轟音と衝撃。
床が裂け、陥没し、隆起する。
バランスを崩してよろけた体は倒れ込む前に浮遊する感覚に包まれた。
足元の床が消失する。
落ちる。
「親父!!」
兄の叫ぶ声。
腕を引き寄せられ抱き締められて。
「シンタロー!!」
兄の名前を呼ぶ父親の声が僕の頭上で悲痛に響いた。
それはほんの一瞬の事で。
咄嗟に振りかえった先に空が、大地が見えた。
そして満足そうに微笑んで落ちていくのは長い黒髪の。
「お兄ちゃん!!」
崩れた飛空艦の床。
瓦礫がバラバラと地上に向かって落ちていく…目も眩むほどの高さから、次々と。
吹き荒ぶ風と外壁の剥落していく音が僕の声を掻き消した。
兄の長い髪が宙を泳ぐ様に揺らぎながら僕の視界から消えていく。
「お兄ちゃんっ!!お兄ちゃんっ!!」
大きな腕に抱き留められたまま、僕は兄ヘ向かって手を伸ばした。
今更僕が手を伸ばしても落ちて行く兄に届くはずも無い。
けれど、僕は必死だった。
「ダメだ!!コタロ-」
崩れかけた床から身を乗り出す僕を強い腕が引き留める。
でも、でも、でも、
引き離されるのは、もう。
「お兄ちゃん!!」
あの時のように僕は声を限りに叫んだ。
僕を無条件で愛してくれた優しく暖かいあの腕から
無理矢理引き離された記憶が僕の心臓を引き裂く。
長い間離れ離れで独り待ち続けた。
ようやく、ちゃんとその手を取ることが出来たのに。
迎えに来るって約束は今果たされたのだと思っていたのに。
「お兄ちゃんっ!!」
声が嗄れるくらいに叫んだ。
けれどそれに応えて僕の名前を呼んでくれる兄の声は無くて。
代わりに我武者羅に伸ばした腕ごと僕は後ろから抱き締められた。
「コタロ-!!」
ひときわ強く呼ばれて、僕はビクリと身じろいだ。
「シンタロー…」
そうして、今度は何かを押し殺す様に弱弱しく囁かれた声に
ようやく僕は理解した。
僕を助けた腕が父親の物だった事を。
そして…
兄は…
「どうして…」
呟いた僕の声に父は答えなかった。
何が起こったのか僕に認識できた時…もう選択はなされた後だった。
今更、問い掛けても時は戻らない。
刹那の選択。
父は兄では無く僕の手を取った。
けれど、この父親は兄を愛していたはずなのに。
一族では異端の黒髪黒瞳の兄を
両眼に秘石眼を持った一族の象徴のようなこの父は
惜しみなく愛していた。
執着していたといってもいい。
幼かった僕の目にも父親が兄を特別に想っている事は分かっていた。
なのに。
「どうして?」
僕を助けたの?とは聞かない。聞けなかった。
父親が僕を助けてくれた事に安堵する気持ちと喜ぶ気持ちはあったから。
拒絶され幽閉され続けてきた記憶、冷たい瞳で見下ろす父親。
愛されていないと、思っていた。
でも今僕を抱き締めるこの腕は息子なのだと、大切なのだと言っている。
「コタロー」
だけど、お兄ちゃんだって『息子』でしょう?そう言っていたのに。
大切な人だった。
僕にとっても、父にとってもあの人はかけがえの無い人のはずだった。
それなのに、
「どうして…お兄ちゃんを助けてくれなかったの!?」
僕の言葉に父親の肩が揺れた。
強くて強くて大きな父親。
僕では届かなかった腕も、この人ならば届いたはずなのに。
どうして僕だけ助けたの?
見開かれた父の蒼い瞳が呆然と僕を見詰めている。
冷たい青色が揺らいだ。
辛そうに眉根を寄せて、それでも笑みを浮かべようとして。
父親は見た事も無いような表情を浮かべている。
いつもは圧倒的な威圧感を誇っていたその瞳に力は無く。
双眸はそのままそっと伏せられた。
「ゴメンね、コタロ-。」
父親の声は酷く掠れていた。
泣きそうな声だと、ふと思った。
そんな訳は無い。この人は冷たいくらいに強い人で。
だけど。今のこの人は。
僕の前で今瞳を伏せたままのこの人はひどく傷ついていて。
「シンタローを…お前のお兄ちゃんを助けてあげられなくて…」
泣きたいのを堪えている。
そんな風にしか見えなかった。
「パパ…?」
僕の声に弱々しく微笑むこの人は誰?
こんな姿を僕は知らない。
「パパに力が足り無くて…ゴメンね」
震える腕で縋る様に僕を抱き締めながら呟く人を、僕は見詰めた。
僕にとってこの人はずっと恐ろしい人だった。
大きな人だった。
強い人だった。
けど今目の前にいるのは己の無力を嘆くただの父親でしかなくて
…僕は唐突に理解した。
それは僕が父を知らなかっただけなのだ。
父は兄を愛していないわけじゃない。
その手を取りたくなかった訳じゃない。
ただ父の手は一人だけしか取ることが出来なくて
だから僕の手を取ったその手は兄へと伸ばす事が出来なかった。
『親父!!』
あの一瞬に聞いた兄の声。
兄は知っていたのだ。助けられるのは一人だけと。
落下していくあの時、兄が満足そうに笑っていたのは。
「…お兄ちゃん」
何処までも兄は僕達を愛してくれていた。
その事実がけれど今は胸に痛い。
兄はここにいない。
「…大丈夫…だよね?」
だから僕は父親に問い掛けた。
残された痛みを抱えたもう一人の家族へ。
「お兄ちゃんは強いもん。大丈夫だよね?」
僕を庇って負った怪我。白い包帯が沢山巻いてあったけど。
祈りとか願いとか希望とか。
僕の言葉はそんな気持ちに近かったけど。
「大丈夫…だよね?」
言い聞かせる様に重ねて僕は父親に問うた。
頷いて大丈夫だと答えて?
大切な人の無事を僕に信じさせて、そうして僕と同じ気持ちで信じて。
祈りながら抱き着いた僕の背中を父は宥める様に撫でた。
「パパ…」
その手の暖かさにぎゅっと僕はしがみ付いた。
父の強張っていた身体から力が抜けていく。
そっと息を吐いた気配。
そうして。
「大丈夫だよ。シンちゃんはきっと帰って来る。」
答えてくれたその声は優しすぎて
「あの子はパパの息子でコタロ-のお兄ちゃんなんだから」
僕は涙が零れるのを堪えられなかった。
床が裂け、陥没し、隆起する。
バランスを崩してよろけた体は倒れ込む前に浮遊する感覚に包まれた。
足元の床が消失する。
落ちる。
「親父!!」
兄の叫ぶ声。
腕を引き寄せられ抱き締められて。
「シンタロー!!」
兄の名前を呼ぶ父親の声が僕の頭上で悲痛に響いた。
それはほんの一瞬の事で。
咄嗟に振りかえった先に空が、大地が見えた。
そして満足そうに微笑んで落ちていくのは長い黒髪の。
「お兄ちゃん!!」
崩れた飛空艦の床。
瓦礫がバラバラと地上に向かって落ちていく…目も眩むほどの高さから、次々と。
吹き荒ぶ風と外壁の剥落していく音が僕の声を掻き消した。
兄の長い髪が宙を泳ぐ様に揺らぎながら僕の視界から消えていく。
「お兄ちゃんっ!!お兄ちゃんっ!!」
大きな腕に抱き留められたまま、僕は兄ヘ向かって手を伸ばした。
今更僕が手を伸ばしても落ちて行く兄に届くはずも無い。
けれど、僕は必死だった。
「ダメだ!!コタロ-」
崩れかけた床から身を乗り出す僕を強い腕が引き留める。
でも、でも、でも、
引き離されるのは、もう。
「お兄ちゃん!!」
あの時のように僕は声を限りに叫んだ。
僕を無条件で愛してくれた優しく暖かいあの腕から
無理矢理引き離された記憶が僕の心臓を引き裂く。
長い間離れ離れで独り待ち続けた。
ようやく、ちゃんとその手を取ることが出来たのに。
迎えに来るって約束は今果たされたのだと思っていたのに。
「お兄ちゃんっ!!」
声が嗄れるくらいに叫んだ。
けれどそれに応えて僕の名前を呼んでくれる兄の声は無くて。
代わりに我武者羅に伸ばした腕ごと僕は後ろから抱き締められた。
「コタロ-!!」
ひときわ強く呼ばれて、僕はビクリと身じろいだ。
「シンタロー…」
そうして、今度は何かを押し殺す様に弱弱しく囁かれた声に
ようやく僕は理解した。
僕を助けた腕が父親の物だった事を。
そして…
兄は…
「どうして…」
呟いた僕の声に父は答えなかった。
何が起こったのか僕に認識できた時…もう選択はなされた後だった。
今更、問い掛けても時は戻らない。
刹那の選択。
父は兄では無く僕の手を取った。
けれど、この父親は兄を愛していたはずなのに。
一族では異端の黒髪黒瞳の兄を
両眼に秘石眼を持った一族の象徴のようなこの父は
惜しみなく愛していた。
執着していたといってもいい。
幼かった僕の目にも父親が兄を特別に想っている事は分かっていた。
なのに。
「どうして?」
僕を助けたの?とは聞かない。聞けなかった。
父親が僕を助けてくれた事に安堵する気持ちと喜ぶ気持ちはあったから。
拒絶され幽閉され続けてきた記憶、冷たい瞳で見下ろす父親。
愛されていないと、思っていた。
でも今僕を抱き締めるこの腕は息子なのだと、大切なのだと言っている。
「コタロー」
だけど、お兄ちゃんだって『息子』でしょう?そう言っていたのに。
大切な人だった。
僕にとっても、父にとってもあの人はかけがえの無い人のはずだった。
それなのに、
「どうして…お兄ちゃんを助けてくれなかったの!?」
僕の言葉に父親の肩が揺れた。
強くて強くて大きな父親。
僕では届かなかった腕も、この人ならば届いたはずなのに。
どうして僕だけ助けたの?
見開かれた父の蒼い瞳が呆然と僕を見詰めている。
冷たい青色が揺らいだ。
辛そうに眉根を寄せて、それでも笑みを浮かべようとして。
父親は見た事も無いような表情を浮かべている。
いつもは圧倒的な威圧感を誇っていたその瞳に力は無く。
双眸はそのままそっと伏せられた。
「ゴメンね、コタロ-。」
父親の声は酷く掠れていた。
泣きそうな声だと、ふと思った。
そんな訳は無い。この人は冷たいくらいに強い人で。
だけど。今のこの人は。
僕の前で今瞳を伏せたままのこの人はひどく傷ついていて。
「シンタローを…お前のお兄ちゃんを助けてあげられなくて…」
泣きたいのを堪えている。
そんな風にしか見えなかった。
「パパ…?」
僕の声に弱々しく微笑むこの人は誰?
こんな姿を僕は知らない。
「パパに力が足り無くて…ゴメンね」
震える腕で縋る様に僕を抱き締めながら呟く人を、僕は見詰めた。
僕にとってこの人はずっと恐ろしい人だった。
大きな人だった。
強い人だった。
けど今目の前にいるのは己の無力を嘆くただの父親でしかなくて
…僕は唐突に理解した。
それは僕が父を知らなかっただけなのだ。
父は兄を愛していないわけじゃない。
その手を取りたくなかった訳じゃない。
ただ父の手は一人だけしか取ることが出来なくて
だから僕の手を取ったその手は兄へと伸ばす事が出来なかった。
『親父!!』
あの一瞬に聞いた兄の声。
兄は知っていたのだ。助けられるのは一人だけと。
落下していくあの時、兄が満足そうに笑っていたのは。
「…お兄ちゃん」
何処までも兄は僕達を愛してくれていた。
その事実がけれど今は胸に痛い。
兄はここにいない。
「…大丈夫…だよね?」
だから僕は父親に問い掛けた。
残された痛みを抱えたもう一人の家族へ。
「お兄ちゃんは強いもん。大丈夫だよね?」
僕を庇って負った怪我。白い包帯が沢山巻いてあったけど。
祈りとか願いとか希望とか。
僕の言葉はそんな気持ちに近かったけど。
「大丈夫…だよね?」
言い聞かせる様に重ねて僕は父親に問うた。
頷いて大丈夫だと答えて?
大切な人の無事を僕に信じさせて、そうして僕と同じ気持ちで信じて。
祈りながら抱き着いた僕の背中を父は宥める様に撫でた。
「パパ…」
その手の暖かさにぎゅっと僕はしがみ付いた。
父の強張っていた身体から力が抜けていく。
そっと息を吐いた気配。
そうして。
「大丈夫だよ。シンちゃんはきっと帰って来る。」
答えてくれたその声は優しすぎて
「あの子はパパの息子でコタロ-のお兄ちゃんなんだから」
僕は涙が零れるのを堪えられなかった。
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