吸った。
(2005.11.16)
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