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mm
望憶


 望むことと、能わざることが、もしも同じ位置にあるのなら。


 唯一の望憶を見たかった。





 その瞬間瞳に映ったのは、閃光。そして、その合間に覗いたのは――。




<1>


「シンタロー」
 と、マジックは息子を呼んだ。いつもはあくまで『シーンーちゃん♪』のノリで呼ばれることが多いだけに、少々訝しく思いつつ、シンタローは父親に目を向けた。
「何?」
「今度の出征のことだが……」
「あぁ……D国辺境部でもめてるやつ? 親父が行って完璧にカタを付けてくる、って」
 そのような話を聞かされていたので、シンタローは確認するように訊ねた。マジックが頷く。
「そうだ。それにおまえも同行してもらおうと思ってな」
 一瞬、シンタローは言葉の意味を把握しかねそうになる。理解できたのは一呼吸後だった。
「俺が!?」
 思わず大声を出してしまう。
「でも、俺、実戦なんてやったことねぇぜ!?」
「だから、だ。おまえももう十八……そろそろ演習ではなく実戦に参加してもいい頃だろう」
 それは実際シンタロー自身も考えていたことではあった。近いうちに戦場に出ることになるだろうとは思っていたのだが、まさかいきなり次の出征が初陣とは。
 ……心の準備も何もあったものじゃねえよなー。
 小さく呟く。もっとも、一々、そんなものができるまで戦闘がストップしてくれるわけでないのは、シンタローとて知っている。
「これまで得てきたものがどの程度役立つか――いい機会だ、試してみろ。但し……」
 マジックが口元だけで笑う。
「言っておくが、おまえの意志にかかわらず『マジックの息子』の名は重いぞ。不様な姿をさらすような真似をしたら、その時は……判っているな?」
 息子を見つめる、冷徹な瞳。シンタローはゆっくりと首肯した。
「ああ……判ってる……」
 シンタローは、『ガンマ団総帥』を見つめ、敬礼した。もしかしたらこれが、彼がマジックを、父としてというより、自分の上に立つ絶対者、支配者としての視点で見るようになった最初だったかもしれない。
「……承知しました。任務を拝命いたします。御期待を裏切らぬよう、非能非才の身の全力を挙げて遂行する所存であります。――総帥」


 瓦礫の山の中に、マジックたちは立っていた。
 彼らの周囲では、敵兵が折り重なり、あるいは瓦礫の下敷きとなり、斃れている。
 半分はシンタロー一人の手によるものだった。
「ブラボー! シンちゃん」
 マジックが拍手してみせる。
「………」
 シンタローは半ば呆然としていた。一種の虐殺を行った自分を誉められたことに対する、反発反応すら、起こるレベルではない。
 自分が、奪った生命。
 これだけの人間の死。
 これが、戦いというものなのだろうか。人に殺される人と、人を殺す人――それを見せつけられて、シンタローは言葉を失っていた。彼がそれまで知っていたのは、知識としての死。……これが、現実だった。
 人殺しのスペシャリストが己れの職業――その意味に、改めて思い到る。人間が人間を殺すとは、こういうことなのだ……。
 それだけの力を自分が持っていることを感覚的に思い知って、シンタローは頭をおもいきり殴られたようなショックを隠しきれなかった。
 実際に軍籍に在る者として、または殺し屋として、この先幾度も合法的な殺人、非合法な殺人を犯すようになったらどうなるのだろう。
 シンタローは頭の隅で考えた。それとも、その時にはもう感覚が麻痺してしまって、人殺しを何とも思わなくなってしまうのだろうか。
 そう、ここで、いつも大量殺人を犯しているにもかかわらず平然としている、そしていつも他人に人殺しを命じている、この父のように……。
「どうした、怖くなったか。そんなことでは名前負けだぞ、シンタロー」
 挑発するようなマジックの言葉に、だがシンタローは反論を返さない。
「事後処理は任せる」
 マジックは駐屯部隊の長に声を投げた。
「……基地に戻るぞ」
 つまらなそうにマジックは身を返した。直属の部下がそれにつき随う。シンタローは頭を振って思いを断ち切り、後を追った。


「戦い甲斐のない……」
 マジックは吐き捨てた。
「これなら私が出るまでもなかったか……。うちの軍をてこずらせたくらいだ、もう少し愉しませてくれるかと期待したんだが」
 彼にとって戦いは、人殺しとは、娯楽にすぎないのだろうか――。
 マジックは息子に視線を向けた。黙り込んだまま一歩後ろをシンタローはついてくる。
「どうしたんだい、シンちゃん」
 急にマジックは声のトーンを引き上げ、シンタローに話しかけた。
「浮かない顔だね。せーっかくシンちゃんの武勲を、パパ、誉めてあげたのに。シンちゃんってば喜んでくれない……しくしく、パパ泣いちゃうよ」
「……っ!!」
 シンタローは声を詰まらせた。握った拳に力が籠もる。なぜ、たった今大量虐殺を見た、行なったばかりで、こんなにヘラヘラとおちゃらけていられるのか。
 憤りが、シンタローの全身を瞬時に駆け巡る。彼は上目遣いに――マジックとの身長差のゆえだ――父をキッと睨みつけた。
 マジックは薄く笑みを刷いた。
 そうだ……シンタローはこれでいい。このままでいい。自分に対する反発こそが、シンタローを勁くする。
 自分を反面教師にすることで、シンタローが、己れの手を朱に染めることの意味と重みを自覚できてくれればいいのだ。真の勁さを彼は手中にしようとしている――。
「それにしても……」
 再び元の絞った声音に戻り、マジックは独語した。
「あっけなさすぎるな」
 現場からいくらも行かないところで、マジックは足を止めた。
「総帥?」
 部下の呼びかけ。マジックは面白くもなさそうな表情で辺りに視線を投げた。
「待ち伏せされた、か」
 マジックは呟いた。……え? という顔で、傍らのシンタローが父を見上げる。
「動かないほうがいいぞ、シンタロー」
 それに呼応するかのように、周囲から敵軍の兵たちが現れた。向けられた火器は完全に一行を捉えていた。もっとも、下手に逃げ出そうとしない限り、すぐに発砲するつもりはないようだ。
「やはりな……」
 マジックの、己れの部下を見据える双眸が冷たい厳しさを増す。
「……何故監視を怠った!! 動向を正確に探るのが役目だろうッ!」
 叱責された方は、萎縮し、身をこわばらせている。マジックは鼻白み、自嘲に近い嗤いを覗かせた。
 ここまで気付かなかった自分も同じか……。
 マジックは敵の士官に目を向けた。
「我々をどうするつもりだ? 捕虜か、あるいは――」
「決まっている! 皆殺しだっっ!! だが、簡単には殺さん!」
 マジックを除く一行に緊張感がはしる。
 ……この地にマジックがシンタローを連れてきたのは、彼がとことん息子を甘やかしていたからだった。
 マジック自らが出向く、しかも比較的容易な任務。さして手に余ることもなく、更に常に、何かあればシンタローをフォローする態勢をとることもできる。それを、息子の初仕事として選んだのだ。シンタローに対するマジックの偏愛ぶりは、それを受ける本人以外の全員が正しく理解するところだった。
 ゆえに、このような思いをシンタローにさせるつもりはマジックには毛頭なかったのだが……。
 だがしかし、こうなった以上は、それにシンタローがどこまで対処できるか、耐えられるのか、マジックは見極めることにしていた。初陣での予定外の偶発事とはいえ、これで潰れてしまうようなら、後々役には立たない。
 シンタローには将来ガンマ団総帥の座を譲り渡すつもりなのだ。であれば、それにふさわしい資質の片鱗を見せてもらわねばならない。無能者は必要ないのだ。
 父親としての想いの他に、恐ろしいほど冷酷な思考を働かせる、背反部分がマジックの裡には存在していたのだった。
「なるほど……」
 マジックは、そっと背後の息子を伺い見た。
 蒼ざめ、怯えた顔――。
 それは、そうだろう。初陣でこのような目に遭って豪胆でいられたら、逆に神経を疑ってしまう。
 ……もう充分かもしれない。少なくとも彼の息子は、さっさと両手を挙げて敵の前に出てゆき、命乞いするような真似はしなかったのだ。たとえそれが、虚勢に根ざすものでも……。
 死角は――ある?
 マジックは手を伸ばし、シンタローの頭を抱き寄せた。くしゃりと、一族の誰とも違う黒髪が指にわずかにからまりつく。
「動くなッッ!!」
 ダゥンッ……!
 威嚇のつもりか、マジックの手前をめがけて発砲が起こる。足元の土と小石が跳ね上げられ、舞い飛んだ。
 周囲の、息を呑む気配。
「ふん」
 敵も味方も一種の興奮状態にある中、マジックはただ一人平然と、無感動に現状を眺めやっていた。
 それから、抱き寄せたシンタローの耳元で、ごく低くささやく。
「いいか、シンタロー……東南東、左後方約三十度――死角だ」
「え……?」
「一人なら抜けられる。……逃げろ!」
「……親父――?」
 恐怖と驚愕が入り交じった顔で、シンタローは父親を仰ぎ見た。
「けどっ!」
「大丈夫だ――」
「何を喋っている!」
 キン、と、再び地面がはぜる。
 マジックは軽く舌打ちした。長話ししていては分が悪くなる。
「私は平気だ。……ここでむざむざ死ぬような、悪いことは、パパはしたことないよ、シンちゃん♪」
 この状態で、ちゃかした口調をつくれる豪胆さは賞賛に値するものだろう。薄紙一枚の差の、きわどいものではあったが。
 ぎりぎりの状態で、けれど、せめて息子だけでも逃がそうとする――そんな親子愛に見えたかもしれない。確かにその意味も持ち合わせていた。しかしマジックが真に考えていたのは、もっと私的なことだった。
 ここで自分の『力』を解放すれば、あっさりけりがつく。だがマジックは、シンタローに化け物じみた自分の姿を見せたくなかった。
 ……眼魔砲は、シンタローにもできる技だ、幾分セーブしたなら使ってもいいだろう。問題はそれより上に位置する能力だ。
 秘石を使うどころか、秘石眼すら、マジックはシンタローにはその本質を明らかにしたことがなかった。そして当分、する気もなかったのだ。
 シンタローは動こうとしない。
 マジックは息子の髪をなぶった。別の表現が必要らしい。
「……これはテストだ。この状態から逃げおおせることもできないようでは、ガンマ団にとって必要な人材とは言えん。役立たずが!」 
「な……ッ!!」
 シンタローの顔色が変わる。この期に及んでそんなことを言われるとは思わなかったのだ。
「不要と言われたくなければ成功してみせろ」
 言い置いて、マジックは敵の様子をはかった。敵の隙と死角……より完全なものにするためには?
 タイミングは――
 わざと、マジックは一歩進み出た。敵兵の狙いが一瞬彼一人に集まった、その瞬間、
「――行けっ!!」
 マジックはシンタローを突き飛ばした。
 ザッ……!
 もはや思考とは別のところで、シンタローは地を蹴った。大きな岩が盾になる。
「何っ!?」
 敵の反応は遅れた。
 目標を定め損ねて、砲口が揺らぐ。動くものに対して目が行くのは人の常だ。
 マジックが力を集中させるには、それで充分だった。あとは味方側に被害が及ばないよう、引き絞るだけだ。
 ダダダダッッ……
 岩の間をすり抜けてゆくシンタローに、一斉砲火が浴びせられる。だが、逃げる方向が方向だ、どれ一つ彼をかすりもしない。
「へんっ、当たるかよッ!」
 強大な殺戮と破壊の予感。
 ――バゥッ!
 反対方向で起こる小さな爆発……
 岩陰に飛び込みかけて、シンタローはふと後ろを振り仰いだ。
「――!?」
 意図的に小規模の眼魔砲を放ち、注意を更に自分の方に向けようとしたのだろう、完全に息子をかばう位置に移動したマジックが、構えをとって立っていた。
 防ぎきれるわけがない。
 マジックに向けられる銃口――。
「親父!」
 シンタローは盾となる岩の陰から飛び出していた。無意識の、反射にも似た行動だった。
 引金に掛かった指に力が加わる。
 膨れあがる、圧倒的な力のオーラ。終末の光景。
「親……っ。父さん!!」
「何をしているッ!」
 巻き起こる風が髪を逆立てる。
「……よせ! 来るな! シンタロー!!」
「……っ!!」

 ――ドゥッッ!!

 耳をつんざく音。土埃に遮られる視界。激しい爆風にあおられる。
 コマ送りのフィルムのように途切れとぎれの情景。
 破裂する空間の中心にシンタローはいた。
 閃光で目が眩む。圧力に近い衝撃。
「――父さんっ!!!……」
 ……叫びは、爆発音にかき消された。

「……シンタロ――――ッツッ!!!」

 加速度的に意識が遠のく。
 完全に意識を手放す瞬間、瞳に映る閃光のはざまで、マジックの両眼が哀しげに青く光るのを、シンタローは見たような気がした――。




<2>


 あれ……? 俺、どうしたんだ?
 シンタローは、ゆっくりと辺りを見回した。
 死んじまった……のかな、俺……。ここは……ガンマ団本部?
 彼は横たわり、一室の天井を瞳に映していた。
 調度品は違うが、どことなく見覚えのある部屋。……そうだ、ここは総帥室の隣にしつらえられた別室だ。何故こんなところに自分はいるのだろう。
 起き上がろうと、シンタローは身じろぎした。途端、ひょいと宙に浮く感覚。自分を覗き込んでいるのは――。
 ……親父っ!?
「起きちゃったかい、シンちゃん」
 シンタローはマジックに抱き上げられていた。有り得べからざる状況だった。
「あ……う……」
「んー? 何かな? パパがどうかしたかい?」
 シンタローに向かって笑いかけるその顔は、たしかにマジック自身だったが、彼の知る父より、確実に二十歳近くは若い。声の質もそれ相応に、まだ青年の域を出ていなかった。
 そこでシンタローは初めて気付いた。自分が乳児になっていることに。これなら軽く抱けるはずだ。
 ここは過去の世界なのだろうか。それともただの幻影にすぎないのか……。
「兄さん……」
 低く、押し殺したような呼び声。赤ん坊のシンタローを抱いたマジックはそちらに向き直った。必然的にシンタローの視界も方向を変えることになる。
「何だ、サービス、まだ言い足りないのか」
 おじさん? ほんとに若い……
 マジックと対峙するように、弟であるサービスが立っていた。現実のシンタローとちょうど同年代だ。
 サービスは、思い詰めたようにも見える表情でマジックを見返していた。
「本気、なんですか、兄さん」
 その問いに、ほんのわずかだけ、自分を抱く父の手に力が籠められたのをシンタローは感じた。
「本気で、シンタローを――」
「愚問だぞ、サービス」
 マジックは、まっすぐに、齢の離れた弟を見据えた。
「シンタローは私の息子だ。それを後継ぎに決めて何が悪い?」
「ぼくが言っているのはっ――!」
 サービスが声を詰まらせる。彼の声にならない言葉を、兄は奪い取った。
「シンタローが秘石眼を持たないからか? この子では一族の後継者は務まらない、と言いたいのか」
 マジックは唇の片端だけ上げて嗤った。
「『おまえが』そう言うのか?」
「………!」
 他人の神経を逆撫ですることにかけては、右に出るものはなかろうと思われるほどの、棘を含んだ口調だった。
「嫉妬か? 望んでも得られぬ地位をあっさりこの子が攫うことへの? それとも普通の瞳で生まれてきた、そのこと自体に?」
「そうじゃない! ぼくの言いたいのは……そんなことなんかじゃ……っ」
 何度もサービスは首を振る。年齢不相応の苦悩の翳がたゆたっていた。
 数瞬の、沈黙が支配する時間。
「……シンタローが、可哀相だ」
 ぽつりと、サービスは呟いた。マジックがかすかにぴくりとしたのが、シンタローに伝わる。
「可哀相すぎるよ……。こんなのは、兄さんのエゴじゃないか」
 目線だけ動かして、シンタローは父と叔父を見比べた。
「別にぼくは後継者になりたくなんてない……なれるはずもないし、なる気もありません。だから、そんなつもりで、シンタローを後継ぎに定めることについて異論を呈しているわけじゃないんです」
 震えているようにも聞こえる、抑えた声が、室内を回遊する。
「……シンタローは秘石眼じゃない。それはそのまま、一族の中の立場として、異端者になることを意味します。ただでさえあなたの、『マジックの息子』という枷が、この子にはついて回るのに」
 ……ぼくが、『マジックの弟』の名を重く感じているように。
 声に出さなかった思いを、けれど聞き取ることは容易だった。
「……増して、一族の後継者として彼を立てるなんてことになったら、余計にシンタローは――」
 サービスは哀しげな瞳で兄を捉えた。
「シンタローはおそらく、破滅に向かう一族の運命を内から変えることができる、ただ一人の存在でしょう。袋小路に入り込んだ我々一族にとって、もはや必要不可欠な……。それなのに、わざわざ彼を潰そうとしているとしか、ぼくには思えない。……最後まで耐えきれればいい、でもそうでなかったら……」
「もういい、サービス」
 マジックは弟の心情の吐露を押しとどめようとした。サービスの声は反して次第に高くなってゆく。
「―シンタローに三重苦を背負わせるつもりなんですか……? 勝手に押しつけて、それを敢えて推し進めようなんて、そんな……そんなのはただの、あなたのエゴイズムだ!」
「……たいした言い種だな。既に決めたことだ、おまえに言う資格はない!」
「いつだってそうじゃないか! それとも、やっぱり兄さんはジャンの――っ!!」
「――サービス!!」
 マジックは一喝した。はっとサービスが息を呑む。その場の空気が凍結していた。
「申し訳ありません……。失礼します」
 サービスは一礼すると、足早に部屋を出ていった。
 ……おじさん……親父っ!?
 シンタローは、必死に父の衣服を掴み、叫んだ。しかし、発することができたのは、意味を為さない喃語でしかあり得なかった。四肢の感覚すら、まるで自分のものではないようだ。
「あぅ……だぁ……」
「シンタロー……?」
 腕の中の我が子に、マジックは視線を落とした。心持ち、瞳によぎる色合いが暗い。
「すまない。嫌な問答を聞かせてしまったな。……といってもまだおまえには判らないか」
 あやすように、息子をマジックは揺らした。
「私のエゴ、か――。そうなのかもしれない。秘石眼ではないおまえにとって、確かにこれは酷だろう。……嫌われることは覚悟の上だが、それでは足らず、もしかしたら、恨み、憎まれすらするかもしれんな……」
 マジックはふと微笑んだ。優しく、穏やかに。彼らしくないほどに。
「それでもね、シンタロー……」
 悲しいほどの静けさを湛えた、それは、呟くような口調だった。
「私はおまえが可愛くてしょうがないんだよ」
 シンタローは大きく目を見開き、自分を抱くマジックを凝視した。そこにいるのは、一人の父親だった。
「どんなに憎まれても、たとえ一族の異端者でも、私は、おまえが……シンタロー―」
 父さん……。そう心の中で呼びさす。
 その時、不意にシンタローは、ぐいっとひっぱられるような感覚をおぼえた。
 ……何だ? 何が起こったんだ!?
 視界が霞み、頭がぼやけてくる。薄れる意識の中、シンタローは最初の疑問の答えに辿り着いていた。
 あぁ、そうか、これは幻なんかじゃねえ。俺の記憶だ……ずっと、はるか昔の……。
 それだけ考え、シンタローは引力に身を委ねた――。


「う……」
 シンタローは薄く目を開けた。映るのは、天井。
「気が付いたようだね」
 すっと、人影が脇で動く。
 体がひどく重苦しい。シンタローはのろのろと頭を巡らした。その途端締めつけられるような頭痛に、彼は顔をしかめた。
「ドク……ター……?」
 ドクター高松がシンタローの傍に立っていた。
 ここは医務室なのだろうか。高松がいるところを見ると、前線の駐屯基地だ。でも、どうやって?
「俺……」
 喋ることさえ億劫だ。呼吸するたび、胸郭が情けない悲鳴をあげる。
「ああ……そのまま動かないで、シンタローくん」
 高松はシンタローの額に手を置いた。
 昔は「シンタロー様」と様付け、そして敬語で話していた高松だったが、特別扱いされたくないと強く言い張るシンタロー自身の要望で、二年ほど前からは、極力、口調を修正している。今もその例に違わなかった。
「君は三日近く昏睡状態だったんだよ。話は聞いたが……あれだけの力をまともに受けて、その程度のダメージで済んだだけでも奇蹟なんだからね」
 あれだけの、力?
 その言葉に、突然光景が蘇る。……あの、大爆発。
「取り敢えず診察を――」
「………! そうだ、親父っ! 親父は!?」
 シンタローは痛みも忘れて、すがるように高松に問うた。訊かれた方は、わずかに驚きを混ぜた表情で発言者を見返した。
 高松が返答するより早く、
「私ならここにいる」
 反対側から声が割り込む。シンタローは、はっとしてそちらを向いた。鉄の破片を突きさされているかのような頭の痛み。
 腕組みしたマジックが、シンタローの横たわるベッドの傍らにいた。擦過傷一つ負っている様子はない。
「親父……」
 そうか、無事だったんだ……。
 半ば麻痺している舌の感覚がもどかしい。
「シンタロー」
 マジックは呼びかけた。そこに含まれるのは、暖かさではなく、氷のような冷たさだった。
「何故、戻ってきた?」
「え……」
「逃げろ、と私は言わなかったか? どうして、あのまま行かなかった」
 シンタローは困惑して父を見やった。マジックの声が冷淡さを増す。
「そのせいで、シナリオは台無しだ。結果的に何事もなかったからよかったようなものの、自分のしたことがどれほど他人の障害になったか、おまえは判っているのか!」
「俺は……ただ、親父が……っ」
 苦しい呼吸をおして話そうとする息子を、マジックはあざけるような双眸で切り刻んだ。
「私が心配だった、とでも言うのか? ふん、あれしきのことで、この私がやられるわけがなかろう。おまえはただ私の言うとおりにしていればいいんだ! それを、上面だけの独断で先走って、その挙句がこれか。不様だな、シンタロー!!」
「な……っん……!」
 かっとなってシンタローは跳ね起きた。途端に、全身を貫く激痛に、彼は身体を折った。一瞬気が遠くなり、けれど、同じもののせいで現実に引き戻されるほどの、激しい痛みと苦しさ。
「……ぐっ……」
「シンタローくん!」
 それまで、心配げな目で、しかし立ち入ることのできぬものとして父子の会話を静観していた高松が、手を伸ばす。……限界だ。
「駄目だ! まだ起きられるわけないだろう」
 肩を抱くようにして、高松は己れの患者を再び横たわらせた。シンタローは眉を寄せ、喘ぐような、時折止まりかねない不規則な呼吸を洩らしている。
 マジックの放った力の中心点に飛び込んできて、これだけの怪我どころか、生きていられることの方が不思議なのだ。シンタローにその自覚があるかどうかは甚だ不明瞭なものだったが……。
「ク……ソ親父っ!」
 枕に頭を押しつけ、絞りだすような声でシンタローは罵った。マジックは、無感動に我が子を眺め下ろす。
「いいざまだな……自業自得だ。最初に念を押したはずだな、不様な姿をさらすような真似をしたら、その時は……と。おまえには失望させられたぞ。少しはものの役に立つかと思えばこれだ」
 マジックは語気を強めた。
「それでも私の息子か! このマジックの名をけがしおって!!」
「――ッ!」
 シンタローは、言い返す言葉を見失って、ただ黙って耐えるよりなかった。マジックは興味を失ったように、ふいと横を向いた。
「……覚悟しておけ」
 言い残して、マジックはつかつかと場を歩み去った。対照的な静寂が、後に残された。


 マジックは壁にもたれ、吐息した。
 これでまた息子に憎まれるのは確実だろう。ねぎらいの言葉一つ与えない自分を、シンタローは恨むだろうか?
「……だとしても構わん……」
 彼は独語した。自分にはこんなやり方しかできないのだ。――それが、間違っていたとしても。
 自嘲の色が、マジックを淡く染めていた。


 マジックが医務室から去り、ようやくシンタローが、荒いながらも呼吸を元に戻したところで、高松は控えめに名前を口にした。
「シンタローくん……」
「………」
 シンタローは唇を噛み、小刻みに震えている。
「……えよ……」
「え――?」
「俺……できねぇ、よ……。親父、みたい、に――そんな、の……」
 高松は、毛布をかぶせなおす手を一瞬止めた。
 シンタローは泣いていた。涙を流しながら、呟きに近くひとりごちる。
「……お……れ、判ん……ねぇよ。何にも……全ぜっ……何で――っ」
 シンタローが言葉を詰まらせるのをみて、高松は再度呼びかけた。
「シンタロー様、いいことを教えてさしあげましょうか……」
 語調を改めて、ふわりと毛布を掛ける。
「完全に意識を失っていらっしゃいましたから、あなたは無論ご存じないことでしょうけれどね――」
 近くの椅子に、高松は浅く腰を下ろした。指を組み、膝に置く。
「あなたをここまで運んできたのは総帥です。あなたが眠っている間、ずっと付き添っていらしたんですよ。寝食も忘れて……とても心配なさって――」
 ぐったりとしたシンタローを抱えてここに飛び込んできた時の、マジックの顔を、高松は生涯忘れまい、と思う。彼の構成要素の第一であるはずのゆとりも何もかもかなぐり捨てた、すがりつくような……。
 それは、十七年前のあの日、ルーザーの起こした叛乱の中で、ほんの一瞬だけ見せたものと同じ種類に属していたかもしれない。決定的に違うのは、あの時彼は敗北者を赦さなかったということだ。
 魔王たるマジックにとって唯一の例外がシンタローなのだと、高松には判っていた。
『シンタローを救けてくれ! 私のせいだ……私が、誤ったから……っ!!』
 そう、マジックは言ったのだ。そして、それから先、どれだけ高松が司令部に戻るように促しても、マジックは息子の傍を離れようとしなかった。何度もその名前を繰り返しながら……。
「あの方はあなたのことを――」
「親父、が……?」
 本当にそうなのだろうか。あの父が?
「あなたはお父上がお嫌いですか?」
 高松の問いに、しばらくシンタローは答えなかった。
「……判らねえ……」
 ――違う。本当は、どんなにけなされても、蔑まれても、それでも自分は父が好きなのだ。多分、最後の最後のところで。
 胸が痛い。それは、怪我のせいだけではなくて……。
 ふとシンタローは夢でみた記憶を思い出した。
 赤ん坊の自分に語りかける、父の姿。きっとただ一つの望憶……。
「――診察は後回しにした方がよさそうですね。もう少し眠っていらっしゃい」
 高松は声をかけた。シンタローは微かに頷いて、目を閉じた。


「シンタロー、おまえはまだこれから、絶望を知らなければならない……。その時、おまえはどうする……?」
 マジックは再び呟いた。そこに、団員が駆けてくる。
「ああ、お捜ししておりました、総帥! 今回の報告書のことで……」
「判った。すぐに行く」
 マジックは首肯し、身を返した。父と息子の想いが、戦場で迷走し交錯する……。




 それでもね、シンタロー……私はおまえが可愛くてならないんだよ――。




PR
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BIRTHDAY CHASE


「ねえ、パパ」
「ん? 何だい、シンちゃん」
「あのねぇ……」
 マジックに抱き上げられた幼いシンタローは、にこっと笑った。
「おたんじょうびおめでとう、パパ」


 ――――――――………





 ザ…… ゴォ―――

 海の中を征く艦。
 マジックはシートに座していた。部下の声が彼のもとに届く。
「総帥、まもなく島に到着いたします」
「判った。着艦準備せよ!」
 マジックは、冷厳たる口調で命じた。次の瞬間、彼は、個人的な幸福にひたっていた。
「シンタロー……」
 夢見る瞳。本人の主観はどうあれ、端から見たら、ただのあぶねーおっさんである。ここら辺の茶々入れから既に、この話の運命は決まっているのであった。
「待っておいで、シンちゃん、今パパが行くよ……」




<1>


「シンタロー! 飯はまだか?」
「だーっ。今作ってっだろッ! ちったあ我慢ってもんを覚えんかい!」
 シンタローは鍋の中身をかき混ぜながら、パプワに言い返した。
 パプワとチャッピーは食卓につき、シンタローの後ろ姿を眺めている。
「ったく、この欠食児童が」
 彼がパプワ島に流れ着き、南国少年の、お母さんだか妻だか使用人だか判らない立場に甘んじるようになって、はや一年半以上。
 口ではぶつくさ言いながらも、最近では結構楽しそうに家事をこなしているところを見ると、主夫の素質があるのらしい。
 シンタローは小皿に取ったスープの味をみた。
「ん、パーペキ♪」
 そこで浮かれる辺り、既に末期症状である。
「できたぜ、パプワ」
「わーい、飯メシーっ!」
 鍋を下ろし、食卓に置く。椀にそれをよそいながら、ふとシンタローは考えた。
 とはいえ、考え込んでいても、それでも手は止まらない。プロの域だ。やっぱりダンナに欲しいかもしれない。
 それにしても……今朝は変な夢をみちまったぜ。ガキの頃の思い出なんて。なぁーにが、おたんじょうびだよ。……って、あれ? 誕生日?
「……ちょっと待てよ……」
「どうした、シンタロー?」
「なァ、パプワ……今日って、何月何日だ?」
 なぜかシンタローはひくついている。それまで暦などないに等しかったこの島に、太陽暦を浸透させたのはシンタローだ。もっとも、何月であろうと、ここは常夏の楽園である。
「十二月十二日! それがどうかしたのか?」
 朝食をぱくつきながら、パプワはあっさり答えた。
「じゅうにがつじゅうに……」
 すーっと、シンタローの顔から血の気が引く。笑いが乾いていた。
「なーんか、すっごく嫌な予感……」
 人間、悪い予感に限ってやたら的中するものである。
 たらぁりと、冷汗が伝う。その時、
「ヤッホー、シンちゃん!」
「げっ!」
 どんがらがっしゃーん!
 シンタローはのけぞった。パプワハウスの窓から、マジックが手を振っている。いつものごとく潜水艦で来たのらしい。後ろに幾人もの団員を引き連れていた。
 世界最強とも言われる暗殺者組織、ガンマ団の総帥ともなれば、多忙という言葉では追い付かないほど忙しいはずだが、どうもマジックに限っては暇をもてあましているとしか、シンタローには思えない。
 これが自分の父親とは……。
「やっぱり来やがったか、クソ親父!!」
 カタン、と茶碗を置き、シンタローは立ち上がった。
「パプワ、そのまま飯食ってろ」
 シンタローは外に出、マジックと向かい合った。この父親でどうして自分のような息子ができたのか、いまひとつ謎だ。それがヨタでなく、真実、一族の謎と秘密である辺り、冗談になっていない。秘石が企む、裏の裏の事情は更に秘密だ。
「湧いて出るんじゃねえかと思ってたぜ」
「あれ? ひょっとしてシンちゃんてば、パパが来るのを待っててくれたのかな? 嬉しいよ」
「待ってねェよ、誰も! とっとと帰りやがれ!」
「相変わらず照れ屋さんだなぁ。何か他に言うことがあるんじゃないかと思って、足を運んであげたのに」
「な・ん・に・も・あ・り・ま・せ・んッッ!!」
 一音ごと、シンタローは区切って答えた。マジックの表情が、ふっとすり変わる。
「ふ~ん、そう……」
 ビシュッ!
 呟きざま繰り出されたマジックの拳は空を切った。
「やるな……」
 一歩下がった位置で、シンタローは父親を見据えていた。その瞳が、むしろ娯しげにきらめいている。
「ふん! てめーの考えなんざお見通しだぜ!!」
「なるほど……では、こうしよう。おまえが逃げ、私が追う。捕まえられたら、おまえは私の言うとおりにするんだ。この際、秘石の話は今日は無しにしてやる。今日の私の望みはそれではないからな」
 マジックの提案を、シンタローは鼻で笑った。
「はん! えらく一方的な提案だな。俺が逃げ切るにしろ何にしろ、結局貴様との鬼ごっこに付き合えってか。ちょっと虫が良すぎるんじゃねぇの? 俺は忙しいんだよ! 遊んでる暇は――」
「……これではどうだ? おまえが勝ったら、一度だけコタローに会わせてやる。約束しよう。それでも嫌か?」
「えっ!?」
 一瞬、シンタローの顔が弛む。コタローに逢える? コタローに?
『お兄ちゃん(ハートマークつき)』……弟の笑顔が脳裏で乱舞した。
 半ば陶酔状態で頷きかけ、シンタローは慌ててぷるぷると頭を振った。
「……てめーの約束なんざ信じられるかよッ!」
 世にも珍しいことが起こっていた。シンタローの理性が弟への一念に勝るなど、明日のパプワ島地方は雪一時あられ、ところにより隕石、血の雨降水確率90パーセントである。
 シンタローは、ぐっと拳を握り締めた。
「断る、と言ったら?」
 パキッとマジックは指を鳴らした。シンタローの周囲を、団員が取り囲む。
「拒否できんよ、おまえは」
 マジックの瞳が妖しげに光る。互いに間を取りながらの牽制。さらに一歩引き、シンタローは大きく息を吐いた。結局マジックには適わないのだ。
「……パプワや島の連中には絶対手を出さないと、誓えるか?」
「勿論。私は平和主義者だからね」
 おお、すごいぞ、シリアスだ。
「その言葉……忘れんなよッッ!!」
 言いざま、自分を包囲している元味方を蹴り飛ばし、シンタローは駆け出した。
「……よかろう。契約成立だ」
 瞬間的な空白。
 ――バゥン!
 マジックの眼魔砲が背後の地面をえぐる。
「でーっ! マジかよッ!!」
 間一髪で避けながら、シンタローの背中を冷たいものが走り抜けた。
 あんなもの、自分が放つ分にはいいが、食らうのはごめんである。
「これじゃ、捕まる前に殺されちまうぜ」
 この一種の『ゲーム』が今日一日限りのものであることを、シンタローは知っていた。何故なら――。
 ……付き合ってやるさ。死にたくねえからな。
 森の方までシンタローは逃げていた。障害物が多い方が有利だ。
「待て、シンタロー!」
 どっかーん!
 三十センチ横の樹の、どてっぱらの風通しがよくなっていた。
「どわっ!」
 しーん…… そんな擬音が降ってくる。
 畜生、マジックの奴、やたら張り切ってやがる。これを否応なしのプレゼントにさせる気かよ! じょおっだんじゃねえ!!
 シンタローは心の中で毒づいた。だが、逃げなくてはあの世行きである。
「誰が待てるかーっっ!!」
 怒鳴り返して、シンタローはジャンプした。



 マジックはぐるりと森を見回した。
「……見失ったか」
 まあいい。息子がのってくれただけでも幸運なのだ。
 単なる『狩り』と『鬼ごっこ』では、気分的に大きな隔たりがある。やっていることは同じなくせに、自分の罪悪感を棚上げできる方を選ぶ、あこぎというか随分なマジックだった。
「絶対におまえを捕らえて、おめでとうと言わせてみせるぞ、シンタロー!」
 握り拳を掲げあげ、マジックは燃えていた。
 何やら、目的と手段がもはやチャンポンになっている感がある。
 父と息子のチキチキマシン猛レース……じゃなかった、チェイスは、まだ始まったばかりであった。



「今日もええ天気どすなぁ、テヅカくん 」
「キィ♪」
 アラシヤマは肩にコウモリを乗せ、散歩していた。彼にとっては幸福そのものの時間だ。それを遮ったのは、割と近くで起こった爆発音だった。
「ん……? 何や?」
 瞬間的に、テヅカくんをかばうように抱え込む。辺りの様子を窺ったアラシヤマの前に、
 ガサ…… ザザザッッ!
 突如落ちてくる人影。
「……ってぇー……目測誤っちまったぜ」
「シンタローはん!?」
 アラシヤマは、しゃがみこんでいる青年の名を呼んだ。はっとして、シンタローが顔を上げる。
「奇遇どすなァ。何をやっとらはるんでっか? こないなところで、散歩にも見えまへ――むぐっ」
 アラシヤマが目を白黒させる。シンタローは同僚の口元を押さえ、自分に引き付けた。
「なッ……何しはるんどす!!」
 シンタローの手を引きはがし、アラシヤマは噛みつくように叫んだ。顔が真っ赤なのは完璧に照れているからである。一歩間違えば山火事寸前だった。
「大声をたてるなっ」
 アラシヤマの耳元で、シンタローはささやいた。
「見つかっちまうじゃねえかよ」
「かくれんぼでもしてはるんどすかいな。よろしおすなぁ、楽しそうで。そや、テヅカくん、わてらも今度二人で遊びまひょな」
「キイキィ!」
 再びテヅカくんを肩に乗せるアラシヤマを、組織の一員時代、唯一実力で凌駕していた青年は睨みつけた。
「ばっきゃろー! 呑気な面しやがって。こちとら命懸けだぜ」
 シンタローは辺りの物音に耳を澄ました。どうやら大丈夫のようだ。大きく息をつき、彼は樹の陰にすとんと腰を下ろした。
 その様子に、アラシヤマの表情が硬くなってゆく。これは、ことによるとヤバい状況かもしれない。
「何やら、えろう……きな臭い話みたいどすな」
 ちらりと、シンタローはアラシヤマを見た。
「マジックが――来てる」
 聞いた途端、アラシヤマは真っ白になっていた。酸素を求めてぱくぱくと口が動く。
 ……マジック総帥が島にいる?
「な……な……な、何どすてぇ~~~っっ!?」
「わっ! バカ! 大声を出すな!!」
 慌てて、もう一度シンタローがアラシヤマの口を塞ぐ。同じようにその指をはがしてから、額とバックに縦線をしょった笑みをアラシヤマは浮かべた。
「……そ……そりゃ、えらい災難どしたなあ。ははは。わ……っ、わては急ぎの用事を思い出しましてん。ほな、さいなら」
「待てぇーいッ」
 アラシヤマのマントの首根っこをひっつかんで、シンタローは引きずり戻した。
「何でわてまで巻き込まれなあかんのどすっ」
「筆者の趣味――もとい、もののついでだ」
 もののついでで、総帥親子のバイオレンスなかくれんぼに付き合わされてはかなわない。……鬼ごっこにかくれんぼ、次は缶蹴りだろうか。何だかノスタルジーの世界である。
「せやかて……。いや、それより、なしてまた総帥がこないな――」
「あ……」
 その問いに、答えづらそうにシンタローは口篭もった。
「? 何どす?」
「だから……」
「だから?」
「今日は――奴の誕生日なんだよっ」
 聞いた瞬間、アラシヤマの顔に理解の色が広がる。この辺り、既に染まっている彼であった。
「あァ……そーゆーことねェ~……」
 余計に、とばっちりはごめんだとアラシヤマが考えたかどうかは定かではない。
「とにかく今日一日逃げなきゃならねえ……畜生、昼飯の支度も、掃除も洗濯もしなきゃいけないってのに、あんのアーパー親父が!」
 それでも家事一般を忘れないところが、パプワ島の住人としてのシンタローの彼たる所以だった。
「何とかして食事だけでも…… ―――ッッ!!!」
 ……閃光に近いエネルギーの塊。
 ちゅどーんッツッ!!
「どしぇーっっ!」
「うぎゃあァァ~!」
 なぎ倒された木々と一緒に、二人は爆風で吹き飛ばされた。
 ズサッ!
 彼らは残った樹に打ちつけられた。瞬間、息が止まりそうになる。
「~~ッ!!」
 歩み寄る人物。その威圧感。
「こーんなところに隠れてたのかい、坊や! 随分と捜したよ……?」
 悪魔の微笑みを湛えて、マジックはゆっくりと近付いてきた。
 ごくり、とシンタローは唾を飲み込んだ。アラシヤマに到っては、しきりに後ろに下がろうとしながら、腰が抜けて動けない。
 危うし、シンタロー!(とアラシヤマ) このまま彼はマジックに捕らえられてしまうのか!? 以下次号!!
 ――というわけにはいかないので、話を続ける。
「さあ、意地を張らないであきらめなさい」
 マジックはなおも息子の傍へ近寄る。
 あと数歩で触れようとする時、シンタローは爆発の名残で散乱している瓦礫を掴み、マジックに投げつけた。
 ピシッ!
 マジックが、手をあげて顔をかばい、目を細める。
「何を今更悪あがきを――」
「逃げるぞ、アラシヤマ!!」
「あ……あわわ……」
 腰を抜かしたままのアラシヤマの腕を取り、引っぱるようにしてシンタローは走りだした。
「あっ、こら、シンタロー!」
 マジックは追った。
 森の中の、全力疾走障害物競争。
 もはや体力勝負に近いものがあった。齢の差は歴然としている。あとはテクニックと邪道だ。
「待ちなさい! 紳士的に話し合おう!」
 眼魔砲の構えをしながらそう言っても、説得力はまるでない。トーゼンである。
 ……ドガッ!
 前方の地面に大穴が開く。シンタローと、どうやら自力で走れるようになったアラシヤマは、それをぎりぎりで跳び越えた。
「待てといわれて待つバカはいねーよ!」
「わーっ! 何でわてまでーっっ!!」
「うるせー、ゴチャゴチャ言わずに走れッ!」
「そないなこと言うたかて、元はといえばシンタローはんのせいやおまへんかーっ!」
「じゃあ、あのまま木の根元んとこに置いてきてほしかったのかよ!? 何なら今から戻るか? えぇ!?」
「嫌どすッッ! マジック総帥に即死させられてしまいますがな!! わてはまだ死にとうあらしまへん!」
「だったら黙って走れっ!」
「ひぇーん!」
 ほとんど掛け合い漫才のノリで、シンタローとアラシヤマは叫び合いながら獣道を駆け抜けてゆく。
 それを追跡するマジックは、
「を!?」
 ……自分のえぐった大穴で足を踏み外していた……。



「あー、スイカがうめェべー! ほれ、トットリももっと食うだよ」
「もっと、って、僕達これしか食べるものはないんだっちゃが!」
「いちいち言わんでも判っとるべ! ……いつか花咲くときもくるべさ。オラ達、貧しくてもたくましく生きるべ、トットリ」
「ミヤギくーんっ」
 スイカ畑で、トットリとミヤギは、涙ぐみながら互いの手を取り合った。
 そこに、すさまじい勢いで転がってくる二つの物体。その上をコウモリがぱたぱたとついてきていた。
「何だべ!?」
「誰だわいや!」
 誰何の声を飛ばす。土埃の中に影が映った。
「何しやがんだよ、アラシヤマ! 走ってる最中に、いきなり他人の腰紐を引っぱんじゃねぇ!! バランス崩しちまったじゃねーかよッ!」
「不可抗力どすがな! ちょっと足がもつれて、転びそうやったんや! それで、とっさに前におったシンタローはんの紐を掴んでしもうただけどす!!」
「足がもつれた、って、てめー、足腰弱ってんじゃねーのか!? 俺より年下だろーがッッ!!」
「あーっ、シンタローはん、あんさんには関係あらへんことどっしゃろっ!」
 やたら元気に人影は怒鳴り合っている。この、嫌になるほど聞き覚えのある、嫌になるほど聞き慣れた声。その名前……。
 土埃の霧が薄くなり、いつしか晴れていた。その中にいたのは、無論――
「……シンタロー!」
「それにアラシヤマっ!」
 ミヤギとトットリは、以前の同僚の名前を呼んだ。
 呼ばれた方は、そこで初めて二人に気付いたという風に、目をしばたたかせた。本当は転げる前に一応視界に入っていたはずなのだが、ずっと喚き合い続けていて、スイカ畑の中の人の姿など、その意識の隅にすら残っていなかったのだ。
「あれ? ミヤギにトットリじゃねぇか」
「あんさんら、こないな場所で何しとらはるんどす?」
 シンタローとアラシヤマはあっけらかんと問う。
「それはこっちの台詞だべ!」
「そげだわやっ」
 むくれたように、ローカルコンビは突然の闖入者をねめつけた。
「なーんでおめ達が一緒に走っとったんだべ」
「運動会はとうに済んどるし……んー……マラソン大会の練習か何かだらあか?」
「何マヌケなこと言うとるだよ、トットリ!」
「ミヤギくんがいぢめる……」
 じとーっとした目で、トットリは親友を見た。シンタローは痴話喧嘩には構わず、ほぅっと呼気を漏らした。
「……取り敢えずは撒けたか」
「そのようどすな。でもすぐに来まっせ」
 アラシヤマは、姿勢を変えて座り込むシンタローに恨みがましい視線を投げた。
「まったく、あんさんのせいでわてまで逃亡者や。せっかく巻けたことどすし、わてはうまいこと戻らせてもらいますよってな」
「できると思ってんのか? あいつ相手に、本気で。剛毅なことだな」
 たとえ騒ぎに巻き込まれただけだとしても、マジックはアラシヤマをも追い詰めるだろう。ただでさえ、刺客としての任務に失敗した脱落者なのだから。
 アラシヤマはあっさり返答した。
「……言ってみただけどす」
「変わり身の早ぇ奴……」
「こら、シンタロー! オラの質問に答えるべっ!」
 ミヤギは詰め寄った。シンタローは口元を歪め、ぐしゃりと前髪をかきあげた。
「楽しいたのしい、鬼ごっことかくれんぼだよ。おめーらも混ぜてやろうか?」
 話が見えない。ミヤギは首をひねった。
 島の連中相手にそれをしている、というなら、まだ判らないでもない。だが、よりにもよってコウモリだけが友達のアラシヤマと一緒に?
「ところでシンタローはん……」
 アラシヤマはこそりと耳打ちした。
「これも巻き込む気どすか……?」
「ものにはついで、って言葉が日本語にゃあるんだよ。この際だ、居合わせた不幸を呪ってもらう」
 ……悪魔であった。この親にしてこの子あり、やはり血は争えない。
 もっとも、それを聞いて、たしかにどうせ不幸になるのなら、自分だけでなく他人の足元もすくってやった方がいい、と同意思考をかました京都出身の青年がいたところからすると、これはガンマ団構成員全てに共通することなのかもしれない。さすがは悪の組織、マインド・コントロールは徹底していた。
「ミヤギ、トットリ! おまえらに手伝ってほしいことがある」
「手伝い……?」
 話をもちかけられた方は顔を見合わせた。
「一体、僕達に何をしろって言うんだっちゃ」
「時間がねえ。……急いで、罠をつくるんだ」



「迂闊だったな……」
 マジックは着衣に付いた土をはたいた。
「この私が、こんな目に遭わされるとは」
 キッと、マジックは何もない空間を睨みつけた。
 ……こんな目もそんな目も、自分のせいである。どんなに渋く決めようと、所詮、自分で掘った穴に自分で転がった事実がある以上、恰好付けが完璧にすべっていることに、当人は気付いていない。
「だが、今度こそ逃がさんぞ、シンタロー!」
「総帥! あちらの方に、シンタロー様らしい人影が」
 分散させた部下の報告に、マジックは首肯した。
 お日さまはとっくに高くのぼっていた。



「……にしても、誰が追っ手か知らねえだども、落とし穴なんか作っとらんと、何処かに早く逃げた方がええんでねえだか?」
 ミヤギの言葉に、シンタローは土をならしながら、あさはかなと言いたげな顔をした。
「何処に逃げても隠れても同じなんだよ! 一日中ずっと走りづめるわけにもいかねえ以上、休息のついでに敵を足止めする手をとった方が得策だろうが」
 その通りだった。体力の温存が優先事項だ。決して筆者が手を抜いたわけではない、念の為。
「シンタローはん、こんなもんでっか?」
 アラシヤマは網を差し出した。
「即興にしちゃ、上出来上出来! マジックだったら引っかかるぜ」
 落とし穴にスイカの蔦を編むようにかぶせながら、シンタローは頷いた。
 看過しえぬ、一つの名前に、ミヤギとトットリがかちんと固まりかける。
「……え……? マジック……??」
「マジックって……総帥……?」
 硬直を解こうとする二人の全身から、音を立てて血の気が引いていた。
「来とりんさるのは総帥なんだっちゃか!?」
「シンタロー! おめ、嘘こいたべなッ!」
「……嘘なんかついてねえよ。黙ってただけだぜ」
 ビビる気持ちはよく判る。黙っておいて正解だった、と、シンタローは心の中で呟いた。
「冗談でねえだ! オラ達は抜けるべ!」
 ミヤギは叫んだ。悲鳴寸前である。そのままダッシュして去ろうとするのを、
「――アラシヤマ!」
 シンタローの声に、アラシヤマが行手に立ちはだかる。
「ここまで加担しといて、あきまへんえ、お二人はん。地獄に堕ちる時は一緒どすわ!」
 前門のアラシヤマ、後門のシンタロー……。ミヤギとトットリは、ネコに狙いを定められたネズミと化していた。窮鼠猫を噛む、という格言は、彼らの場合、地球の反対側であった。
 がっくりと、二人は膝をついた。その瞬間、
「……っっ!?」
 ―どっげーん!!
 四人めがけて、景気よく無形爆弾が飛ばされた。マジックの撃った眼魔砲だ。
「うわぁーっ!」
「ぎゃ~~~ッッ!!」
 まともに受けて、トットリとミヤギはふっとんだ。毛布と布団がもうふっとんだ――懐かしい駄洒落である。
 アラシヤマとシンタローはすんでのところで直撃を避け、身をかばった。
「……っ!」
「来やがった、か」
 仁王立ちしているマジックの姿が、土煙の向こうに見える。
「また仲間を増やしてるのかい? 懲りない子だな。この際だ、全員まとめてお仕置きしなきゃいかんな……」
「懲りねえのはてめえの方だぜ、マジック!」
 ちら、と、地面と親交を深めているトットリたちを、シンタローは一瞥した。
「何をぼさっと寝てやがる! 死にてえのか!」
 その一喝に、身を起こし、ミヤギとトットリが泡を食って逃げ出す。それに合わせてシンタローも身をひるがえした。
 アラシヤマは行きかけて、後方を振り返った。
「テヅカくん!」
「キィーッ!」
 爆風に飛ばされたテヅカくんが、その場には残されていた。置いてゆくことなどできない。アラシヤマは方向を変え、駆け戻った。
「……アラシヤマ!?」
 シンタローは叫んだ。
「アラシヤマ、よせ! 戻るんだ!!」
 現場に屈み込んで、コウモリを抱き上げるアラシヤマ。マジックが、ついと腕を伸ばす。
 完全な射程距離。――絶好の、標的……。
「――危ねえ! アラシヤマッッ!!」
 テヅカくんをぎゅっと抱き締め、アラシヤマが目をつぶる。絶体絶命の、一瞬。
 ……その時初めて、シンタローは自ら眼魔砲を放っていた。
 ドウッ!
 頭髪一筋分を外してかすめる技。マジックはわずらわしげに手をかざして余波を蔽う。
 おや、おかしいぞ、なぜ緊迫するんだ。
「……今だ!! こっちに来い!」
 はっとして顔を上げ、アラシヤマは走りだした。すぐに救済者に追いつく。
「おおきに、シンタローはん!」
「別にてめぇの為じゃねえっ! あいつがテヅカを巻き込もうとしたからだっ。……貴様が生きようが死のうが俺の知ったことじゃねえが、一人だけ見殺しにしたら後味悪いだろーがよ!!」
 不本意そうにシンタローは答えた。その間も、無論疾駆は止まることはない。
 彼とアラシヤマは、たちまち先をゆく二人と並んだ。
「……テヅカくーんっ、こないな思いをさせてもうて堪忍なぁーっ!」
「キイィー!」
 アラシヤマは今度はしっかりテヅカくんを抱え、すったかすったか走っている。
「シンタロー! まだ逃げる気か!」
 態勢を立てなおしたマジックが、スイカ畑に踏み入ってきた。
「……ったりめーだッッ!」
 父親に叫び返して、シンタローは疾走した。
 ドーンッッ!
 畑で次々と爆発が起こる。当然、なっていた実はぐちゃぐちゃである。
「わ~~! 僕達のスイカ~っ!!」
「どうしてくれるべ、シンタロー!」
 トットリとミヤギの食糧事情が切迫していた。
 ……さようなら、日々の糧。明日から自分たちは飢えて路頭に迷うのだろうか。マジックに殺されるのも嫌だが、栄養失調で昇天するのも嫌だ。ああ、生きているうちにもう一度、故郷の二十世紀梨を、ササニシキを腹一杯食べたかった。父ちゃん母ちゃん、先立つ不幸を許してくれ、涅槃で待つ……。
 もはや思考が訳が判らない。
「我慢しろ! 今度夕飯に呼んでやる!」
「……ほんとだべなァ!?」
「シ、シンタローはん、総帥があぁ~ッ!!」
 ――どげんっ!!
 十センチの差で頬をすり抜ける眼魔砲。マジックが追いすがる。
「うわーん! 僕達無関係だっちゃがないやーっ!!」
「今更遅うおますがな! どわーっ!」
「そうだ、一蓮托生って四字熟語を知らんのかッ! ぎゃあァッッ」
「知っとるのと判るのは別物だべーっ!!」
「うわーっははは、後の祭りだ、後の祭り!」
 半分以上ぶち切れた精神状態でにぎやかに喚きつつ、四人は逃げ回った。
 やはり若さがものをいう。追撃するマジックは息切れを起こしかけていた。齢は取りたくないものである。
「無駄な抵抗はよしなさい、シンタロー!」
「貴様は警察かよ!」
 シンタローは落とし穴の上を飛び越えた。
「ここまで来てみろ、クソ親父!!」
 そのまま、一目散に猛ダッシュする。まっすぐそれを追おうとして、
「をおっ」
 ……ものの見事に、マジックは落とし穴にはまっていた。はっきり言って大たわけである。
「シンタロー! よくもッ!」
 穴の中からマジックが吠える。
「バ~カ! そこで当分寝てやがれっ!」
 その頃には遥か彼方まで離れていたシンタローは、手をメガホン代わりにして言い捨て、他の三人と共に逃げ去った。
「……やるな、シンタロー!」
 こうでなくては面白くない。マジックは拳をつくった。部下が駆けつけてくる。
「ごっ……ご無事ですか、総帥ッ!」
「今お救け申し上げます! ……総帥?」
 覗き込んだ穴の中で、彼らを統べる存在は、ひたすら自分の世界を形成していた。




<2>


 シンタローは深呼吸した。いる場所は、森と草原との境目だ。
「あー……えれェ目に遭っちまったぜ」
「何言うとりさるんだっちゃ! 僕らぁはただの巻き添えだわや!」
「そうだべっ。寿命が十年縮んじまっただよ、責任とってくれるんだべな!?」
 言いつのる者達に、シンタローはぼそりと返事をした。
「……マジックが帰ったら善処してやる」
「シンタローはん、わても忘れんといておくれやす」
「何言ってやがる、片棒担いだのは誰だよ。第一、先刻救けてやったろ!」
「……あんさんがおらなんだら起こらへんかった騒動どっしゃろっ!」
 アラシヤマは大事そうにテヅカくんを胸に抱き、口を尖らせる。
「あぁ、はいはい、わたくしが悪うございました! みんな一緒に責任をとらせてもらいますです!」
 シンタローは、投げやりに答えた。だが、このような表現ではあれ、彼が刺客連中に謝罪するなど、滅多にあることではない。
「あっらぁ~、シンタローさん♪♪」
「こんなところで、何を皆さんとお喋りなさってるのかしらん♪」
 ずるり、と、シンタローは精神的に滑った。ざわざわと背筋が粟立つ。
「……げっ! イトウ、タンノ!! どっから湧いて出やがった!」
「やーね、ひとを温泉かボウフラみたいに……」
「おまえらはヒトじゃねえッ」
「細かいことは言いっこなしにしましょうよ。ねえ、ほんとに何をしてたの?」
「何だか楽しそうよねぇ♪ アタシたちもお話しに混ぜてくれないかしら」
 ぬめぬめピチピチすりすりと擦り寄ってくる二人(?)に、シンタローは一転して地の底を這うような声で告げた。
「……あのなァ……俺は、今、とてつもなく機嫌が悪いんだよ――」
 ズガッ、バキッ、ドカッ、ゲシッ!
「――あっちに往ね! ナマモノッッ!!」
 激しい音と共に空を飛翔してゆく二つの塊。
「ああ、いつにも増して力強いあなたの拳ッ」
「……これも愛なのね~~っ!」
 ひゅ~ん……ドスンッ
「……ふんっ」
 シンタローはパンパンと手をはたいた。同行者はひそひそと囁きを交わし合った。
「本当に機嫌悪いっちゃね……」
「仕方あらしまへんわなぁ」
「……オラ達までとばっちり食っちまうべ」
 シンタローは、腰に手を当てて鼻白んだ。
「ったく、気色悪いったらねえぜ。ミヤギ、トットリ、アラシヤマ! 移動するぞ!」
 既に別行動を許可しない、有無を言わせぬ口調でシンタローは命じ、先にたって歩きだした。



「腹減ったナ、チャッピー!」
「わう」
 パプワとチャッピーは家の外に出てきた。
 お昼ごはんどころか、もうおやつの時間さえはるかに過ぎている。朝食の途中で姿を消したシンタローは、戻る気配を見せない。
「シンタローの奴、家事もほったらかして何処をうろついてるんだ。帰ってきたら、よォーく言い聞かせてやらんとな」
「わうあう!」
 それでも、木の実も保存食糧でしのぐこともせずに、パプワはシンタローを待ち続けていた。結局のところ、彼はシンタローになついているのだ。双方共に意識の概念からは外れていたけれど。
 ガサ……
 草を踏みしだく音。
「………?」
 パプワは、こちらにやってくる人物を仰いだ。それは……。



「いい加減、パプワの飯を作らねえと……」
 シンタローは焦りがちに呟いた。こうまでしても主夫業を忘れないところが、それが細胞レベルまで染みついているいい証明だ。ネタ探しと原稿書きと締切間際の浮気を染みつかせている『骨の髄まで同人屋』と、似ているかもしれない。ちょっと嫌である。
 強引に連れてこられた元同僚たちは、近くの樹にもたれていた。
「で……結局原因は何なんだべ?」
「……総帥の誕生日なんやそうどすわ」
「まさか、総帥にお祝いの言葉を言うか言わないかでこうなった、とかじゃないっちゃね……?」
 三人はそろぉりとシンタローを見た。当初の時点でそれに到達したアラシヤマも含め、その予測が完璧に的を射ていることを彼らは悟らざるをえない。
「一言言えば済んだんだわいや! そのせいで、なんで僕達まで……」
「せやけど、したら、このお話は最初っから存在しまへんがな」
「……何をわけの判らんことを口走っとるんだべ、アラシヤマ」
「誰ぞの代弁どす」
 シンタローは仲間の様子など眼中にない。ただただ、ほっぽってきた家事一般が彼の頭を占めていた。
「……腹減らしてるだろうなぁ、あいつ」
 だが、作っている途中でマジックに乱入でもされたら、一巻の終わりだ。ここまで逃げ続けているのがまったくの無駄になる。かといって、支度をしなかったら……。
 マジックも恐ろしいが、パプワはもっと恐ろしい。チャッピーまで加わったら命がいくつあっても足りない。ねこまたじゃあるまいし、命のスペアの心当たりはない。
 パプワの怒り>マジックの襲撃
 シンタローの脳裏で不等式が成り立っていた。
「……仕方ねえ、一旦家に戻る」
 シンタローは宣言した。何処かほっとしたように、他者が力を抜く。
「そうだべか、じゃあ、オラはこれで……。いやあ、今日は疲れただなやー。行くべ、トット――うげっ」
「待たんかっ!」
 ミヤギのタンクトップの首元をシンタローは掴んだ。引き戻された方は宙で足を空回りさせた。
「だァーれが帰っていいと言った」
「いっ嫌だべ! オラ達は部外者だべッ!」
「往生際の悪い! これならアラシヤマの方がよっぽどマシだぜ――」
 シンタローはアラシヤマを斜に見た。当の相手は、おどろ線をしょって、何やらぶつぶつとテヅカくんに話しかけている。
「……ええんどす……この騒動が治まったら、わてなんかもう声もかけてもらえへんのどすよってに……どうせわては嫌われもんなんどす……テヅカくん……あんさんだけがわての友達や……終わったら、森で、ふたり仲良う暮らしまひょなぁ……」
「――性格に、すっごく問題あるけど」
 シンタローはひくつきながら付け加えた。その間にトットリはこそこそと逃げかけていた。
 抜き足、差し足、忍び足……忍者なのだからお手のものである。
「あっ! ずるいべ、トットリ!!」
「甘いわッッ!」
 ミヤギを捕らえていた手を離すと同時に、シンタローは、身に付けていたナイフを投げつけた。
 カツッ!
 樹に刃が突き刺さる。はらりとトットリの髪の毛が数本散った。
 頭上を掠めたそれに、そのままぺたっと腰を抜かしてトットリは尻をついた。
「あぅ……だわおで……えうわ……」
 何を言っているのか自分で判っていない。シンタローは刺さったナイフを抜き取ると、トットリをずるずると引きずった。
 ここまできて、彼らの足並みは揃うどころか、むしろばらけていた。
 ――そんなことでどうする! 五人……もとい、四人と一匹の戦士達よ、今こそ心を一つに合わせて戦うのだ!!
 ……彼らは幼少期、戦隊ものに心をときめかせた世代だった……。
「……行くぞ」
 シンタローは、右手にトットリ、左手にミヤギをしっかり捕まえ、パプワハウスの方角へ歩を進めはじめた。その三歩後ろを、まだおどろ線同伴で、コウモリごとアラシヤマが随っていた。



「シンタローの、お父さん」
「やあ、坊や」
 自分を見上げるパプワに、マジックは笑いかけた。
 今朝ここに来た時に比べて、何処となくやつれたように見えるのは、気のせいではあるまい。……いい齢をして走り回るからである。急な運動による中高年のポックリ死が、あまり他人事ではないかもしれない。
「シンタローを、知らないかい?」
 遂に他力本願に出たか、マジック! いや、元々部下に探らせていたっけ、他者依存は今更だったか。
「あいつなら朝出ていったきりだぞ」
 殆ど反っくり返らんばかりにして、パプワは、おまえのせいだろう、と言いたげにマジックを見つめた。空腹のせいで、たたでさえいいとはいえない目付きがすわっている。最強のお子様に直視されて、マジックは頬の筋肉を痙攣させながら冷汗を拭った。
「お……お菓子でも食べるかい?」
 マジックは箱に入ったクッキーを差し出した。砕けまくっている辺りに、チェイスの激しさが偲ばれる。ただ単に自分がずっこけて砕いただけだという事実は、マジックの記憶辞書からは勿論削除済みである。
 ここで隠れて待っていれば、いずれシンタローは戻ってくるだろう。――名付けて、アリ地獄作戦!! サイテーのネーミングセンスだった。
「パパは負けないよ、シンちゃん!」
 ここに至って、否応なく、親子の激烈なゲームは最終局面を迎えようとしていたのであった。



「いいな、おまえらは囮だ。もしマジックが来るようだったら撹乱するんだぞ! どんな手を使っても構わねえ」
「……死にたくないっちゃ~……」
「かないっこねえだ! 絶対に殺されちまうべっ……」
「テヅカくん……もしもの時にはあんさんだけでも逃げとくれやす……時々は墓参りに来てぇなあー……」
 ……彼らに任せるには、いささか後顧の憂いがありすぎて心配かもしれない。
 シンタローは物陰から家の様子を窺った。
 外に出ているパプワとチャッピー。その傍に立っているのは――マジック?
「親父っ!?」
 小声でシンタローは叫んだ。なぜマジックがパプワといるのだ。部下まで連れて。
「え?」
 三人が血の気を失う。もしかして、もしかしなくても既にマジックとご対面……?
 地獄の釜が開く音が聞こえたような気がしたのは幻聴だろうか。
 シンタローは、ギリ、と歯を食いしばった。握り締めた両拳は、力の入り方を如実に表すように、指先の食い込んだ掌が白くなっていた。
 むかむかむかむか…… シンタローの怒りの水位が上昇してゆく。
 ぶつっ!
「――マジック!」
 打ち合わせも何もかも無視して、シンタローは飛び出していた。
「シンタローはんっ?」
 スタッとシンタローはマジックの前に降り立った。父親をすさまじい形相で睨みつける。マジックは、微妙に驚愕の表情を混ぜた。
「マジック、貴様ッ!」
「シンタロー……おまえの方から出てくるとは」
 マジックはふっと笑った。
「やっとあきらめる気になったか。最初からそうしていれば、ひどい目に遭わなかったものを。まあいい、私は寛大なんだ、潔さに免じて許してあげるよ、シンちゃん 」
 ひどい目に遭っていたのは、どちらかといえばシンタローよりマジックの方である。
「……ふざけるな!! よくもパプワに手を出したな!」
「……へ?」
「パプワには手出ししないと誓っておきながら、ぬけぬけとっ! そいつから離れろ!!」
「……は?」
「わずかでも貴様を信じた俺がバカだったぜ! 関係ねえ奴を人質にとるなんて、やっぱり貴様は最低なヤローだったなッ!!」
 関係ないというなら、刺客連中だってこの上ないほど無関係である。物陰で、恐怖のあまり足を竦ませぼーだー泣きしながら、該当者の複数がそう考えたかどうかは未確認だ。自分を棚に上げることにかけては比肩するものとてない親子であった。
 人質……パプワが、人質? マジックは慌てて両手を突き出した。眼魔砲ポーズではない。
「待て、シンタロー! 誤解だ!」
「ゴカイもイトミミズもねえ! てめえのくだらねぇ暇つぶしでそいつを巻き込みやがって! ここで決着をつけてやるっ!!」
「だから誤解だっっ!」
 マジックは訴えた。さすがにここで『やだなあ、シンちゃん、パパがそんなことするわけないじゃないか』と言うほど愚鈍ではない。
 キレた長男は全く聞く耳を持っていなかった。
「問答無用ッッ!」
 シンタローは完全にマジックに狙いを定め、両手を構えた。それまでたゆたっていた遠慮が消えていた。
「よけろ、パプワ! ……眼魔砲――――ッツッ!!!」

 ――ちゅっどおォ~んっ!!

「うぎゃあぁぁーっっ!」
 マジックは吹き飛ばされた。シリアスなら、片手で軽くシンタローの技を受けとめ、握り潰すところだが、いかんせんこの話はギャグであった。
 一方、
「そらおまへんえ、シンタローはーんっ!」
「なんでオラ達まで……っ」
「最後まで巻き添えになるんだっちゃかーっ」
 爆風の反動で、後方のアラシヤマたちもふっ飛ばされていた。殆ど小さな核爆弾である。放射能が出ない分、環境に優しいかもしれないが――って、それは別の話だ。
「「さよーならーっ」」
「おー達者でーっっ」
 ひゅるるるる……
 散々っぱら引っぱり回された挙句の、あまりといえばあまりの、ムゴい退場だった。……さらばだ、縁があったらまた会おう。
 煙が消えた時、そこに立っていたのは、パプワと彼に抱えられたチャッピー、そして眼魔砲を撃ったシンタローだけだった。
 シンタロー自身はともかく、この破壊の真っ只中で何の影響も受けていないパプワは、ただ者ではない。やはり世界最強のお子様なのかもしれなかった。
「わーいわーい、大爆発ー!」
 日の丸扇子を持って、パプワは下ろしたチャッピーと共に踊っている。
 シンタローは、片膝をついているマジックに、じり、とにじり寄った。南国の太陽は夕日に移行しつつあった。
「……そろそろ終わりにしようぜ、親父!」
 マジックが、くっと唇を歪め、立ち上がる。
「よかろう、これが最後だ……」
 再び、父と息子の力がぶつかり合おうとしていた。今度こそ、お互いただでは済むまい。もはや当初の目的から完全にずれていた。確か、祝いの言葉を言わせるかどうかで鬼ごっこをしていたのではなかったのだろうか、力比べをしてどーする。
 張り詰めた空気が二人の間に流れる。
 それを縫って、同じく巻き込まれたガンマ団員が、マジックの傍に這うように近付き、耳打ちした。
「総帥……お取り込み中の処恐縮ですが、そろそろ本部にお戻りになりませんと、その……未決済書類が――」
 マジックが一瞬固まる。悲しき支配職だった。
「……と言いたいところだが、シンタロー! 勝負は一度預ける」
「な……っ!」
 思わず絶句するシンタロー。何もこの場で撤退しなくても……。してくれた方が嬉しいが、タイミング的にひどく腹が立つ。
「だったら、最初から思いっきし無駄なことすんじゃねえよ、父親!」
「よんどころない事情だ。安心しろ、また来るよ、シンちゃん♪」
「二度と来んでいいッッ!」
 精神的に中指を突き立てながら、シンタローは怒鳴った。……間違っても己れの親相手にするポーズではない。
「今度来やがったらコンクリ詰めにしてやっかんな!! 覚えとけッ!」
 シンタローの剣幕に、マジックは肩をすくめた。親子の溝はまだ深い。退却したほうがいいようだ。
「じゃあね~っ」
 すったかたったー……
 手を振り、あっという間に、マジックは部下ともども逃げ足を発揮していた。まったくうちの艦隊は逃げる演技ばかり上手くなって――おっと、これは銀○伝。
 シンタローはマジックの消えた方角に蹴を入れた。
「けっ。一日振り回させやがって」
 指を頭の後ろで組み、これも無事だったパプワハウスに身を返す。シンタローの力のコントロールがうまかったのか、はたまた家が丈夫なのか。
「あーあ、骨折り損のくたびれ儲けだぜ。――腹減ったろ、パプワ。今、飯の支度するからな」
「……シンタロー」
「あんだよ?」
「いいのか?」
 パプワの問いかけに、シンタローは眉をひそめた。
「どーゆー意味だよ」
「親は大事にせんとばちがあたるぞ」
 子供に言われても、いまひとつ説得力がない。もっとも当の親が言ったら、いまみっつくらいない。幼児が一錠、成人三錠、何だか薬の分量みたいである。
「はん! 知ったことかよ」
 すねているようにも見えるそぶりで、シンタローは更に足を運ぶ。
 ……まだ、間に合う。心の奥底の、小さなささやき。
 ドアに手を掛けかけて、
「――パプワ」
 ためらいがちに、シンタローは訊ねた。
「食事……もう少し待てるか……?」
「別に僕は構わんゾ。さっきお菓子をもらったしな」
「わうわうわう!」
 シンタローは把手から手を離した。
「すまねぇ、パプワ!」
 タッとシンタローは駆け出した。その後を、パプワがチャッピーと一緒に追いかけてゆく。
 マジックが艦を着けた場所は、地形からいっておそらく前に押しかけてきた時と同じだ。
 その附近に出る、海岸への近道をシンタローは走った。心の中で、自分同士が喧嘩している。
「間に合ってくれ……!」
 道の両脇の茂み。増えてくるヤシの木。
 ここを抜ければ――…



「動力系統、異常ありません。いつでも発てます」
「……総帥、そろそろ――」
 幾分控えめに、部下が促す。マジックは島を見つめ、頷いた。
「ああ……」
 結局目的は果たせなかったが、充実した一日だったのは確かだ。今回はそれでよしとせねばなるまい。次の機会を伺うことにしよう。……つくづくはたメーワクな壮年であった。
「シンタロー、今日は見逃してあげるよ」



 ……突然、視界が開けた。鮮やかな夕陽に赤く乱反射する海。
 眩みそうになり、シンタローは目を細めた。
「到ちゃぁーくっ」
 パプワが代わりに言った。シンタローは瞬間的に頭をめぐらした。逆光だ。
 どうやら、ぎりぎりセーフだったらしい。
「――親父!」
 ザッ! シンタローはジャンプして、シルエットの前に着地した。
「シンタロー……」
 マジックは驚きと戸惑いをないまぜにした瞳で、最愛の息子を見やった。
「どうした。わざわざ見送りにきてくれたとも思えんが……。どうしても決着をつけなきゃならないかい?」
「あ……えっと、その……」
 シンタローは言いよどんだ。この期に及んで踏ん切りのつかない、決断力の無さが恨めしい。
「総帥、もう時間が――」
 促す声。マジックはシンタローに背を向けた。
 パプワはシンタローを仰ぎ見て、服の裾をきゅっと掴んだ。シンタローはそれを見下ろす。
 これを逃したら、もう言えない。
「……親父っ」
 マジックは再度シンタローを振り向いた。
「先刻から、何だ?」
「親――。父さん」
 シンタローは、こめかみを照れ臭げに掻き、思いきり息を吸い込んだ。
「……誕生日、おめでとよ」
 結局言うのか、シンタロー。初めからこうしていれば、ふっとばされていったきりの被害者も出ずに済んだものを、親子揃って迷惑なシンタローとマジックだった。あまり迷惑迷惑言っていると、昔懐かしアークダーマが出るかもしれない。要注意である。
 不思議そうに、マジックが息子を見つめなおす。シンタローはぶっきらぼうに言い足した。
「大サービスだ! ……本っ当に、おまけでついでに言ってやったんだからな!!」
 マジックは微笑を刻んだ。――僅かにして鮮やかな、笑み。
「――何処に隠してあるのかは知らんが、今度来る時は、秘石を返してもらうからな」
 カムフラージュなしで一日そのままにして、秘石の在処がばれなかったのが謎である。やはりガンマ団というのはマヌケ揃いかもしれない。
「……だぁーっ! 二度と来るなって言ってっだろーがっっ! 用は済んだろ、早く帰れよッ!!」
 半ば照れ隠しの怒鳴り声。
「そうしよう。――出るぞ」
 マジックは艦の中に消えた。ハッチが閉まる。
 潜水艦は次第に海中に沈んでいった。
 それを見送って、シンタローは大きく息を吐き出した。
「終わったな……。さてと、帰るか、パプワ」
 シンタローは傍らのパプワを眺めやった。ぎろりとパプワがねめつける。
「ところでシンタロー。おまえ、今日家事さぼったな」
「……え……」
 突然の豹変に、シンタローは状況を把握できなかった。それについては了承済みだったのではなかったか?
「飯も作らんと、何をこんなところでだらけてる! さっさと夕飯にせんかい!」
「ち……ちょっと待てよっ。だっておまえが、構わないって言っ……」
「言い訳するのか! まァーだ自分の立場を本気で判っとらんようだな。――チャッピー!!」
「あおーん!」
 がぷっ
 チャッピーの牙の間にシンタローの頭はあった。
「うっぎゃあぁ~~っっ!! すみませんごめんなさい、ご主人様、わたくしが悪うございましたぁぁ~~~ッ!」
 流血しながら、シンタローが右往左往する。たとえどんな不条理な事由でも、決してパプワに逆らうことは許されないということを、身体で理解させられたシンタローだった。
 ――冒頭の答え。結局、彼の立場は召使いであるらしかった。
「……申し訳ございません! 許してください、今すぐ支度させていただきますーッッ!!」
 陽の沈みかけた海岸を、二人と一匹の影が駆け去っていった。



「マジック総帥、取り敢えずこちらの書類にサインをお願いいたします」
 帰途の潜水艦の中で、早速マジックは書類責めに遭っていた。
「………」
「――総帥?」
『誕生日、おめでとよ』
 おめでとよ……おめでとよ……おめでとよ………
 別れ際のシンタローの言葉が、マジックの頭の中をこだましていた。
「ふっ……ふふふふふ……」
「あのォ~……もしもぉーし、総帥……?」
 恐る恐る呼びかける団員の声など、マジックの耳には届いていなかった。
 じーん…… 感動に、シンちゃん人形を抱き締めたまま、マジックは浸りきっている。呼ぶだけ無駄であった。正気に戻る頃には、書類の山で窒息死すること受け合いである。
「ふふふ……。シンちゃん♪ また行くからね♪♪」
 紆余曲折の末、この年の十二月十二日は、ちょっと幸福なままに終わったマジックだった――。





「おたんじょうびおめでとう、パパ」
「ありがとう、シンちゃん。とっても嬉しいよ」
「ほんと? じゃあね、ぼく、大人になっても毎年パパに言ってあげるね! ずっと、ずーっと!!」


 ……遠い、記憶の涯の約束――


 ――HAPPY BIRTHDAY!




ms
ONE

アオザワシンたろー




 もしも、マジックが本当に俺の嫌がることをしたら、俺はそれを許せるのだろうか?

 シンタローが自問したのは、人よりかなり遅い自立への第一歩だったのかもしれない。今までマジックは、そういった小さな芽をこまかく摘みあげてきた。
 シンタローが『マジック』項目に関しては何も考えずにすむように……何も、考えさせないように。
「パパはシンちゃんがだぁいすきだよv」
 マジックがいつものようにシンタローの首にするりと両腕を掛けた。こんなふうにされると、たとえその腕に力がこもっていなくとも、逃げ出すことは容易ではない。
 マジックの存在とは、そのくらい強いものだった。
「どうしたの?難しい顔をして」
 シンタローの心中を知ってか知らずか、この父親は頬に唇を寄せた。
「別に、…ちょっと、ヤバイって思っただけだよ」
「ヤバイ?何か失敗しちゃったのかい?」
 親子の間の親子以上の関係は、マジックにとっては失敗のうちに入らない。少なくともシンタローの前では、そんな関係を悔いた言葉は出てこなかった。
「親父は平気なの?」
「何が?」
「……」
 この父が、常識を知らないはずはないのだ。ただ、それを己のモラルと同一視しないだけなのだ。
「だからさ、……こういう……コト」
 シンタローが口ごもるとマジックはおかしそうにその唇を指で押さえた。
「なんにもいわなくていいヨ。全部パパに任せておきなさい。私を信じていればいいんだよ」
「…でも…」
「でも、何?」
 反論することを、認めているにもかかわらず、そうはできない雰囲気が、言葉にはあった。
「……だって、俺…」
「言ってごらんシンタロー。『でも』…それから?。このパパに言いたいことがあるんだろう?」
「……」
「さあ」
 促されると、言えなくなる。
「なんでもない」
 そうとしか、言えなくなる。
 まだシンタローは幼かったから。体だけは大人になったのに、マジックが籠の中で育てたから、シンタローは幼かったから。
「シンちゃんはいいコだね」
 ご褒美のように、マジックがシンタローを抱き締める。小さかったころから何一つ変わらぬように。
 ……否、変えぬように。
 やがてシンタローに弟ができ、二人の間に大きな溝が出来る。その溝が、変わらなかった関係を変えてゆくのだ。


END




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ありがちな1コマです~。いやほんと、当時はコレで頭の中、妄想グルグルでした!なんて非生産的な!(笑)


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mm


新生編
アオザワシンたろー




  『それでねっ、おとーさま!シンちゃんったら昨日もほとんど寝てないんだよ !? いっくらシンちゃんでもそんなのいけないよね』
 壁掛け型の特大モニターに映る青年の、真面目そうな表情を裏切る髪リボン。
 握りこぶしをふたつ作って訴えるのは、天才と謳われていないこともない、グンマ博士である。
『造反対策だかなんだか知らないけど、忙しすぎるよ!ちっとも研究室にも来てくれないし』
 彼のホンネはどうやら最後のひとことにあるようだった。
「シンちゃんは頑張り屋さんだからねぇ。早く結果を出したいのかもしれないねぇ」
 答えるのは、言わずと知れたガンマ団元総帥、マジックである。
 だがその出で立ちは、総帥としての象徴だった赤い制服ではなく、目に優しいパステルピンクのソフトスーツだ。上着を脱いで、代わりにエプロンを身につけている。
 右手に泡立て器、左手にボール。
 モニターが匂いをも伝達するのならば、グンマのところにまでバニラエッセンスの甘い香りが届いたに違いなかった。私室に備えられた彼専用のシステムキッチンである。
「心配ないよグンちゃん。シンちゃんはセルフコントロールも出来ないような子じゃないから」
『でもっ』
「大丈夫。本当にまずいことになったら、そのときは任せなさい。それよりグンマ。キンタローはどうしてる」
『えっ、キンちゃん?キンちゃんなら…』
 生クリームをあわ立てる実の父にグンマは、ひょんなことからいきなり成人男性の人生を送ることになった従兄弟のリハビリ状況を説明した。しながら、父が作っているのはシンタローのための菓子なんだなと、無条件に思った。
 作っているということは、これを口実にシンタローを休ませる計略があるのだろう。
「そうか。キンタローはもう大学過程まで履修したか。早いな」
『高松もびっくりしてるよ!昨日なんか自立式黒板早消しロボットを作っちゃったんだよ』
「それは…将来が楽しみだね…」
 どう楽しみなのかはさておき、マジックはオーブンの様子をみた。
「そうだグンちゃん。今さっき飛空艦が戻ったね。今度は誰だった?」
『え?さっき?』
「午前中はミヤギが戻って来ただろう?次にトットリ。今さっきもまた一艦戻ってきた。振動でわかったよ。今度はアラシヤマかな」
 オーブンを開ければ湯気を立てたパイ生地が現われた。平たく伸ばされていて良い色をしている。
 焼き上がりに満足したマジックは笑顔だ。
『僕、気づかなかったな~。あ、じゃあアメリカ担当のミヤギとアジアのトットリ、欧州のアラシヤマ、これで豪州のコージまで揃ったら壮観だね』
「シンちゃんは忙しくなるけどね」
 彼らが戻ってきたということは、世界各国の新体制が次の局面を迎えたということだった。
 部下は何人もいるが、総帥は一人きりだ。
 軌道修正をかけている現状では、常にシンタローが旗手でなければならない。
『アメリカは根強いおとーさまのファンがいる地区でしょ。いったい何が財源なんだかわからないけど、新体制に抵抗し続けてるんだよね。あそこは東北ミヤギの管轄でしょ。制圧できたのかな』
 グンマの耳にも入るほど、苦戦しているのは確かだった。
 マジックは少し考えるようにしてから呟く。
 反乱地区なんて根絶やしにしちゃえばカンタンだけど、シンちゃんはそーゆーこと、したくないみたいだからねぇ…と。
 彼の息子が、特戦部隊と戦闘について衝突しているのはあまり表沙汰にはできない事情だ。こんなに身近なところにも、抵抗勢力はある。
 それほど、マジックの旧体制とシンタローの新体制の方針には差があった。
『おとーさま、今作ってるのはミルフィーユ?』
「そうだよ。出来あがる頃においで」
 政治的な話題からの急転直下に、ついてゆけぬマジックではない。だがグンマは、嬉しそうにしながらもそれを辞退した。
『高松がバイオハマナス二十三号の実の試食会を開くんだって。ぼくもそれに参加するんだ。シンちゃんも誘いたかったけど…忙しそうだし』
 シンタローが食べたいのは父手製のお菓子のほうだし、というのが正しい台詞だが、グンマはあえて言わなかった。
『じゃあおとーさま。シンちゃんのこと、お願いね』
「はっはっは。任せなさい。疲れたときには甘い物がいいんだよ。それは、シンちゃんもよーく知ってることだけどね」
 クッキングパパの、白い歯がキラリ。
 パイ生地と生クリームとイチゴを重ねたミルフィーユがまもなく完成する。



 父の部屋の扉を開けて、シンタローは固まった。
 何故なら、まるで約束でもしてあったかのように、室内は、温かで美味しそうな香りに満ちている。
「やあシンちゃん!そろそろ来ることだと思って、パパ張りきっちゃったよ!」
 中で振り返ったのは部屋の主、マジックだ。
 年中無休に等しい笑顔で、エプロンを外しているところだった。
「な…」
「何をいつまでつったっているんだい!ほら早く」
 半ば呆然とした息子の手を取るようにして、マジックはシンタローをテーブルへ誘導した。
 彼の私室は、栄華を極めた男に相応しく豪奢で、かつ庶民的なものだった。大理石のテーブルにたんぽぽ。彫像には造花。骨董物の額に収まっているのはシンタローの写真で、皮張りのソファにはまたシンタローの人形が鎮座している。
「お腹すいてないかい?」
 シンタローは、そう尋ねてくる父の瞳に困惑し、視線を逸らした。
 だが見破られていたらしい。
 マジックが椅子の背を引いてくれた。
 彼は仏頂面をほんのり赤く染めて席についた。
 すぐさま供される温められたパンや、良い香りのソースに絡めたオードブル。
「何でこう、用意がいいんだよ」
 文句を言うようにすると、マジックは『愛の力さ!』と歌い上げるように答えた。その両手を空に掲げる仕草にシンタローは辟易し、ため息をついた。
「どっかに盗聴機しかけやがったな」
 この父はそのくらいする。
 もしかすると総帥だったころから仕掛けておいたのかもしれない。
「はっはっは、いやだなぁ盗聴だなんて。そんなことするわけないじゃないかぁ!」
 ゼッテーしてる!
 シンタローはスプーンを手に取りながら、戻ったら早速探させようと心に誓った。
 そして。
「ちくしょー。相変わらず美味ぇな…」
 シンタロー自身、料理の腕にはそれなりの自信がある。だがマジックのそれはシンタローが知る中でも一番だった。
 そこには、世界の料理人たちとは異なって、シンタローの好みに合わせて作られているというからくりがあるのだが、それにしたって、と彼は思う。
「ほんと !? まだいっぱいあるからたくさん食べてね!」
「だからどーしてそうガキみてぇに喜ぶんだか」
 これじゃどっちがガキだかわかんねぇと零しながらも、手は止まらない。
 ここ数日、必要最低限な栄養は錠剤とゼリー飲料などで摂取していたが、山積みの問題に嫌気がさし、一息いれるつもりで休めそうなところを探して訪れた部屋で、少々気が抜けた。
 変わらぬ笑顔と一さじのスープのせいだ。
 マジックはシンタローにメインを用意し、最後に紅茶と菓子を並べた。
 たくさん食べろと言いつつも、どれも量をややセーブしてあるのは、疲れた胃を慮ってのことだろう。
 どれも丁度よい分量だった。そして久しぶりの温かな食事だった。ましてや美味だった。デザートまで出たのだ。
 文句のあるはずもない。
 シンタローは口元が緩むのを必死に押さえた。
「紅茶をもう一杯どうだい」
「うん」
 カップを渡しながら、『うん、はないだろうが、うん、は』と慌てて自分を叱咤しても仕方がない。
人生の大半で総帥業をやってきた男の前では虚勢は無意味だ。きっと、こんな浮ついた気持ちさえ見抜かれているのかもしれない。
 ポットから注がれるダージリンの香りが漂う時間は、総帥室の殺伐としたものとは雲泥の差だった。
 シンタローは満たされたカップを受け取りながら、改めて最近の自分の生活を振り返った。
 父が総帥だったときとは比べ物にならないほどの多忙ぶりだ。経験の差もあるだろうが、もうすこし上手くやりたいと思う。もう少し器用になれたらと思う。
「どうしたの、ため息なんてついて」
 マジックに言われて、シンタローはいつのまにかうつむいていた顔を上げた。
「…別に…」
 まだ、弱音は吐けない。だが。
「そう言えば、今日はアラシヤマとトットリたちが戻ってきたんだってねぇ」
 マジックの誘導に、あえてシンタローは乗った。
「…まあな。ミヤギも来たぜ」
 それを知ってか知らずが、マジックは話を続けた。
「ミヤギといえばアメリカ担当だったね。根強い抵抗勢力があったようだけど…せめて連中の資金源を断てればねぇ」
 マジックが言うことは、まさにシンタローが狙っていることでもあった。
 先窄まりな抵抗など、扱うに容易い。ミヤギが持ち返った報告は、その資金源を解明したというものだった。これで連中を叩くことが出来る。
 しかし。
「…ミヤギの成果はまるっきり無駄になっちまったよ」
 マジックが先を促がすように見つめる。
「連中の資金源ってのはシチリアマフィアのルートだったんだけど、今朝、壊滅しちゃって」
「…壊滅?」
 シンタローは壊滅と繰り返した。
「アラシヤマの奴が、マフィア根こそぎ」
「…したのか」
「したんだ…。その足で本部に戻ってきたってわけ」
 蓋を開けてみれば簡単なことだ。資金源はどのみち叩かねばならない。
 アラシヤマは自分の担当エリアでアメリカ抵抗勢力の資金源を発見し、排斥した。
「発見の段階で報告しなきゃならなかったのに、勝手しやがって」
「根こそぎ…ということは、報復勢力も根絶やしにしてある、と見ていいね」
 シンタローは答えない。
 だが、それは異を唱える沈黙ではなかった。
「彼は特戦の基礎教育を受けてるからねぇ、先走ちゃったねぇ」
 無用な破壊活動はシンタローの方針とはそぐわない。アラシヤマは、攻撃前に指示を仰ぐべきだった。
「俺は、そういうやり方は、しねぇんだ」
 伊達衆とシンタローの間に溝があることが世界に知れれば、新生ガンマ団の未来は暗い。
 だが、その程度のことがわからぬアラシヤマであるはずがなかった。ましてや働きはすべて新体制のため。
「で、シンちゃんはどうするの?」
「減給三ヶ月。…甘い?」
「いいんじゃない?パパなら命令違反は銃殺だけどね」
「じゃ六ヶ月にしとく」
 当座の方針がきまり、最後のエネルギー充填のためにシンタローは紅茶に口をつけた。
 本日の戦いはまだ終わっていないのだ。
 
 
 シンタローの去った部屋で、マジックは皿を片付ける。
 メニューはどれも息子には好評だったようで、ちらちらと嬉しそうな顔を見せてもらった。
「まったく可愛いなぁシンちゃんは!」
 あれで、自分は可愛くなんかないと思っているのだから世話が焼ける。
 ここのところの疲れにとどめを差すようなアラシヤマの先行。
 きっと激しく詰問したのだろう。その様が目に浮かぶようだ。裏切られたような気持ちになっていたのかもしれない。
 アラシヤマの気持ちは、永遠にシンタローには届かない。
「哀れだねぇ」
 マジックはテーブルを拭き終え、ソファで待っていたシンタロー人形を抱き上げた。
 アラシヤマがシンタローを思う気持ちなど、先刻見通している。
 あの島へ刺客としてやったときから、アラシヤマの中で何かが変わってしまったのだ。かつては確かに敵対心だけだったはずなのに、彼の中にシンタローへ従属する心が生まれた。
 当時にしてみれば予想外の変化だったが、今のシンタローにとってマイナスであるはずが無い。
 裏切りは、無い。
 裏切りと感じるだけで、それは決して、無いのだ。
「本当に哀れだ。でもねぇ、シンちゃん」
 マジックはソファに座り、抱き上げた人形を自分の方へ向けた。
「大きい組織にはね」
 教え諭すように、黒いボタンで出来た瞳を見つめる。
「汚れ役は必要なんだよ。だから、やらせておけばいいのさ」
 買って出るなら、放っておけばいいのだ。
「あえて、パパは教えてあげないけどね」

 犠牲になる者に、シンタローからの配慮など一片も必要ない。
 総帥として長い間君臨してきた男は、そう言って小さな人形の額に祈りのようなキスをした。


終。





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2003/8/15発行のコピー誌収録の同名漫画を小説にしてみました。漫画はアラシンだっただろ!とかこんなシーンは無かっただろ!とかそもそも漫画と全然違うじゃねぇか!とかゆーことは気づかなかったということでよろしく。


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ms
覇王の息子

アオザワシンたろー




 その日の夕刻、ガンマ団本部に総帥艦が帰還した。
 マジックを乗せたその船を、団が見送ったのはわずか三日前の話だ。予定より二日も早く帰還連絡をうけた本部側はにわかに慌しさをかもし出し、出迎えのための隊列を整えた。
 団内で唯一真紅を許された男が、タラップから足を踏み出す。長身で、威風堂々とした男だ。
 夕陽の中でもさんぜんと輝く黄金の髪は、周囲にある種の陶酔をもたらす。恐怖だけではなく、存在そのもので、団を率いてしまう男だった。
 そのすぐ後ろに、側近たちが続いた。
 隊列を組む者たちのほとんどは知らないことだったが、さすがに隊長クラスには推測が出来る。
 彼らの総帥は大変な子煩悩だ。
 プライベートエリアに隠し育てる息子と離れないためなら、総帥は戦地へ赴く回数を極端に減らしてしまう。当然に、そのしわ寄せは部下たちへゆく。
 側近たちの憔悴しきった顔を見てみろ。ぎりぎりまで短くしたやむを得ずの総帥出陣だっただろうに、さらに現地で期間短縮させられたに違いない。
 夕陽が彩る本部へとマジックは足を運ぶ。その道のりでふと、男は顔を上げた。
 センター塔と、そこから繋がる事務棟。そのオレンジ色の壁は、まるで黄金の城。
 マジックはそれらを眺め、足を止めた。
 無心にあとを追っていた側近らが、思わずぶつかりそうになって慌てて足を止める。
「そ…総帥?」
「いかがされましたか」
 マジックは微かに振り返った。
「…秘石を部屋へ運んでおけ。それから残りはお前たちで形にしろ。私は、今日はこれで下がる」
 総帥室へは明日行くと、こともなげにそう言った。
「そ…総帥ッ。それでは声明文が…」
「掃討計画はこのあと直ちにとりかかってくださるとおっしゃって…」
 思わず叫びそうになり、側近らは互いに言葉を飲み込んだ。
 マジックは彼らが意見するのを諦めたことを見届けると、再び歩き出した。
 その背を引き止める言葉など、始めから無い。ましてや本部には三日も顔を見ていない彼の最愛の息子がいる。それでも帰還後の緊急必要業務を終わらせることが先だと、マジックは承知してくれていたはずだった。
 それが突然、切り替わった。どうあっても、残務は総帥が満足するように自分たちで整えなければならないようだ。
 側近らは聞こえないようにため息をつき、マジックが見上げていたオレンジ色の壁を見上げた。窓の強化ガラスに夕陽が映えてまぶしいくらいだった。
「…総帥は…何を御覧になったのだ…?」
 ここからは総帥一族のプライベート居住区は見えない。そこに家族の顔が見えたなら、彼らはまだマジックの変化を納得しようものだが、あいにく彼らの目には、輝かしい城しか映らなかった。

「シンちゃん!」
 居住区へ足を踏み入れるなり、マジックは叫んだ。
「パパ帰ったよー!」
 廊下に嬉々とした声が響き渡った。団の大多数が想像も出来ないだろうとろけきった笑顔で、今年十三になる息子の名を呼んだ。
 息子は…廊下の角で、エレベーターの扉が開いたとたん叫ばれる自分の名にぎょっとして小さく跳ねた。
「パ…と…父さん…」
「シンタロー!」
 突撃してくる俊足におそれをなし、シンタローは咄嗟に角を曲がって身を隠す。だが隠し終えた直後にはもう、父親の姿は目の前にあって。
「ただいまー!」
 まるで猛獣のようにがっしりとシンタローの体を抱きしめた。
「わーッ」
「会いたかったよシンちゃんッ !! もうパパ毎日毎日気になって気になって。どうしてあんな通信もろくに出来ないとこに行かなきゃならないんだろうねッ」
「ぐわッ、やめ…やめろよッ。あ、足、足浮いてるッ!」
「ああ本物のシンちゃんだぁああ!」
 マジックはシンタローを抱き上げるような格好で、その顔に頬を擦りつけた。
「やめろってば!」
 シンタローはどうにか腕の輪から逃げ出そうとするが、大人と子供の差はいかんともしがたかった。しかも今のマジックは、三日分の情熱を溜め込んでいるのだ。
「し…仕事がまだあるんだろ !? こんなとこ来ていいのかよッ」
「平気!パパの部下なら四日ぐらい徹夜できちゃうからね!」
「???」
「それにシンちゃんがパパのことお出迎えしてくれたんだもの。お仕事なんかしてられないさ」
 まるで幼児を扱うように軽々と息子を片腕に抱きかかえてしまえば、抗議しながらもシンタローはマジックの首に掴まった。
 そして。
「…俺、お出迎えなんて、してねーぞ?」
「さっき飛行場を見てて、パパと目があっただろう?」
 眩しい夕陽に降り立つ金色の覇王。それがシンタローが自慢の父の姿だった。
 だが。
「見えて…」
「なんだって『見える』のさ。パパはね」
 首に掴まる我が子の黒い瞳に答えるように、マジックは微笑んだ。

 廊下のすぐ先は、マジックの部屋だ。
 あちこちにシンタローのカップやシンタローのペンや、シンタローの物が置かれている。
「まずはお茶を入れようねぇ。教育係からの報告は暗号で送られてきてたけど、やっぱりどんなお勉強だったのかシンちゃんに直接聞きたいしね」
 うきうきと湯をポットに入れ、葉が開くのを待ってカップに注ぐ。
 部屋に芳しい香りが広がった。
 一方でシンタローは、ソファに浅く腰かけ、落ちつかない様子で視線をさまよわせていた。
「はい、どーぞ」
 マジックはソーサーをテーブルに置いた。シンタローの分には砂糖もふたつ、入れてある。甘くしてあるのは、シンタローの口を軽くするため。どうやらこの息子は、何か戸惑っているように見えたので。
「うーん、やっぱりシンちゃんと飲むお茶は格別だね」
 シンタローの顔が見えるようにと一人掛けのソファに座ったマジックは、ことさら楽しげにカップを手にし、ゆっくりと口をつけた。
 シンタローは、握り締めた拳を膝に置いたままうつむいている。
 静かに、時間だけが流れる。
 ことり、とマジックがカップを置くその音に、シンタローの肩が震えた。
「…」
「シンタロー」
 それが、彼の息子の名。
「こっちへおいで」
 シンタローが、はっとして顔を上げた。
 父はソファに深く腰を下ろし、シンタローを見つめている。その瞳は、海のように深いブルー。
 シンタローは視線を逸らすように足元を、それからティーカップを、そして部屋の隅を見遣った。
「…おいで」
 背中に聞こえる、父の声。
 シンタローは再び窺うようにマジックを振り返った。
 そして、ゆっくりと立ちあがる。
 テーブルとソファの隙間は、シンタローにとって狭いというほどのこともない。ほんの数歩で、父の元に辿りついた。
 シンタローはそのままラグの上に腰を落ろし、マジックの膝に手を添えて顔を埋めた。
「一体どうしたんだい?可愛いシンタロー」
 マジックの大きな手が、息子の黒髪をゆっくりと撫でる。成長期にさしかかっているとはいえ、変声もまだのシンタローは、彼にとって本当に幼い存在だった。
 幼くて儚くて、いとおしい存在だった。
「…父さん…」
 囁くような呼び声に、マジックは応える。
「俺、もうすぐ士官学校に入るんでしょう?」
 問いというよりも確認のような台詞だった。マジックは手を休めることは無しに、そうだねぇ、とだけ応えた。
「先生が言ってたよ。他の子たちもいっぱい、来るんだって」
 シンタローの言う先生とは、マジックがつけた教育係たちのことだ。学問と武道の両方とを、シンタローは習っている。マジックは通常の初等教育を与えるつもりなど、毛頭なかった。
 実際、総帥の後継者であるシンタローに、生半可な教育は反って酷だ。
 日々、その成果については報告が入る。遠征中も、暗号化された数値連絡が届いていた。暗号化せねばならなかったからこそ、普段なら報告されるべきシンタローの様子については省かれた。
 いつから、シンタローはうつむいていたのか。
 マジックは無言のまま、黒髪を梳る。
「ちゃんと勉強しないと、…抜かれるって…」
 マジックが瞳を閉じる。手が、止まる。
「強い子は一杯いるって…。だから…」
 シンタローの額がマジックに強く押しつけられた。ただ一人…、一族を除くとただ一人で育てられたシンタローにとって、未知なるものは希望ばかりではない。
 彼の父が、いかな立場を持つ人間であるかを、彼はとうに知っていた。
「…なーんにも、心配はいらないヨ?」
 マジックは、声の調子を上げて応えた。
「だってシンちゃんはパパの子だもの」
「でもッ」
 シンタローが顔を上げた。
 不安で不安でたまらない、といったその表情を、マジックは見下ろした。
「シンちゃんは自分で思ってる以上に強いよ?進学なんかまだ先だし、この調子だと入学式までには大人より強くなってるかもしれないね。…まったくどの先生だろう、そんな世間知らずなことを言うのは。あとで叱っておかないと」
 マジックが諭すようにゆっくりと言葉を紡ぐので、シンタローはそれが本当のことのように思えてきた。大きな手は、嘘なんかじゃないよと囁くように撫でてくれる。
「…うん…」
「わかったね?」
「…わかった」
 繰り返すのは、言葉の呪文。マジックの言葉は全て真実になる。マジックの言葉さえあれば、真実に変わる。
 男はシンタローの表情に笑顔が浮かんだのを見てとって、頷いた。
「良い子だね、シンタローは。じゃあパパに、ただいまのキスをさせてくれるかな」
 指を顎下に差し入れて掬い上げるようにしてやれば、シンタローは伸びあがるように引き寄せられる。
 そして閉じられたまぶたに、唇…。

END



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