新生編
アオザワシンたろー
『それでねっ、おとーさま!シンちゃんったら昨日もほとんど寝てないんだよ !? いっくらシンちゃんでもそんなのいけないよね』
壁掛け型の特大モニターに映る青年の、真面目そうな表情を裏切る髪リボン。
握りこぶしをふたつ作って訴えるのは、天才と謳われていないこともない、グンマ博士である。
『造反対策だかなんだか知らないけど、忙しすぎるよ!ちっとも研究室にも来てくれないし』
彼のホンネはどうやら最後のひとことにあるようだった。
「シンちゃんは頑張り屋さんだからねぇ。早く結果を出したいのかもしれないねぇ」
答えるのは、言わずと知れたガンマ団元総帥、マジックである。
だがその出で立ちは、総帥としての象徴だった赤い制服ではなく、目に優しいパステルピンクのソフトスーツだ。上着を脱いで、代わりにエプロンを身につけている。
右手に泡立て器、左手にボール。
モニターが匂いをも伝達するのならば、グンマのところにまでバニラエッセンスの甘い香りが届いたに違いなかった。私室に備えられた彼専用のシステムキッチンである。
「心配ないよグンちゃん。シンちゃんはセルフコントロールも出来ないような子じゃないから」
『でもっ』
「大丈夫。本当にまずいことになったら、そのときは任せなさい。それよりグンマ。キンタローはどうしてる」
『えっ、キンちゃん?キンちゃんなら…』
生クリームをあわ立てる実の父にグンマは、ひょんなことからいきなり成人男性の人生を送ることになった従兄弟のリハビリ状況を説明した。しながら、父が作っているのはシンタローのための菓子なんだなと、無条件に思った。
作っているということは、これを口実にシンタローを休ませる計略があるのだろう。
「そうか。キンタローはもう大学過程まで履修したか。早いな」
『高松もびっくりしてるよ!昨日なんか自立式黒板早消しロボットを作っちゃったんだよ』
「それは…将来が楽しみだね…」
どう楽しみなのかはさておき、マジックはオーブンの様子をみた。
「そうだグンちゃん。今さっき飛空艦が戻ったね。今度は誰だった?」
『え?さっき?』
「午前中はミヤギが戻って来ただろう?次にトットリ。今さっきもまた一艦戻ってきた。振動でわかったよ。今度はアラシヤマかな」
オーブンを開ければ湯気を立てたパイ生地が現われた。平たく伸ばされていて良い色をしている。
焼き上がりに満足したマジックは笑顔だ。
『僕、気づかなかったな~。あ、じゃあアメリカ担当のミヤギとアジアのトットリ、欧州のアラシヤマ、これで豪州のコージまで揃ったら壮観だね』
「シンちゃんは忙しくなるけどね」
彼らが戻ってきたということは、世界各国の新体制が次の局面を迎えたということだった。
部下は何人もいるが、総帥は一人きりだ。
軌道修正をかけている現状では、常にシンタローが旗手でなければならない。
『アメリカは根強いおとーさまのファンがいる地区でしょ。いったい何が財源なんだかわからないけど、新体制に抵抗し続けてるんだよね。あそこは東北ミヤギの管轄でしょ。制圧できたのかな』
グンマの耳にも入るほど、苦戦しているのは確かだった。
マジックは少し考えるようにしてから呟く。
反乱地区なんて根絶やしにしちゃえばカンタンだけど、シンちゃんはそーゆーこと、したくないみたいだからねぇ…と。
彼の息子が、特戦部隊と戦闘について衝突しているのはあまり表沙汰にはできない事情だ。こんなに身近なところにも、抵抗勢力はある。
それほど、マジックの旧体制とシンタローの新体制の方針には差があった。
『おとーさま、今作ってるのはミルフィーユ?』
「そうだよ。出来あがる頃においで」
政治的な話題からの急転直下に、ついてゆけぬマジックではない。だがグンマは、嬉しそうにしながらもそれを辞退した。
『高松がバイオハマナス二十三号の実の試食会を開くんだって。ぼくもそれに参加するんだ。シンちゃんも誘いたかったけど…忙しそうだし』
シンタローが食べたいのは父手製のお菓子のほうだし、というのが正しい台詞だが、グンマはあえて言わなかった。
『じゃあおとーさま。シンちゃんのこと、お願いね』
「はっはっは。任せなさい。疲れたときには甘い物がいいんだよ。それは、シンちゃんもよーく知ってることだけどね」
クッキングパパの、白い歯がキラリ。
パイ生地と生クリームとイチゴを重ねたミルフィーユがまもなく完成する。
父の部屋の扉を開けて、シンタローは固まった。
何故なら、まるで約束でもしてあったかのように、室内は、温かで美味しそうな香りに満ちている。
「やあシンちゃん!そろそろ来ることだと思って、パパ張りきっちゃったよ!」
中で振り返ったのは部屋の主、マジックだ。
年中無休に等しい笑顔で、エプロンを外しているところだった。
「な…」
「何をいつまでつったっているんだい!ほら早く」
半ば呆然とした息子の手を取るようにして、マジックはシンタローをテーブルへ誘導した。
彼の私室は、栄華を極めた男に相応しく豪奢で、かつ庶民的なものだった。大理石のテーブルにたんぽぽ。彫像には造花。骨董物の額に収まっているのはシンタローの写真で、皮張りのソファにはまたシンタローの人形が鎮座している。
「お腹すいてないかい?」
シンタローは、そう尋ねてくる父の瞳に困惑し、視線を逸らした。
だが見破られていたらしい。
マジックが椅子の背を引いてくれた。
彼は仏頂面をほんのり赤く染めて席についた。
すぐさま供される温められたパンや、良い香りのソースに絡めたオードブル。
「何でこう、用意がいいんだよ」
文句を言うようにすると、マジックは『愛の力さ!』と歌い上げるように答えた。その両手を空に掲げる仕草にシンタローは辟易し、ため息をついた。
「どっかに盗聴機しかけやがったな」
この父はそのくらいする。
もしかすると総帥だったころから仕掛けておいたのかもしれない。
「はっはっは、いやだなぁ盗聴だなんて。そんなことするわけないじゃないかぁ!」
ゼッテーしてる!
シンタローはスプーンを手に取りながら、戻ったら早速探させようと心に誓った。
そして。
「ちくしょー。相変わらず美味ぇな…」
シンタロー自身、料理の腕にはそれなりの自信がある。だがマジックのそれはシンタローが知る中でも一番だった。
そこには、世界の料理人たちとは異なって、シンタローの好みに合わせて作られているというからくりがあるのだが、それにしたって、と彼は思う。
「ほんと !? まだいっぱいあるからたくさん食べてね!」
「だからどーしてそうガキみてぇに喜ぶんだか」
これじゃどっちがガキだかわかんねぇと零しながらも、手は止まらない。
ここ数日、必要最低限な栄養は錠剤とゼリー飲料などで摂取していたが、山積みの問題に嫌気がさし、一息いれるつもりで休めそうなところを探して訪れた部屋で、少々気が抜けた。
変わらぬ笑顔と一さじのスープのせいだ。
マジックはシンタローにメインを用意し、最後に紅茶と菓子を並べた。
たくさん食べろと言いつつも、どれも量をややセーブしてあるのは、疲れた胃を慮ってのことだろう。
どれも丁度よい分量だった。そして久しぶりの温かな食事だった。ましてや美味だった。デザートまで出たのだ。
文句のあるはずもない。
シンタローは口元が緩むのを必死に押さえた。
「紅茶をもう一杯どうだい」
「うん」
カップを渡しながら、『うん、はないだろうが、うん、は』と慌てて自分を叱咤しても仕方がない。
人生の大半で総帥業をやってきた男の前では虚勢は無意味だ。きっと、こんな浮ついた気持ちさえ見抜かれているのかもしれない。
ポットから注がれるダージリンの香りが漂う時間は、総帥室の殺伐としたものとは雲泥の差だった。
シンタローは満たされたカップを受け取りながら、改めて最近の自分の生活を振り返った。
父が総帥だったときとは比べ物にならないほどの多忙ぶりだ。経験の差もあるだろうが、もうすこし上手くやりたいと思う。もう少し器用になれたらと思う。
「どうしたの、ため息なんてついて」
マジックに言われて、シンタローはいつのまにかうつむいていた顔を上げた。
「…別に…」
まだ、弱音は吐けない。だが。
「そう言えば、今日はアラシヤマとトットリたちが戻ってきたんだってねぇ」
マジックの誘導に、あえてシンタローは乗った。
「…まあな。ミヤギも来たぜ」
それを知ってか知らずが、マジックは話を続けた。
「ミヤギといえばアメリカ担当だったね。根強い抵抗勢力があったようだけど…せめて連中の資金源を断てればねぇ」
マジックが言うことは、まさにシンタローが狙っていることでもあった。
先窄まりな抵抗など、扱うに容易い。ミヤギが持ち返った報告は、その資金源を解明したというものだった。これで連中を叩くことが出来る。
しかし。
「…ミヤギの成果はまるっきり無駄になっちまったよ」
マジックが先を促がすように見つめる。
「連中の資金源ってのはシチリアマフィアのルートだったんだけど、今朝、壊滅しちゃって」
「…壊滅?」
シンタローは壊滅と繰り返した。
「アラシヤマの奴が、マフィア根こそぎ」
「…したのか」
「したんだ…。その足で本部に戻ってきたってわけ」
蓋を開けてみれば簡単なことだ。資金源はどのみち叩かねばならない。
アラシヤマは自分の担当エリアでアメリカ抵抗勢力の資金源を発見し、排斥した。
「発見の段階で報告しなきゃならなかったのに、勝手しやがって」
「根こそぎ…ということは、報復勢力も根絶やしにしてある、と見ていいね」
シンタローは答えない。
だが、それは異を唱える沈黙ではなかった。
「彼は特戦の基礎教育を受けてるからねぇ、先走ちゃったねぇ」
無用な破壊活動はシンタローの方針とはそぐわない。アラシヤマは、攻撃前に指示を仰ぐべきだった。
「俺は、そういうやり方は、しねぇんだ」
伊達衆とシンタローの間に溝があることが世界に知れれば、新生ガンマ団の未来は暗い。
だが、その程度のことがわからぬアラシヤマであるはずがなかった。ましてや働きはすべて新体制のため。
「で、シンちゃんはどうするの?」
「減給三ヶ月。…甘い?」
「いいんじゃない?パパなら命令違反は銃殺だけどね」
「じゃ六ヶ月にしとく」
当座の方針がきまり、最後のエネルギー充填のためにシンタローは紅茶に口をつけた。
本日の戦いはまだ終わっていないのだ。
シンタローの去った部屋で、マジックは皿を片付ける。
メニューはどれも息子には好評だったようで、ちらちらと嬉しそうな顔を見せてもらった。
「まったく可愛いなぁシンちゃんは!」
あれで、自分は可愛くなんかないと思っているのだから世話が焼ける。
ここのところの疲れにとどめを差すようなアラシヤマの先行。
きっと激しく詰問したのだろう。その様が目に浮かぶようだ。裏切られたような気持ちになっていたのかもしれない。
アラシヤマの気持ちは、永遠にシンタローには届かない。
「哀れだねぇ」
マジックはテーブルを拭き終え、ソファで待っていたシンタロー人形を抱き上げた。
アラシヤマがシンタローを思う気持ちなど、先刻見通している。
あの島へ刺客としてやったときから、アラシヤマの中で何かが変わってしまったのだ。かつては確かに敵対心だけだったはずなのに、彼の中にシンタローへ従属する心が生まれた。
当時にしてみれば予想外の変化だったが、今のシンタローにとってマイナスであるはずが無い。
裏切りは、無い。
裏切りと感じるだけで、それは決して、無いのだ。
「本当に哀れだ。でもねぇ、シンちゃん」
マジックはソファに座り、抱き上げた人形を自分の方へ向けた。
「大きい組織にはね」
教え諭すように、黒いボタンで出来た瞳を見つめる。
「汚れ役は必要なんだよ。だから、やらせておけばいいのさ」
買って出るなら、放っておけばいいのだ。
「あえて、パパは教えてあげないけどね」
犠牲になる者に、シンタローからの配慮など一片も必要ない。
総帥として長い間君臨してきた男は、そう言って小さな人形の額に祈りのようなキスをした。
終。
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2003/8/15発行のコピー誌収録の同名漫画を小説にしてみました。漫画はアラシンだっただろ!とかこんなシーンは無かっただろ!とかそもそも漫画と全然違うじゃねぇか!とかゆーことは気づかなかったということでよろしく。
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