BIRTHDAY CHASE
「ねえ、パパ」
「ん? 何だい、シンちゃん」
「あのねぇ……」
マジックに抱き上げられた幼いシンタローは、にこっと笑った。
「おたんじょうびおめでとう、パパ」
――――――――………
ザ…… ゴォ―――
海の中を征く艦。
マジックはシートに座していた。部下の声が彼のもとに届く。
「総帥、まもなく島に到着いたします」
「判った。着艦準備せよ!」
マジックは、冷厳たる口調で命じた。次の瞬間、彼は、個人的な幸福にひたっていた。
「シンタロー……」
夢見る瞳。本人の主観はどうあれ、端から見たら、ただのあぶねーおっさんである。ここら辺の茶々入れから既に、この話の運命は決まっているのであった。
「待っておいで、シンちゃん、今パパが行くよ……」
<1>
「シンタロー! 飯はまだか?」
「だーっ。今作ってっだろッ! ちったあ我慢ってもんを覚えんかい!」
シンタローは鍋の中身をかき混ぜながら、パプワに言い返した。
パプワとチャッピーは食卓につき、シンタローの後ろ姿を眺めている。
「ったく、この欠食児童が」
彼がパプワ島に流れ着き、南国少年の、お母さんだか妻だか使用人だか判らない立場に甘んじるようになって、はや一年半以上。
口ではぶつくさ言いながらも、最近では結構楽しそうに家事をこなしているところを見ると、主夫の素質があるのらしい。
シンタローは小皿に取ったスープの味をみた。
「ん、パーペキ♪」
そこで浮かれる辺り、既に末期症状である。
「できたぜ、パプワ」
「わーい、飯メシーっ!」
鍋を下ろし、食卓に置く。椀にそれをよそいながら、ふとシンタローは考えた。
とはいえ、考え込んでいても、それでも手は止まらない。プロの域だ。やっぱりダンナに欲しいかもしれない。
それにしても……今朝は変な夢をみちまったぜ。ガキの頃の思い出なんて。なぁーにが、おたんじょうびだよ。……って、あれ? 誕生日?
「……ちょっと待てよ……」
「どうした、シンタロー?」
「なァ、パプワ……今日って、何月何日だ?」
なぜかシンタローはひくついている。それまで暦などないに等しかったこの島に、太陽暦を浸透させたのはシンタローだ。もっとも、何月であろうと、ここは常夏の楽園である。
「十二月十二日! それがどうかしたのか?」
朝食をぱくつきながら、パプワはあっさり答えた。
「じゅうにがつじゅうに……」
すーっと、シンタローの顔から血の気が引く。笑いが乾いていた。
「なーんか、すっごく嫌な予感……」
人間、悪い予感に限ってやたら的中するものである。
たらぁりと、冷汗が伝う。その時、
「ヤッホー、シンちゃん!」
「げっ!」
どんがらがっしゃーん!
シンタローはのけぞった。パプワハウスの窓から、マジックが手を振っている。いつものごとく潜水艦で来たのらしい。後ろに幾人もの団員を引き連れていた。
世界最強とも言われる暗殺者組織、ガンマ団の総帥ともなれば、多忙という言葉では追い付かないほど忙しいはずだが、どうもマジックに限っては暇をもてあましているとしか、シンタローには思えない。
これが自分の父親とは……。
「やっぱり来やがったか、クソ親父!!」
カタン、と茶碗を置き、シンタローは立ち上がった。
「パプワ、そのまま飯食ってろ」
シンタローは外に出、マジックと向かい合った。この父親でどうして自分のような息子ができたのか、いまひとつ謎だ。それがヨタでなく、真実、一族の謎と秘密である辺り、冗談になっていない。秘石が企む、裏の裏の事情は更に秘密だ。
「湧いて出るんじゃねえかと思ってたぜ」
「あれ? ひょっとしてシンちゃんてば、パパが来るのを待っててくれたのかな? 嬉しいよ」
「待ってねェよ、誰も! とっとと帰りやがれ!」
「相変わらず照れ屋さんだなぁ。何か他に言うことがあるんじゃないかと思って、足を運んであげたのに」
「な・ん・に・も・あ・り・ま・せ・んッッ!!」
一音ごと、シンタローは区切って答えた。マジックの表情が、ふっとすり変わる。
「ふ~ん、そう……」
ビシュッ!
呟きざま繰り出されたマジックの拳は空を切った。
「やるな……」
一歩下がった位置で、シンタローは父親を見据えていた。その瞳が、むしろ娯しげにきらめいている。
「ふん! てめーの考えなんざお見通しだぜ!!」
「なるほど……では、こうしよう。おまえが逃げ、私が追う。捕まえられたら、おまえは私の言うとおりにするんだ。この際、秘石の話は今日は無しにしてやる。今日の私の望みはそれではないからな」
マジックの提案を、シンタローは鼻で笑った。
「はん! えらく一方的な提案だな。俺が逃げ切るにしろ何にしろ、結局貴様との鬼ごっこに付き合えってか。ちょっと虫が良すぎるんじゃねぇの? 俺は忙しいんだよ! 遊んでる暇は――」
「……これではどうだ? おまえが勝ったら、一度だけコタローに会わせてやる。約束しよう。それでも嫌か?」
「えっ!?」
一瞬、シンタローの顔が弛む。コタローに逢える? コタローに?
『お兄ちゃん(ハートマークつき)』……弟の笑顔が脳裏で乱舞した。
半ば陶酔状態で頷きかけ、シンタローは慌ててぷるぷると頭を振った。
「……てめーの約束なんざ信じられるかよッ!」
世にも珍しいことが起こっていた。シンタローの理性が弟への一念に勝るなど、明日のパプワ島地方は雪一時あられ、ところにより隕石、血の雨降水確率90パーセントである。
シンタローは、ぐっと拳を握り締めた。
「断る、と言ったら?」
パキッとマジックは指を鳴らした。シンタローの周囲を、団員が取り囲む。
「拒否できんよ、おまえは」
マジックの瞳が妖しげに光る。互いに間を取りながらの牽制。さらに一歩引き、シンタローは大きく息を吐いた。結局マジックには適わないのだ。
「……パプワや島の連中には絶対手を出さないと、誓えるか?」
「勿論。私は平和主義者だからね」
おお、すごいぞ、シリアスだ。
「その言葉……忘れんなよッッ!!」
言いざま、自分を包囲している元味方を蹴り飛ばし、シンタローは駆け出した。
「……よかろう。契約成立だ」
瞬間的な空白。
――バゥン!
マジックの眼魔砲が背後の地面をえぐる。
「でーっ! マジかよッ!!」
間一髪で避けながら、シンタローの背中を冷たいものが走り抜けた。
あんなもの、自分が放つ分にはいいが、食らうのはごめんである。
「これじゃ、捕まる前に殺されちまうぜ」
この一種の『ゲーム』が今日一日限りのものであることを、シンタローは知っていた。何故なら――。
……付き合ってやるさ。死にたくねえからな。
森の方までシンタローは逃げていた。障害物が多い方が有利だ。
「待て、シンタロー!」
どっかーん!
三十センチ横の樹の、どてっぱらの風通しがよくなっていた。
「どわっ!」
しーん…… そんな擬音が降ってくる。
畜生、マジックの奴、やたら張り切ってやがる。これを否応なしのプレゼントにさせる気かよ! じょおっだんじゃねえ!!
シンタローは心の中で毒づいた。だが、逃げなくてはあの世行きである。
「誰が待てるかーっっ!!」
怒鳴り返して、シンタローはジャンプした。
マジックはぐるりと森を見回した。
「……見失ったか」
まあいい。息子がのってくれただけでも幸運なのだ。
単なる『狩り』と『鬼ごっこ』では、気分的に大きな隔たりがある。やっていることは同じなくせに、自分の罪悪感を棚上げできる方を選ぶ、あこぎというか随分なマジックだった。
「絶対におまえを捕らえて、おめでとうと言わせてみせるぞ、シンタロー!」
握り拳を掲げあげ、マジックは燃えていた。
何やら、目的と手段がもはやチャンポンになっている感がある。
父と息子のチキチキマシン猛レース……じゃなかった、チェイスは、まだ始まったばかりであった。
「今日もええ天気どすなぁ、テヅカくん 」
「キィ♪」
アラシヤマは肩にコウモリを乗せ、散歩していた。彼にとっては幸福そのものの時間だ。それを遮ったのは、割と近くで起こった爆発音だった。
「ん……? 何や?」
瞬間的に、テヅカくんをかばうように抱え込む。辺りの様子を窺ったアラシヤマの前に、
ガサ…… ザザザッッ!
突如落ちてくる人影。
「……ってぇー……目測誤っちまったぜ」
「シンタローはん!?」
アラシヤマは、しゃがみこんでいる青年の名を呼んだ。はっとして、シンタローが顔を上げる。
「奇遇どすなァ。何をやっとらはるんでっか? こないなところで、散歩にも見えまへ――むぐっ」
アラシヤマが目を白黒させる。シンタローは同僚の口元を押さえ、自分に引き付けた。
「なッ……何しはるんどす!!」
シンタローの手を引きはがし、アラシヤマは噛みつくように叫んだ。顔が真っ赤なのは完璧に照れているからである。一歩間違えば山火事寸前だった。
「大声をたてるなっ」
アラシヤマの耳元で、シンタローはささやいた。
「見つかっちまうじゃねえかよ」
「かくれんぼでもしてはるんどすかいな。よろしおすなぁ、楽しそうで。そや、テヅカくん、わてらも今度二人で遊びまひょな」
「キイキィ!」
再びテヅカくんを肩に乗せるアラシヤマを、組織の一員時代、唯一実力で凌駕していた青年は睨みつけた。
「ばっきゃろー! 呑気な面しやがって。こちとら命懸けだぜ」
シンタローは辺りの物音に耳を澄ました。どうやら大丈夫のようだ。大きく息をつき、彼は樹の陰にすとんと腰を下ろした。
その様子に、アラシヤマの表情が硬くなってゆく。これは、ことによるとヤバい状況かもしれない。
「何やら、えろう……きな臭い話みたいどすな」
ちらりと、シンタローはアラシヤマを見た。
「マジックが――来てる」
聞いた途端、アラシヤマは真っ白になっていた。酸素を求めてぱくぱくと口が動く。
……マジック総帥が島にいる?
「な……な……な、何どすてぇ~~~っっ!?」
「わっ! バカ! 大声を出すな!!」
慌てて、もう一度シンタローがアラシヤマの口を塞ぐ。同じようにその指をはがしてから、額とバックに縦線をしょった笑みをアラシヤマは浮かべた。
「……そ……そりゃ、えらい災難どしたなあ。ははは。わ……っ、わては急ぎの用事を思い出しましてん。ほな、さいなら」
「待てぇーいッ」
アラシヤマのマントの首根っこをひっつかんで、シンタローは引きずり戻した。
「何でわてまで巻き込まれなあかんのどすっ」
「筆者の趣味――もとい、もののついでだ」
もののついでで、総帥親子のバイオレンスなかくれんぼに付き合わされてはかなわない。……鬼ごっこにかくれんぼ、次は缶蹴りだろうか。何だかノスタルジーの世界である。
「せやかて……。いや、それより、なしてまた総帥がこないな――」
「あ……」
その問いに、答えづらそうにシンタローは口篭もった。
「? 何どす?」
「だから……」
「だから?」
「今日は――奴の誕生日なんだよっ」
聞いた瞬間、アラシヤマの顔に理解の色が広がる。この辺り、既に染まっている彼であった。
「あァ……そーゆーことねェ~……」
余計に、とばっちりはごめんだとアラシヤマが考えたかどうかは定かではない。
「とにかく今日一日逃げなきゃならねえ……畜生、昼飯の支度も、掃除も洗濯もしなきゃいけないってのに、あんのアーパー親父が!」
それでも家事一般を忘れないところが、パプワ島の住人としてのシンタローの彼たる所以だった。
「何とかして食事だけでも…… ―――ッッ!!!」
……閃光に近いエネルギーの塊。
ちゅどーんッツッ!!
「どしぇーっっ!」
「うぎゃあァァ~!」
なぎ倒された木々と一緒に、二人は爆風で吹き飛ばされた。
ズサッ!
彼らは残った樹に打ちつけられた。瞬間、息が止まりそうになる。
「~~ッ!!」
歩み寄る人物。その威圧感。
「こーんなところに隠れてたのかい、坊や! 随分と捜したよ……?」
悪魔の微笑みを湛えて、マジックはゆっくりと近付いてきた。
ごくり、とシンタローは唾を飲み込んだ。アラシヤマに到っては、しきりに後ろに下がろうとしながら、腰が抜けて動けない。
危うし、シンタロー!(とアラシヤマ) このまま彼はマジックに捕らえられてしまうのか!? 以下次号!!
――というわけにはいかないので、話を続ける。
「さあ、意地を張らないであきらめなさい」
マジックはなおも息子の傍へ近寄る。
あと数歩で触れようとする時、シンタローは爆発の名残で散乱している瓦礫を掴み、マジックに投げつけた。
ピシッ!
マジックが、手をあげて顔をかばい、目を細める。
「何を今更悪あがきを――」
「逃げるぞ、アラシヤマ!!」
「あ……あわわ……」
腰を抜かしたままのアラシヤマの腕を取り、引っぱるようにしてシンタローは走りだした。
「あっ、こら、シンタロー!」
マジックは追った。
森の中の、全力疾走障害物競争。
もはや体力勝負に近いものがあった。齢の差は歴然としている。あとはテクニックと邪道だ。
「待ちなさい! 紳士的に話し合おう!」
眼魔砲の構えをしながらそう言っても、説得力はまるでない。トーゼンである。
……ドガッ!
前方の地面に大穴が開く。シンタローと、どうやら自力で走れるようになったアラシヤマは、それをぎりぎりで跳び越えた。
「待てといわれて待つバカはいねーよ!」
「わーっ! 何でわてまでーっっ!!」
「うるせー、ゴチャゴチャ言わずに走れッ!」
「そないなこと言うたかて、元はといえばシンタローはんのせいやおまへんかーっ!」
「じゃあ、あのまま木の根元んとこに置いてきてほしかったのかよ!? 何なら今から戻るか? えぇ!?」
「嫌どすッッ! マジック総帥に即死させられてしまいますがな!! わてはまだ死にとうあらしまへん!」
「だったら黙って走れっ!」
「ひぇーん!」
ほとんど掛け合い漫才のノリで、シンタローとアラシヤマは叫び合いながら獣道を駆け抜けてゆく。
それを追跡するマジックは、
「を!?」
……自分のえぐった大穴で足を踏み外していた……。
「あー、スイカがうめェべー! ほれ、トットリももっと食うだよ」
「もっと、って、僕達これしか食べるものはないんだっちゃが!」
「いちいち言わんでも判っとるべ! ……いつか花咲くときもくるべさ。オラ達、貧しくてもたくましく生きるべ、トットリ」
「ミヤギくーんっ」
スイカ畑で、トットリとミヤギは、涙ぐみながら互いの手を取り合った。
そこに、すさまじい勢いで転がってくる二つの物体。その上をコウモリがぱたぱたとついてきていた。
「何だべ!?」
「誰だわいや!」
誰何の声を飛ばす。土埃の中に影が映った。
「何しやがんだよ、アラシヤマ! 走ってる最中に、いきなり他人の腰紐を引っぱんじゃねぇ!! バランス崩しちまったじゃねーかよッ!」
「不可抗力どすがな! ちょっと足がもつれて、転びそうやったんや! それで、とっさに前におったシンタローはんの紐を掴んでしもうただけどす!!」
「足がもつれた、って、てめー、足腰弱ってんじゃねーのか!? 俺より年下だろーがッッ!!」
「あーっ、シンタローはん、あんさんには関係あらへんことどっしゃろっ!」
やたら元気に人影は怒鳴り合っている。この、嫌になるほど聞き覚えのある、嫌になるほど聞き慣れた声。その名前……。
土埃の霧が薄くなり、いつしか晴れていた。その中にいたのは、無論――
「……シンタロー!」
「それにアラシヤマっ!」
ミヤギとトットリは、以前の同僚の名前を呼んだ。
呼ばれた方は、そこで初めて二人に気付いたという風に、目をしばたたかせた。本当は転げる前に一応視界に入っていたはずなのだが、ずっと喚き合い続けていて、スイカ畑の中の人の姿など、その意識の隅にすら残っていなかったのだ。
「あれ? ミヤギにトットリじゃねぇか」
「あんさんら、こないな場所で何しとらはるんどす?」
シンタローとアラシヤマはあっけらかんと問う。
「それはこっちの台詞だべ!」
「そげだわやっ」
むくれたように、ローカルコンビは突然の闖入者をねめつけた。
「なーんでおめ達が一緒に走っとったんだべ」
「運動会はとうに済んどるし……んー……マラソン大会の練習か何かだらあか?」
「何マヌケなこと言うとるだよ、トットリ!」
「ミヤギくんがいぢめる……」
じとーっとした目で、トットリは親友を見た。シンタローは痴話喧嘩には構わず、ほぅっと呼気を漏らした。
「……取り敢えずは撒けたか」
「そのようどすな。でもすぐに来まっせ」
アラシヤマは、姿勢を変えて座り込むシンタローに恨みがましい視線を投げた。
「まったく、あんさんのせいでわてまで逃亡者や。せっかく巻けたことどすし、わてはうまいこと戻らせてもらいますよってな」
「できると思ってんのか? あいつ相手に、本気で。剛毅なことだな」
たとえ騒ぎに巻き込まれただけだとしても、マジックはアラシヤマをも追い詰めるだろう。ただでさえ、刺客としての任務に失敗した脱落者なのだから。
アラシヤマはあっさり返答した。
「……言ってみただけどす」
「変わり身の早ぇ奴……」
「こら、シンタロー! オラの質問に答えるべっ!」
ミヤギは詰め寄った。シンタローは口元を歪め、ぐしゃりと前髪をかきあげた。
「楽しいたのしい、鬼ごっことかくれんぼだよ。おめーらも混ぜてやろうか?」
話が見えない。ミヤギは首をひねった。
島の連中相手にそれをしている、というなら、まだ判らないでもない。だが、よりにもよってコウモリだけが友達のアラシヤマと一緒に?
「ところでシンタローはん……」
アラシヤマはこそりと耳打ちした。
「これも巻き込む気どすか……?」
「ものにはついで、って言葉が日本語にゃあるんだよ。この際だ、居合わせた不幸を呪ってもらう」
……悪魔であった。この親にしてこの子あり、やはり血は争えない。
もっとも、それを聞いて、たしかにどうせ不幸になるのなら、自分だけでなく他人の足元もすくってやった方がいい、と同意思考をかました京都出身の青年がいたところからすると、これはガンマ団構成員全てに共通することなのかもしれない。さすがは悪の組織、マインド・コントロールは徹底していた。
「ミヤギ、トットリ! おまえらに手伝ってほしいことがある」
「手伝い……?」
話をもちかけられた方は顔を見合わせた。
「一体、僕達に何をしろって言うんだっちゃ」
「時間がねえ。……急いで、罠をつくるんだ」
「迂闊だったな……」
マジックは着衣に付いた土をはたいた。
「この私が、こんな目に遭わされるとは」
キッと、マジックは何もない空間を睨みつけた。
……こんな目もそんな目も、自分のせいである。どんなに渋く決めようと、所詮、自分で掘った穴に自分で転がった事実がある以上、恰好付けが完璧にすべっていることに、当人は気付いていない。
「だが、今度こそ逃がさんぞ、シンタロー!」
「総帥! あちらの方に、シンタロー様らしい人影が」
分散させた部下の報告に、マジックは首肯した。
お日さまはとっくに高くのぼっていた。
「……にしても、誰が追っ手か知らねえだども、落とし穴なんか作っとらんと、何処かに早く逃げた方がええんでねえだか?」
ミヤギの言葉に、シンタローは土をならしながら、あさはかなと言いたげな顔をした。
「何処に逃げても隠れても同じなんだよ! 一日中ずっと走りづめるわけにもいかねえ以上、休息のついでに敵を足止めする手をとった方が得策だろうが」
その通りだった。体力の温存が優先事項だ。決して筆者が手を抜いたわけではない、念の為。
「シンタローはん、こんなもんでっか?」
アラシヤマは網を差し出した。
「即興にしちゃ、上出来上出来! マジックだったら引っかかるぜ」
落とし穴にスイカの蔦を編むようにかぶせながら、シンタローは頷いた。
看過しえぬ、一つの名前に、ミヤギとトットリがかちんと固まりかける。
「……え……? マジック……??」
「マジックって……総帥……?」
硬直を解こうとする二人の全身から、音を立てて血の気が引いていた。
「来とりんさるのは総帥なんだっちゃか!?」
「シンタロー! おめ、嘘こいたべなッ!」
「……嘘なんかついてねえよ。黙ってただけだぜ」
ビビる気持ちはよく判る。黙っておいて正解だった、と、シンタローは心の中で呟いた。
「冗談でねえだ! オラ達は抜けるべ!」
ミヤギは叫んだ。悲鳴寸前である。そのままダッシュして去ろうとするのを、
「――アラシヤマ!」
シンタローの声に、アラシヤマが行手に立ちはだかる。
「ここまで加担しといて、あきまへんえ、お二人はん。地獄に堕ちる時は一緒どすわ!」
前門のアラシヤマ、後門のシンタロー……。ミヤギとトットリは、ネコに狙いを定められたネズミと化していた。窮鼠猫を噛む、という格言は、彼らの場合、地球の反対側であった。
がっくりと、二人は膝をついた。その瞬間、
「……っっ!?」
―どっげーん!!
四人めがけて、景気よく無形爆弾が飛ばされた。マジックの撃った眼魔砲だ。
「うわぁーっ!」
「ぎゃ~~~ッッ!!」
まともに受けて、トットリとミヤギはふっとんだ。毛布と布団がもうふっとんだ――懐かしい駄洒落である。
アラシヤマとシンタローはすんでのところで直撃を避け、身をかばった。
「……っ!」
「来やがった、か」
仁王立ちしているマジックの姿が、土煙の向こうに見える。
「また仲間を増やしてるのかい? 懲りない子だな。この際だ、全員まとめてお仕置きしなきゃいかんな……」
「懲りねえのはてめえの方だぜ、マジック!」
ちら、と、地面と親交を深めているトットリたちを、シンタローは一瞥した。
「何をぼさっと寝てやがる! 死にてえのか!」
その一喝に、身を起こし、ミヤギとトットリが泡を食って逃げ出す。それに合わせてシンタローも身をひるがえした。
アラシヤマは行きかけて、後方を振り返った。
「テヅカくん!」
「キィーッ!」
爆風に飛ばされたテヅカくんが、その場には残されていた。置いてゆくことなどできない。アラシヤマは方向を変え、駆け戻った。
「……アラシヤマ!?」
シンタローは叫んだ。
「アラシヤマ、よせ! 戻るんだ!!」
現場に屈み込んで、コウモリを抱き上げるアラシヤマ。マジックが、ついと腕を伸ばす。
完全な射程距離。――絶好の、標的……。
「――危ねえ! アラシヤマッッ!!」
テヅカくんをぎゅっと抱き締め、アラシヤマが目をつぶる。絶体絶命の、一瞬。
……その時初めて、シンタローは自ら眼魔砲を放っていた。
ドウッ!
頭髪一筋分を外してかすめる技。マジックはわずらわしげに手をかざして余波を蔽う。
おや、おかしいぞ、なぜ緊迫するんだ。
「……今だ!! こっちに来い!」
はっとして顔を上げ、アラシヤマは走りだした。すぐに救済者に追いつく。
「おおきに、シンタローはん!」
「別にてめぇの為じゃねえっ! あいつがテヅカを巻き込もうとしたからだっ。……貴様が生きようが死のうが俺の知ったことじゃねえが、一人だけ見殺しにしたら後味悪いだろーがよ!!」
不本意そうにシンタローは答えた。その間も、無論疾駆は止まることはない。
彼とアラシヤマは、たちまち先をゆく二人と並んだ。
「……テヅカくーんっ、こないな思いをさせてもうて堪忍なぁーっ!」
「キイィー!」
アラシヤマは今度はしっかりテヅカくんを抱え、すったかすったか走っている。
「シンタロー! まだ逃げる気か!」
態勢を立てなおしたマジックが、スイカ畑に踏み入ってきた。
「……ったりめーだッッ!」
父親に叫び返して、シンタローは疾走した。
ドーンッッ!
畑で次々と爆発が起こる。当然、なっていた実はぐちゃぐちゃである。
「わ~~! 僕達のスイカ~っ!!」
「どうしてくれるべ、シンタロー!」
トットリとミヤギの食糧事情が切迫していた。
……さようなら、日々の糧。明日から自分たちは飢えて路頭に迷うのだろうか。マジックに殺されるのも嫌だが、栄養失調で昇天するのも嫌だ。ああ、生きているうちにもう一度、故郷の二十世紀梨を、ササニシキを腹一杯食べたかった。父ちゃん母ちゃん、先立つ不幸を許してくれ、涅槃で待つ……。
もはや思考が訳が判らない。
「我慢しろ! 今度夕飯に呼んでやる!」
「……ほんとだべなァ!?」
「シ、シンタローはん、総帥があぁ~ッ!!」
――どげんっ!!
十センチの差で頬をすり抜ける眼魔砲。マジックが追いすがる。
「うわーん! 僕達無関係だっちゃがないやーっ!!」
「今更遅うおますがな! どわーっ!」
「そうだ、一蓮托生って四字熟語を知らんのかッ! ぎゃあァッッ」
「知っとるのと判るのは別物だべーっ!!」
「うわーっははは、後の祭りだ、後の祭り!」
半分以上ぶち切れた精神状態でにぎやかに喚きつつ、四人は逃げ回った。
やはり若さがものをいう。追撃するマジックは息切れを起こしかけていた。齢は取りたくないものである。
「無駄な抵抗はよしなさい、シンタロー!」
「貴様は警察かよ!」
シンタローは落とし穴の上を飛び越えた。
「ここまで来てみろ、クソ親父!!」
そのまま、一目散に猛ダッシュする。まっすぐそれを追おうとして、
「をおっ」
……ものの見事に、マジックは落とし穴にはまっていた。はっきり言って大たわけである。
「シンタロー! よくもッ!」
穴の中からマジックが吠える。
「バ~カ! そこで当分寝てやがれっ!」
その頃には遥か彼方まで離れていたシンタローは、手をメガホン代わりにして言い捨て、他の三人と共に逃げ去った。
「……やるな、シンタロー!」
こうでなくては面白くない。マジックは拳をつくった。部下が駆けつけてくる。
「ごっ……ご無事ですか、総帥ッ!」
「今お救け申し上げます! ……総帥?」
覗き込んだ穴の中で、彼らを統べる存在は、ひたすら自分の世界を形成していた。
<2>
シンタローは深呼吸した。いる場所は、森と草原との境目だ。
「あー……えれェ目に遭っちまったぜ」
「何言うとりさるんだっちゃ! 僕らぁはただの巻き添えだわや!」
「そうだべっ。寿命が十年縮んじまっただよ、責任とってくれるんだべな!?」
言いつのる者達に、シンタローはぼそりと返事をした。
「……マジックが帰ったら善処してやる」
「シンタローはん、わても忘れんといておくれやす」
「何言ってやがる、片棒担いだのは誰だよ。第一、先刻救けてやったろ!」
「……あんさんがおらなんだら起こらへんかった騒動どっしゃろっ!」
アラシヤマは大事そうにテヅカくんを胸に抱き、口を尖らせる。
「あぁ、はいはい、わたくしが悪うございました! みんな一緒に責任をとらせてもらいますです!」
シンタローは、投げやりに答えた。だが、このような表現ではあれ、彼が刺客連中に謝罪するなど、滅多にあることではない。
「あっらぁ~、シンタローさん♪♪」
「こんなところで、何を皆さんとお喋りなさってるのかしらん♪」
ずるり、と、シンタローは精神的に滑った。ざわざわと背筋が粟立つ。
「……げっ! イトウ、タンノ!! どっから湧いて出やがった!」
「やーね、ひとを温泉かボウフラみたいに……」
「おまえらはヒトじゃねえッ」
「細かいことは言いっこなしにしましょうよ。ねえ、ほんとに何をしてたの?」
「何だか楽しそうよねぇ♪ アタシたちもお話しに混ぜてくれないかしら」
ぬめぬめピチピチすりすりと擦り寄ってくる二人(?)に、シンタローは一転して地の底を這うような声で告げた。
「……あのなァ……俺は、今、とてつもなく機嫌が悪いんだよ――」
ズガッ、バキッ、ドカッ、ゲシッ!
「――あっちに往ね! ナマモノッッ!!」
激しい音と共に空を飛翔してゆく二つの塊。
「ああ、いつにも増して力強いあなたの拳ッ」
「……これも愛なのね~~っ!」
ひゅ~ん……ドスンッ
「……ふんっ」
シンタローはパンパンと手をはたいた。同行者はひそひそと囁きを交わし合った。
「本当に機嫌悪いっちゃね……」
「仕方あらしまへんわなぁ」
「……オラ達までとばっちり食っちまうべ」
シンタローは、腰に手を当てて鼻白んだ。
「ったく、気色悪いったらねえぜ。ミヤギ、トットリ、アラシヤマ! 移動するぞ!」
既に別行動を許可しない、有無を言わせぬ口調でシンタローは命じ、先にたって歩きだした。
「腹減ったナ、チャッピー!」
「わう」
パプワとチャッピーは家の外に出てきた。
お昼ごはんどころか、もうおやつの時間さえはるかに過ぎている。朝食の途中で姿を消したシンタローは、戻る気配を見せない。
「シンタローの奴、家事もほったらかして何処をうろついてるんだ。帰ってきたら、よォーく言い聞かせてやらんとな」
「わうあう!」
それでも、木の実も保存食糧でしのぐこともせずに、パプワはシンタローを待ち続けていた。結局のところ、彼はシンタローになついているのだ。双方共に意識の概念からは外れていたけれど。
ガサ……
草を踏みしだく音。
「………?」
パプワは、こちらにやってくる人物を仰いだ。それは……。
「いい加減、パプワの飯を作らねえと……」
シンタローは焦りがちに呟いた。こうまでしても主夫業を忘れないところが、それが細胞レベルまで染みついているいい証明だ。ネタ探しと原稿書きと締切間際の浮気を染みつかせている『骨の髄まで同人屋』と、似ているかもしれない。ちょっと嫌である。
強引に連れてこられた元同僚たちは、近くの樹にもたれていた。
「で……結局原因は何なんだべ?」
「……総帥の誕生日なんやそうどすわ」
「まさか、総帥にお祝いの言葉を言うか言わないかでこうなった、とかじゃないっちゃね……?」
三人はそろぉりとシンタローを見た。当初の時点でそれに到達したアラシヤマも含め、その予測が完璧に的を射ていることを彼らは悟らざるをえない。
「一言言えば済んだんだわいや! そのせいで、なんで僕達まで……」
「せやけど、したら、このお話は最初っから存在しまへんがな」
「……何をわけの判らんことを口走っとるんだべ、アラシヤマ」
「誰ぞの代弁どす」
シンタローは仲間の様子など眼中にない。ただただ、ほっぽってきた家事一般が彼の頭を占めていた。
「……腹減らしてるだろうなぁ、あいつ」
だが、作っている途中でマジックに乱入でもされたら、一巻の終わりだ。ここまで逃げ続けているのがまったくの無駄になる。かといって、支度をしなかったら……。
マジックも恐ろしいが、パプワはもっと恐ろしい。チャッピーまで加わったら命がいくつあっても足りない。ねこまたじゃあるまいし、命のスペアの心当たりはない。
パプワの怒り>マジックの襲撃
シンタローの脳裏で不等式が成り立っていた。
「……仕方ねえ、一旦家に戻る」
シンタローは宣言した。何処かほっとしたように、他者が力を抜く。
「そうだべか、じゃあ、オラはこれで……。いやあ、今日は疲れただなやー。行くべ、トット――うげっ」
「待たんかっ!」
ミヤギのタンクトップの首元をシンタローは掴んだ。引き戻された方は宙で足を空回りさせた。
「だァーれが帰っていいと言った」
「いっ嫌だべ! オラ達は部外者だべッ!」
「往生際の悪い! これならアラシヤマの方がよっぽどマシだぜ――」
シンタローはアラシヤマを斜に見た。当の相手は、おどろ線をしょって、何やらぶつぶつとテヅカくんに話しかけている。
「……ええんどす……この騒動が治まったら、わてなんかもう声もかけてもらえへんのどすよってに……どうせわては嫌われもんなんどす……テヅカくん……あんさんだけがわての友達や……終わったら、森で、ふたり仲良う暮らしまひょなぁ……」
「――性格に、すっごく問題あるけど」
シンタローはひくつきながら付け加えた。その間にトットリはこそこそと逃げかけていた。
抜き足、差し足、忍び足……忍者なのだからお手のものである。
「あっ! ずるいべ、トットリ!!」
「甘いわッッ!」
ミヤギを捕らえていた手を離すと同時に、シンタローは、身に付けていたナイフを投げつけた。
カツッ!
樹に刃が突き刺さる。はらりとトットリの髪の毛が数本散った。
頭上を掠めたそれに、そのままぺたっと腰を抜かしてトットリは尻をついた。
「あぅ……だわおで……えうわ……」
何を言っているのか自分で判っていない。シンタローは刺さったナイフを抜き取ると、トットリをずるずると引きずった。
ここまできて、彼らの足並みは揃うどころか、むしろばらけていた。
――そんなことでどうする! 五人……もとい、四人と一匹の戦士達よ、今こそ心を一つに合わせて戦うのだ!!
……彼らは幼少期、戦隊ものに心をときめかせた世代だった……。
「……行くぞ」
シンタローは、右手にトットリ、左手にミヤギをしっかり捕まえ、パプワハウスの方角へ歩を進めはじめた。その三歩後ろを、まだおどろ線同伴で、コウモリごとアラシヤマが随っていた。
「シンタローの、お父さん」
「やあ、坊や」
自分を見上げるパプワに、マジックは笑いかけた。
今朝ここに来た時に比べて、何処となくやつれたように見えるのは、気のせいではあるまい。……いい齢をして走り回るからである。急な運動による中高年のポックリ死が、あまり他人事ではないかもしれない。
「シンタローを、知らないかい?」
遂に他力本願に出たか、マジック! いや、元々部下に探らせていたっけ、他者依存は今更だったか。
「あいつなら朝出ていったきりだぞ」
殆ど反っくり返らんばかりにして、パプワは、おまえのせいだろう、と言いたげにマジックを見つめた。空腹のせいで、たたでさえいいとはいえない目付きがすわっている。最強のお子様に直視されて、マジックは頬の筋肉を痙攣させながら冷汗を拭った。
「お……お菓子でも食べるかい?」
マジックは箱に入ったクッキーを差し出した。砕けまくっている辺りに、チェイスの激しさが偲ばれる。ただ単に自分がずっこけて砕いただけだという事実は、マジックの記憶辞書からは勿論削除済みである。
ここで隠れて待っていれば、いずれシンタローは戻ってくるだろう。――名付けて、アリ地獄作戦!! サイテーのネーミングセンスだった。
「パパは負けないよ、シンちゃん!」
ここに至って、否応なく、親子の激烈なゲームは最終局面を迎えようとしていたのであった。
「いいな、おまえらは囮だ。もしマジックが来るようだったら撹乱するんだぞ! どんな手を使っても構わねえ」
「……死にたくないっちゃ~……」
「かないっこねえだ! 絶対に殺されちまうべっ……」
「テヅカくん……もしもの時にはあんさんだけでも逃げとくれやす……時々は墓参りに来てぇなあー……」
……彼らに任せるには、いささか後顧の憂いがありすぎて心配かもしれない。
シンタローは物陰から家の様子を窺った。
外に出ているパプワとチャッピー。その傍に立っているのは――マジック?
「親父っ!?」
小声でシンタローは叫んだ。なぜマジックがパプワといるのだ。部下まで連れて。
「え?」
三人が血の気を失う。もしかして、もしかしなくても既にマジックとご対面……?
地獄の釜が開く音が聞こえたような気がしたのは幻聴だろうか。
シンタローは、ギリ、と歯を食いしばった。握り締めた両拳は、力の入り方を如実に表すように、指先の食い込んだ掌が白くなっていた。
むかむかむかむか…… シンタローの怒りの水位が上昇してゆく。
ぶつっ!
「――マジック!」
打ち合わせも何もかも無視して、シンタローは飛び出していた。
「シンタローはんっ?」
スタッとシンタローはマジックの前に降り立った。父親をすさまじい形相で睨みつける。マジックは、微妙に驚愕の表情を混ぜた。
「マジック、貴様ッ!」
「シンタロー……おまえの方から出てくるとは」
マジックはふっと笑った。
「やっとあきらめる気になったか。最初からそうしていれば、ひどい目に遭わなかったものを。まあいい、私は寛大なんだ、潔さに免じて許してあげるよ、シンちゃん 」
ひどい目に遭っていたのは、どちらかといえばシンタローよりマジックの方である。
「……ふざけるな!! よくもパプワに手を出したな!」
「……へ?」
「パプワには手出ししないと誓っておきながら、ぬけぬけとっ! そいつから離れろ!!」
「……は?」
「わずかでも貴様を信じた俺がバカだったぜ! 関係ねえ奴を人質にとるなんて、やっぱり貴様は最低なヤローだったなッ!!」
関係ないというなら、刺客連中だってこの上ないほど無関係である。物陰で、恐怖のあまり足を竦ませぼーだー泣きしながら、該当者の複数がそう考えたかどうかは未確認だ。自分を棚に上げることにかけては比肩するものとてない親子であった。
人質……パプワが、人質? マジックは慌てて両手を突き出した。眼魔砲ポーズではない。
「待て、シンタロー! 誤解だ!」
「ゴカイもイトミミズもねえ! てめえのくだらねぇ暇つぶしでそいつを巻き込みやがって! ここで決着をつけてやるっ!!」
「だから誤解だっっ!」
マジックは訴えた。さすがにここで『やだなあ、シンちゃん、パパがそんなことするわけないじゃないか』と言うほど愚鈍ではない。
キレた長男は全く聞く耳を持っていなかった。
「問答無用ッッ!」
シンタローは完全にマジックに狙いを定め、両手を構えた。それまでたゆたっていた遠慮が消えていた。
「よけろ、パプワ! ……眼魔砲――――ッツッ!!!」
――ちゅっどおォ~んっ!!
「うぎゃあぁぁーっっ!」
マジックは吹き飛ばされた。シリアスなら、片手で軽くシンタローの技を受けとめ、握り潰すところだが、いかんせんこの話はギャグであった。
一方、
「そらおまへんえ、シンタローはーんっ!」
「なんでオラ達まで……っ」
「最後まで巻き添えになるんだっちゃかーっ」
爆風の反動で、後方のアラシヤマたちもふっ飛ばされていた。殆ど小さな核爆弾である。放射能が出ない分、環境に優しいかもしれないが――って、それは別の話だ。
「「さよーならーっ」」
「おー達者でーっっ」
ひゅるるるる……
散々っぱら引っぱり回された挙句の、あまりといえばあまりの、ムゴい退場だった。……さらばだ、縁があったらまた会おう。
煙が消えた時、そこに立っていたのは、パプワと彼に抱えられたチャッピー、そして眼魔砲を撃ったシンタローだけだった。
シンタロー自身はともかく、この破壊の真っ只中で何の影響も受けていないパプワは、ただ者ではない。やはり世界最強のお子様なのかもしれなかった。
「わーいわーい、大爆発ー!」
日の丸扇子を持って、パプワは下ろしたチャッピーと共に踊っている。
シンタローは、片膝をついているマジックに、じり、とにじり寄った。南国の太陽は夕日に移行しつつあった。
「……そろそろ終わりにしようぜ、親父!」
マジックが、くっと唇を歪め、立ち上がる。
「よかろう、これが最後だ……」
再び、父と息子の力がぶつかり合おうとしていた。今度こそ、お互いただでは済むまい。もはや当初の目的から完全にずれていた。確か、祝いの言葉を言わせるかどうかで鬼ごっこをしていたのではなかったのだろうか、力比べをしてどーする。
張り詰めた空気が二人の間に流れる。
それを縫って、同じく巻き込まれたガンマ団員が、マジックの傍に這うように近付き、耳打ちした。
「総帥……お取り込み中の処恐縮ですが、そろそろ本部にお戻りになりませんと、その……未決済書類が――」
マジックが一瞬固まる。悲しき支配職だった。
「……と言いたいところだが、シンタロー! 勝負は一度預ける」
「な……っ!」
思わず絶句するシンタロー。何もこの場で撤退しなくても……。してくれた方が嬉しいが、タイミング的にひどく腹が立つ。
「だったら、最初から思いっきし無駄なことすんじゃねえよ、父親!」
「よんどころない事情だ。安心しろ、また来るよ、シンちゃん♪」
「二度と来んでいいッッ!」
精神的に中指を突き立てながら、シンタローは怒鳴った。……間違っても己れの親相手にするポーズではない。
「今度来やがったらコンクリ詰めにしてやっかんな!! 覚えとけッ!」
シンタローの剣幕に、マジックは肩をすくめた。親子の溝はまだ深い。退却したほうがいいようだ。
「じゃあね~っ」
すったかたったー……
手を振り、あっという間に、マジックは部下ともども逃げ足を発揮していた。まったくうちの艦隊は逃げる演技ばかり上手くなって――おっと、これは銀○伝。
シンタローはマジックの消えた方角に蹴を入れた。
「けっ。一日振り回させやがって」
指を頭の後ろで組み、これも無事だったパプワハウスに身を返す。シンタローの力のコントロールがうまかったのか、はたまた家が丈夫なのか。
「あーあ、骨折り損のくたびれ儲けだぜ。――腹減ったろ、パプワ。今、飯の支度するからな」
「……シンタロー」
「あんだよ?」
「いいのか?」
パプワの問いかけに、シンタローは眉をひそめた。
「どーゆー意味だよ」
「親は大事にせんとばちがあたるぞ」
子供に言われても、いまひとつ説得力がない。もっとも当の親が言ったら、いまみっつくらいない。幼児が一錠、成人三錠、何だか薬の分量みたいである。
「はん! 知ったことかよ」
すねているようにも見えるそぶりで、シンタローは更に足を運ぶ。
……まだ、間に合う。心の奥底の、小さなささやき。
ドアに手を掛けかけて、
「――パプワ」
ためらいがちに、シンタローは訊ねた。
「食事……もう少し待てるか……?」
「別に僕は構わんゾ。さっきお菓子をもらったしな」
「わうわうわう!」
シンタローは把手から手を離した。
「すまねぇ、パプワ!」
タッとシンタローは駆け出した。その後を、パプワがチャッピーと一緒に追いかけてゆく。
マジックが艦を着けた場所は、地形からいっておそらく前に押しかけてきた時と同じだ。
その附近に出る、海岸への近道をシンタローは走った。心の中で、自分同士が喧嘩している。
「間に合ってくれ……!」
道の両脇の茂み。増えてくるヤシの木。
ここを抜ければ――…
「動力系統、異常ありません。いつでも発てます」
「……総帥、そろそろ――」
幾分控えめに、部下が促す。マジックは島を見つめ、頷いた。
「ああ……」
結局目的は果たせなかったが、充実した一日だったのは確かだ。今回はそれでよしとせねばなるまい。次の機会を伺うことにしよう。……つくづくはたメーワクな壮年であった。
「シンタロー、今日は見逃してあげるよ」
……突然、視界が開けた。鮮やかな夕陽に赤く乱反射する海。
眩みそうになり、シンタローは目を細めた。
「到ちゃぁーくっ」
パプワが代わりに言った。シンタローは瞬間的に頭をめぐらした。逆光だ。
どうやら、ぎりぎりセーフだったらしい。
「――親父!」
ザッ! シンタローはジャンプして、シルエットの前に着地した。
「シンタロー……」
マジックは驚きと戸惑いをないまぜにした瞳で、最愛の息子を見やった。
「どうした。わざわざ見送りにきてくれたとも思えんが……。どうしても決着をつけなきゃならないかい?」
「あ……えっと、その……」
シンタローは言いよどんだ。この期に及んで踏ん切りのつかない、決断力の無さが恨めしい。
「総帥、もう時間が――」
促す声。マジックはシンタローに背を向けた。
パプワはシンタローを仰ぎ見て、服の裾をきゅっと掴んだ。シンタローはそれを見下ろす。
これを逃したら、もう言えない。
「……親父っ」
マジックは再度シンタローを振り向いた。
「先刻から、何だ?」
「親――。父さん」
シンタローは、こめかみを照れ臭げに掻き、思いきり息を吸い込んだ。
「……誕生日、おめでとよ」
結局言うのか、シンタロー。初めからこうしていれば、ふっとばされていったきりの被害者も出ずに済んだものを、親子揃って迷惑なシンタローとマジックだった。あまり迷惑迷惑言っていると、昔懐かしアークダーマが出るかもしれない。要注意である。
不思議そうに、マジックが息子を見つめなおす。シンタローはぶっきらぼうに言い足した。
「大サービスだ! ……本っ当に、おまけでついでに言ってやったんだからな!!」
マジックは微笑を刻んだ。――僅かにして鮮やかな、笑み。
「――何処に隠してあるのかは知らんが、今度来る時は、秘石を返してもらうからな」
カムフラージュなしで一日そのままにして、秘石の在処がばれなかったのが謎である。やはりガンマ団というのはマヌケ揃いかもしれない。
「……だぁーっ! 二度と来るなって言ってっだろーがっっ! 用は済んだろ、早く帰れよッ!!」
半ば照れ隠しの怒鳴り声。
「そうしよう。――出るぞ」
マジックは艦の中に消えた。ハッチが閉まる。
潜水艦は次第に海中に沈んでいった。
それを見送って、シンタローは大きく息を吐き出した。
「終わったな……。さてと、帰るか、パプワ」
シンタローは傍らのパプワを眺めやった。ぎろりとパプワがねめつける。
「ところでシンタロー。おまえ、今日家事さぼったな」
「……え……」
突然の豹変に、シンタローは状況を把握できなかった。それについては了承済みだったのではなかったか?
「飯も作らんと、何をこんなところでだらけてる! さっさと夕飯にせんかい!」
「ち……ちょっと待てよっ。だっておまえが、構わないって言っ……」
「言い訳するのか! まァーだ自分の立場を本気で判っとらんようだな。――チャッピー!!」
「あおーん!」
がぷっ
チャッピーの牙の間にシンタローの頭はあった。
「うっぎゃあぁ~~っっ!! すみませんごめんなさい、ご主人様、わたくしが悪うございましたぁぁ~~~ッ!」
流血しながら、シンタローが右往左往する。たとえどんな不条理な事由でも、決してパプワに逆らうことは許されないということを、身体で理解させられたシンタローだった。
――冒頭の答え。結局、彼の立場は召使いであるらしかった。
「……申し訳ございません! 許してください、今すぐ支度させていただきますーッッ!!」
陽の沈みかけた海岸を、二人と一匹の影が駆け去っていった。
「マジック総帥、取り敢えずこちらの書類にサインをお願いいたします」
帰途の潜水艦の中で、早速マジックは書類責めに遭っていた。
「………」
「――総帥?」
『誕生日、おめでとよ』
おめでとよ……おめでとよ……おめでとよ………
別れ際のシンタローの言葉が、マジックの頭の中をこだましていた。
「ふっ……ふふふふふ……」
「あのォ~……もしもぉーし、総帥……?」
恐る恐る呼びかける団員の声など、マジックの耳には届いていなかった。
じーん…… 感動に、シンちゃん人形を抱き締めたまま、マジックは浸りきっている。呼ぶだけ無駄であった。正気に戻る頃には、書類の山で窒息死すること受け合いである。
「ふふふ……。シンちゃん♪ また行くからね♪♪」
紆余曲折の末、この年の十二月十二日は、ちょっと幸福なままに終わったマジックだった――。
「おたんじょうびおめでとう、パパ」
「ありがとう、シンちゃん。とっても嬉しいよ」
「ほんと? じゃあね、ぼく、大人になっても毎年パパに言ってあげるね! ずっと、ずーっと!!」
……遠い、記憶の涯の約束――
――HAPPY BIRTHDAY!
「ねえ、パパ」
「ん? 何だい、シンちゃん」
「あのねぇ……」
マジックに抱き上げられた幼いシンタローは、にこっと笑った。
「おたんじょうびおめでとう、パパ」
――――――――………
ザ…… ゴォ―――
海の中を征く艦。
マジックはシートに座していた。部下の声が彼のもとに届く。
「総帥、まもなく島に到着いたします」
「判った。着艦準備せよ!」
マジックは、冷厳たる口調で命じた。次の瞬間、彼は、個人的な幸福にひたっていた。
「シンタロー……」
夢見る瞳。本人の主観はどうあれ、端から見たら、ただのあぶねーおっさんである。ここら辺の茶々入れから既に、この話の運命は決まっているのであった。
「待っておいで、シンちゃん、今パパが行くよ……」
<1>
「シンタロー! 飯はまだか?」
「だーっ。今作ってっだろッ! ちったあ我慢ってもんを覚えんかい!」
シンタローは鍋の中身をかき混ぜながら、パプワに言い返した。
パプワとチャッピーは食卓につき、シンタローの後ろ姿を眺めている。
「ったく、この欠食児童が」
彼がパプワ島に流れ着き、南国少年の、お母さんだか妻だか使用人だか判らない立場に甘んじるようになって、はや一年半以上。
口ではぶつくさ言いながらも、最近では結構楽しそうに家事をこなしているところを見ると、主夫の素質があるのらしい。
シンタローは小皿に取ったスープの味をみた。
「ん、パーペキ♪」
そこで浮かれる辺り、既に末期症状である。
「できたぜ、パプワ」
「わーい、飯メシーっ!」
鍋を下ろし、食卓に置く。椀にそれをよそいながら、ふとシンタローは考えた。
とはいえ、考え込んでいても、それでも手は止まらない。プロの域だ。やっぱりダンナに欲しいかもしれない。
それにしても……今朝は変な夢をみちまったぜ。ガキの頃の思い出なんて。なぁーにが、おたんじょうびだよ。……って、あれ? 誕生日?
「……ちょっと待てよ……」
「どうした、シンタロー?」
「なァ、パプワ……今日って、何月何日だ?」
なぜかシンタローはひくついている。それまで暦などないに等しかったこの島に、太陽暦を浸透させたのはシンタローだ。もっとも、何月であろうと、ここは常夏の楽園である。
「十二月十二日! それがどうかしたのか?」
朝食をぱくつきながら、パプワはあっさり答えた。
「じゅうにがつじゅうに……」
すーっと、シンタローの顔から血の気が引く。笑いが乾いていた。
「なーんか、すっごく嫌な予感……」
人間、悪い予感に限ってやたら的中するものである。
たらぁりと、冷汗が伝う。その時、
「ヤッホー、シンちゃん!」
「げっ!」
どんがらがっしゃーん!
シンタローはのけぞった。パプワハウスの窓から、マジックが手を振っている。いつものごとく潜水艦で来たのらしい。後ろに幾人もの団員を引き連れていた。
世界最強とも言われる暗殺者組織、ガンマ団の総帥ともなれば、多忙という言葉では追い付かないほど忙しいはずだが、どうもマジックに限っては暇をもてあましているとしか、シンタローには思えない。
これが自分の父親とは……。
「やっぱり来やがったか、クソ親父!!」
カタン、と茶碗を置き、シンタローは立ち上がった。
「パプワ、そのまま飯食ってろ」
シンタローは外に出、マジックと向かい合った。この父親でどうして自分のような息子ができたのか、いまひとつ謎だ。それがヨタでなく、真実、一族の謎と秘密である辺り、冗談になっていない。秘石が企む、裏の裏の事情は更に秘密だ。
「湧いて出るんじゃねえかと思ってたぜ」
「あれ? ひょっとしてシンちゃんてば、パパが来るのを待っててくれたのかな? 嬉しいよ」
「待ってねェよ、誰も! とっとと帰りやがれ!」
「相変わらず照れ屋さんだなぁ。何か他に言うことがあるんじゃないかと思って、足を運んであげたのに」
「な・ん・に・も・あ・り・ま・せ・んッッ!!」
一音ごと、シンタローは区切って答えた。マジックの表情が、ふっとすり変わる。
「ふ~ん、そう……」
ビシュッ!
呟きざま繰り出されたマジックの拳は空を切った。
「やるな……」
一歩下がった位置で、シンタローは父親を見据えていた。その瞳が、むしろ娯しげにきらめいている。
「ふん! てめーの考えなんざお見通しだぜ!!」
「なるほど……では、こうしよう。おまえが逃げ、私が追う。捕まえられたら、おまえは私の言うとおりにするんだ。この際、秘石の話は今日は無しにしてやる。今日の私の望みはそれではないからな」
マジックの提案を、シンタローは鼻で笑った。
「はん! えらく一方的な提案だな。俺が逃げ切るにしろ何にしろ、結局貴様との鬼ごっこに付き合えってか。ちょっと虫が良すぎるんじゃねぇの? 俺は忙しいんだよ! 遊んでる暇は――」
「……これではどうだ? おまえが勝ったら、一度だけコタローに会わせてやる。約束しよう。それでも嫌か?」
「えっ!?」
一瞬、シンタローの顔が弛む。コタローに逢える? コタローに?
『お兄ちゃん(ハートマークつき)』……弟の笑顔が脳裏で乱舞した。
半ば陶酔状態で頷きかけ、シンタローは慌ててぷるぷると頭を振った。
「……てめーの約束なんざ信じられるかよッ!」
世にも珍しいことが起こっていた。シンタローの理性が弟への一念に勝るなど、明日のパプワ島地方は雪一時あられ、ところにより隕石、血の雨降水確率90パーセントである。
シンタローは、ぐっと拳を握り締めた。
「断る、と言ったら?」
パキッとマジックは指を鳴らした。シンタローの周囲を、団員が取り囲む。
「拒否できんよ、おまえは」
マジックの瞳が妖しげに光る。互いに間を取りながらの牽制。さらに一歩引き、シンタローは大きく息を吐いた。結局マジックには適わないのだ。
「……パプワや島の連中には絶対手を出さないと、誓えるか?」
「勿論。私は平和主義者だからね」
おお、すごいぞ、シリアスだ。
「その言葉……忘れんなよッッ!!」
言いざま、自分を包囲している元味方を蹴り飛ばし、シンタローは駆け出した。
「……よかろう。契約成立だ」
瞬間的な空白。
――バゥン!
マジックの眼魔砲が背後の地面をえぐる。
「でーっ! マジかよッ!!」
間一髪で避けながら、シンタローの背中を冷たいものが走り抜けた。
あんなもの、自分が放つ分にはいいが、食らうのはごめんである。
「これじゃ、捕まる前に殺されちまうぜ」
この一種の『ゲーム』が今日一日限りのものであることを、シンタローは知っていた。何故なら――。
……付き合ってやるさ。死にたくねえからな。
森の方までシンタローは逃げていた。障害物が多い方が有利だ。
「待て、シンタロー!」
どっかーん!
三十センチ横の樹の、どてっぱらの風通しがよくなっていた。
「どわっ!」
しーん…… そんな擬音が降ってくる。
畜生、マジックの奴、やたら張り切ってやがる。これを否応なしのプレゼントにさせる気かよ! じょおっだんじゃねえ!!
シンタローは心の中で毒づいた。だが、逃げなくてはあの世行きである。
「誰が待てるかーっっ!!」
怒鳴り返して、シンタローはジャンプした。
マジックはぐるりと森を見回した。
「……見失ったか」
まあいい。息子がのってくれただけでも幸運なのだ。
単なる『狩り』と『鬼ごっこ』では、気分的に大きな隔たりがある。やっていることは同じなくせに、自分の罪悪感を棚上げできる方を選ぶ、あこぎというか随分なマジックだった。
「絶対におまえを捕らえて、おめでとうと言わせてみせるぞ、シンタロー!」
握り拳を掲げあげ、マジックは燃えていた。
何やら、目的と手段がもはやチャンポンになっている感がある。
父と息子のチキチキマシン猛レース……じゃなかった、チェイスは、まだ始まったばかりであった。
「今日もええ天気どすなぁ、テヅカくん 」
「キィ♪」
アラシヤマは肩にコウモリを乗せ、散歩していた。彼にとっては幸福そのものの時間だ。それを遮ったのは、割と近くで起こった爆発音だった。
「ん……? 何や?」
瞬間的に、テヅカくんをかばうように抱え込む。辺りの様子を窺ったアラシヤマの前に、
ガサ…… ザザザッッ!
突如落ちてくる人影。
「……ってぇー……目測誤っちまったぜ」
「シンタローはん!?」
アラシヤマは、しゃがみこんでいる青年の名を呼んだ。はっとして、シンタローが顔を上げる。
「奇遇どすなァ。何をやっとらはるんでっか? こないなところで、散歩にも見えまへ――むぐっ」
アラシヤマが目を白黒させる。シンタローは同僚の口元を押さえ、自分に引き付けた。
「なッ……何しはるんどす!!」
シンタローの手を引きはがし、アラシヤマは噛みつくように叫んだ。顔が真っ赤なのは完璧に照れているからである。一歩間違えば山火事寸前だった。
「大声をたてるなっ」
アラシヤマの耳元で、シンタローはささやいた。
「見つかっちまうじゃねえかよ」
「かくれんぼでもしてはるんどすかいな。よろしおすなぁ、楽しそうで。そや、テヅカくん、わてらも今度二人で遊びまひょな」
「キイキィ!」
再びテヅカくんを肩に乗せるアラシヤマを、組織の一員時代、唯一実力で凌駕していた青年は睨みつけた。
「ばっきゃろー! 呑気な面しやがって。こちとら命懸けだぜ」
シンタローは辺りの物音に耳を澄ました。どうやら大丈夫のようだ。大きく息をつき、彼は樹の陰にすとんと腰を下ろした。
その様子に、アラシヤマの表情が硬くなってゆく。これは、ことによるとヤバい状況かもしれない。
「何やら、えろう……きな臭い話みたいどすな」
ちらりと、シンタローはアラシヤマを見た。
「マジックが――来てる」
聞いた途端、アラシヤマは真っ白になっていた。酸素を求めてぱくぱくと口が動く。
……マジック総帥が島にいる?
「な……な……な、何どすてぇ~~~っっ!?」
「わっ! バカ! 大声を出すな!!」
慌てて、もう一度シンタローがアラシヤマの口を塞ぐ。同じようにその指をはがしてから、額とバックに縦線をしょった笑みをアラシヤマは浮かべた。
「……そ……そりゃ、えらい災難どしたなあ。ははは。わ……っ、わては急ぎの用事を思い出しましてん。ほな、さいなら」
「待てぇーいッ」
アラシヤマのマントの首根っこをひっつかんで、シンタローは引きずり戻した。
「何でわてまで巻き込まれなあかんのどすっ」
「筆者の趣味――もとい、もののついでだ」
もののついでで、総帥親子のバイオレンスなかくれんぼに付き合わされてはかなわない。……鬼ごっこにかくれんぼ、次は缶蹴りだろうか。何だかノスタルジーの世界である。
「せやかて……。いや、それより、なしてまた総帥がこないな――」
「あ……」
その問いに、答えづらそうにシンタローは口篭もった。
「? 何どす?」
「だから……」
「だから?」
「今日は――奴の誕生日なんだよっ」
聞いた瞬間、アラシヤマの顔に理解の色が広がる。この辺り、既に染まっている彼であった。
「あァ……そーゆーことねェ~……」
余計に、とばっちりはごめんだとアラシヤマが考えたかどうかは定かではない。
「とにかく今日一日逃げなきゃならねえ……畜生、昼飯の支度も、掃除も洗濯もしなきゃいけないってのに、あんのアーパー親父が!」
それでも家事一般を忘れないところが、パプワ島の住人としてのシンタローの彼たる所以だった。
「何とかして食事だけでも…… ―――ッッ!!!」
……閃光に近いエネルギーの塊。
ちゅどーんッツッ!!
「どしぇーっっ!」
「うぎゃあァァ~!」
なぎ倒された木々と一緒に、二人は爆風で吹き飛ばされた。
ズサッ!
彼らは残った樹に打ちつけられた。瞬間、息が止まりそうになる。
「~~ッ!!」
歩み寄る人物。その威圧感。
「こーんなところに隠れてたのかい、坊や! 随分と捜したよ……?」
悪魔の微笑みを湛えて、マジックはゆっくりと近付いてきた。
ごくり、とシンタローは唾を飲み込んだ。アラシヤマに到っては、しきりに後ろに下がろうとしながら、腰が抜けて動けない。
危うし、シンタロー!(とアラシヤマ) このまま彼はマジックに捕らえられてしまうのか!? 以下次号!!
――というわけにはいかないので、話を続ける。
「さあ、意地を張らないであきらめなさい」
マジックはなおも息子の傍へ近寄る。
あと数歩で触れようとする時、シンタローは爆発の名残で散乱している瓦礫を掴み、マジックに投げつけた。
ピシッ!
マジックが、手をあげて顔をかばい、目を細める。
「何を今更悪あがきを――」
「逃げるぞ、アラシヤマ!!」
「あ……あわわ……」
腰を抜かしたままのアラシヤマの腕を取り、引っぱるようにしてシンタローは走りだした。
「あっ、こら、シンタロー!」
マジックは追った。
森の中の、全力疾走障害物競争。
もはや体力勝負に近いものがあった。齢の差は歴然としている。あとはテクニックと邪道だ。
「待ちなさい! 紳士的に話し合おう!」
眼魔砲の構えをしながらそう言っても、説得力はまるでない。トーゼンである。
……ドガッ!
前方の地面に大穴が開く。シンタローと、どうやら自力で走れるようになったアラシヤマは、それをぎりぎりで跳び越えた。
「待てといわれて待つバカはいねーよ!」
「わーっ! 何でわてまでーっっ!!」
「うるせー、ゴチャゴチャ言わずに走れッ!」
「そないなこと言うたかて、元はといえばシンタローはんのせいやおまへんかーっ!」
「じゃあ、あのまま木の根元んとこに置いてきてほしかったのかよ!? 何なら今から戻るか? えぇ!?」
「嫌どすッッ! マジック総帥に即死させられてしまいますがな!! わてはまだ死にとうあらしまへん!」
「だったら黙って走れっ!」
「ひぇーん!」
ほとんど掛け合い漫才のノリで、シンタローとアラシヤマは叫び合いながら獣道を駆け抜けてゆく。
それを追跡するマジックは、
「を!?」
……自分のえぐった大穴で足を踏み外していた……。
「あー、スイカがうめェべー! ほれ、トットリももっと食うだよ」
「もっと、って、僕達これしか食べるものはないんだっちゃが!」
「いちいち言わんでも判っとるべ! ……いつか花咲くときもくるべさ。オラ達、貧しくてもたくましく生きるべ、トットリ」
「ミヤギくーんっ」
スイカ畑で、トットリとミヤギは、涙ぐみながら互いの手を取り合った。
そこに、すさまじい勢いで転がってくる二つの物体。その上をコウモリがぱたぱたとついてきていた。
「何だべ!?」
「誰だわいや!」
誰何の声を飛ばす。土埃の中に影が映った。
「何しやがんだよ、アラシヤマ! 走ってる最中に、いきなり他人の腰紐を引っぱんじゃねぇ!! バランス崩しちまったじゃねーかよッ!」
「不可抗力どすがな! ちょっと足がもつれて、転びそうやったんや! それで、とっさに前におったシンタローはんの紐を掴んでしもうただけどす!!」
「足がもつれた、って、てめー、足腰弱ってんじゃねーのか!? 俺より年下だろーがッッ!!」
「あーっ、シンタローはん、あんさんには関係あらへんことどっしゃろっ!」
やたら元気に人影は怒鳴り合っている。この、嫌になるほど聞き覚えのある、嫌になるほど聞き慣れた声。その名前……。
土埃の霧が薄くなり、いつしか晴れていた。その中にいたのは、無論――
「……シンタロー!」
「それにアラシヤマっ!」
ミヤギとトットリは、以前の同僚の名前を呼んだ。
呼ばれた方は、そこで初めて二人に気付いたという風に、目をしばたたかせた。本当は転げる前に一応視界に入っていたはずなのだが、ずっと喚き合い続けていて、スイカ畑の中の人の姿など、その意識の隅にすら残っていなかったのだ。
「あれ? ミヤギにトットリじゃねぇか」
「あんさんら、こないな場所で何しとらはるんどす?」
シンタローとアラシヤマはあっけらかんと問う。
「それはこっちの台詞だべ!」
「そげだわやっ」
むくれたように、ローカルコンビは突然の闖入者をねめつけた。
「なーんでおめ達が一緒に走っとったんだべ」
「運動会はとうに済んどるし……んー……マラソン大会の練習か何かだらあか?」
「何マヌケなこと言うとるだよ、トットリ!」
「ミヤギくんがいぢめる……」
じとーっとした目で、トットリは親友を見た。シンタローは痴話喧嘩には構わず、ほぅっと呼気を漏らした。
「……取り敢えずは撒けたか」
「そのようどすな。でもすぐに来まっせ」
アラシヤマは、姿勢を変えて座り込むシンタローに恨みがましい視線を投げた。
「まったく、あんさんのせいでわてまで逃亡者や。せっかく巻けたことどすし、わてはうまいこと戻らせてもらいますよってな」
「できると思ってんのか? あいつ相手に、本気で。剛毅なことだな」
たとえ騒ぎに巻き込まれただけだとしても、マジックはアラシヤマをも追い詰めるだろう。ただでさえ、刺客としての任務に失敗した脱落者なのだから。
アラシヤマはあっさり返答した。
「……言ってみただけどす」
「変わり身の早ぇ奴……」
「こら、シンタロー! オラの質問に答えるべっ!」
ミヤギは詰め寄った。シンタローは口元を歪め、ぐしゃりと前髪をかきあげた。
「楽しいたのしい、鬼ごっことかくれんぼだよ。おめーらも混ぜてやろうか?」
話が見えない。ミヤギは首をひねった。
島の連中相手にそれをしている、というなら、まだ判らないでもない。だが、よりにもよってコウモリだけが友達のアラシヤマと一緒に?
「ところでシンタローはん……」
アラシヤマはこそりと耳打ちした。
「これも巻き込む気どすか……?」
「ものにはついで、って言葉が日本語にゃあるんだよ。この際だ、居合わせた不幸を呪ってもらう」
……悪魔であった。この親にしてこの子あり、やはり血は争えない。
もっとも、それを聞いて、たしかにどうせ不幸になるのなら、自分だけでなく他人の足元もすくってやった方がいい、と同意思考をかました京都出身の青年がいたところからすると、これはガンマ団構成員全てに共通することなのかもしれない。さすがは悪の組織、マインド・コントロールは徹底していた。
「ミヤギ、トットリ! おまえらに手伝ってほしいことがある」
「手伝い……?」
話をもちかけられた方は顔を見合わせた。
「一体、僕達に何をしろって言うんだっちゃ」
「時間がねえ。……急いで、罠をつくるんだ」
「迂闊だったな……」
マジックは着衣に付いた土をはたいた。
「この私が、こんな目に遭わされるとは」
キッと、マジックは何もない空間を睨みつけた。
……こんな目もそんな目も、自分のせいである。どんなに渋く決めようと、所詮、自分で掘った穴に自分で転がった事実がある以上、恰好付けが完璧にすべっていることに、当人は気付いていない。
「だが、今度こそ逃がさんぞ、シンタロー!」
「総帥! あちらの方に、シンタロー様らしい人影が」
分散させた部下の報告に、マジックは首肯した。
お日さまはとっくに高くのぼっていた。
「……にしても、誰が追っ手か知らねえだども、落とし穴なんか作っとらんと、何処かに早く逃げた方がええんでねえだか?」
ミヤギの言葉に、シンタローは土をならしながら、あさはかなと言いたげな顔をした。
「何処に逃げても隠れても同じなんだよ! 一日中ずっと走りづめるわけにもいかねえ以上、休息のついでに敵を足止めする手をとった方が得策だろうが」
その通りだった。体力の温存が優先事項だ。決して筆者が手を抜いたわけではない、念の為。
「シンタローはん、こんなもんでっか?」
アラシヤマは網を差し出した。
「即興にしちゃ、上出来上出来! マジックだったら引っかかるぜ」
落とし穴にスイカの蔦を編むようにかぶせながら、シンタローは頷いた。
看過しえぬ、一つの名前に、ミヤギとトットリがかちんと固まりかける。
「……え……? マジック……??」
「マジックって……総帥……?」
硬直を解こうとする二人の全身から、音を立てて血の気が引いていた。
「来とりんさるのは総帥なんだっちゃか!?」
「シンタロー! おめ、嘘こいたべなッ!」
「……嘘なんかついてねえよ。黙ってただけだぜ」
ビビる気持ちはよく判る。黙っておいて正解だった、と、シンタローは心の中で呟いた。
「冗談でねえだ! オラ達は抜けるべ!」
ミヤギは叫んだ。悲鳴寸前である。そのままダッシュして去ろうとするのを、
「――アラシヤマ!」
シンタローの声に、アラシヤマが行手に立ちはだかる。
「ここまで加担しといて、あきまへんえ、お二人はん。地獄に堕ちる時は一緒どすわ!」
前門のアラシヤマ、後門のシンタロー……。ミヤギとトットリは、ネコに狙いを定められたネズミと化していた。窮鼠猫を噛む、という格言は、彼らの場合、地球の反対側であった。
がっくりと、二人は膝をついた。その瞬間、
「……っっ!?」
―どっげーん!!
四人めがけて、景気よく無形爆弾が飛ばされた。マジックの撃った眼魔砲だ。
「うわぁーっ!」
「ぎゃ~~~ッッ!!」
まともに受けて、トットリとミヤギはふっとんだ。毛布と布団がもうふっとんだ――懐かしい駄洒落である。
アラシヤマとシンタローはすんでのところで直撃を避け、身をかばった。
「……っ!」
「来やがった、か」
仁王立ちしているマジックの姿が、土煙の向こうに見える。
「また仲間を増やしてるのかい? 懲りない子だな。この際だ、全員まとめてお仕置きしなきゃいかんな……」
「懲りねえのはてめえの方だぜ、マジック!」
ちら、と、地面と親交を深めているトットリたちを、シンタローは一瞥した。
「何をぼさっと寝てやがる! 死にてえのか!」
その一喝に、身を起こし、ミヤギとトットリが泡を食って逃げ出す。それに合わせてシンタローも身をひるがえした。
アラシヤマは行きかけて、後方を振り返った。
「テヅカくん!」
「キィーッ!」
爆風に飛ばされたテヅカくんが、その場には残されていた。置いてゆくことなどできない。アラシヤマは方向を変え、駆け戻った。
「……アラシヤマ!?」
シンタローは叫んだ。
「アラシヤマ、よせ! 戻るんだ!!」
現場に屈み込んで、コウモリを抱き上げるアラシヤマ。マジックが、ついと腕を伸ばす。
完全な射程距離。――絶好の、標的……。
「――危ねえ! アラシヤマッッ!!」
テヅカくんをぎゅっと抱き締め、アラシヤマが目をつぶる。絶体絶命の、一瞬。
……その時初めて、シンタローは自ら眼魔砲を放っていた。
ドウッ!
頭髪一筋分を外してかすめる技。マジックはわずらわしげに手をかざして余波を蔽う。
おや、おかしいぞ、なぜ緊迫するんだ。
「……今だ!! こっちに来い!」
はっとして顔を上げ、アラシヤマは走りだした。すぐに救済者に追いつく。
「おおきに、シンタローはん!」
「別にてめぇの為じゃねえっ! あいつがテヅカを巻き込もうとしたからだっ。……貴様が生きようが死のうが俺の知ったことじゃねえが、一人だけ見殺しにしたら後味悪いだろーがよ!!」
不本意そうにシンタローは答えた。その間も、無論疾駆は止まることはない。
彼とアラシヤマは、たちまち先をゆく二人と並んだ。
「……テヅカくーんっ、こないな思いをさせてもうて堪忍なぁーっ!」
「キイィー!」
アラシヤマは今度はしっかりテヅカくんを抱え、すったかすったか走っている。
「シンタロー! まだ逃げる気か!」
態勢を立てなおしたマジックが、スイカ畑に踏み入ってきた。
「……ったりめーだッッ!」
父親に叫び返して、シンタローは疾走した。
ドーンッッ!
畑で次々と爆発が起こる。当然、なっていた実はぐちゃぐちゃである。
「わ~~! 僕達のスイカ~っ!!」
「どうしてくれるべ、シンタロー!」
トットリとミヤギの食糧事情が切迫していた。
……さようなら、日々の糧。明日から自分たちは飢えて路頭に迷うのだろうか。マジックに殺されるのも嫌だが、栄養失調で昇天するのも嫌だ。ああ、生きているうちにもう一度、故郷の二十世紀梨を、ササニシキを腹一杯食べたかった。父ちゃん母ちゃん、先立つ不幸を許してくれ、涅槃で待つ……。
もはや思考が訳が判らない。
「我慢しろ! 今度夕飯に呼んでやる!」
「……ほんとだべなァ!?」
「シ、シンタローはん、総帥があぁ~ッ!!」
――どげんっ!!
十センチの差で頬をすり抜ける眼魔砲。マジックが追いすがる。
「うわーん! 僕達無関係だっちゃがないやーっ!!」
「今更遅うおますがな! どわーっ!」
「そうだ、一蓮托生って四字熟語を知らんのかッ! ぎゃあァッッ」
「知っとるのと判るのは別物だべーっ!!」
「うわーっははは、後の祭りだ、後の祭り!」
半分以上ぶち切れた精神状態でにぎやかに喚きつつ、四人は逃げ回った。
やはり若さがものをいう。追撃するマジックは息切れを起こしかけていた。齢は取りたくないものである。
「無駄な抵抗はよしなさい、シンタロー!」
「貴様は警察かよ!」
シンタローは落とし穴の上を飛び越えた。
「ここまで来てみろ、クソ親父!!」
そのまま、一目散に猛ダッシュする。まっすぐそれを追おうとして、
「をおっ」
……ものの見事に、マジックは落とし穴にはまっていた。はっきり言って大たわけである。
「シンタロー! よくもッ!」
穴の中からマジックが吠える。
「バ~カ! そこで当分寝てやがれっ!」
その頃には遥か彼方まで離れていたシンタローは、手をメガホン代わりにして言い捨て、他の三人と共に逃げ去った。
「……やるな、シンタロー!」
こうでなくては面白くない。マジックは拳をつくった。部下が駆けつけてくる。
「ごっ……ご無事ですか、総帥ッ!」
「今お救け申し上げます! ……総帥?」
覗き込んだ穴の中で、彼らを統べる存在は、ひたすら自分の世界を形成していた。
<2>
シンタローは深呼吸した。いる場所は、森と草原との境目だ。
「あー……えれェ目に遭っちまったぜ」
「何言うとりさるんだっちゃ! 僕らぁはただの巻き添えだわや!」
「そうだべっ。寿命が十年縮んじまっただよ、責任とってくれるんだべな!?」
言いつのる者達に、シンタローはぼそりと返事をした。
「……マジックが帰ったら善処してやる」
「シンタローはん、わても忘れんといておくれやす」
「何言ってやがる、片棒担いだのは誰だよ。第一、先刻救けてやったろ!」
「……あんさんがおらなんだら起こらへんかった騒動どっしゃろっ!」
アラシヤマは大事そうにテヅカくんを胸に抱き、口を尖らせる。
「あぁ、はいはい、わたくしが悪うございました! みんな一緒に責任をとらせてもらいますです!」
シンタローは、投げやりに答えた。だが、このような表現ではあれ、彼が刺客連中に謝罪するなど、滅多にあることではない。
「あっらぁ~、シンタローさん♪♪」
「こんなところで、何を皆さんとお喋りなさってるのかしらん♪」
ずるり、と、シンタローは精神的に滑った。ざわざわと背筋が粟立つ。
「……げっ! イトウ、タンノ!! どっから湧いて出やがった!」
「やーね、ひとを温泉かボウフラみたいに……」
「おまえらはヒトじゃねえッ」
「細かいことは言いっこなしにしましょうよ。ねえ、ほんとに何をしてたの?」
「何だか楽しそうよねぇ♪ アタシたちもお話しに混ぜてくれないかしら」
ぬめぬめピチピチすりすりと擦り寄ってくる二人(?)に、シンタローは一転して地の底を這うような声で告げた。
「……あのなァ……俺は、今、とてつもなく機嫌が悪いんだよ――」
ズガッ、バキッ、ドカッ、ゲシッ!
「――あっちに往ね! ナマモノッッ!!」
激しい音と共に空を飛翔してゆく二つの塊。
「ああ、いつにも増して力強いあなたの拳ッ」
「……これも愛なのね~~っ!」
ひゅ~ん……ドスンッ
「……ふんっ」
シンタローはパンパンと手をはたいた。同行者はひそひそと囁きを交わし合った。
「本当に機嫌悪いっちゃね……」
「仕方あらしまへんわなぁ」
「……オラ達までとばっちり食っちまうべ」
シンタローは、腰に手を当てて鼻白んだ。
「ったく、気色悪いったらねえぜ。ミヤギ、トットリ、アラシヤマ! 移動するぞ!」
既に別行動を許可しない、有無を言わせぬ口調でシンタローは命じ、先にたって歩きだした。
「腹減ったナ、チャッピー!」
「わう」
パプワとチャッピーは家の外に出てきた。
お昼ごはんどころか、もうおやつの時間さえはるかに過ぎている。朝食の途中で姿を消したシンタローは、戻る気配を見せない。
「シンタローの奴、家事もほったらかして何処をうろついてるんだ。帰ってきたら、よォーく言い聞かせてやらんとな」
「わうあう!」
それでも、木の実も保存食糧でしのぐこともせずに、パプワはシンタローを待ち続けていた。結局のところ、彼はシンタローになついているのだ。双方共に意識の概念からは外れていたけれど。
ガサ……
草を踏みしだく音。
「………?」
パプワは、こちらにやってくる人物を仰いだ。それは……。
「いい加減、パプワの飯を作らねえと……」
シンタローは焦りがちに呟いた。こうまでしても主夫業を忘れないところが、それが細胞レベルまで染みついているいい証明だ。ネタ探しと原稿書きと締切間際の浮気を染みつかせている『骨の髄まで同人屋』と、似ているかもしれない。ちょっと嫌である。
強引に連れてこられた元同僚たちは、近くの樹にもたれていた。
「で……結局原因は何なんだべ?」
「……総帥の誕生日なんやそうどすわ」
「まさか、総帥にお祝いの言葉を言うか言わないかでこうなった、とかじゃないっちゃね……?」
三人はそろぉりとシンタローを見た。当初の時点でそれに到達したアラシヤマも含め、その予測が完璧に的を射ていることを彼らは悟らざるをえない。
「一言言えば済んだんだわいや! そのせいで、なんで僕達まで……」
「せやけど、したら、このお話は最初っから存在しまへんがな」
「……何をわけの判らんことを口走っとるんだべ、アラシヤマ」
「誰ぞの代弁どす」
シンタローは仲間の様子など眼中にない。ただただ、ほっぽってきた家事一般が彼の頭を占めていた。
「……腹減らしてるだろうなぁ、あいつ」
だが、作っている途中でマジックに乱入でもされたら、一巻の終わりだ。ここまで逃げ続けているのがまったくの無駄になる。かといって、支度をしなかったら……。
マジックも恐ろしいが、パプワはもっと恐ろしい。チャッピーまで加わったら命がいくつあっても足りない。ねこまたじゃあるまいし、命のスペアの心当たりはない。
パプワの怒り>マジックの襲撃
シンタローの脳裏で不等式が成り立っていた。
「……仕方ねえ、一旦家に戻る」
シンタローは宣言した。何処かほっとしたように、他者が力を抜く。
「そうだべか、じゃあ、オラはこれで……。いやあ、今日は疲れただなやー。行くべ、トット――うげっ」
「待たんかっ!」
ミヤギのタンクトップの首元をシンタローは掴んだ。引き戻された方は宙で足を空回りさせた。
「だァーれが帰っていいと言った」
「いっ嫌だべ! オラ達は部外者だべッ!」
「往生際の悪い! これならアラシヤマの方がよっぽどマシだぜ――」
シンタローはアラシヤマを斜に見た。当の相手は、おどろ線をしょって、何やらぶつぶつとテヅカくんに話しかけている。
「……ええんどす……この騒動が治まったら、わてなんかもう声もかけてもらえへんのどすよってに……どうせわては嫌われもんなんどす……テヅカくん……あんさんだけがわての友達や……終わったら、森で、ふたり仲良う暮らしまひょなぁ……」
「――性格に、すっごく問題あるけど」
シンタローはひくつきながら付け加えた。その間にトットリはこそこそと逃げかけていた。
抜き足、差し足、忍び足……忍者なのだからお手のものである。
「あっ! ずるいべ、トットリ!!」
「甘いわッッ!」
ミヤギを捕らえていた手を離すと同時に、シンタローは、身に付けていたナイフを投げつけた。
カツッ!
樹に刃が突き刺さる。はらりとトットリの髪の毛が数本散った。
頭上を掠めたそれに、そのままぺたっと腰を抜かしてトットリは尻をついた。
「あぅ……だわおで……えうわ……」
何を言っているのか自分で判っていない。シンタローは刺さったナイフを抜き取ると、トットリをずるずると引きずった。
ここまできて、彼らの足並みは揃うどころか、むしろばらけていた。
――そんなことでどうする! 五人……もとい、四人と一匹の戦士達よ、今こそ心を一つに合わせて戦うのだ!!
……彼らは幼少期、戦隊ものに心をときめかせた世代だった……。
「……行くぞ」
シンタローは、右手にトットリ、左手にミヤギをしっかり捕まえ、パプワハウスの方角へ歩を進めはじめた。その三歩後ろを、まだおどろ線同伴で、コウモリごとアラシヤマが随っていた。
「シンタローの、お父さん」
「やあ、坊や」
自分を見上げるパプワに、マジックは笑いかけた。
今朝ここに来た時に比べて、何処となくやつれたように見えるのは、気のせいではあるまい。……いい齢をして走り回るからである。急な運動による中高年のポックリ死が、あまり他人事ではないかもしれない。
「シンタローを、知らないかい?」
遂に他力本願に出たか、マジック! いや、元々部下に探らせていたっけ、他者依存は今更だったか。
「あいつなら朝出ていったきりだぞ」
殆ど反っくり返らんばかりにして、パプワは、おまえのせいだろう、と言いたげにマジックを見つめた。空腹のせいで、たたでさえいいとはいえない目付きがすわっている。最強のお子様に直視されて、マジックは頬の筋肉を痙攣させながら冷汗を拭った。
「お……お菓子でも食べるかい?」
マジックは箱に入ったクッキーを差し出した。砕けまくっている辺りに、チェイスの激しさが偲ばれる。ただ単に自分がずっこけて砕いただけだという事実は、マジックの記憶辞書からは勿論削除済みである。
ここで隠れて待っていれば、いずれシンタローは戻ってくるだろう。――名付けて、アリ地獄作戦!! サイテーのネーミングセンスだった。
「パパは負けないよ、シンちゃん!」
ここに至って、否応なく、親子の激烈なゲームは最終局面を迎えようとしていたのであった。
「いいな、おまえらは囮だ。もしマジックが来るようだったら撹乱するんだぞ! どんな手を使っても構わねえ」
「……死にたくないっちゃ~……」
「かないっこねえだ! 絶対に殺されちまうべっ……」
「テヅカくん……もしもの時にはあんさんだけでも逃げとくれやす……時々は墓参りに来てぇなあー……」
……彼らに任せるには、いささか後顧の憂いがありすぎて心配かもしれない。
シンタローは物陰から家の様子を窺った。
外に出ているパプワとチャッピー。その傍に立っているのは――マジック?
「親父っ!?」
小声でシンタローは叫んだ。なぜマジックがパプワといるのだ。部下まで連れて。
「え?」
三人が血の気を失う。もしかして、もしかしなくても既にマジックとご対面……?
地獄の釜が開く音が聞こえたような気がしたのは幻聴だろうか。
シンタローは、ギリ、と歯を食いしばった。握り締めた両拳は、力の入り方を如実に表すように、指先の食い込んだ掌が白くなっていた。
むかむかむかむか…… シンタローの怒りの水位が上昇してゆく。
ぶつっ!
「――マジック!」
打ち合わせも何もかも無視して、シンタローは飛び出していた。
「シンタローはんっ?」
スタッとシンタローはマジックの前に降り立った。父親をすさまじい形相で睨みつける。マジックは、微妙に驚愕の表情を混ぜた。
「マジック、貴様ッ!」
「シンタロー……おまえの方から出てくるとは」
マジックはふっと笑った。
「やっとあきらめる気になったか。最初からそうしていれば、ひどい目に遭わなかったものを。まあいい、私は寛大なんだ、潔さに免じて許してあげるよ、シンちゃん 」
ひどい目に遭っていたのは、どちらかといえばシンタローよりマジックの方である。
「……ふざけるな!! よくもパプワに手を出したな!」
「……へ?」
「パプワには手出ししないと誓っておきながら、ぬけぬけとっ! そいつから離れろ!!」
「……は?」
「わずかでも貴様を信じた俺がバカだったぜ! 関係ねえ奴を人質にとるなんて、やっぱり貴様は最低なヤローだったなッ!!」
関係ないというなら、刺客連中だってこの上ないほど無関係である。物陰で、恐怖のあまり足を竦ませぼーだー泣きしながら、該当者の複数がそう考えたかどうかは未確認だ。自分を棚に上げることにかけては比肩するものとてない親子であった。
人質……パプワが、人質? マジックは慌てて両手を突き出した。眼魔砲ポーズではない。
「待て、シンタロー! 誤解だ!」
「ゴカイもイトミミズもねえ! てめえのくだらねぇ暇つぶしでそいつを巻き込みやがって! ここで決着をつけてやるっ!!」
「だから誤解だっっ!」
マジックは訴えた。さすがにここで『やだなあ、シンちゃん、パパがそんなことするわけないじゃないか』と言うほど愚鈍ではない。
キレた長男は全く聞く耳を持っていなかった。
「問答無用ッッ!」
シンタローは完全にマジックに狙いを定め、両手を構えた。それまでたゆたっていた遠慮が消えていた。
「よけろ、パプワ! ……眼魔砲――――ッツッ!!!」
――ちゅっどおォ~んっ!!
「うぎゃあぁぁーっっ!」
マジックは吹き飛ばされた。シリアスなら、片手で軽くシンタローの技を受けとめ、握り潰すところだが、いかんせんこの話はギャグであった。
一方、
「そらおまへんえ、シンタローはーんっ!」
「なんでオラ達まで……っ」
「最後まで巻き添えになるんだっちゃかーっ」
爆風の反動で、後方のアラシヤマたちもふっ飛ばされていた。殆ど小さな核爆弾である。放射能が出ない分、環境に優しいかもしれないが――って、それは別の話だ。
「「さよーならーっ」」
「おー達者でーっっ」
ひゅるるるる……
散々っぱら引っぱり回された挙句の、あまりといえばあまりの、ムゴい退場だった。……さらばだ、縁があったらまた会おう。
煙が消えた時、そこに立っていたのは、パプワと彼に抱えられたチャッピー、そして眼魔砲を撃ったシンタローだけだった。
シンタロー自身はともかく、この破壊の真っ只中で何の影響も受けていないパプワは、ただ者ではない。やはり世界最強のお子様なのかもしれなかった。
「わーいわーい、大爆発ー!」
日の丸扇子を持って、パプワは下ろしたチャッピーと共に踊っている。
シンタローは、片膝をついているマジックに、じり、とにじり寄った。南国の太陽は夕日に移行しつつあった。
「……そろそろ終わりにしようぜ、親父!」
マジックが、くっと唇を歪め、立ち上がる。
「よかろう、これが最後だ……」
再び、父と息子の力がぶつかり合おうとしていた。今度こそ、お互いただでは済むまい。もはや当初の目的から完全にずれていた。確か、祝いの言葉を言わせるかどうかで鬼ごっこをしていたのではなかったのだろうか、力比べをしてどーする。
張り詰めた空気が二人の間に流れる。
それを縫って、同じく巻き込まれたガンマ団員が、マジックの傍に這うように近付き、耳打ちした。
「総帥……お取り込み中の処恐縮ですが、そろそろ本部にお戻りになりませんと、その……未決済書類が――」
マジックが一瞬固まる。悲しき支配職だった。
「……と言いたいところだが、シンタロー! 勝負は一度預ける」
「な……っ!」
思わず絶句するシンタロー。何もこの場で撤退しなくても……。してくれた方が嬉しいが、タイミング的にひどく腹が立つ。
「だったら、最初から思いっきし無駄なことすんじゃねえよ、父親!」
「よんどころない事情だ。安心しろ、また来るよ、シンちゃん♪」
「二度と来んでいいッッ!」
精神的に中指を突き立てながら、シンタローは怒鳴った。……間違っても己れの親相手にするポーズではない。
「今度来やがったらコンクリ詰めにしてやっかんな!! 覚えとけッ!」
シンタローの剣幕に、マジックは肩をすくめた。親子の溝はまだ深い。退却したほうがいいようだ。
「じゃあね~っ」
すったかたったー……
手を振り、あっという間に、マジックは部下ともども逃げ足を発揮していた。まったくうちの艦隊は逃げる演技ばかり上手くなって――おっと、これは銀○伝。
シンタローはマジックの消えた方角に蹴を入れた。
「けっ。一日振り回させやがって」
指を頭の後ろで組み、これも無事だったパプワハウスに身を返す。シンタローの力のコントロールがうまかったのか、はたまた家が丈夫なのか。
「あーあ、骨折り損のくたびれ儲けだぜ。――腹減ったろ、パプワ。今、飯の支度するからな」
「……シンタロー」
「あんだよ?」
「いいのか?」
パプワの問いかけに、シンタローは眉をひそめた。
「どーゆー意味だよ」
「親は大事にせんとばちがあたるぞ」
子供に言われても、いまひとつ説得力がない。もっとも当の親が言ったら、いまみっつくらいない。幼児が一錠、成人三錠、何だか薬の分量みたいである。
「はん! 知ったことかよ」
すねているようにも見えるそぶりで、シンタローは更に足を運ぶ。
……まだ、間に合う。心の奥底の、小さなささやき。
ドアに手を掛けかけて、
「――パプワ」
ためらいがちに、シンタローは訊ねた。
「食事……もう少し待てるか……?」
「別に僕は構わんゾ。さっきお菓子をもらったしな」
「わうわうわう!」
シンタローは把手から手を離した。
「すまねぇ、パプワ!」
タッとシンタローは駆け出した。その後を、パプワがチャッピーと一緒に追いかけてゆく。
マジックが艦を着けた場所は、地形からいっておそらく前に押しかけてきた時と同じだ。
その附近に出る、海岸への近道をシンタローは走った。心の中で、自分同士が喧嘩している。
「間に合ってくれ……!」
道の両脇の茂み。増えてくるヤシの木。
ここを抜ければ――…
「動力系統、異常ありません。いつでも発てます」
「……総帥、そろそろ――」
幾分控えめに、部下が促す。マジックは島を見つめ、頷いた。
「ああ……」
結局目的は果たせなかったが、充実した一日だったのは確かだ。今回はそれでよしとせねばなるまい。次の機会を伺うことにしよう。……つくづくはたメーワクな壮年であった。
「シンタロー、今日は見逃してあげるよ」
……突然、視界が開けた。鮮やかな夕陽に赤く乱反射する海。
眩みそうになり、シンタローは目を細めた。
「到ちゃぁーくっ」
パプワが代わりに言った。シンタローは瞬間的に頭をめぐらした。逆光だ。
どうやら、ぎりぎりセーフだったらしい。
「――親父!」
ザッ! シンタローはジャンプして、シルエットの前に着地した。
「シンタロー……」
マジックは驚きと戸惑いをないまぜにした瞳で、最愛の息子を見やった。
「どうした。わざわざ見送りにきてくれたとも思えんが……。どうしても決着をつけなきゃならないかい?」
「あ……えっと、その……」
シンタローは言いよどんだ。この期に及んで踏ん切りのつかない、決断力の無さが恨めしい。
「総帥、もう時間が――」
促す声。マジックはシンタローに背を向けた。
パプワはシンタローを仰ぎ見て、服の裾をきゅっと掴んだ。シンタローはそれを見下ろす。
これを逃したら、もう言えない。
「……親父っ」
マジックは再度シンタローを振り向いた。
「先刻から、何だ?」
「親――。父さん」
シンタローは、こめかみを照れ臭げに掻き、思いきり息を吸い込んだ。
「……誕生日、おめでとよ」
結局言うのか、シンタロー。初めからこうしていれば、ふっとばされていったきりの被害者も出ずに済んだものを、親子揃って迷惑なシンタローとマジックだった。あまり迷惑迷惑言っていると、昔懐かしアークダーマが出るかもしれない。要注意である。
不思議そうに、マジックが息子を見つめなおす。シンタローはぶっきらぼうに言い足した。
「大サービスだ! ……本っ当に、おまけでついでに言ってやったんだからな!!」
マジックは微笑を刻んだ。――僅かにして鮮やかな、笑み。
「――何処に隠してあるのかは知らんが、今度来る時は、秘石を返してもらうからな」
カムフラージュなしで一日そのままにして、秘石の在処がばれなかったのが謎である。やはりガンマ団というのはマヌケ揃いかもしれない。
「……だぁーっ! 二度と来るなって言ってっだろーがっっ! 用は済んだろ、早く帰れよッ!!」
半ば照れ隠しの怒鳴り声。
「そうしよう。――出るぞ」
マジックは艦の中に消えた。ハッチが閉まる。
潜水艦は次第に海中に沈んでいった。
それを見送って、シンタローは大きく息を吐き出した。
「終わったな……。さてと、帰るか、パプワ」
シンタローは傍らのパプワを眺めやった。ぎろりとパプワがねめつける。
「ところでシンタロー。おまえ、今日家事さぼったな」
「……え……」
突然の豹変に、シンタローは状況を把握できなかった。それについては了承済みだったのではなかったか?
「飯も作らんと、何をこんなところでだらけてる! さっさと夕飯にせんかい!」
「ち……ちょっと待てよっ。だっておまえが、構わないって言っ……」
「言い訳するのか! まァーだ自分の立場を本気で判っとらんようだな。――チャッピー!!」
「あおーん!」
がぷっ
チャッピーの牙の間にシンタローの頭はあった。
「うっぎゃあぁ~~っっ!! すみませんごめんなさい、ご主人様、わたくしが悪うございましたぁぁ~~~ッ!」
流血しながら、シンタローが右往左往する。たとえどんな不条理な事由でも、決してパプワに逆らうことは許されないということを、身体で理解させられたシンタローだった。
――冒頭の答え。結局、彼の立場は召使いであるらしかった。
「……申し訳ございません! 許してください、今すぐ支度させていただきますーッッ!!」
陽の沈みかけた海岸を、二人と一匹の影が駆け去っていった。
「マジック総帥、取り敢えずこちらの書類にサインをお願いいたします」
帰途の潜水艦の中で、早速マジックは書類責めに遭っていた。
「………」
「――総帥?」
『誕生日、おめでとよ』
おめでとよ……おめでとよ……おめでとよ………
別れ際のシンタローの言葉が、マジックの頭の中をこだましていた。
「ふっ……ふふふふふ……」
「あのォ~……もしもぉーし、総帥……?」
恐る恐る呼びかける団員の声など、マジックの耳には届いていなかった。
じーん…… 感動に、シンちゃん人形を抱き締めたまま、マジックは浸りきっている。呼ぶだけ無駄であった。正気に戻る頃には、書類の山で窒息死すること受け合いである。
「ふふふ……。シンちゃん♪ また行くからね♪♪」
紆余曲折の末、この年の十二月十二日は、ちょっと幸福なままに終わったマジックだった――。
「おたんじょうびおめでとう、パパ」
「ありがとう、シンちゃん。とっても嬉しいよ」
「ほんと? じゃあね、ぼく、大人になっても毎年パパに言ってあげるね! ずっと、ずーっと!!」
……遠い、記憶の涯の約束――
――HAPPY BIRTHDAY!
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