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高松はふぅっと息を吐き出した。
「もう起きて結構ですよ」
ウィローは検査台から身を起こした。頭をぷるぷると振る。
「……こんなもん、長ゃあこと受けとらんかったがや。ちーとびっくりこいてまったて」
「そうですね。年二回の総合健康診断はともかくとして、精密検査は――確か、君がガンマ団の団員候補生になってまもない頃以来ですか」
当時、まだ子供の域を脱していなかったウィローを、連日連夜の研究実験に付き合わせ、過労で寝込ませたことのある高松である。もっともそれは、彼がウィローを半人前扱いせず、対等な研究仲間としてみていたということでもあったから、ウィローは負の感情は抱かなかった。むしろそこで、高松の絶対的な信奉者となったのだ。
「ほうだったなも」
「さて……そろそろアラシヤマくんが血相を変えて飛び込んでくる頃ですねぇ。一旦出ますか。ああ、グンマ様、また戻りますから機械はそのままにしておいて構いませんよ」
「うん、判った」
グンマはモニターの傍を離れた。当然のように、高松に寄り添う。
「……名古屋くん、ひとつ訊きますが」
「?」
高松に呼ばれて、検査台から降りようとしていたウィローはそちらを仰いだ。
「随分とアラシヤマくんのことを気に入っているようですが、何か特別な理由でもあるんですか?」
ウィローは春の野原のような笑い方をした。
「内緒だぎゃ」
「あああ……ウィローはんどないなことされとるんやろ」
律儀に壁拭きしてからぐしょ濡れの制服を替え、アラシヤマは医局フロアに引き返してきた。
彼が室内に入ろうとするのと、検査室の扉が開くのとは同時だった。
出てきたウィローはアラシヤマの姿を認めると、満面の笑顔になり、飛びついてきた。
不安でどうしようもないまま本部をうろついた挙句に目にしたアラシヤマは、実はウィローにとって刷り込みに似た状態を催させる存在であったのだ。無論、親と思ったわけはないが、安心できる存在、保護してくれる存在として、ウィローの中では位置付けられていたのだった。
「ウィローはん! 何ともあらしまへんか!?」
アラシヤマはウィローを抱き上げた。
「平気だぎゃあ。ドクターは名医だでよ」
「……そうですとも。本当に君には信頼されてませんねぇ」
後から出てきた高松は不満そうな顔をしていた。もっと不満そうなのは傍らのグンマであったが。グンマにしてみれば、高松がパーフェクトなのだから。
「高松に失礼だろ!」
「かまいませんよ、グンマ様」
むくれるグンマをなだめ、高松はウィローの方に目線をスライドさせた。
「もう少しで総合結果が出せますから、お茶でも飲んできて結構ですよ。……ところで、名古屋くん。例の薬はまだ残っているんですか?」
「ワシの研究室にあるぎゃあ」
「では、後で持ってきてもらえませんか。中和薬を作るのに、成分分析が必要ですから……」
「判ったがや。持ってくるて。行こみゃあかあ(行こうよ)」
ウィローは自分を抱いているアラシヤマを促した。既に足代わりである。
アラシヤマと彼に連れられたウィローの姿が見えなくなったところで、高松は吐息した。
「それにしても厄介ですねぇ……」
「どうしたの、高松?」
きょんと、グンマは高松を見た。
「いえ……。別に安請け合いしたつもりはありませんが、名古屋くんの薬の作り方というのはかなり特殊ですから、私が再現するには少々苦労するかもしれないと思いまして」
真面目な顔で、高松は答えた。たしかに、黒魔術に基づいた魔法薬を科学的見地から作り出すのは、いささか骨の折れる作業になるだろう。
グンマはくすっと笑った。
「大丈夫だよ。僕の高松にできないことがあるわけないじゃないか」
「グンマ様……」
部外者侵入不可の二人の世界。そこだけ空気は薔薇色に染められていた。
とぷんと、全ての元凶の薬を小さな壺ですくう。
背の高さが足りずに椅子に乗って甕の中に手をつっこんでいたウィローは、今度こそは失敗すまいと、きっちり蓋をしてから床に下りた。
アラシヤマは薄ら寒そうに首をすくめ、ウィローの研究室を眺め回していた。
飾り付けが不気味なだけではない。本棚に並んでいるのは、どれも怪しげな黒魔術の手引書である。古ぼけ、あちこち補修してあるところからいって、年代物なのは間違いない。
「それは爺っさまからもらったんだぎゃあ。ワシの爺っさまは大魔道士なんだて。いつかワシも、偉ぇ魔法使いになりてゃあんだわ」
「そ……そうなんどすか……。おきばりやす……」
魔女狩り、中世ヨーロッパ、黒猫――そういった単語がアラシヤマの脳裏ではぐるぐると回転していた。所詮彼の想像力ではこれが限界である。
「あ~、えーと、ウィローはん、その薬はどんな材料でできとるんどすか?」
ウィローをこの姿に変えてしまう効力をもつ薬だ。一体何が使われているのか。
「これきゃあ?」
ウィローは薬壷をたぽんと揺らした。
「これはカエルの足を煎じた中に、をちこちとなごやんと坂角ゆかりときしめんパイときんさんぎんさんのブロマイドを入れて、最後にういろうで仕上げたんだぎゃあ。……それぞれを入れるタイミングがうまくいかんくって、なかなかできーせんかったんだけどよ」
……なるほど、黒魔術名古屋風である。
「もう用は済んだぎゃあ。出よみゃあ」
ウィローの言葉に、アラシヤマはあからさまにほっとした表情を浮かべた。初めてこの部屋を訪れることになったわけだが、これを最後にしたいと彼は切実に思っていた。
「そうどすな、出まひょ出まひょっ」
すったかすったか先にたって退出しようとするアラシヤマを、ウィローはその場に立ったまま仰ぎ見た。
「……おんぶ」
アラシヤマは一呼吸のあいだ一時停止し、ウィローの方を振り向いた。
元からかなり甘えん坊な性格が、子供化することで助長されたものらしい。
「はいはいはいっ」
渋々といったていでしゃがみこみながら、結局ほのかな幸せをアラシヤマは感じていた。
ウィローをおぶってやり、すっくと立ち上がる。重さなどないも同然だった。弾みをつけるように背負いなおして、アラシヤマは扉に手を掛けた。
通路のつきあたりにある研究室を出、歩きだす。その髪の毛を、ウィローはくいっとひっぱった。
「腹減ったがや!」
髪を掴まれたことに文句も言わず、アラシヤマは腕時計を見た。その間だけウィローを片手で支えることになってしまったが、それは致し方ない。
「ああ……もう昼をだいぶ回っとるんやな。そうどすな、ドクターがお茶にしてきてええて言うてはったことどすし、何か食べまひょか」
アラシヤマの返事に、背中でぴょいぴょい跳ねるようにウィローが身動きする。
「あきまへんて、ウィローはん! 暴れたら危険やてさっきも注意したでっしゃろ?」
「……ん」
ウィローは、アラシヤマの首にしっかりしがみついた。
「そうそう。したら、食堂に行きましょなァ」
アラシヤマはウィローをおぶった状態で階段を昇っていった。ちびウィローが人混みにつぶされるのを懸念して、最初から、エレベーターを手段から排除する辺り、とことん他人を優先する彼であった。
「何か食べたいものはおますか?」
アラシヤマは空いていたテーブルの一つに陣取り、帽子を膝の上に抱えたウィローに訊いた。
「お子さまランチーっ!」
「ウィローはん、ウィローはん……」
アラシヤマは額を押さえた。
「そないなもんあらしまへん」
「嫌だぎゃあ! ワシ、ぜってゃあお子さまランチを食べてゃあんだがや! 味ねゃあもんは食わーせんぎゃあ!!(まずいものは食べないぞ!!)」
「ないもんはないんどすっ」
「ううぅ……」
すねて、ウィローは上目遣いにアラシヤマを見た。アラシヤマは深いため息をついた。
子供っぽい言動をするかと思えば意外と元のままで、大人としての態度を示しているかと思うと突然幼児性が顔を覗かせる。一体どちらが本物なのだろう。
「……だったらこうしまひょ」
アラシヤマは、胸ポケットから支給品の手帳を取り出し、未使用のページを一枚破った。更にそれを分割しておいて、テーブルに置かれているケースの爪楊枝を抜き取り、縁を巻き付ける。
その紙にペンで赤丸をかいて、アラシヤマはウィローの目の前にそれを差し出した。
「即興やけど、日の丸の旗どすわ。チキンライスか何か選んで、これを立てたら、少しは気分が出るんやありまへんか? これで我慢してや」
嬉しそうに笑って、ウィローは頷いた。アラシヤマは安堵の吐息をこぼした。
「じゃあ、チキンライスと、あとオレンジジュースくらいで……わては日替わりランチにしとこかいなぁ……」
「プリンも欲しいぎゃあ!」
「あー、はいはい。デザートもいるんどすな」
「アラシヤマでねえべか」
オーダーを考えているアラシヤマに、声がかけられた。
「え?」
人の気配の方に視線を向けると、ミヤギとトットリがテーブルの前にいた。
彼らがわざわざアラシヤマを呼ぶ。これがどれほど希有な事態に属する事柄であることか。日頃は完全に毛嫌いして無視してのけるのだから。この滅多にない状況を引き起こさせたのは、アラシヤマの隣で床に届かない足をぶらぶらさせているウィローに相違なかった。
「これが、子供にかえってしまったっちゅう、名古屋の外郎売りだべか?」
ちなみに、知らない方へ。外郎売りとは別に名古屋名物『ういろう』を訪問販売しているわけではなく、一種の薬売りのことである。
「本当に小さな子供になってしまってるっちゃね」
ウィローはじぃっと二人を見上げた。ずっと視線を揺るがせることがない。
「魔法使いもこうしとればただのガキだべなァ」
ミヤギは指でウィローの額をつついた。
「なにしはるんどす! ウィローはんに手ぇ出さんでや!」
「ちっとぐらいええべさ」
ミヤギは更にウィローをつんつくつつきまわそうとした。
がぷっ。
「ぎゃっ!」
ミヤギは手を引っ込めた。ウィローが思いきり指に噛みついたのだ。
「何すっべ! このクソガキ!!」
ミヤギはウィローを怒鳴りつけた。
「人の指を噛むでねえ!!」
ウィローはまっすぐにミヤギを見つめていたが、彼の握り拳を目にするとびくっと身を縮めた。
「う……う……うぅ……」
顔をぐしゃぐしゃに歪める。
「ぴえええぇぇーっっ!!」
ウィローは大きな泣き声をあげた。
テーブル上の箸立てが突然宙に浮き、ミヤギの頬を掠めた。ふよふよとソース入れが空中で躍っている。殆どポルターガイストであった。
アラシヤマは瞬時にウィローを抱え込んで、ミヤギをねめつけた。
「ウィローはんを泣かしはったな!」
「うええぇーっ!」
騒霊現象はアラシヤマに庇護された時点ですぐにおさまったが、ぼろぼろと、次から次へと涙を量産させ、振りまきながら原因のウィローは泣きわめく。まったくよく泣く奴である。
「びえぇーん!!」
「……ミヤギくんが悪いんだっちゃよ」
トットリはぼそっと呟いた。
「そんなこと言ってもオラは知らねえべ! 泣かそうと思ったわけでねえべよっ!」
「ウィローはんを……泣かしよったな……」
地面から這い上がってくるようなアラシヤマの声音。ミヤギは硬直した。
「まっ……待つだよ、アラシヤマっ! 話せば判るべ!!」
「問答無用どすッ!! 平等院鳳凰堂極楽鳥の舞ッッ!!!」
「うぎゃあ~~っっ!」
「ふえーん!」
「わーっ! ミヤギくんが燃えちょるー!! ……いでよ、脳天気雲ォーって、しまった! 今、僕、ゲタ履いてなかったわいや!!」
どうでもいいが、場所は昼日中の食堂である……。
不幸にもその時そこにいた団員たちは、逃げるに逃げられず遠巻きにするよりなかった。これが、時に要人暗殺を請け負うこともあるガンマ団屈指のエリートたちのいさかいごととは、とても信じられない。
場所限定で、決して周囲に被害が広がらないのが、特殊能力が完全にコントロールされている証拠なのだが、見ている方にとっては、だからといって心安まるはずもない。
そんな時、騒ぎの中心部に、恐れる様子もなく悠然として近付いてゆく者がいた。
「うるせぇのー、ぬしら……。せっかくのメシが落ち着いて食えなくなるじゃろうが」
カキフライ定食の盆を左手に乗せた武者のコージであった。コージは右親指で背後を指した。
「アラシヤマ、ええ加減、火を消しちゃりぃ。みんな怯えとるけんのォ」
「……コージはん」
アラシヤマはくいっと手首を返した。同時にミヤギを焦がしていた炎が消滅する。
「ミヤギくん、大丈夫だっちゃか!?」
「ア……ア、アラシヤマ……おめ、今度覚悟しとけよ!」
黒焦げ寸前で、へたりこんだミヤギはぜいぜいと肩で息をした。
「最初に悪いのはあんさんどす!」
アラシヤマは、まだ燃やし足りないと言いたげな顔でミヤギを睨んでから、ウィローに向き直った。
「ウィローはん、もう怖くありまへんえ」
「うっく……ぐしゅ……ひゅぐひゅぐ……」
ウィローはしゃくり上げていたが、アラシヤマに頭を撫でられると唇を引き結び、目をごしごしとこすった。
ミヤギは床との親交を断ち切って立ち上がった。
事の顛末を見届けてから、一人だけのどかな声をコージは出した。
「よーし、ここの所は丸くおさまったようじゃのぉ」
これをおさまったといえるのかどうかは定かではないが、一応騒ぎは終息している。別に計算したつもりもなくコージは最良のタイミングで割って入ったのだった。
「ああ、どうせじゃから、みんなでメシにせんかの? わしも入らせてもらうけん」
彼は盆をテーブルに置いた。さりげなく、さして意図したわけではなしにいざこざの再燃を阻止させる行動をとるコージであった。
「……で、何どすか、あんさんら! なんで医務室までついてくるんどす」
アラシヤマはぎろりと同行者を睨みつけた。
「別に深い意味はねぇべ」
「僕はミヤギくんと一緒に歩いちょるだけだっちゃわいや」
「なんか面白そうじゃけんのー」
過去の恐怖は何処へやら、かつてドクター高松のおもちゃにされた面々が、揃いも揃ってその元に向かっているのだった。
「知りまへんえ、どうなっても!」
ウィローはアラシヤマに抱かれながら、ついてくる三人の顔をきょときょとと見比べていた。どうやら、アラシヤマ以外にだっこされるなら、他より飛び抜けて背の高いコージだな、と考えていたらしい。
ウィローは身を乗り出して、コージの制服を掴もうとするように手を伸ばした。
「こら! ウィローはん、おとなしくしとりって何べんゆうたら判るんどす」
「だっこーっ!」
「しとるやろ?」
「ほうでねゃあて! あっち!」
ウィローは左手でコージを指差した。アラシヤマは立ち止まり、腕の中の存在と指された相手とを交互に見た。
「コージはんに抱いとってほしいんどすか?」
大きくウィローは頷いた。
「わては別にええどすけど……」
自分にいつも変わらぬ調子で接してくる数少ない人間に、アラシヤマは窺うような目線を投げかける。豪快に笑ってコージは許諾した。
「おお、わしは構わんけん、来いや」
アラシヤマは、それなら、という表情でウィローを託した。コージはウィローを抱き取ると、たかいたかいの要領でひょいっと掲げた。やっている者の身長が身長なだけに、通路の天井に届かんばかりだ。
「ほーれ、高いじゃろ」
コージは目をまんまるくしているウィローに笑みを向けた。にこにことしたまま彼は話しかけた。
「ただ抱かれとーもつまらんじゃろ。肩車にするかのぉ? そうじゃ、そのまま肩に担いで座らせちゃろかの」
「肩車がええぎゃあ」
「コージはん、危ないことはやめておくんなはれ。ウィローはんもそんなことをねだらんといておくれやす」
アラシヤマは渋い顔で豪放な同僚を仰視した。コージは臆した様子はない。
「わははは、アラシヤマ、ぬしも肝っ玉が小せぇのォ」
「そういう問題とちゃいます!」
「肩車、肩車ーっ!」
ウィローはばたばたと手足をばたつかせた。行動パターンがどんどん本物の子供に近付いている。コージは掲げ上げていたウィローをすとんと両肩の間に下ろしてやった。
「ちゃんと支えてやっとればええんじゃろうが? 安心せい、気はつけとるけんのー」
きゃいきゃいと喜んでいるウィローのはしゃぎぶりを目にして、アラシヤマは諦めたように呼気を漏らした。今更言っても無駄だ。
「何じゃったら、ぬしも乗せちゃるがの」
至極何気なさそうなコージの言葉に、アラシヤマはびくぅっとした。うつむいて両手の人差し指の先をつつき合わせる。
「えっ、そんな……わてはっ……その」
……もじもじモジ文字明朝文字……
『ドキドキ』に次ぐよく判らない擬音を漂わせ、ちらちらとコージを盗み見る。ちょっと嬉しいかもしれない実は甘えんぼさんのアラシヤマであった。
「でもわては……えぇとォ……」
「何を赤うなっとんじゃ?」
心底不思議そうにコージは問うた。自分のその言葉で相手がはにかむ、という心情が判らない。
「べっ、別に赤面なんかしとりまへんッッ」
アラシヤマはそっぽを向いた。ミヤギは嫌味がちなからかい口調をかけた。
「アラシヤマ、おめ、照れとんだべー? ひねくれとるわりに単純だべな」
「……ミヤギはん……あんさん、もっと燃やされとうおますのんか……?」
「冗談だべっ!」
必殺技の構えをとりかけるアラシヤマに、両手を前に突き出してストップポーズをミヤギがする。
アラシヤマはちっと舌打ちした。
彼は構えを解いて、ウィローを肩車した斜め上のコージを見、断りを入れた。
「わては――ええどす。遠慮しときますわ」
「そうか? 面白そうじゃと思ったんじゃがのぉ」
「とにかく急ぎますえ。時間は過ぎとるんどす」
殊更に硬い声で告げ、複雑な面持ちで先を進む彼がそこにはいた。
「はあぁぁー……」
医務室の前で、アラシヤマは深呼吸した。
基本的に各部屋にオートロック機構が働いている中、解除の必要もなく二十四時間無制限に入室可能な、数少ないフロアである。何しろ急患は日常茶飯事なのだ。しかし好きこのんでやってきたくもなかった。
アラシヤマはコージとその上に乗せられているウィローに向きなおった。
「……で、コージはん、そのまんまやとどんなに体を屈めてもウィローはんが上の壁にぶつかりまっせ」
「おー、そうじゃのォ」
扉の高さは一・九メートル。常でも頭を低くして通り抜けることになるコージが他人を肩車していたら、相手は完璧に鴨居とでも呼ぶべきドアの上の仕切りに激突してしまう。
「待っちゃりい、今下ろすけん」
コージは肩の上のウィローを頭の後ろから前へまわし、抱き直そうとした。それをすかさず奪うように、アラシヤマはウィローの身柄を受け取る。
「あ、こりゃ、ぬし……」
「はいはい、ウィローはん、わてがもっぺんだっこしたりましょなァ」
アラシヤマはウィローを抱え込み、意を決したように扉を開けた。一歩進み出て光景を視界に映して、四半瞬戸惑う。
瓦礫と浸水にみまわれたはずの室内は、きれいに修復されている。工部担当の団員の有能さがうかがわれた。
「随分とごゆっくりでしたねぇ。おまけに余分な付録まで引き連れて……」
高松は椅子に深く腰掛け、泰然自若としてアラシヤマを迎えた。既に工作室に戻ったのだろう、グンマの姿はなかった。
「わてが連れてきたわけやあらしまへんっ!」
「まあいいでしょう。邪魔になるわけでもありませんから。……ところで、もう結果は出てますよ」
アラシヤマは傍までやってきて、ウィローを患者サイドの椅子に下ろした。ぞろぞろと、他の三人も寄ってきた。
「それで、どうだったんきゃあも?」
ウィローの問いかけに、組んでいた指を解き、高松はプリントアウトした紙を手にした。
「立派なものですね。オール異常なし。……ここまで一気に変化していて、身体的に何ら負担がかかっていないのは見事としか言いようがありませんね。薬の副作用といえるものもないようですし……。さすがですよ、名古屋くん」
高松は優秀な弟子を誉める師の表情で返答した。用紙に視線を落とす。
「ただ……」
「ただ、何どす!?」
「六歳児基準としてもかなり血圧が低いですねぇ。元からですが、少々ヘマトクリット値に難がありますし。名古屋くん、偏食の癖、直しましょうね」
「……努力するぎゃあ……」
「あとは――運動能力ですが、やはり六歳児平均で少し劣りますか。まあ、体格が全面的にマイナス十パーセント範囲ですから、判らなくもありませんけどね」
ウィローは首をすくめて、アラシヤマは固唾を飲んで、他の三人は興味半分に、高松の言葉を聞いている。
「それから――。実年齢でみて、IQ一四五……変わってませんねー♪」
「ひゃぐよんずうごォーっ? おめ、そんなに知能指数高かったんだべか!?」
ミヤギは思わず怪しいものでも見るような目でウィローを見つめた。
IQ一四五といったら、区分では『天才』にあたる。平均値を一〇〇として九〇~一一〇が普通とされるのだ。測り方によっても同一人で極端に差が出るものではあるが、入団テストに合格した者の平均値からの結果としての数値らしい。
「オラ、一〇〇ちょうどだべ」
「僕は九八だっちゃよ……?」
ミヤギとトットリが呟いた一拍後に、もう一人の傍観者がぼそりと声を発した。
「……わしは……九一じゃ」
一瞬空気が凍結した。
「だーっ! あんさんらのIQなんか、この際どうでもよろしおすがな!!」
アラシヤマは振り返り、憤怒の形相で怒鳴った。
「そういうぬしはいくつなんじゃ」
「そうだわいや」
「教えるべ、アラシヤマ」
アラシヤマは三人を等分に眺めやり、しばし無言を保った。それからつまらなそうに答える。
「……わては一二〇どす。それがあんさん達に何や関係あるんどすか」
「なんだとォ!?」
ミヤギは疑わしげな声を出した。このやたら暗くてひねくれ者の京都人が自分の一・二倍の知能指数だとは。嫌っている相手が自分より優秀である時ほど憎いことはない。
「確か、アラシヤマくんは高等課程を二年ほど飛び級してますものね」
高松はしたり顔で頷いた。ちなみにこれはオリジナル設定なので、本編とくい違っていてもとやかく言ってはいけない。個人的趣味というものである。
「それで、記憶のほうは……?」
「ああ、部分的な記憶の欠落は、薬そのもののせいというより、己れの変化に対する精神的衝撃の為でしょうね。焦れば焦るほど物事を思い出せない、という現象の大規模なものだと考えていいと思います。……検査結果はこんなところですね。そうそう、名古屋くん、例の薬は持ってきてもらえましたか?」
「これだがね、ドクター」
ウィローは薬壺を差し出した。高松は受け取り、とっくり型のそれをしげしげと見やった。
「これが……。では、やってみましょう。二、三日中にできあがるといいんですが」
高松は考え込むようなそぶりをした。
「しかし……実際に同条件で試行錯誤してみなくては、本当に中和薬として充分な効果を持つものになっているかどうか判りませんね。飲み直しさせるわけにはいかないし……」
……ちらり
高松の生暖かい視線がミヤギ、トットリ、コージを薄切りハムのようにスライスした。
「え……?」
音を立てずに高松は椅子から身を起こした。
「感謝しますよォ、アラシヤマくん。『余分な付録まで連れて』なんて言ったりして申し訳ありませんねぇ」
高松は薬の蓋を開け、三人ににじり寄った。
「な、何だべさ、ドクターっ!」
「どうするんだっちゃか!?」
「何をする気じゃっっ!」
彼らは後ろに下がろうとした。
「そりゃ勿論――」
高松はにやりと悪魔の嗤いを刷いた。ちろっとヘビの舌が覗いたように思うのは気のせいだろうか。
「――こうするんですよッ」
言いざま、高松は神業のごとき素早さで三人に魔法薬を飲ませた。
ごっくん
こくんっ
ごくっ
「げええぇ~っっ!!」
ムンクの『叫び』を実演するミヤギ。
顔面蒼白のまま凍りつくトットリ。
口元を押さえるコージ。
彼らにとっては永遠にも近かったそれは、二秒に満たない時間だった。
……ボンッ ポン ボワンッ
煙が立て続けに上がる。それが治まった時、そこにいたのは……。
「うーん、おみごと♪」
高松はにぃーっこりと微笑んだ。完璧かつ速効性の、実に使い勝手の良い薬だ。
彼の前には、やはり五、六歳児と思われる三人の『子供』がいた。うち一人は、それより年長と見るべきほどずば抜けて体格が大きい。無論、紛うかたなきコージである。そして平均値キープの東北ミヤギ、ちびウィローレベルのトットリだった。
「トットリぃー!」
「ミヤギくんーっ!」
ミヤギとトットリはがしっと抱き合った。
「僕達……」
「子供になっちまったべーっっ!!」
二人はおいおいと泣き叫んでいる。コージは高松を仰いだ。日頃は決してありえないアオリである。
「ドクター! なんてことをするんじゃッ!!」
高松は、余裕の笑みをたゆたわせていた。
「君たちなら、試作薬を繰り返し与えても平気ですね。頑張ってモルモットになって下さい」
死刑宣告にも似た発言だった。
「何しろ名古屋くんは私の大事な助手ですから、完成品でなくては、飲ませるわけにはいきませんのでね。なァ~に、中和薬完成の暁には君たちも元に戻れますよ」
その前に怪しい試作薬を立て続けに投与されてこの世とおさらばしていなければ、の話である。
アラシヤマは襲い来る眩暈と戦っていた。そうだ、高松はこういう人間なのだ……。
水を得た魚、とはこういうものを指すのだろうか、マッドなドクターは被験体を手に入れて生き生きと楽しそうに眺め回している。この様子なら、無関係の実験にまで使い回すのではないだろうか。
どうなっても知らない、と同僚三人に言った台詞が、現実のものとしてアラシヤマに重くのしかかっていた。
「ミヤギくーん! 僕、まだ死にたくないっちゃよーっ!」
「オラもだべー! オラたちどうなるんだべかーっ!!」
「早く元に戻さんとキヌガサくんが黙っとらんけんのー!!」
三人は口々に喚いている。
「薬が完成するまで存分に試してあげますから、どうぞ安心して下さい」
高松は大事そうにまだ残してある薬に封をして、にたりと嗤った。
「せいぜい期待していてもらいましょうかねぇ~」
「ああ……頭痛が痛い……」
ウィローは高松の様子に眉をひそめるでもなく、興味深げに眺めやっている。結局いつも自分がやっていることと変わりないのだから、アラシヤマのように頭を痛めるはずもなかった。
「さてと、そういうことですから、名古屋くんとアラシヤマくん、引き取って結構ですよ。何か製薬上訊きたい事が出てくるか、中和薬ができあがったら呼びますから」
「ほうきゃあも。待っとるぎゃあ」
首肯して、ウィローは椅子から下りた。
「行こみゃあ」
「そ……そうどすな……」
アラシヤマは、子供の姿にむりやりさせられてしまった三人の同僚を、いたましげな眼差しで見やった。間接的に自分の責任がないとは言えない。
「許しとくれやす……」
呟いて、入口に歩きだしかける。そこでアラシヤマははたと気付いた。
「あ、あの、ドクター? できあがったら、って、まさか、わて、それまで……」
「何です? 薬の完成まで、ちゃんと名古屋くんの面倒を見てて下さいよ」
「………。やっぱりそうなんどすな……」
あくまで、高松に託すまでその世話をしてやっていたはずなのだが、最後までそうする羽目になったようだった。もっとも過剰なほどに保護者と化していた自分がいたことは否めない。
アラシヤマはウィローの肩を押して医務室を出た。
「あ、ほうだったわ!」
ウィローは退出したところでくるりと振り返った。
「ドクター、ワシ、いつも変化パターンの薬はういろう、元に戻すもんにはないろを使うんだがや。……役に立つかなも?」
「ないろ……」
ほんの僅かな間高松は顔をこわばらせていたようだったが、すぐに笑みを浮かべた。
「判りました。試してみますよ。……しかし、ガンマ団購買部にありますかね……」
ウィローとアラシヤマを見送ってから、高松は残った三人に獲物を見るような視線を向けた。
「さぁ~て、君たちをどう料理しましょうかねぇ……?」
彼らの運命は風前の灯かもしれなかった。
高松はふぅっと息を吐き出した。
「もう起きて結構ですよ」
ウィローは検査台から身を起こした。頭をぷるぷると振る。
「……こんなもん、長ゃあこと受けとらんかったがや。ちーとびっくりこいてまったて」
「そうですね。年二回の総合健康診断はともかくとして、精密検査は――確か、君がガンマ団の団員候補生になってまもない頃以来ですか」
当時、まだ子供の域を脱していなかったウィローを、連日連夜の研究実験に付き合わせ、過労で寝込ませたことのある高松である。もっともそれは、彼がウィローを半人前扱いせず、対等な研究仲間としてみていたということでもあったから、ウィローは負の感情は抱かなかった。むしろそこで、高松の絶対的な信奉者となったのだ。
「ほうだったなも」
「さて……そろそろアラシヤマくんが血相を変えて飛び込んでくる頃ですねぇ。一旦出ますか。ああ、グンマ様、また戻りますから機械はそのままにしておいて構いませんよ」
「うん、判った」
グンマはモニターの傍を離れた。当然のように、高松に寄り添う。
「……名古屋くん、ひとつ訊きますが」
「?」
高松に呼ばれて、検査台から降りようとしていたウィローはそちらを仰いだ。
「随分とアラシヤマくんのことを気に入っているようですが、何か特別な理由でもあるんですか?」
ウィローは春の野原のような笑い方をした。
「内緒だぎゃ」
「あああ……ウィローはんどないなことされとるんやろ」
律儀に壁拭きしてからぐしょ濡れの制服を替え、アラシヤマは医局フロアに引き返してきた。
彼が室内に入ろうとするのと、検査室の扉が開くのとは同時だった。
出てきたウィローはアラシヤマの姿を認めると、満面の笑顔になり、飛びついてきた。
不安でどうしようもないまま本部をうろついた挙句に目にしたアラシヤマは、実はウィローにとって刷り込みに似た状態を催させる存在であったのだ。無論、親と思ったわけはないが、安心できる存在、保護してくれる存在として、ウィローの中では位置付けられていたのだった。
「ウィローはん! 何ともあらしまへんか!?」
アラシヤマはウィローを抱き上げた。
「平気だぎゃあ。ドクターは名医だでよ」
「……そうですとも。本当に君には信頼されてませんねぇ」
後から出てきた高松は不満そうな顔をしていた。もっと不満そうなのは傍らのグンマであったが。グンマにしてみれば、高松がパーフェクトなのだから。
「高松に失礼だろ!」
「かまいませんよ、グンマ様」
むくれるグンマをなだめ、高松はウィローの方に目線をスライドさせた。
「もう少しで総合結果が出せますから、お茶でも飲んできて結構ですよ。……ところで、名古屋くん。例の薬はまだ残っているんですか?」
「ワシの研究室にあるぎゃあ」
「では、後で持ってきてもらえませんか。中和薬を作るのに、成分分析が必要ですから……」
「判ったがや。持ってくるて。行こみゃあかあ(行こうよ)」
ウィローは自分を抱いているアラシヤマを促した。既に足代わりである。
アラシヤマと彼に連れられたウィローの姿が見えなくなったところで、高松は吐息した。
「それにしても厄介ですねぇ……」
「どうしたの、高松?」
きょんと、グンマは高松を見た。
「いえ……。別に安請け合いしたつもりはありませんが、名古屋くんの薬の作り方というのはかなり特殊ですから、私が再現するには少々苦労するかもしれないと思いまして」
真面目な顔で、高松は答えた。たしかに、黒魔術に基づいた魔法薬を科学的見地から作り出すのは、いささか骨の折れる作業になるだろう。
グンマはくすっと笑った。
「大丈夫だよ。僕の高松にできないことがあるわけないじゃないか」
「グンマ様……」
部外者侵入不可の二人の世界。そこだけ空気は薔薇色に染められていた。
とぷんと、全ての元凶の薬を小さな壺ですくう。
背の高さが足りずに椅子に乗って甕の中に手をつっこんでいたウィローは、今度こそは失敗すまいと、きっちり蓋をしてから床に下りた。
アラシヤマは薄ら寒そうに首をすくめ、ウィローの研究室を眺め回していた。
飾り付けが不気味なだけではない。本棚に並んでいるのは、どれも怪しげな黒魔術の手引書である。古ぼけ、あちこち補修してあるところからいって、年代物なのは間違いない。
「それは爺っさまからもらったんだぎゃあ。ワシの爺っさまは大魔道士なんだて。いつかワシも、偉ぇ魔法使いになりてゃあんだわ」
「そ……そうなんどすか……。おきばりやす……」
魔女狩り、中世ヨーロッパ、黒猫――そういった単語がアラシヤマの脳裏ではぐるぐると回転していた。所詮彼の想像力ではこれが限界である。
「あ~、えーと、ウィローはん、その薬はどんな材料でできとるんどすか?」
ウィローをこの姿に変えてしまう効力をもつ薬だ。一体何が使われているのか。
「これきゃあ?」
ウィローは薬壷をたぽんと揺らした。
「これはカエルの足を煎じた中に、をちこちとなごやんと坂角ゆかりときしめんパイときんさんぎんさんのブロマイドを入れて、最後にういろうで仕上げたんだぎゃあ。……それぞれを入れるタイミングがうまくいかんくって、なかなかできーせんかったんだけどよ」
……なるほど、黒魔術名古屋風である。
「もう用は済んだぎゃあ。出よみゃあ」
ウィローの言葉に、アラシヤマはあからさまにほっとした表情を浮かべた。初めてこの部屋を訪れることになったわけだが、これを最後にしたいと彼は切実に思っていた。
「そうどすな、出まひょ出まひょっ」
すったかすったか先にたって退出しようとするアラシヤマを、ウィローはその場に立ったまま仰ぎ見た。
「……おんぶ」
アラシヤマは一呼吸のあいだ一時停止し、ウィローの方を振り向いた。
元からかなり甘えん坊な性格が、子供化することで助長されたものらしい。
「はいはいはいっ」
渋々といったていでしゃがみこみながら、結局ほのかな幸せをアラシヤマは感じていた。
ウィローをおぶってやり、すっくと立ち上がる。重さなどないも同然だった。弾みをつけるように背負いなおして、アラシヤマは扉に手を掛けた。
通路のつきあたりにある研究室を出、歩きだす。その髪の毛を、ウィローはくいっとひっぱった。
「腹減ったがや!」
髪を掴まれたことに文句も言わず、アラシヤマは腕時計を見た。その間だけウィローを片手で支えることになってしまったが、それは致し方ない。
「ああ……もう昼をだいぶ回っとるんやな。そうどすな、ドクターがお茶にしてきてええて言うてはったことどすし、何か食べまひょか」
アラシヤマの返事に、背中でぴょいぴょい跳ねるようにウィローが身動きする。
「あきまへんて、ウィローはん! 暴れたら危険やてさっきも注意したでっしゃろ?」
「……ん」
ウィローは、アラシヤマの首にしっかりしがみついた。
「そうそう。したら、食堂に行きましょなァ」
アラシヤマはウィローをおぶった状態で階段を昇っていった。ちびウィローが人混みにつぶされるのを懸念して、最初から、エレベーターを手段から排除する辺り、とことん他人を優先する彼であった。
「何か食べたいものはおますか?」
アラシヤマは空いていたテーブルの一つに陣取り、帽子を膝の上に抱えたウィローに訊いた。
「お子さまランチーっ!」
「ウィローはん、ウィローはん……」
アラシヤマは額を押さえた。
「そないなもんあらしまへん」
「嫌だぎゃあ! ワシ、ぜってゃあお子さまランチを食べてゃあんだがや! 味ねゃあもんは食わーせんぎゃあ!!(まずいものは食べないぞ!!)」
「ないもんはないんどすっ」
「ううぅ……」
すねて、ウィローは上目遣いにアラシヤマを見た。アラシヤマは深いため息をついた。
子供っぽい言動をするかと思えば意外と元のままで、大人としての態度を示しているかと思うと突然幼児性が顔を覗かせる。一体どちらが本物なのだろう。
「……だったらこうしまひょ」
アラシヤマは、胸ポケットから支給品の手帳を取り出し、未使用のページを一枚破った。更にそれを分割しておいて、テーブルに置かれているケースの爪楊枝を抜き取り、縁を巻き付ける。
その紙にペンで赤丸をかいて、アラシヤマはウィローの目の前にそれを差し出した。
「即興やけど、日の丸の旗どすわ。チキンライスか何か選んで、これを立てたら、少しは気分が出るんやありまへんか? これで我慢してや」
嬉しそうに笑って、ウィローは頷いた。アラシヤマは安堵の吐息をこぼした。
「じゃあ、チキンライスと、あとオレンジジュースくらいで……わては日替わりランチにしとこかいなぁ……」
「プリンも欲しいぎゃあ!」
「あー、はいはい。デザートもいるんどすな」
「アラシヤマでねえべか」
オーダーを考えているアラシヤマに、声がかけられた。
「え?」
人の気配の方に視線を向けると、ミヤギとトットリがテーブルの前にいた。
彼らがわざわざアラシヤマを呼ぶ。これがどれほど希有な事態に属する事柄であることか。日頃は完全に毛嫌いして無視してのけるのだから。この滅多にない状況を引き起こさせたのは、アラシヤマの隣で床に届かない足をぶらぶらさせているウィローに相違なかった。
「これが、子供にかえってしまったっちゅう、名古屋の外郎売りだべか?」
ちなみに、知らない方へ。外郎売りとは別に名古屋名物『ういろう』を訪問販売しているわけではなく、一種の薬売りのことである。
「本当に小さな子供になってしまってるっちゃね」
ウィローはじぃっと二人を見上げた。ずっと視線を揺るがせることがない。
「魔法使いもこうしとればただのガキだべなァ」
ミヤギは指でウィローの額をつついた。
「なにしはるんどす! ウィローはんに手ぇ出さんでや!」
「ちっとぐらいええべさ」
ミヤギは更にウィローをつんつくつつきまわそうとした。
がぷっ。
「ぎゃっ!」
ミヤギは手を引っ込めた。ウィローが思いきり指に噛みついたのだ。
「何すっべ! このクソガキ!!」
ミヤギはウィローを怒鳴りつけた。
「人の指を噛むでねえ!!」
ウィローはまっすぐにミヤギを見つめていたが、彼の握り拳を目にするとびくっと身を縮めた。
「う……う……うぅ……」
顔をぐしゃぐしゃに歪める。
「ぴえええぇぇーっっ!!」
ウィローは大きな泣き声をあげた。
テーブル上の箸立てが突然宙に浮き、ミヤギの頬を掠めた。ふよふよとソース入れが空中で躍っている。殆どポルターガイストであった。
アラシヤマは瞬時にウィローを抱え込んで、ミヤギをねめつけた。
「ウィローはんを泣かしはったな!」
「うええぇーっ!」
騒霊現象はアラシヤマに庇護された時点ですぐにおさまったが、ぼろぼろと、次から次へと涙を量産させ、振りまきながら原因のウィローは泣きわめく。まったくよく泣く奴である。
「びえぇーん!!」
「……ミヤギくんが悪いんだっちゃよ」
トットリはぼそっと呟いた。
「そんなこと言ってもオラは知らねえべ! 泣かそうと思ったわけでねえべよっ!」
「ウィローはんを……泣かしよったな……」
地面から這い上がってくるようなアラシヤマの声音。ミヤギは硬直した。
「まっ……待つだよ、アラシヤマっ! 話せば判るべ!!」
「問答無用どすッ!! 平等院鳳凰堂極楽鳥の舞ッッ!!!」
「うぎゃあ~~っっ!」
「ふえーん!」
「わーっ! ミヤギくんが燃えちょるー!! ……いでよ、脳天気雲ォーって、しまった! 今、僕、ゲタ履いてなかったわいや!!」
どうでもいいが、場所は昼日中の食堂である……。
不幸にもその時そこにいた団員たちは、逃げるに逃げられず遠巻きにするよりなかった。これが、時に要人暗殺を請け負うこともあるガンマ団屈指のエリートたちのいさかいごととは、とても信じられない。
場所限定で、決して周囲に被害が広がらないのが、特殊能力が完全にコントロールされている証拠なのだが、見ている方にとっては、だからといって心安まるはずもない。
そんな時、騒ぎの中心部に、恐れる様子もなく悠然として近付いてゆく者がいた。
「うるせぇのー、ぬしら……。せっかくのメシが落ち着いて食えなくなるじゃろうが」
カキフライ定食の盆を左手に乗せた武者のコージであった。コージは右親指で背後を指した。
「アラシヤマ、ええ加減、火を消しちゃりぃ。みんな怯えとるけんのォ」
「……コージはん」
アラシヤマはくいっと手首を返した。同時にミヤギを焦がしていた炎が消滅する。
「ミヤギくん、大丈夫だっちゃか!?」
「ア……ア、アラシヤマ……おめ、今度覚悟しとけよ!」
黒焦げ寸前で、へたりこんだミヤギはぜいぜいと肩で息をした。
「最初に悪いのはあんさんどす!」
アラシヤマは、まだ燃やし足りないと言いたげな顔でミヤギを睨んでから、ウィローに向き直った。
「ウィローはん、もう怖くありまへんえ」
「うっく……ぐしゅ……ひゅぐひゅぐ……」
ウィローはしゃくり上げていたが、アラシヤマに頭を撫でられると唇を引き結び、目をごしごしとこすった。
ミヤギは床との親交を断ち切って立ち上がった。
事の顛末を見届けてから、一人だけのどかな声をコージは出した。
「よーし、ここの所は丸くおさまったようじゃのぉ」
これをおさまったといえるのかどうかは定かではないが、一応騒ぎは終息している。別に計算したつもりもなくコージは最良のタイミングで割って入ったのだった。
「ああ、どうせじゃから、みんなでメシにせんかの? わしも入らせてもらうけん」
彼は盆をテーブルに置いた。さりげなく、さして意図したわけではなしにいざこざの再燃を阻止させる行動をとるコージであった。
「……で、何どすか、あんさんら! なんで医務室までついてくるんどす」
アラシヤマはぎろりと同行者を睨みつけた。
「別に深い意味はねぇべ」
「僕はミヤギくんと一緒に歩いちょるだけだっちゃわいや」
「なんか面白そうじゃけんのー」
過去の恐怖は何処へやら、かつてドクター高松のおもちゃにされた面々が、揃いも揃ってその元に向かっているのだった。
「知りまへんえ、どうなっても!」
ウィローはアラシヤマに抱かれながら、ついてくる三人の顔をきょときょとと見比べていた。どうやら、アラシヤマ以外にだっこされるなら、他より飛び抜けて背の高いコージだな、と考えていたらしい。
ウィローは身を乗り出して、コージの制服を掴もうとするように手を伸ばした。
「こら! ウィローはん、おとなしくしとりって何べんゆうたら判るんどす」
「だっこーっ!」
「しとるやろ?」
「ほうでねゃあて! あっち!」
ウィローは左手でコージを指差した。アラシヤマは立ち止まり、腕の中の存在と指された相手とを交互に見た。
「コージはんに抱いとってほしいんどすか?」
大きくウィローは頷いた。
「わては別にええどすけど……」
自分にいつも変わらぬ調子で接してくる数少ない人間に、アラシヤマは窺うような目線を投げかける。豪快に笑ってコージは許諾した。
「おお、わしは構わんけん、来いや」
アラシヤマは、それなら、という表情でウィローを託した。コージはウィローを抱き取ると、たかいたかいの要領でひょいっと掲げた。やっている者の身長が身長なだけに、通路の天井に届かんばかりだ。
「ほーれ、高いじゃろ」
コージは目をまんまるくしているウィローに笑みを向けた。にこにことしたまま彼は話しかけた。
「ただ抱かれとーもつまらんじゃろ。肩車にするかのぉ? そうじゃ、そのまま肩に担いで座らせちゃろかの」
「肩車がええぎゃあ」
「コージはん、危ないことはやめておくんなはれ。ウィローはんもそんなことをねだらんといておくれやす」
アラシヤマは渋い顔で豪放な同僚を仰視した。コージは臆した様子はない。
「わははは、アラシヤマ、ぬしも肝っ玉が小せぇのォ」
「そういう問題とちゃいます!」
「肩車、肩車ーっ!」
ウィローはばたばたと手足をばたつかせた。行動パターンがどんどん本物の子供に近付いている。コージは掲げ上げていたウィローをすとんと両肩の間に下ろしてやった。
「ちゃんと支えてやっとればええんじゃろうが? 安心せい、気はつけとるけんのー」
きゃいきゃいと喜んでいるウィローのはしゃぎぶりを目にして、アラシヤマは諦めたように呼気を漏らした。今更言っても無駄だ。
「何じゃったら、ぬしも乗せちゃるがの」
至極何気なさそうなコージの言葉に、アラシヤマはびくぅっとした。うつむいて両手の人差し指の先をつつき合わせる。
「えっ、そんな……わてはっ……その」
……もじもじモジ文字明朝文字……
『ドキドキ』に次ぐよく判らない擬音を漂わせ、ちらちらとコージを盗み見る。ちょっと嬉しいかもしれない実は甘えんぼさんのアラシヤマであった。
「でもわては……えぇとォ……」
「何を赤うなっとんじゃ?」
心底不思議そうにコージは問うた。自分のその言葉で相手がはにかむ、という心情が判らない。
「べっ、別に赤面なんかしとりまへんッッ」
アラシヤマはそっぽを向いた。ミヤギは嫌味がちなからかい口調をかけた。
「アラシヤマ、おめ、照れとんだべー? ひねくれとるわりに単純だべな」
「……ミヤギはん……あんさん、もっと燃やされとうおますのんか……?」
「冗談だべっ!」
必殺技の構えをとりかけるアラシヤマに、両手を前に突き出してストップポーズをミヤギがする。
アラシヤマはちっと舌打ちした。
彼は構えを解いて、ウィローを肩車した斜め上のコージを見、断りを入れた。
「わては――ええどす。遠慮しときますわ」
「そうか? 面白そうじゃと思ったんじゃがのぉ」
「とにかく急ぎますえ。時間は過ぎとるんどす」
殊更に硬い声で告げ、複雑な面持ちで先を進む彼がそこにはいた。
「はあぁぁー……」
医務室の前で、アラシヤマは深呼吸した。
基本的に各部屋にオートロック機構が働いている中、解除の必要もなく二十四時間無制限に入室可能な、数少ないフロアである。何しろ急患は日常茶飯事なのだ。しかし好きこのんでやってきたくもなかった。
アラシヤマはコージとその上に乗せられているウィローに向きなおった。
「……で、コージはん、そのまんまやとどんなに体を屈めてもウィローはんが上の壁にぶつかりまっせ」
「おー、そうじゃのォ」
扉の高さは一・九メートル。常でも頭を低くして通り抜けることになるコージが他人を肩車していたら、相手は完璧に鴨居とでも呼ぶべきドアの上の仕切りに激突してしまう。
「待っちゃりい、今下ろすけん」
コージは肩の上のウィローを頭の後ろから前へまわし、抱き直そうとした。それをすかさず奪うように、アラシヤマはウィローの身柄を受け取る。
「あ、こりゃ、ぬし……」
「はいはい、ウィローはん、わてがもっぺんだっこしたりましょなァ」
アラシヤマはウィローを抱え込み、意を決したように扉を開けた。一歩進み出て光景を視界に映して、四半瞬戸惑う。
瓦礫と浸水にみまわれたはずの室内は、きれいに修復されている。工部担当の団員の有能さがうかがわれた。
「随分とごゆっくりでしたねぇ。おまけに余分な付録まで引き連れて……」
高松は椅子に深く腰掛け、泰然自若としてアラシヤマを迎えた。既に工作室に戻ったのだろう、グンマの姿はなかった。
「わてが連れてきたわけやあらしまへんっ!」
「まあいいでしょう。邪魔になるわけでもありませんから。……ところで、もう結果は出てますよ」
アラシヤマは傍までやってきて、ウィローを患者サイドの椅子に下ろした。ぞろぞろと、他の三人も寄ってきた。
「それで、どうだったんきゃあも?」
ウィローの問いかけに、組んでいた指を解き、高松はプリントアウトした紙を手にした。
「立派なものですね。オール異常なし。……ここまで一気に変化していて、身体的に何ら負担がかかっていないのは見事としか言いようがありませんね。薬の副作用といえるものもないようですし……。さすがですよ、名古屋くん」
高松は優秀な弟子を誉める師の表情で返答した。用紙に視線を落とす。
「ただ……」
「ただ、何どす!?」
「六歳児基準としてもかなり血圧が低いですねぇ。元からですが、少々ヘマトクリット値に難がありますし。名古屋くん、偏食の癖、直しましょうね」
「……努力するぎゃあ……」
「あとは――運動能力ですが、やはり六歳児平均で少し劣りますか。まあ、体格が全面的にマイナス十パーセント範囲ですから、判らなくもありませんけどね」
ウィローは首をすくめて、アラシヤマは固唾を飲んで、他の三人は興味半分に、高松の言葉を聞いている。
「それから――。実年齢でみて、IQ一四五……変わってませんねー♪」
「ひゃぐよんずうごォーっ? おめ、そんなに知能指数高かったんだべか!?」
ミヤギは思わず怪しいものでも見るような目でウィローを見つめた。
IQ一四五といったら、区分では『天才』にあたる。平均値を一〇〇として九〇~一一〇が普通とされるのだ。測り方によっても同一人で極端に差が出るものではあるが、入団テストに合格した者の平均値からの結果としての数値らしい。
「オラ、一〇〇ちょうどだべ」
「僕は九八だっちゃよ……?」
ミヤギとトットリが呟いた一拍後に、もう一人の傍観者がぼそりと声を発した。
「……わしは……九一じゃ」
一瞬空気が凍結した。
「だーっ! あんさんらのIQなんか、この際どうでもよろしおすがな!!」
アラシヤマは振り返り、憤怒の形相で怒鳴った。
「そういうぬしはいくつなんじゃ」
「そうだわいや」
「教えるべ、アラシヤマ」
アラシヤマは三人を等分に眺めやり、しばし無言を保った。それからつまらなそうに答える。
「……わては一二〇どす。それがあんさん達に何や関係あるんどすか」
「なんだとォ!?」
ミヤギは疑わしげな声を出した。このやたら暗くてひねくれ者の京都人が自分の一・二倍の知能指数だとは。嫌っている相手が自分より優秀である時ほど憎いことはない。
「確か、アラシヤマくんは高等課程を二年ほど飛び級してますものね」
高松はしたり顔で頷いた。ちなみにこれはオリジナル設定なので、本編とくい違っていてもとやかく言ってはいけない。個人的趣味というものである。
「それで、記憶のほうは……?」
「ああ、部分的な記憶の欠落は、薬そのもののせいというより、己れの変化に対する精神的衝撃の為でしょうね。焦れば焦るほど物事を思い出せない、という現象の大規模なものだと考えていいと思います。……検査結果はこんなところですね。そうそう、名古屋くん、例の薬は持ってきてもらえましたか?」
「これだがね、ドクター」
ウィローは薬壺を差し出した。高松は受け取り、とっくり型のそれをしげしげと見やった。
「これが……。では、やってみましょう。二、三日中にできあがるといいんですが」
高松は考え込むようなそぶりをした。
「しかし……実際に同条件で試行錯誤してみなくては、本当に中和薬として充分な効果を持つものになっているかどうか判りませんね。飲み直しさせるわけにはいかないし……」
……ちらり
高松の生暖かい視線がミヤギ、トットリ、コージを薄切りハムのようにスライスした。
「え……?」
音を立てずに高松は椅子から身を起こした。
「感謝しますよォ、アラシヤマくん。『余分な付録まで連れて』なんて言ったりして申し訳ありませんねぇ」
高松は薬の蓋を開け、三人ににじり寄った。
「な、何だべさ、ドクターっ!」
「どうするんだっちゃか!?」
「何をする気じゃっっ!」
彼らは後ろに下がろうとした。
「そりゃ勿論――」
高松はにやりと悪魔の嗤いを刷いた。ちろっとヘビの舌が覗いたように思うのは気のせいだろうか。
「――こうするんですよッ」
言いざま、高松は神業のごとき素早さで三人に魔法薬を飲ませた。
ごっくん
こくんっ
ごくっ
「げええぇ~っっ!!」
ムンクの『叫び』を実演するミヤギ。
顔面蒼白のまま凍りつくトットリ。
口元を押さえるコージ。
彼らにとっては永遠にも近かったそれは、二秒に満たない時間だった。
……ボンッ ポン ボワンッ
煙が立て続けに上がる。それが治まった時、そこにいたのは……。
「うーん、おみごと♪」
高松はにぃーっこりと微笑んだ。完璧かつ速効性の、実に使い勝手の良い薬だ。
彼の前には、やはり五、六歳児と思われる三人の『子供』がいた。うち一人は、それより年長と見るべきほどずば抜けて体格が大きい。無論、紛うかたなきコージである。そして平均値キープの東北ミヤギ、ちびウィローレベルのトットリだった。
「トットリぃー!」
「ミヤギくんーっ!」
ミヤギとトットリはがしっと抱き合った。
「僕達……」
「子供になっちまったべーっっ!!」
二人はおいおいと泣き叫んでいる。コージは高松を仰いだ。日頃は決してありえないアオリである。
「ドクター! なんてことをするんじゃッ!!」
高松は、余裕の笑みをたゆたわせていた。
「君たちなら、試作薬を繰り返し与えても平気ですね。頑張ってモルモットになって下さい」
死刑宣告にも似た発言だった。
「何しろ名古屋くんは私の大事な助手ですから、完成品でなくては、飲ませるわけにはいきませんのでね。なァ~に、中和薬完成の暁には君たちも元に戻れますよ」
その前に怪しい試作薬を立て続けに投与されてこの世とおさらばしていなければ、の話である。
アラシヤマは襲い来る眩暈と戦っていた。そうだ、高松はこういう人間なのだ……。
水を得た魚、とはこういうものを指すのだろうか、マッドなドクターは被験体を手に入れて生き生きと楽しそうに眺め回している。この様子なら、無関係の実験にまで使い回すのではないだろうか。
どうなっても知らない、と同僚三人に言った台詞が、現実のものとしてアラシヤマに重くのしかかっていた。
「ミヤギくーん! 僕、まだ死にたくないっちゃよーっ!」
「オラもだべー! オラたちどうなるんだべかーっ!!」
「早く元に戻さんとキヌガサくんが黙っとらんけんのー!!」
三人は口々に喚いている。
「薬が完成するまで存分に試してあげますから、どうぞ安心して下さい」
高松は大事そうにまだ残してある薬に封をして、にたりと嗤った。
「せいぜい期待していてもらいましょうかねぇ~」
「ああ……頭痛が痛い……」
ウィローは高松の様子に眉をひそめるでもなく、興味深げに眺めやっている。結局いつも自分がやっていることと変わりないのだから、アラシヤマのように頭を痛めるはずもなかった。
「さてと、そういうことですから、名古屋くんとアラシヤマくん、引き取って結構ですよ。何か製薬上訊きたい事が出てくるか、中和薬ができあがったら呼びますから」
「ほうきゃあも。待っとるぎゃあ」
首肯して、ウィローは椅子から下りた。
「行こみゃあ」
「そ……そうどすな……」
アラシヤマは、子供の姿にむりやりさせられてしまった三人の同僚を、いたましげな眼差しで見やった。間接的に自分の責任がないとは言えない。
「許しとくれやす……」
呟いて、入口に歩きだしかける。そこでアラシヤマははたと気付いた。
「あ、あの、ドクター? できあがったら、って、まさか、わて、それまで……」
「何です? 薬の完成まで、ちゃんと名古屋くんの面倒を見てて下さいよ」
「………。やっぱりそうなんどすな……」
あくまで、高松に託すまでその世話をしてやっていたはずなのだが、最後までそうする羽目になったようだった。もっとも過剰なほどに保護者と化していた自分がいたことは否めない。
アラシヤマはウィローの肩を押して医務室を出た。
「あ、ほうだったわ!」
ウィローは退出したところでくるりと振り返った。
「ドクター、ワシ、いつも変化パターンの薬はういろう、元に戻すもんにはないろを使うんだがや。……役に立つかなも?」
「ないろ……」
ほんの僅かな間高松は顔をこわばらせていたようだったが、すぐに笑みを浮かべた。
「判りました。試してみますよ。……しかし、ガンマ団購買部にありますかね……」
ウィローとアラシヤマを見送ってから、高松は残った三人に獲物を見るような視線を向けた。
「さぁ~て、君たちをどう料理しましょうかねぇ……?」
彼らの運命は風前の灯かもしれなかった。
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