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<3>

 カチャカタ チャカ
 パサッ ガタン カタ……ピィーッ
「んー……」
 ウィローは音と限局性の灯りに薄目を開けた。
 深夜三時――
 大騒ぎの一日が過ぎ、その夜、ガンマ団の団員宿舎でのことである。ウィローがいるのはアラシヤマの部屋のベッドだ。本来は二人部屋なのだが、人数の都合と、誰も同室希望を出さないという二点に於いてアラシヤマは個室扱いとなっていたから、他人の邪魔にはならない。
 先だってアラシヤマはウィローに夜は自室に戻るよう勧めたのだが、必要なものだけ取ってくると、アラシヤマの部屋に強引にウィローは居据わったのだった。
「うにゃ……?」
 ウィローは寝ぼけまなこをこすりこすり、むくりと起き上がった。抱えている、枕にもなりそうな大きなジャック・オ・ランタン――ハロウィンカボチャのぬいぐるみは、何故かアラシヤマの所有物である。今年のガンマ団新年パーティーで引き当てたのだ。捨てるわけにもいかず、部屋の置物になっていたのだった。
「な……に?」
 アラシヤマは備え付けのライティングデスクに向かい、真剣な顔をしている。
 袖と裾を何重にもまくりあげたパジャマ――自前である――姿のウィローは、制服の襟元のボタンを二つほど外しただけで昼間と変わらぬ格好のアラシヤマをぽやーっと見やった。
「起こしてしもたんか。堪忍してや。まだ寝とってええんどすよ」
「何しとりゃあすの?」
「……報告書の作成どす。提出するはずやった書類が水浸しになってしまいよったんでな。バックアップデータは完成の時点で破棄する規則やし、一から打ち直しどすわ」
 まだ半分眠っているウィローに律儀に答えながら、アラシヤマはノートパソコンのキーを叩いた。
「まあ、フォーマットも文章も、今あるとおりに写せばいいだけましどすけど――、……ああ、まちごうたっ」
 決してできないわけでも性に合っていないわけでもないが、日頃戦場を飛び回っているアラシヤマにとって、こういった事務系の入力作業は勝手が違う。時々不意に押すべきキーの場所を見失ったり、罫線を引き損ねたりの連続で四苦八苦することになるのだった。
 おまけに内容が出征に際してのものであるから、余計に気が重くならざるを得ない。実感を伴わない単なる数字で表されてゆく出兵費用、損害額、そして敵味方の戦死者・負傷者数……。
 彼が自ら手を下した敵兵。血の泥濘の中でこときれていた幾人もの部下。……記憶はあまりにも鮮明であるのに、その結果はただの数字に置き換えられてしまうのだ。
 ガンマ団に籍を置いている者にとって、例外なく、戦闘は空気と同じで……。戦うことは簡単だったけれど、そこに隠れている部分に目をつぶることはアラシヤマにはできなかった。
「第二中隊生還率八七パーセント……うち軽傷者数……。げ、また打ち間違いや」
 アラシヤマは舌打ちして削除キーを押した。途端に、どう失敗したものか、三行分ばかり一気に消してしまう。
「わーっ!!」
 悪戦苦闘するアラシヤマの背中を、ようやく覚醒したらしいウィローはあきれ顔で眺めていた。
「とろくせゃあ……(ばかばかしい……)。ほんなことでは朝までかかっても終われせんがや」
 アラシヤマはくるりと振り向いた。
「慣れとらんのどす!」
「……だったら部下にやらせやええが。どうせそれを作ったのはおみゃあでねゃあんだろ?」
 その言葉に、アラシヤマの脳裏に、いつも二人一組で行動している凸凹コンビ、中村と南が浮かぶ。この書類の作成担当は彼らの筈だ。
「濡らしたのはわての責任どす。関係ないものをやり直しさせられしまへん」
 ウィローは姿勢を変え、机の上のバックライト液晶画面に目をやった。
「しゃあねゃあな。ワシが手伝ったろみゃあか」
「はぁ?」
 ウィローはベッドから降り、アラシヤマの傍まで行った。
「その水浸しにはワシも噛んどるぎゃあ。関係者が手を貸すのはええんだろ?」
 アラシヤマの発言を逆手に取ったウィローであった。
「退きゃあ。打ち込みしたるでよ」
 アラシヤマは不得要領なまま、言われたとおり椅子から離れた。ウィローはよじ登るようにその椅子に腰掛ける。
「でも、ウィローはん、あんさん、キー打ちできるんでっか……?」
 ウィローは気分を害した様子で、発言者をはすに睨んだ。
「打てるに決まっとるがや。おみゃあさんたらあと一緒にしやあすな(お前達と一緒にするなよ)」
 おそらくはコージたちも含めているらしい複数形で、ウィローはアラシヤマに文句をつけた。せっかく親切心を出してやったものを、技術に疑いを持たれて嬉しい筈がない。
「せやけど……」
「まあ、見とりゃあ。……あ、書類の内容を読むのは許いたってちょ」
「それは構えしまへんけど……今更どすし」
 ウィローはパソコンの表示画面に視線を戻した。小さな手ゆえにキーのカバー範囲がいささか苦しそうな感はあるが、両手をホームポジションに置く。
 画面と、キーボードの左側に置かれている皺が寄って反り返った報告書を交互に瞳に映しながら、ウィローは的確に文書を入力していった。キーボードなど殆ど見ていない。
 それこそ魔法のようにウィローの指が動くのを、アラシヤマは感嘆の眼差しで見やった。
「すごいもんどすな……。ウィローはんにこないな特技があらはったなんて知りまへんどしたわ」
 別に得意げな表情を浮かべるでもなく、ウィローは一段落打ち終えたところで一旦手を止め、返事をした。
「特技のわけあらすか。これくりゃあできねゃあようでは、作戦案が立てれーせんて(特技のわけあるかよ。これくらいできないようでは、作戦案が立てられないぞ)」
 言われてみればそうである。大抵の場合は本部に残ったまま己れの研究に没頭しているとはいえ、一応、立場上は軍の参謀なのだ。出兵計画や細部の作戦など、文書の形で作成し上層部に提出したことの一度や二度ないはずがなかった。得体の知れない魔術を執り行っている印象が強すぎて、ウィローの役職を忘れていたアラシヤマであった。
 ウィローは書類のページを繰り、再び入力作業を開始した。背後に立ってそれを見物していたアラシヤマに、彼は鋭い言葉を投げた。
「邪魔だぎゃ。離れとってちょーすか(離れていてくれ)」
「はいはい……」
 部屋の主はすごすごとベッド脇に引き下がった。
 しかし、結構生真面目なところのあるアラシヤマは、自分がすべき仕事を他人にさせていることに申し訳なさを感じていた。まして、『子供の夜更かし』を奨励する気にはなれない。
「……けど、ウィローはん、三時半になったら寝とくれやす。あとはわてがやりますよってに」
「ワシが全部やったるぎゃあ。おみゃあに任いたるとほんとに終わりそうもねゃあで」
「ええんどす。今日――もうとうに昨日どすな――はいろいろあって疲れはったやろ? よう眠らなあきまへんわ。中途半端に起こしてしまってすんまへん」
「別にもう眠くねゃあわ」
「駄目どす!」
 アラシヤマが語気を強める。ウィローは不承不承といった雰囲気で頷いた。これだけは譲ってもらえそうもない。ならばそれまでに一行でも多く打ち込んでおこうと、彼はキーボードに神経を集中した。



 一方その頃――
「うーむ……やはり不確定要素が多いか」
「ドクターっ!」
 高松は、ウィローから受け取った薬と試験管の中の試作薬No.1の分析結果を注視していた。そこにかぶさるもはや悲鳴のような声音に、彼は声の主をじろりと横目で見た。
「何です、夜中に。寝ていればいいものを」
 視線の先に、子供に変えられた三人がいた。
「寝られるわけねぇべ! この鎖を外してけろ!!」
「なんで手枷足枷を付けるんじゃッ」
「これじゃ監禁みたいだわいや!」
 鎖をじゃらじゃら鳴らす彼らに、高松はうざったいと言わんばかりの表情で言葉を返した。
「みたいじゃなくて監禁してるんですよ」
 高松はデータ用紙を机上に置き、かすかに椅子にきしみをたてさせて向きなおった。
「そうでもしなきゃ逃げだすでしょうが、あんたら。……私は捕えた獲物はのがさない主義です」
 すっと、試験管を手に取り、椅子から立ち上がる。
「さて、と。どうデータを見ても失敗作ですが……せっかく三人とも起きていることですし、一応試してあげましょうか」
 無駄な抵抗とは知りつつも、歩み寄る高松から逃れようと、コージたちは後ずさった。ぴん、と、つながれた鎖が一杯に引っ張られる。
「まっ……待っちゃりい!」
「僕は飲みたくないっちゃー!」
「オラは嫌だべッッ!」
 真っ青になっている、自分の遥か後輩を、高松は却って優しいほどの目付きで眺め回した。
「遠慮しなくてもいいんですよ。さあ、誰に第一号の栄誉を担ってもらいましょうかねぇ……ふっふっふっふっ……」
 その十秒後、高松の研究室から、この世のものとも思えない叫び声が響き渡った――。


 午前三時五十分、机についていたアラシヤマは指を組み合わせて身体を伸ばし、己れのベッドを振り返った。
 ぬいぐるみを大事そうに抱え、ウィローは完全に眠りに落ちている。
 アラシヤマは満足気な吐息を残し、パソコン画面に再度目を戻した――。



「……まだ眠いぎゃあ……」
 ウィローはぽてぽてとアラシヤマの数歩前を歩いていた。よほど気に入ったのか、ぬいぐるみのカボチャを離さずに引きずっている。
「せやから、寝とって構えへんて言いましたやろ? 帰ってもええんどすよ?」
 事情が事情であるから、別にウィロー自身はガンマ団本部に出てこなくても許されるのだが、アラシヤマの出勤に彼はくっついてきたのだった。
「やーっ! ワシはおみゃあさんとおりてゃあんだぎゃあ」
 アラシヤマは結局完徹だったのだが、特に眠そうでもない。徹夜には慣れているのだ。むしろ一日二日の徹夜で寝不足を訴える者の方が少ない。
「やれやれ……」
 アラシヤマは右目を覆う前髪を手櫛で軽く後ろに流した。
 ぽてぽてぽ……ずるっ
 そういう擬音を伴って、前にいたウィローが転ぶ。履いていたブーツが脱げてしまったのである。
「~~~っっ……」
 床にうつぶせになって、ウィローは行き場のない怒りを循環させていた。
 アラシヤマはさもありなんと言いたげな表情で、ウィローを起こしてやった。ウィローのアラシヤマを見返す瞳がじんわり潤んでいる。
「やっぱりわてが抱いとった方がよろしおすなァ……」
 呟いて、アラシヤマはひょいっとウィローを抱え上げた。前日ずっと抱いていたこともあり、すっかりだっこに馴染んでしまった彼であった。ウィローはぬいぐるみごとおとなしく抱かれている。
「それにしても……。その恰好のままでは、歩くに歩けまへんわな。ウィローはんに合ったサイズの服があればええんどすけど……」
 いくら何でも子供の頃の衣服を未だに保管してあるわけもなく、ウィローはいつもの自前の魔法使いルックである。アラシヤマは寸法を直してやろうとしたのだが、マントから何から、それ自体に魔力を宿しているという、服の持ち主の強硬な反対に遭い、断念せざるをえなかったのだった。
「……とにかく報告書を届けんとあかんな。はよ総帥室に行かんと。ウィローはん、この封筒を持っとってや」
「任いてちょ」
 アラシヤマは両手でウィローを強く抱きかかえ、早足で歩きだした。
 彼らの通る先、何か恐ろしいものでもやってきたかのように、団員たちは皆、通路の端にへばりついて避けまくってゆく。まるでウィローとアラシヤマの全身に犬猫忌避剤でも振り撒かれていたかのような、見事な避けっぷりである。
 前日一日で彼らの脅威は知れ渡っていた。あえて余計な面倒ごとに巻き込まれたくないと思う気持ちは判らないでもない。
 邪魔をする→アラシヤマが怒る→黒焦げ
 ウィローが泣く→騒霊現象→直撃で昏倒
 ……そのいずれか一方、ないし両方が己れを襲う可能性があるとなれば、さわらぬ神に祟りなしを決め込みたいのも無理もなかろう。世界最強の殺し屋集団といえど、構成員も所詮人の子である。
 まるで海を二つに割ったモーゼのように開かれてゆく道を、ウィローを抱えたアラシヤマは鉄面皮のまま歩き過ぎていった。
 総帥室のあるエリア――各ブロックごとにいざという時には隔壁が下りるようになっているのだ――まで来たところで、不意にアラシヤマは後頭部をはたかれた。
「おい!」
「なっ……?」
 アラシヤマは力の加わった方面をキッと向いた。
「何をしはりますのん!」
 凶器らしい分厚いファイルを掴んだ黒髪の若い男が、左手を腰に当て、面白くもなさそうな顔で立っている。
「わては急いで――……シンタローはん!」
 見返していたのは総帥の長男であるシンタローだった。軍のナンバー2であるアラシヤマに唯一能力的に勝る人間――彼以外に、報復措置を気にせずアラシヤマに手を出せる存在がいる筈もなかった。
 シンタローはアラシヤマも含めてウィローを一瞥した。
「こいつがグンマが言ってた奴かよ」
「……珍しゅうおますな……」
 二重の意味でアラシヤマは独語した。
 一つは、存在そのものを無視することはあっても、シンタローがアラシヤマに声をかけるなど日頃はありえないということ。もう一つは――。
 父親であるマジックと半ば断絶状況にあるシンタローが、この辺りにいることはまずないということ。よほどのことでもなくては近付こうとはしないのだから。
 シンタローは敏感に双方の意味を感じ取ったらしい。
「けっ! うっせーよ。誰が好きでこんなところにいるかよっ。第一、用がなきゃてめぇなんざと関わりゃしねえ! ……十五時から、総帥直々に出席の緊急会議だ。九階第一会議室! 遅れたら減俸ものだぜ!」
 神妙にアラシヤマは頷いた。やけにシンタローの虫の居所が悪い理由がなんとなく推察できる。シンタローは、ウィローがぬいぐるみと一緒に大切そうに持っている報告書の封筒に目を止め、付け加えた。
「それと! ついでだから……あくまでついでだからな! 教えておいてやる。親……マジックが、未提出書類があるってんで、青スジ山程立てながらやたらめったらニコニコしてたぞ。せいぜい覚悟しとけよ」
 ざーっとアラシヤマの顔から血の気が失せた。
「うわー……」
 やばいなどというものではない。人間、一見機嫌が良さそうに思える時ほどえてして怖いのだ。マジックの秘められた怒りの程度が想像できる。
 がっくりと肩を落としたアラシヤマの頭を、ウィローはぽちゃっとした手で慰めるように撫でた。
 シンタローは言うだけ言っておいて、ズカズカと歩み去りかけた。逆行しようとしたアラシヤマは、そこでふと思いついた。その頭上に白熱電球が点灯する。古典的手法である。
「……そうや、シンタローはん!」
「何だよ!?」
 長居は無用とばかりに遠のきつつあったシンタローは、足を止め、自分を呼んだ者を睨んだ。
「あんさん、子供服って持ってはりまへんか?」
「子供服ぅ~?」
「そうどす。ウィローはんに着せてやりとうおましてな」
 シンタローは呆れたようにアラシヤマを見る。
「お前……俺がガキの頃の服をいつまでも保存してあるとでも思ってんじゃねえだろうな。とうの昔に捨てたぜ、そんな物」
「そうやあらしまへん! 弟さんのとか……手に入るんとちゃうかと思っただけどす。ウィローはんとそんなにサイズは変わらんやろし……。少々大きめなのの都合がつきまへんやろか」
 アラシヤマは腕の中にいるウィローと、自分の上位に立つ人間を見比べた。シンタローの表情に戸惑いが見え隠れする。
「コタローのか?」
 シンタローは困惑をにじませて呟いた。
「そりゃ……なくはないけど……」
 現在進行形で兄弟一緒に暮らしている、というならともかく、別離させられた弟の服を大事にとってある辺り、筋金入りのブラコン兄貴だ。それを見越して訊ねるアラシヤマもアラシヤマである。
「だけど、何でおめーに……」
 溺愛している弟、コタローの想い出の品を、シンタローがそう簡単に渡すはずがないのは、予測の内だ。アラシヤマは下手に出た。
「あんさんの大事なもんを借りようなんて、無理は承知の上どす。せやけど、ここは一つ、うんと言うてもらえまへんか」
 よしッ、もう一押し!
 妙に口車の発達している奴であった。独りぼっちの自分の部屋で鏡を相手に話し込んでいるという噂は、誇張こそあれ、あながち嘘ではないらしい。
「……コタロー……の―? でも……コタロー……」
 弟の名を繰り返すシンタローの目付きがいつのまにかどっかりと胡坐をかいていた。いや、体操座りか、はたまた横座りかもしれない。
「シンタロー、はん?」
「うおおぉぉ~~~ッツッ!! コタローッッ!!!」
 吠えるようなシンタローの声がフロアにこだました。
「コタロォー! お兄ちゃんは……お兄ちゃんはっ!」
「あ~……あのー、シンタローはん……」
「待ってろ!! お兄ちゃん、いつかきっとお前を迎えにいくからなーっっ!! ざけんな、クソ親父ッ!!」
 もはやあっちの世界の人だ。アラシヤマは頭を抱えてうずくまりたい衝動にかられた。
「……あかんわ、こりゃ」
 くるぅりと方向転換して、アラシヤマは本来の目的地をめざした。
「行きまひょか、ウィローはん……」
 立ち去るアラシヤマとウィローの背後で、シンタローの叫びが壁に響き渡っていた。
 総帥室の前で、アラシヤマはウィローを降ろした。
「なるだけ早う出てくるつもりどすけど、ちょっと時間がかかるかもしれまへんな……」
 マジックの怒りの度合いによっては、延々お説教か、場合によっては厳罰を食らわなくてはならないかもしれない。ウィローにここでじっと待たせるのは酷だ。
「行き先さえはっきりしとれば、どっかで遊んどってもええどすえ」
「だったら、ワシ、書庫に行っとるぎゃあ。ちーと読みてゃあ新刊が入っとるでよ」
「そうどすか。じゃあ、わてが送って――いく余裕はあらしまへんどしたな……」
 この期に及んでウィローの足代わりを務めようという辺り、一日で完全に保護者が染みついてしまったらしい。
「書庫で待っとっておくんなはれ。あとで迎えに行きますよってな」
「判ったぎゃ」
 扉の前を衛る、マジック直属の団員に敬礼し、アラシヤマは入室した。ウィローは小首を傾げて、保護者の消えた扉を眺めやっていた。
 それからウィローはぬいぐるみのカボチャと自分のマントで半分床掃除しながら図書閲覧室へむかった。



「……では、No.4にいってみましょうかね」
 高松は焦茶色の液体の入った試験管を揺すった。彼の前には目を白黒させながらぐったりと座り込んでいる被験体がいた。
「どうしました、三人とも。今はおやすみの時間じゃありませんよ」
「……き……気違い科学者だべ……」
 丸一日でげっそりとやつれたミヤギの独り言に、高松はきらりと目を光らせた。
「何か言いましたか?」
 ぶんぶんぶんっ
 ミヤギは脳みそが遠心分離器に掛かったのと同じ状態になるのでは、というほど頭を振った。ただでさえ憔悴しているところへやったために、目を回してぐらぁりと倒れかける。
「空耳とは思えませんでしたがね。……どうせですから君に飲ませてあげましょう。運が良ければ元の姿に戻れますよ。まあ、十中八九無理でしょうけど」
 判っているなら飲まさなければいいようなものだが、これもより完璧な中和薬を完成させるための大事なデータサンプル――もしくは単なる趣味であった。このバイタリティーは一体何処からくるのか。
 高松はミヤギの顎を掴み、強引に薬を流し込んだ。
「うぎゃらべれぬだげ~~~っ」
 日本語になっていない叫び声をあげて、ばったりとミヤギはぶっ倒れた。すぐ後ろにいたトットリが下敷きになる。
「おや、気絶してしまいましたねぇ。軟弱な。もう少し試し甲斐のある人間だと思っていたのに」
 コージはひくりと引きつりながら、逃げ腰に移動した。武士の誇りも何も、生きていればこそである。じゃらりと枷につながっている鎖が鳴った。
「たーか松っ」
 研究室のドアを開けた隙間から、淡い金髪を下の方で結わえた若者がひょこりと顔を覗かせる。ただ一人、この部屋に無許可で立ち入ることのできる人間だ。
「グンマ様」
 グンマは中に入ってきた。
「調子はどう? あまり無理しないでね」
「大丈夫ですとも♪ グンマ様に気遣っていただけるとは、光栄の至り」
「何言ってるのさ! ぼくが高松を心配するのは当然のことじゃないか♪♪」
「ああ、なんとお優しい……この高松、グンマ様を誠心誠意お育て申し上げた甲斐があったというものです」
 今の今まで地獄の使いのような嗤いをミヤギたちに向けていたくせに、高松はころりと態度を変えていた。『グンマオタクの変態科学者』の名がまかり通る所以である。
 取り敢えずコージの危機は先に延ばされたようだった。



 昨日独りでうろついていた時には不安が先立って、とても周囲を見る余裕がなかったのだが、いざ落ち着いてみると、この視界レベルというのもそれはそれで滅多にできない体験かもしれない、とウィローは考えた。既に開き直りの境地だった。
 すっ転ぶのは判りきっていたから、歩調はさして早くはない。ウィローは相変わらず通行者に自主的に道をあけさせながら、進んでいった。
 階段を一段ずつ昇る。ごく幼い子供がよくやる、一段ごとに両足で立つ昇り方である。
 踊り場までもうあと数段、というところで、
「わっ……」
 ぐらりと、ウィローの身体が後ろにかしぐ。
 子供というのは頭が重いので、重心が後方にかかりがちなのだ。幼児が急な階段の昇降を四つんばいですることがあるのは、転げ落ちないための自然の知恵である。もっとも、幼い頃さんざん落っこちたせいで、いい齢をして未だに、家庭内の階段は両手をつかないと昇れない筆者のようなトンマも時にはいるが、そういうのは例外にしておいてもらいたい。
「危ないっ!!」
 空中を自由落下しかけたウィローを、がしっと抱き止めた腕があった。
 目をぱちくりさせて、ウィローは救い主を仰ぎ見た。落ちながらもぬいぐるみを手放さなかったのはいっそ称賛に値するかもしれない。
「大丈夫かよ?」
 いつの間にあっちの世界から帰ってきたものか、シンタローが抱いたウィローを見下ろしていた。ウィローはシンタローの顔を直視した。
「………」
 息を詰めて、じぃっと見つめる。あまりにまっすぐな視線を向けられて、シンタローは眉間に皺を寄せた。
「何だよ!? 別にどこか打ったわけでもねえだろ」
 こっくん。
 ウィローは肯定した。その無防備な表情に、シンタローは軽く舌打ちの音を立てた。たとえ中身が何歳であれ、『子供』には弱い。
「ちっ、仕方ねぇ。また上から降ってこられても困るから連れていってやる。お前、何処に行くつもりなんだ? ……誤解するなよ! 俺は別に親切で言ってるわけじゃねえからな!」
「書庫だがや」
「図書室? ……なんだ、すぐそこじゃねえか」
 シンタローは片手でウィローを肩にかつぎ上げ、二段跳ばしで階段を上っていった。
「おもしれーぎゃあっ」
 ウィローは歓声をあげた。アラシヤマの壊れ物を扱うような抱き方も甘えられて好きだが、幾分乱暴なシンタローの動作も遊園地で遊んでいるような気分で結構楽しい。
「だーっ! 静かにしてろ! 地上まで投げ落とすぞ!!」
 シンタローは怒鳴った。びっくりしたように、ウィローがひゅっと息を飲む。
「ぶっ殺されてぇのかッ!!」
「う……うぇっ……」
 脅し文句に、ウィローはたちまち泣きだしそうに顔をぐしゃぐしゃにした。
「ふ……うぅ……ぴえぇ……」
 爆発寸前の嗚咽。
 景気よくウィローが泣き落とし戦法に出かけた時、肩に引っ掛けた彼をシンタローは慌てて揺さぶった。
「わーーっっ!! 泣くんじゃねぇ!」
 泣かれては分が悪い。焦った様子でシンタローはウィローをあやした。目線を合わせる。
「ほっ……ほーら、もうすぐ閲覧室だぞー! そうだ、俺が本を読んでやる! なっ!?」
「……ひゅぐっ……おぶおぶ」
 ぬいぐるみを抱えていない右手の指をくわえて、ウィローは涙をいっぱいにためた目でシンタローを見た。
「よーし! 行くぜ」
 シンタローは、一旦停止していた踊り場から更に階段を昇りだした。これを上がれば書庫フロアだ。
「いいか、男ってのはそう簡単に泣いちゃいけねぇんだぞ」
 誰に言うともなくシンタローは呟いた。
 ウィローはぽふっとジャック・オ・ランタンの目鼻の部分に顔をうずめた。いつも笑っているカボチャとにらめっこ、である。
 シンタローは最後の段差を三段跳ばしで飛び上がり、曲がり角を折れた。子供の扱いにはたけているガンマ団ナンバー1であった。
「ほれ! 着いたぞ」
 図書閲覧室内に足を踏み入れる。
 ウィローは身をよじり、シンタローの腕の中からぴょいっと飛び降りた。
 ……ずべしゃっ
 バランスを崩して、ウィローは、そのまま床に顔面衝突した。めりこまなかっただけ幸運である。
「をい?」
「うー……」
 ウィローはむくっと身を起こした。ぶつけた鼻の頭が赤い。
「ったく、マジに運動神経未発達なヤローだな。気をつけろ」
 ウィローの両脇の下を支えてぶら下げ、つかつかと机の方に近付いて、シンタローはそのお荷物を椅子に乗せた。転がっていたぬいぐるみを拾い、ウィローの膝の上に置いてやる。
「……で? 何を読みたいんだ? 絵本か?」
 果たして絵本がガンマ団に存在するかどうかは謎である。
「おみゃあさん、たーけたことこいてかんわ! 最新劇毒物事典だぎゃあ」
「あ……あぁ、そう……」
「それと『続・簡単に造れる中性子爆弾』が先週入っとるはずだでよ」
 がんっと、シンタローの顎が落ちる。
「そんな本読んでんじゃねェッッ!!」
 そんな本入れてんじゃねェッッ!! 思わずそうつっこみたくなるのは筆者だけだろうか。いやない(反語)。
 さすがに殺しのプロが集結する組織、本の品揃えも普通ではなかった。もっともそれ以前に、よくそんな本が発行可能だったものである。
「子供は子供らしく、素直におとぎ話とかのりもの図鑑とか見てろ! コタローは童話が好きだぞ!?」
「……ワシの勝手だがや」
 シンタローはこめかみを押さえた。無意識に弟の残像とウィローをすり替えていた彼にとっては、由々しき事態だった。
「俺……帰ろうかな」
 シンタローは背を向けた。
 一歩目を床に降ろす前に、無造作に束ねた黒髪が、ぎゅん、とひっぱられる。
「いてっ!」
 存外強い力に、シンタローは仰け反った。ウィローは掴んだ頭髪をあくまで離さない。
「……判ったよっ!」
 苦虫を噛みつぶしたような顔で、シンタローは吐き捨てた。シンタローのついた諦めのため息は、ケルマデック海溝最深部一万とんで四十七メートル級のものであった。




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