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smg
「シンちゃーんV」
これでもかというくらいに甘い声が廊下に響く。
エレベーターを降りて、総帥の執務室のあるフロアについた途端
耳に入ってきた聞きおぼえのある…寧ろ聞き飽きたその声に
僕は思わずため息をついた。
また、お父様ったらシンちゃんのトコに来てるんだ。
僕のお父様…前ガンマ団総帥マジック。
ピンクのスーツを着たその人はその服装に負けず劣らずの
ドピンクな秋波を会う度に己の息子であるシンちゃんに向かって
雨あられと飛ばしている子離れ否シンちゃん離れの出来ていない人だ。
ウィンクと語尾のハートマークは既にお父様の登場に漏れなくついてくるオプション。
手にはシンちゃんを模したぬいぐるみ。
それはもう、お父様ときたら、どっからどう見ても
「シンちゃんLOVE」って感じで、恥ずかしげなど何処にもないその態度は
見てるこっちが恥ずかしくなるくらいにデロ甘だ。
しかし、それに対してのシンちゃんの愛想のなさも昔から筋金が入っている。
まだ敵対国と交渉してるときのほうがマシってくらいに、いつも、いつも苛烈で容赦がない。
どん底を這うように低い声とか。座りまくった眼つきとか。
手加減なしで繰り出される拳とか蹴りとか。
お父様に対してのシンちゃんの態度はもし一般団員が見たら震え上がって泣き出した挙句
訳も無く侘びを入れてしまいそうになるくらいに物騒だ。
なまじ、整った顔だから、凄むと余計に凶悪さがにじみ出て見える気がする。
しかし、そんなのがこの親子関係のデフォルトなのだ。
下手すればタメなしで眼魔砲が飛ぶ。
「うるせぇ、執務中に邪魔すんな!アーパー親父」
あぁ、今日は投げナイフのように万年筆が飛んだ。
最近頼まれてた研究の結果報告書を持って執務室にやってきた僕は、
お父様が執務室の扉を開けた途端撃沈させられた瞬間に立ち会ってしまった。
額から万年筆を生やして、尚笑みの消えてないお父様を見ながら
懲りないなぁと呆れと感心と半分づつくらい。
恐る恐る近づけば、シンちゃんの投げたペンは過たず急所に命中していた。
相変わらずコントロールがいい。
「大丈夫?お父様?」
一応聞くのは礼儀だよね…。
でも、普通だったらどう見ても大丈夫じゃない状態のお父様は
「あぁ、大丈夫だよグンちゃん」
にこやかに僕に答えた。
額からだらだら血を流しながら言う言葉には普通なら説得力はまったく無いんだけど。
多分、誰も心配していない。お父様だから。
実際、
「ふふふ愛は時には痛みを伴うものなんだよ★」(ウィンク付属)
なんて言ってるような人間を心配する人はこの場所にはいないだろう。
…ごめんね、お父様。
痛そうとか思う前に僕今ちょーっと気持ち悪いなぁって思っちゃった。
うん。大丈夫ならいいよね。・・・ほっとこう。
「シンちゃーん、ちょっといい?」
ぴょっこりと開け放たれたままの扉から僕は執務室の中をのぞく。
シンちゃんは執務室の大きな机いっぱいに積みあがった書類を前に
不機嫌極まりない表情で座っていた。
相変わらず忙しそう。
これは邪魔されたら怒るはずだ。
シンちゃんのこめかみには青筋が立ってるし、眉間には深々としわが寄っている。
でも、不機嫌極まりないその表情は僕を認めて少しだけ和らいだ。
「なんだよ、グンマ、なんか用か」
言いながら、シンちゃんが僕を手招きする。
僕が手に持った報告書に気付いたからだろう。
口は悪いけど気安いその態度に僕はほっとして、
戸口にお父様を置き去りにして、いそいそと近寄る。
「あぁ!!ひどいよ!シンちゃん」
グンちゃんは良くて何でパパは駄目なの?
背後で上がった悲鳴じみた声に、でも僕は悪いなぁとは思わない。
だって僕のは一応お仕事だし。
この所、執務室に詰めていたシンちゃんと会えたのは4日ぶりくらいだし。
暇をもてあまして毎日シンちゃんの顔を覗きに来ているお父様に
遠慮するいわれは無い。
でもお父様は悲壮な声で色々訴えている。
ぎゃぁぎゃぁと五月蝿い事この上ない。
シンちゃんの機嫌がまたみるみるうちに下降していく。
「パパはシンちゃんのためなら何でもしちゃうのにー」
あ・禁句。僕が思った瞬間、銀光が走った。
シンちゃんの無言の二撃目はペーパーナイフ。
流石にお父様も顔に縦線入れながら避けた。
執務室のマホガニーの重厚な扉には確か中に鋼鉄が挟んであったと思ったんだけど。
ビィィンと言う音を立てて深々と扉に突き刺さったナイフに僕はぼんやりと思う。
どう見ても鋼鉄の部分にまでナイフの刃が達しているように見えるんですが。
笑顔を引き攣らせながら、流石のお父様も黙った。
扉の前でいじけてて撤退はしてないけど。
兎に角も、場が静まったので
「はい、この間言ってたデータ。」
僕は先程までの修羅場が無かった事のように、にっこり笑って報告書を差し出した。
かなりの頻度で起きるこういった事態をいちいち引き摺ってたら
青の一族は日常生活やってられない。
「ん、ごくろーさん」
こちらも同じく気持ちを切り替えたらしい。
書類を受け取ったシンちゃんが軽いねぎらいの言葉をくれる。
依頼されていた研究の報告書はかなり厚い。
細かなデータもしっかり付随してあるからだ。
その厚さにちょっと、うんざりした表情を見せたシンちゃんに、だから僕は付け加える。
「あ、分かりやすいように後ろに簡略化した説明もつけといたから」
細かいデータばっかでも把握しづらいと思って。
僕の言葉にペラペラと書類を捲っていたシンちゃんがちょっと驚いた顔をする。
「おー気が利くようになったじゃねぇか」
からかうような口調に僕は剥れてみせた。
「分かり辛い報告書だと怒るくせにー」
概略を理解しておけば、分かり辛い細かなデータや専門用語の混じった文章も読みやすくなる。
本当は、いちいち細かなところまで自分の目で確かめて置かないと
気が済まない性格のシンちゃんがちょっとでも楽に読めるように
僕なりに考えたからなんだけど。そんなことは口には出さない。
出さなくても、シンちゃんは分かってくれるから。
「サンキュ」
ほら。少し照れくさそうに笑う。
意地っ張りで照れ屋で負けず嫌いなシンちゃんの感謝の示し方。

昔は分からなかった。少し前まではもどかしかった。

お父様の息子として相応しくあるために
ずっとシンちゃんは一人で気を張ってきていてたから
誰かの手を借りることを良しとしない負けず嫌いな性格になってしまった。
正確には、誰かに助けられる自分を良しとはしないって感じなのかな。
強くて、なんでも一人でこなせなきゃ駄目だって。
キンちゃんが言うにはシンちゃんはそうでないと
周囲にお父様の息子として認められないって思い込んでいたらしい。
…黒髪で黒い瞳だったから。
青の一族の中では異端の容貌だからこそ総帥の息子として相応しい能力が在るという事実が
シンちゃんには必要だった。
いっそ能力が足りなかったら、もう少し楽になれたかもしれない。
でも質が悪い事にシンちゃんは努力すれば、
周囲が望む「総帥の息子」として、その通りに振舞えてしまう人だった。
昔、僕はどうしてシンちゃんが総帥の息子でありながら
絶対その事を利用して楽をしないのか不思議だったけど。
今なら少し分かる。
自分の能力のみで認めさせるためには、そうしなきゃいけなかったからだ。
お父様はシンちゃんにあからさまに甘い人だけど、だから余計に
それに甘える事は出来なかったんだろう。
誰にも頼れなくて、シンちゃんは一人だった。
心のうちを吐露できる相手すら居なかった。
・・・あの島でパプワ君と出会うまで。
あの島でシンちゃんはそんな風に一人で突っ張る必要は無いんだってことを…
ただのシンタローでいいんだって事を教えられたって言っていた。
実際、帰ってきてからのシンちゃんはずいぶん変わった。
俺様なところは変わらないけど、表情とか態度とか昔に比べれば
ずいぶん柔らかくなったと思う。周囲に向ける目が優しくなったって言うか。
でも、やっぱり身についてしまった性格はなかなか直るものでもない。
負けず嫌いというかプライドが高いというか、そういう部分は残っていて
シンちゃんはあからさまな庇護や手助けにはどうしても突っ張ってしまう。
理解するのと身につくのは別ってことなのかもしれない。
前はそれがもどかしくもあった。
自分一人で頑張りすぎないで、頼ってほしいなぁって。
けど頼られなきゃシンちゃんの為になることが出来ない訳じゃない。
僕が僕に出来る事を一生懸命頑張れば、
それがシンちゃんを支えることに繋がっていく。
そのことに気付いたから。
僕は焦る事を止めた。
それに連れてって貰うんじゃなくシンちゃんと同じ場所に行きたいなら
同じ道を歩けばいいだけなんだ。
多少、今は僕の方が遅れ気味でその背中を追ってる感じだけど見失わなければいいんだし。
それに今のシンちゃんは時々は立ち止まって僕達を振り返ってくれる。
その時、僕達が同じ道を歩いているって事自体がシンちゃんの支えにもなる。
一人だけで突っ走っていて誰にも後を付いて来させなかった頃とは今のシンちゃんは全然違う。
望むものが同じなら、その為に僕が頑張れば、一緒に歩けるようにきっと、いつかはなれる。
だから
「じゃぁ、僕そろそろ戻るね。」
僕は自分の頑張るべき場所に戻る。
傍に居たいという気持ちは強いけど、シンちゃんと同じ場所に辿りつきたいなら
ちゃんと一人でも頑張らなきゃいけない。
いざって時に一人で立てない人間に誰かを支えるなんて出来ないもん。
「シンちゃん頑張ってね」
言えば、「おう」と云う短い答えと飛び切りの笑顔が返ってきた。
それは何よりも僕にとってはご褒美で誇りで支えになるものだ。
僕はにっこり笑ってその笑顔を受け取る。
そんな僕らのやり取りに
「あぁシンちゃんパパにはそんな笑顔向けてくれないのにー」
なにやらショックを受けてるお父様と戸口ですれ違いざま思う。
一番傍に居て勝ってるように見えるけど、お父様は連敗続きだ。

負けず嫌いのシンちゃんには負けた方が「勝ち」なんだよ・お父様

背後からまた聞こえ始めたシンちゃんの怒鳴り声にあーあと
心の中で呟きながら、でも僕はお父様には当分この事を教えるつもりは無い。
だって、シンちゃんが意地っ張りで負けず嫌いになった原因はお父様なんだから
しばらくは自業自得で居てもらわないとね。
早々美味しい目にあってもらったら面白くない。
シンちゃんの放った眼魔砲が起こしたであろう轟音が響く。
それにしても。
僕は溜息をつく。

お父様は本当に変わらないよね。

お陰でシンちゃんの意地っ張りも負けず嫌いも当分は治りそうにも無い。


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sk[

唇を噛む。
青の一族の一員として、生まれて来る筈だったのは間違い無く自分で、
取り戻した身体も本来あるべき姿に戻った。
金色の髪に青い瞳。己の意志で動く四肢。…自由。
24年間「あの男」に奪われていたものは取り戻したというのに。
一つだけ取り戻せなかったものがある。
彼は思って、もう1度それを口にした。
「シンタロー」
口にすればやはり思い浮かぶのはあの男の顔で。
『それ』こそが自分が我が物とできなかったものだった。

ずっと閉じ込められていた。
誰も自分の存在を知らずにいた。
だからこそ、認められたかった。
求められたかった。
自分の存在を。
『俺を』
取り戻したかった。
それこそが自分の望みだった。

あの男を消せばそれは自分のものになると思っていた。
全てを取り戻せると。
だが、それは叶わぬ事だ。
自分はもう知ってしまった。
握り締めた拳で彼は壁を力任せに叩く。
冷ややかな鉄の壁。鈍い痛み。
触れる感覚も痛みすら自分のものになったなのに。
「シンタロー」
あの男からそれだけは取り戻せなかった。
それだけが俺のものにはならない。
彼は目を閉じた。
偽者だと幾等叫ぼうとも、その器を消そうとも、決して取り戻せない。
分かってしまった真実に彼は俯く。
最初はその名前にだけ拘泥していた。
その名で呼ばれるべきは自分なのだと。
だから名前を取り戻そうとしてるのだと自分ですら錯覚していた。
だが、やがて気付いた。
「シンタロー」と、その名前を口にする者達が、求めているものに。
自分ではない、あの男を、その存在を彼らは求めていた。
出自とか血筋とかそんな物であの男は求められているのではない。
その事を自分もわかってしまった。
魂とか心とか、精神とかあの男をあの男たらしめているものこそを、人は求めている。
あの男の存在こそが人の心を惹く。
自分もまた。
手を差し出されて、
触れられて、
その声に…安堵した。
理屈でなく。
その傍らにあることを望んでしまった。
惹かれてしまった事を認めないわけにはいかなかった。
己を偽ることはできない。
だから、絶対に自分はもう取り戻せない。
その事も分かってしまった。
自分が本当に取り戻したかったのは
「シンタロー」
あの存在だったのだと自覚せざるをえなかったから。
思えば殺したいと思ったのも…心の奥で取り戻したいと
そう願っていた部分があったからだったのかもしれない。
だって、あれも…自分のものだった。
同じ体に宿り、意識の底の曖昧な部分でそれでも確かに繋がっていた。
ひとつだった。
自分の内に在るべきなのだと無意識に思っていたとしてもおかしくは無いだろう。
だが、それは自分ではない肉体に宿っていた。
そうして、その肉体が「シンタロー」だった。
なら肉体を殺せばいい。
そうすれば、全部自分のものになる。
だけど、皮肉な事に別々の肉体に別たれたが故に
俺はあの存在と向き合ってしまった。
あの手を、あの声を、あの眼差しを知った。
自分に向けられるそれが欲しいと思ってしまったから
それを失くしてしまう事を今は寧ろ恐れている。
それに、殺してしまってもあの男は決して自分の物にはならないのだ。
取り戻したいと願っても。
己だけのものにしたいと願っても。
あの男の存在そのものは…心は。
何処までもあの男自身のものでしかなくて。
殺せば自分のものになるのだったらどんなに簡単な事だったのか。
24年間自分はある意味あの男のものだったのに。
ずるい男だ。
人をとらえておきながら自分は何者の物にもならないなどとは。
「シンタロー」
その存在は決して誰の物にもならない。
自分の物にはならない。
分かっている。
それでも。
取り戻したい。
そう願ってしまう自分自身がいる。

やり場の無い心のままに、彼は拳を叩きつけ、呼んだ。
「シンタロー」
獰猛な声で彼は己のものにはならなかったその名前を呼んだ。
その存在を求めて、その名を繰り返した。

『シンタロー』

狂おしいほどに求めてやまない
この感情を何と云うのか未だ彼は知らない。


「おとー様、どうしたの?ソレ」
不思議そうなグンマの声にテーブルを囲んでいた皆の視線がマジックに集まる。

ガンマ団本部の一角、プライベートスペースにある豪奢なリビングでは
3時になると恒例のお茶の席が設けられる。
引退してすべてを黒髪の息子に委ねたマジックが暇を持て余して、
お菓子作りに凝り始めたのがきっかけだが、
今ではそれは研究や仕事に追われ、ともすれば擦れ違いがちな家族が
会話を交わす為に重要な一時となっていた。
グンマもキンタローも時間が空く限りはこの場所に集まるようにしている。
加えて今日は珍しく本部に来ていたサービスが席に加わっていた。
ガンマ団総帥となったシンタローは本部に居てもいつもは大概、
慣れない書類の処理に追われていて不参加だが、
サービスが来てるとなれば今日は多少無理をしてでも顔を出すかもしれない。
そんなわけで青の一族の3時の団欒…通称おやつの時間は
他愛の無い世間話や研究の経過などを交えつつ和やかに流れていたのだが。
ふと紅茶を口に運んでいたグンマがマジックの首筋に気付いて問うたのがはじまりだった。

「え?何?グンちゃん」
マジックは左隣に座っていたグンマにしげしげと襟元を覗き込まれ首を傾げる。
「おとー様、首のトコ赤くなっちゃってるよ?」
どうしたの?イタソー。
グンマがちょっと眉を顰めて漏らしたその言葉の内容に、サービスとキンタローが顔を見合わせる。
あごと首筋の丁度境目なので直ぐには分かり辛いが、
マジックの肌にはくっきりと赤い筋が残っていた。
よくよく注意してみれば、それは引っ掻いたような傷痕で。
「あーコレねv」
自身の白い首筋の上に走った赤い痕を指でなぞりながら、
マジックが何かを思い出したかのように呟く。
普段から笑みを浮かべている事の多いマジックだが
それがいつも以上に嬉々とした表情になっているのは気のせいではないだろう。
なんとなく、分かってしまった。分かりたくなかったけど。
そんな思いで親子を見詰めるサービスとキンタロー。
二人の目はそれぞれ何処か遠い。
そんな二人を余所に
「えー?なになにー?」
グンマだけが興味津々と言った感で父親の顔を見上げた。
キンタローが困った様にグンマの白衣の袖を引っ張るが、
聞くなと言うそのサインにしかし、天然ボケ気質のグンマが気付くはずも無い。
27にもなってどうしてこうも鈍いのか。
ドクター高松の純粋培養教育おそるべし。
キラキラ好奇心一杯の瞳は純真その物で父親の答えを待っている。
どうしたものかと思いながらも経験の不足故にキンタローは口を挟めず助けを求めてもう一人の同席者を見る。
全く表情には出ていないが,うろたえているキンタローのその視線を受けて、
仕方が無いとばかりに溜息を一つつくとサービスはおもむろに口を開いた。
「猫に引っ掻かれたんだろ」
「…ねこ?」
思わぬ方向からの答えにくりんとサービスを振り返ってグンマが瞬く。
「そう、猫。兄さんは可愛がり方がしつこいからね」
にっこりと文句無く美麗な笑顔でありながら、さり気なく棘を含んで
サービスはその蒼い瞳をマジックに向ける。
フォロー(?)しつつも毒と牽制は忘れないサービスに流石は実の兄弟と
キンタローは内心で妙な感心をしつつ、しかし猫とは…と苦笑する。
猫に例えるられるほど件の人物は可愛らしくも無い。
アレは同じ猫科でも黒豹とかの猛獣の類ではなかろうか?
少なくとも猫はもっと柔らかで可愛らしいものだと
キンタローは何回か触れる機会のあった小動物を思い浮かべて思う。
しかし、サービスの言葉を素直といえば聞こえが良いが
つまるところ馬鹿正直に受け取ったグンマはキョトンとした目で父親に問い掛ける。
「おとー様、猫なんて飼ってたっけ?」
「うん。」
「えぇ?いつの間に?ずるいなぁ~今度僕にも見せてよ~」
ねだるグンマをマジックがはぐらかす。
「うーん、でもフラーっと出掛けて何日も戻って来ないような子だからねー」
グンちゃんが来た時居るとは限らないよ?
ニッコリ笑ってそう言ったマジックにグンマがエーっと不満げな声をあげる。
キンタローはほっと息をついた。
「マジック叔父貴ですらグンマにはやっぱり出来れば知られたくないのか。」
「あぁ…兄さんも一応人の心が残ってるんだな。」
さり気なく酷い評価をこっそりとしつつ、しかし上手く話をはぐらかせたかと安心しかけた矢先に

「でもその猫、そんなに可愛いの?」

グンマが尋ねた言葉は拙かった。
「そりゃぁ、もう!ものスゴーく可愛いんだよv」
途端にウキウキとマジックが話し始める。
嫌な雲行きにキンタローは眉間に皺を寄せた。
マジックはこれでもかと云うくらいに甘い笑顔を浮かべている。
蕩けそうな笑みとはこういう表情の事だろう。
「黒い毛がツヤツヤで滑らかで~ちょっとキツメの瞳も真っ直ぐでね~」
確かにシンタローの髪は黒いし、目つきはキツイ…
「ちょっと、気が強すぎて撫でると噛み付いて来たりするけど」
27歳にもなって父親に撫でられ抱きつかれて喜ぶわけが無い。
「ちょっとした仕草が可愛いくて、しなやかな身体が綺麗で
 見てるだけでも幸せになれるんだよね」
だったら見てるだけで済ましておけ。
「でも、触れる方が幸せだから、やっぱり手を出しちゃって」
やっぱりか。
「触れると怒るんだけど、嫌がる仕草も本気じゃないのが分かるから可愛くてね」
本気で嫌がってる時もあると思うのだが。
「本当に可愛すぎるからついつい舐める様に可愛がっちゃうんだよ
 …この間なんか本当に舐めちゃったV」
ちょっと待て。
内心でツッコミを入れつつも、下手につつけば藪から蛇どころか
アナコンダが出てきかねない状況である為キンタローもサービスも沈黙を護るしかない。
当然、反応を返すのはグンマ一人で。
「えー?おとー様そんな事したら幾等なんでも毛がザラザラして気持ち悪くない?」
犬とか猫とかに、キスするくらいなら僕もやるけどー。
この期に及んでまだ猫の話だと思っているグンマがさすがに難色を示したのに
マジックがみっともないくらい、へろりと相好を崩す。
うっかりなのか確信的になのか
「いやいや、グンちゃん…シンちゃんのお肌は案外すべすべ…」
答えかけた言葉の続きは、しかし
「記憶を失えぇぇぇっっっ-!!」
怒号と共に飛んできた黒皮ブーツの踵にその後頭部ごと蹴り飛ばされた。

ドガァッ。バキッ。ガシャン。ガラン。ドガン。

蹴られたマジックの身体がその勢いのままにテーブルごと壁際まで飛ばされて、
巻き添えに物の壊れる音が多重奏で響く。
「………シンタロー」
思わずキンタローは溜息と共に乱入して来た人物の名を呼んだ。
確かに怒る気持ちは分かるがもう少し穏便な止め方が出来ないものだろうか。
咄嗟にグンマは椅子ごと後へ下がらせたが、フォローの効かなかったテーブルの上の茶器は
見事なまでに粉砕され、ウェッジウッドのブルーの陶器は破片となってマジックの額に突き刺さっている。
テーブルは足が折れ、美しい木目の天板には亀裂が走り、壁際にあった瀟洒な飾り棚は
テーブルとマジックに押しつぶされ見るも無残な有様だ。
眼魔砲を撃たれるよりはマシかもしれないが、しかし此れは感心できない。
シンタローを窘めようとしたキンタローは、
だが、次の瞬間そう思ったのは自分だけだった事を思い知る。

「わーい♪シンちゃん、久しぶりー」
「久しぶりだな、シンタロー」
「叔父さん!久しぶり…っとグンマもか」
「もーシンちゃんソレ差別だよ~」
「お前には1週間前会ったじゃねェか」

部屋の片隅の惨状など全く目に入っていないかのように久々の再会を喜び合う身内の姿に
キンタローは思わず言葉を失う。良いのか其れで。
生活の基礎知識を教えられた1年目、散々注意された事が
『やたらと物を壊すな』だったキンタローは悩む。
実際、急用があったので鍵が掛かっていた総帥室の扉を無理矢理蹴り開けた時
小一時間ほどシンタローにはくどくどと叱られたものだったが。
「どうしたの?キンちゃん」
思い悩んでいたキンタローの袖をグンマが引っ張る。
「……あぁ…いや…」
言い淀んだものの気になる事はちゃんと聞いておけとも言われていたので
キンタローは思いきって尋ねた。
「アレは気にしなくて良いのか?」
「アレ?」
対してキンタローが指差した先を見た3人の反応は実にあっさりとしていた。
「だって蹴られたのはお父様だし。」
「壊れたのもマジック兄貴の物だしな。」
「大体アイツが蹴られるような事すっからだろ?」
にっこりと清清しいまでの笑みを見せてシンタローがキンタローの肩をポンっと軽く叩く。
「気にすんなよ、キンタロー。」
「…そうか、マジック伯父貴は良いのか。」
「うん。そ…」
「ちょっと待った!!キンちゃん!!!シンちゃんっ!グンちゃん!!サービス!!」
納得しかけたキンタローと他3名を制止するマジックのいっそ悲痛な声が響く。
細かな傷から血をだらだらと流しながら立ち上がったマジックが涙を滝のように流している。
いつもの事だが倒れていても誰も助け起こしてくれない状況に自分で復活したらしい。
「パパを蹴り飛ばして、ほったらかしにした挙句キンちゃんに間違った事を教えるなんて
 酷すぎるぞ!!シンちゃん!!」
取り敢えず、言っても無駄な相手…サービスとグンマへの文句は飲み込んだらしい。
マジックはシンタローへと詰め寄る。
物凄い蹴られ方をしていたがそのダメージを感じさせないほど素早い。
切り傷も出血の割に浅そうだし、骨にも異常は無いだろう。
マジックの行動を冷静に分析し、キンタローはなるほどと内心で思う。
確かに『マジックは』問題なさそうだ。
そんな風に、キンタローの中で己が既に定義付けられてしまったとは露知らず
マジックがシンタローに言い募る。
「キンちゃんはまだまだ世間に慣れていないんだから、
 間違った事教えちゃダメだろう?シンちゃん」
「だーかーらー正しい状況認識を教えてんだろーが」
至近距離まで迫ってくる涙と流血に塗れた父親の顔を押しのけシンタローが言い返す。
「この場合アンタは蹴られるのが正しい」
「パパを蹴るのは絶対正しくありません!」
キンちゃんが真似するようになったらどーするんだい??!!
訴えかけるマジックにシンタローが半眼で返す。
「いつもいつも余計な事ばっか言いふらす奴は蹴られて当然なんだよ!!」
「余計な事って…パパはいつだってホントの事しか言ってないもん!!」
「なにが、『もん』だ!!ちったぁ己の年齢と時と場所と相手を考えて発言しやがれ!!」
「そんな!パパはただシンちゃんがどれだけ可愛いか伝えようとしただけ…」
「ほーぉぉぅ、まーだ懲りずにそーゆー事を抜かしやがるのはこの口か?」
「いひゃいよ、シンちゃん」
「アンタなんか蹴られて踏まれて穴掘って埋められて死んじまえ!!」

「わースゴいやー★シンちゃん今のワンブレスで言ったよ」
「罵倒も随分熟練してきたな、シンタロー」
白熱する親子喧嘩…と云うかシンタローがマジックを一方的に怒鳴りつけている状況に
しっかりと椅子に座って当たり前のように傍観を決め込んでいるグンマとサービス。
キンタローはまたひとつ学ぶ。
「触らぬ神にたたりなしと云うやつか?」
自身も座りながらキンタローが呟いた言葉に
「いや、アレは犬も食わない方だよ」
何処から出したのか、新しいティーカップを手にサービスが訂正を入れる。
ちゃっかりとその隣でお菓子を頬張っていたグンマがキンタローの分の紅茶を淹れて差し出す。
取り敢えず勧められるままに紅茶を一口飲んでからキンタローは改めて、
マジックとシンタローの言い合いを眺めた。
まぁ、確かに離れて見る分にはじゃれ合ってるようにも辛うじて見えなくもない。
あの二人は放って置くのが一番と云うことなんだろうが、
「でも、やっぱり猫には見えない」
ボソリとキンタローが呟いた言葉を聞きとがめてサービスが面白そうに笑う。
「あれは会話の中のものの例えだよ」
グンマとは違った意味で何事も真っ直ぐに受け止めてしまう甥にサービスは目を細める。
「でも、あぁやって怒鳴っている様子は毛を逆立てた猫みたいだと思わないかい?」
何処か楽しげな風情で言われ、キンタローはその言葉を反芻しつつ、二人を眺める。
確かにムキになって怒っているシンタローの姿は子供っぽく見えて。
そう言われてみれば猫の例えはそう外れていないもののようにも思えてくる。
普段は総帥然としていて、到底猫などに例えられるような人物ではないが
マジックの前でだけは何かが違うのだ。
いくら怒鳴っていても総帥として普段、部下を叱責する姿とは決定的に何かが。
考えかけて、
あぁ…そうか。
キンタローは唐突に思い至る。
マジックは父親なのだから、シンタローがその前で子供に見えるのは当たり前か。
どれだけ年をとっても、大人になっても…シンタローが総帥になろうとも
親子と云う立場は変わらない。
マジックにとってシンタローは一生子供で
シンタローにとってはマジックは絶対的に父親なのだ。
悩むまでも無く簡単明瞭な回答だ。
だから、父親の前でシンタローはあんなにも子供のような表情をする。
感情のままに、反発心も剥き出しに。
他の誰に対してでもなく、マジックの前でだけ。
そしてマジックはそんなシンタロー自身を全部受け止めている。
でも可愛いんだよーと言っていたマジックの言葉を思い出す。
自分もそう言えば最初に触れたとき猫に引っ掻かれたが
あの小さな動物を嫌いにはなれなかったな。
マジックにとってのシンタローはそんなものなのかも知れない。

納得がいった表情のキンタローにサービスが微笑む。
「猫みたい…だろ?」
「あぁ…なつかない猫だな」
そして、マジックは懐かれていないにも拘らず手を出して、手酷く引っ掻かれる飼い主だ。
言外に込めた意味合いに気付いてサービスが笑う。

「まぁ…本当になつかない猫はわざわざ嫌いな奴を相手したりはしないんだけどね。」

我侭を押し通そうとする父親を冷たく扱い、怒鳴りつけ、殴り飛ばそうと
いつだって最後に根負けして願いを聞いてやってるシンタロー。
なついていない訳じゃない。
ただ、いつだってマジックの方がシンタローの傍へ居ようとしてるから
猫の方から擦り寄っていく必要がないだけか。

埒も無く思いながらキンタローは紅茶を口にした。

smk
轟音と衝撃。
床が裂け、陥没し、隆起する。
バランスを崩してよろけた体は倒れ込む前に浮遊する感覚に包まれた。
足元の床が消失する。
落ちる。
「親父!!」
兄の叫ぶ声。
腕を引き寄せられ抱き締められて。
「シンタロー!!」
兄の名前を呼ぶ父親の声が僕の頭上で悲痛に響いた。

それはほんの一瞬の事で。

咄嗟に振りかえった先に空が、大地が見えた。
そして満足そうに微笑んで落ちていくのは長い黒髪の。
「お兄ちゃん!!」
崩れた飛空艦の床。
瓦礫がバラバラと地上に向かって落ちていく…目も眩むほどの高さから、次々と。
吹き荒ぶ風と外壁の剥落していく音が僕の声を掻き消した。
兄の長い髪が宙を泳ぐ様に揺らぎながら僕の視界から消えていく。
「お兄ちゃんっ!!お兄ちゃんっ!!」
大きな腕に抱き留められたまま、僕は兄ヘ向かって手を伸ばした。
今更僕が手を伸ばしても落ちて行く兄に届くはずも無い。
けれど、僕は必死だった。
「ダメだ!!コタロ-」
崩れかけた床から身を乗り出す僕を強い腕が引き留める。
でも、でも、でも、
引き離されるのは、もう。
「お兄ちゃん!!」
あの時のように僕は声を限りに叫んだ。
僕を無条件で愛してくれた優しく暖かいあの腕から
無理矢理引き離された記憶が僕の心臓を引き裂く。
長い間離れ離れで独り待ち続けた。
ようやく、ちゃんとその手を取ることが出来たのに。
迎えに来るって約束は今果たされたのだと思っていたのに。
「お兄ちゃんっ!!」
声が嗄れるくらいに叫んだ。
けれどそれに応えて僕の名前を呼んでくれる兄の声は無くて。
代わりに我武者羅に伸ばした腕ごと僕は後ろから抱き締められた。
「コタロ-!!」
ひときわ強く呼ばれて、僕はビクリと身じろいだ。
「シンタロー…」
そうして、今度は何かを押し殺す様に弱弱しく囁かれた声に
ようやく僕は理解した。
僕を助けた腕が父親の物だった事を。
そして…
兄は…

「どうして…」
呟いた僕の声に父は答えなかった。
何が起こったのか僕に認識できた時…もう選択はなされた後だった。
今更、問い掛けても時は戻らない。
刹那の選択。
父は兄では無く僕の手を取った。
けれど、この父親は兄を愛していたはずなのに。
一族では異端の黒髪黒瞳の兄を
両眼に秘石眼を持った一族の象徴のようなこの父は
惜しみなく愛していた。
執着していたといってもいい。
幼かった僕の目にも父親が兄を特別に想っている事は分かっていた。
なのに。
「どうして?」
僕を助けたの?とは聞かない。聞けなかった。
父親が僕を助けてくれた事に安堵する気持ちと喜ぶ気持ちはあったから。
拒絶され幽閉され続けてきた記憶、冷たい瞳で見下ろす父親。
愛されていないと、思っていた。
でも今僕を抱き締めるこの腕は息子なのだと、大切なのだと言っている。
「コタロー」
だけど、お兄ちゃんだって『息子』でしょう?そう言っていたのに。
大切な人だった。
僕にとっても、父にとってもあの人はかけがえの無い人のはずだった。
それなのに、
「どうして…お兄ちゃんを助けてくれなかったの!?」
僕の言葉に父親の肩が揺れた。
強くて強くて大きな父親。
僕では届かなかった腕も、この人ならば届いたはずなのに。
どうして僕だけ助けたの?
見開かれた父の蒼い瞳が呆然と僕を見詰めている。
冷たい青色が揺らいだ。
辛そうに眉根を寄せて、それでも笑みを浮かべようとして。
父親は見た事も無いような表情を浮かべている。
いつもは圧倒的な威圧感を誇っていたその瞳に力は無く。
双眸はそのままそっと伏せられた。
「ゴメンね、コタロ-。」
父親の声は酷く掠れていた。
泣きそうな声だと、ふと思った。
そんな訳は無い。この人は冷たいくらいに強い人で。
だけど。今のこの人は。
僕の前で今瞳を伏せたままのこの人はひどく傷ついていて。
「シンタローを…お前のお兄ちゃんを助けてあげられなくて…」
泣きたいのを堪えている。
そんな風にしか見えなかった。
「パパ…?」
僕の声に弱々しく微笑むこの人は誰?
こんな姿を僕は知らない。
「パパに力が足り無くて…ゴメンね」
震える腕で縋る様に僕を抱き締めながら呟く人を、僕は見詰めた。
僕にとってこの人はずっと恐ろしい人だった。
大きな人だった。
強い人だった。
けど今目の前にいるのは己の無力を嘆くただの父親でしかなくて
…僕は唐突に理解した。
それは僕が父を知らなかっただけなのだ。
父は兄を愛していないわけじゃない。
その手を取りたくなかった訳じゃない。
ただ父の手は一人だけしか取ることが出来なくて
だから僕の手を取ったその手は兄へと伸ばす事が出来なかった。
『親父!!』
あの一瞬に聞いた兄の声。
兄は知っていたのだ。助けられるのは一人だけと。
落下していくあの時、兄が満足そうに笑っていたのは。
「…お兄ちゃん」
何処までも兄は僕達を愛してくれていた。
その事実がけれど今は胸に痛い。
兄はここにいない。

「…大丈夫…だよね?」
だから僕は父親に問い掛けた。
残された痛みを抱えたもう一人の家族へ。
「お兄ちゃんは強いもん。大丈夫だよね?」
僕を庇って負った怪我。白い包帯が沢山巻いてあったけど。
祈りとか願いとか希望とか。
僕の言葉はそんな気持ちに近かったけど。
「大丈夫…だよね?」
言い聞かせる様に重ねて僕は父親に問うた。
頷いて大丈夫だと答えて?
大切な人の無事を僕に信じさせて、そうして僕と同じ気持ちで信じて。
祈りながら抱き着いた僕の背中を父は宥める様に撫でた。
「パパ…」
その手の暖かさにぎゅっと僕はしがみ付いた。
父の強張っていた身体から力が抜けていく。
そっと息を吐いた気配。
そうして。
「大丈夫だよ。シンちゃんはきっと帰って来る。」
答えてくれたその声は優しすぎて
「あの子はパパの息子でコタロ-のお兄ちゃんなんだから」
僕は涙が零れるのを堪えられなかった。

 クリスマス休暇の最終日、シンタローが着替えを終えてダイニングに下りていくと、懐かしい匂いがした。柑橘系の冴え冴えとした匂いが自己主張する背後で、ほのかに鶏と根菜類が混じる。幼い頃、父親がつくってくれた正月料理のそれだった。
 驚き半分、期待半分でキッチンをのぞき込むと、しかし目に入ったのは父親のものではない金髪の後ろ姿だ。いぶかしさに眉を寄せたちょうどそのとき、男が振り返って、目があった。青い瞳と向かい合うこと半瞬、先に口を開いたのは、相手の方だった。
「明けましておめでとうございます。――早かったな。いまちょうどお前を起こしに行こうと思っていたところだ。グンマはコタローのところへ顔を出している」
「これ、作ったのはおまえか?」
 半ば相手の言葉を無視するように、シンタローは疑問を投げかけた。鍋の方を振り返って、キンタローはそれが指示語の対象物であると確認すると、静かに首を横に振った。
「作ったのは伯父貴だ。部屋になにか取りに行くあいだ、餅を見ていろと言われた」
 言われた視線の先では、数個の丸餅が七輪にかぶせた網の上で転がっている。キンタローが器用に菜箸でころりと転がすと、ほどよく色づき張りのでた表面が見えた。
「箸、使えるようになったのか」
「グンマに教えてもらってな。慣れればフォークやトングよりこっちの方が扱いやすいものだな」
「そう、か…」
 キンタローが「誕生」して島に渡り、ここに帰ってきて何ヶ月も経っていない。にも関わらず、キンタローの物覚えは早かった。
 もとより自分のなかで様々なことを見聞きし、思考の下地ができていたこともあるのだろうが、砂地が水を吸い込むように知識を吸収している。シンタローが数ヶ月忙しくしていた間に、西欧式のマナーから軍事知識、一般常識はあらかた頭に入ったとは聞いていたが、このぶんでは日本の伝統的なしきたりまで理解しているに違いない。
 有能すぎる従兄弟兼未来の右腕の姿にひっそりとため息をつき、シンタローはダイニングテーブルに着いた。卓の上には一瞬ここがどこだか忘れさせるような、純和風の食器が用意されていた。
 普段使いのカトラリー類はどこかへしまわれ、代わりに袋に入れられた柳箸と屠蘇用の杯が並べられている。おそらく中身のぎっしり詰まっているであろう重箱も、ダイニングテーブルの端の方に見えた。これで雑煮が用意できれば、足りぬものとてないだろう。
「なあ、親父はなに取りに行ったんだ?」
 いぶかしく思うままに疑問を言葉に乗せれば、キンタローは少し躊躇った様子で言いよどんだ。知っているのか、ともう一歩踏み込んで聞けば、キンタローは困った顔をしてみせる。
「言うなと言われた」
 不満げな顔なのは、それ以上の追求をされたくないからなのだろうか。だが、そうして隠されると知りたくなるのが人というものだ。
「黙っててやるから、言ってみろ。ほら」
 しつこく突っついてやれば、キンタローは仕方なさそうにため息をついて、肩をすくめた。どうやら諦めたようだった。
「ちょっと待っていろ」
 言い置いて、七輪の上の餅を皿にうつし、椅子に座ったシンタローの方に近づいてくる。そして、まるで極秘事項であるかのように、耳打ちした。お年玉だ――と。
 シンタローは一瞬だけ自分の耳を疑い、それから生まれたてと言っても過言ではない従兄弟の思考回路を疑った。お年玉なんて、子供のもらうものだ。いい年をした自分たちがもらうことがあり得るのだろうか。
 そこまで考えて、シンタローは疑いの矛先を変えた。普通なら考えられないとしても、あの父親なら話は別だ。楽しそうなイベントなら、子供の年齢なんか考えないのがあの男だ。
「せっかく正月準備を頑張ったのに、肝心のものを用意し忘れた、大失態だ、と慌てていたな」
 いちど吐いてしまえば後はどうでも良くなったのか、キンタローは補足するように言葉を紡いだ。
 やはりか。シンタローは一瞬のめまいを覚え、瞑目した。
「あの馬鹿親父、いいかげんに子供扱いはやめろって言うのによォ…」
「しかし、日本の伝統なのだろう? 目上の者が目下の者に金銭を与えるというのは昨今になって変化した風習だが、かつては祭神に供えた餅を祭神の代理たる一族の長が一族のものに分け与えることによって、その加護を得てその年を健康に過ごすことができるよう祈念するという習慣だったはずだ。ならば成年であろうと未成年であろうとかまうことはないだろう」
 どこからそのようなデータをインプットされたのか、小難しいことを言いながら小首をかしげる従兄弟の姿に、シンタローは反論する気力を失ってしまった。
 それでも、せめてもの抵抗とばかりに「この年で親父からのお年玉って、ふざけやがって…」と呟いて肩を落とすと、キンタローが不思議そうな声を上げた。
「どうしてそんなにこだわるんだ、シンタロー」
「別にこだわる理由なんかねェよ」
 ただ、成人して何年も経つのに子供扱いされるのがなんとなく許せないだけだ。そう反論しようとする前に肩をつかまれ、なかば無理矢理振り向かされた。
 目の前には、至近距離にキンタローの瞳。一瞬どきりとして、気を取られた隙に顎を取られて口づけられた。と気がついたのは、キンタローの唇が離れてからのことだった。あまりの衝撃にぽかんと口を開けたままでいると、キンタローは少し口の端をつり上げた。
 下心のようなものを持ち合わせているわけではないのだろうが、してやったりといわんばかりの表情に見えて、腹立たしさがこみ上げた。
「てめェ、何しやがる!」
「お年玉だ。伯父貴以外からなら問題ないんだろう?」
「なにがお年玉だ! だいたい、お前は0歳児じゃねぇェか!」
 心外だといわんばかりに、キンタローは呆れた顔でシンタローを見た。
「忘れたか? 肉体年齢だけでいえば、俺はお前より6歳年上だ。お前があの島で乗っ取ったジャンの身体は、まだ18歳だったのだからな」
 至極当然とでも言いたげな口調で数ヶ月前の奇妙な体験を指摘され、シンタローは一瞬だけ怒りに我を忘れそうになった。
「うるせえ、年下のくせに!」
 子供扱いなんかされたくない、という言葉は、「ならば」という声を耳にした直後、キンタローの唇に飲み込まれた。
 わずかに開けてしまった唇から無理矢理入り込むように口内に舌が進入してくる。あまりの唐突さに、とっさに抵抗することも忘れてされるがままになっていると、遠慮のかけらすらなく口内をまさぐられる。
「ちょ、ん……っ、んっ…」
 ふだん触れる体表よりも高い体温が生々しい。上顎を舌先で撫でられると、くすぐったいような切ないような気持ちになってくるが、視界に映るのは金髪の己の半身の姿だ。それを意識すると、いたたまれない。なにより、グンマや父親がいつ戻ってくるか分からないというのに、こんな姿を見せられるはずがない。
 嫌だという感情一種類だけが、頭の中を支配した。残された力のありったけを振り絞り、両肩を掴み。
「も、やめろ、って……っ!」
 言うと同時に渾身の力で両腕を突き放した。両手の長さの分だけ離れた男を、シンタローは遠慮なく怒鳴りつけた。
「てめッ! いきなり、なに、しやがるッツ!」
 怒りで乱れてしまった声の先で、キンタローはふだん通りの顔で立っている。ぶつけた怒りと押しのけた衝撃のぶんだけダメージを受けているはずだが、そんなそぶりさえなく平然としているのが、さらに腹立たしさを煽った。
「お年玉、だ」
「だからお年玉ってのは!」
「年長者が年少者に与えるもの、なのだろう」
 まるで言いたい言葉を予測していたかのように、返ってくる解説。しかし、分かっているのではないかと言おうとした矢先に、思わぬ言葉がシンタローの耳に飛び込んだ。
「だから、お前は年下の俺からお年玉を貰うのは許せない。だが年下の俺がお年玉を貰う分には――お前の理屈からすれば、問題はないはずだ」
 訳の分からない理屈が、まるで当たり前であるかのように口から飛び出してきて、シンタローは絶句するしかなかった。いったいこんな三段論法のような論理の暴走を許してきたのは誰だ。
 考えられるのは、この男のやることなすことをすべて賞賛しそうなマッドサイエンティストか、いつまでも頭の中にお花畑が広がっていそうな暢気な従兄弟か、父性愛という言葉を大きく勘違いしているスキンシップ過剰の父親のいずれかだ。
 怒りの代わりに沸々と疲労感がわき上がり始めるのを感じる。シンタローは己の中に残った冷静さをすべてかき集めて、聞いた。お年玉の概念は知っているくせに、お前はどうしてこんな行動に出たのか、と。
「0歳児にふさわしいものといえば金銭よりも菓子か何かなのだろうが、甘いものといったら他に見あたらなかった。キスは甘いものだ、と聞いていたからな。――もっとも、あまり甘いとは思わなかったが」
 自称する年齢とは裏腹に、返答の言葉は0歳児にはふさわしくない出来だった。
 シンタローはあの島が己の堪忍袋の緒を存外丈夫にしてくれていたのだということを、なによりも実感していた。昔だったら、この時点でこの部屋は影も形もなかっただろう。キンタローに対する怒りよりも、たった数ヶ月でこの男に妙なことを教え込んだ人間に対して。
 どうやってこの男の思考回路を正してやろう。こんな行為は誰とでもするべきものじゃないと教え込んでやるのが先か、それとも、こんな馬鹿なことを吹き込んだ人間を聞き出すのが先か。
 シンタローの動作が止まったのを不審に思ったか、きょとんとした表情でキンタローが首をかしげる。シンタローは黙ってその金色の髪を優しく撫でてやった。0歳児にしてやるように。
 そして、決心したのだった。こいつは絶対に、俺がまともに教育をし直してやる――と。
 
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