望憶
望むことと、能わざることが、もしも同じ位置にあるのなら。
唯一の望憶を見たかった。
その瞬間瞳に映ったのは、閃光。そして、その合間に覗いたのは――。
<1>
「シンタロー」
と、マジックは息子を呼んだ。いつもはあくまで『シーンーちゃん♪』のノリで呼ばれることが多いだけに、少々訝しく思いつつ、シンタローは父親に目を向けた。
「何?」
「今度の出征のことだが……」
「あぁ……D国辺境部でもめてるやつ? 親父が行って完璧にカタを付けてくる、って」
そのような話を聞かされていたので、シンタローは確認するように訊ねた。マジックが頷く。
「そうだ。それにおまえも同行してもらおうと思ってな」
一瞬、シンタローは言葉の意味を把握しかねそうになる。理解できたのは一呼吸後だった。
「俺が!?」
思わず大声を出してしまう。
「でも、俺、実戦なんてやったことねぇぜ!?」
「だから、だ。おまえももう十八……そろそろ演習ではなく実戦に参加してもいい頃だろう」
それは実際シンタロー自身も考えていたことではあった。近いうちに戦場に出ることになるだろうとは思っていたのだが、まさかいきなり次の出征が初陣とは。
……心の準備も何もあったものじゃねえよなー。
小さく呟く。もっとも、一々、そんなものができるまで戦闘がストップしてくれるわけでないのは、シンタローとて知っている。
「これまで得てきたものがどの程度役立つか――いい機会だ、試してみろ。但し……」
マジックが口元だけで笑う。
「言っておくが、おまえの意志にかかわらず『マジックの息子』の名は重いぞ。不様な姿をさらすような真似をしたら、その時は……判っているな?」
息子を見つめる、冷徹な瞳。シンタローはゆっくりと首肯した。
「ああ……判ってる……」
シンタローは、『ガンマ団総帥』を見つめ、敬礼した。もしかしたらこれが、彼がマジックを、父としてというより、自分の上に立つ絶対者、支配者としての視点で見るようになった最初だったかもしれない。
「……承知しました。任務を拝命いたします。御期待を裏切らぬよう、非能非才の身の全力を挙げて遂行する所存であります。――総帥」
瓦礫の山の中に、マジックたちは立っていた。
彼らの周囲では、敵兵が折り重なり、あるいは瓦礫の下敷きとなり、斃れている。
半分はシンタロー一人の手によるものだった。
「ブラボー! シンちゃん」
マジックが拍手してみせる。
「………」
シンタローは半ば呆然としていた。一種の虐殺を行った自分を誉められたことに対する、反発反応すら、起こるレベルではない。
自分が、奪った生命。
これだけの人間の死。
これが、戦いというものなのだろうか。人に殺される人と、人を殺す人――それを見せつけられて、シンタローは言葉を失っていた。彼がそれまで知っていたのは、知識としての死。……これが、現実だった。
人殺しのスペシャリストが己れの職業――その意味に、改めて思い到る。人間が人間を殺すとは、こういうことなのだ……。
それだけの力を自分が持っていることを感覚的に思い知って、シンタローは頭をおもいきり殴られたようなショックを隠しきれなかった。
実際に軍籍に在る者として、または殺し屋として、この先幾度も合法的な殺人、非合法な殺人を犯すようになったらどうなるのだろう。
シンタローは頭の隅で考えた。それとも、その時にはもう感覚が麻痺してしまって、人殺しを何とも思わなくなってしまうのだろうか。
そう、ここで、いつも大量殺人を犯しているにもかかわらず平然としている、そしていつも他人に人殺しを命じている、この父のように……。
「どうした、怖くなったか。そんなことでは名前負けだぞ、シンタロー」
挑発するようなマジックの言葉に、だがシンタローは反論を返さない。
「事後処理は任せる」
マジックは駐屯部隊の長に声を投げた。
「……基地に戻るぞ」
つまらなそうにマジックは身を返した。直属の部下がそれにつき随う。シンタローは頭を振って思いを断ち切り、後を追った。
「戦い甲斐のない……」
マジックは吐き捨てた。
「これなら私が出るまでもなかったか……。うちの軍をてこずらせたくらいだ、もう少し愉しませてくれるかと期待したんだが」
彼にとって戦いは、人殺しとは、娯楽にすぎないのだろうか――。
マジックは息子に視線を向けた。黙り込んだまま一歩後ろをシンタローはついてくる。
「どうしたんだい、シンちゃん」
急にマジックは声のトーンを引き上げ、シンタローに話しかけた。
「浮かない顔だね。せーっかくシンちゃんの武勲を、パパ、誉めてあげたのに。シンちゃんってば喜んでくれない……しくしく、パパ泣いちゃうよ」
「……っ!!」
シンタローは声を詰まらせた。握った拳に力が籠もる。なぜ、たった今大量虐殺を見た、行なったばかりで、こんなにヘラヘラとおちゃらけていられるのか。
憤りが、シンタローの全身を瞬時に駆け巡る。彼は上目遣いに――マジックとの身長差のゆえだ――父をキッと睨みつけた。
マジックは薄く笑みを刷いた。
そうだ……シンタローはこれでいい。このままでいい。自分に対する反発こそが、シンタローを勁くする。
自分を反面教師にすることで、シンタローが、己れの手を朱に染めることの意味と重みを自覚できてくれればいいのだ。真の勁さを彼は手中にしようとしている――。
「それにしても……」
再び元の絞った声音に戻り、マジックは独語した。
「あっけなさすぎるな」
現場からいくらも行かないところで、マジックは足を止めた。
「総帥?」
部下の呼びかけ。マジックは面白くもなさそうな表情で辺りに視線を投げた。
「待ち伏せされた、か」
マジックは呟いた。……え? という顔で、傍らのシンタローが父を見上げる。
「動かないほうがいいぞ、シンタロー」
それに呼応するかのように、周囲から敵軍の兵たちが現れた。向けられた火器は完全に一行を捉えていた。もっとも、下手に逃げ出そうとしない限り、すぐに発砲するつもりはないようだ。
「やはりな……」
マジックの、己れの部下を見据える双眸が冷たい厳しさを増す。
「……何故監視を怠った!! 動向を正確に探るのが役目だろうッ!」
叱責された方は、萎縮し、身をこわばらせている。マジックは鼻白み、自嘲に近い嗤いを覗かせた。
ここまで気付かなかった自分も同じか……。
マジックは敵の士官に目を向けた。
「我々をどうするつもりだ? 捕虜か、あるいは――」
「決まっている! 皆殺しだっっ!! だが、簡単には殺さん!」
マジックを除く一行に緊張感がはしる。
……この地にマジックがシンタローを連れてきたのは、彼がとことん息子を甘やかしていたからだった。
マジック自らが出向く、しかも比較的容易な任務。さして手に余ることもなく、更に常に、何かあればシンタローをフォローする態勢をとることもできる。それを、息子の初仕事として選んだのだ。シンタローに対するマジックの偏愛ぶりは、それを受ける本人以外の全員が正しく理解するところだった。
ゆえに、このような思いをシンタローにさせるつもりはマジックには毛頭なかったのだが……。
だがしかし、こうなった以上は、それにシンタローがどこまで対処できるか、耐えられるのか、マジックは見極めることにしていた。初陣での予定外の偶発事とはいえ、これで潰れてしまうようなら、後々役には立たない。
シンタローには将来ガンマ団総帥の座を譲り渡すつもりなのだ。であれば、それにふさわしい資質の片鱗を見せてもらわねばならない。無能者は必要ないのだ。
父親としての想いの他に、恐ろしいほど冷酷な思考を働かせる、背反部分がマジックの裡には存在していたのだった。
「なるほど……」
マジックは、そっと背後の息子を伺い見た。
蒼ざめ、怯えた顔――。
それは、そうだろう。初陣でこのような目に遭って豪胆でいられたら、逆に神経を疑ってしまう。
……もう充分かもしれない。少なくとも彼の息子は、さっさと両手を挙げて敵の前に出てゆき、命乞いするような真似はしなかったのだ。たとえそれが、虚勢に根ざすものでも……。
死角は――ある?
マジックは手を伸ばし、シンタローの頭を抱き寄せた。くしゃりと、一族の誰とも違う黒髪が指にわずかにからまりつく。
「動くなッッ!!」
ダゥンッ……!
威嚇のつもりか、マジックの手前をめがけて発砲が起こる。足元の土と小石が跳ね上げられ、舞い飛んだ。
周囲の、息を呑む気配。
「ふん」
敵も味方も一種の興奮状態にある中、マジックはただ一人平然と、無感動に現状を眺めやっていた。
それから、抱き寄せたシンタローの耳元で、ごく低くささやく。
「いいか、シンタロー……東南東、左後方約三十度――死角だ」
「え……?」
「一人なら抜けられる。……逃げろ!」
「……親父――?」
恐怖と驚愕が入り交じった顔で、シンタローは父親を仰ぎ見た。
「けどっ!」
「大丈夫だ――」
「何を喋っている!」
キン、と、再び地面がはぜる。
マジックは軽く舌打ちした。長話ししていては分が悪くなる。
「私は平気だ。……ここでむざむざ死ぬような、悪いことは、パパはしたことないよ、シンちゃん♪」
この状態で、ちゃかした口調をつくれる豪胆さは賞賛に値するものだろう。薄紙一枚の差の、きわどいものではあったが。
ぎりぎりの状態で、けれど、せめて息子だけでも逃がそうとする――そんな親子愛に見えたかもしれない。確かにその意味も持ち合わせていた。しかしマジックが真に考えていたのは、もっと私的なことだった。
ここで自分の『力』を解放すれば、あっさりけりがつく。だがマジックは、シンタローに化け物じみた自分の姿を見せたくなかった。
……眼魔砲は、シンタローにもできる技だ、幾分セーブしたなら使ってもいいだろう。問題はそれより上に位置する能力だ。
秘石を使うどころか、秘石眼すら、マジックはシンタローにはその本質を明らかにしたことがなかった。そして当分、する気もなかったのだ。
シンタローは動こうとしない。
マジックは息子の髪をなぶった。別の表現が必要らしい。
「……これはテストだ。この状態から逃げおおせることもできないようでは、ガンマ団にとって必要な人材とは言えん。役立たずが!」
「な……ッ!!」
シンタローの顔色が変わる。この期に及んでそんなことを言われるとは思わなかったのだ。
「不要と言われたくなければ成功してみせろ」
言い置いて、マジックは敵の様子をはかった。敵の隙と死角……より完全なものにするためには?
タイミングは――
わざと、マジックは一歩進み出た。敵兵の狙いが一瞬彼一人に集まった、その瞬間、
「――行けっ!!」
マジックはシンタローを突き飛ばした。
ザッ……!
もはや思考とは別のところで、シンタローは地を蹴った。大きな岩が盾になる。
「何っ!?」
敵の反応は遅れた。
目標を定め損ねて、砲口が揺らぐ。動くものに対して目が行くのは人の常だ。
マジックが力を集中させるには、それで充分だった。あとは味方側に被害が及ばないよう、引き絞るだけだ。
ダダダダッッ……
岩の間をすり抜けてゆくシンタローに、一斉砲火が浴びせられる。だが、逃げる方向が方向だ、どれ一つ彼をかすりもしない。
「へんっ、当たるかよッ!」
強大な殺戮と破壊の予感。
――バゥッ!
反対方向で起こる小さな爆発……
岩陰に飛び込みかけて、シンタローはふと後ろを振り仰いだ。
「――!?」
意図的に小規模の眼魔砲を放ち、注意を更に自分の方に向けようとしたのだろう、完全に息子をかばう位置に移動したマジックが、構えをとって立っていた。
防ぎきれるわけがない。
マジックに向けられる銃口――。
「親父!」
シンタローは盾となる岩の陰から飛び出していた。無意識の、反射にも似た行動だった。
引金に掛かった指に力が加わる。
膨れあがる、圧倒的な力のオーラ。終末の光景。
「親……っ。父さん!!」
「何をしているッ!」
巻き起こる風が髪を逆立てる。
「……よせ! 来るな! シンタロー!!」
「……っ!!」
――ドゥッッ!!
耳をつんざく音。土埃に遮られる視界。激しい爆風にあおられる。
コマ送りのフィルムのように途切れとぎれの情景。
破裂する空間の中心にシンタローはいた。
閃光で目が眩む。圧力に近い衝撃。
「――父さんっ!!!……」
……叫びは、爆発音にかき消された。
「……シンタロ――――ッツッ!!!」
加速度的に意識が遠のく。
完全に意識を手放す瞬間、瞳に映る閃光のはざまで、マジックの両眼が哀しげに青く光るのを、シンタローは見たような気がした――。
<2>
あれ……? 俺、どうしたんだ?
シンタローは、ゆっくりと辺りを見回した。
死んじまった……のかな、俺……。ここは……ガンマ団本部?
彼は横たわり、一室の天井を瞳に映していた。
調度品は違うが、どことなく見覚えのある部屋。……そうだ、ここは総帥室の隣にしつらえられた別室だ。何故こんなところに自分はいるのだろう。
起き上がろうと、シンタローは身じろぎした。途端、ひょいと宙に浮く感覚。自分を覗き込んでいるのは――。
……親父っ!?
「起きちゃったかい、シンちゃん」
シンタローはマジックに抱き上げられていた。有り得べからざる状況だった。
「あ……う……」
「んー? 何かな? パパがどうかしたかい?」
シンタローに向かって笑いかけるその顔は、たしかにマジック自身だったが、彼の知る父より、確実に二十歳近くは若い。声の質もそれ相応に、まだ青年の域を出ていなかった。
そこでシンタローは初めて気付いた。自分が乳児になっていることに。これなら軽く抱けるはずだ。
ここは過去の世界なのだろうか。それともただの幻影にすぎないのか……。
「兄さん……」
低く、押し殺したような呼び声。赤ん坊のシンタローを抱いたマジックはそちらに向き直った。必然的にシンタローの視界も方向を変えることになる。
「何だ、サービス、まだ言い足りないのか」
おじさん? ほんとに若い……
マジックと対峙するように、弟であるサービスが立っていた。現実のシンタローとちょうど同年代だ。
サービスは、思い詰めたようにも見える表情でマジックを見返していた。
「本気、なんですか、兄さん」
その問いに、ほんのわずかだけ、自分を抱く父の手に力が籠められたのをシンタローは感じた。
「本気で、シンタローを――」
「愚問だぞ、サービス」
マジックは、まっすぐに、齢の離れた弟を見据えた。
「シンタローは私の息子だ。それを後継ぎに決めて何が悪い?」
「ぼくが言っているのはっ――!」
サービスが声を詰まらせる。彼の声にならない言葉を、兄は奪い取った。
「シンタローが秘石眼を持たないからか? この子では一族の後継者は務まらない、と言いたいのか」
マジックは唇の片端だけ上げて嗤った。
「『おまえが』そう言うのか?」
「………!」
他人の神経を逆撫ですることにかけては、右に出るものはなかろうと思われるほどの、棘を含んだ口調だった。
「嫉妬か? 望んでも得られぬ地位をあっさりこの子が攫うことへの? それとも普通の瞳で生まれてきた、そのこと自体に?」
「そうじゃない! ぼくの言いたいのは……そんなことなんかじゃ……っ」
何度もサービスは首を振る。年齢不相応の苦悩の翳がたゆたっていた。
数瞬の、沈黙が支配する時間。
「……シンタローが、可哀相だ」
ぽつりと、サービスは呟いた。マジックがかすかにぴくりとしたのが、シンタローに伝わる。
「可哀相すぎるよ……。こんなのは、兄さんのエゴじゃないか」
目線だけ動かして、シンタローは父と叔父を見比べた。
「別にぼくは後継者になりたくなんてない……なれるはずもないし、なる気もありません。だから、そんなつもりで、シンタローを後継ぎに定めることについて異論を呈しているわけじゃないんです」
震えているようにも聞こえる、抑えた声が、室内を回遊する。
「……シンタローは秘石眼じゃない。それはそのまま、一族の中の立場として、異端者になることを意味します。ただでさえあなたの、『マジックの息子』という枷が、この子にはついて回るのに」
……ぼくが、『マジックの弟』の名を重く感じているように。
声に出さなかった思いを、けれど聞き取ることは容易だった。
「……増して、一族の後継者として彼を立てるなんてことになったら、余計にシンタローは――」
サービスは哀しげな瞳で兄を捉えた。
「シンタローはおそらく、破滅に向かう一族の運命を内から変えることができる、ただ一人の存在でしょう。袋小路に入り込んだ我々一族にとって、もはや必要不可欠な……。それなのに、わざわざ彼を潰そうとしているとしか、ぼくには思えない。……最後まで耐えきれればいい、でもそうでなかったら……」
「もういい、サービス」
マジックは弟の心情の吐露を押しとどめようとした。サービスの声は反して次第に高くなってゆく。
「―シンタローに三重苦を背負わせるつもりなんですか……? 勝手に押しつけて、それを敢えて推し進めようなんて、そんな……そんなのはただの、あなたのエゴイズムだ!」
「……たいした言い種だな。既に決めたことだ、おまえに言う資格はない!」
「いつだってそうじゃないか! それとも、やっぱり兄さんはジャンの――っ!!」
「――サービス!!」
マジックは一喝した。はっとサービスが息を呑む。その場の空気が凍結していた。
「申し訳ありません……。失礼します」
サービスは一礼すると、足早に部屋を出ていった。
……おじさん……親父っ!?
シンタローは、必死に父の衣服を掴み、叫んだ。しかし、発することができたのは、意味を為さない喃語でしかあり得なかった。四肢の感覚すら、まるで自分のものではないようだ。
「あぅ……だぁ……」
「シンタロー……?」
腕の中の我が子に、マジックは視線を落とした。心持ち、瞳によぎる色合いが暗い。
「すまない。嫌な問答を聞かせてしまったな。……といってもまだおまえには判らないか」
あやすように、息子をマジックは揺らした。
「私のエゴ、か――。そうなのかもしれない。秘石眼ではないおまえにとって、確かにこれは酷だろう。……嫌われることは覚悟の上だが、それでは足らず、もしかしたら、恨み、憎まれすらするかもしれんな……」
マジックはふと微笑んだ。優しく、穏やかに。彼らしくないほどに。
「それでもね、シンタロー……」
悲しいほどの静けさを湛えた、それは、呟くような口調だった。
「私はおまえが可愛くてしょうがないんだよ」
シンタローは大きく目を見開き、自分を抱くマジックを凝視した。そこにいるのは、一人の父親だった。
「どんなに憎まれても、たとえ一族の異端者でも、私は、おまえが……シンタロー―」
父さん……。そう心の中で呼びさす。
その時、不意にシンタローは、ぐいっとひっぱられるような感覚をおぼえた。
……何だ? 何が起こったんだ!?
視界が霞み、頭がぼやけてくる。薄れる意識の中、シンタローは最初の疑問の答えに辿り着いていた。
あぁ、そうか、これは幻なんかじゃねえ。俺の記憶だ……ずっと、はるか昔の……。
それだけ考え、シンタローは引力に身を委ねた――。
「う……」
シンタローは薄く目を開けた。映るのは、天井。
「気が付いたようだね」
すっと、人影が脇で動く。
体がひどく重苦しい。シンタローはのろのろと頭を巡らした。その途端締めつけられるような頭痛に、彼は顔をしかめた。
「ドク……ター……?」
ドクター高松がシンタローの傍に立っていた。
ここは医務室なのだろうか。高松がいるところを見ると、前線の駐屯基地だ。でも、どうやって?
「俺……」
喋ることさえ億劫だ。呼吸するたび、胸郭が情けない悲鳴をあげる。
「ああ……そのまま動かないで、シンタローくん」
高松はシンタローの額に手を置いた。
昔は「シンタロー様」と様付け、そして敬語で話していた高松だったが、特別扱いされたくないと強く言い張るシンタロー自身の要望で、二年ほど前からは、極力、口調を修正している。今もその例に違わなかった。
「君は三日近く昏睡状態だったんだよ。話は聞いたが……あれだけの力をまともに受けて、その程度のダメージで済んだだけでも奇蹟なんだからね」
あれだけの、力?
その言葉に、突然光景が蘇る。……あの、大爆発。
「取り敢えず診察を――」
「………! そうだ、親父っ! 親父は!?」
シンタローは痛みも忘れて、すがるように高松に問うた。訊かれた方は、わずかに驚きを混ぜた表情で発言者を見返した。
高松が返答するより早く、
「私ならここにいる」
反対側から声が割り込む。シンタローは、はっとしてそちらを向いた。鉄の破片を突きさされているかのような頭の痛み。
腕組みしたマジックが、シンタローの横たわるベッドの傍らにいた。擦過傷一つ負っている様子はない。
「親父……」
そうか、無事だったんだ……。
半ば麻痺している舌の感覚がもどかしい。
「シンタロー」
マジックは呼びかけた。そこに含まれるのは、暖かさではなく、氷のような冷たさだった。
「何故、戻ってきた?」
「え……」
「逃げろ、と私は言わなかったか? どうして、あのまま行かなかった」
シンタローは困惑して父を見やった。マジックの声が冷淡さを増す。
「そのせいで、シナリオは台無しだ。結果的に何事もなかったからよかったようなものの、自分のしたことがどれほど他人の障害になったか、おまえは判っているのか!」
「俺は……ただ、親父が……っ」
苦しい呼吸をおして話そうとする息子を、マジックはあざけるような双眸で切り刻んだ。
「私が心配だった、とでも言うのか? ふん、あれしきのことで、この私がやられるわけがなかろう。おまえはただ私の言うとおりにしていればいいんだ! それを、上面だけの独断で先走って、その挙句がこれか。不様だな、シンタロー!!」
「な……っん……!」
かっとなってシンタローは跳ね起きた。途端に、全身を貫く激痛に、彼は身体を折った。一瞬気が遠くなり、けれど、同じもののせいで現実に引き戻されるほどの、激しい痛みと苦しさ。
「……ぐっ……」
「シンタローくん!」
それまで、心配げな目で、しかし立ち入ることのできぬものとして父子の会話を静観していた高松が、手を伸ばす。……限界だ。
「駄目だ! まだ起きられるわけないだろう」
肩を抱くようにして、高松は己れの患者を再び横たわらせた。シンタローは眉を寄せ、喘ぐような、時折止まりかねない不規則な呼吸を洩らしている。
マジックの放った力の中心点に飛び込んできて、これだけの怪我どころか、生きていられることの方が不思議なのだ。シンタローにその自覚があるかどうかは甚だ不明瞭なものだったが……。
「ク……ソ親父っ!」
枕に頭を押しつけ、絞りだすような声でシンタローは罵った。マジックは、無感動に我が子を眺め下ろす。
「いいざまだな……自業自得だ。最初に念を押したはずだな、不様な姿をさらすような真似をしたら、その時は……と。おまえには失望させられたぞ。少しはものの役に立つかと思えばこれだ」
マジックは語気を強めた。
「それでも私の息子か! このマジックの名をけがしおって!!」
「――ッ!」
シンタローは、言い返す言葉を見失って、ただ黙って耐えるよりなかった。マジックは興味を失ったように、ふいと横を向いた。
「……覚悟しておけ」
言い残して、マジックはつかつかと場を歩み去った。対照的な静寂が、後に残された。
マジックは壁にもたれ、吐息した。
これでまた息子に憎まれるのは確実だろう。ねぎらいの言葉一つ与えない自分を、シンタローは恨むだろうか?
「……だとしても構わん……」
彼は独語した。自分にはこんなやり方しかできないのだ。――それが、間違っていたとしても。
自嘲の色が、マジックを淡く染めていた。
マジックが医務室から去り、ようやくシンタローが、荒いながらも呼吸を元に戻したところで、高松は控えめに名前を口にした。
「シンタローくん……」
「………」
シンタローは唇を噛み、小刻みに震えている。
「……えよ……」
「え――?」
「俺……できねぇ、よ……。親父、みたい、に――そんな、の……」
高松は、毛布をかぶせなおす手を一瞬止めた。
シンタローは泣いていた。涙を流しながら、呟きに近くひとりごちる。
「……お……れ、判ん……ねぇよ。何にも……全ぜっ……何で――っ」
シンタローが言葉を詰まらせるのをみて、高松は再度呼びかけた。
「シンタロー様、いいことを教えてさしあげましょうか……」
語調を改めて、ふわりと毛布を掛ける。
「完全に意識を失っていらっしゃいましたから、あなたは無論ご存じないことでしょうけれどね――」
近くの椅子に、高松は浅く腰を下ろした。指を組み、膝に置く。
「あなたをここまで運んできたのは総帥です。あなたが眠っている間、ずっと付き添っていらしたんですよ。寝食も忘れて……とても心配なさって――」
ぐったりとしたシンタローを抱えてここに飛び込んできた時の、マジックの顔を、高松は生涯忘れまい、と思う。彼の構成要素の第一であるはずのゆとりも何もかもかなぐり捨てた、すがりつくような……。
それは、十七年前のあの日、ルーザーの起こした叛乱の中で、ほんの一瞬だけ見せたものと同じ種類に属していたかもしれない。決定的に違うのは、あの時彼は敗北者を赦さなかったということだ。
魔王たるマジックにとって唯一の例外がシンタローなのだと、高松には判っていた。
『シンタローを救けてくれ! 私のせいだ……私が、誤ったから……っ!!』
そう、マジックは言ったのだ。そして、それから先、どれだけ高松が司令部に戻るように促しても、マジックは息子の傍を離れようとしなかった。何度もその名前を繰り返しながら……。
「あの方はあなたのことを――」
「親父、が……?」
本当にそうなのだろうか。あの父が?
「あなたはお父上がお嫌いですか?」
高松の問いに、しばらくシンタローは答えなかった。
「……判らねえ……」
――違う。本当は、どんなにけなされても、蔑まれても、それでも自分は父が好きなのだ。多分、最後の最後のところで。
胸が痛い。それは、怪我のせいだけではなくて……。
ふとシンタローは夢でみた記憶を思い出した。
赤ん坊の自分に語りかける、父の姿。きっとただ一つの望憶……。
「――診察は後回しにした方がよさそうですね。もう少し眠っていらっしゃい」
高松は声をかけた。シンタローは微かに頷いて、目を閉じた。
「シンタロー、おまえはまだこれから、絶望を知らなければならない……。その時、おまえはどうする……?」
マジックは再び呟いた。そこに、団員が駆けてくる。
「ああ、お捜ししておりました、総帥! 今回の報告書のことで……」
「判った。すぐに行く」
マジックは首肯し、身を返した。父と息子の想いが、戦場で迷走し交錯する……。
それでもね、シンタロー……私はおまえが可愛くてならないんだよ――。
望むことと、能わざることが、もしも同じ位置にあるのなら。
唯一の望憶を見たかった。
その瞬間瞳に映ったのは、閃光。そして、その合間に覗いたのは――。
<1>
「シンタロー」
と、マジックは息子を呼んだ。いつもはあくまで『シーンーちゃん♪』のノリで呼ばれることが多いだけに、少々訝しく思いつつ、シンタローは父親に目を向けた。
「何?」
「今度の出征のことだが……」
「あぁ……D国辺境部でもめてるやつ? 親父が行って完璧にカタを付けてくる、って」
そのような話を聞かされていたので、シンタローは確認するように訊ねた。マジックが頷く。
「そうだ。それにおまえも同行してもらおうと思ってな」
一瞬、シンタローは言葉の意味を把握しかねそうになる。理解できたのは一呼吸後だった。
「俺が!?」
思わず大声を出してしまう。
「でも、俺、実戦なんてやったことねぇぜ!?」
「だから、だ。おまえももう十八……そろそろ演習ではなく実戦に参加してもいい頃だろう」
それは実際シンタロー自身も考えていたことではあった。近いうちに戦場に出ることになるだろうとは思っていたのだが、まさかいきなり次の出征が初陣とは。
……心の準備も何もあったものじゃねえよなー。
小さく呟く。もっとも、一々、そんなものができるまで戦闘がストップしてくれるわけでないのは、シンタローとて知っている。
「これまで得てきたものがどの程度役立つか――いい機会だ、試してみろ。但し……」
マジックが口元だけで笑う。
「言っておくが、おまえの意志にかかわらず『マジックの息子』の名は重いぞ。不様な姿をさらすような真似をしたら、その時は……判っているな?」
息子を見つめる、冷徹な瞳。シンタローはゆっくりと首肯した。
「ああ……判ってる……」
シンタローは、『ガンマ団総帥』を見つめ、敬礼した。もしかしたらこれが、彼がマジックを、父としてというより、自分の上に立つ絶対者、支配者としての視点で見るようになった最初だったかもしれない。
「……承知しました。任務を拝命いたします。御期待を裏切らぬよう、非能非才の身の全力を挙げて遂行する所存であります。――総帥」
瓦礫の山の中に、マジックたちは立っていた。
彼らの周囲では、敵兵が折り重なり、あるいは瓦礫の下敷きとなり、斃れている。
半分はシンタロー一人の手によるものだった。
「ブラボー! シンちゃん」
マジックが拍手してみせる。
「………」
シンタローは半ば呆然としていた。一種の虐殺を行った自分を誉められたことに対する、反発反応すら、起こるレベルではない。
自分が、奪った生命。
これだけの人間の死。
これが、戦いというものなのだろうか。人に殺される人と、人を殺す人――それを見せつけられて、シンタローは言葉を失っていた。彼がそれまで知っていたのは、知識としての死。……これが、現実だった。
人殺しのスペシャリストが己れの職業――その意味に、改めて思い到る。人間が人間を殺すとは、こういうことなのだ……。
それだけの力を自分が持っていることを感覚的に思い知って、シンタローは頭をおもいきり殴られたようなショックを隠しきれなかった。
実際に軍籍に在る者として、または殺し屋として、この先幾度も合法的な殺人、非合法な殺人を犯すようになったらどうなるのだろう。
シンタローは頭の隅で考えた。それとも、その時にはもう感覚が麻痺してしまって、人殺しを何とも思わなくなってしまうのだろうか。
そう、ここで、いつも大量殺人を犯しているにもかかわらず平然としている、そしていつも他人に人殺しを命じている、この父のように……。
「どうした、怖くなったか。そんなことでは名前負けだぞ、シンタロー」
挑発するようなマジックの言葉に、だがシンタローは反論を返さない。
「事後処理は任せる」
マジックは駐屯部隊の長に声を投げた。
「……基地に戻るぞ」
つまらなそうにマジックは身を返した。直属の部下がそれにつき随う。シンタローは頭を振って思いを断ち切り、後を追った。
「戦い甲斐のない……」
マジックは吐き捨てた。
「これなら私が出るまでもなかったか……。うちの軍をてこずらせたくらいだ、もう少し愉しませてくれるかと期待したんだが」
彼にとって戦いは、人殺しとは、娯楽にすぎないのだろうか――。
マジックは息子に視線を向けた。黙り込んだまま一歩後ろをシンタローはついてくる。
「どうしたんだい、シンちゃん」
急にマジックは声のトーンを引き上げ、シンタローに話しかけた。
「浮かない顔だね。せーっかくシンちゃんの武勲を、パパ、誉めてあげたのに。シンちゃんってば喜んでくれない……しくしく、パパ泣いちゃうよ」
「……っ!!」
シンタローは声を詰まらせた。握った拳に力が籠もる。なぜ、たった今大量虐殺を見た、行なったばかりで、こんなにヘラヘラとおちゃらけていられるのか。
憤りが、シンタローの全身を瞬時に駆け巡る。彼は上目遣いに――マジックとの身長差のゆえだ――父をキッと睨みつけた。
マジックは薄く笑みを刷いた。
そうだ……シンタローはこれでいい。このままでいい。自分に対する反発こそが、シンタローを勁くする。
自分を反面教師にすることで、シンタローが、己れの手を朱に染めることの意味と重みを自覚できてくれればいいのだ。真の勁さを彼は手中にしようとしている――。
「それにしても……」
再び元の絞った声音に戻り、マジックは独語した。
「あっけなさすぎるな」
現場からいくらも行かないところで、マジックは足を止めた。
「総帥?」
部下の呼びかけ。マジックは面白くもなさそうな表情で辺りに視線を投げた。
「待ち伏せされた、か」
マジックは呟いた。……え? という顔で、傍らのシンタローが父を見上げる。
「動かないほうがいいぞ、シンタロー」
それに呼応するかのように、周囲から敵軍の兵たちが現れた。向けられた火器は完全に一行を捉えていた。もっとも、下手に逃げ出そうとしない限り、すぐに発砲するつもりはないようだ。
「やはりな……」
マジックの、己れの部下を見据える双眸が冷たい厳しさを増す。
「……何故監視を怠った!! 動向を正確に探るのが役目だろうッ!」
叱責された方は、萎縮し、身をこわばらせている。マジックは鼻白み、自嘲に近い嗤いを覗かせた。
ここまで気付かなかった自分も同じか……。
マジックは敵の士官に目を向けた。
「我々をどうするつもりだ? 捕虜か、あるいは――」
「決まっている! 皆殺しだっっ!! だが、簡単には殺さん!」
マジックを除く一行に緊張感がはしる。
……この地にマジックがシンタローを連れてきたのは、彼がとことん息子を甘やかしていたからだった。
マジック自らが出向く、しかも比較的容易な任務。さして手に余ることもなく、更に常に、何かあればシンタローをフォローする態勢をとることもできる。それを、息子の初仕事として選んだのだ。シンタローに対するマジックの偏愛ぶりは、それを受ける本人以外の全員が正しく理解するところだった。
ゆえに、このような思いをシンタローにさせるつもりはマジックには毛頭なかったのだが……。
だがしかし、こうなった以上は、それにシンタローがどこまで対処できるか、耐えられるのか、マジックは見極めることにしていた。初陣での予定外の偶発事とはいえ、これで潰れてしまうようなら、後々役には立たない。
シンタローには将来ガンマ団総帥の座を譲り渡すつもりなのだ。であれば、それにふさわしい資質の片鱗を見せてもらわねばならない。無能者は必要ないのだ。
父親としての想いの他に、恐ろしいほど冷酷な思考を働かせる、背反部分がマジックの裡には存在していたのだった。
「なるほど……」
マジックは、そっと背後の息子を伺い見た。
蒼ざめ、怯えた顔――。
それは、そうだろう。初陣でこのような目に遭って豪胆でいられたら、逆に神経を疑ってしまう。
……もう充分かもしれない。少なくとも彼の息子は、さっさと両手を挙げて敵の前に出てゆき、命乞いするような真似はしなかったのだ。たとえそれが、虚勢に根ざすものでも……。
死角は――ある?
マジックは手を伸ばし、シンタローの頭を抱き寄せた。くしゃりと、一族の誰とも違う黒髪が指にわずかにからまりつく。
「動くなッッ!!」
ダゥンッ……!
威嚇のつもりか、マジックの手前をめがけて発砲が起こる。足元の土と小石が跳ね上げられ、舞い飛んだ。
周囲の、息を呑む気配。
「ふん」
敵も味方も一種の興奮状態にある中、マジックはただ一人平然と、無感動に現状を眺めやっていた。
それから、抱き寄せたシンタローの耳元で、ごく低くささやく。
「いいか、シンタロー……東南東、左後方約三十度――死角だ」
「え……?」
「一人なら抜けられる。……逃げろ!」
「……親父――?」
恐怖と驚愕が入り交じった顔で、シンタローは父親を仰ぎ見た。
「けどっ!」
「大丈夫だ――」
「何を喋っている!」
キン、と、再び地面がはぜる。
マジックは軽く舌打ちした。長話ししていては分が悪くなる。
「私は平気だ。……ここでむざむざ死ぬような、悪いことは、パパはしたことないよ、シンちゃん♪」
この状態で、ちゃかした口調をつくれる豪胆さは賞賛に値するものだろう。薄紙一枚の差の、きわどいものではあったが。
ぎりぎりの状態で、けれど、せめて息子だけでも逃がそうとする――そんな親子愛に見えたかもしれない。確かにその意味も持ち合わせていた。しかしマジックが真に考えていたのは、もっと私的なことだった。
ここで自分の『力』を解放すれば、あっさりけりがつく。だがマジックは、シンタローに化け物じみた自分の姿を見せたくなかった。
……眼魔砲は、シンタローにもできる技だ、幾分セーブしたなら使ってもいいだろう。問題はそれより上に位置する能力だ。
秘石を使うどころか、秘石眼すら、マジックはシンタローにはその本質を明らかにしたことがなかった。そして当分、する気もなかったのだ。
シンタローは動こうとしない。
マジックは息子の髪をなぶった。別の表現が必要らしい。
「……これはテストだ。この状態から逃げおおせることもできないようでは、ガンマ団にとって必要な人材とは言えん。役立たずが!」
「な……ッ!!」
シンタローの顔色が変わる。この期に及んでそんなことを言われるとは思わなかったのだ。
「不要と言われたくなければ成功してみせろ」
言い置いて、マジックは敵の様子をはかった。敵の隙と死角……より完全なものにするためには?
タイミングは――
わざと、マジックは一歩進み出た。敵兵の狙いが一瞬彼一人に集まった、その瞬間、
「――行けっ!!」
マジックはシンタローを突き飛ばした。
ザッ……!
もはや思考とは別のところで、シンタローは地を蹴った。大きな岩が盾になる。
「何っ!?」
敵の反応は遅れた。
目標を定め損ねて、砲口が揺らぐ。動くものに対して目が行くのは人の常だ。
マジックが力を集中させるには、それで充分だった。あとは味方側に被害が及ばないよう、引き絞るだけだ。
ダダダダッッ……
岩の間をすり抜けてゆくシンタローに、一斉砲火が浴びせられる。だが、逃げる方向が方向だ、どれ一つ彼をかすりもしない。
「へんっ、当たるかよッ!」
強大な殺戮と破壊の予感。
――バゥッ!
反対方向で起こる小さな爆発……
岩陰に飛び込みかけて、シンタローはふと後ろを振り仰いだ。
「――!?」
意図的に小規模の眼魔砲を放ち、注意を更に自分の方に向けようとしたのだろう、完全に息子をかばう位置に移動したマジックが、構えをとって立っていた。
防ぎきれるわけがない。
マジックに向けられる銃口――。
「親父!」
シンタローは盾となる岩の陰から飛び出していた。無意識の、反射にも似た行動だった。
引金に掛かった指に力が加わる。
膨れあがる、圧倒的な力のオーラ。終末の光景。
「親……っ。父さん!!」
「何をしているッ!」
巻き起こる風が髪を逆立てる。
「……よせ! 来るな! シンタロー!!」
「……っ!!」
――ドゥッッ!!
耳をつんざく音。土埃に遮られる視界。激しい爆風にあおられる。
コマ送りのフィルムのように途切れとぎれの情景。
破裂する空間の中心にシンタローはいた。
閃光で目が眩む。圧力に近い衝撃。
「――父さんっ!!!……」
……叫びは、爆発音にかき消された。
「……シンタロ――――ッツッ!!!」
加速度的に意識が遠のく。
完全に意識を手放す瞬間、瞳に映る閃光のはざまで、マジックの両眼が哀しげに青く光るのを、シンタローは見たような気がした――。
<2>
あれ……? 俺、どうしたんだ?
シンタローは、ゆっくりと辺りを見回した。
死んじまった……のかな、俺……。ここは……ガンマ団本部?
彼は横たわり、一室の天井を瞳に映していた。
調度品は違うが、どことなく見覚えのある部屋。……そうだ、ここは総帥室の隣にしつらえられた別室だ。何故こんなところに自分はいるのだろう。
起き上がろうと、シンタローは身じろぎした。途端、ひょいと宙に浮く感覚。自分を覗き込んでいるのは――。
……親父っ!?
「起きちゃったかい、シンちゃん」
シンタローはマジックに抱き上げられていた。有り得べからざる状況だった。
「あ……う……」
「んー? 何かな? パパがどうかしたかい?」
シンタローに向かって笑いかけるその顔は、たしかにマジック自身だったが、彼の知る父より、確実に二十歳近くは若い。声の質もそれ相応に、まだ青年の域を出ていなかった。
そこでシンタローは初めて気付いた。自分が乳児になっていることに。これなら軽く抱けるはずだ。
ここは過去の世界なのだろうか。それともただの幻影にすぎないのか……。
「兄さん……」
低く、押し殺したような呼び声。赤ん坊のシンタローを抱いたマジックはそちらに向き直った。必然的にシンタローの視界も方向を変えることになる。
「何だ、サービス、まだ言い足りないのか」
おじさん? ほんとに若い……
マジックと対峙するように、弟であるサービスが立っていた。現実のシンタローとちょうど同年代だ。
サービスは、思い詰めたようにも見える表情でマジックを見返していた。
「本気、なんですか、兄さん」
その問いに、ほんのわずかだけ、自分を抱く父の手に力が籠められたのをシンタローは感じた。
「本気で、シンタローを――」
「愚問だぞ、サービス」
マジックは、まっすぐに、齢の離れた弟を見据えた。
「シンタローは私の息子だ。それを後継ぎに決めて何が悪い?」
「ぼくが言っているのはっ――!」
サービスが声を詰まらせる。彼の声にならない言葉を、兄は奪い取った。
「シンタローが秘石眼を持たないからか? この子では一族の後継者は務まらない、と言いたいのか」
マジックは唇の片端だけ上げて嗤った。
「『おまえが』そう言うのか?」
「………!」
他人の神経を逆撫ですることにかけては、右に出るものはなかろうと思われるほどの、棘を含んだ口調だった。
「嫉妬か? 望んでも得られぬ地位をあっさりこの子が攫うことへの? それとも普通の瞳で生まれてきた、そのこと自体に?」
「そうじゃない! ぼくの言いたいのは……そんなことなんかじゃ……っ」
何度もサービスは首を振る。年齢不相応の苦悩の翳がたゆたっていた。
数瞬の、沈黙が支配する時間。
「……シンタローが、可哀相だ」
ぽつりと、サービスは呟いた。マジックがかすかにぴくりとしたのが、シンタローに伝わる。
「可哀相すぎるよ……。こんなのは、兄さんのエゴじゃないか」
目線だけ動かして、シンタローは父と叔父を見比べた。
「別にぼくは後継者になりたくなんてない……なれるはずもないし、なる気もありません。だから、そんなつもりで、シンタローを後継ぎに定めることについて異論を呈しているわけじゃないんです」
震えているようにも聞こえる、抑えた声が、室内を回遊する。
「……シンタローは秘石眼じゃない。それはそのまま、一族の中の立場として、異端者になることを意味します。ただでさえあなたの、『マジックの息子』という枷が、この子にはついて回るのに」
……ぼくが、『マジックの弟』の名を重く感じているように。
声に出さなかった思いを、けれど聞き取ることは容易だった。
「……増して、一族の後継者として彼を立てるなんてことになったら、余計にシンタローは――」
サービスは哀しげな瞳で兄を捉えた。
「シンタローはおそらく、破滅に向かう一族の運命を内から変えることができる、ただ一人の存在でしょう。袋小路に入り込んだ我々一族にとって、もはや必要不可欠な……。それなのに、わざわざ彼を潰そうとしているとしか、ぼくには思えない。……最後まで耐えきれればいい、でもそうでなかったら……」
「もういい、サービス」
マジックは弟の心情の吐露を押しとどめようとした。サービスの声は反して次第に高くなってゆく。
「―シンタローに三重苦を背負わせるつもりなんですか……? 勝手に押しつけて、それを敢えて推し進めようなんて、そんな……そんなのはただの、あなたのエゴイズムだ!」
「……たいした言い種だな。既に決めたことだ、おまえに言う資格はない!」
「いつだってそうじゃないか! それとも、やっぱり兄さんはジャンの――っ!!」
「――サービス!!」
マジックは一喝した。はっとサービスが息を呑む。その場の空気が凍結していた。
「申し訳ありません……。失礼します」
サービスは一礼すると、足早に部屋を出ていった。
……おじさん……親父っ!?
シンタローは、必死に父の衣服を掴み、叫んだ。しかし、発することができたのは、意味を為さない喃語でしかあり得なかった。四肢の感覚すら、まるで自分のものではないようだ。
「あぅ……だぁ……」
「シンタロー……?」
腕の中の我が子に、マジックは視線を落とした。心持ち、瞳によぎる色合いが暗い。
「すまない。嫌な問答を聞かせてしまったな。……といってもまだおまえには判らないか」
あやすように、息子をマジックは揺らした。
「私のエゴ、か――。そうなのかもしれない。秘石眼ではないおまえにとって、確かにこれは酷だろう。……嫌われることは覚悟の上だが、それでは足らず、もしかしたら、恨み、憎まれすらするかもしれんな……」
マジックはふと微笑んだ。優しく、穏やかに。彼らしくないほどに。
「それでもね、シンタロー……」
悲しいほどの静けさを湛えた、それは、呟くような口調だった。
「私はおまえが可愛くてしょうがないんだよ」
シンタローは大きく目を見開き、自分を抱くマジックを凝視した。そこにいるのは、一人の父親だった。
「どんなに憎まれても、たとえ一族の異端者でも、私は、おまえが……シンタロー―」
父さん……。そう心の中で呼びさす。
その時、不意にシンタローは、ぐいっとひっぱられるような感覚をおぼえた。
……何だ? 何が起こったんだ!?
視界が霞み、頭がぼやけてくる。薄れる意識の中、シンタローは最初の疑問の答えに辿り着いていた。
あぁ、そうか、これは幻なんかじゃねえ。俺の記憶だ……ずっと、はるか昔の……。
それだけ考え、シンタローは引力に身を委ねた――。
「う……」
シンタローは薄く目を開けた。映るのは、天井。
「気が付いたようだね」
すっと、人影が脇で動く。
体がひどく重苦しい。シンタローはのろのろと頭を巡らした。その途端締めつけられるような頭痛に、彼は顔をしかめた。
「ドク……ター……?」
ドクター高松がシンタローの傍に立っていた。
ここは医務室なのだろうか。高松がいるところを見ると、前線の駐屯基地だ。でも、どうやって?
「俺……」
喋ることさえ億劫だ。呼吸するたび、胸郭が情けない悲鳴をあげる。
「ああ……そのまま動かないで、シンタローくん」
高松はシンタローの額に手を置いた。
昔は「シンタロー様」と様付け、そして敬語で話していた高松だったが、特別扱いされたくないと強く言い張るシンタロー自身の要望で、二年ほど前からは、極力、口調を修正している。今もその例に違わなかった。
「君は三日近く昏睡状態だったんだよ。話は聞いたが……あれだけの力をまともに受けて、その程度のダメージで済んだだけでも奇蹟なんだからね」
あれだけの、力?
その言葉に、突然光景が蘇る。……あの、大爆発。
「取り敢えず診察を――」
「………! そうだ、親父っ! 親父は!?」
シンタローは痛みも忘れて、すがるように高松に問うた。訊かれた方は、わずかに驚きを混ぜた表情で発言者を見返した。
高松が返答するより早く、
「私ならここにいる」
反対側から声が割り込む。シンタローは、はっとしてそちらを向いた。鉄の破片を突きさされているかのような頭の痛み。
腕組みしたマジックが、シンタローの横たわるベッドの傍らにいた。擦過傷一つ負っている様子はない。
「親父……」
そうか、無事だったんだ……。
半ば麻痺している舌の感覚がもどかしい。
「シンタロー」
マジックは呼びかけた。そこに含まれるのは、暖かさではなく、氷のような冷たさだった。
「何故、戻ってきた?」
「え……」
「逃げろ、と私は言わなかったか? どうして、あのまま行かなかった」
シンタローは困惑して父を見やった。マジックの声が冷淡さを増す。
「そのせいで、シナリオは台無しだ。結果的に何事もなかったからよかったようなものの、自分のしたことがどれほど他人の障害になったか、おまえは判っているのか!」
「俺は……ただ、親父が……っ」
苦しい呼吸をおして話そうとする息子を、マジックはあざけるような双眸で切り刻んだ。
「私が心配だった、とでも言うのか? ふん、あれしきのことで、この私がやられるわけがなかろう。おまえはただ私の言うとおりにしていればいいんだ! それを、上面だけの独断で先走って、その挙句がこれか。不様だな、シンタロー!!」
「な……っん……!」
かっとなってシンタローは跳ね起きた。途端に、全身を貫く激痛に、彼は身体を折った。一瞬気が遠くなり、けれど、同じもののせいで現実に引き戻されるほどの、激しい痛みと苦しさ。
「……ぐっ……」
「シンタローくん!」
それまで、心配げな目で、しかし立ち入ることのできぬものとして父子の会話を静観していた高松が、手を伸ばす。……限界だ。
「駄目だ! まだ起きられるわけないだろう」
肩を抱くようにして、高松は己れの患者を再び横たわらせた。シンタローは眉を寄せ、喘ぐような、時折止まりかねない不規則な呼吸を洩らしている。
マジックの放った力の中心点に飛び込んできて、これだけの怪我どころか、生きていられることの方が不思議なのだ。シンタローにその自覚があるかどうかは甚だ不明瞭なものだったが……。
「ク……ソ親父っ!」
枕に頭を押しつけ、絞りだすような声でシンタローは罵った。マジックは、無感動に我が子を眺め下ろす。
「いいざまだな……自業自得だ。最初に念を押したはずだな、不様な姿をさらすような真似をしたら、その時は……と。おまえには失望させられたぞ。少しはものの役に立つかと思えばこれだ」
マジックは語気を強めた。
「それでも私の息子か! このマジックの名をけがしおって!!」
「――ッ!」
シンタローは、言い返す言葉を見失って、ただ黙って耐えるよりなかった。マジックは興味を失ったように、ふいと横を向いた。
「……覚悟しておけ」
言い残して、マジックはつかつかと場を歩み去った。対照的な静寂が、後に残された。
マジックは壁にもたれ、吐息した。
これでまた息子に憎まれるのは確実だろう。ねぎらいの言葉一つ与えない自分を、シンタローは恨むだろうか?
「……だとしても構わん……」
彼は独語した。自分にはこんなやり方しかできないのだ。――それが、間違っていたとしても。
自嘲の色が、マジックを淡く染めていた。
マジックが医務室から去り、ようやくシンタローが、荒いながらも呼吸を元に戻したところで、高松は控えめに名前を口にした。
「シンタローくん……」
「………」
シンタローは唇を噛み、小刻みに震えている。
「……えよ……」
「え――?」
「俺……できねぇ、よ……。親父、みたい、に――そんな、の……」
高松は、毛布をかぶせなおす手を一瞬止めた。
シンタローは泣いていた。涙を流しながら、呟きに近くひとりごちる。
「……お……れ、判ん……ねぇよ。何にも……全ぜっ……何で――っ」
シンタローが言葉を詰まらせるのをみて、高松は再度呼びかけた。
「シンタロー様、いいことを教えてさしあげましょうか……」
語調を改めて、ふわりと毛布を掛ける。
「完全に意識を失っていらっしゃいましたから、あなたは無論ご存じないことでしょうけれどね――」
近くの椅子に、高松は浅く腰を下ろした。指を組み、膝に置く。
「あなたをここまで運んできたのは総帥です。あなたが眠っている間、ずっと付き添っていらしたんですよ。寝食も忘れて……とても心配なさって――」
ぐったりとしたシンタローを抱えてここに飛び込んできた時の、マジックの顔を、高松は生涯忘れまい、と思う。彼の構成要素の第一であるはずのゆとりも何もかもかなぐり捨てた、すがりつくような……。
それは、十七年前のあの日、ルーザーの起こした叛乱の中で、ほんの一瞬だけ見せたものと同じ種類に属していたかもしれない。決定的に違うのは、あの時彼は敗北者を赦さなかったということだ。
魔王たるマジックにとって唯一の例外がシンタローなのだと、高松には判っていた。
『シンタローを救けてくれ! 私のせいだ……私が、誤ったから……っ!!』
そう、マジックは言ったのだ。そして、それから先、どれだけ高松が司令部に戻るように促しても、マジックは息子の傍を離れようとしなかった。何度もその名前を繰り返しながら……。
「あの方はあなたのことを――」
「親父、が……?」
本当にそうなのだろうか。あの父が?
「あなたはお父上がお嫌いですか?」
高松の問いに、しばらくシンタローは答えなかった。
「……判らねえ……」
――違う。本当は、どんなにけなされても、蔑まれても、それでも自分は父が好きなのだ。多分、最後の最後のところで。
胸が痛い。それは、怪我のせいだけではなくて……。
ふとシンタローは夢でみた記憶を思い出した。
赤ん坊の自分に語りかける、父の姿。きっとただ一つの望憶……。
「――診察は後回しにした方がよさそうですね。もう少し眠っていらっしゃい」
高松は声をかけた。シンタローは微かに頷いて、目を閉じた。
「シンタロー、おまえはまだこれから、絶望を知らなければならない……。その時、おまえはどうする……?」
マジックは再び呟いた。そこに、団員が駆けてくる。
「ああ、お捜ししておりました、総帥! 今回の報告書のことで……」
「判った。すぐに行く」
マジックは首肯し、身を返した。父と息子の想いが、戦場で迷走し交錯する……。
それでもね、シンタロー……私はおまえが可愛くてならないんだよ――。
PR