WEEPING WILLOW
楽園を、夢みていた。
崩れてしまった過去。取り残された自分。遠い南の島――そこに喪った日々があるのだろうか。
……いつまでもみんなでいたかった。
名古屋ウィローは総帥室にいた。
世界最強、という修飾を冠せられることもある、殺し屋集団、ガンマ団。それを統べる、ただひとりの存在が彼の前に座っていた。
「マジック総帥……」
そうウィローは呼びかけた。マジックは、不敵な笑みを絶やさないまま、両の視線でウィローを射抜く。
「ワシにお話しというのは……?」
ウィローは問うた。
……答えを聞きたくはなかったけれど。
訊ねるまでもなく、予測はあらかじめついている。次々とここに呼ばれ、去り、そして戻ってこなかった者たち――彼らと同じことを、自分は聞かされることになるのだ。おそらくは付加価値までつけて。
ウィローには不可能なことを、マジックは命じるのだ――。
「ウィロー副参謀長」
反射的に身体をこわばらせてしまう。マジックは指を組み、デスクに肘をついた。
「……いや『魔術師・名古屋ウィロー』、君に指令だ」
その名で呼ばれることは、すなわち暗殺者としての任務を告げられるということだ。ウィローは自分の予想の正しさを悟らざるを得なかった。
「君も知ってのとおり、一昨年シンタローが秘石を奪って逃走した。そして、それを捕えるべく、幾人もの団員がシンタローの逃げ込んだパプワ島に向かった――だが、誰一人として任務に成功して戻っては来ん。島に居つく者まで出る有様だ」
マジックは一旦言葉を切った。双眸が怪しい光をたゆたわせる。
「……我がガンマ団は脱走も任務の失敗も許さん。脱落者は斃さねばならない――判るな?」
ウィローは無言のままその言葉を聞いていた。
マジックはふっと嗤った。冷酷な、高処に立つ者の表情。
「シンタローを殺せ」
溺愛している息子さえ、彼は縊ることができるのだろうか……?
マジックは指を組み替えた。
「――ついでに、他の連中も始末してこい」
「しかし……っ!」
「何か不都合でもあるのか? 異議は聞かん」
弟に逢いたくて、総帥一族の宝である秘石を盗み、脱走したシンタロー。彼と共に今パプワ島にいるはずの、ミヤギ、トットリ、アラシヤマ、コージ……。彼らは皆、かつてウィローと関わりを持っていた者たちだった。
殺す……?
彼を? 彼らを……?
「………」
できるはずがなかった。
自分の好いている人々。彼は――彼らは、仲間、なのだから。
「君なら、万単位の人間を殺せる毒薬を作ることも簡単だろう。連中に一服盛れば済むことだ」
マジックは、デスクを挟んで彼の前に立つ部下を直視した。その瞳の力に、ウィローは気圧される。
射竦められ。ウィローは視線を反らした。
「別に死体はいらん。とにかく確実に彼らを処分してこい」
ウィローは唇を噛んだ。この部屋に立った時から……否、それより遥か前から知っていた言葉。守ることの能わぬ命令。
「――いいな?」
念を押すように、マジックはウィローを絶対的な力の差で呪縛する。
殺す……。
彼を。彼らを……!
「承知したぎゃ……」
歯向かうことの不可能な、絶対者の言に、ウィローは首肯した。
「必ず――奴らを仕留めてみせるがや。……絶対……」
彼のその声は、内心の葛藤を偲ばせる、重くかすれたものだった。
ウィローは魔法薬の材料を睨みつけた。
彼に与えられている、慣れ親しんだ本部の研究室。もしかしたら、もう二度とここに戻ることはないかもしれない。
二律背反の苦しみが、彼の心中でせめぎあっていた。任務を遂行すべきだと、理性が言い募る。そんなことはできないと、感情が反論する。永久機関のように繰り返す思考。
ウィローは自分が手にかけるべき者たちの顔を思い出していた。
――もう二年近くも前、自分が誤って幼児と化してしまったことがあった。それは、まだ皆が揃っていた頃の、誰一人欠けることなど思いもよらなかった頃の記憶。最後の日々……。
『僕が面白いものをあげるっちゃよ。ほら、紙ナプキンで折ったキツネの顔だわいや』
『泣かしちまった詫びに、オラの定食のエビ天、おめにやるべ』
『どうじゃ、遠くまで見えるじゃろ。肩車ぐらい、いつでもしちゃるけん』
『仕方ねぇ、本を読んでやる。でも、ちょっとだけだからなっ!』
『ウィローはん、ちゃんと布団を被りなはれ。そうそう、さあ、一緒に寝まひょなぁ』
――――……
彼らの言葉が蘇る。あの時向けられた皆の本質的な優しさを、ウィローは忘れてはいなかった。
目を閉じ、幾度かの呼吸ののち開く。その瞬間、意志は定まっていた。
ウィローは薬の材料を手に取った。
マジックの命令は絶対だ。だが、自分には彼らを殺すことなどできない。
ならば――。
「――無力な生物に変えてしまえばいい……」
低くウィローは呟いた。
みんなを、何の力も持たない存在に変えてしまえばいいのだ――ほとぼりが醒めるまでの間、彼らを。
そうすれば誰にも判らない。彼らの存在が消えれば、やがて、追撃者は諦めねばならなくなる。他の誰にも、彼らに手を出させはしない。
……それが、ウィローの決意だった。
時が過ぎて、何があったかさえ忘れられてしまう頃、彼らの変化は解ける。彼らを元の姿に戻す。そして、自分はいつまでもみんなと一緒に暮らすのだ。今は喪われた日々のように。……全てを捨てて。
ウィローは壺に材料を落とした。まどろむように微笑む。
みんなで楽しく過ごそう……遠い遠い、ずっと夢みたあの島で。
とこしえの南国楽園で――。
楽園を、夢みていた。
崩れてしまった過去。取り残された自分。遠い南の島――そこに喪った日々があるのだろうか。
……いつまでもみんなでいたかった。
名古屋ウィローは総帥室にいた。
世界最強、という修飾を冠せられることもある、殺し屋集団、ガンマ団。それを統べる、ただひとりの存在が彼の前に座っていた。
「マジック総帥……」
そうウィローは呼びかけた。マジックは、不敵な笑みを絶やさないまま、両の視線でウィローを射抜く。
「ワシにお話しというのは……?」
ウィローは問うた。
……答えを聞きたくはなかったけれど。
訊ねるまでもなく、予測はあらかじめついている。次々とここに呼ばれ、去り、そして戻ってこなかった者たち――彼らと同じことを、自分は聞かされることになるのだ。おそらくは付加価値までつけて。
ウィローには不可能なことを、マジックは命じるのだ――。
「ウィロー副参謀長」
反射的に身体をこわばらせてしまう。マジックは指を組み、デスクに肘をついた。
「……いや『魔術師・名古屋ウィロー』、君に指令だ」
その名で呼ばれることは、すなわち暗殺者としての任務を告げられるということだ。ウィローは自分の予想の正しさを悟らざるを得なかった。
「君も知ってのとおり、一昨年シンタローが秘石を奪って逃走した。そして、それを捕えるべく、幾人もの団員がシンタローの逃げ込んだパプワ島に向かった――だが、誰一人として任務に成功して戻っては来ん。島に居つく者まで出る有様だ」
マジックは一旦言葉を切った。双眸が怪しい光をたゆたわせる。
「……我がガンマ団は脱走も任務の失敗も許さん。脱落者は斃さねばならない――判るな?」
ウィローは無言のままその言葉を聞いていた。
マジックはふっと嗤った。冷酷な、高処に立つ者の表情。
「シンタローを殺せ」
溺愛している息子さえ、彼は縊ることができるのだろうか……?
マジックは指を組み替えた。
「――ついでに、他の連中も始末してこい」
「しかし……っ!」
「何か不都合でもあるのか? 異議は聞かん」
弟に逢いたくて、総帥一族の宝である秘石を盗み、脱走したシンタロー。彼と共に今パプワ島にいるはずの、ミヤギ、トットリ、アラシヤマ、コージ……。彼らは皆、かつてウィローと関わりを持っていた者たちだった。
殺す……?
彼を? 彼らを……?
「………」
できるはずがなかった。
自分の好いている人々。彼は――彼らは、仲間、なのだから。
「君なら、万単位の人間を殺せる毒薬を作ることも簡単だろう。連中に一服盛れば済むことだ」
マジックは、デスクを挟んで彼の前に立つ部下を直視した。その瞳の力に、ウィローは気圧される。
射竦められ。ウィローは視線を反らした。
「別に死体はいらん。とにかく確実に彼らを処分してこい」
ウィローは唇を噛んだ。この部屋に立った時から……否、それより遥か前から知っていた言葉。守ることの能わぬ命令。
「――いいな?」
念を押すように、マジックはウィローを絶対的な力の差で呪縛する。
殺す……。
彼を。彼らを……!
「承知したぎゃ……」
歯向かうことの不可能な、絶対者の言に、ウィローは首肯した。
「必ず――奴らを仕留めてみせるがや。……絶対……」
彼のその声は、内心の葛藤を偲ばせる、重くかすれたものだった。
ウィローは魔法薬の材料を睨みつけた。
彼に与えられている、慣れ親しんだ本部の研究室。もしかしたら、もう二度とここに戻ることはないかもしれない。
二律背反の苦しみが、彼の心中でせめぎあっていた。任務を遂行すべきだと、理性が言い募る。そんなことはできないと、感情が反論する。永久機関のように繰り返す思考。
ウィローは自分が手にかけるべき者たちの顔を思い出していた。
――もう二年近くも前、自分が誤って幼児と化してしまったことがあった。それは、まだ皆が揃っていた頃の、誰一人欠けることなど思いもよらなかった頃の記憶。最後の日々……。
『僕が面白いものをあげるっちゃよ。ほら、紙ナプキンで折ったキツネの顔だわいや』
『泣かしちまった詫びに、オラの定食のエビ天、おめにやるべ』
『どうじゃ、遠くまで見えるじゃろ。肩車ぐらい、いつでもしちゃるけん』
『仕方ねぇ、本を読んでやる。でも、ちょっとだけだからなっ!』
『ウィローはん、ちゃんと布団を被りなはれ。そうそう、さあ、一緒に寝まひょなぁ』
――――……
彼らの言葉が蘇る。あの時向けられた皆の本質的な優しさを、ウィローは忘れてはいなかった。
目を閉じ、幾度かの呼吸ののち開く。その瞬間、意志は定まっていた。
ウィローは薬の材料を手に取った。
マジックの命令は絶対だ。だが、自分には彼らを殺すことなどできない。
ならば――。
「――無力な生物に変えてしまえばいい……」
低くウィローは呟いた。
みんなを、何の力も持たない存在に変えてしまえばいいのだ――ほとぼりが醒めるまでの間、彼らを。
そうすれば誰にも判らない。彼らの存在が消えれば、やがて、追撃者は諦めねばならなくなる。他の誰にも、彼らに手を出させはしない。
……それが、ウィローの決意だった。
時が過ぎて、何があったかさえ忘れられてしまう頃、彼らの変化は解ける。彼らを元の姿に戻す。そして、自分はいつまでもみんなと一緒に暮らすのだ。今は喪われた日々のように。……全てを捨てて。
ウィローは壺に材料を落とした。まどろむように微笑む。
みんなで楽しく過ごそう……遠い遠い、ずっと夢みたあの島で。
とこしえの南国楽園で――。
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